朝鮮史上の人物について

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1世界@名無史さん
なんか朝鮮史上の人物ってあんま話題に上らないよね。
割と歴史の長い国なのに。
いっちょ朝鮮史上の英傑、名将、愚将、奸臣・・・をあげてみましょ−!
2世界@名無史さん:2001/01/19(金) 22:21
朝鮮史上最高名将といえば李舜臣だろう。
13隻(亀甲船無し)で200隻以上の敵を撃破できる人間は世界史上
でもそうはいないからな。
3名無しさん@1周年:2001/01/19(金) 22:23
初心者かい?
朝鮮スレは無闇に立てない方が無難だぞ

ハングル板で語ってくれ
4ジャガー:2001/01/19(金) 22:26
朝鮮の伊能忠敬こと金正浩なんかどうでしょう?
5世界@名無史さん:2001/01/19(金) 22:35
>3
確かにここが荒れるのはやだけど、ハングル板じゃまともなレスがつか
んだろうしなあ・・・
一応朝鮮史も世界史だから板違いではないし・・・
6世界@名無史さん:2001/01/19(金) 23:46
日本ではまだまだマイナーだが名将といえば乙支文徳だろう。
煬帝の高句麗遠征軍三十数万を四万の兵で撃破している。
しかも無事退却できた隋軍は2700人だけだったらしい。
俺的には李舜臣よりもこっちの方がすごいと思う。
7やれやれ:2001/01/19(金) 23:49
>>5
たしかに、ハングル板ではレスが付いても揶揄が90%だろうが、
世界史板では、朝鮮の歴史など興味がない向きが大半だろう。
どちらがいいかは、簡単には言えないが、糞レスも多いとはいえ、
的確なレスもハングル板のほうが期待できるぞ。
もっとも、1が朝鮮史の宣伝をしたいという意図で立てたのなら
別だが。
にしても、上にあがっている2人とも、その功績に対して、本人
は賞賛されるどころか、逆に悲惨な目にあっているというのがな
んとも情けないな。
8世界@名無史さん:2001/01/19(金) 23:55
在日チョン鮮人てさ、チョン鮮半島の被差別民らしいな
だから日本にこんなにもチョンコが多いんだな
中国の一部だって日本が支配してたのに在日中国人なんて少ないもんな
中国には過酷な差別制度が無かったらしいからわざわざ日本に渡る必要
なんてなかったんだろう
チョン鮮には過酷な差別制度があったから、白丁の連中が日本に渡って
きたんだな
日本で活躍するチョン鮮人はほとんど白丁ということだな
本国なら被差別民として苦しんでたはずなのに日本で活躍
できるなんてさ、日本人の寛大さのお陰だろ
本来なら日本に感謝すべきなのに、やれ植民地支配がどうだの
創氏改名がどうだのと日本を批判するなんて最低だな
植民地政策を批判するならとっとと半島に帰れよ
創氏改名を批判するなら日本名なんて名乗るんじゃねえよ
在日はもっと日本人に対して敬意を払い、日本に感謝すべきだよ
それをしないで大暴れしたり、日本人を苛めたりしてるから嫌われるんだよ
暴れるんなら本国でどうぞ
9日本@名無史さん:2001/01/20(土) 00:32
ああ、さっそく・・・確信犯なのか?
一方通行の認識しかできない厨房め
なげかわしい、というかウザ
10世界@名無史さん:2001/01/20(土) 02:20
白丁より劣る、ぽん介。
11世界@名無史さん:2001/01/20(土) 05:00
>>2
李舜臣って、朝鮮の人たちには忘れられていた英雄だと聞いた
けど、本当なの ? 途中解任されて獄に入れられていたことも
あると聞くから、同僚にやっかまれていたのかしら。
12名無しさん@1周年:2001/01/20(土) 05:10
>>11
あの国だと武人は尊敬されないからね。
13世界@名無史さん:2001/01/20(土) 05:29
朝鮮の楠木正成って感じですな。 > りしゅんしん

比べればもっとずっと不遇だったけどね。発掘されたのは近代にはいってから、日清戦争以降だし、
それも、日本の手によってだしね・・・・。

王侯貴族にむちゃな命令押しつけられて、でもそれに従って、成功せずに戦死しちゃうところなんてそっくり。
1411:2001/01/20(土) 05:49
>>13
 どうも。日本の手によってってことは、日本側の文献資料に
しか記録が無かったってことですか ?

 楠木正成も悲劇の人ですが、戦前は大ヒーローでしたよね。
反動で戦後は扱い難しい人物になってしまいましたが。
 ああいう悲劇的な運命の人は日本人は好きだから、明治以前
にも評価されていたんじゃないのかなぁ(推測)。
15世界@名無史さん:2001/01/20(土) 05:53
>>14
江戸時代の講談では超人気者だったそうです。<楠木正成
16世界@名無史さん:2001/01/20(土) 07:45
>>13-15
全く無名の存在だった楠木正成を再発見・顕彰したのは、大日本史
を編纂した水戸光圀。

そういえば、ハングル板から派生したHPで、こんなのもあるよ。
それなりに面白い。

大日本史番外編朝鮮の巻
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/
17世界@名無史さん:2001/01/21(日) 08:57
日本海海戦の前に、日本人の艦長が戦勝を李舜臣の霊に祈ったという話が司馬
遼太郎の本に出てきた。
乙支文徳は知らないけれど、随の滅亡の原因が運河建設による財政逼迫と、朝
鮮遠征の失敗にあるというのは、よく聞くね。
これまで読んだことのあるのは、補給の失敗による飢餓や指揮の混乱など、随
軍の自滅みたいな説明が多かった。
死者も多かったろうけど、逃亡して流民になったのが大部分だったように書い
てあった。
支那の歴代王朝は、流民の発生から、反乱、革命のコースをたどることが多い
けど、このときもそれだったと。
乙支文徳の事績があるのなら、読んでみたいけど、朝鮮には同時代史料は後代
の三国志記あたりしかないのだろうから、基本的には三国志の魏志が基本史料
なんだろうね。
18世界@名無史さん:2001/01/21(日) 10:48
李舜臣を韓国人の英雄にしたのは朝鮮総督府です。それ以前は
忘れ去られてました。韓国より日本で有名でしたからね。
19世界@名無史さん:2001/01/21(日) 11:09
他に出ないのか〜。
大院君とか(ああ、荒れそう)。

