1 :
256:
この民族について詳しく教えてください。
オーストラリア西岸やブラジルに彼らと同時代のものと思われるフェニキア文字が
発見されています。ということは大航海時代以前に世界を股に掛けていた
ということですよね。また、メキシコを旅行中にグアテマラ国境あたりで
マヤ系原住民に混ざって白人の原住民も1人いました。
これは病気だって人もいますが、この辺りには「白い民」という
原住民も存在するらしいです。この辺知ってる方も教えてください。
白い民ってのは
確かアルビノの子供をそうやってもてはやしたんじゃなかったっけかな。
昔聞いた話のためソースなし。
信憑性もその程度だけど一応。
3 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 03:31
フェニキア人は、紀元前2000年紀に、地中海東岸各地を拠点に海上交易で栄えたとされる民族です。セム系とみなされています。
紀元前1500年頃、エーゲ文明とエジプト文明の均衡の間を縫うように地中海全域に勢力を伸ばした、と言われます。イタリア半島に植民地を築くなどする間に、各地の文明の影響を受けて洗練されたと言われています。
例えば、フェニキア文字は、後にギリシアで改良され後代のアルファベットのルーツとなっています。
後にアレクサンダーに抗戦し、ローマとの戦いに敗れたカルタゴはフェニキア人が植民した都市でした。
また、エジプトのファラオに臣従したフェニキア人の一派が、古代の間に、アフリカ沿岸周航を果たしていることも知られています。後のポルトガル人と逆にインド洋側からの周航を果たしているそうです。
ところで、「オーストラリア西岸やブラジルに彼らと同時代のものと思われるフェニキア文字が発見されています」ってお話ですが。
申し訳ないのですが、これはアカデミックな歴史学の通念からすると、俄かには信じ難いお話です。
もし、それが確実な発見でしたら世界中で大ニュースになっているはずです。
よろしければ、情報ソースを挙げていただけるとありがたいと思います。
4 :
256:2001/05/04(金) 03:41
5 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 03:43
>>3 グラハムハンコック著「神々の指紋」に書かれている南極の氷河下の地形を表している地図は、F人が関わっている可能性があるとのことだが、どうなんでしょ?
6 :
=3:2001/05/04(金) 03:54
>>5 結論から言うと、その説はまったくのデタラメです。
夢を壊すようで悪いですが。
ハンコックが『神々の指紋』で紹介している地図には古くからの
元ネタがあり、すべて論破されています。
フェニキア人云々以前の問題なんです。
詳しく書くと長くなりますが(ごまかしをきちんと論証するには、
元の文章より長い検討文が必要になります)。
例えば古地図の一部を元の縮尺と違うスケールに拡大して南極の
地形に似た部分のみを掲載する。などのテクニックが駆使されて
います。
詳しくは下記の本を参照してください。
スタイビング著『超古代文明謎解き講座』太田出版
ISBN4-87233-782-5
7 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 04:03
>>6 どうもです
「神々の〜」でひと時、夢を見たものですが友人もそりゃないだろと言ってました。上記の本探してみます。
8 :
256:2001/05/04(金) 04:05
ハンコック自身も認めてましたね。モーゼの聖櫃のエチオピア説も
あれだけの検証と本を発表しておきながらあっさり撤回したようです。
9 :
=3:2001/05/04(金) 04:27
>>1 えーっと。「
>>4」で、ご紹介いただいたURLザッと読ませてもらいました。
『契約の聖櫃』ですか。
せっかくご紹介いただいて悪いのですが、わたしは興味が持てません。
世界中で大ニュースになったら、改めて読むと思います。
失われた十支族がアメリカに渡ったとか、古代エジプト人がアメリカに渡ったとか、って説は、実はアメリカ人は大好きで。十九世紀から主張する人が思い出したように現れていた歴史があります。
そのたびに論破されているようですので、よほど大きな発見が無ければ、改めて認められるとはわたしには思えません。
一言申し上げておくと、南米で縄文土器が発見されていますね。
あれは、放射性炭素測定も済んでいるようなので、まず、大筋で間違いない報道と思われます。
が、十や二十の遺物が発見されても、それで縄文人が太平洋を渡ったって証明にはなりません。
