中央ヨーロッパの爵位って何?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@1周年
中世の中央ヨーロッパで公爵、伯爵といった人がいますが、
それはどこの国に対しての爵位なの?
勝手に国つくっているみたいだけど。
たとえばプロイセン王家はブランデンブルグ伯爵だったりするし。
2名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 16:53
神聖ローマ帝国じゃなかったっけ
3>2:2000/07/26(水) 21:39
そう。
僭称した奴がいないとも言えないが。
最大の僭称例がオーストリア皇帝かな(藁
4名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 21:42
ビザンツの爵位ってインフレしてるから、そっちも面白いよ。
5名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/26(水) 22:59
>4
具体的に教えてください。
6名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 03:51
実力と爵位の乖離が最も激しいのはトレビゾント帝国ですか?
7名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 03:57
とれびぞん????って何?>6
84:2000/07/27(木) 06:18
10世紀頃まで例えばケサルが高い地位だったが11世紀頃に次々と上の爵位がつくられた。
セバトスクラトルもこの頃作られてる。
9名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/27(木) 10:02
爵位をお金で買ったって奴ですか。
10名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 15:05
聖職諸侯って世襲なの?
11名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 15:07
ルクセンブルクとかリヒテンシュタインとかモナコとかの元首は
大公だと思うけど、それはどこの国に対しての爵位になるの?
12名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 19:21
大公って爵位じゃなくて独立国君主の称号。
皇帝、王よりは格下だけど。
13名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/27(木) 20:35
ハプスブルクの嫡子は大公じゃ無かったっけ?
14>13:2000/07/27(木) 21:38
そうそう
どんな奴だろうとみんな大公
いつからかな?
15>10:2000/07/27(木) 22:48
建前上は世襲じゃありません
16名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 22:50
>14
ハプスブルク=ロートリンゲン家になってからかな?
17名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 02:18
中欧の爵位は難しいよ。

まず最初に「(神聖ローマ)皇帝」。これは原則として「ドイツ王」がなるんだけど、
16世紀まではローマもうでして教皇に冠をいただかないといつまでたっても「ドイツ王」のまんま。
教科書とかで「皇帝の選挙」ってのがあるけど、これは厳密には「ドイツ王」の選挙ね。

3氏が「最大の僭称がオーストリア皇帝」って言ってるけど、これは不適切。
1806年に神聖ローマ皇帝フランツ2世(ハプスブルク家)が「オーストリア皇帝」を
名乗ったのは、2年前にナポレオンが「フランス皇帝」を名乗って「天は二日を抱かず」
の原則が破れたためと、ライン同盟が成立して神聖ローマ帝国が完全に崩壊したため。

次に「王」。英仏の「王」はここでは置いといて、神聖ローマ帝国内の「王」は
さっきの「ドイツ王」とあと「ボヘミア王」。「ドイツ王」は事実上「皇帝」と同義
だったから、同じ王でも「ドイツ王」と「ボヘミア王」は格が違う。ボヘミアは帝国内で
唯一「王」だった諸侯なんだけど、その理由は割愛。

「プロイセン王」は30年戦争後にできた爵位で、プロイセン(今のポーランド北部)の
領主でもあったブランデンブルク辺境伯(ホーエンツォレルン家)を皇帝ハプスブルク家が
自陣営に取り込もうとして、神聖ローマ帝国の範囲外だったプロイセンの王っていうことで与えた、
ある意味でっち上げ的な王位。

バイエルン王とかザクセン王とかヴュルテンベルク王とかは、ライン同盟でナポレオンから王位をもらったもので、
神聖ローマ皇帝から与えられたものではない。

その次に「大公」っていうのがあるけどこれもまたややこしくて、ハプスブルク家の「大公」とその他の
諸侯の「大公」は別物。
ハプスブルク家の「大公(エルツ・ヘルツォーク)」は14世紀のハプスブルクの君主が自分とこが“選帝候”
に選ばれなかったのが不満で勝手に作った爵位。15世紀にこれは公認されるけど、その時の皇帝はハプスブルク家
の人なんだから当たり前だわね。
その他の諸侯の「大公(グロース・ヘルツォーク)」はライン同盟でナポレオンがバーデンとかヘッセンとかに
与えたもの。

あとの公候伯は、基本的にフランク王国時代の爵位をもとに与えられたその土地その土地固有のもの。
だから、どんなに勢力が強くても皇帝から特別の思し召しが無い限りいつまでたっても「伯」だったりする。


(まだ説明不足だけど)長くなってゴメン。
18名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 02:20
中欧の爵位は難しいよ。

