漢民族って絶滅したの?

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1名無しさん@そうだ選挙にいこう
漢民族は戦争のしすぎで滅んだと聞いたことが
あるのですが・・・どうなんでしょうか?
今の中国人は漢民族なんでしょうか?
2世界@名無史さん:2001/04/01(日) 11:39
何でも良いから民族分布図辞典を開いてください。中国の民族
は漢民族と書いてあります。
3名無し:2001/04/01(日) 22:03
既に他のスレッドで既出ですが、
(1)黄巾の乱などのなどの後漢末の戦乱、及び
(2)八王の乱に始まる西晋末から五胡十六国にかけての戦乱
の2度にわたる大規模な戦乱では、
農業生産がストップして人口の大部分が餓死したために、
それぞれ(公的記録では)人口が10分の1に激減しています。
この時、もとの漢民族を構成する人種はほとんど絶滅し、
現在の華北の人間は、五胡十六国の時代に入植した匈奴・鮮卑などの
北方人種の子孫であるとの説がかなり有力です。
但しこれらの北方人種は唐代には漢民族に同化されており、
現在も、漢民族が華北・華南を含めた中国本土の大部分の
支配的民族であることは言うまでもありません。
4李密:2001/04/01(日) 22:53
まず、漢民族という民族自体がかなりあやふやな物だと言うことです。

春秋戦国時代に争っていた各国は同一民族ではなく、
例えば楚は、周とは全く別の民族でした。
呉越同舟などで有名な越もそうですね。
越は三国時代には孫呉に弾圧されています。

ところが、この範囲を指して漢族と言われるところに
漢民族という民族のあやふやさがあります。

いうなれば漢民族とは
秦の始皇帝以来の中国統一文化圏に土着している(元は土着じゃないので却下)
中国の主要民族、という意味くらいの物なのです。
漢民族自体が他民族だった、という矛盾するような学説が
最近は主流になっているようです(まあ後年また変わるかもしれませんが)
ただ、いわゆる「漢族の文化」というのはありますね。
支配者層によって作られたような面はありますが。

そういう意味では、今の中国人も立派な漢民族だと思います。
ですが、これが秦の始皇帝のころから変わらない民族か、
と言われると様々に混血しているため異なる面も多い、と言えるでしょう。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/02(月) 02:22
言語の観点からはどれくらいのことが言えますか。
シナ語といっても、地域差、特に南北の差が大きすぎてひとつの言語とはみなせないですよね。
南方系シナ語の起源問題はひとまず脇にどけて・・・。
北方シナ語(の祖語)を話す集団は、いつごろ成立し、いつごろ黄河流域の人口の大半を占めるようになったんでしょうか?
北方シナ語自体がそうとう激しく変化してきたから、今となっては研究の手がかりもないのかな?
6世界@名無史さん:2001/04/02(月) 04:51
「民族」をどう考えるか、ってことにもよるかな。古いけど例えばこんな評価もある。

中国の人口が、黄巾の乱以前の水準まで回復するのは、髄が陳を征服して中国再統一したあと、七世紀に入ってからであって、そのころの中国人は、もはや大部分が北アジア系になっており、漢代の中国人の子孫ではなかった。
岡田英弘『倭国』(中公新書1977、p61)
7保田様の下僕:2001/04/02(月) 05:25
シナ諸語中の北方語は、語順がSOV的になってるけど、
侵入異民族が話すようになったピジンシナ語から北方語が生まれた、
と考えればその点の辻褄は合うね。

逆に、広東語とか福建語なんていうのは、
SVO語順の孤立的文法・単音節語の多い声調言語っていう、
もともとからシナ語に似た類型の言語に、
大量の漢語が流入して漢字表記するようになったら、
シナ語になってしまった――という話だよね。

戦乱の華北を逃れて華南に移民した古代漢民族の子孫が客家だから、
古代漢民族の一番正統的な継承者は客家なんじゃないかな。
南蛮や北狄の血が一番薄く、中華の血が一番濃いという意味で。
8世界@名無史さん:2001/04/02(月) 12:40

   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜       /
  川川‖    3  ヽ〜     < 確固たる謝罪と賠償を!
  川川   ∴)д(∴)〜       \________________
  川川      〜 /〜
  川川‖ ブタ 〜 /‖
 川川川川___/‖
   /       \__
  /|  |   サ   __
  | |  |    ヨ
  / |  |_ 童貞
 | \__⊃ 租 珍 1
9世界@名無史さん:2001/04/02(月) 15:57
おもしろい!
10日本@名無史さん:2001/04/02(月) 16:24
つまり今の漢民族ってのは雑種なんだね
11李密:2001/04/02(月) 16:56
>10

ぶっちゃけた話、そうだと思われまする。
12世界@名無史さん:2001/04/02(月) 17:02
ヨーロッパ人=漢民族 のようなもんですな。
13世界@名無史さん:2001/04/02(月) 18:35
>>12
その書き方は誤解を招くような(笑)
なかなか勉強になりました。
14名無しさん@1周年:2001/04/03(火) 14:55
>6
岡田英弘氏の「倭国」は面白いけど大胆すぎるなあ。
その本には、
「古代の日本人は中国語を話していた。
日本語は日本国家のアイデンティティ確立のために作られた
人工語だ」
なんていう妄説が平気で書いている。
まあ確かに華北には北アジア系の人間が
大量に流入したのだろうが。
15世界@名無史さん:2001/04/03(火) 16:37
そりゃ1から10まで全部あたってはいないだろ。

誤りがあるからコイツはエセ学者だとか、1点素晴らしいとこがあったから何でも全部正しいとか、
ってのがおかしい。

別に岡田英弘に限ったことじゃないと思うが?
16名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/04/03(火) 23:26
イタリア人はゲルマン民族だという、どうもおかしいと思って逝ってみたら
やはり、漢民族だった
17not 14:2001/04/03(火) 23:44
>>15
 それはそうだけど、歴史学者の岡田が書いていたから本当だ、という使い方
ができる人ではない。いや、6がそんな使い方で書いていないのはわかってるよ。
186:2001/04/04(水) 04:41
>>14だから
例えばこんな評価もある。
と書いただろ。
俺も彼の『倭人』の中にはあれこれ首を傾げたくなるところあるよ。


196:2001/04/04(水) 04:43
多分1が漢民族は絶滅したのかって聞くのはその辺の話からきてるんじゃないかと思うんだが。
20世界@名無史さん:2001/04/04(水) 18:46
age
21>16:2001/04/06(金) 20:49
それは、スペイン人の話だったような気が・・・「と」話ですが。
22世界@名無史さん:2001/04/15(日) 18:59
aaaaager
23名無しさん@1周年:2001/04/16(月) 19:36
でもね、五胡十六国の乱とかで10分の一に人口が減ったっていうのは、
それ以前に乱世の時代だからちゃんと戸籍をとってなかったとか、徴兵をおそれて
戸籍に載せるための申告を民衆がしなかったという話もあったはず。
24世界@名無史さん:2001/04/16(月) 22:51
23>
10分の1かどうかはともかく華北の人口が激減したのは
間違いないと思う(恐らく250万人以下)。
八王の乱、永嘉の乱と戦乱が20年も続いて
飢饉、虐殺、自然災害、疫病のために中原は荒野となり
「流屍は河に満ち、白骨は地を蔽う」とか
中原のの人口は「百に一、二なし」とか記録されているそうだ。
南方に逃げた流民は三十万戸(三国時代の呉や蜀の人口に匹敵)
と推定されている。


