>>1 乙
褒美に
お前にネロ皇帝の婿になる権利をやろう
4 :
世界@名無史さん :2014/01/17(金) 08:55:34.38 0
何はともあれ、 『西洋古典学事典』を 読むことだ。 でなければ話にならない
何はともあれ、 史料を原語で 読むことだ。 でなければ話にならない
朝鮮半島の原史料は漢文だ、これでは自国なのに読め無いではないか。
>>6 wwwwwwwwwwww
くっそわろたwwwwwww
あの国はホントどうしようもないわな
ギリシャ神話にケチつけてるようなもんだろ あほか
あの、ここ ロ ー マ ス レ なんすよ
まあ同じ半島だし
じゃあせめてペロポネソスかアナトリアで
もう、ペルシアはローマの属領として脳内補完してもおkだよね? インドもシナも属領として考えてもいいよね
「ローマ皇帝、捕虜にしたんだが」
15 :
世界@名無史さん :2014/01/18(土) 23:57:10.85 0
オイラートのエセンも明王朝の皇帝捕虜にしてたから…
よーわからんがオイラートのエセンも明の皇帝捕虜にしたし 皇帝捕虜にしようがペルシアはローマの属領として脳内補完しておkといいたいの?
トラヤヌスでもメソポタミアまでで イラン高原までは行けなかったが
トラやんの遠征は最近出た「パルティアとローマ」に詳しくのってたな ラテン語読めないからディオの翻訳本はよ
URYYYYYYYY
批判対象でもあるけどな>ギリシャ 主に政治・文化方面で
伊藤博文暗殺犯・安重根の記念館が完成だと!? これはもうローマにもカエサル暗殺犯カシウス・ブルータス他記念館が必要だな 日本国民とローマ市民はブチ切れていい
しかし韓国もでかくなった 昔は本当のカス国家だったから 奴らがナニをいおうが幼稚園児が騒いでるという風な完全に上から目線で 反日行動そのものを馬鹿にしてたのに ワールドカップあたりからだろうな テロも社会的に意味あるなら英雄でもいいんだろうが 失敗に終わったテロだしな
>>22 マルクスな。あと、ブルータスとかは自由の闘士として、帝政期にですら英雄扱いされてたらしいし。
スッラとかマリウスも評価が難しいな。
いちいちスレ違いの韓国話始めるバカは何なの?ネトウヨ? 蛮族は自分の巣にかえれよ、ここはローマだ
>>24-25 さんが上手く話題をローマ方面に誘導してるのに、
流れが読めない
>>26 さんは頭が悪いと思います!
そこでわざわざ話盛り上げるあなたもね 帝政時代の女の髪型の流行が後のマリーアントワネットの髪型や現代の名古屋盛りと同じでワロタ ファッションで人間の考えることは変わらんな
>>25 クーデターの前例つくったのはよろしくない
王政廃止→共和政開始も一種のクーデター 前例ならこれだろう
31 :
世界@名無史さん :2014/01/21(火) 00:47:54.32 0
コーセラcourseraでローマ建築の講義が始まっているよ。
Roman Architecture
Roman Architecture is a course for people who love to travel and want
to discover the power of architecture to shape politics, society, and
culture.
Diana E.E. Kleiner イェール大学
https://www.coursera.org/#course/romanarchitecture
>>30 軍人皇帝の王座奪還ごっこの前例って意味では
35 :
31 :2014/01/21(火) 23:37:17.87 O
ローマンコンクリートなんて現在でも通用するオーバーテクなのに、コロッセオ等 ローマ・イタリアでしか使われてないのは勿体無いな。
親衛隊と元老院の関係ってどんなんだったの?
元老院からみて俺たち元老院の利権を奪った憎い皇帝の手先時々一緒になって皇帝殺す 親衛隊からみてコシヌケどもの集まり皇帝が給料出さん場合は一緒になって皇帝殺すよ!
マクシミニストラクスとゴルディアヌス
軍人皇帝時代は学ぶ気がしない。萎える。
内ゲバと外敵に右往左往してる間に国の根本が腐ってくと言うか、融解していく 時代。カエサルとアウグストゥスの時代だって内ゲバもあったし、外敵に軍団が 壊滅した例も多かったのに暗いイメージは無い。国が上昇期と下降期の違いだろう かね。
>>40 軍人皇帝時代:国境付近から兵力が出ている
>>41 カエサルとアウグストゥスの時代:イタリア本土から兵力が出ている
軍人皇帝時代は大事だろう。動乱期を詳しく調べずに、何が終わって何が始まったかがわかるわけない。
なんか天才の匂いがしないんだよな 別に日本人だけの感覚じゃなくて、 世界中の詩人もカエサルとかハンニバルは引用するのに軍人皇帝には興味が無いようだ
動乱期といってもなあ。日本の戦国時代みたいに、地方予選を勝ち抜いた 強豪大名がいよいよ最終決戦関ヶ原!みたいな爽快感がなくて、グダグダ 暗殺合戦だもんなあ。近衛軍団とか、ゴネ得狙いの比叡山の僧兵みたいで不快。
何回目かの一気読みを試みたんだけど、いつもそうなんだけど終わりの始まりまで読んで 迷走する帝国に来ると「カラカラかあ・・・・この馬鹿さえいなければなあ」って気分になって挫けるんだよね だからまたハンニバル戦記に戻ってみたりして。 軍人皇帝時代以降はぜんぜん何がどうなったかおぼろげにしか覚えてない それ以前の時代はエピソードとかいくつでも挙げられるんだけどな
軍人皇帝時代からディオクレティアヌス帝の頃まで見れば全体主義的ではある けど近代への萌芽が見えなくもない。中央集権・官僚制度・国民皆兵・言論統制 ・思想統制・細かい税制・物資統制等々、近代国家が良しにつけ悪しきにつけや ってる事をみんなやってる。こういうのを観ると国家主導で国造りやると近代だ ろうが古代だろうが人間様の考える事なんて同じなんだなと考えてしまう。
セネカの総資産は三億セステルティウスで、四億のコルネリウス・レントゥルスに 次いで歴代二位の大金持ちだったそうな。ボウディッカが反乱するのも無理はない?
ブーディカの反乱は高利貸しが原因じゃないからなぁ イケニ族は割と好戦的だしねクラウディウス時代を見るに
ばっちゃ的には今回の都知事選はどう見てるんだろうか 最近エッセイ読んでないから気になった
>>47 それを考えると、中世ヨーロッパって何やってたんだか
宗教以外は何から何まで長期間停滞し過ぎ
複式簿記の発明は偉大やで。 商業関係に関しては古代より中世中期以後の方が、規模は兎も角仕組みの複雑さに関しては上。
家畜や動力の利用に関しては中世に大きく進歩してるで
自給自足出来ないが人口過密な場所(都市)にのみ技術的発展があるとばっちゃが書いてた
中世から見たらローマのが停滞しすぎという事実 まあしょうがないんだけどな、古い時代ほどそういうものだ
時代や分野によって話は違ってくると思うけどね。5世紀・6世紀の動乱期 の庶民より、パックスロマーナ全盛期の庶民の方が幸せだと思うけどな。まあ 紀元前後に100万都市が存在できただけでも奇跡みたいなもんだと思うけど。
テベレ川の汚染を嘆くおっさんとかいんだろな
いやどう考えても中世の方が停滞してるから
中東圏と比べると未開社会もいいとこだしな中世ヨーロッパは
中世のが停滞とかないから 少しは勉強してね
ローマの時代では水利の技術は凄いけど、後世の様な三圃制や牛・馬鋤の利用 は考えつかなかった。ウェスパシアヌス帝の尿税も毛皮の油抜きに使う業者に科された 税であって、大便にかけられた訳ではなかった。日本なんて長屋の大家の収入の二割は 公衆便所の肥し代だし、わざわざ北海道まで行って鱈や鰊取ってそれが瀬戸内海周辺の 農地の土に入って綿や菜種油に化けてるんだから農業史を考えるだけでも興味深い。 ローマ時代に三圃制や牛・馬鋤・肥しや地中海の魚を魚肥にするっていう発見があったら ローマの歴史も相当変わったんだろうか。そういえば南欧に米が入ったのはいつごろなん だろうね、中世の人口増加には米の流入がそれなりに貢献していると思うんだけど、そういう の専門的に調べた本って無いよね。
中世の農業の進歩は寒冷化の影響あるんじゃなかったっけ ローマの全盛期は温暖だった&エジプトの穀倉地帯を押さえてたので 手間かけなくても多人数食わせる量を確保出来た 発明は必要の母 東南アジアくらいの気候だと凄いテキトーな農業で年数回米収穫できるんだよな 米や小麦の原産地は南アジアにメソポタミアだが 日本の緯度で米が結構収穫できるのは長年の品種改良の賜物 北国の欧州で農業やるのはどれだけ骨か
米の影響は微々たるものじゃないかなあ 生産地が限られるし、何より高級品であったという事実がそれを物語る
水に乏しい寒冷の痩せた土地で米は無理矢理 現代でも地中海沿岸で比較的農業出来るイタリースペインくらいしか米食う習慣ないし
稲作は水稲やってこそ化物みたいな人口扶養力叩きだしてんだっけ
陸稲でも収穫倍率的には麦より良かったような気が ただ水稲の連作障害が起こらないという利点は魅力的
地中海性気候で水稲ってどんな無理げーだ 香川とか播磨とか瀬戸内沿いをグーぐるでみてみろ 農業が主産業でなく河川利用ができる現代でもため池ばっかだぞ
イベリア半島においてはイスラーム勢力が米を持ち込んだ。おおむね8世紀から11世紀くらい。 もちろん生産できる地域も生産量も限られているので、主食にはならない。 今でもそうだが、南欧における米って日本におけるジャガイモよ? 主食の付け合せやデザート(甘いミルク粥)に使われるけど、主食ではない。 向こうにいたとき、米を主食にしてたら奇異の目で見られたなあ。ジャガイモ主食にオカズ食べてるみたいな感じ。
地中海性気候どころかステップでも大河流域なら普通に水稲耕作できるが ナイルやチグリス流域なんて昼夜の温度差が高くて大きな嵐もないし日照率抜群 根腐れ対策さえできれば、さぞ日本向けの美味いコメが出来るだろう あと関西四国じゃ普通に小麦加工品をおかずにするんだがな 関東に逝けば奇異の目で見られる
さすがに関西出身の俺でもお好み焼き定食は頭おかしいと思う
やきそばパンとやきそば定食は有りだと思います
チグリス・ユーフラテス流域はアッバース朝くらいには米の穀倉地になってた
うんw だから結局大河周辺とか水ないとだめだから 地中海性気候では水稲困難なんよ あと主食という概念は西洋にないとはいわんが「薄い」と思う 肉が食の王とされたがパンのみにいきるにあらずとか 食の象徴がパンだったり
中世末期〜近世の西欧王朝の軍隊は基本パンしか支給してなかったよ
そもそも中世末期から近世じゃまともに補給してたとこって存在しなかっただろ 「補給戦」ではそんな状況から補給基地やら作りまくる発想に至った人たちルイ14世の時代の軍人すげーって称えてるし
なにげに現代のエジプトはジャポニカ米の輸出国
エジプトは中近東でも特殊だからな。野菜が豊富で安く、サラダが国民食。 げにエジプトはナイルの賜物なり。
日本からみれば貧しくて内政gdgdだけど あれでもアフリカじゃ豊かで安定してる国なんだよなあ
ローマも遠征時は現地調達だよね 平時はどうやってたんだろ補給
>>79 国境地域の基地の補給であれば、
現地生産、近隣の属州や都市、集落からの供出+ヒスパニアやアフリカ、エジプト、シリアみたいな
富裕な地域からの輸送で賄っていた
オリーブやブドウみたいに生産地が限られるもの、穀類、鉱物等の補給体制が2世紀末から
かなり整備されていたことが文書と考古史料から明らかになってる
五賢帝の時代には海賊山賊もかなり減ったみたいだしね。 逆にアウグストゥスやティベリウスは山賊対策なんかにかなり気を使ってたようだし。 タキトゥスの年代記とかにも書いてあったはず。
海賊と言えばポンペイウスの大規模群狼戦術による地中海全域の海賊討伐作戦は凄かった そのあとポンペイウスの息子が実質的な海賊になったのは笑えたけど
海戦史だとサラミスからはじまってポエニ戦争、アクティウムと海の会戦が取り上げられることが多いけど 海賊相手とはいえポンペイウスの地中海制覇もすごい業績だよね あの活躍のおかげで「ローマの海」になったといっても過言ではない
どうせ元老院の中に海賊や密貿易やってるやつからワイロもらってたのいるだろ そいつらにブチ切れられるに決まってるわポンペイウス
しかも約3ヶ月でほぼ仕上げてしまったのがね 各地を担当する部下の裁量に任せるところも大きかっただろうが、 それらを上手くまとめあげて指揮したのはすごい まさにマグヌス
86 :
85 :2014/01/28(火) 14:42:06.02 0
>>84 むしろミトリダテスが援助しまくってたんだがな。
元老院を?海賊を?
そらもちろん海賊を。だからあの海賊退治は、単なる治安維持以上に、反ローマ勢力の切り崩しという意味がある。 だから、そのことで元老院が、ってのはトンチンカンな指摘だという話。
ミトリダテスに内通してる元老院議員もいそう。 ポエニ戦争の頃ならともかく、内乱時代のパトリキは信用ならんイメージ。
まあアホみたいな内乱粛清時代だったしな…
スキピオもポンペイウスもカエサルも 共和政時代の英雄はみんな軍事独裁を恐れる貴族共和制主義者に潰されて 既得権益って怖いなぁ
そいつらのせいで潰された奴らもいるからおあいこ
スッラ「危険分子はちゃんと処刑しないと」 オクタヴィアヌス「後が怖いので」
スッラの粛清リストにカエサルはいってたっけ
書いて、消した
「諸君には分からんのかね。あの若者の中には百人のマリウスがいることを」ケシケシ
>>97 でもカエサルは粛清リストに載る原因となった、マリウスの娘だったかと離婚することを拒否して
また粛清リストに載せられたため逃亡、しばらくして小アジアに行っていろいろ経験することになったとかならなかったとか
マリウスの百倍の浮気してたくせにこういうところだけ頑固な禿げ
そりゃ、事は政治問題ですからの。実際、カエサル本人の意志というより、おかんや親族の意向だった可能性もある。
マリウスの娘じゃなくスッラの政敵だったキンナの娘 ロマ物の「勝者の混迷」か続巻の「ユリウス・カエサル(ルビコン以前)」のどっちかに書いてある
古代人は良く動くね。 殆ど歩兵なのに20km30km先の敵陣とか街とかを「すぐそこ」ってニュアンスで書いてある。 100m先のコンビニにも原付に乗る現代人からしたら正気の沙汰とは思えないw
モータリゼーション以前はどこもそうだよ。弥次さん喜多さんは朝暗いうちに 日本橋を起って、その日の泊まりは戸塚宿。日本橋から戸塚まで歩いたら 現代人は一日でダウンだな。
軍隊でも40キロは一日で移動できるし個人の健康な男子なら60キロは移動できるシナ でも日本の宿場は8キロくらい間隔だから一日2時間ほどでもいいんやで
五十三次で五十三泊かよww
早馬を乗り継ぐと1日で最速160qだそうだ モンゴル帝国のジャムチや日本の駅伝馬もそのぐらい
106 :
世界@名無史さん :2014/01/30(木) 18:45:23.69 0
乗る方もめちゃくちゃ消耗しそうだなそれ
早馬の使者は一言口上を言うとぶっ倒れるのがお決まりでして
井伊直弼が殺されたときは早かごで一日100キロくらいだっけ 走りだが一人を10人くらいで担いで乗り継ぐ 担がれてるほうも寝れないので普通に死ぬので予備あわせて6便くらい出したそうだが
九州最南端・薩摩から美濃・関ヶ原まで走り続けた薩摩人 さらに関ヶ原での撤退戦後も凄まじい健脚ぶりを発揮した 同時代人でも別格だったんじゃないか
浅野内匠頭刃傷事件の時は、江戸から赤穂までの使者が四日で着いたとか。 まあ侍にとって「御使者を申し付けられる」のは名誉だから、 死を覚悟して行ったんだろうけどね。
高速通信としては伝書鳩や烽火もある
100m先のコンビニくらいまでは歩けw
ローマ街道並に舗装されていたら飛脚がもっと早く着いた可能性も?
雨が多い日本ではケアが大変そうだ
烽火は機密性低いからなぁ、 どんなに暗号化しても「何かを伝えた」ってこと事態はモロバレになる。
狼煙に機密性なんかいらんだろ 速度が重要なんだし、もともと複雑な情報を伝える手段じゃない 史実でも軍の動員や警報ぐらいにか使われてないし むしろ敵に「何かを伝えられた!」というプレッシャーが与えられるんじゃないか? 機密性考えるならそれこそ伝書鳩とかあるし
そういやカエサルは「一日百マイルを走った」というが ローマ・マイルは1.48kmなので148q これも替え馬を乗り継いだのではないか
鳥居強右衛門は長篠城脱出後、狼煙を上げて脱出成功を城内に伝えた。 しかし、それを見て密使脱出を悟り、警備を強化した武田軍により、 援軍到来を知らせるために城に戻る途中で捕まった。 城に戻るのは危険と信長から止められたのを、城兵が援軍を心待ちに しているからと振り切って戻る途中の捕縛であった。
そういや帝政期の艦隊の漕手て奴隷?自由民? 古代ギリシアは自由民だったよな ローマもポエニ戦争の頃はそうだったはずだ 帝政期はどうなんだろう
そもそも対外戦争がなくなって奴隷供給が著しく減ってるからのう
別に対外戦争は無くなってないぞ。総督が自己の権限の範囲内で異民族攻めたりしてるし。
>>120 ローマ皇帝伝のアウグストゥス16頁にはシチリア海戦のために「二万の奴隷の身分を解放して漕兵とし」
とあるから少なくとも共和制末期は自由人だったぽいけど
124 :
世界@名無史さん :2014/02/06(木) 18:44:12.60 0
コホルスってあれ隙間どうしてたの?
まず軽歩兵が槍投げて敵の隊列を乱し 敵と接触しそうになったら隙間を通って最前列の軽歩兵が 重装歩兵の後ろに後退 後退し終わったら隙間を閉じて重装歩兵部隊が敵と衝突する
コホルスって間がっつりあいてて埋めれないでしょ
127 :
世界@名無史さん :2014/02/07(金) 16:30:11.64 0
古代ローマ人って帝政期の繁栄していたころにはガリア人かゲルマニア人の髪で パツキンのカツラ作ってかぶるのがはやってたってほんと?
ゲルマンから金髪 ケルトから赤毛 ギリシャから黒髪を買ってウィッグにしてた 女の髪型自体が蜜蜂の数より多いとか何とか言われてた時代 オシャレにかける情熱が凄かった
カエサルの時代にも既にカツラ自体は普及してたはず
130 :
世界@名無史さん :2014/02/07(金) 20:18:18.87 0
131 :
世界@名無史さん :2014/02/08(土) 15:43:54.76 0
古代ローマって巨乳のほうが貧より人気あったの?
豊満な方が人気あったって何処かで読んだ気がする
ブラっぽいものに詰め物してたしいつの世も巨乳が正義
ギリシャの影響もうけてるしぽっちゃり好きだろうな
ビーナス像はあってつるぺた像は残されて無いから巨乳がメジャーだったのだろう 逆にポンペイ辺りからつるぺた像が発見されでもしようものなら歴史を塗り替える大発見になるに違いない
ミロのビーナスは上の方が十代で下に行くほど熟女化するデザインで それが当時の理想像だとか聞いた
いわゆるヘビーボトムというやつか
男の方は「かわいらしい」包茎が好まれたという・・・ 包茎ブーム再びかもん!!!!!(´;ω;`)
ラオコーンのおとうちゃんのは
>>136 張りのあるおっぱい+肉付きのいい尻とか、理解度高杉
ユダヤ人「これだから異教徒は」
ローマ人に挑戦企画!第一弾『オートミールにナンプラーかけて食う』 第二弾『ねっころがって食う』第三弾『ゲロってから食う』乞うご期待!
うるせえ大麦でも食ってろ
ヤマネ食いたいお・・
代わりにドブネズミをどうぞ!
