2 :
世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:22:40.69 0
漢帝国とローマ帝国は2つの地域が統一されていた
それ以後の歴史で何かが起こったと
ローマ帝国と比較されるべきなのは周帝国、それが全て
周って帝国って言っていいのか?
あれ、都市国家(つか村落規模)の盟主ってだけだろ?
中国に国と言えるものが発生したのは、
春秋戦国時代に都市国家が収斂していった結果だってなんかで読んだんだけど、間違い?
>>4 ローマって都市国家(つか村落規模)の盟主ってだけだよ
6 :
世界@名無史さん:2014/02/12(水) 23:08:52.39 0
>都市国家(つか村落規模)の盟主
ヨーロッパ的帝国ではそれが帝国の定義だろ
>>6 帝国って、領域国家でなくても名乗れるのか?
よく秦が中国初の帝国とされるのはその辺の差だと思ってたんだけど
シャルルマーニュの後も何度か統一してるだろう
その後は西洋が分裂を繰り返したのではなく
中国が分裂を繰り返したからそのぶん統一を繰り返したんだ
>>7 実際西欧人等が帝国と呼んでるから仕方ない
ローマ諸王朝の実体は大和帝国や周帝国と同段階だと思うけどね
10 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 00:20:55.80 O
>>7 でも秀吉も天下統一したことになってるし、
王扱いだし
点と線の支配か面の支配かの違いだろう
13 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 10:04:52.09 O
>>3 確かに、周代に中華の諸国に一体感が生まれてたわけで
秦の統一の下地は周が作ったことになる
周代からすでに中華どころか天下みんな自分の下僕と思い込んでたのが凄いな
モンゴル帝国と大英帝国にボコボコにされたけどな中華思想
でも21世紀になっても消滅はしていない
>>15 歴史の永い混血文明の宿命だな領域と血統のコアに求心性を必然的に求める。「俺らは万里の長城の北から来た」とは言わんw
17 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 12:20:54.23 O
18 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 12:59:08.25 0
中華は国じゃないじゃん
近隣の村々が牽制しあいながら増長拡大してある日突然
徴税部隊が結成されていただけでしょ
20 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 13:21:51.50 0
☆卑怯国家中国は不要。日本とASEANが手を組む時代。
http://daitouakamikaze.yamatoblog.net/Entry/2/ 中国の脅威に晒される東南アジア各国(東南アジア諸国連合・ASEAN)は、歴史を捏造する中韓と違い、
アジアの解放者として日本を信頼、日本のリーダーシップに期待し、ともに歩んでいくことを望んでいるという。
実際にアジアの国々を訪ねて話を聞くと「日本が戦ってくれたことで、我々は独立できた」と感謝し、大東亜戦争時の日本の軍人は立派だったとまで語る。
ASEAN結成の目的は、「中ソによるインドシナ半島の共産化に対抗すること」とされたが、もう1つの狙いは、
「米中ソの干渉を受けないピース・ゾーンの構築」にあった。 大東亜共栄圏の理想は、今もASEANに生きている。
>>17 しょぼい都市国家に過ぎないから
夏の扱いは中国では別格ではあるけど
22 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 17:05:14.85 0
古代から支那は漢民族が大多数のほぼ単一民族で宗教も儒教と大乗仏教が軸。
一方、ヨーロッパはラテン、ゲルマン、スラブ、ケルト、ギリシア、ユダヤ、ロマなど多民族。
宗教もカトリック、プロテスタント、東方正教会、イスラム、ユダヤ、仏教など実に多い。
国家の纏まり易さという点で見れば支那が統一王朝であるのは必然であり、ヨーロッパは分裂こそが必然だった。
ちなみに日本は大和朝廷が前方後円墳信仰を広めたために早期に統一国家になった。
23 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 17:05:57.21 O
夏がシュメール、
周がアッシリア、
秦がアケメネス朝みたいなもんか
>>22 いや、ゲルマン人だけですら統一してないだろ
五帝の伝説を見ても分かるように治水事業を中心にまとまったのが中国
西洋にはそれが無かった
26 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 17:57:30.77 0
>>24 ゲルマンと言っても、実は歴史的経緯(宗教の違いや移住先の先住民の違いも)も加わり
東・西・北ゲルマンと更に細分化できる。
東ゲルマン⇒ブルトン人、ゴート人
西ゲルマン⇒アングロサクソン人
北ゲルマン⇒ノルマン人
同様にスラブ民族やラテン民族も細分化できる。
つまり漢民族や大和民族のように単独で言語・宗教・文化を共通にする大きな民族集団こそ稀な存在。
27 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 18:35:08.69 O
>>26 なんで東アジアではそういう民族集団ができたのかが
前スレの主題の一つだった
28 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 19:01:27.49 0
>>27 日本の場合は海に囲まれた島国だったから、外敵が入る隙が無かった。
モンゴルでさえ海が障壁になり侵攻が失敗した。
初めて外敵が首都まで攻込めたのは重爆撃機による本土空襲が可能になった20世紀。
支那の場合は南はヒマラヤ山脈、西はタクラマカン砂漠、北はゴビ砂漠、東は東シナ海という
自然の要害に囲まれ、更に首都は黄河と長江という大河の中原にあり外敵の侵入を防いだ。
尚、朝鮮も三方を海に囲まれた半島であり、大陸との接続部も鴨緑江や豆満江、長白山脈によって遮られている。
従って、人間の移動自体がヨーロッパほど頻繁ではなく、安定した文化が醸成され結果的に人口の多い単独の民族集団が
幾つかできていった。
>>17 殷はバビロニアやエジプト・フェニキアを滅ぼす以前のローマみたいな存在
>>18 ローマ帝国は国じゃ無かったのか、斬新な感想だなw
30 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 20:15:14.94 O
>>22 中国だと儒・仏・道とある上に、
仏は宗派沢山分かれてるし、
道も一つの宗教じゃないし、
儒は一応カトリックみたいに教祖や聖地はあるが、
宗教色が薄い。
どれもキリスト教に比べて統合力弱すぎ。
宗教色の薄いギリシャ正教圏は統一されていた時間が長いが
原理主義の西方キリスト教圏は分裂していた現実
32 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 21:33:02.72 O
フランク王国が分割されるのは、
慣習というより維持できる仕組み(官僚制)が無かったからか?
カトリックが原理主義?それはない
そもそも偶像崇拝を事実上認める新興宗教がカトリック
相続前から、息子達が分割して勢力を形成しているんじゃないの?
>>32 それも大きな原因の1つだよな、ローマが東西に分かれたのも同じ原因
>>33 原理主義だよ、ギリシャ正教と比べ非常に宗教色が強く原理主義
偶像崇拝やミトラ教の祭りやゲルマンの風習を取り入れたカトリックが原理主義()
38 :
世界@名無史さん:2014/02/13(木) 22:44:34.84 0
聖書以外に教皇他聖職者による解釈・教義を公認している時点で原理主義では無い。
ルター派こそ原理主義的。
原理主義の反対側にいるカトリックがどういう思考回路を通れば原理主義だと思うんだ?
ローマ帝国の東西分割は衰退期に入り一人の皇帝じゃ国土を維持できなくなったから
帝政後期ディオクレティアヌス帝の時期に分割癖がついたともいえるが
帝政以前の共和政時代も含めれば千年近くはは維持できてる
フランク王国とは違うんじゃね
>>39 西方基督教は現世利益や政治的に対して柔軟なギリシャ正教と違い
教条的かつ狂信的で信仰に生きる原理主義、十字軍は教条主義の典型
>>40 軍人皇帝時代かその少し前のカラカラ辺りから
皇帝は専ら軍隊を率いて前線に駐屯する様になるし
五賢帝末年以降は在位中滅多にローマに居住しなくなってる
42 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 01:01:35.92 O
>>28 逆に、日本と朝鮮のように
地理的に中国と隔絶してないと
中国に併合されていた可能性は高い
43 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 01:43:00.40 O
>>26 ヨーロッパはラテン人も分かれている。
一方の日本ではエミシや隼人や飛騨の異民族同化、
そもそも倭人もどれくらいまとまってたのか
呉楚越ってそれまで北にいた華人とそれを同じ言葉喋ってたの?
>>43 蝦夷(エミシ)、隼人は言葉が同じで文化が違うだけの同民族
辰韓と弁韓北部の関係の様な異民族じゃあない
>>44 楚と他の六大国は同じ、呉越は多分違うだろうって言われてる
>>42 中国と朝鮮ってそんなに隔絶してないけどね
半島の黄海側は平地が大目だし
実際、燕から西晋くらいまでの中国王朝は
半島に領土持ってる場合が多々あったわけで
>>46 そうなんだサンクス
江南の民族はほとんど漢民族と同化したのに対して
後の征服王朝の民族は自分たちの文字まで作って保全しようとしていたよね
49 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 07:27:28.69 O
50 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 08:48:25.33 O
51 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 10:02:31.56 0
>>41 そうか、おみゃは原理主義についてとんでもない間違い乃至思い込みをしてるんだな。
韓国の自称「原理運動」や自称「イスラム原理主義」を原理主義だと思い込んでいるんだな。
軽佻浮薄なノータリンによくあることだw
原理主義ってのは「頭堅い人」
という小学生並みの理解してるPwwww
こいつはもう言っても無駄な奴なんでほっとけ
53 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 16:13:07.46 0
>>50 日本語と琉球語が同系統である以上、
隼人に関しては
>>45の主張通りである可能性が高いが
蝦夷に関してはアイヌも含んでるだろうから言語も違ってくるな
54 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 17:04:21.02 O
>>54 異人異民族をわざわざ畿内移住させ朝廷の奥深くを警護させるかよw朝鮮脳味噌をせめて中国社会科学院の連中並に磨けよ。
東シナ海の底が抜けて透けて観えるからよ。
>>55 ゲルマン人部族兵を近衛兵として採用してた(西)ローマ帝国とか、スイス人傭兵に宮中の
警備から防衛を担ったローマ教皇庁みたいな例はあるけども
57 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 17:31:54.68 0
隼人は普通に日本語族だろ
日本語でなかったとしたら台湾先住民みたいにマレー系の可能性が高いけど
遺伝的にも与那国と台湾で断絶があるし、素直に日本語喋ってたと考えた方が妥当
言語違ったなら8世紀頃まで反乱起こしてたわけだし
資料とか、地名とか、マタギ言葉みたいな形でなにかしら残ってるだろうしね
58 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 17:32:00.99 O
>>56 てか、王が屈強な異民族を私兵にするケースは多い。
かえって同じ民族より信用できる?
かなりポピュラーな専制君主の手法だね
不人気を被りやすいが、政治権力からは遠い宮中で孤立して君主と一蓮托生になるしかない親衛隊を会得できる
まあそう理想通りにもいってない事例も多いが
60 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 17:58:43.47 O
>>60 だからアイヌとニヴフやウィルタは語族が違うじゃん
62 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 18:31:47.82 O
>>61 いや、アイヌみたいに
日本ともマレー系とも違うんではという話
隼人語で唯一残ってるのが浜を意味する“ピサ”という言葉で、
これはアイヌ語と同じらしい
>>62 完全にありえないとは言えないけど
薩摩が侵攻するまで日本に支配されたことの無い琉球の言葉が日本語と同系統だし、
南九州から南西諸島は最初から日本語族だと考えた方が自然でね?
文化の違いはシラス台地に適応した結果かと
アルプスとピレネーの蓋っぽさは異常
ここで国を分けてってくらいの絶妙な山脈
それにヨーロッパって半島が多いよな
イベリア、イタリア、ユトランド、スカンディナヴィア、バルカン、
それらも西洋が分裂した理由だったりするのかな
昔の言葉ってのは大体が権力者が使ってる言葉が広がるもんだし
南方の支配層は途中から侵入してきた内地の連中だから庶民が日本語使っても当たり前だろう
>>65 そうでもない
イベリア半島は西ゴート族に、フランスはフランク族に、
イタリア半島はオドアケル、東ゴート族、ランゴバルト族やノルマン人に征服されたけど
ラテン諸語のまんまだ
モンゴル帝国の支配者達もすぐにテュルク化しちゃったし、なんか条件があるんだろ
67 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 20:00:29.00 O
68 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 20:14:19.12 O
>>65 日本語っつうのは明治以降いい加減覚えろよ。明治以降に移民して来た人種か?
大和朝廷の支配者言語は大和言葉
70 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 21:15:38.52 O
>>68 金丸が琉球人だったら、
それはそれで日本人の影響力の証明になる
72 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 02:06:18.20 O
>>63 沖縄語は日本語といつ別れたんだ?
少なくとも奈良時代に、
隼人語と日本語は通訳が必要なくらいには違っていた。
>>53 いや、一緒だよ
蝦夷とアイヌの文化、生活様式はかなり違う
>>72 隼人と日本は通訳無しで会話可能だった
古文の教養の無い奴が妄想訳してる願望の中で通訳を創造したのは見た事あるがねw
75 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 03:28:52.16 0
>>72 それはねーわ
沖縄は今でもヤマトンチュと言ってるぞ
沖縄ほうげんは確か4000千年前に大和言葉と別れたはず
77 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 09:58:08.64 O
>>74 Wikipediaにも
通訳が必要だったという記述が日本書紀に合ったとあるが
>>74 どこに「通訳が要らない」って書かれてんの
79 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 11:30:12.38 0
源為朝は通訳無しで沖縄人と会話できたんだろうか?
日本語話者と琉球語話者が会話するのは難しい
だけど語族は同じ
同じく英語話者とヒンディー語話者が会話するのも難しいだろうが
やっぱり語族は同じだ
そういうことだろ
81 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 14:46:11.14 O
>>79 日本語と琉球語が別れた時期が
学者によって古墳時代から鎌倉時代と幅がある上に、
それがいつ琉球に持ち込まれたかわからないらしいね
>>81 大和朝廷自身が実行権力失うだろ。大和朝廷がDNA血統的には何者かが最重要では在るが奄美以南は太古貝供給地でもある。中共の基地外が止まらんが
隼人は海幸彦の末裔だよ
山のヤマト
海のハヤト
同じ場所に住んでいた
天皇家が山を由来として海の力も取り入れる神話だな
そうそう
そして神武天皇がハヤトを護衛に引き連れて
九州から畿内に東征する神話
東征は作り話だよ
山が海をってのも大した意味はない
北九州を弱体化させるために畿内と日向が手を組んだ以上の話ではない
いやそういう
ぼくがしんじるほんとうのこだいし
は間に合ってるんで
いや、信じる信じないではなく
その説以外は考古学では全く立証されてないだけだ
史書でも古事記や日本書紀より同時代性の高い6世紀初頭の宋書で
倭王武は自身の先祖が東西日本と朝鮮半島を征服したと主張してるしな
いや記紀自体東征のあとそれやってるけどな
92 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:06:07.12 O
そもそもヤマトの人間は、
韓人と隼人・蝦夷・土蜘蛛のどちらを
「自分に近い」と考えていたんだろうな
93 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:19:18.12 O
>>92 後者にはみんな動物の名が入っとるな
熊襲もか
>>80 難しい程度じゃなあ
百済語と新羅語は会話が不可能なのは勿論、語族すら違う
95 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 21:44:03.49 O
96 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 22:38:55.40 O
>>94 日本語とアイヌ語(蝦夷語)も語族違うけどな
なんで蝦夷の言葉がアイヌ語になってんだよ……
>>96 日本語とアイヌ語は会話不能だったが、日本国臣民と蝦夷(エミシ)は言葉が通じた
蝦夷と蝦夷(エミシ)は別の存在。同じ三韓の百済と新羅並みに違う
99 :
世界@名無史さん:2014/02/15(土) 23:27:33.39 O
>>97 じゃあ北東北のアイヌ語地名や
マタギ語は何?
蝦夷と言っても熟蝦夷、麁蝦夷、都加留と分かれていたんだが
津軽という地名の元になったであろう都加留という集団は果たしてアイヌなのだろうか?
延文元年(1356年)に書かれた『諏訪大明神絵詞』によると、
「蝦夷カ千島」には日の本、唐子、渡党の三種が住んでおり、このうち渡党は髭が濃く多毛であるが
和人に似て言葉が通じ、本州の津軽や外が浜に往来し交易に従事したとされる
1457年にアイヌと和人の戦争、コシャマインの戦いが起きるが
この発端は貿易のもめ事だった
>>101から100年後ぐらいなので渡党(わたりとう)がアイヌだと思う
ということは昔は言葉が通じていたのだろうか?
まあ結果はアイヌ側が負けているので
北海道は15世紀には和人が支配したと言える
>>99 北東北の地名はアイヌ語地名かどうか不明だし
青森でも弥生時代後期には水稲作や弥生土器の利用が始まってるから
狩猟で暮らしていたアイヌやマタギとは生活様式が違う
秋田〜盛岡より北になると、それ以南と住居や土器に違いが出て来るけどね
>>102 渡党はアイヌという民族意識が形成される前に日本語使ってるんだから間違ってもアイヌとは言えないだろ
日本語を話していた蝦夷の子孫って言いたかったのか?
>>104 アイヌと言う民族意識が形成されたのは何時だよ
おれは明治以降だと思うけど
>>105 アイヌ語が形成されたのは何時だよw
明治以降だとでも主張するつもりか?
107 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 01:31:38.16 0
アイヌ語って数種類有るんだが
ちなみにアイヌ人口は江戸時代から詳しく調べられていて
明治初期でたったの3万人程度だった
アイヌ語方言は大きく分けて、樺太、道北、道南、千島に分かれていた
人数と地域的距離から分かる様に
彼らには民族的な繋がりは薄く国家も存在してない
縄文人は5000年前から北海道に住み
日本人に特徴的なハプロD2は、アイヌと琉球人と日本人にしか存在しない
それ以外世界中のどこにも存在しない!
日本で発生したo2b1は半島南部にも分布してるのにな
110 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:17:32.40 0
>>92 そもそも畿内の人間と南朝鮮の人間なんか区別つかんわ
言語が違うのに区別がつかなかったら池沼だぞ
普通は言語の違いによって民族は区別されるからな
112 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:26:45.06 0
方言と言語の違いって微妙でしょ
全然微妙じゃねぇよ
方言の場合は共通の祖語があるから
形態も語順も一緒で語彙も似通ってるんだぞ
日本の方言はヨーロッパより差が大きい気がする
ドイツフランス語は東北弁と関西弁のようなもんだろうし
津軽弁と鹿児島弁はどうするw
115 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:33:06.09 0
>>113 ヨーロッパにも祖語が有るのに
なんで別民族なの?
