フン族って何人??????

このエントリーをはてなブックマークに追加
1M名無しさん
ゲルマン民族の大移動の時に出てくるフン族って今の
何人に当たるのですか?また、その他の部族が
今どこの地域に居住してるか詳しい方いますか?
2世界@名無史さん:2001/04/23(月) 07:37
黄色人種で
ハンガリー人だよ。
3世界@名無史さん:2001/04/23(月) 07:39
他にラップ族などのイヌイットや
ジプシーやフィン・ウゴル族の
フィンランド人やエストニア人も分類上は
黄色人種ですよ。
4世界@名無史さん:2001/04/23(月) 10:25
>>2
ハンガリー人ではない。
ハンガリー人はフン族の消えた後にパンノニア(ハンガリー)盆地に
進入したマジャール人。
また、マジャール人(ハンガリー人)は黄色人種ではなく白色人種。
語族と人種は必ずしも一致しないことに注意。
>>3のフィンランド人・エストニア人も同じく白色人種。
フン族の人種ははっきりしない。恐らく白色人種と黄色人種の
混血した、中央アジアの遊牧民といわれている。
5世界@名無史さん:2001/04/23(月) 12:22
アメリカ留学中に知合いになったハンガリー人を知ってますが、
彼は金髪の典型的な白人の容貌でありました。
典型的なハンガリー人なのかどうかは知らないですが。
6世界@名無史さん:2001/04/23(月) 12:52
しかし、わたしの使っていた
学習地図帳では
ハンガリー人やフィンランド人は黄色人種になっていたし、
学校の先生もフン族がハンガリー人になったと教えてましたけど・・・
7世界@名無史さん:2001/04/23(月) 12:55
長い長い混血の上に
血統的に実質的白人になったのではないですか?
8世界@名無史さん:2001/04/23(月) 13:42
スレのタイトル見て、「うーん、10万人ぐらいかなあ?」と
考えてしまった。
9世界@名無史さん:2001/04/23(月) 14:15
>>7
つーことは、やっぱり白人が正解なのか…
10李密:2001/04/23(月) 14:30
東ローマではスキタイ人とかマサゲタエ人とか
呼ばれることもあった……と何かで読んだ。

しかし、古代ギリシャのスキタイ人とフン族が同じとは思えないので、
単なる古典趣味だろうと書いてあった。
11世界@名無史さん:2001/04/23(月) 14:48
>>6
>学校の先生もフン族がハンガリー人になった

ドキュソな先生だなあ(藁
フン族が出て行って無人だったところにアヴァール人が入ってきて
彼らが出て行ったあとにマジャール人(今のハンガリー人)が
入ってきて定住した。ハンガリーというのは「フン人の土地」と
いう意味だが、土地の名前とそこに住む民族の名前は一致しない。

>>7
それは、あったとしても先史時代。マジャール族が部族として
成り立つずっと前。マジャール族が成立した時は、既に
白人だったと考えていい。そんなことずっと逝ったら、
スカンジナビア人だってアフリカの黒人だということも言えてしまう。

>>10
スキタイ人やサルマチア人の一部はスラブ人の先祖を構成するが、
彼らがどうやってスラブと同化したかは記録がはっきりしていないので
今だ不明。スキタイ人やサルマチア人は東ローマどころか、もっと
古く、ヘレニズム文化とも交流があった。
12世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:00
匈奴の末裔でしょ?
13フィンランド勘違い:2001/04/23(月) 15:43
日本人の抱くフィンランドに対するイメージがなぜ一般的に高いのか,これはおもしろい研究テーマだが,フィンランド人が「アジア系」であると信じている日本人が多いことと関係がありそうな気がする。一方,フィンランドに住んで,フィンランド人と少し深い付き合いをしてみると,隣国のスウェーデンや他のヨーロッパ諸国に対してコンプレックスを抱いているフィンランド人が多いことをはっきりと感じる取ることができる。そのコンプレックスが,フィンランド人があか抜けないとか,フィンランド料理があまりおいしくないとか,その他もろもろのマイナスの評価に由来しているのは間違いない。しかし,もっと奥深いところには,彼らが長らく「アジア系」だとされ,また,彼ら自身もそれを文字どおり信じようとしてきた歴史的な背景がある可能性を否定できないことを,日本のフィンランド・ファンが知ったら,「フィンランド大好き」という気持ちに多少の陰りが生じるかもしれない。

 フィンランド人が「アジア系」であると言われるようになった理由は,単純明解である。まず,同じくアジア系とされるハンガリー語や,フィンランド湾の対岸のエストニア人の話すエストニア語とともに,フィンランド語がウラル系と呼ばれる言語のグループに属していること,ウラル系の言語は,トルコ語やモンゴル語が属するとされるアルタイ系の言語グループと親戚関係にあると考えている学者がいること,この2点はよく知られている。ちなみに,日本語もアルタイ系だとする説があって,もしこれが正しければ,フィンランド語やハンガリー語が日本語の遠い親戚である可能性もゼロとは言えない。アルタイ系のトルコ語やモンゴル語は,もちろん「アジア系」の言語であるから,親戚関係にあるウラル系の,フィンランド語も,当然,「アジア系」ということになる。かくして,「アジア系」の言語を母語とするフィンランド人は,「アジア系」の民族であるという結論にたどりつく。

 要するに「アジア系の言語を母語とするから,民族としてもアジア系だ」というのが,「フィンランド人アジア系」説の根拠となっていると考えてよかろう。さて,この「言語がアジア系だから,民族もアジア系」という,この一見もっともな理屈を世界の他の地域にもっていって当てはめてみると,いささか滑稽なことになる。たとえば,インド人の多くが話すヒンディー語は,系統的には,英語・ドイツ語・フランス語といった西ヨーロッパを代表する言語と同じインド・ヨーロッパ系の言語であることがわかっているが,では,ヒンディー語を話すインド人は,「ヨーロッパ系」の民族なのだろうか。また,インド・ヨーロッパ系の言語の代表であるサンスクリット語は,インドの言語であるから,「アジア系」の言語である。したがって,サンスクリット語と同じ系統にあるフランス語や英語は,「アジア系」の言語であり,ゆえに,イギリス人やフランス人は「アジア系」の民族ということになるのだろうか。これは,私たちがふつう抱いている考え方と比べると,ずいぶんと突飛な結論である。

 ここで,いや,ヨーロッパ人とアジア人は人種が違うから,肌の色とか髪の毛を見れば,インド人がヨーロッパ系でないことや,フランス人がアジア系でないことは明らかだとする反論がありうるが,この理屈は「フィンランド人アジア系」説には,圧倒的に不利である。なぜなら,どんなに頑固な人でも,フィンランド人を一目見たら,ヨーロッパ系と認めざるを得ないからだ。ちなみに,遺伝子研究でも,フィンランド人の多くは,日本人が典型的な欧米人と考える北ヨーロッパ系の白人と人類学的にいちばん近いことが明らかにされている。つまり,フィンランド人は,人類学的に紛れもないヨーロッパ人でる。さらに,宗教の点でも,フィンランドの住民のほとんどはプロテスタントだから,文化の面でも,正真正銘のヨーロッパ人と結論せざるをえず,「フィンランド人アジア系」説は成り立たなくなってしまう。

 「フィンランド人アジア系」説の根拠となっている「フィンランド語はアジア系」という考え方は,歴史的には,言語の優劣,さらには,その言語の話し手であるフィンランド人の民族としての優劣の問題と結びつけて論じられることが,少なくなかったから,ことはやっかいである。
14フィンランド勘違い:2001/04/23(月) 15:44
私はここ何年かにわたって,毎年夏休みに,文部省の科研費で,フィンランド,エストニア,およびロシアのボルガ川中流域にウラル系の言語の現地調査に出かけている。ウラル山脈がアジアとヨーロッパの境界であるという地理的な大陸区分に基づくなら,私はヨーロッパの北東部をかなり広範囲に動いているわけだが,西のフィンランドやエストニアと東のロシアとでは,言語,宗教(プロテスタントとロシア正教),文字(ラテン文字とキリル文字),家の建て方,家族・親族・友人との付き合い方,など風俗習慣が大きく異なるのを目の当たりにして,「ウラル山脈の西がヨーロッパ」というような大まかな地理的区分が異文化理解にほとんど役に立たないことを痛感している。