三韓の頃の人名って古くて面白いんだけどな。
2017:2001/01/21(日) 12:10
おっと、時代を間違えた。三国志じゃなくて、随書だな。

>>10
>白丁より劣る、ぽん介。
きみは、在日朝鮮人かい?
無理に新語を作らなくても、倭奴やチョッパリで通じるよ。
というか、そういうのをやりたければ、ハングル板で存分にやったら
どうだい。
21世界@名無史さん:2001/01/21(日) 14:13
>17
うるせぇー、随の字も間違えているくせして、「隋」だ。
ぽん介がー
22ありがと−:2001/01/21(日) 14:56
>>21
i-Mac使っているんだけど、フォントが小さくて、漢字の間違いに気が付き
にくいんだ。君の言う通りだね。

差別を助長するつもりはないけど、歴史を考察する場合は事実関係を重視す
るから、朝鮮の歴史における被差別民の白丁とか、奴婢の存在、地域差別の
話はどうしても出てきてしまうよ。
嫌な思いをしたくなければ、あまり、歴史系の板でちょっかいを出さない方
が無難だと思うけど。

それに、日本人は、倭奴やチョッパリ、君の新語「ぽん介」なんて呼ばれて
も、ふ〜ん、朝鮮語は差別語が豊富だね、くらいの感想しかないよ。
「奴」は、朝鮮文化のもとでは大変な侮蔑語だろうけど、日本では「やっこ」
として親しまれている字だから、不快感はあまりないんだ。
19世紀末まで奴隷身分を維持してきた朝鮮とはだいぶ状況が違うからね。

それに、チョッパリも、朝鮮文化からすれば豚(猪)の爪だっけ?被差別民
を暗示する言葉なんだろうけど、これもほとんどの日本人にはピンとこない
だろう。

「ぽん介」にいたっては、愛称といわれても、うっかりすると信じてしまいそ
うなくらいだ。
残念ながら、日本語では「ぽん」も「すけ」も悪い語感ではないもんでね。
まあ、すけの悪い用法は、スケベくらいかな。
きっと、ハングル板あたりで横行している「ちょん」に対抗しようとして、新
侮蔑語を考えたつもりなんだろうけど、相手を怒らせたいなら、もう一工夫が
必要だね。
23ど〜でもいいけど:2001/01/21(日) 15:05
>>22
>残念ながら、日本語では「ぽん」も「すけ」も悪い語感ではないもんでね。
>まあ、すけの悪い用法は、スケベくらいかな。
「ぽん」のほうは、ぽん引きという事例がある。
歴史上では、高名な芸妓に「ぽん太」、桂太郎の「ニコポン」というところ
だろう。

24世界@名無史さん:2001/01/21(日) 15:27
>22
少なくてもおまえが反応しているよ、
i-Macのせいにするんじゃねぇー。
ぽんちゃん、えらぶるんじゃねぇよー
25世界@名無史さん:2001/01/21(日) 15:39
別にチョンはぽんすけってよんでくれてもいいよ。
なんか、日本介みたいで、古風でかっこいいな。
講談にでてきそうだ。
26世界@名無史さん:2001/01/21(日) 15:55
そうでしょ。
27>24:2001/01/21(日) 15:58
「ぽんちゃん」って、いかにもその辺にいそう。
朝日新聞だったかが、日本のイメージキャラとして「タロー」なんての
を使っていたけど、「ぽんちゃん」のほうがかわいいね。
28実習生さん:2001/01/21(日) 16:22
チョン公のスレをもうこれ以上立てるな。
29世界@名無史さん:2001/01/21(日) 16:34
立てているのぽん介だって。
30名無しさん@1周年:2001/01/21(日) 17:01
日本が歴史的に朝鮮民族に犯した罪は、100回ひざまずいて許しを請い、
日本列島をすべて売り払って返済したところで補償できるものでもない。
しかし日本はいまだ心から謝罪しておらず、一銭も補償していない。
(朝鮮アジア太平洋平和委員会1999)

----
朝鮮アジア太平洋平和委員会は、朝鮮民主主義人民共和国の統一戦線部の外郭団体。

31世界@名無史さん:2001/01/21(日) 17:16
とりあえずハングル作ったり農業改革したりの世宗(1397‐1450;李朝4代目)
とか高句麗をでかくした広開土王(374‐413;高句麗19代目)とか。
32世界@名無史さん:2001/01/21(日) 17:25
文武王
33というわけで:2001/01/21(日) 19:48

( ● ´ ー ` ● ) ■■■■■■■■終了■■■■■■■■( ● ´ ー ` ● )
暴れたい人はハングル版でどうぞ。
34ぽん:2001/01/21(日) 20:45
まだ、荒れてるってほどじゃないから、いいんじゃない。在日朝鮮人の厨房が
一人でかまって君をやってるだけだから。

>>19
大院君は、結果論では困ったちゃんになってるけど、もともと殿様育ちじゃな
い人材が、巡り合わせで権力の座についたってケースで、勢道政治や党争とい
った、朝鮮の政治の悪伝統からは一線を画した強力なリーダシップを発揮でき
たという点で、時代が時代でなければ、英傑と呼ばれる人物になったかも知れ
ないね。
日本でいえば、徳川吉宗みたいなイメージかな。
35世界@名無史さん:2001/01/21(日) 21:37
>>17
 乙支文徳の事績については隋書と三国史記を照らし合わせて検証すべきだろう。
 ちなみに三国史記によると乙支文徳の戦術は次の通り。
 1.使者として隋軍に赴き敵情視察。
 2.兵糧輸送がうまくいっていないことを見抜いて誘因作戦を採用。
 3.七度戦って七度わざと負ける。
 4.平壌城(遼東半島の付け根にあったらしい)まであと三里のところまで誘因。
   その際、隋軍の進路に当たる地域の農民を食料を持って平壌城に退去させて
   おく(隋軍の食糧調達の途を閉ざすため)。
 5.平壌城に迫った隋軍に偽りの降伏の使者を出す。
 6.油断した隋軍に四方から伏兵攻撃。
 7.敗走する隋軍が薩水を渡り終えたところで再び伏兵攻撃。
 8.王仁恭、衛文昇軍のみ軍を全う。遼東城に帰還した隋軍は三十万五千人中
   二千七百名のみ。  
 要約するとこんな感じ。