116 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 02:36:58.87 O
>>115 民族は政治的な概念でしかないからだろ
大した違いはないけど国や歴史が違うから便宜的に分けてんだろ
大和民族と琉球民族みたいなもんだ
民族は政治的なもんだよ
科学的なのは人種の方だ
テュルク系民族とか凄いよな
同じ民族内で人種が違ったりするんだぜ
これなんか典型的な言語による民族の区分だな
>>547 民族は社会的分類
言語、宗教、慣習、文化の全て、または一部を共有する社会集団のこと
超ロングパスw
>>114 日本の方言はヨーロッパの各言語間より差が至極当然の事ながら小さい
独語と仏語は東北弁関西弁と違って勿論通じないし
津軽弁と鹿児島弁が互いに通じるのと異なり互いに通じない
勉強になりますなー
>>122 津軽弁と薩摩弁は通じないぞ、ガチで……
江戸時代も通じないから、江戸言葉混じりで会話してたんだし
外交方も、各藩とも基本江戸藩邸詰め経験者が殆ど
125 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 04:36:28.08 0
でもな、戦国の武将は
日本全国に通用する共通語で交流してたんだぞ
>>125 文章語は通じるに決まってる、当たり前だろ
そのための文語なんだから
古文書読みゃわかるだろう
語義やなんかは小笠原流や伊勢流と言った礼法や、能や狂言によって、共通化
された部分もあった
あと、割と無視できないのは漢語な
127 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 04:58:09.57 0
鎌倉室町時代の守護→守護大名も多いし
支配者層は不通に言葉が通じる若しくは
その術があったのではないかと思うんだが
薩摩の島津だってもとは幕府派遣の守護だし
>>126 うむその勢いで
ハングルと漢語に付いて語ってください
>>127 だから古文書読めよ、戦国時代の古文書は割と残ってるからさ
漢籍由来の語彙が多く使われ、当時の教養のベースになってたという話
しかし、会話語と文章語分けて考えないと話グチャグチャになると思うのだがなあ
>>129 ハングルなんていつの時代の話だ氏ね
>>124 素で話すと聞き取りに苦労するだけで
分かり易く話せば会話は可能な程度の物だったよ
津軽弁と薩摩弁は通じないってのは都市伝説
まめだけど
薩摩藩は幕府の密偵防ぐために郷中教育の一貫で方言を強くしたって聞いたことあるな、暗号が一般化したとか
通じるというのは津軽と薩摩のイントネーション似てたからそれから生まれたジョーク
>>133 薩摩弁に古日本語の音が一番残ってるって言ったのだれだっけ?
>>133 >薩摩藩は幕府の密偵防ぐために郷中教育の一貫で方言を強くしたって聞いたことあるな、暗号が一般化したとか
俺もそれ書こうとして裏を取る為にWikiチェックしたんだけど、どうもその話はガセらしいという事が書いてあった
>>134 薩摩種子屋久は鎌倉系だろ
>>128さんの通り武家言葉と朝廷大和言葉と畿内土民、各地土民が丸きり同じ言葉は話さん。
>>136 あ、もしかして勘違いさせたか?
薩摩弁に古日本語の音が一番残ってるって言ってた高名な学者がいたけど、それって
誰だったっけ?
という話
津軽弁にも古代の大和言葉が多く残ってるぞ
古代の大和朝廷は津軽まで支配していなかったのにな
蝦夷の中でも最も遠方に居た津軽ですらそういう事なんだろうな
>>133 津軽と薩摩の方言が通じないというのは訛りを揶揄した冗談だよ
実際の書状には訛りが酷くて聞き取り辛いとある、つまり会話は成立していたという事
141 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 15:53:57.25 O
142 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 16:07:39.66 O
>>139 昔の言葉が何百年かけて周辺に広まっていくとか
柳田邦男だったかがいってたな
>>142 同一言語内だと辺地の方が古いってのはよくある傾向だよね
144 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 16:32:25.24 0
なあなあシナヤンって聴声殿のログ残ってねえのかな
>>141 万葉集の頃が最古だろうな
それ以前ははっきり分からないから
もっと古い可能性がある
古代の方が方言の差が少なくて言葉が通じてたはず
アフリカを出た人類の言語は一つだろうし
表意文字と表音文字の違い
中国は違う地域でも意思疎通ができたから
いや西洋にもラテン語があるし
文明社会や知識人の言語はシリア語やギリシャ語で
ラテン語は支配者の言語ではあるけど蛮族用じゃし、満語みたいなもの
あほか
ローマ時代ならまだしも中性以降は知識人の言葉だわ
150 :
世界@名無史さん:2014/02/20(木) 21:15:33.28 O
>>142 なら、後世の津軽方言は日本に組み込まれてから
日本語が伝わって成立したんでは
151 :
世界@名無史さん:2014/02/20(木) 21:18:56.99 O
仮に奈良時代の隼人や蝦夷が日本語族だったとしても、
現在からは証明の仕様はないな
>>150 八丈方言みたく基層の上代日本語の痕跡がある訳でもないなら、そうなるだろ
津軽という地名にはアイヌ語起源説もあるようだし
>>150 それは考え方としておかしい
後世に伝わった言葉ほど中央に近くなる
>>151 証明は可能だよ、隼人や新潟盛岡秋田までの蝦夷には通訳の記録が無い
それより北には時代がもっと遅いにも通訳の記録があるにも拘らずね。
反論したいならこれに勝る説得力を持つ証明をしないといけない
155 :
世界@名無史さん:2014/02/21(金) 19:00:02.27 O
>>154 「通訳の記述が無い」=「同じ言語」という理屈はおかしい
通訳の記述が無い、乃ち同じ言語である。
>>155 通訳なしで通じる異言語も認める
という事はなんJ語は日本語ではない確率が微レ存!?
158 :
世界@名無史さん:2014/02/21(金) 22:50:48.59 0
そうすっと通訳無しには言葉が通じなかった徳川家重将軍は外国語を話してたのか
159 :
世界@名無史さん:2014/02/21(金) 23:29:13.05 O
>>157 いちいち通訳のことを書かない可能性もあるだろうに
まあ、普通に考えてアイヌ語とかよりは日本語そのままだったろうね。
161 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 00:30:51.45 0
「蝦夷」と「訳語人」で検索したら
たくさん引っかかるやないけ
>>159 無いよ。以っと後の時代には通訳の記録が出て来るからねw
つまり、蝦夷(エミシ)に通訳は不要だった
いい加減板違い(´・ω・`)
でも日本語が通じる蝦夷と日本語が通じない蝦夷の違いに関する史料ってねえの?
164 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 02:18:49.17 i
中国語は地方によって発音が違いすぎて意志疎通が出来ないとまで言われてるけど
中国の古代の文献には通訳を介したという記録がないから古代中国では中華全土で共通話が話されていた・・・?
まあ、歴史書ってその当時の常識とされることは、記録に残されてなかったりすることもあるらしいね
新羅は百済の通訳を介してやっと通じるとあるね
166 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 02:41:31.82 0
新羅はアイヌ語だったかもw
167 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 03:23:11.68 0
>>164 いや、呉や越に対しては、言葉が中国とは違うと記録に残されている
勿論、北狄や犬戎も
169 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 08:33:00.87 0
しかし筆談といったって始皇帝が統一するまで漢字も国毎に違ってたし
170 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 09:06:42.69 O
>>169 宮廷や政治家達は標準語使っていたとか?
春秋戦国時代の各国の人材は外国人ばっかりだしな
中国の伝統で戦国時代も人の移動は非常に盛んだったからな
諸国で活躍するような人材の間ではいくらでも意思疎通が可能
民族自体が別物だった楚からきた華陽夫人が秦で権勢を振るったりする位だし
172 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 12:27:30.93 O
ロシア帝国も、
フランス語をしゃべり
母は皆ドイツ貴族
>>172 支配層が文部省や中央メディア持って言葉を誘導せんからな
>>169 いや、基本的に同じ字だよ
楚字にしても独特の漢字があるとは云え大多数は同じ文字
書体は独特だけど文字は同一
>>170 いや、呉や越に対しては言葉が中国と違うと記録に残されているが
楚、巴、蜀、燕を含めその他の国々は互いに会話が成立していた
175 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 14:27:56.05 O
>>174 蜀は後でも異民族だらけだったし楚もだった
あくまでも上流階級じゃね?
蜀は文化が違うだけで異民族だらけだった事は無いし楚も同様
言葉や文化に言及する場合は支配者層でなく平民
殷の時代は中原でも地域によって会話がなりたたん地域もあったそうだが
異民族じゃあないんか
こういうのは時代でかなり変わるんじゃ
178 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 20:37:32.87 O
>>177 やはり周代はデカいな
多くの異民族が、
周の文化圏に参加し共通語も普及している
>>177 殷、周の時代には北狄が未だ中原にも居たし
春秋時代の方谷にも結構牧畜民が残ってる
東夷がどんな言葉を話してたかは不明だけど、これは周前期に同化してった
180 :
世界@名無史さん:2014/02/22(土) 20:52:44.65 O
楚や秦だってもとは周と関係ない別民族・別王朝で独自に成立してきたのに
いつの間にか周の文化圏に入ってて秦崩壊後もあっけなく劉邦に征服されたしな
秦は西戎と雑居していただけで秦に属していた住民自体は同民族
楚は食い物とか気候の影響で独特の様式もあるけど
大方の予想に反して古い時代の遺跡も周と似てる
183 :
世界@名無史さん:2014/02/28(金) 19:26:38.70 O
>>181 ローマ帝国より前にヨーロッパの概念無かったのと対照的やな
人口が希薄だと行政効率の要請上必然的に分裂傾向が強くなるは
中国という大地の農業生産性の高さが一つの中国を作ったと
秦統一時に焚書で各国の歴史書を非官僚が持つことを禁止したのが大きいだろ。
最初の統一国家秦の情報統制の徹底さは史記の年代の矛盾にまで及ぼしたのだから
ヨーロッパの概念っていうのがよく分からんが
アジアに対する地理的な概念としてギリシャ人は昔から持ってたな
ついでに言うと、ヘラスの概念を拡大してマケドニア人を忠信にヘレニズム期にギリシャ世界を広げている
まあそれは、中華思想みたいに何でも中華の下僕認定できるものではなかったけど
もともとペルシャという大国やエジプトという先進地域を意識しながら発達していった国だし
×秦統一時に焚書で各国の歴史書を非官僚が持つことを禁止したのが大きいだろ。
○秦は統一後、法術書、史書、医学書、技術書を除く、諸子百家の書の私有を禁じた。
×最初の統一国家秦の情報統制の徹底さは史記の年代の矛盾にまで及ぼしたのだから
△最初の統一国家秦の情報統制の徹底ぶりは史記の年代の矛盾にまで影響したのだから
○史記が記した各国世家の年代が矛盾するのは各国史官の年代表記の曖昧さ故
>>188 ヨーロッパの概念は
貴族や王族が婚姻してる範囲でよくないか?
西方異端の範囲でいいよ
正教世界のビザンツやルッシャとは別
192 :
世界@名無史さん:2014/03/03(月) 21:02:55.33 O
>>188 ギリシャのエジプトやペルシャに対する意識は、
日本が中国に対して抱いたような、
あくまでも同じ文明圏の、
辺境が中央に抱いた跳ねっ返りの意識かもしれない
193 :
世界@名無史さん:2014/03/03(月) 21:14:23.94 O
マケドニア帝国の歴史的な意味は何だろうか
少なくとも東地中海一帯がヘレニズム国家で占められたことは、
ローマ帝国やキリスト教拡大の下地にはなってそう。
文化は伝播して俺らが光輪つき仏像を拝むようになったのは
アレクのおかげじゃね
少なくとも秦と楚は歴史に現れたときにはすでに
周と会話が成立していたことは明らかか。
197 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:35:25.88 O
199 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 23:34:27.41 O
>>198 オリエントの一地方がオリエントを征服したイメージ?
キリスト教や教皇の存在がでかいと思う
201 :
世界@名無史さん:2014/03/10(月) 22:42:17.26 O
官僚制の優劣?
それもあるし、もっと大きいのは農業技術の優劣だと思う
農業生産力が高いからこそ人口密度が高くなり
人口密度が高いからこそ高度な官僚制が発達し
高度な官僚制が発達したからこそ統一政府が幾度と無く出現した
何度も崩壊してるから
優秀なw官僚は歴史に学ばなかったという事だな
205 :
世界@名無史さん:2014/03/11(火) 22:46:39.78 0
ローマの官僚制度は中国ほど良くはできてなかったということかな?
それが分裂後すぐに再統一に近づいた前秦とゲルマン三国の違いか。
ゲルマンは法制度の違いもある
207 :
世界@名無史さん:2014/03/11(火) 22:55:56.76 0
けどそれ言い出したら前秦だって漢人じゃないぞ
官僚はあくまで皇帝に仕える人だろ
中国の官僚を動かすには賄賂しかない
対してヨーロッパは王侯貴族や金持ちの代弁者が政治に影響を与えたから
やっぱり政治体制が大きく違うな
抑々西欧が稍く奴隷制から抜け出して農奴制やってた頃には
もう貴族制が終わって実力選抜制になってたシナ
中国は官僚制という近代化を先取りしたけど
結局先取りしすぎて科学の停滞を生んだのは皮肉だね
つうか官僚制は敗北の歴史だよね
中国、日本とか
過度の官僚依存なら死亡フラグだけど
官僚は必要よ
>>210 唐、宋と科学の進歩は目覚しいものがあるよ
明代も科学や技術は発展してる、清代は停滞してたけど
214 :
世界@名無史さん:2014/03/12(水) 22:39:16.01 0
215 :
世界@名無史さん:2014/03/17(月) 06:23:36.06 O
ローマの国政がわからないな
中央集権じゃない?
全く集権ではないよ
皇帝軍とその幕僚、重臣軍とその幕僚、統治権を与えられた家
などによる個人的な権威権力が複数ある支配
ローマが中央集権化したのは、中世ローマ帝国(いわゆる東ローマ)の一時期だけだねえ
それは「中央権力」の権力が分散してるってことで
地方分権中央集権の分類でいくとあの時代では十分中央集権だと思う
独裁は個人独裁を連想しがちだが集団による独裁も独裁、
という話類似のありがちな勘違いかと
古代帝国は地方の生産力が弱すぎてみんな中央に居る感じ
>>219 むしろ、ローマ帝国の場合、本国イタリアは早期に商品作物栽培にシフトしちゃって、
食糧はシチリアやアフリカ属州、エジプトに頼り切っていたわけだけど
エジプトの小麦はダントツだな
ローマを地方分権といいたいなら
同盟国に焦点当てるべきだがあれは別の国と分類するなら
やはり中央集権
>>222 属州はどうすんの?
別に集権分権どっちでもいいけど、属州でも基本内政は自治権認められ、ローマ本国は
あまり口出さないぞ
まさか属州も別の国だと?
224 :
世界@名無史さん:2014/03/17(月) 23:11:51.80 0
要するに周並みか
俺も周帝国によく似てると思うはローマ
>>226 いるよ?
でも属州税の取り立てと、属州内の部族間またはローマ人との訴訟以外は殆ど手を出さないよ
特に属州内の部族内または都市内自治については完全に認めてる
>>227 ん?税の有無が古今東西問わず支配の要だったんですが
税を総督の裁量で自由に取り立てて問題になったのも多いんですが
カテリーナ弾劾みたくね
同盟都市、国家の自治は属州全域にあったわけどもないで
実質的にどうかってのを判別するポイントは税と軍だね
>>228 自治は属州のほぼ全域で認めてたよ
属州税は属州の義務だが、それ以外の税は地域によってバラバラ
ちなみに属州税も、その徴収方法はバラバラ
>>230 あのー税を取り立てる時点で支配でっせ
今の日本の地方自治体もそれなりの自治はありますがそれが地方政府というのは無理がある
というかなんで同盟市も植民市も同じ扱いにしてるんだおまえは
さては単なる無知だろ
>>231 別に支配してること自体は否定してないよ?
それがいわゆる集権的かどうかって話だろ
もしかして集権的支配って言葉自体の定義が違ってるんじゃないのか
あのなぁ
属州総督を中央からだしてそいつが「税」を
かなり自由裁量で徴収してんだ
それを地方分権とはイワン
>>233 あのなあ、ではなく
そこを中央集権的というなら、総督の徴税についても中央政府の拘束がないと集権化
されてるとは言わんだろ
その程度で中央集権的って言われても困る
だから定義が違ってると言ってる
もともとローマには帝国全域に有効な網羅的法規範も無いし
属州総督が支配権を行使してるのが中央集権でない?
