1 :
ぽん:
他のスレで、ちょっとだけ話題になっていたので既出かもしれませんが、
世界史を見ていると、あちこちで、ちらほらと奴隷の話が出てきます。
ある程度まとまって記述があり、実感できる奴隷制度は、アメリカの黒
人奴隷についてですが、そもそも、古代の奴隷と19世紀中葉あたりの
近代の奴隷って、なにか違いがあるのでしょうか?
ロシアの農奴「ミール」と奴隷一般との違いはなんでしょう。
スペインには近代まであったようですが、イギリス、フランス、ドイツ
などの近世・近代にも奴隷制はあったのでしょうか。
インドのシュードラは日本語で奴隷階層と訳されていますが、全員が元
奴隷なのでしょうか。
通俗唯物史観の時代区分には、原始共産制・古代氏族社会の次の時代と
して奴隷制社会を挙げていますが、世界中どこでも、例えば、日本にも
奴隷制社会は存在したのでしょうか。
奴隷制を経験していない文明・文化は存在しないのでしょうか。
また、奴隷制と被差別民の関係はどうなっているのでしょうか。
小作人・使用人と農奴、奴隷の相違はなんだったのでしょうか。
わからないこと、知らないこと、疑問だらけなのですが.......
2 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 01:00
奴隷と農奴の違いだけど。
奴隷は単体で売買、贈与、相続の対象だけど、農奴は土地(農地)
とセットになっているというか、土地に付属しているのでは。
3 :
T・S:2001/01/28(日) 01:15
奴隷制のない国・・・・・・その昔、「ユートピアには奴隷が最下層にいた
んだぞ」とか悪友に言われてずっと信じていました。いまだ確認してい
ません。トマス・モアの「ユートピア論」を読んでいる人がいたら教え
て欲しいです。
・・・・・・上の文章に返事なんかくれなくていいです。
えっと、日本には奴隷制社会があったかと言うと、中世・・・・・・特に
戦国期はまさにそうだったらしいですね。落ち武者を農民が捕らえて
労働力としてこき使うとかは普通だったみたいです。落ち武者とは
言っても元々武士と農民の区別なんていい加減だったらしいし、その
まま兵士やら労働力として使われているうちに、九州から東北にまで
行ってしまった例もあるらしいです。
これは余談ですが、当時の兵士は半農半士が当たり前で、合戦は
多くが農閑期に行われていたそうです。そして地元の者が兵士になる
ために村は外されて戦っていたとか。そして村人は終わった後の戦場
を荒らし、死骸から鎧を剥ぎ、落ち武者を捕らえて村の糧にしていた
と言います。『七人の侍』どころじゃないです。その年に合戦がなか
ったために壊滅してしまった村の例があるとか。スレ違いな話題です
がすいません。
中世が終わって近世になっても、「奴隷」かどうかは微妙ですが、
人身売買は行われていました。近世の日本の価値観は現代の私達と
はかなり違いますので、遊郭の女を」即奴隷と言っていいものか・・・・・・。
ただ欧米人は同種のものと判断したのか、とある事件で日本を非難
しています。その時の反論で「牛馬と同じ」なんて事をいったとか。
ここまで書いて中世を『奴隷制社会』と呼ぶのはなんだか無理が
あるようなきがしてきたので、『奴隷を当たり前に使う時期があった』
と変えといてください。
国家の法の下に奴隷が規定されていたのは律令を始めた頃に「奴婢」
があったぐらいしか知りません。ひょっとして中世にも同様の規定が
あったのかも知れませんが、私は不勉強なので知りません。
被差別民と奴隷制の係わりについては、正直、日本においてはそれ
ほどないと思います。手元に資料がないのでまとまった文章を書ける
自信がありませんから、それについては書きませんが。
あとは私も知りたいです。
厳しいご批判をお待ちしております。
