背教者ユリアヌス

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1世界@名無史さん
ギボンor辻邦生で崇拝者になった人も多いかと思いますが、
冷静に見てこの人の功罪はどうなのでしょうか。
2世界@名無史さん:2001/02/19(月) 22:36
百合でアヌスだから何とも複雑な人間だよ。
背狂者と呼ばれるだけのことはある。
3世界@名無史さん :2001/02/19(月) 23:32
個人的には異教の復活という理想は間違ってはなかったと
思いますが、実際問題としては現実と乖離した政策でしょう。

ユリアヌスがというより、ディオクレティアヌス、あるいは
それ以前の皇帝達の責任というべきでしょうけどね。

ユリアヌス即位時にキリスト教を排斥するのは、相当厳しい
状況だったと思います。
ペルシア遠征に関しては成功の可能性はあったのかな?

(普通は皇帝として認めませんが)最後の異教皇帝である
エウゲニウスがテオドシウス1世から、帝位を簒奪して
いたらどうなったんでしょうね?
4ガージー:2001/02/19(月) 23:38
最後の言葉がかっこいいよね
「キリストよ汝は勝てリ」
でいいんだよね
5いちご姫:2001/02/19(月) 23:57
>3
 従来語られていたほど、民衆へのキリスト教の浸透は圧倒的ではなか
った、という研究成果も、近年出てきているようですが。
 その場合、キリスト教を排斥することも不可能ではなかったかも。た
だ、排斥するならする、で徹底しないと。ユリアヌスの問題の一つは、
原則寛容で問題が出てきた場合にのみ圧力をかける、というある意味近
代的な対応にあるような気が。古代世界では、当時のキリスト教徒のよ
うな狂信的な信者は圧力をかけられたこと自体に反発するし、それ以外
の宗教の信者からは弱腰に見えたでしょう。


6いちご姫:2001/02/19(月) 23:59
>3
 ペルシャ戦役については、補給がどうなっていたかが鍵、でしょうね。
残念ながら、彼の作戦のその点にまで触れたものを私は未見です。一般
論としては、ユダヤ・ヨルダンまでが領土に含まれているローマにとっ
て、当時の戦争の成否を参考にすると、メソポタミアに隣接したペルシャ
の首都を占拠することは、けっして不可能ではなかった、と思います。
7世界@名無史さん:2001/02/20(火) 09:06
>6
同意。
後に、ビザンツのヘラクレイオスがペルシャへの遠征を
成功させているぐらいだから、やりようによっては
成功の可能性はあったんじゃない?
8世界@名無史さん:2001/02/20(火) 21:09
>3
数で言えば、圧倒的な多数派の異教勢力が滅ぼされてしまったのは、
多神教の寛容さが原因でしょうか?
キリスト教徒とも話せば分かるとか、共存も可能ってのは、
青臭い理想論(心情としてはそうあって欲しいのですが)のように思えます。

その辺が、ディオクレティアヌスとかガレリウスの
キリスト教迫害の不徹底とかコンスタンティウスの
背信行為(この人はディオクレティアヌスの部下なのに
キリスト教徒を保護しています)につながってるように思えます。