あのね分権というからには地方固有の権力として
統治権の一部ないし全部が存在しなくちゃならんよ
君の定義だと歴代の官僚制中華帝国が地方分権になってしまう
定義が確かに違いすぎる
単に常識がないわ。
>>235 逆に強力な中央権力不在な体制を中央集権とは言わんだろ
中華帝国が真の意味で集権化したのは宋代ってのがよく言われることだし
お前の常識なんぞ知らんわ
世間の常識ならともかく
属州に焦点当てた君の見方でローマが地方分権と言ってる学者はいないよ
識者の常識ではそうでっせ
まじ単なる無知だな
反対する立場は同盟国の扱いに焦点当てるやり方だ
基礎的知識がないわ
>>235 属州総督の幕僚は公務員では無く只の家人
ローマ皇帝の支配は属州には全く及ばず
属州総督が封建されて支配収奪しているだけ
中央集権から遥かに程遠い、おまえは問題外、無知過ぎる
皇帝属州をぐぐってみようね小学生君
さては単なる無知だろ
単に常識がないわ。
お前の常識なんぞ知らんわ
基礎的知識がないわ
中央集権から遥かに程遠い、おまえは問題外、無知過ぎる
皇帝属州をぐぐってみようね小学生君
みんな一行づつ削れば良いスレになるのになあ
241 :
世界@名無史さん:2014/03/18(火) 22:29:32.56 O
ヨーロッパではローマが衰退&分裂したら、文明レベルが落ちて
各地の言語もバラバラになっていったのに
周の力が落ちても中国の文明レベルは落ちないし
文化的な一体感はむしろ増してる
上世は道徳を競い
中世は智謀を追う
当世は実力を争う
社会が発達したって事よ
発達したのは暴力と恐怖だけー
道徳は消え
どす黒い智謀だけが残った
245 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2014/03/18(火) 23:17:57.53 0
中国は、遼東半島の付け根の周辺が最大の人口密集地帯、そこを支配
すれば、後は周辺の山岳砂漠の過疎地をどれだけ侵略できるか、
時に分裂するが、直ぐに何処かが全体を飲み込む。
ヨーロッパは、人口が元々分散していて、此処を抑えれば他は従う
だけという中心地は存在しない、ローマは軍事力を蓄えほぼ統一で
きたが、黒海周辺から湧き上がる、騎馬民族に蹂躙され滅んだ。
日本は、複数の中央政権が存在するには狭すぎる、ただし幕府体制は
地方分権の連立政権、今は中央集権の時代、やがて武士が台頭する。
朝鮮も狭いが、陸続きの他国から干渉され、それで今も分裂。
日本を見て周代と重ねる中国人も居る
まあ今の日本は中国朝鮮化してるけどw
>>244 智謀で何とか為るのは人が少なく社会の未発達な中世まで
その後は血で血を洗う総力戦
大きな島は独立しやすい
大きな半島は独立しやすい
それだけ
>>238 こいつ多分ここで中国マンセーの変すぎるレスする奴だな
中国のことだけ詳しいが他の歴史は教科書レベルの知識もない
どうやら中国人
やたら封建制を敵視して中国以外は野蛮と繰り返す
250 :
世界@名無史さん:2014/03/19(水) 10:03:12.70 O
>>245 だが周も秦も本拠地は中原でなく関中
特に秦
251 :
世界@名無史さん:2014/03/20(木) 21:18:37.81 O
なぜだかロシアもデカい
時代が下るに連れて
長安→洛陽→開封→北京と首都がだんだん東に移っていく不思議
不思議じゃない
その方がモンゴル人が都合良かったから
中国人の起源はモンゴル人
>>253 西と北の方が開発し易いけど、肥沃なのは東と南たからでしょ
北京は対北方の軍事的要請で仕方なく置いただけ
>>256 最初に北京を首都にしたのがモンゴル人だってば
開封に移ったのは京杭大運河のせいだし
北京に移ったのは海運が発達したからだわさ
北京が首都になったのは、永楽帝が決定的だったのか
それとも歴史的必然だったのか
元の首都が大都(今の北京)
モンゴル人が中国を支配するのに適した場所が北京
清朝の首都も北京
いや、最初のモンゴル人浸透王朝北魏の首都は太原→洛陽
満洲族の場合は元々が東北だから北京一択
いやいや、元だよ元
モンゴル帝国(元)が北京(大都)を作った
今の北京の周辺に都を置いたのは契丹からかな?
戦国の燕の薊はほぼ北京だが
ただ、現在の形になる基礎を築いたのは元、固定化、発展させたのは永楽帝だねえ
当時の農耕北限付近が北京ってことじゃない
統治民の中華式支配方法のノウハウの北限ともいえる
北京の少し北あたりより北になると狩猟牧畜が主産業になる
遼東あたりは農耕かのうか微妙な地域
265 :
世界@名無史さん:2014/03/23(日) 00:52:29.85 O
>>264 その割に
封禁解かれたらあっという間に中国化した満州
……なんかさらっと流してたけど、いつの間に鮮卑拓跋の北魏が
モンゴル人扱いになってるんだ?
鮮卑がモンゴル人近縁って学説はあるけど有力説でもなんでもないよな
有力説じゃなく定説だよ
>>265 ケッペンの気候区分では華北平原北部と東北平原は同じ気候に分類されるようだ
単純に女真族が邪魔で漢民族の定住が進まなかっただけなのかもね
269 :
世界@名無史さん:2014/03/24(月) 16:18:56.97 0
ヨーロッパが印欧語一色に染まったのっていつ頃なんだろうなあ。
>>269 骨壺墓地文化(北部・東部)と鐘状ビーカー文化(南部・西部)の時代。
しまった。
ウーニェチツェ文化(北部・東部)と鐘状ビーカー文化(南部・西部)の時代。
272 :
世界@名無史さん:2014/03/24(月) 23:53:58.83 O
>>268 清時代に始めて女真の地域が平和になったということか
>>269 ローマがイベリアを征服してからゲルマンが侵入するまでの間
運河と言えば、ライン・マイン・ドナウ運河開通と同年に欧州連合発足だった
275 :
世界@名無史さん:2014/03/26(水) 23:02:53.44 0
周が王子を各地の君主として派遣したみたいに描いてあるが、
それは本当なのか、
だとしたらなぜわざわざそんなことをしたのだろうか
平安時代の朝廷、源氏幕府の執権家、南北朝の南朝、モンゴル帝国、セルチュク王国、ビザンツ帝国
それらも王子を各地の君主として派遣してるのに何が疑問なのだろうか
278 :
世界@名無史さん:2014/03/28(金) 23:46:44.88 O
台湾だけが中国の中で分裂している
他は瞬殺された
大きめの島は独立できる
半島も独立しやすい
そもそも台湾が中華になったの清やん
281 :
世界@名無史さん:2014/03/29(土) 08:52:13.82 O
>>278 アレは台湾というより、中華民国だからな
ビン人とは関係なく、漢民族主流派が移住して建国。
むしろ、中華人民共和国の一部になっていた方が
ビン人の持っていた地方色みたいのは保持されたんでは。
282 :
世界@名無史さん:2014/04/02(水) 18:22:16.55 O
ガリアやイベリア、イタリアすらまともに統一されて無かったからな、
中世には。
283 :
世界@名無史さん:2014/04/03(木) 22:06:07.74 0
一言で言うと、ヨーロッパが遅れていたからでは?
ローマが崩壊してから後退し、
そこから統合を進めていったように見える。
ヨーロッパの絶対王政の時代が中国で言うと戦国七雄の時代に相当し、
現在はEUが秦のように統一をなしとげつつある。
地形の差はせいぜい統合のスピードをちょっと遅くするくらいに作用しただけでは。
交通が発達すれば地形の壁は越えられる
逆に言うと地形の壁がなければ交通はテキトーでよい
民族意識が巨大になった現代と秦をくらべるのもどうかと思うがね
中国の優れてたところは行政法と官僚制だろうが
そういうものがあったから統一したのでなく
統一したからそれらが発達しただけで順序が逆だと思うよ
286 :
世界@名無史さん:2014/04/04(金) 00:11:59.33 O
>>285 例えば秦は統一前に既に統治技術磨かれてね?
秦の制度もなぁ
現代的制度だからといって当時の社会制度からみて優れてるとは即断できないかと
法家は大量の人民を硬直的に管理するには優れてるが
場合に応じて公平な運用できるならそのほうがよいので
秦の制度が優れているとは必ずしも思わない
第一この硬直した法制度で反乱までおきているのは明らかに欠点
封建制はそういうものでない分権的統治可能だし
科挙はおおむね優れているとは思う
それが支える官僚制は弊害も生んだがまぁ優れてるとはいえそう
戦国時代みたいに露骨に暴力を使って併合できた時代と
現代のEUみたいな、それをまとめる主体の力は無く、地域差が経済政策の一致を妨げ、しかも経済を除けばそもそも統一する必要性があるのか分からない
という存在を同一視して、「そのうち秦のようになるだろう」と思えるのが凄いな
>>287 蓁が崩壊したのは始皇帝の匈奴、ベトナムの2正面遠征が元凶で法制度が元凶ではない。
司馬遷が蒙恬や王翦、李斯の評で始皇帝を諫めないから一族に災禍を及ぼすことになるという
ぐらいなのだがから。
>>287 硬直的ではないというのは、要するに非効率で腐敗しているという事
秦の制度はその点に於いて優れている
現在では、反乱が起きたのは二世皇帝と超高の無謀な政策による
用役や徴兵や貨幣改変等の暴政が元凶と解ってきている
史記に在る有名な期日に遅れたら死刑という台詞も
始皇帝の時代にはその様な法規も対応も存在しなかったと確定したしね
暗殺者に追い掛け回されても
兵士が助けに入れず突っ立ったままなんていう法制度が優れてるとは思えんのだけど・・・
皇帝が度々近衛隊長に殺害された帝国よりマシだよな
293 :
世界@名無史さん:2014/04/04(金) 19:06:22.75 O
もしモンゴル軍に襲われる直前の中国に
総力戦の概念あったらどうなるかな?
総力戦の概念が復活してたら
>>294は今頃中国語喋ってるよ
概念じゃなくて技術があるかどうか
国家の総力を前線に輸送する技術がないと総力戦やりたくても輸送力がネックになって無理
鉄道が普及するまで待たんとね
戦国時代に総力戦やってるんだよね
少しは歴史のお勉強しないと、ここ世界史板だし
鉄道による迅速な兵員動員もあるけど
基本的に総力戦っていうのは国家の持てる力を全て戦争行為に
総動員する形態だから、鉄道の有無はあまり関係ないんじゃね?
まぁ俺はむしろモンゴルという国の体制が総力戦という戦争形態に近いものだとは
思ってるけど
騎馬民族という生活様式が既にあの時代における軍事力と生活が
密接に結びついてるようなもんだし
>>290 ???
秦は硬直的と287はいってるがその反論になってないぞ
>>301 硬直的というのはすなわち非効率ということなんだが。。。
ああそう基礎的な日本語がわかってないから訳知り顔でえらそうなのか
>>302 勝手に俺様定義しては駄目だよ。
秦は硬直性故に効率的で腐敗が少なかった
ローマは法が存在しない故に権力者が好き勝手出来た為
行政は非常に非効率で腐敗していた
>>304 悔しいのは解るけど反論出来無い時は沈黙しててね、無意味だから
こう ちょく かう− [0] 【硬直】
一 ( 名 ) スル
@
硬くなり,自由が利かなくなること。柔軟でないこと。 「 −した精神」
@
硬くて,まっすぐなさま。 「 −な身体を伸長し/土 節」
A
正直で誠実なさま。
306 :
世界@名無史さん:2014/04/04(金) 20:37:01.98 O
日本統一も
中国伝来の統治技術で成し遂げられたのか?
統一した後なんだけど、本格的な使節を定期的に送り始めたのは
横からだけど、
硬直的=非効率&腐敗が少ない
のでは?
現場の裁量の範囲を広げれば広げるほど、柔軟な対応ができる代わりに腐敗の温床となりやすい
>>308 それが常識だと思う
硬直的ってのはなにが問題化というと効率が悪く不合理
腐敗は少ないかもしれんが
>>305 硬直的の類語が非効率だよw
基礎的な日本語しらんのな
312 :
世界@名無史さん:2014/04/04(金) 21:58:18.90 O
>>307 台湾なんか一向に統一される兆しが無かったようだが、
日本はなぜ統一されたんだ
>>309 大倭国、大和朝廷の時代にも日本法は在ったんだよ
律令の様な機能的で体系だった方は無かったけどね
横からだけど、
硬直的=効率的&腐敗が少ない
のでは?
中間の裁量権を広げれば広げるほど、たらい回しにして恣意的な行政処理が行われ易く
亦中間の裁量権を広げれば広げるほど、好き勝手に権限を乱用し腐敗の温床となりやすい
>>314 それが日本人の常識だと思う
硬直的である程、合理的で効率が良い、かつ腐敗も少ない
>>314 硬直的な組織ほど賄賂が増える
中国がまさにこれ
>>316 中共は日本と比べ姦吏の権限が幅広く裁量の余地が大きい
常識だよw
320 :
世界@名無史さん:2014/04/04(金) 22:48:45.71 0
>>319 ちゃんと自分で提示しないと駄目だよ
ちなみにおいおい314は別人だ
中共姦吏は日本の姦吏と比べ権限や裁量の幅が大きく
たらい回しや袖の下要求が多いのは常識だね。
日本だと江戸時代に目安箱が有って
庶民の意見や密告を殿様が直接見ていた
中国にはこんなシステムあったの?
陳情はどこの世界でもあるシステムでしょ
陳情自体はあるけど、陳情し易くする為の恒常的な仕組みは
古代中国にも欧州にも無いよ
>>326 うん
とりあえず残念でもなんでもないなぁ
実際同じような意味と分類してる奴がいるんだからw
まぁ硬直的≒非効率と分類は可能
一方
>>290 >硬直的ではないというのは、要するに非効率
硬直的でない=非効率
は成り立ちませんw
あなたは硬直的でない=非効率を証明しなくちゃいけないのに
一生懸命
硬直的=非効率ではないといってドヤガオしてる阿呆w
さあ論点さえもわからない無能君
硬直的でない=非効率を頑張って証明するんだw
>>328 あのwwwwwwwwwwwwww
日本語の問題ですよw
アナタの妄想が根拠になるのなるんですかw
あなたも日本語の問題と思ったからドヤガオで326だしたんでしょw
反論できなくなって論点そらし
うわぁ逃亡がバレバレw
本当に中華厨は馬鹿だなぁw
さっきもローマに法がないと頓珍漢なこと言って猛烈にたたかれたらさっさと逃げ出したし
まぁこういう反論はアナタが敗北を認めた証拠ですな
また面白いネタ振ったら相手にしてやらんでもないぞw
>>329 日本語問題、
>>326にある通り硬直的に非効率という意味は全く無い
制度問題、
>>314>>321にある通り縛りが緩く裁量の大きい行政権力は
たらい回しによるサボり、意図的な処理選択による腐敗などが蔓延するのが現実の社会
はい、残念賞
アメリカのような行政は
縛りが緩く裁量の大きい行政権力だと思うが
>>330 >硬直的でない=非効率を証明しなくちゃいけないのに
さぁがんばれw
制度問題はアナタの妄想なので第三者の文献を出しましょうということなんですがw
論題そらしはまさか気付いてなかったのか
それともむきななって再び再戦してるのか
いずれにせよみっともないねw
硬直硬直硬直
縛りが緩いほど役人の裁量の幅が広まるので
役人の優秀さ次第で現実に合わせた柔軟な対応が取れるが
同時に腐敗・癒着が入り込みやすいということにも思えるけど
さてさて
>>331 米国の行政機関や法規制は、法律と規定と通達によって事細かく逐一ガチガチに縛られてるよ
実態を何も知らないようだけどw
>>332 先ずオマエは何一つ第三者の文献を提示して無いよね。
>>314>>321にある通り、縛りが緩く裁量の大きい行政権力は
たらい回し、コネや賄賂による恣意的な行政処理、サボり
等による腐敗と非効率が蔓延してしまうのが現実社会。
秦漢では平民であっても法の下に平等では無いが法の庇護下にあったが
ローマ平民は貴族とのコネが無ければ裁判すら受けられず
納税ですら国の庇護下には無く徴税権を持つ豪族によって好き放題搾取された
国にとって非硬直的なローマは非常に腐敗し非効率
>>335 硬直的であることと非効率は類語に分類してる第三者がいますよw
つまりそう考える人間がいるわけです
本当に基礎的な日本語が読めんのだな
まぁ議論以前に日本語が大変不自由な方だと認識しておりますが
まず
>硬直的でない=非効率を証明してくださいな
文献を使って
まぁ論理学の基礎もわかってないでしょうからあらかじめ言っておきますが
硬直的でないかつ効率的という理想が一例でもあればあなたは敗北します
まぁ最初に大風呂敷をひろげすぎましたねえw
硬直的であることは、公平性を一定程度担保するとは思うけどね
今やってるのって、歴史の話じゃなくて硬直って言葉の用法の問題だよな
マルコポーロだかムスリムの旅行記だか忘れたが
人民が手軽に陳情できるシステムについての記述があったような
>>340 あ、いや、分かってますよ
その上で、の話
343 :
世界@名無史さん:2014/04/05(土) 19:38:11.62 O
本当に申し訳ないが、よそでやって頂けないでしょうか
345 :
337:2014/04/05(土) 20:03:49.24 0
>>344 あれ、なんか誰かと間違われてる……
横から口出しただけなんだけどな
>>346 こちらは類語と分類可能です
アナタは
>硬直的でない=非効率を証明してくださいな
を全く反論さえしておりません
あなたの妄想は根拠が無いですがこちらの
>>336 >硬直的であることと非効率は類語に分類してる第三者がいますよw
つまりそう考える人間がいるわけです
で反論してまっせ
現実逃避はいい加減にしなさいな
348 :
世界@名無史さん:2014/04/05(土) 23:23:29.98 0
うぜえ、よそでやれ
中国が変わるためには政治体制を滅ぼすしかなかった
硬直化して腐敗が多かったからな
ああもうオウム返しになってるなw
めんどくさくなってるだろw
こちらは第三者の根拠があり、証明もできてますが
つぎにアナタの証明意すべきことから逃げるなw
>硬直的でない=非効率を証明してくださいな
文献を使って
まぁ論理学の基礎もわかってないでしょうからあらかじめ言っておきますが
硬直的でないかつ効率的という理想が一例でもあればあなたは敗北します
逃亡しまくりですがキチンと硬直的は非効率と類語に分類されるものもあるので
そのていどには硬直的=非効率なのは常識
分類しない一例あげても無駄です
硬直的=非効率と考える人が相当数いるだけで証明は終了してます
これは第三者の文献です
もう三度目だね
残念だったねw
354 :
世界@名無史さん:2014/04/06(日) 09:06:37.68 0
本当に申し訳ないが、よそでやって頂けないでしょうか
>>353 352で硬直的の類義語に非効率はあるっつのw
単にお前の検索能力が低いだけ
欧州を統一するにはロシアという障壁を砕かなくてはならないが、
ナポレオンもヒトラーもロシアを倒せず、逆に彼らによる欧州統一は砕け散った。
ロシアって中国で謂えばモンゴルでしょ
まあ中国で云わなくてもモンゴルだけどw
つまりスターリンによって欧州は統一されるべきだったのだ
359 :
世界@名無史さん:2014/04/07(月) 19:13:21.79 O
絶対王政期のフランスが戦国秦なら
ナポレオンは劉邦
ナポレオンが始皇帝じゃね?
絶対王政の仏王国は魏や趙
361 :
世界@名無史さん:2014/04/08(火) 20:23:23.01 0
フランス王室にしろ、秦王家にしろ、
長い歴史を持つのに
権力を強化して絶対君主としてふるまうようになったら
民衆から攻撃されて元通りどころか
王の位さえ失った。
さらに、名も無いポッと出の奴が王になった。
>>358 ナポレオンの覇権に反対して代わりにアレクサンドル1世の覇権になっても意味が無いし
同じようにヒトラーの覇権に反対して代わりにスターリンの覇権になっても意味がない
そうならないように苦労して潜在的敵との連合をやってたのがメッテルニヒやチャーチルだな
ヒトラーに欧州を全部やるまいと必死になってたらスターリンが半分持ってった。
byチャーチル
364 :
世界@名無史さん:2014/04/08(火) 22:10:31.59 0
ずーっと七雄の王家が続いていたのに、
なんでいきなり農民が王になったりするの?
それまでそんなことってあったっけ?
庶民が表舞台に立ってた記憶が無い。
劉邦って農民上がりじゃないのか?
