祝.プロイセン王国300年

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1世界@名無史さん
本日1月18日は1701年にブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世が
プロイセンにおける王フリードリヒ1世としてケーニヒスベルクで
戴冠してから300年の記念日です。
プロイセンにご興味のある方、祝辞をお願いします。
2ミルフォードヘヴン公爵夫人:2001/01/18(木) 04:35
あたくしは・・・。
3ヒトラー:2001/01/18(木) 06:21
おめでとう。ご存知の通り、プロイセンはパーペンのクーデタによって、
発展的に大ドイツ帝国のなかに消えた。

だがね、おれは死ぬ前のヒンデンブルグに一度だけ、プロイセン流の
軍事パレードをみせたことがある。
もはや幻の国だな。

バッハやカントを生んだ国が、なぜナチズムを生んだのか。
ドイツロマン主義の発展とは不思議なものよのう
4世界@名無史さん:2001/01/18(木) 08:36
アイヒマンとカント主義の連関をアレント女史が
『イェルサレムのアイヒマン』でr考察していたと思ったが。
5バイエリッシャー:2001/01/18(木) 09:22
プロインはビアホールに入るんじゃない。店が穢れる!!
彼らとビールを飲む位だったらフランクと飲んだ方がまだ
マシだ。
と、ミュンヘンのビアホールで教えられた。
6世界@名無史さん:2001/01/22(月) 16:03
age
7名無しさん@1周年:2001/01/22(月) 16:13
旧プロイセンのライバルはポーランドだったので、ヒトラーは
初めポーランドを攻めなかった。なぜなら、ポーランドに勝てば、
将校たちはそれで満足して、ヒトラーのナチズムによる
ヨーロッパ支配が頓挫してしまうからだったのだ。そこでドイツ軍は
ナチによってまず無理やりにオーストリアとチェコへ侵攻させられた。

旧プロイセン将校はナチに利用させられたのだ。
8名無しさん@1周年:2001/01/22(月) 16:15
ま、所詮はこの世から消えた国だ。
9世界@名無史さん:2001/01/24(水) 23:18
今日はフリードリヒ大王の誕生日。
10世界@名無史さん:2001/01/24(水) 23:24
>>9
この人、人気無いよね。
特にハプスブルク好きの人たちには。
11さまよえるギコ猫:2001/01/24(水) 23:27
ドイツで何か記念行事とかしなかった?
12哲学や音楽家の国がなぜアウシュビッツを?:2001/01/24(水) 23:53
3>>4
>ハンナ・アレント
うーむ。厨房のとき、じつはあの大作を買って読んで、まるで理解できませんでした。
(アイヒマンのカント答弁は、アレントによって皮相だと批判されてましたね)

10数年たって、いまナチズムを生んだドイツ精神とは何ぞや、
西欧文明に対立するナチス・ドイツ文化とは何ぞやと、たまたま調べています。
思うに、信仰なき合理主義がいきつくところまで行きついちゃって、観念が人命より
優先されちゃう思考体系なんでしょうね。

ナチ・エリート。
というより・・・・ドイツ・エリートが。

マルティン・ルターが「内面の信仰は、教義や善行より尊いぜ」
と昔、いったそうですが、うーむ、関係なしといえますまい。

13日本@名無史さん:2001/01/25(木) 10:19
アルト・フリッツがいなければマリア・アントーニアはフランスに嫁ぐ
必要がなかったのに…
14>12:2001/01/26(金) 16:49
>マルティン・ルターが「内面の信仰は、教義や善行より尊いぜ」
「キリスト教者の自由」では、そういう勘違いをされないように
何度も繰り返して説明しているが、でもやっぱりこういう風に勘違い
されちゃうんだなぁ。
15世界@名無史さん:2001/02/02(金) 18:18
>8.
だからいいのさ。
16世界@名無史さん:2001/02/02(金) 23:29
>>14
どうも、あなたの文章は自身の中で完結する傾向があるなあ(笑)
どういう風に勘違いしてるの?
17世界@名無史さん:2001/02/04(日) 07:04
ポツダム宮殿萌え〜!!

どれバリーリンドンでも見るか。キューブリックの。
フリードリヒ大王の軍隊映画だ(一部)
18:2001/02/04(日) 08:27
>>17

ハイ旦那様、と医者を呼びに行く従僕のシーンさえなければ
完全無欠の映画であったろう、あの「ばりーりんどん」ですね?
19世界@名無史さん:2001/02/04(日) 12:28
バリーリンドンでプロイセン軍登場の場面で流れる
ホーエンフリードベルク行進曲。
フリードリヒ大王作曲といわれているが
確証はないらしい。
でも迫力ある名曲だぞ。
20世界@名無史さん:2001/02/04(日) 22:00
>17.19.
ドイツで戦前にたくさん作られたフリードリヒ大王モノの
映画ってビデオ化されててどっかで手に入らないのかな?
オットー・ゲビュール主演作が多いらしいけど。
ドイツ本国へでも行かないと無理なのかな。
21悪魔(荒野で40日超過勤務):2001/02/05(月) 00:40
UFAは我輩も大好きじゃ。
歴史はあまり詳しくないのですが、例のミュンヒハウゼン男爵、あれも
同時代映画なのでしょうか?

