東ドイツについて語れる人っている?

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1世界@名無史さん
専門でやってんだけど、DDRって日本じゃほとんど取り上げられないんだよ。
資料集めんの大変だし。日本での研究状況や詳しい知識をお持ちの方、
是非返答を。できれば政経ではなく、歴史サイドで。こっちも知ってることには
できるだけお答えします。
2世界@名無史さん:2001/05/03(木) 20:52
ポーランドとの国境確定について、東ドイツはソ連との兼ね合いでいち早く合意しましたが、
西ドイツは70年代に至るまで異議を唱えつづけました。
31:2001/05/03(木) 21:03
>>2すみません。できれば、内政や社会史でお願いします。
外交、SED関係は大体資料が手に入っているので。わがままいって
もうしわけない。あと、DDRを研究してる学生ってほかにいるのかな?
41:2001/05/03(木) 23:36
ちょっとこっちが知ってることについて書いたほうが反応があるのかな。
私が聞いた範囲では、歴史関係の学会では論文がほとんど(多少はある)発表されていないと
いう状況。日本語でいいやつは、ヘルマン・ヴェーバーの翻訳「ドイツ社会民主共和国史」、
山川出版の「世界歴史体系ドイツ史3」あとは、大西健夫の197年代に出されたシリーズ本の
「ドイツ民主共和国」(だったと思う)ドイツ語で包括的なものは、Klaus Schroederの
「der SED-Staat」あといっぱいあるけど、ここでは挙げません。
基本的なことについて
ここ10年でわかってきたことは、シュタージのIM(非公式協力者)が
成人人口の10%いたこと。(正規のメンバーは9万人程度)
政治体制としては、失敗した全体主義国家(あるいは権威主義国家とみなされてること)
1961年の壁建設は、「西への逃亡」(つまり労働力の減少)を防ぐために、
ウルブリヒト以下党指導部がそれをソ連に認めさせたこと・・など。
意見、反論まってます

5ジーモン@ケー二ヒスベルク:2001/05/04(金) 12:26
DDRはスラヴ・ボルシェヴィキの傀儡。
ドイツ史上最悪の体制。
6ナポレオン・ボナパルト:2001/05/04(金) 17:07
内政や社会史!
それは難しいですなあ。
第一、1氏は邦語文献・論文はあらかた目を通していると思われ、
2ちゃんねらーはそこまで興味と語学力を兼ね備えた人がいるのかどうか…。
ま、一応、アルフレート・グロセール『ドイツ総決算』の東ドイツの章はどうでしょう。
多分、山川の大系には西ドイツの文献として載ってたと思うんですが…。
71:2001/05/05(土) 00:47
ナポレオンさんへ。心温まるご返事ありがとうございます。
ちょっとスレッド終了も考えました。
のってたか確認してませんが、参考にしたことがあります。
ただちょっと古いので。このままだと、終わりそうなので、
DDRについて質問、ご意見などございましたらお願いします。
8ナポレオン:2001/05/05(土) 01:24
私なぞは山川の世界現代史の『ドイツ現代史』くらいでしかDDRのことは知らないので
(実は大系ももっとらんのです。グロセールも流し読んだだけ)、
教えていただけるなら知りたいことはいろいろあります。
もう終了なんていわないで
91:2001/05/05(土) 03:45
ナポレオンさん。ありがとうございます。ちょっとやる気でました。
でも自分の知ってることを自慢してるみたいだったら、遠慮なく諌めてください。
ジーモンさんも意見まってます。そこまではっきり言うひとは、はじめててでしたが。
そうですね。最近よんでびっくりっていう論文は、Nospl(Oにはウムラウトが本来つきます)
(計画・誘導のへの新経済システム(1963年7月)の導入前に、ウルブリヒトが日本や
アメリカの企業グループ形態を理想にしていたなんて話。しかもbekanntlich(周知の如く)
なんて書いてあって2度びっくり。あと題名忘れましたが、図書館に会った本に、
統一前に日本人が取材したDDRについての本なんか、東ドイツの公式の
プロパンガンダを間に受けててけっこう笑えました。例えば、壁建設の原因を
西ドイツからの東ドイツ市民に対する誘導、妨害などを防ぐためとか。
専門外のひとですが教授ですら知らなかったのは、1960年までDDRは大統領制があったこと。
ヴィヘルム・ピーク。彼が死んで、Staatsrat(国家評議会)が創設された。
意見・質問をお待ちしてます。やっぱDDRつまんねえかな。地味だし。
10世界@名無史さん:2001/05/05(土) 06:25
え? DDR? 音楽に合わせてダンスのステップ踏むゲームだろ?
111:2001/05/05(土) 10:13
>>10マジ受けました。
説明してよいのかどうか。
それは、dance dance Revolution。
こっちはdeutsche demokratische Republik。
ボケもまってます。
12ナポレオン・ボナパルト:2001/05/05(土) 13:47
96年か97年のころのどこかの学術論文に、
モロドウのインタビューが載っていたのを見た記憶があるんですが、
あそこで彼はなにを言ってたのか気になります。
あと、非常に素人な質問で申し訳ないが、
ブレヒトって最後までDDRに住んでたんでしょうか。
13ジョーカー:2001/05/05(土) 15:58
>12
確か1946年にアメリカから帰国し、DDRに永住し、
東ベルリンで永眠。
DDRの国歌「破滅からの復活」もブレヒトの作詞。
但し、ホーネッカー時代になると、
ドイツ統一を謳う歌詞なので、歌われなくなりました。
141:2001/05/06(日) 03:46
>>じょかーさんへ。書き込みありがとうございます。正確にいうと、国歌はべっヒァー作詞、ハンス・アイラー作曲です。
1971年歌詞が一民族2国歌政策に合わないので、音楽だけになりました。
ブレヒトがアメリカをたったのは、1947年じゃないですかね。彼は、KB(文化同盟)の招きで、東ドイツに移住。
ベルリンアンサンブルを設立、SED指導部ににらまれツツも利用され、パリ協定の西ドイツ再軍備に
反対しています。1953年の労働者蜂起から、政治不信をおこしたといわれています。
SEDは文学者を基本的に信用してませんね。すみませんモドロウの論文は調べきれず。
でも、大体旧東の政治家は現状や信託公社のやり方に批判的です
15ナポレオン:2001/05/06(日) 07:10
お答ありがとうございます。
ブレヒトは6月17日事件の時は体制迎合的なことを言って、
西ドイツ人に呆れられたんじゃなかったでしたっけ。
やはり内心では体制に距離をおいてたのかな。
モロドウについては、まあ、ほら、今は連休中だし、
学校で調べて頂ければありがたいです。
私が学生だった時にこの目で見てますから、あることは必ずあります。
『史学雑誌』の「回顧と展望」で紹介してる、はずです。
16:2001/05/07(月) 01:26
ナポレオンさんへ。その辺の詳しいところは、ちょっとわからないですね。
全般的なことには、CD−ROMのDDR百科辞典(日本語版は無いです)を参考にしました。
5月17日事件(その呼び方を知ってるなんてさすがですね。)については、岩波の増補
ドイツ文学案内に書いてありました。
論文については後日報告をします。
17:2001/05/07(月) 01:31
訂正5月>6月。
181:2001/05/07(月) 02:20
まあ世界史板に来たのは今日初めてだけど、お前らと違って俺は忙しい
から毎日来られないかも知れないけどこれからよろしくね(^^)/
191:2001/05/07(月) 02:25
自縄自縛でレスつけられないおれの心情を察してくれ(笑)
20:2001/05/07(月) 02:47
>>18,19は
本物の「1」じゃないよ。にせものです。
ああ、きたね、スレッド終了の警告が。(笑)
にせものも、どこまで持つか楽しみに見ててくれ。
21世界@名無史さん:2001/05/10(木) 22:30
Double Data Rateあげ
トラバント一台欲しい
22名無しさん@1周年:2001/05/18(金) 21:15
>>ナポレオン
さん。90年から2000まで一通り見てみましたが、見当たりませんでした。
何年頃かわかりますか?それとも年代がもっと前?それと
翻訳論文ですか?あるいは日本人が彼の発言を使ってるだけ?
23世界@名無史さん:2001/05/18(金) 21:51
旧トラバントの生産設備で今はフォルクスワーゲンの
ポロを造ってるらしい。
24世界@名無史さん:2001/05/18(金) 22:29
>>23
一瞬、「ボロ」を作っていると読んでしまった....
25厨房@名無史さん:2001/05/19(土) 05:04
社会主義統一党以外の政党の党員ってどんな人たちが入っていたの?あぶれもの?
それと統一したあとで西側の同じ名前の党と合併したの?
26ナポレオン:2001/05/19(土) 13:30
えー? なかったですか!?>モドロウのインタビュー
私ももうウローボエでよく思い出せナインですが、96年か97年ナノは確か。
なぜなら、そのとき『回顧と展望』を書く教授の為に論文集めたのは僕だから。
おそらく、日本人の論文の付録だったかもしらんです。あやふやですいません。
しかも前のカキコ見たらモロドウとか書いてるし。
だめだ俺。

