1 :
世界@名無史さん:
昨日たまたまこういう主旨の本を読みました。テムジン=天神
、モンゴルではチンギスカンのことをクローと呼ぶこともあるそうです。
チンギスカンの取った戦法が、義経と同じものがいくつかあるとか。
20%くらい信じはじめています。皆さん、どう思われますか?
2 :
φ(..)カリカリカリ:2001/03/17(土) 00:54
どの地域にも戦略の天才はいて、それぞれが似てるのかも
しれませんね。
でも、ほんとうに義経だったら何だか嬉しいですよね。
3 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 01:09
夢があっていいねえ。
でも、仮に義経が生き延びて大陸に渡ったとしても、
モンゴルの諸部をまとめるなんて、とうてい無理。
実の兄(頼朝)が、いかにして朝廷に左右されない武家
政権を作るかと苦心していた時に、後白河法王から位を
もらって喜んでた政治オンチだよ、義経は。
4 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 01:39
僕も大昔に読みましたけど、信じたいな〜。国が1億円くらい予算出してくれれば、白黒ハッキリするんじゃないかな。
結構興味深い共通点があるんですけど。似たような家紋があったり、義経に因んだ公園も残されている。
馬鹿馬鹿しい気もするけど、徳川埋蔵金よりもやる価値はありそうな。。。
なんだか朝鮮人みたいだ
恥ずかし
>>1 読んだのは「成吉思汗ハ源義経也」って戦前の本か?
これは別の意味で有名な本で、
今じゃどうしてこんな説が広まったか、のほうが歴史研究の対象になるくらいだよ。
歴史学者が相手にしないのは当然だが、作家でも山本周五郎か誰だったかが
「そもそも義経の騎馬戦法とジンギスカンとの騎馬戦法は全く別物だ」
って斬って捨ててる。
たとえ夢はあってもとうてい信じられるもんじゃない。
7 :
考える名無しさん:2001/03/17(土) 02:48
>>1 高木なんとかさんの推理小説では?
在野だが、長山康夫(字、あってるかなあ?)あたりは参考になるかも
「ジンギス汗は義経だった」著者白戸五十八
という本です。べつに宣伝ではないんですが。
読み物としては、手軽で面白かったです。
源義経をゲンギスと呼んだのがなまったとか。
うそのようなほんとのような。。。
9 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 05:24
10 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 05:38
ジンギスカンチョップはないのかな〜
>>4 義経=ジンギスカン説って昔国会で審議されたことがあるそうだよ。
そのときは年代的なズレ(20年ぐらい)で、同一人物ではなかった
という結論だったそうだ。
12 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 08:41
西郷隆盛が西南戦争後シベリアに渡ったとかいう
伝説もありましたな。
チンギス・ハンは親がはっきりしている、何年に生まれたかが正確にわからないだけで。
名前は忘れたけど。
1よ、目を覚ませ
14 :
日本@名無史さん:2001/03/17(土) 09:28
アイヌを併合するための方便です。
例えば、アイヌの人たちに火を教えたのは(大陸に渡る途中の)義経だとか。
義経神社を明治の世になってから建てたりとか。
15 :
ハインリヒ大帝:2001/03/17(土) 12:33
義経=ジンギス=ハーン説の根拠の一つといわれている戦術の類似は
単に同じ兵法書を読んでいたことで崩れると思います。
虎の巻だったかな義経は奥州平泉でこの書に触れたといわれていますし
ジンギスハーンも読んでいた可能性が高いそうです。
16 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 12:43
>>11 「マラドーナのために代表の10番を永久欠番にすべきか否か」を国会で審議した
アルゼンチン並みのドキュソぶりだと思う。
17 :
日本@名無史さん:2001/03/17(土) 14:43
大陸に進出する為の方便です。占領した内蒙古には義経神社がいたるところに建てられました。
18 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 16:23
江戸時代頃からあったらしいよ。義経成吉思汗説。
19 :
6:2001/03/17(土) 18:09
この説って今も再生産されてたのか…。
もともと
>>14の、
>>17言う通り
「アイヌに文明を教えたのは源義経」というアイヌ支配のための方便の妄説が
満蒙中国支配用版に拡大されてできた説なんだが。
>>8 戦前は「ジンギスは源義経(ゲンギケイ)がなまった」って言ってたんだけど。
>>13 チンギスの父はイェスゲイ・バートルね。
>>15 それはそれでトンデモだと思う…。
実際のところどのあたりの戦術が類似してるわけ?
>>18 江戸時代にあったのは義経=清朝の皇祖説。
20 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 18:15
私の勝手な想像だが、
馬琴の「椿説弓張月」で伊豆に流されて死んだはずの英雄
源為朝が生き延びて琉球で活躍する、というフィクションに
刺激された人たちが、じゃあ、同じ源氏の英雄、義経も
生き延びて海外で活躍していたとしたら……と想像して
巷説が生まれたのではなかろうか。
で、その後、この巷説がアイヌ支配やら大陸進出やらに
利用された、と。
21 :
ハインリヒ大帝:2001/03/17(土) 20:14
>19
どこがとんでもないというのでしょうか?
俺が戦術が類似するといってるわけではなく義経ジンギスカン同一説の根拠とされているといったのであって、俺は信じていない。
その類似は同じ兵法書を読んで学んだ軍事にたいする心得的なものが影響したのではないかというものです。
同じ兵法書を読んだかもというのがトンデモなのでしょうか?
可能性はあるとおもいますが?
22 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 20:54
>>19 >「アイヌに文明を教えたのは源義経」というアイヌ支配のための方便の妄説が
>満蒙中国支配用版に拡大されてできた説なんだが。
ジンギスカン=義経説はトンデモと思うが、対置してこういう腐れサヨのもっと
もらしい陰謀説を聞かされるのも不愉快だな。
糞左翼は、自分達がさんざん陰謀をめぐらしてきたから、他人も同じくらい陰謀
を企んでいると思い込んでいるようだ(藁
イエズス会だの共産党だの秘密結社だのじゃあるまいし、アイヌ征服のために陰
謀をめぐらしたなんて与太話はやめてくれ。
どうせ、ヴァカ左翼の書いた研究書を装った日本国の陰謀暴露本あたりを参考図
書にとか言って出してくるんだろうが、それも無用。
常識で考えればわかることだ。基地外サヨはもう逝ってよし!
23 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 21:49
>>1 よもやその説を信じかけてる人間がこの世にいようとは!!
俺が初めてその話を聞いたのが確か小学生のとき。
当時の俺は
「アハハハハ、馬鹿くせー!!義経がどうやってモンゴル語喋るんだよ!」
などと笑い飛ばしたものだ。(モンゴル語があるかどうかは知らん)
そんな君は三浦健太郎の王狼伝でも読んでなさい。
24 :
1:2001/03/17(土) 22:53
みなさんのを聞いているうちに、20%から3%に下がりました。
26 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 02:00
>>21 でもさあ、寺に預けられてた義経はともかく、父親が幼い頃に死んでから
苦労して働いてたジンギスカンに、漢文が読めたとは思えないけど。
中国の古典って漢文でしょ。
生来の戦術的カンで勝ってたと考えるのが自然では?
27 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 02:08
俺の中学の担任の先生は、この分野(?)の研究者
だった。かなり語ってくれたよ。嘘くさかったけど。
ちなみに黒ムツ的妄想としては、義経=オリオン、
ジンギスカン=フェンリル。よって、正確には、同一
人物じゃなくて、フェンリルはオリオンによって、
解き放たれた者なのです。じゃあオリオン殺しの
アルテミスはだ〜れだ?
28 :
27:2001/03/18(日) 02:14
黒ムツというより占星術的にはといった方がいいかな?
まあどっちもよく似たもんだけど。ちなみに最近ダパンプ
がパープルなんちゃらオリオンって歌歌ってたなあ。
29 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 02:46
吉成りて静を思うってヤツだっけ?
30 :
名無しのオプ:2001/03/18(日) 03:27
義経はチンギスハーンじゃないです。
本当は幼くて高貴なお方です。
31 :
ハインリヒ大帝:2001/03/18(日) 09:53
>26
あなたはチンギスハーンを無学者のように言われるが何も書物からしか知識が得られないと思っているのだろうか。
戦術的勘で勝っていたと言うのなら義経も同じ勘を持っていたことになる。
それより兵法書をじかにとはいわないが触れる機会はあったと思う。
俺は読んでいたという説を採っているが
32 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 14:01
パスパ文字はまだないから、モンゴルでも
何かを読み書きするとしたら漢文使うしかなかったのでは?
ムーでも読んでろ!タコ! Down!