そうだ
25世界@名無史さん:2001/04/17(火) 04:07
age
王朝を滅ぼすのに平民を殺害する必要はないから
27世界@名無史さん:2001/04/21(土) 15:08
試しに荒っぽい計算をしてみると、総人口の一年当たりの減少率が
11%(あるいは、人口の前年比が0.89)という状態が続くと、20年後
には人口は約10分の1になる。
28かきつばた:2001/04/21(土) 17:11
>>26
平民を殺害することを意図的に行う、ということが行われなくとも、各地に割拠する地方軍閥同士が、勢力圏内の装丁を総動員する消耗線を何十年も続けていれば、27氏の試算のように人口は一挙に減少するですよ。
29世界@名無史さん:2001/04/21(土) 18:05
結局減っても、20年は続かねえだろ。
相当減っても、10/1にはならんし、南方には漢民族が移動したって
ことで絶滅等ないってことでいいか。
無論、それ程ではなくてもひどい時代だったことは間違いないが。

30年戦争とかペストでも絶滅まではいかないのよ。人間は。
30世界@名無史さん:2001/04/21(土) 19:01
 男子人口が戦争で20、30%減っても、次世代の子供の数はそれ
ほど変わらないそうだ。と、民族学の太田多良が言っている。対談の
中の発言なので、典拠不明でどこまで信じていいかはわからない。

 世界のあちこちに、人口的災厄に言及した史料はある。人口急回復
があるとみて史料の示す数を信じるか、ないとみて史料を誇張とみる
か。

 漢民族が人口減少したのを認めるとしても、北方民族の人口も少な
かったのも一個の事実だ。人口だけを論拠にするなら、減少の後、北
方民族が増加したという説も、漢民族が増加したという説もどっこい
どっこいだろう。
31日本@名無史さん:2001/04/21(土) 19:33
いや、民族なんて元々、そんなもんじゃん。
純血の日本人だの大和民族だのがいないのと同じだよ。
朝鮮系・中国系・南方系・モンゴル系・アイヌ・日本原住民?など
日本人だって本当はメチャクチャじゃない?
32日本@名無史さん:2001/04/21(土) 19:34
全ての民族はハーフだよ。
33世界@名無史さん:2001/04/21(土) 20:41
相次ぐ戦乱で男子が激減し残った女は後から入って来た北方民族と結婚して
中国人は混血していきましたとさ。
34世界@名無史さん:2001/04/21(土) 23:33
で、文化としてのこといってるのか、人種としてのこといってるのか、
民族というのがもともと曖昧だが。
どっちにしても、文化は絶滅していないし、人種もちょっと混血した
程度だろう。
北方遊牧民がそんなに人口有していたわけ無いし。
35世界@名無史さん:2001/04/22(日) 07:05
現日本人が基本的に北方系渡来人で出来てる事を考えると
漢民族の北方系との混血度が高くないと言えないと思うが?
そんなに漢民族の純血度の高さを信じたいの?

36世界@名無史さん:2001/04/22(日) 11:11
信じる信じないの話にして楽しい?。
いろんな考えを並べるのが楽しいのだよ。
37世界@名無史さん:2001/04/22(日) 11:52
時代は違うが、唐が北方系で、安禄山の反乱のとき失政の玄宗に
正規軍がついていったのは、異民族の安禄山の支配受けるのをい
さぎよしとなかったからからと聞いたけど、コスモポリタンの印
象の唐朝の民族関係わかる人いる?
王朝はじめモンゴロイドなら区別なく受け入れたのか、漢民族が
中心だったのか?
38日本@名無史さん:2001/04/22(日) 12:42
前近代の人口統計(特に少ない数字)は当てにならぬものが多い。
李氏朝鮮政府が1905年に、人口600万と発表したが、
併合直後の日本の統計では1200万となっている。
中国でも太平天国の乱の後億単位で人口が減ったことになっているが、
一般に信用されていない。
広い中国の人口が10分の1になると言うことは、
狩猟採集社会に逆戻りしない限りあり得ない。
戦乱が相次いでも、案外人口が減らないのは、百年戦争時のフランス、近代ベトナム、中華民国をみてもわかる。
戦争が続けば続いたなりに、人間はそれなりに適応するものである。
39世界@名無史さん:2001/04/22(日) 22:47
>>38
でも、30年戦争時、直接戦場にはなっていないスウェーデンの男子人口が激減
し結果食糧生産がガタ落ち、人口が一挙に減ったなんていう例もあるわけで。

失政・虐殺による人口減少も大躍進時の中華人民共和国やポルポト支配時の
カンボジアのような例もあります。

つまり、場合によるとしかいえないでしょう。
40日本@名無史さん:2001/04/22(日) 23:02
>39
そのスウェーデンって、実際どれほど人口が減ったの。
また回復にどれくらい時間を要したの?
教えてくれ。

カンボジアのポルポトは3年しか続かなかったし。
あの大躍進時の中国も1960年に667百万が翌年660百万になったにすぎないからね。
翌年度からはもう増えている。

宋簡単に人口は減らないよ。
41世界@名無史さん:2001/04/22(日) 23:29
>>39
30年戦争を例に出すなら、やはり戦場になったドイツでしょう。
諸説ありますが、1800万人から700万人にまで人口が減った
というのが一般的な模様です。

>>40
でも、その短いポルポト時代に人口の3割に当たる200万人が死亡したんですよ。
42ジョーカー:2001/04/22(日) 23:41
モンゴル人など北方遊牧民族は短頭が多いが、華北人は長頭が多い。
43世界@名無史さん:2001/04/23(月) 02:00
収穫率の高い穀物を栽培し、しかも緊急時には外国からの食糧援助が
ある現代とは異なり、中世は穀物の収穫率は悪く外国からの援助も
ない状態ですから、簡単に飢饉は発生しました。

それだけなら単に人口が増えにくいというだけですが、国土が戦場と
化す場合は
・田畑が利用不能
・人手が不足
・虐殺も起こる
なんていう状態になります。

現代においてすら、ポルポト時代のように鎖国政策を行い、強制
疎開とわけのわからない開発によってまともな農業生産が行われず、
しかも大量虐殺が行われる場合には、短期間にあれほど多くの人が
死んでしまいます。

狩猟・採集が出来るので、そんなには減らないのではないかという
お話がありましたが、狩猟・採集で支えることの出来る人口は農業
で支えることの出来る人口の1/10からせいぜい1/5程度といわれて
います。

しかも、飢饉の場合は当初に食い詰めた大量の難民が収穫をとり
尽くすという事態が発生しますから、数年後は通常よりもはるか
に少ない収穫となり、事態は悲惨を極めます。
44世界@名無史さん:2001/04/23(月) 02:08
30年戦争の場合、ずっと戦争をしつづけたわけではないので
そこまで悲惨にはならなかったとはいえ、近世に入っている
のにも関わらず人口が1/3〜2/3になってしまいました。

