16世紀末最強の軍隊は?

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1名無しさん@1周年
他の板の文禄・慶長の役の話題の中で16世紀末の日本武士団の陸軍力は世界最高レベルだという話がでたのですが、実際のところどこの国の軍隊が強かったのでしょうか?
いちおう条件として16世紀末の陸軍のみを対象として下さい。
また、スペインのテルシオが最強という見解もでているのですが、これについては私はよくわからないので具体的な戦果などあれば教えて欲しいです。
2補足:2000/07/12(水) 22:45
スペインのテルシオは世界最強ではなく欧州ではという意味でした。
3名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 22:49
まあ佐藤大輔の「信長征海伝」でも読んで自分で判断しなさい
比較しようが無いナリヨ
4オーソドックスに:2000/07/12(水) 23:16
常識的に考えたら、オスマントルコでしょ。
5>4:2000/07/12(水) 23:28
手元の本にはイェニチェリが当時世界最強なんて書いてありました。
でも、どういうふうに世界最強なの?
強烈な火力でももってた訳?
6名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 23:38
>5
そだね。火薬の威力が大きかったな。あとはイェニチェリが
スルタンに忠節無比の軍隊で結束力があったことかな。
欧州の連中がトルコのあまりの強さに憧れを抱いて
劇曲化した(例:トルコ行進曲)のは有名だね。
ちなみに私は4じゃありませぬ。
7名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 23:47
http://thor.prohosting.com/~jpn115/5/Ottoman.htm
ここによるとイェニチェリは銃器類を好まなかったとあるけど。
おもに軽装騎兵による突撃、個人的戦闘能力の高さがウリみたい。
軽装騎兵がメインだと日本武士団の集団鉄砲戦術に対してかなり不利なのでは?
8名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 23:57
>1529  第1次ウィーン包囲
> 2万4000の兵と砲30門、ドナウ渡河用の舟800艘を用意して、ウィーン攻略に向かうが、大雨で地面はぬかるんだため大砲の威力が発揮できず、失敗。
> それでもこの事件はヨーロッパ世界を震撼させた。

1529に大砲を30門もってんなら火力はかなりのもんじゃないの?
このころの日本じゃ大友宗麟が国崩をいくつかもってたくらいだからね。
まぁナポレオンのように大砲を有効に使った戦術が確立されていたかは疑問だから戦局を左右するほどの力があったかはわからないけど。
9名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 00:49
>7
そこの人はオスマン史知らないんだろう・・・
イェニチェリはオスマン帝国常備歩兵軍のこと。
他にも中央に常備軍として砲兵や工作兵をこのころには持っていたらしい。
このほかにもオスマン帝国は遊牧騎兵軍や在郷騎士軍を抱えていた。

イェニチェリ、というよりオスマン帝国歩兵軍は
15世紀のうちにもう火器の携行が始まっていたはず。
1453年のコンスタンチノープル攻略戦でも
ハンガリー人ウルバンの作った巨砲で城壁を崩したという話だし、
16世紀初頭のオスマン軍対サファビー朝ペルシア帝国が激突した
チャルディランの戦いでも遊牧民騎兵(サファビー朝軍主力)を
オスマン軍の火器が徹底的に破っている。
また、明清交代期あたりの中国で中央アジア経由で入ってきた
オスマン帝国式の火器
「魯迷(ルーミー、アラビア語で「小アジアの」という意味)銃」
が使われていた。

まあ、もっともそんなオスマン帝国軍も
16世紀末頃から17世紀にかけて
在郷騎士軍の崩壊とイェニチェリの世襲化による弱体化で
軍事的に劣勢になって、ハンガリーとか喪失してるわけで、
少なくともヨーロッパにおいてはテルシアより弱かったんじゃないかな。
10名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 01:14
>7さん
このHP書いてる人、あんまりトルコとかモンゴルとかに
いい印象持ってないみたいですね。(^^;
トルコ人が親日的なのは、ロシアの南下政策でトルコが圧迫されてる
時に、日本が日露戦争とかしたからだとおもう。
決して、時代劇みたからではないとおもいますが。
東郷平八郎が事故に遭ったトルコ海軍の軍艦をすくったとかいう
話しもあったとおもうし(うるおぼえなんっすけど(^^;)。
もしくは、日本人にモンゴルが好きな人が多いってのと同じように
特に理由はないけど、とにかく「好き」ってのか・・・

15〜16世紀のトルコ陸軍って火力も指揮系統もかなりのもんだとおもうけど
万単位の常備軍を持ってるってだけでもすごい。
大砲も、結構数持ってるしイタリア式築城術とか普及して
それほど効果をあげなくなってたとしても、攻城戦には必須だったはずですし。
11名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 01:35
じゃ16世紀末って事に限れば
オスマントルコ≒スペイン>>他のヨーロッパ諸国>>>日本>>明>>>>>>>>>>>朝鮮
こんな感じ?
12名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 01:47
アクバルのムガール朝の強さはどれくらいだと思う?
13名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 01:50
>10さん
>東郷平八郎が事故に遭ったトルコ海軍の軍艦をすくったとかいう
>話しもあったとおもうし(うるおぼえなんっすけど(^^;)。
あー、ごっちゃになってますね・・・
東郷平八郎は日本海海戦の立役者、ということで
トルコで有名になっただけです。
軍艦を救った・・・っていうのは明治時代に
日本にまで使節としてやってきていた戦艦エルトゥルル号が
帰路、和歌山沖で遭難したときに周辺の漁師さんたちが
救助を行ってのちのちまで感謝されたって話ですね。
1410:2000/07/13(木) 02:06
>13さん
ご指摘ありがとうございます(^^
めちゃくちゃごっちゃになってますね
ってか、恥ずかし!僕(^^;
15名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 03:28
国力考んがえたら、大量の軍隊投入できる
トルコほうに分がありそうだし
同数の軍隊が戦うとしたら、火器の性能のいい
スペイン等のヨーロッパ諸国に分がありそうなんだけど
どうでしょう?