34 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 15:45
同じようなネタ話に
「山口淑子は中国に渡って李香蘭になった」
「清朝王女の愛新覚羅顕子は日本に渡って川島芳子になった」
などがある。
35 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 17:38
李香蘭は日本に渡って関西弁しゃべる眼鏡っ娘になった。
36 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 17:54
>>9 > 成吉思汗の秘密 高木彬光
この本、私もちょっと前に読んだけど、むしろ義経≠ジンギスカンを目的
に書いたんじゃ無いの ? 同一人物説の大まかな概要や過去の普及経緯が
まとめられていて参考になるし、主人公の展開する同一人物説も説得力が
ほとんどないし… (と、書くと作者に叱られるかな (汗)。
37 :
6:2001/03/18(日) 17:58
>>21 すまん、
>>15は読み違えてたようだ。
ただ、そもそも日本の武士の戦法の文脈のなかで革新的だった義経と、
モンゴル遊牧民として優れた戦闘指揮者だったチンギスの戦法が似ていたとはとうてい思えない。
チンギスが逆落としやら八双飛びやらするわけないでしょ。
しいて共通点をあげれば、奇襲を尊んだくらいじゃないだろうか
(それでもモンゴル統一後のチンギスは奇襲戦法はほとんどしていないと思うが)。
だから、ジンギスカン=義経説信奉者が義経とチンギスの戦法の類似性を上げるのは
ジンギスカン=義経であるという確固たる結論から導き出された誤信とみるほうが自然で、
わざわざ同じ兵法書の影響など考えることもないと思うのだけど、どうでしょうか?
>>22 ネタなのか?
ただ
>>19はちょっと誤解を招く言い方だったのは確かだな。
義経島渡り伝説はアイヌ征服のためにというより、
アイヌを支配している現実と日本人のなかの意識が生み出した
伝説(妄説)だろう、と言うことが言いたかったんだ。
同じようにジンギスカン=義経説も大陸進出の風潮で
生まれてきてしまった珍説だろう。
さすがに「ジンギスカン=義経説は日帝の陰謀だ!」とは思わないよ。
>>32 いちおう公式の歴史ではモンゴルにはチンギス・ハン以前は文字はなく、
チンギス以後ウイグル文字によるモンゴル語表記が始まったということになっている。
あるいはモンゴル高原でもモンゴル以外の比較的先進的な部族では
すでにウイグル文字によるモンゴル語表記がされていた気配がする。
でも漢字が読める者もいたかもしれないね。
>1
ナオミ・キャンベルは日系人と思ってる奴と一緒だぞ。
39 :
ハインリヒ大帝:2001/03/18(日) 19:23
>37
だから俺は奇襲を旨とした戦い方を同じ兵法書の影響ではないかと言っているのであって
八双跳びや逆落しのことはいっていない(むしろたぶんに虚飾性を感じている)
当時モンゴルには漢字が読めるハーフやげこうしたものもいたようだしね。
あなたの説ではチンギスハーンは生まれながらの軍人で戦の天才だったことになる。
むしろ兵法書などで戦に対する知識をもっていたと考えるほうが自然に感じるのだが?
40 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 19:32
スターリンは日本に渡って芸能人をしています。
ロシア人はみんな信じてます。
41 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 20:18
_
\ヽ
\\
\.l
_, -―――-l.l〃_
,二 . \
∠-フ / /∧ \ _ \ \
/ .イ_//_ \__、\_ \ l
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+ォ〒 ^T 〒K| _ |
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((~ l " ー "" ( (T/ | } < エッチ、する?
ー '"⌒`ヽ、 _ノ | | | \_____
|l |/ ヽ、ノ l l||
l| | l| l|~`ヽ、
|l l | l ,;' |l .l| \
,−'"ヽ y l| ,, | ヽ
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 ̄ ̄ ̄"' l ヽ `ヽ |
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 ̄ ̄ '、` -' \_
ヽ `ヽ 、
| \ `ヽ、
ヽ ヽ \
ヽ、 ヽ ヽ
) | |
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/ / /
/ / /
42 :
アラカン:2001/03/18(日) 21:38
>>34 2行目はともかく、李香蘭=山口淑子がネタというのは?
>>35 ??? これもさっぱり。
43 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 22:42
衣川の戦いは1189年。
チンギス・ハーンがモンゴル部のハーンとなったの
は1188年。
ということは。
義経は、いったんモンゴルに渡ってハーンになり、
翌年、わざわざ日本に戻って義経として死んだふり
をしてから、もう一度モンゴルに渡って活躍したっ
てわけだ!
>42
35はサクラ大戦のネタ
44 :
6:2001/03/19(月) 00:38
>>39 八双飛びを引っ張り出したのは極端なたとえとしてであって
あなたの説を批判するためじゃない。
もちろん平家物語は軍記物語なのだから、その虚構性は承知している。
チンギスの英雄伝説だって「元朝秘史」という物語によっているのだから、
そもそも義経とチンギスの戦術を比較したって
物語の虚飾の比較にしかならないことを考えるあわせると、
そもそもこの二人の軍事才能を同列に比較するのはナンセンスだと思うし、
その理由を兵法書に持ってくる必要はないと指摘したつもりだった。
ただしチンギスが兵法書の類の影響をまったく受けていないと
言いきることはもちろんできないから、
トンデモと言ったのは言いすぎだったかもしれません。
申し訳ない。それは謝ります。
ただ、
>>37でチンギスと義経の戦法の共通として奇襲をあげましたが、
チンギスの特徴としての奇襲というのは
当時モンゴル高原で強大だったケレイト部を倒した際の「不意打ち」程度のことで、
騎兵を生かした奇襲というよりも戦略としての奇襲です
(戦術としての奇襲は遊牧民の戦争の常態であり、チンギスの独創ではない)。
その奇襲が、わざわざ特定の兵法書を読まないと得られないような戦法だろうか?
兵法書の存在しない時代・地域では独創することはできない戦法だろうか?
そのあたりが少し引っかかったということです。
もはや本題と関係ない水掛け論になりかけているようなのでこれで止めにします。
難癖つけてごめんなさい。
46 :
世界@名無史さん:2001/03/19(月) 02:19
この手の主張で、いくらでもこじつけができることの例として、
『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(田中啓文著 ハヤカワ文庫)から、
登場人物が、空海は弓削道鏡の生まれ変わりと主張する場面を引用する。
「虚言やない。ほんまや。記録では、弓削道鏡は七七二年に死去しとる。
空海が生まれたのは直後の七七四年。空海は道鏡法師の生まれ変わりな
んや」
(中略)
「その証拠に……弘法大師が創設した四国四十八ヶ所を巡礼が遍路する
ときには、同行二人と書いた帷子を着るやろ。あれは道鏡二人つまり、
道鏡と弘法大師の二人は実は一人やという意味や。それに弘法という字
を分解するとわかるが、弘の扁の弓は弓削氏を表し、法の字は道鏡が
登りつめた位、法王を表す。それにやな、道鏡の道は銅すなわちCuの
こと、道鏡の鏡は『鏡のごとき海原』というように海のこと。続けて読
んでみ。Cu海になるやろ」
「ほ、本当なのか?」
「嘘じゃ、アホ」
47 :
世界@名無史さん:2001/03/19(月) 02:45
あー、なんか「釈迦は貧民の出であり、実は悟っていなかった」とかゆう短編があったのを思い出しました。
あれもこじつけ臭かったな。
二人の人物の記録を無作為抽出し、あらんかぎりの知力を絞って二人
の電波的関係説をでっちあげる。何%できるかを検出しよう。
そんな研究をいっぺんやってみてほしいなあ。
49 :
世界@名無史さん:2001/03/19(月) 21:25
そもそも、山河を利用して戦術的盲点から奇襲する義経と、広い草原で騎馬の移動力を利用して戦略的盲点から奇襲するチンギスとでは戦法の根っこからして違うような。
まあ与多話として面白いからこのスレが発展しても面白いけど。
50 :
世界@名無史さん:2001/03/19(月) 21:27
ところで、山口淑子は実際に李香蘭です。50代以上の人に訊いてみてください。
51 :
ぴーちゃん:2001/04/28(土) 05:58
チンギスの歴史を描いた『元朝秘史』の前半部は、
義経の日本での歴史を、舞台をモンゴルに移して描いたものだという説もあるね。
つまり、「元朝秘史」に描かれたチンギスハンの前半生は、実は義経の日本での歴史を描いたものだと。
それによると、チンギスの最大の敵はメルキド族というんだけど、
チンギスはこのメルキドを、まず黒い谷において攻撃し、
その後さらに、エルディシ水というところで、このメルキドの大半のものを水死させて殲滅したのであり、
それはちょうど、義経が平氏を一の谷で破り、
その後、壇ノ浦でほとんどの者を水死させて殲滅したのと全く一致するとか。
しかも、年代的にもほぼ一致するそうな。
(ちなみに、五行思想では一は北の数で、その北の色は黒であるから、一の谷=黒い谷)、
おまけに、チンギスのもう一方の敵はタイチウドというのだけど、
これは平清盛の弟の平忠度という名を基に作った名だって。
他にもいろいろチンギスの前半生と義経の生涯は一致する点が多いらしい。
そもそも、『元朝秘史』などに描かれたチンギスの生涯は、虚実入り混じっていて、今もって正確なところはわからず、
事実だといえるようなものはだいたい1203年あたりからだということだ(by杉山正明)。
だから、このスレの上の方でいわれている親の名前がわかっているとか、
義経とは年代が合わないというような否定根拠は、全然間違っているそうな。
ま、チンギスは義経だって断定的な調子で見るのはどうかと思うけれど、
両者の一致を見比べてみるのはなかなかおもしろい。
敵を谷に追い詰め、その後、海で殲滅させるという全く同じ経過をたどった戦いが、
日本とモンゴルでほぼ時を同じくして起こっていたというのは、
義経=チンギス説に結びつけなくても、オレ的にはすごく興味を惹かれる。
52 :
世界@名無史さん:2001/04/28(土) 09:12
義経ファンの人にこの説を信じる人がいるようだけど、
なんか日本でチンギスハーンというと「闘いにあけくれ草原を駆けめぐり、世界を統一した爽やかな英雄」といったイメージがあるみたい。
なんかトンデモない勘違いですね。
まず、義経が人気があるのは虐殺や略奪などせず、疑う事を知らず、イヤな政治的駆け引きなどなく、捕虜や女性にもやさしく、ただ戦術という一転にのみ優れたケレン味の無さが魅力なんでしょ。
チンギス・ハーンはどうだろう。
「敵を皆殺しにし、豪華な財宝を奪い、美しき女ども我がオルドに入れるのが我が最高の喜び」という発言通り、
敵の部族を滅ぼすと男は全て頭をたたき割られ、女と財宝は戦利品として集められ(当時のモンゴルの習わしなんだが)
あちこちで虐殺した人間の数800万人、憎まれた都市などは略奪され跡形もなく破壊された。
ある憎まれた敵将など耳の穴から融けた銀を流しこまれて殺され。
死ぬ前になめた文章を送ってきた、西夏の国など遺言で「皆殺しにして全て破壊せよ」と命令し実行された。
ケレン味の塊のような男だ・・・・
こんな男に義経がなったと言われて義経ファンはうれしいんだろうか?
