1 :
名無しさん@1周年 :
2001/01/03(水) 00:41 上記のみっつの国家制度はどう区別するんでしょうか。 現代じゃ王国とか帝国はどこにもないのかな?
2 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 00:47
王国は王様が頂点。帝国は皇帝。 共和国は皆で政治をする、って感じか。
3 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 00:57
国王と皇帝のちがいってのもようわからんね。
4 :
日本@名無史さん :2001/01/03(水) 01:10
大日本帝国
5 :
ど〜でもいいけど :2001/01/03(水) 01:21
>>3 >国王と皇帝のちがい
皇帝の条件
1 諸王の上に君臨するもの
2 古代帝国を継承する国の君主
3 複合国家の君主
4 皇帝を自称するもの
のいずれかでしょう。
ヨーロッパの皇帝は、ローマ皇帝を継承している(ことになっている)
ようです。
イギリスの場合は、大英帝国であっても、王・女王ですね。これは上記
の原則によるものだと思います。
ただし、英国王はインド皇帝でもありました。こちらは、インドの諸王
の上に君臨する者ということでしょう。
支那の皇帝は諸王の上に君臨するものです。
後は、ほとんど自称でしょうか?
多少は周辺国や地域を併合した国の元首が皇帝を名乗る例が多いのです
が、清国の宗主権から脱したことを宣言する目的で、朝鮮が大韓帝國
を名乗ったことがありますね。
いずれにせよ、皇帝、帝国を自称する場合には、それを理由に周辺国か
らの開戦理由になる、戦争をしかけられる可能性があったようです。
自称でよいといっても、おのずと歯止めがあるということのようです。
6 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 01:38
国王は一つの民族を支配する君主、皇帝は複数の民族を支配する君主と 考えるのが一番簡単。もちろん、厳密に言うと色々複雑。 王国や帝国は君主国の一種。まあ、特定のファミリーが君主を引き継ぎ元首と なる。共和国は広く国民から元首を選ぶ。もちろん、これもかなり大ざっぱ。 君主国は沢山ある。細かく分けると相当複雑だが、ほとんどが王国で肩書きも王様。 日本は天皇。英語に訳すとTennoまたはEmperor。長野五輪の字幕は、Emperor-Aki hitoだった(このあたり、細かく突っ込まないように)。 変わったところでは、「大酋長」と言うのがある。サモアの君主。また、選挙制王 政もある。と言っても地方領主が互選するだけで、慣例により実質輪番制だがマレ ーシアがそう。バチカンは法王の個人的持ち物。アンドラのようにフランス元首(今 は大統領)とスペイン・ウルヘル司教の共同統治という変わったのもある。 そういえば、サモアの大酋長は一人だが、正式には二人。一人はすでに亡くなり、 もう一人もかなり高齢。大酋長死去の後には共和制に移行することが決まっている ので、確実に何年か後には君主制の国が確実に一つなくなる。 なお、(判断に異論があるが)一応君主国を全てあげる。 アジア…日本、マレーシア、タイ、サウジアラビア、ヨルダン、オマーン、 アラブ首長国連邦、カタール、バーレーン ヨーロッパ…イギリス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ノルウェー、 スウェーデン、デンマーク、アンドラ、モナコ、バチカン、リヒ テンシュタイン アフリカ…モロッコ、レソト、スワジランド 北アメリカ…カナダ 南アメリカ…アンチグア=バーブーダ、グレナダ、ジャマイカ、セントルシア、 セントクリストファー=ネイビス、セントビンセント及びグレナディ ーン諸島、バハマ、バルバドス、ベリーズ、 オセアニア…オーストラリア、ニュージーランド、トンガ、サモア、ソロモン諸島、 ツバル、パプアニューギニア、 なお、カナダ、アンチグア=バーブーダ、グレナダ、ジャマイカ、セントルシア、 セントクリストファー=ネイビス、セントビンセント及びグレナディーン諸島、バハ マ、バルバドス、ベリーズ、オーストラリア、ニュージーランド、ソロモン諸島、ツ バル、パプアニューギニアは、国王はイギリス国王が兼ねている。ただ、イギリスは 遠いので、総督が国王の仕事を代行している。だから、いわゆる王国とはちょっと違 うが、王国であることには変わりはない。 また、女王の国は、おなじみのイギリスの他オランダ、デンマークがそう。全てす でに良いおばちゃん・おばあちゃんであるので、期待しないように。でも、デンマー ク女王は年を取っているがかなりの美人。若いときはもっと美人。
7 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 02:40
>5 英国は正式名称として帝国を名乗ったことはありませんよ。5さん のおっしゃるとおり、ヴィクトリアなんかはインド皇帝も兼ねて ましたけど。ヨーロッパの場合、ローマ皇帝の継承者以外は皇帝 を名乗れないことになってるのもおっしゃるとおり。神聖ローマは 西の、ロシアのツァーは東の末裔ってことになってます。(よね?)
8 :
名無しさん :2001/01/03(水) 03:10
>>6 ざっと見たところいくつかの君主国が抜け落ちているので、それらを挙げる。
ブルネイ、カンボジア、ネパール、ブータン、クウェート、スペイン
ちなみに君主の称号が王でない国を以下に挙げる。
日本、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン、モナコ、アンドラ、バチカン、サモア
日本は天皇(対外的には皇帝)、中東諸国は首長(スルタン)、ルクセンブルクは大公、リヒテンシュタインとモナコは公である。
アンドラ、バチカン、サモア(数年前に西サモアから改称)については
>>6 が書いたとおりだが、アンドラはなぜか国名だけは「公国」である。
9 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 04:06
フランス大統領とウルヘル司教がアンドラの公爵だからです。
10 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 06:35
共和国といっても北朝鮮やシリアも事実上世襲制だから区別がややこしいやね。
11 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 07:15
共和国ってどういう制度なんでしょう? 金イルソンからドンヨルに受け継がれたってなら、ほとんど専制国家とかわんないですね。
12 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 07:58
>11 日本だって実質共和国だろ。
13 :
芽の漬け所がもやしさん :2001/01/03(水) 09:08
「主権在民」は共和国の特徴だからねぇ。
14 :
6 :2001/01/03(水) 10:46
>>8 すみません、抜けているの布団の中に入ってから気づきました。ありがとうございます。 こういった君主制は、それぞれの国の伝統を色濃く残しているので、一概に「こういう 特徴がある」とか一般化しにくいと思います。よく、日本の天皇制が特殊だと言われます が、他の国をみると日本は特殊な方ではではないと思います。 日本が共和国だとか、君主制ではないという意見がありますが、私は君主制だと思って います。このあたり憲法論議になるからやめます(その論拠はとか突っ込まないように)。 また、君主が権力を持っていない国の方が多く、アラブの国々を除くとほとんど儀式を するだけですね。イギリスは伝統的に「君臨すれども統治せず」ですが、ご存じの通り政 治的発言をしていますね。また、北朝鮮やシリアは世襲制ですが、制度上は一応国民から 選ばれたという形を取っているはずです。共和国は国家元首が国民から選ばれる国ですか ら、手順は踏んでいると思います。 ヨーロッパの国々のいくつかはすでに君主制から共和制に移行していますが、元国王や その末裔が重要な役割を果たしている国が少なくないですね。例えば、ハプスブルグの直 家の末裔は欧州議員です。イタリアの旧王族(全員ではないが)は完全国外追放で入国でき ないのも、その影響力を考えてのことでしょう。また、スペインのように1975年でしたか、 王政が復活した国もあります。
15 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 13:59
オーストリアは確か憲法でハプスブルク家の政治活動が禁止されていたと思う。
16 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 14:51
>14 何の権限もない国王の居る国も「君主国」と定義しても 学問的な意味ってあんまり無いねえ。
17 :
世界@名無史さん :2001/01/03(水) 14:52
>11 >金イルソンからドンヨルに ドンヨルは元中日だろ。
18 :
名無しさん :2001/01/03(水) 16:54
>>16 そういうのを立憲君主制っていうのと違う?
