1 :
世界@名無史さん:
日本を指すためにシナ人が使った呼称。
我が国 だろ
4 :
世界@名無史さん:2001/03/07(水) 17:51
age
5 :
世界@名無史さん:2001/03/07(水) 21:00
「倭」=「い」=「伊」
6 :
世界@名無史さん:2001/03/08(木) 04:14
>>5 ソレハナイ。
「倭=委」の発音はwaが古くwiは後。まして伊はiだからぜんぜん別の音。
7 :
名無しにゃーん:2001/03/08(木) 13:14
和
8 :
世界@名無史さん:2001/03/08(木) 16:04
>>3 ソレモナイ
「我」ならば古くは「わ」でなく「あ」。倭はaでなくwaだから別。
9 :
世界@名無史さん:2001/03/08(木) 16:06
>>7 「倭→和」であって「和→倭」なのではない。
10 :
世界@名無史さん:2001/03/08(木) 19:12
>俺は「倭」というのは一国家を指すのではなく、北方異民族を「胡」と
>呼ぶのと同じ程度の意味合いしかないと考えている。つまり「朝鮮半島
>の南方=倭」位の感じ。
俺もこんな感じだと思う。
「漢倭奴国王」(一字不正確)なんて金印があるくらいだもんな。
11 :
世界@名無史さん:2001/03/09(金) 16:10
age
12 :
世界@名無史さん:2001/03/10(土) 14:34
age
13 :
世界@名無史さん:2001/03/11(日) 18:58
age
14 :
>6,9:2001/03/11(日) 19:13
中国はあれだけ広いんだ。
各地に方言も多いだろう。
そんなに画一的に決められるものだろうか?
15 :
世界@名無史さん:2001/03/12(月) 11:47
age
韓国が東のほうの小さい島々に出張しただけだろ?
17 :
世界@名無史さん:2001/03/13(火) 11:00
age
18 :
14:2001/03/13(火) 18:17
中国の音韻なんて、支配民族が変われば変化するってことないの?
古代の音韻なんて、書かれたものから推測するだけでしょ。
書かれたもので、残っているのは、支配階層のものだけでしょ。
あんなのそんなに役に立つとは、思えないんだがなあ。
中国の支配民族なんて、すぐ変わるし。
>10その説って、日本史板で散々議論され論破された説ですよ
日本史板の過去ログ見ればわかる。
20 :
世界@名無史さん:2001/03/14(水) 13:14
21 :
世界@名無史さん:2001/03/15(木) 13:29
age
22 :
世界@名無史さん:2001/03/16(金) 15:47
age
23 :
世界@名無史さん:2001/03/17(土) 10:40
age
24 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 21:20
age
25 :
世界@名無史さん:2001/03/19(月) 15:50
age
26 :
世界@名無史さん:2001/03/19(月) 23:21
「倭」って漢字には
衰退するという意味があるそうな。
人に委せると書いて「倭」。
人に頼ってばかりいるうちにフヌケになったってことなのかね・・・
うちらも
ヒドい蔑称で呼ばれてたんだなぁ
27 :
世界@名無史さん:2001/03/20(火) 00:48
チャンコロは、異民族の呼称に卑しい文字を当てるという行為を、2ちゃんねらーより
4000年前から実行しているのです(藁
28 :
世界@名無史さん:2001/03/20(火) 12:14
ニンベンつけて「倭」と書くようになったのは後漢の頃からで、
前漢の頃は「委」と書いていたようだ。
さらに古くは「于」だったらしい。
#漢字だから意味をとろうとすればそりゃいろいろ言えるだろうけど
もともとは音写でしょう。
29 :
世界@名無史さん:2001/03/20(火) 16:18
age
30 :
世界@名無史さん:2001/03/20(火) 19:30
>28
同じ音を表す何種類もの漢字の中から、特定の文字を選択する理由は何か?
いいかげんチャンコロの本質を見抜けよ。
31 :
世界@名無史さん:2001/03/21(水) 01:05
白川静などが批判しているように、昔風の訓詁学ではよく
同音や類音の漢字から意味を推測するというのが通俗的手法だったけれども、必ずしも学問的なやり方ではない。
「倭」を矮小の「矮」にとるのも後付け解釈でとるに足らない。
「委」や「于」にどんな悪い意味がある?
