925 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/02/22(日) 01:38:34.26 0
>>919-920 >>921 山口が広島の親分? (笑)格下の山口県でぇ、
菊兵団の小倉の連隊でも、「かなり厳しい第一次選抜で合格するのは 下関、豊浦の兵士が
多かったと、幼年学校の教官から聞いたことがある。」と、小倉・門司・田川・遠賀より
中国地方の山口県の 壮丁の方が北九州の壮丁より戦力になったのう。山口県でも東部は
西部よりももっと強いし、広島師団の中でも山口連隊は最も下と見られた程度じゃ。
山口県人の石田義顕元少将が憧れの歩十一と、広島第十一連隊に憧れるんも、
「広島連隊管区の壮丁は誠実機敏にして概ね勇敢であつたので、成績は常に優良、多くは
広島師団の 最上位に在つた。とりわけ剣道はその隋一で、他に比し格段にと秀でていたよう
だつた。」と、云う資質もあろう。 兵の資質は広島>山口>九州北部じゃのう。
レスが違うとるで、
>>881の菊兵団元兵士の高崎伝氏、「情け無用の残虐部隊として、
捕虜は私の知る限り一人も生かしておかなかった…」非戦闘員の老若男女を虐殺しよった
九州人じゃし、杉原兄弟は戦場の白兵戦で戦闘して首取ったんは明かなこと。
926 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/02/22(日) 01:41:57.43 0
>>922 大人が介入じゃの解釈捏造してもつまらんわ。大人が子供に石投げたりしたわけじゃ無ぁんじゃし、
戦術指導コーチの立場でぇ。
927 :
世界@名無史さん:2015/02/22(日) 02:34:20.62 0
安芸広島出身の剣豪の名を挙げてみんさい。
悲しいかな、全国レベルはだぁれも居らんでぇ。
928 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/02/23(月) 01:19:10.27 0
>>927 剣豪の著名人云うて強かったんか? 今井信郎の談話、「 免許とか目録とかいう人達を斬るのは
素人を斬るよりはるかに容易、剣術なぞは習わない方が安全」じゃし。
929 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/02/23(月) 01:24:13.19 0
>>927 槍の方じゃ以前にも挙げとろう。
369 白馬青牛 ◆8mr41B7alChB 2012/11/09 02:10
広島県備後三次系の長州移住子孫の三吉さんは、最強云々以前に、 槍じゃけぇ剣にゃ勝てるよ。
強さは槍>薙刀>剣の順じゃけぇのう。
広島県も槍は、左分利流が流行ったんよ。 三原の倉橋誠太氏はネットでも出とったのう。
kotobank.jp/word/%E5%80%89%E6%A9%8B%E8%AA%A0%E5%A4%AA
1845−1934 幕末-大正時代の槍術家。
弘化(こうか)2年生まれ。備後(びんご)(広島県)三原城主浅野氏の臣。佐分利(さぶり)重武に
まなび,佐分利流宗家をつぐ。明治10年西南戦争に
従軍し,功をたてた。昭和9年8月22日死去。90歳。名は重昭。
park1.aeonnet.ne.jp/~yari-iai/musensha.htm
倉橋誠太(佐分利流九代、信抜流十六代)
倉橋誠太は弘化二年三原に生まれた。三原藩には吾往館という道場があり、剣と槍の二棟から
成っていた。倉橋はここで剣と槍を学び、佐分利流槍術、信抜流居合、榊山流砲術をよくした。
慶応四年正月十五日、
同志と共に脱藩し上京。勤皇志士として活動したが、後に三原へ帰る。維新後、各流儀の
指南役が三原の地を立ち去るにおよび、宗家を継承した。その後、西南戦争に従軍したり
陸軍戸山学校に入学したりするが、後には三原の宮沖新開で樋門の番をしていたところ、
吉永俊二に乞われ槍術、居合の教授を行った。日清戦争の時、広島に大本営が置かれた際、
