1 :
世界@名無史さん:
西欧にも木はいっぱいあると思うのですが、なぜ、石なのでしょうか?
東洋にだって石はいくらでもあるのに、なぜ、木なのでしょうか?
2 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 01:02
>1
日本の城だって、木で出来ている部分は天守閣と御殿くらいだとおもうけど・・・。
木で作った城など、意味がないと思う。(全然防御力なし)
東洋って一体どこのこと言ってるんだよ。
4 :
どこの名無しさんなの?:2001/02/15(木) 01:18
奥様、それはエイジオブエンパイアにおける中国・日本・朝鮮のことだ
と思われますわ。
ところで日本の城の防御部は石垣と土壁。しかし内部建築はあらかた木
造なので火をつけると燃えてしまいますの。
ヨーロッパの城も敷地内の建物は木造なのでいちおう燃えそうな気がし
ますがどうなんでしょう。おほほほはは。
5 :
革命いまだならず、名無し、すべからく努力せよ:2001/02/15(木) 01:22
季候が大きな理由ですね、クーラなしで夏、石作りの家に住んでみてはどうでしょう
それに比べて木造の日本家屋は、涼しいね、そのように家を作る材料が、城のにも使われたんだよ
もちろん2の言っているように、木の部分は少ないけどね
6 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 01:41
ギリシャ・ローマ人が木を切りまくった為、地中海沿岸
は樹木が不足して石を材料に建築物を造った。
その技術がローマ帝国やキリスト教伝播に伴いヨーロッ
パ全般に広まった。
よってローマでも材料があれば加工し易い木材を使用し
ローマ共和国時代のガリア地方の城塞は木製で出来てい
る。
7 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 01:49
>>2 そうなんですか?
西欧のお城って天守閣?の部分も石のような気がしますけど・・・
>>3 中国とか日本です。
>>4 エイジオブバンパイアって何ですか?
ゲーム?
>>5 でもローマあたりだと、どう考えても日本より、暑いような気がします。
それなのに石なんでしょうか?
ガリアの方は流石に違うみたいですが・・・
>>6 でも、代表的(コロッセウムみたいなのね)なものって石じゃないですか・・・
8 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 02:25
中国の城壁も石が多いような気が・・・
9 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 02:38
10 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 02:53
日本は山城が殆どであった、山を削った方が効率的だからね
各国の地形の違いによってお城の様式もさまざまです
日本の石垣城は近世に入ってからのが殆どです。
11 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 03:21
中国の城は石だよ
12 :
2:2001/02/15(木) 03:41
中世盛期の城の外から見える部分、壁とやぐらは石です。しかし中に
は広い敷地があり、そこに住居や厩舎が作られました。日本の城の中
にも兵士の住む家があるでしょう。素材的には木造か木・土混合の、
雑然とした建物です。一般の住居と同じレベル。
13 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 04:07
いや〜ヨーロッパも10世紀頃はまだお城にも城壁にも
木を使ってたそうだよ
丸太を互い違いにギッシリと積み上げて構築したので、
莫大な量の木材を使ったらしいです
13ウオリアーズって映画でも王様のいたお城は木だったよね?
14 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 04:19
ヨーロッパ>中国>>>>>>>>>>>>>>>>>日本
日本の城?は最弱ですな。
15 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2001/02/15(木) 04:27
>>5 それは単なる想像。暑い地方でも石造建築の発達したところは
いくらでもある。
1は要するに、なぜ日本ではモニュメンタルな建造物さえ、
(多く)木造であったのか、と言いたいのだろうけど、一つは
>>6の言う様に、石材より遥かに加工し易い木材が豊富にあ
ったこと、もう一つは、江戸後期まで、本格的な石造建築の
技術が伝わらなかったことが挙げられる。
16 :
名無しさん@1周年:2001/02/15(木) 04:36
自然災害にも左右されるね。
日本の場合、地震多発国だから壊れても片付けが簡単な木材が頻繁に使われた。
逆に欧州の場合は一部を除いて地震をあまり心配しなくていいから、
石材による建築が発展していった。
イタリアなんかは地震国だけどね・・・
17 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 04:39
俺達が想像するお城は日本には殆ど無いんじゃ?
