意外なトコにいる有名人の親族

このエントリーをはてなブックマークに追加
1鳥篭
ナポレオンの妻ジョゼフィ―ヌの仲のよかったいとこ
エーメ・ドゥ・ブックはトルコのスルタンの母后。

こんなカンジでお願いします。
2東方不敗:2000/01/29(土) 14:41
ジョルジュ・サンドはフランスの将軍サックスの子孫。
ウィンストン・チャーチルはマールバラ公フレデリックの子孫。
3名無しさん:2000/01/29(土) 15:08
赤穂義士のひとり、武林隆重は孟子の子孫。
4再考ですかぁぁ〜!:2000/01/29(土) 21:04
トム・ハンクスは、リンカーンの姉の子孫。
5再考ですかぁぁ〜!:2000/01/29(土) 21:06
東儀秀樹は、秦の始皇帝の子孫たる、秦川勝の子孫。
6再考ですかぁぁ〜!:2000/01/29(土) 21:07
フランシスコ・ザビエルの子孫は、現代日本で布教をしている。
7東方不敗:2000/01/30(日) 22:42
あれ?マールバラ公ってフレデリックじゃないような気が・・。
8名無しさん:2000/02/06(日) 22:30
孫文は、孫権の子孫
9名無しさん:2000/02/07(月) 02:23
星新一は、森鴎外の妹の孫。
10株屋:2000/02/07(月) 09:12
朱ロンジー現首相は明の太祖朱元璋の一族の末裔。
人民日報に書いてた。
11名無しさん:2000/02/07(月) 11:38
フランスの文豪カミュの子孫は、日本でタレントをしている。
12名無しさん:2000/02/07(月) 11:39
アーノルド・シュワルツェネガーの奥さんは、ケネディ家の一族。
13名無しさん:2000/02/07(月) 19:01
筒井康隆は、筒井順慶の末裔。
14名無しさん:2000/02/07(月) 19:02
三島由紀夫は、母方の先祖である常陸松平家を通じて徳川家康の直系の子孫。
15名無しさん:2000/02/07(月) 22:34
徳仁は天武天皇の子孫
16歌舞伎の:2000/02/08(火) 03:18
第十五世市川羽左衛門は、ル・ジャンドル将軍の息子。
母親は松平春嶽の娘。妹はオペラ歌手関屋なんとかの母親になった。
17:2000/02/08(火) 07:55
る は る のお父さんの子孫。
18加山雄三は:2000/02/08(火) 19:47
岩倉知視の子孫
19名無しさん:2000/02/09(水) 15:25
>11
カミュの弟の子孫(孫)じゃなかったっけ?
>13
これって違うだろう?「筒井順慶」という著作はあるけど。
>14
父方の祖母に家康の血が流れてるんじゃなかった?
>15
父系をたどれば天武ではなく天智のはずだが。
>16
そうなんですか。はじめて知りました。
>17
具視ですよね。母方の曽祖父だっけ。

間違っているかもしれませんが、いろいろ気になってしまったもので。
20名無しさん:2000/02/09(水) 16:17
>19

少なくとも筒井康隆自身は「欠陥大百科」(1970、河出書房新社)の236頁で「筒井順慶はいうまでもなく、ふた股膏薬のぬれぎぬを着せられたぼくのご先祖」と書いています。

三島由紀夫に関してはおっしゃるとおり。父方の祖母の夏子(旧姓永井)が幕末の軍艦奉行・永井尚志(なおむね)の血をひいており、尚志の妻が常陸石岡藩藩主の松平家の出だったと記憶しています。