浅野候邸において旧臣による武技の天覧が行われ、槍術を以て出場している。明治三十七年
以降は京都の武徳会大会に毎年出場し試合では無敗だった。常に甲冑着用して演武。
大正十五年大日本武徳会 槍術範士となる。昭和九年八月二十二日没。九十歳。
吉永俊二(佐分利流十代、信抜流十七代)
吉永俊二は明治三十一年三原市の醤油醸造業の家に生まれた。家業のかたわら、茶道、華道、
書画、骨董などに没頭した。とりわけ武芸では趣味を越え、倉橋誠太に師事し、宗家を継承した。
昭和十三年武徳会教士となる。昭和十四年本朝佐分利流槍術考を著す。道場を誠武無染舎と
名づけた。昭和三十五年没。六十三歳
>>900 柔道日本代表(2009-2014) 五輪&世界選手権
高藤直寿(栃木県出身) 東海大学3年
平岡拓晃(広島県出身)
福岡政章(熊本県出身)
山本浩史(東京都出身)
海老沼匡(栃木県出身) パーク24
森下純平(石川県出身)
内柴正人(熊本県出身)
市賢悟(愛媛県出身) 東海大学3年
中矢力(愛媛県出身) ALSOK
大野将平(山口県出身) 旭化成
秋本啓之(熊本県出身)
粟野靖浩(茨城県出身)
大束正彦(宮崎県出身)
中井貴裕(愛知県出身)
長島啓太(栃木県出身)
高松正裕(埼玉県出身)
塘内将彦(福岡県出身)
永瀬貴規(長崎県出身) 筑波大学3年
小野卓志(茨城県出身)
西山大希(広島県出身)
西山将士(山口県出身)
ベイカー茉秋(東京都出身) 東海大学2年
穴井隆将(大分県出身)
高木海帆(神奈川県出身)
鈴木桂治(茨城県出身)
高橋和彦(熊本県出身)
立山広喜(熊本県出身)
上川大樹(山口県出身) 京葉ガス
七戸龍(沖縄県出身) 九州電力
931 :
世界@名無史さん:2015/02/24(火) 00:44:40.27 0
最近の全日本剣道選手権は九州人の独壇場。
932 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/02/24(火) 02:16:03.62 0
>>930-931 柔道じゃの関係無ぁが、スポーツの剣道と、軍隊でやる竹刀が折れてもお互いに打倒して
どっちかが倒れまでやる軍隊剣道も違うし、実戦じゃ尚更違う、最近の竹刀遊戯挙げても意味は
無ぁわ。九州人は、お互いが実戦じゃ斬れん竹刀遊戯しか出来んじゃの言い訳してもつまらんよ。
宇野金太郎とか
仏生寺弥助にコテンパンにされたって伝説の引き合いによく出されるけども
934 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/02/25(水) 02:42:39.72 0
>>933 宇野金太郎を中国随一云う自体が、仏生時弥助美化の電波喧伝じゃし、仏生寺弥助も
暗殺されとるけぇ、実戦の殺し合いの実力はさほどあったたぁ思えんよ。
【元】柔道全日本強化選手が教えます!!part8
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1153178876/ 717 :1 ◆moK30ec/u. :2006/08/23(水) 17:18:35 ID:K2gVuCEiO
さて。全中大会を見てまいりました。そのご報告。
まさに15年以上ぶりに全中を観戦したわけですが、
私の教え子は残念ながらみんな早く負けました・・・
感想
関東や九州はやっぱいい柔道する!です。
なぜ?何が違う?と昔から思ってましたが、なぜでしょう。今も不明。
昔の私は弱い地方で一番で、少し天狗になって全中に出場しました。
そこで見た九州なんかの選手は化け物だった。
北斗の拳で修羅の国ってありましたよね?(古い?)
まさにあんな感じ。これほど違うとは・・・orzなんて
目の前真っ暗になったものです。
高校になり、かなり追い付いたとは思いますが、私の教え子も
今は昔の私のような表情で絶望しておりました。w
全中出場した人いましたら、感想よろしく!
