1 :
世界@名無史さん:
後漢書・人物・政治など何でもいいから語ろう
疑問などは専門家がいるらしいから答えてもらえるだろう
2 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 02:46
顔異と張湯って知ってる?
3 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 02:50
曹操の祖父の曹騰の伝があるねー
興味深い
4 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 02:50
後漢の人物の研究ってそんなに進んでんの?
そうは思えないけどな
5 :
名無しのオプ:2001/02/28(水) 04:49
というか、史料的には正史の列伝ぐらいしか
利用できないのでは。
6 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 07:51
後漢で後世にもっとも影響を与えた人物は、紙の発明者蔡倫だと思う。
7 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 12:38
>>1 ま、七家後漢書
が分かってから、「人物研究」の意味を考えてくれ。
厨房はそれから研究を考えても遅くはないな(藁)
9 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 15:13
>>7 8
はあ?
正史に百人以上の伝があるっていうのにそれらの人物の
ごく一部にしかスポット当たってないだろう?
日本史じゃあるまいし、日本での人物研究なんぞまだまだ
全然進んでないはず
人のこと厨房扱いする前に自分なりにこのスレで知識披露
してくれよ(わら
>>1 >疑問などは専門家がいるらしいから答えてもらえるだろう
お前は答えられないわけ?
そんなのでよく研究者になりたいだなんて、ふざけた口たたけるな?
お前に宿題を出してやるよ。
最近この板で、後漢のある人物を取り上げ、ひと通りその人生を語ってくれた人がいる。
その人は主に范曄『後漢書』の本伝に依拠して述べているが、
他の史料を参照するといくつか異論を立てられる箇所が存在する(確認済み)。
そのいくつかのうち、ひとつでも挙げられたらお前を見直してやろうじゃないか。
ただし、当て推量は不可だ。必ず異論の根拠となる史料の記述をあげること。
厨房と呼ばれたままで悔しいなら挑戦を受けてみろ。
期間は3/6までやろう。
なお、そんな書き込みは見たことはないというのは論外だ。
人に聞く前にまず自分で探す癖をつけろ。
11 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 16:39
>>10 ああ何か面白そうだけど、そういうのって出す側が絶対有利だからねえ
アンタの研究の一端でも披露した方がよっぽど住民の為にも自分の
能力を示すのにも適当だろ?
くだらんテストごっこに付き合う気はないし、そんなにいばれる
ような研究してないなら黙ってた方がいいかもよ?
12 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 17:44
>正史に百人以上の伝があるっていうのにそれらの人物の
>ごく一部にしかスポット当たってないだろう?
もう、ガキ高校生の妄想大爆発だな。
ここまで厨房丸出しのバカのくせに、態度はでかく強がっているバカは、
久しぶりだ。こりゃあ、面白い。
また〜りとさらしながら、からかってやろうぜ(爆藁)
質問
@なんで、一々スポットをあてなければならないの(クスクス
A後漢研究者は、後漢書は隅から隅まで「当然」読んでいるのに、
なぜスポットをあてないの?
>くだらんテストごっこに付き合う気はないし、そんなにいばれる
>ような研究してないなら黙ってた方がいいかもよ?
いいぞ、その強がりとバカ丸出しの虚勢(藁)
自分でバカ高校生です、といってるようなもんだ。
ところでおれの
>>7で出した「七家後漢書」ってまだ分かんないの?
それとも分からずに逃亡ですか?高校生くん?
残念だなあ。
もっと歯ごたえがあると思ったのになあ(藁)
13 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 17:47
>>10さんへ
また〜りとレスをつけて、バカ高校生がキレるまでさらしあげ
にするスレッドにしようぜ(藁)。
こんな、厨房バカは面白すぎる。
金魚鉢のオサカナとして鑑賞しなくては。
14 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 18:48
おー、荒れとる荒れとる。
右翼左翼がからんでないのに
ここまで醜い言い合いも珍しいのう。
はたから観てると楽しくていいが。
どっちも負けるな、もっとやれ!
と無責任に煽ってageよう。
15 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 19:12
おいおい14、それは違う。
醜い言い争いは、以後は止めるぞ。
あくまで、ボコボコになるまで、また〜り、また〜りとつつき
回しながらやるのが、醍醐味なんだって(藁藁藁人形〜♪
16 :
10:2001/02/28(水) 19:27
>>11 出す方が有利?何言ってんだか。つくづく呆れるね。
漢代を専門に研究しているわけでもないおれが一読して気づいたことだ。
それをよくよく考えても分からないなら、
お前の基礎学力が圧倒的に不足してるってことだろ?