ちと前に衛生放送でドイツ統一の舞台裏という番組をやってましたね。
1さんはご覧になりました?
27sin:2001/05/20(日) 00:53
エゴン・クレンツage
28名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 01:43
>>25
その辺は専門ではないので、大ざっぱな話になりますが、
1946年以降SEDとSPDの合併のときから、主な3つの党になります。(DBD、NDPDはちょっと遅れて1948。)
それらの党の結党は、SMAD(ソ連軍政本部)の承認があってはじめて可能でした。
ソ連はもちろんSEDに権力が集中するよう協力しました。(くわしい話は省く)

SED(社会主義統一党。言わずもがなのエリートの道には必須の党です。
また、政策全般はすべてこの党が−正確にはその中の政治局が−決めます。)
CDU(キリスト教民主同盟。主にプロテスタント系信者の党)
LDPD(ドイツ自民主党。主に手工業、商工業を営むもの、事務系職員など)
NDPD(ドイツ国民民主党。ナチ時代の小、中間層、元ナチ党員など。)
DBD(ドイツ民主農民党。文字通りです。農業関係者。)
これらは、基本的にSEDの衛星のような党でしかなく、各支持層へのSEDの政策の支持や
実行の伝達の役割を担っていました。またSEDに対する不満のショックアブソーバー
でもあったようです。例外も多々見受けられるようですが基本的には、出世するには
SEDの党員にならなければなりません。まあ、党の中心部はともかく、SEDに対して
不満なものがそれ以外の党を選ぶという傾向はあったようです。
統一後は、
SED>PDS(民主社会党)
CDU>西のCDUと合併
LDP>西のLDPと合併
NDPD>紆余曲折あって西のFDPと合併
DBD>西のCDUと合併(というより吸収)
SPDだけは過去の経緯があるために新たに結成されたが、実質的な党基盤が
東になかったこと、統一に慎重さを見せたこともあり、1990年の戦後、初の
ドイツ統一選挙はとくに東では大敗しました。