ローマヲタならワインは水で薄めて蜂蜜入れて飲むな?
当時とワインが違うし・・
???「ワインとかわらねーよ」
今のワインと昔のワインは違うよ。昔のワインはコルクとガラスビンが無いので 長期の保存は不可能、ビンテージワインなんか論外。時間が経てば経つほど 酸っぱくなって飲めたものではなくなる。蜂蜜入れたりシナモン入れたりす るのは味を少しでも良くするため。ボンジョレーヌーボも元は新鮮なワインを 飲みたいイギリス貴族がフランスから送らせたのが競争になって、伝統になった のがきっかけ。
なーに鉛のコップで飲めばいいのさ
『サテュリコン』に「オピミウスが執政官の年のワインですぞ! 百年物ですぞ!」と自慢する場面があるな。
ゲルマンの樽技術が流入した元首制初期あたり以降だと 保存性は一応高まってる
ビールはいつできた?
メソポタミアのすっげええええ古い時期じゃないの
ハンムラビ法典にも「ビールを水で薄めて販売した奴は死刑!」とあるな。
ゲルマンには伝わっていなそう
ハンムラビ法典にはビールを薄めた女将は水に放り込めと書いてあるな 溺死刑とも解釈されるがそうとは断定はできないかと あと身分によって刑がちがう法体系だったので 多分男女で罪が違う 有名な目には目をは同格の人間に適用される法で 被害者、加害者が貴族、平民、奴隷でそれぞれ違う処理がされ 基本的に下位のものへの危害は金で解決できる
樽はケルト(ガリア人)由来だろ カエサルのガリア戦記にも出てくるな
>>151 自己レス
オピミウスはグラックス兄弟の頃の執政官。その年は有名なビンテージ・イヤーで
良質な葡萄が豊作だったとか。ネロ期のサテュリコンだと百年どころか二百年近く
経ってる。自慢しているのが奴隷上がりの成金トリマルキオで、とんちんかんな事を
言っては笑われる役どころなので、オピミウスの年のワインだというのは多分嘘。
まあ「ワインは古いほど上等」という観念が当時すでにあったというのが要点か。
>>159 も
>>149 もどっちも真実だ、ワインの歴史かなんかで読んだ覚えがある
保存がしっかり出来る状況なら年代物がうまいということだろう
ちなみに大プリニウスの時代、すでにワイン用のブドウは400種くらいあったそうだ
大宛の特産品は蒲陶(葡萄)酒と馬で、習性として酒を好む。 富裕な者は1万石あまりも葡萄酒を貯蔵している者もいるが、 数十年貯蔵しておいても腐敗しない。(史記・大宛列伝)
>>156 ビールはシュメール時代にすでに現れてるからなあ。ゲルマン人が麦の栽培を
学んだら、ビールの作り方も一緒に伝わっていいと思うんだが。
食料カツカツな古代で麦をビールにするのって得なのか? 普通に食った方がよくね?と思う酒飲まない俺
カエサルが独裁官の年のワインですぞ!
>>163 『雑兵物語』に「米を一度にあまりたくさん足軽に支給してはならない。
米を食わずに酒に醸してしまうから。飯を食わずに酒を飲んで戦に出ると
必ず死ぬ」とかあったな。つまり酒飲みはキ〇ガイ。
敵国パルティアに対する印象
>>162 今でいうビールみたいなものを飲んでたらしいことは、『ゲルマニア』に書いてあるよ。
製法がどこ由来なのか、それともオリジナルなのかまではわからんが。
ローマ神話てギリシア神話パクったから体系的な神話はないのな ところどころのエピソードしかないんか
そもそも神話の体系はみな後付け。 本来の神話は断片的なエピソードの寄せ集めに過ぎない。 どいつもこいつも子孫だと名乗ったがために、淫獣にされてしまったゼウスさんカワイソス。
ギリシャ神話も最初からあの体系だったわけじゃないし、あのオリュンポスの神々も様々な由来を内包してるしな。 ギリシャ神話の神々とその体系が輸入されたせいで影が薄くなっちゃったヤヌス神カワイソス。
>>163 メソポタミアやエジプトの古代ビールは一種の発酵したお粥なので消化によく栄養のある
「食い物」として飲まれてた側面がある
子供もビール「食ってた」
製法もパンをちぎって発酵させたりする製法もかなり多く
この手のビールは食い物の側面が大きい
勿論酔うために麦芽から作るものもある
ビールの炭酸ってどっからでてくんの
発酵する時に酵母が出す 現在流通してるのは濾過・殺菌後に後からガスを入れたものがほとんど
最近はシャンペンもそう 白ワインに炭酸吹き込んだやつばかり
過剰発酵すると劣化や爆発の危険があるのだ
以前あったろ不凍液ワイン騒動が。今やワインも三倍増醸の日本酒と変わらない人造酒。
塩野サンの本呼んでたな、キルシト教がロマ滅ぼしたように見える感じるのはホントか?
ラテン語でおk
強制時代の改革、いいことになるなのに、訂正末期の改革悪いことになるなぜ?
ディオクレティアヌスの専制君主か、ロマをロマじゃなくした
カエサル王位狙てると思われて殺された時のロマ人達いない
>>178 わしゲルマン系フン族、ラテン語日本語ちょとおかしいのわかてる
塩野はキリスト教嫌いなんだよw ローマ滅びた理由は複合的だが塩野さんはキリスト教により 社会に柔軟性なくなったからとみてるね そういう考えが正しいかあなたが考えなさいな
講談社学術文庫「ガリア戦記」を読んだ。 現代の感覚で当時を批判しようとは思わないけど、 城市アウァリクム占領で、老人も女子供も情け容赦なく殺した事を、 自己申告しているのはさすがにギョッとした。
キリスト教がローマを滅ぼしたというのは、 キリスト教勢力が大きくなった結果キリスト教勢力が反乱を起こして ローマ帝国が滅亡した場合くらいにしか適応できないと思うな そもそもキリスト教を国教にしたのも皇帝が多神教より一神教の方が 支配に都合がいいと思ったからだし、 それがローマ人に受け入れられたのもローマ人がもともとそれに合う ベースを持ってたからだろうしな
>>182 ローマを滅ぼしたというよりは以前のローマを変質させたと言うべきだろうか
>そもそもキリスト教を国教にしたのも皇帝が多神教より一神教の方が
>支配に都合がいいと思ったからだし、
そもそもこれ自体が専制君主的な発想に思えるな
卵が先かニワトリが先か キリスト教が先かローマ精神の喪失が先か
そしてキリスト教は、ローマの行政を模して「キリスト教会」となる イエスは悔い改めて福音を信ぜよと告げたが、到来したのは神の国ではなく教会組織だった
>>183 一柱の神、一人の皇帝的な単一の権威を欲したと決め付けたのは飛躍しすぎたか
まあニケーア公会議とかのアリウス派弾圧を考えるとそういう方向性もあるけど
それだけが理由じゃないね言いすぎだった
>>182 「支配に都合が良かった」説だけではなく「有力者感でキリスト教流行りすぎて認めないとやっていけなかった」説もあるで。
実際、コンスタンティヌスが公会議ひらかせたのも、支配に利用するというよりは
キリスト教間で喧嘩しないようにお前らの統一見解を擦り合わせろ、
っていう意図が大きかったみたいだし。
皇帝のお抱え教学者がアリウス派寄りだったのに、アタナシウス派寄りの結論出てるしな。
×有力者感 ⚪︎有力者間
そういうめんどくささが一神教嫌いなんだよなぁ まぁしょせん異教徒だからなんだろうが
日本も信長が宗論やらせて争いにケリつけさせたり、ヤスが寺社政策で力削いだりしてるやん。 日本でも中世くらいまではわりと寺社無双やし。
>>191 訳文しかないけど、あくまで酒飲みに対する注意だよw
「兵隊に米を渡す時何日分も一遍にやってしまうと
酒飲みの兵は米で酒を造って飲んでしまいますので
精々三、四日分だけ渡して食い繋ぎさせ
五日分以上の米を一遍に渡す事はしないものだといいますが‥」
知識の独占と発展の阻害にはキリスト教会が間違いなくかかわったけどな
酒ってそんなに簡単に作れるものなの?
>>194 単に資本の集中が行われなくなっただけっしょ。
知識チートの古代ギリシャだって、本当にチートだったのは都市国家全盛期で資本が腐るほど集まってきた時期だけだし。
あと「進歩というのは良いことだ」って意識を人類が明確に持ったのは、ようやく近世から近代になってからだし。
口噛み酒
>>152 サテュリコンを見たら「固く封じたガラスの壷」だそうだ。
もっとも、そんな贅沢な壷がオピミウスの年からローマにあったとも思いにくいが。
アフリカ西海岸との交流ってあったの?
カルタゴが云々
カナリアス諸島とか発見されてるんかね さらに南には砂漠しか無かったから行かなかったのかな
ユリウス・カエサル コルビン以前以後 を読み終わった。 ヴェルチンジェントリックスやラビエヌスのラビエヌスの描写が腐女子視点っぽいw
塩婆の腐女子エピソード筆頭はスキピオとマシニッサだな 俺の中じゃ
サルベージ
クレオパトラにやったら厳しいのも女性作家だからですかね? 私も女だから女の浅はかさとは言いたくない、と言いつつ別の所ではそう言ってるし。
男ウケのいい女に厳しい印象
そら愛しのカエサルの女には敵意あるだろ
ポッパエアにも厳しかったな あれはタキトゥスへのアンチも入ってるかもしれんが
ばっちゃの世界偉人集みたいな本じゃクレオパトラ×カエサルは好意的だったが
210 :
世界@名無史さん :2014/02/19(水) 23:07:24.24 0
評価が低いのはカエサルの女だからではないと思う 生涯の愛人と呼ばれたセルヴィーリアに対しては好意的に書いてある 結局のとこ為政者としての選択間違えてプトレマイオス朝を滅ぼしちゃったからだろう カエサリオンをカエサルの息子だって言わなきゃ自滅する可能性は減っていたはず
にしてはローマに服したギリシア系王朝には優しい あと、世界最大の穀物蔵たるエジプトはクレオパトラの動向関係なしに征服されてた気がするが すでにアウレテスのころから半属国だったし
まあ一応、属国として軟着陸できるか、まともに敵対して潰されるか、という差異はあるな。 アントニウスもオクタウィアヌスも東方の属国を温存する方針なのは変わりなかったし、 上手く立ち回れればあのタイミングでの滅亡は避けられたらと思う。 ただ、アントニウスとオクタウィアヌスのどっちに張るかはぶっちゃけ博打なので、それ一つで愚かとは言い難いな。
クレオパトラは悪くないよな 若いオクタウィアヌスが傑物すぎたんや
アンとニーにチップ張るしかない状況ではあった
まあ負けた方はボロクソ言われるのが定めよ
217 :
世界@名無史さん :2014/02/20(木) 11:33:12.71 0
ユルス ユリウス ユリヌス ユリアヌス という名前の変化形は何か名称があるのでしょうか?
博打というかカエサルの後継者をオクタヴィアヌスが名乗ってる以上 賭ける相手はアントニウスしかいないわけで アントニウスもカエサルの真の後継者の庇護者として振る舞える利点がある 要するにwin-win
>>212 エジプト人の王朝はペルシャに滅ぼされて、プトレマイオス朝にしろ外来政権だからな。
豊かなエジプトは直接統治した方がおいしいに決まってるし。
ハンニバルがローマに勝ってたら次はエジプトを征服したんじゃないか。
>>211 ブルータスの母で生涯の愛人だったと事実を書いてあるだけで、
それ以上は良い意味でも悪い意味でも書いてなくね?
まぁ本人は政治家でもなくグラックスやカエサルの母見たいな賢母として名を残しているわけでもなければ、
それ以上書きようはないんだろうけど。
俺はセルヴィーリアが息子含むカエサル暗殺犯のこと早い段階で見限ったとこが印象的だったよ 結構冷静で頭も良かったんじゃないか? 逆にそういう女性をカエサルが好んだというのもありそうだが
ユリウス・カエサル コルビン以後(下) P93〜94 第7章「三月十五日」 暗殺者たち (前略) マルクス・ブルータスの母セルヴィーリアは、カエサルの生涯の愛人と言われた女であった。 (中略) カエサルが生きていた間は母親よりも愛人が優先していたセルヴィーリアも、カエサルの死後は母親にもどったように思われる。 この日のように善後策を討議する席にも出たし、カエサルを通じて親しかったアントニウスやヒルティウスやバルブス等のカエサル派の人々に、 名誉を傷つけない形での息子のイタリア脱出について、頼んでみると約束している。 ただし、セルヴィーリアは、これ以後は息子と行動をともにしていない。 (中略) セルヴィーリアは、カエサルから贈られた別荘での余生に、経済上の心配はもちろんのこと、身の安全への心配もする必要がなかったのである。 ただし、その別荘に、息子をかくまうことだけはしていなかった。 (引用終わり) 見限っているようないないような。
第二回三頭政治までは、暗殺者達の扱いは「英雄でもないけど罪人でもない」というなあなあな扱いだったから、かくまう必要がなかったとも言える。
ローマ市民と軍団兵は怒り狂って暗殺犯に襲い掛かりそうだったらしいぞ それをなんとか抑え込んでた状態なので危険っちゃ危険だろう 枕高くして寝られるような状況ではないよ
暗殺して拍手喝采が無かった時点でもう負けだな
でも一応、勝機はあるにはあったんだよねえ フィリッピもアントニウスとオクタヴィアヌスの連合がなったから互角に近い兵力だったが あのまま二人がいがみ合ってれば(アントニウスもそこまで馬鹿じゃないだろうけど)兵力差は圧倒的
暗殺側が勝ったらどうなってたのかな?カッシウスの独裁政権になってたりして
229 :
世界@名無史さん :2014/02/24(月) 06:45:56.69 0
暗殺者側が勝ってもローマ市民は納得しないだろう それでなくてもカエサルやオクタヴィアヌスみたいな才能も人望もないし 最悪下手したらローマ滅亡一直線
大帝国にならずに滅亡する可能性は常にあったな 1000年続く中世が2,300年増えるだけだ ヨーロッパ人の精神的支柱が無くなるからその後の歴史は想像もつかない
市民はカネかパンかサーカスで満足するし 一番の問題となる元老院議員連中は共和制マンセーだし 勝てばどうとでもなる カエサルが人気あったのもそのせいだしな どのみち数十年したら帝政目指す奴は出てくるだろうが
ヨーロッパ人の精神的支柱って… ローマが契約と法律を守らない蛮族の移民どもって蔑んだのが現ヨーロッパ人の先祖じゃないか 国も民族も制度も滅ぼしといて自分の歴史ですとかそんな厚顔無恥な
>>231 カエサルが既にガリアを征服していたから史実と同じ様だったと思う。
ガリア征服以前だったら、カエサル以外のローマ人はガリア征服に
挑戦しなさそうだから、ケルト文化がヨーロッパ人の精神的支柱で
あり続けただろうね。
マリウスの軍制改革で職業軍人に支持された独裁者が擁立されるようになるのは不可避だろうし やっぱり帝政になるのは避けられなさそう カエサル・アウグストゥスほど有能なのが他にゴロゴロしてるとはあんまり思えないので ローマ帝国の寿命は大幅に短くなりそうだけど
帝政後期に多くの将兵と皇帝を輩出したドナウ南岸属州は、 アウグストゥスの治世に征服されたから、アウグストゥスの 征服がなければ、ローマ国家は後継者がいないので たしかに史実よりも寿命が大幅に短くなりそうだ。
暗殺者側の人材ってせいぜいが軍団長クラスじゃね 全体を指揮する最高司令官は無理そう 贔屓目に見てもカエサルに才を認められてたデキムス・ブルータスぐらいしか候補がいない… パルティア相手に勝てるかどうか微妙
パルティア戦ならばカッシウスが慣れている
でもデキムス>アントニウス・アグリッパ なんでしょ ショック受けて判断力にぶってなきゃいけたんじゃね
カシウスはクラッスス親子と貴重な軍団見捨てた前科があるから重要な局面は任せたくないぜ
アウグストゥスのようにパンノニアとかを征服しなかった場合、 やがてサルマタイのヤジキ族らがパンノニアに移住してきて、 属州マケドニアやイタリア本国の脅威となったであろう。
243 :
世界@名無史さん :2014/02/28(金) 21:27:46.64 0
>>233 法を守らないというか、ゲルマン人には今日ゲルマン法と呼ばれる別のルールがあっただけじゃない?
ローマ法みたいな、今の法律家から見て法と呼ぶにふさわしいものだったかは別として。
それに契約と法律といっても、共和政が崩壊する過程で、ローマ法の人権保障的な意味あいは
薄れていき、自由独立な個人の話し合いによるや合意やbona fides(信義誠実)が基調だったところ、
実力が横行していたわけで、そこにはゲルマン人の責任は無いし、
ローマ法が(ビザンツ期の崩れた姿から受け継がれたり、曲解を受けることはあっても)
日本を含む大陸法系の民法に受け継がれたわけで。
それを精神的支柱とまでは思わないけど。
ソースはほぼ木庭顕の『ローマ法案内』
木庭顕の授業受けたことあるけど糞過ぎ
どうクソなのか
ただの民族の慣習を法と呼ぶのか そうとうやばい教授だなぁ
慣習法
慣習は慣習であって、何処迄行っても慣習でしかないのにな それが譬え強烈な呪縛であったとしても
?慣習法は法というのが基本的法学知識だが 執行力の話なら法運用の問題で別問題だぞ
慣習法も知らない奴が法を語るか 恥かくだけだから止めとけ
学問板のレベルも落ちたなあ、と最近つくづく思う
慣習法は法として成文化されてる 慣習は何処迄行っても慣習
慣習法は不文法のほうがメジャー
ゲルマン法の話は『ローマ法案内』に出てこないし、 民法学ではゲルマン法という言葉を普通に使います。
よくある現代の価値観から歴史を当てはめて分類・批評しちゃってるだけじゃね木庭は
というか法学者たちの間でロマニステンだとかゲルマニステンが問題になったのは ゲルマン法とローマ法をどう解釈し、現代に繋げるかってことがナショナリズムの台頭の中で厄介事として存在したからで 元々無理やり歴史を現代に当てはめようとしてるのは別にいつものことではないだろうか
へぇ史実解釈だけでなく法学の間でもそんなものがあるのか チャーチルもびっくりだな
>部族法の時代には、属人的な部族法が支配し、法の効力はもっぱらある人がある共同体(部族)に人的構成員として所属しているということによって決定されました。 >しかも、それは部族の境界内部にいようと外部にいようとまったく関係ありませんでした いかんでしょ…
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ < 法なんて力で曲げちまえばいいんだよ! / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
>>259 近世までそのへんが曖昧になってたせいで
新大陸植民地に移住した市民が出身都市の法での裁判を要求したこともあるらしいね
ローマ法も東ローマのユスティニアヌスだったかが法典化する以前の、古代ローマでは成文法ですらなかったからな 喧嘩になるに決まってる
ググったらあんまりローマの明確な法典って少ないんだな >ローマ人には法を法典化しようという一般的な傾向はなかった。そのために、ローマ法が法典化されたのは、 >ローマ法の歴史の中でも最初(十二表法)と最後(ユスティニアヌスの『市民法大全』)しかないのであり、 >ローマ法は長い年月をかけて歴史的に発展した不文の慣習法なのである
ゲルマン諸部族の部族長が移動式に所領を渡り歩いてたのは各地のもめごとを裁定するためってのが理由の一つ
軍人皇帝時代とか法なんてあったのかレベル
それで良く戦時税払ってたな 教区領にはかからなかったからそこに逃げ込んで 農奴化が進んだとも言えるか
ローマって明確な明文法を持ってたんだと思ってたら違ったのか でも法学としてはきちんと法に沿って現代みたいな裁判やってたのか?
世論に左右される法って感じ
政治家が裁判家を兼ねるもしくは裁判家が名士で政治家 んで政治家や裁判家が法源、でも普遍的じゃなく一時的な感じ
『怪しい呪術師に金で人を呪わせたら身分高くても死刑』って決まりがあったけど 誰が決めたんだっけ?
