匈奴について教えてください

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1世界@名無史さん
詳しく
2世界@名無史さん:2000/10/29(日) 14:57

過去ログに匈奴の系図・匈奴について語ろうスレッドが
あたかもしれない。
3世界@名無史さん:2000/10/29(日) 20:37
匈奴の子孫は現在何と呼ばれてと何処に住んでいる人達なんですか?
4世界@名無史さん:2000/10/29(日) 23:15
みんな蒙古人か突厥人に吸収されてしまったんじゃないの?
5世界@名無史さん:2000/10/30(月) 00:52
匈奴とか柔然とか言うものは民族の名前じゃなくて、
遊牧民の部族連合国家の名前と考えたほうがいい。
漢や唐の子孫は今どこに住んで何人ですか?、なんて言わないでしょ。
それと同じです。

現在民族名としてテュルク(トルコ)とモンゴルが残ってるのは
突厥帝国とモンゴル帝国がたまたま強大だったために
そのまま名前が残っただけってこと。
6名無し:2000/10/30(月) 04:54
ゲルマンの民族大移動はフン族(匈奴の一種)がヨーロッパ遠征して起きた出来事。
世界をヒイヒイ言わせまくっていたんですなー、中国ばかりでなく。
フン族が居座った地域は今のハンガリー、そこを拠点に南下。ローマ帝国の分断
にも関わったそうで。コンスタンティノープルまで攻め入ったそうです。
匈奴について調べるとおもしろいことが沢山でてきそう。
世界史の裏の主役ということで(^^)
7void:2000/10/30(月) 10:29
そう、単純に支配圏の広さで言ったら、ローマ帝国も
ペルシア王朝も秦もかなわないくらい広かった。
多分人口はめちゃんこ少なかっただろうけど。

あと、匈奴も柔然も言葉としては差別用語に近いです。
なんとなく使われてる漢字でわかるでしょ。
8世界@名無史さん:2000/10/30(月) 18:46
>7
「蒙古」も漢字としては差別っぽいね。
9世界@名無史さん:2000/10/30(月) 22:59
ちょと違うけど、エストニア人ってフィンランドとほぼ同じ人種ですか?
10世界@名無史さん:2000/10/30(月) 23:21
たしか中国語でハンガリーのことを、匈牙利って書いたはずだけど、
これもやはり匈奴っぽいね。
11世界@名無史さん:2000/10/30(月) 23:45
ゲームの話で恐縮だが、マイクロソフトから発売されている
Age of Empiresシリーズは作者の歴史への思い入れがビシバシ伝わってくる名作だ
特にシナリオ「アッティラ」はローマから略奪し放題のとてもイカスシナリオだ
騎馬民族の略奪ライフを満喫してみたい人は購入をお勧めする。
あと通信対戦も熱いよ!
12世界@名無史さん:2000/10/31(火) 03:43
>9
人種まではわからないけど、
エストニア語とフィンランド語はかなり近い親戚関係らしいですね。
ともにウラル語族フィン・ウゴル語派バルト・フィン諸語。
ハンガリー(マジャール)語もウラル語族フィン・ウゴル語派に属すから、
遠い親戚にあたることになります。
13世界@名無史さん:2000/10/31(火) 09:13
フィンランド、バル三国ありたまでは
原住民の人々にモンゴロイドの要素があるそうです
14>11:2000/10/31(火) 17:15
かれこれ1年弱もやっていないので詳しくは覚えてないけど、
Age of Kingsの歴史紹介を読んだら無茶苦茶書いてあったような気がするぞ。
15void:2000/10/31(火) 20:57
>13
フィンランドっていうと我々は現在の地図を思い浮かべるけど、
ホントはカレリア地峡ってロシアに取られた地域があるんだそうです。