 ちなみに三国史記の資料としての信用性だが、俺は統一新羅以前の記述について
 もそれなりに信用がもてると思う。
 というのも、朝鮮において三国史記が書かれる以前に新羅で『国史』が編纂され
 ているからだ。このほかにも古代朝鮮にはいくつかの歴史書があったらしい。
 (三国史記以前のこれらの歴史書が現存しないのは、どうも「正統」を重んじる
 腐れ儒者どもが三国史記のみを正統とし、それ以前の書物を不用と考えて処分し
 てしまったからのようだ。)
 金富軾はこれらの古代朝鮮の歴史書と中国の歴史書をつきあわせて検証し、三国
 史記を書いているから、それなりに信憑性はあるだろうと思うわけです。
 
3635:2001/01/21(日) 21:39
で俺は百済の最後を飾る名将、階白将軍に一票。
3717:2001/01/21(日) 22:15
>>35
なるほど、こういう事になっているんだね。
ありがとう。

でも、
>平壌城(遼東半島の付け根にあったらしい)
はどうかな?

これって、漢代の楽浪郡による支配を否定しようとする北朝鮮が
宣伝している話だろ。
北朝鮮とその提灯持ち以外に、平壌城が遼東半島にあったと主張
してる例があるのかな。それとも、ナショナリズムの波にのって、
韓国でも採用されている説なのかい?
38世界@名無史さん:2001/01/21(日) 22:22
みんなよく知ってるねぇ、高仙芝は駄目か?
39世界@名無史さん:2001/01/22(月) 01:21
>>38
ダメでしょ(藁
40世界@名無史さん:2001/01/22(月) 01:41
そうか、義浄は?
41日本@名無史さん:2001/01/22(月) 02:55
>>37
そうそう、戦前の日本の考古学者による発掘調査で、楽浪郡が平壌付近に
あったことは明らかになっています。

戦前の日本の考古学者による調査は一般的に誠実なもので、
日本の権威を象徴する、東アジアでは糸魚川特産のヒスイ勾玉の出土が、
百済・新羅・任那の旧領に限定されており、高句麗の旧領には殆ど見られないとするなど、
古代日本の勢力範囲を誇張していません。

好太王碑文も、倭軍が大敗したと言う記述もそもままにしており、
北朝鮮のような改竄体質ではないことは、好太王碑文を詳細に研究した、
中国の考古学者も述べていることです。
42世界@名無史さん:2001/01/22(月) 05:09
勾玉って日本より、新羅から出土される量の方が多いらしいね。
43日本@名無史さん:2001/01/22(月) 05:17
>>42
そこまでは多くない。
そもそも、縄文時代前期から続く東アジアでは糸魚川特産のヒスイ大珠が、
縄文時代後期になって、硬いヒスイの加工技術が向上したのか、
ヒスイ勾玉になったもので、その後も、弥生〜古墳時代には日本に広く見られる。
百済・新羅・任那がヤマトの勢力圏に入ってからは、これらの地域でも
ヒスイ勾玉が見られるようになり、百済や新羅では王冠にも多数付けられ、
権威を有することが分かる。一方、ヤマトと敵対した高句麗では殆ど見られない。
44世界@名無史さん:2001/01/22(月) 06:40
>43
そこまでって、量言っていないじゃン。
45世界@名無史さん:2001/01/22(月) 09:34
泉蓋素文は?
46世界@名無史さん:2001/01/22(月) 14:32
姜邯賛
47>21:2001/01/22(月) 14:36
>うるせぇー、随の字も間違えているくせして、「隋」

隋字と随字ねえ...随が間違いで隋が正しいなどと軽々しくいうやつはまさしく厨房だな…
あやめさんの出番かな

48世界@名無史さん:2001/01/22(月) 14:40
おぉー、根に持ってる。
49あやめ:2001/01/22(月) 22:21
出番かなということなので出てまいりました。
「隋」という国号は楊堅が隨州刺史から隨國公になり隨王となったので、
皇帝となった時点では本来は「隨」を新朝の国号にすべきところ、先代の
周や斉が忙しく奔走して落ち着かないうち滅亡してしまったので、国号の
用字に進遶が付くのは縁起が悪いということで省画して「隋」としたのだ
と説明されています。
しかし清朝の金石学者の葉昌熾は「語石」の中で「隋の杜乾緒等の造象の
最初の箇所に『大隨開皇十二年』とあって、この外の碑刻にも隨隋の両字
は往々にして通用されているものは枚挙に遑なしであり、定まった制度で
もなかったのではないか、呉玉シン(手偏に晋)の『金石存』に隋の本来の
音はダで、鬼神を祭るとか殺して肉を削ぎ落とすとかいう意味で隋は裂け
終わってしまったのだと言っており、また宋の王伯厚(『玉海』の著者)は
隨は安歩であってこんな縁起のいい字はない、隋は裂肉でこんな縁起の悪
い字はない、楊堅の無学の過ちだと評しているが、隋にもズイの音があり
隨をダの音に使った例もある、両字は通用されていたのだ、唐代の碑でも
互用されている、(以下多数の実例を挙げてますが省略)唐から後になって
初めて区別するようになったに過ぎない」と論じています。
隋を隨と書いた方も決して「厨房」とかじゃありません安心してください。
50世界@名無史さん:2001/01/22(月) 22:25
義浄ってどんな人?
5117:2001/01/22(月) 22:40
>>49
フォローをありがとう、あやめさん。
でも、もう漢字をミスって減点される心配をする必要はないので、厨房では
ないと慰めて下さらなくていいでうよ。
単純に、変換ミスですから、別に恥ずかしいとも思っていません。
ところで、関係ないですが、ひょっとして、あやめさんもMac派ですか?
等幅フォントで表示するときれいに揃って見えますけど。
52日本@名無史さん:2001/01/22(月) 23:44
>>50
新羅時代の華厳宗の開祖である僧侶。唐に留学していた。
53日本@名無史さん:2001/01/22(月) 23:46
朱蒙は?
54日本@名無史さん:2001/01/23(火) 00:02
> 出番かなということなので出てまいりました。
やな一言だ。
55世界@名無史さん:2001/01/23(火) 00:31
崔致遠、李退渓、鄭夢周、黄真伊、沙也可とかは?
56世界@名無史さん:2001/01/23(火) 00:57
黄真伊?
57あやめ:2001/01/23(火) 11:42
>51
Mac派じゃないです、メビウスでWinMeのシステムフォントです
>54
第三者として発言するわけなので、そのキッカケを明確にしただけなんだけど
もったいぶってると思われちゃったかな?
58世界@名無史さん:2001/01/23(火) 17:16
>>56