 ヨーロッパの範囲はどこからどこまでかということが時々話題になることがあるが,私のように,ウラル系の言語という,西は北欧のフィンランドや中欧のハンガリーから,東は西シベリアのオビ川の流域まで広がっている言語群を研究対象としていると,この「ヨーロッパの範囲」をめぐる議論はとくに興味深い。たとえば,日本では,ロシアはヨーロッパに属すると素朴に考えている人が多いようだが,当のロシアでは,ロシアはヨーロッパの外にあると考えるのがふつうのようである。また,ドイツ人のマルクスが『資本論』で「アジア的生産様式」を問題にしたときに思い浮かべていたのは,どうやらロシアの農村だったという話をどこかで読んだことがある。ヨーロッパ人のマルクスにとって,アジアは,ヨーロッパに対する後進地域を指す漠然とした概念として,ロシアを含むものであった可能性は十分ある。

 ヨーロッパ人が,「アジア」とか「東洋」「東方」ということばを漠然とした意味で使うのと並行した現象として,日本には「欧米」というあいまいな概念がある。マスコミで,アメリカ合衆国の体験に基づいて「欧米のマナーはこうだ」などと一般化している文化人(?)を時折見かけることがあるが,北アメリカとヨーロッパを一緒にして違和感を覚えないということ自体,ご当人がヨーロッパをまったく知らない証拠である。日本語の「欧米」という概念は,「欧米人」が中近東・インド・中国・日本をすべてひっくるめて「アジア」とか「東方」とか呼ぶのと同じくらい乱暴な一般化であると私は思っている。「欧」と「米」を区別しない(できない?)日本人は,中国と日本の区別ができない「欧米人」と,知的鈍感さという点において,本質的に同じレベルにあると考えた方がよいようである。

 一方,ヨーロッパの中を見ると,「ヨーロッパ」=「大陸部」と考えて,「ヨーロッパの国々」と一線を画していたイギリス人が,長らくECに参加しなかったことはよく知られている。これとは少し違った意味ではあるが,フィンランドも,長い間,「ヨーロッパ」に属する国とは見なされていなかったということを知っているのは,かなりのフィンランド通であろう。たとえば,まだ80年代くらいまでは,夏の旅行シーズンに,「ヨーロッパへ行こう」というコピーが使われても違和感がなかったくらい,フィンランド人にとって「ヨーロッパ」は遠かったし,逆に,「ヨーロッパ」の側のドイツ,イギリス,フランスなどから見ると,フィンランドは「ヨーロッパ」の外の,どこか遠いところにある国という認識のしかたが一般的で,「ヨーロッパ人」のフィンランド認識のあまりのお粗末さに悔しい体験をしたフィンランド人留学生が少なくなかったらしい。

 そのフィンランド人が,アジア人であるわたしたち日本人に対して,自分たちは「ヨーロッパ人」だと向きになって強調し始めたのは,EU加盟が話題になりはじめた時期で,ついこの間のことだ。それまでは,フィンランド人にとって,フィンランドが「ヨーロッパの国」であるかどうかは,決して自明ではなかった。2年ほど前,フィンランドの親しい友人から来た電子メールに「今度はいつヨーロッパへ来るのか」と書いてあったので,返事の中で「フィンランドにはもうじき行くが,ヨーロッパに行く予定はたててない」と茶化して,気を悪くされたことがある。私にはそのようにしたくなるくらい,フィンランド人の態度の急変がおかしくてしかたがなかった。
15フィンランド勘違い:2001/04/23(月) 15:44
マルクスがドイツ人であり,そのマルクスの政治思想を現実に適用しようとしたのがロシアであったというのは,このような歴史的文脈で見るとおもしろい。マルクスの政治思想は,ロシアにとっては先進地域「ヨーロッパ」から入ってきた新しい思想であったはずである。その新しい思想を武器に,ロシアをヨーロッパの舞台に登場させようという意図で行われたのが,ロシア革命であったというふうに考えることはできないだろうか。そう考えてみると,ロシア革命は,日本の明治維新に相当する歴史的役割を果たすべく行われたものとみることができるのではないだろうか。もちろんこれは,歴史学の通説でないことは百も承知しているが,そう考えてみることによって,一見したところまったく違うように見えるロシアと日本のここ1世紀ほどの歴史に,実は,なにやら深いところで共通性があるのではないかという気がしてくる。つまり,最終的にたどり着いたところはまったく違ったけれども,ヨーロッパの先進国に追いつこうとして「西欧化」に躍起になってきた後進国としての日本とロシアの共通の姿が見えてくるのではないだろうか。

 フィンランドが「ヨーロッパ」の国であるかどうかというテーマも,今述べたような歴史の大きな流れの中で見ると結構おもしろい。第2次大戦においてソ連邦と戦ったフィンランドは,敗戦して東カレリアの割譲を余儀なくされたものの,バルト3国とは異なりソ連邦に再吸収されることはなかった。しかし,戦後は「フィンランド化」というレッテルを貼られてしまい,フィンランドがいくら中立を叫んでも,西側の諸国からは,ソ連邦の準属国とみなされる時代が続いた。フィンランドのEU加盟も,バルト3国の独立回復と同じベクトルに沿った現象であり,「ヨーロッパ」と「ロシア」の間を振り子のように揺れ動くはざまの地域の運命として眺めてみると,フィンランド人のものの考え方の普段は見えてこない側面がいろいろと見えてくるような気がする。

 フィンランドの首都ヘルシンキの大聖堂前の広場に立ち続けるロシア皇帝アレクサンドル2世(在位 1855-1881)の銅像は,ロシアとの深い歴史的絆の象徴である。冷戦時代までは,ソ連邦の影響圏におかれて東を向き,「ヨーロッパ」に背を向けることを余儀なくされていたフィンランドが,70年間続いたソ連邦が崩壊してヨーロッパの政治的な力の均衡が大きく変化すると,EUに加わって「ヨーロッパの国」となった。ロシア革命と第2次大戦の間の短い期間を除いて,19世紀初頭以来ずっとロシア(アジア?)の方を向いていたフィンランドが,200年ぶりに「ヨーロッパ」の方に顔の向きを変えはじめたのであるから,これはフィンランド人にとって,180度の歴史的な転回である。

16世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:53
>>13-15
2ちゃんねるに似合わぬコピペ長文うざい
17世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:57
>>12
匈奴は部族や民族の名前ではない。
中国人から見た北方の遊牧民全体の総称だ。
ただ、アヴァール人は柔然と何らかの関係があったといわれている。
18世界@名無史さん:2001/04/23(月) 15:57
でも結構面白いね
19世界@名無史さん:2001/04/23(月) 16:46
似たようなスレあるんですけど。いちようこっちもちゃんと読んでよね。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=972795175&ls=50
20世界@名無史さん:2001/04/23(月) 21:01
>>17
> 匈奴は部族や民族の名前ではない。
> 中国人から見た北方の遊牧民全体の総称だ。
じゃ、五胡十六国の五胡に、匈奴が含まれてるのは何故?