せっかくお前におあつらえ向きの
「後漢の人物研究」問題を出してやったのに、逃げる気か?
汚名をすすぐ気もないのかね?
おれがどの程度のもんか知りたければ宿題を果たせ。
詳細な解説つきで採点してやるから。
それ見りゃお前だって、後漢に限らず中国学の研究ってもんが
どれほどの次元で行なわれてるもんか理解してもらえると思うがね。
17 :
異邦人さん:2001/02/28(水) 19:34
このスレッド建てた1は、本当に南神奈川の高校生なのかな?
万が一そうじゃなかったら、遊ばれてるのは
>>10の方ということに…‥。
18 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 19:37
どうしてそんなに親切なんですか?
若者はおだてて騙してその気にさせて、
人生を棒にふるザマをほくそ笑んでながめる。
それが学界の底辺にいる人間のせめてもの楽しみでしょうが?
それなのに、
なぜ見ず知らずの若者にそんな親切なアドバイスをするのか
まったく理解できません。
19 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 20:08
就職難でストレスたまりまくり院生くずれのキレっぷりが笑える
ちょっとからかったら必死で煽りレス返してくるところが厨房
丸出しだなー
まあこんな貧困な精神の持ち主のやってる研究なんてたかが知れてるよね?
はああ・・・
何がまったりなんだか?
真っ赤な顔して必死なレスつけといてさ・・・
いいんだよ、俺はまだ後漢史勉強しだして日が浅いし、キチガイ院生
に何を言われても別にどうって事ない
それよりも他に興味のある人間がいたらココを利用して後漢史を
語って欲しいよね
20 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 21:31
>19
>それよりも他に興味のある人間がいたらココを利用して後漢史を
語って欲しいよね
もはや、第三者は下手にここで後漢のことを語れないよ。
何書いても、ケチつけられそうで。
21 :
名無しのオプ:2001/02/28(水) 22:10
よくわからないけど、南神奈川在住のサラリーマンが
カキコしてるのか??
おねがいだからこの疑問に答えて。
22 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:20
>就職難でストレスたまりまくり院生くずれのキレっぷりが笑える
>ちょっとからかったら必死で煽りレス返してくるところが厨房
>丸出しだなー
おやあ。君はバカ神奈川高校生くんですねえ。返答それだけ?
敗北宣言ですかあ。七家後漢書はどうなったのかね。(藁)
「人物研究」なんて言う、君(ときみの指導教官)のバカッぷり
をお認めになるのかしら(ぷぷぷぷ
>いいんだよ、俺はまだ後漢史勉強しだして日が浅いし、キチガイ院生
>に何を言われても別にどうって事ない
いや。
きみは、何やっても勉強にはむかないから、止めておけ。
10のような親切な奴は奇特である、ことすら君は分かってないだろ?。
あたりまえのことを忠告されても、聞く耳すらもってないだろ?。
そして、いままでの行動は、日常の君の行動そのものでもあるだろ?。
正直言って、きみには無理だね。
勉強するだけ時間の無駄だから、普通に就職目指した方がいいね。
23 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:25
鄭衆ファン〜
24 :
名無しのオプ:2001/02/28(水) 22:31
>22
もういじめるのはやめてあげようよ。
軽い気持ちで「人物研究」って言っただけなんだろうし。
25 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:32
どうでもいいが、ちょっときれ過ぎじゃないのか?
そこまで罵倒し合う内容か、互いに。
ストレス発散は別のところでやってくれ。
26 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:35
いや、同一人物の自作自演とみた。
就職のない院生のな。
27 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:37
おれは近現代史だから、就職はそこまで厳しくないぞ(藁)
28 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:39
おれとしては親切な人が罵倒されるのが許せない、という怒りかな。
29 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:39
↑ ほんとにそうか?
だったら最前線の研究者の名を3人あげてくれ。
30 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:41
?? 自作自演 ??