黄真伊は、韓国語での発音は、「ファンジニ」となります。李朝時代の伝説的な
技姓(キーセン)です。生前、黄真伊をひいきにしていた人の棺を乗せた台車が
黄真伊の家の前を通りっかかった際に、台車が急に動かなくなり、黄真伊が
自分のチマを脱いで棺にかけると台車が動き出したというものです。後、
黄真伊はパンソリの名手だったそうです。
59世界@名無史さん:2001/01/23(火) 22:59
新羅の武烈王金春秋の片腕の金庾信将軍は。
60世界@名無史さん:2001/01/24(水) 00:15
みんな何を使って朝鮮史勉強してるの?
61世界@名無史さん:2001/01/24(水) 00:16
沙也可は降倭将だからなあ・・・
62世界@名無史さん:2001/01/24(水) 00:42
>>61
「朝鮮史上の人物について」だから、いいいんじゃないの。
63世界@名無史さん:2001/01/24(水) 05:10
隋軍を退けられたのは、確か隋軍内で疫病が猛威を振るったからじゃなかった?
それに、李瞬臣の戦果にしたって数だけ見れば強そうに見えるけど日本軍の
補給線に深刻なダメ−ジを与えるまでにいたってなかったんだよ。
64世界@名無史さん:2001/01/24(水) 06:03
黄真伊の映画があったな確か。
65世界@名無史さん:2001/01/24(水) 06:13
>>50
義湘のこと?
新羅の元暁、義湘と高麗の義天、知訥は朝鮮仏教史を代表する仏教者だね。
元暁、義湘は中国仏教にも影響を与えていて、中国の高僧伝にも名前を連ねてる。
日本でも影響が大きかったが、特に明恵上人が彼等を尊敬したことは有名。
明恵上人が作らせた元暁、義湘の伝記を綴った有名な絵巻があるよ。
66日本@名無史さん:2001/01/24(水) 07:56
神功皇后の三韓征伐
67世界@名無史さん:2001/01/25(木) 00:51
神功皇后は新羅の渡来人の子孫らしいな。
68世界@名無史さん:2001/01/25(木) 00:57
>65
すいません、字間違えていました。
69日本@名無史さん:2001/01/25(木) 01:44
右翼乱入を誘発する朝鮮スレをageるのは止めようよ
さらに人少なくなったら終わるよ、ここ
70世界@名無史さん:2001/01/25(木) 02:37
>69
日本史にお帰り。
71世界@名無史さん:2001/01/25(木) 09:25
こうやって、朝鮮の犯罪を報道することがタブーになっていったんだろうね。
72あぼーん:あぼーん
あぼーん
73世界@名無史さん:2001/01/26(金) 08:23
丁若庸 均如上人 金弘道
74金日成:2001/01/26(金) 12:51
それは私だ。
抗日闘争、革命、主体思想などは私が作り上げたものだよ。
君達、北朝鮮は最高だよ!!
75世界@名無史さん:2001/01/26(金) 12:56
>74
金日成はそんな言いかたするわけ無いだろ、
76まんすで:2001/01/26(金) 12:57
75
あまいな。
77金日成:2001/01/26(金) 13:00
って言うか72見たいな荒らしみたいなの書く程度のやつが
私に逆らおうとでも言うのかい?ハハハ、馬鹿だね〜。
78まんすで:2001/01/26(金) 13:02
いえてる。
79トクメイキボウ:2001/01/26(金) 13:16
世界@名無史死んでください。
もうこないで。
頭に来るんだよ。
80世界@名無史さん:2001/01/26(金) 13:56
>>59
>新羅の武烈王金春秋の片腕の金?信将軍は。

「ゆ」が出ない。庚に似てる?
蹴鞠をやってたら履物が飛んで金春秋と金?信が出会った。
蹴鞠ってクーデター仕掛けるような逝っちゃってる人に人気があったの?
8159:2001/01/27(土) 00:13
>80
自分の環境(Windows2000+IE5.5)では「庾(庚)に似た字」一応出るけどね。
でも勤務先のPC(Windows95+Netscape Communicator 4.7)で見たら、「・」に成っ
ていた。
8280:2001/01/27(土) 11:46
?になっちゃいます。Win95 + NN3.04です(藁
IEは多国語強いですね。でも重いので使えない・・・
83あぼーん:あぼーん
あぼーん
84世界@七誌さん:2001/01/31(水) 20:06
 名将といえばやはり李舜臣将軍でしょう(三道水軍統制使)
 あとこの時代の領議政の柳成竜。
85世界@名無史さん:2001/01/31(水) 20:23
李舜臣は日本の小型船ばかり襲って
遠洋大型船には手出しできなかったからね
半島南岸に築かれた水上要塞も陥落できてないし。
86世界@名無史さん:2001/01/31(水) 23:20
>>85
>遠洋大型船には手出しできなかったからね
>半島南岸に築かれた水上要塞も陥落できてないし。

安宅船クラスなら撃沈しているけど?
これを超える遠洋大型船って当時の日本の水軍にあったのかい?
あと水上要塞って水軍単独で攻略できるもんじゃないから、李舜臣が落
とせなかったのは当たり前だろう。
賢明な将帥なら半島南岸の水上要塞の攻略なんて考えもしないはずだぞ。
87日本@名無史さん:2001/02/01(木) 00:00
まぁ、まぁ、クサスな、なんでもバカにしたいだけなんだから。
88世界@名無史さん:2001/02/01(木) 00:13
て言うより、地上戦で日本軍を撃退できなかった
明軍のふがいなさが原因なのでは?
それに亀甲船てのは基本的に沿岸までしか活動
できなかったからそれを85は言いたいんだろ。
89世界@名無史さん:2001/02/08(木) 00:01
唐の太宗に矢傷を負わせて安市城を守り抜いた梁万春に一票。