新旧唐書の伝聞記事もそう(当時はすでに「倭」の字を使い、古く「委」だったことは忘れられていた)
「倭」が悪い意味だから嫌ったというのは史実ではない。7世紀まで堂々と「倭」と自称し、他称も容れていた。
8世紀になっても大和国の意味で使われた他、神武天皇の名の一部に使われたり、特に忌避されたようすはない。
32 :
世界@名無史さん:2001/03/21(水) 03:05
「和」とか「日本」とか名乗ること自体、嫌っていた証拠なのでは? 当然、「倭」
という呼称に侮辱、軽蔑の意図を感じたから嫌ったのである。
現在も、隣に「朝鮮」を嫌い「韓」を名乗る国が存在する。彼らはなぜ「朝鮮」を
嫌うのか?それは「朝鮮」という呼称に従属国の意味を感じ取るからである。
「 7 世紀まで堂々と「倭」と自称し」ていた人々とは、現在、シナの要求を受け入
れた教科書を執筆している歴史学者たちと同じ精神構造の持ち主だったと思われる。
当時の歴史書に「倭」を嫌った記述がないとすれば、それは同じメンタリティをも
った歴史学者が執筆していたせいでは(藁
33 :
世界@名無史さん:2001/03/21(水) 21:47
age
34 :
世界@名無史さん:2001/03/22(木) 15:04
age
35 :
あやめ:2001/03/22(木) 16:19
「委」という字にも「委棄=地べたに捨て置かれた」とか「委蛇=ぐにゃにゃした」
とか余りイメージの好くない意味があります。「委任」の委もそうしたニュアンス
から変遷してきた用法です。太古の日本にいた人が自分のことを「われ」という意
味の「わ」で答えたので、支那人が「ウァ」や「ウェ」の音の「委」で表記したの
でしょう。表音のために選ばれた字で他意はないとも言えますが「矮」などと通ず
る語感は伴ったでしょう。古代日本人も当時における伝統的用字であったので「や
まと」に「大倭」を当てていましたが、やはり好ましくないと思ったればこそ「大
和」という表記に改めたのだろうと思われます。白川さんがどんなことを言ってる
か知りませんが、あの方は語と字の結びつきが確定せずユレが常態であった時代の
研究が専門で、あまり権威的に引用することもないように思います。
ところで「委」を当てる前は「于」だったというのはどういう根拠のある説なんで
すか?
36 :
世界@名無史さん:2001/03/23(金) 11:15
age
37 :
世界@名無史さん:2001/03/24(土) 11:57
いなか帰ると女の人(ばばあ)も俺(われ)と
いうのだが、大昔の人はきっと少なくても最初
に(わ)のつく言葉で自分を自称していたと思
う。
38 :
世界@名無史さん:2001/03/24(土) 14:27
うちの田舎、っても今では方言を話す人は80歳以上くらいだけど、
「われ」が「我」じゃなく「汝」の意味ですね。
39 :
世界@名無史さん:2001/03/24(土) 15:46
age
40 :
あやめ:2001/03/24(土) 16:50
たしかに俗説には違いないけど、かと言って「倭」の語源を説明する有力な
定論もなさそうだし、2チャンネル的には許容範囲じゃないかしら、音韻的
に成立しないとかいうことかな?