>>26
もっかい見てみます
29名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 01:49
>>29訂正  誤 LDP>西のLDPと合併
    正 LDPD>西のFDPと合併 
30名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 01:50
>ナポレオンさんへ
かなり前に見ました。
ハンガリーの関与には、驚きましたね。
31ナポレオン・ボナパルト:2001/05/20(日) 03:01
ああ、あの、えと、ヨーロッパ・ピクニックのではなく、
ZDFが去年作った、
実写映像とインタビューと再現ドラマで統一までの足取りを追ったやつです。
東独ではクレンツ、シャボウスキ、モドロウ、シュトレーレッツ、ギジ、デメジエールといった面々が
インタビューに応じてました。
32世界@名無史さん:2001/05/20(日) 03:26
>>ナポレオンさんへ
え?すみません。勘違いしてました。(笑)
衛星はみれないのです残念ながら。
どうでしたか?
krenzには、同情的です、僕は。(笑)
彼の裁判は見せしめ要素が多い気がしましたね。
まあ、非難されても仕方ないとこもありましたけど。
Gauk Behoerdeってご存知ですか?
Spiegelに書類流してたでしょ?
De Maiziere もなあ・・。
僕は、統一後の歩みを踏まえたら、また東の人々の意見を聞いたりもしたせいで、
心情的には東ドイツよりかも。(笑)
33世界@名無史さん:2001/05/20(日) 03:33
ああ、間違い多いな僕。レベル低いのがばればれ。
僕自身もうろおぼえが多くて。(笑)
1946年のはKPDとSPDの合併。それがSEDになります。
失礼しました。
34( ´∀`)さん:2001/05/23(水) 05:16
 Lothar De Maiziereって、ドイツ人なの? 名前見てみるとフランス人
っぽいが……
35会員ナンバー1:2001/05/27(日) 01:44
ナポレオンさんへ
あったと思うんですけど、インタビューじゃないんですよね。
違う論文かな?

東海大の「行動科学研究」1996 48号
小林公司『ドイツ統一と人民所有(国家的所有)の解体過程
−東ドイツ政権下における信託管理公団の活動に照準してー』

読みましたけど、彼のインタビューはありませんでした。
モドロウ政権下の信託法がメインであること、資料が新聞などの2次文献が
多いのが気になりましたが、信託法が、西ドイツの戦略だけでなく東ドイツ自身
の手で問題を起し、変えられていく過程は面白いものでした。
それとも違う論文ですかね?

>>34
先祖はフランス人かもしれませんが、れっきとしたドイツ人です。
彼のおじは、西ドイツ人で旧連邦軍の幕僚長でした。
今でも、ドイツにはフランス風の名前の人いますよ。
3634:2001/05/28(月) 01:37
>>35
そうだったのか……いや、Deってついてるから、外国人かと思った。
ドイツだとVonだから(^-^;)。
 そういえば、アドルフ・ガーランド空軍中将もフランス革命の時に
ドイツに亡命したフランス貴族の子孫でしたね(^^;)

 回答ありがとうございますm(_ _)m
371:2001/05/28(月) 02:26
>>36
いえいえ、こちらこそこんな詰まんないスレにカキコしていただいて、うれしいです。
はっきりいってDDR史なんて、どマイナーですよね。
一般の東ドイツに住んでるの人達は、東ドイツ史が研究対象になってることも知りませんでした。(悲
しかも、西ドイツに住んでる人からは、「あ?東ドイツ史?無意味。」
とかなかば冗談なかば本気で言われたこともあります。(笑
そんなもんです。
38ナポレオン:2001/06/02(土) 22:57
>モドロウのインタビュー
ありゃりゃ・・・、なかったですか。
うーん、私もわからなくなってきました。
あったと思ったんですが・・・。

>テレビ
こちらこそ、説明不足で申し訳ないです。
去年ZDFがつくったものなので、
明らかに統一10周年記念作品ナノでしょう。
なにしろ前後編併せて3時間。
ブッシュ、サッチャー、ゴルバチョフ、コール、その他諸々、
死んだ人(ホーネッカー、ミッテラン)以外の重要人物は総出演です。
当然、いまのBRDの公式見解にそった歴史ドラマということになるのでしょうが、
私はそもそもこのころのことをほとんどしらなんだので為にはなりました。
東の政党が西の政党の系列化していくようなところはまったく出てきませんでした。
さすがというかなんというか。
問題は再現ドラマのそっくりさんがあんまり似てないこと位で・・・。

>デメジエール
私もきになってたんですよ、それ。
ちょっとすっきり。

>ベヘールデ
と、読むのかしら?
その人のことは全くしらないです。
ご教授のほどを。

>トラバント
一時、骨董品のようにはやりましたよね。
いまでもつくってるんでしょうか?
391:2001/06/03(日) 02:56
>>ナポレオンさん
へ〜それはみてみたかったな。

gauck機関
SED体制の崩壊の際、その最後の時にSTASIの職員が可能な限り多くの書類を
消し去ろうとした。しかし距離にして180km以上の書類が、マイクロフィルムの書類が
8800枚万枚そして5百万枚の索引カードが残った。シュレッダーで切り裂かれた書類は
部分的には復元された。加えて無傷の書類の調査に関しては、福音派の牧師、
ドイツ連邦政府の特別委任者としてのJoachim Gauck(壁崩壊後にできた新政党Neues
Forumの発起人の一人。この党はのちに他の市民運動の党と組み、連盟90となり緑の党と合同する)のもとで
以前のDDR政府の国家公安省の証拠書類を扱う機関が設立された。これが俗に言う
Gauck Bohoerdeです。この機関はこの書類が政治家の取引道具にされることを
嫌い必要な場合はSPIEGELに書類を流していました。結構有名な人が
IMだったことがわかり、当時閣僚のde Maiziereもその一人で、彼は疑惑を
否定しましたが辞任しました。

