ドイツ軍がモスクワ前面で阻止されなかったら?

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1世界@名無史さん
バルバロッサ作戦にて冬までモスクワ攻略が出来ていたら!
ソビエトは崩壊したでしょうか、またその後の歴史は!
博識な皆さんの意見求む。
2世界@名無史さん:2001/02/03(土) 21:44
あの、こういう話題は軍事板の方が面白い話聞けますよ。
3世界@名無史さん:2001/02/03(土) 21:44
ウラル要塞にたてこもる・・・・・・て、それ以前に、ボルゴグラードやペテルブルクが落ちるかどうかが問題。
ドイツ軍は、モスクワもじきに撤退しなければならなくなるでしょう。
その際に当初の予定通りモスクワを完全に更地に(しようと)していくから、その復讐としてベルリンが焼かれるかも・・・・・・・。
4世界@名無史さん:2001/02/03(土) 21:55
>2
すいません、そうします。
5世界@名無史さん:2001/02/05(月) 03:07
崩壊はせんよ。
ウラル東でゲリラ戦だ。

スターリンは失脚したかもしれないけど
6確率変動名無しさん:2001/02/05(月) 06:24
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7>5:2001/02/06(火) 20:13
しかしながら赤軍の高級将校達は(粛清されたトハチェフスキーもそうですが)
帝政ロシアへの郷愁感から共産党政府に対して強烈な反感を持っていたのでは
無いでしょうか、スターリンがクーデターにて倒されたら貴族出身の将校達により
ロシアが復活したのでは?
以上私の偏見かもしれませんが。
8名無しさん:2001/02/06(火) 23:15
モスクワを攻略しても戦争には勝てない。ナポレオンはモスクワを占領している。
人民戦争には,首都はないのである。
ナチスは2正面作戦をとったので、勝つことはできない。
巨大な消耗戦で滅びただろう。
違うシナリオは原爆開発だ。原爆ができていたら,状況
は変わっていただろう。
9世界@名無史さん:2001/02/07(水) 04:53
>>7
でしょうなあ。ロシア人の愛国心は強烈ですから。
スターリンが6月22日以降、三週間ほど姿を隠した(じつは隠してない、という説もあるのですが)
のは、やはり自己の対独政策の失敗による暗殺・クーデターを恐れたのでしょうなあ。

ただゲリラ戦はつづくでしょう。よしんばモスクワを占領しても、よしんば傀儡政権が
降伏を申し出ても、ナチスのイデオロギーからすれば、絶滅に抗して、戦いつづけるでしょうなあ。

>>8
うーむ。ファーザーランドでしょうなあ。原爆をウラルに投下してアメリカの軍事介入を
かわし、東部戦線はドイツにとってのベトナム戦争となるでしょう。
こりゃ、いかな統一ヨーロッパ市場をつくろうと、経済が疲弊するでしょうなあ
10:2001/02/07(水) 20:44
>9
ご意見感謝!
しかしながらナチ党の一部にはウクライナ人やイスラム教徒、東欧諸国の反ロシア感情を
利用して義勇軍として活用しウラル山脈以西を確保していくという考えがあったようです。
人種理論を振りかざさずにこのような大英帝国方式で統治されていたら、どうなったか
興味はありますね。
ドイツがもしヨーロッパロシア、コーカサスを確保していたら敗北はあり得なかったかもしれませんね。
(あくまでも架空の話です)
11世界@名無史さん:2001/02/07(水) 21:47
ハワイ太郎
モスクワ太郎
仮想戦記愛好者の妄想はとまらない。
129:2001/02/07(水) 23:35
>>11
はははは(^^)
そういえば3個師団ネタでもりあがりましたな。

