奴隷王朝について語ろう!

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1猿2001

スパルタカスすらなり損ねた奴隷→皇帝への究極の成金。
イェニチェリと並ぶ史上最強のエリート奴隷、マムルーク出身の
アイバク将軍閣下が建てた奴隷王朝について存分に語りまくれ!
2世界@名無史さん:2001/01/18(木) 14:07
存分に語りまくれって言ったって。
マムルークのこと詳しく知らんがな。
エジプトとアフガニスタンとかにあったような気がするが。
3異邦人さん:2001/01/18(木) 18:16
 同様にマムルークが建てたマムルーク朝と比較して見るのも面白い
かも。どちらも13世紀だし、世襲による王位継承が原則じゃなかっ
たし、女スルタンがいたしと、切り口はたくさんあるな。
4世界@名無史さん:2001/01/19(金) 05:01
奴隷王朝って名前だと誤解を招きそうだから
「インドのマムルーク朝」と呼ぼう、って
誰かインド史家が言ってたような。
マムルークっていうのは奴隷といっても
一人前の騎馬兵士になるころには奴隷身分を解放されていたから、
奴隷兵士というと違うイメージになっちゃう。

>女スルタンがいたし
そうそう、女スルタンっていうと
エジプトのシャジャル・アッドゥルが思い付くけど
インドの奴隷王朝にもいたんだよね。
5世界@名無史さん:2001/01/19(金) 10:53
age
6もりもりさん(´∀` 真性M:2001/02/12(月) 14:05
行って見たいな。
7世界@名無史さん:2001/02/12(月) 21:53
イスラムって先進的だねぇ。
同じ時代のヨーロッパは・・・
8世界@名無史さん:2001/02/16(金) 21:56
インドを何度か放浪してて奴隷王朝の超有名遺跡に行ったことあるけど
奴隷王朝ってなんだか知らなかった。今もわかってないイスラムなんか?
9世界@名無史さん:2001/02/17(土) 00:26
>>8
インド初のイスラム王朝ですわ。ゴール朝(アフガニスタンに首都
があってインドを支配したイスラム王朝)の部将アイバクが建てた
んだわ。
10世界@名無史さん:2001/02/17(土) 02:25
その奴隷王朝初代クトゥブ・アッディーン・アイバクが作ったのが
デリーのクトゥブ・ミナールだね。
11どきどき名無しさん:2001/02/25(日) 22:17
奴隷王朝ってすごい名称ですね。
奴隷が多かったのでしょうか?どんな特色があったのか知りたいです
もし、参考になるソースがあったら教えてください
12世界@名無史さん:2001/02/26(月) 00:14
>>11
奴隷っていうか、イスラム世界特有の
奴隷身分出身の騎兵(マムルーク)の武将がデリーに立てた王朝。
名前から受ける印象ほど怪しくなくて、エジプトのマムルーク朝と一緒です。
インド最初のイスラム王朝でもあります。
13世界@名無史さん:2001/02/26(月) 00:14
たしかさー、処刑されちゃったんだよね、イスラムの奴隷王朝の
女の王様。直系男子もたくさんいたのに、その王女が他のに比べて
優秀だから、父王はその王女を次ぎの皇帝にって遺言してしんだんだ
けど、男尊女卑のイスラム国家だからさ、家臣が反乱おこして、王女
の弟立てて、王女を殺してしまったんだと。
それでも、皇帝位についている間に領土を広げたりした有能な女性だっ
たのにね。えっと誰だったかな・・・・、
インドの奴隷王朝の5代目王のラジーヤっていう人だ。
1413:2001/02/26(月) 02:08
↑皇帝ではなくて王様です。ごめん、厨房さらして。
15世界@名無史さん:2001/02/27(火) 20:52
ラズィヤは反乱が起こって廃位された後、
反乱の首謀者と結婚して、一発大逆転を狙う。
でも、夫と一緒に殺されちゃう。
16異邦人さん:2001/02/27(火) 22:07
>>14
 「スルタン」をどう日本語訳するかの問題ですから、「皇帝」も
あながち間違いとは言えないのでは。平凡社の世界大百科辞典
でも、奴隷王朝の項目で「皇帝」を使ってますしね。

