もし秀吉が唐入りに成功していたら?

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1世界@名無史さん
世界はどうなった?
2sage:2001/01/01(月) 13:58
人が生まれ死んでいったことでしょう
3⊂(´ー`⊂⌒ヽつ:2001/01/01(月) 17:37
太閤さんが死んだあと、ゴタゴタが起きて、すぐ撤退しちゃいそうです
4日本@名無史さん:2001/01/01(月) 18:43
とりあえず、半島経由で明へ攻め込むというのは
補給路の確保という点からみても妥当と言える。
ただ、どちらにしても日本勢には兵站の概念が欠如していたので
一時の勢いで明領内に侵入できても持ちこたえることは
不可能であったろう。
つまり、異域を支配するという経験が無く方法もわからないので
所詮無理な話であるということ。
5考える名無しさん:2001/01/01(月) 21:10
戦力を比較してみると、朝鮮を支配する程度のことは、
うまくやれば可能だったように思う。
その場合の朝鮮は、沖縄に似た歴史をたどることになっただろう。
しかし、その後で朝鮮付き日本が鎖国してしまえば、
世界史の尺度では結局大きな違いは無いだろう。
6クイズマン:2001/01/01(月) 21:15
 >>4 大陸に於ける拠点は「任那」という経験があったぞ。
 異域支配というレヴェルではないかも知れないけどね。
7名無しさん:2001/01/01(月) 23:08
中国よりも、日本と似たような封建社会のあった西欧の方が征服しやすかったかもしれない。
ルイス・フロイスは、もし天下統一を果たした日本の軍隊がヨーロッパに攻め込んだならば、3年でヨーロッパ全土を征服できたと言っている。
8名無しさん@1周年:2001/01/02(火) 01:12
>>6

あんまり「経験」のうちには入りそうにないなあ。残念ながら。
9世界@名無史さん:2001/01/02(火) 01:38
たちまち荒れて沈むのかと思ったら 4 5 あたりにまともな意見がで
ている。世の中捨てたものではないのか。

 秀吉が兵站を気にしていたのは確かだよ。指示の手紙が残っている。
十万単位の軍を国内戦で動かしているのだから、無知であったはずは
ない。文禄のときは後方からの補給で全部まかなう予定で、略奪禁止
だった。陸路で半島を貫通することになったのと、その陸路でゲリラ
的抵抗がおこったのとで前線まで食糧が届かなくなったんだ。西回り
で海路を使えれば難しいことは何もなかったと思うが、それができな
かったことは承知の通り。

 明まで攻め込めるとはさすがに思えないし、朝鮮をどう支配するか
をまともに考えていなかったのも確かだろう。ただ、軍事支配ができ
れば政治支配は後からくっついてくるという面もある。
10世界@名無史さん:2001/01/02(火) 13:27
無意味な仮定かも知れませんが、時代がもちっとずれて明朝末期の
ごたごたした状況なら面白かったかも。
>9
でもそれだと日本からの持ち出しがスゴイことになりそうな。
あ、でも略奪だけならそれでいいのか。
11名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 13:34
信長公の海外雄飛より面白そうなので妄想して見た

■1
多分、豊臣家は明を占領後、東南アジア諸国に朝貢を求める。
で、三成等の奉行を呼び寄せ、内治に力を入れるものと思われる。
そのうち例の言葉通り、天子様の御所を大陸に遷都せんとはかるが
狡猾な公家衆によって妨げられる。
12名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 13:38
■2
秀吉公は次なる領土に天竺を目標に定めて遠征する。
今度は陸続きなので半島よりも苦戦する事はあるまい。
ただし、やっぱり北方の騎馬民族が南下してきて、
秀吉公はピンチに陥るだろうが、日本の武闘派大名
諸侯の活躍によってこれを追い返す。
13名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 13:45
■3
朝廷得意の「そこをあげちゃうから、あななたちは直接、
京を支配したら駄目よ」というしたたかな戦略と、豊臣家
の方針と利害一致し、大陸にて豊臣幕府が開かれる。
しかし、信長公への命がけの奉公がたたり、ぼちぼち
寿命が来て太閤殿下は死亡。
大陸占領幕府は一時混乱するも、すぐさま落ち着く。