不寛容はいけません。東部戦線ネタは立ち枯れやすいのです。
13モスクワ花子:2001/02/08(木) 00:12
そういや、おれも日によって煽ったり貶したり、したり顔をしたり、だったな(笑)
14世界@名無史さん:2001/02/08(木) 00:37
1941年段階での赤軍の士気はきわめて低いと聞きましたが。
それを政治将校がナントカ維持していたと。
モンゴル師団やシベリア師団を除いた部隊はよく政治将校を殺して、
集団投降したらしいけど。
15世界@名無史さん:2001/02/08(木) 00:44
>>11@` 12
占領しても維持できるのかっていうネタで盛り上がりますか。とり
あえず、ドイツは、ソビエト領内の鉄道を改軌しないと使えなかっ
たというのは有名な話ですけれども。
16世界@名無史さん:2001/02/08(木) 02:35
>10
そういう器用なことできないのがゲルマンなんだよ。
あいつらの性格ぐらいわかれや。他民族の有効な利用?
あいつら上手くいったことあんの?無理無理。
あんな政治べたにゃ無理だんべさな。
17名無しさん:2001/02/08(木) 22:15
独ソ戦たけなわのころ,
欧米では数ヶ月でソ連が崩壊するという予想があった。
しかし戦闘には勝っても戦争には負けるという意見もあった。
要するに,米国をナチスとソ連とどちらが味方につけるかということだ。
ということで,結論は出ていた。
18世界@名無史さん:2001/02/08(木) 23:27
>>17
最初の2行だけ理解できました
19名無しさん@1周年:2001/02/09(金) 03:35
>17
アメリカはヨーロッパ参戦前からヒトラー挑発のためuボートに機雷落としてなかったっけ?
はじめからドイツと戦うつもりだったんじゃない?
湾岸でもユーゴでもイギリスはアメリカのケツを叩くのは上手い。
当時アメリカがイギリスを敵にしてドイツにつくという可能性が
あったのだろうか?せいぜい傍観ぐらいでしょ。
戦争以前に外交で既にイギリスに負けていたんでは?
イギリスはそういう他人を利用したり相手の分裂につけ込む
等のことでは古代ローマ人に比べられるほど天才的だよ。
当時に始まったことじゃない。植民地政策なんかそのオンパレード。
ドイツ人は戦闘は強いよ、昔から。
でもね、政治はダメ昔から。大一次大戦もそうでしょ。
マジノラインと戦車にだけやられたんじゃない。地政学的な位置を考えたとしても、
いつも敵を増やしすぎる。
これは外交の問題、即ち政治の問題。ビスマルクはそんなバカはしなかった。
「わが国にクレマンソーさえいれば、、、」〜大一次大戦のドイツ将校〜
20世界@名無史さん:2001/02/09(金) 10:51
>>19
そう、ドイツの発展と平和は周辺国との協調政策によってのみ
実現される。旧西ドイツのブラント首相は偉大。ヒトラーはカス。
21世界@名無史さん:2001/02/09(金) 14:13
アングロサクソンの世界戦略を立てる能力は世界一だからね
かれらこそが真の政治家なんだよ
22世界@名無史さん:2001/02/09(金) 14:59
>>16
>他民族の有効な利用
同じドイツ人国家のオーストリアは、一次大戦に負けるまでは上手く
やってましたよ。ハプスブルク家の戦争でまともに戦ってたのはハン
ガリー人やスペイン人ですし。
ま、ナチスには無理だったでしょうけど。
23名無しさん@1周年:2001/02/09(金) 17:43
>>22
>同じドイツ人国家のオーストリアは、一次大戦に負けるまでは上手く
>やってましたよ。