もっとも北方領土と違って、不毛の地なので返してくれなんて言うつ
もりないそうです。
16世界@名無史さん:2000/10/31(火) 21:02
>>15
をいをい、カレリア地峡を巡る争奪戦は現代フィンランド史のハイライトだぞ。
マンネンハイム元帥万歳!!
17void:2000/10/31(火) 21:06
いや、それはともかくとしてカレリア地峡を返して
もらっても困るだけってのは本当です。
私もフィンランドって国には親近感持ってるけど。
ようあんな地の果てに住んでるなあって(笑)
18銀布:2000/11/01(水) 02:36
19銀布:2000/11/01(水) 02:36
20銀布:2000/11/01(水) 02:37
二重カキコスマソ…
21void:2000/11/02(木) 13:20
>18
人口が少なかったもの。昔は。
あと帝国ってものを造れなかった、人々をまとめる事が
出来なかったんですな。やれなんとか騎士団や、なんとか侯爵だ、
法王庁直轄地やら、面積は広くても実際どれだけ実効戦力になるかってえと。
22世界@名無史さん:2000/12/29(金) 17:35
age
23愛と死の名無しさん:2000/12/30(土) 01:06
おい、匈奴はどうした。
24名無しさん:2000/12/30(土) 02:37
>>9 >>12-13
バルト三国のうち、エストニアは確かにフィン・ウゴル語派に含まれ、特に北隣のフィンランドとは近い関係にあります。
現在、エストニア国内ではフィンランドのテレビ・ラジオなどの放送がそのまま流されており、このことからもフィンランド語とエストニア語が言語的にきわめて近いことがわかります。
一方、ラトヴィアとリトアニアはバルト語派に含まれます。
このバルト語派はインド・ヨーロッパ語族であることは間違いありませんが、それ以上のことは確実にはわかりません。
一説には、バルト語派はスラヴ語派の一部であるともいわれています。
ちなみに、バルト語派にはラトヴィア語とリトアニア語のほかに、今はもう死語となってしまったプロイセン語などがあります。
25名無しさん:2000/12/30(土) 02:55
匈奴は前1世紀に東西に分裂。
西匈奴はのちに漢に服属。
東匈奴は後1世紀にさらに南北に分裂。
南匈奴は後漢に攻撃されて滅亡。
北匈奴はやがて西の彼方へ消え失せて、数百年後、フン族になったとかならないとか・・・
26名無しさん:2000/12/30(土) 03:00
>>7-8
昔、中国が日本のことを指していっていた「倭」という言葉もあまりいい意味ではありません。
だから、日本人はこれを嫌って7世紀以降、「日本」という国号を使うようになったのです。
ちなみに、17世紀に「女真」が「満州」に名を改めたのもこれと同様の理由です。
27愛と死の名無しさん:2000/12/30(土) 04:42
えー、プロイセンってドイツ語とかだと思ってた。
プロイセン王室自体は、ドイツ人でドイツ語だったんでしょうかね。
もちろんフランス語もたしなみとして話していたでしょうが。
28名無しさん:2000/12/31(日) 00:38
トルコ系と聞くと現在のトルコに住むコーカソイド型の人達が
思い浮かぶんだけど、現在のカザフやウズベクなどに住んでいる人達は
モンゴロイド型ですよね
モンゴロイド型のトルコ系の人達がいる国はどこですか?
突厥、フン、アヴァール、ブルガールなどはモンゴロイド、コーカソイド
どちらだったんですか?
29世界@名無史さん:2000/12/31(日) 01:41
プロイセンという名称はドイツ騎士団に支配された地元バルト系民族の民族名が由来だそうです。
大学でプロイセン語(死語)を専門にしているリトアニア人の友達が教えてくれました。
30愛と死の名無しさん:2000/12/31(日) 15:08
匈奴はいまだにトルコ系かモンゴル系かはっきりしていないみたいです
ね。っていうかどう違うんだという感じもしないわけでもないですが(w
高車あたりからはトルコ系らしいと判断されているようですが、トルコ系
遊牧騎馬民族として、明確に判定されているのは突厥からのようですね。
ここの分野の研究者だったら護雅夫氏なんかが、有名どころなんでしょうか。