まず最初に「(神聖ローマ)皇帝」。これは原則として「ドイツ王」がなるんだけど、
16世紀まではローマもうでして教皇に冠をいただかないといつまでたっても「ドイツ王」のまんま。
教科書とかで「皇帝の選挙」ってのがあるけど、これは厳密には「ドイツ王」の選挙ね。

3氏が「最大の僭称がオーストリア皇帝」って言ってるけど、これは不適切。
1806年に神聖ローマ皇帝フランツ2世(ハプスブルク家)が「オーストリア皇帝」を
名乗ったのは、2年前にナポレオンが「フランス皇帝」を名乗って「天は二日を抱かず」
の原則が破れたためと、ライン同盟が成立して神聖ローマ帝国が完全に崩壊したため。

次に「王」。英仏の「王」はここでは置いといて、神聖ローマ帝国内の「王」は
さっきの「ドイツ王」とあと「ボヘミア王」。「ドイツ王」は事実上「皇帝」と同義
だったから、同じ王でも「ドイツ王」と「ボヘミア王」は格が違う。ボヘミアは帝国内で
唯一「王」だった諸侯なんだけど、その理由は割愛。

「プロイセン王」は30年戦争後にできた爵位で、プロイセン(今のポーランド北部)の
領主でもあったブランデンブルク辺境伯(ホーエンツォレルン家)を皇帝ハプスブルク家が
自陣営に取り込もうとして、神聖ローマ帝国の範囲外だったプロイセンの王っていうことで与えた、
ある意味でっち上げ的な王位。

バイエルン王とかザクセン王とかヴュルテンベルク王とかは、ライン同盟でナポレオンから王位をもらったもので、
神聖ローマ皇帝から与えられたものではない。
19名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 15:07
つまり格から言うと、
皇帝>王>大公>公>侯>伯>子>男(>准男爵)
となるの?
20名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 15:50
>19
一応そうなる。
でも、英仏は王だけど事実上は神聖ローマ皇帝と対等だし、
神聖ローマ皇帝自体だって、もともとはどっかの公や伯だったり。
21名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 22:05
無位の人でも、武功とかを上げれば
男爵ぐらいにはなれるんですか?
また、爵位を上げていくことは可能なんでしょうか。
22名無しさん:2000/07/28(金) 22:26
>21

中世では騎士見習いに庶民がなることもまれではあるが
あった。しかし、貴族になれるかどうかとなると、かなり
難しいでしょう。
23名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 02:57
>22さん
あ、じゃあ漫画とかで
強い剣士とかが出世して、王女と結婚・・
とか言うあのパターンは無いんですね
野心あふれる下級貴族があの手この手で大出世・・っていうのも
24名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 14:32
周りを黙らせるだけの力があれば可能だろ。
ナポレオンは野心あふれた下級仕官だったんだから。
25名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 17:46
三十年戦争当時、新貴族家が200家ほど登場しました。
戦乱になれば出世も可能です。
イタリアのミラノ公も傭兵上がりの成り上がりのはず。
26名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 22:51
傭兵でも、英雄的活躍をすれば
王様に、「よくやってくれた!そなたに土地の所有と
紋章を許そう。」とゆう感じでですか。
逆に戦争が無ければ出世は難しいという事ですね
27名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 15:16
>20
では、現在のモナコやリヒテンシュタインなど
大公が治めているのに公国というのはなぜ?
それに、その爵位の対象はどこになるの?
神聖ローマ帝国はないし。
2820:2000/08/01(火) 15:07
>27
現在、モナコは公爵でリヒテンシュタインは侯爵。大公はルクセンブルクだけ。
だから
 モナコ公国
 リヒテンシュタイン候国
 ルクセンブルク大公国
になってる。

で、爵位の対象だけど、あえて対象を求めるならやっぱり
神聖ローマ帝国(あるいはライン連邦)になる。
29名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 15:22
ピレネーの山奥にあるアンドラって国は何?
30名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 15:40
アンドラ
政体:立憲君主制
元首:フランス大統領とスペイン・ウルヘル教区カトリック司教の共同元首

1278年以来、フランスとスペインの小都市ウルヘルの司教との共
同主権下で自治が認められてきた。現在でも両国に対して2年ご
とに税金を納めている。

集英社「2000年ワールド・アトラス」より抜粋
31名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 17:30
>30
君主制といいながら、王侯はいないのね?
3230:2000/08/01(火) 18:23
イングランド国王がスコットランド国王を兼ねるように、フランス
大統領とウルヘルの司教がアンドラの君主を兼ねるのでは?

