1 :
サンダース軍曹:
おしえてくださーい。
当時のローマの実態とかも知らないんで。
2 :
日本@名無史さん:2001/01/06(土) 00:32
どのローマよ?
3 :
世界@名無史さん:2001/01/06(土) 00:36
全体てきにおねがいします
4 :
世界@名無史さん:2001/01/06(土) 00:40
なんで分裂したかって事
5 :
サンダース軍曹:2001/01/06(土) 00:53
真性ローマ帝国についてお願いします
6 :
名無しさん:2001/01/06(土) 02:18
カルタゴに負けたからだよ。
8 :
名無したちの午後:2001/01/06(土) 10:55
ローエングラム侯爵ラインハルトに簒奪されて滅びました。
9 :
5番よ人のHN使うな:2001/01/06(土) 15:37
詳しく書いてくれる人いなの?
>>9 ギボンのローマ帝国衰亡史をお薦めしておきます。
11 :
5番よ人のHN使うな:2001/01/07(日) 10:52
もっと書いてよー
12 :
世界@名無史さん:2001/01/07(日) 11:42
厨房は臣でください
13 :
愚礼:2001/01/07(日) 12:20
>>8
アホかあんたは、真面目に遣れ!
あと、「真性ローマ」は、神聖ローマですか?
だとしたら、原因は
直接的にはナポレオン
それをたどればウェストファリ条約
個人的には、王朝がやたら断絶しまくった事かな?
かペー朝とは対照的です。
15 :
世界@名無史さん:2001/01/07(日) 14:40
三国志落とすために上
16 :
世界@名無史さん:2001/01/07(日) 14:54
ファウンデーションを造っておくべきだった
17 :
世界@名無史さん:2001/01/07(日) 14:55
歴史上、衰退しないで滅ばなかった帝国は一つとして存在しない。
どうしてローマも滅ばずにいられようか。
18 :
名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 15:27
19 :
世界@名無史さん:2001/01/07(日) 15:28
ちょいマジレスしてみると、高校の教科書的に一言で言ったら
大土地所有制度が原因かね。古代ローマの場合。
神聖ローマは・・・もともと概念的な帝國だったからねえ。
ナポレオンみたいなのが出現したらひとたまりもなかった。
東の末裔ビザンツはいいの?
あっちはよくぞまあ生き延びたと言うのが正しいかも。
特に第4回十字軍に蹂躙された後も。
20 :
クイズマン:2001/01/07(日) 15:52
ローマは鉛で滅びたんだ・・・(真にうけないよーに)
>>1 とりあえず、講談社現代新書の「ローマはなぜ滅んだか」(弓削達)を
読んで疑問に思ったことをもう一回ここで聞いたらいいんじゃないの。
わたしは、なぜ滅んだかよりも、なぜあそこまで長く存続したかに興
味があるなぁ。
22 :
5番よ人のHN使うな:2001/01/07(日) 22:26
むむ・・・
レベル高いですね>21
なんか本読んでから出なおすか。
23 :
世界@名無史さん:2001/01/08(月) 02:05
age
24 :
名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 02:08
中国王朝と比較すると面白そうですね
まあ土地制度と官僚制度の比較とか
徳川政権とも面白そう
って出てるか、これくらいのテーマは
25 :
世界@名無史さん:2001/01/08(月) 10:52
詳しい人おねがいしますよー
26 :
流れ者:2001/01/08(月) 12:43
鉛のとけたワインが好まれたのも一因。結局人材がいなくなった。
27 :
名無しさん@S.P.Q.R. :2001/01/08(月) 13:14
>26
鉛の容器でワイン飲むと味をマイルドにしてくれるそうですね。
28 :
山師さん:2001/01/08(月) 13:17
西ローマ帝国は傭兵のゲルマン人が軍隊内で
高い地位を占めるようになり、
それを抑止しようとして失敗、
ゲルマン人傭兵隊長オドアケルに滅ぼされたったって
記憶しているけど、どうだったかな。
29 :
21:2001/01/08(月) 13:48
レベル高くなんかないです。大学入ったときは古代ローマ帝国の
ことをやろうと思っていましたが挫折した人間ですので。
>>28 直接的な原因はそれだとして、なぜ前期帝政期のいわゆるローマ
軍団が解体されていたのかとか、抑止が失敗したのはなぜかとい
う問題が生じるのではないのかな。
30 :
メガデシュ:2001/01/08(月) 17:39