19 :
8 :2001/01/03(水) 17:02
>>15 オーストリアの件は初めて知りました。やはり、元王族に対しては神経質
になっているんでしょうね。
>>16 それ言うのなら、何の権限もない大統領のいる国も「共和国」と定義しても
ある面意味が無くなりますね。
20 :
5 :2001/01/03(水) 17:42
>>7 そうですね、イギリスの正式名は、例の長ったらしい名前ですからね。
大英帝国はグレート・ブリテンの部分の意訳でしょうが、当時のイギリスは帝国
主義国家の代表のように考えられていましたね。
>>13 主権在民と共和制は直接の関係はないでしょう。
古代の共和制国家は貴族が支配していたり、奴隷制をともなっていたりしましたから。
また、立憲君主制の下では、主権在民と君主の存在は必ずしも矛盾しません。
>>19 共和制と大統領制は必ずしもセットではないと思いますよ。
21 :
8 :2001/01/03(水) 20:23
>>20 >共和制と大統領制は必ずしもセットではないと思いますよ
そうでした。失礼しました。
22 :
世界@名無史さん :2001/01/04(木) 07:22
>>17 ヮラタ
23 :
世界@名無史さん :2001/01/04(木) 15:19
大英帝国は「British Empire」の訳だろ。 もちろん俗称だな。
24 :
世界@名無史さん :2001/01/04(木) 19:06
民主主義=共和国? 大日本帝国⇒日本共和国?
25 :
名無しさん :2001/01/04(木) 19:24
英領インド帝国(1877ー1947)があった頃は、英国王は皇帝でもあった。 英国王でいうと、Victoria@` Edward VII@` George V@` Edward VIII@` George VI@` Elizabeth II
26 :
名無しさん :2001/01/04(木) 21:46
>>25 訂正
Elizabeth II は1952年即位だから削除。
27 :
5 :2001/01/04(木) 21:47
>>24 名称と実体が一致しないケースを除いても、その等式は成り立ちません。
イギリス、オランダ、デンマーク、スエーデンといった国々と、中南米あ
たりの共和国を比較して、どちらが民主的な社会と考えますか?
28 :
世界@名無史さん :2001/01/04(木) 23:09
29 :
>28は煽りか? :2001/01/05(金) 00:10
>>28 名称と実体が一致していない典型事例
朝鮮 ・・・△(北半分だから高麗か高句麗?にある)
民主主義 ・・・×(独裁専制による)
人民 ・・・×(党と軍特権階層のための)
共和国 ・・・×(金王朝世襲の国)
30 :
名無しさん :2001/01/05(金) 03:06
>>27 そんなことは当たり前!
現代においては、立憲君主国の多くは、そのへんのいかがわしい共和国なんぞよりもずっと民主的かつ安定している。
31 :
世界@名無史さん :2001/01/05(金) 08:10
32 :
本題に移ろう :2001/01/05(金) 11:37
王国、帝国、共和国の違いって 上記のみっつの国家制度はどう区別するんでしょうか。 現代じゃ王国とか帝国はどこにもないのかな
33 :
名無しさん@1周年 :2001/01/05(金) 12:23
>>29 朝鮮人に言わせれば、形式的には北朝鮮は「民主主義」で「共和国」
なんだろ。形ばかりだけど選挙もやってるんだろ?しゃんしゃん総会の
ような選挙のようだが。
第二時大戦後独立した東欧共産主義諸国も「民主」とか「共和国」が
多かったよな。これもよくよく調べてみると、確かに成立時は自由選挙に
よって政権を選んでいる。だから民主共和国などと名乗るのは全くの
間違いではない。
#ただし、その後共産党独裁になったんだが。
34 :
世界@名無史さん :2001/01/05(金) 12:44
>>32 現代の王国は国王或いはそれ相当の人が元首の国を指して良いのではないだろうか。
うーん、少し抵抗あるかな。
35 :
名無しさん@1周年 :2001/01/05(金) 14:28
36 :
名無しさん :2001/01/05(金) 16:39
>>35 中東の君主国は立憲君主制ではない。
(但し、ヨルダンとクウェートを除く)
>>33 人民民主主義っていうソビエト謹製の概念があって、ブルジョワ民主主義と
完全な社会主義の中間に位置するものだとされました。それで旧東欧諸国の国名には
民主やら人民やら入ってるわけです。
もちろん本質は旧東欧諸国に「指導」をするために作られた口実なのですが。
閑話休題。
38 :
世界@名無史さん :2001/01/05(金) 22:06
マレーシアの王様は、選挙で選ぶから王と言う言葉には多少抵抗を覚える。 神聖ローマ皇帝とか、ポーランド王みたいに貴族選挙で無いし。
39 :
名無しさん :2001/01/06(土) 02:26
>>38 事実上は地方領主が順番になるだけじゃないの?
>32 ずっと本題に沿った議論してんじゃん。そんなに単純に区別できないから、いろいろ 言ってるわけなんだからさ。 結局、対外交渉の際にその国を代表する者=国家元首が出て行かなきゃならなくなった 場合、そいつが国民によって選ばれた者だったら共和国、じゃなくて世襲とかで決まっ てたら、君主国。で、伝統的に王様って呼ばれてるなら王国だし、皇帝なり天皇なりって 呼ばれてたら帝国。それ以上厳密な定義が欲しけりゃ、議論につきあうしかないさ。 「国家とは何か」って問いは、社会科学が究極的な目標としてるくらい奥の深い もんなんだから、厨房レベル以上の解答を求めるならそう簡単には決着しないよ。
41 :
名無しさん :2001/01/06(土) 12:44
現在のヨーロッパの君主とその王朝名 イギリス エリザベス2世(ウィンザー家) ノルウェー ハラルド5世(グリュクスブルク家) スウェーデン カール16世グスタフ(ポンテコルヴォ家) デンマーク マルグレーテ2世(グリュクスブルク家) オランダ ベアトリクス(オラニエ・ナッサウ家) ベルギー アルベール2世(サクス・コーブルク家) ルクセンブルク ジャン(ナッサウ・ワイルブルク家) リヒテンシュタイン ヨハン・アダム2世(リヒテンシュタイン家) モナコ レーニエ4世(グリマルディー家) スペイン フアン・カルロス(ブルボン家)
42 :
条虫ブサヨク :2001/01/06(土) 13:23
彡川川川三三三ミ〜 川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________ ‖|‖ ◎---◎|〜 / 川川‖ 3 ヽ〜 < 天皇制反対!! 川川 ∴)д(∴)〜 \________________ 川川 〜 /〜 川川‖ ブタ 〜 /‖ 川川川川___/‖ / \__ /| | サ __ | | | ヨ / | |_ 童貞 | \__⊃ 租 珍 彡川川川三三三ミ〜 川|川/ \|〜 プゥ〜ン ‖|‖ ◎---◎|〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 川川‖ 3 ヽ〜 ボクがヒッキ―なのも 川川 ∴)д(∴)〜 権力と天皇が悪いんだ 川川 〜 /〜 カタカタカタ \________ 川川‖ 〜 /‖ _____ 川川川川___/‖ | | ̄ ̄\ \ / \__| | | ̄ ̄| / \__童 | | |__| | \ |貞 |__|__/ / /  ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕 | ヒキコモリ
43 :
名無しさん@1周年 :2001/01/06(土) 20:07
現在、皇帝(エンペラー)がいる国って日本だけ??