>>12
西進した北匈奴をフンの中核とみる説は有力だけど、
そう言い切ってしまえる程のものでもないでしょ。
21世界@名無史さ:2001/04/24(火) 00:41
スキタイはイラン系の騎馬民族でしょ
トルコ系民族はスキタイとモンゴル系の混血によって生まれた
225:2001/04/24(火) 01:55
>>17
モンゴル史家の受け売りだと思うけどそれはちょっと違うと思うよ。
「匈奴」は匈奴遊牧帝国(単于が支配)に属した遊牧民の総称で、
匈奴が分裂して衰えたあとは単于の末裔を君主に頂いた
遊牧部族の名前ってことでしょう。
だから匈奴最盛期の北アジアには匈奴以外には
ほとんど遊牧民の名前が見当たらないのに、
匈奴衰退後は鮮卑だの烏丸だのというのが出てくる。
元が北走した後、
チンギス・ハンの末裔が治めていた部族が内外モンゴル(韃靼)になって、
そうじゃない部族がオイラト、ジュンガルになったのと一緒。

>>21
トルコ系言語はイラン系言語ともモンゴル系言語とも別種なので
そう簡単に言いきれるものでは絶対にない。
スキタイのいた黒海北岸に長くトルコ系遊牧民がいたのだから、
彼らのなかにスキタイの血を交えた者がいたことはあるだろうけど。
2322:2001/04/24(火) 01:56
上の「5」になってるは詐称です…すんません。
24世界@名無史さん:2001/04/24(火) 11:31
「匈奴」は遊牧民の帝国だから、たしかに部族連合という感じもあるね。
そうすると特定人種、特定言語は語れないけれども、
攣堤部族(単于をだした支配層)などの中核部族に限れば
コーカソイドでトルコ語系といっていいんじゃないの。
帝国崩壊後はかつての中核部族だけを匈奴といっているように思うが、この認識でちがってないなら
匈奴には広義の匈奴と狭義の匈奴があるってことに。
>>17の五胡十六国の中の匈奴は南匈奴のことで、その中には中核的部族から末端部族まで
いろいろな匈奴がふくまれていたことが晋書にかかれている。この時代になると
同化がすすんで末端部族も単于と同じ匈奴語をはなしていたでしょうけど。
>>19のスレでがいしゅつでは。
25世界@名無史さん:2001/04/24(火) 11:45
それから>>20の「西進した西進した北匈奴をフンの中核とみる説は有力だけど、」ですが
「関係がある」って程度で、ズバリ「北匈奴=フンの中核」という説はそんなに有力じゃないと思うよ。
北匈奴の中核は呼衍氏で、これは攣堤氏につぐ名門貴族であり、
よほどの事情がない限りコーカソイドとみるのが無難だろう。
フン族は明らかにモンゴロイドなので、これが昔から「北匈奴=フン」説の障害だったと思ったが。
以上は昔からいわれてることだが、最近の説としては北匈奴は中央アジアにとどまり
北匈奴→悦般国→エフタルというつながりで考えるらしいから、
「北匈奴=フン」説はいよいよもって苦しい。
南匈奴も北匈奴も分裂したとはいえ、まだ帝国の様相は維持していたので、
それぞれ隷属する部族も多かったろう。それらの中にモンゴロイド系の遊牧民がいてもおかしくない。
北匈奴が中央アジアにとどまった際、あきたらずに逸脱して更に
西に向かったモンゴロイドの一群がいたのだろう
とするのは昔の説だが、現在でも妥当なように思われメ。
詳しくは>>19のスレを参照。
26武蔵太郎ジョーカー:2001/04/28(土) 13:06
未だに日本の教師には、
ハンガリア人=フン族の末裔説、更にはフィンランド人=モンゴロイド説を
信じている人がいるとは情けない。
27武蔵太郎ジョーカー:2001/04/28(土) 13:13
また、フン族とは別に匈奴も支配層にはコーカソイド的な
骨格が多く、服属層にはモンゴロイド的な骨格が多い
そうだ。まあ、支配層、従属層を問ず、イラン系など
コーカソイドと混血を繰り返していたのだろう。
但し、兵馬稜の匈奴系と思われる兵士はもろモンゴロイド―
しかも、「モンゴル人」的―の容貌だから、
時代や部族による混血度の違いもあったのだろう。
28武蔵太郎ジョーカー:2001/04/28(土) 13:26
また、「フン族」は一つの種族ではなく、
イラン系騎馬遊牧民族、フィン・ウゴール系民族、
更には東ゴート族まで参加していた
「多国籍軍」のような「多種族軍団」であった。
29武蔵太郎ジョーカー:2001/04/28(土) 13:38
興味深い事は、パンノ二ア(ハンガリア)で発掘され調査
される様々な種族の骨で、「フン族」の首長層と
思われる骨はモンゴロイド的要素を強く持つ物もあり
(逆にコーカソイド的要素が強い骨も有るが)、
9世紀(←確か)にパンノ二ア平原に移住・定住した頃の
マジャール人の骨を調べると、コーカソイド的―かつ
スラヴ人のそれとは大分異なる―な骨格の物が大半。
30世界@名無史さん:2001/04/28(土) 14:14
何がフン族の結束を固める要因になったの?
31世界@名無史さん:2001/04/29(日) 22:10
フン族の子孫て残ってるの?
32名無的発言者:2001/04/30(月) 05:34
アッティラ王は今でもハンガリー人にとっては国民的英雄だそうです。
また歴代のマジャール・アヴァールの王たちも自らをアッティラ王の流れをくむ家柄であるとして,
ハンガリー支配の根拠としていました。アッティラ王がいなければ「ハンガリー」と言う名称もなかったでしょう。

33世界@名無史さん:2001/05/02(水) 18:55
てっきり、フィンランド人のことだとおもってた‥
34世界@名無史さん:2001/05/02(水) 19:01
>32
それ本当?
カトリックに改宗して以降のマジャール人の王たちは、あんまり
アッティラやフン族を英雄扱いしていたとは思えないのだけど。
35世界@名無史さん:2001/05/03(木) 04:31
ハンガリー国王のアイデンティティって
「聖イシュトヴァーンの王冠」っていうくらいだから
イシュトヴァーン1世にあるんじゃないの?

いまのハンガリーでアッチラが人気あるのは
近代になってからフンがマジャールの先祖としてもてはやされたからじゃないかな。
このスレで散々語られているように、
関係については怪しいところのほうが大きいのだけど。
36世界@名無史さん:2001/05/29(火) 21:40
でも、ハンガリーの人の名前で「アッティラ」というのあるよね。
37αジョーカーω:2001/05/29(火) 21:49
それも19世紀からのロマン主義からでしょう。>36
38αジョーカーω:2001/05/29(火) 21:59
ブルガリア、ルーマニア、モルダビアに居住している、
正教徒のトルコ系少数民族ガガウズ人ってアナトリアの
トルコ人と同系統なの?
39名無しさん:2001/05/30(水) 00:58
ウラル系民族をモンゴロイドと考えるのが、そもそも間違っている。
ウラル系民族は、言語の特徴がアルタイ系の民族に似ていると言うだけで、人種的にはもともと白人だと思う。
40考える名無しさん:2001/05/30(水) 01:18
>39
そうなの?
「蒙古班」があるって聞いたことがあるんだけど。
41世界@名無史さん:2001/05/30(水) 03:40
蒙古斑。
42世界@名無史さん:2001/05/30(水) 04:17
>>38
ガガウズ語は言語学的にはアナトリアのトルコ語と同じ、
トルコ語族オグズ語群のはずだけど。
43一応遺伝的に白人に近いアジア人:2001/05/30(水) 10:06
>>40 >>41
蒙古斑は優性遺伝子(完全ではない)だから、混血が進むと非常に多く出てくる。
ハンガリー人やフィンランド人は昔は黄色かったのではなく、昔は黄色いのとの
混交が多かったということ。
44世界@名無史さん:2001/05/30(水) 13:30
いちよう…
45αジョーカーω:2001/05/30(水) 14:21
マジャール人は、4世紀頃までウラル山脈の南辺りに居住し、
それからカフカス地方に移動して、イラン系・カフカス系民族の
影響を受け、部族長はコンスタンチノーピルで洗礼を受けていた。
また移動を始めて、ボルガ川・ウクライナの平原地帯で暮らし、
イラン系騎馬遊牧民族やトルコ系民族と接触し、
騎馬戦術を導入・修得した。
あと、マジャール人に最も近いウゴル系民族の
モルドビン人も、ロシア人と混血していない人達も、
色白、比較的高い鼻、二重や奥二重のまぶた、などの
肉体的特長を持ち、遺伝子レベルでもコーカソイド。
46αジョーカーω:2001/05/30(水) 14:26
>42
有り難う御座います。
ガガウズ人がスルタンの迫害を受けて、
アナトリアから移住して来た人々、
という事を読んだ事が有るのですが、
何故にスルタンの迫害を受けたのか、
バルカンに移住する以前からキリスト教徒だったのか
(それならば、同じオグズ系のトルコ人でありながら、
キリスト教徒という事で迫害を受けた、とも考えられる)、
それともアナトリア時代はムスリムだったのか、
などは御存知でしょうか?
4742:2001/05/30(水) 14:34
>>46
まったく知らないです。
私は言われて調べるまでガガウズはきっとクマン族キリスト教徒の末裔で
キプチャク語群(タタール語の仲間)なんだろうと思っていたくらい。
ただ、トルコ革命までコンヤの近郊にトルコ語を話すギリシア正教徒である
「カラマンル」というエスニックグループが存在していた事実がありますから、
(彼らは正教徒ゆえに「ギリシア人」と認定されギリシア王国に追放された)
そのことを考えると宗教の問題で追放されたことはないでしょう。
48αジョーカーω:2001/05/30(水) 14:53
>42(47)
そうですか。
「カラマル」という人々も、アナトリア西部やバルカン南東部の
ギリシャ人の影響で正教に改宗したのですかね。
でも、オスマン帝国がギリシャ次いでコンスタンチノープル
を占領し、その支配を確立させた後に、
わざわざトルコ系の人々が正教に入信するとは考えがたいし・・・
でも、ブルガリア系と言われるポマルは、
種族・言語はブルガリア人でもイスラム教徒だし、
複雑ですね。

