ルイ17世はタンプル塔で獄死していた

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1おいたわしい
タンプル塔で亡くなってたんだね・・・・。

ずっと「替え玉」説有力だと思ってたんだけどな。
肖像画が、別人としか思えない種類のものがあったし
「髪の毛が、マリー・アントワネットが持っていたものと
ルイ17世の遺髪とされるものに違いがある」とか聞いていたのに。
2:2000/04/20(木) 10:12
DNA鑑定は絶対視されるからねえ
「替え玉説」の状況証拠はどうなっちゃうんだろう
いずれにしろ、また何冊か本がでてきそう

お願いだから桐生操だけは引っ込んでてほしい
3ミルミル:2000/04/20(木) 19:56
ロシア皇帝一家のDNA鑑定はどうなったのでしょうか?
皇女アナスタシアはアンナ・アンダーセンだったのか、決着ついてますか?
4上岡@東大法科卒:2000/04/20(木) 20:53
う〜む、それにしても、ジャコバンやボルシェビキ
の暴虐は許せん。ナチス並だ!
(ジャコバンはまだしも)ボルシェビキ革命時の
ロシアだったら、私のようなブルジョワしかも名家の
者は赤色テロル政策の犠牲になったろう。
5>3:2000/04/21(金) 08:27
決着つきました。

偽皇女でした。
彼女は一生をかけて嘘をつきとおしていたわけです。

マリア皇太后が。決して彼女に会おうとしなかったのは
偽者であることを見抜いていたからでしょう。
皇太后にしてみれば「私の可愛い孫の思い出をけがされた」
という心境だったんじゃないだろうか。
6名無しさん:2000/04/21(金) 09:00
ルイ17世が亡くなった時、何故、心臓をとりだして保管したのですか?
フランスではそういう風習があるのですか?
7上岡@東大法科卒:2000/04/21(金) 20:48
薄汚れたボルシェビキの赤狼め!
エカテりンブルクで、何の罪もない皇女達や
幼きアレクセイ皇太子の事まで殺しおって!
かくなる上は、レーニン廟を破壊・撤去し、
スターリンやジェルジェンスキーの墓も
メキシコのトロツキーの墓も暴くべきだ!
現在のロシア共産党も非合法化し、
ジュガーノフら大物共産主義者を全員処刑!
8名無しさん:2000/04/22(土) 00:42
DNAで確認出来なかったのはタチアナ皇女でしたっけ?
うろ覚えで誰か思いだせん。
9ニコライ二世命:2000/04/22(土) 02:39
>7
同感!!
ただでさえ、皇帝や皇后を殺すのも残酷なのに、
何の罪もない子供たちを殺すのはあまりにも残酷極まりないです。
皇帝一家の幸福そうな写真を何枚も見てきた私には彼らの悲惨な末路を
思い出すたび、やり切れない気持ちになります。
10>9:2000/04/22(土) 02:58
共産党側としては
「子供でもいずれ成長して、反革命の旗印になる」という
考えだったそうですが、詭弁です。たかが子供に脅かされる共産政府など
はじめから存在価値はありません。

「目的の為なら手段は正当化される」
虐殺の多くは、この論理を基に行われたような気がする。

ルイ16世は「我が子よ、決して復讐しようなどと考えてはならない」
と17世に遺言し、ニコライ2世は「主よ、彼等をお許し下さい」と
銃口を前にして祈ったという。従来の革命賛美論は、何かを忘れていると思う。
11ニコライ2世命:2000/04/22(土) 03:07
DNA判定の結果、アンナ・アンダーソンさんは偽者だと分かりました。
ゆえに、彼女が嘘をつき通したことがわかったのですが、
嘘をついたことはアナスタシア皇女と皇帝一家に対する侮辱としか
言い様がありません。
12名無しさん:2000/04/22(土) 03:07
>6
欧州の王室では、内臓を遺体から取り出して保存する習慣は
結構あったと思います。
>8
確か、アレクセイ皇太子とアナスタシア皇女の遺体が
遂に確認できなかった筈です。アンダーソンが偽者だということは
帝室一家の遺体確認とは別に判明したことだったと記憶しています。