41 :
あやめ:2001/03/24(土) 16:55
40は「満州国の客観的な考察」のレス196(多分スレ違いカキコ)に対するものです
42 :
世界@名無史さん:2001/03/24(土) 18:10
>>38 ああ、私の実家の近辺の年寄りもそうです。
自分=オレ 相手=ワレ
辞書を調べたら、これは方言ではなく、ブロークンな日本語として
一般的な用法だったみたいです。
43 :
あやめ:2001/03/24(土) 19:52
「おのれ(おんどりゃ)」で相手を指す用法もあり「第2人格」にとって
の「第1人格」という擬制的な表現として、かなり一般的だと思います。
「倭」とはあんまり関係ないけどね。
44 :
名無しさん:2001/03/24(土) 19:52
「委」にしなやかなさまを表します。
そして「倭」は腰の低い人という意味ですね。
つまり中国人に対して従順な人々だったのでしょう。
イヌとかよりはずっとマシな扱いですな。
45 :
世界@名無史さん:2001/03/24(土) 23:08
魏は「委」に鬼がついてる。
倭は「委」に人がついてる。
こっちのほうが上等な気がする。
46 :
あやめ:2001/03/24(土) 23:29
>44
35にも書きましたが「委」は地上に垂直に立ち上がってないで、物に支えられて存在
しているイメージです。ぐたっとしている「萎」や背をまるくちじこまってる「矮」
などもそうしたイメージを共有する字です。「しなやか」「腰が低い」もそうした含
義の展開によるもので、他の物体に身を「委ねる」形から由来します。
47 :
世界@名無史さん:2001/03/25(日) 00:33
日本人の性格は昔から変わってなかったのね
ある意味、動物の漢字を付けられるより屈辱的だな。
48 :
世界@名無史さん:2001/03/25(日) 13:31
age
49 :
世界@名無史さん:2001/03/25(日) 14:25
むかしの華夏人はどーいう訓か何か考えて字を当ててないんだから、
倭のもともとの意味がどーだこーだなんてこと言ったって無意味ですぜ。
たとえば「身毒国」って書かれてあるからといって、
つい身体に悪い国だと想像してしまうのはいかにも現代人的な短絡。
50 :
あやめ:2001/03/25(日) 14:59
ってゆーか外夷に対しては好いイメージの字は原則として当ててくれない
って言いたいわけ。インドに「天竺」みたいな佳字を用いたのはお坊さん
なればこそでしょう。
51 :
世界@名無史さん:2001/03/25(日) 16:55
1、倭の字は、ケモノ偏もムシ偏もつかない。
2、しかも夷狄に多い複数文字名でなく中国風の1文字名。(ま、これは例外も多いのでナンだが)
これだけでも多少考慮するに値しないか? ただの蔑称ですハイ終わりかよ。
>>50 おや、あやめさんにしては浅薄なご理解だ。偽物ですかな?
梵語のSindhuの音写として、身毒、天毒、天篤、天竺、賢豆、印度などがあることはご存知かと思うが、
これらの使い分けは僧か否かということによってなされたものではない。
僧が著した内典にも身毒と見えるし、正史のような外典でも天竺という。
これらの表記の違いは転訛や音写の不統一を示すだけであり、
外夷だから佳字を用いなかった、あるいは僧侶だから好んで佳字を用いたというわけではない。
僧が毒という字を忌んで竺に改めたという話は聞いたこともないし、
>外夷に対しては好いイメージの字は原則として当ててくれない
というなら、逆にいえば自国をさすシナは必ず佳字を当てられていなければならないはずだが、
支那、脂那、至那、斯那、真丹、振旦、震旦、真那とほかの外国の表記とさほど
違いがあるわけではない。
そもそもあなたのいう「原則」とはどういった根拠に基づいて導き出された規則なのでしょうか?
ぜひともおうかがいしたいものだ。
53 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 03:25
>外夷に対しては好いイメージの字は原則として当ててくれない
そんな原則あるのかなあ?
【佳字とは思えないが悪い字とも思えない例】
突厥、邑婁、菴蔡、波斯、堅昆、丁令、康居、夫餘…
【これは佳字といってよいと思われるか明らかに蔑称とは思えない例】
柔然、沃沮、大宛、貴霜、越、高句麗、大月氏、韓、大秦…
54 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 10:32
age
55 :
あやめ:2001/03/26(月) 17:15
50は真あやめではありません。
天竺は「後漢書」の「桓帝紀」あたりから見えていますから坊さんとは一応無関係で
しょう。夷狄の称に対しては不祥の文字を当てるという原則を立て厳格に適用したと
いうようなこともないと思います。差し当たりは異民族の呼称の音を漢字にどのよう
に反映するかという作業がなされたと考えられます。しかしその際に荒服の遠夷に用
いる文字にいやなイメージのものがあったとしても、何らの躊躇も働かなかったよう
に窺がわれるのも事実だし、時として敢えて蔑称を採用したらしいものも少なからず
あるようです。「史記」の「大宛傳」で「身毒」という文字が選ばれた際に「篤」や
「督」や「讀」が想起されなかったのでしょうか。採用した方は文字の意味まで意識
