ゲルマン民族の大移動の時に出てくるフン族って今の
何人に当たるのですか?また、その他の部族が
今どこの地域に居住してるか詳しい方いますか?
2 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 07:37
黄色人種で
ハンガリー人だよ。
3 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 07:39
他にラップ族などのイヌイットや
ジプシーやフィン・ウゴル族の
フィンランド人やエストニア人も分類上は
黄色人種ですよ。
4 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 10:25
>>2 ハンガリー人ではない。
ハンガリー人はフン族の消えた後にパンノニア(ハンガリー)盆地に
進入したマジャール人。
また、マジャール人(ハンガリー人)は黄色人種ではなく白色人種。
語族と人種は必ずしも一致しないことに注意。
>>3のフィンランド人・エストニア人も同じく白色人種。
フン族の人種ははっきりしない。恐らく白色人種と黄色人種の
混血した、中央アジアの遊牧民といわれている。
5 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 12:22
アメリカ留学中に知合いになったハンガリー人を知ってますが、
彼は金髪の典型的な白人の容貌でありました。
典型的なハンガリー人なのかどうかは知らないですが。
6 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 12:52
しかし、わたしの使っていた
学習地図帳では
ハンガリー人やフィンランド人は黄色人種になっていたし、
学校の先生もフン族がハンガリー人になったと教えてましたけど・・・
7 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 12:55
長い長い混血の上に
血統的に実質的白人になったのではないですか?
8 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 13:42
スレのタイトル見て、「うーん、10万人ぐらいかなあ?」と
考えてしまった。
9 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 14:15
10 :
李密:2001/04/23(月) 14:30
東ローマではスキタイ人とかマサゲタエ人とか
呼ばれることもあった……と何かで読んだ。
しかし、古代ギリシャのスキタイ人とフン族が同じとは思えないので、
単なる古典趣味だろうと書いてあった。
11 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 14:48
>>6 >学校の先生もフン族がハンガリー人になった
ドキュソな先生だなあ(藁
フン族が出て行って無人だったところにアヴァール人が入ってきて
彼らが出て行ったあとにマジャール人(今のハンガリー人)が
入ってきて定住した。ハンガリーというのは「フン人の土地」と
いう意味だが、土地の名前とそこに住む民族の名前は一致しない。
>>7 それは、あったとしても先史時代。マジャール族が部族として
成り立つずっと前。マジャール族が成立した時は、既に
白人だったと考えていい。そんなことずっと逝ったら、
スカンジナビア人だってアフリカの黒人だということも言えてしまう。
>>10 スキタイ人やサルマチア人の一部はスラブ人の先祖を構成するが、
彼らがどうやってスラブと同化したかは記録がはっきりしていないので
今だ不明。スキタイ人やサルマチア人は東ローマどころか、もっと
古く、ヘレニズム文化とも交流があった。
12 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:00
匈奴の末裔でしょ?
13 :
フィンランド勘違い:2001/04/23(月) 15:43
日本人の抱くフィンランドに対するイメージがなぜ一般的に高いのか,これはおもしろい研究テーマだが,フィンランド人が「アジア系」であると信じている日本人が多いことと関係がありそうな気がする。一方,フィンランドに住んで,フィンランド人と少し深い付き合いをしてみると,隣国のスウェーデンや他のヨーロッパ諸国に対してコンプレックスを抱いているフィンランド人が多いことをはっきりと感じる取ることができる。そのコンプレックスが,フィンランド人があか抜けないとか,フィンランド料理があまりおいしくないとか,その他もろもろのマイナスの評価に由来しているのは間違いない。しかし,もっと奥深いところには,彼らが長らく「アジア系」だとされ,また,彼ら自身もそれを文字どおり信じようとしてきた歴史的な背景がある可能性を否定できないことを,日本のフィンランド・ファンが知ったら,「フィンランド大好き」という気持ちに多少の陰りが生じるかもしれない。