そういえば、ボルシェビキは、「カール・リープクネヒトと
ローザ・ルクセンブルク虐殺の報復」と称して、他のロマノフ皇族を
虐殺しています。まだ息のある人々を廃坑に投げ込んだそうです。
一体何が「報復」なのやら・・・。
13とはいえ:2000/04/22(土) 20:29
革命達成直後なんてアタマに血とリビドーの集まった状況じゃ
王族貴族の首、1ダースや2ダース飛ばさないと治まらないか
もね。
治まる、というかリビドーの向かいどころを目の前にぶら下げ
るというか...

子供までも殺すのは...というのはまー「運がなかった」で
片づけるしかないでしょうね。
革命に至る貧困状況で生まれてすぐに間引きされた死んだ子供
よりは長く生きた分「運が良かった」とでもいうか...。
14名無しさん:2000/04/22(土) 23:31
人類の平等を重んじる連中が、人を殺すなんて理にかなっていません。
しかも、虐殺を反省するでもなく、「当たり前のこと」と
してとらえているのがなんとも残酷。

15蛇足の蛇足:2000/04/23(日) 03:03
英や独の親戚達は実は死んでもらいたがってたというのは
本当なのでしょうか?
16名無しさん:2000/04/23(日) 03:23
>15
生き残って自分たちのところに逃げてこられたら爆弾を抱え込む
ことになりますからね。
外交カードとしても使えるだろうけどリスクが...
17名無しさん:2000/04/23(日) 08:44
>15
ジョージ5世は、本心では仲の良かったニコライ二世一家を助けた
かったと本には書いてあります。しかし、ロイド・ジョージ内閣が
渋ったそうです。
18名無しさん:2000/04/25(火) 19:09
関係ないかもしれないけど、どうしてニコライ2世は自由主義を嫌い、
専制政治を行ったのでしょうか?
また、妃のアレクサンドラは、イギリスで育てられたにもかかわらず、
夫に自由主義を吹きこまず、専制を奨励したのでしょうか?
彼らが、自由主義を受け入れていれば、処刑されずにすみ、
ボルシェヴィキ独裁も免れたであろうに・…
19上岡@レッドパージ:2000/04/25(火) 20:30
ボルシェビキもメンシェビキ左派もエスエル左派も
同じく血に飢えた殺人鬼。
レーニン、トロツキー、スターリン、
マルトフ、全て死刑に処しても足りない程の悪党。
ラスプーチン一味も同罪。
ああ神よ、何故 ロシアとロシア正教会と
ロマノフ王家を見捨てたもうたのか!?
20名無しさん:2000/04/26(水) 00:53
メンシェビキだけは執行猶予にして。一応王党派と立憲君主制や
議会制政治やろうと努力はしたんだから。
ボルシェビキって多数派という意味なのね。少数派のくせして
21上岡@レッドパージ:2000/04/26(水) 01:45
>20
うむ、メンシェビキは終身刑に減刑。
ただ、マルトフらメンシェビキ左派は
帝政打倒と(ドイツとの)単独講和を主張し、
レーニンより先に臨時政府打倒の第二革命を
行う事を目論んでいた(しかし、貴方が言うように
議会政治をやろうとしていたのでマルトフ一味も
終身刑に減刑)。
22>18:2000/04/27(木) 01:35
自身の権勢欲もあったでしょうが
王権神授説を心の底から信じていて
「専制君主たることが神から与えられた義務」と思っていたのでは?
2人とも敬虔な信徒ですから、神から与えれた使命を捨てて
無神論者その他もいる「議会」に政治を委ねる事に
強い拒否感を覚えたのではないかと想像します。
2318:2000/04/27(木) 06:45
〉22さん
ご返答どうもありがとうございます。「皇后はイギリスで育ったのに、
どうして自由主義をかたくなに拒否したのだろう…」
と疑問に思ってきましたが、やっと謎が解けました。