4 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 01:27
マルクス主義の歴史区分は、その社会の基本となる生産様式による
発展段階を想定したもので、奴隷が存在するから「奴隷制社会」と
いうことではない。
古代ギリシャ・ローマでは、少なめの推計で人口の30%、多めの
推計では、市民の数倍から十数倍の奴隷が存在し、生産に従事して
いたと考えられている。
近代の奴隷を有する社会は、生産様式としては資本主義を基盤とし
ているので、奴隷制社会ではなく、奴隷包摂社会とでも呼ぶべきも
の。
犯罪者への刑罰としての奴隷化などであれば、社会制度として歴史
的には一般的に見られたものであるが、このような少数の奴隷身分
の存在する社会と、生産様式としての奴隷をもつ社会を混同しては
ならない。
5 :
名無しさん@1周年:2001/01/28(日) 01:57
人を支配するには武力の大きさではないんですね
今は先進国では武力が大きいけど昔みたいに奴隷はいない
6 :
ほんとかな:2001/01/28(日) 01:59
>>3 >えっと、日本には奴隷制社会があったかと言うと、中世・・・・・・特に
>戦国期はまさにそうだったらしいですね。
はじめて見る説ですが、いったい誰が主張している説でしょうか。
荘園制を、農奴制やアジア的奴隷制とする説は、よく見ますが、戦
国の落ち武者が奴隷となったというのは、初耳です。
そのようなことが無かったとは言いませんが、戦乱で不足する労働
力の確保の意味合いが強い、一時的な現象のようにも思えます。
戦争捕虜を強制労働に就かせるのは、第2次大戦下でも行われたこ
とで、奴隷的ではあっても、奴隷とは言えないでしょう。
江戸期の人身売買は、基本的には年期奉公であったと思いますが。
また、律令制度の奴婢は、私有奴隷ではないでしょう。
7 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 07:35
借金で縛られた奉公人や小作人と奴隷の違いって、なんだろう。
事実上の人身売買は世界中にあったし、今日でも違法ではあっても存在する。
例えば、アメリカの黒人奴隷の場合、殺したら殺人になったのだろうか。
それとも、損害賠償だけで、刑事罰はなかったか、ペットを殺したのと同じ
程度だたのだろうか。
小作人や奉公人、遊女なんかを、第三者が殺せば殺人だけど、雇い主が殺し
た場合はどうなったんだろう。
8 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 07:50
>>6 攻めこんだ側が現地の人間を「手取り」にしたという記述はあるよ。
手元にないのでちょっと自信がないが、中公新書の「武田信玄」に武田
の兵士が信濃の人間を捕まえて奴隷にしたとある。それが兵士にとって
の戦争での利得だったのだそうな。近代的な「返さなければならない戦
争捕虜」の概念は当時の日本にはない。
私家の奴婢は、いた。もちろん公有の奴婢もいたが。史書にはちらほ
ら記録が残っている。
9 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 08:16
>>8 それはありそうな話だが、制度としての奴隷とは到底言えないな。
人間を私有して生産に従事させるための恒久的なシステムがあった
とは思えない。
戦国の捕虜ー奴隷はあくまで、戦乱による人口減に対処するための
一時的な現象と捉えるのが正解だろう。
関東以西の日本の場合、平時には農耕地に対して、人口は過剰気味
だったと思うので、召使い的な補助的労働者としてならともかく、
主力の農業従事者としては、奴隷はあまり意味がなかったのでは。
それと、まともな歴史学者で、日本に奴隷制があったとしている人
はいるのかな。
日本語の奴婢は本当に奴隷かな?