21タコツボ:2000/02/10(木) 08:11
>20
筒井康隆は筒井順慶の傍系の子孫なんですよね、直系の子孫じゃないんですよね。
22名無しさん:2000/02/10(木) 10:18
たしかに順慶には子供はいなかったようですね。ホモだったという説もあるとか…
23名無しさん:2000/02/11(金) 14:51
19>21
やっぱり関係はあるんですか。
24名無しさん:2000/03/10(金) 17:57
大泉晃はロシア貴族の子孫。
ロシア皇帝とも縁続きだったそうな。
25あやめ :2000/08/27(日) 14:59
筒井康隆と小説「筒井順慶」についての知られざるエピソード
この小説は週刊文春に連載されていたものです
ところが連載中のある号の表紙の広告に「新連載『筒井順慶』筒井康降作」と
麗々しく刷り込んであったものだから、雑誌社は仰天おそらく筒井氏のとこへ
平謝りに行ったものと思われます
しかし筒井氏もさる者で転んでもただ起きないというか、金嬉老事件をネタに
した「金晋太郎」という小説の中で、人質を取って立て篭もった金を説得に行く
文化人の中に、自身をパロディ化した「筒井康降」という小説家を登場させて
います
ただこの「金晋太郎」を収録した文庫本では「筒井康降」を「筒井康隆」という表記
に「訂正」してしまっています、既にパロディとしての有効期限が切れたと判断
したものでしょうか
26あやぬ :2000/08/27(日) 22:10
最澄は後漢の献帝の子孫・・・
27あやめ :2000/08/28(月) 14:43
↑このカキコは「三国志スレッド」でも見かけました、思い入れが深い
方なのね。
最澄の家系である三津首(みつのおぶと)氏は漢の献帝の後裔と称して
いました、しかし「新撰姓氏録」の蕃別の部に出ている帰化人(最近では
渡来人と言わないと叱られるらしい)が、秦の始皇帝の子孫だ漢の献帝
の後胤だと、やたら由緒正し過ぎる御先祖を持ち出しているのは怪し
いと思います。
唐代に編された系譜書である「元和姓纂」には、劉氏系統の宗族を三十
数家も挙げています、もしかしたら食い詰めた挙句に日本にやってき
たのかもしれない帰化人が、それほど御立派な血筋の方々だったとは
ちょっと眉に唾を付けたくなってしまいませんか?
28名無しさん :2000/09/04(月) 21:12
筑紫哲也は滝廉太郎のひ孫かなんか
29名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/04(月) 23:49
俺は先祖は天皇
30名無しさん@1周年 :2000/09/05(火) 00:05
>>27
>もしかしたら食い詰めた挙句に
>日本にやってきたのかもしれない帰化人が

えらい決め付けやね、食詰〜は資料かなにかに基づいた話なんですか??