24名無しさん:2000/04/28(金) 20:19
上げときます。
25名無しさん:2000/04/30(日) 07:03
『アナスタシア―消えた皇女』よいう本があったけど、
ニセの皇女がもっともらしく、皇帝のこととかについて
話していたと思います。
それも、読んでみると、所々ウソが多いのです。
26名無しさん:2000/05/03(水) 23:04
ニコライ2世夫婦は決して賢明とは言えませんね。
ラスプーチンにいとも簡単に騙されるなんて…
皇后の姉や皇太后などは注意を促してたのに…
彼らの失策は、帝国が没落した一因でしょう。
27名無しさん:2000/05/04(木) 03:36
>>彼らの失策は、帝国が没落した一因でしょう。
これには異論ありかな。
彼らはもとより腐り果てていた帝国の最後の1ページの登場人
物にすぎなかったと思います。
むろんその無為無策無能ぶりがトドメを早くしたという見方も
ありますがともあれ没落自体はとうに決まっていた話ですから
ね。

滅亡をボケっと見ていただけで、没落の一因というほどの個性
すらない存在とでも言いましょうか...
28名無しさん:2000/05/04(木) 07:36
>27さん
確かに、あの時のロシアはいろいろな危機を孕んで、いつ帝国が崩壊
してもおかしくない状況でしたね。
しかし、ニコライ2世が、みんなの反対を押し切り、アリックス公女を
嫁に迎えたことにより、更に悲劇性が高まったと言えるでしょう。
あるいは、彼女がラスプーチンなどに騙される性格でなければ…
29鶴見@穢多:2000/05/04(木) 11:15
ラスプーチンは皇太子アレクセイの
血友病につけこみ、蒙古人の自称”チベット僧”の
パドマーエフと共に皇室に入り込み、
遂には皇帝・皇后を傀儡にした悪党。
ラスプーチン一味もボルシェビキもメンシェビキも
共通してユダヤの手先であり、ドイツ参謀本部の
スパイだった。
30鶴見@穢多:2000/05/04(木) 11:18
追加:パドマーエフは、無免許のやぶ医者で、
   麻薬合成の薬を皇帝や皇太子に投与して
   いた。
   
31水道橋@二ガー:2000/05/04(木) 14:05
ただ、ロマノフ王朝の滅亡は時間の問題
だった。
臨時政府(ケレンスキー政権)もその名の
通り「臨時」に過ぎず、
第二革命はどんな形であれ避けられなかった。
レーニンやトロツキーではなく、
ルイコフらボルシェビキ右派とマルトフら
メンシェビキ左派の連立がベストだったな。
しかし、残念ながら彼らには、レーニンやトロツキー
のような指導力が無い。
32ニコライ2世命:2000/05/04(木) 23:02
>31
そうだったのですか!知らなかった…
ラスプーチン、バドマーエフの鬼!!
33ところで:2000/05/04(木) 23:17
アレクサンドラ皇后がラスプーチンに犯されたって本当ですか?
ニコライ2世夫婦は仲がいいと信じていたので、少しショックです…
34名無しさん:2000/05/05(金) 10:14
ラスプーチンが悪党だったっていうのは、
反王室派のデマの可能性もあるんだってさ。
昔読んだ本にラスプーチンの私生活を書いた本があって、
確かに性的には「悪魔的奔放さ」で、やばかったみたいだけど、
政治的にロマノフ家にどれだけ影響力があったかは疑問符?
っていう事みたい。今となってはよくわからんけどね。