一方、日本本国では徳川家がしっかりと工作に励み、
本国支配の機会を整えている。
14名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 13:50
■4
かつてモンゴル帝國が分裂したように太閤殿下の勢力も大分裂。
中国大陸のほとんどは豊臣家が支配。
野心高い伊達家が、常に前線を望んだ結果、天竺方面を実質支配。
あとは豊臣武断派と文治派とが対立。内部混乱が起こり、
文治派は粛清され、武断派が秀頼公を扶翼する。
15名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 13:54
■5
伊達家のほか、半ば独立しているような勢力が複数残存。
武断派はこれを征伐しようとしばしば戦乱を起こす。
やがてそれに目をつけた満州のヌルハチが南下。
大混乱の様相をあらわす。
この時の乱に乗じて伊達家はヌルハチと領土を分け合う。
16名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 13:58
■6
その頃、徳川家は日本にてヌルハチなどの脅威から本土を守るべく、
軍備をかため、縁故を増やし、磐石の態勢を整えつつ、ヌルハチを
物資面で援護支援する。大陸はヌルハチとその同盟者が切り取り、
次は彼ら同士の激闘が展開される。
しかし結局、中国大陸は統一されず、長らく多くの異民族に分裂支配される。
17名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 14:02
■7
しかし漢民族はこれをよしと認めず、相当な数の反乱が勃発。
徳川家はこれを静観。やがて将軍職につく。大陸は誰かが
統一する。(日本の大名かヌルハチか現地民族か)
以上。お粗末。(暇つぶしできた)
18名無しさん@1周年:2001/01/02(火) 17:23
なんか蒼き狼と白き雌鹿ばりの展開だね。(笑)
19つうか:2001/01/02(火) 18:14
>>11-17
アレキサンダーの東方征服と、その後の展開に似てると思った。
20名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 22:24
>>18
あー。あのゲームは好きだけれど、今回は意識しなかった(笑)。

>>19
アレキサンダー王の事は存じ上げませんがそうなんですか?
ちなみに架空戦記ぽいものを書いたのはこれがはじめてです。
その手の小説も反三国志くらいしか読んだことがないので
下手糞な電波投稿だと罵倒されるだけかなと思っていたので
そういう率直な感想レスが来るとなんだか嬉しいです。
21名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 22:26
でもやっぱり自分で見ても電波がかっているな。(汗)
2219ぢゃないけど:2001/01/02(火) 22:50
>アレキサンダー王の事は存じ上げませんがそうなんですか?

アレキサンダーは、ギリシャ北方の小国マケドニアの王。
ギリシャ諸国の盟主となり、連合軍により仇敵ペルシャ侵攻。
全ペルシャ(トルコ・エジプトからインダス川まで)を征服。
しかし、彼の死後は配下の武将が各地に割拠し、血で血を洗う主導権争い

結局、エジプトに割拠し、国境を閉じたプトレマイオス以外は共倒れ。
プトレマイオス王朝はクレオパトラまで続く

#つーか、アレクサンダーを念頭において書いたわけぢゃなかったんですね(^^;
23名乗るほどの者ではない:2001/01/02(火) 23:38
>>22さん
あー、なんとなく解りました。
ありがとうございます!
24世界@名無史さん:2001/01/06(土) 14:53
つーか11〜は腐れウヨの妄想だな(w
25世界@名無史さん:2001/01/06(土) 17:32
だから、勝手に他人を腐れウヨとか言うなよ。
ドキュソ不可侵条約違反だぜ。
26世界@名無史さん:2001/01/06(土) 20:40
荒らし観察、評価はこちらでどうぞ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=963396706&ls=50
27名無しさん@1周年:2001/02/03(土) 21:33
補給が持たない!たすけて!
28世界@名無史さん:2001/02/11(日) 18:38
あー、日本がどうやって天竺までいくんだ?
29世界@名無史さん
ハワイ太郎、モスクワ太郎、朝鮮太郎そして伝説へ(藁