これに戦闘の行われる場所のこと考えると・・・
もうわかんないです
16名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 06:41
テルシオは、数も計算に入れれば欧州最強だけど、同数なら16世紀末のマウリッツ・モデルの方が強いでしょう。
テルシオがマウリッツ・モデルに負けたことでオランダが独立できたわけですし。
で、数も計算に入れれば、やっぱり歩兵部隊(ザコだが巨大なキリスト教兵部隊と、超精鋭のイェニチェリ軍団)だけでなく、強大な騎兵部隊や砲兵部隊も抱えたオスマン軍の方が強いでしょう。
ヨーロッパは後にレパントの海戦でようやく勝てたわけで、陸戦ならオスマンは16世紀中は無敵だと思います。
特にスレイマン大帝が健在のころなら、一度や二度の会戦に負けても、凄まじい回復能力でいくらでも失地回復できたでしょう。
WW2のアメリカやソ連と、日本やドイツの差みたいなもんです。

16世紀日本の軍隊に「最強」と言える面があるとすれば、トルコ軍にせよテルシオにせよマウリッツ型にせよ、その一般兵士は概して戦意に乏しく(傭兵や徴用兵ですから当然ですが)、後ろから監視していないとすぐ逃げ出そうとする程度の兵士だったことですね。
こういう兵士で構成された軍隊は、いったん不利になると一気に崩れます。
戦況が不利になっても、監視されていなくても決して逃げない、敵の銃火を浴びて戦友がバタバタ倒れても抜刀突撃できる兵士で全軍が構成された軍隊は、欧米ではアメリカ独立戦争やフランス革命戦争でようやく成り立ちました。
最強の兵士とは、「国民兵」のことなのです。
日本という国の奇妙なところは、「国民兵」では無いにも関わらず、「国民兵」並みのモラルを持った兵士が存在したことです。
欧米人はこの民族の特異な兵士の存在に驚き、こう呼びました。
「サムライ」と。
欧米人が「サムライ」を珍重するのは、それなりの理由があってのことなわけです。
1716:2000/07/13(木) 07:14
というわけで、16世紀日本にはまともな騎兵部隊や砲兵部隊はなかったので、世界最強とは残念ながら言えないでしょう。
歩兵部隊のみに限れば、火兵戦も白兵戦も確かに最強だったかも知れません。

でも歩兵部隊だけで勝てる局面というのも少ないんですよね。
平原での会戦なら騎兵が無ければ勝てないでしょうし。
攻城戦なら(攻めにしろ守りにしろ)砲兵が無ければ勝てないでしょうし。
レパントみたいな海戦なら倭寇は一見強そうですけど、ガレー船の航海技術が必要ですし。

日本武士団が絶対勝てる局面というのは、騎兵の大規模な運用がしにくい山がちな地形での、小部隊でのゲリラ戦でしょう(笑)
広い平原や城攻めではおそらくヨーロッパ人や騎馬民族の軍隊には勝てません。
なるべく城を建てず、山に篭もり、期を見て騎兵をまとめて敵の要所に突撃させるというのが、日本武士団の戦闘能力を最大限に発揮する戦法でしょう。
ここまで書いて驚いたのですが、↑って戦国最強と言われた甲州武田軍のことですね(笑)
信玄に率いられた武田軍は本当に世界のどの国の軍隊と戦っても負けなかったかも知れないと思います(上杉軍を除く)

尾張兵三人が三河兵一人に匹敵。
三河兵三人が甲州兵一人に匹敵。
というのが通説だったそうですし。
18名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 17:21
ムガル朝の軍組織の詳細は誰か詳しくありませんか?
19>16:2000/07/13(木) 17:28
そんな芸当ができるのは侍のなかでも薩摩兵ぐらいなのでは?
20名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 17:54
俺もムガールのこと知りたい。
それと明は弱かったか知らんが当時の満州の軍はどうだったんだ?
21あやめ:2000/07/13(木) 18:01
十六世紀最強の軍隊はどこか?
宮本武蔵と柳生十兵衛とが試合したらどっちが勝つかみたいな話に
なってしまわざるを得ないので、多少いいかげんな説でもいいかなと

>1
>文禄・慶長の役の話題の中で16世紀末の日本武士団の陸軍力は
>世界最高レベル
ということなのですが
海音寺潮五郎の随筆に朝鮮出兵の日本軍が当初は半島を席捲する勢いで
あったが、明軍が出動するに及び「武辺てごわき唐人かな」と舌を巻い
たという話が出てたのを記憶しています。これが何という史料に載って
いたのか海音寺氏は語っていませんが、恐らく当時の将兵の偽わらざる
実感であったでしょう。
碧蹄館で敗れるまで明軍は日本軍を押し捲っていたのです。では当時の
明の軍隊は総体に強かったのか?そうではないのです。
このときの明軍の中核は李如松の手兵です。彼の父李成梁は今の遼寧省
において、清朝の前身である建州女直を控制する大軍事勢力を確立して
いました。彼の軍隊は選鋒軍という家丁により構成されていました。家
丁というのは主将が自腹で養成した子飼いの兵です。李如松が朝鮮で率
いていたのもこの連中だから命を惜しまず前進したのです。
清末の郷勇とも性格を異にしますが、官僚制的軍隊でない人的結合を基
盤とした兵制は精鋭を生むもののようです。
22名無しさん:2000/07/13(木) 18:07
>19

そうでもない。高橋紹運の岩屋城での壮絶な最後や、戸次川の合戦での
長曾我部・十河の部隊、伊達政宗の摺上原の戦いなど、覚悟を決めたときの武士たちの
戦い振りは凄まじい。上記の場合は指揮官が有能だったこともあるだろうが、
一般的に兵卒の質はきわめて高かったように思う。
23名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 18:26
ヨーロッパ諸国の兵の動員力はどれくらいだったのですか?
日本では政治状況を無視すれば、秀吉の動員した30万人+徳川兵
ですよね?数的には相当なものだと思いますが。
24>21:2000/07/13(木) 19:53
あやめさんの投降を見ると明もなかなかに強かったみたいですね。
どうしても日本人的には泗川の戦いの激勝があるもんで、明ってよわ〜いってイメージがあるんですけどねぇ。
25>22:2000/07/13(木) 19:57
でも兵卒の質高そうなところって土地の痩せた動員力なさそな場所ばっかですね。
狭いコミュニティだから結束力が高まるのかな?
26名無しさん:2000/07/13(木) 21:40
22>25

それは言えてるかも。(笑)
大阪なんて、第二次世界大戦のときでも、日本最弱連隊の
誉れが高かったみたいですから。

ただ、後北条氏は肥沃な関東平野を支配していたけれども、
兵員の質は高く、一般の農村から徴用された兵士たちも、
後北条氏に最後まで付き従った。
この場合は施政者の魅力だろうか。

27名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 23:19
アクバル時代のムガル朝って言われても
マンサーブ制によるムスリム・ヒンズー教徒混成在郷軍人軍、
ということしか知らない・・・

このスレッドを眺めて気付いたのですが、
近世アジアの「帝国」の軍隊って、
有力軍人が君主の権威を借りた在地支配をもとに家産的軍事力を持って
国家軍隊を形成する、というパターンがあるようですね。
明、ムガル帝国、オスマン帝国がそうだし
日本の織豊政権や幕藩体制もそういう文脈で理解できないでしょうか。
無茶な考え方だとは思いますが。
28名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 00:07
>26
帝国陸軍最弱は東京の近衛師団では?
29名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 01:06
>ヨーロッパ諸国の兵の動員力はどれくらいだったのですか?
>日本では政治状況を無視すれば、秀吉の動員した30万人+徳川兵
>ですよね?数的には相当なものだと思いますが。