自国の君主が多国の民主主義的な選挙で決まるってのもおもろいな。
33七氏:2000/08/02(水) 02:08
貴族になるには現代ではどうすればいいのかな?
英国とかは有名だけどさ。他の国とかはどうなんだろ。
わが国では無理なのかな?まあ、陛下の臣民にはあまり
なりたく無いが(藁
34名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 06:54
金さえ払えばリヒテンシュタインが爵位や官位を与えてくれます。
35名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 12:33
>33
橋龍が
「再編省庁のネーミングが気にいらんなら、昔の名前に
 してしまえ!検非違使とか」
って言ってたよな。
36名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 13:56
自衛隊員は「防人(さきもり)」にした方がかっこいいと思う
37名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 15:06
>28
でもモナコの元首はレーニエ「大公」だよね。
38名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 15:10
イタリアのど真ん中にあるサンマリノは?
39名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 15:14
>33
現在の日本には貴族はいないので、無理です。
40名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 15:22
>30
たしか1年だか2年ごとに元首を交代すると思ったけど。
41名無しさん@一周忌:2000/08/02(水) 15:42
って言うか、大王とか大帝の「大」ってどういう基準で
つけてるの?
誰が決めてるの?誰か教えて。
4228:2000/08/02(水) 15:59
>37
いや、今のモナコ君主はモナコ公レーニエ3世。
「大公」になってるのは誤植か、「公」より「大公」のほうがカッコイイ
と勝手に思ってるジャパニーズマスコミのせい。

>38
サンマリノは共和国です。中世の昔からあります。

>41
「大王」とか「大帝」っていうのは後世の評価による。
べつにそういう名称の位があるわけではないです。
ルイ14世太陽王って言ってるのはフランスだけだし、
フリードリッヒ大王だってオーストリアから見ればただの悪人だし。
43名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 16:51
ベルギー王家の出自はどこ?
44名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 17:05
現在,世界中の国の中で制度上,皇帝(emperor)がいる国って
日本だけですか?
45名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/02(水) 17:58
俺リヒテンシュタインの男爵だよん〜
46名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 20:38
>43
ザクセン=コーブルク家。
イギリスのヴィクトリア女王の旦那の
アルバート(アルベルト)は初代ベルギー王レオポルド一世の甥。
ドイツのテューリンゲン地方の諸侯だった。
遡ればザクセン選帝候位を持っていたヴェッティン家。
そのヴェッティン家はマイセン辺境伯だった家系です。
47名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 23:02
オスマン帝国のスレイマン大帝なんて
「大帝」って言ってるのは日本人だけじゃないかなぁ。
英語だと壮麗帝(the Magnificant)
トルコ語では立法帝(Kanuni)。
48名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 23:26
>>33

「陛下の臣民」については、たぶん国際的には我々は既にそのように見なされていると
思います


君主国(と言って語弊があるなら、君主のいる国)の国民はみな「臣民」です
49七氏:2000/08/02(水) 23:38
主権在民でも?>48
憲法上日本国民は〜で始まるからやはり「国民」では?
50名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 09:22
>49
でもさ、「天皇」ってEmperorでしょ?
普通はEmperorのいる国が「帝国(Empire)」なんだから、
国際的定義から言えば日本は「立憲君主制の“日本帝国”」が
正しいんじゃないの?
51名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/03(木) 10:18
>50
天皇って皇帝よりは教皇じゃないんですかね?
52名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 10:33
>51
教皇はPope(英語)。
53七氏:2000/08/03(木) 11:07
>50
国際定義というけれど、憲法の無視はできないだろう。
天皇を皇帝とみるのはやはり誤謬があるかもね。俺も
51と同意権でむしろ教皇的だと思う。
天皇は皇帝でも教皇でもなくやはり天皇という概念かもな。
そーいう意味で象徴として考えても、日本は帝國とは言いがたい
だろうね。
54名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 11:41
権威ある国際英語文法機関みたいなところに頼んで
Tennouっていう語をつくってもらえばいいかも。
55名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 13:32
>54
それがいいかも
56名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 13:54
1940年頃まで、公式文書の英訳には "Emperor" と書いてたらしいぞ。
代わりになんと書くようになったのかは忘れたけど。
57名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 14:32
最近はtennouと書いているらしいぞ
58名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 15:07
「tennou」
外国から見れば、これも
「OH NO!ニホンゴ ドクトクノ イイマワシ ネー」
なのかな?