936 :
世界@名無史さん:2015/02/25(水) 23:54:32.07 0
齋藤新太郎
齋藤彌九郎の長男新太郎(後、彌九郎の名を繼ぎ、父は篤信齋と號す)が門人數人を引きつれ諸國修行中、長州萩の城下に乘込んだ時、
宿について、主人が挨拶に來た故に、自分が武者修行者であることを告げて、それから此の地の武藝に就てたづねると、主人が云ふ、
「當地はなかなか武藝が盛んでございまして、藩では明倫館といふ道場が新しく立派に出來、すぐれた劍客が雲の如くに集つておいでゝございます、
今現にあの通り遠く聞えてゐる竹刀の音は、即ち明倫館の稽古の音でございます。」
それを聞くと、新太郎の一行は大いに喜び、
「それは樂しみである、明日は推參して是非仕合を願ふと致そう、定めて達人も多いことでござらう。」
となほいろいろ話して寝に就いた。
翌朝明倫館へ出かけて行つて、仕合を試み、また宿へ歸つて入浴し、晩酌を傾けてゐる處へ、宿の主人がまたやつて來た。
「いかゞでございました、今日の御仕合は。」
とたづねると、一杯機嫌で一行の者が、
「いやもう、いかにも新築の明倫館は立派なものだ、劍術をやる人は雲のやうに群がつてはゐるが、本當の劍士といふのは一人も無い、
丁度、黄金の鳥籠に雀を飼つてゐるやうなものだ。」
と云ひ立てゐたものだから、その事が藩士の耳に入ると激昂甚だしく、よし、然らば長州武士の眞の腕前を見せてやらうといふわけで、
新太郎の旅宿を襲撃しようとする、老士等はこれを鎮撫しようとしたけれども及ばない、あはや血の雨が降らうといふ間際に、老士等は先走りして、
新太郎の一行に急を告げ、ともかく急いで此の地を出立してしまつた方がいゝと云はれて、一行はその夜中に出發して九州に渡り漸く事無きを得た。
(齋藤彌九郎傳)
937 :
世界@名無史さん:2015/02/25(水) 23:55:42.02 0
齋藤歡之助
併し、右の始末だけでは何分にも長州藩士の胸が納まらなかつた、血氣の青年等は相談して、新太郎一行が九州に赴いての留守中急に江戸へ押しかけて行つて、
齋藤の練兵館道場を襲ひ、猛烈に叩きつぶして腹癒せをしようと、十數人一團となつて江戸に上つて行つたのである、木島又兵衛、祖式松助等の豪傑が先立ちであつた。
そこで、この一團が數多の竹刀と小手道具を釣臺に満載して練兵館にかつぎ込み、氣色すさまじく仕合を申込んだ。
當時、練兵館の留守をあづかつてゐたのは、新太郎の弟歡之助であつた、歡之助時に年正に十七歳、剛勇無雙にして人呼んで鬼歡と云つた、
「お突き」を以て最も得意としてゐたが、遠來の長州藩士悉くこの鬼歡の爲に突き伏せられ、數日間、食物が咽喉を通らないで寝込んでしまつたものがある、
遠征の目的全く破れ、敗軍の士は、すごすごと竹刀をかついで長州へ歸つて行つた。
938 :
世界@名無史さん:2015/02/26(木) 00:01:05.05 0
島田虎之助
島田虎之助は、號を見山と云ひ、豐前中津の藩士であつた、十三の時藩の師範に就て一刀流を學んだが、十六歳の時には國内中その右に出づるものが無かつた、
それから志を立てゝ九州を武者修行して歩いたのであるが、一旦歸郷して又十八歳の時、以前負けた劍士を訪問して再仕合をして見たが手に立つものは一人も無かつた。
そこで意氣騰れる見山は天保九年江戸へ來ると諸方の道場を荒し廻つて歩いた、男谷下總守はその時分本所の龜澤町の道場にゐたが
島田は無論そこへも訪ねて行つて男谷に手合せをして貰つたのだが、男谷は島田を見ても矢張り普通の修行者門生同樣にあつさり稽古をしたゞけであつたが
島田は心の裡に、何、江戸隨一の男谷といつた處で知れたものだと内心これを侮つて出て來たが、それから下谷の車坂に井上傳兵衛の道場を訪ねて仕合を申込んだ。
井上は藤川派の當時第一人者である、島田例の意氣傲然とこれに立合つて見たがこゝですつかり田舎仕込と本場所鍛へとの格段が分つてしまつた、
忽ち井上の手練に打ち込まれて今までの慢心の鼻ツ端がへし折られた、ところで其處は流石に後年天下三劍士の一人と謂はれる島田虎之助のことだから、翻然と井上の前に節を折つて、
「恐れ入りました、どうぞ今日より拙者を御門下のうちに加へていたゞきたい。」