44 :
名無しさん@1周年 :2001/01/06(土) 21:13
彡川川川三三三ミ〜 川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________ ‖|‖ ◎---◎|〜 / 川川‖ 3 ヽ〜 < おれは王様だ。 川川 ∴)д(∴)〜 \________________ 川川 〜 /〜 川川‖ ブタ 〜 /‖ 川川川川___/‖ / \__ /| | __ | | | / | |_ 童貞 | \__⊃
45 :
はて :2001/01/06(土) 21:25
>>43 そういえば、最近は「皇帝」って称号をみかけないな。
昔はエチオピアやイランに皇帝の称号が残っていたようだけど、
なくなってしまったし。
ヨーロッパの皇帝は第1次世界大戦で消えてしまったし。
現存する皇帝は日本の天皇だけなのかな?
46 :
世界@名無史さん :2001/01/06(土) 21:34
47 :
ロンメル太郎 :2001/01/06(土) 22:48
30年まえくらい、一瞬だけ中央アフリカに皇帝が出てきてたような…。
49 :
世界@名無史さん :2001/01/06(土) 23:21
日本以外での皇帝の復活の可能性はあるのだろうか。 復活させるとしたら、どんな手続きになるんだろう?
50 :
世界@名無史さん :2001/01/06(土) 23:35
>>49 実現可能性がどこまであるかはともかく、ヨーロッパの場合はフランス
で共和制から帝政に移行した事例があるから、手続き的にはナポレオン
三世のケースが参考にされるんじゃないかな。
政治的には、今後だと立憲君主制だろうから、政治的実権のある国家元
首をもつ国は政治制度を議院内閣制などに切り替える必要がありそう。
ドイツやオーストリアの大統領なら、皇帝に切り替えても問題はなさそ
うだけど、フランスやアメリカだと大統領制とぶつかるね。
51 :
名無しさん@1周年 :2001/01/07(日) 00:02
共和制って今でこそ定着してるが、もっといい訳語なかったんかね?
52 :
名無しさん@1周年 :2001/01/07(日) 00:08
戦後もイランやエチオピアにも皇帝がいたけど、みんな革命によって 倒された。時代の流れからいって今更皇帝を立てる国はないだろうね。 日本は憲法で天皇の存在が明記されているから、当分大丈夫でしょう。 つーと日本の天皇は、人類最後の皇帝(日本は最後の帝国)となるのかな? でも形式的な帝政復古ならあるかも。かつて皇帝をだしたロマノフ家とか ボナパルト家とかまだ子孫がいるんだろ?
53 :
はて :2001/01/07(日) 00:25
>>51 共和制って訳語はうまく出来てると思うけど?
辞書によっては「複数の人がなかよく政治をおこなう」なんて書いて
あったりするけど、それらしい単語に見えるよね。
もともとは、古代支那で君主のいない時に大臣達が合議で統治した期
間の年号が「共和」だったから、明治になってrepiblicの訳語に共和
を当てたんじゃなかったけ?
字面もそれらしく読めて、歴史的背景もあるんだから名訳だと思うけ
ど、実際は偶然ではなくて年号を決めるときに無君主合議制の意味を
込めて共和にしたんだろうか。
う〜ん。このへんになるとちょっと自信がないな。
55 :
51 :2001/01/07(日) 01:00
>歴史的背景 周代に王が空位の時に士大夫達が”共に和して”政治を行ったから >無君主合議制 を共和制と呼ぶようになったってのが今一気に入らないだけです。 Repblicの訳語としてあてがい扶持のような感じを持っているもので。
56 :
名無しさん :2001/01/07(日) 02:44
幕末・明治期の資料には「共和制」を「協和制」と表記したものもあります。 読みはどっちでも変わらないけど。
57 :
名無しさん :2001/01/07(日) 02:48
エチオピアの帝室は、我が国の皇室と同様に万世一系であると言われてきました。 何でも古代ヘブライ王国のソロモン王の末裔だとか。
58 :
名無しさん :2001/01/07(日) 02:53
現在、皇帝をなのる君主は我が国の天皇以外には存在しません。 20世紀の初頭には、世界に10人位の皇帝がいたようですが。
59 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 03:32
一つ聞きたいんですけど僕の中では曖昧ですが、大統領の国は共和制っていう 認識があります。 ドイツは共和国です。アメリカは大統領がいますが、 合衆国だと言ってます。ドイツもそうなのにアメリカはアメリカ共和国じゃない んですか?
60 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 03:32
一つ聞きたいんですけど僕の中では曖昧ですが、大統領の国は共和国っていう 認識があります。 ドイツは共和国です。アメリカは大統領がいますが、 合衆国だと言ってます。ドイツもそうなのにアメリカはアメリカ共和国じゃない んですか?
61 :
名無しさん :2001/01/07(日) 03:50
単に"republic"の訳語は「共和国」、"united states"の訳語は「合衆国」としているだけでしょう。 現在、「合衆国」というのは世界中でアメリカとメキシコの2つだけです。 ちなみに、幕末・明治期の資料には「合衆国」を「合州国」と表記したものもあります。 「合州国」の方が"united states"という言葉の直訳に近いように思いますが、どういうわけか「合衆国」で定着してしまいました。
62 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 04:02
結局、結論はつきそうにないね・・・・・・・・。 なんとなく雰囲気で、てのはダメ?
63 :
q :2001/01/07(日) 09:37
>合州国」の方が"united states"という言葉の直訳に近いように思いますが、どういうわけか「合衆国」で定着してしまいました。 atari@` NATIONAL(republic) yori FEDERAL no tokucyou wo motte irukara ne.