またこんなことを言ってる輩がいる。
オーストリアはゆるい帝国で国民国家じゃなかった。
納税がちゃんと行われている限り、各民族の自治権も認められていた。

来たの「ドイツ帝国」は、帝国といいながらドイツ人の国民国家を
目指したため、国内の少数民族や周辺国と軋轢を起こした。

「ドイツ帝国」は思想構造的に成立不可能だったから、政治上の
スキルの問題じゃないのよ。
2422:2001/02/09(金) 18:06
>>23
世界史上のほとんどの帝国は民族主義を採らず、何らかの普遍主義を掲げます。
無論オーストリアも例外ではなく、ハプスブルク普遍主義のもと他民族の広範な
自治権を認めて帝国を形成していました。こりゃ言うまでもないですな。
私は16さんが「ゲルマン人には無理」と言ったので、反例としてオーストリア
を挙げたまでで、政治上のスキルの話なんてしてません。
>ま、ナチスには無理だったでしょうけど
を見れば、思想が問題なのだと言いたいんだと分かるはずですが。
てゆーか、何が不満なのかわからん。
25そこいらの名無し:2001/02/09(金) 21:40
age
26ジーモン@ケー二ヒスベルク:2001/02/09(金) 21:44
スラヴ・ボルシェビキを皆殺しにせよ!
27日本@名無史さん:2001/02/10(土) 02:13
そもそもバルバロッサ作戦の目標線はもっと遥か北だったはず
モスクワが落ちていたら確かにソ連にとっては痛かったろうが、それがすぐソ連崩壊と結びつくかどうかは疑問。
まあ既出だが原爆が戦況を変えるまで戦争が長引いたということはあるかもしれない
そうなるとモスクワを落としていればドイツが勝ってたかも(ヒジョーに無理がある話で恐縮ですが)
28世界@名無史さん:2001/02/10(土) 04:27
そりゃ無いな。1812年もテメエでモスクワ焼いてでもナポレオン倒したよ。
あいつら農民。都市市民でないよ。都市なんか平気で捨てる。
畑だけあれば生きていける。
近代戦の発想がどっか通用しない変な奴等だよ。
ドイツ人じゃあ合理的近代的に考えすぎてやっぱ負けるよ。
ロシア叩くなら前近代的発想が要るな。
29世界@名無史さん:2001/02/10(土) 13:43
age
30世界@名無史さん:2001/02/10(土) 13:43
age
31世界@名無史さん:2001/02/10(土) 15:25
最大の問題はロシアの悪路では?
武装親衛隊の写真集見ましたが、ロシアの凄まじい泥の海と化した道路は
機甲師団最大の敵だったのではないでしょうか。
(それにしてもT34の幅広のキャタピラは見事ですな)
舗装した国道がモスクワ街道しか無かったというのにも驚き!
32日本@名無史さん:2001/02/10(土) 16:04
泥と雪の悪路を何百キロも走破できてこそ「戦車」と呼ぶにふさわしい!
33世界@名無史さん:2001/02/10(土) 18:14
>32
戦車の一般的な耐久性からみてそれは不可能なのでは?
T34なんかは消耗品として使われていたのでは。
34世界@名無史さん:2001/02/10(土) 18:38
age
35世界@名無史さん:2001/02/10(土) 20:26
age
36世界@名無史さん:2001/02/10(土) 21:24
T34は、工場の生産ラインから出ると、そのまま戦場まで走行していった
という神話があるそうです。
神話であると断っているので、実際は違うのでしょうが、ソ連はどうやって
戦車を運搬したんでしょう。
たしか、戦車の生産に集中していたために、一般の車両が不足し、兵員の輸
送を戦車で行うというか、戦車に兵員をしがみつかせて、移動するという方
式をとり、兵員の損害を増大させていたってことでした。
他国では、戦場までの戦車輸送は主に列車によったようですが、ソ連も同じ
でしょうかね。
37世界@名無史さん:2001/02/10(土) 21:36
工場から戦場へ直行というのはレニングラードの事ですかね?
そういえばドイツ軍の戦車輸送作業は列車が多かった様ですね(週間ニュース
等を見ると)ソビエトの輸送方法はどうだったのでしょうね。
アメリカからの援助にてフォードトラックは大量に持っていたようですね
(1944年以降は)
38世界@名無史さん:2001/02/10(土) 22:54
工場からそのままどう運んだかは知らないけど、
塗装はしてなかったらしい。それどころじゃないってのはわかるけど、
なんかロシアって感じ。
39世界@名無史さん:2001/02/10(土) 23:02
ソ連制の兵器は全体的にそんな感じです。
戦時下でなくても、部品にヒビやスが入っていても、使用に耐えれば
OK。日本や西欧だったら、まず受納されないような品質でした。
昔、日本に亡命してきたミグ25も、さびが出ていて、本物だろうか
って議論になったくらい。
40世界@名無史さん:2001/02/11(日) 00:21
ドイツは冬装備・凍結防止剤調達ならずっと前からやってはいたが、
輸送手段が貧弱なため前線まで運べ無かった。これがナチ独の攻勢終末点。
41世界@名無史さん:2001/02/11(日) 02:28
人間でも戦車でも消耗品の国だからなー。
へんな国。でも一応動くし使うんだよな。
よくわかんねーよなこの国。
日本の中古品だって今でも10年ぐらい平気で使うぜ。
なんなんだよ。
42世界@名無史さん:2001/02/12(月) 18:47
基本的にドイツのような芸術品のような戦車は(タイガー、パンター)実用兵器としては
不要だったという事ですかね?(高品質という面で)
アバウトでもとにかくある程度の性能で数を揃えるべきだったのでしょうか(4号戦車等)
43世界@名無史さん:2001/02/12(月) 19:25
あげ
44世界@名無史さん:2001/02/12(月) 20:10
>>42
旧ドイツ軍の兵器、特に戦車は人気が高いけど、それはあくまでマニア
の話。
実戦を戦っていた機甲師団の指揮官たちからは、T34に匹敵する戦車
の開発要求があって、できなければ、デッドコピーを製造しろという要
求があったという記述を読んだことがある。
4号戦車や3号戦車でT34に対抗するのは困難だし、デザインからし
て思想が違う。
45世界@名無史さん:2001/02/12(月) 20:28
>4号戦車や3号戦車でT34に対抗するのは困難だし

