1 :
名無しさん:
「教えてくん」&「物知らず」でごめんなさい。
なぜ?
もし、ご存知の方がいらしたら教えてください。
2 :
名無しさん:2000/05/19(金) 09:16
ヒトラーが停止を命令したから。
3 :
名無しさん:2000/05/19(金) 09:29
ゲルマン人を滅ぼしてはいけないと思ったから。
4 :
名無しさん:2000/05/19(金) 11:33
もともとヒトラーはイギリスと徹底的に戦争する気はありませんでした。
ダンケルクで英仏軍を包囲して、ここで彼らを殲滅してしまうと、イギ
リスは対独戦を完遂しようとし、講和を受け入れないだろうとヒトラー
は考えたのでしょう。
元々英仏との戦争は、対ソ戦のために後方の安全を確保するのが目的で、
長引かせる余裕は無かったのです。ヒトラーはイギリスには、好意的な
中立国であって欲しかったようです。
…というのが政治的な理由と思われますが、軍事的にはまあ大失態でし
ょうな。
5 :
無能なデブが:2000/05/19(金) 12:37
でしゃばったから。
6 :
名無しさん:2000/05/19(金) 15:00
「謎」と言えば「謎」だね(笑)
>4 の方のおっしゃる通りです。
(その後のバトル・オブ・ブリテンって一体・・・)
オマケにユダヤ人殲滅関連の施設にあれだけ多くの兵士を裂いておきなが
らバルバロッサまで始めちゃうし・・・
「本気で戦争に勝つ気有ったの?」と言いたくなっちゃいますよね(笑)
まぁ,あの頃のヒトラーの戦略はちょっとアレですネェ〜
7 :
名無しさん:2000/05/19(金) 18:16
5が正解です。デブがヒトラーに航空戦力だけで壊滅できると
進言した為。しかし、英本土からスピットファイヤーが出張って
きたために作戦は大失敗。このデブはスターリングラードでも
似たようなことを言って第6軍を全滅させた。
8 :
あのデブも若い頃は:2000/05/20(土) 08:13
カッコ良かったんだぜ!
まあクスリをやると「太る」と云う見本みたいなもんです。
しかし,ドイツも多寡がアレッポッチの航空兵力でよくも
慢心できたものだ。
やはりデブの口車に乗っちゃったのかな?
9 :
若い頃はね:2000/05/20(土) 13:17
デブは駄目だね。
10 :
名無しさん:2000/05/21(日) 22:15
スピットファイヤーってなんなんですか?
イギリスがレーダーを開発して
ドイツの爆撃を止めた
ということしか知らないんです
11 :
名無しさん:2000/05/22(月) 02:08
12 :
歴史博士:2000/06/06(火) 01:45
昨日はその撤退記念日でチャールズ皇太子がフランスに来て、フランス語で挨拶をしていた。あの時、何と30万人の英兵は命からがら逃げたが。フランス兵は5-6千名のみが許された。残りはナチスに殺されました。ビシー政府が出来ドイツに仏戦艦が渡る事を恐れた英国は地中海方面で抵抗するフランス艦隊を撃沈し、何万名ものフランス兵が死んだ。残りの仏艦船は悩みに悩んで自沈させた。話は戻って、ヒトラーは英国海軍には到底かなわないと思っていたので、大陸から英勢力を追い出す事で満足。直ぐにでも講和するか、さもなくばいずれできるであろうV2号でいとも簡単に英国を屈服出来ると思っていました。向こうにチャーチルさえいなければ、ひょっとしたらそうなったかもしれませんが。それら兵士の大半が後にノルマンジーで再上陸して後はご存知のとおりです。90%は英国兵。後は米国、カナダ、オーストラリア。仏?2-3千名ぽっちでした。そのころドゴールは何てったてアフリカにいたのだし。ノルマンジーのユタとかオマハビーチには戦死した連合国軍兵士の50千名もの墓が整然としつらえてあります。星印の墓標も多く、今でも米国からの墓参者が途切れる事がありません。
13 :
名無しさん:2000/06/07(水) 15:33
4が正解。デブの戯言で重大事を決める総統閣下じゃない。