えっと、手持ちの本によりますと
「1552年カール5世の相談役が計算したところ
 皇帝軍はドイツとネーデルランドに騎兵2万2200、歩兵8万7000
 このほかに、ロンバルディアに配置した兵2万4000あまり
 さらに、ナポリ、シチリア、スペインに少なくとも1万5000いたから、
 総勢14万8200の兵力だった」とあります。

この数字がどの程度信用できるのかはわかりませんが。


30名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 03:07
そこそこ信用できるとおもいます。
カール5世はハンガリーでの対トルコ戦に10万(対峙しただけ)、
メッツ攻囲に15万(失敗)、動員しています。
ただ、ハプスブルクの皇帝のために命を投げ出して戦う兵が何割いるか
怪しいところですが。
31名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 03:21
30>29です、失礼。
それと、他のヨーロッパ諸国はフランスでも皇帝の半分以下です。
17世紀の30年戦争の頃は平均15万前後になったようですが、
グスタフ・アドルフは18万動員してスウェーデンを飢餓地獄に
陥れています。
32名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 13:06
>30さん
グスタフ・アドルフ時のスウェーデン北部のビュグデオ教区は
1621年から1639年までの間に230人の若者をポーランドとドイツに
送り込み、うち215人が戦死、生き延びた15人のうち5人は、身体に
重い障害をおった。
結果、この教区の成人男子人口は1621年の468人から1639年には
288人となったそうです・・・。40%あまりも減少しています。
これが、ほぼ全国規模で行われたらしいので・・・
・・・そりゃ、飢餓地獄にも陥りますね。


33名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 16:20
軍事板にスレ立てて聞いてみたら。
34名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/17(月) 01:25
とりあえず、動員能力じゃアジアの方が一歩上でしょ。
米作と麦作では、収量が米作の方がおおきいので、
余剰分が、兵士を支えるのにまわりますし。
三国志の時代の中国では100万とかの大軍を動員したりしてましたし。
まあ、それが、号するってなってたという点を考慮する必要がありますけど。
それでも、10分の1の10万はいってたでしょう。
そうなると、より技術の進んだ16cだと、
動員能力はそれなりに高かったと思われます。
35名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 13:04
明時代の中国の全軍は、いったいどのくらいだったんだろうか。
日本は総動員すれば50万以上いたと思うが。

36名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 13:14
>17

武田の騎馬隊(実在を危ぶむ意見もありますが)や、奥州の南部、伊達などの
騎兵部隊(こちらは確実に実在)、17世紀初頭になりますが、
真田の大阪の陣での騎馬による一撃離脱戦や伊達の騎馬鉄砲隊などは、
当時の諸外国の騎兵部隊と比較した場合、どうでしょう?

攻城戦については日本は確かに他国に劣ってるようにも思いますが、
城攻め自体はかなり行われていましたよね。
大砲などの重火器は確かに使用頻度は少なかったですが。
37>33:2000/07/17(月) 13:29
軍事板でこういうのに興味ある人ってどっちにしろここに来てるんじゃ?
38名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 15:06
>36
日本の騎馬は突撃は得意そうですが、擬似敗走などで退却
その後、敵をおびき出して包囲して突撃等の戦術を駆使してくる
騎馬民族系の騎兵には劣るのでは?と思います。
山がちな地形で戦えば日本騎馬にも勝ち目はありそうだけど。
日本の馬って山道を走るのに適してたらしいですし。

また、騎馬鉄砲隊ですが、17世紀ごろのドイツの騎兵は
鉄砲等で武装して遠距離から撃ち合うのを好んだそうですが
それほど効果が無かったそうです。実際グスタフ・アドルフなどは
騎兵に剣で斬り込むという訓練をさせていました。
両者がどのように運用されていたのか、わからないので
ちょっと比較しようが無いんですが(^^;
39>36:2000/07/17(月) 16:08
>当時の諸外国の騎兵部隊と比較した場合、どうでしょう?

これは比較が難しいですね。
「諸外国」と言ってもハプスブルグ家やフランス王家、プロシアなどの騎士団はあまりにも規模が違い過ぎ比較の対象にすらならないでしょう。
宮城県の県予算とフランスの国家予算を較べるようなものです。
比較なら神聖ローマ帝国かイタリアあたりの小領主が抱えている騎士団や、傭兵部隊なんかが対象でしょうか?
でもこのあたりの情報をどこで入手したらいいのかすらわかりません(汗)


>攻城戦については日本は確かに他国に劣ってるようにも思いますが、
>城攻め自体はかなり行われていましたよね。

16世紀日本の攻城技術に世界に通用するモノがあるとすれば、それは坑道掘削でしょう。
塩野七美の「コンスタンチノープルの陥落」「ロードス島攻防記」という攻城モノの小説では、トルコ軍は鉱山人夫で編成された坑道掘削部隊で城壁を爆破していますが、これは大砲と同じくらい有効な破壊法に見えますね。
確か日本にも坑道掘削による攻城戦はあったはずですし、16世紀日本なら坑道掘削の技術者には事欠かないでしょう。
大量の火薬さえ用意できれば、そこそこ攻城戦も戦えたかも知れません。

でもやはり大砲が無いと苦しいですね。
大筒でしたっけ?巨大な火縄銃を大砲のように使ったそうですが、やはりそれは日本の天守閣ならともかく大陸の城砦には通用しないでしょう。
40名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 17:49
オスマンの弾薬携行量って何会戦分くらいが普通だったのでしょう?
41名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 18:28
日本の騎馬は突撃は得意そうですが、擬似敗走などで退却
その後、敵をおびき出して包囲して突撃等の戦術を駆使してくる
騎馬民族系の騎兵には劣るのでは?と思います。

この戦法、島津の常套手段だったと思います。
42名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 20:57
馬だけで構成された遊牧軍団と
騎馬を中心に歩兵もおりまぜた日本式軍団を
同列に比較できるわけなんてないでしょう・・・
「井伊の赤備」の復元図を見たことあるけど、
騎馬のほかに槍や鉄砲、さらに長持まで入れて
1セットの部隊を形成してるんだよね、
戦国時代最末期期の軍隊である彼らですら。
43名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 21:06
>42

混成部隊ですか。まあ、日本人の感覚としてはそっちのほうが
当たり前でしょうね。
中国などもそうだったんでしょうね。
44>41:2000/07/17(月) 21:16
「釣り野伏せ」戦法ですね。
耳川合戦や沖田畷の戦いが有名ですね。
4541:2000/07/17(月) 22:09
たしか、戸次川の合戦もそうだね。>44
46名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 00:53
なんか結論でそうにないね。(苦笑
47名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/18(火) 01:33
戦場を限定しなければ、やはり明では?
動員できる兵士の量が違いますから。
一人一殺で戦えば勝てません?

