1 :
名無しさん:
結局彼女は夢見がちなドキュン少女だったのでしょうか?
2 :
名無しさん:2000/01/15(土) 11:24
かなり賢くて頭の回転の良い娘だったことは間違いないようです。
3 :
名無しさん:2000/01/22(土) 13:25
映画見に行く人いる?俺、絶対行く!
4 :
イジメカッコワルイ:2000/01/22(土) 13:46
映画のほうですが、エヴァンゲリオンをまた観たような錯覚を覚えました
5 :
英仏百年戦争スレッドもよろしく:2000/01/22(土) 14:19
6 :
>2:2000/01/22(土) 15:05
かなり賢くて頭の回転が良くてなおかつドキュンな奴はいくらでもいるように思うが?
7 :
ちょっと:2000/01/31(月) 07:12
常識では計り知れない「何か」があったとは俺は思う。
イギリス軍の調書読んだことある?スゴイよ。
なんでもかんでもヘナチョコな常識で解釈しようとするのは反対
8 :
(°ω°):2000/01/31(月) 13:55
何かって何?
9 :
こんな:2000/02/01(火) 06:04
↑ふざけた顔文字入れる奴には教えたらん(わら
10 :
:2000/03/01(水) 03:16
ところで、ジャンヌ御落胤説って今どうなってるの?
シャルル6世(だったかな)の私生児かなんかで、ってやつ。
完全に否定されちゃったんですか?
11 :
キャスル:2000/03/01(水) 17:07
>10さんへ
私が知っているのは、シャルル6世の王妃イザボオが秘密出産した不倫の子、という説です。
これは色々な理由で、否定されているようです。
12 :
>11:2000/03/01(水) 17:58
んでもってイザボーはそれをダシにフランスを
トロワ条約をもってしてイギリスに‘売り渡した’
ワケですな。全くあの方はさすが百年戦争最大の
ヒールですこと…。
13 :
キャスル:2000/03/02(木) 12:28
>12さんへ
シャルル7世のことを言われていると思うのですが、
私が言っているのは、ジャンヌ・ダルクの方です。
無論、シャルル7世については、12さんのおっしゃる通りです。
14 :
>13」:2000/03/02(木) 17:11
¥
15 :
>13:2000/03/02(木) 17:13
ええっジャンヌも!?だからあんなに反イザボーだったのね…。
エレクトラみてえ。
16 :
名無しさん:2000/05/08(月) 22:46
ローマカトリック法王庁は今世紀になって、異端者扱いだったジャンヌ・ダルクの名誉を回復しましたが、どういう理由で回復したのでしょうか?
教会抜きで神の声を聞くことを認めたのでしょうか?
「神はイギリスを憎み給うのか?」という異端審問官の質問に、ジャンヌは「わかりません」としか言っていません。
この尋問は今日、どう総括するのでしょうか?
まあ現代のイギリスならば法王庁に背く「邪教国家」とも言えますから、この国を責めるのも可となるのかもしれませんが、ジャンヌ・ダルクの時代のイギリスは違います。当時のイギリスは法王庁に背いていませんでした。
あの異端審問官と同じ質問を、今度は私がローマ法王庁にしてみたい。
「教会抜きで神の声を聞くことを認めるのか?教会の必要性を否定するのか?」
「ローマ法王庁をまだ否定していなかった当時のイギリスを、なぜ神は憎みなさったのか?」
17 :
名無しさん:2000/05/13(土) 23:00
オルレアン開放は、どういう戦術を駆使したの?