文体がすべて同じにみえるのだが。
31 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 22:49
ちっとは真面目にいこうか。
野史が紛れ込む、野史が存在するというのは、後世と大きく違う
時代であるとは思うけど、歴史編纂権という観念の薄い時代、
皇帝権の未整備の時代と捉えられるべきなの?時間支配面では。
その辺、コメントきぼーん
32 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 23:02
まあ院生の大半が28みたいな変人じゃない事は
分ってるんだけどねー
まあ本当の意味で親切に語ろうとしてくれる人が
いるのは嬉しいやね
知識自慢とかはせずにのんびり論じようよ
33 :
>32:2001/02/28(水) 23:07
でもまあ、学問とかいうものはある程度厳しさがないと
だめよん、俺はその院生さんじゃないが。
34 :
世界@名無史さん:2001/02/28(水) 23:48
何か就職難ですさんでいく院生を目の当たりにしたら萎えそうだ・・・
関係ないが孝廉・茂才とかってのはやっぱある程度の家柄じゃないと
推薦されないもんだったの?
35 :
名無し:2001/03/01(木) 03:24
↑ 初心者を装ったオタク。
しかしホントひでーな。なんでこんなに陰湿なのかね。
やりたいヤツは何でもいいから興味を持ったことにぶつかっていけば
いいんだよ。そこから学べることはたくさんあるはず。
こういった寛容さの無さが視野狭窄で専門馬鹿の研究者を次々と
生み出すんだよ。
37 :
名無し:2001/03/01(木) 04:52
おれ、結構ヒステリックな院生(?)くんの気持ちも分かるよ。
かれが一番腹を立ててるのは、南神奈川君の
「サラリーマンに飽きたから助手程度でもいいから
研究職に就きたい」といった発言だと思う。おれもこの発言みて
ふざけるな、そんな甘い世界じゃねえよ、って思った。
30目前にして非常勤講師の口もないわが身としては、ね。
38 :
世界@名無史さん:2001/03/01(木) 08:59
要するに、アマチュアではなくプロの研究者になろう、とか、
なりたい、と言う人に対しては、就職難の院生からの
風当たりが強いってことか。
39 :
日本@名無史さん:2001/03/01(木) 09:46
結局、門外漢からみれば
単なる専門バカ、閉鎖的な悪しきオタク以外のなにものでもないな。
40 :
名無しさん:2001/03/01(木) 15:20
まだやってるのか。
41 :
世界@名無史さん:2001/03/01(木) 17:28
>>38 >要するに、アマチュアではなくプロの研究者になろう、とか、
>なりたい、と言う人に対しては、就職難の院生からの
>風当たりが強いってことか。
違うね。ここで陰湿呼ばわりされてる院生(?)らしいもんだが、
はっきりいって、ここで「後漢の人物研究」といっているバカ高校生は、
院試(とくに後期は)すら通れないから、自分の就職の心配なんか必要
ないよ。それに、おれ専門全然違うし。
多分ゼミの指導教官の指導すらまともに聞いてはいないだろう。
そして忠告を逆恨みするタイプだ。
はっきりいって私のお薦めは、院に行かずに趣味に止めておくこと。
そうすれば
@本人は、なんの制約もなく、毒にも薬にもならない研究を、自画自賛
しながら進め、一人悦にはいることができる。
A同僚は、研究発表の時厳しい批判をしたことに、逆恨みされずにすむ。
厳しく批判をすることは、相手への礼儀だけど、それを悪意に解釈されずにすむ。
B指導教官は、研究指導を熱心(厳しく)やって逆恨みされずにすむ
C歴史学は、自分を受け入れない閉鎖性、なんて言われずにすむ。
良いことばかりなんだよ。
42 :
世界@名無史さん:2001/03/01(木) 17:55
>>41 2chごときでマジレスしまくりのところがすでにドキュソ
頭冷やせ
43 :
世界@名無史さん:2001/03/01(木) 18:04
すまん>42
>>41 そんなこと41自身にゃかんけーねーことだろ。
なに力説してんだ。ほっとけ。
45 :
名無しのオプ:2001/03/02(金) 02:11
で、後漢史を研究するには学習院の鶴間教授で
いいんですね?
46 :
名無し:2001/03/02(金) 17:48
いいんです!
47 :
世界@名無史さん:2001/03/02(金) 17:51
三重大学東晋次(ボソ
48 :
名無しのオプ:2001/03/02(金) 17:52
? なにゆえに小声なのですか?
東さんて、外戚の研究者か?
49 :
名無しのオプ:2001/03/02(金) 17:59
追加。渡辺義浩はどうよ?
50 :
世界@名無史さん:2001/03/02(金) 21:29
光武帝の功臣って二十四将だったっけ?
