1 :
日本@名無史さん:
どうして聖書を読んでいると、
なぜ、主人公の青年、キリストの一人称は「オレ」と訳されないのですか?
「オレは神だ」とかのほうがカッコイイです。
ほかに旧約のエホバもあんなに苛烈な性格なのだから
「俺は妬む神だ」とか自然に訳したほうが感じが出ていいのではないでしょうか?
>>1
翻訳者が権威主義的な(俗に言われる)プチブル的価値観のもちぬしだ
からでしょう。
「おれ」よりガリラヤの田舎者イェスースには「おら」とかのほうが自
然だと思いますが。
3 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 16:36
大工の息子だし「ワシ」の方がいいんじゃない?
翻訳の問題だけど、プチブルは関係ないと思うな。
少なくとも現在のプチブル意識ではない。
総中流がバブル前の意識だから、今の日本に文字どおりのプチブル意識が
あるとは思えないし。
せいぜい大正デモクラシー頃のそれの反映。
現在の日本語感覚の中では少しズレた位置にあるのは確かと思います。
乱暴に言えば信徒の趣味にすぎない、とも言えます。
教典はまず信徒のものであるべきなのだから当然とは言えるでしょう。
新共同訳の口語−−って言ってもさほど現代口語ではないのですが
には日本語を母語にする信徒の間で違和感の表明されていました。
わたしは個人的にはベーシックな聖書はアレでよいと思っています。
例えば、イエスの言葉には『詩編』の引用が多いので、そうした個所は
当然韻を踏んでないとおかしい、みたいな事情もありますし。
宗教表現に、信徒の言語感覚が反映されるのも当然でしょう。
一方「おら」とか言う訳も、おもしろいと思います。
そういうのがミュージカル、『ジーザス・クライスト・スーパースター』
みたいなカウンター・カルチャーとして出てくるとおもしろいと思います。
が、信徒の内から出てくるのでなくてはあまり意味はない。
コギャル語訳聖書とか、おもしろいと思うんですけどね。
>>4 マジレス(藁
ってゆーか
>>1の話題は板違いと思われ
6 :
=4:2001/05/04(金) 18:26
7 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 19:53
光瀬龍原作でコミック化(絵は誰だっけ、ど忘れした。少女マンカ系
の人)された『百億の昼と千億の夜』では、ナザレのイエスがいかに
も田舎者っぽく描かれていた。さすがに「オラ」とは言ってなかった
とは思うが。
9 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 20:02
7>8
あ、そうだそうだ。萩尾望都だ。ありがと。
あのマンガのイエスはセコい奴で好きだったよ。
10 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 00:31
スコセッシ監督の『最後の誘惑』とかいう、イエスを徹底的に「人の子」として描いて保守的な教会から猛反発を食らった映画では、イエスが「おれ」という一人称を使っていたような気が…(もちろん日本語版の字幕の話です)
>>7-9
てめえら悔い改めやがれ!
そうしねえと天国へ行けねえぞ!
でしたっけ。
板違いにつきsage。
12 :
世界@名無史さん:
では誰か宗教板に建ててくれると助かります。
私は固定プロキシなのでPROXY規制で
建てられません。