ダンケルクでイギリス兵をコテンパンにやっつけると、
イギリスと講話出来なくなると考えた。
ドイツがソ連と戦争始めれば、イギリスは高見の見物をみめると踏んでた。
共産主義を助けるとは、総統閣下も予想だにしなかった。
14 :
>13:2000/06/07(水) 21:59
実際、イギリスは戦後破産して、インドを手放したしな・・・。
15 :
名無しさん:2000/06/08(木) 09:53
>13
ナチとソ連を戦わせて、英国が漁夫の利を得るやり方もあったはず。
実際、戦後の冷戦時代を西側の立場で見ると、
大戦中、英米がソ連を援助したのが正解だったか疑わしい。
チャーチルの回顧録に「ヒトラーと戦うためなら悪魔とでも手を結ぶ」
みたいなこと書いてあった記憶がある。
16 :
>15:2000/06/08(木) 19:06
それはちょっと難しいかな。
当時連合国はソ連の継戦能力に深刻な疑問を抱いていたからね。
下手をすればソ連国内で大がかりなクーデターなどの発生で事実
上無力化、ドイツは西部戦線にリソースを傾ける目があった。
また、ソ連とドイツの単独講和は相変わらず高い確率で起こりう
ると(西側首脳は)考えていた。
戦後の対立は当然予想してただろうけど、ソ連を見捨ててみすみ
す東部戦線を安定化させるカードはおそらく切れなかったでしょ
う。
ドイツとソ連を戦わせて漁夫の利を・・・というのは適切なタイ
ミングで西部戦線に介入できる戦力あってこそのものですからね。
Dデイ当時ですら戦力的にはギリギリで、しかも相手はソ連軍と戦
って鬆だらけになった独軍であったことを考えるとこれはリスク
が大きすぎるというものでしょう。
17 :
>13補遺:2000/06/08(木) 20:55
英国と話し合いの余地を残しておきたいというのが正解だろうけど、
あとその直前、英米連合軍が死力をつくして、ドイツの機甲師団のひとつに
壊滅的打撃をあたえたと記憶している。
まあ、これが軍事的な要素でしょう・・・。
18 :
16:2000/06/10(土) 09:54
後はまー一番基本的なことだけど、快進撃は続けば続くほど前進
衝力は減退するからね。殊にドイツのような機械化の(とくにサー
ビス部門において)遅れた軍隊の場合それが顕著。
重装備も後方にどんどん置いていくしね。また拡大する戦線は指
揮統率の部分的混乱を招く。
もちろん逃げてる側はさらにその影響は大きいわけだけど、基本
的に逃げる=戦線の収束であって撤退段階で部隊と兵站の再構築
に成功さえすれば(困難だけど)、進撃側よりも局所的に有利な条
件も作り出せるわけだ。
結果として快進撃し希釈化されたドイツ軍は、撤退によって(望ま
ずして)濃縮化した英軍を追いつめるに必要な衝力を持たなかった。
ってのが一番単純な考え方かと。
19 :
名無しさん:2000/06/10(土) 12:49
アホか。スターリングラードではヒトラーは撤退に賛成
だったのをデブの空から補給できるの一言で死守命令に
切り替えてんだよ。
20 :
名無しさん:2000/06/10(土) 15:49
スピットファイアは、そんなに活躍できる程生産されてないよ。
単にドイツの飛行機の後続距離が短かったんで、イギリスまで飛んで
ちょっと戦闘して帰還だったんで効率悪かったよね。
イギリスも含めて、戦闘機の後続距離は1000キロ前後だったらしい。
ゼロ戦は3000キロも飛べたから、だいぶ違うよね。
21 :
名無しさん:2000/06/15(木) 16:28
>19さん
確かにそれも事実ですが、すでにこの時期、ヒトラーは軍事面にさして興味を持っていません。
モスクワ正面でドイツ軍の攻勢が停止した時点で、すでにこの戦争にドイツは勝利することができないと確信し、
もう一つの大目標、ユダヤ人の殲滅に集中しているからです。
この時期から乱発される死守命令は、このための時間稼ぎだったのではないかとさえ言われているほどです。