 そんで、上記の辞典によると、スルタン位の継承は下記の様
になっとるんですが、ラジーヤとナーシルッディーンの間に彼
女の弟さんが入るわけですか。

 アイバク(在位1206‐10)
 ↓
 イルトゥートミシュ(在位1211‐36)
 ↓
 ラジーヤ(在位1236‐40)

 ナーシルッディーン(在位1246‐66)
 ↓
 バルバン(在位1266‐87)
17あやめ:2001/02/28(水) 20:32
>13
奴隷王朝の始祖をアイバクとするかイルトゥトミシュとするかによって、
ラジーヤが3代目か5代目かが分かれます。奴隷王朝という名称の根拠
は後者の身分に在りますし、名目的にもデリーのスルタンとしての地位
を確立したのも彼で、アイバクの実子でもなかったので彼が新王朝を創
始したとされたのでしょう。この王朝の相続についての有力な発言権を
持っていたのはやはりバンダ(宮廷奴隷)から構成される40人会議で、彼
等はイルトゥトミシュの子フィールーズを暗弱として廃してしまい、当
初イルトゥトミシュは娘のラジーヤの方を後継者として指名していたの
ですが、40人会議は女性のスルタンに難色を示していたのです。彼女は
即位後ザンジ(アフリカ系黒人)のヤークートを騎兵隊長に抜擢したとこ
ろ、これに不満をもったトルコ系軍人が反乱を起こし、ヤークートを殺
しラジーヤを幽閉しました。分け前に不満を抱いていた反軍の指揮者ア
ルトゥーニャは彼女を解放し、結婚した上に復位を企図したのですが失
敗し共に殺されてしまいました。彼女の1240A.D.の廃位後は弟のムイッ
ズ-ウッディーン-バハラームが42まで、次はフィールーズの子アラー-
ウッディーン-マースードが46まで在位、いずれも投獄の末に殺害されて
います。次のナーシル-ウッディーン-マハムードは親族系統を明示して
ない本が多いのですが、戦前のケンブリッジの「インド小史」ではイル
トゥトミシュの末子だそうです。
18世界@名無史さん:2001/02/28(水) 23:14
>奴隷王朝という名称の根拠は後者の身分に在りますし、
あれ?
クトゥブッディーン・アイバクも奴隷身分出身でなかったんでしたっけ?
記憶では奴隷王朝の由来は王統の三統、
アイバク系とイルトゥトミシュ系とバルバン系の
始祖3人がともにマムルーク出身だったから、だったと思っていたのですが。
19あやめ:2001/03/02(金) 16:15
>18
御免なさい。
ある本にそう取れるような文章があったので、推測的な書き方をしてし
まいましたが自信ない箇所です。よってこの部分は取り消します。
20調べたところ:2001/03/03(土) 00:13
中央公論社の「世界の歴史」シリーズのインド・ムガルの巻によると、
アイバクはスルタン号を名乗る直前に解放されたマムルーク、
イルトゥトミシュとバルバンは遊牧貴族出身のマムルークながら
スルタンになるかなり前から奴隷身分を解放されていたようです。
21世界@名無史さん:2001/04/10(火) 02:25
奴隷身分出身と言えば、ガズナ朝を興したアルプティギーンも
サーマーン朝のマムルークじゃありませんでしたっけ。
22世界@名無史さん:2001/04/10(火) 07:35
>>21
その通りですよ。
23異邦人さん
>>21
あまり詳しく知らないですけど、主家に逆らいまくったあげく、
ガズナで独立したってんだから、相当に波乱万丈な人生送ったん
じゃないですか。

アイバクの場合は、ワンマン社長急死の混乱に乗じて実力派支社
長が独立した感じですけど、アルプティギーンの場合は、会社乗っ
取りに失敗した役員が、子飼いの部下達を引き連れて独立したっ
て感じですかね。