皇帝の運命を占うのも死刑だった気がす こっちは帝政期だろうけど
基本的に古代ローマの裁判は過去の判例を参考にして決まる その場の聴衆の雰囲気も加味されるが
慣習法、判例法は法の由来であって、今でも有力な法源だからね コモンロー(英米法)地域では、成文法すらひっくり返すこともあるし
要するに貴人絶対、現代では金持ちが絶対なんだよな
ルールとか政策変えようと改革すると元老院()のやつらが共和制()万歳とかいってぶち殺しにきますし
やはり神が定めたユダヤ教の律法が一番だな
>>267 どんな法があったかは、キケロの法廷弁論とかも含め、色々な文献から推測されてるみたい。
『ローマ法案内』はローマ法が生きのこっている現状を踏まえて、
民法の概説書の説明と違う、当時の社会問題に対処しようとした条文の本来の意義を説く
法律家etc.向けの啓蒙書みたいな本だから、具体的な根拠は知らない。
>>269 法源の話は不正確。
法源は慣習法というか、判決、アウグストゥスの時代からは法学者の文書が積み重なり、
時代が下ると皇帝の勅法が加わり、ビザンツのユスティニアヌの時代に整理されたみたい。
裁判官の話は、職業裁判官がいたのはビザンツ帝国の時代で、
もともとは訴えの種類ごとに、民事でも誰にどう裁判されるかが違ったみたい。
名望家による仲裁があらわれたのは4世紀末で、取得時効の要件を満たすか否かの判断をしたみたい。
>>271 共和政のスッラの時代までは、政治システムの破壊(殺人は政治主体の抹殺だから該当)以外は
(民事制裁はあっても)犯罪には当たらず、処罰は亡命か死刑に服するかの選択だったみたい。
>>266 農奴が現れたのは、所有権(自分で直接占有しなくても自分のもの)が登場したから。
グラックス兄弟の改革は所有権の出来始めに土地改革をしようとしたもの。
所有権の登場で、雇用や賃貸借などが出てきて、持たざる者が契約相手を変えながら移動するように
なって、税制上不都合になったから土地に緊縛したからみたい。
>>273 法(ローマ法)が始めて誕生したのは木庭いわく成文の十二表法だけど。
あと木庭がどうクソか是非教えて。
>>277 十二表法は、初めての成文法であって、それ以前に慣習法がなかったというわけではない
というか、権力と社会が存在する以上、慣習法は存在するよ
それが後世に影響を与えてるかは別だが
法制史で議論されるような意味での法なら十二表法であってるでしょ 歴史的にはそんなのより前からあったし、ローマのルールにはいろんな慣習が影響してるのが見て取れるよって話になっちゃうけど
おいおい・・ 法はあったんだが貴族による恣意的解釈があったんで 成文にして恣意的運用を防ごうという平民の圧力で生まれたのが 十二表法 成文でなくても法はある
法は無いよ 貴族の政治的判断と慣習だけが在った
お前慣習法を法でないといった奴だなw 学問板でこんなあほな事いう奴は二人もいないからすぐわかるw
>>277 俺が受けたのはローマ法の講義じゃないんだが(木庭がローマ法の研究者だということは講義を逃げ出した後に知った)、
レジュメがレジュメの体を為していない、板書も汚く且つ意味不明(まあこれはどの教官にもありがちだが)、
もちろん喋っている内容も意味不明。少なくとも学部生でしかも初学者も受講できる講義でやる内容じゃない
法学部の数ある講義を受けた中では最悪。これ以上酷い教授はいなかった
まあ研究者としては優れているかもしれないけど教育者としては優れていない典型的な例ですね
講義の出来が酷過ぎて正直研究者としても疑うレベルでしたが
こう書くと俺の能力が低いから理解できなかっただけだろと思われるかもしれないが
受講経験者に聞いたらだいたい木庭の授業はヤバいって言ってたね
>>282 成文化で慣習法が規定された後の慣習法が慣習法
何も成文化されていない段階の慣習は何処迄行っても慣習でしかない
言葉遊びでしかないな
法とはそういうもの、法の概念を学び治そう
ローマ法って新法が成立すると、それに反する法が失効するんだろ? そんなシステムだと既存の法のまとめが必要だろうに、帝政期に まとめられたのはハドリアヌスの時だっけ?やけに遅いな。 それまでどうしてたんだ?
>>284 自分定義乙としか
慣習法の定義は大きく二分されてるけど、成文法があるかどうかなんてのは、その
どちらにも関係ない
>>283 T大ですか。今になってT大の授業受けたかったと後悔しています。
何の授業か気になります。
確かに木庭先生は句読点がおかしいのは別として、
みんなが知らないことを当然のごとく言うくせがありますね。
僕はこういう人を「プロレス美術館の館長」型マニアと呼んでいます。
cf
http://www.youtube.com/watch?v=fTaTrDlg-Fw 28分くらいから
2日前からこのスレッドを見はじめ、ローマ法案内以外には、タキトゥスの年代記を
だいぶ前に読んだだけだったので、過去スレをwikipediaと合わせて読んで勉強になった
のですが、気になる点もありました。
1共和政ローマには、官僚制と公金は存在しませんでした。
ちなみに公共スペースと各々の土地を結ぶ道路は法的には誰の物でもありませんでした。
国家予算についての疑問や予想を書いている人がいたので。
2宗教弾圧の理由の話をする人がいましたが、これはあくまで共和政のころの話ですが、
集団結社の弾圧の一環です。共和政ローマでは権力者が現れることが嫌われました。
自由な立場からの厳密な議論によって政治(選挙だけでなく、民会や陪審も含む)
を行うには、宗教団体があると不都合とされました。
キリスト教弾圧はこの風潮のなごりかも。
土地の所有権という賃貸借や雇用して農場で働かせるために必要な
法制度が存在しなかったのも同じ理由です。
3そもそも金もないくせに人気取りに走ったカエサルが無茶。
そのカエサルに金を貸し込んだクラッススも謎。 という疑問
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/22344302.html 所有権の登場で農場経営をするものが現れると、所有者(経営者)は
多額の初期費用を投資するため、作物ができるまでの長期間資金を借りる必要が
生じました。そのような経済のなかで、
AがBに対し金銭債権を有し、BがCに対し金銭債権を有する場合に、Aへの返済を迫られたBが、
Cに対する債権をAに譲ることで弁済(返済)に代えるということが行われました。
カエサルは、大規模な借り入れと大量の不良債権の買い上げを行い、
A 、B(カエサル)、C(返済能力の無い人)という状況を作り、
さらに立法でAがCの取り立てを猶予できないようにして、AにCの土地を奪わせ、
多数の者を没落させ権力を握りました。(p190.191)
>>284 見解の相違でなく単に君が基礎的な日本語を間違ってる事例なので
本を読めとしか言いようがない
なんかもめてるので一言。
定義ばかり議論していますが「言葉遊び」になっています。
定義の議論は、ふつう定義を明確にする必要性がなければしません。
あと、
>>281 を支持します。
それと、慣習が法としての機能を果たすようになったのが慣習法です。
塩野氏のネット上の評論を読んだのですが、ローマ法を理解していない感じがします。
小泉氏支持だったようですが、カエサル大好きな塩野氏は、
カエサルら共和政崩壊期の権力者たちが率先して公共事業を行ったことと、
新自由主義が理想とする、官から民へを同じものと勘違いしているようです。
カエサルが公共事業を行ったのは民衆の支持を背景に権力をえるためであって状況は異なります。
カエサルは徹底して権力を誰かが握ることを防ぎ、実力を排除する共和政にとどめをさした一人です。
塩野史観は木庭史観とあいいれません。
>>283 >>289 そういえば、今ジュリストに連載中の『法学再入門』は読みやすいし親切ですよ。
そのうち単行本化されると思いますが。
ジュリストじゃなくて法学教室でした。
>>272 その場の聴衆の雰囲気も加味される
木庭顕は逆のこと言ってるよ。制度的に、各々自由な立場からの議論の末、
裁判されるように担保されてたって。(多分。そもそも具体的にどの訴権(訴えの種類)の話)
>>292 慣習法に成文が必要かって話が論点だってわかってる?
筋違い。
「もめてる」内容がわかってないのに第三者的に評論を加えなさんな
普通は論点にすらならんはずなんだがなあ
古代法制史のスレが成り立ちそうな勢いだが、立てると過疎る予感
1 共同体における共通な規範として存在している慣習であること 2 権力がその慣習を法として扱っていること このどちらかが慣習法の定義とされてる 成文法の有無とか関係ない
>>295 プリニウス書簡集とか読むととてもそうは思えん
小プリニウスが担当してたのは百人役だけど
ローマ時代に行われていた裁定は慣習法によるものかそうでないか が元々の疑念でしょ? 裁判官になるための資格がどのようなものであったか、 その必要技能は帝国全土(あるいは特定の管区)で共通のものであったか ってことだよな ○○を慣習法を呼ぶかどうかは現代法学の定義の話になるよね
>>299 法の概念が無い以上、慣習は慣習でしかない
あくまで王様や貴族の下した掟でしかなく、慣習法のようなもの
現代のような法概念がなくとも法は成立するちゅうねんw というかそういう慣習を慣習法といってるのw 当時慣習法という概念はなくあとから歴史家が「そう決めた」 それにいちゃもんつけてどうする。 日本語の定義に疑問を投げかけてるからおかしなことになる 常識だと「慣習法はあった」ないし「そういうものを慣習法という」 そして「その慣習法は現代の成文法のようにはっきり決められておらず恣意的運用が可能」 ということ こいつは 「恣意的運用が可能」だからこれは「慣習法でなく慣習」といってるんだw 日本語の基礎的な問題
>>302 君主の定めた掟なら法そのもので慣習法ですらないぞ?
基礎的な日本語の問題なので単純に君は辞書をひけ
定めたじゃなく下した、ここ大事
下した命令といいたいんだろうが 掟といっちゃってますからねぇw ああこんなことさえもわからんのか 小学生の教科書を頑張って読み直せ
掟は狭い範囲を縛るものでしかなく法に成り得ない 口頭なら成文でも無い
wwwwww 最初にいったが見解の相違でなく日本語の問題なので 辞書をひいてくれ 掟とはルールだが君主が発するルールは法だw あと成文だったらそもそも慣習法じゃあねぇ!!!!!!!!!!
ワロタ
アッティラ「俺が法律だ」
311 :
世界@名無史さん :2014/03/04(火) 13:48:19.85 0
カエサルってクラッススに借りてた金彼が死ぬまでに全額返したんですか?
>>308 法の概念をお勉強しないと駄目だな
当主が出す家中だけの掟は、分国全体の法とは違い法じゃあない
掟は何所まで行っても掟
>>312 自分定義はもういい
他人にとやかく言う前に、法の概念について調べてこい
分国とか謎概念持ち出す前に、だ
ほう 【法】 (ハフ) 2 社会秩序を維持するために、その社会の構成員の行為の基準として存立している規範の体系。裁判において適用され、国家の強制力を伴う。 掟は裁判で適用されないし、国家の強制力も伴わないよね
>>314 訴訟決裁権とは、社会が形成された際にその社会の支配権の一部として確立された
殆ど全ての場合、その決定には強制力が伴う
また、訴訟は近世にいたるまで君主大権の一部で有り続ける
辞書の自分解釈はいいから、社会学やら法学の本、せめて1冊くらいは読めよ
>>315 訴訟は法や職能によって検断されたが
職能による場合、強制力を背景とした物で軍政下の実効統治と何ら変わらない。
掟は律令、分国法などとは違い訴訟の対象にならない
少しは法についてお勉強しないと
ここで国語辞典の引き写しとか出てくる時点でずれてるんだよなあ……
お勉強だけ出来るバカって奴かしら
掟と言ってもいろいろあるんだから 立法権と裁判権を持つ君主や領主が定めた掟ならその裁判権の管轄下にあるんだから法になるんじゃね そもそも慣習法の始まりってそういうもんなんだし
>>319 色々無いよ、掟は掟
立法権と裁判権を持つ君主や領主が、裁判権の管轄下にあるものとして定めた物は
法度や式目の形で成文化される。掟は公に属さないような家中の決まりなどを指す言葉
>>320 ちょっと聞きたいんだけどさ
なんでお前のとこからいきなり式目とか法度とか日本史限定の話になってんの
話の始まりからそもそも西洋の話だよね
>>312 えwwwwwww
なんで君主の出す法が「家中だけの掟」に限定してるの????
なんでいきなり分国とか出てくるの?????
まぁ他の皆さんにも総突込み受けてるが
とりあえず最初の話慣習法は一般的な日本語では成文でなくてもいいんだ
>>303 あと303読んでね
>>320 まず板名を見ませう
世界史板(せかいしいた)世界史に関する話ですね
日本史は関係ないですね
スレ名を見ませう
古代ローマを語ろうデスね
日本に関係ないですね
話題については最初は慣習法について
慣習法の話ではないですね
(この板も、早くIDつけてくんないかな……)
とりあえず前スレで暴れた馬鹿がいるのはわかってるYO
>>324 だな、馬鹿が連投までして必死に自演とか笑えない(笑)
T大教授の名前だしてキリッてやったつもりが恥かいて発狂 それにつられて延々とやりあってる人一匹 楽しそうですねー
328 :
世界@名無史さん :2014/03/04(火) 22:17:06.41 0
ギボンのローマ帝国衰亡史はなぜ初めをもやもやに書いたんだろう?
クラッスス「パルティア遠征時に見殺しにされた」 ポンペイウス「ファルサルス戦後こっちの形成が不利になるやカエサル陣営についた」 カエサル「敵対派閥だったのを助けたら恩を仇にし殺しに来た」 カシウスェ…
成文厨はつまり、無文字社会に法は無いと言いたいということでおk?
331 :
世界@名無史さん :2014/03/05(水) 01:10:38.11 0
流れを切って申し訳在りませんが 共和政期の選挙の実際の投票手段をご存じの方おられませんか? アテネのような陶片等で投票するのか、広場に集い挙手していたのか 少し調べたのですがわかりませんでした
>>331 マルチポストは嫌う人もいるから注意した方がいいですよ
334 :
世界@名無史さん :2014/03/05(水) 01:54:00.75 0
「ローマ法案内」ソースに話してたものですが、
>>327 さんは勘違いをしています。自分は慣習法云々の話は、
>>292 しかしてません。
>>331 民会(3種ある)では直接人々が集まったようです。
なお、元老院はあくまで勧告(いわば発議)を行うだけなので、民会の決定によらなければ
imperium(イムペリウム、公権力)は付与されません。
代議員とか選挙区の概念ってローマの時代には無かったのかな? 有権者が集まる・有権者を集めるのが大変だから民会が開かれなくなったって話だけども それなら選挙区を設定して選挙区ごとに代議員をローマに派遣すれば済むんじゃないかって思うのだが
>>336 間接民主制はポリスの文化にはない
代議員とそれによる議会って制度は、中世の身分制議会から
世襲制の議員による議会ならローマの元老院が発祥なのか、それ以前にもあったのか
世襲制の議員による議会は、日本では大和朝廷が有名、モンゴルだと鮮卑の部族の大人による会議とかかな
ブッダの時代のインドとか クシャトリア階級の有力者会議で運営される共和制
トリブス民会があるだろっていう
それって議員っていうのかな
343 :
世界@名無史さん :2014/03/07(金) 09:46:02.33 0
>世襲制の議員による議会は、日本では大和朝廷が有名 ほわ?
大和王権が左翼史観により豪族との根回しでやってた話を勘違いしたんだろう 左翼の願望である天皇の力がなかった話が左翼なりの愛国心で「議会のようだった」と 妄想したのではないかな
>>340 トリブス民会は選挙区ごとに直接投票するけど、代議制じゃないよ
ギルガメシュがウルクをキシュ王アッガに包囲されたとき、 徹底抗戦案を老人会議で否決されたが、若年会議で可決されて 実行に移す話があって、これを議会政治と看做す説があるね 実在したとして当人の時代の数百年後に書かれた短い叙事詩なので証拠にはならないが、 欧米の歴史本には結構ギルガメシュの事例が冒頭に来てることが多い つか欧米は結構こういう伝承を日本より肯定的に扱うよね 実証されてることとされてないことの線引きは変わらないけど、仮説として展開してみることが多い印象
アーサー王みたいなもんか。
伝承も100%出鱈目ってこともないだろうしな 実在しないと言われてたのが遺跡の発見とかで本当は実在してましたなんて話もあるし 神話とかも創作だからという先入観を一時忘れて参考にするぐらいなら構わないんじゃね
内容の正確さがどうだろうがギルガメシュ叙事詩は聖書のベースにもなってるし 重要視されるのは当然だろうな
アッシリアもアールム(市民会)が国家体制の中核で 毎年リンム(議長)が選出され、「○○がリンムであった年」という紀年法が行われた
王権が確立していない部族社会だと合議制が多いよね
まあ政治なんて一番重要なのは利害調整だしな 派閥が多いと調停がスムーズにいかないし 有事の際は調整に時間かけてる訳にいかんから さっさと決定下せる一段階上の権力者、王が生まれるんであって
ゲルマンの選挙王もローマの独裁官も戦争時に権力集めるための王なり 最高指揮官だよなぁ ヴェルティンゲトリクスも臨時の王だ
ロストツェフのローマ帝国社会経済史読んだことのある奴いる? どう思うあの見解、帝政後期についてのやつ
悪名高き皇帝たち まで読んだ。 ローマの皇帝は、実質的には皇帝であっても、 名目上は「第一人者(プリンチェプス)」「最高司令官(インペラトール)」で、 インペラトール=皇帝 は実態に合わせた意訳なんだよね? 初代皇帝はカエサルではなくアウグストゥスだけど、カエサルとアウグストゥスでは何が違うの?
カエサルは共和制という過去の制度の中で最高権力者になった人 アウグストウスは共和制の建前を維持しつつ 現代の歴史家がいう「元首制」という新しい制度をつくり その最高権力者たる元首になった人物
カエサルは合法的な最高権力者。 アウグストウスは一つ一つは合法だけどつなげると非合法になる最高権力者。
元首制と呼ばんでも王制と呼んだらええやん みんなハーンもスルタンも王でええやんとよく思う。
カエサルは構想者、アウグストゥスは実行者。実際、アウグストゥスが 共和制の建前を守りながら権力を集中していく過程は魔法のようだし、 カエサルが暗殺された頃のローマと、ティベリウスが帝位に就く頃の ローマはガラッと一変してる感じがする。三代将軍家光みたいなもんか。 二代将軍秀忠が亡くなった時、江戸市中では豊臣の残党が攻めてくるという 流言蜚語が流れて大騒ぎになったそうだが、三代家光が亡くなった時は 平穏で何もなかったとか。そんな時代の空気の変貌を感じるな。
カエサルは構想者ではないと思うよ 色々考えてはいただろうけど その構想を元にアウグストウスが政体を考えたとは思えない 伝える手段がない カエサルの幕僚が構想考えててその幕僚引き継いだというなら別だが カエサルは本人で考えるタイプっぽいしな 共和制は効率悪いって思想は受け継いだだろうとは思うが それを構想というほどたいしたものかなぁ
362 :
世界@名無史さん :2014/03/11(火) 10:21:19.96 I
>>360 でもその共和政が危機に瀕してから、元首政になってもクーデターの連続だけどね。
共和政こそ、実力を排除できるいい制度。
>>358 プリンケプス=元首=第一市民。
アウグストゥスは、共和政でない政治体制では、クーデターが起こりやすく、
不安定になるのを恐れてたんだろ。あくまでも、共和政の延長であることのアピール。
実際の政策としてもアウグストゥスは、自分に終局的に裁判する権限があると、
裁判の結果が恣意的なのではと不安が広がるから、法学者に回答権を与えてる。
実は最高神祇官邸のカエサルの書斎には『ローマの新体制について』という 原稿が残っていて、それを読んだオクタが…という妄想
オクタをカエサルの精神的な後継者にしたがる人は 歴史の流れとか後世の目線でものを見過ぎている
>>362 クーデターだと皇帝が死ぬだけじゃん
共和制時代は「内戦」になったんだぞ
なにがいいのかね
少なくとも中級から下層階級にとっては元首制の方があきらかにまし
なのに現代の「開明派」なり「民主主義」を絶対正義とする教条主義者は
帝政より共和制がいいと言うんだよ
有名なキケロのカテリーナ弾劾では 彼の支持者やクリエンテス数千人が死んだ スッラの粛清も大虐殺だった 一方「暴君」ネロが死んだときは数千人も殺されたかね 元首制は責任が一人に集約されるから軍事行動もしやすいうえに 政変での被害も少ないんだよ
>>365 共和政がダメになったのは、第二次ポエニ戦争後、
自弁武装と北アフリカからの小麦の流入で一部市民が没落して格差ができ、
グラッススの土地改革(で、本来の共和政に戻そうとするも)失敗したから。
共和政自体に問題があったわけではない。
そういう時代の変化に対応できなかったから元首制でしょ 植民地持つなら共和制では上手く対応できなかった だから「大帝国」時代には「共和制は効率的でない」ということ 大帝国前提なら「共和制に欠陥がある」といえる 共和制は小さい国でとどまる限り「問題がない」とは言えるけど 君の主張はちょっと現代の価値観に洗脳されてるんじゃないかね
>>365 皇帝一人じゃなく支持派閥(軍含む)と側近は失脚死罪流罪だけどな
帝政期も内戦多いし反論になってないと思うが
時代に合ってるか合わないか制度の中身が重要で
帝政と共和制、制度自体の優劣はそんなにないと思うけどね
おいおい 戦争ならともかくクーデター方式なら軍は無傷だぞ あんたがクーデター方式を例に上げたんじゃないか 共和制ならクーデター方式でも大量に死ぬ 内戦形式ならどっちもどっちだが 制度自体の優劣といってるが共和制で百年内戦が起きたんですが でそれを収めたのが元首制 あんたは共和制でも平和な体制は可能といいたいんだろうが 事実は「元首制で平和な時代が来た」 結局あなたの主張は証拠がないよ
今の金朝北朝鮮でクーデター起こした場合どうなるか考えたらどうか
現代中国、近代日本=共和政 現代日本=元首制
373 :
世界@名無史さん :2014/03/11(火) 16:11:43.27 0
は?