フィンランド人が「アジア系」であると言われるようになった理由は,単純明解である。まず,同じくアジア系とされるハンガリー語や,フィンランド湾の対岸のエストニア人の話すエストニア語とともに,フィンランド語がウラル系と呼ばれる言語のグループに属していること,ウラル系の言語は,トルコ語やモンゴル語が属するとされるアルタイ系の言語グループと親戚関係にあると考えている学者がいること,この2点はよく知られている。ちなみに,日本語もアルタイ系だとする説があって,もしこれが正しければ,フィンランド語やハンガリー語が日本語の遠い親戚である可能性もゼロとは言えない。アルタイ系のトルコ語やモンゴル語は,もちろん「アジア系」の言語であるから,親戚関係にあるウラル系の,フィンランド語も,当然,「アジア系」ということになる。かくして,「アジア系」の言語を母語とするフィンランド人は,「アジア系」の民族であるという結論にたどりつく。
要するに「アジア系の言語を母語とするから,民族としてもアジア系だ」というのが,「フィンランド人アジア系」説の根拠となっていると考えてよかろう。さて,この「言語がアジア系だから,民族もアジア系」という,この一見もっともな理屈を世界の他の地域にもっていって当てはめてみると,いささか滑稽なことになる。たとえば,インド人の多くが話すヒンディー語は,系統的には,英語・ドイツ語・フランス語といった西ヨーロッパを代表する言語と同じインド・ヨーロッパ系の言語であることがわかっているが,では,ヒンディー語を話すインド人は,「ヨーロッパ系」の民族なのだろうか。また,インド・ヨーロッパ系の言語の代表であるサンスクリット語は,インドの言語であるから,「アジア系」の言語である。したがって,サンスクリット語と同じ系統にあるフランス語や英語は,「アジア系」の言語であり,ゆえに,イギリス人やフランス人は「アジア系」の民族ということになるのだろうか。これは,私たちがふつう抱いている考え方と比べると,ずいぶんと突飛な結論である。
ここで,いや,ヨーロッパ人とアジア人は人種が違うから,肌の色とか髪の毛を見れば,インド人がヨーロッパ系でないことや,フランス人がアジア系でないことは明らかだとする反論がありうるが,この理屈は「フィンランド人アジア系」説には,圧倒的に不利である。なぜなら,どんなに頑固な人でも,フィンランド人を一目見たら,ヨーロッパ系と認めざるを得ないからだ。ちなみに,遺伝子研究でも,フィンランド人の多くは,日本人が典型的な欧米人と考える北ヨーロッパ系の白人と人類学的にいちばん近いことが明らかにされている。つまり,フィンランド人は,人類学的に紛れもないヨーロッパ人でる。さらに,宗教の点でも,フィンランドの住民のほとんどはプロテスタントだから,文化の面でも,正真正銘のヨーロッパ人と結論せざるをえず,「フィンランド人アジア系」説は成り立たなくなってしまう。
「フィンランド人アジア系」説の根拠となっている「フィンランド語はアジア系」という考え方は,歴史的には,言語の優劣,さらには,その言語の話し手であるフィンランド人の民族としての優劣の問題と結びつけて論じられることが,少なくなかったから,ことはやっかいである。
14 :
フィンランド勘違い:2001/04/23(月) 15:44
私はここ何年かにわたって,毎年夏休みに,文部省の科研費で,フィンランド,エストニア,およびロシアのボルガ川中流域にウラル系の言語の現地調査に出かけている。ウラル山脈がアジアとヨーロッパの境界であるという地理的な大陸区分に基づくなら,私はヨーロッパの北東部をかなり広範囲に動いているわけだが,西のフィンランドやエストニアと東のロシアとでは,言語,宗教(プロテスタントとロシア正教),文字(ラテン文字とキリル文字),家の建て方,家族・親族・友人との付き合い方,など風俗習慣が大きく異なるのを目の当たりにして,「ウラル山脈の西がヨーロッパ」というような大まかな地理的区分が異文化理解にほとんど役に立たないことを痛感している。
ヨーロッパの範囲はどこからどこまでかということが時々話題になることがあるが,私のように,ウラル系の言語という,西は北欧のフィンランドや中欧のハンガリーから,東は西シベリアのオビ川の流域まで広がっている言語群を研究対象としていると,この「ヨーロッパの範囲」をめぐる議論はとくに興味深い。たとえば,日本では,ロシアはヨーロッパに属すると素朴に考えている人が多いようだが,当のロシアでは,ロシアはヨーロッパの外にあると考えるのがふつうのようである。また,ドイツ人のマルクスが『資本論』で「アジア的生産様式」を問題にしたときに思い浮かべていたのは,どうやらロシアの農村だったという話をどこかで読んだことがある。ヨーロッパ人のマルクスにとって,アジアは,ヨーロッパに対する後進地域を指す漠然とした概念として,ロシアを含むものであった可能性は十分ある。
ヨーロッパ人が,「アジア」とか「東洋」「東方」ということばを漠然とした意味で使うのと並行した現象として,日本には「欧米」というあいまいな概念がある。マスコミで,アメリカ合衆国の体験に基づいて「欧米のマナーはこうだ」などと一般化している文化人(?)を時折見かけることがあるが,北アメリカとヨーロッパを一緒にして違和感を覚えないということ自体,ご当人がヨーロッパをまったく知らない証拠である。日本語の「欧米」という概念は,「欧米人」が中近東・インド・中国・日本をすべてひっくるめて「アジア」とか「東方」とか呼ぶのと同じくらい乱暴な一般化であると私は思っている。「欧」と「米」を区別しない(できない?)日本人は,中国と日本の区別ができない「欧米人」と,知的鈍感さという点において,本質的に同じレベルにあると考えた方がよいようである。