51 :
世界@名無史さん:2001/03/02(金) 22:58
28将のような。
小学生の頃の記憶だから定かではないが。
52 :
世界@名無史さん:2001/03/02(金) 23:16
二十八将、但し、皇后の父馬援は外威の問題を後世に残さない為
入れられなかった。
オイラは「大樹将軍」萌〜
53 :
世界@名無史さん:2001/03/03(土) 00:43
二十八将の末裔話語ってくれー
馬騰って馬援の嫡流だったのかいねー?
54 :
名無しのオプ:2001/03/03(土) 00:50
おそらく経歴詐称。
55 :
七資産:2001/03/03(土) 16:25
28将の詳細きぼーん。
武田24将みたいなものと考えてよいのか?
56 :
世界@名無史さん:2001/03/04(日) 00:21
>53
馬援は戦国時代の趙の名将「馬服君趙奢」の末裔といわれてる。
馬騰の先祖かどうかは解らない。
>55
後漢の二十八将とは、後漢の始祖光武帝が建国の元勲を称える
意味で南宮に二十八人の自画像を掲げたのが由来
カフクやフウイのような将官もいればトウウやコウジュンのよ
うな文官もいる。
あやめさんなら詳しいとオモワレ、出てきてくれないかな。
しかし、中国史の人名はメンドイ、カナカナ表記にしました
スマソ。
57 :
世界@名無史さん:2001/03/04(日) 00:51
二十八っていう半端な数字には何か意味あるのかな?
単に、それに値する元勲が二十八人だったってだけのこと?
58 :
提供:名無しさん:2001/03/04(日) 01:12
武田二十四将は光武二十八将の真似だろう
馬騰は大した戦功もないのに衛尉になっている事からも
馬援の子孫で間違いないだろう
典論という書物にその記載がある
ただ嫡流かどうかは分らないけど・・・
ケ禹も嫡流は滅ぼされていたかなあ
59 :
名無しさん:2001/03/04(日) 01:14
ちなみにアルスラーン十六翼将も
絶対二十八将の真似です。
60 :
あやめ:2001/03/08(木) 15:25
>56
出てきてくれないかなということなので……
光武帝の二十八将は「中興二十八将」または「雲臺二十八将」とも言います。
明帝の永平三年に先帝を助けて漢を中興した軍功ある臣下、ケ禹を筆頭に28人の像
を雲臺に画かせました。メンバーリストは下記のとおり
ケ禹 馬成 呉漢 王梁 賈復 陳俊 耿エン(合の下に廾) 杜茂 寇恂 溥俊 岑彭 堅鐔 馮
異 王覇 朱コ(示偏に古) 任光 祭遵 李忠 景丹 萬修 蓋延 ヒ(丕の右に大里)ユウ(月
偏に彡) 姚期 劉植 耿純 臧宮 馬武 劉隆
その後さらに以下の4人を加え三十二人としました。
王常 李通 竇融 卓茂
この顔触れを眺めて森の石松(古すぎるゥ)じゃないけど「肝腎なのを一人忘れてやし
ませんかってんだ」と思った方いるでしょうね、そう、あの馬援が入っていません。
その理由は彼の娘が明帝の皇后であったので憚りがあったためです。また清の趙翼は
來歙が入ってないのもおかしいと言っています。
二十八っていう半端な数字については後漢書の著者の范曄は「二十八将傳論」におい
て、「前代には天の二十八宿に応じたものだと言っているが未詳である」と述べてい
ます。
「二十八将」に似たものとしては唐の「凌煙閣功臣三十七人」の画像というのもあり
ますが、これにもなぜか郭子儀が入っていません。
>>59 田中芳樹の作品自体が、そもそも中国史の真似です。
銀英伝なんか笑えるよ、なんで三次元テェスがあるのに
戦術がみな二次元で行われてるねん。
62 :
あやめ:2001/03/08(木) 17:26
>7@`10
「七家後漢書」を知っているかとか、宿題を出すから3月6日までに解答
せよとか、コノスレッド立てた方に迫ってましたね。
宿題の対象になったのは下記のスレッドにあやめが蔡ヨウ(巛の下に邑)と
蔡文姫について書いたものについての異説というものらしく思われます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=976531237&ls =100 これのレス442@`447@`450@`458@`462@`466@`477です。
その後のフォロウがないみたいですが、異説の一部については上記スレに
レス503として書いておきました。
「七家後漢書」というのは范曄より前に後漢の歴史について著述した書の
ことで、謝承「漢書」・薛瑩「後漢書」・司馬彪「續漢書」・華キョウ(山偏
に喬)「後漢書」・謝沈「後漢書」・袁山松(袁ッとも)「後漢書」・張ハン
(玉偏に番)「漢記」の7家です。
これらのうち司馬彪「續漢書」の「八志」の部分は宋代に范曄の書と合刻
されることになり、かなりの部分が保存されましたがその他は散逸してし
まいました。そこで清の姚之イン(馬偏に因)が「後漢書補逸」で「東観漢
記」と七家の書の逸文を輯補し、これを孫志祖が「謝承後漢書補逸」で増
訂し、最後に汪文臺が更に失名氏「後漢書」をも加え逸文を渉猟したのが、
「七家後漢書輯本」というわけですが、外にも黄セキ(大の両脇にそれぞれ
百)や王謨の輯本もあるそうです。
63 :
どうもです。:2001/03/08(木) 21:46
本とにあやめさんが来てくれるとは
サンクスです。
俺も二十八将の内、知ってるのは5,6人ですね
馮異(大樹将軍) ケ禹 (功名を竹帛に垂れん)
有名処だけです。
64 :
グラックス:2001/03/08(木) 23:03
東の帝の地にようやく辿り着いたわい。
陛下ローマ皇帝「マルクス・アウレリウス」からの書簡です。
実際に届けた人物は凄い!!