中国においては、華北が混乱している場合は華南に逃げるという
選択肢をとることが出来ますが、それでも難民の死亡率の高さは
いうまでもないことです。
45名無しにゃーん:2001/04/23(月) 14:27
今の漢民族は鮮卑
46世界@名無史さん:2001/04/24(火) 03:30
やっぱり異民族と混血したりして人口の回復を図ったんだろう。
47世界@名無史さん:2001/04/24(火) 07:00
最近、歴史人口学とよばれる分野ができで、洗礼記録により直接昔の人口を確定しようと言う動きがでている。
それらの結果によれば、ペストの流行とか、三十年戦争で、ヨーロッパやドイツの人口が半分になったというのは、全く信ずるに足りないと言うことがわかっている。
確かに、流行病がはやることで3年くらいのうちに1割ほど人口が減ることはあり得るが、それ以後は、人類に耐性ができるらしく、あんがい下げ止まる傾向がある。
都市部などは戦乱で人口が減ることはあるが、もちろん農村に避難した部分が多く、消えていなくなったわけではない。
前近代の人口記録は、統治者の住民把握力を意味するものでしかなく、極端な大減少は、たんに、統治力の低下を意味するものでしかないことがわかってきている。
48世界@名無史さん:2001/04/24(火) 10:36
古代には、占領をした側の民族が、占領された側の民族に同化して
しむことがままあります。
というのは、占領した側の男は、よく被征服側の女性に子供を産ま
せるからです。その逆は少ないでしょう。また、騎馬民族が農耕民
族を征服した場合などは、元の民族同士の結婚による子供よりも、
そういう混血の方が多くなります。(単純に、両民族の人口比率が
違うため)
で、生まれた子供を育てるのは、結局生んだ女性ですから、この混
血児は被征服側民族の言葉や習俗を覚えて育つことになるのです。
世代を重ねれば、占領したはずの側がいつの間にか被占領民族と同
化することになるのは当然でしょう。
49世界@名無史さん:2001/04/24(火) 16:57
>>47
中国における人口減少については
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/jinkou996.html
が詳しいです。

新代の動乱により減少した戸籍登録人口が、強力な帝国である
後漢の時代にも回復できなかったことからもわかるように、
単に戸籍に登録できないだけではなく実数がかなり減っていることが
わかります。
50世界@名無史さん:2001/04/25(水) 13:36
50年代の大飢饉でも6000万人餓死してるね
これは別に人口がマルサス的限界を超えたわけではなくて
単なる中共の失政のみ
失政とマルサス的限界の両方が一気にきてしまった古代において
人口の激減がどの程度であったかは想像に難くない。
誰か三国志をその視点から書いてくれる小説家はいないかな。

51世界@名無史さん:2001/04/25(水) 14:18
>>47
>この混血児は被征服側民族の言葉や習俗を覚えて育つことに
なるのです

ここ重要。
>>1は人種と民族混同気味。
前も誰か言ってたっけ?

仮に混血しなくても、言語・習俗に服して受け入れられれば同民族
まぁ、歴史上そんな事例は例外事例だけど。

1の回答、漢民族は絶滅していません。
例えば新潮社の『民族世界地図』によれば、中国人口に漢民族が
占める割合は92%と推計され。

ここで、中国語といっても北方系の言語と南方系の言語では
別言語では、って疑問が出るのは当然。

これは、北方系・南方系併せた漢族とその他の民族を
今、比較したとき、親族の習慣とかの家族の在り方とか
衣食住など習俗の差異が顕著だから、と考えればよい。
52世界@名無史さん:2001/04/25(水) 14:25
>>51
ラスト5行がいまいち意味不明。
53=51:2001/04/25(水) 14:38
>>52
そっかー。スマン。
平たく言なおそう。

北方系漢族と南方系漢族の違い
よりも北方・南方併せた漢族と中国国内少数民族との違い
の方が顕著だってこと。

その違いは言語より、習俗の面で顕著。

ただし、それは今現在の比較であって。
古代には、北方系の人と南方系の人との民族的違いは
今よりもっと大きかったことは充分考えられる。

ま、こんなとこ。
5452:2001/04/25(水) 15:13
なるほど。無難な線ですね。ちょっと刺激不足だけど、意味はよくわかりました。サンクス
(主旨には基本的に賛成です)
5549:2001/04/26(木) 01:46
あ、書き忘れていた。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/jinkou996.html
にも書いてあることなのですが、戦乱による直接的な死者だけではなく、
戦乱が長期にわたる場合は乳幼児死亡率の増大と出生率の減少とが効いて
くるようです。
56世界@名無史さん:2001/04/26(木) 04:08
だいたい、30年戦争の頃、ドイツに当初1800万人いたというけど、
それはどのエリアだったのだろう。今のドイツの範囲にいたのかな?
当時欧州最大の人口保有国はフランスだったと思うけど?(17世紀初頭)
57世界@名無史さん:2001/04/26(木) 22:20
1、絶滅などはありえなかった。
2、ただ、子供が残らない状況、
・作れない
・安全な環境でないから幼いころ病気でやられる、
・今までの耕地を捨てて逃げている
 状況が続くなら人口1/2ぐらいはあった。
3、それ以上の減少とかいうのは政府の統計逃れた分にすぎない。
58名無しさん@一周年:2001/04/27(金) 12:12
記録では後漢盛期の戸籍登録人口の5千6百万人が
三国時代初期には三国合わせて約五百万人に
激減したとのことである。
三国はそれぞれかなりの統治能力があったので
極端な統計漏れは想定しにくく、
実際に人口が少なくとも5分の1以下になっていたと考えられる。

欧州に比べ中国はずっと集約された農業により
多くの人口を支えているので、
内乱が続き、
農民の徴用、流民化、流民・軍隊による略奪、
農地の荒廃、の悪循環により農作物が得られなくなると
欧州よりはるかに悲惨な状況が発生したと思われる。
欧州では中国ほど多量の難民の発生は見られない。
59世界@名無史さん:2001/04/27(金) 13:17
民族って何をもってして民族なんですか?
純潔の漢民族は、もういないんじゃないの?
60世界@名無史さん:2001/04/27(金) 13:59
>>59
民族と純潔は関係ありません。
民族と人種は別概念だからです。
民族と純潔を結び付ける考えは政治的なプロパガンダと考えた方がよいです。

民族とは、ベーシックには言語・習俗に同質性が認められ、かつ主観的にも
自分達が同じ文化に属すると了解しあっている人々の人間集団とされています。
辞書類にもそうした記述があるはずです。

言語・習俗の他に民族の目安に宗教を入れる場合もあります。
これはこれで重要なのですが、宗教について考え出すと民族の分類も
複雑化します。緻密な分類も可能になって来ますが、その分分析にも
いくつもの前提が必要になります。

さしあたり、ベーシックに、親族習慣、家族制度(習慣)、葬送儀礼
などを習俗に含めて考えるとよいでしょう。

さらに、生業や衣食住の習慣、男女分業、子供の育成などを総合して
基層文化を考えることもあります。
この辺になるとやや学術的なお話になってきます。
また、欧米式の近代化を受けた社会では「基層文化」を見分けるのに
それなりの観点と方法が必要になります。