ラスプーチンの最期のエピソードは面白い。
青酸入り饅頭を何個も食いまくっても平然とし、
銃弾を何発も打ち込まれても死なず、
結局縛り上げられて、川に落とされた。
後で調べると、死因は「溺死」。
3530・31:2000/05/05(金) 12:39
因みに、ラスプーチン暗殺の首謀者
ユースポフ公爵とパウロヴィッチ大公は
ホモ同士。しかも、とてつまない美男子。
>33
それは、ボルシェヴィキやメンシェヴィキに
よるデマ。淫乱ラスプーチンもそこまでアホ
ではない。
3635:2000/05/05(金) 13:07
>33
あと、ニコライ2世は、結婚前は
モスクワかぺテルブルクの踊り子
とかと浮名を流していたが、
熱愛してアリックス(アレクサンドラ)と
結ばれてからは、不倫もせず、
同じく皇后も貞節で、おしどり夫婦
だったそうな・・・
37ニコライ2世命:2000/05/05(金) 23:06
高校の教科書では、ルイ16世やニコライ2世をいかにも「悪者」
として扱っていましたが、実際は、彼らは善人だった。
彼らの人物観がゆがめられている様に思えてならないのです。
教科書も、もっと「裏」を考慮して欲しいです。
3836:2000/05/06(土) 00:49
>37
ルイ16世やニコライ2世は、政治能力は
余り(ルイ16世は特に)無かったが、
善人であり、うわべだけではなく敬虔な
クリスチャンでした。
また、政治面でも革命の暗部は全て個人
(ロベスピエールなど)の”行き過ぎ”か
反革命側・外国勢力の圧力の責任にされが
ちです。
フランス革命そのもの、ロシア革命そのもの
の問題点も考慮・指摘すべきです。
私もニコライ2世命さんの御意見に同感です。
39名無しさん:2000/05/06(土) 06:55
>36
バレリーナはマルティダ・クシェンスカヤですね。
確か、後にニコライの親族と結婚し、ロシア革命でフランスか
どこかに亡命してバレリーナを育てたのではなかかったのですか?

>37、38
同感。私も、彼らに関する伝記などを読んで、彼らが性格のよい、
優しい人たちだとわかりましたし、
フランス革命やロシア革命などの問題点も指摘せず、表の
(いい点での)ボリシェヴィキやジャコバイトのことを
書いているように思えてならないのです。
文部省も教科書を改善して欲しい。
ルイ16世やニコライ2世の
敗者たちを悪いように書き、ジャコバイトやボリシェヴィキ
といった勝者を善人と書くのは、ルイ16世やニコライ二世に失礼だ
と思います。
それに、教科書のみで他の歴史書はあまり読まない人々は彼ら
の人物像を本当に間違ったように解釈してしまいますし。
40>39:2000/05/06(土) 07:03
>教科書を改善して欲しい。
日本の教科書はまだ唯物史観から抜け出せていないので、
革命を美化する傾向がありますね。
41名無しさん:2000/05/06(土) 12:31
東京書籍の教科書は本当に酷いですよ。
革命万歳、日本は悪の権化だもの。
42名無しさん:2000/05/06(土) 13:08
>敗者たちを悪いように書き、ジャコバイトやボリシェヴィキ
>といった勝者を善人と書くのは、ルイ16世やニコライ二世に失礼だ
>と思います。