フリードリヒ大王映画は、たぶんナチ党政権下で、親方が、ほら、アレだから
何本か作られたはず。
それにしても「カリガリ博士からヒトラーまで」という名著、昔持ってたのだが
なくしてしまった。また読みたいのう
22世界@名無史さん:2001/02/06(火) 01:13
17>>18

えーと、旦那様よびにいく場面て何でしたっけ。シュバリエのプロイセン脱出シーン
でしたっけ???
23:2001/02/06(火) 01:39
んとね、息子が落馬した直後。

息子「ごめんねとっつあん、馬をみにいっちまったぜ」
父「いいんだ、なにもいうな、おとっつあんはてめえをあいしてるよ」
涙の場面。父、おもむろに振り返り、「従僕よ、すぐに医者をつれてくるのだ、いますぐに。」
***こっから****
従僕ぼけっとたっている。
やがて、「はいだんなさま。」
従僕、ゆっくり馬にまたがり「はいよおぃるばあ」とかいって
かっこかっことおざかっていく
***ここまで****

緊張感をみごとなまでに断ち切る、ぶざまなカット割りでござった。
24世界@名無史さん:2001/02/06(火) 02:17
おお。成るほど。そういえば間抜けな下僕でしたね(笑)

しかしバリーリンドンは名作です。ヘンデルのサラバンドが鳴り響くとき、何かがおこる。
それは人生の真実、すなわち<死>ですな。

おっとフリードリヒ大王スレでしたな
25カウニッツ:2001/02/06(火) 02:19
レオポルト1世age!!
26世界@名無史さん:2001/02/06(火) 12:54
ブランデンブルグそのものが邪悪な意図で建設された国家なのだから、
そもそも歴史的正当性はなかった、歪な国家であった。
27世界@名無史さん:2001/02/07(水) 04:37
16>>14
お〜い??
28世界@名無史さん:2001/02/07(水) 20:51
>17
ベルリン
ベルリン大聖堂→フリードリヒ大王騎馬像→
ブランデンブルク門→ジーゲスゾイレ。

ポツダム
サンスーシー宮殿→絵画館→新宮殿。
このコースでまた廻りたいなあ。
ポツダムの新宮殿内にはカフェーがあってお茶と
ケーキが楽しめるよ。

バリーリンドンと近作のパトリオットくらいかな
18世紀の戦闘シーンが見られるのは。

>フリードリヒ大王の軍隊映画だ(一部)
いい得て妙!


29世界@名無史さん:2001/02/08(木) 19:42
ピョートル3世age.
30おい識者(こう呼ばれると嬉しいでしょ?):2001/02/10(土) 07:09
ここもあげとく。完結レスたのむわ
31世界@名無史さん:2001/02/10(土) 07:38
やだよーーーーーーーーーーーーーん。
エッチ!
32世界@名無史さん:2001/02/10(土) 22:37
?
33駒場:2001/02/11(日) 10:38
プロシア国王と自称しただけで誰もみとめてくれなかったのだから意味のない日。
神聖ローマ帝国内ではボヘミア王国(ドイツ人以外の異民族国家なので例外的に認
められていた)以外は国王は認められないので、域外のプロシアで王国をでっちあ
げただけじゃないですか。
34世界@名無史さん:2001/02/11(日) 10:58
もう一人帝国域外で王になった奴がいる。ザクセン選定侯。
ポーランド王になっていた。
35ジーモン@ケー二ヒスベルク:2001/02/11(日) 12:00
プロイセン国王はケー二ヒスベルク大寺院で戴冠するの
だから、ケー二ヒスベルクが戻ってこなければ戴冠式も出来ん
ではないか。
36世界@名無史さん:2001/02/12(月) 05:52
ビスマルクとモルトケの二人三脚が続けば
今も「世界が見える」カントの生地もあったかも、、、。
37セミオン@ペトログラード:2001/02/12(月) 13:13
ルーデンドルフ、ヒンデンブルク、そしてヒットラーの責任で、
ドイツ帝国及びプロイセンは滅亡したのだ!
38世界@名無史さん:2001/02/13(火) 15:14
>>34
ポーランドは帝国域外でも正式な王国。
グニェズノの大司教座が教皇から権限を委譲されている。
候国の連合体で、実質的にはもう一つの「帝国」であった。
39世界@名無史さん:2001/02/15(木) 13:48
>>34
ザクセンはその当時ポーランドと対プロシアで同盟関係にあり、
士族共和制の選挙で王(2代続いた)になった。
ポーランド王家の外戚で王位継承権はあったからポーランド人に
とっても即位自体は問題ない。
40世界@名無史さん:2001/02/15(木) 22:07
>38.39
あなたの言っている事がいまいち理解出来ないのだが…
ザクセン侯は帝国域内で王様なのか?違うでしょう。34はプロイセンも
ポーランドも帝国域外の王国で、王様になるために帝国域外で王様になっ
ているね。と言っているだけじゃないのか?ちなみにアウグスト・ザクセ
ン侯はよくザクセン王と言われてしまうんですよ。
41世界@名無史さん:2001/02/15(木) 23:27
>ザクセン侯は帝国域内で王様なのか?違うでしょう。
(笑)クスクスクス