ローマってのはどういう帝国だったんだろう。
ベンハ―のイメージしかないんですけど。
31 :
小スキピオ:2001/01/08(月) 19:58
当然いろんな要因があるわけですが、表面的なことだけ。
(帝国の経済・社会制度などももちろん主要因ですが、ここでは省略)
古代ローマ帝国、いわゆるベンハーなどでおなじみの流れのローマ帝国は
ゲルマン人が領内に侵入してきて東西に分裂。
西ローマ帝国(イタリア半島)は、その後ゲルマン人傭兵隊長オドアケルに
滅ぼされたそうです。
東ローマ帝国(首都コンスタンティノープル)はその後もずっと存続して
十字軍やイスラムの攻撃にも耐えましたが、確か中世に入ってトルコに滅ぼ
されたはずです。
神聖ローマ帝国は、フランク王国が分裂してフランスなどとともに生まれた
国が源流で、今のドイツあたりにありました。こっちはローマをなのって
ますが、基本はドイツの国です。皇帝は古代ローマの英雄カエサルを名乗って
ました(ドイツ語読みでカイザー)
この国は前レスにもあるように、直接の原因としてはナポレオンにヨーロッパ
がひっかきまわされ、そのときの処理で国がなくなってしまった、と記憶してます。
ちなみにヒトラーが「第三帝国」を標榜していたのは、古代ローマ→神聖ローマ
につづく「第三の世界帝国」を目指していたから、だったとききました。
でもヒトラーに限らず、欧州では「ローマ帝国」へ憧れを持つ王・皇帝・権力者は
昔からたくさんいたようですよ。
32 :
つーか:2001/01/08(月) 20:21
>>31 別スレで繰り返し出てるけど、ヨーロッパで皇帝を名乗る場合は、
みんな形式的にはローマ帝国の皇帝の継承者という形式になるよう
ですよ。
オーストリア皇帝、ドイツ皇帝、ロシア皇帝も、みんな双頭の鷲の
紋章と一緒にね。ナポレオンもかな?
33 :
猿2001:2001/01/08(月) 20:35
34 :
小スキピオ:2001/01/08(月) 20:41
>31
そうですね。ローマの皇帝を意味する「ツァーリ」という名称も
カエサルのローマ語読みでしたっけ? うろ覚えですが。
あと、ヒトラーの第三帝国は
第一帝国→神聖ローマ帝国
第二帝国→ドイツ帝国
につづく第三の帝国、でしたね。すみません間違ってました。
35 :
名無したちの午後:2001/01/08(月) 21:06
映画グラディエーターは5賢帝時代の末期、皇帝マルクス・アウレリウスの治世下の最後から直後のお話
序盤のゲルマン民族とローマ軍の戦闘シーンはとても良い出来なので一押しです。
あの頃がローマ軍が主に市民によって編成された練度の高い(おまけに給料安い)理想的な状態で戦争をした最後ではないかと思います。
これ以後軍人皇帝期に入ったローマはどんどん軍隊が調子に乗ったドキュン国家に・・・
あの頃のドイツ、オーストラリア(当時はゲルマニア)のイメージはあんな感じのジメジメした暗い森が延々と続く場所だったそうです。
あの敵のゲルマン民族のような連中によってローマは滅ぼされたわけです。
36 :
小スキピオ:2001/01/08(月) 21:31
>31
たびたび自己修正でカッコ悪いですが、ローマ皇帝→ロシア皇帝、
ローマ語→ロシア語ですね。
>35
グラディエーターって観てないんですが、おもしろそうですね。
ギボンのローマ帝国衰亡史も有名ですけど、意外にこんな映画とか
のほうがとっつきやすくていいかも。
自分は塩野七生の「ローマ人の物語」がなかなかドラマチックで
読みやすくて面白いと思います。
もっとも、まだローマ滅亡まで物語が達してませんが。。。
37 :
山師さん:2001/01/08(月) 23:31
28>29
まあ、俺の受験世界史の知識なんてこんなもんです(当方法学部卒)。
軍隊はローマ市民だけでは広大な属州を統治できなくなったので
傭兵をバンバン雇ったのでは?というのが推測ですけど。
映画は「スパルタカス」というキューブリックの映画も面白かったですね。
38 :
名無し@世界:2001/01/09(火) 01:49
>36
塩野七生の「ローマ人の物語」シリーズに関しては、
ローマ史の研究者の間では賛否両論らしいです。
>37
ローマ市民そのものも、軍人皇帝時代になるとバンバン増えてるのです。
だからどうかなぁ、と思うです。
実際問題として、古代の方のローマ帝国の崩壊は、
前述の「グラディエーター」ででたマルクス・アウレリウスの時代から
始まってます。
ゲルマン人の大移動がチェックですね・・・
あとは宗教問題もかかわるのかなぁとおもうですよ。
39 :
メガデシュ:2001/01/09(火) 15:47
ローマってのは農業社会なんですか?