せずランダムチョイスしたのかもしれませんが、読む方にとっては「毒」の上にわざ
わざ「身」まで添えられていれば異様な感じは免れなかったのではないかしら。もち
ろん「体に毒を持ってる民族」とまでは思わなかったにせよ(「山海経」なんかの連想
からそんな受け取り方をした者が皆無じゃないようにも想像されますけど)、「どっち
かといえば野蛮な地域」といったイメージは自ずと形成されることになったでしょう。
「穢」「貊」などは明らかな蔑称で「倭」などもその延長に位置するものかと考えて
います。「高句麗」のような特に佳字を用いているのは前漢の縣名に由来するもので、
それも当初は「驪」に作っていたものを王莽に「下句驪」と改められたこともありま
した。この地域は早くから漢字文化圏に隣接していたので漢字イメージの美醜にも敏
感であったとも思われます。醜字を宛がわれた方でもあまり気にしないで使用してい
た例としては、「蠕蠕」だの「ゼイ(艸冠の下に内)ゼイ」だのと呼ばれていた「柔然」
が、「大茹茹」を正式の国号としていた事例なども漢字の美醜を意識しないでいた民
族だからでしょう。
概して異民族に対しては積極的に佳字を用いることはなく、醜字を用いる例はかなり
見られると言っても差し支えはなさそうに思います。近代まで南方の少数民族につい
ては「犬」偏を付けられているのが普通で、現代では全て「人」偏に改められたのは
顕著な事実であって、そうした獣扱いは蠢頑なる蛮夷には差別的な名称を使用してい
た伝統の残滓というべきもので、華夏と戎狄の間に全く平等な文字使いがなされてい
たというのも首肯し難いものがあります。
なお「眞」「振」「震」「丹」「旦」などは佳字と言ってよいものではないでしょうか。
56 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 17:38
57 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 18:39
>差し当たりは異民族の呼称の音を漢字にどのよう
>に反映するかという作業がなされたと考えられます。しかしその際に荒服の遠夷に用
>いる文字にいやなイメージのものがあったとしても、何らの躊躇も働かなかったよう
>に窺がわれるのも事実だし、時として敢えて蔑称を採用したらしいものも少なからず
>あるようです。
「原則」といっったことからすると、ずいぶんトーンダウンですね。
>「どっち
>かといえば野蛮な地域」といったイメージは自ずと形成されることになったでしょう。
野蛮の意味内容がちょっと微妙な問題をかかえていると思います。
中華文明に浴さないものは文字表記がどうだろうと
お構い無しにある意味野蛮なのでは。
>「高句麗」のような特に佳字を用いているのは前漢の縣名に由来するもので、
>それも当初は「驪」に作っていたものを王莽に「下句驪」と改められたこともありま
>した。この地域は早くから漢字文化圏に隣接していたので漢字イメージの美醜にも敏
>感であったとも思われます。
まあ高句麗はわかるけど例外だろうね。
柔然、沃沮、大宛、貴霜、越、大月氏、韓、大秦が
すべて「この地域は早くから漢字文化圏に隣接していたので
漢字イメージの美醜にも敏感であった」とはまさか言わないでしょう。
>醜字を宛がわれた方でもあまり気にしないで使用してい
>た例としては、「蠕蠕」だの「ゼイ(艸冠の下に内)ゼイ」だのと呼ばれていた「柔然」
>が、「大茹茹」を正式の国号としていた事例なども漢字の美醜を意識しないでいた民
>族だからでしょう。
正式の国号は「ゼイ(艸冠の下に内)ゼイ」の方だったと思うぞ。
それと「柔然」「大茹茹」は醜字といえるのかいな。
たんに「蠕蠕」だけが蔑称だっただけじゃないの。
>概して異民族に対しては積極的に佳字を用いることはなく、醜字を用いる例はかなり
>見られると言っても差し支えはなさそうに思います。
統計的な根拠はあるのでしょうか、たんなる思い込みの域を出てないように思うが?
>「穢」「貊」などは明らかな蔑称で
>近代まで南方の少数民族につい
>ては「犬」偏を付けられているのが普通で、現代では全て「人」偏に改められたのは
>顕著な事実であって、そうした獣扱いは蠢頑なる蛮夷には差別的な名称を使用してい
>た伝統の残滓というべきもので、華夏と戎狄の間に全く平等な文字使いがなされてい
>たというのも首肯し難いものがあります。
ケモノ偏やムシ偏は上古にはトーテミズムとかなんらかの宗教的な意味があって
必ずしも蔑称だったとは限らない、
後に中国人の合理主義が宗教的感覚を凌駕するようになり
中国人自身がこれを蔑称のようにみなすようになったとしても
上古以来の(宗教的観念に由来する)自負心すらもっていたこともありえないことではない。
また異民族の側にしてみれば最早古くからの伝統的呼称として定着してしまったものは
伝統と結びついた民族的自負心もあって、おいそれと改称しうるものではなかった
(「倭」しかり「匈奴」しかり)のではないだろうか。
58 :
あやめ:2001/03/26(月) 18:53
>ケモノ偏やムシ偏は上古にはトーテミズムとかなんらかの宗教的な意味があって
>必ずしも蔑称だったとは限らない
この辺はちょっと強引じゃないかしら?