それを聞くと、井上傳兵衛はニツコリと笑つて、
「いやいやこの江戸表には拙者の如き劍客は箕をもつて計るほどござる、貴殿の太刀先を拜見すると、お若いのに似氣なく將來拔群の見込充分と拜見した、
それには良き師匠をお選びなさらなければならぬ。」
と云つて諭した、
939 :
世界@名無史さん:2015/02/26(木) 00:01:30.74 0
島田がそれを押し返して、
「いや、拙者はこれまで至る處の道場を訪問いたしましたけれども未だ曾て先生ほどの名人に出合つたことはござりませぬ、
江戸は廣いと申しますけれども名前倒れの先生が多く、實力あるものは數へるばかりでございます。」
と云つた、それを聞くと井上は言葉を改めて、
「では、龜澤町の男谷先生をお訪ねしたか。」
と尋ねると、島田は答へて、
「如何にも男谷先生をお訪ねしてお手合せを願ひましたが、正直の處思つたほどではございませんでした。」
と、島田が答へたのを聞いて、井上傳兵衛は微笑しながら、
「それは貴殿の腕がまだ不足で男谷先生の腕を見るだけに出來てゐないからだ、拙者が一つ紹介の勞をとるから、もう一遍訪ねて見るがよからう。」
と、そこで井上の紹介で再び男谷の道場を訪ねて見た、こんどは島田もその意氣組でガラリ變つた機鋒をもつて男谷に當つて見ると驚いた。
先きに修行者としてやつて來た時には男谷に對して易々と打を入れられたのが今度はジリジリと詰め寄せられる氣合の霊妙な光りが我が眼を射て次第々々に手足も竦み、
心魂が萎え、背にしてゐた道場のハメ板に吸い取られるやうになり、油汗がたらたらと滲み出づるばかり、われにもあらず平伏してしまつた、
それから男谷の門に入つて遂に天下三劍士の一人と稱せられるまでの達人となつたのである。
(日本劍道史)
寺田宗有「剣術の練習は木刀!」
弟子「 先生は木刀こそが剣術といってますが竹刀稽古も上達が良くわかり、間合いを取るのも上達していい稽古だと思うんですけど!」
寺田「そう思うか。では仕方ない。今日は特別に竹刀で立ち会ってやろう。誰でもいい、我こそはと思うものはかかってこい」(わしも丸くなったな)※この時70歳越え
弟子達「(ktkr!竹刀と木刀は使い方が全然違うし先生が竹刀を握ったところなんてみたことないし!)」
弟子「よーし、いきますよー!(まずは先手をとって正面から面を・・・)」
寺田「面か。刷り上げて胴をうつがいいか?」
弟子「(!正面から行き過ぎか!ここは意表をついて小手を・・・)」
寺田「小手か。切り落として突くが、いいか?」
弟子「!!」
と、誰が立ち会おうとしても「撃つと心に決めた瞬間」ことごとくその動きを言い当てられ、誰一人打ち込むことすらできずに心魂尽きて倒れ伏したという
そしてこの場に居合わせた千葉周作の心にも強烈な印象を残し、後世北辰一刀流を立ち上げ剣術の合理化をすすめたが、彼は宗有から習った型はすべてそのまま残した
ちなみに寺田宗有は水戸の大名行列への単身乱入実績もあるので実戦では弱いに決まっとるという批判もあたらない
むろん広島出身でもない
942 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/02/28(土) 03:15:45.77 0
>>937〜
>>939 「江戸っ児は、五月の鯉の吹き流し、口はあれども、ハラワタは無し」
そのものが日本剣道史じゃろう。
現実に竹刀遊戯の剣豪じゃ役に立たんよ。江戸期のお役人化した武士より多くの場合まだしも
町人の方が強いんが当たり前じゃないか。 現代の官僚お役人の子倅らが路上で喧嘩しても
結果は見えとろうに(笑)
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0710/071004.jsp 花は桜木、男は任侠
「天下泰平が続いて老人さえ実戦経験がない当世では、武士といっても筋骨軟弱で、武術も
格好ばかり。「ぬぐひ板の上にて、なまめかしきかけ声かけて打合は、さながら素肌の勝負と
思はる」。気合いの入らない声で剣術の稽古をする姿は、まるで「素肌の勝負」。防具を着けず
打ち合うチャンバラごっこのようだという。
「嗚呼【ああ】双刀の士、竟【つい】に息杖一本の雲助に及ばざる乎」の 一文。大小を差した
