1 :
世界@名無史さん:
古代オリエントで出てくる部族(アラム人、カルディア人、シュメール人、アッカド人等々)
ってどういう集団単位だったんでしょうか?
あとよくハム語系、セム語系とか出てきますが、
使ってる言語で分けてるんだろうなあ、とかは推測できるんですが
結局のところよくわかりません。
そのへんのところ教えてください。
2 :
1です:2001/01/09(火) 23:14
読み直してみたらわけのわからない質問になってた。
知りたいのは、***人というのは民族的な違いなのか、生活様式上の違いなのか、
単に部族名なのか、ということです。
3 :
名無しさん@1周年:2001/01/09(火) 23:34
セム・ハム・ヤペテ?
ってのがノアの息子だったはず
その子孫が○○人になったってのが旧約聖書に書いてある
それを基に分けてるんじゃないの?
用語集とか調べたら簡単なことは分ると思うよ
4 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 00:29
民族はともかく、人種的にはそう違わないんだよねえ?
「ザグロス山脈から来たグチ族」と言われても確かにようわからん。
〜人と〜族ってどう違うの?
>>3 ヤペテはどうなったんでしょ?
5 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 00:55
ヤペテはヨーロッパ人種ってことになってたような。
実に19世紀的適当さに溢れた分類ですが。
6 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 01:59
セム語族はセムの子孫とされたヘブライ人やアラブ人の言語が属する語族、
ハム語族はハムの子孫とされたエジプト人の言語が属する語族ですね。
ヤペテの子孫はセムとハムの子孫以外全部。
印欧語族の人々からトルコ語族の人々まで、全部ヤペテの子孫ってことらしい。
>>4 「〜人」「〜族」ってはっきりとした定義の違いがないはず。
7 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 02:53
***語族っていったいどのくらいあるんですか?
バスクとそれ以外の2つ。(お
10 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 16:12
「〜人」「〜族」がどう違うのかと言われても・・・・
古代だと大方「〜の地域に住んでいる人」ぐらいの意味しか持たせていないのでは?
11 :
4です:2001/01/10(水) 16:45
じゃあ例えば、
「ザクロス山脈からグチ族が進出しアッカド国は滅亡した」
とか書いてあった場合、どの程度のイメージを持てばいいんでしょうか?
例1)
人種も生活習慣も違う何万もの軍勢が怒涛のように襲撃し
激しい戦闘の後、首都は炎上。
例2)
グチさんという人が一族郎党数百人を従えてやってきて
定住、いつのまにか権力を握って国を乗っ取った
12 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 17:38
ハム語って、それ自体として一つの言語なんですか?
それとも、諸語族の総体としてハム語族と便宜的に
分類しているにすぎないのでしょうか?
13 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 17:55
>12
ハム語という単一の言語があったわけではなくて、
古代エジプト語とその類似の言語(コプト語、ベルベル語など)が属する
言語グループのことを分類してハム語族と呼びます。
最近はセム語族(アラビア語、ヘブライ語、アラム語など)とあわせて
セム=ハム語族とかアフロ=アジア語族というほうが普通みたい。
14 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 18:05
>>13 明答ありがとう
なるほど、だから『ハム語』に関する情報が極貧だったわけですね。
で、そういうことならハム語族に属する諸言語間の類似性のようなものは、
やはり現在の諸ヨーロッパ言語間のそれと同様の感があるのでしょうか?
ハム語族と印欧語族を単純比較するのも変なのでしょうが。
15 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 20:28
>>11 その例の中間ではないだろうか。
具体的には村のような生活共同体が幾つか集まってゆき、
国になるにはまだまだ構成員が少なく、都市とは言えない場合、
このような途上段階であるとイメージするとよさそう
16 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 21:12
ぜひ教えて欲しいのは、例えば教科書に「XX年、XX人がXX人を滅ぼした」
と書いてある場合、どのような根拠があるのか,ということ。
その根拠から、
>>11の例1と例2の見分けがつくのだろうか?
その昔はヒッタイト(ヘテ人)ってのは例2のイメージだったわけだよねえ。
17 :
世界@名無史さん:2001/01/11(木) 00:12
age
18 :
世界@名無史さん:2001/01/13(土) 15:56
エラム人ってそこかしこ出てくるけど
ウル第三王朝滅亡(BC1950?)
カッシート滅亡(BC1200?)