第二次大戦は、基本的にヒトラーが始めた戦争で、彼が何を考えて、何をしようとしていたかを分かっていないと、理解できないことが多いです。
単に軍事的側面から判断していたのでは、この戦争は理解できないと思います。
スターリングラードの一件も、第六軍の命運なんてのは、すでにヒトラーにとってはある意味
どうでもいいことで、ゲーリングが影響力を持っていたというのとは、多少意味合いが違うと思います。
22 :
名無しさん:2000/06/15(木) 16:36
>16,18:単純すぎる、間違い。
>21
スターリングラードの敗北以降、ナチは攻勢をかける余裕が無くなった。
第6軍がどうでもいいと思っていたわけではない。
ヒトラーは、その前のモスクワと同じやり方(その場で守る)が有効と
考えていただけ。
補給を理由とした将軍達の撤退具申に対し、ヒトラーはデブの話を持ち出している。
23 :
名無しさん:2000/06/15(木) 17:17
>16
客観的に見てどうだったかは、関係ない。
ヒトラーがどう考えたかを議論している。
24 :
>23:2000/06/15(木) 18:10
16は単に15で述べられてる、イギリスは漁夫の利を云々に対する
当時の英米の考え方からいってそりゃ無理でないの?という観点
からの発言。
ヒトラーに関しては言及の意図ないよもとより。
25 :
名無しさん:2000/06/16(金) 12:43
>24
繰り返す、1の題意に即していない。
お前テストの成績悪かったろ(藁)
ドキュンちゃん、バイバイ。。。
26 :
21:2000/06/16(金) 17:09
21です。
ヒトラーが第六軍の命運などどうでもいいと思っていたという言い方は語弊がありましたね。すいません。
ヒトラーには他にもっと重要な関心事がその時あった、ということを言いたかったのですが。
話をスターリングラードからダンケルクに戻しますと、要は軍事的な判断ミスか、ヒトラーの政治的意図のある介入があったか、ということだと思うのですが、自分は後者だと思います。
21でも言いましたが、あの戦争はヒトラーが始めた戦争で、彼の『世界観』を実現する為の手段だった訳です。
その『世界観』では、ユダヤ人を抹殺し、ロシアをドイツの生活空間として、ドイツがヨーロッパに覇を唱えることになっていました。
その際イギリスは『好意的な中立国』という立場を保持することが期待されていたので、徹底抗戦させることを避ける為に、ダンケルクで追撃することをためらったのではないか、ということです。
戦争はある意味、政治・外交の一手段ですし、特に当時のドイツはヒトラーに全ての権限が集中していたので、重要な決定はすべて何らかの形でヒトラーの意志が介入していると考えた方が自然なのではないかと思います。
27 :
>25:2000/06/16(金) 21:57
2chでスレッドタイトルからはずれた発言禁じてたら自己崩壊だよ(笑
28 :
名無しさん:2000/06/17(土) 05:22
>26
ヒトラーの意志があったという点で賛成。
29 :
ジーモン@ケー二ヒスベルク:2000/06/17(土) 12:38
ヒトラーは「我が闘争」時代にはイギリスとの
同盟(独英伊三国同盟)を主張し、大統領兼首相の
総統になって、それが非現実だと解かっても、
イギリスのドイツに対する友好的中立を信じていた。
事実、イギリスは歴史上、ドイツがイギリスに直接
様々な被害を与えない限り、ドイツ・中欧に関心が
薄かったし、チェンバレンの方針が英国民から熱狂的支持を
受けていた事でも納得できる。
ポーランド侵攻の際にも、まさかイギリスがフランスと
共に対独宣戦をするとは思ってもおらず、絶句したという。
また、同じゲルマンの雄としてイギリスを尊敬しており、
ウェールズ系(ケルト)だがロイド・ジョージら
親独派イギリス人を後年まで高く評価していた。
30 :
名無しさん:2000/06/18(日) 20:14
ロシア侵攻も我が闘争に書いてあったらしいね。
31 :
名無しさん:
ゴミだから。