武士が、杖一本を手にした無頼の雲助に敵わない。残念ながらそれが現実だというのである。
戦うことが使命(存在意義)でありながら戦えなくなった武士と、それをせせら笑うように
台頭してきた 無頼・遊侠と呼ばれる武闘派の男たち。身分でも支配被支配の関係でもない「男」
(戦士)の土俵で 繰り広げられた両者の競合と共存が、江戸から今日に至るわが国の男社会に
及ぼした影響を考察しようと 試みたのが、『サムライとヤクザ』である。
史料の中から、「人は武士? まあいいさ。でも男は任侠だぜ」という声が聞こえてきた。
体を鍛えても拳銃で撃たれたらそれで終わりじゃし、 飛び道具じゃ無うても、武器を生活の
道具に使うとる猪槍を使う猟師や漁師の方が使い馴れとるわ。
喧嘩は一発で勝敗が決まるもんじゃけぇ、体を鍛える体力じゃの反射神経とかも関係無ぁわ。
自衛官云うたら、習志野空挺のもんが暴れて取り押さえられとったが、本気で狂うた暴漢相手と
比べたら余程容易いけぇのう。 警備員でも昔喧嘩馴れしとったら、自衛官より余程強いよ。
徴兵のある戦前でさえ、今の自衛官とは比べもんにならんほど鍛えられとったが、
徴兵逃れした喧嘩馴れしたもんにゃ勝てんのと同じじゃわいや。
第一空挺団に舐めた口きけるのは青牛くらいのもんだわ
むろん実力によってではなく度し難い愚かさによって
944 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/01(日) 02:54:06.82 0
>>943 以前もこがぁなニュースがあったのう。
「第一空挺団の隊員が、電車内で痴漢行為をしたとして逮捕されました。
千葉県の迷惑防止条例違反の疑いで逮捕されたのは、陸上自衛隊第一空挺団の隊員、渡邉良二
容疑者(30)です。 渡邉容疑者は、6日午後11時過ぎ、JR外房線の鎌取駅から土気駅の
間で、会社員の女性(22)の胸などを触った疑いが持たれています。
警察によりますと、渡邉容疑者は大網駅で降りて逃げようとしたため、通行人の男性が
取り押さえたということです。渡邉容疑者は取り調べに対し、容疑を認めているということ
です。(07日13:23)
17 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/08/09(木) 10:48:37.81 ID:WMuGFBTB0
まぁ特殊兵だろうが警官だろうが格闘家だろうが所詮はプライベートの時は一般人と
大差なくなるっちゅうこっちゃ 」
どうせ特科大隊か通信中隊か施設中隊だろ
空挺には金バッジ狩り趣味のマジキチがおったしな
空挺団と言ってもデスクワークの奴だっておる
当たり前だが
男の中の男の集団広島にだって青牛のようなすくたれものがおるようにな
>>928 今井信郎自身が直心影流の免許皆伝じゃねーかアホか
949 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/02(月) 02:49:45.76 0
>>945 金バッヂ云うて、相手は会社員か?
>>946 痴漢して取り押さえられたもんがデスクワークじゃった根拠すら提示出来んたぁのう(笑)。
特殊部隊たぁ毎度実戦慣れした普通の部隊の方がまだ強いよ。実戦で正面で戦わにゃ弾道の
高低すら解らんし、白兵戦でも、特殊部隊たぁ前線で戦う一般兵のほうが遥かに強いよ。
実際、
>>876のように、陸軍中野学校の連中は後塵で役に立たんかったのに。広島の悪兵、
ヤクザ兵にゃ頭が上がらなんだよ。
>>948 その今井信郎氏が免許とか役に立たんと告白しとるじゃなあか。
http://irisio.seesaa.net/article/31603672.html 「で、今井ですが。
1841年、江戸湯島天神下で生まれ、武芸一点張り、直心影流を18歳から学んで、3年でで
免許皆伝、それで幕府講武所の師範というから相当な剣豪。得意手の「片手打ち」は、
面の上から相手の頭蓋骨を割って即死させてしまったため、禁じ手とされていたという。
殺人剣の持ち主。幕末の剣豪伝はたくさんあるようですが、その中でも相当上に食い込むのでは