>>88
亀甲船って沿岸航海しかできないって、耐波性がないって事なの?
90日本@名無史さん:2001/02/08(木) 01:09
正史の三国史記に明記されているように、新羅始祖の重臣・瓢は倭人。
初期の新羅の王も、倭人の可能性が指摘されている。
91世界@名無史さん:2001/02/08(木) 02:04
亀甲船はガレー船だよ。
92>90:2001/02/08(木) 09:14
だとしても朝鮮史上最高の人物は伊藤博文
93世界@名無史さん:2001/02/08(木) 11:24
>>91
ガレー船って・・・
形違いすぎませんかね?

>>92
伊藤博文ごときの小物が何故最高?
94世界@名無史さん:2001/02/08(木) 11:58
ガレーうんぬんは、帆走船ではなく櫂走だってことでは?
亀甲船は構造上、帆走が極めて難しいので外洋の玄海灘(特に村上海賊ですら驚いたという荒海)は航行できないでしょう。
しかし朝鮮は日本と違ってろくな船乗りがいなかったので元々帆走船は運用できません。この構造がベストというより他にありえないでしょう。
船上の斬りこみ戦になっても、朝鮮の兵は百戦錬磨の日本武士にはほぼ勝てないので、装甲で固めて櫂で進退し射撃戦をしかける亀甲船が採用されたのでしょう。
局地戦に特化した兵器といえるでしょう。
なかなか合理的だと思います。
アニメ風というか大日本帝国風みたいな呼び方をすれば

「非汎用亀型決戦兵器」

というところでしょうか。

>安宅船クラスなら撃沈しているけど?
>これを超える遠洋大型船って当時の日本の水軍にあったのかい?

遠洋大型船かどうかは疑問ですが、安宅船に対して大安宅船というものがありました。
だいたい70丁櫓以上の櫂走と帆走との併用です。
95日本@名無史さん:2001/02/08(木) 13:16
三韓征伐の神功皇后
96世界@名無史さん:2001/02/08(木) 13:42
>94
亀甲船は文禄慶長の役以前からあったんじゃないの。
戦争始まってすぐに亀甲船を作って、間に合う訳ないじゃん。
97世界@名無史さん:2001/02/08(木) 13:42
神功皇后は新羅系渡来人の子孫。
98世界@名無史さん:2001/02/08(木) 17:08
>96
亀甲船は朝鮮の役開戦の前年に全羅左水営に着任した李舜臣によって考案、建造さ
れています。

>94
大安宅船は戦闘艦というより指揮船として用いられていたようですね。
ところで朝鮮の役の頃の日本の船は未だ竜骨を採用しておらず、砲撃に極めて弱か
ったと聞いたことがあるのですが、日本の大型船の造船技術はどの程度だったので
しょうか?
中国朝鮮にだいぶ劣っていたのですか?
99世界@名無史さん:2001/02/08(木) 18:06
>98
まず、不確かでごめん、謝っておくが。
亀甲船は第4代世祖の代に漢河?において、作られて浸水したと聞いたことがあるのだが。
その設計図が見つかったと。間違っていたら、ごめん。
100異邦人さん:2001/02/08(木) 19:10
>>99
第4(?)代世祖の時かどうかは知らないけど、15世紀には倭寇対策
として考案されてたらしいっすよ。李舜臣は、これを発展完成させた
んだそうです。
101日本@名無史さん:2001/02/08(木) 19:25
朝鮮正史の三国史記に、新羅の始祖の重臣・瓢公は倭人だと明記されている。
初期の新羅の王も、倭人だった可能性が指摘されている。
102日本@名無史さん:2001/02/08(木) 19:40
秀吉が亡くなって、唐入り計画を中止して、朝鮮半島から撤兵するときも、
概ね無事に戻れたことからも分かるように、実際には日本側が制海権を握っていた。
103世界@名無史さん:2001/02/08(木) 19:55
 「制海権」というのを現代的に考えすぎていないか。交戦距離が極端
に短いのだから、大砲発達以前の海軍に敵の外洋航行を阻止することは
できない。沿岸の停泊地をめぐる攻防以外に、海戦など発生しなかった
というのが実際だ。

 日朝の海戦は、朝鮮海軍が南岸の日本根拠地に忍び寄って船団を襲撃
するという展開になった。対して日本は朝鮮海軍の根拠地に反撃できな
かったのだから、朝鮮優勢でいい。そして、102が想像しているような
制海権は、どちらも持っていなかった。

 制海権による海上交通阻止は英国によるナポレオン封鎖がはじめだ
と思った。毎日毎日えらい苦労をして、それでも完全な封鎖はできな
かったのだ。
104世界@名無史さん:2001/02/09(金) 00:26
>>102氏(まあ大体あの方だとは思うが)が行っているような制海権は
この時代にはありえない。103氏が言っているように、船の性能
を考慮に入れてほしい。敗走する船団を追撃できるほどのバックアップ
は当然望めないし、レーダーや確かな海路地図があるわけでもないのだから、
そうそう沖合での待ち伏せなどできる筈もない。
むしろ、自軍の能力を把握した上で有利な戦況を作り出した朝鮮水軍
の戦術・戦略能力をこそ評価すべきだろう。
日本海軍が李舜臣を評価したのは、そういう点だったんじゃないの?
105世界@名無史さん:2001/02/09(金) 08:30
竹島が日本の領土になった理由で、漁船の性能が違いがあった筈。
106世界@名無史さん:2001/02/09(金) 18:51
意味不明。>>105
10794:2001/02/10(土) 12:43
>ところで朝鮮の役の頃の日本の船は未だ竜骨を採用しておらず、砲撃に極めて弱か
>ったと聞いたことがあるのですが