クマン人(ポロネツ人)は、西進してきたモンゴル人に敗れて、
一部はハンガリーに移住し、17世紀まで
言語と独自の生活様式を守っていたそうですね。
49αジョーカーω:2001/05/30(水) 14:54
訂正:「カラマンル」
50世界@名無史さん:2001/05/30(水) 15:02
そもそも人種論争自体が。。。
51αジョーカーω:2001/05/30(水) 15:06
>47
今手元に地図が無いもので、断言は出来ませんが、
私が持っている世界地図の民族分布図によると、
コンヤ一帯(スーフィーが盛んなコンヤ市内は別)には
トルコ系とは異なる民族が分布しているのですが、
「カラマンル」も元々は非トルコ系種族で、リュディア人・
フュりジア人の末裔なのかな?言語がトルコ化しただけで。
宗教はビザンツ時代かそれ以前にキリスト教化したとか・・・
何せ、トルコ共和国には、イスラム化したアルメニア人集団や
グルジア人集団もいるし、とにかく複雑!
5242:2001/05/30(水) 15:16
>>48
いまちょっと検索して調べてきましたが、
ガガウズ語の研究をしている日本の言語学者のHPがありました。
それによるとガガウズの起源はよくわかっていないそうです。
クマン族のようなキリスト教徒トルコ人と
アナトリアから来たトルコ人の混交という説もあるらしい。
言語学的にはアナトリアのトルコ語と間違いなく近いようですが…。

「カラマンル」は昔はギリシア人は言語的にトルコ化された
ビザンチン・ギリシア人の末裔である、
トルコ人はビザンツ時代にバルカン経由でやってきて
正教に改宗していたトルコ族の末裔である、
というように両用の説があったそうですが、
まあおそらくはアナトリアのギリシア人たちが
ムスリム・トルコ人の波のなかで彼らに取り込まれて
トルコ語化・イスラム化していく中で
正教徒のまま取り残された例外的なグループだったんじゃないでしょうかね。

ブルガリアのブルガリア語を話すムスリム・グループは
(名前はポマルではなくてポマックだったと記憶していますが)
逆にイスラムに改宗したがブルガリア語を残した
ブルガリア人じゃないでしょうかね。
ボスニアのボシュナク人(ムスリム人)と同じようなものでしょう。
ギリシアにもかつてギリシア語やスラブ諸語を母語としながら
ムスリムであったがためにトルコ人と認定されて
トルコ共和国に強制移住させられた人々がいたそうですし。
5342:2001/05/30(水) 15:24
訂正:
>「カラマンル」は昔はギリシア人は言語的にトルコ化された
>ビザンチン・ギリシア人の末裔である、
>トルコ人はビザンツ時代にバルカン経由でやってきて
>正教に改宗していたトルコ族の末裔である、
>というように両用の説があったそうですが、
↓ ↓
>「カラマンル」は昔はギリシア人は言語的にトルコ化された
>ビザンチン・ギリシア人の末裔であると主張する、
>トルコ人はビザンツ時代にバルカン経由でやってきて
>正教に改宗していたトルコ族の末裔であると主張する、
>というように両用の説があったそうですが、

>>51
そこまでいくと私にはもうわかりませんが…。
とにかく、アナトリアとバルカン南部は11世紀以来、
従来はギシリア正教徒中心の土地だったのが
言語のトルコ化・宗教のイスラム化を進めて
いまのトルコ民族を形成してきたわけだから、
その過程のイレギュラーで言語と宗教の片方だけ
ムスリム・トルコ化したグループがいたって不思議じゃないでしょう。
54αジョーカーω:2001/05/30(水) 19:34
>42
有り難う御座います。
ポマルは誤植でポマクでした、済みません。
カルマンルの起源は定かではないのですね。
と言うよりも、トルコの学者とギリシャの学者との
ナショナリズムの論争という感じですが、
トルコ側の主張には地理的に無理があるような・・・
「カラマンル」という名称は、彼らが居住していた地域に
トルコ系のカラマン侯国があった事に
因んで付けられたのでしょうね。


あと、今でもコンヤ近郊―ローマ・ビザンツ時代のガラティア―
には、インド・ヨーロッパ語族の住民がいるようですが、
それがクルド系なのか、古代フリュギア人や(ケルト系の)古代ガラティア人の
末裔なのかは分かりませんでした。
また、アンカラの近くにもインド・ヨーロッパ語族が多く居住しているそうですが、
トルコ政府の公式見解では「全てトルコ人(トルコ共和国々民)」
なので詳しくは判りません。
ただ、トルコ共和国領のバルカン半島南東部にはトルコ化・イスラム化した
ギリシャ系住民もいるそうです。

55>215:2001/05/30(水) 19:53
ニューイングランドに多いタウンミーティングなんかやってる奴かな。昔はコモンでやってたんだよね。ボストン・コモンとかニューイングランドの町には町の中心に大抵ある広場。
5642:2001/05/31(木) 00:26
>>54
アナトリア(特に西部)のトルコ人は顔つきから見ても
ほとんどギリシア人がイスラム化・トルコ化したものだろうことは
(もちろん本来の流入トルコ族と混血した結果でしょうが)、
間違いない気がしますから、カラマンルの起源もそうなんでしょう。
「ル」ってのはトルコ語で「〜に所属する」って意味を作る語尾で、
「カラマンル」はお察しの通り、カラマン君候国の地域の住民という意味です。

コンヤ近郊に印欧語族がマークされていたのはカラマンルのことではないでしょうかね。
>>47で言及しましたが、彼らはギリシア人(=印欧語族)に民族分類されてしまったので。
アンカラはどうなんだろう。
トルコにはギリシア人やアルメニア人、クルド人ら
トルコ族流入以前からのアナトリア土着民の他にも
オスマン帝国の元でコーカサス諸国やバルカン諸国から流入してきた
印欧語族の連中がいますから、そのあたりであるという可能性もあるし。
57世界@名無史さん:2001/06/24(日) 14:14
>34>35
旧聞に属する話題で失礼。
ハンガリー王たるアールパード家はアッチラの末裔であるとの伝承を持つ。
これはキリスト教化した後に書かれた年代記でも同様で、当時のマジャール
人は自らをフンの末裔と思っていたそうだ。
中世のマーチャーシュ王の時代でも同様に王をアッチラの再来と称えている
そうな。