さあ、帰国するか!!
えっ皇帝が亡くなられ馬鹿息子コンモドゥスが跡を継いだ…
65 :
名無しのオプ:2001/03/09(金) 01:00
逆・猿岩石に敬意。
66 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 06:34
建武中興age
67 :
名無し:2001/03/26(月) 06:39
なぜ今ごろあげ?
68 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 20:34
後漢の皇帝を明君の順に挙げてくれい
一番アカンタレは霊帝?
69 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 20:55
最初の3代以外は、ほとんど子供の頃に即位してるからなあ……
70 :
世界@名無史さん:2001/03/26(月) 22:28
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________
‖|‖ ◎---◎|〜 /
川川‖ 3 ヽ〜 < ボクはバカ、ブサヨク、ヒキコモリの三重苦!助けて〜
川川 ∴)д(∴)〜 \________________
川川 〜 /〜
川川‖ ブタ 〜 /‖
川川川川___/‖
/ \__
/| | サ __
| | | ヨ
/ | |_ 童貞
| \__⊃ 租 珍
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜 プゥ〜ン
‖|‖ ◎---◎|〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川‖ 3 ヽ〜 ボクがヒッキ―なのも
川川 ∴)д(∴)〜 権力と天皇が悪いんだ
川川 〜 /〜 カタカタカタ \________
川川‖ 〜 /‖ _____
川川川川___/‖ | | ̄ ̄\ \
/ \__| | | ̄ ̄|
/ \__童 | | |__|
| \ |貞 |__|__/ /
/  ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
| ヒキコモリ
71 :
世界@名無史さん:2001/03/27(火) 00:46
コピペうぜえな・・・
光武帝は抜群だろうな
明帝がそれに継いで
章・献がまとも?
和・安は普通で順・桓・霊がやや落ちか
後は幼帝過ぎて判別不能?
72 :
院生:2001/03/27(火) 00:51
後漢スレがあったとは知らなかった。
鶴間和幸先生・東晋次先生・渡辺義浩先生の名が出てましたね。
後漢研究は、「秦漢帝国史のおまけ」ではなく「六朝貴族制史
の起源」でもない「後漢のための後漢による」研究が始まって
ます。つまり今までは前後の時代にとってつけて説明されてい
た後漢時代史でしたが、後漢だけで時代像を描こうということ
です。
73 :
世界@名無史さん:2001/03/27(火) 09:32
落ちるの早いな・・・
後漢書と漢書の人物の取り上げられ方に違いある?
庶民の伝があるのが後漢書だっけ?
74 :
院生:2001/03/27(火) 10:48
>>73 庶民の伝というのは独行伝のことですか?
逸民伝とか列女伝のことかな。
75 :
世界@名無史さん:2001/03/27(火) 11:49
76 :
院生:2001/03/27(火) 13:33
>75
鶴間先生は後漢の論文はほとんどないと思います。
新進気鋭の学者としては小嶋茂稔氏くらいでしょうか。
まだまだ後漢を専門にする人は本当に少ないです。渡辺
先生の研究も、現在は三国の名士論を発展させて魏晋南
北朝全体へと研究関心が移っていますから。
個人的に第一人者と言えるのは、
狩野直禎『後漢政治史の研究』
東晋次『後漢時代の政治と社会』
渡辺義浩『後漢国家の支配と儒ヘ』
の三人でしょう。
77 :
世界@名無史さん:2001/03/27(火) 14:01
75
>>76 情報ありがとうございます。
誰かも指摘していましたが、現在の後漢時代の研究は
考古学的成果の取り入れが必須なのでしょうか?