それに何世代も立てば子孫の数も多くなるので没落する家もあっては不思議ではないと思うが?
とはいえ「最澄〜」の話は眉唾クサイとはおもう。
31名無しさん@1周年 :2000/09/05(火) 00:34
病死した安倍晋太郎が、自分は奥州安倍一族の子孫だと自称
していたそうだけど、本当なのかな?
32名無しさん@1周年 :2000/09/05(火) 06:07
プーチン首相が
ラスプーチンと関係があるって噂を聞いたんだけど。
無知な私に御教授を。
33あやめ :2000/09/05(火) 11:47
>30
食い詰めた挙句に日本にやってきたの「かもしれない」という言い方は
「決め付け」ではなく「推定」と言います
資料があるくらいなら食い詰めなんて思われることもないでしょう
いくら動乱の巷とはいえ誇りある中華を捨て、東の果ての野蛮國の
倭なんてとこへやって来なくちゃなんない人、よくよくのわけあり
とか想像しちゃうのが普通じゃないかしら
「最初は政府開発援助で来たんですがネ、自然環境が豊かでキレイ、
文明に汚されてない人情ってゆうかな、そのうちにこっちの女性と
出来ちゃいましてね、マ永住してもいいかなって、テヘヘ」だとか
「2年間の収入そっくり蛇頭に渡して、結局は歌舞伎町でヤバイ仕事
やってるうちにいい顔になって、去年やっと日本國籍とったよ、帰
化の書類どうやって揃えたかって?そんなこと言えるわけねじゃんか
渡航ビザは日本上陸して間もなく組織がこしらえてくれたけどな」
みたいな資料や言い伝えなんかあるわけない
「倭国じゃ素性を尋ねられるかもしれんな、どこそこの郡望だなんて
説明したって連中に判るわけないしな、ここはイッチョはったりかま
しておくに限る、漢の最後の天子の後裔ということにしとこう」まあ
こんなとこじゃないかしら、中華街で何とか楼のシュマイ買ってくよ
り、駅で崎陽軒のにしといたほうが帰省土産に喜ばれのと同じね
34あやめ :2000/09/05(火) 15:07
いや大陸や半島から渡来した帰化人すべてが「食い詰め」とは思ってません
「不法に入国した」という部分を新聞が報道してくれなかったんだもの(爆)
実際はかなり高レヴェルの人もいたのは確かです
倭王武の上表文などは相当な出来です
論語や千字文を齎した王仁は楽浪郡の王氏の一族じゃないかとも言われて
いますが、インテリだけでなく色んな技術のエキスパートも多かったよう
に思われます
不況時に優秀な人材を獲得しようと努める中小企業みたいなとこが、当時
の倭の実情だったのでしょう
なお漢朝の劉氏の子孫や先祖については、近いうちによそのスレに書くつ
もりでいます
35>あやめさん :2000/09/05(火) 15:29
面白かったです。確かに昔も今も変わらない部分はあるでしょうし。
36名無しさん@1周年 :2000/09/05(火) 16:50
勝手な推測は混乱の素
37空耳 :2000/09/05(火) 19:34
うちの父親は結婚式で
溥儀の弟の奥さんと隣り合わせになった。
九州の殿様の子息の結婚式だった。
(ちょっとはずれるね)
38>37 :2000/09/05(火) 20:02
溥傑ッて人ですか?
若くしてどこかの山で心中した夫婦の話。。
3938 :2000/09/05(火) 20:07
えーと
心中したのは溥傑の娘夫婦だったかも知れません。
うろおぼえですまそ。。
37さんのお父さんが隣り合わせた女性の娘。
4030>33&34 :2000/09/05(火) 23:55
想像力というか空想力豊かな方らしいですな、あなたは。
レスありがとうございます。
41>あやめ :2000/09/06(水) 00:11
推定にしたって少しくらいは資料は必要だろうに
君は「食詰」の資料をなにもだしてないやん。
ただの「想像」もしくは「空想」としかとれないぜ。
42>41 :2000/09/06(水) 01:29
じゃあ、あんたも「食詰」じゃないという資料出しなよ。戦乱、政治的混乱
ももちろん大きな原因だろうけど、祖国を捨てはるばる海渡って来たんだ、
飢餓が主因じゃないかと推論するのは別に奇異でも何でもないと思うけどね。
43傍観者 :2000/09/06(水) 04:12
「あやめ」ってキャップじゃなかったのか・・・。
そうなると、複数の方が騙ってる可能性も否定できない。
無関係のレスでスミマセン。sageます。