小山をくりぬいたり盛り上げたりした山城でしょう
その中に石を敷いたりしただけ
ただ、石を削り出す技術はない訳では無かった。
18 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 08:49
地震があったからにきまってんじゃん
組積造は地震に対する耐性はないよ。
せん断力に対する耐性がないからね。
19 :
>15:2001/02/15(木) 10:51
温度より湿度が問題だと思われる。
木材ならば、湿度が高まると水分を吸収し、乾燥したときには放出する
作用がある。
20 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 13:13
21 :
考える名無しさん:2001/02/15(木) 14:12
ヨーロッパ中世の城は、イスラム建築の影響で出来た様式。
アラビアでは木材が高価だったから、木材を使わなかった。
22 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 14:43
日本は山が南北に連なる地形なため、元々戦闘用の
城というのは山城が中心だった。
上ってくる敵を蹴散らせばいいわけなので、
木造でも充分に防衛できた。
23 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 15:51
防御力という観点でいうと
>>14 の言うように、
日本のお城が一番弱いの?
これは、日本が強固な城砦を作る必要性が無かったからで、
日本人がお馬鹿だったとかっていうわけじゃないんだよね?
24 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 16:20
25 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 16:28
>>23 日本ではそこまで強固な城を作る必要がなかったとも言える。
日本では戦いで負けても大将とその近臣が何人か切腹させられるか処刑されるだけで終り。
都市が陥落したら住民全員皆殺しにされることも少なくないヨーロッパや支那とはわけが違う。
それに、日本の城は都市全体を城壁で囲ってしまうわけではなく、漢字の本来の字義からいえば城ではない。
むしろ要塞というべきものだ。
26 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 19:18
公園も駐車もおなじParkだけれど、これは城壁に囲まれたヨーロッパの都市の中心部分に
広場があり、そこは普段では共有の広場(=公園)、戦闘時には傭兵を駐屯(=駐車=Parking)させていたから。
都市の成立する事情からして、ヨーロッパ城砦都市ははっきりと軍事目的であり、比較したら日本はなんと平和な国だったかと
いうことになるな。
27 :
23:2001/02/15(木) 20:15
やはり必要は発明の母なんですね。
必要の無いところでは、いろいろな技術が発達しないんですね。
28 :
世界@名無史さん:2001/02/15(木) 20:26
日本では戦国時代ですら、合戦の時に付近の住民が弁当持参で見物に集まったそうだ。
ヨーロッパや支那の感覚で言えばこんなのは戦争ごっこみたいなものだな(藁
29 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 02:58
それって、実は合戦が終わった後に死体の持ち物を漁るためだったり…。
30 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 03:40
まあ戦国時代に発達した一部石垣を取り入れた城というか要塞は
それなりに高い防御力を持ってたけどね。
朝鮮の役の例を見ても国際的にも通用したと思うよ。
31 :
名無しさん:2001/02/16(金) 03:47
日本は湿度が高い。
32 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 03:56
鉄砲が伝来してからだろうな、日本の石垣城
33 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 04:14
大坂城は当時世界最高レベルの堅固さだったという。
ただし、大坂城では大坂の街は守れない。
そこが外国の城と違う点だ。
34 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 08:40
守る必要ないんじゃない?
だって破壊する必要もないし
35 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 11:59
36 :
日本@名無史さん:2001/02/16(金) 12:24
>>33 本来の「大坂城」は、総構の中に当時の大坂の街を
実質全て抱え込んでいたんじゃなかったか?
そこが大坂城が日本の城として特異な点だと思うが。
破壊する必要がない? 城攻めの時に城周囲の街並みは
全て焼かれるのがセオリーだろ?
中国も大・大・大昔なら木造もあったみたいだが
森林資源が枯渇するのが早すぎたわ
焼きレンガがイチバン手っ取り早いし、そこそこ頑丈だし。
38 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 12:45
>>37 古代中国の城壁は、版築か石造だったように思うけど。
39 :
名無し→しりとり:2001/02/16(金) 13:00
地域によって違う。石造も木造も版築も煉瓦もある。
黄土地帯では木材も石もどっちも貴重品だから版築によるほかないだろうな。
40 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 13:00
版築萌え〜〜〜
41 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 17:30
っていうか、古代中国って中原=黄土地帯のことじゃなかったっけ?
42 :
33:2001/02/16(金) 17:35
>>36 でも住民皆殺しとかってあんま聞かないよね日本では
それに焼かれた街もすぐ建て直せそうじゃない?