78 :
院生:2001/03/27(火) 16:56
77>
考古学的成果ですが、大規模で注目すべき後漢墓はそれほど
多くありません。なので現在は考古学的成果(発掘結果)よ
りも、近年注目されているのは石刻資料です。
もちろん三国の呉の木簡竹簡が大量に発見された今では、後
漢でも何かの発掘があれば当然考古学的成果をとりいれなけ
ればなりませんが。。。
79 :
名無し:2001/03/27(火) 22:17
本物の院生さんがお見えのようなので
質問したいんですけど、石刻資料とは
墓誌とかの類ですよね? たとえば
こういった資料からはその人物の
事跡以外に何が読み取れるのでしょう?
また、こういった資料を日本人が個人的に
調査するためには、なんらかのコネが必要でしょうか?
80 :
院生:2001/03/28(水) 00:06
石刻資料は新出のモノであれば中国の学術雑誌に公開されます。
既出のものは宋代に編纂された『隷續』や『隷釋』に収録され
ていますので、大学図書館レベルであればどちらも見られます。
現地に行って直接調査するのはもちろんコネが必要ですが、ほ
とんどの研究者は公開されたものを使ってますよ。
個人の事績以外に何が読みとれるか、ということですが、それ
は研究者それぞれです。後漢時期に盛行した石刻資料は後代の
墓碑銘だけではなく、記念碑的なものもありますから、ある事
件とか税金を払うために臨時的に作った団体に関する記述とか
異民族に関する記述とか、いろいろです。
81 :
名無的発言者:2001/03/28(水) 00:06
>>76 あなたは論文の何を読んでいるのですか?
後漢研究のレベルを下げているのはあなたが挙げた研究者
たちでしょ?肩書き程度の仕事はしてもらわないと。
>>81 根拠を示さない煽りはただの嫉妬だと思われますぜ。
彼ら3人が平均以下の業績しかあげてないという理由は?
またあなたが後漢史をリードしていると目される研究者は?
83 :
院生:2001/03/28(水) 14:16
>>81 3人の研究者の研究がレベルを下げているとのことですが、
僕個人の意見を言えば、東先生は平均以上だと思います。
少なくとも後漢研究においては東先生の論考のいくつかは
無視できない存在です。
>>82 同感です。「根拠を示さない煽り」は的確な表現ですね。
84 :
院卒:2001/03/28(水) 16:53
最近は臨朝称政の研究はいかが?
85 :
院生:2001/03/28(水) 17:56
冨田健之先生とか?
86 :
世界@名無史さん:2001/03/28(水) 22:46
age
87 :
名無し:2001/03/29(木) 02:17
79
>>80 丁寧な説明有難うございます。
実はわたしは漢代史の研究を志す学部生です。
ただ、わたしの大学の先生方には漢代の専門家が
いらっしゃいませんので、研究方法ひとつをとってみても
よく分からないのです。前出の3人の研究者の先生の著作
や論文は読んでいますが、やはり最前線の若手研究者や
最新の研究成果を知りたいです。もしよろしければ、
若手の主催する学会なり研究会を教えていただけませんか?
88 :
院生:2001/03/29(木) 11:09
若手が主宰する学会・研究会とのことですが、研究者ごと
大学ごとに存在している場合が多く、部外者は意外に分か
らないことが多いです。一番いいのは、近くの大学の古代
史研究者の所へ相談に行くとか、話を聞いてもらうのがい
いのだと思います。
87さんがどの辺にお住まいかで答えは違いますが、東京近
辺であれば歴研の東アジア古代史部会(院生主体)や出土
資料学会(院生多数参加)などがあり、その他にも古代史
研究会(青学?)などあります。日本秦漢史学会もありま
すが、院生にとってはあまり役には立たないかも知れませ
ん。
最新の研究成果は、史学雑誌の回顧と展望号を毎年読むと
か、研究史整理の論文をこまめに探して読むとか、『東洋
史研究』で新出の論文をチェックし、古いものについては
『東洋史文献類目』で総ざらえする必要があるでしょう。
学部生段階であれば、自分なりの論文目録作りをいまして
おくと後が楽です。それに漢文を読めるようにしておくこ
とでしょう。漢文が読めない古代史院生はまま見受けられ
ますが、悲惨なものです。
89 :
名無し:2001/03/29(木) 23:22
87
>>88さん
有難うございます。
わたしは現在関東の某国立大学に在籍しております。
定期的に東京に出るのにはいささか不便なところですが、
何とか研究会にも参加していきたいと思います。
まだ先行研究もろくに把握していない駆け出しですが、
以前このスレにあった「人物研究は後漢ではできない」
という主旨のカキコが気になっています。正史などの限られた
スタンダード史料を中心に、官僚や皇帝を中心とする政治史的研究
は、これからの若手には無理なのでしょうか?