現在でもアッチラは人気のある名前だが、これは19世紀に入ってから、古
代の名前(アッチラとかチャバとか)をつけるのが流行したことによるもの
だそうだ。
58世界@名無史さん:2001/06/24(日) 16:39
大いなる誤解があるようですが。
白人と黄色人種は実は肌の色にほとんど違いはありません・・・
59世界@名無史さん:2001/06/24(日) 23:16
数千人程度では?
60世界@名無史さん:2001/07/01(日) 10:13
フン族の子孫は生きてるの?
61世界@名無史さん:2001/07/01(日) 11:35
どこかの民族に同化されました。

関連スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=993319717&ls=50
62世界@名無史さん:2001/07/02(月) 19:22
>>27
匈奴の支配層にコーカソイド的骨格が多かったって本当?
かなりショッキングだなあ。
できればソース希望。
63世界@名無史さん:2001/07/02(月) 19:40
>>57
ハンガリー人の祖はマジャール人では?
64世界@名無史さん:2001/07/02(月) 21:29
>>62
それは白人優秀説をとなえるための陰謀だよ
65世界@名無史さん:2001/07/02(月) 21:33
冒頓単于が漢から妃を迎えたように、イラン系民族から妃を
代々迎えていたりすれば、支配層だけがコーカソイド的に
なるのは十分にありえるかと。
66世界@名無史さん:2001/07/02(月) 23:11
質問なのですが、
フン族王アッティラと教皇レオ一世の会談って記録されてるのですか?
非キリスト教徒が教皇の権威を感じるわけないと思うのですが
67世界@名無史さん:2001/07/02(月) 23:15
>>63
ハンガリー人は今も自称マジャール人だよ。
フン族とマジャール族の関係はよくわからないのは確か。
とすると、>>57はかつてのハンガリー(マジャール)人が権威付けとして
過去のフンの末裔を自称していたということだと思われ。
68アマノウヅメ:2001/07/02(月) 23:29
レオ1世は、カトリック教会では「聖レオ1世大教皇」縮めて「大レオ」と
呼ばれています。
カトリック側が出したどの本にも、レオ1世がアッチラと対面し、説得したと
書かれていますから、記録は残っているはずです。
69真実:2001/07/02(月) 23:32
レオ1世「抱・い・て ダーリン」
アッティラ「!」
かくしてローマは救われた
70世界@名無史さん:2001/07/02(月) 23:36
>>62
ノイン=ウラで発掘された人骨の多くがそうだったとか。
71世界@名無史さん:2001/07/03(火) 00:01
ノイン=ウラって思い出せないけどどっかで聞いたことあるな・・・
バイカル湖西岸では青銅器時代の人骨はコーカソイドで、初期鉄器時代
のフン期になるとモンゴロイドとコーカソイドの両方の特徴が出てくる
って聞いたことある。
ノイン=ウラもそこらへんのことなのかな。
72世界@名無史さん:2001/07/03(火) 00:03
モンティパイソンのコントで、フン族の民族衣装を身につけて、
アメリカの中流家庭を舞台にアメリカンホームコメディをパロディーした
「アッティラ・フンショー」は何度見ても面白い。
73世界@名無史さん:2001/07/03(火) 00:05
>>66
教皇の権威と言うより、文明の権威何じゃないの?
ローマの大きな建造物を見れば驚くと思う。
74世界@名無史さん:2001/07/03(火) 00:22
>>62,>>64
たんにあんたらが物知らずなだけ(w
75ナナシ:2001/07/03(火) 00:27
>>72
「アッティラー・ザ・ハン・ショウ!」ですな。
よく考えるよなー。
76世界@名無史さん:2001/07/03(火) 22:29
>>72  >>75
「アッティラー・ザ・フン・ショウ!」
急いで借りて見たけど・・  う〜ん・・・・・
7772:2001/07/03(火) 23:40
>76
ほんとに!
おもしろかったっしょ。
「う〜ん・・・・・ 」って、ご不満ですか...

「アッティラー・ザ・フン・ショウ!」のオープニング部分だけ
もう一度見てください。噛めば噛むほど味がしみ出してきますよ。

でも、あのウイッキーさんみたいな人は何の意味があるのかな。
78世界@名無史さん:2001/07/03(火) 23:44
みな誰もが、人生の一時期モンティパイソンにのめりこむ。
7976:2001/07/04(水) 00:18
>>72 さん
また見ました。 う〜ん・・・
おもしろいちゃ〜面白いけど・・・ う〜ん・・・
一週間レンタルなので、また何度か見てみます。

過去、モンティパイソンで一番笑えたのは、処方せんを患者に投げ付ける話くらいかな?
申し訳無いので、さげます。
80世界@名無史さん:2001/07/04(水) 00:32
>63
違います。しかしマジャール人たちはそう信じていました。
昔の年代記はみなそうなっているそうです。
中世のマーチャーシュ王のころでも王を「第2のアッチラ」と称えています。
81世界@名無史さん:2001/07/04(水) 02:28
マジャール人の出自はよくわからないですね…。
フィン・ウゴル語族なのは確かなようですが、トルコ系的な色も強いですし。
ちなみに、いまのマジャール人は半ばスラブ化しています。
8227:2001/07/04(水) 21:13
>>62
>27
>匈奴の支配層にコーカソイド的骨格が多かったって本当? かなりショッキングだなあ。 できればソース希望。

>>64
>>62
>それは白人優秀説をとなえるための陰謀だよ

あほか。
匈奴帝国の支配層である中核部族がコーカソイドなのは
歴史書の描写から具体的に推定されている通説。
83世界@名無史さん:2001/07/04(水) 21:43
いま「匈奴」と「白人・コーカソイド」で検索してみたけど
そこまで書いてあるのはほとんどなかったよ。
匈奴の中核がコーカソイドなのは事実なのかもしれないけど
一般に知られている通説とまではいえないな。
84世界@名無史さん:2001/07/04(水) 21:47
>>83
あのさあ・・・
匈奴のことかいてるHPってどれだけあると思ってるの?
とりあえず通説だよ。
そもそも学界動向書いてあるHPなんて殆どないよ。
論文には著作権があるから、ネット上で公開する事なんて・・・。
そういうことはネット上ではできません。
書籍などで調べましょうね。
85世界@名無史さん:2001/07/19(木) 22:26
フン族の末裔の写真が見たい
86世界@名無史さん:2001/07/19(木) 22:33
>>85
フン族が何者かもよくわからなければ
誰が末裔かとも言えないって状況なのに
どうやって写真撮るのさ。
87世界@名無史さん:2001/07/19(木) 23:40
日本人でも西洋っぽい顔とか黒人っぽい顔とかいるようなもんで。
ヨーロッパで、別にアジア系でもなんでもないのに
なぜかアジア系な顔してる奴って、たま〜〜〜にいるよ。
しいていえばそういう奴の中にはフン族の血が残ってたってケースも
たまにはあるかもね。
88世界@名無史さん:2001/08/05(日) 16:03
冒頓単于の墓でも出て来ないかな( ● ´ ー ` ● )
90世界@名無史さん :2001/08/06(月) 21:58
フン族の武具とか残ってないの?
91YP:2001/08/06(月) 22:15
アッティラのコインって相場どれくらいかな?