木造だし
守る必要無いってそういう意味でなんだけど、どうなんだろ?
43 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 17:43
大阪冬の陣とか、小説レベルで読んでも、総構えの中に町屋が存在した
ようには書かれてないね。
まあ、史料をきちんと調べたわけじゃないけど、篭城といっても、城の
中だけで、城郭の中に都市があったというわけじゃなさそうだ。
中国やヨーロッパの場合、都市単位での篭城戦があるよな。
44 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 17:50
街を包囲して逃げられないようにした上で焼き払うわけではないのだから住民は逃げることもできる。大陸では逃げることもできず住民全員皆殺しになることが多い。だから防衛側も徹底的に抗戦するほかない。
日本で街を包囲殲滅なんて信長がわすかにやっただけだろう。
信長ってそういう点も日本人離れしてるなあ。
45 :
日本@名無史さん:2001/02/16(金) 18:05
同じ民族同士の戦争ってほのぼのしてていいな(藁
46 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 18:25
まあ、民族生存競争じゃなくて論功行賞の恩恵に授かりたくて
従軍しますから…
47 :
うんうん:2001/02/16(金) 18:28
特にモンゴル人の支配を受けた地域って、
戦争の残虐さのレートが一桁アップしたみたいだし、
そのレートの跳ね上がりが後々まで尾を引いてる感があるな。
モンゴル人の支配を受けなかった地域は相対的に歴史がマタ〜リ。
48 :
日本@名無史さん:2001/02/16(金) 18:34
ということはモンゴルに対しては核攻撃してもいいということですね。
49 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 18:44
50 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 19:39
良いイメージも悪いイメージもなんでも押し付けられるモンゴルってすごいねえ。
51 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 20:08
拷問の残虐さも元は北方民族の専売特許だった
それの方が短時間で口を割るので効率的だと漢民族もまねしだした。
52 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 20:28
>>45むしろそこらへんが日本人の戦争下手に繋がってると思う
53 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 20:30
戦略下手って感じじゃない
54 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 20:38
いや、戦略下手だろうむしろ大陸の国々は異民族との争いが多かったから
戦争の大局を見極める術を身に付けた
日本人は同じ民族同士で戦ってたので大局を見ずに戦術の巧みさだけが
重要視されてきた。
55 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 20:50
なんだか54のコメントって戦争に限らず日本人の本質的なとこ突いてるような気がする
欝だ
56 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 20:50
57 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 22:15
ただ日本人も明治維新までは
戦略的な見方が出来る人間もいたんじゃないの
戦国期の堺商人とか見てると行ったことも無い国と貿易して
ヨーロッパや中国の状況なんかを把握してたようだし。
やはり近代に入ってからだろ、近視眼的な見方しか出来なくなったのは
58 :
はて:2001/02/16(金) 22:35
>>52-54
>>57 う〜ん。
近代の日本人が戦争下手、戦略的な思考が出来ないっていうのは、
定説なんだろうか?
比較対照にどの時代のどの民族や国家を想定しているんだろう。
現存する世界の諸国の歴史と比較して、戦争下手、戦略下手と言え
るのだろうか。
アングロ・サクソンと比較すれば、たいていの民族は戦争下手だろ
うけど、相対的には断言しにくいと思うけどな。
59 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 23:12
っていうか、日本の周辺国、韓国や北朝鮮、中国の関係者も、日本
人が自分たちのことを戦争下手だなんて言っているのを聞いたら、
何の冗談だって怒り出すんじゃないかな?