90 :
院生:2001/03/30(金) 00:23
漢代政治史は近年非常に研究が進んできた分野です。
これからの若手にとって、非常に難しい分野なことは
確かですが、かといって、不可能なことではありませ
ん。特に皇帝権の問題についてはまだまだだと僕自身
は思います。
「人物研究」については、古代史の場合、難しいとい
うか、人物を通してその時代を浮かび上がらせられな
ければ、歴史研究としては評価されないと思います。
91 :
名無しのオプ:2001/03/30(金) 01:25
>>90 最近刊行された金子さんの皇帝祭祀の著作はどう?
92 :
院生:2001/03/30(金) 21:40
>>91 汲古から出たやつですよね、たしか。
著作の方は未読ですが、もとになった論文は読んだことがあります。
金子先生は皇帝祭祀の細かな行事や方法などの検討から当時の皇帝権
のあり方を追求するという研究ですが、皇帝権力解明に直結しないま
でも、外堀は埋めていっているように思えます。
渡辺信一郎先生にも皇帝が政治を行った場(朝廷という空間)や議論
のあり方を通して皇帝権力の性格を究明する著作があります。
金子先生は、皇帝祭祀の緻密な解明から徐々に皇帝権力のあり方が見
えてくる、というのに対し、渡辺先生は皇帝権力の性格を究明するた
めに、それが発揮される場の解明をした、という感じでしょうか。
以上はただの感想ですね。
93 :
名無し:2001/03/31(土) 02:19
94 :
名無しさん:2001/04/02(月) 02:42
95 :
李密:2001/04/02(月) 17:26
お話が飛んですみませぬ。
中国史書で「軍師」という職務は
「後漢書・隗囂傳」で初出という話を聞いたことがあるのですが、
これ以前に「軍師」という職は出てこないのでしょうかね?
また、「軍師」とは制度の中の官職名なのか、
組織における役割名なのか、ということを調べとります。
(軍師が光禄勲や長史などと同じく単なる官職名なのか、
武将や腹心、謀主といった組織における役割を言うだけなのか、ということです。)
隗囂傳では、隗囂が上将軍を自称して、
虎将軍・左将軍・右将軍等、独自に将軍を任命しており、
「囂既立、遣使聘(招く)請(請う)平陵人方望、以為軍師」
と、隗囂は挙兵した後に平陵の方望を軍師とした、とあるので
軍師というのは役割じゃなくて単なる職務名なのか、と考えておるのですが。
96 :
世界@名無史さん:2001/04/02(月) 19:54
隗囂政権の役職名じゃあまり意味無いんじゃ?
97 :
李密:2001/04/02(月) 19:58
うーむ。
これが「軍師」の起源になったとはやっぱり考えにくいですかね……
資料に詳しい方の情報求ム。
98 :
シャールフ:2001/04/03(火) 00:26
詳しくはないけれど、戦国時代の桂陵の戦いの時
斉王が、将軍を田忌に軍師を孫ピンに任じたとあったような?
99 :
日本@名無史さん:2001/04/03(火) 01:59
>98
……むむ。となると、史記を調べてみましょうかね。
100 :
李密=99:2001/04/03(火) 02:00
名前入れ忘れた。
101 :
院生:2001/04/04(水) 17:14
>>95 魏晋期の軍師を含めた軍制については近年、石井仁先生などが
研究されていますが、論文などは読まれましたか?
隗囂伝の記述では軍師=軍事の師範(先生?)とも読めるとこ
ろで、固有名詞かどうか微妙ですね。台湾中央研究院の二十五
史検索で「軍師」を検索してみては?