まあ余り生産的な議論に発展するとも思えないから打ち切りとしましょう。
59 :
世界@名無史さん:2001/03/29(木) 19:38
age
60 :
世界@名無史さん:2001/03/29(木) 23:17
>>All
オレは世界史板の人間ではないが、杉山さんの著作によれば「倭」ではなく
「倭奴」であると言っているよ。倭の奴の国とは大和民族が勝手に読んだもので
本来は 倭奴(わど)である。とのこと。オレはこの解釈に賛成。
周辺民族で一字の民族もあるがそれは漢民族に対し何らかの貢献をしたために
一字になったのでしょ。日本=倭奴
61 :
世界@名無史さん:2001/03/30(金) 06:39
杉山って誰? 杉山正明じゃないよな?
「倭」じゃなく「倭奴」が正しいというのはある程度
漢籍史料よんでりゃ、かなり無茶だとしか思えない。
62 :
世界@名無史さん:2001/03/30(金) 15:35
age
63 :
世界@名無史さん:2001/03/31(土) 13:28
age
64 :
世界@名無史さん:2001/04/01(日) 14:05
age
65 :
世界@名無史さん:2001/04/02(月) 09:39
age
66 :
世界@名無史さん:2001/04/15(日) 00:12
age
67 :
世界@名無史さん:2001/04/15(日) 02:35
てん(さんずいに眞)という国(雲南地方)はその地方にある湖からとられた名前だけど、別に蔑称というわけではない。
日本と同じように金印(漢倭奴国王印と同じ蛇のつまみが付いている)も出土している。
史記の西南夷列伝には夜郎国・てん・きょう都(「きょう」は工におおざと)などが見えるが、いずれも蔑称ではないようだ。
「てん」と「倭」の扱いは似たようなものだし、(実際、てんも倭も照葉樹林文化系に属し、非常によく似ていたらしい)
「倭」が蔑称とは思えない。
68 :
世界@名無史さん:2001/04/15(日) 12:13
倭・委iuai
于hiua
で、「あ」「わ」に近い(?)から、音写なのでは?
都会に来た田舎者のことを、みんなで「オラ」って呼んだようなものかも。
現地語に近い音の字を当てるって、どっかで聞いたような気が…
倭奴国の奴naも音写だとすると「オラの国」???
身・申sjien
天thyen
毒duk
篤・督・竺tuk
讀dok
69 :
世界@名無史さん:2001/04/15(日) 15:24
「オラ」って現代語じゃん。おもしろいトンデモさんだね。
70 :
世界@名無史さん:2001/04/15(日) 15:31
中央アジア古代史の方では、
ホータンの最古の漢字表記「于[門眞]」はyu-tu-bi?(vi?)の音写らしいぞ。
これから察するに「于・委」の字の音は、y→h→wと変化してきたと見られる。
71 :
うううんん:2001/04/15(日) 20:01
2chで韓国のことを「ウリナラ」と表記する場合があるけど、
これは韓国語で「我が国」という意味だね。
カナダのヌナブート自治州の「ヌナブート」も、
イヌイット語で「我が国」という意味だ。
古代の日本列島人がこの列島を指して
「wangakuni」みたいな呼び方をしていて、
そこから「倭国」という漢語が生まれたというのは、
仮説としては説得力あると思う。
実証も反証も無理っぽいけど。
72 :
IBM:2001/04/15(日) 20:05
井沢説の輪・和と倭との関連を主張する方が
よっぽどマトモ
73 :
68:2001/04/15(日) 23:22
オラって現代語だったんだ。
そういや方言で聞いたことないな。
欝氏
74 :
>73:2001/04/15(日) 23:46
「自分」を意味する語が一人称や二人称に転じるというのは、
日本語の歴史で何度も繰り返されたことだけど、
本来は再帰代名詞の「おのれ」にも同じことが起きた。
「おれ」「おら」「うぬ」みたいな人称代名詞は、
「おのれ」が訛って生まれたもの。
古代日本語にそういう語はまだ生まれてなかったろうね。
でも、どのみち古代語の一人称は「ワー」だから、
基本的主張に影響するようなことじゃないよ。
75 :
世界@名無史さん:2001/04/16(月) 03:08
一人称「あれ」(我・吾)
二人称「なれ」(汝)
三人称「かれ」(彼)
一人称「われ」なんてのは「あれ」が訛って、後にできたんじゃないの?