でも1941年冬までのドイツ軍は快勝快進撃でモスクワまであと少しだったね。
まあウクライナあたりは戦意が低かったし、Tー34はまだ少ししか使われてなかったそうだが。
46世界@名無史さん:2001/02/12(月) 20:45
>>45
1941年頃の電撃戦では、戦車同士の消耗戦はなかったということで
しょうね。ソ連の戦車は分散配備されていたし、ドイツ軍はソ連の戦車
に戦車で対抗せず、各個撃破で進撃したようです。
逆に、そのあとの東部戦線では、戦車同士の大消耗戦の連続ですから。
47世界@名無史さん:2001/02/12(月) 20:47
五号戦車は前から見るとT34に凄く似てますね。
やはりT34の影響は相当受けてるんでしょうね、しかしながら3,4,6号戦車
は直角のデザインですなー、被弾時の事をドイツの設計者は考えてなかったので
しょうかね。
48世界@名無史さん:2001/02/12(月) 20:55
>>47
ご指摘のとおり、直線的なデザインが本来のドイツの戦車の設計です。
5号戦車や6号B型はソ連戦車のデザインの影響を強く受けています。
そういえば、現代のレオパルトもどちらかといえば、直線的ですね。
49世界@名無史さん:2001/02/12(月) 21:00
>>48
戦車の生産技術にしてもドイツはロシアに大きく遅れを取っていた様に
思われます、設計の面にしても何でロシアより遅れていたんでしょうね、
(総合的に)理由をもし御存知でしたら教えていただけますか。
50世界@名無史さん:2001/02/12(月) 21:25
14>1941年段階での赤軍の士気はきわめて低いと聞きましたが。それを政治将校がナントカ維持していたと。
14>モンゴル師団やシベリア師団を除いた部隊はよく政治将校を殺して、集団投降したらしいけど。

パウル・カレル「バルバロッサ作戦」にもありますが、
モスクワ防衛はモンゴル師団やシベリア師団が決定的だったそうです。
51世界@名無史さん:2001/02/12(月) 22:50
>>36

おかげで歩兵の平均寿命は2週間。
あとしがみついている人間のおかげで被弾時にダメージが少なかったかも。
中国の人民の海の思想と50歩100歩である。
恐るべし共産主義。
52世界@名無史さん:2001/02/12(月) 23:07
age
53世界@名無史さん:2001/02/13(火) 06:38
でも、何で当時のソ連がそんないい戦車つくれたの?
内戦と権力闘争と粛清でそれどころではないのでは?
なんなんですか、あの国は?
54世界@名無史さん:2001/02/13(火) 09:47
age
55世界@名無史さん:2001/02/13(火) 11:03
ドイツ人技術者ががんばったって話は聞いたことがある。
56世界@名無史さん:2001/02/13(火) 12:13
>>53
その前の時代のネップ政策の賜物。
アメリカのニューディーラーに代表されるようなプログレッシヴィズムと
同じ系統の発想で、ユダヤ系の影が見え隠れする。
また、アーマンド・ハマーの自伝を参照のこと。
57世界@名無史さん:2001/02/13(火) 12:54
>>53
平和時の民生品生産ではドキュソぶりを遺憾なく発揮したソ連の計画経
済も、戦時生産という局面では、充分にそのメリットを発揮したという
こと。

技術面では、ソ連の戦車はアメリカの民間技師、クリスティの設計によ
る高速戦車の導入、ノモンハン事変での戦車戦の経験と実戦による設計
改良などが大きい。

また、政策として農業集団化のための大型農業機械、トラクターなどの
技術をアメリカから導入していたが、この技術の転用もある。
冶金技術や大砲(キャノン)製造については、もともとロシア時代から
進んだ技術を保有していた。
つまり、基礎技術としての冶金、砲製造、無限軌道技術と具体的な戦車
製造、運用経験、フォードシステムによる大量生産技術、計画経済によ
る資源集中によって、良質の戦車を大量生産できたということ。

特に、鋳鋼技術を戦車製造に応用したことが、短期間での量産化につな
がっている。

ドイツの影響をうんぬんする人もいるが、ラッパロ条約で軍事技術を一
部共有したのは史実だが、戦車生産についてはあまり大きな影響はない。
ドイツの技術の影響は、むしろ戦後の軍用機、ロケット生産などにある。
58異邦人さん:2001/02/13(火) 15:27
スターリンに粛清されたトハチェフスキーという軍人が、戦車の
運用方法について割と正しく理解していて、設計部門に対して当
時としては妥当な要求を出していた事、コーシキンという才能有
る技術者がしかるべき地位についていた事とかもあるんじゃない
ですか。もっとも、多砲塔戦車のT-35みたいなドキュソ戦車も
作ってたんですけどね。