60 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 23:15
いや、中国人も戦略的な思考に強いよ
ただ戦争に弱いのがたまに傷だけど。
61 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 23:17
今の日本人が基準と考えているのは、アメリカ。
アメリカと比べて戦争が下手、経済が劣っている、制度が、法律が・・
もっとも勝ち目のない相手と比べて勝手に落ち込んでいる。
62 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 23:20
欧米に対抗しうるだけの戦略能力を持たないと
意味が無い、世界を牛耳ってるのは欧米なわけだし
そのためにも先の大戦の徹底的な批判が必要だ、
根拠が無いのは×だけど。
63 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 23:25
アメリカだけじゃないよ、ヨーロッパ諸国と比べても
劣っているからこれだけ毎日議論されてるんでしょう。
64 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 23:55
よくわからんが、それだと日本が世界一でないといけないと言って
いるように聞こえるが。
>>63 君が言っているヨーロッパ諸国は、かつての列強のことじゃないか
な。せいぜい、英独仏伊くらいだろ。それに日本とアメリカ、おま
けのカナダを入れたら、そのまんまサミットのメンバーじゃないか。
ギリシャとか、ポルトガル、スペイン、ベルギー、デンマーク、オ
ランダ、バルカン諸国などは比較の対象になっていないのでは。
自国を矮小に見るのは日本人の癖だけど、度が過ぎると滑稽だよ。
あるいは、なにかほかの意図があるように受け取られかねない。
65 :
世界@名無史さん:2001/02/16(金) 23:56
66 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 00:18
ちょっと話はかわるけど、日本の築城の場合、堀や石垣などの土木
工事は武士が行ってもよい、というか、城づくりとして参加すべき
作業で、その上の建築工事は、平時には手を出さない慣習だったと
のこと。
日本の城の要塞としての価値は、堀、石垣にあるということかな?
67 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 00:24
そういえば、元の襲来を想定して長い石垣を作っていたな。
やはり必要性の問題なのかな。
68 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 00:58
技術は有ったんだろうけどね、日本には石が決定的に不足してたから
飛鳥時代の古墳なんかにも石が使われていたのを見ると出来ない事は無かった
69 :
日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:09
乾燥地と違って、日本は降水量が多く、濠で守ることも多く、
弥生時代や戦国時代には、環濠集落が発達したことで知られています。
気候風土の違いで、日本は石垣と濠が、防衛の基本だったと見れるでしょう。
そう言う違いを考慮せずに、単純に比較しても仕方ないと思うが。
70 :
日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:19
城壁を作る技術と石垣を作る技術はかなり違うんだろうか?
日本に城壁が根付かない理由は雨でしょうね。
71 :
名無しさん:2001/02/17(土) 02:19
そりゃメソポタミアの昔(BC2000!)から組積造の手法(アーチとか)が
既に確立してて、煉瓦で巨大構造物なんかが造られていたわけだからねぇ。
そもそも良質の木材も石も無かったので”仕方が無くて”他の材料を考えたところ、
組積煉瓦造りが出来て、それがエジプトへ伝播した際に石積みに発展した。
大地震でもない限り、石造は木造より頑丈だし、耐火耐久性に優れるってことが分かった。
実際は口でいうほど生易しくはなくて長年の試行錯誤を積み重ねた結果であろう。
(この”仕方が無くて”という言わば欠乏(厳しい)環境下で考えられた技術には
歴史上建築に限らず、結構優れたものが多いように思う)
だから気がついた頃には大規模かつ堅牢な軍事施設を造る上で
必要な石造技術の基礎は、欧州じゃほぼ完成されていたんだろうね。
当然、良質な木材が産出されるところじゃ、木造建築もあっただろうし
石造建築でも部分的に(長大な梁や小屋裏)木が使用されている。
木造の城(砦)だって無かったわけではない。
しかしながら、石造技術もある、その丈夫さも知っている(無論金もある)、
なのに敢えて城に純粋木造を使いたい!と思った領主など居なかったろう。
だからといって木造技術や日本の土木技術が劣っているとかいうことではなくて、
ただ日本では石造建築が生まれるような素地も環境も風土も無かったし
石造建築が必要とされることも、また周辺国の石造文化に影響されることも
無かったという、それだけのこと。
72 :
71:2001/02/17(土) 02:23
>周辺国の石造文化に影響されることも無かった
そういや酒船石遺跡のような例があったな。
正確でなかったので補足
73 :
日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:34
石造りが発展しなかった日本が世界的に劣ってたのは事実だよ
たとえそれが環境によるものでもね。
>73
?
どう劣っていたか具体的に説明してくれる?
選択肢としての石造がなかったからって意味?
75 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 02:46
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■死■■
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■■健一健一■健一健一健一■■■■■■健一■■■■■■健一■■■■■
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■■健一■■■■■■■健一■■健一健一健一■■■■■■健一■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
76 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 04:01
>>74石造りの方が優秀なのは上で述べられてたよ
それに比べ木造が主体だった日本はダメダメじゃん
石垣も大砲のような大型火器には無力だし。
77 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 04:54
>石垣も大砲のような大型火器には無力だし
日本に大砲があったか?
日本の前に、君がダメなんじゃないか?