31愛と死の名無しさん:2000/12/31(日) 15:10
あと、同じ名前の人がいますけど、「生活板」から流れてきたのを
そのまま使ってしまったので、23と27の方とは違います。
一応言っておこうかと(w
32名無しさん:2001/01/01(月) 00:49
>>28
東シベリアのヤクート人もトルコ系。
33名無しさん:2001/01/01(月) 00:55
トルコ系の諸民族はそもそもコーカソイドとモンゴロイドの混血と考えるのが妥当である。
中央アジアのトルコ系民族も多少はコーカソイド的な特徴を持っているし、何より中央アジアのトルコ系民族は成人は外見上モンゴロイドでも、生まれたばかりの赤ん坊は白人の子供のように真っ白らしい。
34世界@名無史さん:2001/01/01(月) 01:49
へーそーなんだ。>>33
じゃあ、スキタイとかトルコ民族は関係あるんですかね。
35Void:2001/01/02(火) 13:12
そう考えるのが妥当でしょうね。
昔は人を略奪することも頻繁に行われてましたし、とすれば混血になるのは
当然かと。
36世界@名無史さん:2001/01/02(火) 14:20
五胡十六国の匈奴系で民族主義の圧制をしいた国が滅んだとき
蜂起した中国系住民がにっくき支配階級をたたっ殺そうと
彫りの深い顔をした者を無差別に殺したとか。
モンゴル系じゃないと思うなぁ。
37世界@名無史さん:2001/01/02(火) 18:13
匈奴の中でも支配系の部族、つまり単干(匈奴の王)が伝統的に選ばれた
氏族及びその側近の位にあった氏族群は白色人種だった可能性が強い。
遊牧部族においては厳しい婚姻制度があったのを知らない人があまりにも多い。
確かに略奪 拉致による混血児の出生という事件は少なからず起こったであろう。
しかし 混血児はけっして
単干や大臣の集う「篭会」に参加することを許されなかった。
つまり一生 卑しい身分のままであったということだ。
匈奴系の墓はすべて貴族のものだが
それらの墓の発掘は 匈奴白色人種説を補強している。
というのは墓から発見された骨のほとんどは白人種的特徴を有していたからだ。
詳しくは 内田吟風著「北アジア史研究 匈奴」
イノストランツェフ著 「匈奴史研究」を読め
38名無しさん:2001/01/03(水) 04:14
>>37
そうするとやっぱり匈奴=フン族ということになるね。
フン族はフィン・ウゴル語派(つまりウラル系)らしいし。
39世界@名無史さん:2001/01/06(土) 18:42
フンはトルコ系である。
フンの子孫と考えられるチュヴァシ族(現在ロシア、ヴォルガ河流域
チュヴァシ自治共和国に存在)の言語学的調査
チュヴァシに伝わる古い伝説や民話の研究などによる
40日本@名無史さん:2001/01/06(土) 19:15
フィンランドとハンガリー
41世界@名無史さん:2001/01/07(日) 01:23
内田吟風氏はけっこうガセネタというか、勘違いが多いぞ。
42名無しさん:2001/01/07(日) 05:31
>>40
フンランドとフンガリアだね。
43名無しさん:2001/01/08(月) 18:43
ふーん
44世界@名無史さん:2001/01/08(月) 18:46
>>39
チュヴァシ族はヴォルガ・ブルガル族の子孫でしょ!?
45名無しさん:2001/01/08(月) 19:23
でもねー、匈奴の王族が白色人種で=トルコ系はおかしいとおもうなあ?
っていうのも、トルコ系の遊牧民族突厥で、新しい可汗をたてる時に、
その新しい可汗の候補者の顔立ちがあまりにも彫りが深いというか、
ソグド人に似ているので、その母親がソグド人と私通したんじゃないか
と疑われて、国人に反対されてなれなかったと言う話があったよ。
護雅夫氏の「古代遊牧民族」って言う本を読んだ時に。
そう考えるともともとの突厥人はモンゴロイドにちかいのだから、白人の
形質をはっきりともっている匈奴がトルコ系というのはどうかな?
46世界@名無史さん:2001/01/08(月) 21:14
>44
ブルガル族はフン族(の中のサログ−ル族)とヴォルガに散在していたフィン系の
混合によって成立した民族です。
47世界@名無史さん:2001/02/04(日) 14:21
あげ
48世界@名無史さん:2001/02/04(日) 15:23
>46
混合と言うのは平和りに統合したと言う意味かなぁ?
それとも、征服?
49世界@名無史さん:2001/02/04(日) 15:57
フィンランド=フン・ランド
ハンガリー=フン・ガリア
ルーマニア=ローマニア
50世界@名無史さん:2001/02/06(火) 01:15
 ハンガリー平原は遊牧適地。ある時期まで遊牧民が次から次によせては混血す
る交流の場だった。本人たちにとってはマジャールであって、ハンガリーは外か
らの呼び名。辞書によればラテン語起源たってさ。