366 :
世界@名無史さん:2014/04/08(火) 22:29:22.28 0
初めて出たのは陳勝と呉広?
>>361 墾草令を始めとす改革から二世皇帝の廃位まで1世紀以上経ってるし
仏王国の最盛期から滅亡までも半世紀以上経過してるんだよね
よってその主張は全く成り立たない
>>364 斉は王統が簒奪されてるし、三晋は晋が解体されて出来た国
劉邦も地元有力者の家の出で平農民じゃあない
369 :
世界@名無史さん:2014/04/08(火) 23:16:08.75 O
370 :
世界@名無史さん:2014/04/08(火) 23:24:44.02 0
逆じゃね?西洋は統一を。中国は分裂を繰り返したか。
>>368 劉邦じゃなくて陳勝・呉広の話だろ。
田氏だって農民じゃない
毛沢東は乞食農民あがりか
そもそも春秋の王統自体胡散臭いのばっかじゃん
周からの派生はともかく
毛沢東も一応自作農で朱元璋のような飢餓の経験は無い
376 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 01:41:55.22 0
日本で同じような身分変動が起きたのは戦国時代か。
織田や徳川もそれ以前の名門出身とは言えないし。
377 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 01:46:39.55 0
どうも統一して、絶大な権威を誇るようになってからのが
すぐ倒されて跡形も無く消えていくようになる
逆に、ヨーロッパの貴族は中国の皇帝にくらべて小さいのに
みんな息が長い
>>377 地元に支持基盤があるってのは大きい
ナショナリズムと一体化できるから
ラマ教の権威はモンゴル帝国以来延々と存続している
>>377 雑魚しか居なければそれだけ生存空間が広くなるという事
他にも行政がお粗末だと公が小さくなり色んなものがグレーゾーンに跋扈する
唯一無二になると衰退したときに滅ぶしか無くなる
衰えたなりに残るってのが不可能
単に中国はたやすく異民族の侵入を何度もゆるしたから
地元の古い有力者が絶滅してきただけ
ヨーロッパは戦乱期間中国より長いが似た民族で争ってる
中国並みに入れ替わるのはハンガリー平原とかごく一部
中国は実際は伝統途絶えてんだよね
特に元以降は明らかに人種も文化も変わる
昔ながらの中国の伝統的インテリの文化が人間ごと失われた
チャイナドレスも満漢全席も中華の民のものではないはずなのに
中華文化と偽ってるのも学問的には興味深い
無知蒙昧には知識の制約が無い分
願望に基づいて好き勝手に妄想出来る
尤も現実からは常に懸け離れてるがね。典型例は
>>382 実際には、山東の漢人名門貴族は五胡十六国から南北朝を経ても多数存在していた
地元の有力者なのだから残るのは当然だけどね
捏造永住者は肥大化した虚栄心が故に、その自分に都合が悪い歴史的事実を受け容れられない
所謂名家の没落が激しかったのは初唐から盛唐に掛けてで
それ以降は再び安定し、唐末になると貴族制その物が終わる。
また、漢隋唐宋元明と中国は途切れる事無く常に先進の超大国で在り続けた。それが現実
中国人のY染色体の90%はO3で典型的な漢民族のもの
民族が入れ替わったりした割に圧倒的大多数は漢民族のもので構成されてる
尤も古代漢民族がO3以外の男系で構成されていた可能性が無くはないけど
385 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 07:53:08.34 0
すごいね、あんた。
漢民族12億人の染色体を調べて廻ったのか。
>>373 毛沢東は農民だが富農だ
上流階級ではないが決して貧しくはないかなり豊かな階層
388 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 12:25:36.07 O
>>381 だが天皇家は権力や権威を削られながらも
存続した
>>388 戦国時代があと1世紀続き、併呑を進めより直接的な支配体制を確立した大大名同士が
1会戦で数万十数万を殺戮し合い、滅びた側の封建領主を解体する苛烈な形で
天下統一が推し進められていたら、周王室みたいに天皇家も滅亡させられたと思うは
天皇家は信長がいなきゃ実際やばかった
戦国末期には天皇の権威が著しく低下してたのがちょっと調べただけでも分かるし
>>387 兄弟や妻がコロコロ死んで
長男なのに家を出た
どう見ても豊かではない
392 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 16:43:21.24 0
>>391 豊かさなんて比較論に過ぎないからね。
もっと下が多数存在したというところでしょ。
393 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 17:18:15.11 O
>>390 だが信長が天下統一したら服属を要求されるな
>>393 実際安土城に天皇を呼び込むつもりだったみたいだからな
まぁでも部下に裏切られるくらいだから実際は無理だったろう
396 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 18:20:46.08 O
天下統一を成し遂げても、
結局は秦帝国のようになりそうな気がする
結局は徳川幕府が家康帝国になるだけだよな
398 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 19:45:42.97 O
徳川が天皇超えを果たすには、
少なくとも秀忠軍で関ヶ原を勝つ必要がある
399 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 20:47:00.42 0
>>390 いんや、戦国末期にはむしろ権威は向上してる。
応仁の乱の混乱で長講堂領からの年貢が入らなくなって天皇家は貧乏し権威も低下してたけど
戦国大名達が地方でそれなりの力を持った時、その地位を確実なものにしようと
天皇家を援助してその見返りに律令官職や国司に任じてもらった。
謙信や信長や秀吉は上洛の度に多額の献金や援助をしておる。
室町将軍が統率力を保持していれば天皇家に頼ることもなかったのだ。
400 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 21:20:59.55 0
「絶対君主制の確立」、「統一&対外遠征」、「低い身分の人間の台頭」
というのはセットのようだな。
それから類推すると、
メロヴィング朝はローマ系住人を活用したりして
絶対君主制を確立したが、反動で崩壊したのだろうか。
で、低い身分のカロリング朝が台頭し、
メロヴィング朝の政策を受け継いで統一を果たし、
対外遠征も行ったと。
統率力www
402 :
世界@名無史さん:2014/04/09(水) 22:07:15.11 0
そもそも、古代日本も良く統一できたものだと思う
文字さえなかったのにだ。
統一のスピードも早いし、何があったのか。
インカも文字ないのに大帝国ヤン
半島中部以南を初めて統一したのも
文字の無くまともな国家制度も無かった新羅だしな
405 :
世界@名無史さん:2014/04/10(木) 21:06:11.57 0
新羅の三韓統一は文字導入あとやんけ
それに比べ、
日本は統一後、朝鮮半島に影響力を持ち、
そのおかげで百済から王仁が派遣されたりして
やっとこさ官僚を手に入れてる
順序が逆なんだよ
邪馬台国も倭の五王も国書を送ってるが?
407 :
世界@名無史さん:2014/04/11(金) 21:58:16.07 0
倭の五王は河内王朝だから
思いっきり統一後じゃん
卑弥呼の時代も漢文で遣り取りしてるよね
ヤマト王権は3世紀頃に倭国の盟主にはなったんだろうが
倭国を統一したわけではないだろ
その後の吉備氏の乱、磐井の乱、武蔵国造の乱とかで
地方の大豪族を潰しまくって名実ともに統一を成し遂げたんじゃないか?
その辺は捉え方のもんだいじゃね
イワイに関してはすでに中央の統制は相当きいてるっぽいが
中央軍の行軍協力してるみたいだし
周と秦の違いみたいに考えてるんだが、どうだろうか
どっちも影響力を及ぼせる範囲は似たようなもんだろうが
地方の独立性が違うというか
なるほどねぇ
でもワカタケル時代に外征の大軍編成できてたんだから
あの時代には相当の集権化はなってただろうけどねぇ
その辺の細かい権力はよくわからんな
秦ほどの統一性は大化の改新までまたなきゃならんのだろうな
413 :
世界@名無史さん:2014/04/12(土) 23:27:57.46 O
まあ豊臣も
倭の五王が河内王朝?
ヤマトが倭国?
どこから突っ込めばいいんだ
後者からじゃね
前者は可能性あるし
河内王朝云々は妄想の域だが、ヤマトが倭国は間違ってないだろ
中国から見た日本列島=倭国だぞ?
奴国も邪馬台国も大和朝廷も全て倭国に含まれる
邪馬台国を発音準拠でヤマトと書くならまあそうだけど
発音云々じゃなくてさ
国号が倭国から日本に変わるのは天武天皇か持統天皇の時代なんだから
それ以前は全て倭国なんだって
419 :
世界@名無史さん:2014/04/13(日) 23:06:11.26 O
いわゆる河内王朝はその成り立ちが
韓遠征軍だからな。
ぷぷw
無知は嫌だね
ウリナラファンタジーが教科書だからなw
421 :
世界@名無史さん:2014/04/13(日) 23:45:20.04 O
朝鮮と明征服の失敗が
関ヶ原の戦いの原因になったのと似ている
あとバラ戦争もか
>中国から見た日本列島=倭国だぞ?
>奴国も邪馬台国も大和朝廷も全て倭国に含まれる
ええっ!?
なんかガチでキチガイが一人いるみたいだね……
>>421 関が原の原因は後継者問題であって
唐いりははっきりいって関係ない
家康が豊臣政権内部の争いを利用しただけで
後継者問題ですらないんじゃないか?
東西両軍とも豊臣家の家臣として戦ってるし
426 :
世界@名無史さん:2014/04/14(月) 21:34:26.03 O
>>424 いや、唐入りした福島正則らと
してない石田三成らの争いでしょ
三成は関ヶ原以前に失脚している
家康が事実上豊臣政権を乗っ取ったのに対して孤立無援で蜂起したら
豊臣恩顧の大名は全部家康につき反徳川の諸大名が三成につきで戦いが生起した
だから既に豊臣家は実質どうでもよくて徳川対反徳川の戦いが本質
>>426 おいおい西軍の主将のひとり小西行長も
毛利も朝鮮に言ってるがな
というか西軍はおもな武将はほぼ行ってるぞ
薩摩は加増までされとる
唐入りは全く関係が無いよ
後見人を争った戦いだ
そんな常識も知らない
>>422ちゃんにはドン引きやで〜
>>429 いや、前者はともかく後者はねーよ
どこの常識なんだそれは…
石田は軍監として朝鮮にいってるな
432 :
世界@名無史さん:2014/04/16(水) 12:31:32.65 O
>>431 それでなおさら福島らに嫌われたんだろう
>>430 倭国(わこく)とは、古代の中国の諸王朝やその周辺諸国は、
当時、日本列島にいた人を倭人(わじん)と呼んでいたが、
その倭人による政治勢力、国家を指して、
なよなかな女性や人に委ねるという語義の漢字「倭」を用いた呼称が倭国である。
いや、全然違うけど。
倭は倭人と接触する前からある文字で、うねった様子を指す言葉
倭人と接触して倭って文字が生まれたなんてどこにも書かれてないのに
なにに対して反論してるんだろう?
倭に、なよなかな女性や人に委ねるという語義は
存在せず、実際はうねった様子を指す文字
後漢に成立した《説文解字》に〈倭は順(しなやか)なる貌(すがた)なり。
人に従い委の声〉とある。
転じて背が丸く曲がって低い人を指すといわれる。
なお倭はもと委と書いたと説くのは《経典釈文》の誤解。
それコピペ
無知無恥くんの阿呆コピペを間に受けて書き込んでたのかww
>>433w
コピペ以前に漢文の素養が全く無いなww
無知無恥w
モンゴメリーなる在チョンの荒らしは
>>433と同じく漢文が読め無いw
この板もID制にすればいいのにね
>>445 説文解字には倭国に関する説明は勿論
馬鹿→「倭は順(しなやか)なる貌(すがた)なり」委の発音也という文も無い
説文解字に倭国の説明が付くのは後世の注釈
447 :
世界@名無史さん:2014/04/16(水) 22:47:26.90 0
>>430 お前本当に「奴国か邪馬台国か大和朝廷のいずれかは倭国ではない」と思い込んでるのか?
うわぁ〜wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
晒しage
448 :
世界@名無史さん:2014/04/16(水) 22:57:31.63 0
とりあえず、
ヨーロッパは統一を維持できる出来る官僚制がなかったから、で結論かな。
ではなぜローマは統一を維持出来ていたのかという疑問はあるが。
統一つっても徳川幕府や漢みたいに全体を支配してるのと
足利幕府や周みたく地方の豪族のそれも有力者だけ従えてるのは違うし
その程度の支配力ならローマ全体に及ぼせるだけの軍事力と権威があったって事じゃね
全部自演にしか見えない
451 :
世界@名無史さん:2014/04/16(水) 23:15:03.94 0
徳川が本当の意味での全国的政権になるには
少なくとも関ヶ原で秀忠軍主導で勝つ必要があったらしい。
秀忠が遅れたから豊臣恩顧大名の戦力に頼る破目になって
論功行賞で西日本の大部分を持っていかれたからだっけ?
453 :
世界@名無史さん:2014/04/16(水) 23:25:18.66 0
備を形成できるまとまった数を持つ部隊をほとんど秀忠軍に廻していたため、
家康軍はほとんど残りかす状態だったということだった。
ただ、徳川軍主体で勝ったとしても、
その配下が国持大名に昇格して各地で自治を行うわけだろうから
(無論外様大名にくらべてだいぶ安定してるだろうが)、
秦みたいに全部官僚を派遣するのとは全然違うような気もする。
大英帝国は官僚制が無くとも
有史以来最大規模の帝国を維持していた
中国自慢の官僚制は
無能役人が地方に飛ばされ汚職に励むだけ
456 :
世界@名無史さん:2014/04/16(水) 23:55:39.21 0
そういや平安時代の国司もそんなんばっかだったな
まだ江戸時代の大名のがマシなイメージがある。
国司は任期短いからなぁ
実際に統治してたのは郡司の方だろうし
でも藤原保則みたいな善政で知られる国司もいるべ
458 :
世界@名無史さん:2014/04/17(木) 00:54:55.98 0
とりあえず日本の統一政権同士を比較してみるか。
海外のはハードルがちと高い。
中国が10国くらいに分裂したままでいたら、日本はちょうど
英国のような立場にあって世界中に植民地を持てていた?
>>459 無理。近くに肥沃で広大な好適な植民地候補が無い
>>455 無知無恥くんは歴史のお勉強にも励もうなw
地方で採用して中央へ選抜されるのが中国の伝統
>>459 その世界線には日本という国号の国家自体生じてなかったと思う
>>459 ブリテン島に比べて海を超えるのが大変な上に
中国本土へは朝鮮半島を超えなきゃならんから
分裂してようがしてまいが
日本から大陸へ継続的に介入するのはどっちみち無理
>>461 なんでやねん
大陸の東だから普通に成立するだろう
日本にとって国号が必要な「外国」は近代以前は西にしか存在しない
分裂してるだけなら日本って国号は誕生したんじゃねーかな
倭って文字を嫌ったから倭と書いてヤマトと読むのを止めて
日本と書いてヤマトと読むようにしたんだろうし
>>464 バタフライ効果認めたらなんでもいえるわw
それこそ日本という国号が成立するだろうともいえる
ドヤ顔でアホなこというなw
抑々日本〜ペルシャ湾までは、近い位置に他の文明があるから
植民地は成立しないしな
469 :
世界@名無史さん:2014/04/17(木) 21:58:34.77 0
>>453 中国ではどういうわけか
外様大名、譜代大名が全くいない。
全て天領で占められている。
徳川家が同じようなことを再現しようと思ったら、
全ての大名を滅ぼし、
部下に領土も与えたらダメなことになる。
全部身内で固めても西晉みたいになるパターンもあるでよ
471 :
世界@名無史さん:2014/04/17(木) 23:52:10.05 0
節度使は軍司令官兼地方長官であって封建大名には遂にならなかったなー
あ、春秋時代は?
周、春秋初期の諸侯やローマの属州総督は封建大名の前段階じゃね
封建大名は契丹や渤海や新羅
473 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 01:19:33.14 0
どういう差があるんだ?
中国は科挙の導入によって貴族制度が解体されたからな
日本も似たような制度導入しようとしたがすぐになし崩しで貴族制度が存続
中国は最終的に貴族制度の解体を完成させたのは異民族の征服王朝だから権力が強くて
既得権の解体をやりやすかったというのもあるんだろうな
征服されやすい地形が却って再統一させやすい社会制度を生み出したのか
>>473 封建領主に御恩と奉公関係の家臣が居るか、氏族の縁者や奴隷だけか
とかその辺じゃないの
478 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 08:31:42.29 0
そもそも唐代までの貴族は何によって貴族の地位を得、保持していたのか
479 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 10:07:26.18 O
平安時代の後期には
国が地方をコントロールできなくなり、
関東にも大勢の豪族が発生した
でも中国はなぜかそうならない
>>479 中国の場合は、地方の諸侯でも行政制度が整ってて
姦僚が居るから、豪族とは呼び難いよね
>>477 いや、唐代の経済発展だよ
中国でも王朝末期には軍閥が割拠するのだが
それが地方貴族として定着したりセず
なぜかまた統一に向かってしまう謎
重要なのは春秋・戦国みたいに華北平原が群雄割拠の状態にあるかってことだな
三国志みたいに華北平原、長江中下流平原、四川盆地で割拠したら
華北平原を抑えてる勢力が勝っちゃう
江南は大概、楚と呉と越と南越に分裂しちゃうもんな
485 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 21:58:01.52 0
日本も大きな流れで見たら、統一に向かっていたことは間違いないっぽい。
例えば平安時代に公家が地方に土着するときは現地の豪族に婿入りしたりしたし、
またその現地の豪族や土着した公家の子孫が次の時代の武士につながっていった。
それと江戸時代の大名をくらべたら、
「土着性」や「在地性」の違いは明らかだろうな。
江戸時代の大名はその土地と関係ない奴がいきなりやってきて、
現代人が違う土地に引っ越しするように気軽にいつき、
また幕府の命令でコロコロ鉢植えの木のように入れ替わる
>>485 後段は譜代だけな
外様や親藩の大大名はおいそれと動かせなかったのが現実
それでもドイツよりゃ万倍も中央集権度高いけど
487 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 22:58:55.72 0
同時に、大名の領地の支配力も
中世以前にくらべて格段に強くなっている。
そのせいか、ポンポン分家して
そいつらが配分された領地の名を名字にするという現象もなくなっている。
488 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 23:03:29.10 0
そっか、
そういや中国も春秋時代までは
土着した土地の名前を姓にしていた。
489 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 23:18:52.90 0
神も江戸時代には全国で同じのを信仰するようになっていった
490 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 23:25:41.39 0
戦国までの大名は大小領主による人的な繋がりのピラミッド構造だったのが
織田家に始まる兵農分離と官僚組織化が江戸時代の大名統治の体制となった。
491 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 23:33:27.08 0
古代の信仰は近くの山や川をすうはいするようなものだったのだろうか
>>490 > 織田家に始まる兵農分離と官僚組織化が江戸時代の大名統治の体制となった
さすがに認識古すぎ
兵農分離は秀吉が始めた政策
494 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 23:55:52.88 0
秦以降の統一国家は周、
日本の中世以降の統一国家はヤマト朝廷によって形成された民族概念をベースにしているな。
つまり周より前までは中華民族の概念は無かったし、
ヤマト朝廷より前まではヤマト民族(日本民族)という概念は無かった。
民族がきちんといしきされたのは19Cいこうじゃないかね
496 :
世界@名無史さん:2014/04/19(土) 00:30:07.43 0
ギリシアや中華の人間に民族意識や民族紛争的なものがなかったかというと微妙な所
もちろん現在的な意味ではないのだが
ギリシアは市民であって民族ではない
なんて近代的なのだろう
発達してない状態が偶々現代に似ているからといって、かつての方が進んでた、とかいうのは大間違いで、市場の無かった原始時代こそ共産主義の理想であると考えて国家を壊したポルポト並の妄想
原始時代が共産主義だって?