竜骨が無いと砲撃に弱いというのがよく分かりません。
砲撃に強いというなら、強いて言えばジャンクの隔壁構造くらいではないでしょうか。
和船も南蛮船(ガレオン)も砲撃に対しての耐性は変わらないんじゃないでしょうか。航洋性能ならともかく。

>「制海権」というのを現代的に考えすぎていないか。

うーん。
海軍力のプレゼンスという点なら「制海権」とみなしても良いのでは?
近代的な「制海権」そのものだって、木造船時代と、大鑑巨砲時代と、航空母艦時代では性質がかなり違うと思いますし。今は原子力潜水艦や人工衛星もあるからまた性質が違うかもしれません。単にアメリカ海軍がやたら強力なので目立ってないだけで。
朝鮮征伐に近い時代ならば、地中海世界におけるエーゲ海のベネチア海軍のプレゼンスなんかも、これは「制海権」と呼んでも良いような気がします。
「補給路」という点で似た例を出せば、ロードス島攻略時のトルコ海軍が本土からロードス島への「制海権」を握っていたとも言えると思います。ヨーロッパの海軍はその「補給路」を遮断することは出来なかったわけですから。政治的な事情も多いにせよ。
日本では村上水軍の「帆別銭」に象徴されるような実力も、これは「制海権」でしょう。その村上水軍も参加した本願寺への補給物資輸送のための大阪湾での船戦もこれは「制海権」の奪い合いと言っても良いでしょうし。
織田信長の「甲鉄船」と同じ種類の局地戦特化兵器だったんじゃないでしょうか。亀甲船は。


>中国朝鮮にだいぶ劣っていたのですか?

うーん。朝鮮と日本の「船」を分けてしまうのも乱暴かも。
例えば済州島の漁業技術は日本と変わりなかったとか、日本人漁民との交流も極めて多かったですし。対馬や壱岐も含めてマージナルな世界が広がっていたわけですが。
中国南方の造船技術は明らかに日本より上ですが、朝鮮の造船技術は「亀甲船」程度のものしか作れない極めてレベルの低いものだったと私は考えています。
極めて低レベルな造船技術と航海技術で日本の水軍を苦しめるには「亀甲船」が一番合理的であるわけで、この選択は評価に値するでしょう。
織田信長の「甲鉄船」が、南北戦争での装甲船(モニター)とは全く関係無いようなものです。
108世界@名無史さん:2001/02/10(土) 12:50

  _______  彡川川川三三三ミ〜
  _______  川|川/  \|〜 プゥ〜ン
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 _______  川川‖    3  ヽ〜     < 〜
 _______  川川 サ ∴)д(∴)〜       _
_______   川川  ヨ   〜 /〜
 _______  川川‖ ブタ 〜 /‖
_______  川川川川___/‖
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    λ::'uUJJ:::::::::::::::::::::::::::::LLUu'::i
    ∬::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::x:|
     i )x^v、::(~ヽ;;!^ゝイ~ヾへ/~Y
     ヽ    ゞイ     !     ノ
      >-   (     )   --<
    /     )    (__     \
10994:2001/02/10(土) 13:01
というわけで、私は亀甲船=Uボート説 を提唱するものです。

>亀甲船は第4代世祖の代に漢河?において、作られて浸水したと聞いたことがある

私もどこかで読んだ憶えがあります。
本来は倭寇対策の兵器だったんでしょうかね。

>日本海軍が李舜臣を評価したのは、そういう点だったんじゃないの?

東郷元帥(のはずだ)が日本海海戦前に李舜臣の霊に祈ったというあれですね。日露戦争時の朝鮮人は誰一人覚えておらず記録にも残っていなかったようですが。
アドミラル・トーゴーの名をトルコ人は皆知っていて、最近の日本の若者は知らないことにも似ているかも知れません。
東郷元帥を日本史に出そうとすると左翼の人が怒るように、武官の李舜臣の名を称えるのは文班が喜ばなかったとか。
宋あたりの士大夫階層は軍事的な面もロマンチシズムに転換する度量があったのに、この異常な軍事への嫌悪などが朝鮮インテリ(両班)と日本インテリ(左翼)の奇妙な共通点でしょうか。
11094:2001/02/10(土) 13:05
ツッコミが来る前に

文班=アカデミズム
武班=労働運動家 過激派
111世界@名無史さん:2001/02/10(土) 17:36
亀甲船は実は琉球から朝鮮に伝わったと聞いたことがあるのだが、本当?
112世界@名無史さん:2001/02/10(土) 18:35
>>107
 用語の問題は不毛だけど、「制海権」という言葉がなぜ必要かを考
えてほしい。「敵の海上交通を遮断し味方は自由に航行する」状態が
制海権なのだが、海軍の中には制海権をとろうとするものととろうと
しないものとがある。

 両者の違いは、戦略にあらわれる。制海権を握ろうとするなら、常
にその海を見張り、敵が出てきたときにはただちに撃滅しなければな
らない。制海権にこだわらないなら、有利なときにだけ出撃し、不利
なときは戦いを回避する。そして、単に自軍の兵士を輸送することが
目的なら、制海権はいらない。日露戦争ではほぼ同戦力の海軍のうち、
日本は制海権を握ろうとして努力し、ロシアはそういう努力はしなか
った。その結果があの展開だ。

 多くの歴史家はなんにでも制海権という言葉を使いたがるけど、制
海権を握るのはなみたいていのことではない。

 局地的制海権という考えと瀬戸内海の例はいい。まさにそういうこ
とだ。しかしトルコ海軍がロードスに行けたことは、例として適当で
はない。自軍が一時的に輸送できることは、敵の航行を常時遮断する
こととは違うから、ベネチアが制海権を失ったといえても、トルコが
それを得たとは言えない。
113世界@名無史さん:2001/02/10(土) 22:50
>>112