 しかし、ノモンハンの戦訓を、勝った方のソ連が活かして、負
けた方の日本が活かしてないのが悲しい。シクシク…‥。
59世界@名無史さん:2001/02/13(火) 15:32
ロシア人はアメリカとの冷戦に負けたのでああいう体たらくになった
だけで、実際は世界で最も有能な民族の一つ。
60>60:2001/02/13(火) 17:54
いえいえ、ロシアは大昔モンゴルにめったくそにやられたことから生じた
民族的かつ無意識的なトラウマに突き動かされてあのような歴史を積み重
ねているだけのコマッタチャン。
61世界@名無史さん:2001/02/13(火) 18:56
>>60
それは、言えてる。
62名無しさん:2001/02/13(火) 22:55
ロシア人は音楽と数学に秀でている様だ。馬鹿も多いが優秀な人も
いる。スターリンは理科系には粛清の手を緩めたので@`兵器の発達は
急速だったのだろう。独ソ戦の勝因の一つは米国の援助を取りつけた
ことだ。工場のウラル以東への移設もある。そして日本へのゾルゲ
謀略工作で@`日本軍を南下させ@`満州国境100万の無傷の軍隊をモスクワ
防衛戦@`スターリングラド防衛戦へまわした。これで戦局は変わったのだ。
63世界@名無史さん:2001/02/13(火) 23:19
つまり日本軍は、敵を完全に利する行為をしてしまったわけか。
64世界@名無史さん:2001/02/13(火) 23:39
米国>>>ドイツ>ロシア>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>日本
65世界@名無史さん:2001/02/13(火) 23:42

      最弱ニッポン。
66世界@名無史さん:2001/02/13(火) 23:45
かといって、石油を取るためには南方を攻めなきゃいけないからな。
シベリアの永久凍土をぶんどってもしょうがない。
67世界@名無史さん:2001/02/13(火) 23:52
まあ、シベリアにもあることはあるんだけどね、石油。
当時は知らなかったんだろうし、仕方ないかね。
68世界@名無史さん:2001/02/14(水) 00:11
すると昭和16年にタイムスリップした長島巨人軍の智恵を持ってすれば、
関東軍特別演習は成功し、東亜の曙がちかい。

・・・そういう方向に話はすすむのでしょうか?
69世界@名無史さん:2001/02/14(水) 00:16
でもドイツ本土を最終的に全土壊滅させたのは米重爆やったな。
あれでついにノルマンジーでドイツ空軍は出撃不能になってしまった。
いくらレンドリースで勢いづいたロシア軍が大兵力で攻めて来たって、
防御側が絶対優位でありそう簡単に首都陥落なんてなるわけないって。
70世界@名無史さん:2001/02/14(水) 22:09
>>69
戦略爆撃万能!とかいうて軍事板でスレ立てて味噌。ぼこぼこぞ。
71世界@名無史さん:2001/02/15(木) 17:06
欧州戦の転機は何たってモスクワで決まり、ドイツ軍不敗神話はココで崩れた。
むろんそれだけでドイツ打倒にはならないが、少なくとも東部戦線勝利は無くなった。
72世界@名無史さん:2001/02/15(木) 21:06
age
73世界@名無史さん:2001/02/16(金) 08:28
age
74世界@名無史さん:2001/02/17(土) 22:02
東部戦線においてドイツの敗勢が決定的になったのはクルスクにおいて敗北した後では!
マンシュタインもスターリングラード敗戦の後においてさえ勝機は有ったと言っていましたが。
75:2001/02/17(土) 23:17
モスクワを落としてもロシアは焦土作戦でいつまでもゲリラ戦で粘るに違いなくドイツ軍は
泥沼の戦いを迫られたであろう。モスクワ陥落は勝敗を決定的なものにはしないでしょう。
76【^▽^】酔鯨ジョーカー:2001/02/17(土) 23:22
露助と赤豚を一匹でも多く故炉せりゃ良かったなぁ。
それより何より、ソ連軍がドイツ領に進入してこれない
ように東部戦線に兵力を全面投入すべきであった。
77世界@名無史さん:2001/02/17(土) 23:31
ソ連敗北を阻止したのはモスクワだが、勝利を決定づけたのはスターリングラードとクルスク。
あとは米国の対ソレンドリースとドイツ本土爆撃を追い風にゴリゴリ押しまくるだけ。
78世界@名無史さん:2001/02/18(日) 00:09
age
79世界@名無史さん:2001/02/18(日) 10:01
クルスクでドイツ軍が勝てるチャンスはあったんかなあ。
なんか仮想とかのやつ読んでも、いまいちピンとこない。
80世界@名無史さん:2001/02/18(日) 10:27
西から昇ったテポドンが   東に落ちる(マンセー! マンセー!)

これで いいのだ  (アンニョン ハセヨー!)
これで いいのだ  (ツングル  ムニダー!)

チョン チョン バカチョン  バカ チョンチョン

キチガイ国家だ  バーーーーーカ チョンチョン!!!!

   ____
  Y/ニニ|>o<|\
 / //\___\
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 \(6   (_λ_)\        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  /   _ ||||||| _|      <   チョンなのだ!!
  |(( \□ ̄□/|       |
  \   ̄ ̄ ̄ ノ        \__________
 / ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|了
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|  | | | | | | |
西から昇ったテポドンが   東に落ちる(マンセー! マンセー!)