64 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 11:32
そもそも「がっしゅう」なんて言葉が日本にあったのかね。
65 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 11:43
彡川川川三三三ミ〜 川|川/ \|〜 プゥ〜ン ________________ ‖|‖ ◎---◎|〜 / 川川‖ 3 ヽ〜 < 天皇制反対!! 川川 ∴)д(∴)〜 \________________ 川川 〜 /〜 川川‖ ブタ 〜 /‖ 川川川川___/‖ / \__ /| | サ __ | | | ヨ / | |_ 童貞 | \__⊃ 租 珍 彡川川川三三三ミ〜 川|川/ \|〜 プゥ〜ン ‖|‖ ◎---◎|〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 川川‖ 3 ヽ〜 ボクがヒッキ―なのも 川川 ∴)д(∴)〜 権力と天皇が悪いんだ 川川 〜 /〜 カタカタカタ \________ 川川‖ 〜 /‖ _____ 川川川川___/‖ | | ̄ ̄\ \ / \__| | | ̄ ̄| / \__童 | | |__| | \ |貞 |__|__/ / /  ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕 | ヒキコモリ
66 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 11:54
欧州の国をはじめ世界中に民主主義で王政の国があるのに シナヤチョンなどキチガイ「共和」国家を信望する ブサヨクって容姿も醜いし、社会の負け犬だよね。 本当の民主主義は旺盛でないとできないし、チョンヤ 東南アジアガ天皇陛下を支配者として敬うようになれば良いのに。
67 :
5 :2001/01/07(日) 12:33
>>62 結論だけで言えば、外交儀礼上、国家元首が世襲の場合は君主制、そうでない
場合が共和制でしょう。
もともと、日本語の共和制は非君主制の意味しかありません。
君主制の中で、君主の称号が皇帝となっていれば、一応は帝国でしょうが、日
本は政治的、歴史的理由から「帝国」を名乗るのをやめています。
68 :
5 :2001/01/07(日) 13:13
ありゃ?日本語がおかしかったな。 外交儀礼上、国家元首が ・・・× 外交儀礼上の国家元首が ・・・○
69 :
あやめ :2001/01/07(日) 13:32
合衆国の「合衆」の出典は「周禮」の「大宗伯」にある「軍禮を以って 邦國を同じくす、大師の禮は衆を用ひる也、大均の禮は衆を恤れむ也、 大田の禮は衆を簡(ケミ)する也、大役の禮は衆に任ずる也、大封の禮は 衆を合する也」です。国家が民衆に対し義務を強制する制度について5 事を挙げたもので、兵役・納税・狩猟と土木の役務・定住で最後の定住義務 が「合衆」です。「疏」(注釈)には「諸侯が他国を侵略し合って民衆が かってに移住することになると、民衆を集住させることができなくなるの で、封境を正し周囲に溝を掘り兵を置くようにすれば庶民が定着する」と いう趣旨のことが書かれています。高島俊男さんの「お言葉ですが…・そ れはさておきの巻」には「国の境域を定める儀式の際は国人がみな集合す る」という意味だと説明していますが不正確です。高島さんは信用できる 方ですが偶にこういうこともあります。 高島さんによるとペリー来航の折の幕府の文書に「合衆國水師提督」とあ るのがこの語の初見例だそうです。また福沢諭吉は「文明論の概略」の中 で「合衆」の意味をa選挙による民主的な政治制度b執政者の交代による 共和政c独立自治体の結合による政治制度の3義に使い分けているそうで す。しかし幕府がアメリカを「合衆国」と呼んだ本来の趣旨は民主共和の 政体であった点からで、ステイツの結合体つまり連邦であることは考慮外 であったのです。 ところがたまたまアメリカが連邦であったことから州の連合体を「合衆国」 と呼ぶものとの誤解が生じたもののようです。そして本多勝一が「合州国」 という呼び方を提唱して同調者も現れるに至った次第です。 そもそも地方行政区画の名称である「州」を独立自治体であるステイトの 訳語としたのが間違いで、「テキサス邦」「ニュージャージー邦」とでも しておけば適切だったのです。
70 :
あやめ :2001/01/07(日) 13:39
メキシコが合衆国と称してるのは"Estados Unidos Mexicanos"がアメリ カの国号と正対しているからでしょう。なおブラジルも1889A.D.に帝政が 倒れ共和政体の連邦が成立し、この時の国号は「ブラジル合衆国」の名称 で呼ばれていますが、これも多分ポルトガル語では似たような名称になっ ていたのでしょう。「ブラジル合衆国」という国号がいつまで使用されて いたのか不明ですが、1891A.D.の憲法停止か1933A.D.の新憲法公布のい ずれかの際でしょう。
71 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 15:34
支那風に考えりゃ テキサス邦はテキサス郡でもいいんじゃないか?
72 :
5 :2001/01/07(日) 16:02
>>71 それは違うと思いますね。
郡県制というのは、中央集権のための制度ですから、United States
の概念とは正反対でしょう。
支那では、もう長いあいだ中央集権国家が続いていますから、周代
まで遡らないと適当な用語が見当たらなかったということかな?
むしろ、日本の江戸期以前の○○国の方が適切でしょう。
テキサスの国ダラス郡(ごおり)ルイスビル・・・
う〜ん、三度笠に二丁拳銃の世界になってしまうな、これは。
73 :
ど〜でもいいけど :2001/01/07(日) 16:13
>>72 テンガロン・ハットだったけど、昔の西部劇の邦題はそれに近かった。
「拳銃無宿」とか「荒野の用心棒」とか。
おっと、スレのテーマからはずれすぎた、スマソ。
74 :
あやめ :2001/01/07(日) 16:29
テキサス郡は不テキサス、じゃない不適切です(寒すぎる)。 アメリカの"State"はそれぞれが憲法と三権機関と軍隊を持ち、独立自 治の権力機構です。こんなことは先刻御承知でしょうが年末の大統領選 騒ぎでつくづく実感しました。支那の州や郡のように中央政府から派遣 された刺史や大守に治められてる行政機関とは本質的に異なる、だから 「邦」とすべきなんではないかという趣旨を書いたつもりなんですけど。 「テキサス国」でもいいんですけどね。
75 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 16:54
つーか郡はすでにcountyの訳に充てられてるので却下。 あやめの言うとおり「国」の方が近い。
76 :
る :2001/01/07(日) 17:04
77 :
あやめ :2001/01/07(日) 17:45
そういった意味では「州知事」ってのも多少ぴったりしない称号です。 「邦首」あたりがいいんじゃないかとあやめ的には提案したいです。序 に言うと折角のことに省庁再編したんだから「大臣」という称号も止め たらと思うのはあやめだけかしら。一方では「天皇中心の…」はけしか らんなんて文句言う癖に、閣僚諸公は天皇の家来だと自称して平気でい るんだからヘンね。この問題の深入りは止めときます。 「知事」っていうのは本来は中央政府から派遣されて地方行政を任とす る「官職」で、戦前は日本でも県は自治体ではなく知事は官選でした。 そもそも支那では「…事」という官名は本官がある場合に具体的事務を 兼ねるものです。倭の五王の官号でよく知られてる「督どこそこ諸軍事」 というのは将軍号(これはいわゆる兵隊の位)が本官で、将軍の身分で具 体的な地域の軍を管理しているという意味です。 「知事」という官名は宋代に朝臣が身分を保持したまま地方官を兼務す るということにして、「權知府(もしくは州・軍・縣)事」というものが現 れることのなったのです。「權知」というのは仮に府・州・軍(郡ではない やはり地方行政単位)・縣を治めるという意味です。明清代には本務官と なり「事」を省いて「知縣」という官名になりました。民國では日本の 真似で「縣知事」にしましたが、国民政府の時代になってから「縣長」 となっています。日本でも明治初期は「縣令」でした。 一応は政体と関係のあるテーマとして書いたつもりです。
78 :
ど〜でもいいけど :2001/01/07(日) 18:15
>>77 >一応は政体と関係のあるテーマとして書いたつもりです。
少し批判されたからって、そんなに気にしないでいいですよ。
たとえ脱線だって、楽しければいいじゃないですか。
日本では国≒州ですから、支那の出典はともかく、日本語としては@`
それほどはずれということもないでしょう。
米国の州知事の呼称については、ネイティブ・アメリカンに敬意を
表して、州長(しゅうちょう)ではいかがでしょう?
79 :
まじれす :2001/01/07(日) 19:00
いずれにせよ gasshuukoku というのは音が綺麗じゃない。 united states については「連邦」という訳を当てるべし。 united=連、states=邦、で対応するでしょ。
80 :
知ってて書いてるんだろうが :2001/01/07(日) 19:14
>>79 「連邦」はfederationの訳として定着しているので、却下!
81 :
世界@名無史さん :2001/01/07(日) 19:23
>79 そうそう、がっしゅうよりごうしゅうのほうがマシ。
82 :
オーストラリアン :2001/01/07(日) 19:26
>>82 あんさん、お生まれは?
へい、さんしゅうでして。
ほう、四国ですか、金毘羅さんのお膝元でんな。
で、そちらさんは?