倭国の倭が「我が国」からきたなんて北畠親房の時代からある俗説だろ。
いまどき真面目にいってる学者なんか見たことないぞ???
しかも「我が国」説が人気あるのは
この2ちゃんねるだけの局所的現象のような気がするが、どういうわけ?
自演してるやつでもいるのか?
76 :
名無しさん@新井キラー:2001/04/16(月) 11:22
「倭」の語源が「我が国」であるという説は,結構むかしからある説だと思います.
14世紀人である北畠親房も下記のように述べています.
「漢土より倭と名づける事は,昔此の国の人はじめて彼土にいたれりしに,「汝が国の名をばいかが云ふ。」と問ひけるを,「吾が国は」と云ふをききて,即ち倭と名づけたりみゆ。」
(北畠親房『神皇正統記』)
名づけたりみゆ → なづけたりとみゆ
78 :
76:2001/04/16(月) 11:29
おやおや.北畠親房も云ってるなんてのは,75氏のレスでガイシュツでしたね.
(鬱だ.)
79 :
世界@名無史さん:2001/04/20(金) 07:11
>あやめ
「倭」が古くは「于」だっちゅー話は、
魏略に「[サンズイ+于]人国」とあるところが後漢書に「倭人国」となっていることから
「[サンズイ+于]=倭」と見て、
尚書などにでてくる九夷の中のひとつ「于夷」の于を[サンズイ+于]の前身と同定するものだろう。
80 :
日本@名無史さん:2001/04/20(金) 10:27
そもそも、あやめさんはどういう人なんでしょう。
女性ですか? それともネカマですか?
そちら方が謎です。
81 :
日本@名無史さん:2001/04/20(金) 10:31
ネットなんて時よ性も男性もわからない世界。
少なくともあやめさんが「女性キャラ」であることはたしかだ。
それで十分じゃない。
82 :
世界@名無史さん:2001/05/01(火) 12:18
倭の人々が流浪して日本の(少なくとも)一部を作ったというのは正しいですか?
>>82 いいんじゃない? ただ「流浪して」ってのはよくわからいが。
84 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 17:38
そもそも倭人て厳密にはいかなる地域の種族、部族を
さすのですか?
85 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 17:50
>>84 古代中国人が考えてたことが、今では「厳密には」わからないから
みんなで議論してるわけですよ。
それから西欧人が言う「オリエント」や「アジア」と同様、
「倭」の指す地域も歴史と供に推移していたようです。
86 :
世界@名無史さん:2001/05/02(水) 18:02
>85
では、通例一般的に「倭」や「倭人」といえば
どのようなイメージでとらえるのがいいのでしょうか?
87 :
=85:2001/05/02(水) 18:25
歴史的な話題としては、やはりまず「魏書 倭人条」の記述を
ベースに考えるべきですよね。
貫頭衣を着、体に文身をいれ、お歯黒をし、漁労に長けた民族。
そっから先は諸説あってこのスレでの議論になると思うのですが。
わたしが個人的に魅力を感じるのは、華南の越系水民が朝鮮半島
南部を経由し、東シナ海北部で独自の民族性を形成した、って説です。
異論も各種あると思います。
ですので、うえの説が一番正しいなどと主張する気はありません。
個人的に説得力を感じている、というだけです。
88 :
世界@名無史さん:2001/05/06(日) 16:43
倭人ってのは日本人だろ。
日本人以外にも倭ってのがいろいろいたようにいう説もあるが、一部の例外を過大にとりあげた議論に思える。
あんまりいろいろなものを無秩序に倭とよんでいたのでは「記号」としての意味をなさないし、
中国の歴史書の実態ともあわない。
>>88 あなたの言ってる「中国の歴史書」って何のことですか?
まさか「三国志」だけのことを言っているわけではないでしょうね?