一方,ヨーロッパの中を見ると,「ヨーロッパ」=「大陸部」と考えて,「ヨーロッパの国々」と一線を画していたイギリス人が,長らくECに参加しなかったことはよく知られている。これとは少し違った意味ではあるが,フィンランドも,長い間,「ヨーロッパ」に属する国とは見なされていなかったということを知っているのは,かなりのフィンランド通であろう。たとえば,まだ80年代くらいまでは,夏の旅行シーズンに,「ヨーロッパへ行こう」というコピーが使われても違和感がなかったくらい,フィンランド人にとって「ヨーロッパ」は遠かったし,逆に,「ヨーロッパ」の側のドイツ,イギリス,フランスなどから見ると,フィンランドは「ヨーロッパ」の外の,どこか遠いところにある国という認識のしかたが一般的で,「ヨーロッパ人」のフィンランド認識のあまりのお粗末さに悔しい体験をしたフィンランド人留学生が少なくなかったらしい。
そのフィンランド人が,アジア人であるわたしたち日本人に対して,自分たちは「ヨーロッパ人」だと向きになって強調し始めたのは,EU加盟が話題になりはじめた時期で,ついこの間のことだ。それまでは,フィンランド人にとって,フィンランドが「ヨーロッパの国」であるかどうかは,決して自明ではなかった。2年ほど前,フィンランドの親しい友人から来た電子メールに「今度はいつヨーロッパへ来るのか」と書いてあったので,返事の中で「フィンランドにはもうじき行くが,ヨーロッパに行く予定はたててない」と茶化して,気を悪くされたことがある。私にはそのようにしたくなるくらい,フィンランド人の態度の急変がおかしくてしかたがなかった。
15 :
フィンランド勘違い:2001/04/23(月) 15:44
マルクスがドイツ人であり,そのマルクスの政治思想を現実に適用しようとしたのがロシアであったというのは,このような歴史的文脈で見るとおもしろい。マルクスの政治思想は,ロシアにとっては先進地域「ヨーロッパ」から入ってきた新しい思想であったはずである。その新しい思想を武器に,ロシアをヨーロッパの舞台に登場させようという意図で行われたのが,ロシア革命であったというふうに考えることはできないだろうか。そう考えてみると,ロシア革命は,日本の明治維新に相当する歴史的役割を果たすべく行われたものとみることができるのではないだろうか。もちろんこれは,歴史学の通説でないことは百も承知しているが,そう考えてみることによって,一見したところまったく違うように見えるロシアと日本のここ1世紀ほどの歴史に,実は,なにやら深いところで共通性があるのではないかという気がしてくる。つまり,最終的にたどり着いたところはまったく違ったけれども,ヨーロッパの先進国に追いつこうとして「西欧化」に躍起になってきた後進国としての日本とロシアの共通の姿が見えてくるのではないだろうか。
フィンランドが「ヨーロッパ」の国であるかどうかというテーマも,今述べたような歴史の大きな流れの中で見ると結構おもしろい。第2次大戦においてソ連邦と戦ったフィンランドは,敗戦して東カレリアの割譲を余儀なくされたものの,バルト3国とは異なりソ連邦に再吸収されることはなかった。しかし,戦後は「フィンランド化」というレッテルを貼られてしまい,フィンランドがいくら中立を叫んでも,西側の諸国からは,ソ連邦の準属国とみなされる時代が続いた。フィンランドのEU加盟も,バルト3国の独立回復と同じベクトルに沿った現象であり,「ヨーロッパ」と「ロシア」の間を振り子のように揺れ動くはざまの地域の運命として眺めてみると,フィンランド人のものの考え方の普段は見えてこない側面がいろいろと見えてくるような気がする。
フィンランドの首都ヘルシンキの大聖堂前の広場に立ち続けるロシア皇帝アレクサンドル2世(在位 1855-1881)の銅像は,ロシアとの深い歴史的絆の象徴である。冷戦時代までは,ソ連邦の影響圏におかれて東を向き,「ヨーロッパ」に背を向けることを余儀なくされていたフィンランドが,70年間続いたソ連邦が崩壊してヨーロッパの政治的な力の均衡が大きく変化すると,EUに加わって「ヨーロッパの国」となった。ロシア革命と第2次大戦の間の短い期間を除いて,19世紀初頭以来ずっとロシア(アジア?)の方を向いていたフィンランドが,200年ぶりに「ヨーロッパ」の方に顔の向きを変えはじめたのであるから,これはフィンランド人にとって,180度の歴史的な転回である。
16 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:53
>>13-15
2ちゃんねるに似合わぬコピペ長文うざい
17 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:57
>>12 匈奴は部族や民族の名前ではない。
中国人から見た北方の遊牧民全体の総称だ。
ただ、アヴァール人は柔然と何らかの関係があったといわれている。
18 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:57
でも結構面白いね
19 :
世界@名無史さん:2001/04/23(月) 16:46