53 :
世界@名無史さん:2001/04/28(土) 09:21
>>51 壇の浦の海戦と川に追い詰めたは違うでしょう。
こじつけですよ。
ジンギスカンの性格だけど、
彼の被害にあった、ヨーロッパや中東では「破壊者」されてるね。
性格は強いて言うなら信長に似ているかもしれない。
54 :
世界@名無史さん:2001/04/28(土) 09:51
まず、メルキト族はテムジンの部族(モンゴル族)最大の敵なんかじやないですよ。
友好的な部族だったのですが、父(モンゴル族・族長)がタタル族の族長に毒殺されたあと、
突然、襲いかかってきて資産を奪った部族です。
テムジンの母は女ながらも馬を駆りテムジンたち息子を保護しながら、
逃げたり、裏切ったりで散り散りになったモンゴル族の者たちを集め、ある程度の勢力を作ります。
それで、成長したテムジンがまず、メルキト族に復習しょうとしますが勢力が足りません。
その時、力を貸してくれたのが幼な馴染みの親友、ジャムハ(ジャダラン族・族長)と父と親交があり、幼いころのテムジンを知っていた、トオリル・ハーン(高原第2の部族ケレイト族・族長、金国との交流でハーンの称号をもらった)です。
彼らが合わせて1万5千もの大軍を送ってくれたので勝利したのです。
しかし、高原の覇者は一人、のちにテムジンは親友や恩人とも闘わなければならず、
さらに父の仇、タタル族や最大の部族、ナイマン族(タヤン・ハーン トルコ系の部族らしい)とも戦わなくてならないんですが、このへんのストーリーはなんともドラマチックで血わき肉踊ります。
まあ、義経のストーリーにこじつけるのはむずかしいですよ。
55 :
世界@名無史さん:2001/04/28(土) 23:16
そだね
56 :
ぴーちゃん:2001/04/29(日) 01:32
いろいろ書き込みがあって面白いですね。
私が読んだ本は、『元朝秘史』の漢語文を解読してあるものでした。
『元朝秘史』の現存するものは漢字文のものだけですが、
原典はウィグル式モンゴル文字で書かれていたというのが有力な説ですよね。
しかし、未だに、現存している漢字文『元朝秘史』が原典である説を唱えている学者もいます。
私が読んだ本の作者は、この漢字原文説にのっとって、
『元朝秘史』の漢語文を解読していて、これが結構面白いです。
チンギスの父を殺したタタルは漢字で「塔塔児」と書きますが、
義経の父を殺した長田忠致の忠致はタダチと読めますから、
濁点を移動させれば「塔塔児」とほぼ同音。
そして、メルキド退治の際にチンギスとともに戦ったオンカン(王罕)とヂャムカ(札木合)は、
頼朝と範頼となってました。
確かに義経は、頼朝の命によって範頼と共に平氏と戦ったのですから、この三者で戦ったといえるわけで、
まず、その点で一致します。
そして、頼朝は鎌倉幕府を開いて日本の王になった人物であり、また鬼冠者という名を持っているので、
そこからオンカン(王罕)という名にされたと推測されてました。
それと、範頼は蒲冠者という名を持っていますが、
ヂャムカは漢字で「札木合」で、札は「サツ」、木はカタカナの「ホ」と見なすと、
札木は「サツホ」となり、
さらに、サは草かんむりに、ツはさんずいにそれぞれ似ており、ホは甫におきかえられるので、
ここから、「蒲」という字がまず出きる。
さらに、ヂャ・ム・カという名を逆に読むと、「カムヂャ」すなわち冠者であるから、
ヂャムカ(札木合)という名からはまさに蒲冠者(範頼)という名が取り出せるとなってました。
もちろん、「元朝秘史」では、人物の間柄には変更が加えられています。
そのまま兄弟と書かずに幼馴染とか、父の知り合いとかに変えられているのです。
しかし、この変更も義経は実際、兄弟とは離れて暮らしていたのだから、
ある意味で範頼は義経の幼馴染であるという点からいっても、
根拠ある変更といえるかもしれません。
(上の書きこみでヂャムハとありますが、漢語文に従えば「ヂャムカ」が正しいです。)
また、オンカンはやがてチンギスと対立しますが、そのときセングムという讒言者がいました。
これは頼朝が梶原景時の讒言によって、義経と対立を深めていったのと一致しています。
もっとも、セングムはオンカンの子となっていますが、
これは頼朝の言うことをなんでも聞く佞臣の景時を、子に見立てたものに過ぎないということでした。
しかし、チンギスの母は問題ですね。
私の読んだ本の作者は、
チンギスの父が殺されて部族のものがタイチウドの方にいってしまうのを、
馬に乗り旗を振って呼び戻そうとしたチンギスの母の姿は、
以仁王の発した平家追討の令旨を持ちまわって各地の源氏を鼓舞して回った源義盛だといってます。
確かに、義経の父義朝が殺された後、源氏家人たちは多くが平氏になびいていってしまったのですから、
チンギスの父が殺された後、部族のものがタイチウドの方に行ってしまったというのはそのこととして理解できます。
しかも、タイチウドは平忠度という名と一致するのですからなおさらです。
また、チンギスの母が元メルキドであったと記されているのは、
義経の母常盤が、義朝の死後、一時平清盛の妾になっていたという事実が反映されているということでした。
もちろん、常盤が清盛の妾になったのは義朝の死後ですが、
出来事の順番を入れ替えてこのように記したのだと解釈されていました。
(つまり、間柄は微妙に変更されているし、一人の人物の中に何人かの人物が集約されていたり、
出来事の順番が入れ替えられたり、圧縮されたりもしているので、その辺を見ぬかなければならないということでした。)
他にも漢字文の解読で面白いのはたくさんありました。
でも、今は疲れたのでここまで
あー、そうそう、上のほうでチンギスと義経の性格の違いについても言及されてますが、
それは井沢さんもいってることですよね。
でもそれは全然根拠にならないし、認識不足でもあると思います。
義経の好色さは有名だし、また、人は変わり得るものでもあり、
頼朝にひどい仕打ちを受けたことで、憎悪の念が義経を残酷にしてしまったということもありうるからです。
また、「元朝秘史」を読めば、チンギスは決してめちゃくちゃな性格の人間ではないことが分かります。
むしろ、義経と同じように部下を愛し評価する人物でもあります。
53さんの意見は全然読んでないようなので・・・
57 :
世界@名無史さん:2001/04/29(日) 01:42
結論が先にあり、すべての事柄をその結論に関連づけて考える人には
他人の言葉は届きません。
その人にとって絶対なのは自分の主観ですから
ほとんど宗教ですね。
>>57 んなことはとっくに解っていて話をしていると思うよ
トンデモはトンデモとして楽しむ余裕を持とうよ。
59 :
世界@名無史さん:2001/04/29(日) 04:33
>>57 結論が先にあるわけじゃないんじゃない ?
あるのは仮説だよ。
いつくかの一致点などといった端緒から、ある仮説を立て、
その仮説が果たして証明できるかっていう姿勢で、
推理していくのは謎解きの正当なやり方でしょ ?