ですので、とりあえず、言語と習俗の同質性が高い集団を民族とみなす
あたりが一般的な通念になります。
61=60:2001/04/27(金) 14:04
何をもって民族とみなすか、について考えるなら、例えば文庫本で
次の本などがお勧めできます。
一般向けに書かれた本ですしハンディです。

山内昌之『民族問題入門』中公文庫
ISBN4-12-202537-0
62世界@名無史さん:2001/04/27(金) 15:20
>>60-61
硬いな(ワラ

>>59
大まかな話をするな。

犬がいるな。これは生物種。
犬の種類は、まー人種みたいなもんだ。
チワワとかブルドッグとかマルチーズとかな。

で、それと別に、猟犬とか座敷犬とか番犬とか、野良犬って
区別の仕方があるな。
こっちが民族みたいなもんだ。
>>60-61 が言おうとしてるのは、まーそゆーこと。

大雑把で乱暴なたとえ話だからな。
そこんとこは気をつけてくれい。

人種と民族は別種の分類方法なんだよ。

実際には、ある民族が同じような人種の集まりってこともある。
だからよく混同される。
63世界@名無史さん:2001/04/27(金) 15:32
中公の世界歴史シリーズの中では、前漢と後漢の県の違いが紹介され
ていた。
 後漢に消滅した県は中国北辺に偏り、それは戦国時代以降の新開地
である。そこは思うに、政府による灌漑等のおかげで耕地として機能
できるところであり、戦乱によって公共機能が衰えると放棄されてし
まったのだ、と。
64世界@名無史さん:2001/04/28(土) 23:52
国政調査でも実数は違います。
65世界@名無史さん:2001/04/30(月) 19:36
つうか税金とるための古代中世の統計で人口そんなに信頼できるのか。
水滸伝じゃないが、中国は役人の統制はなれた集団がかなりあって、
それでほっといて問題ないいいかげんな官僚支配だったと思うが。
66カンボジアの場合。:2001/04/30(月) 22:18
1972年の統計では749万人を数えたが1981年には683万人になっている。
これはもちろん大きな減少であるけれども、あの前代未聞の虐殺行為を経た割には減っていないのである。
前近代の統計は当てにならぬのは、前のカキコミにもあるとおりで、1851年に4億3千万を数えた中国の人口が、
1860年には2億8千万しかないことになっていたというのがその典型である。
その後も清朝の人口は3億前後を低迷していたが、もちろん信ずべきではない。
三国志に現れている人口も、編者の誤解の基づく可能性があり、これをもとに10分の1だの
5分の1だの担ったなどと軽々しく論じるのは学問的ではない。
印象だけで論じれば大躍進やポルポト政権下で人口が10分の1になってもおかしくないが、
われわれは近代的なセンサスによってそうではないことをデータによって知ることができる。
同じようなことは三国時代の「人口急減」にもいえる。
67世界@名無史さん:2001/04/30(月) 22:29
とにかく、中世ヨーロッパのペスト流行による人口半減が「ウソ」であることは実証されている。
この手の話は大げさになりやすいから注意が必要。
68世界@名無史さん:2001/06/12(火) 05:16
でもあたかも半減したかのような精神的ショックをヨーロッパ人に与えたことは事実で、
このことが客観的事実よりも重要だろうが。
69世界@名無史さん:2001/06/12(火) 12:29
>>65
三国志時代に中国の人口が激減したとされるのは、豪族の傘下にある等で三国の政府の戸籍に名を残さない人が激増したためと言われています。
70ななし:2001/06/12(火) 12:43
>>69
それ以後、唐の時代になっても人口がなかなか回復
できなかったのはなぜ?
71世界@名無史さん:2001/06/12(火) 12:48
>>70
貴族や地方軍閥といった半独立勢力が三国時代から唐前期まで各地にはびこっていて、やっと国家に取り込めたと思ったら安史の乱で再び地方に軍閥が生まれたからです。
72世界@名無史さん:2001/06/12(火) 12:57
>>67-68
南京大虐殺について、
当時3万人しかいない都市で30万人が殺されたとかいう話もありましたね。
未だにそれを信じているお馬鹿さんもたくさんいるようだけど。
73世界@名無史さん:2001/06/12(火) 13:04
三国時代の終わりは263年、安史の乱は755年だから、この間ざっと500年
74世界@名無史さん:2001/06/12(火) 21:06
>>73
三国時代から唐初期までは「貴族時代」と呼ばれていました。
貴族といっても、宮廷のサロンで大きな顔をしていたというよりも、もっと端的に言えば地方豪族です。
>>71のように、彼らは時の政権を認めるものの一方で半独立を保ち、唐の太宗の頃にようやく衰弱化します。
しかし唐の中期からは節度使という形の軍閥が起こり、これは宋による再統一まで節度使が大きな顔をします。
宋は外敵には弱かったものの、こういう部分では評価できる王朝です。
75世界@名無史さん:2001/06/13(水) 04:06
>>69
あやめもそれ言ってたけど、厳密に検証された説じゃないよ。
印象論以上のことはまだ誰もいってない。(宮崎市定も)
76世界@名無史さん:2001/06/13(水) 17:51
>>75
そうなんだろうけど、検証はどうやってやるんだろう?
例えば三国志時代の初頭に董卓が洛陽市民百万人を長安へ強制移住させたとかいう話もあるけど、その後はどうなったの?
77世界@名無史さん:2001/06/13(水) 22:40
過去ログ見ても清の時代でも、結構いい加減なんだから、中央集権ではない
貴族が皇帝と人民の間に入った三国から唐は話半分じゃないの。
78世界@名無史さん:2001/06/14(木) 08:21
中国では数を極端に誇張するという民族性(「民族」の語は不適切か?)があります。
79世界@名無史さん:2001/06/14(木) 08:27
ほとんどちゃちゃかもしれないけど、今でも戸籍統計って厳密には取りづらいでしょ。
アメリカですら国勢調査は10年に一度だし。
ましてや、王朝が栄えた時代の中国だったら漏れ漏れになると思う。
80世界@名無史さん:2001/06/14(木) 08:57
>>78
戸籍は税の基礎だから、大きくなったりはしないよ。
みんな少なく申告しようと努力する。
81世界@名無史さん:2001/06/16(土) 14:08
>>72
三万人?三十万人虐殺説級の馬鹿かお前は?
82ゲーリング@元帥:2001/06/16(土) 14:54
>>80
ちなみに戸籍の本質は徴兵名簿。
83世界@名無史さん:2001/06/16(土) 16:19
南朝の滅亡で純支那民族は滅亡してるよ
84世界@名無史さん:2001/06/16(土) 19:03
>>83
赤点。
民族の使い方が間違ってます。
このスレですらガイシュツ。

「民族」の意味をちゃんと理解してから出直すように。
85世界@名無史さん:2001/06/16(土) 20:22
「支那民族」なんて聞いたことないぞ。
支那に居住してる民族の総称だとすれば漢民族以外にもいくつかの小数民族も含むことになるし。
86世界@名無史さん:2001/06/16(土) 21:48
>>81
激しく同意。
>>72
ちゃんと勉強しろ。そんなんじゃコヴぁゃιぃ信者より程度が低いぞ!
87世界@名無史さん:2001/06/16(土) 23:18
>>4の説が正しい場合
今の漢族は漢代の漢族では血統的に継承者ではないはずだから
唐民族とか宋民族というべきではないか?
88世界@名無史さん:2001/06/17(日) 18:06
つーかあんな広いとこは混血しまくりです。
最初は単一に近い混血だったんだろうけどあれだけ戦闘を繰り返していれば…。
日本人は最初は混血に近かったと思うが島国だったから単一なのかもね。
89世界@名無史さん:2001/06/17(日) 18:14
>>87
「民族」の概念について、まず国語辞書をひいて、
それから専門的な歴史学と民族学の辞書を引いてみたら?