わては、ごうしゅうだす。
滋賀、近江でっか。
いえ、オーストラリアで。
んな、アホな。
王国と帝国の違い 主権者の権力の強さ強調誇示の違いと思われる。 中央集権の強化具合で強さを強調するのが皇帝。 専制君主を強調するのが皇帝、君臨を強調するのが国王。 アジアの諸国王はほとんど専制君主だが専制を強調する 必要がないほど権力が安定していたので君臨を強調する 国王でよかった。皇帝に即位する大方が権力の拡大を示 唆するのに対し、国王に即位する大方は親政はするものの それ以上の権力強化をはからない意志表示では? 皇帝を名乗ったところ 中国諸王朝、パフレビー朝イラン、エチオピア帝国、ロシア帝国
立憲君主制国家と共和国のちがい 共和国は中央集権を強調する。連邦は分権国家を強調する。 立憲君主制国家は君主が憲法と法律の規定下にあることを 強調する。 日本の国家体制 日本は古代が氏族制君主国家、中世が封建領主割拠国家、 近世が「大君制」領主割拠国家、近代が天皇制国家 現代が議会制国家(天皇は君主としての地位を象徴に解消 している) 近世の「大君制」領主割拠国家は世界でまれな領主割拠型 安定国家として「大君制」が割拠領主を規定していた国家を さす。アジアの封建領主はたいがい、専制集権君主だが、 日本は代表外交権・全国の立法権のみを有する「大君」が 割拠領主間に君臨し、天皇は単なる神道の主宰者にすぎ なかった。だが天皇のみが宗教的に大君の立法権を正当 化できた。 インドは藩王国割拠地域でイギリスのみがインドを統一し えた。
86 :
名無しさん :2001/01/08(月) 03:40
>>85 「大君」というのは将軍のことをいっているのだと思いますが、日本の中・近世において外交権が幕府(大君政府)にあったかどうかは明確ではありません。
そのため、幕末期には、外交権が法的に朝廷と幕府のどちらにあるのかが非常に大きな問題となりました。
朝廷の立場からすると、幕府に委任したものは内政に関する権限だけで、外交権は含まれていないという主張が成り立つからです。
ちなみに、この外交権の所在がとちらにあるかということは、鎌倉期に蒙古の国書に対する返答を決める際にも問題となっています。
87 :
>86 :2001/01/08(月) 11:11
朝鮮使節とオランダ商館長との外交は「大君」の 専権でした。鎖国は「大君」の原則的独占貿易システ ムを意味します。朝鮮使節に対して「大君」を称して 外交したのが江戸幕府です。朝鮮・オランダ問題は 「大君」のみが外交権限を持ちました。オランダ東インド 会社を引き揚げてオランダ政府直営のオランダ商館と 交流する際、オランダ国王の親書を受け取ったのも、 「大君」でした。しかし「大君」の「外国人は禽獣のよう な」ものという朝廷への情報操作が裏目に出て、なら ばなぜその「禽獣」と和親や通商を拡大するのか、と 問い詰められたのが開国以降の幕政の混迷の一因 です。征夷大将軍は朝廷に代わって外国にあたる、 権限をもっています。でなければ、朝廷は鎖港交渉を してこいと幕府に命じたりはしません。
88 :
流れ者 :2001/01/08(月) 13:08
共和制は主権在民もその原則の一つ。
89 :
世界@名無史さん :2001/01/08(月) 13:56
>>86 レザーロフやラクスマンとの対露交渉のときも、幕府が外交を一手に
担い、朝廷は蚊帳の外でした。朝廷が外交に口出しするようになった
のは幕末期だけでしょう。それは、おそらく幕府の権威が低下してい
たことや、朝廷の権威を盾に幕府に攘夷や開国を迫る勢力(長州や薩摩)
の伸長、朝廷内の反幕府派の公家などの活躍など、複合的な要因によ
るものだと思います。
>>88 共和制は主権在民を前提としないと思いますが(特に、古代の
共和制は)。
90 :
ん? :2001/01/08(月) 14:08
>>80 外国語と日本語が一対一対応しないといけないわけじゃないし、
Union of Soviet Socialist Republicsが
ソビエト社会主義共和国〈連邦〉だったりするから、そもそも
「連邦」が一義的に federation に対応してるとも言えない。
アメリカの国政機関に関する形容詞としては
federal という用語が使われており、その訳語は「連邦」でしょ。
その名詞形と考えれば十分筋は通るんでないの。
91 :
名無しさん :2001/01/08(月) 14:46
>>87 >>89 もちろん、幕府の力が強大なときは外交に関して朝廷はいっさい蚊帳の外だったのは事実です。
しかし、その権限の根拠がが法的には極めて曖昧であったため、ひとたび幕府が揺らぎ始めると朝廷が外交交渉に介入することを拒否できなくなってしまったと言えるでしょう。
92 :
世界@名無史さん :2001/01/08(月) 15:25
そういや「共和」って周代の共和が語源だね。
93 :
はてな :2001/01/08(月) 22:13
ふと考えたんだけど、シーザー(カエサル)時代以前のローマはローマ帝国だったん だろうか。 共和制の帝国ってのも、ありうるのかな。 それと、よく考えるとアメリカの国章も鷲だけど、あれもローマの後継を示している んだろうか。 日本では上院議員って訳してるけど、セネターだっけ?元老院議員の意味だよね。 議事堂なんかも、ギリシャ・ローマ風の建物が多いみたいだし。 アメリカは現代のローマ帝国を自負しているのかしら。
94 :
名無しさん :2001/01/09(火) 02:30
95 :
名無しさん :2001/01/09(火) 02:33
>>93 2院制議会には必ず上院と下院があります。
日本では上院が参議院、下院が衆議院です。
イギリスでは上院が貴族院、下院が庶民院です。
96 :
世界@名無史さん :2001/01/09(火) 02:42
アメリカの国制は、混合政体を是とする思想をひきずっています。 もちろんその理想はローマ。貴族主義の要素=元老院、君主主義 の要素=大統領。彼らには民衆の欲望をダイレクトに反映しない 共和政を作り上げることが期待されていました。帝国の自負はも っと後でしょうから、そこは違うと思います。
97 :
あやめ :2001/01/09(火) 11:48
>90 英連邦は"the Common-wealth of Nations"ですしね。これは共和政時代の 国名を転用したみたいです。 実態は似通っていても名称はそれぞれの歴史を負って生成されるものなので、 現代の日本人から見て実質に適切に対応する訳語を選べばよいのではないで しょうか。
98 :
世界@名無史さん :2001/01/09(火) 22:05
>93 カエサル以前どころか以降も共和国です。 正確に言いますと、カエサルの地位は終身独裁官という地位で、SPQR の最高権力者です。その後、オクタビアヌスとアントニウスによる内戦が 勃発し、BC27年にオクタビアヌスが終身軍事最高権力者インペラトー ルの称号を受け、初代皇帝アウグストスになります。
99 :
93 :2001/01/10(水) 01:15
>>98 困ったな。そういう問題ではないのですが。
Imperium Romanumが先にあって、Imperatorという称号が出来たのか
Imperatorという称号が出来たあとにImperium Romanumという呼び方
がでてきたんだろうか、という疑問なのですが。
Imperiumというのは、最高指揮権といった意味のようで、共和制の時代
にも使われていました。
ラテン語はよく解りませんが、Imperium RomanumがRoman Empire
でしょうから、ひょっとすると、ローマが拡張をはじめた共和制後期には
Imperium Romanumという呼称が使われていたのではないか、という疑
問です。
アウグストゥス以降の皇帝のいるローマは帝政であり、その前は共和制ロ
ーマであるというのは当然ですが、帝国があって皇帝が出現したのかどう
なのかを考えているのですが。
100 :
世界@名無史さん :2001/01/10(水) 01:40
101 :
世界@名無史さん :2001/01/10(水) 01:59
>>100 えらい詳しいですね、そこ。
個人的には、属州シチリアを獲得してからのローマは
「帝国」と言っていいと思ってますけどね。
102 :
世界@名無史さん :2001/01/10(水) 10:53
>99 肩書きはあります。BC44年にSPQR(これ国名です) においてカエサルがインペラトールの称号を受けるという事 になったためブルータスが共和制を守ると言って暗殺しまし た。ちなみにアウグストスが皇帝という意味です。BC27 年以降も議会はSPQRですし、皇帝はSPQRに忠誠を誓 う義務があります。私の私観ですが、Imperium Romanumとは 皇帝を擁いたローマという意味ではないでしょうか?