一般的な王制とアウグゥストゥスの元首制ってのはどうちがうんですか。 各自の言語で王に相当する単語(ラテン語ならrex)を使っているかいないかはのぞいて。
元首政はあくまで同僚中の第一人者てとこかな
それだとカエサルとどう違うのか良く分からない。 「どう違うのか分からない」ってのがアウグの狙いなんだろうけど。
いろいろあるけど建前上 元老院とローマ市民の支持が必要なので 彼らの支持がないと皇帝の息子でも皇帝になれん
>>374 一番の違いは身分じゃないかな
375の人も書いてるけど、あくまで同僚中の第一人者に過ぎず、他の政治家たちを臣下として扱うとかそういうことはできなかった
現代的な感覚で例えると、王は陛下と呼ばれるが元首は閣下としか呼ばれない、みたいな。
>>376 カエサルとアウグストゥス以後の違いは
カエサルは独裁官という官職に就き、権力行使の根拠もその官職にあることになっていた
アウグストゥス以後は特定の官職によって権力を行使したわけではなく
元首に対して賦与された諸々の権限を総合してその権限を持つ者を元首と呼び、その権限に基づいて国家を牛耳った
というところにあると思う
>>377 選挙王制というものも存在するので元老院や市民の支持が必要なことは君主であることを否定する根拠にはならない。
元首にとって他の政治家は臣下、これは間違い無い 併し皇帝程権力と権威は安定的でない
> 元首にとって他の政治家は臣下 ってマジ? あくまでも建前では同輩だろ
臣下だったら元首と一緒の年に同僚として執政官になるなんて無理だったろうな
>>380 建前も実質も臣下だは、将軍が太政大臣左大臣右大臣内大臣大納言中納言
と同格かそれ以下だからとは云っても、将軍の臣下には変わり無いのと同じ。
>>382 武家は将軍と官位で同格でも臣下の礼をとってるから臣下で間違い無いし
公家は将軍の臣下ではないだろ
>>378 377のどこに君主でないという主張がみえるんだ?ケッタイな奴や
>>384 「王」って君主一般を指す名詞である部分もあるから
王と元首の違いって話で「王」の代わりに「君主」って言葉を用いるのはそんなに間違ってない
つーか選挙王制の存在を出さない時点でどう考えても
>>377 が一番ケッタイ。
王制と元首制の違いって話で元老院やローマ市民の支持が必要なので云々って意味わからん。
臣下の承認や支持が建前上も必要な王制なんていくらでもあるわ
まあローマ自身の王政がそうだったからね > 元老院とローマ市民の支持が必要
>>386 んなこといったら名目は家臣が同僚である君主制もいくらでもあるわ
選挙王制で有名なゲルマンの選挙王制も単なる臨時大権
「一般的な王」に選挙王制は含まないと考えたからこう書いたんだ
選挙王制はどう考えても「選挙王制」という固有名詞があんだから
一般的ではない
「共和制」という固有名詞があんだから共和制は一般的ではない 「大統領制」という固有名詞があんだから大統領制は一般的ではない 「議員内閣制」という固有名詞があんだから議員内閣制は一般的ではない。。。 それ以前に「選挙王制」は普通名詞ですねどう考えても。 ローマ独自の「元首制」ですら普通名詞です一応ね。
>>389 例を挙げるなら大統領制の中で名誉職型大統領制とかが正しいだろ
あるグループから抜き出してるんだから
>>388 「一般的な王」に選挙王政が含まれないとしてもほかならぬローマ自身の王政が選挙王政だったんだから
王政と元首政の違いを説明するのに元老院や市民の支持を持ちだしてくるのはちょっと違うんじゃないの?
>>390 その名誉職型大統領制も現代では非常に一般的な制度ですね
共和制の官職の権利を何個も一人に集中させてるのが王制との大きな違いじゃね
オクタが立場や権力を手に入れた時は、それがどういう意味を持つのか分からなかったにしても、 例えば護民官特権の拒否権とか、使った瞬間に「あッ!」ってバレちゃうんじゃないのかね?
>>395 「固有名詞があるから一般的ではない」論が不適切なのは間違いないってこと?
まあ同意するけど
>>396 わかってるだろうけどグループの中からより小規模な集団をより出してないので
例示に全くなってない
煽りしかできないってことは反論できないって言ってるようなもんだ
一応皇帝独裁の中華皇帝でさえ朝臣の推戴で帝位に就く建前だから
二度断って三度目に受けるんだっけか群臣の推戴は。 「その器に非ず。他に賢人を選んで欲しい」とか言って。
ローマの場合は民衆に背かれたら終りだけどな
中国の政治家のオフィスによく掛かってるのが『天下為公』の額。「天下を もっておおやけと為す」。日本や欧米の政治家なら、わざわざこんなものは 飾らないだろう。天下が公共のものなのは当たり前だから。やはりオリエント的 というか、全天下が皇帝の私物なんだな。
そういうクソ偽善の文化を儒教で磨いてきたからな ちょっと皮肉を込めた視線で見ると逆に面白い
403 :
世界@名無史さん :2014/03/12(水) 19:26:47.15 0
日本の契約法は、ローマ法と、ドイツ民法学の学説と、中国伝来の印鑑文化の融合 みんな、何をソースにしゃべってるのか分からないから、混乱するときがある。 あと、何を読んでるのかも気になる。
鉄製農具てローマ期は一般化してたんかな
>>403 不動産関係は日本オリジナル要素入ってね?
土地と建物分離
まぁ日本は地震津波、台風等の自然災害が多いから建物は長持ちしにくいからなぁ
407 :
世界@名無史さん :2014/03/12(水) 21:17:33.35 0
まぁ中国は内戦、略奪、放置、煉瓦泥棒等の人為災害が多いから建物は長持ちしにくいからなぁ
>>400 > ローマの場合は民衆に背かれたら終りだけどな
どうだろうか。
ローマ史を読むと「民衆」が疎略に扱われたエピソードに事欠かない。
一方で、民衆の支持が重要だったかのように見えるエピソ−ドも確かにあるのだが…
たぶん、民衆はその都度、権力者の都合によって利用されたのだろう。
餌をやるのは必要なときだけ。用済みになったら不要だ。
程度の問題ですな
>>408 市民であって庶民ではないぞ
軍団も市民だ
>>406 建物が長持ちしやすいかより
移築可能かが重要
日本は建物移築がおおいので分離した
民衆に背かれた好例はカエサル暗殺犯たち
>>411 市民というからややこしくなる
ちゃんとローマの中核部族であるローマ部民と呼べば解り易い
>>378 身分は一国民、実質は並の国家元首以上の独裁指導者だった
カダフィー大佐はローマに学んでいた!?
>>383 征夷大将軍は言わば権威としての天皇を戴いた「エンペラトル兼ディクタトル」
本来臨時職なのが、幕府形式を採る中世以降は無期限になる
肝は政策実行に君主の許可を必要としない「”全権委任”の最高指揮官」である点
君主の実権を無期限で根こそぎ預かっている状態
公家は将軍の臣下ではないが、天皇の全権委任たる権威には従わざるを得ない
統帥権に基づく事実上の元首であり、まさにエンペラトルの訳語に相応しい官職
「武家の頭領」と言う点ではプリンケプスでもある
北条執権は名目エンペラトルである将軍を擁立した世襲ディクタトルになり
実際には統帥権も手中に収める変則プリンキパトゥス
>>416 政策でなく軍事独裁権と土地管理権だから
「法令」は別系統
将軍権力の根拠は『孫子』だそうな。 「将、軍にありては君命も受けざる所有り」の条だと。
へぇー、でもそろそろローマの話しない?
例えば?
ローマの話ならセスタスでガルムと蜂蜜でウナギの蒲焼くってたって言ってるが アレはソースは甘辛かもしれんが付け焼きではないよなぁ? 情報源という意味のソース持ってる人いる?
原典未確認だが「レシピが残ってる」と言われてるから アキピウスあたりがソースじゃね? 古代ローマ蒲焼きは、TBSの世界遺産でレシピ再現してたが 胡椒をどばどば入れまくった辛酸っぱい料理で 味も見た目も日本の蒲焼きとは別物な感じ セスタスはプルスをポレンタと間違ってたなぁ 下手に蘊蓄入れないで格闘やってればいいのに
アピキウス わざとやってるのか?
スマンスマン まあ論文でもよく間違えられてるから許せ
からすっぱい?やはり酢を使うのか 脂多い魚だから酢は合いそうではある
ローマ人の魚好きはやっぱりギリシアから伝来したのかな
>>426 海の幸豊富な地中海に面してるからじゃないの?
兵士の給料を塩で払ってたのっていつだ?王政時代か?
横になって食っては吐き食っては吐きを繰り返していたら、 みんな最近流行の逆流性食道炎になってたんだろうな。
>>427 今のイタリアでも魚介料理豊富だしな
ウナギ料理も近所のブリテンと比較にならぬ程美味そうです
鮮度いいと見せるため売ってる魚に水ぶっかける話聞いて 回転すしと同じヤンとおもった 人間だのう
スペインではウナギの稚魚が人気食材だけど、 最近は漁獲量も減って高級になってきたから、 そっくりに造ったカマボコで代用している。
アナゴの稚魚じゃね?
ギリシア人はタコを食ったらしいけど ローマ人も食ったのだろうか
ポンペイの魚介類大集合なモザイク画にあったなタコ
しかもど真ん中に一番でっかく >蛸
ギリシアの古典みると帝政ローマ期はそれの焼き直しを見ている感 上で出てるウナギもギリシア人大好きだしなー
蛸はコショウ、魚醤、阿魏で調理して供する。――『アピキウスの料理書』
ギリシャ時代だと胡椒はまだあまり使われてなかったそうで 胡椒やガルムをふんだんに使うのがローマの食文化の特色かな アピキウスの本でもガルム、胡椒、蜂蜜がよく使われてる
アピの書物読むと果物にさえガルム使う 「ガルム中毒」っぷりが面白いんだが 大正明治の日本料理の醤油中毒っぷりみると ああ人間はアミノ酸大好きなんやなと思う
タコで思い出したが 例によってキリスト教だと鰻は悪魔生物らしい
聖書に書かれてるかが重要だしな
>>440 日本人とか、今も醤油と味噌と出汁と言う名のアミノ酸漬けだからねえw
キリスト教以前のローマには宗教的禁忌で食っちゃいけないものはあったんだろうか? ガリアでは鳥はダメだったらしいが、
人
ユピテル神官はなんかいろいろ制約あった気がする
鳥占いするぐらいだから鶏肉禁止とか
後でスタッフが美味しくいただきました
449 :
世界@名無史さん :2014/03/15(土) 14:42:41.85 0
Idus Martiae age
何上げてんだクズ野郎
あと少しだが今日はカエサルが暗殺された日
ユリウス暦換算で3/15だから今の暦だとズレるような
453 :
世界@名無史さん :2014/03/16(日) 07:00:45.94 0
王朝名って氏族名から付けられるんだが
一般的にはユリウス・クラウディウス朝といわれる 確かに一国を共和制の建前で支配下というとこはにとるが そのほかのとこは権力者一般に起こりうる話を言ってんだろ 虐殺をしない権力者の方が稀なのに似てるとかW アホかと 基礎的な用語ミスはリンク内容みるまでもなくスカスカだろうと判断できる
北朝鮮が共産主義というより前時代的な中華王朝に近いとは散々言われてる事だな だから金“王朝”と揶揄されてる訳で
カエサル王朝は初めて聞いた 塩婆ちゃん喜びそうな響き
中華王朝だと天下を取った皇帝の一族を各地の王に封じて体制の安定を図るわけですが ローマではそういうことはなかったのでしょうか? 皇帝が一族を各地の軍団長に任命したとかあんまり効かない気がします
帝政期だと子息はカエサルに任命するし 毎回新たな貴族の取り立てやってるよ 例えばタキトゥスの岳父であるアグリコラは内乱終結後ヴェスパシアヌスによって 新たにパトリキに指名された連中の一人 アグリコラはブリタニアで皇帝直轄属州総督として異例の8年という期間を過ごしているが これもそういう信頼関係があってのことかも
それは>
>>458 が言ってる一族を王に封じての血族による支配体制とはまた別だろ
後継者と共同で執政官ってのは良くあるやり方だな 岳父は取り立てるというより 後援してもらうって形態だと思う 皇帝の力は相対的に弱め
>>458 四分統治とか、テオドシウス帝死亡後のアルカディウスとホノリウス(両方とも息子)への東西分割とか
ごめん。ググったら四分統治は別に息子に与えてる訳じゃなかった
>>460 そんなもんはローマにはないよw
その上で似たようなことはないかって聞いてるんじゃないのか?
>>458 は
それとも
>>458 は一族を王に封じての血族による支配体制がローマにあるか聞いてるのか?
だったらこのスレ見る前にもう少し本を読むべきだな
>>460 いや、一緒だよ
支配体制としての
>>458 は現実の中国には存在してなかったから
現実に即せば同じ事を書いてるに過ぎない
コンスタンティヌス1世やヴァレンティニアヌス1世は息子や弟を副帝とかにしていた
>>466 はい?呉楚七国の乱とか八王の乱とかご存知ない?
ユリアヌスも最後の血縁だからってことで兄貴が死んだ後 クソのべったりついたパンツを押し付けられた でもうまく洗濯して履いた そしたら皇帝歓呼されて死にかけの皇帝から後継者氏名 だっけ
>>464 その程度のこともググらないと分からない程度の知識なら、無理に書き込むなよ
>>470 上に書いていた分割と混同してたんだ……
やっぱ高校世界史程度のにわかにゃまだ回答するには早すぎたか。ROMってるわ
>>468 血族による支配体制ではなく、藩屏の確保だよ
郡国制と血族による支配体制は全く別物
ローマの場合は封建封国制だけどね
>>471 気にするな
此処の住民は生活には全く役に立たん浅い知識で相手を馬鹿にできる
オタクどもだ。
>>473 ローマは中世や中国の封建制とは明らかに違う
へんな用語や
>>475 帝政期になると漸く封建制段階へ進んでるよ
封建制は一般的に世襲の事が多いけど、必須条件じゃないし
君オリジナルの用語と史観だね
封建制は割とよく知られた歴史用語だよ、ネット検索すれば解る
レーン制と言ってみるとちょっとかっこいい>封建制
まあ、当然だが基本的に軍団を率いる皇帝管轄属州の総督とかは 皇帝の息がかかった人間が選ばれる だから騎士階級上がりの人間が多い、後期になるにつれて軍人は騎士階級が占めていくけど その先鞭とも言える ドミティアヌスなんかはドナウ方面があやしくなると自分の親衛隊長官を総督に任命している 見事に敗北してくれたが
放送大学でたったいま廃教者ユリアヌスに触れたところ デイオクレティアヌス帝からテオドシウス帝
排球者ユリアヌス
バレー選手ユリアヌス
カエサルやスキピオも花粉症だったのかな?
ウェスパは元老院の入れ替えとかやってるもんな 人の粗探しして昇進を取り消すだのボロカスに書き残されるだけはあるな
元首制の皇帝は人間くさいのに絶対君主制になると良く分からなくなる ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスはどんな人物だったのか
>>489 途中までだが面白く読ませていただいた
雷捏造説とか狂犬子飼いとかアレンジしてあって面白い
だがディオクレティアヌスの人格は分からないね
軍事が忙しすぎて個性は政治の仕方で理解してくださいってか
そういやロマ物で塩野先生が感じた人物の笑ってるイメージというのがあって カエサル→呵呵大笑 アウグストゥス→微笑 ティベリウス→苦笑 ディオクレティアヌス→笑ってる姿が想像できない だったらしい ティベリウスでさえ想像できたのにって言ってたな
そのぶんマクシミアヌスが大笑い
俺の中のディオクレティアヌスさんはキャベツ抱えてドヤ顔してるよ
アウグストゥスは彫像からして微笑してるように見える
アウグストゥスは暗黒微笑だろうな
スッラとかどういう笑い方するんですかね・・・
>>496 ハハハと口を開けて笑うが目が笑ってない。
>>496 プーチンさん見てればなんとなく想像できるような……(俺のイメージ)
そういやスッラも東方諸都市に借金させて返済要求出してたな……
カリグラは自分に悪意はなくやんちゃに笑ってそう クラウディウスは苦労人らしく一人寂しくハハハ…ハァと溜め息交じりに笑ってるだろう
>>498 プーチンはスッラよりアウグストゥスのイメージ
オクタはプーみたいにマッチョを売り物にしてないだろ。少なくとも表面的には ソフトなイメージを演出しようと努力はしていたはず。端々に冷酷さが顔を出す のはやむを得ないが。
独裁者で無いことをアピールしつつ独裁者だったからな 元老院では無能議員の無駄な議題を我慢して聞いてたらしいし 優秀な人材は各地に行ってるから
笑い方の話じゃなかったのか
このスレは今からローマ人の笑い方スレになった!反論は認めない!
>>490 実際どっちが主流なんだ?
砂漠で落雷があるのはまだしもそれが直撃して皇帝が死ぬとかどんな確率だ?
しかも部下たちもあんまり明確な証言のこしてないって…そら暗殺言われるわ
しかし長嶋はオッケー! という昭和のギャグ
やはりここはオッサンの巣くつ…!
>>509 このギャグが時代背景わからんからギャグとわからんという世代の方が多いだろうね
2chは30代おおいそうだが
30代でも歴史オタの集まるスレだからあるていどわかる人いるだろうが
普通の30代以下ならわからんだろうな
キンキナトゥスの訓話とか古いんだよオッサン!とか言う パンクなヤングマンはいなかったのかなローマには?
カリグラ「呼んだ?」
カリグラってヨセフスの本だとかなりマトモよね
ローマ皇帝の各職位の任期って法的にはどうなってたの?
普通に執政官は2年でやってたよ 護民官は終身やしインペは称号だし
帝政期の執政官はそんなに長くないよ ドミテティアヌスなんかは最も名誉とされる年初の執政官を務めまくって しかもすぐ辞めてたから(その後は補欠執政官が継ぐ)タキトゥスなんかは 元老院議員には名誉が与えられず、執政官の名誉も軽んじられるようになってしまったとボヤいている 執政官職の歴任はフラウィウス朝の皇帝に共通することだけど おそらく権威付けと継承の確認のためだろうね、親子で就任も多い
まあ身分低いのが武力で皇帝になったものな
何をおっしゃいます、陛下の先祖はヘラクレスであると私は確信しております
馬鹿にしてるが我々日本人の源平は天皇の子孫だから 先祖は神だぞ 人口のたぶん3%かそれ以上が神の子孫を自称してた国家がわが日本だ
皇室に限らずとも普通の日本人は氏神祀ってんだから神の子孫ばっかやろ
つーかジャパンは死んだら悪人だろうと無縁だろうと神様仏様言うて崇める国でございますし ウェスパシアヌスじゃないけど「かわいそうな俺、神になるんだろうな」が昔は平常運転というか
神道でも神さまになれるのは神に上げる儀式をされたものだけだし、 その儀式を行ってもらえるのは善悪どちらにしろ偉業を成し遂げたものだけ。 仏教でも死んで戒名貰えば仏弟子にはなれても仏にはなれないよ。
無縁仏ってあれ仏じゃないの?