 しかしフィンの語源がフンってほんと? 離れすぎに見えるんだけど。
51およ:2001/02/06(火) 04:38
フィンランド=fin(終わり)のLAND(国)
つまり、地の果ての国というのを聞いたことがありまする。
52名無的発言者:2001/02/06(火) 09:50
フィンランドは語順がウラル=アルタイ系でなかったかね?
53世界@名無史さん:2001/02/06(火) 12:22
FinとHunじゃ全然違うでしょ。
54名無しさん:2001/02/06(火) 13:55
>>52
フィンランド、エストニアの両国と、ロシア領内の、モルドヴァ、マリエル、コミ、ネネツ、カレリアなどはウラル系。
55世界@名無史さん:2001/02/06(火) 15:55
>45 匈奴や突厥の支配階層はトルコ人種(コーカソイド)なのはこれまでの研究で動かない。
   ただし可汗の家系は代々シナ王朝の公主をアッシ(皇后)に迎えるので
   可汗はモンゴロイドな顔をしているのがふつうだったと思われる。
56日本@名無史さん:2001/02/06(火) 16:27
現在のウイグル人とか見ても、青い目で白人的な顔から、モンゴルっぽい顔まで、
様々だったりするけど、北方遊牧民族は昔から人種的にバラバラなものなの?

以前に、西域で出土した唐の王女の骨を調べたら、ヨーロッパ系だったとする
新華社電の記事を読んだ記憶があるけど、鮮卑族にもヨーロッパ系の血は濃かったのかな?
57世界@名無史さん:2001/02/20(火) 15:56
いいスレだからage
58世界@名無史さん:2001/02/20(火) 17:32
>>37
内田吟風(1971)もイノストランツェフ(1926)もむちゃ古いやんけ・・・。

一般書やけど、

沢田勲『匈奴-古代遊牧国家の興亡-』1996,東方選書31

がいまのところ、もっともよくまとめられた匈奴研究の紹介書やね。
二百数十年にわたる匈奴・フン同族論争についても簡単にその展開と
問題点がまとめられている。一読の価値はあるんとちゃう?
59世界@名無史さん:2001/02/20(火) 17:38
「フィンランド」ってのは、日本を「ジャパン」というような
もので、外国人が呼ぶ呼び方。
フィンランド人は自分たちの国を「スオミ」と呼ぶそうです。
60Under World:2001/02/22(木) 13:40
あげます。
61>:2001/02/24(土) 18:22
匈奴の王族がコーカソイドなのは間違いない。
ただし「トルコ系」というのは人種を指した言葉ではなく、
言語による定義だから、トルコ系=モンゴロイドとかコーカソイドとかいった
考えはある意味危険だね。
62世界@名無史さん:2001/02/25(日) 16:24
劉淵・劉曜という前趙の王(匈奴系)はめちゃ背が高かったらしいけど
あんま関係ない?
63世界@名無史さん:2001/02/25(日) 17:06
そのとおり、もちろん関係あるよ。
64世界@名無史さん:2001/02/27(火) 12:54
AGE
65世界@名無史さん:2001/02/27(火) 13:22
>>58
>沢田勲『匈奴-古代遊牧国家の興亡-』1996,東方選書31