なるほど。とすると、この場合の朝鮮水軍の例はどうなるかということだが。
多分、朝鮮水軍には日本軍の海上輸送能力を完全に遮断する力はなかっただろう。
だからあれだけ長い間、異国において戦闘状態を継続できた。
李舜臣は自軍の能力をわかっていたので、局地戦において自らの有利な状況のもと
戦闘を行ったわけだ。つまり、制海権を完全に掌握しようという意思は、最初から
なかったということなのだと思う。相手側に損耗を強いることを最大の目的にして
おり、完全に根元を断とうとは考えていなかったということになるのでは。
つまり、陸上の戦闘をできるだけ有利に進めるために、無理をせず最良の手段を
選んだ、ということ・・・かな?
114世界@名無史さん:2001/02/10(土) 22:56
朝鮮の話題はやめておけ
ウヨサヨいうのがいなくなるまでな
115世界@名無史さん:2001/02/11(日) 01:47
>>98、107
>ところで朝鮮の役の頃の日本の船は未だ竜骨を採用しておらず、砲撃に極めて弱か
>ったと聞いたことがあるのですが

砲撃に弱かったかどうかは別問題としても、朝鮮水軍が亀甲船以外の板屋船によっ
ても「撞破戦術」をとれた事から考えると、強度面では朝鮮水軍の軍船の方が豊臣
水軍の軍船より勝っていたことは間違いないでしょう。
そして、豊臣水軍の軍船が竜骨構造を採用したものであれば少なくとも「撞破戦術」
で船体をまっぷたつに割られることは無かったと思われます。「砲撃に弱かった」
というのは船体構造がもろかったということを言いたかったのではないでしょうか?

>朝鮮にだいぶ劣っていたのですか?
遠洋航海用の船に関する造船技術を比べればおそらく当時の日本も朝鮮も大差なか
ったと思われます。結局中国南方の港までたどり着ける程度の船が造れれば良かっ
たわけですから。
ただ、軍船の造船技術に関して言えば朝鮮の方が日本よりも優れていたのだと思い
ます。アホ将軍元均の指揮でも「撞破戦術」で戦果を挙げられたわけですから(笑)
116世界@名無史さん:2001/02/11(日) 01:56
>>109
>アドミラル・トーゴーの名をトルコ人は皆知っていて、最近の日本の若者は知らないことにも似ているかも知れません。
トーゴーなんて最近のトルコ人はさすがに知らないらしいよ。
第三世界の姓名とかいう本に書いてあった。
昔は誰でも知ってたらしいけど。
117世界@名無史さん:2001/02/11(日) 02:29
>>109
>日露戦争時の朝鮮人は誰一人覚えておらず記録にも残っていなかったよ
>うですが。

これはよく聞く話ですがソースは何なのでしょうか?
118世界@名無史さん:2001/02/11(日) 15:24
>東郷元帥を日本史に出そうとすると左翼の人が怒るように、武官の李舜臣の名を称えるのは文班が喜ばなかったとか。
>宋あたりの士大夫階層は軍事的な面もロマンチシズムに転換する度量があったのに、この異常な軍事への嫌悪などが朝鮮インテリ(両班)と日本インテリ(左翼)の奇妙な共通
>点でしょうか。

17世紀に「壬辰録」・「郭再祐伝」などの軍記物が書かれているから一概にそうと
も言えないんじゃないか?水滸伝チックな「洪吉童伝」も書かれてるし。

ちなみに李舜臣将軍の事績は「壬辰録」にも載ってたはずだから、この本が発禁処分
にでもなっていない限り「日露戦争時の朝鮮人が誰一人覚えていなかった」というこ
ともないはずだろう。
たぶん現存する「李舜臣伝」の刊行が20世紀初頭ごろ(日露戦争当時にあったかは
微妙な線)だったことから「日露戦争時の朝鮮人が誰一人覚えていなかった」という
説が出ているんじゃないか?
119世界@名無史さん:2001/02/11(日) 23:14
>>117 - 118
googleで見ると申采浩の「乙支文徳伝」「李舜臣伝」は1908年発行。
韓国の高校歴史教科書では乙巳条約(日韓保護条約:1905年)で保護国化される
という状況でナショナリズムを鼓舞しようと書かれた啓蒙史学だと説明
されてる。
日露戦争:1904〜1905
日韓併合:1910
120世界@名無史さん:2001/02/11(日) 23:20
義兵将 郭再祐
121日本@名無史さん:2001/02/12(月) 01:00
三韓征伐の神功皇后
122日本@名無史さん:2001/02/12(月) 01:00
朝鮮民衆文字「訓民正音」を作らせた、李氏朝鮮世宗の前書きの言葉は以下の通り。
「国之語音、異乎中国、與文字不相流通、故愚民有所欲言、而終不得伸其情者多矣、
予為此憫然新制二八字、欲使人人易習、便於日用矣」

(訳:我が国の言語は中国と異なり、文字も上手く通じない。だから愚民は
言いたいことがあっても自分の意見を言うことができない。私はこれを可哀想に
思って二八字を新たに定めた。人々が簡単に勉強できて、日常生活に便利に
なることを願ってのことだ)

電波な朝鮮人が言う、「民族意識の高揚に呼応するように」作ったものではない。
あくまで「愚民」の「日用」の為のもので、両班の高級な生活の為のものではなく、
訓民正音(ハングル)を蔑視し、公文書や支配層の文書では、絶対に用いなかった
123日本@名無史さん:2001/02/12(月) 01:02
鮮人は犯罪を犯す奴が多すぎる。日本に住むなら悪いことはするな。

●夕刊フジHP・2000.10.19●

『捜査本部の調べに対し、震えながら、「今は何もいえない」と繰り返している同容疑者は、大阪市内でタクシー会社や不動産・ビル管理業などを営む資産家(在日コリアン)の二男、「金聖鐘」として誕生した。大阪市内でも指折りの高級住宅街にある豪邸は、高さ3メートルあまりの屏に囲まれ、周囲でもひと際目立つ。』
『今回の事件では、アングロサクソン系の金髪女性に対する異常な執着ぶりと変態的な性向が浮き彫りになっている織原容疑者。』
『事実、織原容疑者は卒業後に3年間、米国留学。この時期、帰化し、名を「織原城二」とし、慶応大法学部法律学科に入学。卒業後は、同学部政治学科に再入学した。』
124はて:2001/02/12(月) 01:07
>122-123
ハングル板にお引き取りください。
125日本@名無史さん:2001/02/12(月) 01:18
日本の識字率について、網野善彦『日本論の視座』(小学館ライブラリー)
「第五章 日本の文字社会の特質」に、以下のような記述があります。