そこがわからん。四面楚歌の城に、どうやって外の包囲を破って入城できたのか。
18 :
>17:2000/05/20(土) 07:33
誤解されてるようだが当時のオルレアンはいわゆる「包囲」状態にはない。
攻囲側は各所に砦に築いて封鎖を深めつつはあったがむしろ対峙状態に近く、
事実伝令や援軍は自由に出入りが可能な状態にあった。
オルレアンに籠っている兵力は3@`000-4@`000程度だが、イングランド軍の兵力は5@`000-6@`000程度と見積もられているが、
この程度の兵力差では完全な封鎖はとうてい望めない。
なお戦術の駆使なんてものは存在しない。当時の未発達な軍隊にそんなものを。期待してもねぇ
敢えて言うなら勇気の差とでも言えようか。
19 :
名無しさん:2000/05/28(日) 11:08
>18
「聖ジャンヌ・ダルク」って本では
ジャンヌの得意戦術として、砲術を駆使した心理戦ってのが挙げられてた。
突撃前に砲撃で敵を浮き足立たせて、あとは総司令部めがけてひたすら突進
中央が潰走して、一瞬で勝負がつくとか。
>17
その本に、オルレアン開放戦についても、結構詳しく描写があったと思う。
また読みなおしてみよう
20 :
ジーモン@ケー二ヒスベルク:2000/05/28(日) 11:53
ジャヌは80年代から、ルペンの国民戦線ら
極右に英雄として祭り上げられている。
因みに、かつては左派や共和派のシンボルだった
国歌「ラ・マルセイエーズ」もすっかり極右の物。
21 :
>19:2000/05/28(日) 11:54
というか当時の戦術といえばそれしかない。
もちろんどの部隊をどこに配置して、といった事前工作的な戦術
はありましたが、両軍対峙してしまえば展開としては
両軍飛び道具の応酬、その後一方が充分混乱したと判断した段階
で突入。
突入された側はこの時点で半ば混乱し、指揮系統が狂ってますか
らリビドーのかたまりが突っ込んできた時点で士気崩壊に陥り離
散、という流れです。(従ってこの時代の戦死者はその大多数が
矢傷であり、また戦場外で死ぬほうが多い)
極端な話、命令には「撃て!」と「我に続け!」しかないといっ
てもいいでしょう。
というわけでこの時代の戦上手とは突入のタイミングをうまくは
かるもの、部下の士気を保てるもの、というわけです。
神様ブランドの「美少女戦士(笑」という看板はこの「我に続け!」
の段階で並の指揮官にはなしえない、農民兵たちへのリビドー付
加において相当の威力を発揮したのでしょうね。
22 :
名無しさん:2000/05/28(日) 20:41
ジャンヌダルクは美人ではありませんでした。
兵士たちの証言によると、彼女に対して全く異性を感じなかったそうです。
23 :
童貞野郎:2000/05/30(火) 14:32
用兵手腕についてはどの本もあまり言及していませんね。
24 :
名無しさん:2000/06/07(水) 20:58
25 :
>16:2000/06/08(木) 09:19
26 :
名無しさん:2000/06/09(金) 01:09
異端査問官達は「ジャンヌは魔女ではない」という判断をだしていた。
結果的にそのときの裁判長やイギリス側からの圧力で「魔女」にされたが。
だからその判決を覆すこと自体はさほど不自然ではない。
神がなんでイギリスを敵視したのか?についてはどうとでも説明できるでしょう。
「人の身では分からない神の考えがあった」でも
「将来、法王の下から離れることを神は知っておられた」でも。
27 :
名無しさん:2000/06/09(金) 02:39
悪魔と闘ってたんだろ?
俺、テレビで毎週見てたもん。
28 :
エドガー:2000/06/09(金) 10:19
名無しさんいろんな所でお会いしますねー。
オルレアン解放はジャンヌダルクの功績ではなかった。
ジャンヌが率いていたのは正規軍ではなく、農民と市民軍だった。
一番小さな砦を攻略しようとして失敗。ところが何を思ったのか砦
の指揮官がジャンヌ軍を追撃しようとした。
正規軍は森の中で砦を攻略するジャンヌ軍を見ていたら、砦の敵が
出てきたので仕方なしに敵をやっつけた。(伏兵の形になった)
そこでジャンヌ軍も反撃に転じ、砦の敵軍を虐殺しだした。
当時、捕虜は身代金と交換が多く、殺されることはまれだった。
この虐殺におそれをいだいた敵(傭兵が多い)は撤退した。
それがオルレアン解放の真実です。
29 :
名無しさん:2000/06/09(金) 10:42
《真実》・・・かぁ。
30 :
名無しさん:
ペルヌーの本、ほとんど買ったきり読んでねえや。
読もう。