別に一方的に絶対王政悪人に書いてるということもないと思うが…
ジャコバン独裁や戦時共産主義の極悪非道ぶりだって、
今は書いてあるでしょ。
ま、日本では新たな学説が出て30年経たないと
歴史教科書に取り入れられないので、唯物史観偏重なのは
当分しかたないでしょうな。
だけど、唯物史観を、一体どんな歴史観でもって取り替えればよいのか、
唯物史観を完全に抜きにして世界史の流れを説明できるのかどうか、
しばらくは試行錯誤が続くのかも。
43名無しさん:2000/05/06(土) 13:32
ボルシェビキの酷さはナチス並。
それと比べればジャコバンや薩長は子供並。
唯物史観は皇国史観(というより”薩長史観”)
と同じくカビの生え過ぎ。
44名無しさん:2000/05/06(土) 19:49
後を襲った存在がダメダメだったからと言ってそれ以前に君臨
していた存在を肯定する気にはなれないなー
45名無しさん:2000/05/06(土) 20:09
>44
シラケ版ニヒリスト発見!
レーニン、トロツキー、スターリン、
ジェルジェンスキーの共犯者=人殺し。
46名無しさん:2000/05/06(土) 22:26
>45
何を言っているのかさっぱり判らん。
民青あたりに昔嵌っていた頭の弱い人ですか、君?
4745:2000/05/06(土) 23:21
>46 確かに意味が判然としないレス
だったが、私が言いたいのは、
ジャコバンや薩長やボリシェヴィキ
(これらを同一視は出来ないが)などの
革命勢力ばかり正当化し、「反革命」とされた
側を一方的に”必然的に倒される存在”と
してきた唯物史観や”薩長史観”に問題が
有るという事。
ただ、44氏=人殺し、は撤回します。
48名無しさん:2000/05/06(土) 23:49
フランス革命より、ニコライ2世一家への処刑が残酷なのは、
何の罪もない子供たちをも平気で殺し、そのあげく隠蔽工作を行ない、
70年以上も放置していたということです。
それを教科書ではあまり取り上げないことに疑問を感じます。

>44さん
私も、そう思います。しかし、何度も言うように、
ルイ16世やニコライ2世を極悪人に仕立てるのだけはやめて欲しい…
4944:2000/05/07(日) 07:26
私はブルボン王朝やロマノフ王朝は倒されるべき存在であっ
たと考えていますがルイ16世やニコライ2世一家が「殺さ
れるべき人々」であったとは考えていません。
倒されるべきブルボン王家の、ロマノフ王家の構成分子であ
ったことが彼らの殺された理由であり、そのこと自体には彼
らの人間性はまるで無関係と言えましょう。

加えていうなら彼ら(王朝)は打倒されるべき存在であったと
いうのは私としては動かせない認識ですが、だからといって
その実行段階における、また事後においての為しようを無視
して無条件に革命を礼賛する意志はありません。

逆をいえば後に続いた革命政権がいかにひどい存在であった
としても「革命」それ自体を否定する気にはなれないと言う
ことを書きたかったわけです。

暴力団事務所を追い払うのに他の組のヤクザに頼って居座ら
れるような失敗において反省すべきは「追い払う」という目
的ではなくて「他のヤクザに頼った」という手段であるべき
と考える次第です。

>45@`47
かなり失礼な言われようでしたけど撤回もあったことですし
不問とします。せっかくかなり興味深い話題が比較的理性的
に進行してるので荒れずにすむなら一番。
50名無しさん:2000/05/07(日) 07:40
>49
倒されるべき王家の構成員だったとはいえ、何の罪もない子供たちを
平気で殺すのはやはり酷いと思います。>ロシア革命
51名無しさん:2000/05/07(日) 11:58
>49さん
つまり…ブルボン家やロマノフ家の体質そのものに責任が
あったと仰りたいのですね。