>>トラバント
こないだドイツ行ったとき写真とってきました。
マダ向こうでは現役ですよ。藁
東欧諸国でも出回ってるようです。
昔はトラバント改造車大会(ヤンキー系ではない。笑)なんかもやってたそうです。
一応バンみたいなトラバントもあって、それは希少価値ありそうかも。
40wilde katze:2001/06/07(木) 02:19
確かトラバント(トラビって愛称)はもう生産されてない。
旧西圏に出張で行くトラビ持ち(もしくはラーダ)の会社員なんか
結構コンプレックス抱えながらの単身赴任だったり。。
41αジョーカーω:2001/06/07(木) 02:23
デメジエールの先祖はユグノー。
ドイツ人でフランス風の苗字の人は、
先祖がユグノーかエミグレ。
42日本@名無史さん:2001/06/07(木) 03:34
歴史サイドとなるときついが、ホーネッカー支配下の市民レベルの生活なら
なんとか。
・本を読みたくなって、本屋に行ったらすごい列。やっと中に入れたが全然
本が置いてない。あるのはマルクス経済学の本くらい。
・東ドイツではコピーをするにも一苦労。反政府的なビラを作れないように
街にはほとんどコピー機がない。
・あと市民階級ではおいしいコーヒーも飲めなかった。コーヒーの代用品の
人造コーヒーくらいしかなかった。ただ苦いだけの変な味がした。
43:2001/06/07(木) 04:45
>>40
たしかそうでしたね。僕の文だと生産してるように思えますね。
スマソ。でもバリバリまだ走ってますよ〜。エンジンなんかは
VWのを入れたりしてる人もいると聞きました。
>>41
全部がそうではないと思いますが。
プロイセン時代の兵隊募集のことをいってるのかな?
>>42
大変興味深いですね。
本屋いったら、マルクス経済学のみってのは笑える。
まあ、もちろん少しは他のもあったんでしょうけど。
44wilde:2001/06/07(木) 05:23
《43
VWのエンジンを入れるてのはグッテ・イデエなのかも。。。
あのエンジン音(なんか紙やすりを高速でこすり合わせてるような。。)は
不快だ

政治は全く無知(Peitsche)なのですが、最近知った事で
面白かったのは、オクトーバー・クルブって政府御用達(てか
60年代後半位の若者のロックブーム?を静める、もしくは彼らを
懐柔する為)の音楽グループがベルリンに作られテレビとかでも
彼らは演奏しててポピュラーだったらしいけど、そこの人気歌手
Tamaraなんとか(名前失念)って最近死んだんですよね?
詳細を知る人があれば御教授を。

これとは別の流れで民族音楽=Volks Musik und Tanzなんかにはまる
若者(なんか変かな?)もいて、今でも訳わからん楽器演奏し踊ったりしてる。

プラトニックなノスタルジアっうかね。
45世界@名無史さん:2001/06/07(木) 17:03
46田中洸人:2001/06/08(金) 07:29
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat11.htm
ここを見てください。夏は冬よりも太陽から遠いことがわかります。
47世界@名無史さん:2001/06/09(土) 17:35
デメジエールはフランスのメジエールから移住したユグノー貴族なんだって。
48ナポレオン:2001/06/26(火) 02:31
1さん見てる?
またなんか書いてよ。
49Sossi:2001/06/27(水) 22:52
市民レベルの面白話なら、大ヒットした映画
http://www.sonnenallee.de/
に行ってみてください。DVD等がドイツCD等通販で買えます
http://www.adorishop.de/

http://www.mondosarts.de/
ここで扱ってるEulenspiegelの本は笑えます。
50名無しさん:2001/06/28(木) 03:38
まるでオーウェルの1984年みたいな世界ですな。
ドイツ人の几帳面さゆえ、ソ連以上の管理国家になっちゃったのか。
51ナポレオン:2001/06/28(木) 03:53
>>50
う〜ん、
ドイツ人国家のもつ官憲国家的伝統を受け継いだ(受け継いでしまった)
という見方もありますが。
とりあえず悪いのは全部スノーボールということで。
52世界@名無史さん:2001/06/28(木) 05:09
おれね、じつはね、小林源文さんに、「動物農場」描いて貰えたら
思ってるんだ・・・。

CAT SHIT ONEで、北ベトナムからの戦線離脱者エピソード読んだとき、
これでオーウェル描いたら、凄いだろうなあ思ったものよ
53ナポレオン:2001/06/28(木) 05:59
×という見方もありますが。
○という見方も、確かにあることはありますが。
些細だけど全然文の意味がちがってしまうね。