ないかと。入門当時から「甚だ粗暴」で、皆相手になるのを嫌がってたとのこと。
「免許とか目録とか言う人たちを切るのは素人を切るよりはるかに容易、剣術なぞは倣わない
ほうが安全」とか言い切ってる。」
まあ、今井さんは、竹刀遊戯のスポーツ剣道は強うても、
>>942の雲助にゃ敵わんよ。
>>949 第一狂ってる団のやくざ狩りしらんのか
ヤクザは第一空挺には歯が立たんので腹いせに関係ない自衛隊員刺した
>>949 おまえのような奴はすぐ実戦がーって言うけど
軍隊は実戦に投入されると消耗して練度が下がるんだぞ
>>949 中野学校ってアホか
あそこはスパイ養成校だろが
>>940 そんときは千葉周作がまだ中西道場で修行中だった時代だから
寺田は還暦間近の可能性はあっても70歳は越えてないぞ
つか後年白井亨を剣を打ち合わせるまでもなく圧倒した時が63歳のときだし
954 :
世界@名無史さん:2015/03/03(火) 00:23:38.64 0
つうか己に都合の良いレアケース持ち出して全体もこうだとか詭弁もいいとこだな
ラストストロー的な
955 :
sage:2015/03/03(火) 00:27:39.88 0
>>953 そっか
なんかと混ざって勘違いしてたようだ
あ、こっちだ
専ブラ使わんと不便だな
957 :
世界@名無史さん:2015/03/03(火) 02:02:30.67 0
ペテン師臼馬青午
平安の合戦では実戦経験を無視し、全く役立たずの的当て馬芸なんぞを賛美しているくせに、
幕末剣術では広島に著名剣客がいないため、実戦、実戦と騒ぎ立てるダブルスタンダード。
近代兵団評でもNHKアーカイブス等の九州賛辞は気に入らないので頭ごなしに否定、
どこかから拾ってきたブログの広島賛美は全面肯定。
日本兵は強かった
それは事実だ
959 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/04(水) 01:27:54.48 0
>>950 ネットの創作話ネタしか聞いたこたぁ無ぁが、どこの組かも具体的に書いとらんじゃなぁか(笑)。
まあ、習志野空挺なんかたぁ、戦前のほとんどの郷土部隊の訓練の方が苛酷なけぇ、
所詮現代は甘い世界なんよ。
>>951 実戦豊富じゃ無ぁと、訓練重ねても弾道の道筋すら解らんわ。
>>952 陸軍中野学校は憲兵から軍事特殊部隊要員まであったんじゃに無知者は可笑しなことを云う。
960 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/04(水) 01:50:07.35 0
>>952 ほいから、
>>876の桜挺身隊ついても書いておこう。
訓練内容は、家屋侵入の方法、尾行、偵察の要領、中国人の風俗、習慣、変装等。教練は、
中国軍式の各個訓練、武器なしでの潜入、飛行場爆破、 倉庫爆破、橋梁爆破、
護身術(空手、棒術)、秘密兵器としては、 万年筆型拳銃、缶詰型爆弾、導火炸
(導火線の一種で、点火すると、 一秒間に60メートル走る。直径10センチ程の材木なら、
4、5回、 巻いて点火すると、真二つに切る威力があった。)
顔の洗い方は、両手を顔にあてて、顔を廻しながら洗面する。 間違っても手を動かしては
ならない、日本人ということが忽ち 見破られてしまうからである。他に、用便後ペーパーを
使用する習慣は なかった。(これは当時のロシア人も同じく、大陸の民族は、
余程高貴な階級でない限り、大便の後でも、チリ紙は使用しない。)
また当時の中国人には、入浴の習慣はない等。
961 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/04(水) 01:54:19.18 0
>>957 平安の合戦なんか馬を制御出来ん下手糞な関東武士じゃの、世界的に通用せんのに、
馬鹿げなこと云うのう。
>>959 特殊部隊ってのは敵の陣地に突撃するのが主任務なんか
963 :
世界@名無史さん:2015/03/04(水) 23:17:48.19 0
保元平治の乱→安芸の東条は瞬殺されたうえに首を放置されるという悲劇 ミ ⌒ 彡