40 :
名無しさん@1周年:2001/01/09(火) 18:33
41 :
世界@名無史さん:2001/01/09(火) 21:47
ローマ帝国は紀元直前からパクス・ロマーナに突入し、他民族は抵抗出来
ないほど、強大な力と繁栄状態となりました。トラヤヌス帝時代に最大に
なり、アントニウス・ピピン時代には国庫が9000億セステリウスも貯
蓄されました。しかし、ピピンが死にマルクス・アウレリウスが即位する
とゲルマンの侵略を受け、幾度となく戦争を起こしました。177年以降
は皇帝がローマに滞在不能になったため、息子コンモドゥスに治世を行わ
せていたのですが、180年に前線で病没します。その結果コンモドゥス
が即位したのですが、元老院への受けが悪くて人気を得るために幾度とな
くコロシアムのムネラショーを開催しました。俗に言うパンとサーカス政
策です。この政策は国庫に大きな負担をかけました。192年近衛隊長と
妹ルキアが皇帝暗殺を計画しますが、ルキアの息子が密告したためクーデ
ターは失敗します。ですが、彼らはコンモドゥスをグラディエーターを使っ
て暗殺に成功しました。この時、国庫は1億セステリウスしか残っていま
せんでした。その後百年間で約30人の皇帝が擁立されては暗殺され、
国家は内部から崩壊します。そこで生まれた政策が4分割統治でしたが、
これを実施して間も無く皇帝が死去し、内乱となります。次にコンスタン
チヌスが即位し、キリスト教の公認とローマの放棄を実施しました。
その後、国が分裂し、あとは小スキピオさんとかの通りです。
ローマの政治問題の本としてはマキャベリの君主論と政略論を読むこと
です。見苦しい政治運営が見えます。
42 :
名無しさん:2001/01/09(火) 21:57
ローマは滅びる運命だったから。
43 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 15:45
ローマ崩壊の理由としては、
・民衆が平和に慣れて尚武の気風を失った。
・軍隊が横暴になってたびたびクーデター・内戦を起こした。
・大土地所有の伸展と都市の衰退、官僚制度の腐敗によって国家経済が崩れていった、
といったことから衰退が進み、
結果広大な領地を蛮族から守ることができなくなったということだと思います。
東ローマが比較的長く持った理由としては、
・東ローマ領が西より富裕で、中産市民が比較的多かったこと
・軍事&通商の要衝コンスタンティノープルを抑えていたこと
・ゲルマンの野性に対抗しうる民族(イサウリア人)が領内に居たこと
などが挙げられるかと。
44 :
珊瑚魚:2001/01/10(水) 17:23
日本の荘園制などの変革のように土地制度の変革ってのは
どう関係してくるんですか?
