1 :
小野:
原始キリスト教時代の使徒・パウロが,何故突然に,ユダヤ教徒からキリスト教徒に翻身したのだろうか?その理由を究明していこう!
2 :
小野:2000/08/18(金) 16:03
キリスト教徒の立場からでも,仏教徒の立場からでも,無神論の立場からでも,いろいろな立場から意見を下さい。
3 :
名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 16:10
えーと、確かキリスト教徒を弾圧しに行く
途中で神にひどい目にあわされた人だよね?
4 :
小野:2000/08/18(金) 16:57
キリスト教徒を弾圧しに行く途中でというのは,その通りなんですが,
神にひどい目にあわされたという見方は,ユニークですね。
そういう見方も成り立たなくはない,でしょうね。
5 :
小野:2000/08/18(金) 19:20
6 :
名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 20:44
読んできましたよ。
恥ずかしながら、ひどい目にあわされたのは
誰か別の人だったようです。
(ユニークだといって頂いて恐縮ですが)
旧約だったかもしれない。確か旅行しようとしていると
神があらわれて手足をぼきぼき折ったとか、
体中にできものができたとか。
学校がミッション系だったもので色々混ざっているようです。
パウロが何故改宗したかなんて考えてもみなかったから
なかなかおもしろかったです。
何故またパウロ研究を?
7 :
小野:2000/08/18(金) 21:23
若かりしころ,教会に通って,半ばキリスト教の神を信じていました。
しかし,やっぱり,神は人間が作ったものという考えの方が本当に思えて,教会からは遠ざかりました。
ところが,私の心の隅に,キリスト教の神が住みついてしまい,キリスト教の神を
相対化しないわけには行かなくなってしまったのです。それで,
「パウロの思想と行動」というテーマで修士論文を書いたというわけです。
HPはその修士論文を基にしています。
8 :
名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 21:29
うーん、
自己と非自己、解離、再象徴化って感じですね。(笑
私は学校がミッション系だったので、
普通の人よりは多少は知識がありますが、
信じるということはありませんでした。
でも興味深い文化だとは思います。
今キリスト美術について学んでいるのでよりいっそう。
9 :
名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 23:48
まぁ、これは果たしてパウロが受けたとされるような宗教体験が現実に存在するか、という大前提の取捨次第で、変わるよね
10 :
名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 23:51
一応上のホームページでは
脳内物質による体験と仮定されていますが。
思ったけど、宗教版ってあったら面白いよね。
いろんな宗教の。
11 :
小野:2000/08/19(土) 06:30
脳内物質による体験ではあったと思うのですが,
私はそこに至る過程を重視したいのです。
でも,脳内物質のことに関して補足すれば,
分子生理学者の大木幸介氏が「創造性の仮説」
ということを提唱しています。
それは,創造性や精神分裂病などは,
ドーパミンの異常活動によるというものです。
実際,分裂病の特効薬は,ドーパミンの分泌を抑える
ものであるし,
覚醒剤は,化学式がドーパミンそっくりであるということです。
また,幻覚を引き起こすLSDは,ドーパミンなどの作用をコントロールする
神経伝達物質であるセロトニンを化学構造に含んだ
化合物であるということなのです。
12 :
名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 06:45
>11
しかし、ドーパミンが異常活動するのはその原因になる
大きなトラウマのためだろう。
話としては逆なんじゃないか?