兵卒の能力なら武士もなかなかかな?
4838:2000/07/18(火) 02:40
>41
島津って歩兵中心で騎馬がほとんどいなかったって聞いたことが
あるんですけど・・・
ちょっと調べてみたんだけどわからなくて(^^;

>46
結論でないでしょうねー
でも、結論を出ないことでもあーでもないこーでもない
ってしゃべるのもまた楽しかったりするんですね(^^
49>47:2000/07/18(火) 05:20
しかし明は愛新覚羅に滅ぼされちゃったよね。
ということは満州が最強かな?
50名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 09:14
サルフの戦いは17世紀だからダメーってことはないですね。
51名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 09:20
16世紀末から17世紀初頭ってことでいきましょう。
5247:2000/07/18(火) 13:12
>49
清が明を滅ぼしたといっても、
明側は将官の裏切り者続出、亡命政権の乱立と
戦場に立つ前に負けてますからねぇ。
純粋に軍隊の能力での優劣はどうなんでしょ?
53名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 16:40
>52
明は清の攻撃が始まる前に李自成の攻撃で崩壊していますね。
この李自成政権を確か2ヶ月で破ったのが清。
この大混乱の最中、各地の王族が明の復興を掲げて挙兵。
各地の政権を破壊したのが清ということですが、
実は満州人が戦った戦闘は少ない。
何故かというと当時北京が李自成によって陥落したとき、
去就を決めかねていた山海関に詰めていた明軍最強部隊が
そのまま清側に降伏(本当は共同作戦のつもりだった様だが
結局は足下をみられて臣下になった)。
この部隊が先陣を切って南下し、そのまま旧明の領土を支配下においた。
この清側に協力した有力な漢人武将はそれぞれ藩王として各地に配置された。
しかし後に確か3人の藩王が反乱を起こし、清軍は各地で破られたが、
明確なビジョンがなく、藩王も高齢になって覇気もなかったため、
最終的に清軍にうち破られた。
こう考えると明を攻撃していたときの満州族は大して強くないといえます。
54名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 18:49
騎兵がやたらつよいって説が出てますけど、どうでしょ。
本当に、強いのは諸兵科混合のではないでしょうか。
16cには方陣っていう思想がなかったので
騎兵の衝撃力には対応のしようがありませんでした。
しかし、ある一人の天才が銃兵による方陣の使用を思いついたら・・・
って事も考えられますし、
16c末には、重装槍兵によって軽騎兵の威力も軽くなってきてます。
そして、方陣を破るには、重砲などによる遠距離射撃によります。

本当に強い軍隊というのは、
バランスの良い編成で、
なおかつ、優れた指揮システムをもった国ではないでしょうか。
でないと、いくら兵力が多くても、烏合の衆となったり、
単一の兵科に蹂躙されてしまったりしやすいです。
55名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 00:16
騎兵ってのは、使い方が難しい。
56名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 00:23
やはりイエニィチェリが最強なんじゃ?火薬技術の発達からしても
やはりオスマンなんじゃ、ないかなあー?
57名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 00:34
>56
イエニィチェリそのものというより、
イエニィチェリを後に従えたギリシアやブルガリア兵がある意味最強かな?(笑)
58名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 00:36
詳しくぎぼーん>57
59砲兵って・・・:2000/07/19(水) 01:28
城に篭ったりして戦うには火砲は攻防どちらにも有効だけど、運動戦みたくなった時の展開力の無さは欠点になるのでは?
あと補給も大変だし。
60名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 05:32
動員力ならアジアが桁違いだし、攻城戦ならヨーロッパにイタリア式
築城術が登場しているので比較にならない。
つう訳で、数を考慮しない一個軍団・野戦限定ってのはどうですか?
それなら島津軍だと思うんですが。
61名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 09:15
イエニィチェリ→イェニチェリ(Yeni Ceri)
62名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 09:26
ついでに言うと16世紀末にもなれば
所謂「オスマン帝国の衰退」が始まっていて、
イェニチェリなんか土着・世襲など制度の形骸化による
弱体化がいくらか起こっていたはず。
6357:2000/07/19(水) 14:33
>61
やっぱイェニチェリだよね。
前の方で堂々とイエニィチェリって書いてあったから
感化されちゃった。ハズイ・・・

>58
ギリシア人たちにとってイェニチェリは友軍ではありません。
逃げようとしたり、彼らに抜かされたりすると殺されます。
つまり、常に背水の陣を引いてる懲罰大隊みたいなもんです。
前に進まないと自分が後から殺されます。
もちろん、降伏なんか出来ません。
あ、でもこれって15世紀の場合かな?
6461:2000/07/19(水) 15:37
>63
出典は?
>あ、でもこれって15世紀の場合かな?
まあ、16世紀にもなるとギリシア・ブルガリアあたりは
封土制が行き渡ってオスマンの「内地」になっていたはずだから、
そういう状況ではなかったでしょうね。
65名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 18:54
明軍の最大の弱点→まじめに戦う気がナイ。
66>60:2000/07/20(木) 01:00
島津軍は確かに強かったと思うけど、
最強じゃ無いでしょ。
おもうに、火器装備率−とくに野戦における
大砲の機動的運用が全くなかったです。
そういうことを考えてみたら、
スペイン・ハプスブルグ家の正規軍(テルシオだったかな?)が
同じような兵力で会戦があったときは最強では?
67名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 01:18
おや、元に戻ってきた・・・。

>スペイン・ハプスブルグ家の正規軍(テルシオだったかな?)が
>同じような兵力で会戦があったときは最強では?


68名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 01:33
それならやっぱりマウリッツのオランダ軍も捨て難い。
69名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 03:41
63さんじゃないんですけど・・・

>64
塩野七生の小説に書いてありましたね、イェニチェリが脱走兵の
監視にあたってたとしてもおかしくは無いと思いますが

個人的には、同数ではやはりナッサウ伯マウリッツのオランダ軍が
強いと思います。
1599年に、オランダ全野戦軍に、同じ大きさ、同じ口径の武器を
装備する費用を議会に承認させたり、
軍事教練に図解いりのマニュアルと導入したりと、結構革新的なことを
していますし。
オランダの軍事教育の専門家がいろんな国に招かれてるのも
16〜17世紀のオランダ軍が優れていることを証明してると思います。

たしか、マスケット銃兵が何段にもわかれて斉射をくり返す戦い方も
マウリッツのいとこがマウリッツに当てた手紙で書いたのが
ヨーロッパでの斉射射撃の始まりだったと記憶していますが
7064:2000/07/20(木) 04:35
>塩野七生の小説に書いてありましたね
塩野七生じゃあねぇ・・・
オスマン帝国軍は、成立当初の14世紀はじめごろから
近隣のキリスト教君主と同盟したり
あるいは主従関係を結んだりして共闘していたことが
年代記から明らかになっています。
「異教徒に抑圧されて嫌々戦場に赴かされるキリスト教徒」
というイメージはちょっと違うんじゃないかな、と。
71名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 07:41
>59
射石砲など攻城砲は歴史は古いですが、発射速度の高い野砲が
登場するのは30年戦争の後で、それまでは野戦の兵器としては余り
効果的ではなかったようです。