他のレスにもあったけど、戦乱時に捕虜を奴隷的に労働させるのは
歴史上、一般的な行為で、奴隷制度とは言わないだろう。
その捕虜が帰国できるかどうかは、また別の話だ。
10 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 08:28
イギリスの奴隷制度というのは、あまり聞かないけど、18世紀あ
たりの大英帝国を支えた海軍には、水兵の強制徴募という制度があ
った。
これは、一種の奴隷狩りみたいに、道を歩いている市民をさらって
軍艦の水兵にしてしまうというやりかた。
水兵の地位も限りなく奴隷に近かったようで、奴隷制度とは違うと
はいえ、今からみると無茶苦茶なことをやっていた。
11 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 09:36
>>9 奴隷制社会というのはいいすぎかも、とは3も書いている。古代日本
の生産の基本が奴隷だった考えている学者は今はもういないだろう。
しかしそれと(マルクス主義的な意味付けなしの)脇役としての奴隷制の
有無はまた別の話だ。
世界史的にみると、奴隷は、基本的に戦争や略奪の捕虜から生じる。
奴隷の人口は各世代ごとに激減していくからだ。結婚して家を持つとい
う事業は、平民にとってさえ大変なことで、できない人はたくさんいた。
結局、平民を奴隷にする経路がないと、奴隷制度はなりたたない。
家族を維持できる条件を整えるのが対策の一つだが、それを整えると
もう自由な売買・贈与などできなくなるから、農奴になってしまう。末
期ローマが「転落」した道だ。
アメリカの南部奴隷制は、アフリカからの供給を断たれたときに危機
に陥った。そこで、奴隷女を犯して子供を売る(自分の子だ!)という外
道な商売ができた。顔を思い浮かべれればうなづけるだろうが、アメリ
カの黒人のほとんどは混血だ。
中世日本の奴隷の場合は、子供を作れずに一世代で終わったり、家族
を持てる待遇を与えられて農奴化したりして、大きなものにはならずに
消えていったのだろう。しかし奴隷制がなかったということではない。
そこを過小に見積もると、近世日本との差が見えなくなってしまう。
12 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 09:48
奴隷の定義のコアにあるのは人身売買なのだが、それに2タイプある
のがややこしさの源かもしれない。転売可能かどうか。
江戸時代以降の日本で子供が売られるのは、一回限りの出来事で、一
度「就職」した後で大人が転売されることはなかった。売られた後の
人は、隷属的な身分ではあっても、もう人身売買の対象ではなくなっ
ている。
13 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 10:13
>>11 異議というか、疑問がいくつかある。
まず、奴隷と農奴の差違を家族をもつか(奴隷としての再生産)で
区別しているようだけど、それはどうだろうか。
農奴は土地とセットになった生産手段だから、家族単位が基本なの
はいいとしても、奴隷が家族単位になったら農奴になるという定義
は初めて見た。
次に、これと関連するけど、アメリカの黒人奴隷は11の言うよう
な混血の事実はあるが、家族単位での再生産もあったし、家族を分
割しての転売もあった。すべてが混血による再生産と新規移入によ
ってまかなわれていたというのはどうかな。むしろ奴隷間の再生産
のほうが多数派なのではないか。
最後に、朝鮮の例を出すとスレが荒れそうでいやなのだが、比較例
として明快なので、あえてふれると、19世紀中頃の奴婢=奴隷の人
口比率は約30%で、李朝朝鮮は500年にわたって戦争や征服な
どをしないでも、奴隷制を維持してきている。
国際的な比較をせずに、一部の例外を取り上げて「日本にも奴隷制
があった」と結論付けるのは、どうだろうか。
14 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 13:37
比較対照として日本を持ち出すのは、ある程度やむおえないだろうが、
コヴァや自虐サヨがうるさくなるから、控えめにしておこうや。
世界史の「闇」でも「裏面」でもなく「路地裏」ってのがいいね。
全く隠されているわけではないけど、なるべく触れないようにするっ
てくらいの扱いだよな。
○○史大好きの人は、その国、その時代に奴隷制があっても見えない
ことにするケースも多いね。
ただ、西欧の近代では、植民地のプランテーションでの奴隷制ないし
は、間接統治による代替生産手段は確保しても、本国での奴隷制って
なくなっていたんだろうか。
スペインなんかは、インデオを連れてきて奴隷にしてたかな。ロシア
は農奴がかなり後までいたね。
あぼーん
16 :
T・S:2001/01/28(日) 21:28
>3
の訂正。
寝ぶそくの頭ではロクに脳が働きませんね。あの後で家に帰って本を読み返すと、自分が印象を中心に
書いていたことが解ったので少し訂正。
戦国時代では雑兵達の報酬の一部として適地でのリョウ奪(なぜか字がでてこない)が黙認されていた
ようです。その際に人を連れ去るのは乱取りとか人取りとか呼ばれていたそうです。農村部でなくても
やってたんですね。初めて読んだときに農民がそういうことをするとは・・・なん
て強く印象に残っていたせいで、ついあんな書き方をしてしまいました。
これ以上は本当にスレ違いな話題になるので自主的に却下します。
興味のある人は朝日新聞社からでてる藤木久志の『雑兵たちの戦場』とか読んで見
てください。
なんだかむりやりに暗黒面を強調しているような感触がありますが、資料としては
悪くないと思いますので。
話は変わりますが、私は中学の歴史の授業で「アメリカでの奴隷解放の本当の目的
は、南部人に独占されていた労働力を得るためだった」みたいなこと(十年以上前な
ので記憶が曖昧)を教わりました。普段は教科書をただ読むだけの人だったので、そ
んなことをいきなりリキいれて語る先生に違和感を覚えたものです。その内容がはた
して教科書通りのなのかも憶えてはいませんが。
最近の中学生は、奴隷解放をどんな教わり方をしているんでしょうか。
少なくとも私は、人道的見地からしと言うのは基本的に大義名分だとは思ってます
が(『風と共に去りぬ』の影響が強いかも)。
17 :
奥さまは名無しさん:2001/01/28(日) 22:10
通俗唯物史観ってなんですか?