あれ欲しいなぁ〜
92世界@名無史さん:2001/08/06(月) 23:17
>84
学会の通説と一般の通説の区別もできない専門バカ
93世界@名無史さん:2001/08/06(月) 23:46
>>84
これだけあったぜ。

匈奴をキーワードに検索した結果
約 2600 件のページが見つかりました。
94世界@名無史さん:2001/08/07(火) 03:09
そもそも、混血がすすんでいるので何人とかいうことに意味がないのでないか。
95世界@名無史さん:2001/08/07(火) 03:24
我々は、この鹿児島蛮族が何故このようなスレを立てたのか?という
疑問を解決するため、1の故郷である鹿児島のとある寒村に向かった。

持参したドコモの携帯をみる、そこには「圏外」の2文字・・
さらに、もう一台持参したJ-PHONEの携帯も「圏外」の2文字・・・
「ここは、本当に日本なんだろうか?…」 「もしかしてここは北朝鮮なのか?」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に「こんなことを言ったら殺されるぞ」と咎められた。

小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫や漁夫たち、
それら農夫や漁夫を監視している小役人やオイコラ警官、海上保安官たちの傲岸不遜な姿・・・・。
(注:警官や海上保安官等「公安系公務員」は、鹿児島人が異常に多いらしい)

それらとは対照的に立派な「鹿児島の偉人」西郷隆盛の銅像・・・
「まるで北朝鮮の金日成の銅像みたいじゃないか・・・・・藁」と小声で言ったところ
前出の小役人、それにオイコラ警官が私たちのもとに脱兎の勢いですっ飛んできて
「そこのヨソモン!西郷南洲翁をバカにする奴は俺が死刑にしてやる!!」と大声で
私たちに食ってかかるではないか(注:このときは鹿児島語訛りの標準語で罵倒された)

どうやらこの地では、西郷隆盛をバカにすると、役人や警察官が自己の判断で死刑に
していいらしい。なんという野蛮な土地だ、鹿児島は・・・
96名無しさん:2001/08/07(火) 08:39
匈奴の中核層がコーカソイドだったっていうのは自分も初耳。
97世界@名無史さん:2001/08/07(火) 09:46
透き通るような白い肌に金髪碧眼
冒頓単于サイコー!!
98世界@名無史さん:2001/08/07(火) 14:31
>>97
金髪碧眼なのは、コーカイドでも北方人種と東ヨーロッパ人種だけです。
ありえそうなのはアナトリア人種、インド・アフガン人種、トゥラン人種
などのコーカイソイド系人種でしょう。
99世界@名無史さん:2001/08/11(土) 22:01
さっきまでWOWOWでやってた
「騎馬大王アッティラ平原の支配者」では
アッティラ役は黒髪、緑目のヒスパニック顔のヒトが演じてましたよ。
100酔鯨ジョーカー:2001/08/11(土) 22:08
アッティラは絶倫だったのかなぁ?
101大スキピオ:2001/08/11(土) 22:17
あ、それみてましたよ。女優さんたち可愛かったなぁ〜。
でも、あの当時から避妊薬なんてあったのかね?
102アマノウヅメ:2001/08/12(日) 01:54
>>101
避妊薬は古代からあります。しかし、みな迷信でしょうね。
現代はピルがありますが独身者(特に男性)は当てにしないほうが
いいと思いますが。
103大スキピオ:2001/08/12(日) 08:57
ははぁ、そうですか…有難うございます
『騎馬大王アッティラ』でローマ軍兵士がピルムを持っていましたが、結局投げずにゲルマン人との乱戦に突入した… ピルムは投げて使う武器じゃないか! 普通に持ったまま使ったらすぐ曲がっちまいますよ。
ローマ軍の定石
1、ピラを遠くから投擲する。
2、接近してピルムをなげつける。
3、スパタを抜刀して切り合い。
じゃないんですか?
104世界@名無史さん:2001/08/12(日) 11:50
冒頓タン、ハァハァ・・・
105世界@名無史さん:2001/08/16(木) 12:51
フン族の末裔が住んでいるっている村がフランスに近年まであったらしい。
その村は非常に排他的で習俗も回りの村とは違っていた。

というのをなんかの本で前に読みました。

もし匈奴がコーカソイドだったとすれば、現在の中国やモンゴルあたりに
それ系の人がいっぱいいると納得するんですが、どうなんでしょ?
(フィンランドやハンガリーの逆パターンとして)
フィンランドの人ってたしかに他のヨーロッパの人と顔つき違うと思う。
106世界@名無史さん:2001/08/18(土) 10:29
フン族ってのは自称で、実はクマン人やアラン人の子孫だったりして・・・。
107世界@名無史さん:2001/08/18(土) 10:59
>>103
>3、スパタを抜刀して切り合い。

スパタは騎兵の剣だし、切る剣ではなく、突く剣だが……。
参考
http://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/spata.htm

偽スキピオめ!(藁
108佐治怪鳥:2001/08/18(土) 11:37
>>106
クマン人は熊襲が西進したものです。
109世界@名無史さん:2001/08/18(土) 15:34
なるほど、クマソ人か(W。
110梵阿弥:01/08/31 10:29 ID:WN2zsPIw
アッティラや取り巻きは目が細く鼻が丸く低くイタリア人に見慣れない顔立ちで描かれて
いるので今のモンゴル人に近かったのではないか。
111世界@名無史さん:01/08/31 10:33 ID:eLQCU1CQ
で、たしかアッティラ大王の最期は、「腹上死」でしたよね。
112今は亡きモ板@羊の某固定:01/08/31 13:09 ID:xIThJsXw
>>111
・・・腹上死ぢゃなかったような・・・
113梵阿弥:01/08/31 13:24 ID:WN2zsPIw
魏書の西域伝に粟末国に匈奴が居ると書いてあって、クリミアのフンの事ではないか
という説がある。ソグドの文献に漢に下った南匈奴をXwnと記した例がある。ソグド人は
東西の事情に通じていたので構成員の重なるところも多かったのではないか。
114世界@名無史さん:01/09/02 20:51 ID:SATukCAk
西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルにはフン族の血が流れていたらしい。
オヤジのエデコンはフン族だったということです。
115大スキピオ:01/09/02 21:42 ID:noKubIfY
>>107
悪かったな! グラディウスの間違いだよ!イベリアン・グラディウスの!
偽って言うな偽って!そこまで言うなぁ!
(笑)
116世界@名無史さん:01/09/02 21:50 ID:pc2wNzls
>>111
アッティラは若い新妻に興奮して鼻血どびゅー死です。
117梵阿弥:01/09/03 10:29 ID:PgBKzc4E
>>113
粟末ではなくて粟特でした。すいません。クリミアのフン王ヘルナクの記述ではないかと
言う説があります。
118世界@名無史さん:01/09/03 11:21 ID:Z10nt4Uw
中央アジアの血が流れている民族が、世界中で最も尊い。
119111:01/09/05 21:49 ID:dElEe6Jg
アッティラ大王は婚礼の晩に頓死しました。上野さんだったか、芹沢さんだったか、高名な法医学者が「腹上死」説を唱えています。もっとも、医学上「腹上死」なる言葉は存在しませんが。
120世界@名無史さん:01/09/27 21:53
 
121アマノウヅメ:01/09/27 22:17
>>119
武士の情とやらで心不全とかになるそうですが。
そういえば、昔知り合いの大学の先生がよっぱらって階段から落ちた時も
親戚のお寺の和尚が神社の鳥居にぶつかった時も死因はごまかしたはずです。
122世界@名無史さん:01/09/27 23:53
匈奴はコーカソイド、
フン族はモンゴロイドだよ。
123世界@名無史さん:01/09/27 23:59