たぶんあなたは「義経はジンギスカンじゃない」という結論を先にもっているために、
異を唱える他人の言葉が一切届かなくなっているんでしょう。
あなたにとって、学校で教えられたことは絶対で、それが宗教になっているんじゃないですか ?
>>ぴーちゃん
結構面白いと思うよ。もっとききたいな。
60 :
にだにだ:2001/04/29(日) 04:47
>>59 学校で教えられたことを信じて、うたがうことをしらず、
他の意見を一切認めようとせずに攻撃するのは韓国人みたいですよね。
61 :
世界@名無史さん:2001/05/01(火) 07:59
チンギス家の家紋が、源氏の笹竜胆って聞いたことあるんですけど、
どの程度似ているんでしょうか?
62 :
世界@名無史さん:2001/05/01(火) 10:40
63 :
T・S:2001/05/01(火) 10:56
>18
江戸期にもありましたよ。確か偽家系図作りの人が水戸藩に取り入るのが目的ででっちあげたとかなんとか。
結局はばれたらそうだけど。それが元で広まった説なのかどうかは忘れた・・・・・・って言うか知らない。
64 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 02:49
>>63 『金史別本』だったかな?
たしかそれは義経は清朝の先祖だったって説だったと思う。
義経が女真に入って云々って話。
…というのを何年か前にNHKの歴史番組でやっていた。
「義経=ジンギスカン説はどうやって生まれたか?」というテーマの放送。
65 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 04:58
テムジンの父はエスゲイ・バアトル。十数代まで系譜がわかっているボルジギン氏の傍系一族。
清和源氏の系譜にはつながらないよ。
66 :
:2001/05/02(水) 05:08
>>65 ジンギスカンの前半生についての記述は虚構である、と考えるのが妥当。
>>51が書いているとおり。だから系譜も全然信用ならない。
そもそもその先祖は狼と鹿じゃねえか。
ところで、義経の父義朝は左馬頭だが、
この馬頭を音読すると「バトウ」
バアトルと似ているじゃねえか。なんだか気になるな。
義経=チンギス説はまあ、本当ってわけにはいかないよね。でも“アイヌ征服の”ってのもかなり妄想的。明治期にはとっくに“征服”されちゃってた。アイヌの抵抗運動は15世紀に始まって18世紀終わり頃(クナシリ・メナシの乱、1789)までだからね。樺太・千島交換条約のときも樺太アイヌは日本国籍を選択している。明治期にはアイヌの同化は目指されたが“征服”の必要などない。
判官びいきの民衆心理で生まれた“義経は衣川で死んでなかった”伝説が大陸政策に利用されたというところじゃないかな。
68 :
:2001/05/02(水) 05:46
>>67 でも、義経が衣川で死んでいなかったのではという不審は、
『大日本史』にも書かれているし、疑う余地は充分にあるよ。
北行伝説にしたって、研究者は東北や北海道を踏破して、
たくさんの古文書や遺跡やらを確認した上で言っていることなのだから、
判官びいきの民衆心理などという一言で安易に片付けるのは、ちょっとね。
結論はどうあれ、少なくともその研究の姿勢には敬意を表したい。
69 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 07:48
あのね、義経が衣川で死なずにわずかに北に逃れたというのは
まあ、考えられるけどね。
北海道の義経の痕跡はかなり疑わしい創作の匂いが
するものなんだよね。
それと、義経=チンギス説を取る人の悪い癖として
義経北帰行伝説が立証されたら義経=チンギス説が成立しているように思いこんでること。
この二つにはあまりにも、大きなへだたりがある。
わたしは義経が仮に大陸に渡ったことが立証され、チンギスの生涯に空白があったことが
立証されたとしても、それはせいぜい百万分の一の可能性が出たにすぎないと思ってる。
逆の場合を想像してください。
仮にモンゴルのとある王子が源頼朝(頼朝にも空白期間はある)になったという伝説があって
その王子が日本到達した証明ができたとしたらそれでモンゴルの王子=頼朝の証明になると思いますか?
チンギスの子供のころを知る人やら親族やらゴロゴロいるのにね。
なんか、義経=チンギス説をとる人ってモンゴルが原始人に毛が生えた程度の人たちとでも思ってるんだろうか?
70 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 07:57
>>66 チンギスの前半生が虚構ってメチャクチャだよ。
欧米人が日本の源平時代は虚構だったというようなものだよ。
モンゴルにしたって、いろいろ歴史書に記録が残っていて、伝承があるし、ちゃんとした学者がいろいろ調べてるんだよ。
なにが妥当だよ。
モンゴルが原始国家だとでも思ってるの?
テムジンの恩人のトオリルハーンは金国とも交易・交流を行って記録にも残ってるし、
タヤンハーンとかタタル族の記録なんてゴロゴロ内外にあるよ。
それを日本人が横から全部虚構とかいうのは無理がありすぎ。
なんか、欧米人が各地の立派な移籍を実は白人がつくったとかいうのと似ているね。
とにかく、オカルト板、行ったほうがいいよ。
71 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 07:59
義経=チンギスってシーボルトが言ったんじゃなかたった?
72 :
:2001/05/02(水) 08:20
>>69 >義経北帰行伝説が立証されたら義経=チンギス説が成立しているように思いこんでること。
全然そんな人はいないんじゃないか。
もし、そうだとしたら、北行伝説は昔からあったのだから、同時にジンギス汗説も出てきたと話になるだろう。
ところが、そうではない。
ジンギス汗説はずっとずっと後だからな。
義経=ジンギス汗説は、義経とジンギスカンの間にいくつかの共通点があることから、
それを根拠に仮説として立てられ、
そうしてさらに、義経の死が確かに不審を抱かせるもので、北行伝説もあるということが、
この仮説の傍証になったもの。
義経が北に逃げたという伝説を、いきなりジンギスカンに結びつけるなどという解釈はあんた以外誰もしていない。
この説のパイオニアといえる小谷部全一郎だって、
ちゃんとシベリアからモンゴルを徒歩で渡り歩いて、証拠となりうるようなものを集めた上で、
論文を書いている。
そして、大陸に渡ったことだけでなく、両者の共通点という考察が為されているのは当たり前じゃないか。
もっとも、そういう証拠は義経=ジンギスカンを立証するまでには至らないものかもしれないが、
一つの有力な仮説として提出するには十分なものだったと思うよ。
それにチンギスの子供の頃を知る人やら親族やらごろごろいるってなんだい ?
ジンギスカンの前半生が創作されていることは確かで、
『元史』とか『集史』とか『元朝秘史』とかでは皆それぞれにばらばらなことを書いてあるんだぜ。
それでよく、チンギスの子供の頃を知る人や親族が云々と断定的なことが言えるもんだな。
かえって否定派の無知やいいかげんさを露呈しているようなもんじゃねえか。
そんな基本的な知識もないのにそんな断定的な否定をするということが、
前にレスで言われていたような、結論先にありきの態度じゅないのかい ?
73 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 09:07
私以外だれもしてないってね・・・
義経=チンギス説を唱えてる人にそんな人に私は何度も会ってきたよ。
研究者レベルの人ではないかもしれないが、
テムジンの半生やらジンギスカンの妻やら兄弟やら母親やら、昔の友達やら知人はたくさんいるってのを否定するのも、
モンゴルの歴史学を否定するようなものだよ。
小谷部全一郎に対する反証はいくらでもでてるよ。
例えば、簡単に入手できる本なら陰謀大全の記述とかね。
怪しいし、いい加減だよ・・・・
義経=チンギス説の傍証なんて怪しい説やこじつけや語呂会わせばかりだよ。
だいたい、どうして、そんな回りくどい方法で義経の半生を書かなくてはならないの?
なんか高本公夫の馬券陰謀説をほうふつとさせるね。
ほかにもキリストが日本に来て死んでるとか日ユ同祖論とか
あるいはノストラダムスの予言解釈にそっくりだよね。
まあ、ノストラ予言の場合は過去の予言はこじつけられても、
未来の予言は外れるというのはあるけどね。
あっ、でも過去こじつけの場合も確証が出てこないという
共通点はあるか・・・・
とにかく、あなたと討論してても埒があかないようなので
静観します。
74 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 10:26
75 :
Cipher:2001/05/02(水) 14:01
『元朝秘史』って確か秘密にされてたんだよね。
わざわざ 秘密にしていた理由は何?