民俗と血統は必然的関係はないのよ。(>>47>>51>>60-62)
漢民族ってゆーのは、漢族の文化伝統を継承していて、
かつ、自分たちが漢民族だって自覚を持ってる人々の社会集団なのね。

ついでのこのスレも参照にしてちょーだい。

民俗学・神話学板>「民族って、な〜に?」≫
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=min&key=980250373
90世界@名無史さん:2001/06/17(日) 18:57
すると支那民族もあると思われ
91世界@名無史さん:2001/06/17(日) 19:02
>>90
「支那」は、当事者達が呼称として拒否してるから、学問的にも政治的にも正しくないです。
イヌイットのことをエスキモー、アメリカン・ネイティヴのことをインディアンと呼ぶようなものです。
92世界@名無史さん:2001/06/17(日) 19:15
>>91
でも、ビルマ人をミャンマー人というのには抵抗あるでしょ。
93世界@名無史さん:2001/06/17(日) 19:44
>>92
なんで?
ミャンマーは国名だから、ミャンマー人は国籍じゃん。

アメリカ人なんて民族がいないのと一緒。
イスラエル人とユダヤ民族が別概念なのと一緒。

なんでミャンマー人って言うのに、抵抗あるの?
あるわけないです。
94:2001/06/17(日) 21:11
t
95世界@名無史さん:2001/06/17(日) 21:41
>>93 は「ビルマ」が「ミャンマー」と名称変更したという
ことすら認識できていない模様。なぜ変更したのかとかいう
ことを議論する以前だな、こいつは。
96世界@名無史さん:2001/06/17(日) 21:41
>>89
うるさいなー。小娘のくせに。
97世界@名無史さん:2001/06/17(日) 21:48
くすくす
>>95
>>96
ほら出た、理屈が続けるの面倒になると議論放棄。
おまけにヤッちゃんみたいにすごんだりして。
あーやだやだ(ワラ

民族と国籍と人種と区別をきちんとして、話しなさい、って
基本で大事なこと言ってるだけでしょ。
98世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:18
「日本人」といえば日本国籍を有する人を言うことが多い。
民族の場合は「大和民族」か?
99世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:20
漢民族については、
@どこからどこまでが「中国」なのかの議論が一つ、
A「民族」が血統によるものか文明化によるものかの議論が一つ、
Bいつをもって「漢民族」が成立したかの議論が一つ、
そういった議論が必要。
100世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:22
「ビルマの竪琴」は「ミャンマーの竪琴」ってか?
101世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:34
ミャンマーってビルマ族(ミャンマー連邦の主要民族)の自称名だよ。
「フィンランド」と「スオミ」の違いみたいなもんでは。
102世界@名無史さん:2001/06/18(月) 13:35
軍事政権が勝手にミャンマーと改称したのであって
アウンサン・スー・チーに代表される反政府側は
ビルマと呼称して下さいと国際社会に呼びかけているよ。
103世界@名無史さん:2001/06/18(月) 13:37
>>91
では貴様はジャパンと他国民が呼称するのになぜ反対しないのだ。
104世界@名無史さん:2001/06/18(月) 13:38
「日本人」といえば日本国籍を有する人を言うことが多い。
民族の場合は「大和民族」か?

ザイチョソやアイヌ人はヤマト民族ではありません。
105世界@名無史さん:2001/06/18(月) 15:16
>>103
アタシですか?

アタシは個人は、自分については、NIPPONN-jinって自称しますけど(?)

外国からの人と接するときはJapaneaseは一度は訂正させていただきます。
language of nipponnとかね。
後は、その場の成り行きよね。時間とか、どの程度込み入ったお話をするか、とか。
外国からの方、大体は、その場は、併せてくれますけど。

真面目に反対するなら、まず自国政府にJAPANの呼称に抗議するよう
働きかけるのが筋でしょ。
でも、アタシは一人でそこまですんのはメンドクサイからしてません。
そんだけ。
106世界@名無史さん:2001/06/18(月) 15:50
それでは向うが反対するまではエスキモーやインディアンと
呼称して良いわけだな。
つーか定着しているだろう。
シナ人
チョン
インディアン
エスキモー
いずれも問題無し。
日本の伝統的な呼び方だ何が悪いってなものだ。
いちいちイギリスを正式名称で呼ぶがウザイのと変わらん。
107世界@名無史さん:2001/06/18(月) 15:51
エスキモーがいかんのなら
あいすクリーム会社に抗議して来い!!
108世界@名無史さん:2001/06/18(月) 17:17
だからシナはとっくに反対が表明されてるんだよ。
チョンも、インディアンもな、とっくに表明されてんの。

エスキモーは微妙でな。
イヌイットはエスキモーと呼ぶなって言ってる。
これはいいんだけど。
イヌイットはエスカリュート語族の一支族なのな。
「エスカリュート系⊃イヌイット」であって
「エスカリュート=イヌイット」ではない。
109世界@名無史さん:2001/06/18(月) 17:21
ってゆーか。

>>87
>今の漢族は漢代の漢族では血統的に継承者ではないはずだから
>唐民族とか宋民族というべきではないか?

がナンセンスって話があって。
漢民族って定着してるし自称されてる歴史用語を支那民族って
わざわざ言いかえる必要性も皆無ってお話なんですけど(ワラ
110世界@名無史さん:2001/06/18(月) 17:25
シナが反対しようとエスキモーが反対しようと
チョソもインディアンも反対しようと関係無い。
通称なんだよ!!
111世界@名無史さん:2001/06/18(月) 17:38
通称は用語としては、間違ってることも多いわよね(ワラ

だいたいそれを言ったら「漢民族」の方は、通称としても定着してるわよ。
その辺の歴史書をみたんさいな。
112世界@名無史さん:2001/06/18(月) 18:20
漢民族なるものは血統は絶えているのに中国5千年は不適当。
隋、唐時代から数えなおすべきで実際は日本より歴史が無い事に
気づくべきである!!
113世界@名無史さん:2001/06/18(月) 18:30
>>112
もー、ホントに日本語知らないバカに限って
一つ覚えね。あきれちゃうわ。

だーかーら、せめて、辞書読んでから書きなさいって。

みん‐ぞく【民族】
(nation) 文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、
同属意識をもつ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有するこ
とが重要視され、また宗教や生業形態が民族的な伝統となること
も多い。社会生活の基本的な構成単位であるが、一定の地域内に
住むとは限らず、複数の民族が共存する社会も多い。また、人種・
国民の範囲とも必ずしも一致しない。