>69
>マウリッツのいとこがマウリッツに当てた手紙で書いたのが
>ヨーロッパでの斉射射撃の始まりだったと記憶していますが

そのようですね。ローマの重装歩兵が槍を投擲、前進して
また槍を拾って投擲という戦術にヒントを得たようです。
(「ガリア戦記」の中にそのような記述が見受けられます)

ちなみに、16世紀のマスケット銃の発射速度は2分間に一発
といった速度だそうですので、敵の突撃には弱かったでしょうね。
(七年戦争ごろのプロイセンの擲弾兵は1分間に3斉射できたそうです)
7257:2000/07/21(金) 13:10
>64
スマン。前述の通り塩野だった・・・
どうも記憶がごっちゃになってるな。
なかったことにしてくれ
73名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 15:31
取り合えず話を聞いていると、最強の軍隊のふぁくたーは
1)戦術
2)士気(傭兵か国民兵か)、民族構成
3)動員可能兵力
4)火器能力
5)(経済力)
あたりが重要なんでしょうか。

この4つで比較すると、
スペイン軍は総合的に強いが、如何せん経済力が弱い。
トルコ軍は火器が強く兵力も多いが、正規軍以外は士気が低い。
オランダ軍は総合的に強いが、動員兵力に劣る。
明軍は兵力は多いが、士気が低いし火器が弱い。
日本軍は士気が高く動員兵力も割と多いが、火器が弱く戦術能力に劣る。

こうやって考えると、どの軍隊も欠陥だらけ(笑)のような気がしてきますが・・・
防衛戦のみという点を考慮すれば、オランダ軍ではないでしょうか?
74名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 16:53
塹壕と機関銃の登場までは、3倍の兵力があれば野戦はほぼ勝てる状態だったから、どうなんでしょう、オランダは兵力少なすぎだと思うが。
7570:2000/07/23(日) 19:56
>トルコ軍は火器が強く兵力も多いが、正規軍以外は士気が低い。
いや、だから16世紀末から17世紀頃の
オスマン帝国(「トルコ」ではない)軍は、
中央の常備兵と地方の封土騎兵の制度が全国的に行き渡ってて
従属勢力なんてヨーロッパではトランシルバニア侯軍、
アジアではクルドやアラブの部族くらいしかなかったんだって・・・
ただし、この時代のオスマン帝国の軍事的後退は明らかだし、
その原因は封土騎士制やイェニチェリ制の形骸化であると考えられる。
そう、むしろ精強を誇ったはずの正規軍が弱体化していたのです。
76名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 00:00
>66
野戦での火砲の機動的運用なんて、当時、どれだけ効果があったのだろう。
遭遇戦にあって、馬匹による牽引、照準、組織的な砲撃の一連の
運動をこなせるのか疑問なのだが、戦例はあるのでしょうか。
火砲の進化は城攻めにあるので、野戦となると話は変わるのではないかな。

>73
日本の鉄砲保有量とマスケット銃としての性能の高さ考えると弱いとは
いえないと思うぞ。
77名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 00:14
結論
日本=トルコ=ムガル>スペイン>欧州諸国>明
78名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 13:37
おもしろいから
あげ
79名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/30(日) 15:38
アムリッツ、じゃなくてマウリッツ伯の考案した統制射撃が欧州の実戦で使用されるには
グスタフ・アドルフの登場を待たねばなりませんでした。長篠の方が早い。

16世紀末から17世紀初頭なら全欧州より日本一国の方が鉄砲の保有量は上では?

騎兵だけならポーランドの翼付きフッサールが最強でしょうか?
ポーランドは騎兵に命かけてた(日本の戦艦大和みたい)。
80名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 23:42
そして歩兵を軽視して露、普、墺に分割されちった。
81名無し:2000/08/02(水) 01:18
まげ
82名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 14:14
>80
いや、そうじゃないよ。ポーランドの国力が衰退したのは、王朝が断絶して
王様がシュラフタ(英国のジェントリみたいなモンだ)の未熟な選挙制で
選出されるようになったために利益誘導型の政治体制になったのと
スウェーデン継承戦争などの対外戦争が続いたために結局最後には
国庫が払底したためだ。戦闘形態とは関係ないよ。
ヤン三世ソビエスキはウィーン(そしてヨーロッパ世界)を救ったり
奥さんと家族を大事にしたり、俺は大好きなんだけどな、ただ戦争をやりすぎた。
ポーランド軍はグルンヴァルドでドイツ騎士団を殲滅してからは
16世紀まですっとヨーロッパ最強の軍隊の一つとして君臨していたのに。
83名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 14:32
ポーランド人って図体すごくでかいからな。白兵戦ではムチャクチャ強そうだ。
平均とったらスウェーデン人なんかよりはるかに大きいかもな。
8480:2000/08/02(水) 16:45
なにも軽視したから分割されたとは書いてないが?
85名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 22:45
明の将軍の記録が残ってますよね。
良く覚えていませんが、日本軍の「寡にして衆を制する」
(小数の兵で多数の明の軍隊を制する)
能力の高さに舌を巻いている様子が書かれていました。
小銃をつかって機動戦を行なう日本軍には手が出なかった
らしいです。まあ、良く考えれば、その直前まで当時、世界最大規模の
内戦をやっていたわけだから経験が違うっていうのもあるだろうし。
それから、当時の日本の小銃の能力は世界一だったと聞きます。
86>85:2000/08/03(木) 08:22
軍事板から来たものですが。
小銃の能力は確かに世界一かそれに近い状態でしたが、それ以上に重要なのは
小銃の生産能力と保有量です。
戦国時代と言う小銃を必要とする状況と、元々あった技術レベルがあったから
ですが、僅かな期間に全ヨーロッパに匹敵する量の小銃を生産・装備できた
当時の日本の国力は凄かったとは思いますね。

あ、ただ自分はモノとしての銃を知っているだけのマニアですので、戦術その他
については詳しい人のツッコミを希望します。
87名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 09:21
こうしてみると、>>1の、「日本武士団最強説」は、
やはりあながち間違いとは言いきれないんだな。
88名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 12:41
>82、83
ポーランド人とドイツ人とイギリス人とイタリア人の甲冑を博物館で
見たことあるが、ポーランド人の甲冑は、ホントに人間が入ってたのって
ぐらい大きかった。

銃が広まって、国力を競う総力戦になっていったんだろうなあ、あの時代は。
金が全てか…
89名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 13:28
金といえば、16世紀の日本の金の産出量は世界の4分の1、銀は3分の1を占めていて
かなり経済力と言う点ではかなり優れていたように思います。
90名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 14:07
>87