まず、中継交易で物品だけが伝播する可能性を優先させて考えるのが、堅実な学問だからです。
ヴァイキングが中世に北米に渡ったことが学問的に確かめられているのは、彼らの植民地の遺跡が発掘されているからです。
お話の中南米のフェニキア文字の発見、わたしは、本を読んでいないので、無闇に否定もしないつもりですが。その発見だけでは、フェニキア人が古代大西洋を渡った証拠にはならないのが歴史学です。
10 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 19:28
オーストラリアはともかく、南米の方は、あながちありえないとは言いきれない。
フェニキア人はアフリカの西岸をかなり南下していたし、そこからちょっと流さ
れれば、ブラジルだ。少数の漂流者がたどりつくということは十分、ありえる。
むろん、植民地を建設できたかというのは別の話だし、上の話もあくまで可能性
にすぎない。本当にフェニキア文字らしきものがあるのなら、先入観からむやみ
に肯定したり否定したりせずに、きちんと研究してほしいものである。
11 :
ジョーカー:2001/05/04(金) 20:34
>1
古代フェニキア人の末裔ならば「白い」とはいえないと思うが。
古代へブルー人と同じくセム系の地中海人種で、
鉤鼻・鷲鼻、波状毛、赤銅色・浅褐色の肌だったそうな。
今のレバノン人は古代フェニキア人とアラブ人との混血で
形成されたのではないのかな?
12 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 21:21
>>10 論点がズレていないでしょうか。
これまでのレスで言われているのは、文字を含めた遺物が
発見されたからと言って、それがある民族の移動を証拠立
てることにはならないってことでしょう。
日本人が漂流して漢字を遺す可能性もあるわけです。
ローマ字を遺す可能性もある。
仮にフェニキア文字があったとしても、それだけでは
フェニキア人渡航(あるいは漂着)の証拠にはならない、
とそうしたお話だと思われます。
13 :
256:2001/05/05(土) 06:02
まあ渡ってないとしても謎の多い民族だと思うんですよ。
当時彼らはイスラエルと協力関係にあったと思うんですが
エルサレム城に使われた膨大な金銀がどこからきたのかってのも不思議です。
とうぜんF人は貿易をになっていたと思われるのですが。
それで南米なんて金銀豊富でその線からも考えられるなって。
14 :
ジョーカー:2001/05/05(土) 13:34
>13
ソロモン時代のイスラエルとフェニキア人との協力関係は
知られていますね。地中海・紅海貿易のみならず、
神殿・王宮の建設でもソロモン王と協力していました。
但し、ローマ帝国の支配以降―特に紀元後―はフェニキア人に
ついての記録は僅少で、イスラムが進出してくる以前に
アラブに同化したとも聞いた事が有りますが。
15 :
世界@名無史さん:2001/05/15(火) 14:57
ギリシャ人が地中海を出たがらなかったのって
地の果ては沸騰してるとか、とんでもない化け物が棲んでるとかって
フェニキア人がフカシいれてたからってマジっすか?
16 :
大スキピオ:2001/05/15(火) 20:09
ハンニバルの話でもしませんか?
17 :
世界@名無史さん:2001/05/18(金) 10:54
ギリシア人が向かうところ何処にでも先回りしててやな感じだったらしいが(ワラ
18 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 00:13
「海の民」が地中海、オリエントを荒らしてから、
ヘブライ人、フェニキア人、ギリシア人の海洋民族の時代が始まった
19 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 01:38
>18
フェニキア人とギリシャ人はわかるが、ヘブライ人って海洋民族だったの?
20 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 01:44
海洋民族ってのはいいすぎだが、交易(商業)民族ではあったんじゃない?
フェニキア人とギリシャ人は海上交易に全力を注いだが、
ヘブライ人の場合は内陸交易にもこだわったので力が分散し、
海ではフェニキア人とギリシャ人に蹴落とされることになってしまったのではないか。
21 :
世界@名無史さん:
竹越与三郎の「二千五百年史」では日本人の先祖はフェニキア人だってゆってるよ。