>>52
あ〜、俺ゲンブン苦手っす。
むしろ動物農場のような話ほどギャルギャルっとした絵でやってほしいと思うんだけど・・・
いや、豚をギャルギャルした絵で描いてもしょうがないんだけど。
54世界@名無史さん:2001/06/28(木) 18:44
昔見た資料で統一前の東西ドイツの比較をやっていたのがあったが、
一人当たりビール消費量だけがほとんど一緒だったのに笑った覚えがある。
55ナポレオン:2001/06/28(木) 19:02
1さん!
また盛り上がってきてるよ!
帰っておいで!
56世界@名無史さん:2001/06/28(木) 19:43
男性化させて金メダルを量産した東ドイツの女子運動選手は、
7〜8年かけて体質を女性に戻して男子のアスリートと結婚させ、
次世代の運動エリートを産み出すことになっていたらしいね。
57名無しさん:2001/06/28(木) 22:31
>>56
こわ
58:2001/06/28(木) 23:03
お久しぶりです。ナポレオンさん。
あとカキコしてくれる皆さんも。
盛り上げてくだすさって、嬉し泣。(笑
ん〜なんか、軽いネタないかなあ?
ビールといえば、東でのんだらまずかったですね。
あとレストランとか、知り合った東ドイツ人家庭の食事も今一歩・・・。
僕にとってはドイツ全体に対して食に関するいいイメージ
がないので余計つらい。(笑
ビールはやっぱ、南ドイツのERDINGERが好きですね。
西ドイツ人の知り合いは、東は競争がなかったから、品質
(QUALITAET)にあまり厳しくないと見下してました。
そういうときに日本人の私はなんと言えばよいか、コマリマス。(笑
競争はなかったわけではないですけどね。経済体制としては、
作業班というシステムを用いた社会主義的競争なんてこともやってましたし。
まあ、消費者を考慮した市場というものはなかったので、正確にいうと
競争ではないかもしれません。
59ナポレオン:2001/06/29(金) 02:25
>>1
おかえり〜!
俺よりもほかの皆さんに感謝しましょ。
これからもまたよろしうに。
ドイツでもビールがまずいってことがあるんですね。
東でもビール職人みたいのがいそうなイメージあったのに。

>>56
エゲツナイ話! と思ったけど、
17〜18くらいで選手として活躍、それから24〜26くらいで結婚、
と考えると、なんか、選手もそれほど不幸でないような気がしてしまう。
不幸なんだろうけど。実際のところどうなんでしょね?
『アタック・オブ・ザ・キラートマト』に出てきた東ドイツの体操選手は
プロテインばりばり食ってなあ〜とか思いだしちゃった。
60世界@名無史さん:2001/07/04(水) 17:15
age
61世界@名無史さん:2001/07/04(水) 17:58
素朴な疑問LADAってどこのメーカーですか?
62ナポレオン:2001/07/08(日) 00:59
たまに引き上げないときえちゃうな。
63:2001/07/08(日) 01:54
>>61
車ですか?ロシアじゃなかったですかね?
>>62
ありがとうございます、上げていただいて。
最近は、ちょっと忙しくって。また資料探すのに苦労してまして。
そういえば、もろB旧映画ですが、ドイツチェエンソー2000
(だったかな?)みたことありますか?なんか、グロいんですけど、
どうやら統一を風刺してるみたいなんです。
どうなんだろ?あの映画は?
64世界@名無史さん:2001/07/08(日) 02:14
90年頃に、ベルリンの視察に逝ったときのこと。壁はとっくに
なくなっているんだけど、元東側は道路がでこぼこなので、すぐ
わかる。また、東側の住宅を見ると、なぜか窓枠の下だけ、凹型
に汚れていない部分がある。なにか聞いてみたら、「ベランダが
落ちた跡です」。分裂してすぐに住宅を造ったはいいけれど、
メンテナンスを全くやっていないためだという。おまけに一番
上の階は雨漏りで居住不可だった。ひどい国だと思った。
65ドイツにん:2001/07/08(日) 17:29
私もドイツ史を専門としていたのですが、この時代とくにDDRについてはよく
知りません。この間、NHKのBSでドイツ統一の舞台裏なるドラマをやっていた
のですが、この本の書き方が米英仏ソの旧連合国中心の書き方なので末期DDRの
政情がもうひとつよく伝わりませんでした。私もあの1989年頃ベルリンの壁が開い
たときTVに釘付けになり、その当時のエゴン・クレンツ書記長が目茶目茶批判さ
れていたのを妙に覚えています。DDRについては共産主義国家ということもあり
それでなくても政情についてはむづかしいのですが、特に1989〜1991年くらいまで
の末期DDRに詳しい方情報を教えてください。
66ナポレオン:2001/07/08(日) 19:32
なんだか、実際に現地に行かれた人の書き込みがあるとうれしいですね。
俺はドイツ行ったことがないんで。
>>1
研究でお忙しいのですか?
そうであれば、いいことじゃないですか。
ドイッチェエンソー2000、すいません、知らないです。
去年作成の映画ですか?
>>65
ドイツ統一の舞台裏、それはたぶん、後半しか見ておられないのでは?
前半はライプツィヒのデモから壁崩壊までの東側の内部事情を描いてましたよ。
私はBSが見られないので友人に頼んでビデオに撮ってもらいましたが、
あれ、早く地上波で流してくれませんかね。
67:2001/07/09(月) 01:07
>>65
う〜ん、かなりいろいろ出てますけど、どういうのがお望みで?
まず、図書館でドイツ統一で検索するのがよいかと。
山川の「世界歴史体系ドイツ史3」をとりあえずあげときましょう。
財政状況は、一般民衆の態度は、たしかに正確に捕らえるのは
難しいかも。
私のわかるかぎりですが、もしなにかあれば、お聞きください。
>>66
レンタルビデオ屋にあるかもしれません。(笑
結構まえのものだと思います。
68ナポレオン:2001/07/12(木) 23:29
関東では梅雨が終わってしまいました。
雨ほとんど降らなかったのにな
691:2001/07/13(金) 00:48
>>
701:2001/07/13(金) 00:50
>>ナポレオンさん
すみません、とちゅうでカキコしちゃいました。
文学の方はどうですか?
クリスタ・ヴォルフの文化論争(だったかな?)について
なにかご存知ですか?
71ナポレオン:2001/07/13(金) 01:06
>>70
文学。てへへ、増補ドイツ文学案内くらいしか知らないです。
あと三文オペラ大好き。その程度。
ごめん。
72ナポレオン:2001/07/17(火) 15:36
age
73世界@名無史さん:2001/07/17(火) 19:44
一般のルポだけど、杉山隆男の東ドイツ解体工場って本はなかなかおもしろかったよ。
74世界@名無史さん:2001/07/17(火) 22:03
SED成立過程についてはロシア語で資料がある。
それから、1953.5.17については、各国語でいろいろあるよ。
75考える名無しさん:2001/07/18(水) 00:23
>>74
ロシア語は読めないんですよ。(笑
その事件は、統一前からかなり西ドイツでも研究されていました。
確かに、この事件で知識人たちは、大衆の反抗をこころよく思わなかった
ようです。(BRECHTが実際どうだったかは、まだ確認してませんが。)
彼らは、ナチ時代の反省から東ドイツという国家にある種の幻想を抱いていました。
>>71
文化論争というのは1993年?だと思いましたが、クリスタ・ヴォルフという
女性の作家をめぐって起こったメディアの論争です。
彼女は、東ドイツの有名な作家で、旧西ドイツでも有名でした。
しかし、3年間彼女はINFOMANT(おそらくIM)だったことが、
STASIの文書でわかりました。だがIMをやめた後には、彼女は30年以上
STASIの監視対象でもありました。
文化論争は、大きな争点は、こんな感じだともいます。
なぜに、彼女はDDR体制に甘んじていたのか?
なぜに、統一後、自分は監視対象だったと告白する作品(WAS BLEIBT?)
を発表したのか?
彼女は、壁崩壊後、円卓会議などで新しい憲法の草案を作ったりしていました。
その案は、つぶれましたが。
西ドイツや一般の人から見れば、彼女の存在は「?」でした。
DDR時代は、ホーネッカーに直接電話もかけることもでき、それなりの地位を
保証されていた。要するに東ドイツで知識人であることが、すでに
罪なのではないかと。反体制のビアマンは追放されました。
また、壁崩壊後、自分も抑圧されていたという言い訳がましい
作品を出版するのはどうなのかと。
壁崩壊後の未来に対する東ドイツの知識人(非常に少ない)と
一般大衆の距離は大きく、彼らは、大衆から失笑をかいました。
まさに、ユートピアを求めていると。OSTLOGIEが出てきた
統一後数年を考えると事態はもっと複雑でしたが。
いまだ、この問題は一般民衆の東ドイツ時代の反省をどうすべきかと
いうこととあわせて、未解決のままです。
(うろ覚えなので、細かいところに誤りがあれば、是非言ってください。)
761:2001/07/18(水) 00:25
訂正
>>75
OSTLOGIE→ostalgie
77匿@匿:2001/07/18(水) 06:51
DDRに興味有ります。ドイツ駐在時代は西側の国境近くにいたので、壁の崩壊を目の前で見ました。

