楚漢の戦いスレッド

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1名無しさん@1周年
ついこないだ横山光輝の「項羽と劉邦」を全巻買ってきて読んだが、三国志よりはまった
。ちょっと城などの位置関係が解りづらかったが(そこは自分で調べるなりして・・・)
2名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 11:52
patinko no utiawase nohohon nohohon
3名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 12:36

『漢楚春秋』を読め!
4痛いよー:2000/08/21(月) 12:46
韓信の死に方には涙を誘うモンがあるね
(板の主題とちょっとずれてるかな?)
5名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 13:53
>1
項羽が西楚の覇王と呼ばれましたが何で西なの?とか思いませんでしたか
6名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 15:22
コン・リー萌へ〜
7>1:2000/08/21(月) 16:30
史記でもよんどけ
8名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 11:13
4>獲物がなくなると猟犬はいらなくなるとかいうやつじゃぁ?
項羽の部下だった”しょうりまい”をかばったから?
9>8:2000/08/23(水) 12:59
「巧菟死して走狗煮らる」だよ。
一応謀叛を企てたからという事になっているよ。
10名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 13:14
楚王が最後は淮陰侯だからね。

菟?兎じゃないの?

11名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 20:15
背水の陣
12名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 22:14
丁公が余りにも哀れだ。

それと、義帝殺害の罪を問うといって
劉邦は挙兵したのに、何故英布を受け入れたんだろう?
結局は抹殺するけど。
13むにい:2000/08/24(木) 00:25
12さん>そのときは使える人材だったんじゃないですかねー。
     その頃から適材適所を実行できたから劉邦は英雄たる
     者なんでしょうかね。
ホウエツなんて塩辛だもんな・・・
15痛いよー :2000/08/26(土) 08:42
項羽と劉邦の戦いがらみには
4字熟語・故事成句がいっぱい
巧兎死して・・・
背水の陣
不倶戴天の敵(「倶に天を戴く事あたわず」だったっけ?)
四面楚歌
燕雀いずくんぞ・・・(こりゃ陳勝か)
・・・etc.
16>1 :2000/08/26(土) 08:53
ついでに「漢書」も読んでみよう!!

17末広・嵐・バジーナ大尉(whis解放戦線):2000/11/04(土) 06:35
意識していないのだから、
克服のしようも無い。
年を取れば取るほど、
潜在意識の中にある儒教が頭をもたげて、
何の事はない、ただの儒教徒の出来上がりである。
憲法九条を守ると言うのは、
要は聖賢の言葉を守ると言う、
単なる教条主義である。
アジアの人々にやさしくと言うのは、
自分を中華に見立て、
周辺諸国を撫育しなければならないと言う、
華夷思想である。
二言目には人間的な感情云々を言いたがる。
そうでない奴は、人間ではないらしい。
18名無しさん:2000/11/05(日) 17:33
>>15
刎頚の友つーのもあったな。
19名無しさん@1周年:2000/11/05(日) 20:01
>>18
「刎頚の交わり」は戦国時代の連覇と臨床所(字忘れた)
20世界@名無史さん:2000/11/05(日) 21:40
>>19
面白い>変換。
廉頗と藺相如だったっけ?「りん」の字が出せない・・。
21世界@名無史さん:2000/11/07(火) 07:32
当時の楚は文化的に河北とどの程度相違があったのかな?
なんか、いい資料ないっすかね?
22世界@名無史さん:2000/11/07(火) 13:28
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は
資料として使えますか?
23日本@名無史さん:2000/11/07(火) 13:42
>司馬遼
だいたいの流れなら間違ったことは書いてないので大丈夫だとは思うけど、
小説の一字一句をテキストとして引用すると、必ずどこかで
大恥をかく(司馬遼太郎の創作部分を史実だと語ってしまうとか)から
結局、史料の裏づけを取る必要に迫られる。

要するに使えないってことだが。
24世界@名無史さん:2000/11/07(火) 15:10
>23
そうですか、ありがとう
25戦争ゲームおたく
光栄の「項劉記」は傑作!ハマった。
ゲームすれば都市の位地関係はすぐにおぼえる。
ルールはシンプルで、雰囲気もよく出てる。

その昔 ある三国志ゲームで関中と南陽の間が通行不能に
なってた(要するに武関がない)のにたいして
「高祖劉邦の業績を否定している」
と批判が有って、笑った。