何者なんでしょ?ちゃんと国とか作ってたのかしらん。
「エラム文字」というのも結構流布されてたようだし。
どなたかご存知の方教えてくださいまし。
19 :
世界@名無史さん:2001/01/14(日) 04:10
ティグリス河とユーフラテス河は、どちらもトルコのアルメニア地方の山々が水源地である。二つの河は、どちらもペルシア湾に流れ込んでいる。古代ギリシア人は、この両河に挟まれた地域をメソポタミアと呼んだ。メソポタミアは、現在のイラク、シリア、トルコの三国にまたがっている。古代の南メソポタミアは、バビロニアと呼ばれており、さらにその北部をアッカド地方、南部をシュメール地方という。バビロニアの北に広がるのがアッシリア地方である。
紀元前三〇〇〇年頃、彼はシュメール地方に、いくつかの都市国家を誕生させ、互いに覇を競わせた。この時代は数百年間続く。この間に、この地域では人口を増やし、食料生産技術、軍事技術を発達させ、文字を使用した記録に基づく統治技術も発達させた。この地域に力の充実を感じたかれは、軍事力を集中し、より大きな戦争の実現を試みた。
都市国家ラガシュとウンマは、グ・エディン(平野の首)と呼ばれる肥沃な土地をめぐって、戦いに明け暮れていた。それにもかかわらず、ウンマの王子ルーガルザゲシは戦争よりも学問や呪術に興味を持って神殿に入り浸り、軍隊には近寄ろうともしなかった。しかし、この心優しい王子が、王位を継いだ途端に人が変わったようになって「まるで何かに取り憑かれたように」戦争に積極的になり、自ら戦場に出て軍隊を指揮した。
学問の成果なのか、ルーガルザゲシは味方の士気を高めること、敵の弱点を衝くことに巧みで、とうとうラガシュを攻略してしまった。ルーガルザゲシはラガシュに攻め込み、神殿や神々の像を破壊し、金銀財宝を奪った。勝利を収めたルーガルザゲシは次に都市国家ウルクをも征服し、さらに数十にのぼる都市を次々に征服していった。ここに、ひとつの都市を超える領土国家が誕生したのである。
ルーガルザゲシはシュメールの最高神エンリルより支配権を授かった、と宣言した。そんなことを信じていたわけではない。支配領域がひとつの都市を超え、領土国家、帝国の段階にまで達するとすれば、全土の最高神エンリルの権威を利用しない手はない。ルーガルザゲシには、はっきりと世界帝国の理念の芽生えがあった。そしてそれは、確かに彼自身の若い頃の学問から得られたものであった。それははっきりしているのだが、王位を継いだあの日、突然芽生えた領土拡張への身を焦がすような欲求だけは、自分のものではない、誰かにふき込まれたもののような気がしていた。
ルーガルザゲシはやがて、北方のセム族の王サルゴンに倒される。セム族の王朝も、グディ人に奪い取られ、それをまたシュメール人が奪いかえした。この王朝は繁栄した。彼は、国が大きくなりすぎたことに気付いた。かといってアフリカに遠征するだけの生産力や技術力はまだなかった。急ぎすぎたらしい。彼は、一度やり直すことにした。
この肥沃な下流地帯は、絶えず外敵から付け狙われていた。王朝の軍事力もさることながら、その外敵同士が牽制しあっているためもあって、この地域は守られてきたのだが、ある時アムル人の支配者に、エラム人と手を結ぶという名案が「天啓のように」思い浮かび、東方の山地からエラム人が侵入するのに呼応して、西北の砂漠からアムル人が攻撃をしかけた。あまりに中央集権的な官僚主義で無理押ししすぎたため、国が疲弊していたこともあった。この両方からのゆさぶりを支えきれず、紀元前二〇〇〇年頃、シュメール民族最後の王朝は姿を消した。
それ以後、メソポタミアのこの世界は、小国が分立し、互いに征服したり征服されたりする激しい覇権争いの時代に戻ってしまった。まるで誰かが一度「帝国」の練習をしたようにも見えた。
21 :
19:2001/01/14(日) 07:10
22 :
ur:2001/01/14(日) 09:48
>>19 神がでてくる歴史は神話になるので、
この時代の歴史は折り合いをつけるのが大変だね。
>>18 ウル第三王朝について・・。
一般的解釈・・・
紀元前2500年ころの南部メソポタミア世界は、
ウルク・キシュ・マリ・ラガシュ・ウル・エラム・エブラなどの
都市国家が成立していた。
紀元前2340年ごろ、キシュの酒盃官であったサルゴンは王国をのっとり
周辺都市国家を征服。北部メソポタミアのアッシリア地方も併合、
地中海まで至る大帝国を築いた。
彼の孫ナラム・シンは「四方世界の王」を称したが、紀元前2200年ごろ
山岳民族グティウムの侵入により崩壊。
アッカド王国崩壊後、シュメールの諸都市が復興。
アッカド帝国の支配を免れた都市国家ラガシュは、ウル・バウと後継者
グデア王のもと、都市を再建し、通商を復活。しかし40年ほどで衰退し
ウル第三王朝に併合される。
ウルク王ウトゥヘガルがグティウムを追い払い、国土を回復したあと、
