古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】16

このエントリーをはてなブックマークに追加
277世界@名無史さん
>>267
どんな法があったかは、キケロの法廷弁論とかも含め、色々な文献から推測されてるみたい。
『ローマ法案内』はローマ法が生きのこっている現状を踏まえて、
民法の概説書の説明と違う、当時の社会問題に対処しようとした条文の本来の意義を説く
法律家etc.向けの啓蒙書みたいな本だから、具体的な根拠は知らない。
>>269
法源の話は不正確。
法源は慣習法というか、判決、アウグストゥスの時代からは法学者の文書が積み重なり、
時代が下ると皇帝の勅法が加わり、ビザンツのユスティニアヌの時代に整理されたみたい。
裁判官の話は、職業裁判官がいたのはビザンツ帝国の時代で、
もともとは訴えの種類ごとに、民事でも誰にどう裁判されるかが違ったみたい。
名望家による仲裁があらわれたのは4世紀末で、取得時効の要件を満たすか否かの判断をしたみたい。
>>271
共和政のスッラの時代までは、政治システムの破壊(殺人は政治主体の抹殺だから該当)以外は
(民事制裁はあっても)犯罪には当たらず、処罰は亡命か死刑に服するかの選択だったみたい。
>>266
農奴が現れたのは、所有権(自分で直接占有しなくても自分のもの)が登場したから。
グラックス兄弟の改革は所有権の出来始めに土地改革をしようとしたもの。
所有権の登場で、雇用や賃貸借などが出てきて、持たざる者が契約相手を変えながら移動するように
なって、税制上不都合になったから土地に緊縛したからみたい。
>>273
法(ローマ法)が始めて誕生したのは木庭いわく成文の十二表法だけど。

あと木庭がどうクソか是非教えて。