うん、そう思う。特に起伏に富んだ地形の場合、
最強といってもいいんじゃないだろうか。
ただ、外国に侵略するのに適していたかどうかとなると、
また別問題だけどね。社会構造の問題とかあるからさ。
結局、秀吉の朝鮮侵略の失敗も、その辺が主たる要因だった
ように思うんだが。
91名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 15:19
たしかに、ポーランドの騎兵の強さは有名だね。

あまりに強すぎた為、ナチスのポーランド侵攻当時も現役・・・
92名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 15:58
>91
もちろん現役じゃなかったけど、ヴェステルプラッテにドイツ軍がいきなり
侵攻してきたとき、ポーランド軍守備隊は圧倒的に少数ながら予想外に長い時間
持ちこたえて電撃作戦の先陣をきる現場のドイツ軍司令官に実際随分冷や汗を
かかせたみたい。ワルシャワ蜂起でもそうだったが、一人一人の兵士の質は
ムチャクチャ高かったようだ。だが、いかんせん国力が違った。
93名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 20:02
日本は火砲が乏しいのはつらいよね。
城攻めだとトルコあたりに劣るんじゃないだろうか?
94名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 11:49
82に補足すれば、当時のポーランドはシュラフタの議会が強すぎて王様の
内政に関する権限が弱かった。ソビエスキは素晴らしい軍人だけど、
やはり内政に関しては調整型、まるで日本の首相のような役割だった。
そして有力なシュラフタは自前の軍隊をもち、常備軍としての
ポーランド統一軍にはあまり協力的でなかったので国庫自体はいつも火の車だった。
そのうえ彼らは自分への利益誘導のため、ロシアやザクセンなどの有力な隣国の
後ろ盾を求めた。これを債権化したそれら隣国の陰謀によって後の
ポーランド分割が行われた。こういう感じ。
でも、ポーランド衰退の遠因は、14世紀のカジミェシュ大王に嫡男がいなかった
ことだと思う。彼には男の子がいたが、ユダヤ人の恋人との間に生まれたので、
ユダヤ人として扱われ、王位継承権は無かったし、ハンガリーに嫁いだ娘が
生んだ孫(男子)にはポーランドの王位継承権があったが、ハンガリーで育った彼は
すでに外国であるところのポーランドで王位を継ぐつもりが無かった。
カジミェシュに嫡男がいたとしたら、後にスエーデンにつけこまれることも
なかっただろうし、むしろヨーロッパの歴史は大きく変わっていたとおもう。
95名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 13:17
前々から思ってたんだけどさ、上杉謙信やら伊達やら、あるいは
九州のほうの騎兵って、ヨーロッパの騎兵とはなにか根本的に違う
部分てあるの?
戦術面での使用目的がぜんぜん違うとか、もっと本質的に馬がちっちゃ過ぎて
ほんとは突撃なんかできなかったとか、平地よりも山道のほうが速く走れた
とかの性能面での違いとかさ。でも小さくても、蒙古馬にのるモンゴル兵は
最強の軍隊として、長いことその威力を恐れられてたよね。
今一つピンとこないんだよね、日本の騎馬の本当の姿ってやつが。
俺がイメージ的に持ってるのって、ヨーロッパの騎兵のそれだから、
本来はどうなんだろうか。
96名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 13:27
>95
42でも書きましたけど、
日本の騎馬軍団は一部隊が騎馬武者数人に
長槍、鉄砲などの足軽が数人、長持などの従者が数人で
ユニットを形成していたはずだから、
(とくに武田軍なんて中世的な騎馬武者だし)
ほぼ騎馬だけで構成された遊牧民の軍隊や
軍隊のユニットとして騎馬だけでまとまった近世ヨーロッパの軍隊とは
比較になりません。

ちなみに遊牧民の軍隊が強かったのは
「騎射」に巧みだったから。
ヨーロッパの騎兵は鉄砲は持っても弓は持っていない。
97名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 15:26
ここも意外と長く続くもんだ。
98七氏:2000/08/04(金) 19:28
よく読んでると同じ論争が延々と続いているような
気も・・・・・・。
まあ、2ちゃんねるでは野暮な事は言いっこなしだよね!
99名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 17:37
今、NHKで家康が西洋甲冑を使用したというドキュメンタリーを見たのですが、
あの番組を見る限りでは当時の日本と西洋の軍事テクノロジーの差は大きいようですね。
あそこまで西洋の甲冑に鉄砲対策が施してあるとは思いませんでした。

100名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 07:46
矛と盾の関係だから、鉄砲発祥地がそういうものを施していたのは当然。
家康に限らず、洋式甲冑は鉄砲普及とともに日本にも広まった。
それが多彩な桃山期の甲冑文化として開花している。
101名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 09:44
95>96

説明ありがとう。日本の騎兵の使い方が、混成部隊としての活用が
主流だったというのはよくわかった。ということは、高速で遊撃する
ようなものではなかったということね。しかし、そうなると
騎兵のメリットってなんだったんだろ?騎馬武者が疲れないくらい?

ヨーロッパの騎兵が弓を使わなかったというのは知らなかったな。
102名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 17:17
1571年のレパントの海戦で、
オスマン帝国はスペインやベネチアの連合軍に負けましたが、
あれはなぜですか。
そういえば、日本文化研究センターの川藤平太ってどうよ?度窮ン?
16世紀末の日本が世界最大の鉄砲生産・所有国だと言ってますけど。
103名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 18:29
川勝の本って、読み込んだわけじゃないけど、硝石生産については論及してるのかな?
火薬の生産という観点からすると、日本は全然だったことにならんか?
104名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 21:34
チリの硝石って一体どんな色しとんかいな?
誰か見たことある?