ふー、いまでも匈奴を単純にコーカソイドだと思ってる奴がいるのか・・・
晒しage
124世界@名無史さん:01/09/28 02:15
>>121
ホームラン打ったのにベース踏み忘れてアウトになった奴が、
公式記録ではキャッチャーフライだかピッチャーフライだかになるのと一緒か。
125通常の名無しさんの3倍:01/09/29 20:51
>>122
アメリカ人はコーカソイドってか ( ゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャ
126世界@名無史さん:01/10/09 23:31
ソグド人ってそのころからすでに交易で活躍してたの?
127世界@名無史さん:01/10/10 00:23
フン族はモンゴロイドでも濃い顔してたらしい
128名無し:01/10/21 21:09
アッチラ大王が婚礼の夜に死んだというのは、暗殺された可能性がある。
相当の年齢だったのだろうか。
129梵阿弥:01/10/23 15:59
>>126
漢に下った南匈奴の末裔の劉 淵が晋の八王の乱に乗じて304年に自立、漢を建てました。
>113は彼の子(だったと思う)が310年代に洛陽を落とした時の話です。後にこの漢は
趙と改称し石 勒の建てた別の趙に滅ぼされ、前趙と呼びます。
130世界@名無史さん:01/10/23 17:59
しかしなんでフンはヨーロッパに攻め込んだんだろ?
ペルシャの方が遥かに美味しいと思うのだが。
131梵阿弥:01/10/24 11:23
>>130
乱れてたので、戦の腕を見込まれて呼ばれたのかも。
132世界@名無史さん:01/10/24 12:02
>130
ペルシャへは山岳地帯をとおっていかなければいけません。
その点ヨーロッパまでは、草原とか森林とかでわりと平坦です。
133世界@名無史さん:01/10/24 14:41
ロシアのほうからゲルマンだかなにかを追いかけて惰性で進んでっちゃったんじゃない?
134世界@名無史さん:01/10/25 07:01
>>1
フン族が何者なのか前々から疑問だった、世界史に疎いからよく解らんかったけど、
正確に何者なのかは不明なのか・・、なるほど・・。
135世界@名無史さん:01/11/02 01:09
ケットの同系という説が出ていないようですね。
一応。
136世界@名無史さん:01/11/02 01:22
第二次大戦中英国人はその野蛮さからドイツ人をフン(英語読みでハン)
と呼んでました。
137世界@名無史さん:01/11/12 02:47
ペルシア方面はエフタルの縄張りだからフン族は西の方にしかいきようがない
138世界@名無史さん:01/11/12 13:09
フン族=朝鮮人説を昔ドイツ学者が言ってた…
139世界@名無史さん:01/11/12 13:35
超トンデモ説である。
140ミネソタ住民:01/11/22 20:13
13は基本的に違う。たしかにフィンランド人は擬似白人だ。ミネソタのコミュニテイを見ても、フィンランド、
スウエーデン、ノルウエー、デンマークのあいだで区別はない。が、それはアメリカだからだ。ヨーロッパ
では執拗な国民国家単位のフィンランドへの差別が行われていた。ロシア領からフィンランドが解放された
のは日露戦争で日本が勝ったからだ。そのロシアもスラブ白人をIDENTITYとする国民国家ではない。
ロシア民族主義は小ロシア主義(仮称)から大ロシア主義まで様々あるが、通常10世紀ころのバイキングとの
関わりをもった頃のキエフ、ノブゴロドといった都市国家の形態のころではなく、世界最大最強といわれた
19世紀の拡張主義の頃のロシアを指すように思われる。つまり、そのころの南はアゼルバイジャン、
東はベーリング海峡、アラスカのエスキモーに至るまでロシア名で呼ばれたころの東端のエスニックの一つが
フィンランドだ。

日露戦争のどさくさで運良く独立したものの、それからは、スウエーデンからの連綿と続く蔑視、偏見の歴史だ。

ハンガリーはフィンランドに比べるともっとエスニックだ。完全にアジア系というかトルコ系の顔立ちの人が
いる。というか、そのほうが多数だ。

多分、白人という定義をもっと広げれば、ハンガリーも白人にはいるだろう。でも、その定義には多分
日本人もはいるだろう。趣旨はハンガリーの歴史的バックグラウンドこそもっとも重要な要素であること。
その歴史的バックグランドとはヨーロッパ平原にかつて侵入したトルコ系部族マジャール人という事実だ。

ちなみに、現代にいきる白人のなかでもっとも狭義の白人はアングロサクソン、妥当なものとしては、
アメリカの白人、EU諸国の国民くらいの認識ではなかろうか。それだと、日本人は準白人である。
つまり、経済水準を考えればかつてGDP世界一位の国が定義から意図的に外されることは妥当でないから。
語族で判断すると、英語専門学者が大体聞き取れる範囲の言葉、オランダ語、ドイツ語、古ゲルマン諸語
このあたりまでだろう。アイルランド系はJFK,レーガン、クリントンと戦後米国政界で躍進したけど、
その前は偏見がひどかった。

フランス系、東欧スラブ白人、ユダヤ人、系統不明(バスク)このあたりは米国大統領にえらばれるのは
50・50か?

色の浅黒い地中海性白人、北アフリカ白人(リビア、チュニジア、アルジェリア)、中東白人(イラン)
アジア系諸国白人(フィンランド、エストニア、ハンガリー)は完璧なエスニックだ。
これらのエスニック出身のアメリカ移民が合衆国大統領に選ばれる確率は残念ながらゼロに近い。
MICHEAL DUKAKISの惨敗は記憶に新しい。

ということで、政治、経済、言語、民族史、合わせて判断して、ハンガリー、フィンランドを白人というなら
日本人を白人と呼んでもよさそうにも思える。つまり、産業複合体、産学複合体のなかのコマとして生きている
現代人だ。白人の定義が単に肌の白さでいうなら、ロシア革命もハンガリー動乱も日露戦争もチエゲバラ捕殺も
フランコ独裁もアルジェリア内戦もイラン=イラク戦争もなかったであろう。偏見、差別の現代史のなかで
もっとも中立的で理想とされたScandanaviaの中でさえ、異分子として行き場のなかったフィンランドが
白人国家とは到底言い難い。
141ミネソタ住民:01/11/22 23:32
わたしの最期の結論「白人国家とは到底言い難い」は強く聞こえるかもしれない。

わたしは、こういいたかった。日本人の見方、とくに、日本の官公庁の方からすると
知りたい情報がさまざまな要素についてきちんと抽出できる研究スタイルが可能なのは
(いいかえるとわれわれが図書館でそれぞれのカテゴリー本棚から本をとりだすように)
日本という島国においてだけだ。ヨーロッパにしろアメリカにしろそう四角四面にキチッと
なっていない。とくに、アメリカの場合は市場原理つまり貨幣的価値観に換算可能なもの
だけが研究対象になるといっても過言ではない。その人がどんなに優れた中央アジア研究を
成し遂げても、その人だけで研究が終わってしまってあとに引き継がれない場合がある。
講座自体が閉鎖されてしまうからだ。いわば店頭のCD・DVDの売れ行きと同じだ。
ヨーロッパの場合そこまで競争原理一色ではない。が、しかし、アメリカの自由さ、おおらかさはない。
そこで、どれほどアジア、東洋研究ができるかは難しい。

ちょっとそれたが、2チャンネルという非常に日本的、島国的な文化に生まれそだったわれわれには
想像もつかない世界が大陸には存在する。文字どおり、集落、村、町、一地域ぐるみ住民が消滅する
ことはヨーロッパ史、アジア史には多くの例がある。人口の移動、民族の侵入もある。ニューヨークという
きわめてヨーロッパ的で知的な大都会でも、地下鉄に乗ったらその行き先が変更されたことを乗車中に
告げられることはしょっちゅうだ。東京で日吉行きが突然葛西行きにかわったりするだろうか。
世界史はダイナミックな人口流動、支配の移り変わり、権力抗争を念頭におかないと理解できない分野です。

わたしもシカゴのロヨラ大学の図書館で彼はトルコ人ですよ、と教えられてびっくらこいたことがある。
何故って、金髪碧眼で透き通るような白い肌をもっていたからだ。フィンランド人もほかのスカンジナビア系移民と
まったく区別はつかない。ハンガリー人はもっと肌の色が濃いひとがおおい。が、いずれにしろ、肌の色の
はなしと、国民国家としての歴史、現状はまったく別のはなしだ。

ひるがえって、このフィンランド、ハンガリー問題にしても、フィンランド独立、ハンガリー動乱の過程を
みても、蹂躪ということばがあわないにしても、すくなくとも不幸な現代史の一貫を担った国々であることだ。
そして、その事実ひとつもっても充分すぎるとおもう。