78 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 05:05
朝鮮戦役時、大砲を多用した明軍に倭城ではだいぶ苦戦したそうな。
79 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 06:11
日本では鉄砲を多用したが大砲はほとんど使わなかった。
明では大砲を多用したが鉄砲は(もしかしたら少しくらい使ったかもしれないが)使わなかった。
なぜだろう?
やはり地形とか気候の違いなのか?
地政の違いか?
80 :
全国の名無しよ団結せよ!:2001/02/17(土) 09:46
>79
それについては、日本では、この頃は個人主義(というか手柄至上主義)で、鉄砲は、撃った人の手柄が明確になるのに対して、大砲は、団体でやるために日本でははやらなかったと聞いたことがあります
81 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 10:10
66氏や69氏の意見が正解です。
日本の城を、天守閣や櫓などの構造物を中心に考えては見当違いです。
軍事的な要塞としての意味は、堀や石垣にあるのであって、建築物は雨露しのぐ居住
用か物資保管用、眺望観察用、防御戦闘の高さをかせぐための用途に過ぎません。
それと、西欧などの高くそそり立つ構造の石造城壁ですが、大砲実用化の後は、実際
の軍事的な要塞としての価値は失われています。数メートル程度の厚みで高く築城さ
れた城壁は、砲撃の前には全く無力なのです。
石造の構造物は長持ちするので、そのまま存続したものが多いのですが、大砲が出現
した後の城壁の構造は、比較的低く、間に土を入れ、厚みをもたせたものに変化して
います。
この後期の西欧の要塞城壁は、むしろ日本の城の石垣構造に似てきています。
史実から見ても、熊本城は西南の役の時点で、19世紀末の戦闘に耐え、要塞として
の価値を発揮しています。
このとき、熊本城の建築物は、篭城戦闘以前に、出火により大半が失われていたこと
に注意してください。
上部の建築物、構造物は、要塞としての熊本城の価値にあまり影響がないということ
です。
また、実際に熊本城の石垣構造を実見すれば、その堅牢性が理解できると思いますが。
別に日本のほうが優れているなどという電波を飛ばすつもりはありませんが、基礎知
識もないのに、やみくもに日本の軍事技術が劣っていたと断定するのは笑止千万です。
82 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 10:11
>>79 鉄砲は西洋伝来の技術だし、中国の大砲は中国で発達した独自の大砲でしょう。
単純に比較するのは、むつかしいのでは。中国のは、むしろ花火のようなもの?
小型化する技術がまだ無かったのかも。
83 :
世界@名無史さん:2001/02/17(土) 10:23
>>76 根本的な事実認識に誤りがあります。
近代までの非炸裂型の砲弾は、石造構造物に対する打撃力のほうが、土
塁、土石混合塁に対する打撃力を上回っています。
これは、単に物理的な理由によるものです。石のブロックで構成された
城壁に砲弾による衝撃が伝わると、周辺のブロックに次々に衝撃のエネ
ルギーが伝わり、おおきな効果を発揮するのに対して、土塁に命中した
砲弾は、極論すれば、砲弾の大きさの穴をあけるだけです。
石と土を組合わせた石垣の場合も、後ろの土が衝撃を吸収するため、全
体が石造の城壁に比較して砲撃に耐える力が強くなります。
環境を無視して単純比較してる人がいるが、現代ならいざしらず地球の裏側ほども
離れた地域どうしを単純に比較することには相当無理がある。
それでも、敢えてこう考えてみたらどうか?
中世あたりのヨーロッパの某軍隊が日本に侵入し、ある地域を
その支配下に置いたと仮定したとき、彼らがその領土を維持すべく戦略拠点を作る際に
欧州と同じやりかたで石組積造の城砦を築けるだろうか?
また築けたとしても、日本の環境下で城としてのじゅうぶんな機能を果たし
かつ維持し続けることが出来るのだろうか?