江戸総鎮守 神田明神の祭神は平将門です!
よく日本人は死んだら罪は水に流すとか言うけど、 恨み骨髄に達すれば死んでも許さないし、中国ほど例は多く無いが死体を損壊する事だって無くはない。
希少な例を引っ張ってきても一般化は出来んぞ
たたりを恐れて悪神でも祭る風習があるということ 水に流すでなく
どのくらいの数になると一般化されるの? 中国人だって韓国人だって墓があればどれでも壊し、死体があれば誰でも踏みつけるわけでもないが、
>>523 基本祀られるのは祟り神になる恐れのある奴だよ
政治的敗者とか不吉な死に方した奴
文化大革命や王朝交代で皇帝の死体を焼いたり 漢奸とやらの人形につばを吐き続ける風習は日本にないな
落語とかで幽霊が出てきて「私は仏(亡者)でございます」と言うのがあるが 成仏してるなら迷ってでるなや
日本ではせいぜい、 物部守屋の祠が壊されたり、 豊臣神社が壊されたり、 石田三成の先祖代々の墓が壊されたり、 河井継之助の墓が壊されたり、 そんな程度だわな。
豊国神社な
日本じゃ代々の権力者が表向きは天皇の下、日本を収める的な立場だから 古き支配者の世が終わったことを知らしめる必要がないのかも
薩摩では幕末まで、若い奴に処刑された死体を損壊させることで度胸つけさせたりしてたらしい。
刑場のさらし首を取ってくるなどの度胸試しは、侍の子供達の間では よく行われた。必ずしも薩摩のみとは限らない。
薩摩の肝とりは、死体を割いて肝を奪い合う。 あそこはちょっとおかしい。
今月の日経サイエンスに 古代に作られた鉛製品は不純物が少なくて 現代の鉛よりも放射線関連の研究に適してるってことで 物理学者がローマ時代の鉛を買い漁って鋳潰して放射線遮蔽材にしちゃうんで 考古学者がブチ切れてるとかいう記事が
鉛の純度なんて、純度を上げるだけなら現代だって出来るんじゃないの? どんな金属でも純粋すぎると逆に使い勝手悪いからやらないだけで、
昔の鉛の方が放射線を被爆してないからっていう理由じゃないの? 今は地下核実験とかで数値が高いから
業者に発注して一から作るより、今あるのを活用したほうが安上がりだわな。
ローマ時代の鉛が相当量簡単に手に入るっていうのがまた凄いじゃないの
古代鉄でも同じことして考古学者から目の敵にされてるらしいな物理学者 考古学的調査前に何も考えずに潰しちゃうらしい まあ、学者らしいといえばらしいけども
美術的価値があるわけでなし、 記録といくらかのサンプルがあれば実物は要らないんじゃないかって気もするがな。
現状保存が基本の学問だからな
物理学→現在が大事 考古学→昔が大事
>>545 そんなこともしないでいきなり潰すらしいぞ連中
考古学では、その形状や紋様すら研究対象なのに、サンプルだけあっても
仕方ないわけだけど
帝政後期のローマてすげーブラック社会に見えるんだが 当時の人々はどう思って生きてたんだろうな 末期にはさらわれてフン族の戦士として生きてたローマ市民もいたよね 使節にローマよりフン族の社会のほうが良いとか言ってた
当事者ってのは近すぎてわからないんじゃないかね 旧ソとか独立した元植民地諸国、最近じゃ東ティモールなんかもそうだが、 独立したり崩壊する前は独立を願って運動に参加するわけだが、 旧体制が崩壊して見ると逆に生活レベルが下がったり、プライドを支える物が失われることもある んで、旧体制の時は良かった・・・とか懐古することもある もちろん、それでまた旧体制に戻ったらやっぱ自由な方がいい!とかあるんだろうが
立場にもよる 老人は新しい社会になじめず文句言う奴多い
共和制時代でも農場やらガレー船やら鉱山で働く奴隷は 帝政末期の市民よりブラックだったりするわけだしなあ・・・
まあ戦争捕虜多かったし 使い潰して文句が出なけりゃ待遇悪いわな
あの時代は税金凄まじいからな 主に戦争税 消費税にして15パーセント位は常にかかっていたんじゃないか
557 :
世界@名無史さん :2014/03/30(日) 17:40:29.20 0
相続税みたいなのってあったの?
人権意識をこじらせている現代日本人の目から見たら現代日本ですらブラック国家だろ、
間接税は5%だったろ 可処分所得にたいしてどうとかのはなしか
共和制とか帝政初期→都市参事会員になるのは超名誉、金かけて選挙活動 帝政後期→どうか都市参事会員に選ばれませんようにという碑文が残る どうしてこうなった
碑文とか落書きって面白い内容の多いよな 書いた本人は切実なのかもしれんが、笑ってしまうw
2chの書き込みみたいなのもあるのかなあ
563 :
世界@名無史さん :2014/03/30(日) 20:50:33.05 0
ポンペイにもてない男がリア充シネやって書いたらくがき残っててわろた
剣闘士のランキングとかあったな パンピー<駆け出し<ベテラン<達人<イケメン イケメンのが熟練者より上扱いってもう興行だよね
イケメンだと対戦相手がいきりたって普段の1.2倍の強さを発揮したりしないんだろうか?
>>560 行政制度が未整備な時代の貴族→役職の権限フル乱用して収奪ヤッホーい!
行政制度が整えれらた時代の名門→役職とか役務負担ばっかりうぜぇ‥
剣闘士もプロレスみたいにプロモーションとかあったのかなあ
都市参事会員は名誉職だから収奪はないんじゃないか むしろ公共負担を自分で引き受けたり選挙活動したりと出費はかさむような
今でも裏で好き放題できる権力があるのに 表の栄誉を求めてる人多いしな 現代だと給与も権限も与えられて更に利権獲得できるけど
教科書の「オドアケルの王国」の異様さは異常 東ローマ帝国からパトリキウスとして認められたら別の表記になってたのだろうか
やっぱローマといえば西城秀樹だよな
ちょっとなにいってるかわかんないっす
ロォマァッッ
そりゃローラ って古すぎてわかりにくいし、わかってもさほど面白くないという
>>568 直接的間接的に得られる利権を貪るからのメセナ思想
貪ったもんは還元しろってこと
田舎大名でも名誉職で得られるものは想像以上
似たような例は、芸能人もゲージュツ家連中も叙勲の階位に比例したギャラ含めての格上げ
ローマだけ例外って?んなわけない、古今東西同じ穴の狢ってことさ
今の日本じゃ、村議会やら町議会やらの腐敗は洒落にならんものがあるな
そりゃ給料とある程度の権力(幻想)があるからな 市町村までは無給にしてやればいいんだよ。金に困ってない奴が政治はやれば良いんだ
元老院が名目無給でも、法整備で得られる上がり(ピンハネまたは搾取)は桁違い 元々王が半分持って行って残りを側近で分配するか、王を放逐して側近のみで分配するかの違いだけ 貴族の立場なら後者のほうが美味しい訳で、寡頭支配体制で得られる膨大な利権を手放す真似なんぞしない 自分たちで法律作って自分たちで分配できる訳だからな 大衆を押さえ込むにはワンクッションを置いて、その憎しみをワンクッション層に持って行きゃいい そのための騎士階級で、アフリカインド東南アジアに現地支配層を置いた植民政策とあんまり変わらん 華僑を現地支配者に仕立て上げて憎しみを持たせるように仕向けたオランダなんて、その骨頂 違いは一神教による洗脳で、要はより狡猾になっただけ
妄想でかたるのはやめい
お前阿呆だなぁ たとえ事実を全く知らなくてもお前の話は明らかに「したらいい」 とか自分の妄想であることは自ら明示してるから具体的事実しらんでも もう論破完了済み 次に主張する側が事実を出す問い基礎しらんのか 基礎的知識の欠如を指摘すると騎士階級というのは騎士を兵役として負担できる 富裕層であって元老院議員になるやつらも出てくる階層で分割統治なんてできん 法整備で得られる利権ってなんだ リキニウス・セクスティウス法とかのこといってるのか 意味不明 王が搾取ってお前いまさらマルクス主義かい 王が半分って根拠は? 具体的事実とやらは「主張するお前が事実をだす」んだよ
騎士階級が兵役負担する富裕層なのは中世西欧な ルームの騎士階級は貴族血統でない地方有力者、富裕層 地場での権力をルーム帝国皇帝軍に認定して貰う為には奉仕が必要
いや騎士階級が兵役負担する富裕層なのはローマも変わらんだろう 塩婆の本でも書いてるレベル 帝政が進むに従い、元老院議員に変わる高級軍人として専門職化していったのもこの階級
兵役負担するんじゃなく兵役負担した
むしろ中世だと騎士の身分は王侯貴族領主クラスのもの 騎士階級が元老院より下なローマと違って
王侯貴族と只の小領主でしかない騎士階級は別物
というか中世もローマも騎士というのは流動性の高い階層で 血統関係なく地方有力者や富裕者、一般の有望な人物といった連中から絶えず補充されていた
中世の騎士は封土をもらって軍役を負担する階層 ローマのは「騎士を兵役として負担できる程度の財産家」ということ 富裕層なのはそうなんだが兵役としての騎士が元々は存在したということをしらんのか なにがルームだ こういう知ったかはいいんだが基本的な知識がない知ったかは困る
中世西欧の騎士は給地を拝領して奉公する身分 ローマのは騎士役を負担可能な富裕層の中、特権と引き替えに軍役を負担する家門ということ
こういったモンは当時の文献以上に落書きが重要 落書きこそ大衆の生の声で当時の建前と本音の違いを知る手掛かり なかなか見つからないだろうがね
俺もローマの騎士階級は資産家とかだと思ってた 大富豪クラッススこそ有名な騎士階級出じゃないか
中世の騎士階級は地方小領主層で、要するに武士と同じもの。 ローマの騎士階級も土地は持っていたろうが、中世封建制の 独立勢力のイメージとは違うな。
要するに騎士って自腹で戦闘装備用意出来て訓練も積める資産持ちの事だけど 封建時代とそれ以外じゃ土地持ちのステータスが大分違うからなあ
中世の騎士は領地内の警察権や裁判権まで持ってたわけだが、 ローマの騎士階級はどうなの?
んな権限は無い
ローマの場合は領地内というか家内だよな 領地みたいな王による安堵じゃなく自然権に近い 一門眷族血縁地縁の家父長権
ローマでいう騎士階級は単にある程度の資産を持ってる層ってことじゃないのか? 貴族として認められるには自分がパトロンとして振舞うべき平民が親子代々いるけど 騎士には精々自前の奴隷ぐらいがいる位の事だと思ってたが違うのか? イギリスなら爵位持ちが貴族で年収がどんだけ有ろうと金持ちなだけではジェントリって扱いにしかならんみたいに
古代から中世への変化ってよくわからん。日本でも古代には口分田とか 公地公民制とか、強力な権力がなければできないはずなのに、中世に なるとグダグダ。「平安時代には三百年間死刑が行われなかった! それだけ平和だったのだ!」とか昔の教科書に載ってたが、今考えれば 京都の朝廷の警察権が機能してなかっただけじゃないの?という。 今昔物語集とか、盗賊山賊がいっぱい出て来るもんなあ。
連レス ヨーロッパの場合は、ゲルマン人が悪いんや!で済むが、日本は一応 同じ民族のままのはずなんでよくわからん。
古代:西ローマ帝国滅亡まで 中世:東ローマ帝国滅亡まで 近世:神聖ローマ帝国滅亡まで
ローマ帝国は後期古代
ビザンツがどうしたって?
中国は清朝滅亡まで古代?
残念、今も古代だ
中世はスペインとオーストリアの分裂までかな 中国の区分けは、漢の滅亡までが古代 五代十国の終焉までが中世、中共成立までが近世、改革開放までが近代
キリスト教圏ならルネサンスでカトリックに懐疑的な風潮になる以前が中世だろ
中東はヒジュラ以前が古代 ヒジュラ以後が中世
日本は聖徳太子誕生時を境にするのが一般的だな
日本の司法は中世らしいですよ?
明日、韓国へ行って下さい、本当の中世を味わえますよ
>>602 紀元前625年から紀元後651年が古代ペルシャ時代=古代後期
>>605 西晋の滅亡までが古代
東晋から唐までが中世前期
五代十国から明までが中世後期
清朝から中共成立までが近世
前漢から西晋までが人口6千万人以下 東晋から唐までが人口6千万人以下 五代十国から明までが人口1億人以上 清朝から中共成立までが人口4億人
いいかお前ら此処はローマスレだ わかったら出て行け
>>616 69年間居直り強盗してきた民族が出て行く訳無いだろw
ローマスレって何故か中華中華うるさいのが湧くんだよなぁ まるでゴキブリのようだ
中世は中華世界の略
じゃあ古代はなんの略だ?
古代中世近代っていう枠組み自体が社会進化論的発想だけどな 原意を表すならギリシアローマが古代で、 ルネサンス期の今ようやく目覚めて近代 その間の暗黒期を中世と呼ぼうとかいう単純な発想 まあ中世だなんだと言う前に定義を決めようじゃないか
>>618 中華コンプなんだろ、同時代のローマより進んでたシナ
中華の方が進んでたっていう考えそのものが一方的だけどな
科学面なのか、インフラなのか、政治経済なのか、大衆の暮らしや民度なのか…具体的な比較が欲しいところ 文化芸術は双方共に甲乙つけがたい印象
全てにおいて中華のほうが進んでたと思うが 文化芸術は比べられないけど、ローマご自慢の街道も水道も中華にはあるしなあ 冶金術に関しては冗談抜きで数百年先だ
あー、攻城兵器はローマのが進んでたかもしれん 確かモンゴルくるまで投石機とかは人力だよな中華
建築技術ではローマが優れているとこあるな ギリシアの科学もかな 街道は造り方ちがうしなんとも 中華のハン築も優れてるしローマのコンクリも優れている
ローマ暗黒史観?
>>629 建築は石と竹木で材料の違いがあるから一長一短あるけど
科学はどう考えても中華
>>628 投石器は後漢代が砲弾3〜5`で射程距離400b強
隋唐になると砲弾20`前後で射程距離300b弱だから人力とはいえ高性能
ローマに限らず春秋〜漢〜三国当時の中華の自由度を知りたいですね 庶民が大っぴらにご政道や帝周辺を批判できたのかどうか?とかね お畳奉行の鸚鵡籠中記みたいに、実質庶民視点の書物なんてないかな?
もし庶民が中国の皇帝に、ならばあなたには統治する権利がないと言ったらどうなるか
キング=神なオリエント以東と 神は別にいてその他にキングがいる西洋とかいう分類されることもあるけどそれっぽい 中華じゃまあ政道批判はタブーだったから竹林の七賢とか諸葛亮みたいに 世の中から逃げて愚痴ってるのがメジャーだったんじゃね もっとも中国の場合は儒教とかいう古いものが正しいという思想があるから 卵か鶏かじゃないけど元の基盤があったから儒教なのか儒教があったから政道批判不可なのか難しい そのあたりから停滞してる感じだわ
籠城戦で人肉喰ったというのは本当なのかね ローマ史や日本史じゃそういうのないけど
いや庶民が自由だから先進的とかそういうのはないだろ それこそ現代的なものの考え方だ ローマというか包囲された側だがアレシアやヌマンティアとか 日本史だと秀吉の鳥取城攻めとか 近現代だが太平洋戦争の南方戦線じゃしょっちゅう 極限状態ならそう珍しくはない
南方戦線でのカニバリズムの真相を追うドキュメンタリー映画があったなぁ 「兄は食べられたんですか!?」って追い詰める人に向かって、コタツの上でミカン使って淡々と説明してたよ 最初は白豚(米兵)黒豚(現地人)で誤魔化してた人もいたが… キネ旬人気No.1にもなったりしてた
>>636 篭城戦での飢餓からのカニバは世界中にあるわ
中華が特殊なのは客をもてなすため嫁をバラして食わせるなんてのが美談として残るところ
>>636 日本だと鳥取干し殺し
十字軍は攻城戦の示威行為の為に目の前でバラして食ってるし
半島じゃ飢饉の年は春窮になるとちょくちょく食べてる
>>634 一度目はキチガイ扱いされて棒叩き100回
二度目は長城修築五年の刑だな
三度目は死刑だろう。確か似た様な逸話があった筈
中国の食人は文化の域だからなあ…w
唐代には飢饉でもない平時に市場で「両脚羊」が嗜好品として売られていたという話が。
天明の飢饉の際、南部藩では人食い狩りが行われたという記録がある。 飢餓に耐え切れず人を食った者を、村人総出でリンチに掛けたという。 藩ではリンチを禁止して、代わりに侍が人食いを斬る措置を採ったと。
二本足の羊か 味が羊に似てるから、がネーミングの由来だそうだが…gkbr
>>642 20〜21世紀でも食ってる疑惑あるのが凄いよね
バーバリアーン
その頃の話だが、ある百姓の女房が飢えで狂い、自分の子供を殺して食って、 村人に追われて山に逃げ込んだという。そして山から下りては村の子供を 襲って食ったので、村人は山狩りをしたが、女は力が強く敏捷で、飢えに 疲れた村人ではとても捕らえられず、ついに隣村のマタギを頼んで鉄砲で 撃ち殺したと。
食人で体力あるって皮肉だな
>>645 食人事件は最近も米とドイツとウクライナで実際にあったな
一番非道いのは米で複数件起きてる、イメージ通りではあるけど
飢餓での食人は聖餐、カルネアデスの板と言われ 狂人が起こした事件は犯罪となる しかし社会が食人容認してるのは何と言ったらよいのかねぇ?
異教徒なら殺人、食人してもいいのがキリスト教だから仕方ない
人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、 わたしはその人を終わりの日に復活させる。 (ヨハネによる福音書6章)
極限になれば捕虜や罪人、それでも足りなきゃ力の弱い女子供から、それが嫌ならバンザイ突撃
確か中華で自分の子供と他人の子供を交換して、の話もあるでしょ
ジャングルならまだ草木や虫もある、でもそれすらロクにない城郭内の極限はより以上かと
>>651 聖書が絶対で、聖職者の解釈によって緊急措置が取れるシステムがキリスト教
曹操を嫁自身の煮込みでおもてなしってな逸話も状況によっては忠義で美談で肯定的ってなシステムが中華
ローマが何を免罪符にして食人していたのかが気になる
>>645 大躍進()の結果食人が蔓延したんだって
これだから派手に焚書坑儒やらかす国は
随唐演技とかでも食人が趣味の奴が居るけど、 そいつは人間を食べる頭のおかしい奴と描かれているけどね。
アンデスの聖餐
アンデスの聖餐は大問題になったが教皇庁が許しを与えて終息したな 北朝鮮の人肉カプセルの記事でも思ったけど 人肉を倫理問題にせず加工し流通までさせるのってマルクス主義の影響が強いと思う 無論飢餓という背景もあるわけだけど
マルクス主義じゃなくて倫理を超えた効率の結果 倫理を超えた合理性効率性の行き着く先は肉牛への牛骨粉飼料 共食いではないが、遺伝子組み換え作物と除草剤のセット商法が効かなくなって 雑草被害で収穫が大打撃中ってのもあるし、暗闇の中で育つ毛のない鶏工場に後色々と 倫理面から非難するアメリカなら大笑いの次元 てか北じゃなく北ルートの原料もある中国製でしょ?