18 :
世界@名無史さん:2001/01/28(日) 22:37
>>17 別に「通俗唯物史観」という用語があるわけではないが、マルクス
の展開した歴史分析の手法、生産様式としての下部構造が、思想や
社会制度などの上部構造を決定する、とか、生産様式の矛盾が歴史
発展の主要因であるとかいった考えかたを、程度の違いはあれ、受
け入れる歴史学者は多い。
しかし、マルクスの唱えた「唯物史観」は学問上の古典的な歴史分
析のツールの1つであると同時に、特定党派、共産党の信仰の対象
ともなっていた(る)。
このために、唯物史観の用語や解釈は、正統×異端の宗教論争のよ
うな経緯をたどり、ソ連共産党などが解釈の正統性を誇示し、社会
科学という名のもとに、教条的で硬直的な適用を強制していた。
今日では、マルクス的な歴史解釈をするのに、いちいち共産主義者
としての正統性に気をつかう必要はなくなっている。
かつての硬直した共産党の官製唯物史観、党員のための教科書に記
載されていたような歴史理論を揶揄して「通俗」唯物史と呼ぶ人も
いるということ。
なお、話題になっている歴史の発展段階の大区分としては、原始共
産制(氏族社会)−古代奴隷制−封建制−資本主義−社会主義(共
産制)だったと思う。
違ってたら、誰かフォローしてくれ。
19 :
奥さまは名無しさん:2001/01/29(月) 02:49
20 :
世界@名無史さん:2001/01/29(月) 12:18
狩猟採集民は奴隷をもたないよ。
奴隷を食わせていくだけの食料生産が無いから、奴隷を雇うメリットがない。
戦いで捕虜が出ても殺すか逃がすかするんだって。
21 :
名無しさん:2001/01/29(月) 12:36
アステカ帝国では捕虜を食ってたしね(^^;
奴隷を使役するというのも文化的発明の一つで、
その技術を発見できなかった民族もいたということ。
多分、野生動物を家畜にする技術が先に発見され、
それをヒトに対して応用したのが奴隷使役なんじゃないかな。
文字通りの意味での去勢技術ね。
22 :
世界@名無史さん:2001/01/29(月) 13:01
古代ローマの奴隷はそれほど過酷な扱いを受けていたわけではない。
所有者にとっては大切な財産であったわけだしね。
23 :
世界@名無史さん:2001/01/29(月) 14:47
イスラム世界も奴隷に対する扱いは悪くないって言うよね。
マムルークなんて軍人になってるのもいるわけだし。
24 :
コヴァ:2001/01/29(月) 18:19
>リョウ奪(なぜか字がでてこない)
あの、掠奪のことですか(汗)?
25 :
世界@名無史さん:2001/01/29(月) 18:51
凌奪って言葉でもあるんじゃないの?
いや、そんな言葉聞いたこともないが。
26 :
世界@名無史さん:2001/01/29(月) 23:53
かなり、お疲れのようですしね。
りゃくだつ 【略奪・掠奪】
力ずくで奪いとること。暴力で自分のものとすること。
「りょう」で、涼、諒、椋の文字があるし、略奪と書いても「りゃくだつ 」
だから、間違えやすいね。
あと、適地ってのは「敵地」の変換ミスでしょ。
りょうじょく 【陵辱・凌辱】
(1)人をあなどって、はずかしめること。
(2)女を力ずくで犯すこと。暴行。
連想するのは、こちらでしょう。戦時などは平行して発生しそうですから。
でも「りょうだつ」凌奪は、たぶん、存在しない単語だと思う。
27 :
T・S:2001/01/30(火) 00:23
>26
すいません。ずっと「りょうだつ」だと思いこんでいました。
しかし不勉強な私はアメリカあたりしか咄嗟にでてきませんが、「奴隷解放」の事例は
他にどんなのがあるんでしょうか?