45 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 17:33
大土地所有制度が出来ると、その荘園を守るために貴族や諸侯が
独自の傭兵(日本では武士)を雇います。こうなると税金徴収は
出来なくなり、官僚は一番力のある諸侯に近付き自分の権力行使
方法に傭兵を使います。その結果ますます貴族・諸侯が強まり国
家は内部から崩壊します。
46 :
世界@名無史さん:2001/01/10(水) 17:42
>小スキピオ様
ローマ皇帝ですが、西ローマ皇帝が神聖ローマ皇帝になり、東ローマ皇帝
がロシア皇帝です。ローマ帝国言語であるラテン語はその後、神聖ローマ
帝国の公用語になります。現在使われている言語で一番近いのはローマニア
語(ルーマニア語)でしょう。ロシア語は全然違います。あれはスラヴ言語
です。
47 :
世界@名無史さん:2001/01/11(木) 00:21
ローマが長続きした理由としては、工業技術というか、実用的な技術が優れていた
点もあるかもしれない。今日のディスかバリーチャンネルで見た。
実際にローマの水道は有名だが、クラディウス水道を超える技術は18世紀までなかった。
100万のローマ市民に、1日1人辺り600リットルの水が供給されたという説もある。
水道橋やトンネル、それを作るためのコンクリートの技術。こういった実用的な技術が
ローマでは開発されていたわけで、その後に何故、西欧で文明が発達していったのかも
なんとなく納得できる。
>>41は電波か?
アントニヌス・ピウスだろ。
ピピンは600年後の人物だ。
49 :
名無しさん:2001/01/11(木) 02:14
>>46 現在使われている言語でラテン語の原型を最もよく残しているのは、ロマンス語(スイスの一部で使用)です。
50 :
名無しさん:2001/01/11(木) 02:19
神聖ローマ皇帝は西ローマ皇帝の後継者で、ロシア皇帝は東ローマ皇帝の後継者であるのはわかります。
では、ドイツ(第二帝国)皇帝とオーストリア皇帝はどちらが正統な神聖ローマ皇帝の後継者なんでしょうか?
(確か、神聖ローマ皇帝の帝冠は今もウィーンにあるようですが)
あと、ナポレオンが名乗ったフランス皇帝は何なんでしょうか?
51 :
世界@名無史さん:2001/01/11(木) 02:45
神聖ローマ皇帝=ハプスブルク家なんだからオーストリア皇帝じゃないの?
52 :
世界@名無史さん:2001/01/11(木) 08:05
>>50 フランツが神聖ローマ帝國をほうりなげてオーストリア皇帝を名乗った時点で
ハプスブルクがローマの帝権を継承したとは言えないんじゃないか。
ナポレオンのフランス皇帝も、ヴィルヘルムのドイツ皇帝も、単に各国を従えた
と言う意味で皇帝を名乗っただけでローマ帝権の継承の意味合いはほぼ
失われたものと思いますが。
53 :
世界@名無史さん:2001/01/11(木) 09:03
1805年までは皇帝という地位はローマ皇帝を意味しましたが、
ナポレオン皇帝以降は変化しました。実際ドイツ語に於けるライヒ
は英語に於けるステーツと同様の意味(ドイチェンライヒスバーン
という鉄道が昔あったのだが、英語ではジャーマンステーツレイル
ウェイになります)で使われています。
1805年以降はローマ皇帝の地位は空席なのでは?