もし13のかたの主張のように、フィンランド、ハンガリーが白人国家であったら何故このようなことがおきる
のでしょう?結局、ヨーロッパのなかで最も遅れた国の二つであったことの現れでしょう。
そして、それが、アジア系ということへの偏見に基づいていることは断言できます。
142梵阿弥:01/11/26 11:59
そう云えばその昔、渾という集団が居たそうです。
143クレマンソ−:01/11/26 15:04
あの蛮行振りからみても、ドイツ人にかなりフン族の血が入ってるに間違いない。
144世界@名無史さん:01/11/26 16:59
>>142
「渾邪」(もしくは渾邪部)でしょ
145世界@名無史さん:01/11/26 17:27
ハンガリーのHUNは、フンでフン族の国という意味ではないの?
146世界@名無史さん:01/11/26 17:33
>145
違います。別スレを参照。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/998207834/127-127
147世界@名無史さん:01/12/05 12:02
 フン族の大王アッティラはローマに侵攻しようとするとき,教皇レオの説得を
受けて(確か,レオが一人でアッティラの陣営に来たんだよね…)軍を引き上げ
ますが,そこいらへんの詳しい内容(何かの説でも良いです)が分かる人いませ
んか…
148世界@名無史さん:01/12/05 20:18
>147
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」からの引用。

「蛮族王は好意というよりもむしろ敬意を見せつつ注意深く耳を傾け、結局イタリアの
解放は公女ホノリアの莫大な身代金あるいは持参金でまかなわれることとなった。」

「レオの迫ってくるような能弁、その堂々たる面相と神聖な服装、これらはこの
キリスト教徒たちの精神的な父に対するアッティラの尊敬をかきたてた」

「フン族王はイタリアを撤退する前に、万一にも自分の花嫁、公女ホノリアを
条約に明記された期限内に自分らの使節に引き渡さないような事があれば、
前以上に恐ろしく前以上に厳しい姿勢で戻ってくる、と脅迫した」
149世界@名無史さん:01/12/12 17:21
フン族はいろいろな部族の連合体だったっていうけど、
どんな感じに混ざってたんですか?
150フランス人:01/12/18 20:56
ウーランが来るぞ!
151ベルギー人:01/12/18 21:34
野蛮なボッシュらめ、やつら子供達の手首を…
152世界@名無史さん:01/12/21 01:13
>148
根拠については分かんないけど、フン族軍内に疫病が発生したからだと
いうのが、この辺のことについてる書いてる本の中では通説になってま
すね。
それに、ガリアではローマ軍に敗北してるわけだから、慎重を期して撤
退したということかも。北イタリアでの略奪は完了してるので、深入り
して大規模な戦いする気は元々なかったという可能性もあると思います。
153世界@名無史さん:01/12/21 01:40
大いなるもの東方より
154 :01/12/21 01:46
フン族の映画がスターチャンネルで放送されてた。
誰か見た人いる?
155世界@名無史さん:01/12/21 01:52
ガリアの戦いではアッティラ軍においてもゴート人が活躍しているが,
ローマ侵入ではアッティラ軍は編成が騎馬隊中心でゴート人は登場しない。
フランクが後に台頭したのはこの時東西両ゴート族が深刻な打撃を受けた為かもしれない。
156 :01/12/21 02:19
一般に英仏ではローマ帝国に属さなかった民族全てをフンと蔑称していたらしい。
157499:01/12/24 14:01
>156
英仏の見解ではゲルマン人以外の蛮族=フン族ってこと?
それとも、アングロ・サクソン人みたいにローマに属さなかったゲルマン人も
フン族ってことなの?
158世界@名無史さん:01/12/24 20:32
>154
題名教えて。
159 :01/12/24 23:05
>157
アングロ・サクソン人はローマ帝国の版図だったブリタニアに移住したからセーフ。
同じくガリアやヒスパニアなどへ移動したフランクやブルグント、スエヴィらゲルマンも
関係なし。

ゲルマニアに残ったゲルマン人とそれ以東の地域の国々を一括して、(特に戦争中の
ドイツ軍兵士を)そう呼んでたらしい。(英の場合、特にナチスの野蛮・残酷さから)
160世界@名無史さん:01/12/26 22:52
フン族は修道女たちを見て、
「まるでわれわれのために処女を残しておいてくれたようだ」
と言って喜んで犯し、裸にして馬の蔵に載せて違う場所でまた犯し、
そのまま山林に捨てたらしい。。。

フン、人でなし
161世界@名無史さん:01/12/26 23:19
>>160
多分実際は捨てていないな。輪姦もなし。
騎馬民族によくみられる略奪婚だったと思う。
娘たちをさらったあとは妻として大事にしたはずだ。
それを敵側が歪曲して記録したのだろう。
162世界@名無史さん:01/12/26 23:49
アッティラは命令以外の略奪・強姦は厳禁していたという説もある。
フン族は記録を残さなかったので単なる俗説だが。
モンゴルでも戦利品を勝手に私物化した指揮官は処罰されていた。
歴史に書かれている遊牧民の野蛮さは割り引いて見るのが妥当。
163世界@名無史さん:02/01/09 08:16
やっぱヨーロッパ側が悪く書き残したせいってのが重要でしょう。
164世界@名無史さん:02/01/10 17:49
「フン族って何人?」って読んだ時、「なんにん」って読んだ。
165世界@名無史さん:02/01/13 02:45
古代戦史におけるフン族の兵員数と
典型的な北方アジアの家族構成から推察すると
126、000人
166世界@名無史さん:02/01/14 19:59
「典型的な北方アジアの家族構成」って?
167世界@名無史さん:02/01/14 20:00
_
        _ -..::::::::::::::::::::::::ヽ、
      /:::::::ヽ:::::::::::::::::::::::::::\
      /::::::::::/~ ̄ ̄ ̄~ヽ::::::::ヽ
     /::::::/          \::|    _______
     |:::::/  '⌒`   '⌒ヽ  |/   /
     .|::::::|   \     /  |   | 天皇は同胞よ。
     |,/ヽ             |`! <
     .| |     < _ >    |/   |
      \|     ー───   |/\ \
       0\   \⌒/  ./ ̄  |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      /|  \    ̄  /| 、    |
    /  |ヽ、  \ _/| ヽ|    ヽ
        |  \___/|  .\
168世界@名無史さん:02/01/14 20:16
「フン族」初めて聞いた時、正直ちょっと笑った人手挙げて。
169 :02/01/15 20:27
糞族っていわれてるだろうな、現代にまだいたら。
170世界@名無史さん:02/01/15 20:45
日本の分とか糞の発音とちがうだろ、細かいようだけど
171世界@名無史さん:02/01/27 22:19
ちょっとだけなら。
172 :02/01/28 09:57
英語読みだとハン(Hun)と発音。
173世界@名無史さん:02/01/29 10:57
>>フン族って何人
イソジンだよ!
ヨーロッパ中ガラガラと掻き回して最後はぺっ・・・と吐き出されたんだ。
他にあるかい?
174世界@名無史さん:02/01/29 13:50
粉塵
175  :02/02/24 17:45
age
176世界@名無史さん:02/02/25 06:14
フン族は総人口21人です。
177( ´_ゝ`)ふーん:02/02/26 22:45
↑コイツが出て来ないってことはマトモなスレだね
178世界@名無史さん:02/03/17 21:44
いまさらながら手を挙げます。
179世界@名無史さん:02/03/28 06:06
こっちのメインは歩兵だから、弓騎兵ラッシュは正直辛い
180世界@名無史さん:02/03/28 16:11
フン族は、どこへ消えたのか?
故郷の平原へ戻り、自然消滅したのかも。
どっちにしろ、13世紀のモンゴルの遠征の際には、もう無くなっていたか、滅ぼされた。
181世界@名無史さん:02/03/29 05:41
モンゴルどころかマジャール西進の時代には既に見当たらないよね。
182 :02/03/30 17:16
優勢になった部族に吸収された。
騎馬民族のほとんどはこんな感じでしょう
183世界@名無史さん
>>182
中国での遊牧民国家なんかはその典型ですな。