28 :
はて:2001/01/30(火) 00:24
>>21 アステカの生贄やカニバリズムの対象になったのは、主に戦争捕虜でしょ。
アステカにも、奴隷制度はあったようですし、ちょっと違うのでは。
それに、カニバリズムの意義は、食料としてというケースは希で、通常は食
べる相手の生命力や霊力を自分のものとするため、という場合が多いので、
奴隷を食べるというのはどうかな。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA003604/america.htm アステカの社会的基本単位はカルプリという父系の親族集団。土地はカルプリ
の共有。その長がカルプレック。
平民(マセワルティン)、貴族(ピピルティン)、商人(ポチテカ)などに
分かれる身分社会。貴族の土地はマイェケ或はトラマイトルと呼ばれる小作人
たちが耕した。トラメメと呼ばれる荷役人や、トラコツィンと呼ばれる奴隷
もあった。但しトラコツィンは労働報酬がない代りに家庭や財産をもつこと
も可能。しかもその子供は自由民(マセワルティン)になった。奴隷になる
のは破産した人、刑罰を受けた人のほか、貧困のため進んで奴隷になった人
たちである。戦争で獲得した捕虜はママルティンと呼ばれ、大事に扱われ、
やがて神へのいけにえとされた。ポチテカたちの地位は高くヤカテクトリと
いう固有の神を信じていた。
29 :
う〜ん:2001/01/30(火) 21:39
>>28 訳が「奴隷」でも、実態で見ていく必要があるね。このアステカの例だと、
本当に奴隷と呼べるのだろうか。
子供は自由民となる、ということは階層としてとか世襲身分としての奴隷で
はないね。
むしろ、使用人、年期が無期限の奉公人という感覚のような気もする。
この記事だけでは、人身売買の対象だったのかもよくわからないし、戦争捕
虜のほうは、生贄にされて、奴隷にはならなかったようだから、だいぶ感覚
だ違う。
こうなると、奴隷とはなにかという、ある程度の定義化が必要だな。
最近は、政治的に「奴隷」という言葉が乱用されているから、歴史上の奴隷
の範囲、奴隷と農奴の違いのおさらいをしたほうが良さそうだ。
とりあえず、国語辞典ね、
どれい 【奴隷】
(1) 人間としての権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われ
る人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象と
された。古代ギリシャ・ローマのもの、近代の北アメリカの黒人奴隷な
ど。日本古代の奴婢(ぬひ)もその一種とされる。
(2) 下僕。しもべ。
(3) あるものに心を奪われて自主性を失い、行動を束縛されている人。「金
銭の―となる」
(3)は論外として、(2)は何だ?
30 :
世界@名無史さん:2001/01/31(水) 11:31
奴隷の定義はそんな感じだろう。問題になるのは、奴隷ではない隷属民とどう区
別しておくかだ。
私の考えでは、家計を独立させ、労役や現物の賦課の残余を本人の利益として認
め、その範囲で自活させるのは、奴隷ではない。農奴としておく。
また、家計を営まず、労働を強制される場合でも、売買や譲渡の対象にならない
ものは、奴隷ではない。終身や年期の奉公人になるだろう。
ただ、後者については、はためには奴隷と見えてしまうことが多い。特に、家の
重代の臣下や家内の使用人が、奴隷に含まれてしまう。両者が法的に区別されてい
ない場合もある。家内の臣下と奴隷の間にはっきりした境界線がないというのはそ
れ自体重要な歴史的知識として大切にしたい。
が、ともあれ、実態をみた慎重な切り分けが必要だろう。詳しくないからなんと
もいえないが、特にイスラム圏について「奴隷の待遇がよかった」とか「奴隷が高