これで いいのだ  (アンニョン ハセヨー!)
これで いいのだ  (ツングル  ムニダー!)

チョン チョン バカチョン  バカ チョンチョン

キチガイ国家だ  バーーーーーカ チョンチョン!!!!

   ____
  Y/ニニ|>o<|\
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 \(6   (_λ_)\        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  /   _ ||||||| _|      <   チョンなのだ!!
  |(( \□ ̄□/|       |
  \   ̄ ̄ ̄ ノ        \__________
 / ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|了
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81世界@名無史さん:2001/02/18(日) 12:58
クルスク戦は戦闘自体、ドイツ軍が負けたわけではなくかなり善戦敢闘していた。
問題はあれで東部戦線全体の兵力が予備も含めて大半を使い切ってしまったこと。
ソ連側にしてみれば戦闘それ自体が必ずしも勝利で無くとも、
攻勢があっさり中断されて、「それで全力だったのか」って感じ。
82世界@名無史さん:2001/02/18(日) 22:51
1941年冬モスクワ戦の失敗はナチ独のあらゆる可能性を消し去ったと思う。
あれが当時のドイツの限界だったのであり、二度とモスクワ攻略は出来なかった。
原爆はソ連がアメリカの次であったが、ドイツには出来なかったのかとよく言われる。
もし出来たとすれば、ソ連征服に成功してからの話だろう。設備のコストは半端じゃない。
83世界@名無史さん:2001/02/19(月) 21:08
age
84世界@名無史さん:2001/02/20(火) 20:17
age
85名無し:2001/02/20(火) 20:35
ナチスが負けたのは、補給線が伸びすぎたからだ。モスクワを取っても
事態は悪化するばかりだ。人民戦争に首都なしだから。
どんどん本国から遠くへ連れ出されて行くだけだ。
軍の工場はすでにウラル以東に疎開しているし。
米国の新型兵器と巨大な補給が始まるし。
よいことは無い。
日本が極東から押して行けばソ連壊滅もあるが、日本にそんな補給力は
ない。
ただゾルゲ情報で満州の国境守備軍100万人が東部戦線に戻ったのは
大きい。これでモスクワ、スターリングラードのドイツ軍は
苦戦に陥った。戦局が転換したのだ。
86世界@名無史さん:2001/02/20(火) 21:56
あげ
87世界@名無史さん:2001/02/20(火) 23:11
私、初心者なのですが、「age」または「あげ」
とだけ書いてあるのって、どういう意味なのですか?
88世界@名無史さん:2001/02/21(水) 00:06
>>87
ネタを提供するほどの知恵も知識がないやつらが、
自分の関心のあるスレッドに何か書いてもらおうとする
他力本願で情けない行為。スレがあがっても往々にして
放置されたまま下がってしまうケースも少なくない。

ネタは自分から振れっ、甘えるな!!
89世界@名無史さん:2001/02/21(水) 01:08
>88の方
87です。ご説明どうもありがとうございます。
説明受けてやっとわかりました。
そうか。上に上げるから、「あげ」なんですね。
先に「age」という表記を見たので、「エイジって
なんだ? 何か意味がって、ひらがなの『あげ』は、
それをふざけてローマ字読みしたものなんだろうな」
と思ってしまいましたよ。
90世界@名無史さん:2001/02/21(水) 04:54
>88
ageぐらい教えてやればいいじゃん、べつに減るもんでもないでしょ
まあ本来は初心者板とかで聞くもんなんだけどね。
あんまり初心者に攻撃的だと新顔が寄り付かなくなっちゃう。
91世界@名無史さん:2001/02/21(水) 05:38
>>90
攻撃的にしてると初心者が寄りつかなくなるけど、そのかわり基地害が集まってくるな。
92世界@名無史さん:2001/02/21(水) 20:59
パンツァーファスト(対戦車兵器)はモスクワ攻防戦時には無かったのですかね、
色々戦史を読んでも良くわかりません、どの本に書いてあるかどなたか教えてください。
(あったとしても雄幸射程距離50メートル程度じゃ古参兵でないと落ち着いて
扱えないかもね)
93Under World:2001/02/21(水) 23:09
>88さん
私も最初はAge=エイジと読みました。
94GO:2001/02/22(木) 02:11
>1さん
タイフーン作戦後のソ連軍による冬季大反攻によって、
ドイツ軍は相当の被害を受けた。
ヒトラーの死守命令がなければ、
総崩れになっていたと指摘する声もある。
モスクワ市街戦におけるドイツ軍の損害を考慮に入れれば、
仮にタイフーン作戦でモスクワが陥落したとしても、
それは1年早くスターリングラードの悲劇がやってくるだけの
結果に終わった可能性が高いと思う。
95異邦人さん:2001/02/22(木) 03:20
>>94
確かにタイフーン作戦でモスクワを落としても逆に包囲され
た可能性は大きいでしょう。ただ、スターリングラードの時
とは彼我の力関係が違うから、包囲を突破して42年の冬く
らい迄は占領保持出来たんじゃないかな。