革命が勃発した責任をニコライ2世やルイ16世にすべてなすり付ける
人がいますが、なんだか…
5249:2000/05/07(日) 12:40
>51
なにをおっしゃりたいのかいまいちつかめないのですが...
「王朝」と「王家」という言い方を区別して書いています。
念のため。
5345・47:2000/05/07(日) 13:02
>52
まずは貴方に謝罪します。
確かに人柄と政変は余り関係はない。
イデオロギー上は逆の立場のチャウシェスクも
妻子思いの良き父・良き夫であったが、政治は
あの様。
話は逸れたが、ロマノフ王朝そのものは
倒れる宿命にあった事は、あの経済状態、債務大国、
連戦連敗、ラスプーチン一味の暗躍、
ボルシェヴィキ・メンシェヴィキ・エスエルの
テロ・武装蜂起・ゼネスト・サボタージュが
秘密警察の妨害にも関らず続発していた状況、
どれを取ってみても帝政に未来は無かった。
それこそ皇帝が二コライ2世ではなく、
ニコライ1世やアレクサンドル3世でも
時の流れは止められなかったであろう。
しかし、それにしてもボルシェヴィキの
皇帝一族を裁判抜きで秘密裏に虐殺した事は
ジャコバンの恐怖政治の比ではないよ。
また話が逸れるが、中共によいる「征服」以前
のチべットが地上の
楽園だなんてウヨクとアメリカ人の嘘と無知。
それこそ、「解放」後のチべットが毛主席の
下で幸せに暮らしているという中共やサヨクの
プロパガンダと同じ。
54名無しさん:2000/05/07(日) 14:25
歴史的事件に対して何らかの倫理的価値判断を加えるというのは,
そもそも基本的に歴史学とは相容れない歴史物語の立場なんだよね…
起こったことがいいか悪いかではなくて,「なぜ」起こったかを
説明するのが歴史学です…
55名無しさん:2000/05/07(日) 23:06
>53
関係のない話だけれど、
>チャウシェスクは良き父・夫であった
確か、コマネチに愛人になるよう要求し、彼女は亡命した
という話を母から聞きましたが…
また、次男ニク氏は親元を離れて育てられたと書いて
あったのを読んだことがありますが…
5653:2000/05/08(月) 18:36
>55
それは次男(長男では?)ニクが
コマネチに愛人になるように迫ったのです。
親父のニコライ・チャウシェスクは
無関係。ただ、(確かテレビ朝日だった)
あの番組のタイトルでは「コマネチ・・・・
独裁者に迫られた真相」などと新聞のテレビ欄に書いて
あった為、私もチェウシェスクが迫ったのかと
思って観たのだが・・・
ニクが親元から離されて育てられたいう
話は知りませんでした。
57名無しさん:2000/05/08(月) 22:25
10歳にも満たない幼子の身で、あいついで両親を殺されたルイ17世の心情を思うと、涙を禁じ得ない。
58名無しさん:2000/05/08(月) 22:29
ルイ16世の弟のルイ18世は、「ルイ17世」を名乗ろうと思えば名乗れたと思います。
しかしそうはしなかった。
タンプル塔から一歩も出ることのなかったあの少年を、名目上にでも国王と認めていたのでしょうか?
59名無しさん:2000/05/10(水) 02:01
ルイ18世王朝が共和制時代を否定するために、
「ルイ16世処刑後『ルイ17世』が王位に就いていた」としていたから、
という話をなにかで読んだような気がする。
60:2000/05/15(月) 09:41
あっちは「王権神授説」だから、国王が死ねば
その時点で自動的に後継者が即位する
だから、「Le roi est mort@` Vive le roi!」と
叫ぶんだそうな

という話を読んだことがある(仏語の文献)だけど、
今思えばつじつまがあわないなあ
61マルトフ@メンシェヴィキ左派:2000/05/15(月) 17:00
ワシもツァーリ一族をあの世に送る気
だったわい。
62名無しさん:2000/05/18(木) 07:16
ニコライ2世一家の殺害は処刑ではなく、ただの大量殺人
のように思えてくるのですが…

根拠1何の裁判もなしにいきなり行われたこと
根拠2隠蔽工作などをしてごまかしたこと
根拠3一族というだけで殺された人が多いこと
63名無しさん:2000/05/18(木) 16:55
1と2は国内にも今だ皇帝支持(というか皇室畏怖)の空気が残って
いたことからでしょうかね。時間かけると国外からの介入も危険
だし(実際介入はあったしね)
3の関してはロシアという私有財産(当時の貴族社会の常識)の相
続人を残さない、という点から必然と見なすべきでしょう。