っていうか、中世ヨーロッパの爵位の話はどこ行った!?
59名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 15:08
準勲爵子
60名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 15:58
辺境伯とか自由伯とかいう言い方あるけど、
太陽王とか獅子心王とかみたいな通称なの?
それとも正式な名称なの?
61名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 16:59
>60
辺境伯・宮中伯・方伯・城伯っていうのがあるけど全部正式名称。
「自由伯」っていうのは帝国都市(自由市)のことでしょうか?

辺境伯は名前のとおり神聖ローマ帝国の辺境の伯のことで、
ブランデンブルクやオストマルク(オーストリア)、バーデンとか。

宮中伯(帝領伯)は皇帝の代官職みたいなもので、史上では
ライン=プファルツ宮中伯のみ(たぶん)。

方伯は地元の土着貴族を伯に叙したもの。
ヘッセン=カッセルやチューリンゲンとか。

城伯は城の城主ってとらえてればいいのかな?

帝国都市は皇帝の直轄身分を与えられて、事実上の自治を認められた都市。
62名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 00:53
「アラブ首長国連邦」がEmir-ate(エミールの国)であることに
倣えば日本の英語名は「the Japanese Tennowate」かな。

63名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 04:57
辺境伯ってなんで「伯」なの?
公や候や子や男じゃだめなんですか?
64名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 10:41
「伯」っていうのが「知事」みたいな意味だから。

もともと「公爵」「伯爵」「子爵(副伯)」しかなくて、
公爵は「上級知事」みたいな意味で使用。
「侯爵」は15世紀ごろにできたもので、元の意味は「貴族」。
65名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 14:29
>61
ブルゴーニュ自由伯というのがあったと思いますが。
66名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 14:32
子爵や男爵はインフレの結果なのかぁ。
6761です:2000/08/04(金) 15:32
>65
ブルゴーニュ自由伯・・・?聞いたこと無いです。
68自由伯:2000/08/05(土) 17:25
ブルグント自由伯は正式な称号ではないと思う。
神聖ローマ帝国領のブルグント伯
(フランス王国のブルゴーニュ公とは別)
の領主はいつからかは忘れたけど帝国に対しての義務を免除された。
その意味でブルグント伯領は「自由伯領」と言われたと思う。
つまり「フランシュ・コンテ」。
ただこのブルグント伯領って決行やっかいで領主の称号も
ブルグント伯やブルグント帝領伯などが混在しているから
よう分からん部分も多いよね。
系図は一応分かってるよ。


6968:2000/08/05(土) 17:39
>61
宮廷伯(帝領伯)はザクセンやバイエルン、
ロートリンゲンなどにもいました。
有名なところでは
ヴィッテルスバッハ家が
バイエルン公になる前バイエルン帝領伯でした。
またロートリンゲン帝領伯は
エッツォーネン家やらリンブルク家の先祖やらが
入れ代わり立ち代りなっていました。
でも帝国領そのものが
続々と各領主の世襲領などに組み込まれていったので
消えちゃったようです。


70名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 17:50
>>64
辺境伯が後の侯爵になったと聞いた記憶があるんですが。
71名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 17:55
>70
イタリアのモンフェラート辺境伯とか
マントヴァ辺境伯とか
いつのまにか邦訳だと候になっているよね。
72あやめ:2000/08/06(日) 00:04
>68
フランシュ-コンテは元来ブルゴーニュ伯領であったところですが、ブル
ゴーニュ公領と区別するため「伯領」と特称されていたのです。
13世紀からブザンソンにコミューヌが形成されるようになり、1483
A.D.のサンリス条約でハプスブルク家の領地となりスペイン国王の管理
に服することになったのですが、3年ごとに20万リーブルを納める条
件で自治を維持していました。すなわち「自由な伯領」ということであ
り、「自由伯」という爵位があったわけではないのです。
73名無しさん@2000年:2000/08/06(日) 17:01
英国以外の欧州貴族について、
まとまった日本語の文献があるでしょうか。
英国については割に出ているけど……
74名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 18:47
こんなとこ、どうでしょ?
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/index.html
75名無しさん@2000年:2000/08/06(日) 19:07
>74

さっそくのご教示、感謝します。
なるほど、色々調べてる人って、いるものですね。
7668
>72
勉強になりました。ありがとう。
ついでに聞いちゃいますが
ブルグントの伯と帝領伯は称号的にはどういう関係なのか
知ってたら教えてください。
イヴレア辺境伯からの家系までは
ブルグント伯なのに
シュタフェン家になってからはブルグント帝領伯になってます。
それからイヴレア家系の男系の分家のシャロン家でも
ジャン赤伯(老伯)が
ブルグント伯を名乗っていたようです。
これも??なので知ってたら教えてください。