別に「出来ないだろう」と決め付けるわけではない。運などもあるだろうし。
でもたぶんうまくいったら、日本人のことだからそのうちすぐに同じようなものを
造ってしまったような気もするけどね。
「出来な」ければ、日本においては石造技術が使いものにならないことになる。
イデオロギーとは異なり、テクノロジーは地域、民族によらず、
かたちを変えることなく速やかに伝播するという普遍的特性を
有するとはいえ、とりわけ建築のように雨風吹きっさらしの不動産物については、
環境や風土といったヴァナキュラー性を無視することは容易にはできぬ。
85 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 02:12
アジアに出張ってきたヨーロッパ人はどの風土にもヨーロッパ式要塞を築いて
いる。築けたし、機能もした。日本の城だって地震や火事で壊れるたびに修理
している。軍事目的なんだから数十年単位の耐久性は二の次でもいいだろう。
86 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2001/02/18(日) 02:26
>>19 >温度より湿度が問題だと思われる。
それでは、東南アジアの石造建築は説明できないでしょ。
日本より暑く、湿気も高い。
>>68 >技術は有ったんだろうけどね、日本には石が決定的に不足してたから
逆。石はあったが、技術がなかったの。古墳時代、飛鳥時代の
プリミティブな建築技術を見て、できないことはない、と判断
されてもねぇ。あんな単純なまぐさ式の技術で、巨大な城郭の
建造は不可能。
87 :
天之御名無主:2001/02/18(日) 02:29
76は日本式の城郭が明軍の大将軍砲、ヨーロッパ式のフランキ砲
の猛攻にびくともしなかった事実を知ってての発言なのか?
88 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 02:50
やはり日本の城はクソっぽいのか?
89 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 02:59
西洋>日本
石造>木造
ということが結論ですね。
90 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 03:08
やっぱ日本の城はダメダメじゃん
91 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 03:13
なんでそこまでして日本を卑下したいのかね
上にも書いてあったように土塁の方が
砲弾の衝撃を緩和させる事が出来たんだよ
92 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 03:18
別に日本と西洋とが攻城(篭城)戦することなんて皆無だったんだから
比較したって意味無いじゃない。
93 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 03:32
上にも誰か書いてるけど
ヨーロッパ式の大砲なら朝鮮の役で経験済みだよ。
94 :
日本@名無史さん:2001/02/18(日) 03:43
鮮人が無理に日本の城を貶そうとしているな。
概出だが、やっぱ同じ民族同士の争いはマターリだからな。
悲惨な事すると領民がなびかないよ。
これが他民族だと、善政でも結局なびかないから破壊でGOなんじゃないの?
中国なんかあんな糞長い城壁まで作って異民族の進入を拒否したんでしょ。
あと日本は長期型の戦略は持ち合わせていないしな。
対立する拠点同士も近いし、あんまし不便なもの作っても意味無いからと思いまする。
戦国末期に平城中心になったのも利便性を考えてのことだし、
山城中心の時代だったら、そりゃ木材になるだろう。
あんな高いとこまで石運べっか!→岩殿山
96 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 04:29
そうだね、ただ同族どうし長年マターリしてた割には
異民族との戦争も決して臆さなかったのも日本人の不思議な所。
97 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 04:31
日本>西洋
木造>石造
ということが結論ですね。やっぱり日本は世界一!
98 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 04:48
誰もそんな極端な事を言いたいわけじゃないよ
ただ、石積み式の城壁に日本式の山城や石垣式が劣ってた訳じゃない
と言いたかっただけ。
99 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 05:23
日本=西洋
木造=石造
ということが結論ですね。Love&Pace、世界は平等!
100 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 08:17
「木の文化」と「石の文化」の違いでしょう。
城だけではなく寺院も民家も食器もそうですが、
日本人は基本的に木が好きなんですよ。
101 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 09:54
>>19 >>86 日本文化や日本人の生活を説明するときに「高温多湿な日本では」という常套句が使われることが多い。
日本が世界で一番高温多湿な地域だと思ってるのだろうか?