103 :
100 :2001/01/10(水) 11:37
>>101 職業的な官僚制度もなく、世襲君主もいないのに「帝国」という名称
で呼ばれる「アテナイ帝国」の例もありますからね。これなどは、社
会的・経済的・軍事的な実質、いわゆる「帝国主義」と呼ばれるもの
に注目した呼称なのでしょう。
# これ、誰が言い出したのでしょうか。
>>102 Augustusは、"noble@` sacred"などの意味を持つ形容詞であり、
Octavius Caesarに与えられた称号の一つに過ぎません。
S.P.Q.R.は、Senatus PopulusQue Romanus(ローマ元老院および市民)
の略ですね。Octaviusは形式的に元老院の承認を受けてImperator
に命じられています。
104 :
おやおや :2001/01/10(水) 21:39
どうやら、秦の始皇帝からくる漢語の「皇帝」や「帝国」に惑わさ れていたようです。 もともと、明治期か幕末あたりに英語のエンパイアを帝国、エンペ ラーを皇帝と当てはめて訳したんでしょうかね。 Roman Empire の訳がローマ帝国でしょうが、もう一つの帝国主義 などのImperialという系統の単語もあわせて、Imperium が語源の ようです。 そして、共和政の段階でも、属州を含むローマの支配圏をImperium Romanum、英語でいえばRoman Empire と呼んでいたようです。 つまり、ローマに限って言えば、実態としての「帝国」があって、 その君主となった者の呼称であったImperatorという称号に「皇帝」 という意味が込められるようになったというのが正解のようです。 軽い本を2冊ほど参考にしました 1 共和政ローマ 白水社 文庫クセジュ 2 古代ローマ帝国 その支配の実像 岩波新書 どちらも、共和政期のローマを中心に扱った入門書です。 共和政ローマの中には「帝国」経済と騎士階級の節があります。 古代ローマ帝国のほうは題名からしてモロですね。繰り返しますが、 共和政期のローマを扱った本ですよ、これ。キケロがシチリア賛歌と いう本の中でローマ帝国について自賛しているそうです。 当然ですが、どちらも、著者達は帝政ローマとローマ帝国は別けて考 えているようです。 ふ〜ん。先入観を持たずにしらべてみるもんだ。
105 :
流れ者 :2001/01/11(木) 14:46
>89 古代の共和制でも、主権者は完全な市民権を有するものとしての市民(たとえそれが貴族だけであっても)ですから、主権在民です。 別の所にも書きましたが、世界史では「帝国」は多民族巨大国家も意味する。アテネ帝国はさらに大きく意味を広げて言ったもの。 恐らく共和制の頃からRes Publica Romanaという言い方がありましたが、ビザンツ帝国になってもこれを称したと思います。
106 :
93 :2001/01/11(木) 21:34
>>104 あ、そういう本があったんですね。
そうですよね、日本語では秦の始皇帝のイメージが強くて、皇帝=強大国の
専制君主という理解ですけど、西欧の場合、語源はローマ帝国とシーザーに
なるんですよね。
でもって、皇帝を名乗ったから帝国というのは、日本語というか漢語の世界
のことで、imperialismの訳語の帝国主義がかならずしも皇帝を戴く国々に
限定されないように、西欧圏では帝国と皇帝はセットとは限らないというこ
とでしょうね。
よ〜く考えれば、実態概念として周辺地域を圧倒する支配的な覇権国という
帝国が先にあって、その君主の称号に「王の中の王」的な意味が付けられた
という順でなければおかしいですから。
107 :
世界@名無史さん :2001/01/14(日) 10:38
ナチスドイツは「ドイツ帝国」を名乗っていたけど帝政ではなかったし、 将来的にも帝政復活など考えてもいなかった。 さて、このナチスドイツの「帝国」とはどういうものなのだろう? 単にワイマール「共和国」と対比するだけのために「帝国」と称していたのか?
108 :
世界@名無史さん :2001/01/14(日) 12:39
>>107 Reichが使いたかったのではないですか?
それをドイツ再興の証として。
109 :
はて :2001/01/14(日) 13:07
>>108 通称としてかもしれませんが、第三帝国を自称していますね。
カイゼルのいたころのドイツ帝国もReichなんでしょうか?
オーストリア=ハンガリー帝国は、オースターライヒ=ウンガルンですから
ドイッチェライヒとか言うんでしょうか。
詳しい人、解説きぼ〜ん!
110 :
世界@名無史さん :2001/01/14(日) 13:32
>>105 周代の共和は、主権在民なんてことはないでしょ。
非君主制ならば、自動的に人民に主権があると考えるなら別ですが。
それと、すでに出てますが、ローマの場合は帝政になってからも、形式的には
主権の所在はSenatus PopulusQue Romanus(ローマ元老院および市民) にあっ
たと思いますが。
>>109 げっべる素の宣伝でしょ。
第一帝国が神聖ローマ、
第二帝国が第一次大戦までのやつで、
領土的にこれらの帝国のものを取り戻すっていう。
うろ覚え。
112 :
世界@名無史さん :2001/01/15(月) 21:07
>>95 現代の多くの国で採用されている2院制の議会って、ひょっとして、ローマの
元老院と市民集会に起源をもつのかな。
アメリカの上院はthe SenateでSenatusが語源だし、下院の方は単語的には類
似性がわからないけど、意味的には市民の意志を反映する場だよな。
だれか、知らない?
113 :
世界@名無史さん :2001/01/15(月) 23:56
>>112 ヨーロッパの二院制は身分制議会に起源を持つもので、ローマ起源
ではない。ゲルマン人の集会にまでいきつくそうだ。
アメリカ合衆国の独立当時、ヨーロッパには共和制の国がいくつか
あった。しかしアメリカ人はむしろローマから制度をもらうことにし
て、貴族がいないのに元老院を作ってみた。この時点ではローマ起源
と意識されている。しかしその後の諸国の上院はむしろアメリカを模
範にしたものだ。
後の新興国は、ヨーロッパかアメリカから制度を移した。日本はヨ
ーロッパからなので、貴族院。一方、中南米の二院制は全部北米から
の移植だ。語源が元老院というより、ラテン語のsenatusを英語で
senate、スペイン語でsenadoというのであって、両者を区別する日
本語がうまくない。
ただこういった継承はあくまで作る人の自己申告で、起源から連綿
と続いてきたわけではないし、実質が伴った継承というわけでもない。
114 :
世界@名無史さん :2001/01/15(月) 23:59
>>112 ヨーロッパの二院制は身分制議会に起源を持つもので、ローマ起源
ではない。ゲルマン人の集会にまでいきつくそうだ。
アメリカ合衆国の独立当時、ヨーロッパには共和制の国がいくつか
あった。しかしアメリカ人はむしろローマから制度をもらうことにし
て、貴族がいないのに元老院を作ってみた。この時点ではローマ起源
と意識されている。しかしその後の諸国の上院はむしろアメリカを模
範にしたものだ。
後の新興国は、ヨーロッパかアメリカから制度を移した。日本はヨ
ーロッパからなので、貴族院。一方、中南米の二院制は全部北米から
の移植だ。語源が元老院というより、ラテン語のsenatusを英語で
senate、スペイン語でsenadoというのであって、両者を区別する日
本語がうまくない。
ただこういった継承はあくまで作る人の自己申告で、起源から連綿
と続いてきたわけではないし、実質が伴った継承というわけでもない。
115 :
天之御名無主 :2001/01/16(火) 00:12
東京セネタースは?