思想という種は受け入れる土壌によって芽吹くものが変わってくるわけで 中共のはマルクス主義と中華の伝統的な価値観が融合した結果
珍説「マルクス主義以前には人肉食は無かった」
南方熊楠も人肉食について論文書いたんだっけ
文明レベルの人社会では平時に共食いしてたら秩序を保てないからだけだろって カンニバリズム自体は人以外なら平時でも割とあるんだしな 子連れの親猫をけしかけりゃたまに逃げずに子供を食い始めたりするし 穏やかな社会を築いてるイメージのボノボだって、人から見たら容姿一緒のチンパン集団を襲撃して食ってるんだしな そのチンパンも共食いするし…
>>661 大気汚染が酷いのもマルクス主義のせいだなw
まあソ連も公害がひどかったしな。独裁が必然で増産が至上の 社会主義国家では公害に歯止めが掛からないのかもな。
古代ローマにも公害はあったの?
「味が良くなる」と噂の鉛食器による鉛中毒があったらしいが、 ああいうのは公害とは違うか?
鉛の水道管はこのスレに来る人には常識じゃないの?
ローマの鉛中毒の話が怪しげってのも常識じゃないの?
672 :
世界@名無史さん :2014/04/09(水) 21:23:33.09 0
流しっぱなしの鉛道管に鉛毒は少ない
でも当時のきついワインは鉛のグラスで呑むと甘くなって飲みやすいって話は広まってるよな
そんな話になってるのか、ワインを鉛の鍋で煮詰めて甘味料を作るとは聞いたが
緑青に害はない
子供時分の学校で、普通に緑青は有毒と教えてたのは何だったんだろうな 人文教科で間違いをプロパガンダしまくるのは常態だけど、理系じゃ珍しいような
銅に混じったヒ素が猛毒という事
重金属とかなら発掘された遺骨からわかるし そういうのがないならなかったんじゃね
鉛の水道管とか昭和の定説じゃ… 最近このスレ加齢臭強すぎんよー
鉛の水道管は都市内部だけだよな 但し何故鉛だったのかは謎だけど、陶器で作ればよかったのに
陶器なんてすぐこわれるじゃん 柔らかいから加工しやすく手でまげれるから本当に便利 どんな複雑な地形にも合わせれるぞ 廃棄された鉛管で小学校の自由課題つくったが 小学生でも簡単に加工できた
水道管用途の分厚い陶器にすればそうそう壊れないでしょ ローマって鉛の産地だっけ?
683 :
世界@名無史さん :2014/04/11(金) 17:50:10.79 0
陶器で水道管wwwwwww 小学生の発想wwwwwwwww
フロンティヌスの水道書には最良の水道管は陶器製と書かれてるよ ただ耐久性や量産性で鉛のほうが便利だそーな 邦訳出版されてるから興味ある人は読んでみ
あ、すまん邦訳は出てないわ
変な煽るやつは無視するとして そういやペトラはそうだったな どうでもいいがここは地震の多い日本でしかも地下に埋めるんだしなぁ コストでも陶器はこーキング材必須になるしどう考えても 敷設コストがすごく高くなるだろう 陶器なら木材のほうがましじゃね? 水道博物館にあるが江戸時代で木製の閉管(水の詰まった管)でサイフォンで U字型に水送ることもしてるぞ
いつから日本にローマ式水道を敷設する話になったんだよw
イタリアも地震多いよな
セラミック製水道管ってなんか未来な感じ
地震多いと言っても日本とはレベルが違うぞ ローマ世界ならギリシャとかシリアのがやばい アンティオキアなんか都市壊滅してるしな
キリスト教が無かったら西ローマ滅亡後ローマ世界は四分五裂してただろうな
>>691 場所による
ポンペイとか地震で壊滅した記録あるし
ギリシャとは大差ない
ポンペイは火山の火砕流だろ
ああ、すぐ再建されたやつのこと言ってんのかスマン
62年のな 年代記じゃ壊滅と書かれてるからそれなりの規模 まあ近くに火山があれば地震はあるよ
とりあえず都市のインスラとか見る限りローマ人は地震に対する考慮とかしてないんじゃね 水道橋とかはどうなんだろうなあ(こっちは水道管というか石造だが)
2000年後にも残っている程度には強い
IMFの助言を受け入れて未だに低迷にあえぐアルゼンチン IMFの助言をはねつけて東南アジアではシンガポールにつぐ経済発展を遂げたマレーシア
当時のローマ人も経験則で地震の多い地域とか漠然と知っていたと思う ドットマップとか作れば水道橋の場所と活断層とか分布の相関が分かるんじゃ、 というかそれくらいはやっているか、
地震の多い場所があってもそこに都市があるなら水届けなきゃならんわけで、そのへんは関係ないんじゃね 水道橋は高低差の必要上、しかたなく作られてるもんだし
同じ場所で大地震が起こるのなんて日本でも何十年とか何百年に一度だしね
水道橋は壊れても又造ればいいしな 原発はそうはいかないが
水道橋とかは地形上の関係で作られた水道の一部、ほとんどは坑道。ローマ人 も可能であれば全部地下式にしたかっただろうけど水源と供給地とその間の高低差で 止むを得なかったんだろう。
705 :
世界@名無史さん :2014/04/13(日) 13:52:28.25 0
ローマの水道で、風車とかの揚水はきいたことないね。
風車はかなり地形を選ぶと思うぞ
風車は古代にはなかった気が アラブでも十字軍で普及したとか何とか
あ、すまん逆
少なくともヘロンの風力オルガンがあったんだし、風力を動力源にする発想はあったと見ている でも奴隷や下層市民たちがいるからな 「余った奴隷どーすんだ?」って言われりゃねぇ
風力はあまりにも行き当たりばったりすぎるよ 確実性がまるで無い 仕事の納期が決められない
712 :
337 :2014/04/14(月) 12:29:01.95 0
地中海地域は風向きがコロコロ変わるから風力は使いにくいね 逆に一定の方向の風が定期的に吹く西岸海洋性気候だと、風力は 有力なエネルギー供給源
北アフリカの砂嵐が地中海を越えて来るんだもんなぁ
714 :
NDB :2014/04/14(月) 14:56:35.06 0
剣闘士ってグラディエーターが正しいの?それともアウクトラトゥス?
715 :
世界@名無史さん :2014/04/14(月) 15:04:26.50 0
>>675 それって最近の精錬技術が発達した銅の話では?
昔の銅管や鉛管はどうだったの?
エーっトまず基礎知識として灰吹き法など精錬技術が未熟なうちは 砒素を始めとするする不純物が銅には混じっています 次に近代においても銅を加工しやすくするためかつて砒素が添加されたことがありました そういう銅製品なら毒とはいえます
鉄とか銅とかの精錬は中世ジャップランドでも ↑99.5%の世界だけど
どっちにしろ内側に石灰層ができちゃうからあんま害はないと聞いた
銅が灰吹法てのがよくわからんのだが古代は還元精錬が普通のはず ヒ素みたいなのが出るのは青銅作るときに錫減らして鉛使った場合だが コレも取り除くのは比較的容易
720 :
世界@名無史さん :2014/04/14(月) 19:28:39.15 0
つまり「緑青」は毒ではないか、 「昔の銅器に浮く緑の錆」は毒であっているということか。 「緑青は毒じゃないんだぜ!」とそういうのを気にせず使うのは危険と。
721 :
世界@名無史さん :2014/04/14(月) 19:33:03.19 0
>>717 日本の銅は吹きなおしで金銀が取れるので人気だった
いつのどこの中世ですか
その辺は精錬法によるからどっちも正しいんじゃね 天然銅は良質なものならそれ自体で純度90%超えるのも珍しくないし 奈良時代や平安時代の発掘された銅製品でも97%超えてる そもそも鉛も銅も再精錬で貴金属取るには相当量用意しなきゃならんしね 反射炉が出来た後の98%粗銅からでも貴金属とってた そのまま製品にするような銅かインゴットかてことだろう
ただまあ問題は純度の高い銅が当時それほど必要されたかってとこかな 今はエレクトロニクスやらなんやら発達して需要は多いが 銅は基本的に柔らかい金属だから 技術的には可能だったろうがそれほど普及はしてなかったと思われる
730 :
世界@名無史さん :2014/04/14(月) 23:33:28.97 0
話変わるんだけどさ、タキトゥスとか読んでるとよく、 「われとわが身を〜〜」「われとわれ〜〜」って表現が良く出て来るんだが、 これはどういうニュアンスなの?
和約が古い気がする。 該当箇所の英訳をネットで検索すれば見えてくるんじゃないか? I myself knew nothing of Galba
どうせ翻訳するなら2バイト文字にしろや
>>730 「我と」を付けると「自分から進んで」「みずから」みたいな意味。
734 :
世界@名無史さん :2014/04/15(火) 10:13:57.70 0
ローマという町が造られたのは、伝説よりも少なくとも100年以上前の、
紀元前9世紀だったことが判った。↓
・・・Next week, the city will celebrate its official, 2,767th birthday. According to a tradition going back to classic times,
the brothers Romulus and Remus founded the city on 21 April in the year 753BC.
But on Sunday it was reported that evidence of infrastructure building had been found, dating from more than 100 years earlier. ・・・
http://www.theguardian.com/world/2014/apr/13/archaelogists-find-rome-century-older-than-thought
蛮族ラテン人どもが先住民をぬっ頃して入植したんだろう
ラテン人愚連隊の規模がデカくなって、食い扶持を維持するために集落を襲って奪ったってことでしょ? そのほうがむしろ合理的で自然 土地だけ奪っても建材もなきゃ工場も職人なく田畠もない だから延々と返り討ちに遭うリスクのある盗賊巡りで定着できない訳で 定着しようとすれば武力差を背景にした周辺へのカツアゲにミカジメの実質奴隷扱いだが それも匙加減間違ったり凶作になったら周辺国連中が音を上げて命がけの大逆襲を始める筈
2ちゃんねるも分割統治の時代か
フラヰウス王朝→net 石人が大量に埋まってる巨大遺跡→sc
>>734 伝説なんて盛りまくりが普通なのに、史実の方が古かったのか
ローマ神話以前から人が住んでいたのは土器やら発掘されてたので知られて た。まあ当時は人間よりオオカミの方が多い位の田舎だったんだろう。勢力も 10キロ離程度しか離れてない隣町に攻め込む程度だからたかが知れてる。 兵力も男手総動員で1000人程度しか出せなかったんじゃないかな。
千人もいないと思うw
742 :
世界@名無史さん :2014/04/17(木) 05:37:48.18 0
人里があったかどうかと、そこがローマだったかどうかはまた別問題じゃね?
メソポタミアだって、農耕を始めたのはウバイド人たら言う謎の 民族で、それを征服したシュメール人が文明を起こしたんだからなあ。
>>735 >>736 ローマ建国の神話から考えると、
ラテン人がギリシャから流れてきた連中に征服されたんだろ多分
宗教も言語も最初から違ってんだからその可能性は低いだろう。素直 に北方から移動してきたラテン人が定住したと思った方が良いのでは ないだろうか。トロイ落人伝説はギリシャと交流する様になってからの 箔付の神話だろう。
トロイ人てギリシア系なのか?
ギリシャ人が征服するにはちょっと内陸だよな、ローマは まぁ、エトルリア人がリディアから来たって説もあるし ギリシャ人が征服して成立したと言われても、そうなんだって思うだけだが
七つの丘の先住民がサビニ人だったらぴったりハマるんだがな
ラテン人は平野の民 サビニ人は山地の民
ローマ建国当初から結構合理的思考してるのが面白い 特に軍団の兵站システムとか組織運用関連 そして最終的には他の民族押しのけて地中海世界の覇者に エトルリア人にもギリシア人にもガリア人にもそれぞれの分野で劣ると言われたローマ人 どこで差がついたのか
個人的にはローマ人よりギリシア人の方が凄いと思うんだが ギリシア人ってポリス時代もヘレニズム時代も基本ギリシア人同士で争ってんだよな そりゃ征服されるわ
752 :
世界@名無史さん :2014/04/18(金) 00:03:17.15 0
そもそも、負かした相手を取り込んで対等に扱う、って発想はどこから来たのかね? 逆に人間味が無いと言うか、ゲーム脳っぽい。
>>749 アルバ・ロンガって山地の都市じゃなかったか
元々は少しでも弱小な兵力を補強する為の苦肉の策だったんだろうけどな。
女掠奪したときそうなったからそれが伝統になったというだけだろう
他のローマ人以外の民族が同じことして定着しなかったのは何故なんだぜ エトルリア人やギリシア人、ケルト・ガリア人他も女略奪とかしてるのにローマ人のような考えはしてない 古代地中海世界でローマ人だけが伝統や習慣として残した
>>753 サビニ人とラテン人との差は農耕率が高いか、牧畜率が高いかの差程度
で文化や言語・宗教・人種にそんな差はなかったとされてる。だからサビニ
戦役で政治対立が解消されるとあっさり20年位でサビニ族出身の執政官を
出す事も可能だったんだろう。まあ文章にして書くと簡単だけど、昨日まで
の敵をあっさり自分達のトップに据える決断ってすごいよな。
>>756 ペルシャもアテナイも征服した城郭国家を属国として組下にしたけど
でもアテナイ市民権を与えたりはしなかったよな
初期に女を略奪して手酷いしっぺ返し喰らいかけたのに相手が赦したことがデカい それで対等合併して混交する妙味を知ったとしか言いようがない
イスラエルは乾燥地帯で聖書見るに牧畜生活 単純に人間がじゃまだが ローマは農業と周辺からの掠奪せいかつみたいだから 開拓のためと戦争のため人が必要とかそういう理由とかあるかもね
763 :
世界@名無史さん :2014/04/18(金) 18:49:53.42 0
実はロムルスは日本からタイムスリップした将棋の棋士だったんだよ。
ハブうううううううううううう
そのための「綺麗な水源」がないな
あるのは砂漠ばかりなり、か
黄砂もどうにかして欲しいものだ この時期花粉と一緒になって周囲に悪影響を与えている
古代には中国に象がいたらしい。象という漢字があるぐらいだし。 華北も森林に覆われていたが、その森林を食い尽くしたのが 他ならぬ黄河文明。
この時期は車は黄色になるし目や鼻が大惨事で辛い… 砂漠が国ごと消滅してくれないものか
古代ローマも相当自然破壊はしたんだろうな イタリア半島だけで自給ができなくて属領から食料輸入して存続していたし ひたすら自給自足維持を追及し続けた日本とは対極だ
まあ黄土高原はゴビ砂漠の砂が偏西風で数十万年掛かって 吹き寄せられて形成されたものだからね。砂漠化自体は 止められないよ。
一方イタリアにはサハラの砂が
774 :
世界@名無史さん :2014/04/19(土) 21:11:05.87 0
>>771 価格競争に耐えられない結果としてのイタリア半島自給率低下と
自然破壊の結果による自給率低下と一緒にすんな
アウグストゥス「ゲルマンの森はもっと伐採してもいいのよ」
イタリアも自然破壊だけどなー 帝政期の元老院議員は土壌の悪化について語ってるし 資料から推測できるものも多々ある 価格競争や商品作物とか以前に自然破壊があったのだよ まあローマだけに限らんけどなこういうのは
文明の拡大=自然破壊だからなあ 江戸辺りの日本も禿山化したが植林やら頑張ったりと環境の回復も努力してる まあ回復出来る程度の破壊は問題ないのよな 今の中国はもうどーすんだってレベルだが
「自然を開発して生活を豊かにすることこそが人間の勤めである」 BY白人・・・・・・・じゃなくて古代支那人の荀子の謂である
779 :
世界@名無史さん :2014/04/20(日) 00:58:00.79 0
自然の脅威度が現代とは桁違いな古代人的にはそうだろう。 現代でも大自然が本気出せば街が丸ごと消えるのは最近思い知ったわけだし、
>>767 砂漠ばかりの所で受難が続くと厳格な一神教が芽生えそうなもの
繰り返し中原から征服されて来ると独自思想も育たないのか
古代に名高いレバノン杉の森もほぼ消滅してるしな
あれは気候の乾燥化が最大要因だけどな
貿易が盛んになった事も原因だろうな。 森林を維持して現地で農業し続けるよりも 森→船にしてエジプトとかから食料を 運んでくる事が盛んになった。
あとは土壌の流出だろうな レバノン杉が生える山岳地帯は植生の回復が難しく今でもハゲ山が目立つそうだ 伐採による植生の破壊とその後の風化で土壌がことごとく斜面から流れ落ちたと思われる
地中海いいよなぁ 波は比較的穏やかで、沿岸には穀倉地帯 そりゃギリシャ人やフェニキア人が殖民都市建てるわ 俺も建てたい
船の建造だけでなく戦争も森林を破壊したようだね。 アッシリア時代まで中東にもシリア象がいたとされるが、 アッシリア最後のニネベの戦いでアッシリア側は、 敵に攻城具の材料を与えない為にニネベ周囲の森林を 伐採し焼き払った。
製鉄を始めると森林が一気に減る 日本も禿山が増えて植林をするようになった 日本のように湿潤でない気候なら永久に元に戻らなかったりする
ヴェネツィアは船材確保のために植林やってたな
790 :
世界@名無史さん :2014/04/20(日) 19:08:14.66 0
石炭を使うようになる寸前が一番禿山ラッシュの時期だったかしらね 中国はもうそんなん関係なしにデフォで禿山だけどwww
緑化はしてるらしいぞ? 禿山にペンキ塗ったり
ニュースでやってたな。中国の土壌の16%が公害で汚染されてると。 あのだだっ広い国土の16%ってどんだけww
ローマはやはり滅びてよかったんだよ。下手に生き残っても、 過去の栄光が重荷になって近代化に対応できず、古代の専制 体制を引きずるばかり。中国を見てつくづくそう思う。
>>771 今の西欧文明と古代ローマ文明も同じかな?>他から搾取する文明
795 :
世界@名無史さん :2014/04/20(日) 19:54:22.44 0
>>790 華北が冶金の操業で禿山寸前になったんで
石炭やコークスを使い始めたんだよ、唐末から五代の頃に
石炭を使い始めたおかげで 宋代から中華料理が美味しくなったのだ
効用のみってのはむしろ例外で 文明技術の進化ってのは作用と副作用があることが普通 中長期的な副作用がデカくても短期面の作用面が強ければやっちゃうのが文明人
799 :
世界@名無史さん :2014/04/21(月) 00:02:57.02 0
原発の事かー!?
不謹慎かもだが日本の原発だからあそこまでの被害で済んだとも言える 外国のなんかあの程度じゃすまなくなるだろう それこそ第二のチェルノブイリになる 事故で死人が出てないだけマシで、逆に津波のほうが自然災害だけによほど厄介よ
いくらなんでもローマから話題離れすぎじゃね
文明論は別にいいだろう
スペインの金山とか目茶苦茶環境破壊してるよなローマ
>>787 放置すると大抵の土地がすぐ緑に飲まれて、そのうち勝手に森林化する日本は
世界的にも稀なほど自然環境に恵まれてるな
>>804 アンコールワット思い出した
放置されると緑に飲まれるのは珍しい方なんだな
ワットも高温多湿環境でしょ?
緑に飲み込まれるからってインドが保全を申し出て一帯にコンクリ流して大顰蹙買ってたじゃないの
>>800 国外から見れば地震台風何でもござれな災害大国の日本で、中には活断層の上に建ってるものもあって
しかもハイテクイメージなのにバケツ臨界起こしてたりの過去もあるんで「待てオイ!」だよ
ローマ帝国も所詮は半島国家 ゴート族やヴァンダル族に陸と海から攻められたら簡単に滅びたな やっぱり地中海だけは死守せねばならなかったんだよ!!