13 :
名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 07:31
パウロの体験というのは、「回心」ですよね。
14 :
小野:2000/08/19(土) 10:04
ドーパミンが異常活動するのは,もちろんその原因があるからです。
だから,そこに至る過程が重要だと言ったのです。
もういちど,次のHPをよく読んできてください。
http://www1.ocn.ne.jp/~utopia2 それから,「回心」という言葉ですが,
この言葉は,「これまでの心をあらためて,
正しい信仰の道にむかうこと」という意味であり,
キリスト教などの価値観が含まれている言葉です。
従って,私はあえて,「翻身」という言葉を使ったのです。
15 :
名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 14:06
どっちの信者であっても
ペテロは激しい人だね。
16 :
小野:2000/08/19(土) 14:09
人間の精神(心あるいは<自己>と表現してもよいのですが)は,
過去の諸関係を通して習慣化された意識の形だと
私は思います。
サリヴァンも言っているように,もちろん
パーソナリティとは,意識していない諸体験の記憶である
<非自己>も含んだものです。
そして,人間の世界観は,人間一人一人が作り上げた幻想です。
では,幻想ではない客観的な現実世界
というものが存在するかと言えば,
それは存在しないというのが,
ソシュールやメルロ=ポンティや丸山圭三郎らの考えです。
私もその考えに賛成です。
「色即是空,空即是色」初めに関係ありきです。
17 :
小野:2000/08/19(土) 14:11
パウロではなくてペテロですか?
18 :
15:2000/08/19(土) 18:37
間違えました。
19 :
小野:2000/08/19(土) 20:27
確かに,パウロは激しい人だったと思います。
20 :
名無しさん@=13:2000/08/20(日) 22:08
パウロにいったい何が起こったのか、というのは、
実際にはわからないんじゃないかなあ、と思います。
歴史的イエスがどういう存在であったか、今では分からないようにね。
「回心」体験(小野さんの表現を借りれば「翻身」)が
どのような現象であったかわからない以上、
あまり科学的な詮索が可能と思えないんですが、どうでしょうか。
回心体験も、一種の比喩表現の可能性もありますし・・・。
あの当時は事実の表記を心がけてるわけではないですから。
そう、根本的に脳内物質によるという説は、あくまで所謂宗教体験が科学的に説明がつくものであって本来の意味での宗教体験ではない、という前提のもとでの説なんだよね。
ま、だからこういった場合の結論なんて、所詮はその仮定を元にした結論、という意味合いしか持たないの。
22 :
小野:2000/08/21(月) 20:15
社会科学における客観性というのは、ある特定の立場から、
ある特定の理論によって見ると、こう見えますよ、
ということなのです。
そういう自覚無しに、自分は科学的に、
純粋に客観的に見ている、なんて思っているとしたら、
それこそ、非客観的な見方である、ということです。
私の、パウロの翻身についての説明も、
特定の立場から見た仮説にすぎないのです。
実は、「その見方」が重要であると、私は思っています。
23 :
名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 07:59
13>小野さん
なるほど。たしかに意味のないことではないと思いますが、
それがパウロの宗教体験の説明になるのかどうか・・・。
ドーパミンがどばどばでた原因が、一体神によるものだったのか、
それとも何かの恐怖によるものだったのか、わかりませんからね。
ただ、「回心」体験というのは実際に世の中に存在するのは
確かなようで、日本でも美内すずえだったか、有名な少女漫画家が
回心体験によってカトリックの熱心な信者になったりしています。
だからといって狂信的なわけでもなく、信仰を持った以外は
冷静で普通の人のようで、インタビューにも答えていました。
このような体験を、ある程度科学的な手法(社会科学にしろ自然科学にしろ)
で見ようとする試みは、学者が行ってしかるべき行為であると思います。
できれば、キツネツキとか神道(国家神道ではなく金光教とかのほうね)
の、その辺のことも調べられるとより広範で客観的な判断ができるのではないでしょうか?
と、シロウトは考える次第。
科学は形而下しか扱えないからね。
それでもあえて科学的側面から見るってのは、もちろん価値のあることだけど。
25 :
名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 18:35
ま、神がパウロを翻身させるためにパウロの脳内のドーパミンを出す神経を
刺激したもうたのだ、って言ったら科学的説明でそのまま有神論になっちゃうからねえ。
26 :
小野:
神が存在するかどうかについては、
存在すると信じるか、
存在しないと信じるか、
そのどちらかであると思うのですが、
私は、存在しないという立場から、
基本的には文化社会学の方法によって見ると、
こう見えますよ、ということなのです。
そして、「ドーパミンの異常放出」よりも、
そこに至る<自己>と<非自己>との、
<自己>を維持できなくなるほどの分裂を、
翻身の基本的な原因であると考えています。