ま、それでもジリ貧になってくだろうから、ドイツの降伏が
一二年延びる事はあっても、勝敗そのものは動かないでしょ
うなぁ。
96世界@名無史さん:2001/02/22(木) 16:53
もともとドイツの、というかヒトラーの対ソ戦争目標がボルシェビズムの
殲滅、全ロシア領の植民地化及びロシア民族の隷属化だから、例えモスク
ワが陥落しようがチタデレが成功してようが、どのみち達成できる戦争目
標ではないのです。
ヒトラーが権力の座にいる限り、ドイツに対ソ戦の勝機はありませんな。
97世界@名無史さん:2001/02/24(土) 14:08
戦後アメリカに亡命したマイコブ少佐は(KGB将校)タイフーン作戦が成功して
モスクワが陥落したら間違い無く赤軍幹部によるクーデターが発生し、スターリン
とその取り巻き連中は粛清されたであろうと供述していた様ですが、実際のところは
どんなもんだったのでしょうね。
98世界@名無史さん:2001/02/25(日) 00:53
ソ連が独力でモスクワを防衛できないのなら援助もクソも無い。
明日にでも屈服する国に何を援助しても敵に捕獲されるだけだ。
それだけでドイツが負けたのではないにせよ、欧州戦最大の転換点だった。
99世界@名無史さん:2001/02/25(日) 01:19
でもナポレオン戦争の伝統があるからなどうかな?
100世界@名無史さん:2001/02/25(日) 07:34
仮にモスクワが陥落しても、国家的な交戦意思
の持続が可能かどうかは別として、抗戦可能な
軍事能力は存在していた、と考えれば良いのでしょうか。

個人的には、結局ロシアを屈服させるには
ウラソフ工作にみられるような「敵の内に
味方を作る」努力をする必要があったように
思いますが、
>>もともとドイツの、というかヒトラーの対ソ戦争目標がボルシェビズムの
>>殲滅、全ロシア領の植民地化及びロシア民族の隷属化
特に後段のロシア民族の隷属化がヒトラーの念頭にある以上、
それも難しかったのかもしれません。
1011です:2001/02/25(日) 14:24
モスクワ防衛の最大の要因として早過ぎた冬、ドイツ軍の補給困難、ヒトラーの戦略的失敗
(グデーリアン戦力をキエフ戦に転用)等、数多くあると思いますが、T34ショックも大きな
要因ではないかと思っております。
国防軍諜報部などはかなりソビエト軍部に浸透していたはずですが、T34の様な決定的新鋭兵器
の開発を何故探知できなかったのでしょうか?
どなたかご存知のかたおられましたら、ご教授お願いします。
102異邦人さん:2001/02/26(月) 18:05
>>101
>国防軍諜報部などはかなりソビエト軍部に浸透していたはずですが、
↑本当?
103世界@名無史さん:2001/02/26(月) 18:11
トハチェフスキーなんかの有能な幹部が粛清されてたから、
赤軍の首脳部自体がT34やKV系列の優秀性を認識出来てな
かったんでないですか。
104世界@名無史さん:2001/02/26(月) 18:19
>>102
むしろ逆って話もあります。
105世界@名無史さん:2001/02/26(月) 19:51
チェコ併合、独ソ不可侵条約、フランス制圧でソ連侵攻はこの上なく有利な条件で始まった。
106102:2001/02/26(月) 20:18
>>104
だよねえ。ツィタデル作戦なんて、情報ダダ漏れだもんな。
1071です:2001/02/26(月) 20:49
大昔古本屋で買った『カナリスの遺稿』という本にカナリスの台詞として
「国防軍諜報部は赤軍参謀本部に有力な情報源を持ち、編成、装備については
完璧な認識を持っていた」という内容だったものでそう思い込んでいました。
108世界@名無史さん:2001/02/26(月) 21:03
仮にモスクワを落としたとしてもロシア全土の長期占領維持は
困難だったことでしょう。