これだって、一般的日常語の用法でね、歴史学的には曖昧
(NationalityとEthnicityの混同)はあるんだけどね、
それでも、民族と血統は関係ないの。

いい加減に覚えなさい。
114世界@名無史さん:2001/06/18(月) 18:31
孔子の先祖は春秋宋の公室に繋がり、その先祖は成湯に至る。
そして孔子の子孫は文字通り腐るほどに、曲阜に十万人以上いるとか。
日本で有名な孔健は75代の子孫とか。
また三国志で有名な諸葛孔明の子孫も現存しているとのこと。
115世界@名無史さん:2001/06/18(月) 19:05
日本では皇紀があり昔から人知られており文化の伝統を共有されています。
つまり
ヤマト民族は2600年の歴史があると誇って良いわけですね
>>113

116世界@名無史さん:2001/06/18(月) 19:06
ちなみに>>113はシナ人の疑いがある。
117113:2001/06/18(月) 19:18
>>115
2600年は無理くさいのではないですかぁ。

紀記が整えられたのは、7〜8世紀ですから
1400〜1300年。
大目に見積もっても、1700年くらいが学問的限度でしょ。

もし、日本文化に2600年の共有を言うなら。
漢民族の方には、5000年くらいを認めないとイーブンじゃなくなっちゃいますねぇ。

そりゃウザッタイわ(ワラ
118世界@名無史さん:2001/06/18(月) 19:33
文化の基本は食事だよね。
現代中国人が書いた料理の歴史書が翻訳されてるけど、
宋代の料理書の内容を再現したら日本料理みたいなのが出来たとさ。
今の中華料理は元〜明の頃に形成されたんだよね。
中国五千年はいかがわしい。
119世界@名無史さん:2001/06/18(月) 19:40
宋代の料理書の内容を再現したら日本料理みたいなのが出来たとさ。

中華料理の起源は日本ということでよろしいか?
120世界@名無史さん:2001/06/18(月) 19:56
つーか日本は原始的なまま文化を保持したってとこがいいとこなんじゃないの?
料理にかんしては。
121世界@名無史さん:2001/06/18(月) 20:07
>>118
文化の基本は親族制度(慣習)。
伝統中国の親族制度は、宗族制。
122世界@名無史さん:2001/06/19(火) 03:48
>>91国際的にいえば学問的にはシナが正しい。中国などは現在の国名の略称にすぎない。
123世界@名無史さん:2001/06/19(火) 03:54
>>121
言語、文字も文化の基本ですね。
124アマノウヅメ:2001/06/19(火) 04:17
>>115
専攻上、文献はかなり読んだけど皇紀はあまり使われてませんよ。
干支か元号がほとんど。
明治以前は学者が知ってたという程度じゃないですか。
125世界@名無史さん:2001/06/19(火) 04:35
皇紀って明治か幕末にキリスト教紀元に影響されて作ったんじゃないの?
126アマノウヅメ:2001/06/19(火) 06:44
国学者で皇紀を使う人がいるから、やはり起源は記紀でしょう。
127世界@名無史さん:2001/06/19(火) 10:03
結論

日本は2600年の歴史がある
無論血統的に続いている。
実質何度も耐えたシナより日本の方が古い
シナが学問的に正しい。シナ人の主張は却下。
ということでよろしいですね。
シナ料理は日本起源。
シナは日本の料理をパクるな!
ということでよろしいな!


128世界@名無史さん:2001/06/19(火) 10:17
煽るでねぇぞ。(微苦笑
129考える名無しさん:2001/06/19(火) 10:30
こーゆー下らない書込は世界史板の汚点ね「>>127
ぜんぜんよろしくなわいよ。
130129:2001/06/19(火) 10:38
>>127
>日本は2600年の歴史がある

この場合の「日本」は、国家のことか民族のことか明確にしなさい。

>無論血統的に続いている。

国家も民族も血統とは無関係です。
血統を問題にするのは神話であって、歴史ではない。

>実質何度も耐えたシナより日本の方が古い
この場合の「中国(シナ)」が国家のことか民族のことか明確にしなさい。

>シナが学問的に正しい。シナ人の主張は却下。
学問習慣としても政治習慣としても認められません。

以上。
131世界@名無史さん:2001/06/19(火) 12:53
130はシナ人
132世界@名無史さん:2001/06/19(火) 12:55
お前が認めなくてもみんな使うよ。
さあシナ人ということばを2chで定着させようか!

同時にこれから西暦でなく皇紀で表記するように運動しよう!
日本の歴史は2600年!
素晴らしい日本を今こそ語るべきだ!
133世界@名無史さん:2001/06/19(火) 13:27
ちょんみたいにかなり後代の歴史書しか残ってないのに
半万年の歴史とか言うよりはマシかな。
134世界@名無史さん:2001/06/19(火) 13:47
クスクス、ほんっとに、ダダッ子と一緒ね(ワラ

日本に2600年の歴史認めたら
中国には5000年、イランなんか6000年の歴史認めなきゃいけないでしょ。
まだまだあるわよ。

そんなのめんどくさくってしょうがないわ。
1700年くらいでガマンなさい(ワラ
135世界@名無史さん:2001/06/19(火) 13:54
かってに1700年と決めるなよ
みたんか?
日本は古代から2600年と決まっておる!
136世界@名無史さん:2001/06/19(火) 13:58
連中はシナ人、シナ国家で正しい。
固有の文化、固有の血統を保持している日本人はあらゆる意味で
2600年続いている。
連中は血統が絶えている。文化も唐や隋以前とそれ以降では
大きく異なるはず。
漢代からどれだけたっているとおもっているんや?

漢人がずーとつづいているというファンタジーで漢民族というのが
ありならローマ帝国の子孫と自称するチョソが
ローマ人だというのもありなんだな。
んわわけねーだろ。
連中は伝説と妄想に過ぎない。

日本は違うのだ!血統もただしけりゃ伝統もある
あらゆる意味で皇紀2600年を主張できる!!
137世界@名無史さん:2001/06/19(火) 13:58
>>135
日本史板でやってね。せめて、世界史板は電波から防ぎたいし。
138世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:00
今年は皇紀2661年!
日本国内で正しく使おう!!
139世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:04
>>137はシナ人かブサヨク
140世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:10
>日本は違うのだ!血統もただしけりゃ伝統もある

神話ですからファンタジーです。
141世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:13
ばかもの!
神武天皇スレがちゃんとあるだろう!
神武は実在したのだ!
当然神武以前にも人々は暮らしていた
ゆえに2600年!
142世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:15
そんなこと言えば2600年じゃ短すぎるじゃないか。
143世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:17
じゃあ4000年
144日本@名無史さん:2001/06/19(火) 14:19
>神武は実在したのだ!