私はロシア革命が「残虐」であったとは思っていません。
私がロシア革命に関して否定的な点は革命後のヘマ(ソ連という
国のその後を見れば同意いただけるかと)であり、その課程では
ないです。

ま、族滅された人たち(特に子供なんか)はきのどくなような気
もするけど当時の社会情勢じゃ罪もないのに死んだ子供なんて
それこそごまんといることですしね。
暗黒時代から連綿と続く価値観の中で生きてきた人たちです。
現在の人道主義的価値観ではかると流れを掴み損なうような気
はしますね。
6463:2000/05/18(木) 16:56
>62 を忘れてました。
65名無しさん:2000/05/26(金) 07:30
age
66ジーモン@ケー二ヒスベルク:2000/05/26(金) 21:08
話が逸れますが、例えば蒋介石は、メソディスト派
(プロテスタント)のクリスチャンで、酒もタバコも
やらず、妻以外の女性とも「関係」しませんでした。
また、儒教(というより陽明学)の信奉者で、
礼儀作法を重んじ、規則正しい生活を送り、
個人・家庭人としてはなかなかの人格者だったようです。
しかし、政治家としての蒋介石は毛沢東に優るとも劣らない
独裁者・暴君・恐怖政治家で、大陸時代も台湾移転後も
数え切れない人々を処刑・虐殺・暗殺しました。
そして、毛沢東をの遥かに上をいく腐敗・汚職屋で、
四大家族の形成や、青幇・紅幇(強大なヤクザ組織)との
結託などは有名です。
経済政策にもことごとく失敗し、史上最大のハイパー・
インフレと大飢饉を起こし、それが第二次国共内戦で
(軍事力は圧倒していながら)国民党政府が共産党に
敗れた大きな要因となりました。
しかし、歴史・政治は彼を含め政治家個人の資質・性格よりも
経済など国内事情と国際状況が左右するものです。
私は、蒋介石の事も毛沢東の事も、孫文と並ぶ(或いは次ぐ)
近代中国の指導者として評価はしていますが・・・
ルイ16世が無能・小心だったからとか、
逆にロベスピエールが冷酷非道だったからとか、
同じく、ニコライ2世が無能だったから、
レーニンが冷酷だったから、とかは歴史においては
余り意味が無い(というか比重が低い)ように思えます。
67>57〜60:2000/05/26(金) 21:16
しつもん

フランス王はイギリスと違って即位したかどうかに関わらず●●世
という番号をつけるのではなかったでしたっけ?

ルイ17世は即位に関わらず番号がついているのだから,59/60さんの
言うような即位云々とは関係ないのではないでしょうか?
ナポレオン2世も即位してないですよね?
68ルイ17世は:2000/05/27(土) 18:41
ブルボン朝では、16世の死とともに
フランス王になり、革命政府は単なる反逆者という扱いだった
はずです。

ナポレオン2世は、ワーテルロー戦後の
混乱の中、上院で即位を承認されていたと思います。
69>68:2000/05/30(火) 09:38
二人とも即位してたんですか...

どこの本にも書かれてないので,飛び番有りと思ってしまいました.

∧ ∧
(`.ー ´)
7068:2000/05/30(火) 21:49
即位というのは、あくまでブルボン家の立場によるものです。
ルイ17世死去の後は、ずっとルイ18世がフランスを統治していた
ということになっています。
ナポレオンの帝政は無視されるようです。
71名無しさん
ニコライ2世もルイ16世も善人ではありましたが、意志が弱いため、
周りに影響されたという気がします。

ニコライ2世に関しては、誤解されがちですが、
津田三蔵事件の後も、日本にいい印象を持ち、
日露戦争にも反対していたらしいです。
『ニコライ二世の日記』〈保田孝一著〉に書いてあります。