54 :
流れ者:2001/01/11(木) 14:31
西ローマ皇帝の正当な後継者は実は東ローマ皇帝。476年にローマ帝国は形式的には再統一されました。
カイザーもツァーリも称号としては「カエサル」という意味ではなく、カエサルが語源となった「皇帝」の意味。だからEmperorと呼んでもかまいません。
「ローマ皇帝」という称号は恐らく1806年に神聖ローマ帝国とともに消滅しました。
55 :
世界@名無史さん:2001/01/11(木) 18:50
西ローマ帝国末期の状態なんかを見てみると、あれはもうローマじゃないね。
ローマって言うのは共和制のローマ、スキピオのローマ、カエサルのローマ、
五賢帝のローマあたりまではOKだけど、コンスタンティヌスのローマあたりから
あとは、もうローマじゃないって感じがするんだけどな。
ローマはローマじゃなくなったから滅んだんだよ。きっとローマがローマで
ありつづけること自体がローマ人の力をしても難しいことだったんだろうな。
56 :
世界@名無史さん:2001/01/11(木) 21:18
>>55 東方かぶれってことですか。そういえば東方由来の変な宗教に
改宗しちゃいましたね。それ以前が変でないとは言わないけど。
ガリア人、ブリトン人、ゲルマン人が支えるローマは、ローマ
がそうなろうとした理想の体制なのだからして、否定することで
はないと思います。アメリカ人純潔主義のアメリカがもはやアメ
リカとは呼べない気がするのと同じ也。
57 :
世界@名無史さん:2001/01/12(金) 03:39
>>41 違うよ。
コンモドゥスはコロシアムで剣闘士マキシマスとの戦いに敗れ、
ローマは理想の姿「共和制」を取り戻したんだよ。(w
58 :
世界@名無史さん:2001/01/12(金) 12:19
Reichが単に「国」の意味を示すことがあるのは事実だけど、
鉄道の英訳を根拠にするのはちょっと…。
なぜ? 教えて。
うん。”Frankreich”のほうが例として適当かも
60 :
世界@名無史さん:2001/01/12(金) 14:51
あげ
61 :
世界@名無史さん:2001/01/12(金) 19:39
>58
それは帝国という意味でなないを説明するのに、1925年から存在した
鉄道名が説明しやすいからです。Frankreichだと英名がFranceで、ステ
ーツが付いてこない。これに対して鉄道の場合はReichが独立単語として
使われ、ドイツで英訳した本でそのような表記にしているからです。
62 :
世界@名無史さん:2001/01/13(土) 03:47
>>57 いや、確か「連邦制」って訳してたような…
戸田女王の歴史ドキュンぶりがよく分かります。
63 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/01/13(土) 11:32
age
64 :
世界@名無史さん:2001/01/13(土) 11:45
>62
DVDでは共和制に直りました
65 :
NazarenusChrisutusRexIudaeorum:2001/01/13(土) 13:50
>56
わりゃぶっ殺すぞ!おまえの住所は我が宗派の
ネットワークで調査済み
いえ帰ったら家族が手足バラバラにされて転がされてるかもな!!!
66 :
まあ:2001/01/13(土) 21:40
ローマの言語=ラテン語、というのは不正確だね。
アレキサンダーの東方征服以来、
東部地中海周辺ではギリシャ語が広く使われていたので、
ローマ時代にも東方ではギリシャ語が公用語だった。
帝国全体についても、上流階級はギリシャ語が必須だったんで、
ギリシャ語ラテン語のバイリンガル帝国だったと考えた方がいい。
東方でも、ギリシャ語地域の外だったダキア(今のルーマニア)は、
ラテン語を話すイタリアからの植民で発展したので、ラテン語地域だったし、
イタリア半島南部やシチリアは古代はギリシャ語地域だったりで、
細かく見ると言語境界はややこしいんだけど、大雑把には、
後の東西分割はギリシャ語圏とラテン語圏への分割だったと思っていい。
67 :
世界@名無史さん:2001/01/14(日) 20:28
age
68 :
名無しさん:2001/01/15(月) 04:00
古代ローマの公用語はあくまでラテン語だったのではないでしょうか?
但し、のちに6世紀くらいになると、東ローマでは公用語がラテン語からギリシア語へと変わったと聞いたことがありますが。
69 :
世界@名無史さん:2001/01/15(月) 06:58
東ローマ(ビザンチン)帝国とは、ギリシャ人がローマを乗っ取った
(取り返した)と言うこと。現代に例えれば、NATO軍をヨーロッパが
乗っ取ったようなイメージに近い。
70 :
世界@名無史さん:2001/01/15(月) 08:00
>>68 公用語と言ってしまえばラテン語かな。
確かにビザンツである時期をもって公文書の言語をギリシャ語にした
タイミングがあった筈。外出先だから資料がなくて思い出せない。
71 :
世界@名無史さん:2001/01/15(月) 10:52
ローマ帝国は支配民族が最初と最後は違いますからね。神聖ローマ
も含めたら何民族が支配したのか判らん???