116 :
過去ログが壊れた・・・ :2001/01/16(火) 03:29
95:あやめ独走しすぎ! (16) 96:曹操が赤壁に勝ってたら・・・ (50) 97:メッテルニヒについて書こう!! (27) 98:アラビア方面の石油王の情報を知りたい (23) 99:イギリス貴族はつらいよ (18) 100:議会政治の原理って・…? (3) 101:王国、帝国、共和国の違いって (108) 102:王国、帝国、共和国の違いって (108) 103:王国、帝国、共和国の違いって (108) 104:王国、帝国、共和国の違いって (108) 105:王国、帝国、共和国の違いって (108) 106:王国、帝国、共和国の違いって (108) 107:王国、帝国、共和国の違いって (108) 108:王国、帝国、共和国の違いって (108) 109:王国、帝国、共和国の違いって (108) 110:王国、帝国、共和国の違いって (108) 111:王国、帝国、共和国の違いって (108) 112:王国、帝国、共和国の違いって (108) 113:王国、帝国、共和国の違いって (108) 114:王国、帝国、共和国の違いって (108) 115:王国、帝国、共和国の違いって (108)....502
117 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 23:25
a
118 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 11:44
16世紀から18世紀までの選挙王制時代のポーランドも日本の大名の ような大地主の士族達による共和国だったんだよね? 周囲の国が絶対王政になって、国家の動員力の差で国力が落ちたんだよね?
119 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 19:48
>74 郡がダメなら藩
あぼーん
121 :
世界@名無史さん :2001/03/07(水) 08:55
age
122 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 00:24
勉強になる
123 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 00:37
英国の国制は俗に「混合政体論」とよばれるよね。 モンテスキューなんかも、参考にしているのは英国の国制。 ポリビュオスのいうローマの古典古代の混合政体論とゲルマン人の古来の集会 のモデルが混乱しているような気もする。 モンテスキューは113氏のいうようにゲルマン起源にしているね。
124 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 01:32
>>107 ヴァイマル共和国時代も正式国号はDas Duetch Reich。
ReichはLandやStaatよりも上位の国家的統合を意味し
世襲君主制の意味は特に含んでいない。たださすがに
ナチのせいでReichのイメージが地に落ちたので戦後
の西ドイツ→統一ドイツ政府はBund(Bundes Republik)
と名乗るようになっている。
このスレ既出のようにローマを起源とするヨーロッパの
"帝国"概念には"世襲君主制"の含意はない。
むしろ共和制のしっぽを引きずり「軍隊と民衆の歓呼
と元老院の承認」を皇帝権の要件とした"帝国"概念は
世襲君主制に対立する側面もある。ローマ帝国やビザ
ンツ帝国では実力のあるものが下克上して「軍隊と民衆
の歓呼と元老院の承認」によって皇帝になることは
頻繁に見られ,中国的な王朝断代史観に立てば何度も
易姓革命による王朝交代を経ている。逆にユリウス・
クラウディウス朝からパレオロゴス朝までを「ローマ
帝国」と総称できるのなら禅譲でつながっている漢→陳
までの諸王朝は一つの帝国と見なせるはず。
中世初期にはゲルマン部族国家には世襲の王がいたが
王国は王の私有財産と考えられていたため際限なき分
割相続の対象となって王権が安定しなかった(メロヴ
ィング時代)。カロリング時代に教会関係者などがゲ
ルマン国家に導入したローマ風の"帝国"概念は国家の
統一性を保つのに都合がよかったがそこに"皇帝権"に
は"選挙"の要素(これはローマ帝国理念だけではなく教
会の役職の選挙制の影響も強い)も含んでいるため今
度は世襲君主制が不安定になるという問題が生じた。
フランスのカペー朝はローマ皇帝風に王太子を父王
の生前に共同王にすることを積み重ねて分割相続の
阻止と世襲君主制の維持を長い時間をかけて両立さ
せることに成功した。
125 :
124 :2001/03/19(月) 01:35
>>124 訂正です。スマソ。
×Das Duetch Reich
○Das Duetsche Reich
126 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 01:39
>>124 -125
○ Das Deutsche Reich
127 :
124 :2001/03/19(月) 01:53
>>74 ,
>>77 日本のアメリカ史研究者は植民地時代から合衆国憲法制定までの
stateを「邦」と訳す習慣があるようです。ただ英語ではstateで
一貫して連続しているものを「邦」と「州」に訳し分けるのはお
かしいので本来はすべての「州」を「邦」と呼び変えるべきなの
でしょうね。
governorも植民地時代は「総督」と訳する場合があるようですが
さすがに独立以後は「総督」では変だから連邦の大統領から「大」
をとって「統領」ぐらいが適訳でしょうか。
日本の「大臣」は1885年の内閣官制に始まりますがこれは律令制度
の右大臣,左大臣の影響ももちろんありましょうけど清の「大臣」
号が直接の起源ではないでしょうか。律令に合わせるのなら内閣
以前の太政官制でそうっだったようにむしろ「卿」の方がふさわ
しいですから。「軍機大臣」「北洋大臣」・・・・・と「大臣」号を
頻用する清に合わせたのでは?
128 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 02:51
>よ〜く考えれば、実態概念として周辺地域を圧倒する支配的な覇権国という >帝国が先にあって、その君主の称号に「王の中の王」的な意味が付けられた >という順でなければおかしいですから。 モンゴルの君主は「ハーン(カアン)」。属国の君主は「ハン(カン)」。後、混同。 今は君主国の君主の称号はみな「ハーン」と称される。日本の天皇は「エゼン・カーン」 チベット語の「ギャルポ(rgyal po)」も同様。 清朝の歴代皇帝も、その清帝から「土司」という範疇の地方官の称号をもらっていた小領主たち(一部)も「ギャルポ」の称号で呼ばれた。現代語でも君主国の君主は一律に「ギャルポ」になる
129 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 05:16
あやしげな整理ですが 最初は(1)フランク人という民族集団。これに王がくっついていたんですよね。 それが(2)××王家とそれに付属する領土・人民になって、 ついで(3)法人的な王国ができあがり、国民国家にいたる。 こういうプロセスとみていいのでしょうか。 (1)と(3)が実は近そうなのが興味をそそります。
130 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 13:15
世界でいっちばんすぐれた民族アクタ、アクタ、きょーわこくー♪ 命令絶対、規則はいっぱい、アクタ、アクタ、きょーわこくー♪ (このネタわかる人はもうトシだ)
131 :
あやめ :2001/03/19(月) 15:31
>124 レスありがとうございます。 たしかに律令制でも大臣は太政大臣・内大臣・左右大臣くらいしかありま せんから、明治期の官制では清朝の「大臣」を意識していなかったはず はないと考えています。 面白いのは「大臣」という普通名詞は支那の古代から文献に見えるのに、 「某々大臣」というような官制上の固有名詞としては清代に初めて現れ たことです。清朝の「某々大臣」は恐らく満語のベイレ(金代のボギレ) に当てる適切な訳語が見つけられなかったためでしょう。まさか日本の 官制にヒントを得たわけではないんじゃ(藁)? これと似た例は「親王」 で普通名詞としては支那でも南北朝ころから有りますが、「某々親王」と いう固有名詞的用例は清朝以降のもので、この点は「舎人親王」や「草壁 親王」など日本の方が先輩です。なおモンゴルの「ジノン」の語源を親王 とする一般的理解に対して、岡田英弘さんは元代の「晉王」に求めている のは当たっているように思います。 序でながら明治の新官制で「内閣」という名称は当然ながら明清のそれに 由来するものでしょう。しかし共産党員の歴史小説家の高倉テルという人 は本願寺の「内局」から取ったのだと説明しています。システムのヒント は或いはそんなとこかもしれませんが、少なくとも名称は清朝の制度から 採用したものと考えるべきでしょう。「内閣」というものは元来は独立し た政策立案機関ではなく、独裁制皇帝の秘書的性格を本分とするものです。 従って現憲法下では「大臣」と共に些かどんなものかとあやめ的には思っ ています。
132 :
世界@名無史さん :2001/03/19(月) 17:48
>>127 あれ?明治維新後、しばらくは「卿」だったんじゃないかな。
大久保利通は内務卿で、内務大臣ではなかったように記憶している
けど。
1885年以降の各省長官の名称が何に由来するかはともかく、変更の
前後で組織原理の実質上の相違もかなりある。
卿よりも参議のほうが上席だったから、内閣のメンバーを政府組織
のトップで構成するように改めるのに、大臣という「偉そうな」呼
称を使ったんじゃないかと思うんだけど。
133 :
あやめ :2001/03/19(月) 17:56
127にも >内閣以前の太政官制でそうっだったようにむしろ「卿」の方がふさわしい とあるのは、そういうことを言ってるんだと思いますよ。
134 :
29歳 :2001/03/19(月) 18:10
>130 ふふふ。わかっちゃった。「プリンセス・プリンプリン」。
135 :
124 :2001/03/19(月) 22:06
136 :
124=127 :2001/03/19(月) 22:23
>>131 有名な「親魏倭王」は「親王」にあたるのでしょうか?