76 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 19:15
義経チンギスハン説に限ったことではないが、トンデモ説を主張する者が
「君の態度は結論先にありきだ」と批判された時に、その相手に対して、
「そっちこそ結論先にありきの態度だろ」と主張するのは、常套手段とい
うか、ありがちな論争だね。
定説ってのは、何重にも検証されてきて、検証に耐えてきたからこそ定説
となっている。定説とされているものには、先人たちの研究の積み重ねが
あるのであって、だからこそ我々はその結論を活用できるのだ。
むろん、定説とされてきたことが実は間違いだった、ということはありえ
る。だが、定説とされてきたことを突き崩すためには、それまでの積み重
ね以上の地道な研究と論証、検証が必要で、素人の思いつきレベル程度で
は、それはなしえない。定説に反する主張をする者の方は、より厳しい科
学的な態度が要求されるのだ。
「結論先にありき」ではいけないし、相手を「おまえこそ結論先にありき
だ」と批判してみても、自分が正しいことを証明することにはならない。
77 :
名無しさん :2001/05/02(水) 23:34
>定説ってのは、何重にも検証されてきて、検証に耐えてきたからこそ定説
>となっている。定説とされているものには、先人たちの研究の積み重ねが
>あるのであって、だからこそ我々はその結論を活用できるのだ。
この説の場合、どんな検証にたえてきたのかな。
たぶん、そんなこと全然ないと思うけど。正史を鵜呑みにしてるだけで。
>「結論先にありき」ではいけないし、相手を「おまえこそ結論先にありき
>だ」と批判してみても、自分が正しいことを証明することにはならない。
もちろんそうよね。だから、言い返す方もそれで自分の正しさを証明することにはならないけれど、
先にそれを言ったほうも、それで自分の正しさを証明することにはならないわよね。
78 :
:2001/05/02(水) 23:51
>>76 別に一気に定説を覆そうというわけでもないんじゃないか ?
義経が衣川で死んだという説は、確かにあやふやで、
義経北行の可能性が十分ある以上、その方向で推理を進めることはむしろ必要なことだ。
それによって反証が得られるという場合だってあるしな。
ジンギス汗説にしたってそう。
一致する点があって、興味を惹かれるなら、その方向に行けるとこまで行ってみるべき。
歴史の真実は、考えられる別の可能性についても十分な考察をして始めて得られるもの。
大本営発表を鵜のみにして、異説をバカにするだけでは得られない。
79 :
世界@名無史さん:2001/05/03(木) 00:01
義経の鎧を調べてみると義経の身長は150cm弱といったところのようです。
当時の鎧は完全オーダーメイドで本人の体格に合わせて作ってたので
身長がかなり正確に分かります。
対してジンギスカンは身長180cmを超える大男だったようで。
80 :
シャールフ:2001/05/03(木) 00:08
>>43氏が書いた事を否定する人はだれも居ないですね。
日本人ですので義経=ジンギス・ハーンって思いたいですけど。
43氏に付属して、第2代皇帝オゴティ・ハーンは 1185年生まれですよね
ジュチやチャガティはそれより前に生まれてるはずですから彼らは
日本で生まれたことのなるんですけど、義経に3人も子供いたのかな
あと、兄弟も沢山いましたね、家臣は現地で調達出来るけど、
兄弟、子供、はそうはいかないと思いますけど。
81 :
名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 00:11
>>79 高木アキミツによると、小柄な義経ではなく、体格の大きな弁慶が表に立ってたのではないか?とのこと。
82 :
世界@名無史さん:2001/05/03(木) 00:46
>81
弁慶自体の実在が怪しいからなあ〜。
西塔武蔵坊って名前から比叡山西塔の住人だったと思われるが
比叡山西塔に武蔵坊って建物無いんですよ。
83 :
ぴーちゃん:2001/05/03(木) 00:49
ああ、盛り上がってる、ていうか、ずっと見てましたけど。
皆さん、詳しいのでびびりました。
えー、チンギスの前半生のことでもめてたようですね。
それについては、杉山正明の『モンゴル帝国の興亡』に次のように書かれていました。
「彼(ジンギスカン)の生涯については、これまで山ほどの著述が古今東西の人によって物語られている。
読み物としてはすぐれたものも多い。しかし、率直に言って、どれも確かなものはない。
それはチンギスカンについての史料が、あまりにも虚実入り混じり、
どこまでが伝説や創作で、どこまでが史実であるのか分からないからである。
彼の生涯については彼の子孫たちが作らせた東西文献の中に語られる。
漢文の正史である『元史』、モンゴル語を漢字で表記した『元朝秘史』、そして、ペルシア語によるモンゴル正史の『集史』。
この三つが基本史料となる。その他、いくつかの文献がある。
ところが、それらが噛み合わない。特に権力者に浮上するまでの時期についてはどうしようもない。
これまでの著作は、三つの基本史料のどれか一つ、もしくは二つに基づいた。
しかし歴史研究として信頼に足るチンギスカン伝を著わすには、
どうしても最低限、漢文・モンゴル文・ペルシア文を自在に読みこなす必要がある。
三つ全てを厳密に読みこんで、相互の一致・不一致を網羅し、どこにどれだけの問題と謎があるのか、
その輪郭をくまなく指摘するという当然の基礎作業は、残念ながらこれまでのところ為されていない。
そのため、すでにあるさまざまに素晴らしい著作や意見も、
その研究者や歴史家のすぐれた個性による見解・感想・評論・物語の域を出ていないことになる。」
以上です。杉山正明といえば、この方面では今最も注目されている人ですよね。
私は『元史』と『集史』は読んでいないのですが、上の文を読むと、72の方がおっしゃるように、記述がばらばらみたいですね。
確かに、チンギスの前半生(権力者に浮上するまでの時期)については、まだ全然確かなことは分かっていないということみたいです。
(下に続く)
84 :
ぴーちゃん:2001/05/03(木) 00:49
>>73 >テムジンの半生やらジンギスカンの妻やら兄弟やら母親やら、昔の友達やら知人はたくさんいるってのを否定するのも、
>モンゴルの歴史学を否定するようなものだよ。
えーとですね。前にも書きましたけれど、私が読んだ本(『それでもやはり成吉思汗は源義経である』)では、
『元朝秘史』におけるチンギスの前半生を、義経の日本における生涯を描いたものだと解釈してあるのです。
ですから、チンギスはもちろん義経ですが、
その他、オンカンは頼朝、ヂャムカは範頼、ボオルチュは武蔵坊弁慶、ヂャルメは佐藤兄弟、セングムは梶原景時、ブルカン山は藤原秀衡、などなどとなっています。
日本における義経の歴史を、舞台をモンゴルに移し変えた上で、描いているということです。
そして、もちろん若干の変更操作は加えられているとのこと。
たとえばチンギスはオンカンを倒しますが、オンカンが頼朝ならば、チンギス(義経)が彼を倒すというのは史実に反しています。
しかし、これは、頼朝から逃れて云々という状況を書くと、その後に王となるチンギスの歴史(後半生=史実)との接続がうまくいかなくなるから、
そのように書いたに過ぎないとされてます。また、創作の中で復讐が遂げられたようなものだとも書いてありました。
まあ、そんな感じです。
えー、あと、もちろんタタル部族などは実際に存在していますが、そういうことについても、
義経の歴史を、多くの場合モンゴルにある地名、部族名などに置き換えて表現しているのだから、それらがモンゴルに実在しているからというようなことは全然否定根拠にはならないとされてます。
それと小谷部説についてですが、私は小谷部の本は読んでいないので分かりませんが、
木彬光の『成吉思汗の秘密』は小谷部説をもとにしていると書いてありましたから、ああいうものだと思っていいんですかね ?
そうだとすると『それでもやはり〜』では小谷部説はあまりとり入れられていません。紹介はされていますが。
それと、語呂合せというのをおっしゃってますが、私は語呂合せ、すなわち音の一致というようなことは重要なことと見なしています。
といっても、ジンギスカンはゲンギケイがなまったものという解釈は採れませんが。
『それでもやはり〜』という本でも語呂合せはそれなりに重要な手法ではあります。でも、音よりは訓の方がより重要かもしれません。
ジンギスカン義経のスレがあったので、
知られていないこの説を少しずつ紹介していこうと思っていたのですが、書いていいですか ? (^_^;)
暇なときにだけですが。
85 :
ぴーちゃん:2001/05/03(木) 00:56
>>72 >『元朝秘史』って確か秘密にされてたんだよね。
>わざわざ 秘密にしていた理由は何?
確かにそれは引っかかりますね。
そもそもなぜ『秘史』というタイトルなのか、
これについては、たとえば、チンギスの非行についても記述されているからとか、
後継者がチンギスの遺命に背いた形で決められたからだという解釈があるそうですが、
これはとても納得いきませんよね。
そのくらいで『秘史』などという仰々しいタイトルがつけられるとは考えにくいです。
もしそうだったら世界中のあらゆる史書は『秘史』とされるべきですし、
『日本書紀』なんてもうめちゃくちゃですよね。
やはり、この史書には重大な秘密が隠されていると考える方が自然なのではないでしょうか。
86 :
ぴーちゃん:2001/05/03(木) 01:04
>>71 >義経=チンギスってシーボルトが言ったんじゃなかたった?
公にはたぶんそうだと思います。
シーボルトは『日本』という書に、彼の友人の吉雄忠次郎が義経はジンギスカンになったことを確固として信じている、と記しているそうです。
そしてこの「世界的事件」に歴史家が注目するようにとも書いているそうです。
(某HPより)
87 :
世界@名無史さん:2001/05/03(木) 01:28
元朝秘史はモンゴル語で「モンゴルの秘密の歴史」っていうタイトルなだけで
秘密になっていたわけでもないんじゃない?