みたんか?(藁
145世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:22
えーかんげにせーよ、おめーら。

漢民族って絶滅したの?
の話題と関係ねー話ばっかしやがって。
146世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:27
結論

漢民族はいったん滅びシナ民族という
異なる連中ができたのです。


日本人は古代からずっっといるので
連続して続いています。
つまり歴史が本当に古い。
皇紀は正しかったという事で
結審したいと思います。
147世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:30
いくら厨房だって言っても、
あんまりバカなこと書かれるとな。
世界史板の汚点とはよく言った(藁

中国の文明は連続してる。
だから漢民族は連続してる。

皇紀が正しい云々は世界史板では通用しない。
日本史板か宗教板でやってくれ。
(電波板でもいいぞ)
148世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:34
もーメンドクさくなってきたわ(ワラ
皇紀がどーこー言うくらいなら、ちゃんとした日本語くらい覚えなさい。

>113 名前:世界@名無史さん 投稿日:2001/06/18(月) 18:30
>もー、ホントに日本語知らないバカに限って
>一つ覚えね。あきれちゃうわ。

>だーかーら、せめて、辞書読んでから書きなさいって。

>みん‐ぞく【民族】
>(nation) 文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、
>同属意識をもつ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有するこ
>とが重要視され、また宗教や生業形態が民族的な伝統となること
>も多い。社会生活の基本的な構成単位であるが、一定の地域内に
>住むとは限らず、複数の民族が共存する社会も多い。また、人種・
>国民の範囲とも必ずしも一致しない。

>これだって、一般的日常語の用法でね、歴史学的には曖昧
>(NationalityとEthnicityの混同)はあるんだけどね、
>それでも、民族と血統は関係ないの。

>いい加減に覚えなさい。
149世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:38
皇紀ってほんとのとこ、いつからあるの?
150世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:39
>>149
そーゆーのは日本史板で頼むよ。
マヂで。
151世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:39
2661年前。
152世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:45
どこが連続しているのだ
シナは晋でいったん滅亡して中原は胡賊の国ばかりになった
隋、唐でよくやく統一したがタクバツ氏の係累だから
胡人王朝である事は明白。支配下の民衆はみんな混血しておるではないか
文化も全然ちがっているはずだ。
その後の宋も領土はかなりちいさく胡人たちがほとんどの地域で混血
しておる。
元も色目人と混血し、文化が多数混入済み。
なんと晋から明にいたるまで千年以上経過しておる!
もはや漢族というのはいない
連中は漢族ではなく、まったく別のシナ族ともいうべき
アイの子民族になったのだ!!
153世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:47
>>152 のようなキチガイは放置ね。
154世界@名無史さん:2001/06/19(火) 14:49
このスレタイトルからしてデムパ刺激性強すぎたんだな。
155世界@名無史さん:2001/06/19(火) 15:55
漢民族がアイの子なら
我ら日本民族なんか、縄文系、弥生系、南洋系のミツの子だって(藁
156世界@名無史さん:2001/06/19(火) 16:02
日本人はすでに2600年経過しています。
独自の民族です。
157世界@名無史さん:2001/06/19(火) 16:32
民族が人間集団の文化的概念だということからして厳密な限定に無理がありそう。例えば日本語がネーティブの2世、3世の在日韓国人は言語という定義からは韓国人とはいえないしかといって彼らのアイデンティティーからすれば日本人ともいえない。しいていえば在日韓国人というエスニックグループだということになるが、あまりそうやって細分化していっていいものかどうかということもある。
158世界@名無史さん:2001/06/19(火) 16:40
日本民族、別に2600年前に混血が終了したわけじゃないしな。
雑種文化の方が強いんだって。
159世界@名無史さん:2001/06/19(火) 18:47
>>152は支配者層のことを言いたいのだろうけど、
例えば南北朝のきっかけをつくった晋の八王の乱の直後に中華へ侵攻した劉曜についても、
南勾奴は血統自体は勾奴であったもののそれまでの中華人との混血も進んでおり、
文化面でも後漢王朝や魏晋との友好を通じ中華の影響を色濃く受けており、
そういったものを漢民族と分けて語れるものかどうか、
彼らを漢民族と分けて考えるのなら商王朝や周王朝や秦王朝はどうなのか、
また春秋の楚はどうなのか、
そして南朝は「胡族」との混合が比較的少なかったことについてはどうなのか、
それも併せて論じないといけない。
160世界@名無史さん:2001/06/19(火) 18:56
宋時代そ中原しか確保しておらず遼金西夏越などが勃興して
数多く中原のメスに闖入されておる
当然滅亡時にはモンゴル人に多数強姦されておる。
もはや晋から宋からはては清に至るまで何十回も胡族に
強姦されて子を産んだかわからぬ純粋な漢族などファンタジーに
すぎぬ。
習慣、習俗も当然胡人の風俗が多数入りもはや漢族とはいえぬ
やつらは当然自覚しておるが中華何千年と僭称し、中原の民で
あると捏造したわけである。中華民族という虚構はありえない。
シナに住むシナ族と呼ぶべきである!
何が世界の中心か!
お前達は世界の中心っではなくシナ国のシナ人だ!
多数賛同者多し!
161世界@名無史さん:2001/06/19(火) 20:38
だからもう純支那民族は絶滅してるって
162考える名無しさん:2001/06/19(火) 20:42
民族に純粋もへったくれもないんだけどね。
言ってもわかんないんだろうね。

誰も漢民族が純粋だとか、そーゆーことは問題にしてないんですが。

>多数賛同者多し! (プッ

163世界@名無史さん:2001/06/19(火) 21:43
やだわ、この手の誇大妄想狂が多数いたら。
うっとーしくって(ワラ
164自転車小僧:2001/06/20(水) 00:01
いや〜。
皇紀2661年ですか。本当に。
ちゃんと『日本書紀』や『古事記』読んでます?
安康天皇までは100歳以上の天皇がバカスカいるのに
それ以降はなんで長命でも80歳くらいまでしか生きら
れなかったんでしょうかね。
中国の史書で皇帝の年齢見ると100歳まで生きた皇帝て
まずいない。
民族が入れ替わったとかあるけども年齢に関しては
日本の方が"白髪三千丈"じゃないかな?

本題
漢民族は絶滅していません。周辺の民族と同化して
繁栄してます。鮮卑も満洲も漢族に同化されてしま
って、漢語を話す集団を漢族と定義するのが一般的
じゃないかな。
黄巾の乱、永嘉の大乱などで人口の大幅な減少はあ
ったかもしれないが、絶滅したわけじゃない。
前の方にもある通り結構早く人口は回復するし、隋
唐が鮮卑、元が蒙古、清が満洲など異民族政権は多
いけど、実際かの地に生きた人々の中には漢族の方
が多かった。支配民族と被支配民族が入れ替わるの
は民族の絶滅ではないでしょう。
ヨーロッパでオーストリア帝国の中にマジャール人
もポーランド人もいたわけで、全部がゲルマン人じ
ゃなかったというのと同じ理屈。

それより危険なのは、中国政府の御用学者が、漢族
を始めとし、トルコ系、モンゴル系、チベット系の
民族いっさいがっさいを含めた祖民族、中華民族と
か華夏民族というのを作ろうとしていること。
これは旧ソ連のソビエト民族やトルコのテュルク民
族とも共通する危険な民族論だと思う。

民族に純粋を求めると、ちょび髭の親父がライン川
越えてやってくるよ。
165名無しさん:2001/06/20(水) 00:10
漢語の祖語みたいな言語を話す連中は、いつから中原の支配者になったんだろう。
黄河文明の発生以来ずっとそうだったのかな?
案外、黄河文明を築いたのは別系統の民族で、漢民族の祖先は被支配民族だったんでは?
166世界@名無史さん:2001/06/20(水) 00:17
昔の人はストレスが無いから長生きだったんだよ!
167世界@名無史さん:2001/06/20(水) 00:20
もしくは古代日本では暦の数え方が異なった。
安康天皇以降は一年の暦が長くなった。
一年365日になったのは明治になってからだ。
古墳以前はどんな暦だったのか
誰か完全にわかる奴がいるのか?
168世界@名無史さん:2001/06/20(水) 06:14
>古墳以前はどんな暦だったのか
>誰か完全にわかる奴がいるのか?