治承寿永の内乱→安芸は長期空気。安芸の沼田が空前絶後の卑怯な振る舞いを見せ敵前降伏 彡 ⌒ ミ
壇ノ浦後→安芸の佐伯が旧主を捨て鎌倉に媚びるも許されず身分や特権をはく奪される ミ ⌒ 彡
承久の乱→安芸は空気 彡 ⌒ ミ
元寇→安芸は空気 ミ ⌒ 彡
南北朝→安芸は長期空気。北関東の土豪に周辺各国を蹂躙される 彡 ⌒ ミ
鬼平賀→出典不明のブログの中では活躍した(らしい) ミ ⌒ 彡
安芸勢→九州兵の支援を受けた盛見に蹴散らされる 彡 ⌒ ミ
平賀→少弐氏に完全敗北 ミ ⌒ 彡
守護→大内に敗退 彡 ⌒ ミ
尼子→草刈り場と化す ミ ⌒ 彡
毛利→周囲の弱小国を陰謀で弱体化させ乗っ取るも、九州には凹られる 彡 ⌒ ミ
964 :
世界@名無史さん:2015/03/05(木) 02:58:53.85 0
こいつは最終的に「朝鮮人は強かった」に結論を持ってゆくなあ
白馬
>>846 8連隊は無敗だったりするんだがな
相手の関係で
>>963 毛利家は弱小国相手にすらなんべんも戦で大敗をして
相手が寿命で死ぬか、降ったと見せかけて騙まし討ちにするかで
元就さんが目立った活躍なんかしとらんなぁ有名で
厳島だって河野家(村上水軍は当時河野家所属)が陶軍を破ったのがほんまのところだし
晩年の支配領土だって四方八方で叛旗を翻されて
実質完全支配しょぉった領地なんて50万石くらいしかなかったじゃないかのぉ?
政治なんか評価されるようなこたぁ一切やっとらん
毛利家の年貢の高さは、もはやお家芸の域で長年、民を苦しめて来たし
海賊衆に利権をやるから仲間についてくれっちゅう懐柔策をするくらいじゃけぇ
信長んような新しい為政者たぁ真っ向から逆を行く旧来の政治家
頼みの石見銀山があったけぇ何とか国としての形を留めたばっかしで、要は資源頼みの政治
しかも、その銀山争奪にかけて本城氏如きの弱小豪族になんべんも大敗して
最後は銀山の利権をあげるから味方についてくれと頭を下げる始末。
その後、味方についた本城氏を、もんの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁じゃが、実際は「ただ約束を破った」だけ
元就さんは、その時利用するばっかしで最初から約束破って殺す気満々じゃけぇな
人はプレハブ、人は仮設住宅、人はレオパレスじゃけぇ
>>961 日本国内のイクサなのに世界に通用する必要があるんか
世界に通用せんって言いたいだけやろお前
968 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/06(金) 02:25:16.06 0
>>962 >>875も、岩岡氏や三村氏が桜挺身隊の時の事例で。
陣地突入なんか当然のことじゃに、あんたの無知が哀れなんよ。
>>963 九州虚言ハッタリ君がここにも登場か。
724 :白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 :2014/10/06(月) 00:59:54.02
平治の乱でも、治承・寿永の乱でも、各豪族が分かれて行動しよったし、
瞬殺された事件じゃの無ぁわ。役職追放された豪族でも多くは土着したし、東国武士が
地頭として移住してきても、初期の婚姻相手は地元豪族じゃし、地元豪族系を抱える
ことで武力、兵力が成り立つんよ。
平賀勢自体、九州で攻略武勲を立てても一度も合戦で負けたことも無ぁし、
家臣を闇討ちにしたら、勝ったと喧伝する九州人は姑息で哀れじゃのう。
大友にも毛利は負けたことが無ぁし、大内輝広が大友に尻掻かれて(そそのかされて)、山口で
反乱したけぇ、毛利勢は立花城も落としたのに、退却し大内輝広征伐に向かうて、
殿の浦宗勝さんらを立花道雪らは闇討ちしようと麻生隆実さんに実行せえと命じたが、
麻生さんは、小早川隆景さんに、闇討ち計画に加担せん手紙を送り、護送したよ。
関ヶ原でも、広島勢は戦闘しとらんよ。引き蘢り云うたぁ、徳川派の吉川広家さんが
家康の真裏の最先頭で動けるわけ無ぁし、背後が敵を襲うじゃの、正面激突に強い
広島勢は恥じゃけぇ出来るわけも無ぁわ。正面激突に弱い、側面攻撃しか特技が無ぁ
九州人の価値観を投影してもつまらんわ。