彼の部下ウル・ナンムによって紀元前2113年、ウル第三王朝が創始。
ウル王国は南部メソポタミア全域を統一し、シュメールに最後の栄光を
もたらす。しかしやがてセム系アムル人の侵入がはじまり、紀元前2004年
、イランのエラムに敗北し滅亡。
23 :
ur:2001/01/14(日) 12:55
電波的解釈・・・
基本モデル
都市 神(とよばれる民族)
支配権>王権 エンリル派>エンキ派
(神) (人類)
紀元前2500年ころの南部メソポタミア世界は人類同士の争いにより、
ウルク→ウル→アワン→キシュ→ハマジ→マリ・・と王都がめまぐるしく
移動した。神々と人類を仲介するリーダーが熱望される。
紀元前2371年、サルゴンは女神(神と呼ばれる民族だよ)イナンナの寵愛を受け、
アッカド帝国を樹立。
「アガデの王サルゴン、イナンナの時代に権力を得る
サルゴンに敵なく、並び立つものなく
その威光はすべての地に及ぶ
東の海を制覇し、西の地を征服する」
『サルゴン王年代記』
紀元前2316年、サルゴン王(命令したのはイナンナだよ)がバビロン侵入。
サルゴン王死亡。バビロンの支配神マルドゥクとイナンナの争い激化するも
マルドゥクの弟ネルガルの説得によりバビロンを退去する。後にこれがイナンナ
とネルガルの計略だと知る。
「サルゴンが犯した神聖冒瀆行為に偉大なる神マルドゥクは激怒し
サルゴンの民を飢餓で滅ぼした。
マルドゥクはサルゴンに罰を与え民心はサルゴンから離れた」
『サルゴン王年代記』
紀元前2255年、ナラム・シンを「四方世界の王」に仕立てたイナンナは
自ら「女神のなかの女神」と名のる。孫娘の暴挙に怒った地球司令官の
エンリルはグティウムに命令を発し、アッカド王国滅亡。
アッカド王国滅亡後、ラガシュの支配権を持つニヌルタがシュメール支配する
するが、ウルの支配権を持つ弟のナンナルに支配権を委譲する。こうして
紀元前2113年ウル第三王朝が創始される。
紀元前2096年、ウル・ナンム王戦死。シュメール人の間に動揺が広がる。
「弄ばれし英雄の運命・・・
アヌは神聖なる誓いを違えた・・・
エンリルは偽って運命の宣告を変更した・・。」
『バビロニア列王伝』
紀元前2095年、シュルギ王がウル・ナンムの後継者となる。女神イナンナの誘惑により
堕落。王国の統制が緩み各地で紛争が起こる。シュルギは都市ラルサの割譲を条件に
エラムに援軍を求めるがさらに戦線が拡大。北部カナン地方から王国が崩壊。
このころカナン地方にマルドゥク信仰が盛んになる。
紀元前2048年、シュルギに死刑判決。マルドゥクが北部メソポタミアに出現。メソポタミア支配を画策する。
エンリルは神々の一員であるアブラハムに監視を命じる。
紀元前2047年、アマル・シンが三代目の王となる。
シンアルの王アムラフェル、エラサムの王アルヨク、エラムの王ケドルラメオル、ゴイムの王ティアドルが、
ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アドマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ツォアルの王ベラ
と戦ったとき、これら5人の王は、シディムの谷すなわち塩の海で同盟を結んだ。
彼ら(カナンの5王)は12年間ケドルラオメルに支配されていたが
13年目にそむいたのである。
旧約聖書 『創世記』第14章
紀元前2038年、アマル・シン、神々の特別区に侵入した罪により死刑。弟のシュー・シンが後を継ぐ。
紀元前2029年、シュー・シン退位。最後の王イッビ・シン即位。
紀元前2024年、マルドゥク、全メソポタミアの支配を宣言。
ニヌルタとネルガルはマルドゥクの勢力基盤であるカナン諸都市と占領された宇宙空港を核兵器で破壊する。
メソポタミアに死の灰が降り注ぎシュメール文明が終焉。アブラハムが伝統を後世に継承。
「主はソドムとゴモラの上に天から主のもとから硫黄の火を降らせ
これらの町と低地一帯を町の住民。地の草木もろとも滅ぼした。」
『創世記』第19章
ま、大体こんなもんです。
24 :
世界@名無史さん:2001/01/14(日) 16:31
25 :
世界@名無史さん:2001/01/14(日) 21:47
26 :
世界@名無史さん:2001/01/15(月) 02:12
オカルトっぽいからおもしろい
27 :
世界@名無史さん:2001/01/17(水) 10:11
>16
そもそも、この話題に入るには「民族」概念の定義をする必要があります。
民族を示すものは何か?言葉?文化?居住地域?宗教?
・・・いずれも例外があり、一般的にはあてはまりません。
私が思うには、その時代の人々がある集団を「何人」と呼んでいれば
それが民族なのであって、それ以上の区分はないのではないでしょうか?
28 :
世界@名無史さん:
age