国内資料については、網野さんは“平仮名交りの文書は鎌倉期まででも、
われわれの想像を大きく上回る量に達することは間違いないところであり、
文字の普及もさきにふれた通り、十三世紀後半には、侍の下層はもとより、
平民百姓の上層まで、すでに及びつつあったと見てよかろう。そして、
南北朝から室町期にかけて、それが爆発的といってもよいほどの増加、
普及を見せることは、前述した太良荘、新見荘の関係文書によっても、
おおよそ推測できる。”と述べています。

幕末維新の外国人の記述については、
“1874年(明治7)から翌年まで日本に滞在したレフ・イリイッチ・メーチニコフは、
その回想記で日本語の複雑さについて興味深いさまざまな指摘をしているが、
とくに識字率の高さに注目し、それが「ロシアや西欧のラテン系諸国」に比べて
きわめて高いと見ており、人力車の車夫、馬の口取りの別当、茶屋の召使いの娘などが、
「例外なく何冊もの手垢にまみれた本を持っており、暇さえあればそれをむさぼり
読んでいた」と驚異の目をみはっている。”と紹介しています。
126日本@名無史さん:2001/02/12(月) 01:20
岡田英弘「倭国」(中公新書)
「南北共に新しい民族のアイデンティティを求めるあまり、中国に対しては半島が
受けた影響を無視し、日本に対しては半島が与えた影響を誇張する傾向が強く現れる。
これは心情的なバランスを回復しようとする無意識の努力なのだが、わが国では戦後に
朝鮮史研究が急速に衰微したために、こうした半島の人々の民族主義的な主張を
無批判に受け売りする事が流行した。」
127:2001/02/12(月) 01:46
黒板や辻、平泉はどう言っていたのか?
128世界@名無史さん:2001/02/12(月) 02:26
>>122-127
スレ違いです。別のスレッドでどうぞ。

ところで淵蓋素文の参謀に「先道解」という知謀の人がいたという話を聞いたので
すが、誰か彼について記されている書物をご存じありませんか?
129世界@名無史さん:2001/02/12(月) 16:37
論破されるとこぴぺを腹いせ紛れに張るというのが、「日本史@名無史」さんの
得意技なんだね。嫌われるわけだ。(嘲)
130日本@名無史さん:2001/02/14(水) 02:49
>128
楊万春て言うのを、昔小説で読んだことあるぞ。
131128:2001/02/14(水) 21:40
>130
 梁万春と書いてある本もあるよね。
 ところでその本に「先道解」って奴は出てきた?
132世界@名無史さん:2001/02/19(月) 01:05
っていうか128に誰かちゃんとレスしてやれよ。
俺は知らないから無理だが、この板には一人くらい知ってる奴いるんじゃないのか?
あやめさんとか史書に出てこない?
133世界@名無史さん:2001/02/20(火) 14:34
>128
歴史小説に先道解って奴が出てきたことはあるよ。
「燃ゆる飛鳥と韓三国」っていう韓国の大河ドラマの元ネタの奴。
ただ、実在の人物かどうかは謎。
詳しい奴情報求む。
134日本@名無史さん:2001/02/20(火) 23:11
三韓征伐の神功皇后
135世界@名無史さん:2001/04/02(月) 12:37
あげげげ
136あやめ:2001/04/02(月) 16:28
先道解も楊萬春も「舊唐書」「新唐書」「三國史記」いずれにも出てき
ません。 ところが併合後に著された魚允廸の「東史年表」の檀紀二九
七八年(645A.D.)の条に「唐……進みて安市城を圍む、城主楊萬春は善
く守りて下らず」とあります。しかし「三國史記」の「高句麗本紀」寶
藏王の四年の後に付された論讃には、唐の太宗のような無敵の英雄が安
市で敗れたことについて「其の城主は豪傑非常の者と謂ふ可し、而して
史の其の姓名を失へるは……甚だ惜しむ可き也」と特記していますので、
早い時期の史料には見えなかった人名のようです。「東史年表」は李朝
官撰の「東國通鑑」あたりに主として依拠しているもののようで、楊萬
春の名もその辺から出てきたものでしょう。なお楊も梁も朝鮮音ではど
ちらも「ヤン」となります。先道解も「東國通鑑」に出ているかもしれ
ませんがうちに無いので確認できないのが残念です。いずれにせよ後世
の民間伝説なんかから現れてきた英雄じゃないかと想像しています。
137世界@名無史さん:2001/04/07(土) 02:11
朝鮮には、日本の紫式部のような偉大な長編作家はいないの?
138世界@名無史さん:2001/04/07(土) 11:54
>>128 >>130 >>136
要するに、満足な史料も残っていないもんで、デッチあげた英雄ってことですな。
朝鮮の歴史捏造は昔から行われていたということですか(W
でもって、史料がないのは秀吉の侵略と朝鮮総督府の史料隠滅でなくなったニダ!
日帝の陰謀ニダ!となるわけですね。
ヤレヤレ
139世界@名無史さん:2001/05/07(月) 19:40
チョンは世界最低民族だからしかたないね
140世界@名無史さん:2001/05/07(月) 21:33
>136
少し調べてみたところ「楊萬春」の名は宋浚吉の「同春堂先生別集」と
朴趾源の「熱河日記」に見えるようです。ただ、資料的価値がどうなの
か確実なことは言えないので、詳しい方がいれば補って下さい。

また「先道解」は三国史記に記述があったはずです。確か金春秋が高句
麗に使者として赴き抑留された時脱出のために知恵を貸すという役回り
だった様に記憶しているのですが、手元に史料がないので確認できませ
ん。史料をお持ちの方確認いただければ幸いです。

ところであやめさん。「東國通鑑」というのはどういう本なのでしょうか?
141あやめさんはお忙し中
>>140
>「東國通鑑」というのはどういう本

って、題名からして、資治通鑑のパクリでしょうね。

東國通鑑
徐居正ほか 訳者は不明だが、徳川光圀が1667年に刊行。朝鮮3国
時代から高麗までの歴史書。中国の史料を基に記されたもので、内容は
不正確。

高麗・元軍の日本征伐(韓国国定教科書の呼称、元寇のこと)関連の記
事の引用によく参照されるね。