成立年代にも諸説あって、あまりアテにならないらしい。
杉山正明は「チンギス・ハーン廟の縁起物語」のようなものだ、と言っていたはずです。
それと、語呂合わせはなんとでも解釈できてしまうので
あまり取るべき方法ではないと思います。
音読みにして…なんてやっていたら、キリないですからね。
だいたい日本の古文書では漢字より読みを重視しているから、
同じ名詞にバラバラの漢字を当てることはザラなくらいで、
漢字の音で読むのはアテにならないんではないでしょうか。
と、思いましたが…難癖と言うわけではないので、
どうぞ続けてください。
ただ、個人的にはやっぱり「こじつけ」という気はしますけどね・・・。
88 :
Cipher:2001/05/03(木) 02:20
>87 いや元が滅びるまで秘密になってたはずだよ。
そういや 元朝秘史 買ったまま読んでない…。おもしろそうだから
今度、探し出して読んでみよう。
89 :
87:2001/05/03(木) 03:19
>>88 ああ、そういえば元朝秘史の定本って明代のものでしたっけ。
漢字転写の。
どこかの新書で元朝秘史について、
現代語訳者の小沢さんが書いてる本が出てましたよね。
何年も前に読んだから忘れてしまったけど…。
90 :
世界@名無史さん:2001/06/05(火) 20:50
終わったの?確認アゲ
91 :
世界@名無史さん:2001/06/07(木) 16:42
どっちも証明は難しいだろう。
ただ実証主義的な学問のルールとしては、証明できなきゃ「なかった」というしかないのでは。
もちろんルール=所定の論証手続き(パラダイムの問題)だから
学問的にどうだって話と、客観的な事実とは、ややズレがあるわけだが。
要するに真相はわからない。
92 :
世界@名無史さん:2001/06/08(金) 06:20
>>84 仮に『元朝秘史』のチンギスに対する記述が、義経の前半生をモンゴルでの出来事に置き換えたものであるならば、「何故」わざわざその様に寓話的な形をとらねばならなかったんでしょう。
日本人であった過去を後の世に伝えない為、でしょうか?あるいは元朝秘史の著者が義経をモンゴル人として書きたかった、んでしょうか。
どちらの理由にせよ無理に日本での出来事とダブらせる必要まで無いと思うのですが。他に考えられる理由があればご教示ください。
あとその寓話はどのあたりで終了し、どの段階から史実となって語られるのでしょう。それ以前に何故、途中までのみが寓話だと判断できるのでしょう。
これは例え話ですが。義経がチンギスだという様な仮説を別の人物に置き換えてみましょう。
もし「実はジャムカは死なず、来日し鎌倉幕府の執権となった。それが北条義時である。」って説があったならどう思います?(地味な例え話だなぁ、とかそんな意味じゃなくて・・)
モンゴルの草原貴族が征服者としてでなく亡命者として来日し、そして日本の武士達を従えて鎌倉幕府の権力者となった。って。・・なんで?どうやって?て思いません?
そしてジャムカの前半生を日本での出来事に置き換えた史書がこの日本にあったらどうですか?ダヤン=ハーンは時政の事でチンギスは頼朝の事なんだ、とか。
そしてその寓話が途中から史実となったなら?寓話と史実の接続がうまくいかないからという理由で話が途中が飛んでたりしたら?
果たしてその史料のその読み方に信憑性があると感じる人はどれくらいいるでしょう。・・あくまで例え話ですけどね。
どちらにせよこういう形で話を進める(実はもう終わってるスレなんだろうけど・・)なら、それはそれで、まずどうやって・どんな過程を経て義経がチンギスとなったのかを述べて頂きたく思うのです。
さらに「史料の前半が信憑性に欠けているが、後半はどうやらチンギス本人の事らしい」という読み方と「史料の前半がチンギスのものという信憑性に欠けている、だからこれは義経の事であり、よってその後の話も義経の事を語っている」っていうのは全然違う視点なので混同せぬ様お気を付けください。
あと、確かに『元朝秘史』は当時を記録したモンゴル史の中でも読み物的性格の強い傾向がありますんで、できれば『集史』等からも義経=チンギス論を裏付けそうな説を引っ張ってきて頂けると面白いと思います。
最後に(これは書くまでも無いかもしれませんが)、私個人としてはやはり同一人物説は支持しかねます。可能性はゼロとまで言いませんが、かなりそれに近いと考えています。
93 :
田中洸人:2001/06/08(金) 07:09
94 :
世界@名無史さん:2001/06/08(金) 14:03
>>92 例え話なら神武の生年が徐福とほぼ同じ、さらに神武の前半生が徐福と酷似(あくまでも仮定の話です)の方が良くない? 日本まで来れた?=影武者が身代わりになったとして大陸まで行けた?って所も似てるし
これなら研究する学者がいると思うんだけど。
>>91 〔軍部の利用と系図偽造屋の関与があったから、研究の対象になりにくい〕と思ってたんですが、、、違うのかな?
95 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 01:57
dokyun!
96 :
92:2001/06/09(土) 05:00
>>94 そうですね。もっと説得力のある例のが良かったですね。要は義経=チンギス説の信憑性自体を問うというよりも、その説を裏付け(ていると思われ)る史料の読み方に疑問を投げかけたかっただけなんで。
・・とりあえず何か例を並べてみようかな、と思い付くまま同時代の人を用いただけで、ジャムカ=義時説に深い意味は無いです。
97 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 05:39
生意気な波平をシめてやるッ!
婿養子であるマスオが見守る中、制裁は行われた。
既に波平の口にはノリスケのサオがねじ込まれている。
「カツオくん、コマしたれ」マスオがいうと、カツオはブリーフの中から一物を取り出した。
ゆうに一尺はあろうかという巨大な業物に、波平はぶるっと震えた。
しかし、その恐怖とは裏腹に 〜いや、波平にとってはその恐怖こそが
色欲を沸き立たせるものだったのかもしれないが〜 波平の花らっきょうの
ような小振りの一物は痛い程にそそり立っていた。
その「花らっきょう」の皮をマスオが唇でちゅるんと器用に剥く。
マスオの口中にアンモニア臭が広がる。
そして、カツオの一尺竿が波平の菊門にねじり込まれていく・…
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / / \\∴∵|
/ / ̄ ̄ ̄ ̄ | | (・) (・) ヽ∵|
/ / ⌒ ⌒ | | ⊂ 6)
| / (・) (・)| | ___ /
(6 ⌒) | \ \_/ /
| ) ___ | ∫ \____/
\ \_/ / / ̄ ̄ ̄ ̄\ /⌒ - - ⌒ヽ
\____/ /\ / \ |/ 人 。 。 丿 |
/⌒ ⌒\ | (゚) (゚) |\ \| 亠 / |
/ 人 人 ノ゙\ \-----◯⌒つ| \⊇/干 \ ⊆/
\ \| l // / _||||||||| | | (
\⊇ ノ ⊆/ \ / \_// _/⌒v⌒\ )
( Y ) \____∪⌒\ ノ ) |
| _人_, | / | | | |
磯野家縁者男性陣によるド迫力の4Pファック!
まだ、幕が開いたにすぎない。
悦楽は、ここから始まる。夜はまだ終わらない…。
98 :
世界@名無史さん:2001/06/09(土) 19:33
age
99 :
世界@名無史さん:2001/06/11(月) 01:45
>1
嘘です
100 :
世界@名無史さん:2001/06/12(火) 03:54
>チンギスカン=義経説って本当なの?!
ネタです。
それももうとっくに使い古された、ね。
しかし厨房はそれを良く知らないので騒ぎ立てる。なのでそいつらを狙った適当なこと並べた
本が売られる。んでまたしばらく騒いでネタであることがはっきり言われて沈静化。
で、しばらくするとまた(以下略)
102 :
世界@名無史さん:2001/06/13(水) 02:46
チンギスカン=義経説がネタだとして、義経北帰行伝説もネタ?
もし伝説が本当だとしたら、北海道までは確実に行ってる気がする
ネタというよりも度が過ぎる妄想、しかも他国に対する礼を欠いた無神経さが特徴ですな。
別に日本人に限ったわけではないけど、何故他所の国の英雄を自分んとこのモノにしたがるのか?
自国にちゃんとヒーローがいるのにわざわざ知能レベルを疑われるような事をするのはよく判らない。
因みに俺の見解は北に逃れた可能性は高いやねー、ぐらいだな。衣川で死んだって言うのは誰も信じては
いないようにも思うけど。
104 :
オーバーロード:2001/06/13(水) 18:25
義経がジンギスカンだとは思えないが、奥州藤原氏の支配する十三湊から船で
ユーラシアへ渡る機会はあったと思う。
それに平氏を滅ぼして実戦慣れした鎌倉幕府軍団と戦う為に、同じく戦い慣れ
して騎馬戦闘に長けたモンゴル人の助力を得ようとする考えもできるのでは?