バルカン半島とアナトリア半島に移ったからへーきへーき
アナトリア半島とバルカン半島って隔てる海峡が狭いから 半島なのに陸のどん詰まり感がないよな
後期ローマ帝国の将兵の多くがバルカン出身なので、 バルカンこそが死守すべき本国だった。 イタリアやエジプトが無傷でも帝国を維持出来ない。 アウレリアヌスの属州ダキア放棄、ヴァレンスの ゴート族移住許可は自殺行為と言えよう。 皇帝である彼ら自身もバルカン出身だったが、 自らの故郷の防衛を最優先としなかった。
ダキア属州ってカルパティア山脈の西側だけで ルーマニア平原とかは含まれないんだな さすがのローマ帝国もキプチャク草原と繋がってる ルーマニア平原の維持は無理だと考えたのか
本によってトランシルバニアだけがローマ領になっている場合と ルーマニア全土がローマ領とされている場合がある。
そういやどっかのサイトでローマはガリア獲得しないでアルプスで防衛しときゃよかったという意見があったな でもさゲルマニアに対する緩衝地帯はいるし、もしアルプス防衛線敗れたらイタリア半島本国まで一直線だぜ アルプスに長城建造してもどこまで効果あるか疑問だし 国防上ガリア属州はやはり意味があったんじゃないか もちろんガリアの豊かな収益も大事よ
いっそカルタゴに遷都しちゃうか? アルプスとピレネーをリーメスにして クィントゥス・ファビウス・マクシムスみたいに蛮族を イタリアとイベリアに誘い込んで消耗殲滅
815 :
世界@名無史さん :2014/04/21(月) 17:03:05.48 0
山脈は国境になっても防衛ラインにはなりがたいってハンニバルに習ったでしょ
でも平地や川なんて山脈以下じゃね?
>>813 ベルギカとブリタニアは属州にしなかった方が良かったのかもしれない。
ベルギカがローマ領となる事でゲルマニアからベルギカ経由でブリタニア
を目指す民族移動ルートが遮断されたので、ライン河以東の諸部族の多くが
イタリアとバルカンを目指すようになった。
818 :
世界@名無史さん :2014/04/21(月) 18:17:14.24 0
>>816 平地がどこから出たか知らんが
川は立派に国境になるだろ
日本の河川の幅レベルで考えてはいけない
河川は国境には成るけど防衛線にはならない 山脈は防衛線に成るけど
河川は攻撃的防衛というか、対岸で蛮族が騒いでたら出撃して 予防的に撃破するって感じになるのかね 山脈の防衛は山城しかないな ローマが山城建ててたのかどうか詳しくは知らんが
821 :
世界@名無史さん :2014/04/21(月) 19:06:13.31 0
山脈は敵から守ってくれる盾ではなく、敵の動向を見えなくする目隠しで、 防衛線にすると精神的にキツくなるから不適当、 と言った趣旨の事をカエサルの巻の辺りに書いてあったな。
ローマは欧州戦線ではライン河とドナウ河を天然の堀とし続けていたけど、 オリエント戦線ではユーフラテス河の向こう側のオスロエネやアルメニア を領有して、さらにメソポタミアを奪ってザグロス山脈をササン朝との 国境にしようとしていた。
>>821 地勢や状況を熟知する防衛者に対して
侵略者は敵の動向が掴めず行軍や補給にすら難儀する
山脈は侵略者に対する強固な障害、戦争論に書いてあったな
ハンニバル「おかげで選り抜きの精兵だけになったよ」
ハンニバルもピレネーを超えてからイタリアに着くまでに 兵数が半減してるもんな
826 :
世界@名無史さん :2014/04/21(月) 19:50:44.60 0
半減したんじゃなくて兵糧を圧迫しかねない無能を振り落として絞ったんだと何度言えば
827 :
世界@名無史さん :2014/04/21(月) 19:52:29.13 0
>>823 近代入って軍隊の火力強化・重武装化・大軍動員による兵站重視の観点から
山が障害物としてランクアップしていったんであって
古代は河川>山だよ
アルプスまでは確かに精鋭化図ったようだがアルプスの損害はマジ損害と思うけどな
>>827 中世日本でも古代中国でも河川防衛は成功しない
山脈越えの軍隊を撃退した例は多々あるけど
大河を挟んでの防衛ってのは大抵失敗に終わってる
河川は大動脈でもあるしね だから隋とか必死こいて運河掘ったんだろうし
赤壁もジョウヨウも河川で防衛した例ではある
>>826 数は力だよ。兵力を故意に損耗する戦略は有り得ない。
川を天然の堀として城壁築いて防衛線を敷くっての割と初歩の築城だと思うけど 実際は愚策だったの?
普通に有効だよ 大河防衛無効という極論言ってる人はいる
>>832 長江の様な常に流量が多く幅広で河岸が切立っている
本格的な船舶が必要で、架橋が困難で舟橋を架けれない程の特殊な大河になれば別
黄河や利根川、荒川、淀川、信濃川、天竜川程度の河川だと
防衛側が大抵失敗してる
>>834 小競り合いや単なる拠点防衛の為には役立つよ
大会戦の場合、城壁に当たるのは山脈、大河に防衛線を布くのは堀だけで守るような物
敵前渡河作戦とか御免被りたい選択肢の一つ よほど優秀な連中か戦略的にこちらが有利でもない限り無理だろう ローマでいえばこの2つを満たしていたのがトラヤヌスのダキア戦争における ネルヴィ族補助軍兵士のドナウ河渡河
防衛側が大抵失敗するって戦う前から勝敗決まってるようなレベルだろう そもそもそれらの戦いは川挟んで対陣してたのか
>>836 典型的大河である長江を無視して
しかも大河っていってるのに日本の皮入れてるお前はなんなの?
>大河を挟んでの防衛ってのは大抵失敗
これは極論で間違っている
黄河は大河ではないのか…
841 :
世界@名無史さん :2014/04/22(火) 10:51:33.72 0
842 :
世界@名無史さん :2014/04/22(火) 10:53:26.76 0
南宋でも東晋でも、長江が防衛ライン兼国境に何度なったことやら 古代では山はあっさり越えられるんだよ
843 :
337 :2014/04/22(火) 12:37:28.50 0
中華帝国の歴史からすると、河川による防衛ほど効果的な防衛戦は無いな 三国志も南北朝も宋金の戦いも、長江が最大の防壁として機能してる
ここはローマスレです
そもそも華北平原と長江中下流平原は繋がってるから 防衛ラインにする山脈がないけどな
見た目にも攻めにくいからそもそも戦いが起こらないんだな んで、それでも攻めるヤツは必勝の策を用意して戦いに臨むから 戦いの回数に対して突破された作戦が目立つ、と 名前も残らない小競り合い入れたらめちゃくちゃ防衛成功してると思う
>>837 迂回されれば渡河中には戦え無い、渡河されない様に哨兵線を布けば一箇所から破られる
>>838 >>839 >>843 小競り合いや略奪行程度の防衛には役立つが、全力侵攻を受ける様な状況での
興亡を掛けた防衛戦で大河を防衛線にするのは大抵不首尾に終わってるって事。
利根川荒川、信濃川、淀川は日本の大河だけよな。
黄河と長江の違いは、黄河は場所に拠って舟橋浮橋が架けられるのに対して
長江の場合はそれが略々無い事。
>>845 関中や巴蜀
848 :
337 :2014/04/22(火) 16:28:32.57 0
>>847 利根川を防衛線とした後北条氏と関東諸氏の戦争は、利根川以西はあっという間
なのに利根川以東への橋頭堡の関宿攻防戦で10年とかかかってるんだけどね
このスレ的には、ローマのメソポタミア侵攻はユーフラテスで止まってる事実も
ヒマラヤの様な特異な例を除けば、河川は山岳よりずっと有力な自然境界だ
849 :
世界@名無史さん :2014/04/22(火) 16:58:41.73 0
結局河川>山だわな、カエサルやアウグストゥスの構想は正しい 三国志でも山に守られた蜀の方が長江に守られた呉より滅ぼしやすかったから先に、という現実
正しくないから西ローマ簡単に滅びたんじゃね?
851 :
世界@名無史さん :2014/04/22(火) 17:21:15.16 0
帝政からだけでも400年も持ったなら十分だろ どんだけ上を求めるんだよ
東ローマと比べるとなぁ
そもそもアウクスストウス以来河川防衛で数百年機能したんだから 河川防衛がいかに有効かよくわかる
山脈を防衛線にすれば千年は守れるな
アウグストゥスはユーフラテス河、ドナウ河、ライン河、ドーバー海峡を 天然の堀として防衛し続ける事を後継者に期待しとされるが、後継者らが アルメニアやブリタニアなど堀の向こう側も領土にしてしまった。 ハドリアヌスはアルメニアを、アウレリアヌスがダキアを放棄したけど、 何故か最も価値がなさそうなブリタニアはホノリウス以前に放棄しようと されなかった。
>>848 越後山脈を防衛線とした関東管領、北条と越後守護、長尾の争いは
100年経っても決着せず、甲信の守護は
関東管領や鎌倉公方の支配下に入る事が無かった
ゲルマニアでの防衛線もライン川の向こうに築かれていたし
西ローマはライン川をさくっと越えられて滅亡してる
山脈というのは常に攻撃者にとって河川よりも遥かに困難な障害となる。
匹敵し得るのは長江の様な特殊な例外でしか無く
それも長江中流域は山岳地帯が連なっていて
一方の下流域は度々長江を跨いだ国が成立した
ライン河凍結してたんじゃないっけ ライン河の向こうの防衛線てのもよくわからんな まあ河川も山脈もケースバイケースになるんじゃね(鼻くそほじりながら
ブリタニア征服はクラウディウスの政治的思惑以外の何物でもないよね 一時期気になってカエサルの時代みたいにブリタニアの連中がガリアに侵入したり 海賊行為があったりしたのかと思ったけどそれらしい記録は文献にはなかった
>ライン河の向こうの防衛線てのもよくわからんな ライン河とドナウ河の上流の間のリメスの事なのでは?
ライン・リメスとドナウ・リメスの接続部てこと? あれは距離的な問題なんじゃ
ブルガリア、ルーマニア国境のドナウ川では ブルガリア側河岸にばかりローマ人の別荘の遺跡とかが存在してるんだそうな やっぱり川のこちら側の方が安心って考えはあったのだろうね
勿論河川は何も無いより余程安全、但し山岳地帯程の障害とは成らないって事
>>862 アルプスよりライン、ドナウの方が圧倒的に長期間防壁として機能したし、
ピレネーもイスラム勢力にもキリスト教勢力にも障壁にならなかったし
中国でも秦嶺山脈は長江ほど有力な防壁たり得なかった
日本の関東地方でも、甲信越から山脈越えて普通に侵攻されてるし、河川ほど機能してない
何度も言うが、ヒマラヤ並の壁でも無ければ山脈は大きな障壁とはなりづらい
むしろ山脈を支配した側の侵攻拠点として機能する例の方が明らかに多い
スペイン辺境領を知らぬと申すか……
865 :
337 :2014/04/22(火) 22:05:45.86 0
>>864 イベリア半島がイスラム圏だった頃にも、アストゥリアスは残ったし、
スペイン辺境領自体が、ピレネー山脈は防壁として機能しないことの
証明みたいなもんだが
ハンニバルが初っ端からアルプス越えしちゃったから ポエニ以降のローマ人からしたらアルプスは防衛の機能をしてないと考えても不思議じゃないな それに地の利のある蛮族たちからしたらアルプス山脈は言うほど脅威でもないかもしれず 共和政期にもアルプス越えて豊かなローマ領に雪崩れ込んでくる部族もいたらしいし
>>863 アルプス山脈はローマの間近に在ったからというだけ。
ゲルマニアでの領土防衛はライン川を越えて行われていたし
東部でもドナウ川の下流域でダキアまで進出してる
中国南北朝期の南朝は度々長江を渡り淮河下流域を支配したが
北朝が巴蜀を支配する事は統一の過程に至るまで無かったし
結局イスラム帝国はピレネー山脈を越えて征服する事が無かった
越後⇔関東間の越山は度々あるが、結局全て撃退されている
逆に利根川や荒川を渡って打ち破り征服した事例は多い
この様に山脈というのは常に攻撃者にとって河川よりも遥かに困難な障害となる。
それが結論
868 :
世界@名無史さん :2014/04/23(水) 00:03:05.34 0
IDが出ない板とはいえ山脈厨ハッスルしすぎ
山脈があるのならば山脈を活用し、大河川があるのならば大河川を活用すべきだろうな。 ローマはブリタニア征服以前ならばエルベ河とズデーデン山脈とモラバ川とドナウ河を防衛線に、 ダキア征服後ならばライン河とマイン川とエルツ山脈とズデーデン山脈とタトラ山脈とドニエストル河を 防衛線にすれば良さそうだな。
なんだかなぁ 歴史の常識ではどちらも障壁ではあるんだが 大国は河川を防衛ラインとする場合が多い でこれは各国の事情によってどちらが有利か変わるんだろう ローマスレだからローマに限定して考えると大軍を運用し、国境に「緩衝地帯」 をおいて守る防衛体制においては 補給がしにくく大軍の運用ができず、隣接軍団との相互協力ができない山脈は不利 ってことなんではなかろうか 山脈論をあげてる人はなんとなく頓珍漢な気がするよ
ライン川を越えての統合や征服は中世に何度か起きてるのに対して
ピレネー山脈の両側では同じ事は起きていない
アム河やシル河はその恩恵からペルシャやトルコの大国が成立するとよく境界になった反面
度々破られてもいる、一方コーカサスやヒンヅークシュを越えての征服は少ない
>>870 大河は文明にとって便利な存在だから両岸にまで国が伸張し易いんだろう
且つ平地に比べれば守り易い、但しそれは山岳程の防衛力を担保しない
防衛線は、それを超えた相手との戦いを有利に進められる事が必要。 山の稜線を超えた相手との戦いは自分が低い「死地」にいる事になる 対して川を超えた相手との戦いは相手が背水の「死地」になる。
山岳地帯で戦うわけじゃなく、その後背で防衛や会戦は行われてきた 侵略者は戦争が終わるまで人員、物資の補給に悩まされ続ける 大河は越えられてしまえば敗走する時に難儀は生じるかもしれないが 他の面ではあまり障害とならないし、山岳地帯も撤退の困難さは同様
なんという小田原評定
875 :
世界@名無史さん :2014/04/23(水) 11:25:57.45 0
>>871 例をピレネーしか挙げられない時点でお察し
イベリア半島全体が山地気味で土地としてはポルトガル領域以外不毛ってこと忘れんな
876 :
337 :2014/04/23(水) 16:43:29.30 0
>>875 か、カタルーニャ
アル・アンダルス……
不毛なのはポルトガルだろアホか
とりあえずHOI3のペナルティが 山岳は40%で渡河は50%だから渡河のほうが困難でいんじゃね(鼻くそほじりながら
879 :
870 :2014/04/23(水) 19:11:52.35 0
>>871 大軍を展開できないから
進入を予防的に防ぐ戦略とるなら
山脈は不利だと思うよ
ということなんだが
880 :
337 :2014/04/23(水) 21:43:43.09 0
比較的多雨で湿潤なのはいいですけど 産物がレース編みとコルク栓くらいしかないっすよね
ちなみにスペインは西欧屈指の牧草地帯 馬羊豚どれも最優秀のものが揃っており、加えて南部は有数の穀倉地帯でもあります
>>875 カフカス山脈やヒンヅークシュが挙げられていても見えて無いって事は
>>875 は、都合が悪い事は見え無くなる遺伝病を持つ某捏造民族の恐れがあるな
>>879 行軍や輸送に多大な障害を齎し
大軍を展開出来無いからこそ侵略が困難に成るんだが
>>883 だ か ら
「防 衛 側」 が大軍を運用できる経済状況で
進入ゆるしてから迎撃するのでなく進入を防ぐ(予防的に防ぐ)なら
河川の方がすぐれてるよね?
反論できないなら自説引っ込めて去れよ
安価はつけてるが君は「反論」全くはしていないぞ
防衛側のほうが常に大軍を動員できるという前提なら 追撃戦がやりやすい河川のほうが有利・・・なのかな?
>>884 最初から大事に至らない小競合いや略奪行に対する防衛では役立つと書いてるだろw
そもそもローマの戦略が(結果論かも知れないが)軍事力・経済力の許す範囲 で拡張範囲を広げてローマ化させて首都の安全と繁栄を期す。その代わりに地方 に対してはローマが防衛と治安を保障してその地域の発展を期すと言うローマ中心 の互恵関係が基本。つまり当時のローマ人にとって最大の防衛戦略とは可能な限り 首都から遠くに防衛線を引くという「距離」の防衛。だから拡張期の共和制期は征服 した地域に植民都市を築いてローマ街道で結び、首都からの派兵が非効率なのが 明らかになった帝政期には国境に軍団基地を置いて、退役軍人をその近くに入植させて 防衛の要にするようになった。そもそも当時のローマの軍人達や政治家達が河川や山脈 に防衛効果を大きく期待していたのか?って言う疑問がある、守り易い地形程度には 理解はしていただろうけど相手がその気になれば簡単に越えられると思っていた様に 思う。それは自分達が河川だろうが山脈だろうが海だろうが乗り越えて占領していった 歴史を思えば良かったし、ハンニバルの例を思っても良かったろう。そう考えなければ カトーの「この見事なイチジクを産する国が3日の距離にある」と言う有名な言葉も、 マルクス・アウレリウス帝が辺境とはいえ騎馬なら10日でローマに着くウィンドボナ で病没した意味も理解できなくなると思うんだが。
888 :
870 :2014/04/24(木) 08:57:24.20 0
>>886 まず
>最初から大事に至らない小競合いや略奪行に対する防衛で
はどこだ
次に
>行軍や輸送に多大な障害を齎し
大軍を展開出来無いからこそ侵略が困難に成るんだが
は879,,870
への反論だろ
なら小競り合いの話なんて最初からしていない
889 :
世界@名無史さん :2014/04/24(木) 12:42:07.40 0
山脈厨しつこいwwwwww
890 :
869 :2014/04/24(木) 12:42:16.39 0
>当時のローマ人にとって最大の防衛戦略とは可能な限り >首都から遠くに防衛線を引くという「距離」の防衛。 ローマはローマが首都ならばエルベ河とズデーデン山脈とモラヴァ川とドナウ河を防衛線に、 遷都後ならばライン河とドナウ河とモラヴァ川とタトラ山脈とドニエストル河を防衛線に すれば良さそう。モラヴァ川で東からの敵に備えるのか西からの敵に備えるのかが変わる。
アメリカと同じく完全なる秩序を自力でもたらさなきゃならなかったら 際限なく影響権が拡大してっちゃうんだな ヨーロッパ式の群雄たちの同盟による膠着だと 第一次大戦とか第二次大戦おきちゃうしなあ
>>888 また都合の悪い
>>836 防衛側が侵入を許さずに戦える時点で小競合いに過ぎない
本格的侵攻に対する山岳の有用性
>>871 >>873 >>883 に反論出来なくなり
仕方なく
>>884 で自軍が優勢、略奪を防ぐ場合という条件を追加した
が、そんなもんは最初の時点
>>836
美味しい所は全部頂いて、その外側に山でも川でも 丁度いい要害があれば利用してたよね、森は嫌いだけど
森が邪魔なら伐採すればいいじゃない
895 :
870 :2014/04/25(金) 09:01:24.73 0
>>892 俺は最初から後から参入したこと示すため870となのってるわいw
だから昔の論争見るの面倒なんだ
ローマ帝国もゲルマン人も回りに緩衝地帯もうけ
兵あつめはじめたら前もって叩く戦法だよ。小競り合いだけではない
進入される場合も勿論あるが山脈はその兵の観測がムズイので侵入許しやすい
で最初から
870
>ローマに限定して考えると大軍を運用し、国境に「緩衝地帯」
をおいて守る防衛体制においては
と限定してる
で879の大軍は870からみても大軍の主語はローマ軍なのに
883で侵略側と誤読したので884で指摘したら
なんかブチキレテルというのが今のアナタ
さらにいうとこちらの限定は君が誤読しているように小競り合いだけではない
相手が大軍を運用する場合も含んでる
897 :
世界@名無史さん :2014/04/25(金) 12:41:36.46 0
ニュースになるぐらい大著扱いってさすがだな 村上春樹の本でもここまでの扱いはされないわ
誰一人説得できない山脈厨の負けw
「人間が下品だから」を引き出したいんだろう!?
ペトロニウス「下品な蛮族はローマには不要なのです」
>>895 相手が大群でも、敵の軍事力を打ち砕く事で
屈服させたり領土を大きく征服する様な意図が無いなら所詮は小競り合い
抑々緩衝地帯を置く防衛方法自体が
本格的な攻撃に対して河川防衛を重視していなかった事の証左
903 :
世界@名無史さん :2014/04/25(金) 18:57:13.07 0
塩野もいい加減、ローマとかイタリアとか地中海ネタから離れて、 新境地を開拓しろよと言いたい。 イタリアネタでダラダラ長い本ばっかり書いてるんじゃねーよ。
イタリア物を書かせたら塩野七生の右に出る者はいないからなぁ
>>902 大軍であろうと無かろうと領土を征服する意図で識別する意味はないし
その意図は正直記録されてない場合が多いし
そもそもそういう意図が無くても只単に駐留して結果的に征服という話があるのをしらんのか
ゲルマン人もデーン人も征服成功したら女連れてくる、現地の女と結婚とか掠奪戦にも女連れる場合があるのもしらんのか
という疑問が根本としてあるがそれはともかく
そもそも国境内の人間を完全に守るには緩衝地帯をおく戦法がいいよね?