当時はアンモニアの固定の為に床下に小便まいて硝石もどきを作ってたらしいね。
105名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 01:41
>102
世界最大の鉄砲生産・所有国ってどこだったん?
106103:2000/08/07(月) 04:55
鉄砲の所有は、実際のところ日本が一位だったのかもしれない。
朝鮮出兵の時の軍役の数字ははっきり残ってるから、べらぼうな数の鉄砲を持ってたことは同時代史料で確認できる。
ただ、103で書いたように、火薬の自給は16世紀には出来ていないと思うんだけど。
ともあれ、「武威の国」としてのイメージを内外に示せたからこそ、江戸時代に孤立して平和を享受できたとかいうのが、近世史研究者の「常識」だと思う。
107>105:2000/08/07(月) 09:58
102ではないですが。
当時、世界最大の鉄砲生産・所有国はまぎれもなく日本です。戦国時代という
果てしない内戦、高い技術力に裏打ちされて16世紀末には全ヨーロッパの鉄
砲に匹敵する数の火縄銃を保有していました。
ただし、火薬と弾丸はそうじゃない。
104の方も言っておられますが、日本で生産していた硝石は土硝法によるもので、
生産力に限りがあった。火薬は日本の主要な輸入品目の一つでもあった。
この火薬事情が大砲の発達を遅らせた、という説もありますね。数グラムの火薬
で威力を発揮する火縄銃があるのに、なんで数百グラムも火薬を使う大砲みたい
な不経済な兵器がいるのか、という事で。
また、当時の日本は貴金属の宝庫でしたが、鉛の産出量は極端に少なく、これも
輸入に頼っていました。もっとも、こっちについては定量的な資料を持っていな
いので、詳しい人のツッコミを希望します。
108パシャパシャ:2000/08/07(月) 21:31
ここってさー、世界史のなかで日本が唯一最強の可能性があった時代を、自慢しているように見えるんですけど
109名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 21:55
そうでもないでしょう。
社会構造的に侵略には不向きとか、日本には純正の騎兵はいないとか
割とその辺のことを冷静に語ってるんじゃないかと思うんですが・・・。
110名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 22:09
>108
そこまで幼稚じゃないでしょ。
ヨーロッパ文明の相対化ができるという意味でも、それなりの意義はあるよ。
111名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 00:15
で、102
川藤をドキュンとか言っているけど、どうなんだ?
112名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 08:37
川勝平太でしょ
113名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 13:02
>108
別にそーゆー人が混じってたっていいんじゃん?
114>112:2000/08/09(水) 02:04
>そういえば、日本文化研究センターの川藤平太ってどうよ?度窮ン?
>16世紀末の日本が世界最大の鉄砲生産・所有国だと言ってますけど。

102は川藤って言ってるぞ。どうしてくれる(笑)
115名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 11:30
じゃ、結論は総合力でオスマントルコということで・・・。
116名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 13:44
>102

アンチ阪神ですか?
117名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 14:53
そういえば、日本は鉄砲をヨーロッパに輸出してたよね。
16世紀じゃないけど。
鉄砲生産業が発達しすぎて、結果として輸出に至ったのだとしたら、
16世紀末の日本が世界最大の鉄砲生産・所有国だという川藤平太説は
間違っていないと思うぞ。
118大豪院邪鬼:2000/08/13(日) 16:57
当時の日本の陸戦力がいくら強くたって、島国なんだから、海軍力がないと例えば外国を征服することはできない。
それに、秀吉の朝鮮出兵で、戦国期の日本軍も大した事はなかった、と証明されたのでは?
あえて歴史に「もし」を持ちこむなら、秀吉は朝鮮出兵という軍事大国路線よりも、博多・堺を中心とした商業貿易国家路線を選ぶべきだった。無論、徳川のような鎖国は論外である。
そうすれば、日本経済の商業化・資本主義化・近代化はもっと早く進んでいたでしょう。
119男爵ディーノ:2000/08/14(月) 03:47
>118
だあかあらあ〜
それを川勝もそうだし、荒野・山本とかの日本史研究者も否定してるんじゃん。
120>118:2000/08/14(月) 04:11
>秀吉は朝鮮出兵という軍事大国路線よりも、
>博多・堺を中心とした商業貿易国家路線

海軍力が無ければ商業貿易国家路線も成功しないよ。
アメリカ海軍のプレゼンスが圧倒的な現代社会じゃ無いんだから。

で、海軍力は陸戦能力と重複する部分も多いわけだから(大砲の火力、兵員の練度)、いずれにせよ軽視できません。
強力な海軍を持っていれば、陸軍もそれなりに強いのは当然です(逆は成り立たないが)
商業力と軍事力は両輪です。
商業力と軍事力を対立するものとして考える現代日本の方が、むしろ例外と言えるでしょう。
というか、そういう考え方をするのは馬鹿な日本の左翼くらいですけどね。


>それに、秀吉の朝鮮出兵で、戦国期の日本軍も大した事はなかった、
>と証明されたのでは?

むしろ逆では?
では、朝鮮半島から日本に出兵した元軍も「大した事はなかった」のでしょうか?
121名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 04:47
日本に騎兵隊はないですよ
馬の種類が違うもの
戦国時代の馬は主として移動用です
122名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 05:32
なんだ、結局鎖国得失論みたいな、とっくに破綻してる話になっちゃった。
123名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 09:25
>122
だから、日本史板から逃げ出した司馬厨房の仕業だって。
124名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 11:37
海軍力はなくても、当時の日本の船の性能が悪かった
わけではないのが面白い。
ちゃんと遠洋航海ができたものね。
125>120:2000/08/14(月) 18:42
秀吉の朝鮮出兵は、国力の半分を使っただけ。
戦後、日本が疲弊したというのは嘘。
人口は急激に伸び、やがて元禄の文化経済開花期に
向かって歩む。
126名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 09:30
ほんっといい加減だね。
127102:2000/08/15(火) 10:26
すみません、川藤平太じゃなくて川勝平太でした。ご迷惑かけました。
川勝は鎖国を評価するんでしょ?川勝スレが立ってるから、そちらで
聞いた方がいいのかもしれないけど、俺、脂漏と出し、ちょっと畏れ多い。
128ペンキ早朝:2000/08/16(水) 12:50
このスレ立てたのはハングル板の韓国・朝鮮系の人じゃないの?
所で、16Cの朝鮮半島は結局どうなの?
129名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 22:32
16Cの朝鮮半島は結局=ゴミ
130名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/22(火) 08:35
>129
それじゃあ李瞬臣は掃溜めの鶴なんだね
131名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 11:48
李瞬臣は朝鮮族出身じゃないからね。
132120:2000/08/22(火) 16:39
   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン
  ‖|‖ ◎---◎|〜        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  川川‖    3  ヽ〜      < 深夜書きこのヒッキ―デブウヨです。生きててごめんなさい
  川川   ∴)д(∴)〜       \______________
  川川      〜 /〜
  川川‖    〜 /‖
 川川川川___/‖  | 
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133>124:2000/08/22(火) 23:43
日本の安宅船は、朝鮮の亀甲船にメタクソに
やられたじゃないですか。
134名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 02:38
>133

それは海運能力とは分けて考える必要があるかも。
135名無しさん@1周年 :2000/08/29(火) 00:16
>日本の安宅船は、朝鮮の亀甲船にメタクソに
>やられたじゃないですか。

そのような史料、どこにありますか? あれば教えてください。
サヨ学者や朝鮮人が勝手に妄想して、絵を書いているだけでしょう。

「大船」を沈めた、という話はダメですよ?