わかんないことを断定するのが神話だっつーの。
わかんないことは「今はわかんないね」、ってしとくのが学問。

>もしくは古代日本では暦の数え方が異なった。
>安康天皇以降は一年の暦が長くなった。
ここまで来るとデンパまで後一歩だな。
169世界@名無史さん:2001/06/20(水) 12:37
>>164は脳みそ腐ってなあい?
170世界@名無史さん:2001/06/20(水) 12:42
別に全然まともだよ。
脳ミソ腐ってるのは>>162
171世界@名無史さん:2001/06/20(水) 16:56
>>170
おまえがな。
172世界@名無史さん:2001/06/20(水) 17:01
実際、古代日本が一年365日と考えるほうが無理がある。
天皇の歳が100歳越すケースが多いのはその時代の
暦が単純にちがうからだよ。
そして安康天皇以降はまた一年の日数が変わっていって
次第に太陰暦に近づいたんだよ。
なんらおかしいところはないね。
173世界@名無史さん:2001/06/20(水) 17:04
>>172
古代の暦が何日だか証拠だして言えな。

ってゆーか、古代日本の話は日本史板でやれ。
174世界@名無史さん:2001/06/20(水) 17:32
聖書の登場人物から1年の単位を考える。
最初の頃は1000歳くらいで死ぬ。
これは新月→満月または満月→新月が1年。
やや時代が下ると500歳くらいで死ぬ。
これは新月から次の新月までが1年。
更に時代が下ると100歳くらいで死ぬ。
これは冬至→夏至または夏至→冬至が1年。
キリストの頃になると50歳くらいで死ぬ。
これは冬至から次の冬至までが1年。
175世界@名無史さん:2001/06/20(水) 18:02
すごい。
ファンダメンタリストのデンパだ(藁
(しかも漢民族とかんけーねーし)
176自転車小僧:2001/06/24(日) 02:44
>172
全て太陽暦に換算した年齢です。
太陰太陽暦だと神武天皇は200歳近くなります。

古代日本には倍年説という、半年で1年とする
考えがあったのは事実です。
しかしそうすると皇紀2661年が700〜800年短く
なってやはり皇紀2661年=2661年にはなりません。
皇紀支持者もファンダメンタリストももっと勉強
しましょう。

>165
漢語の祖語を話した集団自体が東方の殷と西方の
周の混血と考えられています。
2を神聖視する殷と5を神聖視する周が互いの文化
を融合させ陰陽五行説が生まれたと言われていま
す。
周はもともと殷に支配されていた民族ですが、後
に支配民族となっています。
ですので言われていることはあながち間違いでは
無いですが、どこから漢民族と言うかが難しい所
です。
もともと漢とは漢王朝を建てた劉邦の出身地、現在
の安徽省の一地方名ですから、漢民族と言う概念は
それ以降でしょう。それ以前の楚、呉、趙と言った
戦国の諸国に同一の民族意識があったかと言うと、
『詩経』、『春秋』や『国語』など見る限りでは非
常に希薄で地域意識の方が強かったと思われます。
177世界@名無史さん:2001/06/24(日) 09:24
>>176
>漢とは漢王朝を建てた劉邦の出身地、現在
>の安徽省の一地方名ですから、漢民族と言う概念は
>それ以降でしょう。それ以前の楚、呉、趙と言った
>戦国の諸国に同一の民族意識があったかと言うと、
>『詩経』、『春秋』や『国語』など見る限りでは非
>常に希薄で地域意識の方が強かったと思われます

そんなこたぁない。
周の礼学を尊重しようって方向はあるし、史書の記述スタイルの
ベースが『史記』に置かれるようになって、わかりづっらくなって
るだけ。
楚、越、呉、秦、燕、などなどの地域的独自文化の自覚はあったよ。
地域的独自文化の自覚、すなわち民族性だよね。
もうひとつ忘れちゃいけないのは、伝統中国独自の宗族制、
これも地域的民族性を強化する方向に作用する要素だよね。

「今あるような漢民族の形成」が、漢朝以降。
これは頷ける。
しかし、漢族って概念は同時代人の間にも周の頃にはすでに
観られた。
178自転車小僧:2001/06/25(月) 01:34
>177
んだ。
夏族とか黄帝の子孫とか中華と言う意識は
周の頃には確かにあった。
その反面、呉や楚や越、秦などを蛮族扱いも
している。特に楚は中原の周に対抗しようと
する意識は強かったようだ。
179アマノウヅメ:2001/06/25(月) 02:12
>>176
倍年説はまだ定説にはなっていないはずですが?
180世界@名無史さん:2001/06/25(月) 03:55
全て太陽暦に換算した年齢です。
太陰太陽暦だと神武天皇は200歳近くなります。

ソースどこ?
181世界@名無史さん:2001/06/26(火) 04:48
>179
確かに定説ではありません。そういう考えも
あるのは事実と書いただけです。
>180
『日本書紀』の干支による年代表記から逆算。
ネット上にもそういうことをした人はいっぱいいます
ので、神武天皇辺りで検索されてはいかが?
182世界@名無史さん:2001/06/27(水) 07:36
まあなんだ、「民族」の概念規定がずれていけば
結論もどんどんずれていくっていう見本みたいなスレだ
183アマノウヅメ:2001/06/27(水) 08:37
>>176
倍年説は主張されてはいるんですが、まあトンデモのほうなので。
とにかく信頼のおける資料が無いとどうしようもない。
184自転車小僧:2001/06/29(金) 00:30
>183
んだ。分かっとるよ。
もともとの天皇の年齢設定自体が辛酉改元説に基づく
無理の有るものなんだからそれを合わせるための方便
と理解しとりますよ。
相手が相手ですから。
185世界@名無史さん:2001/06/30(土) 23:15
>>176
>漢とは漢王朝を建てた劉邦の出身地、現在
>の安徽省の一地方名ですから、
漢は漢王朝を建てた劉邦が最初に封ぜられた
陜西省漢中に由来するのじゃないの?
186世界@名無史さん:2001/06/30(土) 23:21
そのとおり。>>185さんが正解。
187なあり:2001/07/01(日) 00:31
漢民族は文化的というか、軟派で戦闘は得意でないので、
たたかいは傭兵にやらしていたのでないの?
ローマ人と混同しているかな?
188世界@名無史さん
>>186
晋代末ぐらいまではそういう面もありました。しかしそれが五胡十六国
時代の到来のきっかけに・・・。