そのあたりの事情をホームページにしてます
「駐在員の見たドイツ統一・旧東独・東欧」

http://www.din.or.jp/~a_ohno/
78ナポレオン:2001/07/18(水) 10:30
>>75
あー、なるほど、いわゆる「二重の過去の克服」がらみの話なんですね。
でも、自分がその体制内にいたらと考えると、難しいですよねえ。
シュタージの協力者って、国民の1割越えてたんでしたっけ?
カタリナ・ビットがIMだったとかどうちゃらこうちゃらという話もありましたよね。
あ、それと、俺は実をいうとドイツ語もロクに読めないです。
>>77
見させていただきました。おもしろい!
79世界@名無史さん:2001/07/20(金) 22:10
今、NHK教育で放送中の「自由へのトンネル」、なかなか面白そう。1961年にベルリン
の壁ができた当時の映像+現存の人たちの話のドキュメンタリーです。
80ナポレオン:2001/07/24(火) 00:25
いつのまにか100以下に落ちてるな。あげあげ。
>>79
ゲフッ、そんなのやってたんすか。
知らなかった、もう駄目だ
81ナポレオン:2001/07/24(火) 00:34
関係あるようで関係ないけど、
いま三文オペラの舞台やってるんすよね〜。
見にいきたーい!
82世界@名無史さん:2001/07/24(火) 00:45
>>80
今週もやるよ。金曜夜10時から。
83世界@名無史さん:2001/07/27(金) 22:17
>>82
続編始まったよ。
84世界@名無史さん:2001/07/27(金) 23:55
私の取引先の一つは旧東ドイツの会社で、当時の不動産と生産ラインのおかげで
未だに大規模生産続けています。(その分野ではドイツ第三位の規模・但し日本
ではドマイナーですが…)
85世界@名無史さん:2001/08/23(木) 03:02
北朝鮮亡命者の手記を読んだけど、一般の労働者も別荘を使えて、”生活水準は韓国より高いくらいだった”ってよ。
86酔鯨ジョーカー:2001/08/23(木) 08:34
DDRは、あんな小さい領土と少ない人口、そしてソ連による搾取にも関わらず、よく頑張ったよ。ハイル・ホーネッカー!
87世界@名無史さん:2001/08/23(木) 11:34
トラバントは日本では走れないだろうな。。
排ガス基準通らないだろ。
88酔鯨ジョーカー:2001/08/23(木) 18:45
オーデル・ナイセ以東を含めた全ドイツを統治するDDRをキボーン!
89世界@名無史さん:2001/08/23(木) 20:15
>>88
いいねぇ。同意。とりあえずオーデル・ナイセ「以西」のステッチンは返還
でどうよ。お金に困ってるロシアからケーニヒスベルクを買収して、次に
ポンメルンと東ブランデンブルグとシレジア。で、ポズナニや西プロイセン
はどーする?
90酔鯨ジョーカー:2001/08/23(木) 22:11
>89 シュテッティンがポーランド領になったのは明らかに「自然国境説」にも反しますよね。ならばドイツもそれを否定して、東ポンメルン・シュレージェン・東プロイセンを奪還!欲張り過ぎるのも何だから、西プロイセンとポーゼンはポーランドに上げましょう。
911:2001/08/23(木) 23:04
ども、みなさん。
久しぶりの1です。(笑
>>88-90
すごい案だ。当時の政治状況を無視しすぎですね。(笑
でも、おもしろいですね。
しかし、東ドイツの財政状況(まあ、年代にもよりますが)
では、人口増加が必ずしもプラスになるかどうか・・。
特に、大戦直後は、SBZ(ソ連軍占領地域)域内に
ベルリンから北にかけて被追放民が集まって、
かなりの混乱をもたらしましたんで。
61年の壁崩壊前までの人口流出を穴埋めできたとしても
労働者の熟練度、政治的忠誠心の問題をクリアしないと
いけませんね。
ちなみに建国の49年の
人口が公式の記録で1889万人
で61年の終わりでは1707万人で、
この間一度も人口が増えてません。
公式の記録で計算すると訳180万の人口流出
ですが、実際には269万人と計算されています。(研究者の間では)
53年の6月17日事件の33万人
56年(スターリン批判、ハンガリー動乱)の27万人
そして61年壁構築(8月15日までの半年間で)の15万9千人が
流失が激しかった年ですね。