い地位についていた」とかひとくくりに言っていいものか。
31 :
うりゃ:2001/01/31(水) 22:51
とりあえず、地中海を中心にしたヨーロッパの奴隷制度の変遷は、
まず、古代ギリシャやローマなどの都市国家間の戦争で、負けた側
を奴隷とし、生産に従事させていた「古代奴隷制」から始まる。
一説では、ローマの最盛期には、2万人のローマ市民を養うのに、
40万人の奴隷が存在したと言われている。
(正直なところ、この比率はちょっと眉つばだと思うのだけれど、
そのような記述があるらしい。)
このような収奪型の奴隷は、敵を弱体化させる効果はあったが、効
率が悪く、生産性も低かったようで、土地と一体化し、農業生産に
従事する中世の農奴制主体に変化する。
17世紀初頭から、地中海では交易が盛んとなり、1600年から
1630年頃には、異教徒、キリスト教徒にとってのイスラム教徒
イスラム教徒にとってのキリスト教徒が海賊行為の対象となり、身
代金が払えない捕虜は、ガレー船の漕ぎ手として奴隷にされた。
この時代、数量的には双方に20万人程度の奴隷(白人等)が存在
していたとされている。
平行して、アフリカでの奴隷売買や奴隷狩りにより、主にアメリカ
大陸や西インド諸島におけるプランテーション生産の労働力として
交易商品としての奴隷貿易が発生し、こちちは、累積で1200万
人ほどが送り込まれたと推計されている。
このため、17世紀後半には、奴隷といえば黒人奴隷がほとんどと
なった。
奴隷廃止の動きは、18世紀に始まり、19世紀後半には先進国か
らは奴隷制度は消滅した。
1949年の国連決議で、表向きは奴隷制度はすべて廃止されたこ
とになっているが、その後もアフリカなどでは奴隷制度が存続して
おり、今日でも内乱下のスーダンを中心に10万人単位の奴隷が実
在しているとのこと。
ということなんだけど、白人社会の奴隷制度は、黒人奴隷に準じて
アジア人も奴隷にした例はあるようで、マリア=ルス号事件などで
は中国人を奴隷として運搬していたことが知られている。
32 :
ぽん:2001/01/31(水) 23:30
>>31 なるほどね、1人のローマ市民に20人の奴隷じゃ、効率悪すぎ。
でも、中世の普通の農民、特に土地を所有していない農民、小作人
と農奴の違いって、何だろう。
実際には、地主の元を離れることができなければ、自由民でも農奴
でも外見上あまり違いがないような気もするんだけど。
ヨーロッパの中世、日本なんかもそうだけど、教会が地主だったり
するよね。日本がと神社や寺院かな。
教会が農奴を所有するってあったのだろうか。どうもピンとこない。
33 :
世界@名無史さん:2001/02/04(日) 00:14
>>31 ローマ市民に対して、10倍以上の奴隷がいたっていう記述は読んだことがあるが
別の数字では、人口の30%程度となっていた。この方が、真実味があるようにも
思えるのだが。
自由民の中にも、生産労働をする人々がいるだろうから、人口の30%程度、ほぼ
同程度の人口を支えるのであれば、十分に可能なようにも思える。
この場合だと、幼年・女性・老人込みでカウントした、自分でも生産に従事する自
由民の人口を40%、奴隷労働者が30%、貴族や奴隷労働に依存する階級が30
%というところで想定ずると、妥当な感覚なのだが、どうだろう。
本当に自由民の20倍も奴隷が存在したとすると、5%程度が自由民で奴隷が95
%になってしまう。
とても、コントロールできるとは思えないのだが。
もっとも、清朝の場合は、5%以下の満州人が多数の漢人を支配していたのだから、
単純に人口比ともいえないのかも知れないな。
34 :
世界@名無史さん:2001/03/05(月) 17:11
パックス・アメリカーナ!!!!