しかし首都モスクワの占領はスターリンの権威を失墜させた
可能性は高い。
諸外国にもソ連崩壊の「イメージ」を持たせる事ができたかもしれない。
最終的な結果は変わらないにしてもモスクワを落としていれば
その後の戦闘はもうちょっと楽なものだったでしょうね。
109世界@名無史さん:2001/02/27(火) 00:07
>107
可能性として
・粛正によってドイツとつながりのある古参軍人がいなくなった。
・察知していたが、ソ連にそんな技術があるとは、ドイツ上層部が信じなかった。
・1、2号戦車主体でポーランド・フランス戦に勝利したことにより、戦車個々の性能を重視しなかった。
等が考えられるが、本当のところは知らない。
110世界@名無史さん:2001/02/27(火) 03:28
諜報戦はソ連の方が上だったろうね。
ロシア革命なんて殆ど諜報戦そのもの。
イギリスのスパイ小説より面白いよ。
111世界@名無史さん:2001/02/27(火) 04:47
「収容所群島」とか読むと、ソ連って国全体が防諜と、
猜疑心のうらがえしとしての諜報に、それこそ草の根レベルで血道を上げたらしいですね。

家族を人質にとっての亡命者からの情報収拾とかさ。
オフラナ(帝政時代の秘密警察)の伝統をついでレーニンがジェルジェンスキーにつくらせた
革命防衛隊がその始祖
112世界@名無史さん:2001/02/27(火) 04:55
>>111
東ドイツはソ連よりもっと徹底してたそうです。
113111:2001/02/27(火) 05:06
>>112
ドイツ官僚主義の徹底ぶりに、
「共産主義防衛のためなら人殺しもOKだぜ。なぜなら歴史の必然だからだ」
というイデオロギーが重なれば、無敵ですね。

歴史の専門用語でこれを
<鬼に金棒>
といいます
114世界@名無史さん:2001/02/27(火) 06:58
なにしろ東ドイツはソ連に対してマルクス主義が不徹底だと批判してたくらいですから。
他の東欧諸国がソ連の圧力で嫌々共産圏に居たのと違って東ドイツだけはむしろ自ら率先してそれをやってたのです。
もちろん、マルクスの国としての自負もあったのでしょう。
115吾輩は名無しである:2001/02/27(火) 07:19
東ドイツではたしか1945年5月7日(でしたっけ?)の敗戦を、
毎年、戦勝記念日として
軍事パレードで祝ってたかと思います。

さすが一度は流産させたドイツ革命を他力本願でなした国だけのことは
あります。
凡俗には理解できぬサムシングがあります。
勝利万歳です。
116世界@名無史さん:2001/02/27(火) 19:13
すまんがage
117酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/02/27(火) 19:25
>115
ドイツ民主共和国(東ドイツ)は、”ファシズムを打ち破った
戦勝国”と称していました。反ファシズム・戦勝モニュメント
の壁画の兵士達の容貌もロシア人ではなく、
ドイツ人いうところが凄い。
118世界@名無史さん:2001/02/27(火) 19:44
>>117
戦勝国だと自称するとは、何ともはや!
初期の東ドイツ政府幹部は戦前の共産党員なんですか?
戦前の党員はてっきりナチスに粛清されたと思ってました。
119酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/02/27(火) 19:50
>118
テールマンやトレグラー(?)はナチスに粛清されましたが、
ピークやウルブリヒトはモスクワに逃れ戦後直ぐに帰国。
また、一世代下ですが、ホーネッカーは国内残留派の
生き残り。
120世界@名無史さん:2001/02/27(火) 20:38
社会を厳しく統制し、人民を抑圧する仕組みなどはナチ時代のものを名称だけ変えてそのまま利用してたと言われてます。
121名無しさん:2001/02/27(火) 23:38
東ドイツの相互監視、相互密告制度は悲劇だ。
まさに1984年の世界である。
マルクスの共産主義には、そんなことは書いてないが、
その言い加減さが必然的に、恐怖政治と密告監視国家体制を
必要とするのである。
122世界@名無史さん:2001/02/27(火) 23:43
マルクス・エンゲルスはドイツ人の思想家だよ。共産主義の本山はロシアで無くてドイツ。
123世界@名無史さん:2001/02/28(水) 01:02
「全体主義の呪い」(新潮選書)を読みましょう。
124世界@名無史さん:2001/02/28(水) 12:02
すまんんがage
125世界@名無史さん:2001/02/28(水) 12:07
でも、秘密警察官僚はナチの組織−SD・SSなどの過去ある人間も多かったと。
ユダヤ人差別も酷かったと>東独

軍服も武装SSと変らないらしいね。西より過去の名残が強い。
126酔鯨ジョーカー武蔵之守:2001/02/28(水) 12:30
何せ、イスラエル空軍を”パレスチナの空を飛ぶナチ空軍”とか
トンデモな反シオニズム宣伝をしていた国だからね、東独は。
また、ユダヤ人ジェノサイドに関する教育もしなかった。
127世界@名無史さん
東ドイツは凄いよな。60年もあんなこと続けられるなんて正気じゃない。