ところで、最近読んだ日本語の本でおすすめは、

星野治彦「社会主義国における民衆の歴史、1953年
6月17日東ドイツの情景」です。法律文化社

です。この前までこの本の存在しらなくて、
かなりショックでした。(笑
非常に面白い。6月事件の性格がかなり
詳細に研究されています。
ちょっと専門的ですけど。
もう一つの星野さんの本はいっちゃなんですが
つまらないですね。(笑
92世界@名無史さん:2001/08/23(木) 23:25
東ドイツ軍の将校は全員クビ

ま、当然か・・・
93世界@名無史さん:2001/08/24(金) 10:52
東ドイツは西ドイツとはもう、民族的に違うでしょ、言葉は同じでも。
真の統一はまだまだ遠い。首都がベルリンに移ってもダメ。
94世界@名無史さん:2001/08/24(金) 10:53
つーか、統一は無理でしょ。
95ぎゅんたー:2001/08/24(金) 12:51
ん?
グラス信者?
96国粋主義者:2001/08/24(金) 13:29
カシューブ人めっ、ペッ
97世界@名無史さん:2001/08/24(金) 17:43
目覚めよ、ソルブ人!
ドイツ人に侵食されたエルベ以東の土地は全て君達のものだ!
まずコットブスとバウツェンを独立させろ!
98世界@名無史さん:2001/08/25(土) 17:53
まーだ、やってるんかい?

というか、1=ナポレオン?
それとも識者?
99世界@名無史さん:2001/08/25(土) 19:08
>>92
大使までなった人が
ホットドッグ屋になっているそうな。
国破れて山河あり・・・
100世界@名無史さん:01/08/26 11:42
>>99
大使つったらかなりのエリートだろうに。
敗北者はつらいねえ。
101酔鯨ジョーカー:01/08/26 15:07
ゾルベンはDDRの下で大きな自治を享受していたねぇ。
102酔鯨ジョーカー:01/08/26 15:44
ドイツ民主共和国のどこが悪いと言うのだ?>紆余糞
103酔鯨ジョーカー:01/08/26 15:59
DDR崩壊後、夫婦でベルリンでホットドッグ屋をやっている
元外交官は、父親は戦死し、米英軍のベルリン空爆で母親を亡くした
戦争孤児なんだよ。
104世界@名無史さん:01/08/27 10:05 ID:.H/ufO7s
>>103
ボルシェビキというより、元はといえばナチとプロイセンのインチキ政治の犠牲者だな。
中欧・東欧の犠牲者の一人だ。
105酔鯨ジョーカー:01/08/29 18:38 ID:DoQjLY4E
>103
それは云えますね。
DDR万歳!←これは賛美し過ぎ(藁。決して良くは無い国だったのだから。
106世界@名無史さん:01/08/30 10:39 ID:uufVDcwM
>>105
DDRは東方植民をしたドイツ人のうち、戦後の住民交換によって
ポーランドの民族誌的境界以西に追いやられた人々を棄てた地域に創った奇形国家。
ソ連としてもさすがに1500万人以上のドイツ人が居住する東ドイツを
ポーランドなど吸収させることはできず(西ポメラニアなどを除き殆どの部分は
歴史的にポーランドに属したことがなかったということもある)、東ドイツは
西側諸国に対する防疫線の役割を担うことでその存在を許された。
107酔鯨ジョーカー:01/08/30 21:12 ID:mbnWznXc
>106
正にその通り。
私の理想ならぬ夢想は、ナチが政権を獲得する前に、
ドイツ共産党(KPD)と社会民主党左派(旧独立社会民主党)が
全ドイツを統治するドイツ・レーテ共和国を樹立して欲しかったのですよ。
108イディオット:01/08/30 23:54 ID:RcEDUaKE
東独のある部隊では、住民一人一人の汗などが染み込んだTシャツや下着などの
サンプルをコッソリ収集し、脱走者の捜索に役立たせる研究をしていた。
壁崩壊後、市民がその施設に入り、自分の名前のラベルが張ってある”ニオイ”の
ビンを見て割っていた。 やっぱ発想がイケテル。
109世界@名無史さん:01/09/22 19:32
あげ
110世界@名無史さん:01/09/24 02:34
とりあえずobenへ
111遊びにきてちょ:01/09/25 06:29
ロシア、旧ソ連、東欧諸国の左翼運動観察掲示板
http://freebbs.fargaia.com/html/russianleftists.html
次のドイツ総選挙でPDSは
http://freebbs.fargaia.com/res.cgi?id=russianleftists&key=000017&ls=20
112世界@名無史さん:01/10/05 16:10
今度の選挙はどうよ?
労働者階級を擁護するPDSまんせー
113パブロフ二等兵:01/10/15 19:42
ドイツ人は西も東もファシストだ,何が「失われた勝利」だ。
ソ独戦で最終的にソ連邦が勝ったのはただ単純に我々ソ連邦の
軍事力・軍事技術が総合的にドイツに勝っていたからなのだ。
ドイツ人がいくら自分たちの優れた科学兵器・戦術とやらを誇って
みたところで,それは却って勝者ソ連邦の優秀さを証明するものでしかない。
総合的にドイツに勝るソ連邦がドイツを支配下に置くのは至極当然だ。