44名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 07:49
>38
愛新覚羅溥傑には娘が二人居て、
上のほうの娘が伊豆の山中で心中したとか言う話だったと思う。
下の娘のほうは日本人と結婚して
子供や孫も居たはず。
45名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 10:13
「愛新覚羅えいせい」だっけ?
>>42
「難民」と「食詰」の違いってわかるよね?
政治難民や飢餓難民や戦争難民って言葉は知ってるよね。
47あやめ :2000/09/06(水) 12:37
>41
歴史事実にしても日常の現実にしても全ての資料が残っているなんてことはありません
経験則に基づく推定は専門の歴史研究者も行っている作業です
裁判の事実認定でも書証でも人証でもいずれとも判断できない時は合理的な推定に委ね
られます
リストラで再就職する人が「私は無断欠勤が多く、営業成績も振るわなかったので@`首に
なりました」なんて書くと思いますか? 「アメリカの一流企業で部長職を勤めてました
が、会社が企業買収にあったので見きりをつけ、日本で腕を振るおうと帰ってきました」
とかうまいこと言うのが普通でしょ
「食い詰め」というのは必ずしも「飢餓」とも限りません、広く生計手段の不振も含みます
>43
キャップ申請したら「今はキャップ登録を受けつけてないので、fusianasanを利用せよ」
と言われちゃったの、でfusianasanのやりかたもよく判らないのでそのままにしてるの
今のところ「あやめ」を騙った人は出てないみたいです、「あやぬ」という電波少女はいま
したけどね
偽者が出たらその都度指摘するつもりです
48あやめ :2000/09/06(水) 13:18
今回わたしが言いたかったことは「最澄が献帝の後裔ということは
信憑性が薄弱」ということに尽きます
多少オモシロオカシクというつもりで書いたのが誤解を呼んだって
ことかしら
やっぱり柄にないオフザケはだめね、これからは真面目に徹します
(どこまで本気?)
49すごい! :2000/09/06(水) 13:18
>>47
>リストラで再就職する人が「私は無断欠勤が多く、営業成績も振るわなかったので@`首に
>なりました」なんて書くと思いますか? 「アメリカの一流企業で部長職を勤めてました
>が、会社が企業買収にあったので見きりをつけ、日本で腕を振るおうと帰ってきました」
>とかうまいこと言うのが普通でしょ
うーん、ホントに想像力豊かなんですね・・・。
面白いお方だ。
50>48 :2000/09/06(水) 13:29
食詰めた人々(経済難民?)に渡海の用意ができるとは考えにくいが・・・・。

ただし、最澄の献帝後裔説については怪しいと思う。
51あやめ :2000/09/06(水) 20:01
>49
そうそう、今回は面白受けを狙ったのは確かです
面白がってくださって正解です
>50
現実には今の不法入国者みたいに福建省から蛇頭が用意した船で海を
渡って来るなんてことはなく、陸伝いに少しづつ移動して長時間かけ
場合によっては何世代にも亘り辿りついたのだと想像されます
5243 :2000/09/07(木) 02:50
>あやめさん
正直な話、@fusianasanは止めた方が良いです。
理由は、名前欄に入れてみれば解りますよ。
ココは匿名掲示板なんですから・・・。
53あやめ :2000/09/07(木) 10:59
御忠告ありがとうございます
それにしてもヒロユキさんは何でそんなものの利用を指示したのかしら
いまだに2チャンネルに慣れてないので、気がついたことがあったら教えてくださいね
54鰯水 :2000/09/07(木) 19:04
食い詰め物が南へ北へ・・・というのは中国の歴史の中では
それほど珍しい現象じゃないのでは?
食い詰めなくても、
学校じゃ中国人の均分相続ー動産と不動産にわけて兄弟に均等に親の遺産を相続する
制度ーによって、あちこちへと散らばっていくというのが、中国の一台特徴であり、
中華文明が東アジア世界に長く続いている理由であると聞きましたけど。
華僑なんか、明代後期の琉民のイメージが強くて、本土で食えないから出ていったと
思われがちだけど、実際にはそうとも言いきれないらしい。勿論そういう人がたくさん
いたのは確かなんだけど、動産をもって商売をするために南方に根拠を置いた人たちやら
が、かなり多数を占めたそうな。
55あ〜 :2000/09/07(木) 19:53
貧民が流浪して陸伝いを海岸線に沿って段々と移動していくというのなら理解できるが
大陸から日本へ渡るには海を越えないといけないわけでしょ?
当時としては食詰め者には手に余る大事業とちがう?
流民だったらその日暮らしで大陸の中を流れ歩いておしまいでは?

56当時の日本は無茶苦茶後進国だったしな〜
わざわざ大陸から日本にやってきた奴等の気がしれんのはたしか。

今の日本で食えなくなったからって例えばアフリカとかに移住するなんてのは
ちょとかんがえられんよね。