105 :
名無しさん@1周年:2001/06/13(水) 18:34
高句麗の遺臣が渤海国を興したように
奥州藤原氏が亡命政権を作ろうとした。
というファンタジー。
106 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 15:26
日本人は判官びいきなだけだろう
107 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 16:23
108 :
ドレミファ名無シド:2001/06/15(金) 00:28
>>104 トンデモifものの読み過ぎじゃない?シモ○カゲキとか。
109 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 21:41
義経=ジンギスカン説を信じるヴァカは
紀元前2333年建国の古代朝鮮帝国を信じるバカチョンと同レベルです。
こういうのを「ロマンだよねー」とのたまう低脳が一番嫌いなのがこの説を嫌う一番の理由です。
お前はどっかの国の人間が信長(秀吉だろうが竜馬だろうがなんでもいい)はうちの〜という人が日本に
辿り着いてなったんだよ。というのを聞いて「ロマンだねー」と返すのか??ロクな証拠も無いのに。
まぁお前みたいな低脳は侮辱されてることにも気付かないのかもしれないがな。
お前ほど馬鹿にはなれんのだよ、みんな。
111 :
世界@名無史さん:2001/06/16(土) 00:14
九郎判官だけに、クロウしましたとさ。
112 :
アマノウヅメ:2001/06/16(土) 14:00
「世界史上1番の嫌われ者を、わざわざ自国民に
したがる物好きは日本人だけだろう。歴史認識の程度の
低さが知れる」
と、言ったのは、宮崎市定でしたっけ?
113 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 06:32
某国じゃあるまいし、そんなことで自尊心を維持しなくちゃ
生きていけない日本人なんておらん。
114 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 14:52
義経=チンギス説の最初って、江戸時代のトンデモ本
「金朝秘史」が最初っていわれている。
それまでは、北海道へ落ち延びたと言うところまでの
伝説でしかなかったのが、その本がモンゴルに渡ったと
書いたからさぁ大変。
だったはず。
115 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 16:29
>>114 それは、金の将軍になったってやつ
チンギスハーン説は、シーボルト
116 :
世界@名無史さん:2001/06/17(日) 21:59
117 :
アマノウヅメ:2001/06/17(日) 23:31
>>113 日本人も、そのような妄説に頼らなければ、
自尊心を維持できない時代があったのでしょう。
118 :
Cipher:2001/06/18(月) 10:22
みんな真面目に考えすぎるのー。
「日本人も、そのような妄説に頼らなければ、
自尊心を維持できない時代があったのでしょう。」
もし そうだったらどこぞの民族のように 正史として
伝わっとるよ。
そうでないからこそ “ロマン”の段階にとどまってるんだろう。
119 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 11:05
>>112 ロシアや中国では徹底的に嫌われているらしいね。朝鮮でも?
ま、あのジンギスカンを英雄視しているのはモンゴル自身と日本くらいかな。
蚊帳の外のイギリスやアメリカではどうなんだろ?
120 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:00
カザフ、ウズベクなどチンギス・ハンの子孫を中心に
民族形成した連中も自民族のウーツとして英雄視してるんじゃないかな。
もっとも現在の彼らはトルコ系民族なのだけれど。
121 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:36
>>118 ロマンというにはあまりにも根拠が薄いからでしょ。
妄想っていったほうがいいくらいに。
122 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 12:55
>>117-118
時代と言うより、妄説に頼らなければ自尊心を維持出来ないタイプ
の人が日本人にも居たということでは?
過去形で書いちゃったけど、今現在も居るかもね。
123 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 13:39
単に、「あの義経は実は生き延びて偉業をなしとげたんだ…」と
思いたかっただけで、日本がどうとかの関心はなかった人が
多いのでは。
124 :
Cipher:2001/06/18(月) 14:29
つーより 何か大陸に対する日本人の憧憬を感じてしまう。
島国ゆえに文物・文化は入るが見た事のない唐国・天竺…
その歴史に関わった日本人が1人くらいほしいっつー憧れでせう。
世界のどこでも旅行にいける今の時代には分からんセンスかもしらんが。
125 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 15:32
日本には無い盾状地が作る大平原。
どこまでも広がる地平線。
もアルゾ
126 :
アマノウヅメ:2001/06/19(火) 06:14
>>118 117です。私が言いたかったのは、日本が列強の仲間入りを
しようとして、焦って居た時、戦後まだ完全には先進国になりきれて
居なかった時、かっては世界を征服するところだったんだという
妄説を売りつける人が出て、それを買いたがる人がいたってことです。
一番の得意客は国民の選民意識を高め、大陸進出に向けて煽りを入れたかった軍ですな
128 :
世界@名無史さん:2001/06/19(火) 10:26
長山靖生の『偽史冒険世界』が参考になるね
129 :
アマノウヅメ:2001/06/19(火) 18:18
>>127 その、選民意識の捏造ってことが言いたかったんです。
適切な言葉で解説してくださって有難う。
119さん
アメリカは知りませんが、ヨーロッパでは
非常に忌まわしい存在とされていますから、
影響がないとは思えません。
130 :
血栓:2001/06/20(水) 03:13
去年海外にいるときに聞いた話だが、ウクライナのキエフ大学に
みづからを源義経の子孫であると称し、
チンギス・ハーン=義経以上の説を展開している教授が
いるとのこと。なにぶん語学が達者じゃなかった頃に聞いたので
詳しい話はわかんないっす。
ウクライナ人の弁髪はサムライの影響とかそんなことも・・・
131 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 07:54
詳細キボーンヌ
132 :
世界@名無史さん:2001/06/21(木) 08:22
133 :
血栓:2001/06/22(金) 02:19
>>131 自分と一緒にその話を聞いた日本人(語学ばりばり)が
今サハリンにいって連絡が取れないので帰国したら聞いてみますね。
もう一週間もすれば帰ってくるはずなんだけど。
134 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 04:27
チンギス・ハーン=義経以上の説って、、、?
135 :
名無しさん@ご利用は計画的に:2001/06/23(土) 04:31
136 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 04:52
出てないと思うからかくけど、大体
テムジン = 天神 ってとこですでにOUTだと思うんですが・・・
テムジンはテムチンとも書かれますし(ちょっとアルファベットは忘れましたが)
テムジンの意味は「鉄の男」でこれを否定すると、
みずからチンギス・ハーンの一族の末裔を名乗ったティムール(「鉄」の意)の
名前の意味を否定してしまう・・・
137 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 05:36
>>136 いやいや、信じてる人にとっては
天神→テムジンが先にあって
モンゴル語の似た単語であるところの鉄(テムル?)と
後からこじつけで結び付けられたってことになるんだよ、きっと。
138 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:40
大体、義経のような武将としては優れていてもその他の面では全く駄目な馬鹿が
ユーラシア大陸を征した化物征服者になれるかっつうの
139 :
世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:45
モンゴル等の騎馬民族が何百年とかけて編み出してきた
あの騎馬戦法を、義経が一代で発案した、というのも
説得力を欠く要因でしょう。
源義経は好きだけどね
>>137 まさにああ言えばこう言うという訳ですな。
しかしまぁ、大昔のプロパガンダを間に受けてる連中が多いとは・・・こりゃ天国でウケまくってることでしょうな
ノストラダムスもゲラゲラ笑ってることだろうし。
ま、それは置いといて
>>138 の武将として優れているというのもどうかと思います。
自分の腹心ばかり重んじて独断専行してるようでは大軍を指揮することは適わないですし。
この時代の軍勢では自分の手持ちの兵だけではなくほかの領主とその部下を使うことになるわけでしょう?
元々所領を持つわけでもない義経が数少ない自分の腹心だけ使って他の連中は置いてけぼりじゃ反感買って
当たり前。古来から大軍を指揮して勝利を収めることはその軍の武将を掌握することが不可欠ですからねぇ
小部隊の指揮官としてはそれなりなのかも知れないけどさ。
政治判断も甘すぎるし、不覚悟すぎるし・・ま、「ああ言えばこう言う」人達は「その反省を活かしてあれ
だけのことが出来たんだ」と言うでしょうな、多分。
141 :
Cipher:2001/06/24(日) 13:22
「テムジンの意味は「鉄の男」で
チンギス・ハーンの一族の末裔を名乗ったティムール(「鉄」の意)」
そうなの?
じゃあスターリンの名前の由来もそこからかな?
142 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 15:51
>>141 ティムールはモンゴル人の名前「テムル」(鉄)の
アラビア文字つづりTMWRのペルシア語読みだよ。
読み方は慣例ではティムールだけど、
あえてモンゴル語風にテムルって読むモンゴル史学者もいる。
スターリンはそれと全然関係なく「スターリ」から名前つけたんじゃない?