バカ丸出し
原始時代は成果主義だよ
そうだよ
498ではないが499は変
498は
>原始時代こそ共産主義の理想であると考えて
は
>妄想
といってるんだからそれこそ
>馬鹿丸出し
と考えているんだが
なんだこいつ
>>499
502 :
世界@名無史さん:2014/04/19(土) 01:37:35.46 0
例えば日本列島の中で文化を共有し、
日本列島の内と外で明確な違いがみられる。
これが成立した時が初めて民族が成立した時と言っていいのでは。
飛鳥時代とかは渡来人も普通に雑居してたし、
民族意識はあまりなさそうである。
江戸時代にまで下ると、漂流してきた朝鮮人を完全に
「外国人」と認識しているので
これは民族意識が成立しているとみなせる。
何にしても公が大きくならないと中々民族意識は醸成されんと思う
>>486 >>487の言う様に、大名家に武士の中でも文官層が形成され
在地でも名家の没落が大きく減って代々名主、庄屋の家が成立していたから
鉢植え出来る様になったって事でしょ。
平安時代に植え替えしたら暫くは碌に年貢取れないんじゃねーかな
外国とのかかわりが庶民レベルで意識しかつそれが危機にならんと
近代と比較できる意味での「民族意識」ではないような
ペリー後に「うちがたな」が「日本刀」になったように
民族意識は外国を意識し、それとの差異があることだけでなく
外国との差異を強調することに意義がないと
漠然とちがうにんげんというなら
京都の人間にとって薩摩も朝鮮も漠然と異人であって程度の差だろう
505 :
世界@名無史さん:2014/04/19(土) 09:45:49.16 O
日本国内(津軽から薩摩)で文化的な同質性はあるが、
言葉は少し離れたらすぐ通じなくなる
中国なんかはもっとだろうな
>>505 日本語が方言として差がデカくなったのは江戸時代らしい
>>502 それは外国から見た場合でも当てはまる
自覚無しでも外国から見たら同一民族だったりする
たとえばヤポンとかジパングとか日本が変化したもの
>>504 日本刀は外国では宋の頃からずっと日本刀と
国内では汎称として刀と呼ばれて来た、個別には太刀等等
南北朝前後に仕様の変化で種類としての打刀が出て来ただけ
平安時代以降、日本人には天下の概念と意識があり
九州から奥州までを日本、自らを日本人と認識していたよ
>>502>>504 平安時代の新羅末期〜高麗初期に羅賊による強盗が多発した当時
既に半島の賊を外国人として呼び分けてる
>>505 何度も教えてる通り、薩摩と津軽でも会話は可能だった
単に注意して聞き取り易い様に喋る必要があったというだけ
>>507 一応要件は三つ上げてて、@外国を認識し、Aさらにそれに差異があることを意識し
Bその差異を強調することに「意義」をみいだすのが現代の意味でいう
『民族意識』だろうと
さらに現代でいうと一般化するには幅広い階層に共有化されてる必要があるのではないかと
なざなら現在の民族意識はそういう意味で使われてるから
Bは少なくとも割合近代、近世だろう
江戸の水戸学が一応萌芽であろうが一般化したのはペロリー君いこうじゃね?
という話
510 :
世界@名無史さん:2014/04/19(土) 19:00:26.99 O
庶民レベルでの浸透はどうかな
いや、違うよ
現代の意味でいう民族意識、などと云う物はこの世に存在しない。
徴兵や他国への破壊工作の便宜として使われる後付けの理由に過ぎない
民族意識が完全な形で成立したのは安土桃山時代
512 :
世界@名無史さん:2014/04/19(土) 22:09:22.66 O
少なくとも、普段意識しなくても
文化的なくくりとしての日本民族、朝鮮民族、漢民族は
数百年前にはあった。
だが、ヨーロッパの民族意識は
現在の国境とはまるで違う括りだったはず。
>>511 鎌倉時代でないかえ
元寇という明らかな異民族の侵略に対抗するため
全国から兵士が集められた
鮮卑、モンゴルや満州などに征服されて統一したのが中国
フンによってローマの秩序は崩壊したが、フンがローマを征服することは出来ず、
その後のアヴァールやブルガール、ロシアはビザンツ、西欧を脅かしはしたが
征服するには至らなかった。
中国って現代の中国だろう
伝統的中華は小さいから中国人で統一されてるともいえる
516 :
世界@名無史さん:2014/04/20(日) 17:08:15.60 O
伝統的中華もじゅうぶんでかい
鮮卑は華北しか征服出来無かった遼、金と同様の華北王朝
しかも遼と違い、金と同じく漢化したパターン
フランクによって征服されローマは完全に滅亡したが
フランクがローマ文化を包摂する事はあってもローマ化する事は無かった
ローマにはグラエキアや中国と違い知識人層が形成されて無かったから
隋唐を鮮卑と見るかどうかでその辺は変わってくるな。
>>517 それは俺様定義の匂いがぷんぷんするw
そもそもローマ化したゲルマン人の侵攻によってローマが滅んでるw
520 :
337:2014/04/20(日) 19:54:25.13 0
ローマが完全に滅んだのはオスマン朝に征服されたときだが
ローマを自称するギリシア帝国ね
ローマ帝国かローマ市かローマ文化かの違いだな
ローマ帝国の時代に正式にビュザンティオンに遷都してるんだから
西漢と東漢、西晋と東晋、北宋と南宋以上に正統な後継国家だと思う
いや、全然
朱元璋が元を名乗った様な物
大義名分は有るけど何の連続性も無い
むしろ正当性がないのは西ローマのほうだが?
ゲルマン侵入時点でとっくにローマの中心は東に移っていた
その後は西部では蛮族がローマ帝国ごっこに興じていただけ
しかしゲルマンには逆らえなかった
527 :
337:2014/04/20(日) 21:23:37.30 0
中世ローマ帝国に古代ローマ帝国との連続性が無いとか、妄想もほどほどにな
528 :
337:2014/04/20(日) 21:25:28.70 0
ただし、第4回十字軍によってローマ帝国は滅んだ、という見方はあるし
割と有力な見方でもある、その説をとるなら、西方の蛮族に滅ぼされた、
という論も正当性はあるだろう
>>527 というより、西と東の連続性は元々無い
東帝西帝に別れる遥か前から政治的にも経済的にも東西は分裂してた
ここは西洋に無知なトンデモ論を言うやつが定期的にでるなw
同一人物だろうが
まぁ君がいくら妄想しようが当時の人間も現代の歴史家もそんなことを考えてる人間はいないよ
せめて諸説ある中の何かを主張してくれ
問題外すぎる
いや、ローマ研究の初歩、常識だけど
ソースだそうな
533 :
世界@名無史さん:2014/04/21(月) 07:28:12.63 0
ローマ帝国は、イタリア、ガリア、ヒスパニア、ブリタンニア、イリリクム、アジア、アフリカ、えーと、あとは・・・
などの地域の集合体。
そこにローマ皇帝が君臨してたけどやはり無理があるんで結局ばらばらに。
で、分裂時代は何回もある。
軍人皇帝
ディオクレティアヌスの4分割統治
そのあとの6分割
コンスタンティヌスの次の3分割
ヴァレンス兄弟の2分割 ←ここで東西2分割が実質固定
テオドシウスの2分割
中央から総督が派遣されてるのが分裂?
それはもう日本語が変
合併と分割統治繰り返すといってもローマ帝国の枠組みの中でだよね
どこが分裂だ
本当に問題外だね
535 :
世界@名無史さん:2014/04/21(月) 10:39:44.51 0
ローマ帝国の複数皇帝制度は分割ではあっても分裂ではないよね
連邦制みたいなもんだろう
連邦は当該出身者が地方分権の権利を固有のものとして持ってるが
ローマは中央ないし別地域から司令官なり総督がきて
しかもその権利は簡単に中央政府が奪える
>>534 ローマの総督は中央の統制が碌に効かないから
節度使の中でも特に民主独立的な藩鎮や
黄巣の乱以降の力を失った唐朝廷に対する藩鎮の様な存在
>>536 周王朝や平安時代後期の様なもの
阿呆w
じゃあお前は節度使は独立政権とでもいうのか
そもそも総督の権限を根本的に勘違いしてる
中国に詳しいが欧州のことまるで知らん中華厨だなお前w
総督に基本的に軍事指揮権は無いんだw
中国の統一とはヨーロッパで言えば
ロシアが西欧を征服・統一したようなもの
>>539 属州総督は軍事と徴税と政治を統括したんやが
ローマの国家体制はは軍事と行政を分化する程高度化して無い
ローマ帝国の東側と西側というのは
室町幕府と関東公方の様な関係で
一つの帝国という意識はあるけど、実質的にはローマとギリシアに分かれてた
おおwもうなんだこりゃ
君高校生一年より間違いなく世界史の知識ないよ
軍団司令官あたりで具ぐれ
知識以前に書き込みの内容からみて君には精神病の匂いがぷんぷんする
マジで
何らかの治療を受けたほうがいい
ローマを半角で書いてる人の知識は中国側も半端だよ
唐の集権的側面は黄巣の乱なんて最後期じゃなく安史の乱以降既に酷いもんだ
世襲の禁止にも失敗してるし
ただ「漢は鮮卑に征服されたが中世ローマ帝国と古代ローマ帝国には連続性がある」
と言われると微妙に不公正な感じはする
東ローマはローマ化したギリシアじゃないかと
国家としての断絶がないんだから連続性があると考えるのは妥当でしょ
例えばアングロ・サクソンの建てた米国の多数派民族が
ヒスパニックになって公用語がスペイン化したとしても
国家としての連続性までは否定されないだろうし
ギリシア化してもローマはローマだろう
大体正確に言いと「現地化」であってギリシアなる国の
文化をうけついだものというよりギリシア「地域」の影響うけて発展させただけとみれる
546 :
世界@名無史さん:2014/04/22(火) 12:39:38.84 O
中国では周の権威が暴落しても、
むしろ中華内での一体感が高まったのに
ローマでは西ローマが崩壊したら
ガリアやヒスパニアの言語は分化していった。
この違いは。
>>543 唐の行政制度が集権的で無く成っただけで、ローマの属州総督に統制が利か無いのとは異なる。
藩師の世襲は極小数の藩鎮でしか行われていない。
>>544 国家としては度々断絶していて、その後に似た様な別の王朝が立っただけの事。
抑々西と東は政治的にも経済的にもくっきり分かれていて
ローマ皇帝はある時期以降ローマには殆ど滞在しなくなる
>>545 元々ローマと比べれば高度な文化と支配制度を持っていた東方属州は
西側とは支配の仕組みが違っていたし、ギリシャ語もギリシャ文化も連綿として続いていた
548 :
337:2014/04/22(火) 17:26:51.44 0
ローマ帝国を王朝のみで語ろうと言うのか(嘆息)
無知もここまで行くと罪だな
そもそもローマに滞在しないからなんだw
そんなの既に二代皇帝ティベリウスのときからそうだ
大体「インペラートル」伝統的には地方にいるもんだ
五賢帝でさえほとんど地方にいたやつが二人もいるわい
ローマ半角クンは一体なに言ってんだw
こういう奴が現実にいて社会生活いとなみ
かつ人並みの発言権を法的に与えられてるのに震撼を覚える
なんだろうな
投票権はこういう奴にはあたえてほしくないなぁ・・
>>549 以っと言えば、殆ど西側に足を踏み入れて無い
それだけ東側と西側は行政、経済、政治的に断絶していたという事
求心力としては軍隊の武力とローマ帝国人意識しか無かった
中国は常時男系継承氏族オンリーでそれから外れれば国号の転換をもたらすという
ローマから見れば特殊な継承法下にあるだけで
元などの本物の遊牧民政権と違って唐も国家制度上は断絶がなかったりするんだが
漢とは建前上母系で繋がってることにもなってるし
552 :
543:2014/04/22(火) 20:37:46.82 0
553 :
543:2014/04/22(火) 21:26:03.59 0
>>547 古代ローマは節度使=属州総督の連携を含む大反乱が起こって中央が利権の継承についての譲歩を強いられる事態にはなってない。
西方への影響を失うのは8〜9世紀以降で、これは河朔地域等への影響力が損なわれるのとほぼ同時期にあたる。
東西分割もまた、中国の「南北」分割と、大陸性気候と地中海性気候等によると思われる数十年スパンの違いはあれど大体同時期に起きており、
気候その他の影響力が大きく作用しているものと思われる。
そもそもこれほどの両巨大帝国のマクロの統制力の問題を国家の質や地域性に単純に帰するのはどちらも不見識といえる。
554 :
世界@名無史さん:2014/04/22(火) 21:35:18.34 0
ローマは単純に見ても国境線が中国よりはるかに長いよな
これを守るのは確かに一人では非常に難しい
あとは、ローマはギリシャやアナトリア、エジプトといった
「自分より進んでいた地域」を多く含んでいるから、
そういったところにはラテン語を浸透させれてないね
なんかもともとはそれなりに進んでいた地域を
武力でつなぎ合わせているような感じか
アナトリアもエジプトもギリシャに含んでよくね?
っていうか、エジプトなんてリビア人、ヌビア人、アッシリア人、ペルシャ人、ギリシャ人と
立て続けに征服されまくってエジプト自身の文化は進んでいたとは呼べないレベルじゃね?
556 :
337:2014/04/22(火) 21:56:16.23 0
>>556 トンデモ?
セレウコス朝もプトレマイオス朝もギリシャ系だし
エジプトがリビア人、クシュ、アッシリア、アケメネス朝、マケドニアに
征服されたのは事実だろ?
>>554 古代ローマは穏やかな地中海を地域の中心に抱えていますからね。
漕運の効率の圧倒的な違いを考えれば単純な陸上帝国に比べ拡大限界に広がりがあったのでしょう。
いわば京杭大運河を超えるような大運河が長安-洛陽ラインから放射線状に成都や敦煌、北京、南京、広州に至るまでを結んでいるようなものですから。
各地域が中国史上では考えられない容易さで繋がりえます。
逆に言えば実際の中国では漕運効率の悪い巴蜀地域の独立性は強く、たびたび分離しています。
南方に首都があった時期が少ないので、長江を用いた漕運はどうしても二次的なものとなってしまうためでしょう。
559 :
世界@名無史さん:2014/04/22(火) 22:20:23.95 O
>>558 なら、西ローマ崩壊後のヨーロッパの方が
中国(周代?)に近いような
くだらねえ脱線話ばかりしてるな
561 :
337:2014/04/22(火) 22:35:33.50 0
>>557 征服されたことが、直ちに遅れていることに繋がらん
文化的・文明的に先進地であっても征服され得るし
実際エジプトは征服者よりも、生産力も学術面でも
先進地であり続けた
それこそイスラム征服後も、イスラム科学や法学の中心地
であり続けるのがエジプト
>>560 ウィキペディア以前というか高校レベルの知識もないへんなのがいるので
正直頭が痛い
乗る方も乗る方だけどな
争いは同レベルの者同士でしか発生しない
>>553 ローマでは度々属州総督が反乱を起こし王朝を断絶させている
彼らの中には新たな王朝の始祖と成った者も少なくない。
河北三鎮は安史の乱鎮圧の処理の過程で妥協措置として出来た物で
安西、北庭都護府を失陥した8世紀末より数十年早い。
それから最終的には河北三鎮は唐朝に帰服してる、一応ね
>>554 俺もそんな感じだと思う
565 :
世界@名無史さん:2014/04/22(火) 23:43:38.35 0
>>561 ちゅかまあ侵略しがいのある先進地帯だったってことでしょうなあ
華北とある意味同じといえるのでは
566 :
世界@名無史さん:2014/04/22(火) 23:51:05.53 0
すなわちオドアケルなりテオドリックなりが
「西洋の符堅に、俺はなる!」とか言って
元老院から皇帝に認められたとしても
多分帝国の維持はムリだった可能性が高いってことだ。
そしてここから地中海帝国から北にシフトして「ヨーロッパ」が始まった。
ここからやっと振り出し。
567 :
世界@名無史さん:2014/04/22(火) 23:55:49.59 0
中国も異民族に侵入されまくった割に、
西欧のゲルマン人、東欧のスラブ人侵入後のように
急激に文明レベルが落ちてるようには見えないな。
すぐに(異民族の手によってだが)華北は統一されているし。
568 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 00:04:01.67 0
>>567 華南が文明レベル保護装置として機能したのが大きいのでは。
地中海はタイミング的に関連性が微妙かもしらんけど、
同じ機能を持っていたエジプトなどがイスラーム陣営に入って離れちゃったのが大きいと考えたらどうだろう。
まあ実際の地中海文明はイスラームがちゃんと後継してたからあんまり問題じゃないのかもしらんけど
鮮卑の隋唐が正統中華を称して南朝を征服し統一したが
チュルクかスラヴがローマの継承者を称して西欧を完全制圧したことはない
570 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 00:29:35.56 O
ダマスカスを首都とし、イベリアも持つウマイヤ期は
かなりローマを意識したり
文明を継承してたんかな?