35 :
奴隷といえば:2001/03/16(金) 22:34
学問奴隷ってのもあったねえ。
36 :
世界@名無史さん:2001/03/16(金) 23:10
>>35 初耳だ。
ギリシャ・ローマなどには、奴隷身分の教師というのが存在したし、おそらく
奴隷身分で学者と呼べる人材も存在したと思う。
商品価値として、利発な奴隷の子供に学問をさせて教師にしたり、もともと、
学者であった人物を戦利品として奴隷にしている場合もあったろう。
だが、学問奴隷というのは、どういう概念だろう。
それとも、ただの茶々かな。
37 :
35ですが:2001/03/16(金) 23:54
すみません。わたしの勘違いです。
以前に某作家が「パソコンとはいわゆる学問奴隷のようなものでは?」
と比喩していたのでてっきり学問奴隷なる言葉が存在するものかと…。
屋風検索でも学問奴隷なる物にヒットはなかったので、
多分36さんの解釈であっていると思います。
38 :
φ(..)カリカリカリ:2001/03/17(土) 00:59
お話を聞いているだけでためになります。
39 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 02:35
「動産のように自由に転売出来る奴隷」が「社会の生産力の主要基盤」で
あった時代,というように奴隷制社会の定義をコアなものにすれば歴史上
それに当て嵌まる時代はほとんどないという。
古代ギリシア・ローマでも上の定義での奴隷制社会であったのは
BC5〜4のアテネ,BC1〜AD1のローマ市とシチリア島など限定された範
囲だけだったらしい。
ただ戦争捕虜や債務履行不能者に拘束労働を強いる制度なら文明社会の
ほとんどに存在した。
40 :
おはよう:2001/03/18(日) 06:25
生産力が低かった時代には戦利品のうちで食用になるものは全て食料として活用されましたが、生産力の向上とともに余裕が生まれて奴隷制度が誕生しました。
その当時としては大変人道的な制度でありました。兎に角極めて貴重な食料を分け与えるのですから。
しかし、さらに文明が発展すると奴隷制度は生産性の低い、従って悪い制度に転落しました。
話が飛びますが南北戦争は黒人を工場労働者として使用するか農場労働者として使役するかを南北の諸州が争ったものでもありました。
ところが農場労働者は拘束されて飢える自由すらなく、工場労働者には失業と飢える自由が待っていたのです。
41 :
世界@名無史さん:2001/03/18(日) 10:05
新たな捕虜がいないと奴隷も増えないというのが基本法則なのかもしれない。
奴隷商人が確立した後はそうでもないけどね。
奴隷制は気候に大きく左右されるらしいです。寒いところは住居が必要だから
維持費がかかってあんまり割りにあわない。暖かいところは地べたに寝かして
も死なないから、食料さえ与えればいい。
42 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 11:55
憂慮スレあげ
43 :
日本@名無史さん:2001/05/05(土) 13:22
古代ローマには奴隷制があったかもしれないが
日本にはない。
殷王朝は奴隷制だったかもしれないが
日本にはない。
日本に奴隷制があったという歴史的な証拠など全くない。
戦前には、そのような議論などかけらもなかった。
戦後、マル史が学界を支配した後
すなわちマルクスのいう社会発展の公式が真理であるなら、
当然に日本においても奴隷制社会が過去になければならない。
奴隷制否定論者の議論は、公式の真理性に反する。
これだけの理由で、日本に奴隷制があったことにされた。
44 :
43:2001/05/05(土) 13:24
要するに、日本の歴史学界などは
社会科学から縁遠い、狂信者の集まりに過ぎない。
45 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 15:29
古代の奴隷制というと、どうもムチでピシピシ打たれて無理矢理働か
されている奴隷のイメージばかりがあるが、鉱山とかガレー船のこぎ
手などの消耗の激しいところをのぞいて、それほど厳しく使われてた
わけじゃないんだよね。
だって、奴隷所有者にしてみれば、奴隷は大切な財産なんだもん。潰
したらもったいないじゃないか。
奴隷の扱いが非人道的になるのは、古代・中世よりむしろ近代。
46 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 20:27
>>45 そうだね。
近代に入ると奴隷より安価な機械による労働力が手に入るように
なるから。勢い奴隷の商品価値も下がる。
細かい突っ込みをいれると(悪い)、古代の奴隷に対する態度
決して人道的だったわけではない(笑)。
そりゃ中には奴隷を解放するような人道的な主人もいたわけだけど。
スタンダードとしては「
>>45」自身言ってるような「高価な財産」
としての扱い。
47 :
世界@名無史さん:2001/07/11(水) 05:15
アステカ帝国では捕虜を食ってたしね(^^;
奴隷を使役するというのも文化的発明の一つで、
その技術を発見できなかった民族もいたということ。
多分、野生動物を家畜にする技術が先に発見され、
それをヒトに対して応用したのが奴隷使役なんじゃないかな。
文字通りの意味での去勢技術ね。
48 :
世界@名無史さん:2001/07/11(水) 21:30
>>43 なんか、人工冬眠から目覚めたばかりの人みたいだなあ。もう21世紀だぞー。
ちなみにこのスレも冬眠から目覚めたような。何、まだ眠い?