72 :
名無しさん:2001/01/15(月) 14:08
印欧系民族
73 :
ur:2001/01/15(月) 17:17
地震とペストで滅んだんだよ。
74 :
世界@名無史さん:2001/01/15(月) 17:55
神聖ローマと古代ローマは別物ですんで、
まとめて考えてはいけません。
たとえて言うなら、徳川家康が源氏の子孫を名乗るようなものですから・・・
75 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 01:38
それ言ったらビザンチンと古代ローマだって別物だが
ビザンツ人は自分たちを「ローマ市民」だと思ってたし、
皇帝は「ビザンチン皇帝」ではなくあくまでも「ローマ皇帝」だった。
ビザンツ人はギリシア語をしゃべってたのに、ギリシア人と呼ばれると怒ったらしい。
その点、神聖ローマ帝国の人たちはどう思ってたのだろう?
やはり自分たちを「ローマ人」だと思ってたのだろうか?
76 :
ちょっと余談だが:2001/01/16(火) 01:45
ビザンツ人って、現代の台湾の外省人と似てるね。
現実には大陸の脇の小さな島の住人でしかないのに
自分では「中国人」だと思ってるし、
自分の国を「中華民国」と称してる。
総統はあくまでも「中華民国総統」であって「台湾総統」ではない。
「台湾人」と呼ばれると怒る。
77 :
さら余談:2001/01/16(火) 01:55
ビザンチン最後の皇帝がオスマントルコに攻められて西欧諸国に救援を求めたとき、
西欧の人々から「ギリシア皇帝」と呼ばれて特に反論しなかった。
これは長いビザンチン史上画期的な出来事だったと言われてる。
李登輝がシンガポールに行ったときに台湾の総統と呼ばれても特に反論しなかったという事件があったけど、
これも最後のビザンチン皇帝の逸話を思い出す。
李登輝は「最後の中華民国総統」にはならなかった点は違うが。
78 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 08:03
>>75 神聖ローマ帝國も長い期間存続しているので全期間で同じ意識とは
言いませんが、確か「ドイツ人のローマ帝國」とか呼んでいた記憶が
あります。
79 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 11:46
羅馬
80 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 13:41
>77
李登輝は本省人じゃないの?
81 :
77:2001/01/16(火) 14:29
>>80 本省人です。だからこそ「台湾の総統」と呼ばれても反論しなかったのだろうね。
おそらく李登輝は内心では自分でも「台湾の総統」だと思ってたのでは?
総統が「中華民国総統」であって欲しい外省人にとっては苦々しい総統だったはず。
ビザンチン末期の「ローマ皇帝」もたぶん「本省人」だったのではないかな。
このへんビザンチン史に詳しい人、教えて欲しい。
ドイツにラテン系の民族は居ないところから考えると
神聖ローマ帝国は「本省人」だけのローマ帝国?
だとすると当時のドイツ人にはローマ人意識なんかまったくなくて
単なる権威付けのためだけに「ローマ」と称してたのかな。
82 :
やっぱ:2001/01/16(火) 17:41
ローマコンプレックスはすごい。
83 :
名無しさん@1周年:2001/01/16(火) 18:35
だから「神聖でもローマでも帝国でもない」って言われたんじゃないの?
84 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 18:44
質問だけど「ローマ人」ってなに?
・帝国になる前の古代ローマ市の住民やその子孫
ユリウスカエサルはローマ人で無い
・ローマ帝国の属州でない地域の住民やその子孫
トラヤヌスはスペイン生まれ
・ラテン語のネイティブとした人たち
東ローマ帝国はどうする
・ローマ理念を理解し実践した人たち
ローマ理念って何?
キリスト教ってローマ理念と対立するんじゃあ?