東洋史の知識があったとも思えないし。
143 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 16:08
なんか「義経=チンギス・ハーン」説って、
日本の大陸侵略の方便のにおいが濃厚。
「義経の北海道王国」説だって、北海道開拓期にまことしやかに語られたわけだし。
まさか政府が流したうわさってことはないだろうけど、
民衆レベルでの「海外へはばたく日本」という期待と判官びいきの混合物じゃないかと思う。
まさに近代が産んだ伝説だと思う。
144 :
世界@名無史さん:2001/06/24(日) 17:35
テレビ的にはおいしい話だけどね。
「知ってるつもり」かなんかで、そういう話題があった気がする・・・
145 :
Cipher:2001/06/25(月) 00:21
>>142 東洋史の知識が詳しくなくても
さすがにジンギスカンとかは知っていたでしょ。
146 :
142:2001/06/25(月) 00:26
>>145 いや、テムジンやティムールの語義が鉄ってことまで知ってて
ヨシフ(以下略)が自分にスターリンってつけたとは思えないけどなあ
って意味なんだけど…。
147 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 00:41
141>>
スターリンはグルジア人だったから、アジア人(しかもモンゴル人)の英雄を
自分と重ね合わせる必要などさらさらなかったと思われ。
グルジアって、まずロシア、それからヨーロッパという二段重ねのコンプレックスがあるしね。
148 :
Cipher:2001/06/25(月) 00:56
う〜ん。逆にロシア人にたいするコンプレックスがあるから その名前を選んだような気もするけどね。
いずれにせよ証明できない話だし、スレ違いだから ここまでにしませう。
149 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 01:23
なすよしもかな=成吉思汗。ハッハッハ
う〜ん、信じちゃいないけど完全粉砕
するのもモッタイナイ話なんだよね〜。
ところで「けざわあずま」なる日本人が支那に渡って
革命を起こしたっていうのは本当ですか?
150 :
Cipher:2001/06/25(月) 09:29
>>143 別に「義経=チンギス・ハーン」説があるから
日本の大陸侵略があったわけではない。
そういう説があったから利用された面はあるけど
ノストラダムスの予言詩がナチスのフランス侵略に利用された程度。
おいらも別に「義経=チンギス・ハーン」説を
信じてるわけではないが、たかが2チャンの議論だから
もっと肩の力を抜いて楽しめば?と思ってるだけ。
151 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 12:47
馬賊・匪賊・大陸浪人っていうのは、この伝説の結果
うまれたものなのかいな?
152 :
アマノウヅメ:2001/06/25(月) 13:45
>>151 匪賊というのは元々中国にあった盗賊団だから違いますが、
あとの二つには心情的影響はあったと思われ。
多分信じてはいなかったでしょうが。
153 :
世界@名無史さん:2001/07/01(日) 14:45
>>135 そっちの方がまだ信憑性があるけど。「以上」ってことはないな。
154 :
Cipher:2001/07/04(水) 09:33
義経が騎馬兵中心の機動戦を行ったことが、まず第一に義経=ジンギスカン説の根拠に
なっているわけだけど、確かにああいう戦い方が自然に生み出されたと考えるのは
無理があるような気がする。
>>153 まず第一に義経の取った戦術がチンギスカンと似ているというのが完全な誤り。
戦場への移動の際に騎馬兵を先行させていたに過ぎないし、戦場では通例通りの一騎打ち
で集団戦からかけ離れたことしかしていない。
何回も何回も何回もこの説が出るたび言われることですが。
>>154 遊牧民はチンギス・ハン以前から騎馬の機動戦術で戦ってるぞ。
モンゴル帝国の戦法は特別新しかったわけじゃない。
だからその考え方だと逆に源義経=遊牧民出身説にならないか?
157 :
Cipher:2001/07/04(水) 14:31
>>156 そうだよなあ。(笑) まったく おれもその通りだと思う。
>>155 確かに精緻にみれば細かい部分で戦術の違いはあるだろうが、
大まかに騎馬の集団活用という発想は日本発祥のものではないと思う。
だからなにがいいたいかというと
義経がモンゴルに渡ったというよりも配下に
騎馬民族出身の人間がいた可能性があるのではないか。
158 :
世界@名無史さん:2001/07/05(木) 03:00
>>157 「騎馬民族出身の配下」てのがどんな民族の人を指してるのかはさておき、
…騎兵の集団活用が日本発祥で無いかも、というのは何故?
義経をはじめ、合戦に長けた武将が必要に応じて騎兵を有効に活用しただけなのではないかと思いますが。
大陸の兵法の影響がどうとか言うのは置いといても、日本の騎兵運用とモンゴルのそれとを短絡的に結びつけるのはちと考えものかと。
159 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 15:34
>>157 だからー,義経は騎馬の集団運用なんてやってないって,前のほうで何度も出てるのわかんないの?
小説とかマンガなんかで書かれていることをうのみにするんじゃないよ。
160 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 18:21
なんで安徳天皇=チンギスハーンと言う奴が居ないんだ?
161 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 19:06
>>160 安徳天皇は、宋の衛王になったんだよ。
幼くして海に沈んだところがまったく同じだ。
騎馬戦術が同じだから、義経はチンギスハンというのと
同じぐらい説得力があるだろ?
162 :
世界@名無史さん:2001/07/06(金) 22:59
163 :
世界@名無史さん:2001/07/07(土) 00:34
>>157・・・・・コメントし辛いね、君。
あのね、オレが書いてるのは義経は戦場へ移動する際に騎馬兵を先行させていたにすぎないとあるでしょ?
君が言う騎馬の集団活用の意味が正確には判らないんだが、モンゴルの騎馬の機動力を活用した集団戦と
義経のとった行動に共通点があるというのが間違いなの。判る?
早い話が自分だけ手柄独り占めにしようと徒歩の連中を捨てて先に行ったに過ぎないのよ、あれは。
戦場についたら名乗りあげて戦ってるのにどうしてそうなるのかね?
165 :
世界@名無史さん:2001/07/29(日) 07:46
166 :
さち子:2001/07/29(日) 08:34
わたしが昔、まだ無名だったころに
否定派として参加したスレですね。
あのころはわたしがあんな大事件
を起こすとはわたし自身、
思いもよらなかったですね・・・
167 :
さち子:2001/07/29(日) 08:44
しまりが悪いので追加、
わたしは宇宙哲学の素晴らしさと
わたし自身の修行成果を公表したかっただけです。
168 :
世界@名無史さん:2001/07/29(日) 08:56
>>167 コテハンは使用していなかったのですか?
169 :
さち子:2001/07/29(日) 09:23
しみじみと関係無い事、語ってごめんなさい。
義経=チンギス・ハーン説にも意見させてもらいますが
やはり、維新以降の「日本人偉大な民族論」の一つですね。
アジア侵略をし、列強に加わろうとする日本人のアイデンティティーですね。
源為朝初代琉球王伝説もそうですが対外侵略の心理的口実にもなりました。
こういう明治〜戦前までに流行したオカルトにも近い異説には他に
古史古伝
竹内文書などが有名、日本が全世界の起源であり文明発祥の地だと主張している
ムー大陸
日本人がムー王国の支配階級の子孫などという主張
木村鷹太郎説
日本人がかって、ヨーロッパや中近東などで
文明を築いた支配民族の子孫であるという主張
日ユ同祖論、偉人渡来説
日本人はユダヤ十支族の子孫であり、
キリスト、モーゼ、シャカ、マホメット、孝子などの偉人が
日本に渡来したり、日本に勉強に来てまた帰って行ったという説。
まだありますが、このくらいにします。
義経=チンギス説はこの手の説の一つにすぎないですよ。
170 :
さち子:2001/07/29(日) 09:25
>>168 そうです。
わたしはオカルティストでもありますが
別になんでもかんでも、信じているわけではありませんので。
どの書き込みかは内緒にしておきますね^^
sageようよこんなスレ
このスレまだ続いていたんだ・・・・・・・・・。
続いてたというより、
>>165が掘り起こしてしまったというべきか。
もっと下げろ
175 :
世界@名無史さん:2001/08/02(木) 13:57
皿氏age
176 :
世界@名無史さん:2001/08/19(日) 06:06
墓発見age
墓発見はこのスレとは関係ねぇだろ!!・・・・って言いたいが、ニュース聞いてからすぐに
連想したのが、「これで義経かどうか判るね」とかほざくアホがいるだろうな、というのが
凄く悲しかったが。
アレ自体は本物なら21世紀最初の大ニュースとして刻まれそうだけどな。このスレが上がる
度に日本人であることがちょっぴり嫌になる。
178 :
○○は日本人!って:2001/08/19(日) 12:53
朝鮮人と同じレベルじゃん
米しか食ってない、一騎打ち大好きの当時の日本人が、
あの過酷な遊牧生活の中で頭角を現すのは無理っぽい・・・。
>>23 前作「王狼」のラストで、チンギスハーンとなった主人公の息子がフビライになったのはかなりワラタ。
武論尊って原作書くとき本当に一冊も資料読まないのな…
>>180 しかも日蓮出てくるしね。<王狼伝
なんでお前が大陸におるんじゃい!って。(藁
>>179
「一騎討ち」のが格好いいよ。
>>182 一騎討ちをしかけようとして、集団戦の餌食になるのはすごくマヌケでかっこわるいぞ。
184 :
世界@名無史さん:2001/08/22(水) 01:08
>182
一騎討ち、が好きなのか、
それとも、打ち、の字が気になったのかどちらなの?
185 :
世界@名無史さん:01/09/18 05:47
糞スレ
一騎撃ちじゃ〜!!!