それだったらついでに

加藤謙一「『匈奴』帝国」1998,第一書房

も挙げてあげれば? まあこれもちょびっと問題はあるけど。
66世界@名無史さん:2001/02/28(水) 12:09
AGE
67世界@名無史さん:2001/03/02(金) 12:54
AGE
68世界@名無史さん:2001/03/02(金) 20:45
>>25
南匈奴は漢に服属してから魏晋の頃まで山西省一帯に遊牧してて五胡十六国の時活躍したろ。
北匈奴は中央アジアのイリ地方に留まって「悦般国」を建て、それが後にエフタル(白フン)になった。
69転載くん:2001/03/03(土) 12:24
642 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/03/03(土) 01:19

ずっと思っていたのですけど、ゲルマン民族の大移動っていうのは、アジアのフン族
が移動したために起ったと教科書などに書かれていますが、じゃあフン族ってなんで
移動したんですか? 世界の歴史を動かすほどの大きな民族の動きだと思うんですが
その一番最初の原因がよくわかりません。どなたか教えてくれませんか?


643 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/03/03(土) 01:24

フン族っていうのは匈奴のことだったのでは。
というと、漢に圧迫された匈奴が長期間の
西方移動を行って、ヨーロッパまでたどりついたのか??


644 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/03/03(土) 01:36

フン族の族長は北匈奴の族長だったとか・・・


645 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/03/03(土) 03:01

歴史の上で遊牧民が一貫して東から西へ流れているのは事実。東西が
戦えばほぼまちがいなく東が勝つ。ゲルマンの移動からフンの流れは
その最大のものだが、その後も南ロシア→ハンガリールートはくりか
えし新勢力に征服された。しかしモンゴル高原が西方から征服された
ことはない。642の言うのは実は世界史を貫く最大の謎かもしれない。
70世界@名無史さん:2001/03/03(土) 12:41
>>69

>643、>644
北匈奴(支配層はコーカソイド)が中央アジアにとどまっても
なお一部の隷属する部族(モンゴロイド)はあきたらず西遷を続け
後にフン族となった。
匈奴に隷属していた部族とは具体的には「渾邪」であろう(渾=フン)
以上、内田吟風。
(ただし古い説なので現在学界でどう評価されているのかは知らないよ)

>642
北匈奴はたしか鮮卑に追い出されたんじゃなかったっけ?

>645
遊牧に最適なモンゴル高原が、強力な軍事力が次々に湧いて出る源泉だと
誰かの本に…
71世界@名無史さん:2001/03/03(土) 17:49
前に、同じ県の出身者に会って、
キョウドの話題で盛り上がったよ。
72世界@名無史さん:2001/03/03(土) 19:19
>>71
寒っ!
73天之御名無主:2001/03/04(日) 19:14
>>71
うまい!
74世界@名無史さん:2001/03/04(日) 19:20
○○県匈奴侵攻会
75世界@名無史さん:2001/03/04(日) 21:06
74はうまいけど71はサムイよ。
76世界@名無史さん:2001/04/03(火) 16:16
あれ? ひさしぶりにきたら終わってる?
77世界@名無史さん:2001/04/11(水) 20:17
遊牧民が移動するのは世界にたびたびおこる寒波のため。そのたびに遊牧民が移動し、世界が動く。寒かったら移動するでしょ、死ぬし。
78世界@名無史さん:2001/04/15(日) 22:04
ハンガリーはフン・ガリア由来は俗説で、

マジャール族がウラル南方のハザールの支配下を離れてカルパチア盆地へ向かう途中、
オノグル族のもとで影響を受けたので、オノグル→ハンガリーが正しいとか。
79世界@名無史さん:2001/04/16(月) 04:09
ゲルマン人の大移動の原因になったフン族と北匈奴がどのくらい関係あるかないのか別として。