102 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 10:31
【これが日教組教育だ!!】
「ひな祭りの禁止=ひな壇が身分制度の表れ、女の子に過剰な日本的美意識を強制」
「節分豆まきの禁止=太平洋戦争、鬼畜米兵を思わせる。鬼にも人権がある」
「クリスマスの禁止=特定宗教を祝うのはおかしい」
「徒競走の禁止=1,2番は良いが後方の子供の心に痛み」
「リレーの禁止=選手になりたくてもなれない子供の痛みを考えて」
「すいか割りの禁止=「盲人差別に繋がる」
「ピノキオ=障害者への差別的イメージ」
「おおかみと七匹の子やぎ=オオカミのお腹に石を詰めるのはオオカミがかわいそう。みんな仲良くという教育目標に外れている」
「物持ちの子供=お前の親はブルジョアだ」・・と先生が批判。
出典元…『広島の公教育はなぜ崩壊したか』
103 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 12:33
>>84>>85 オランダ人が台湾に築いたゼーランディア城、どんなもんだったんでしょうか。
台湾に築いたヨーロッパ式の城というか要塞ですよね。鄭成功に負けましたが。
あと、日本の石垣作りの技術などに、イエズス会士の関与などはあったのですかね。
宣教師には軍事顧問団みたいな性格もあったような気がするのですが。
なんとなく日本史っぽくなっちゃいますが。
>101
ホントのところは、夏と冬で気温・湿度の格差が大きいってことがポイント
なのかも<日本人の生活の説明
105 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 19:29
>>103石垣の技術は宣教師が来る時代よりずっと以前から存在はしていた。
ただそれまでの石垣は寺院などの土台として使われていたにすぎなかった
石垣を軍事利用したのは南北朝時代辺りからぼちぼち使われていたようだ
それに日本の石垣技術の発展にヨーロッパが関与した足跡は見られない。
106 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 19:42
107 :
世界@名無史さん:2001/02/18(日) 22:23
あげてみる
108 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 00:12
年代を無視して比較しても、あまり意味がないね。
日本で、今日的なイメージの城がつくられるようになったのは、戦国
末期以降だから、せいぜいが16世紀末、近世のこと。
西欧の城郭は、古代ギリシャ・ローマ以来の城壁を持つ都市、中世の
城などは、基本技術はあまり変わっていない。
だれかが、前に書いていたけど、近世以降の軍事用の城郭は、低く、
厚く城壁を構成するようになり、外見がぱっとしなくなっている。
比較するなら、古代の石造城郭都市と日本の「柵」と呼ばれた構造物
や環濠集落、中世の高くそびえる石造の城と、日本の山城、イメージ
としては、「砦」に近いもの。
軍事技術的に、世界レベルと言える城郭が出現したのは、近世以降と
考えた方が実際に近いだろう。
土木建築の水準については、日本の古代・中世とローマを比較する方
が野暮というもの。
109 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 00:34
>108
軍事技術的に、世界レベルと言える城郭が出現したのは、近世以降と
考えた方が実際に近いだろう。
それは間違いないことですが、少なくとも大和政権末期には朝鮮式
山城を大和朝廷は作らせています。それなのに、その後いつのまにか
石造の垣・柵・砦の類が消滅してしまったのはなぜか、という問題設定
は可能だ、と思います。
そのさい、当時の建築技術者であった百済遺民が日本人に同化された
としても、なお、何故、彼等の技術が丸ごと失われてしまったのか、と
いう疑問は残される、と思います。
110 :
日本@名無史さん:2001/02/19(月) 01:25
日本では、戦乱が相次いだ弥生時代には、環濠集落を作っている。
元々は中国にあったものらしく、雨が多い日本には好都合な防衛法だった。
111 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 03:07
つーか日本の土塁(山城)方式と大陸の石作りのどっちが優れてるか
と言う議論に発展してたんだろう。
それで誰かが大砲の防御に優れてるのはどっちだと言う議論にすりかえた。
112 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 03:13
>>109失われたもなにも山城を作る技術は元からありました
ただあの時に作らせたのが百済人だったので朝鮮式になった
だけです。あなたはウヨサヨを煽ってるんですか。
113 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 10:53
技術なんてものはいっぺん確立すれば歴史によほどの断絶がない限りそうそう簡単に失われることはない。
もし失われても「そういうものがある」ことさえ知ってれば、必要であれば外国から技術導入するとかしてすぐに取り戻せる。
造られなかったのは必要がなかったからだろう。
114 :
しったかぶり:2001/02/19(月) 11:42
軍事上の構造物に関しては知りませんが、一般の建築物に関して言えば、
日本は湿気が多いため屋内に湿気のたまる石造建築が嫌われた、また、
地震国なので、柔構造の木造建築の方が剛構造の石造建築より残りやす
かった、という事情があるようです。
115 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 12:29
112の言う通り日本には概に山城を作る技術は持ってました
恐らく弥生時代に中国大陸から技術が伝わってたものと思われます。
116 :
日本@名無史さん:2001/02/19(月) 13:05
そうそう、日本は地震国なのに、世界最古の木造建築物である、
法隆寺の五重塔が現存しているのが凄い!