オリエントの視点ではローマはエジプトやギリシャより文化的には一段下と見ている。
オスマントルコ皇帝はエジプトのファラオを称したり、ギリシャ文化の継承者を称したのに比べ
ローマ帝国の継承者と称する声は散発的なものだった。
中国は支配者レベルでは頻繁に交代しても地域社会は安定して継続していたからな
紀元前から近代まで殆ど変らん生活を続けていたような村が地方にはいくらでもある
唐代に在地名望家の没落が少なくなり家の存続が安定する
これは日本の室町後期に似た様な現象が見られる。
宋代に入ると精耕細作が進展して家当たりの耕地が小規模になる反面
自作農が増える、と同時に小作が減って江戸時代の町人の様な
ワープア都市生活者である客戸が増える、経済発展とどちらが先かは知らん
元朝のモンゴル人支配は粗雑かつ収奪と腐敗が激しくて、明になってから
生産性が宋代の水準に回復するまで1世紀近く掛かってる
574 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 01:44:01.47 O
>>568 確かにエジプトなどの穀倉地帯を失ってるな
食料不足が起こって
人口も減ったな
フンやゲルマンはローマを襲ってローマは滅亡したが、
アヴァールやブルガール、チュルクと幾度と無く執拗に襲われても
ビザンツはしぶとく生き残った。
バルカン半島はスラブ化、トルコ化してるけど
ビザンツ文化に同化した面もあるよな。
>>572 田舎の村でも清代にはみな胡服弁髪してたはずだが?
578 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 21:47:39.35 0
@「海の向こうの文明国を征服する点と線型」と
A「地続きの非文明人を征服する面型」があるらしいな。
@を築くのは簡単だが、政情が不安定になると一気に崩壊する。
Aを築くのは困難だが、後世までつながりが強く残る。
古墳時代の日本は@を志向したんだろうが、維持が困難になり、
Aに乗り換えて津軽から薩摩までを強固に同化したんだと思う。
579 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 22:19:38.50 0
無理やりローマ帝国と近い存在を東アジアで探すなら、
王直時代の倭寇が近いか?
中国東南部の沿岸部、朝鮮半島、西日本、琉球といった
内海を支配していた。
密貿易を支配とは苦しい。王直にせよ後の鄭芝竜にせよ王朝の承認を得ようとするなど
独立勢力とすることすら難しい。
>>573 唐代は安史の乱で地方の荒廃がひどく都市部に流出する名士層が増え、系図の偽造など
それまでの地方名士層による物理的精神的支配が崩れ出す。
宋代は宰相経験者の富裕である江南出身者が圧倒的であるが元々被征服者であるこの連中は
儒教の人文主義採用による朱子学へのアップデートで自分たちの社会進出を正当化することで
名実ともにエスタブリッシュメントの地位を確立した。
元朝、モンゴルの支配は陸海のシルクロードの復活がわかるように通商政策に重きを置く政権
なため科挙エリートからはボロクソな評価だが紙幣の採用など経済政策の高度化は否定できない。
弘安の役の翌年には鎌倉幕府の徳宗御内人の交易船が派遣されているように元代の東アジアを
それまでのスキームでは理解できない。朱元璋の統一後の雲南遠征や鄭和の遠征もこの延長上にある。
582 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 22:45:33.64 0
>>580 じゃあ
後期倭寇=ギリシア人植民都市
秀吉(構想)=ローマ帝国
それぞれ後者が前者を下敷きにしているし。
>>581 北宋で紙幣が採用され南宋に至ると本格的に利用されている
元朝は凡ゆる面で南宋の経済政策を朴李したに過ぎない
元の商税収入は全体の2割以下でしか無く
海外交易による収入も数%と、共に宋代と略々同じ比率でしかなく
税収の大半は農産物や専売品からの物
宋代は南海諸国や日本との貿易が盛んとなり、各地に市舶司が置かれ
各港湾毎に毎年百〜数百隻の大船が海外と貿易を行っていた記録があり
亦その取引からの税収も数百万貫に登る
唐代に形成された士大夫というのはそれまでの貴族とは異なり
在地に基盤がある点が特徴で、それは宋、元、明でも変わらない
北宋の宰相は大半が華北華中の出身者
妄想や願望を事実かの如く書く事を日本人は捏造と呼ぶ、死んだ方がいい
>>583 モンゴルだよな
どっちも政治と軍事に特化した収奪型の軍事国家でよく似てる
>>585 ローマと同じく分割統治をした点も似てるな
しかも分割統治してもしばらくのあいだは各国が完全には独立せず
ある程度の一体性を保持してた
(元朝は模倣っつか、現地で儲かってんなら勝手にやらせて上前はねようってやってるだけじゃ……オアシス支配と同じで)
フン、ロシアはローマ・西欧を圧倒するほどまで勢力を拡大したが、
ローマ・西欧を征服するほどの力にはならなかった。
鮮卑やモンゴルは漢民族を圧倒し、征服した。
589 :
世界@名無史さん:2014/04/24(木) 23:51:59.92 O
ゲルマン人は?
ゲルマン=女真・金 フン=モンゴル
中国が分裂したときって、群雄として名乗り出る奴らの基盤が脆いでしょ
大抵、時流に乗って膨れ上がっただけの奴らだから
その点西洋は、民族の大移動で地域ごとに民族の塊が強い基盤を作る
シャルルマーニュやその後継者が何度か統一しても、結局は民族を基盤とした地域ごとに分裂していく
アッティラに優れた後継者がいなかった。
フンがあのまま続けばフン帝国による欧州統一もあり得た。
593 :
世界@名無史さん:2014/04/25(金) 01:56:45.69 O
カール大帝が帝国を維持できなかったのも
中国が長年練り上げてきたような官僚制がなかったからでは
そりゃ農業生産性が酷い低さで人が少なかったから
大王国は維持出来る筈も無し、殷みたいなもの
官僚制は大きな国が続いてから発展したわけで
官僚制があったから大帝国になったわけではなかろう
596 :
世界@名無史さん:2014/04/25(金) 10:11:16.53 O
文系の奴には
「うぜえ、そういうことを言ってるのではない」
といわれるのを承知でいうが
「卵が先」
突然変異で卵が生まれそれで生まれた子が親になり卵を産む
鮮卑の隋唐というが隋唐の鮮卑説は女真族支配下かつ儒教の隆盛という特殊な状況下で
盛んになった古典籍を疑う流れの中行われた作業だから丸呑みしていいこととも
そういう史料を引いてくるなら鮮卑は元非遊牧民で中原の罪人が北東方面の山岳地帯に逃れたのが起源という話も出てくるし
楊氏は鮮卑化した漢民族ですからね。異民族云々という説は最初から崩壊しています。
フン・ロシアによる欧州征服による統一は失敗し
ナポレオン・ヒトラーによるロシア征服による統一も失敗した。
今現在ウクライナをEUとロシアが争っているのもこの延長上だろう
米国はウクライナの前にユーゴスラビアをバラバラ殺人してるからな
ウクライナを丸ごと食人しようとしたら頭部に逃げられた
603 :
世界@名無史さん:2014/04/25(金) 20:48:59.53 O
>>600 いや、拡大した領土をどう治めるか試行錯誤の上生まれたんじゃね
604 :
世界@名無史さん:2014/04/25(金) 21:01:14.41 0
大地主の執事が官僚のはじまりだろ
605 :
337:2014/04/25(金) 21:22:55.56 0
>>604 それは明らかに誤り
官僚と使用人の違いは認識するべき
>>584 >唐代に形成された士大夫というのはそれまでの貴族とは異なり
>在地に基盤がある点が特徴で、それは宋、元、明でも変わらない
唐代以前から在地に基盤を持っていた。魏晋南北朝から地方名望家が中央に進出しているのは
九品中正を見てもわかるように王朝からの俸給官僚ではない。
魏晋南北朝期の貴族形成過程すら知らないような無知を晒すことを日本人なら恥と思うだろう、
切腹したほうがいいw
漢魏晋南北朝下の姦吏の条件は資産を持っている事だし
その時代の貴族は中央に引き上げられた権力者であり
高貴な家門を出自に持ち血縁宗族を束ねる大地主ではあっても、士大夫層とは違い
朝廷に関らずとも宗族でない家に対して影響力を持つ様な在地の名望家じゃあ無い
晋末、五胡が華北に雪崩れ込んだ際に中原の名族はかなり虐殺された
>>607 九品中正が地元の名望家のランク付けなのは司馬懿が孫の司馬炎を中正で上げた際に
比較対象として名望家の鄭黙を同時に上げていることからも明らか。
>漢魏晋南北朝下の官吏の条件は資産を持っている事だし
それは劉毅が指摘した不正行為の話であって条件ではない。九品は地方社会のランク付けである郷品
をそのまま流用するケースが多いのは司馬倫のブレーンで寒門である孫秀が王衍に自分の郷品
を上げるように迫り、王衍がそれを一度は拒否したように中央権力といえども地方社会を意のままにすることはできなかった。
>>608 中原の名族は東晋時代になっても江南の有力者の上に立ったように依然として質量ともに
社会の上層として君臨した。
西晋までの名家って在地の影響力とかじゃなく高官を数代に渡って排出した家系じゃね
名家のはずなのに親の早死にで貧乏だった奴とか沢山いるし
つーか、名望家の意味が曖昧で話がずれてるでしょ
ただの有力者ではいけなかったから清談やりまくって士人ネットワークで名を挙げるよう励んでたんだと思うよ
フン族から逃げてローマへ侵入してきたゲルマンは
南北朝時代に梁に侵入した候景に似ている。
>>609 魏晋南北朝期の地方有力者には朝廷のランク付けや家門としての高貴さはあっても
名望家である士大夫の様な地方政治への影響力は良くも悪くも未だそれ程備わってない
前後漢では未だ一定以上の資産を持つ事が姦吏になる条件。
九品官人法は広い土地を所有し多くの宗族を抱える地方有力者を
中央権力に取り込んだり豪族が中央官界へ出る為の方法
勝手に決めつけるなよ…
そんなの中正の人材次第だろ
あーいや、傾向の話で全部が全部そうだと言いたいけじゃない
>>614 人材次第というのは要するに特異例でしかないな
イメージだけで語る前に
劉毅の誇張を鵜呑みにする前に自分で調べなおしてみろ
そもそも施行の目的と実態を同次元で語るなよ
中国って
壮大な失敗の歴史だと思う
反論有る?
>>617 基本の漢書や後漢書を読めば一定以上の資産が条件だと明確に書かれてるよ
九品官人法も銭による猟官を批判した割に自分等はコネで好き勝手やってるし
貴族なんてのはそんなもん。科挙合格が前提の存在とは異質
>>610 親が郡太守、県令でも家産がなければ貧乏になるわな。
>>613 前漢からたくさんの部曲をかかえる豪族が地方社会で幅をきかせているのは
事実だが礼教を基盤にした郷品は富裕さとは違う基準にある。だからこそ
後漢では清犠という世論が活発化し皇帝、外戚、宦官を牽制し続けた。
>>614 >>616 中正次第というのは正しい。司馬一族はそれがわかっていたから中正を州大中正
に変え、王朝側からのコントロールを減じて「特異例」を常態化させた。
>>607 孝廉制が条件として上げているのは地方で名声を得て「他者から」推挙を受けることだ
孝廉制に関わる詔勅を見てみれば、評価基準はともかくとして
九品中正が行ったのは採用制度の刷新であって
上げたい人材の階層もそれとは大きく異ならないことは明白
採用基準がガバガバの曹操の求賢令が挙げたのが名望家じゃなく大地主というならまだ分かるが
>>619 推挙制度が整わなかった前漢初と完全に形骸化した後漢末は別だが、
趙充国は最下層から上がってきているし、後漢では薪を担いでいた人間をこぞって推挙する例もあった
そもそも後漢書を見ればわかるが、初期は高官に既存の官歴が豊富な高貴な家門というのは形成されていない
明帝の傅役から腹心となり日南、九江といった要地の太守を歴任した李善などは南陽の李氏の元奴隷だ
後漢末にも有望な奴隷に資産を投じて推挙した事例もある
九品官人法が批判対象としたのは資産による猟官ではく資産家がそのまま地方において必然的に名望家となりがちなために
能力主体の登用になっていないという現実だ
>>621 特異例は特異例でしか無く、発足当初を除けば九品官人法の実態は
高貴な家門の子弟を中央官界に登用、輩出する仕組みで、貴族制と表裏一体
>>622 先ず前提に誤解があって、この時代の豪族や貴族は
一般的には未だ在地の名望家とは云えないという事
九品官人法への批判は、資産家である豪族が必然的に貴族に成りがち、という事ではなく
抑々能力による登用ではなく家門の貴賎が主要な基準と成っていた点
>>22 >古代から支那は漢民族が大多数のほぼ単一民族で
人骨の形質が変わるぐらい混血しまくってる
>>623 太原王氏、清河崔氏は唐代でも唐太宗が自分の家のランク付けをする際に
利用したのに名望家はいないとはどういうことなのか。九品中正における門地二品
の言葉があるように郷品の最高ランクの家門が存在したことは礼教による地方社会の
秩序の象徴といえる。
>>625 まあこれは中国では五胡という言葉を使わないように
多民族国家であることを宣伝するためのことさらなアピールという面もあるけどな。
>>626 貴族は在地の社会秩序とはそれ程関係無いんだよね
盛唐以降の様な宗族眷族以外にも役務や水利、冶金、田畑の事業を介して
直接的に関わる存在じゃ未だない、単に貴族内での貴賎があるだけ
>>625 ところでその朱泓という人は
まさかあのお方の子孫ではあるまいな
>>623 >>629 南陽孔氏は前漢から後漢にかけての時点で水利を整えて讃えられているし
前漢の後半には出身地方で名声を得るために私費を投じて様々な慈善行為をやることは当たり前になっているが
これはどう説明するのか
君は否定のために具体的な事例を微塵も上げていない
後漢書や九品官人法といった実態に様々な意見のあるものを無批判かつ具体的な事例を挙げずに
ただそれが論拠であるように振る舞っているだけだ
「名望家」の定義も挙げてはいない
まず、これらについて解決を求める
632 :
631:2014/04/27(日) 23:53:29.19 0
さらに言うのであれば前漢の中期には核家族化が進行していることが考古学的事例から明らかになっており(嘘だと思うなら前漢期社会の研究書を読むと良い)
宗族集団で初めからまとまって居たかのような認識は大いに間違いだ
そして郷挙里選はその中期にはじまっており、富裕層形成にかけてこれが一つの指針的役割を果たしていたのは事実だろう
たとえば緑林集団においてもあくまで前漢の王侯家を中核とした豪族で纏まっていた南陽集団は異質であった
これは昆陽の後に本来の侯家跡取りの劉祉が王となり、長安に留学していた劉秀が司隷校尉となって
ともに礼制を司る太常将軍の任から外れた際に礼制が大きく乱れ
緑林集団の中に居た劉玄が恥をかいた事例を見てもあきらかなことだ
中国における中世的貴族化については六朝に達するまで起こっておらず
その門閥化は地方における名声と貢献を基礎としていたとするのは定説であると思うが
633 :
631:2014/04/27(日) 23:58:53.94 0
「六朝に達するまで」というのは四世三公が生まれた流れから見るに語弊があるな
「後漢から六朝にかけて」に訂正する
ただ、完全に貴族化するのは六朝期であるとみて間違いない
貢献と影響力がごっちゃなってないか
635 :
世界@名無史さん:2014/04/28(月) 00:14:05.02 0
>>634 郷挙里選の影響下ではどちらが欠けても影響力を保持出来なかったと思うよ
完全に豪彊の壟断による不全が起こったというのは専制社会における中央政権側からの見方で
貢献があったことは史書にも「渠」を築いた富裕層が何人もいることが確認できているから
それを元に郷里社会における中心性が生まれていったのは間違いない
また逆に宦官の壟断というのも皇帝権力の行使が陰に隠れていたりするから
中国の史書でまともに受け取ってはならない用語の一つ
寒冷化の中で軍事力の欠如によって税源がないから地方に対し何も施せない中央が、
宦官を使者として租税の徹底を行おうとする状況と
天候不順でその租税の徹底を不当とするこの二つの相克によって豪族を中心とした反乱が起こったのが後漢末
>>631 前漢後期に私費を投じて様々な慈善行為を行う事例は一般的では全く無い。
抑々オマエは中国の歴史に関して全く無知でどう仕様も無く底が浅い。
孔僅は大農丞に就任し南陽を善く治めたとあるだけで、而も河渠書の方には記載が無い
>>632 無知の知った蒙りほど見苦しい物は無い。
宗族は周代には既に形成されているし、秦の分戸制度やそれを引き継いだ漢でも
山東では徹底されては無いうえペナルティを払えば分戸しない事は可能だった
特に後漢代の豪族は宗族が集まって集居する傾向が強かった。
抑々郷と戸は全く別個の物で分戸しても郷は変わらない
そんな定説はオマエの脳内にしか存在しない
門閥貴族は軍事を基礎とする武力集団であって山東貴族とは性質が異なる
問 題 外
>>635 いや現実に貧しい人も沢山選挙されてるんだけど
どうやって彼らが影響力を持ってたことになってるの
特に後漢においては学問による立身出世が盛んだったね
後ろ盾の無い連中は学問に加えて有力者の推薦がないと官途につけなかったんじゃないの?
霊帝はくすぶってる奴らを一本釣りしようとしたけど
>>636 あなたはどう見ても北朝以降の知識に偏った認識で解釈しているように思う
宗族集団の漢魏晋以降の成り立ちを説明しているんであって
周代の宗族とは実態の異なり断絶のあるものであるから、既に形成されていると断言する理由が分からない
後漢代をかけて宗族の集居によって豪族が形成されていくという認識については全く以て一致している
史記河渠書にないのは当然だ、念頭にあったのは王莽と対立した孔休なんだから
ただ、ソースについてイマイチ自信がなくなったので取り下げさせてはもらうわ
また何故関隴集団に代表される北朝門閥と漢魏晋南北朝と挙げられた際の門閥貴族の用語を混同するのか意味が分からん
北朝の関隴集団や武川鎮軍閥の流れをまさか一般的な門閥とは解して居ないよな?