そういう意味では、江戸時代のキリシタン迫害の成功は
世界史的に見て希有な例なのかも。
9世界@名無史さん:2001/02/20(火) 22:27
多神教宗教の民は、もともとたくさんの神様を祭っている。
そこに、キリスト教やイスラム教などの一神教が入ってきても
最初は、「ああ、新しい神様ね」と、納得してしまう。
そしてしだいに、「絶対無二の神様」という考え方が浸透する。
逆に、いったん一神教を受け入れた民のところに、
多神教を広めようとしても、これは難しい。
「自分たちの神以外に神はない」と思ってるわけだから。
したがって、一般的に宗教の流れは多神教→一神教となりがち。
そこが、キリスト教やイスラム教の強みやね。
10世界@名無史さん:2001/02/22(木) 23:08
世界史の中で一番好きな人物だけどやっぱりこの人を
コンスタンティヌスやテオドシウスと同列に扱うのは
当を失してると思う。
11世界@名無史さん:2001/02/23(金) 00:06
ユリアヌスって、コンスタンティヌス1世の孫ですよね。
ちなみに、コンスタンティヌス1世の父親はコンスタンティウス1世、
後を継いだ子供達はコンスタンティヌス2世、コンスタンティウス2世、
コンスタンス1世という、紛らわしい名前の一族です。
長男のクリスプスが後継者になってれば、紛らわしくないのに・・・。
12歴史趣味:2001/02/23(金) 00:11
コンスタンティウス2世の皇后と不倫関係にあったと
『背教者ユリアヌス』にはあったけど
事実なんですか?
13考える名無しさん:2001/02/23(金) 15:01
>11
 すると、クリスプス2世、クリスピキウス、クリスピナ、クリスピヌスなんての
がぞろぞろでてくるんじゃない?
14考える名無しさん:2001/02/23(金) 15:03
〉10
日本人にとってはせいぜいマイナーだけど忘れられないローマ皇帝だ
けど、欧米人にとっては、背教者にして最後の異教皇帝。
憎悪と軽蔑の対象だ、と思う。
聖人伝でも、ペルシャ戦役での死は背教への神罰、ということになって
たし。
15世界@名無史さん:2001/02/23(金) 16:46
戦死しているということ自体、自ら戦場に赴いているわけで、
自分は安全な帝都で遊んでいて兵士を送り出すタイプの皇帝
(ローマ帝国には意外に少ないけど)よりは好感がもてるね。
1610:2001/02/24(土) 00:32
>>14
確かにそうで、別に我々が欧米人の評価に従う必要はない。
歴史の大きな流れの中では、彼が守ろうとした帝国はいまは無く、
彼が背いた教会はいまもある。だから10のように書いたけど、
それで彼を無視するにはあまりに魅力的過ぎる。
17世界@名無史さん:2001/02/24(土) 01:04
現在、ヨーロッパで多神教徒が実質的に存在しない
という状態に慄然とします。
単純に異教徒は数百年の間に皆殺しにあったという
ことでしょうか?
ブリタニアでドルイドが虐殺されたというのは小耳
に挟んだことがあるのですが、一般人なんかも
異教徒であれば魔女狩りとかで殺害されたりしてるん
でしょうか?
18世界@名無史さん:2001/02/24(土) 01:06
>16
ローマの多神教信仰を保護(キリスト教の迫害じゃないよ)する事が、
帝国の存続に繋がったということでしょうか?
19世界@名無史さん:2001/03/06(火) 01:56
キリスト教を捨てて異教に走ったユリアヌスは背教者なのに
異教(マニ教だったかな?)を捨ててキリスト教に走った
アウグスティヌスは聖人ってのは、メチャクチャ偏った歴史観ですね。
20世界@名無史さん:2001/03/06(火) 09:28
確かにヨーロッパでは非キリスト教系多神教は滅んでしまったけれど、
「守護聖人」だとか地方独特のキリスト教として残ってますよね。

多神教が欧州より消えて後数百年後にはドイツで宗教改革が始まりますよね。
古代ゲルマンの民は神秘主義的な自然崇拝を行っていたそうですが、
なんだかプロテスタントの思想は彼らの古代の伝統を受け継いでいるような気がします。
21名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/03/14(水) 17:41
副帝に選ばれたところまで呼んだよ
22世界@名無史さん:2001/03/14(水) 19:10
>17
基本的に、宗教の流れは多神教から一神教になりがちなんだよ。
いったん一神教の信者になった者は、多数の神を受け入れない。
だが、多神教の信者は、比較的簡単に一神教の概念を受け入れる
ことができるから。
23世界@名無史さん:2001/03/14(水) 22:18
高校世界史でキリスト教を抑圧したってことと背教者という名だけ
習ったのでどんな暴君かと思ってたら案外まともな人だとわかって
逆にファンになった。ギボンじゃドキュソ皇帝続出の中でのオアシス
だからなあ。
24世界@名無史さん:2001/03/15(木) 01:41
>22
基本的には分かりますが、それは布教によって全ての多神教徒は
改宗したって言うこと?イタリアとかガリアなどの布教の実態を
知らないんで・・・。

北欧で十字軍崩れが、ドイツ騎士団とか名乗って多神教徒を
殺害して回ったって話が念頭にあったんで。
(この辺も、世界の歴史とかで読んだあやふやな記憶ですが)
25世界@名無史さん
>24
悪貨が良貨を駆逐するということ。