49 :
名無し:2001/08/05(日) 16:58
奴隷の定義、奴隷制の定義がない。
奴隷がよいことか、悪いことかの判断も基準が必要だ。
ということで、ばらばらの論議で的外れのようだ。
マルクスのいわゆる歴史は、19世紀の古い意見で、現代では認められない。
すべての国の文化、社会が欧州を先端にして遅れていると言う考えだ。
文化1線論だ。今は多元発達の見方である。
世界中の歴史に奴隷がいなければいけないと言う考えは無い。
マルクス主義歴史は、古道具屋のものだから、21世紀には出してこないで欲しい。
人類学的な、新しい理論は無いのかね。
50 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 17:06
日本語が変
51 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 17:53
生口って奴隷じゃなかったっけ?
52 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 18:36
とりあえず49は無視して議論を進めた方がよいと思われます。
53 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 18:40
生口は家内奴隷じゃないですかね?
54 :
世界@名無史さん:2001/08/05(日) 23:47
55 :
世界@名無史さん:2001/08/09(木) 05:15
家内奴隷はいたでしょうが、例の献上された生口が家内奴隷かどうかはわかりませんよ。
私は捕虜の可能性に傾きたいなあ。宮廷に家内奴隷が多数いたとしても、特別に主人を
専制的にする仕掛けがなければ、彼らに事実上の権利が生まれてしまうと思うんですよ。
まとめてひっぺがせるものでしょうか。
いや、なんの根拠もないですけど。
56 :
???:2001/08/09(木) 11:10
奴隷の所有権を法律で保証したのはアメリカだけでしょうか?
57 :
世界@名無史さん:2001/08/09(木) 19:25
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58 :
uyt65r:2001/08/09(木) 20:12
59 :
世界@名無史さん:2001/08/25(土) 09:30
別スレで、中国の奴隷制度の話題がないぞ!という指摘があったね。
古代は別としても、文革時代の回想記(題名忘れた)に、出身身分が「農奴」
って話が載っていた。
革命前の中国では農奴がいたようだな。
もっとも、その本では「農奴」出身と聞いて、みんなびっくりしているから、
めずらしかったんだろうとは思うけど。
ところで、中国が国連の人権委員会?の理事国になって、かつて奴隷制を維持
していた国々の謝罪と賠償を提案しているらしい。
60 :
世界@名無史さん:2001/08/25(土) 20:49
ケン・フォレットの「自由の地」っていう小説を読んだけど、1767年のスコットランドでは、炭坑夫は1年と1日働くと、鉱山主の所有物になるという法律だったとかいてあった。
これって、史実なんだろうか?
かつて奴隷制度を維持していた国って……全部?
62 :
世界@名無史さん:01/09/09 15:34
63 :
世界@名無史さん:01/09/09 15:38
日本での奴隷、「奴婢」って、いつぐらいまであったの?
どういう人たちで、どういう扱いを受けてたの?
歴史の授業じゃ教わらなかった。
>>63 律令制の奴婢については、10世紀のはじめに奴婢解放令が出されたと
いうことで、公式には9世紀末まででしょう。
扱いについては、ちょっと不思議で、口分田についても公奴婢については
良民と同じ、私奴婢でも3分の1の口分田が与えられることになっていま
した。
65 :
世界@名無史さん:01/09/09 19:15
>>63 幕末のイギリス人が、日本人の下女を雇って、前金を払った時に、日記
には「○○をいくらいくらで購入した」と書いている例があるそうです。
日本人側では奉公の前金という感覚でいるのに対して、イギリス人側は、
奴隷として購入したつもりになっているということで、奴隷制度があったか
どうかの認識については、簡単ではなさそうですね。
66 :
世界@名無史さん:01/09/09 19:23
>>65 幕末だから「んなこたぁない」と解るけど、16世紀あたりの宣教師の記録にでも出てきたら、当時の日本には奴隷制度があったという証拠になるかもしれないな。
一次史料だからといって鵜呑みにはできないということか。
67 :
世界@名無史さん:01/09/20 22:29
68 :
世界@名無史さん:01/09/20 22:48
武田信玄は、戦で勝った城の愛妾を売っていたとか聞いたけど。
これは人身売買?
69 :
世界@名無史さん:
>>65 そういえば、イギリスの貴族とか裕福な階層に雇われたメイド(女中)は、
殆ど奴隷みたいなものだった、という話があるなあ。
手癖が悪いメイドや物を壊すなど失敗したメイドは主人に性虐待されたりしたそうで、
エロゲーに出てくるようなシチュエーションもあながち嘘ではなかったとか。