412 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2014/10/14(火) 02:09:06.78
そがぁなデタラメ文書の出典を提示せにゃあ。何時まで経ってもせんのう。
まあ、なんぼ頑張っても、雑魚の久留米師団が日本最強の広島師団にゃ勝てんわけじゃし。
969 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/06(金) 02:35:56.89 0
>>964 朝鮮は、唐や契丹に勝って、モンゴルに負け、日本に明と同盟ながら勝って満州族に負けて、
国としての戦績はそこそこ強い程度で、日本は蒙古阻止と明治の侵攻で成功しても、
白村江、朝鮮の役でも長期戦で撤退、昭和の戦争で自滅崩壊と負けの方が多く、国の戦さとしては
朝鮮たぁ劣るこたぁ歴史的事実じゃし、日本の上層部の無能さが際立っとるだけじゃに、
ネット右翼らが日本帝国を滅ぼした国賊共を弁護し、朝鮮軽視妄想云うてもつまらんよ。
970 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/06(金) 02:44:36.18 0
>>967 世界に通用せんおとぎの国の日本が多少なりとも国際感覚を持つ飛鳥期奈良期以降、蒙古襲来から
目覚めたわけじゃし、西洋でも重い甲冑で機動性の無ぁおとぎの国のローカル基準が蒙古の
軽装騎兵で崩された刺激から世界性に目覚めたんと変わらんけど。
971 :
世界@名無史さん:2015/03/07(土) 01:50:34.44 0
▽幕末の剣聖
男谷信友【東京都墨田区出身、直心影流】
▽幕末三剣士
男谷信友【東京都墨田区、直心影流】
島田虎之助【大分県中津市、直心影流】
※比留間与八【埼玉県日高市、甲源一刀流】
※大石進【福岡県大牟田市、大石神影流】
※伊庭秀業【東京都台東区、心形刀流】
※浅利義信【千葉県松戸市、浅利派一刀流】
▽中西道場三羽烏
寺田宗有【東京都文京区、天真一刀流】
白井亨【東京都千代田区、天真白井流】
高柳又四郎【東京都、戸田流高柳派】
▽長沼の二秀才
長沼可笑人【東京都港区、直心影流】
得能関四郎【群馬県沼田市、直心影流】
▽天保の六剣士
男谷信友【東京都墨田区、直心影流】
長沼恂郷【東京都港区、直心影流】
杉浦源次兵衛【茨城県笠間市、香取神道流】
千葉周作【宮城県古川市、北辰一刀流】
加藤田平八郎【福岡県久留米市、加藤田神蔭流】
大石進【福岡県大牟田市、大石神影流】
▽幕末三大道場主
千葉周作【宮城県古川市、北辰一刀流】
※千葉栄次郎【東京都中央区出身、北辰一刀流】
斎藤弥九郎【富山県氷見市、神道無念流】
桃井直正【静岡県沼津市、鏡新明智流】
▽明治の剣聖
榊原鍵吉【東京都港区、直心影流】
山岡鉄舟【東京都墨田区、一刀正伝無刀流】
下江秀太郎【栃木県鹿沼市、北辰一刀流】
972 :
世界@名無史さん:2015/03/07(土) 01:53:00.97 0
973 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2015/03/07(土) 02:18:12.12 0
>>950 桜挺身隊の戦闘から。
「西川中尉(陸軍中野学校)は、敵を怖れて出動しないので、佐竹中尉(広島第231聯隊)が
常に中小隊長を兼務した。
三村上等兵が家の中に飛び込もうとしたとき、「三村、入るなッー」岩岡曹長が怒鳴った。
家の中には敵兵が残っており、騒然とした様子が壁越しに聞こえて来る。
この残敵を目標に、再び手榴弾が次々に投げ込まれてた。挺身隊の奇襲による戦果は、チェコ機銃
四、擲弾銃四、自動小銃二、小銃、弾薬多数。遺棄屍体約五◯、戦傷二◯であった。」
と、陸軍中野系は、戦場じゃ主役に成れんよ。歴戦の広島師団に戦闘を任せるとか無ぁ。
じゃが動かん捕虜の首を斬ることにゃ陸軍中野の連中は張り切るけぇのう。
974 :
白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :
>>973 「歴戦の広島師団に戦闘を任せるしか無ぁ」に訂正しとくよ。