門閥形成の序盤である後漢末の社会様相について学会の主流である名士説などとは色々異なる認識を持っておいでのようだが開示願いたく
それと「部曲」が貴族の隷下にあるものを指すようになったのは隋唐以降で
これは長い戦乱によって豪族の雇う農奴の様態が変質を来したからだぞ
>>639 清流派を弾圧し、売官を行ったた霊帝は違うと思うが。
>>640 答えられないだろう。唐代に名望家が誕生したとか言っているが郷里郷選の延長上にある
太原王氏や清河崔氏などの存在にろくに反駁できないのだから。
638の「門閥貴族は軍事を基礎とする武力集団」から見ても関隴集団だけが中世国家の上流階級
として誕生し、その後地方にも貴族が誕生したとかいう理論を展開したいようだが安史の乱による地方の荒廃と
唐末に至る社会の解体が地方に根を張る名望家の解体を促したこととは真逆のことを言っている。
>>642 >清流派を弾圧し、売官を行ったた霊帝は違うと思うが。
霊帝の皇帝権強化政策といえば西園軍が有名だが
鴻都門学も従来の官僚採用システムから漏れた人間を抜擢して皇帝の手足となる官僚を養成するための制度だったことは近年の研究で明らかになってきているようだが
>>640-642 無知の知った蒙りは見苦しいぞ。
宗族は周代から連綿と続く社会形態で秦や漢の分戸制の下でも解体していない
抑々1つの宗族は聚居しているが、戸籍は当然別だし、住む家も異なる
貴族は農奴の供給を宗族に求めていない
孔僅と違い孔休なんて史記にも漢書にも後漢書にも列伝は無い
両晋南北朝の門閥貴族は軍事力を提供する代わりに荘園を認めて貰い
更に土地部曲を併呑する事で成立していった
645 :
◆tONeji6FhI :2014/04/28(月) 23:32:55.59 0
ここ最近の流れを要約してくれ。誰か。
646 :
◆tONeji6FhI :2014/04/28(月) 23:57:44.01 0
要するに、地方の有力者は軍事力は無かった、
ということは確実?
中華王朝の官僚の出身母体となった豪族層の政治的基盤が
王朝から与えられた権威に拠っていたのか
それとも在地社会の中に持っていたのかという
長く論争されてきたテーマです
そりゃ両方に決まってる
朝廷から権威を付与される条件と
官吏の政治的基盤は時代と伴に変遷してるが
>>648 長い間論争を続けて史料をほじくり返してきた結果
あなたのいうような結論にたどりついたわけだけど
それでも満足できない連中がこのスレでテクニカルかつマニアックな口喧嘩を続けてるんだな
ロシアと欧州は争いつつも平行線でいままで来たが
モンゴルや満州と漢民族は征服したりされたりして統一拡大した。
651 :
◆tONeji6FhI :2014/04/29(火) 02:42:33.92 0
>>649 いまちょっと見直してみたけど、
良くわからんとこがある
>>650 あんま古代から中国の領域は拡大してないと思うんだけど。
中国内に遊牧民族が入ったり、
中国人が南方に移住したりはあったが。
満州が中国になったのは清の末期、
それ以外は清崩壊後だし。
イスラム勢力に対する欧州のレコンキスタ→誇りある歴史として語られる
イスラム勢力に対する中国のレコンキスタ→中国の対外侵略・抑圧として語られる
民族浄化も改宗も一切しなかった後者の方が数段穏当なのに世間ではこの通り
中国の領域は古代で固まって殆ど領土拡張はしていないのに皆作られたイメージで語るからな
その辺は中国共産党が悪い
なにがレコンキスタだよ
コルドバのメスキータに醜悪な礼拝堂増設しやがって
欧州は宗教の問題、昔の戦争だから酷いのも仕方ない
中国は現在進行形の少数民族の問題
勧告やら声明やら飛んでくる
ってイメージだな
欧州とイスラムの摩擦はイスラエルに集中させてごまかしてたが
最近はイスラム系移民増えすぎでまた苦しくなってきてるな
全然古代で固まってないだろ…
北にも西にも南にも拡張しまくりだろ
あれが古代から変わってないと思えるなら真剣に頭がおかしいぞ
さらに言えば、現代のイスラムに領土的野心を見出すのは難しい上
東トルキスタンはイスラムの侵略によってそうなったというより、改宗によってイスラム化しただけだろ
しかもそもそもの前提として歴史の発展に伴う人権意識が異なりすぎ
昔の日本人が誇らしげに首切ってきたという理由で、「それより穏当な死体損壊はゆるされるべきだ、イメージだけで語るな!」という話になるのか?
中国の領土的野心は今現在の問題だしね
>>652 今の中国と古代の中国では倍以上領土が違うお思うんだが
実際イスラム勢力と言えば聞こえはいいが
実際は少数民族に対する迫害そのものだし
というか領土拡張なしってどんな妄想だ
遊牧民族清の領土ではあるが現在の領域は「中華帝国」の領域ではない
660 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 12:11:09.26 O
ただ、ソ連でもそうだが
少数民族の地位は割合高いな。
チワン族の将軍とかもいたが、
戦前の日本に朝鮮人や台湾人の将軍はいなかったように思う。
661 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 12:20:57.08 0
ソ連は知らんが中国では民族籍は自己申告制だから
漢人でも優遇措置目当てで別民族籍で申告する人は多い
特に満人
663 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 12:26:42.46 0
>戦前の日本に朝鮮人や台湾人の将軍はいなかったように思う。
なんぜそう思ったの?
664 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 12:27:00.84 0
李秉武 中将
趙東潤 中将
李煕斗 少将
趙性根 中将
魚潭 中将
王瑜植 少将
金應善 少将
李王垠 中将
洪思翊 中将
王族で将官待遇を受けた者を除く
665 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 12:35:27.44 0
>>651 >古代から中国の領域は拡大してないと思うんだけど。
殷の頃の領域は山東省西部、河北省南部、山西省南部、河南省、江蘇省北部だよ。
どうして拡大してないと言えるのよ?
667 :
664:2014/04/29(火) 14:12:15.73 0
>>666 全員が同時に任官していたわけじゃないから、実際には数人でしょ
それほど多くはないけど、いないわけじゃないって程度かな
>>644 >両晋南北朝の門閥貴族は軍事力を提供する代わりに荘園を認めて貰い
更に土地部曲を併呑する事で成立していった
謝安は40過ぎまで軍役どころか官途にもつかない大土地所有者なんだが。
そもそも泰始律令の存在を無視して軍役の代償で荘園だの土地部曲を併呑だのを国家が認めるだの
無知もここまで来ると呆れるな。
>>643 その宦官と外戚(付随する袁紹などの清流派士人)の対立を皇帝権力の強化に捉える
のは異説の域を出ないだろ。州牧の設置による中央集権の弱体化への説明がつかない。
>>658 テロってるのは少数民族と云っていいかも微妙な外来の連中で
民国期に英国が分離工作の為に送り込んだ500人前後の
工作員から始まった活動で鎮圧するのは迫害でも何でも無いからな。
日本のマスメディアはいつもの通りの煽伝姿勢で
ウイグル人と呼んでるけど多くは先住の維吾爾族とは別の民族だし。
たった500人程度の工作員がどうやって今まで生き延びてきたのか
>>668 泰始律令の荘園田地や部曲農奴に関する法は西晋のうちに早くも有名無実化してるんだよ
>>671 特殊部隊員と煽られる側の不平分子の価値と役目と国籍が違う事くらい解るよな
隋唐や元は欧州言えばフンやロシアがローマを征服して欧州を統一したようなもの
>>669 >州牧の設置による中央集権の弱体化への説明がつかない。
鴻都門学の設置等の霊帝の皇帝権強化は熹平の終わりから光和の初め
州牧の設置は中平5年だから全然状況が違ってくる
やや乱暴に言えば黄巾の乱で霊帝の中央集権策は挫折しちゃったのよ
676 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 19:18:55.73 0
後漢は成立経緯からしても最初から分権体質でしょ
679 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 19:57:48.11 0
今、中国国内で起きている民族紛争には三つの側面があるだろう。
一つ目は従来の漢族農耕民とモンゴル遊牧民との土地争い。これはジンギスカンの頃からあると思う
二つ目は英米帝国主義によるウイグル・チベットへの分離独立運動支援。
三つ目は中国共産党の思想に由来するもの。漢族でも貧困層の多くが当局への行政のあり方への
抗議をして逮捕者が続出しており、これが内モンゴル、ウイグル、チベット自治区では独立運動という形を取る
三つ目を理解する為には、イルミナティ無神論の思想とは何かを理解しないといけない
改革・開放以後はイルミ無神論=開発独裁左派だけでなく、グローバリズム=開発独裁右派も侵入している訳で、
今の中国が服属・朝貢すればよしとした歴代王朝とは異質な存在である事は確かだろう。
つまり今の中国がいかに異形の軍事大国に見えても、米英、ソ連や北朝鮮、60年代の日本、イスラエル、ブラジル、
インドネシア等と同じ矛盾や問題を抱えている面もある。西側・東側・従来の中国の三つのガンが合体したガン=今の中国
共産主義は人民の暴走を許すんだよ
スターリンや毛沢東の粛清だって人民が暴走しなけりゃ
そんな被害はなかった
上に媚びへつらい暴走してでも下を蹴落とす
それが共産主義の本質
その暴走は共産党の制御下にあるけど
三つの体制のガンが全身に転移して
別の新しい生命体に・・・
ガンは不老不死の細胞だ
中共は不老不死のごとくガン細胞のように生き続けるだろう
安楽死させてやるやつは居ない
682 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 20:14:31.36 0
>>664 その中で、
(李王は王族だから除く)、
一番下の洪と言う者の経歴だけが異質だな。
それ以外は基本的に大韓帝国の軍人で、
併合前から日本に協力的だった者か。
先見の明を備えた有能な人材は
大日本帝国との併合を歓迎していたんだな
大日本帝国が中国本土を取り込み併合しても
何十年後かには日本の左派や左派系軍人を巻き込んだ
共産革命を中国・日本・朝鮮で起こされて
アジア全域共産化してそう
大日帝国建国からの中華人民共和国日本自治省っすな、定番
>>677 正確には属国郡が誕生し始めた前漢末からなんだろうけど、後漢ともなると驥尾政策の生まれ始めた時期だしね
まぁ、気候が影響していて大陸性気候の北方地域には有効な補給をもたらす屯田を築けなくなってきたことが
多分西方や東方との連絡路が絶たれだす要因になって来てるんだろうけど
ただ、本来的な国内統治でいえばむしろ後漢は集権色が強かった
軍権自体が大部分の州郡に存在せず、中央とその付近に世襲の騎馬部隊を常置して中央権力を強化する方向に行ったしね
ただそれによって地方では軍事力の空白に繋がっていって、最終的には本来の税にない税が取りたてられたり、
太守になる人材の家産によるその都度の募兵によって賄わせたりする方向に行ったりしたので
豪族が推挙を受けてもそれを拒否するという自体が常態化した
何しろ自分の出身郡の郡太守や州刺史にはなれないから、
自分の根拠地とする郡とは全く関係ないところで長期に兵士を雇わされることになる訳だからたまったもんじゃない
それを打開しようとしたのが売官でありその財源に基づいた西園八校尉という強化された常設軍というのが近年の霊帝再評価の肝だね
当時は儒家的価値観から嘲笑われた「店員を霊帝自身が行い、その資金は庭に積み上げる」という行為も
逆に今では「売官益を着服しそうな人間」を通したくなかったんじゃないかとも言われてる
>>686 BC級でフィリピンの捕虜虐待絡みで裁かれちゃった人だっけ
ありゃどうにもならんよなぁ、攻めた軍より多い捕虜なんてどうやって管理するんだ
責任者だから責任は取らなきゃならんけど
なんというか、両漢は今でいう中国文化圏という意味のアジアという色合いより
所謂オリエントの、今でいう西アジアとの近さのあるアジアっていう雰囲気の方が強いよね
発掘される文物を見てもさ
未分化というか、遊牧民と混濁した民族性を持った地域の古代文化特有の色んなものが混在していて
漢字文献があるから如何にもあの頃から二胡の響きがするあの中華な感じがするけど
我々が如何にも中華とイメージする水墨画のようなものはまだないし、
布にカラフルな色彩で描かれた平面的な絵図
陶製の上下水道
金属製の服を着せられたミイラ
香炉と象牙と封泥と印綬とソロバン
貴族による騎馬隊とアジア的専制の官僚制、そして貴族の騎馬隊とは別置された皇帝使者直属の世襲騎馬部隊
家産で領地経営を行う太守
貴族に従って権力を持ち始める奴隷
商売の振興と監視による利益を考え出す王族(趙王)や徭役に給与を払う王族(呉王)が居て
なんというかオリエントな空気だねえ
後の如何にも中国然とした中国じゃない
690 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 19:07:51.48 O
>>689 いつ頃から日本人の意識する中国っぽくなったのでしょうか
691 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 19:13:08.02 0
中国が統一国家になったのは遊牧民族のおかげ。
692 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 20:32:45.61 O
>>692 遊牧国家に対抗するために必然的に大帝国になった、という観点なら間違ってはいない、かも?
秦朝 *300万km²
漢朝 *484万km²
唐朝 *540万km²
元朝 2123万km²
明朝 1000万km²
清朝 1380万km²
中国 *971万km²
今の中国領土は明朝を基準にすると北東部をややロシアに削られた分、西方に広がってほぼ同等
清朝からは外モンゴルをソ連に奪われて独立させられた分が主に減っている
漢〜唐の頃と比較すると元朝〜明朝への交代時に遊牧民の住む西方や北方の領土の一部を継承した分が増加
古代からの増加分は結局どれも遊牧民による征服→漢族の逆襲→遊牧民の一部を支配下に
という流れで獲得しただけで漢族が積極的に領土拡張したことは一度もない
>>687 後漢は建国の主体になった豪族の政治力が強くて
最初から前漢よりも地方の権限と財政比率が大きく分権的だよ。
そういう前振りがあって歴代皇帝も集権化を図ったけど完遂しなかった
>>688 いや、全然。少しは歴史の授業も受けるといいよ
漢族の中国共産党王朝は積極的に拡張してる気が
697 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 21:20:18.10 O
>>696 元が拡張して明が踏み固め、
清が拡張して中華人民共和国が踏み固め、
では。
中華人民共和国は厦門からたった数`の小島に何十万も砲弾打ち込んだのに奪取できなかったからな
共産党が一応拡張したのはチベットかな
だね、西域と内蒙古は拡張期の領土が戻ってきただけ
後南沙諸島があった
あれは明確な拡大
南沙諸島は古い領土、東沙諸島と似た様な存在
おいおいそんなこと言ってるお前は中国人だな
近代になって初めてああいう島に意味が出てきたんだ
あそこを固有の領土なんてこじつけ
固有の領土じゃないけど、何処の領有か?と聞かれれば中国
同じく固有の領土じゃないけど、ソ連も日本領である事が合理的と認めてる千島列島南部の二島と一緒
ただしソースは脳内
なんだそのキモいメール欄は
そもそも、東洋はそれまでもっと適当に考えてた国境を近代化によって、いきなり国際法的に整備しなきゃならなくなったから
衝突があって当たり前
それを無視して歴史だの持ち出して扇情的に領土問題を煽る奴らが屑
>>707 それなら今まで通りの国境(?)概念でやっていけばいいのに
なんで西洋の国境概念に合わせなきゃならんの?
それは俺に答えを求めている質問なのか?
>>708 力のある方のルールに合わせなきゃならないってだけの話じゃないのかな
放っておいたら好きに切り取られちゃうし
いや、違う
いま事実として西洋の国境概念に合わせなきゃならないようになったのかってこと
西洋の国境概念にあわせろとどこかから強制されてるとは思えない
「整備しなきゃならなくなった」とは思ってないんで
西側諸国からすれば、国際法は平和のためのものであって、国連に参加している中国もそれを表向きに否定することはないだろう
逆に言えばその平和に対する意義を否定できない限りは道徳的にも批判され得る
外交的にも、二国間のみで領土紛争が完結するならともかく、当世においては他国の承認も重要になってくる
また今までどおり、というのも無理がある
勢力圏も技術も変化して地政学的重要性がすでに変わっている
714 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 01:24:48.26 0
雲南なんか途中まで独立国があったのに
元に一度併合され、
それ以降中国領となった
過去に独立国だったところなんてそれこそ何百もあるだろう
春秋、戦国の各国は一応周王に服してる建前だったから独立国ではないにしても
五胡十六国とか、多数の国があったよね
むしろモンゴルとかトゥバとかを一応諦めてるのが、奇跡に近いのかもな
>>712 西側諸国からすれば、国際法は西側諸国の利益の為のお題目であるから
中国やその他の凡ゆる非西方キリスト教国がその慣習にそぐわ無い場合
例えぱオスマン帝国の最恵国待遇が悪用された様に、侵略や破壊工作の格好の口実になる
なので西側諸国の名目上の慣習に沿う事は防衛の観点から必要
718 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 02:06:46.27 0
>>715 五胡十六国は中華の中ということになってるからそれほど違和感はない。
とはいえ、五胡十六国の中から宋まで続く正統王朝の起源となる北魏が出てるわけでな
>>687 後漢中後期の地方の危機というのは軍事的空白よりも根本的な問題として
自然災害が続いて中央政府の救済が財政的に追い付かなくなったんだよ
だから地方のインフラ整備は地元の豪族層に依存することになってしまって
王朝政府の権力や権威が相対的に弱まってしまったんだよ
党錮の禁の前後から黄巾の乱までの皇帝権力と清流派の綱引きはこの文脈に沿ったもの
西園軍の設立は黄巾の乱後の治安が完全に崩壊しちゃった後の話だから
それ以前の買官は国家財政の補充と皇帝直属の官僚養成を兼ねていたと見るべきだろうね
帝室の金と朝廷の金は別勘定ですからw
帝室の家僕と朝廷の官員も別口ですは
>>721 災害救助で放出した食糧や金銭を補てんするために売官や売爵を行うのは前漢・後漢で一般的に行われていた政策だからね
後、売官で地位を築いた官僚として崔烈や樊陵がいるけど彼らは内廷の宦官ではないよ
>>722 売官は漢では一般的な行為では無いよ
霊帝代特有の振る舞い。
後漢は皇帝の権力が掣肘されていたから
姦僚や宦官外戚は好き勝手に縁故や汚職で官職散播いてたけどね
724 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 15:51:48.89 0
>>723 売官の話は前漢だと例えば史記の平準書にあるし
後漢だと安帝の永初三年、桓帝の延熹四年にも行われているから
霊帝特有というのは間違いだね
売官なら武帝もやってたじゃん
726 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 18:38:20.64 0
今夜NHK・BS-P20:00、史記誕生秘話
727 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 20:25:26.12 O
>>718 大越を見ると、
南部での中華非中華の区別はかなり曖昧だと思う。
ビン、南漢と大越は唐代後期の中国人移民がたまたま多かったか少なかったかで
運命が別れた気も。
728 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 20:37:14.66 0
>>719 名分論はともかく「北漢から南宋まで」で一つのまとまりって感じ、
文明だか民族だか言い方はよくわからんが。
漢から南朝陳までは一つの国の中での政権交代
北魏から宋までもまた一つの国の中での政権交代
その次の元は外からの征服
730 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 20:58:41.41 O
唐→後梁 禅譲による王朝交代
後梁→後唐 クーデターによる政権奪還
ということになるな
まあ、禅譲と言っても強要だし
後唐の李氏が唐の継承者と言えるかも極めて怪しいが
一応そういうことになってる
732 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 21:44:20.82 O
>>731 北魏から唐までは確かに同じファミリーと言ってもいいが、
朱全忠は外部から寝返っただけだから微妙
サダも。
733 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 21:46:17.25 0
ちがうだろ、もまえは名分論なの?