北匈奴が中央アジアへ移動した理由は、南匈奴と漢の連合軍に追い出されたからとされているが
じっさいは鮮卑に追い出されたらしい。
鮮卑は東胡(烏桓)の分家みたいな存在で、
満州北部の、烏桓と夫余の国境地帯に発祥し、突然歴史上に躍り出て急激に人口膨張した集団。
おそらくはじめ烏桓について生活手段を学んだ新興部族だったと思われ。
80世界@名無史さん:2001/04/26(木) 10:22
民族を人種で考えるのは愚かなことです。
81かものはし:2001/05/29(火) 19:31
「李陵」って本に、漢の武帝時代の匈奴について書いてあったよ。
中島 敦の作品じゃなくて、中央論講(コウロンだったかも・・・・)
ぜんぜん、役に立たなくてスマソ。
82名無さん:2001/05/30(水) 09:37
トルコ系民族の間では、お互い言葉は通じるのかな?
ヤクート人とトルコ共和国に住むトルコ人との言葉が通じるとは到底思えないけど。
83世界@名無史さん:2001/05/30(水) 10:19
>>82
共和国の標準トルコ語とアゼルバイジャン語はほとんど同じ。
まあ、隣り合ってるから当然だけど。
他にもウズベク語のようにイスラム文明を共通にしている範囲なら
共和国トルコ語+ペルシア語の語彙である程度は通じるみたい。
84名無さん:2001/05/30(水) 11:20
>>83
ご返答ありがとうです。
基本語は一緒で、あとはその土地土地ならではの借り物の語彙、
と解釈すればよろしいでしょうか?
離れていては発音も変わってきているでしょうから、大陸の東西に別れてしまっている
ヤクートとトルコ共和国とでは、全然別の言葉になっているでしょうね。
8583:2001/05/30(水) 13:45
>>84
数詞とか人称のような、超基礎的な語彙は
トルコ語族ではお互いにとくによく似通ってますよ。
我々の素人耳にはヨーロッパの諸言語の比較よりも近く感じるんじゃないかな。
借り物の語彙という点では抽象語・宗教語のアラビア語とペルシア語の他に
共和国のトルコ語は日常語にギリシア語やスラブ語やルーマニア語が、
近代概念にはフランス語が多く入っているように、
ウズベク語やカザフ語にはロシア語、
ウイグル語なら漢語から多くの語彙が入ってきているそうです。
サハはイスラム化しないでロシアの支配下に入った民族だから、
ヤクート語の語彙の借用元はほとんどみんなロシア語でしょうね。
86 :2001/05/30(水) 13:57
ヤクートって赤だかルビーだかって意味だと知人のトルコ人が言ってたけど本当かな?
8783:2001/05/30(水) 14:09
>>86
赤はクズル(キジル)。
ルビーはヤークト。
ただ、アラビア語の外来語だし、長母音の場所が違うから
たぶん「ヤクート」とは関係ないんじゃないかな。
88世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:12
ag
89世界@名無史さん
冒頓単于の話はご存知ですよね?
高校の世界史の先生は授業でこんな風に話をしてました。(その先生の口調で書きます)

冒頓は「おいお前等、俺に続けて矢を放たな殺すぞ!」と部下に言ったわけですね。
そして冒頓に従っていろんなものに矢をピュピュピュピュ放ったのです
ある日冒頓が奥さんにピュッてやると、部下は「え、こんなことしていいのか!?」と
思いつつもピュッとしたのですね。そして最後に全員でお父さんにピュッってしました。

先生がピュピュピュピュいうので、俺の頭には弓矢よりもっと身近なピュが思い浮かんで
その話の間中ずっと一人で笑いをこらえてました。
だって、「奥さんにピュッとやって、部下は『え、こんなこと…』」なんて言われたら