90 :
世界@名無史さん:2001/05/06(日) 19:56
たとえば、明史のようにかなり新しい時代の中国の正史でも、日本に
ついて誤解した記述があったりする。
現代でも、海外の教科書で日本を誤解した記述があるが、それとにた
ようなもの。
まして漢や魏の頃に、倭について書かれた記述なんて、誤解だらけと
考えるのが自然。
いくつかの民族に同じ「倭」という記号を与えるぐらいのいいかげん
なことだって、十分あり得る。
91 :
世界@名無史さん:2001/05/06(日) 20:10
>>90 いいかげんに、っていうか。
例の、南蛮・東夷・西戎・北狄のそれぞれにはあきらかに
中華文明が共有したイメージがあるよね。
狄は遊牧騎馬民だし、戎は内陸アジア系の遊牧民。
倭は古代中国人によって東南夷の一派と認識されていたと思われる。
やはり水民の一派って認識だろうね。
92 :
88:2001/05/08(火) 18:29
93 :
世界@名無史さん:2001/05/13(日) 04:16
なにが?
BC5世紀ごろになると朝鮮半島から北方系民族、
江南地方から南方系民族が列島に移住ちてきて、縄文人と混血を繰り返ちながら
列島全土に広がっていったでちゅ。
なお、日本語と朝鮮語の語彙の違いなどからこの北方系民族は現在の朝鮮民族の
主要な祖先とはあまり共通ちないものとおもわれるでちゅ。
また、近年の遺伝子調査により、より江南系の影響が強いものとおもわれるでちゅ。
中国の歴史書に「倭人は呉の太伯の子孫と自称ちゅる」との記述があり、
文化面で倭と江南地方との共通性を指摘ちゅる史書が多く、目に付くが
周王朝下での春秋、戦国時代の避難民が弥生時代人の主力民族であった
可能性は高いでちゅ。ちょちて、稲作、鉄器文明をたずちゃえた彼らは各地で小部族国家を建てたでちゅ。
後漢書によるとBC1には100余の国にわかれていたと言うでちゅ。
これらの小国家は徐々に征服や連合により統合ちていったでちゅ。
AD57年には奴国の王が漢に使節を派遣ち「漢委奴国王」の印綬を受けているでちゅ。
また、2世紀初頭には帥升という王が倭の面土王とちて中国に朝貢ちているでちゅ。
AD3Cは有名な邪馬台国の時代であり、日本国家の起源を
語るときに避けてはとおれないでちゅ。
魏志によるともともと邪馬台国には男王がいたが国が治まらなかったので
卑弥呼を女王に立てたというでちゅ。
卑弥呼の即位は2世紀末と推定ちゃれるでちゅ。
邪馬台国は伊都国、奴国ら30余国を従えていたというでちゅ。
この邪馬台国の所在地をを九州と見るか畿内と見るかによって
国家の起源がかなり変わってくるが、近年の考古学的成果
(初期前方後円墳の築造期が3C初頭にまでちゃかのぼること、
纏向遺跡の発掘)や魏志では邪馬台国は7万余戸の人口をもちゅ事
ちゃらにはちょもちょも邪馬台国は「ヤマト国」と発音ちゅること
などから畿内説のほうが有力とおもわれるでちゅ。
弥生時代に入り、建国ちゃれた各地の部族小国家は戦乱を経て
AD3世紀ごろにはヤマト国を中心に緩やかに統合ちゃれていったといえるだろうでちゅ。
3世紀以降、統一の企画性を持って全国で築造ちゃれた巨大前方後円墳は
ヤマト国連合=倭国の統合の証といえるでちゅ。
また、魏志に出てくる「大率」などの役職は後の大和王権の
職制の前進となったものであろうでちゅ。
97 :
世界@名無史さん:2001/05/13(日) 14:21
>また、近年の遺伝子調査により、より江南系の影響が強いものとおもわれるでちゅ。
ハア? なにかかんちがいしてなあい? こっちの誤解なら詳細もとむ。
98 :
世界@名無史さん:2001/05/13(日) 14:33
関係ないけど韓国人がいまだに日本を倭とか呼ぶのは...まぁあの国らしくていいけど(藁
「倭」については司馬サンは小さい人、ぐらいの意味だとか書いてました。
人へんがついてるだけマシだとか。
99 :
世界@名無史さん: