1 :
世界@名無史さん:
鮮卑族の歴史スレッドです。
2 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 21:49:29.83 0
おまんこ女学院
3 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 21:50:00.39 0
公孫3
4 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:25:43.73 0
隋唐帝国
5 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:32:06.93 0
隋唐の皇族は明らかに鮮卑ですよね
6 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:48:16.38 0
漢人起源説(拓跋部)
『魏書』序紀において、拓跋氏は黄帝の子孫としている。
黄帝は伝説の人物であるが、漢民族は古くから自らを黄帝の子孫としており、拓跋氏と漢人とは同じ起源ということになる。
『宋書』索虜伝には、「索頭虜、姓は托跋氏といい、その祖先は漢の将軍李陵の後裔なり。
陵は匈奴に降り、匈奴の一部落の索頭部となる」とあり、拓跋氏の祖先は漢人の李陵としている。
また、『翰苑』註所引の『漢名臣奏』では、「鮮卑は秦始皇の時代に、長城建築の際に逃亡した者たち」とあり、やはり漢人起源としている。
これらの理由としては、匈奴人が西方系の深目、高鼻、多鬚、赤髪、緑目であったのに対し、鮮卑人が身体的に漢人と酷似していたために、鮮卑は漢人起源とされたと思われる。
習俗(宇文部)
かつては南匈奴の遠属で、代々鮮卑の東部大人(たいじん:部族長)を務めた。
その言葉は鮮卑とはやや異なる。人々は皆伸びたひげを切り揃え、その頭頂部でとめて頭飾りにする。
数寸長くなったらこれを短くととのえる。婦女は足まで長い肌着を着る、すなわち裳(スカート)はない。
秋の収穫に鳥頭を毒薬とし、鳥や獣を射る。〈『魏書』列伝第九十一〉
「鮮卑」とは「朝鮮人みたいな卑しいやつら」という屈辱的な蔑称
8 :
世界@名無史さん:2014/02/12(水) 14:48:39.92 0
固有の言語の音訳だから漢字にはたいした意味は無い
せいぜい接触の初期に漢族がどう扱ったかということぐらいしかわからん
蛮族かとナメてかかってたら、支配されたでござるよ。よっぽど開明的で、大陸東端の文明が大いに進歩したでござるよ。
ここは共産中国じゃないんだから、族は
ないでしょ。鮮卑だけで十分。
東胡の一派でしばらく匈奴の配下だったから、まぁ普通に強いんだよね
12 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 16:35:37.33 0
13 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 16:50:21.49 0
>>8 接触初期に大暴れしたのが鮮卑。
三国志時代には傭兵の騎兵に…
なんかしてきて挙句中国の中原を制覇してしまうのが
ローマ帝国みたいで…
モンゴル族の先祖も鮮卑なんだっけ
今のモンゴル人を見ればモンゴロイドなのはわかるが
15 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 17:56:32.49 0
今のモンゴル人はコサックの影響がないわけじゃないから…
ロシアの東進でコサックと意気投合しちゃったから。
16 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 18:01:44.45 0
コサックもモンゴルの影響でできた生活様式だからどっちも
人種以外は親戚みたいなもんだろw
大興安嶺あたりにいるのは、とりあえずまず東胡の末流にされ(鮮卑・烏桓・柔然)
つぎの時代には鮮卑の末流(契丹・室韋=モンゴル)にされるという、このやっつけ感
18 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 18:35:12.11 0
中国の歴史書じゃ中国由来にされてるがな
倭も周由来にされて元祖は中国扱い…
中国の歴史はプロパガンダだからね…
コリアンファンタジーよりましだけど
荊蛮の地にいって呉の始祖になったという太伯か
刺青と素もぐり漁してるだけで末流にされるイージーさよ
まー、あれは単に未知の事象であることを嫌っただけだろうな
なんでも典拠主義だったから、とりあえず過去の文献と繋げとこう的な
22 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 18:50:15.97 0
百越や呉の住人が移住してきてるのはマジみたいだけどな日本の場合。
DNA分布から。でもミトコンドリアDNAは朝鮮人と同じ人が意外と多くて
古代に女性だけ朝鮮半島から渡ってきてないかという変な結果が…
でも朝貢で女性しか貢物なかった国だからなぁ…
朝鮮半島は鮮卑由来のDNAが多いだよなぁ…
どんなけレイプされてるんだ朝鮮半島。
国家形成の前段階からワイ貊やらの鮮卑の近隣にいた系統が入ってきてるから
そこは自然な話じゃねえの、鮮卑由来DNAが明らかになってるのかどうかはしらんけど
ていうか、朝鮮人のDNAって実は中国人とあんまり変わらないんだけれどね…
ていうか、中国人と言っても満州族やら朝鮮族もいるわけでw
な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ?
30 :
世界@名無史さん:2014/03/02(日) 19:10:05.88 0
O3-LINE1 3.10% 拓跋
C3-M217* 1.90% ブリャート
C3c-M86 1.20% 粛慎
N1c1-M178 0.40% ヤクート
-------------------------------
6.60% 弁辰韓→山陰・近江・東海
O2b-SRY 7.70% 貊
O3-M122 6.60% 穢
NO-M214* 2.30% 巴蜀
O2a-M95* 1.90% 雲南アワ
-------------------------------
18.50% 楽浪・弁辰韓→阿讃播・畿内
31 :
世界@名無史さん:2014/03/02(日) 21:42:26.79 0
>>31 中国が政治調整してるんだろw
YーD系も
33 :
世界@名無史さん:2014/03/03(月) 17:56:31.65 0
豪族仕訳
(1)縄文 縄文人 40.10%
C1-M8 5.40 % 南縄文
D2 34.70% 北縄文
(2) 弥生松菊里円形住居 馬韓→吉野ヶ里→宗像
O3-M122 6.60% 穢→物部
O2b-SRY 7.70% 貊→日矛・韓→息長
(2)弥生後期 方形住居 方形墳丘墓 根之堅州國
O2b1-47z 22.00% わだつみ族→海部/安曇
O3-LINE1 3.10% 拓跋→天皇
C3-M217* 1.90% ブリャート・烏桓→尾張
C3c-M86 1.20% 粛慎→中臣鹿島
N1c1-M178 0.40% ヤクート→春日
(3)弥生後期 弁辰韓→阿讃播
NO-M214* 2.30% 巴蜀→伊福部
O2a-M95* 1.90% 雲南アワ→阿波
(5)古墳中期 九州
O3a3c-M134 10.40% 三燕人→秦氏
N1-LLY22g* 1.20% 羌
Q-P36 0.40% 月支
R-M207 0.40% 回鶻
I-P19 0.40% 粟特
豊葦原瑞穂国 瀬戸内畿内
根之堅州國 山陰・東海・関東
34 :
世界@名無史さん:2014/03/03(月) 18:51:49.11 0
なぜ日本人のDNA論議になるんだ…
それは、千年恨で周りが見えてないからw
たしかに遺伝子厨ってのはクソKYだな
歴史学の話しろよ!
38 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 14:26:53.20 0
騎兵としての鮮卑は後漢のころから定評があったよ。
傭兵として雇ったのは失敗。
結局民族が南下してきて中国は彼らの支配下にされた。
鮮卑といっても、拓跋部と宇文部と禿髪部あたりじゃルーツが異なってそうだなぁ
遊牧民的な支配・恭順ベースの集団の移り変わりでなく、
言語・文化的な連続性でみた集団の変遷を詳細に知ることが出来たら面白いだろうな
40 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 18:46:54.99 0
>>39 言語は無理だろ漢民族化して1400年たってるし
41 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 19:23:05.05 0
日本にいる鮮卑族の末裔で一番有名なのは桜井誠
42 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 19:29:18.01 0
朝鮮族だろ桜井誠
43 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 20:55:31.12 0
>>39 拓跋部のルーツはわからないんだっけ?
北魏の史書で天女の子孫ってことになってるけど
拓跋部と禿髪部って似てるな
禿髪部は河西回廊(甘粛地方)にいたから、根拠地が離れてるんだ
禿髪と関係が深いのはむしろお隣にいた吐蕃で、その国号も禿髪からの転化じゃないかという説も
46 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:18:39.49 0
チベットって鮮卑と関係ないような…
吐蕃の前に青海を支配していた吐谷渾は、鮮卑慕容部の分派がチベット系土着民を支配する国
吐蕃についても王室は拓跋部の流れとしている史書はあるようだがなー、拓跋だとさすがに遠すぎ感
48 :
世界@名無史さん:2014/03/07(金) 23:14:50.86 0
西夏の李王家も拓跋名乗ってたからなぁ
唐に冊封されるまで…
49 :
世界@名無史さん:2014/03/08(土) 21:18:52.59 0
今現在の中国人の祖先は鮮卑とか五胡十六国の時代に中原に
新入してきたやつらの子孫だけどなw
?や羌のチベット系は、馬騰あたりから五胡十六国前期くらいまで鼻息あらかったのに、
そのあともっと頑張れよと思わないでもない。
でも鮮卑が溶けて消滅したことを考えると、辺境で小さくまとまって正解だったのかな。
流れに流れて、ビルマという独立国家を存続させることもできたし。
漢化してしまって、辺境にいる集団だけ固有言語が残ったんだよ。
羌も固有の言語で話すのがいっぱいいたはず。
家系的に姜姓の李氏なんかは、五胡系だから潜在的に羌も鮮卑も多いと思われ。
桓温、北伐により羌と鮮卑を討つ
その観点でいうと、鮮卑もおそらくは末裔であろう集団が周辺に生き残ってんだよな
モンゴルと名前は変わったが・・・何部の血がもっとも濃く残ってるかはわからんけど
54 :
世界@名無史さん:2014/03/11(火) 19:36:32.74 0
内モンゴル自治区には500万人のモンゴル族がいるぞ
モンゴル本国より多い。
女真族の子孫の連中は大抵漢民族と届けるらしい。
文化大革命で迫害されたから。
大陸の歴史は過酷だなぁ…
言語も信仰も祭祀も失ってしまった満洲族だが、一人っ子政策の影響で
1980年代に2000万人も増えた。
>>55 1000万人じゃね?。ともあれ激増したのは確かだ
都市でペットを飼うために、少数民族登録する人もいたんだよw
普通の漢人が満州族になりすまして子供生んだりするのも可能?
農村ならば、民族籍は自己申告でほぼ通るからな。可能だよ。
>>58 都市だと、バイリンガルだと確認されたり、宗族会(族譜の出版元)の会費払っているかとかチェックされるかももしれんね。
>>57 たかがペットで民族変えるほどに民族が平等で軽いのか、少数民族となるも
辞さぬほどにペットが重いのか
62 :
世界@名無史さん:2014/03/12(水) 16:03:15.45 0
中国で日本という民族籍は大変そうだなw
残留孤児の人が苦しむわけだw
>>62 残留孤児は、55小数民族と違い、ヤマト族には優待条件が無いので、
養父母や兄弟と同じ民族(たいがい漢族 まれに蒙古族)で登録しているよ。
64 :
世界@名無史さん:2014/03/12(水) 23:28:12.45 0
65 :
世界@名無史さん:2014/03/13(木) 15:21:33.63 0
シボ族が鮮卑の子孫ってことになってるけどどうなん?
66 :
世界@名無史さん:2014/03/13(木) 17:17:36.55 0
民族衣装が確かに北魏のものに酷似してるけど?
>>65 彼らの叙事歌、西遷之歌の信憑性次第だろう
(概要)
南を目指した人々は、鮮卑と呼ばれていた。彼らが大興安嶺山脈の中で道に迷い、途方に暮れていると、
虎のような爪を持ち、馬に似た身体に角を生やした、一頭の聖獣が現れ、道案内をしてくれた。
彼らはこれをトーテム獣として祀ることにし、住居の西または北の壁にこの獣の図を飾るようになった
68 :
世界@名無史さん:2014/03/13(木) 20:01:12.18 0
>>67 ユニコーンの神話ってゲルマンだけじゃないのね…
69 :
世界@名無史さん:2014/03/14(金) 11:10:28.25 0
私のたった一つの望み
70 :
世界@名無史さん:2014/03/14(金) 11:12:34.83 0
ガンダムユニコーン禁止
71 :
世界@名無史さん:2014/03/14(金) 12:34:13.52 0
三國時代の500万人が晋代に1500万人まで増加
しかし、八王の乱とそこから火がついた五胡十六国の乱でまたもや減少
その人口を埋めたのは北方遊牧民
後漢代と同じ5000万人台を回復するのは隋の統一まで待たねばならない
中国人の中身が入れ替わったことは切韻の発音表を見れば一目瞭然
「鮮卑」って「鮮卑山」に行った東胡の子孫だから鮮卑と呼ばれてるだけで
実際のところ、本人達の自称って中国側からの史料には残ってないのよな
遊牧民が着けるベルトのバックルを集団名とした説のほうが納得感はある
白鳥庫吉のいうように、盤踞する民族名→地名という名付け順かもしれんしな
「漢書」匈奴傳
犀[ ],胡帶之鈎也。亦曰鮮卑,亦謂師比,總一物也,語有輕重耳
※{ ]内は「田比」を一字にしたもので、犀とあわせて漢音で「さいび」、中古音で「sieibi」
>>71 しかし北方遊牧民って何百万人もは居ないんじゃね?
北方が空になったわけじゃないし
>>74 西からも来たのであろう。
『春秋左氏伝』では、「戎狄豺狼」という話を載せているし、
現代語にも、「诸戎」「群狄」というのもある。
東周の頃から、華夏の人々の間では、西戎と北狄というのがあると認識されている。
『後漢書』にも、水平移動してくる西戎、それをとりいれる秦みたいな話(五帝の嚳になぞらえた形) も載っている。
禿髪や宇文のように、西からやってきた集団は、やはり五胡十六国以後も西方でも活動している。
>>75 西も乾燥地帯に高山で人口密度少なそう。そんなだからこそ土地が空いた、
それ移住ということになったんだろうけど
北朝の内に漢化が進んだようだが、支配者側だとあんまし民族性に拘る
動機が薄かったのかな
>>53 ハルハモンゴルの祖先は、室韋。鮮卑や烏桓/烏丸とは別集団。
内蒙古の呼倫貝爾あたりには、契丹の語彙が残っているので、そのへんも鮮卑や烏桓/烏丸とも別集団。
・・・と書いてしまった後に気付いたが、
ホロンバイルは鮮卑山の(興安嶺)の南。鮮卑の末裔が契丹に合流している可能性がある。
その室韋が、史書では鮮卑の末流にされてるからそう言ってるんじゃないの?
まぁ、史書については中核氏族と臣従集団との区別を曖昧なまま記述しちゃってるだろうけど・・・
とはいえ「北書」なんかだと7世紀前半の完成だから鮮卑がどういうものかまだ把握してるだろうし、
そのうえで室韋に相応の近似性を見出して書いてるんじゃないかって気もするけどね
80 :
世界@名無史さん:2014/03/16(日) 15:50:25.09 0
かなりの部分が漢地に行って漢化し隋唐の支配者になったけど
元の地に残った鮮卑の集団は尚可孤が纏め上げた
これが松・漠の地にいたけど安史の乱の後あたりで
朝廷側に立って戦い信任を得て長安周辺に移住した(『旧唐書』144)
そこで勢力の空白地となった松・漠の地に勃興したのが契丹
その一部が細々と残っていたけど契丹に圧迫されて
後晋のころに鮮卑謙がラン州に移り住んだ
金の支配下でモンゴルに呼応して鮮卑仲成が挙兵したけど討ち死にし(『永平府志』)
弟の鮮卑仲吉が跡を継いで、子孫もモンゴルの重臣として栄えた(『元史』165)
その子孫が鮮卑氏から卑氏となって現在に至る
あんた結構な博識だな、簡単にウラとってみたがどうやらその通りのようだ
なお卑姓ってのは鮮卑由来じゃないのもあるから、卑さんがいたら即鮮卑系・・・とはならんみたいね
82 :
世界@名無史さん:2014/03/17(月) 21:38:07.81 0
契丹の子孫は、蒙古か達斡爾なのでは?
84 :
世界@名無史さん:2014/03/18(火) 00:33:28.58 0
>>82 契丹という民族意識を持った人はもういないはず
清代の『続通志』82に耶律氏が伊喇氏に、蕭氏が舒穆禄氏(地名から取った)になったと記してある
元が滅んで、漢化を拒んだ人たちは北方に戻って勢力を保ち八旗になったらしい
伊喇氏は伊拉里氏ともいって
和舜武(『清史稿』359)や張作霖を帰順させた増祺(『清史稿』453)を輩出し
舒穆禄氏は満族八大姓の一つになるほどの大勢力で
揚古利とその一族(『清史稿』226・227)のように清の建国の功臣だったり
『明史』の編纂に携わった徐元夢(『清史稿』289)や二十世紀の文豪の老舎のような文人もいる
「高麗系」が「漢人八旗」になったように
契丹の末裔はすでに清初に満洲族に溶け込んでたみたい
ただ『清史稿』85に舒穆禄氏だけ他の満洲族と祭祀の方法が違うみたいなことは書いてある
あと耶律禿花の子孫という人たちが雲南に十五万人ほどいる
85 :
世界@名無史さん:2014/03/18(火) 01:21:48.12 0
契丹が出てきたついでに
誰か古代の漢字の音読みに詳しい人がいたら教えて欲しいんだけど
「耶律氏」と『新唐書』221上に出てくる「野利氏」、『文献通考』334の「野律氏」は同じ音を漢字で記したものかな?
「耶」と「野」が通じててこの野利氏と耶律氏が同じ氏族で
タングートの一氏族が東遷して契丹の支配者となったとすると
複雑怪奇でかなりありえない展開なんだけどどうなんだろ
抜里・乙室已・述律の三氏を合わせて蕭氏にしたと『遼史』67にあって
述律氏がウイグルってのは史書に書いてあるから確実だけど
『新唐書』に野利氏と一緒に出てくる把利氏が抜里氏なんだろうか?
そうなると『金史』の「交聘表」に出てくる西夏の使者の姓の把里だの芭里だのは故地に残った一族かな
このあたり思いつきで書いてて自分でもかなりあやふやな感じがするんだけど
このあたりちゃんと分かる人誰かいない?
漢代の説文解字なんか見ると律の音が「リツ」ではない模様
唐代までにどう変わるかだなぁ
とりあえず、隋唐期の中古音を以下に記す(4研究者の各説を併記)
発音記号については文字化けしないもので代替してる
正確なものは
http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/ccr/ にて参照のこと
耶: ia / ia / ja / ia
野: ziwo / zio / zjo / dzio (※字號10826分)
野: ia / jia / ja / ia (※字號13195分)
述: dzhiuet / dziuet / dzhjuet / ziuit
律: liuet / liuet / ljuet / liuit
利: lji / li / ljei / lii
把: pa / pa / pa /pa
拔: -- / biwet / bhjet / biat (※字號21623分)
拔: bhuat / buat / bhuat / biat (※字號22190分)
拔: bhwat / beat / bheat / bat (※字號22211分)
芭: pa / pa / pa /pa
里: lji / lia / li / li
88 :
世界@名無史さん:2014/03/19(水) 07:40:39.20 0
>>87 ありがとう、こういうので調べるんだね
耶と2番目の野は同じみたいで
『新唐書』と『文献通考』で同じ氏族名を利と律に書いてあるけど
最初の発音はあってるから聞き取った漢人が語末を聞き取れたかどうかの問題かもしれない
抜里氏と把利氏はまるっきり合わないみたいだからこれは無しだね
野利氏と耶律氏が通じるとしてあとは傍証が何かあればいいんだけど
『遼史』37と『契丹国志』の序文で奇首可汗の神話があって
あれをみると昔からその地に住んでた一族みたい感じがして
西から移ってきたらしい話が見当たらない
たまたま名前が似ているのかもしれない
89 :
世界@名無史さん:2014/03/19(水) 16:53:34.64 0
女真は女真族の中でも農耕してるやつから狩猟民、遊牧してるやつまでいるぞ。
熟女真とかいろいろ区分けされてるけど、、、、
李氏朝鮮の李成桂は女真だよね?
gobaku?
>>88 まあ、そんなとこだろうね
その『新唐書』221上の野利氏の記載箇所近傍をみると、吐谷渾や吐蕃の存在が見てとれる
吐谷渾は鮮卑慕容部の流れだし、吐蕃も王室は鮮卑の流れとする史書もある
いっぽうで、『隋書』あたりだと契丹は鮮卑宇文部→奚→契丹という流れとしている
したがって、鮮卑時代に部によらず「ia-liuit」的な一般的な名があって
それが東西で原型を留めたまま残り、後になってそれぞれ記録されたとでも推測したほうが自然に思う
92 :
世界@名無史さん:2014/03/20(木) 16:35:17.50 0
>>71 前趙の頃胡人が500万にたいし漢人2000万いたんだから
入れ替わったてのは言いすぎだろ
それに長江以南には五胡入ってきてないしな
疫病に強い胡族 胡族の比率が増えたのであろう
95 :
世界@名無史さん:2014/03/21(金) 15:10:59.67 0
>>93 中原から長江以南への移民はその後も異民族が侵入するたびに起こってるが?
漢民族と言っても古代と今では遺伝子が違うと思うよw
97 :
世界@名無史さん:2014/03/21(金) 20:02:59.15 0
>>96 中国と言えば食人だけど
中国の場合唐代以降食人に対するハードルが下がってるように思えるが?
普通に食べるよね人。
98 :
世界@名無史さん:2014/03/22(土) 13:05:02.97 0
ネトウヨ「鮮卑とは卑しい朝鮮人の略である」
鮮卑は朝鮮人の飼い主だった時代もある
>>97 唐宋期以降に人肉食うのは、南のほうが顕著だろ?
牛や羊といった家畜飼っていた五胡族は、同種生物だと同じ細菌やウィルスが伝染しやすいことを
経験的に知っていたから、人肉は食わないようにしていたよ。
101 :
世界@名無史さん:2014/03/24(月) 21:08:29.21 0
>>100 え?洛陽の都歩いてたら弓で殺されて食われたとかあるけど?
石虎とか掲族の連中普通に人食べてるぞ?
102 :
世界@名無史さん:2014/03/24(月) 21:11:34.24 0
フィンランド人も古代は人食ってたぞ
タキトゥスのゲルマーニアに書いてある
かの悪名高い凌遅刑も制度化されたのは五代十国あたりだっけ
104 :
世界@名無史さん:2014/03/25(火) 12:04:03.76 0
凌遅刑に相当する刑は中世欧州の一部でも行われていた。
特にイギリスの大逆罪において。
105 :
世界@名無史さん:2014/03/25(火) 18:49:52.17 0
さすがに蛮族スレに人権も糞もないなw
106 :
世界@名無史さん:2014/03/25(火) 21:45:23.43 0
「人権とは素晴らしい。それに当てはまらない人間を合法的に絶滅できるから」
フランスの哲学者
>>104 孔子様の弟子すら塩辛にされちゃったからな、生身の人間に対してやったか殺してからやったかはともかく昔からあったんだろうな
制度としてそんなもの取り入れてしまう所が怖い
どんだけ統治に苦しんだのかとw
以上鮮卑そのものとはあんまり関係ない話
孔子の弟子は塩辛にされただけで食われてないけどな
長く晒しものにするための塩漬けだからな。食ってしまってはいかん
110 :
世界@名無史さん:2014/03/28(金) 19:24:38.36 0
宋も佐陀突厥出身の天子。
始皇帝の秦も犬戎だし。漢民族とは思想上の概念でしかないよw
>>110 漢民族(まあ民族概念そのものもだけど)人種と関係無いから
いい加減適当な民族論ぶち上げるのやめろと
112 :
世界@名無史さん:2014/03/28(金) 20:27:49.82 0
>>111 チンギス・ハーンが民族の英雄になるわけですねw
禿笑
>>112 そう言うことじゃ無い
少なくともモンゴル族は漢民族の文化風習を取り入れていないし、宗教観も別だから
明らかに別の民族
煽りにしてもくだらなすぎる
114 :
世界@名無史さん:2014/03/28(金) 20:39:28.71 0
>>113 中国の教科書では民族の英雄になってるぞw
チャイナは、56の民族から構成されているので、蒙古族のチンギスもチャイナの英雄であることは変わらない。
>>114 それは「中華民族」という中国政府の提唱する謎概念においての話だとおもう
117 :
世界@名無史さん:2014/03/29(土) 00:54:07.65 0
>>6 そういう風に民族の起源伝承を漢風に書き換えてあるとがっかりするよな
慕容氏は『述異記』にある
「乾羅は慕容カイの十一世の祖なり
金銀の襦鎧を着け、金銀の馬具を着けた白馬に乗って天から降り立った
鮮卑はこれを神とし君長に推戴した」
というのがいうのが本来の始祖伝承なのに
『晋書』108の慕容カイ載記では
「有熊氏(黄帝)の苗裔で、代々北夷に住む」
となっているし
後世だけど契丹なんかも
『契丹国志』の契丹国初興本末や『遼史』37には
白馬に乗った神人と青い牛の牛車に乗った天女の間にできた子孫としているのに
『遼史』2の論賛に「遼の先祖は炎帝より出る」とか
『遼史』63の世表序に「遼はもと炎帝の子孫で、耶律儼は遼を軒轅の子孫とする」
という感じで変えているし
キリストが磔から3日後に復活し、40日後昇天したが、
「おかしなおっさんがアホなこと言って死にました」だとルネッサンスも何もなかったろうなあ
そう思うとモンゴル帝国は異色だったよな
それまでの侵入北方民族とちがって漢の伝統におもねるところがなく、姓すら持たないまま
先にホラズムまで征服して、漢土があくまで一支配圏に過ぎない状態を作っていたためだろうか
清はかなり巨大だったしモンゴルを臣従させてはいたものの、そういう稀有壮大な突き抜け感はないな
清は時期的に騎馬民族最後の輝きだからね
17世紀は古代からの無敵の騎馬武力集団が銃で武装した歩兵に負けだす転換期だから
中国で銃器の使用が日本並みに盛んだったら異民族征服王朝としての「清」は成立しなかった
ヌルハチやホンタイジの時代も、火縄銃やゲベール銃は使われていたでしょ?
朝鮮が清に攻められて、結果として本土まで攻め込まれ、しぶしぶ清の革命政権を承認したでしょ?
まー明朝があんまり火器の数量を揃えていなかったってのもあるけど。
17世紀後半にフランスで誕生したゲベール銃は、物理的にホンタイジまでの時代にはない
ライフルが出てきて、塹壕戦やるようになるのが近代戦じゃろうね
塹壕戦は20世紀に入ってからのトレンドだからこの話とは全く無関係ナリよ
古代から騎馬勢力は習熟に時間と環境が必要で
数を揃えるのが難しいけど一旦編成運用できれば歩兵に対して無敵
中華の農民徴兵軍なんていくら数を集めても
ほぼ一方的に消耗させられるだけなのが通例(1:10でも負ける)
これが銃の集中運用で「馬ごと」葬れるようになった
銃器は馬だって一撃で殺せるからね
こうなると「習熟に時間と環境」が必要な騎馬勢力が
数と銃を揃えた歩兵軍と同等の消耗戦を演じてしまう事態に
17世紀は今まで恐怖の象徴だった遊牧民の略奪騎馬隊が
ただの少数勢力に転落する転換期
別に騎馬の有効性が無くなったって意味じゃないよ?
>>124 塹壕戦のハシリは19世紀のクリミア戦争や南北戦争あたりではなかろうか
それと、騎馬兵の優位さを全否定する気は無いけれど、密集陣組んでる統御された
歩兵集団は騎兵の天敵じゃなかったかな、過去の戦績的に
遊牧民の場合は、そのドクトリンも農業国家の歩兵にとっては対応の難しいものであった
と思うよ
>>125 はしりはその辺だけど一般化は機関銃が出回った後じゃないかな?
地形に依存するけどローマの歩兵集団ですら騎兵が十分に居ないと
パルティアにボロ負けするレベルだからなぁ・・
歩兵集団は歩行速度でしか移動できないんだから
当たり前なんだけどね
騎兵側は相手が疲れ果てるまで射掛けて相手が疲労したり陣形が崩れたら踏み潰す
不利になったら逃走してしまえばいい
これを延々やられたら農民主体の歩兵はどうにもならない
あ、日本なんかは別ね
隘路防衛戦主体になるんで騎馬の有利さはそんな出ない
逃げようにも山ばっかでルートが限られる&人口密度高いから逃げた先にも
同じような武装部落があって移動できないからいずれ追いつかれる
127 :
世界@名無史さん:2014/03/31(月) 20:28:51.00 0
>>126 戦国末期から江戸時代にかけて銃の普及はすさまじく
騎兵はただの的でしかないぞ日本の場合。
薩摩はオール銃兵ドクトリンで将兵皆銃兵になる。
>>127 うん
>>126は銃が無く遊牧民族有利だった時代の話で
鮮卑族や匈奴を想定した話
それと同時代の日本との比較の話
モンゴル系でもチベット系でも遊牧民はどこでもは、豹などの害獣を撃つために
かなり早くから火器を導入していて、狙撃には慣れ親しんでいた。
遊牧民が不利になる時代はかなり後世だぜ。
交易をするのだから、銃自体は遊牧民のほうが入手しやすかった。
現代でも、遊牧民は猟銃保持を認められていから、人民軍の採用試験で有利にはたらいている。
ちがうねんw
元々騎兵:歩兵で10:1位の差があったのが
双方に銃の導入後は15:6くらい(3:1)になる
歩兵の方が数が圧倒的に多く補充しやすい
となると遊牧民と農民の数の差で押し切られる
この転換期が17世紀付近って話
銃自体はもっと前15世紀からあったでしょ?
132 :
世界@名無史さん:2014/04/01(火) 00:36:51.10 0
中国の場合10世紀以降は火薬兵器登場してきてるから、対遊牧民での火力戦は相当長期間経験してる
ただ宋から技術流出起きたせいで金も短期間で火薬兵器に習熟するようになったみたい
133 :
世界@名無史さん:2014/04/01(火) 05:55:52.90 0
有効射程距離の問題じゃないかな?
16世紀だとモンゴルの弓って200mで火縄銃は100mだったはず
だからとって、モンゴルが銃を買わないということはなかったのだよ。
>>128 元寇のときに、「てつはう」でさんざやられたのに?
>>135 てつはう・・13世紀の話?
どんな前提で書いてる?
あっさり撃退された上に武士は武器として
全然評価せずその後に取り入れてもいない・・
たぶん経験した上で「使えない」と判断したんでしょうね
16世紀の火縄銃が伝来10年で蔓延したのとはえらい違うよね?
同じ火器でも火縄銃は質、威力が別次元の兵器でそれ以前の戦法を葬り去った
射程、命中率・・よりも個人携帯兵器で遠距離から「馬を一撃で殺せる」
人間より馬ね
弓じゃ人間の10倍近い質量の(防護された)馬は中々殺せないもの
>>136 武士だから、そんなオツムが無かったんだろう。
>>135 さんざやられた?
元寇って日本の武士の圧勝なんだが
ただ単に人の意見にケチ付けたいだけでしょ
>>137とか苦し紛れすぎるww
オツムが足りね-のは
>>137のほうだわな
てつはうってのは震天雷のことだと判明してるから、射程距離はせいぜい30m
攻城戦とかならともかく、野戦では初見の相手をビビらせる以外は役立たずの兵器だからすぐ廃れた
銃や大砲になるのは火薬兵器でも火槍→マドファの流れで、この系統の種子島を見た武士は即座に採用してる
>>138 攻め込まれて、略奪に遭って、町焼かれて、被害甚大だろうに、
大将首も獲れてない、領地も獲れてない、それで圧勝か?
なるほど、本物の馬鹿だ。
キルレシオ10対1レベルの戦争で圧勝でないというのは難しいな
被害云々についても、前期倭寇の慶元府焼き打ちを初めとする殺戮略奪は、対馬や壱岐の損害の倍返しどころじゃない
元寇とその復讐活動の一環でもある前期倭寇によって、元(さらには明初期まで)の海上活動は大きく制限されることになった
まぁ元寇の話はここの本筋じゃないでしょう
ヨーロッパで始まり日本にももたらされた火器運用革命で中国は
遊牧民族の恐怖から歴史上初めて解放されるはずだった・・
んだけどモタモタしてる間に清が成立しちゃったwwwwって話
清がモンゴルと違って意外に善政を引いたってのは
この辺の「環境の変化」を割とトップが理解したからなのかもね
え?
清が善政てwww それもモンゴルとの比較で善政とかwwwwww
現在に至る支那人の腐敗体質は、明清を通して培われたものだろうにwwwwww
そりゃ清は異民族征服王朝じゃん
比較対象が元になるのは当然
でも明とどっちがマシだったのかちょっと判断難しいでしょw
あと腐敗体質ならそれこそ秦や漢の頃でも同じじゃない?
じゃあ、支那人の腐敗体質を見越して、武官はモンゴル人やトルコ人、文官は西方系回教徒を多用した
モンゴル帝国の方が善政しいてんじゃん。
>>144 本筋じゃないのは重々承知のうえ
己が無知を省みないレスは、とりあえ潰しとかないと後々居つかれても不愉快なんでね
>>147 それは支配合理性であって善政とはいわない
元は征服王朝系でもかなり収奪型の重税国家だよ
明のシステムを温存してワリと民衆を繁栄させた清とは
比較にならないんでない?
まぁ弁髪強要とか不快な習俗の押し付けはしたけどさw
えー収奪型か?
重税でもないしなあ。
明清は、冊立朝貢などへんてこなシステム作ったヴァカ国家じゃん
マッカートニーは、皇帝に三跪九叩するよう命じられた。
一方、マルコポーロは変な習慣を強制させられなかった。
元寇は元側は精鋭中の精鋭送り込んだのにボロ負けしただろ
当時の日本の御家人はプロの戦闘集団だから仕方ないけどな
元寇の頃というと、既に中央アジアからペルシャから黒海北岸まで手中にしていて
女子供まで含めて130万人そこそこのモンゴル人が2万の兵員を投入できる?
となると、精鋭どころか、過半は金や遼の投降者だろうから・・・・・・・
向うの元寇スレ4ヶ月書き込み無しじゃん
158 :
世界@名無史さん:2014/04/04(金) 15:31:56.37 0
対馬、壱岐では島民皆殺しで女は手の平に穴を開けられ船につながれ強姦されまくり
やったのはチョン兵。日本側は復讐の為に倭寇として攻撃をしかけたが「略奪」という
チョンの特技に目を付けて倭寇の後期はこれまたチョンだらけになってしまった
>>158 満洲から敗走してる時期の朝鮮人とかベトナム戦争のときの韓国兵とかは、そりゃ、略奪強姦しまくってたけれど、
それを、700年前の高麗兵と同一視していいの?
>>159 それをやったのがチョンという証拠は?
根拠のないレッテル貼りはやつらと同類だぞ。
この時の対馬の惨状について、日蓮宗の宗祖・日蓮は以下のような当時の伝聞を伝えている。
去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者、カタメテ有シ総馬尉
等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取ニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付ケ
或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是
結局
>>159はそれをやったのがチョンだという証拠を提示出来ずに逃げたのか?
もし根拠のないデタラメだったんなら謝罪の一言くらい欲しいんだが
164 :
世界@名無史さん:2014/04/05(土) 12:36:02.04 0
>>163 チョンが最低最悪な人種なのは間違いないだろうが
165 :
世界@名無史さん:2014/04/05(土) 12:41:35.39 0
日蓮の弟子たちもついに完全に乗っ取られましたなw
>>165 いや、弟子たちがおまいらの情報を乗っ取ってるんだよ!
政治、経済、警察、防衛、外交と全ての組織に弟子たちはいるんだよ
特に警視庁に多いこと知ってる?
>>164 話逸らしてんじゃねえよ
チョンがクズなんてのは誰でも知ってる
だからってありもしない事捏造していい訳じゃねえんだよ、さっさと証拠出せ
話を逸らすと言ったらこの話題自体スレ違いだろw
鮮卑と朝鮮に何の関係があるの?よく朝鮮とは東の鮮卑とか言うけど
朝鮮という固有名詞自体の中国文献への初出は鮮卑より先だよね?
>>167 ネトウヨがクズなのは誰でもわかることが判明したなw
170 :
世界@名無史さん:2014/04/06(日) 13:12:09.65 0
朝鮮と鮮卑の混同って
一然が『三国志』の「魏書」をちゃんと読まないうちに
檀石槐から檀君神話を作り上げたのが発端じゃなかったっけ?
証拠ってゆうか「高麗兵だけがやった」って証拠はないね
ムクリ・コクリなわけだし
当時は同じ穴の狢で日本人から見ても区別つかなかったんでしょ
歴史上の後の行状を見ると高麗兵が中心になって虐殺したんじゃね?
って疑惑の目を向けられてるってだけ
ただモンゴル兵の乱暴狼藉だって酷いもんだよ
だからもちろん弘安の役でも捕虜の高麗兵、モンゴル兵は全員処刑
南宋兵は釈放なわけなんだし
174 :
世界@名無史さん:2014/04/06(日) 19:04:40.86 0
そもそも韓民族って名乗ってるチョンは
?族の子孫であったw
?族・・・一体何族なんだ
176 :
世界@名無史さん:2014/04/08(火) 19:38:41.04 0
ワイ族が書き込めなかったんだ
>>159 倭寇が元寇の復讐とか・・
70年のタイムラグがあるんだが
>>174-176 また湧いてるのかワイ族厨w
三国志東夷伝みてみろ、穢族と韓族は別の民族として書き分けてるぞ
179 :
世界@名無史さん:2014/04/13(日) 09:06:26.12 0
鮮卑と朝鮮の件はネタで言ってるんじゃないの?
wikiにちゃんとベルトのバックルを鮮卑という所から来ているって書いてあるし
ただ顔師古注には帯止めの名前だと記されてるけど張晏注には
「鮮卑郭洛帶,瑞獸名也,東胡好服之。」と書かれている
http://www.guoxue123.com/shibu/0101/01hsyz/107.htm 「鮮卑郭洛帯」という瑞獣がいて
それを帯止めにあしらったものがあって
顔師古が帯止めそのものの名前だと取り違えたのかもしれない
漢化して神話が失われたからもう確かめようが無いけど
鮮卑山は鮮卑族が住んだからじゃなくて
鮮卑郭洛帯が住むとされる霊山だったのかもしれない
180 :世界@名無史さん:2014/04/13(日) 22:32:29.97 ID:1xzeCvjqp
>>179 残念ながら真正の基地ってのはいるんだ
おそらくネタじゃなくてマジなんだと思うよ
>>22 朝鮮の貢女文化ってあれ東濊由来だろうな
唐の太宗と玄宗の御代に人倫に悖るから止めろってお達しが出てるけど明代になるまでやってるのな
182 :
世界@名無史さん:2014/04/19(土) 01:02:01.45 0
>>181 ・喜・褒ジ・妲己・西施
屈服した弱小国が女を献上するのは
むしろ中華世界の伝統なんじゃないの?
モンゴルは降嫁させて、王族にモンゴル語を植え付ける。
高麗なんかは王朝内にモンゴル語が普及したんだよ。
184 :
世界@名無史さん:2014/04/19(土) 08:30:50.51 0
>>183 日本も似たようなことしてんじゃん。
徳川時代、偏諱とか松平の苗字とかでファミリー風の名乗りをさせたりとか、
大名家の妻や養子に子女を送り込んだりとか。
皇帝の娘を藩王の妻として送り込むのと、将軍の娘を大名の妻に送り込むのと、
発想は同じだろ。
異民族の藩王にモンゴル風の名前を名乗らせるのと、「松平」とか偏諱とかのような
一族っぽい名前を名乗らせるのも、同じことだろうに。
186 :
世界@名無史さん:2014/04/22(火) 22:02:28.73 0
>>185 大名家も男子が生まれなくて養子で繋いだりしてるよw
朝貢で女売ってる国と一緒にすんなボケ。
それから、誇り高き鮮卑のスレでチョンの話題辞めろw
大名の家に将軍の子息を婿養子として送り込んで源朝臣松平をなのらせるのと、
ジンギスカン汗裔の皇室諸子を征服地の送り込んでもとの土豪の娘や妹と婚姻関係を結び
ボルジギン氏の藩王で且つ在郷勢力の一員として支配するのと、発想として同じだろう二。
>>181 東濊にそんな話はない。創作すんな
189 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 22:03:31.49 0
濊
190 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 22:08:55.43 0
滇
ときどきみる &ってなんなん?
東濊濊
濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊
동예
濊の字(シ歳)はちゃんと反映されない時が多いから
かわりに「穢」の字を使えばいい。史書でも実際に「穢」の字になってる例も多い
濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊濊
粛慎 粛慎 粛慎 粛慎 粛慎 粛慎 粛慎
挹婁 挹婁 挹婁 挹婁 挹婁 挹婁 挹婁
挹婁は「邑婁」と書いても問題ないし、濊は「穢」と書いてもいいんだよ
薉 のほおがすきかも
202 :
世界@名無史さん:2014/04/28(月) 01:58:06.06 0
204 :
世界@名無史さん:2014/05/05(月) 13:22:22.57 0
一応、『新釈漢文大系』の『国語(下)』の「通釈」だと
「楚は荊州の蛮夷だったので、場所の標示を置き、席次表を設け、
鮮卑とかがり火の番をしていましたから、盟には加わりませんでした。」
と訳されてた
「語釈」には「○鮮卑 東方の夷狄の名」とだけある
訳者の専門が春秋時代で、文の内容としてはあまり重要じゃないため
「鮮卑」と出てきてもさらっと流したみたい
「鮮虞」の間違えかとも思ったけど「卑」と「虞」じゃあまりにも違うし
上記の本の校異にも、異本に「鮮牟」とあると、書き損じ見たいなものしかなかったし
鮮も牟も西周時代の小国の名じゃないの?
「鮮や牟のような小国とともに」の意
でなければ
>>204氏のいう「鮮虞」の間違いもありうる
207 :
世界@名無史さん:2014/05/06(火) 11:18:32.42 0
>>206-207 なんか思いつきで適当なこと書いたんだがレスが新知識で有り難い。
鮮と牟の二ヶ国じゃなくて「鮮牟」という東夷系の小国、
山東省南部にあったらしいってことね。
209 :
世界@名無史さん:2014/05/07(水) 21:52:58.57 0
鮮卑って最初軽騎兵で弓武器にしてたのに
南北朝末期になると重装騎兵戦術をとるようになるのはなんでだろうな?
やっぱ武器の発展とかなのかな?
漢土を支配しているうちに、見栄え重視になってしまった
211 :
世界@名無史さん:2014/05/07(水) 22:10:20.53 0
>>210 歩兵のほうも重装歩兵化してるよw
時代が下ると、
五代十国から北宋にかけて重装歩兵が主力になる。
でもこれだと軽騎兵の弓武器にした騎兵の動きについていけないから
女真やモンゴルが幅を利かすようになる。
214 :
世界@名無史さん:2014/05/14(水) 19:09:21.71 0
>>213 日本の武士も弓騎兵から
打ち物武者で重装騎兵化してるぞ
馬が足らなくなったから
216 :
世界@名無史さん:2014/05/16(金) 23:03:56.84 0
>>215 馬は足りてるw
土佐の一両具足ですら騎兵としてちゃんと存在してるんだからw
日本の場合。
日本の場合、弓騎兵の時代の方が重武装
鎧兜の上に幌までかぶってるから
219 :
世界@名無史さん:2014/05/17(土) 15:57:23.04 0
日本の武士は南北朝のころが一番重武装で
戦国期になると機動性重視で軽量化されるんだけどね
軽量化はされてねーよ
221 :
世界@名無史さん:2014/05/18(日) 21:56:38.71 0
>>220 馬鎧は南北朝のころあったんだけど無くなったんだよw
機動力落ちるから。
いまいち分からん、鉄騎兵のランスチャージなら鉄鎖も意味がでてくるが、
弓騎兵だと自分たちの動きが制約うけるだけじゃぁないのか?
アウトレンジで戦うことの利点を減衰させているだけのようにしか見えない
>>223 >222のケースは必死で抵抗してくる歩兵を馬で押しつぶす戦術だから騎兵をつなげた方が効果が高い
それに連還馬は最初に突撃する前軍だけで左翼右翼及び奇兵は鎖でつながずに軽騎兵的な使い方をしてるし
>>223 戦場に出たことすらない素人の意見だな
まぁ頑張れw
>>225 90歳前後のお方ですか?ご長寿うらやましいです。
何故WW2までに限定する
自衛官でも無理なんだから、限定しないと外人になってまうで?
ほかに可能性として残るんは、フランス外人部隊参加者とか限られたものになると思うけど
戦場カメラマン(w)とか
外人が書き込んだという可能性も否定できないぞ
231 :
世界@名無史さん:2014/05/20(火) 22:24:21.39 0
軽騎兵のほうがモンゴル族系統らしくていい。
中国の南北朝時代の騎兵は重くて動けないだろレベルだし。
>>221 戦国期は鉄砲対策に胴が板金になったりしてて
南北戦争期よりも基本構造的に重くなった
必然、他の部分の削減で何とかすることになるが
これによって軽量化されたんではなく過重分を何とかしただけに過ぎない
>>231 重くて動けないだろレベルは絵画や塑像が描写を盛っているのか
実戦では使わない儀仗用のような気も
234 :
世界@名無史さん:2014/05/21(水) 21:16:01.23 0
>>233 古い方の大唐帝国の本の墓に入れられてた像の騎兵写真だよ。
中国的な鎧に盾、長槍。馬には馬鎧に胸の部分に刀が据え付けられてる。
ちょっとありえない重装備だから盛ってるのかな?儀礼用?
236 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 20:38:42.17 0
ミリヲタ自重しろ
スレ止まっちゃったじゃないかw
237 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 22:49:54.38 0
軍事史こそ歴史の本道。
鮮卑だって軍事力で中原に覇を唱えたんだから。
238 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 21:28:22.74 0
鮮卑由来のDNAだらけの中国と朝鮮半島
どんなけレイプしてるんだろう・・・・
DNA鑑定なんて何かうさんくさいな
白血病の治療に役立つ。骨髄移植のドナーが決められる。
そこだけは、実用に供しているといえよう。
膨大なデータベースがあるのも、骨髄バンクが隋一。
241 :
世界@名無史さん:2014/06/23(月) 22:59:27.81 0
鮮卑由来のDNAが日本でも見つかるよね
C3だっけか?
なんで?
朝鮮人のレイプだろ
C3はモンゴル人に多い
244 :
世界@名無史さん:2014/06/24(火) 00:19:05.25 0
日本のC2(旧C3)はモンゴルやツングースより古いC2aだよ
寒冷地適応する前にシベリアを脱して縄文人の一部になった
顔は北米インディアン風のイケメンな
しんでい い でんし
 ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|/-O-O-ヽ| ブツブツ...
| . : )'e'( : . | ハァハァ...
` ‐-=-‐ フヒヒ...
/ \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ ( ;´Д`) (また来たよw遺伝子厨w)
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ?
246 :
世界@名無史さん:2014/06/24(火) 20:39:01.67 0
モンゴルの樺太侵攻でアイヌにC3が残ってるんじゃ?
樺太アイヌの大半は日本が北海道に引き取ってるのもある。
ロシアとの交換条約時。
な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ?
C3てwwww
249 :
世界@名無史さん:2014/06/24(火) 23:37:31.29 0
>>241 鮮卑のY染色体ハプロタイプはO3a2c1
中国人の10%、7000万人
韓国人の20% 1400万人
日本にはほとんどいない
なんで鮮卑の遺伝子なんてわかるんだよw 適当すぎるだろ
さー。
人骨から遺伝子とって Y染色体のO3a2c1とかいう型が検出できたら、そりゃ鮮卑人なそうな
で、10%の人は中国人、20%の人は韓国人なそうな
20%がO3a2c1とか、どうやって実現するんだろう?
正常な遺伝子構成なら、1人の男のY染色体は、全部同じ型だよ。仮にO3a2c1とか言うものが存在したとして、
100%それか、100%別の型かで、10%とか20%とかありえねーんすけど
253 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 01:09:57.06 0
中国人10%、韓国人の20%が鮮卑の子孫ってこと
254 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 12:47:02.08 0
DNAだとモンゴル人と同じな中国人も多いよね
だったら、15%とかむ20%とは何人なんよ?
な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ?
257 :
世界@名無史さん:2014/07/28(月) 19:53:14.77 0
鮮卑やら北方系等の民族が色濃いのが漢民族
朝鮮も同じ
( ´,_・・`)目合わせるなって
259 :
世界@名無史さん:2014/07/28(月) 20:44:09.77 0
もしチュヴァシ人にもO3a2c1 が検出されるとしたら
チュヴァシ=拓跋説が立証される。
な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ?
261 :
世界@名無史さん:2014/09/04(木) 21:15:42.84 0
鮮卑でも重要なのは拓跋部だけだと言っていいかな?
隋唐に繋がるから。
あの時代でも日本も朝鮮も国家体制ができるんだから
やっぱ動乱も必要なのかなぁ…
宇文部は契丹と繋がりがありそうだし、慕容部はチベット系の歴史に影響を与えてるしで、
とりあえず拓跋・宇文・慕容の三つは重要ということでいいんじゃねーの
263 :
世界@名無史さん:2014/09/06(土) 08:58:22.23 0
>>262 拓跋は北魏で有名だし慕容は韓国ドラマ「広開土大王」の宿敵としてでてきたからよく知っている
宇文だけはイマイチ馴染みにないなあ
拓跋 慕容 宇文 段氏 禿髪 乞伏
|
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`) ・・・・
(|禿髪|)::::
(γ /:::::::
し \:::
\
|
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)
.. 禿髪部 (| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\
268 :
世界@名無史さん:2014/09/23(火) 22:15:10.86 0
>>262,
>>264 宇文は南北朝に主役級に出てくるだろw
もともと匈奴系なのが鮮卑に帰順した子孫でプライド高そうだぬ
269 :
369:2014/09/23(火) 23:38:10.60 0
>>268 >もともと匈奴系なのが鮮卑に帰順した子孫でプライド高そうだぬ
しかも子孫の宇文虚中も
敗戦国・宋から金に降って礼部尚書にまでしてもらったのに
女真を野蛮視して儀式にかこつけて皇帝を謀殺しようとしたしな
アンタの先祖だってもとは女真とたいしてかわらんだろ
支那人の中で野蛮化したんだろ
271 :
世界@名無史さん:2014/10/02(木) 21:10:43.64 0
現代では朝鮮の卑しいヤツらが日本を愚弄し続けている。
272 :
世界@名無史さん:2014/11/26(水) 17:17:50.06 0
習近平の顔って鮮卑ぽい
どっちかといえば契丹ぽいだろ
習氏の生まれは陝西だけど、先祖は鄭州の出だ
>>267 そういえば柔然の木骨閭ってのも禿げ頭って意味なんだっけかw