102 :
あやめ:2001/04/04(水) 23:04
>シャールフさん
「史記」の「孫子呉起列傳」には「田忌を以て将と為し、孫子を以て師と
為す」とあって「軍師」とはなっていません。念のため「瀚典資料庫選単」
から「史記」の本文全部に対して「軍師」を検索して見ましたが、「見当
たりません」ということでした。
序でのことに「漢書」についても全文検索をかけてみましたところ8件も
ヒットしました。ところがいずれも「軍隊」という意味で「軍師」という
表現を取っているか、「左将軍師丹」即ち「左将軍に任ぜられている師丹」
という文例で、「軍事の師匠」という用法のものは全く存在しませんでした。
103 :
世界@名無史さん:2001/04/05(木) 00:10
おーい、あやめが出たぞーっ
104 :
Cavabien:2001/04/05(木) 00:13
いや、そんな倭寇の襲撃みたく言わんでも・・(苦笑。
「サパティスタが来たぞーっ」
って感じ(古今両用)で受け止めて、OKです。
106 :
シャールフ:2001/04/05(木) 23:04
>あやめさん
ありがとう御座います。
オイラ史記の原文なんて読めないんで、和訳本でそう書いてあった
記憶をもとに書きました。
>李密氏 スマソ
107 :
院生:2001/04/06(金) 00:15
>あやめさん
こんばんは。僕も検索かけてみました。「軍事の師匠」という意味
では確かに用例がありませんね。
>李密さん
検索結果では、『三国志』魏志の「軍師祭酒」とかが官名の初出か
と思います。軍師については研究があるはずですから、それを見る
のが一番いいですよ。中林史朗・渡邉義浩『三国志研究要覧』新人
物往来社、に出ていると思います。
108 :
世界@名無史さん:2001/04/07(土) 00:38
age
109 :
李密:2001/04/09(月) 17:34
>シャールフさん
和訳本って厄介なもので。
史書にはよく「謀主」という言葉がでてくるのですが、
これが日本でよく使われる「軍師」の意味を持ってるんですよ。
三国志でも原文で「謀主」となっている箇所は「軍師」あるいは「参謀」
と訳されています。
「軍師」という職は果たして何をさせるために設立されたのか
というのを調べているんです。
(日本での軍師と中国での軍師の意味に差はあるのだろうかと。)
>院生さん
えっと、確認したところでは「三国志」で
魏の荀攸が丞相府軍師に任命されてるんですよね。
中林史朗先生って、確か大東文化大の……「黄虎洞」の管理人さんですよね。
その本、探してみます。
110 :
世界@名無史さん:2001/04/09(月) 17:50
蜀の楊儀は中軍師に任命されていたはずだ
諸葛亮は軍師中郎将かなんかじゃなかったか?
後漢を語るなら三国志スレにも書いてくれよ
111 :
李密:2001/04/09(月) 17:52
むむ。
>院生さん
「後漢書」の[登β]禹傳に「軍師」や「軍師将軍」が出てきました。
「祭酒」も出てきていますが、祭酒だけでも官名になるので
軍師祭酒とは微妙に違うのでしょうかね。
任命されたのは韓[音欠]という人物のようです。
この部分では多くの人物が官を与えられているので
官名としての軍師と見て間違いないですね。
112 :
世界@名無史さん:2001/04/10(火) 00:20
前漢の洛陽ってどんな感じだったの?
113 :
世界@名無史さん:2001/04/10(火) 00:36
114 :
院生:2001/04/10(火) 07:07
> 李密さん
『後漢書』に出てきましたか〜。それは知りませんでした。
そうです、「黄虎洞」の中林先生です。あの本はもう絶版で
実は私も買いそびれました。図書館でお探しください。
中央研究院で検索したら、意外に出てきますね。『後漢書』
での「軍師」の用例。それから「謀主」はたしかに出てきま
すね。官職名ではなく側近の参謀役といったことでしょう。
「軍師」がはじめから官名かどうか、確認すべきですね。
>「軍師」という職は果たして何をさせるために設立されたのか
> というのを調べているんです。
中国古代では、なかなか簡単には分からないでしょうけれど、
頑張ってください。
115 :
李密:
>113
ありゃ? ここの人たちは使わないのかな?
三国志でいえば賈[言羽]とか郭[シ巳]とか李[イ寉]とか。
官職では[馬付]馬(ふば)とか。
もっとも、真面目なカキコの時にこれ使うと
一気にマヌケな雰囲気になってしまうんですが(藁