42世界@名無史さん:2001/02/17(土) 23:17
>プロイセンの話じゃなかったっけ?
43世界@名無史さん:2001/02/18(日) 14:36
セバスティアン・ハフナー『プロイセンの歴史』読んだ人いる?できたら感想聞かせて。
44世界@名無史さん:2001/02/18(日) 14:38
>>43
傑作だった。買うべし。
4543:2001/02/18(日) 17:34
この人の書いたものすごく面白いよね。
『ヒトラーとは何か』も素晴らしいし。
もっと翻訳でないかなあ。
46シェイクスピア不在説:2001/02/21(水) 07:19
>>43
4500円だけど、みんな買って買って!
「ヒトラーとな何か」とあわせ、ドイツ・ファン必読。

絶対、<自分の持ってる通俗ドイツ史観>を修正する情報多数
47世界@名無史さん:2001/02/21(水) 11:04
>>43
>>46
そこに前身のドイツ騎士団の詐欺について書いてある?
48世界@名無史さん:2001/02/22(木) 23:03
>>47
それって何?アホなんで知らない。教えてくれ。
49世界@名無史さん:2001/02/23(金) 11:12
>>48
ハンガリー王から追放され、行く当てのなかったドイツ騎士団を
マゾフシェ(ポーランドの一地方)のコンラート候が
プルテニア(近代の東プロイセン地方)のカトリック教化に
武力を使って反抗するバルト人に対抗するための補助兵力として
招き入れる代わりに土地と農地の使用権を貸す約束で招いたのが
ことの発端。

チュートン騎士団はそれをいいことに当地に居座ってしまい、
ドイツ語圏から農民を呼び寄せてバルト人から奪った農地を耕作させ、
徐々にドイツ語圏の「島」をつくっていった。

同時に騎士団はドイツ(神聖ローマ帝国)の皇帝とローマ教皇に対しては、
コンラート候が彼らにプルテニアを譲渡したと主張して偽の文書を
でっち上げ、ドイツ法にもとづき教皇お墨付きの領地として
国家を樹立してしまった。

5049:2001/02/23(金) 11:21
>>48
(続いてかきます)
ドイツ法と言ったって当時の法律だから、そんなケッタイなことでも
まかり通ってしまったんだね。

とにかく…
そんな裏事情があったことを知らないマゾフシェ側としては教皇からの
通達があった以上それを受け入れ、ドイツ騎士団領を友邦とする政策を
取ろうとしたのだが、騎士団側は農地覇権主義に立脚した侵略集団の
性格を露骨にしていき、ドイツ本国から更に多くの親戚や農民を呼び寄せ、
かの地を経済的・文化的にドイツ化していってしまった。

これが今世紀半ばまで続いた「プロイセン→ドイツ」覇権主義・排外主義と
それに対するポーランドの長い防衛と抵抗の歴史の始まり。業だね。
5149:2001/02/23(金) 11:28
>>48
(続き2)
ポーランドとしてはグルンヴァルドの戦いで騎士団に完全勝利したとき、
思い切ってドイツ人を根絶やしにするべきだったが、ローマ教会に
対する遠慮から、騎士団の上位の者だけ処刑し、残りのドイツ人に
対しては不問にして騎士団領を存続させ、ポーランド・リトアニア王国の
従属国とするに留めた。この寛大な政策が仇となって、はるか後に
ナチによって逆にポーランド人は苦渋を舐めさせられることとなった。

いつもポーランド側の親切心(民族を超えた騎士道精神)が仇となるのは
部外者の私でも不満が残ります。
5249:2001/02/23(金) 11:35
>>48
(続き3)
ドイツ史観は日本でも中欧史の主流でしょうが、そこではこういう
ドイツ人にとって不名誉なことは意識的に小さく書かれてしまうことも
あるので、まあドイツ人の気持ちは解らないでもないけど、部外者の
日本人が中欧史を理解する際は、多面的に、ドイツの対者で
あるところのポーランドなどの立場で検証することも必要だ、と思います。
(『プロイセンの歴史』、読んだことがないのですが、これについて
どんな書かれ方がされているのか興味がありますね)

ブランデンブルグに対しても色々ありますが、今回は
ドイツ騎士団に限定という事で。

騎士団の詐欺はまあ古い話ですが、近代では旧ドイツ側のあらゆる暴力に
対してポーランド人が知恵の力で闘った面白い話はいくらでもあるから
機会があったらまた書きます。
53世界@名無史さん:2001/02/23(金) 12:02
どう見てもドイツ騎士団はドキュン騎士団
54世界@名無史さん:2001/02/23(金) 16:44
カリーニングラードはもうロシアのままでいい
55カウニッツ
七年戦争で亡国しかけたくせに・・・・・・