でその戦法取るには少なくとも山脈よりも河川が便利だよね?
敵軍見つけたら速やかに展開しやすいしそもそも国境に大軍を置きやすいよね
ついでにまぁ身も蓋もない言い方すると
山脈でなく河川で防衛すべしというローマの戦略は
少なくとも数百年有効だったという証拠があるね
1.河川を利用するのは少ない兵力での防衛を行うためである 2.緩衝地帯を置くのは事前に敵の行動を察知しやすくするためである 3.1と2を踏まえた上でローマ軍の防衛方針は敵の本格的な攻撃に対し国境でこれを防ぐということは想定されていない 国境地帯の各拠点に駐屯する兵力は一つの拠点に対しせいぜい数百名であり、任務はあくまで敵軍の行動を事前察知することである 本格的な軍事行動は後方に控えるローマ軍団兵を待たねばならない 敵の本格的な軍事行動に対しローマが国境を突破された例は多く、それらに対し皇帝はローマ軍による本格的軍事行動(懲罰遠征)を行う というのが帝政期のローマ軍の戦争における典型的なパターンといえる 1、2、3より、ローマ軍が本格的な攻撃に対して河川防衛を重視していなかったと呼ぶことは難しいと考える そもそもローマ軍の兵員数は帝国が抱える長大な国境線の長さに対し大幅に制限されており、本格的な攻撃に対する国境地帯での防衛は不可能であった そのため上記の機動防衛策がとられている、この傾向は時代が進むに連れ更に進んでいき、最終的にコンスタンティヌス帝の改革につながる むしろ限られた兵力で防衛を行わねばならないという点から見れば、ローマ軍は河川防衛を重視していたと言えるのではないだろうか
国破れて サンガリア 城春にして 草木ふなっしー
>>905 抑々何の被害も無く防衛出来る様な戦闘は小競合いでしか起こり得ない
>>895 の舌の根が乾かぬうちに又
>>836 下らない言い訳をする前に
>>892 を再度読む事
>>906 皮肉な事に1、2、3からローマは本格的な攻撃に対して河川防衛を重視し無かった事が解る。
ローマ帝国は集結した軍隊で敵の戦力を撃滅する事に主眼を置いていて
ライン川やドナウ川での防衛は図っていない
カエサルが生きてたとしてパルティア遠征は成功してたのかなぁ 案外ボコられそうだが
パルティアのスレナスがすでに粛清されていたから勝てそう
>>909 あのね
そもそも掠奪のためでも十数万の大軍を運用したのがゲルマン人なの
そしてそれが成功した場合帰るときもあれば居残るときもあるの
それは君基準だと「決戦」でもあり「小競り合い」になってしまうの
変な条件つけてるのは君のほう
で迎撃するにしろ前もって叩くにしろ
山脈だと君が誤読したほうでなく「防衛側」の大軍が運用できないの
また実際の歴史は君の妄想でなく河川でまもったの
そしてそれは数百年の実績があるの
主要な論点防衛側の軍の話と実際の歴史には全く反論してないようだが
パルティアに勝つことは出来ても維持は難しいんじゃないかなあ・・・
914 :
世界@名無史さん :2014/04/26(土) 11:47:38.92 0
>>910 間違いなく成功してるだろう、
問題は何年かかってその間にローマの政情が安定してるかどうかが
賭けの対象になるぐらいだわ、失敗については当時の世界じゃ賭けが成立しないぐらいwww
やっぱり処刑リストを作って共和派を皆殺しにしなきゃいかんかったのか
916 :
世界@名無史さん :2014/04/26(土) 13:03:15.58 0
シーザーとイエスの2大巨頭会談は実現して欲しかった。 さぞや胸熱な光景になったことだろう。
>>皮肉な事に1、2、3からローマは本格的な攻撃に対して河川防衛を重視し無かった事が解る。 >>ローマ帝国は集結した軍隊で敵の戦力を撃滅する事に主眼を置いていて >>ライン川やドナウ川での防衛は図っていない いやだからそれが機動防衛なんだって そして第一線にあたる国境哨戒線の構築にあたってローマ軍は制限された兵力をうまく活用するために 河川を利用してるんだって
>>913 ユーフラテス河の向こう側に領土拡大した場合はローマ国家は
史実のようにアウグストゥスによる統一にならなかったかもね。
おそらくボスポラス海峡を境に東西に分割されて、アナトリアと
シリアとエジプトとパルティアはカエサリオンが継承したかな。
カエサルが決めた事ならばアウグストゥスもそれに従い続けたはず。
その場合は元シリア総督でオリエント通のウァルスような人物が
ゲルマニア総督になる事はなかったはずだから、ゲルマニア征服
に成功する可能性が大きい。
西ローマ、中ローマ、東ローマに分裂
920 :
世界@名無史さん :2014/04/26(土) 16:01:44.08 0
>>916 お前前も全く同じ事言ってたよな
キリスト教が大きくなったのは弟子のおかげと周りの事情であって
キリストなんかそこらによくある新興宗教の教祖で大工の息子でしかないだろ
イエスはユダヤ教ナザレ派の創始者だろ?
>>919 ガリア、中ローマ、パルミラに分裂したままの方が良かったかもな。
ディオクレは中ローマをイタリアとイリュリアに分割して4分割したけど、
対ペルシャ戦をイリュリア軍に丸投げしてオリエントで自立しなかった。
ディオクレとガレリウスは、コンスンタンティヌス親子らにゲルマニアや
カレドニアの征服命じて、ガリアに釘付けにすべきだったな。
蛮族と戦っている間は東方に進軍出来ないだろうから、ガレリウスらは
時間稼ぎが出来たはず。
>>921 創始者は弟子どもと支持者ども
あいつが活動してた期間て、半年から長くて2年程度だし
>>921 それユダヤ人がよく言うよな
論理的に一応筋は通ってるが
そりゃ迫害も虐殺もされるだろうという空気の読めなさ
初期のキリスト教徒は自分たちをユダヤ教徒と考えていた それが変わるようになったのはユダヤ戦争とそれに続くユダヤの騒乱のせいだそうだ これによって彼らは自分たちはユダヤ教徒ではないということをアピールするようになったらしい 最初は帝国とも協調しようとはしていたんだな
まあ未練たらしくユダヤ的な部分、旧約聖書などを捨てられず聖典にしたままだけどな ユダヤ戦争を契機にユダヤ教はパリサイ派が主流を占めるようになり ユダヤ教の税と主権をめぐる問題は一応解決 キリスト教はユダヤとは別の問題から騒乱を起こし迫害される訳だ
偉大なカエサルも本当にいたかどうかすらもわからないキリストごときと比べられてかわいそう
旧約由来のクリスチャンネームって欧米人は普通につけてるよね 昔はユダヤ人だけかと思ってた
2世紀には新約とパウロだけでいい派と旧約いるよ派が争って、結局いるよ派が勝利してるのよな 聖典の民の正統はユダヤじゃなく自分らだって意識があるんじゃねーの
クリスチャンネームって、パトリキコンプレックスだろ?
>>930 お前もう面倒になってまともに反論する気ないだろw
いや
>>906 は制限された兵力の中で河川を有効に活用した
機動防衛がローマ軍の主軸であると説明してるんだが
というか、そもそもローマが河川防衛を重視していないというその結論はどこから来ているのか疑問すぎる
おそらく世界中のローマ史家に聞いてもそんな答えは帰ってくるまい
地図と最低限知識があれば高校生でもわかるはずなのだが
そもそも
>>930 の言う河川防衛とは一体何なのだろう
河川とその防衛線で敵の本格的な侵攻を防ぎきることを河川防衛と呼びたいのであろうか
だがしかしローマ帝国の場合
>>906 でも言ったとおり、その長大な国境線に対し兵員数は著しく制限されており
そのような防衛は経済的理由によっても、もともと不可能であった
その中で帝国が出した結論が河川を利用した哨戒線網構築とその背後に控える道路網、軍団による機動防衛
つまり限られた条件下で自然の地形を見事に利用した防衛策なわけだ
さて、では日本には空母も原潜も存在しない
かといって日本は海軍を重視していないといえるだろうか
スレ住民はもうこのキチガイには触れないようにしてるというに
艦これのイベント回してる最中、暇なんだよ ちなみに雪風と卯月と谷風をゲット
>>933-934 >>906 でも解る通り、ローマ軍の戦略は河川防衛などせず
要塞群の後ろで戦う事と集結した軍隊で敵戦力を撃滅する事にあった
河川とその防衛線で敵の侵攻を防ぎ切る事を河川防衛と呼ぶ。
この方式は必然的に哨戒線と成り易く敵の本格的な侵攻から防御するのに全く向かない
従ってローマは決戦による敵群の撃滅を基本戦略としていた
>河川とその防衛線で敵の侵攻を防ぎ切る事を河川防衛と呼ぶ
はぁ、独自理論ありがとうございます、やっぱりそういう考えだったんですね
私は河川を利用した防衛網自体、河川防衛と呼ぶに値すると思われますが
後、何回も言ってますけれどもそういう防衛方法自体ローマでは不可能なんです
>>934 読んでます?馬鹿には極端な例がわかりやすいだろうと思って日本の例も書いといたんですけど
>>939 そりゃあんたの「河川防衛」定義ですからねぇ、そこにいくら反論しても無理でしょうねぇ
あなたの「河川防衛」定義なんですから
じゃあもっと簡単に、わかりやすく話をしますけど
だとしたらローマ軍の基本戦略に河川は必要ないんですかね?
河川無しで同等のコストで同等の効果が見られると思います?
まず無理ですよねぇ、維持費も兵員数も段違いでしょう 加えてブリタニアの長城のような半恒久的な本格的防衛施設が必要になるかと思われます ようするに基本戦略に河川利用が組み込まれてるんです 基本戦略に組み込まれているようなものを拡大解釈の一言で片付けれますかねぇ そもそもだったら帝国はなぜ河川を国境と位置づけ、考えたのでしょう
と、ここまで書いてもローマ軍は河川防衛を重視していなかったと言えますかね
>>940-941 いや、戦争論の河川防衛の定義ね。オマエみたいな苦し紛れの後付け拡大解釈じゃなく。
>>906 にある通りローマ軍の基本戦略は飽くまでも決定的会戦によって敵軍を撃滅する事
河川は勿論輸送に便宜があるし
>>905 での見苦しい言い逃れで無視を決め込む
>>836 敵の牽制に困難を招き補給線や後方の安全を保障するが
敵の本軍に対する河川防衛とは関係が無く
亦本格的な侵攻に対して山岳地帯程の障害にも為らない
なるほど、どうもこいつの頭のなかでは川岸で敵の本格的侵攻を防げん限りは 基本戦略に河川の利用が含まれていたところで河川防衛を重視する結果にはならんらしい
そもそもどちらが有利かは場合によるだろう あと敵前渡河はふつうに攻撃側がしばしば敗北するが 本軍に対する河川防衛とは関係ないってなんだ? 実際渡河したローマ軍がハンニバルに敗北しているではないか
>>945 何度も書いた様に防衛の役に立たないとは云って無い
平野に比べれば防衛は容易で選択肢は増えるものの
侵略者にとって山地帯程の障害には為らないと言ってる
じゃあ平野より守りやすいんだから >敵の本軍に対する河川防衛とは関係が無く っておかしいね 日本語が変だからそもそもわかりにくいけど
>>936 スレ違いで何だが、
海外の名戦艦とかはキャラ化されないのかね?
キャラ化といえば日本の武将たちをイケメン化に止まるどころか、
萌え女キャラ化までさせてしまう日本人の妄想力……。
カエサルやオクタヴィアヌスの萌え女キャラ化も
すでに行われているのかもね。
艦これでビスマルクとかキャラ化してんぞ ちなみにに艦これより前に台湾が雪風ことタンヨウをキャラ化してた
>>948 カエサルなら割とある
その格好はギリシャだろ、とか
禿がフサフサボリューミーで原型留めてないの多い
ローマ無双とかあったら凄いキャラデザインが拝めそうだな
剣闘士モノはあったよな・・
954 :
世界@名無史さん :2014/04/27(日) 15:02:23.92 0
>>946 蛮族がライン川越えるためにどういう方法で渡って、そのたびにどのぐらい犠牲出すか知ってて言ってんのか?
艦船や武将ほど種類がないから難しいな 皇帝これくしょんにでもするか? 任期がレア度と比例してるからアウグストゥスや五賢帝が出まくる出まくる ガルバとかゴルディニアヌス一世とか激レア
今ならゲタもらえる!
全員女体化しよう(提案) ヘリオガバルスは男の娘で
>>954 その手の記録は帝政末期の凍ったライン川を渡ったくらいしか無いんじゃないかなあ
他にあったっけ、ダキア戦役もマルコマンニ戦役も皇帝が書いた記録があるが散逸してるし
959 :
世界@名無史さん :2014/04/27(日) 17:01:04.97 0
カエサルが架橋して蛮族はアヘ顔ダブルピース状態やのに 蛮族にとって河は大変な障壁
いやマジで具体的に蛮族がどういうふうに渡河を行っていたみたいな記述あったけ 塩ばあの解釈じゃなくて一次資料で
普通にガリア戦記とかに船やらいかだ使う描写あったね
963 :
世界@名無史さん :2014/04/27(日) 17:59:24.23 0
>>961 史料云々以前に蛮族は筏や小舟並べて渡るしかない
そんなん太陽は東から昇ることが史書にわざわざ載らないのと同様に載らない
>>961 沿岸部をちゃちい舟で北海から迂回して川遡る記述無かったっけ
船や筏で渡るにしてもいろいろあるだろ もしかしたら船橋をつくってたかもしれないし 幅の狭い地帯をえらんで泳いで渡ってたかもしれない 装備だけは浮袋や筏で運んだりみたいな
966 :
世界@名無史さん :2014/04/27(日) 18:45:00.42 0
>>965 いやだから舟橋がデフォなんだってば
まさか舟で往復するとか思ってないよね?
>>966 船で往復したかもしれんし泳いで渡河したのかもしれん
隠密性はそちらのほうが高いしな
資料もないのに決め付けるなよ
というか船橋なんかつくりだしたらさすがにローマ側に気づかれるんじゃね 渡河しやすい地点や架橋しやすい地点は当然ローマ側もマークしてるだろうし 夜間に突貫でやるにしても月が出てれば気づかれる 月がなけりゃ作業ができんし松明なんか使えばモロバレ
>>968 そんな長大な範囲に渡って漏れ無く部隊張り付けられる程
前線に兵力展開してたっけ?
警戒所があるので気付くことならできるな
とりあえず狼煙焚いときますね
イケメン皇帝たちは女性になっても美人さんだろうなぁ トラやハドリは同性愛で百合百合か スティリコ将軍(女)に嫉妬する女帝版ホノリウスとかもあるな
風呂に続いてなんでもかんでも萌えキャラ化しなければ気が済まない現代日本人 の悪癖がここにまでwww カエサルがライン川に橋を架橋するのに木を切り出してから完成するまでに10 日かかったとガリア戦記で述べている。数万の人馬や武器・生活物資を安全に渡河 させるには土木大好きのカエサルでも10日かかったと見るべきか?それとも船や 筏や船橋の方が早いが蛮族へのデモンストレーションの意味を政治家カエサルが優先した と見るべきか?それとも船や筏や船橋より架橋の方が実際面でも時間の節約になると 合理主義者カエサルは思ったのか?意見は分かれるところだね。
976 :
世界@名無史さん :2014/04/28(月) 07:59:59.43 0
舟橋で渡ると人命物資の面で必ず損害が出るからだろ
詳細に書いてるってことはローマ側でも異例なんだろうね
978 :
世界@名無史さん :2014/04/28(月) 08:09:47.63 0
>>977 カエサル特有の叙述方法でありローマ市民向けの遠征報告だし
そもそもライン川ほどの大河はローマ軍はそれほど経験してない
すまん それで結論は「だから異例だった」 のか「だから異例ではない」のどっち?
百合アヌス
カエサル特有だから異例ではない→おかしい ローマ軍はそれほど経験してないから異例ではない→おかしい 頑張りましょう
カエサル&アウグストゥス以前ローマは地中海式農業が可能なローマにとって 金になる土地しか征服しておらず、領土は完全に地続きになっていなかった。 防衛に関しては最悪の場合アペニン山脈以南のイタリア本国のみを守り抜く という方針だった。 カエサル&アウグストゥスによりライン河とドナウ河とユーフラテス河を 天然の堀として領土を一体化して全領土を防衛する方針になった。
ローマは強大な軍団が国家の中心でしょ
そろそろ遷都しないと帝国を存続させられません!
\ __ / _ (m) _ピコーン / (・∀・) スレを2つ立てよう
>>981 やっぱわからん
>カエサル特有の叙述方法でありローマ市民向けの遠征報告だし
これはローマ軍では通常だが素人ローマ市民向けにカエサルが特別にかいたように読める
つまり異例でない
>そもそもライン川ほどの大河はローマ軍はそれほど経験してない
これはライン川のような大河を経験してないから特別にやったように見える
つまり異例
978さん解説たのむ
>>985 片方はパート18くらいで止まるけどもう片方は50くらいまで続くんだな
>>978 さんではないけど、橋を架ける技術に関してローマ街道やローマ水道に
示される様にローマ人には十分あった、この点では普通。またローマ軍の戦闘
方式が陣地だの補給道路の確保だの土木を重視する方式でその中には架橋の任務
も当然含まれるのでこの点でも普通。異なるのはライン河中流域と言う川幅の広い
河に架橋した事(多分ライン河史上初だっただろう。)、しかもそれを僅か10日
と言う短期間に成し遂げた事(さぞゲルマン人もガリア人も驚嘆した事だろう。)
そして建造を命じた司令官自らが橋を架橋した理由や構造などをガリア戦記と言う
書物で司令部である元老院のみならず一般大衆にまで知らせた事(結果として後世
まで残った。)かな。
>>989 おつ
ニワカが集まるから荒れるという意味で板の悲惨なのか??www
ローマスレにふさわしいたて宣言だ
991 :
消化しなくちゃ :2014/04/29(火) 10:01:58.97 0
>>967 > 船で往復したかもしれんし泳いで渡河したのかもしれん
> 隠密性はそちらのほうが高いしな
いや、ライン川中流に限定して言うが、あれを泳いで渡るのは
無理ぽ
泳ぎの達人がひとりふたり渡ることはできても、軍勢が泳いで
渡ることは流れが早すぎて不可能
馬に頑張って貰うのは無理? 重鎧なんて着てなかっただろうけど
浅くないとむりやん
994 :
消化しなくちゃ :2014/04/29(火) 12:15:32.40 0
日本の河川のように、探せば歩いて渡れる浅瀬があるような川じゃない し、たとえば馬に乗って乗り入れて、足がつかなくなったら泳いでとい う状況じゃなく、もういきなり深くて水流が早い 上流のバーゼルあたりじゃライン川での水泳が盛んだけど、実際は泳ぐ というよりも、浮かんで流されている状態
兵卒A「て将軍たちは言ってるが実際どうなんだろうな」 兵卒B「知るかよ、早く交代の時間こねぇかなぁ」
ヘルウェティ族は舟をつなぎあわせたり、多くの筏を組んだり、 あるいはロダヌス川の浅瀬によって、昼もしばしば、夜はいっそう頻繁に突破しようとしたが、 堅固な工事や兵士の集結、投射武器などによって撃退され、その試みを諦めた。 (ガリア戦記第1巻8節)
997 :
世界@名無史さん :2014/04/29(火) 13:49:30.56 0
>>996 いや、ロダヌス川はライン川じゃなくて、今のローヌ川だよ
ローマが大河に架橋した例で出しただけじゃね? そこに突っ込むの?
古代のローヌ川は大河だったからなw
現在も大河だよ
1001 :
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