私は明以前の中国では普通の皇族は「王」で外臣への栄誉号
として「親王」を用いていたのかなぁなどど素人考えして
おりました。そして日本では「親王」号を与えるほどの有力
蛮族が周囲になかったので内輪の皇族の号にしたのかと。
清は一族の力が強いから内輪でも「親王」号を与えるように
なったのでしょうか?
「内閣」は確かに明・清の「内閣」を意識したものでしょうが,
おっしゃるとおり明・清の「内閣」は皇帝の私的な秘書部という
のが本来の機能ですよね。
しかし前代の私的・臨時的機構が後代に正規の官職になるという
のは中国史ではよくあることみたいですね。「中書」「尚書」も
そうですし。
そういえば「総理」というのは内閣制度以前に政党党首の
号として使われましたが,これも清の「総理衙門」から偉
そうな字面だということで借りてきたのかなぁ。
「銀行」もそうですけど日本語への近代清の影響は案外
根深いのかもしれませんね。
137 :
あやめ :2001/03/21(水) 15:36
>136 「親**王」と「親王」の間には何の関連もない別物です。「親+朝名+官 爵名」という形式は後漢末から見られるます。外臣に与えられる官印の 文式は「漢(または魏などの朝家名)+官爵名+印(または章)」とされ、ま た官爵名の中には蛮夷の族名や「率善」や「帰義」などの文字を含むこ とも多く、「印」字を欠いている例も少なからずあります。現存してい る印璽の実例としては最も有名な「漢委奴國王」をはじめ「漢匈奴悪適 尸逐王」「漢保塞烏桓率衆長」「新西國安千制外羌佰右小長」「魏屠各 率善仟長」「晉盧水率善仟長」など夥しく伝世しています。この形式の 外に「親**王」が存在するわけで両者の区別は微妙なものがあります。 以前には「親魏倭王」と似た「親魏大月氏王」の存在から推考して、魏 では倭を大月氏に比肩する大国と誤認したのだろうなどという説もあり ましたが、「親+朝名+官爵名」形式は明らかに小勢力の蛮夷にも与えら れており、外臣の勢力に対する評価とは全く関係はないもののようです。 「後漢書」には烏桓の「親漢都尉」とか車師の「親漢侯」が見えており、 「魏志」にも鮮卑の「親漢王」があり「晉書」にも鮮卑の「親晉王」が あります。その性格についてどう理解すべきかは確信が持てませんが、 「中國」にとって支配関係がやや薄弱な場合であろうかと考えています。 劉淵が中原に勢力を拡大していた際に胡族の部大(有力者)の張ハイ(勹 の中に背)督を「親漢王」に封じ、石勒を「平晉王」に封じたという記事 が「十六國春秋」に見えます。この場合は蛮夷であるからということで はなく、直接支配していない勢力に対しリーダー的立場から協力関係を 樹立することを狙ったものでしょう。後趙の石氏政権もやはり勢力拡大 手段としてこの種の官印をばら撒いていたらしいことは、伝世する「親 趙侯印」や「歸趙侯印」から窺がえます。「親+朝名+官爵名」が何時ま で用いられていたかというと、北魏に実例があったように記憶しますが 今ちょっと検出できませんでした。
138 :
あやめ :2001/03/21(水) 18:40
清朝にまで続く「親王」が現れるのは北朝の齊と南朝の陳からのようです。 天子の親族に対する封爵としては皇弟・皇子を郡(魏では縣)に王として封じ るのが普通です。これを「郡王」とか「國王」とか称しており世子が相続し た場合は「嗣王」と称します。「蕃王」というのもあって恐らく嗣王の兄弟 などが王爵を蒙った者かと思います。 「隋書」の「百官志」には陳制を述べた条に「親王の起家(最初の任官)は侍 中となる」とあるのが、正史に「親王」の文字が見られる初出例のようです。 また北齊についても唐の杜佑の「通典」に「王は大司馬の上に位するが親王 でないと三公の下に列せられる」とあります。これ以前の官制では「皇弟皇 子府の王」などと長たらしく表記していたので、このころは通称として「親 王」で通用することになったものでしょう。「隋書」の「百官志」には隋に なってから爵制が整備され「國王・郡王・國公・郡公・縣公・侯・伯・子・男」の 9等にランクされたことを述べ、「皇伯・叔・昆・弟・皇子を親王とする」と明 記されています。ここで注意すべきことは「國王」と「郡王」が区別されて いる点です。北周では周禮に典拠した制度の改革があり周代の古國名を親王 に対する封爵に用いるようになり、1ランク落ちる王には郡名を用いるよう になりました。後世になって前者は「一字王」後者は「二字王」と俗称され ることもあります。「杞王」は前者「河間王」は後者の例で一字の郡名では 「梁郡王」のように表記します。公爵以下も同様です。それまでの「蕃王」 は「郡王」に吸収されたもののようです。唐も皇兄弟皇子を「親王」として 「親王府」を置きました。 州をもって郡を統することは漢から始まって久しく行われていましたが、州 が零細化し規模において郡との区別がなくなり、唐初には州を廃して郡に一 本化したり逆に州に一本化したりを反復していましたが、粛宗のとき最終的 に郡は廃止されてしまいました。しかし封号用としてヴァーチャルな郡が存 在するかのように明代まで扱われていました。序でながら唐宋時代に郡王の 最高位は東西南北の「四平郡王」とされました。例えば朱全忠は「東平王」 でした。 清代の封爵については明日書きます。
139 :
世界@名無史さん :2001/03/21(水) 19:30
アクタ共和国編で 「共和国と言っても実際には独裁の国もあるし、 王国でも民主的な国もあります」 みたいなことをカセイジン君が言っていた。 今にして思えば、子供向けの人形劇のくせに スゴい内容だったな。 >プリンプリン物語
140 :
おサル :2001/03/21(水) 19:49
あ〜〜すごいなあ、あやめさん。 こんな人がわたしの学生時代身近にいてくれたなら。 だって、わたしの卒業論文「親王家の役割について」だよ。
141 :
づえちゅ :
2001/03/21(水) 23:21 あやめさん。
124=127=136です。やっぱり言葉のやりとりではハンドルがないと不便なので
とりあえず「づえちゅ」とでもしておきます。このスレの最初のスペルミスから
とりました(^_^;)。
>>137 なるほど。私は長年間違った知識を抱いていたのですね(^_^;)。
>>138 すると隋唐の時代には「親王」というのは称号としては使われず
「皇帝と親等の近い王」の総称というような使われ方をしていたのでしょうか?
戦前の日本の「直宮」(伏見系とかの血縁の遠い宮家と対比させての)などの用法
に近いのでしょうか? 「宮内省は皇族様方の中でも直宮には特に注意を払って
いる」という言い方はしても「直宮秩父殿下」などと敬称として使うことはあり
ませんから。
>>137