136名無しさん@ :2000/08/29(火) 06:10
よく知らないけど、やられたのは瀬戸内海軍の所有していたような
小船だったのでは?
それによって物資の補給が止まったことが、大きかったのではないかな?
137名無しさん@1周年 :2000/08/29(火) 18:32
>136
残念ながら物資の補給は止まってないんだな。
蛇足だが、
朝鮮水軍は名護屋〜釜山の海路を制圧できなかった。
基本的には迎撃艦隊。
数的戦力に劣るから戦略的にはゲリラ部隊に近い。
数を整えて準備していた後役(慶長)も緒戦で壊滅し、終始制海権を
掌握できなかったというのが正解。
138名無しさん@1周年 :2000/08/29(火) 22:09
136>137

う〜ん、そうだったんですか。
李舜臣の活躍も迎撃、つまり対処療法に限られてたのね。
そうなると、朝鮮出征の敗因て、ほとんど日本側の問題だったのかな。
(敗因というより手を引いたというほうがこの場合正確かも)
139名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 07:45
>124
天正少年使節の乗った船は外国のものじゃなかったっけ?
伊達正宗の出した使節は17世紀の話だろ。
16世紀、遠洋航海に耐える竜骨を備えた船は一般化されてなかった
って聞くけど、どうだったかな。
140getta@末広:2000/10/30(月) 13:21
あげあげ
141getta@末広:2000/10/30(月) 13:48
彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン
  ‖|‖ ◎---◎|〜        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  川川‖    3  ヽ〜      < 深夜書きこのヒッキ―デブウヨです。生きててごめんなさい
  川川   ∴)д(∴)〜       \______________
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142世界@名無史さん:2000/10/30(月) 14:32
こういう小林信者スレッドはあげるなよ
143げった@末広:2000/10/30(月) 14:45
ウヨという自覚はないんだけどさ
でも
サヨって呼ばれるよりウヨのほうがいいや(´∀`)
144>143:2000/10/31(火) 09:45
昔の日本は偉大で正しかったみたいな歴史観が井沢ファンとかよしりん信者だろ。
おまえらみたいな自慰的歴史観の持ち主が増えたからこの板のレベルが下がったんだよ。
よしりん信者は政治思想へ行け。
145世界@名無史さん:2000/10/31(火) 10:43
>>143
君は様々な思想の持ち主が共存することを嫌う典型的な考え方の人ですね。
違う考えの人間が近くにいることさえも許せないというのはウヨ・サヨの特徴です。
君がウヨを嫌うように、ここの一般住民も排他的な君を嫌っていることでしょう。
146世界@名無史さん:2000/10/31(火) 10:57
しかし、サヨよりもウヨのほうが板を荒らすんだよな・・・。
ウヨが嫌われるのは、そういった理由の方が大きいと思うがね。
147世界@名無史さん:2000/10/31(火) 11:17
つうか両方ともいらなんだよね。
10月の日本史板では、サヨが屑スレを立ち上げて、
ウヨが荒らしをする状況だったからどっちもどっち。
148世界@名無史さん:2000/10/31(火) 11:22
143ってたしか他の板でも朝鮮人を罵倒しまくって叩かれてたね。
平気でキリ版ゲットを楽しんでたし(ギャハ)。おい、バスジャックするなよ(藁)
しかもウヨは板を荒らしてることにすら気付けない白痴ばっか(ププ
典型的ハングル板厨房末広を晒しage
149世界@名無史さん:2000/10/31(火) 11:24
>147
同感!
ここは歴史を語るところなのにねぇ。
ウヨサヨネタだしてくる143みたいなアルツハイマー入った奴はもう二度とこの板に来て欲しくない。
あ、それと。
日本史板荒らしてるのも、末広だったよ。
150世界@名無史さん:2000/10/31(火) 11:27
政治思想板で、ウヨが多い板には荒らしを送り込むという
議論があったと思うから、世界史板・日本史板にその影響が
出た可能性が高い。特に日本史板・世界史板はウヨが
暗躍する板として政治思想板で認定されてた。
一般住民としては、ウヨ・サヨ(両方とも少数派だろ?)がここで
代理戦争されること自体うっとしい。
151世界@名無史さん:2000/10/31(火) 11:31
とにもかくにも平和な世界史板をぶち壊しにする、末広は二度と世界史板に来ないで欲しい。
なんかあいつ見てるとレイプ犯か変態か痴漢を思い出す…
152世界@名無史さん:2000/10/31(火) 11:33
かまってウヨは放置しましょう。
かまってウヨ=既知害末広
153世界@名無史さん:2000/10/31(火) 11:40
129はアタマがおかしいと思う。
これだから自慰史観の井沢ファンとかよしりん信者は困る…。
154世界@名無史さん:2000/10/31(火) 12:00
>>153
そんなこと書くなよ。荒らしがくる原因は相手を
挑発するゴミレスがほとんどなんだぞ。
とにかく日本史板では、史観で歴史を語ることは歴史を
知らない証拠などといわれているので、
153も史観に基づいて議論しているのなら人のことをいえない。
155世界@名無史さん:2000/11/02(木) 16:09
どの国もその軍隊が戦場となる土地に合わせて進化した軍隊だから
戦略を無視して同条件でやるとどこが最強なんでしょう?
一つの分野だけ秀でた単能軍隊は”最強の軍隊”は無理でしょうか?
156世界@名無史さん:2001/01/05(金) 17:23
興味あるのでage
157日本@名無史さん:2001/01/06(土) 00:51
>>155

確かにその通りで、どの軍隊も土地柄によって編成が全く違う。
だから同条件ってのはそもそも無理なんじゃあ?

つーわけで遠征軍が勝つってのはかなりのもんだと思うが。
補給を含めた継戦能力が無いと出来ないからなあ。
日本はちょっと厳しいな。短期決戦型だから。
158157@名無史さん:2001/01/06(土) 01:05
堕レス連チャンですまん。

日本の場合で言うと長篠で汚堕軍が2500とか3000とかハジキを使ったが、
後の北条対佐竹宇都宮戦では両軍併せて8000のハジキを用いたらしい。
ヨーロッパの戦闘ではどんなもんだったんだろう。

志気とか個人的な戦闘能力とは別に、具体的な数値を挙げた方が分かりやすいな。
後半荒れ気味でこういうのが少ないので頼む。
159愚礼:2001/01/07(日) 21:04
131、141はなにが言いたいんだ!?
しかし、李氏朝鮮が制海権を確保できなかったとは
沿岸部は日本軍が城(倭城と言われる)を建設し、確保していたため
李瞬臣の艦隊は近寄る事が出来ず、活動がおおいに制約されたとか。

ヨーロッパは、ハジキはそんなになかったんじゃあ?
日本一国で、全ヨーロッパのハジキ保有数を上回っていたとか。
でも、ヨーロッパは、野戦用の大砲があったから
打ち合いでは互角では?
ちなみに、本格的な砲兵隊が出来たのは、三十年戦争地のスウェーデン。
あ、17世紀じゃん(汗)。
160世界@名無史さん:2001/01/09(火) 00:41
日本最強なら雑賀衆と根来衆をあげたい。
161イラストに騙された名無しさん:2001/01/09(火) 02:12
結局、ジャイアンツとアントラーズどっちが強い?
ってきいてるようなもんなんだろうな。
162世界@名無史さん
戦に志気は関係ない