元はいきなりでてきたんじゃなくて遼→金→元って流れ
宋で終わる流れは北魏ではなく北漢から始まってる
禅譲か放伐かって違いは「こまけーこと」でどうでもいいわ
朱全忠は唐から禅譲を受けてるから
735 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 21:47:41.52 O
736 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 22:05:26.78 0
大唐から禅譲されて後梁
後唐が後梁を放伐
契丹が後唐を滅ぼして後晋を建てる
契丹が後晋を滅ぼして遼と改名して中原に立つ
遼が北方に逃亡して代わりに後漢
後周が後漢を放伐
後周から禅譲されて宋
737 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 23:36:17.85 0
北魏から唐が「鮮卑ファミリー」であるように、
後唐から宋も、
「サダファミリー」であることは間違いない。
738 :
世界@名無史さん:2014/05/02(金) 00:58:11.41 0
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
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>>721 >帝室の金と朝廷の金は別勘定ですからw
前漢は国家財政と帝室財政がきっちり分けられていたけど
後漢では一緒くたになってしまったというのは東洋史研究者の間では百年前からいわれてるじゃん
>>724 前後漢を通じて売官は諌めるべき宜しくない少数例として記録されてる
大っぴらに売官した霊帝や私的な売官が横行していた桓帝の時代とは全く別物
>>739 一緒くたになってしまったなどとは云われて無い
前漢を通じて徐々に帝室に属する金は削減され
後漢になると更に管轄は小規模少額になったという話
>>695 後漢は前漢より地方経済が活性化して地方人口が増えて地方の官衙が高度化し
諸郡に小さな国家のような構造備えて行ってるところはあるけど
あれは前漢から続く経済発展の結果であって分権化と捉えてしまうのは違う気がするな
太守及び刺史が地方を上から抑えつける形は変わってないし
督郵などと地方が対立する様が後漢末までみられる訳だし
政権中枢に南陽豪族出身者が多いことによって初期から南陽郡の監察が不全に陥っているということは事実だろうけど
地方の権限が強力になっていくのは中央の監察権限と制度の強化が先にあって
評価を担う地元の出身者が中心となった功曹がその流れで中期にかけて権力を拡大したと捉えるべき流れじゃない?
後唐李氏の出自を考えるなら隋唐の連中が一体匈奴なのか鮮卑なのかって話もすべきだし
秦から魏に一族で移住して楚人の要素の深い両漢劉氏の出自が一体何なのか考えてみてもいいんじゃない
商周秦漢が同一文化という流れであればもう鮮卑だとか突厥だとかはもうどうでもいい話だわ
もう全部遊牧民政権でいいんじゃないって投げやりな気分になる
漢字と儒教道教と中国仏教の影響下にある定住化した遊牧民のそれぞれの亜流が
近代欧州の決めた古臭い民族自決的カテゴリの中でどうしたこうしたって話しても無駄無駄
>>739 一緒になったのは事実だけど
なんか一緒くたみたいな善悪基準を割り込ませて話してしまうのは色々違うような
>>740 >前後漢を通じて売官は諌めるべき宜しくない少数例として記録されてる
戦争や飢饉で財政が窮乏した時の非常手段として行われていたね
>>744 なんか一緒くたみたいな善悪基準を割り込ませて話してしまうのは色々違うような
乱暴な口語的表現ではあるが善悪基準とまで言ってしまうのは色々違うような
>>746 私も言い方が悪かったね
「分割されていたけど一緒くたになった」
なら善悪基準とまでは言えないけど
「きっちり分けられていたが一緒くたになった」
では後漢に対するとらえ方の乱暴さが端々に見え隠れするのよ
>>741 内廷で消費する銭糧も外廷からまわしていたんでしょ?
>>748 単純な所謂アジア的専制の度合いが進行しただけで
外朝を公、内朝を私みたいな捉え方はまた変な気がするが
>>747 教科書的な書き方なら
「国家財政と帝室財政の区別が廃止されて大司農の管轄に一元化された」という感じかなあ
まあこちらも口がすべった
>>749 わかった、わかった
「朝」と書くべきところを「廷」と書いてしまったのはこちらのミスだけど
用語の間違いを指摘するならまだわかるが
そこまでひねくった取り方はするなよ
研究者でも専門外の人間はまだ内廷と書いたりするんだから
>>751 すまんね
意見そのものは大同小異であるのに余計なことに突っ込んだ
>>742 意味不明だな、無知にも程がある
後漢は前漢と比べ経済が停滞して人口も減少し、内向きに成り
地方豪族の土地の併呑による自給自足と脱税が進んだ。
建国経緯に因る分権体質と合わさって豪族の独立性が強く
それを抑制する必要上地方政府の権限を重くして分権的なのが後漢
>>745 そう、制度として売官が横行していた桓帝霊帝代は特異で異常な時代
>>744-752 後漢でも皇室の支出に携わる部署と朝廷の支出に携わる部署は別
>>748 元から管轄していたのは皇室の人間じゃなく朝廷の機関と官員ね。
前漢は小物成の税目その物を皇室の金として割当ていたのを
後漢になると財布を一緒くたにしてしまい腐敗の温床になった
>>753 流石に何十年前の説だ
名士論を全く知らんところといい、近年の学説は全く仕入れてないのか?
>>754 君は半角ローマの人だと断定させてもらうが、本当に中国史の知識も半可通で
中二病の中高生のような仰々しい言葉ばかりを用いると思ったら
本当に日本史選択の中高生か何かか?
武帝期や新莽期に盛んに用いられてた三輔地域絡みの税は一緒くたになったのではなくなくなっている
何故そもそも洛陽遷都が前漢で計画されるようになったかといえば三輔地域の人口が拡大しすぎたことにある
そして三輔地域の経済を支える両輪の一つである、隴右の穀倉地帯は新末の混乱で壊滅的な打撃を受けており
それが羌に対する人口的経済的戦力的優位を損なって後漢を通して西域が離脱しがちになる原因ともなっている
後漢に至って中原からの漕運などに頼っている三輔経済は帝室財政を支えることが出来るような状況にはない
そんな状況で財政統合を行ったところで扱う権力が拡大するわけではないのだから突然腐敗の温床にはなりえない
>>754 ついでに言うが、桓帝霊帝の代に異常な点があるとしたら太学の学生が
儒学の経典の理想に基づいて国家の政策に口を出すようになったことだろう
それが銅臭という批判用語を生んだ
しかし、後漢末の価値観では許されざることで横行と批判されることでも
文帝期であれば猟官が異常であるとは思わず大っぴらに行われても横行と批判されない
つまり大きく取り上げられないことは両立しうる
そもそも史記と漢書記述にみえる前後漢通しての商業に対する価値観の変容も知らんわけじゃないだろう
>>755-756 奇論より正論、知識が乏しいから1つの奇論に依ってしまった時に勘違いを犯す。
西域の離脱は後漢後期の二世紀前半になってからね
しかも西域の離脱は羌テイとは何の関係も無い、基本的な知識が無さ過ぎる。
前漢代には皇室の金は特定税目によって自律的に賄われていたが
後漢はどんぶり勘定になり且つ支出を決裁する部署の権限は何ら減じずに
残置されていた為に様々な腐敗の温床になったというのが史実
文帝時代に実施したのは国庫に糧銭を収める事での爵位の下賜、要は売爵
後漢末にやらかしたのは官職の販売、爵位は身分で仮に法を犯したりすれば恩恵に与るけど
官職と違い権限を乱用して搾取等の不正を犯る事は無い
759 :
世界@名無史さん:2014/05/02(金) 20:54:07.13 0
どっちが本当なんだよw
758が正確だろ。霊帝期を王朝立て直しと見るのはやはり無理があるだろう。
黄巾の決起に宦官が結託していたように政府がまともに統制されていたと見るのは無理がありすぎる。
こういう見方があるのは和帝、順帝、桓帝のように奪権が繰り返された権力抗争の激しい後漢の歴史が
生んだのだろうな。
後漢末の場合だと桓帝の時の売官は司隸、冀州等に災害が続いて租税が入らなくなったり、困民に物資を放出した際の穴埋めのためだから一般的なパターン。
>>754が言ってるように時代の異常性だけで説明するのは一面的だろう
ただ霊帝の時の売官は対象になった官が多く、同時期に行われた鴻都門學の設置やさらに後の西園軍の創設と併せて、それ以前には見られない特徴を持ってるから
>>760のようには片付けないで、何らかの意味を見出す作業や議論が行われてるわけだ
人心が離反し地方民衆や王侯の反乱が続いてたからな
人心が中華皇帝を望んだ事なんて有ったのか?
最初から最後まで離反しっぱなしだろ
誰でも良いから安定しとけ程度には望まれることもあったんじゃね
皇帝がいないと社会保障やってくれる存在がいない
天災が起きても援助無し
>>763 そうでもない
中国では時代が下るほど皇帝は官僚・知識人は容赦なく虐殺するが
民政の安定には気を配る傾向が強まっていく
貴族階級が解体されて皇帝の直接専制となることで敵となる官僚・豪族を
抑え込むのに民衆の支持を皇帝側は必要としたし
民衆には遠くの皇帝よりも直接自分達を抑圧してくる官吏への憎しみが勝った
>>763 そうであって欲しいという願望よりも
実際の出来事を重んじるのが歴史だよ
中国人の性質って
国家を全く信用しない所から始まってる
これが歴史の事実でね?
>>768 外国(特に日本でははなはなだしい)の作家レベルが言っているだけで
民族性などという学問とも言えん偏見でなく社会思想の面で
そんなことを言った学者なぞ知らんな。
>>766 朱元璋や清の文字の獄を拡大解釈しすぎ、北宋以来の科挙制度合格者の
進士の社会におけるステータスの高さを無視するとか無茶だよ。
中央集権の傾向の強い明では陽明学、東林派が地方社会の安定
の為に尽力した歴史を忘れてはならない。
>>761 一体何を見出そうというのやら、宦官による清流派士人への弾圧、そこから見出される
後漢期の清犠に代表される社会思想を無視して珍論を持ち出しても誰も納得なぞせんよ。
韓国のやり方
・「学者」が寒国起源説を発表する
・それを宣伝する
・民が洗脳される
・何時の間にか既成事実になる
学者をもち出す人間は信用できない
それ韓国が信用できないだけやん
今では日本と中国の文化は全て韓国起源だからな
マンガも韓国起源
マジで外国でそう宣伝している
朝鮮と中国は極めて近い親戚
その手の起源主張は規模が小さかったり確かめれないものも多いが
とりあえず看過できないほど規模が大きくかつ自分が捏造と確かめたのはサクラだなぁ
中央日報と朝鮮日報という三大紙で報じられ
かつソメイヨシノが栽培種ってのは信頼できる書類で確かめ
結実しないことも自分で確かめたのでこれは所謂捏造された起源主張といえるだろう
その桜だけど
韓国に来る観光客に大々的にパンフレットで宣伝してるよ
日本の桜の起源は韓国です、と
中国人がそれをよんで「へー」だって・・・
>>775 そうだな。生き物として
>>776と鼠くらいよく似てる
或は国として日本とサウード王朝の支配する国々くらいよく似てる
>>770 儒家官僚や太学生による皇帝批判や地方の遠心化に対する皇帝側の対応が霊帝期の改革だととらえられているから
清流派を無視した学説では無いと思うぞ
行き当たりばったりのその場凌ぎを改革と呼ぶ
霞ヶ関作文術の典型って意味では非常に日本的だなw
>>781 清流派のほうも地方政治の経験はあれど
王朝そのものをどう立て直すかという問題に対しては
宦官批判と人事の要求を繰り返すばかりで具体的な方策は持っていなかったからな
>>781 一般論でいうと変化期・過渡期の試行錯誤だから行き当たりばったりに見えるのも仕方ないよ
>>779 日本とサウド家とどこがにてんだ?
お前煽りにしても程度低いわ
一般的な日本人の感覚でないので外人の可能性高いな
なぜならどうやらサウド家とおなじというのはお前の中では罵倒っぽいが
普通の日本人感覚では罵倒ではないからだ
サウード家と徳川将軍家は、有る意味似てるかも
>>776 テコンドーの起源捏造の成功体験があるからな
1 起源主張
テコンドーは2000年の歴史を持つ格闘技テッキョンを元に作られた
植民地時代危険視され日帝が弾圧したため文献達人は抹殺された
2 世界に広報
武道=韓国とイメージが世界に定着しオリンピック競技になる
3 ネタばらし
オリンピック継続競技となる見通しがつくとテコンドーを創設したメンバーの最後の生き証人が真相を語る
テコンドーとテッキョン(舞踊)は無関係
テコンドーは植民地時代空手を学んだ我々が戦後空手を元に創設した武道
マスコミや世間は誤った情報を信じているが
オリンピック競技となった今そんな事をする必要はない
>>784 日本とサウード王朝の支配する国々は中国とチョン国くらい似てるよ
亦我々日本人はおまエラと違いサウード王朝前近世的な支配を侮蔑している
>>783 行き当たりばったりと過渡期や変革は全く違うよ低脳
>>787 「日本とサウド王朝は似てる」かつ「サウド王朝を日本人は侮蔑してる」
ほうほう
じゃあなんで政権交代がおこらんのや?w小学生でも疑問に思うなw
あと「てにをは」が変
ガイジンとまともな教育受けてない中卒にしばしば見られる特徴ですw
>>788 世襲王朝は政権交代しないんだよ
日本とサウード王朝の支配する国々は中国とチョン国くらい似てる
理解出来無いなら国語の勉強しないと駄目だな
日本人=モンゴロイド
アラブ人=コーカソイド
全然似てない
漢人=モンゴロイド
朝鮮人=モンゴロイド
似てる
>>789 日本は君主制を民意で廃止できるんだが・・・
憲法見てくれよチャンケ
>>791 大方の日本人=まとも
>>790=キチガイ
似ていない
キチガイ=精神障害者
南チョン=精神障害民族
よく似ている
キリストを西欧白人に改竄している奴等w
キリストもマリア様も朝鮮人だぞ
黒人の教会では黒人になってるし
別に西欧白人には改竄してないだろw
映画とかでも黒髪で肌の色も濃いめのコーカソイドだし
サウジと日本なんて非民主的国家だというくらいしか共通点が無いだろ
しかもサウジの閣僚・将軍ポストまで全部王族が独占というのは近代国家に例が無い
極めて特異な独裁体制だし
>>797 サウジはそもそも民主主義国ではない純然たる君主制だからな
日本は民主主義国だよ
だが民主主義を充分に実戦できてないだけ
それをもっと極端にしたら北朝鮮だ
>>797 お前の基準の民主国家ってナンだチャンケ
太平天国でのキリスト造形は漢民族だったの?
802 :
世界@名無史さん:2014/05/05(月) 22:40:49.02 O
>>796 日本人のような東洋人からしたら
イエスらユダヤ人とフランスイタリアスペイン人なんて
区別つかんよな。
多少黒い程度だろう
イエスは元々白人だろうよ
ローマ時代あのあたりに黒人やモンゴロイドが居たらびっくりだ
イエスは白人ではない
中東系
>>803 黒人は居た
>>904 中東系という人種があるのかい?
初めて聞いたよ
中東人種と北西部欧州人種は人種が違うよ
>>803 黒人であるエジプト人はシリア周辺まで征服してる
>>807 中東人種と西欧人種は遺伝的に系統も故地も全然違うけど
お前ら無知すぎて話にならん!!
馬鹿が浅はかな知識自慢の
「中東=全て肌黒」みたいな勘違いと結びつけて
浅はかなキリスト教批判に悦に浸ってるだけ
キリストは白い
キリスト=色黒がなんでキリスト教批判になるんだ?
脳まで白いご主人様に飼い慣らされちゃってるのか
中東人種って
セムハム族とかそういう表現にしろよ
そもそも、最近は人種論ってかつての定説崩れまくってるけどな
>>799 そもそも独裁国家の殆どは選挙をしているのに選挙さえしていれば
独裁じゃないと言い張る馬鹿が多過ぎる
自民より長く続いてる長期政権は中国共産党・朝鮮労働党・サウド家くらいしかない
他はどんな独裁国家であっても50年くらいが限界
セムハム族は語族であって人種じゃない
それにセムハム語族も過去の学説になってしまったし
>>816 お前は質問にたいして違う話題を演説しろと教育されたのか?
大学以上の学歴がないかまともな大学には行ってないなお前
子供か
もう一度言う
お前の民主国家の基準はなんだ
どうやら長期政権=民主主義でないと思ってるっぽいが論旨が明確でない
はっきり基準を言え
>>816 中国国民党もあるぞ
国民革命から数えて86年
民進党政権で中断してるが
それなら自民党政権は二度中断してる
>>813 色黒じゃないのはおかしい、と喚くのがアホなキリスト教批判なんだよ
実際当時のシリア人は壁画なんかを見ても色黒だから仕方ない
古代エジプトはエチオピアは知っていたようだがイギリスやフランスは知らなかった
コーカソイドの概念をこしらえたのはイラン人でもエジプト人でもイラク人でもなくドイツ人
>>819 国民党はすっかり台湾の一政党になってるだろ
白人=コーカソイドでは無い
>>809 インド人を白人と呼びな
また自分基準で暴れるのか
自分がホワイトでも無いのにレイシスト全開だなぁ、おい
日本人を猿と言う韓国人ってそんなんだよなぁ
黄色人種全体への差別用語なのに
人類は猿が先祖だが
朝鮮人は熊が先祖なんだよ
白人どころかコーカソイドですらない黄色くて平たい奴等から「あんた色黒だから白人じゃない」とか言われる中東人
404
注目すべきは欧州人にドイツもギリシアも含まれていない点
ここ大事
なんで人種の話になってるんだ?
スレタイに沿った議論できないやつは白痴なみ
民族と語族と人種と国籍がごっちゃになってる人が多いから
中国の統一は徹底的な冷酷さがあったから
前代を綺麗に皆殺しにしたからこそ統制が取れている
植民移民等、近年に見られる中国の自治領取り込みとはわけが違う
というか中国は「統一」ではなくて「代替わり」してただけで
普通に各民族が各地で暴れてたような
時期によっても変わってくるが
前朝の制度とか遺臣とかそのまま残っている場合も多いやん
場合もって特定される時点で、それは比較的数の少ない事例
いや、普遍的な事例だよ
秦漢魏晋隋唐宋元明民国