負け惜しみ残存ファシストどもはせいぜい「失われた勝利」妄想に耽っているがいい。
114パブロフ二等兵:01/11/02 20:11
厨房ドイツ見習えヲタを内外であれ以上増やさないないためにも、
「ソ連軍によるベルリン陥落」は断固として必要だったんだ。
「アジアの下等人間ども」に征服されて本当にざまあみろだ。

★★ソヴィエト軍によるベルリン陥落・翻る勝利の旗★★を今こそ見直そう!
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/chronicle/1939_45_5.html
115パブロフ二等兵:01/11/04 13:19
良スレあげ
116世界@名無史さん:01/11/05 17:41
ドイツの豚は大ロシアの指導下にあるときのみその劣等感丸出しの
低劣な人格を止揚することができるのだ。
117世界@名無史さん:01/11/05 18:42
こてこての煽りはやめなさい。パブロフ君はしばらく3ch氏に頼んで
自粛のはず
118【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/05 19:38
>パブロフ二等兵さん
DDRは自称「戦勝国」です
119【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/05 19:45
中部ドイツ地域(東ドイツとは言いません。それはオーデル・
ナイセ川以東が東部ドイツですから)にDDRを再建しよう!
頑張れPDS!
120ナポレオン:01/11/26 19:00
嗚呼・・・、このスレももうダメかもしらんなあ。
1さんももういないみたいだし。
でも無くなると寂しいのであげ
121:01/11/28 06:11
>>120
たまにみますよ、ナポレオンさん。
ただ、ここのところの方向性にちょっとついていけないだけで・・・。(笑
私としては、このスレがここまでもったのは、
ナポレオンさんのおかげではないか?と思ってますので。
ただ、論文でいっぱいいっぱいなので、ちょっと苦しいのです。
なにか提供できる話題があればよいのですが・・。
ちょっと論文にじかにかかわることは、あまりカキコしたくないというか
なんというか。。(汗
統一後の状況の研究で最近出たおすすめの日本語の本は、
『岐路に立つ統一ドイツ』
(果てしなき[東]の植民地化)
フリッツ・フィルマー(木戸衛一訳)
でしょうか。
この本は統一後10年の諸問題を総括したもので
たとえば、東ドイツ人のアイデンティティーに関しては
いまだわかれたままという認識があるようです。
しかし、この問題に関しては、世代間格差というものを無視できず、
実際私が聞いた話では、25歳以下の人たちと40歳以下の人たち、
また40歳以上では、非常に異なった様相を示しています。
統一後の個々人の資本主義体制へすなわち(西ドイツ)の適応度は、
以前の職種次第です。
生き残ったものと生き残れなかったものの、資本主義・社会主義
両体制の見方は、かなり異なっているでしょうね。
122ナポレオン:01/12/11 16:59
>>1
お久しぶり!
論文ですか。今頃は一番大変な頃では?
頑張ってね。
>東の植民地化
うーむ。確かに統一当初から
「拡大西ドイツ」とか「併合」とか言われてたけど、
今もって尚そうなのかと思うと、なんか複雑ですな。
経済的にはともかく、例えば州ごとの特色を出して活性化させていく、
なんてことはできないんですかねえ(日本の村おこしみたいだけど)。
バイエルンやノルトライン=ヴェストファーレンなんかを見ると、
東は豊な地方色という点でも西に負けてるような気もしますが・・・。

私からもネタをふっておきます。
山口知三『廃墟をさまよう人びと』人文書院
トーマス・マンを中心に、49年までの文学者を扱った本なのですが。
亡命と国内亡命の問題や、東西対立への論争のシフトなどをへて、
文学者という知識人たちがドイツの過去、現在、将来とどう向き合ったか、
ということがテーマになっています。
ベッヒャーやカントロヴィツがかなりの分量を裂いて紹介されているので、
東ドイツ建国への思想的準備みたいなものが窺い知れます。
個人的にはブレヒトやケストナーがあんまり出てこないのでちと残念ですが、
まあそれはともかく、山口さんは文章がうまいです。
小説でもないのに、読んでるとしみじみと心が重くなります。
論文書き終わったら、是非。
123ナポレオン:02/01/06 07:51
age
1241
>>123(ナポレオンさん)
ようやく論文終了しました。
おすすめの本読んでみます。
また、質問も受けつけます。