85 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 19:18
ヴォルテール、神聖ローマ帝国を評して…
「神聖でもなければローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」
現代人、自由民主党を評して…
「自由でもなければリベラルでもなく、そもそも政党ですらない」
86 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 19:56
87 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 20:03
デイビッド・ヒューム「勢力均衡論」より引用-
------------------------------------------------------------
巨大な帝国は・・・・人間性に害をなす物である - その成立の過程においても、それが継続しているときにもまた、作られてからまもなく始まる没落の課程においても。
帝国を拡大した軍事的天才はまもなく宮廷、首都、政治の中心から去る。
そして、戦争は遠くで、しかも国家の利益のごく一部分しか構成しないところで戦われる。
ところが、古代の貴族たちは首都に愛着を持ち、宮廷に住んでいて、遠い、野蛮な国境へ赴かなくてはならない軍事的使命を決して引き受けようとしない。
そのような土地は、彼らを楽しみからも、また富からも遠ざけるからである。
それ故、国家の武力は軍人たる傭兵たちにゆだねられなくてはならないが、
彼らは情熱も、愛着も、名誉心もなく、簡単に君主に反抗して、金を与え、略奪を許してくれる投機的な反抗者に荷担する。
それが人の世の自然の進行である。
-----------------------------------------------------------
ふー。疲れた。
88 :
87:2001/01/16(火) 20:04
ついでに、
「都市は都市だけにとどまって、自己の城壁と事故の内事だけを顧み、そして都市は帝国となることを欲せず、市民はただ自己の都市の市民足ることを欲したが故に、帝国は崩壊したのであった。」
も書いておこうかな。
89 :
世界@名無史さん:2001/01/16(火) 20:17
90 :
名無しさん:2001/01/17(水) 03:27
西ローマ帝国(395−476)→神聖ローマ帝国(962−1806)
東ローマ帝国(395−1453)→ロシア帝国(1547−1917)
91 :
世界@名無史さん:2001/01/17(水) 05:14
>>90 それはそれぞれが勝手に後裔と言いだしたことじゃないか?
92 :
世界@名無史さん:2001/01/17(水) 08:01
>>91 神聖ローマは教皇がまつりあげた、ロシアは勝手に名乗った、と言うところかな。
93 :
世界@名無史さん:2001/01/17(水) 10:04
神聖ローマも徳川家康も似ている点がありまして、
それは、内実は全く別物でありながら形式的には古代の伝統を引き継ぐ形をとっているということです。
(※神聖ローマは古代ローマを、徳川家康は源氏将軍制を)
ここで重要なのは政治的正統性 -
つまり古代の権威を借りてその時代を統治しようとするわけです。
私は研究者じゃありませんので、その辺は詳しい方に任せます。
94 :
世界@名無史さん:2001/01/17(水) 18:57
日本とパラレルに見るなら、
>>87は平安貴族にとっても痛い指摘です。
東西の防衛・治安を傭兵に任せ、地方を税収源としてしか見ず、都市の
中だけを価値ある世界と思いこむ。
95 :
世界@名無史さん:2001/01/17(水) 21:00
>>94 貴族階級の堕落も原因の一部ですが、交通網・交通手段が未発達な
ことも原因です。
ローマは街道の整備こそ力を注ぎましたが、造船技術がまだまだ
劣っていたので、地中海陸伝いにではなく、自由に行き来するの
が難しかったのです。
日本の平安自体は、街道自体を整備する力がなかったですからね。
96 :
名無しさん:2001/01/18(木) 01:15
>>95 起伏の激しい日本の場合、古代や中世の段階で街道網を整備するのは難しかったと言える。
ちなみに、中世以前の日本は、西日本では船が、東日本では馬が主要な交通手段だった。
97 :
名無しさん:2001/01/18(木) 01:18
>>90-92
ドイツ第二帝国とオーストリア・ハンガリー二重帝国はどちらが正統な神聖ローマの後継者なの?
98 :
世界@名無史さん:2001/01/18(木) 04:34
age
99 :
世界@名無史さん:2001/01/18(木) 08:07
>>97 どっちも後継者じゃないでしょう。
ヴィルヘルムI世から始まったドイツ帝国は単にドイツ諸邦をまとめたからドイツ帝国を名乗り、
フランツI世から始まったオーストリア帝国は支配下に沢山の地域があるから出所不明なオーストリア帝国を名乗っただけではないですか?
100 :
世界@名無史さん:2001/01/18(木) 11:27
>>95 ローマについては、陸上輸送の問題もあると思います。
馬車や荷車に使う車輪の技術もそれほど洗練されていたとはいえませんでしたし、
馬を扱う為につかうくびきに至っては、重量物を引くと馬の首が絞まるような構造になっていたため、
馬は現在の物のせいぜい1/4程度の力しかだせませんでした。
101 :
ようするに:2001/01/18(木) 21:44
神聖ローマの「ローマ」ってのは福永ホウゲンの
釈迦の骨みたいなモンか。
102 :
世界@名無史さん:2001/01/19(金) 10:12
age
103 :
ちょっと前ですが:2001/01/19(金) 13:24
>43
そのイサウリア人ってどんな民族ですか?