117 :
日本@名無史さん:2001/02/19(月) 13:12
日本では、昔から熟練工が存在し重用されていた、バックグラウンドがあったので、
戦国時代に鉄砲を輸入して僅かの間に、その技法を修得・改良し、世界最大の生産国となったように、
軍事的に必要であれば、石の城を造ったでしょう。
しかし、日本では弥生時代から伝統のある、水濠が重要だったので、
基礎に石垣を並べて、天守閣などは木造が主流だったのであろう。
「地震加藤」の諺で知られるように、慶長地震で秀吉の城が崩壊したが、
石造であれば、死傷者は膨大な数に上ったことだと思う。
118 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 13:35
日本の木造技術って縄文時代から高い技術を持っていた
とテレビで見たんだけどあながち嘘でもなさそうだな。
119 :
ところで:2001/02/19(月) 13:46
戦国時代の本格的城郭の場合で、
堀や石垣を作る土木部分の費用と、
天守閣や城館を作る建築部分の費用とは、
何対何くらいの比率なんだろう?
120 :
日本@名無史さん:2001/02/19(月) 13:52
三内丸山など、日本海側では巨木列があちこちで出土しており、その間隔が定数の倍数に
相当することから、縄文時代から、ものさしが使われていたと考えられています。
日本には、木造遺物が腐敗して残りにくいので、これまで知られていませんでしたが、
最近になって、富山の桜町遺跡で、木材をはめ込む建築法が存在したことが分かったりと、
従来よりも技術水準が高いことが分かってきました。
その他、黒曜石の組成から、原産地が判明し、伊豆神津島のような、氷河期でも陸続きにならない
離島の黒曜石が、古くから大量に用いられており、丸木?舟による航海術も発達していたことが分かります。
121 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 13:53
石垣技術は朝鮮人が教えてやった
122 :
日本@名無史さん:2001/02/19(月) 13:56
121は鮮人電波ですので皆さん気にしないでやって下さい。
123 :
世界@名無史さん:2001/02/19(月) 13:59
宮大工の木造技術にも縄文時代の技術が受け継がれているそうですね。
124 :
世界@名無史さん:2001/02/20(火) 03:14
一応、縄文時代を専門としているのでかなり気になります。
>>120 >三内丸山など、日本海側では
三内丸山を日本海側とする理由を教えてください。
>その間隔が定数の倍数に相当する
これは、一つの柱穴列の柱穴間隔なのか、
一遺跡内に柱穴列全体がなのか、
一地域内の全ての柱穴列で同じ基準距離があるのか、
どれなのでしょうか。
>>123 >宮大工の木造技術にも縄文時代の技術が受け継がれているそうですね
この根拠は何処なのでしょうか?
宮大工はどちらかというと九州・畿内の弥生文化の後継であるように
思えるのですが、縄文時代から西日本の弥生時代への変化の中で
縄文時代の木造建築技術がどのように継承されたのか、
取扱った論文などがあったら教えてください
125 :
日本@名無史さん:2001/02/21(水) 12:18
age
126 :
世界@名無史さん:2001/02/23(金) 03:58
戦国時代の小城。長篠合戦絵巻だかなんだかを見ると、城門が藁葺きか板葺き
であったらしい。
数十年後には全国に白塗り天守が立ち並ぶことを思うと、世の中の変化の速さ
が思われる。日本の城が・・・なんて簡単にはいえないね。
127 :
世界@名無史さん:2001/02/23(金) 08:12
>119
堀や石垣を作る費用の方が、はるかに大きいと聞いたことがある。
(ソースは・・・ないです。だれか詳しい人頼みます)
飾り(+倉庫・塔)である天守閣に、防衛機能以上の費用をかけてしまったら、それはもはや城とはいえないでしょう。
128 :
あやめ:
ヨーロッパでも石造の城は11世紀初頭までは出現していません。
初めて石壁をめぐらした城砦を築いたのはアンジュー築城伯フルク3世
とされています。彼の築いた石造城壁の遺構はランジェ城に一部が残存
しています。994A.D.の建設ということです。
それ以前は環濠に囲まれた一角に基底部直径50〜100m高さ20mくらいの
円丘を築き、頂部には3階建てくらいの木造の城館を建て領主の住居と
していました。この程度ものすら10世紀中頃にやっと出現したものだそ
うです。