古代ゲルマン人が「スラヴ人」と名づけた人々と同じですか?
104 :
世界@名無史さん:2001/01/19(金) 14:01
>103
イサウリア人は小アジア東部の山岳地帯にいた民族で、
地理的要件を生かして山賊を生業としていたそうです。
詳しいことは知りませんので、検索かけてみてください(笑
105 :
103:2001/01/19(金) 14:10
>104
ありがとうございます。
それじゃスラヴではなく、クルドかコーカサス民族のようですね。
106 :
日本@名無史さん:2001/01/19(金) 15:39
>>105 現在のアルバニア人がイサウリア人じゃなかったかな。居住地はバルカン半島の
南部山岳地帯だったと思います。
107 :
>106:2001/01/19(金) 17:00
イサウリア人は現存するのですか?
108 :
世界@名無史さん:2001/01/19(金) 17:14
>>107 現存というのは正しくないと思います。
現在のアルバニア人は、かなり混血が進んでますが、アルバニア人の
祖先の一系統にイサウリア人も含まれると言うことでしょう。
109 :
101:2001/01/20(土) 15:00
あの・・・僕の意見って堂なんですか?
>>109=101
少なくとも私には「福永ホウゲンの釈迦の骨」が分からないので、
その比喩があたりかはずれか分かりません。
111 :
101:2001/01/21(日) 02:28
すいまそん・・・
とりあえずあげ
やっぱあやめたんたまんねぇほど可愛いよう〜。世界でたった一人の僕のお姫様
あやめたんなしでは生きて逝けないよ〜。
これでシスプリの花穂ちゃん役をやってくれれば
また今日もあやめたんの可愛い声で昇天!!あやめたんベットでねそべらして
「お兄ちゃまっ、あやめをいっぱい可愛がってね(はぁと)」ハァハァ・・・
なんて可愛いことを言うんだ、あやめたんっおれっおれもう・・・・・・・
あやめた〜んあやめた〜ん愛してるよ、世界で一番可愛いぼくのあやめたん。
「お兄ちゃまぁ、もっとあやめを愛してぇ。」ううっ、すごく素敵だよあやめたん
あやめたんっ、オレダメだよ・・・・・ああっ・・
あやめた〜んあやめた〜んあやめた〜んあやめた〜ん
どぴゅどぴゅどぴゅどぴゅどぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅ
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴいぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ・・・・ぴっ
ハァハァハァ・・・・あやめたんがボクの精液でいっぱいだぁ、あやめたんっかわいいよっ
113 :
暇人め:2001/01/21(日) 10:28
ロ―マと唐を比較してみよう
114 :
age:2001/01/21(日) 21:22
age
115 :
ur:2001/01/22(月) 02:31
ギリシア独立戦争で、勝利したギリシア。
せっかくもらった正教の主座を返還しなければならなくなるので、
困ったロシアは講和会議に参加して
ギリシアがローマ(ビザンツね)を名乗ることを阻止したというはなしは
本当ですか?昔誰かに聞いたんだけど。そんなこと書いてある本みたこと
がない。探してないけどね。
116 :
85:2001/01/22(月) 21:26
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________
‖|‖ ◎---◎|〜 /
川川‖ 3 ヽ〜 < ボクはバカ、ブサヨク、ヒキコモリの三重苦!助けて〜
川川 ∴)д(∴)〜 \________________
川川 〜 /〜
川川‖ ブタ 〜 /‖
川川川川___/‖
/ \__
/| | サ __
| | | ヨ
/ | |_ 童貞
| \__⊃ 租 珍
117 :
iyada:2001/01/28(日) 22:22
daregatasukerukabaka
118 :
85:2001/01/30(火) 20:30
あああああああああ
119 :
世界@名無史さん:
2050年くらいには、ローマと同じように
アメリカとEUは帝政に移行するぜ。