1 :
世界@名無史さん:
中国は分裂するが最終的に統一され王朝ができることを繰り返した。
西洋はローマ帝国以後、統一されず分裂を繰り返した。
なんでなの?
侵略者をもすぐに染めてしまう文化の力
漢文という強力な統一言語の存在
科挙の導入により貴族階級が廃されており分裂状態を維持したい既得権層がいなかったこと
同様に中間支配層を持たぬ直接帝政ゆえ皇帝さえ倒せばその権限をソックリそのまま奪えたこと
古代から整備された交通・行政のシステムが大陸全土によく行きわたっていたこと
一か所に留まらず良い環境を求めて大陸を大移動することをいとわない中国人の民族性が分断固定化を阻んだこと
西洋だってローマカトリックが永く統一してたろ。
山脈河川の有無
5 :
世界@名無史さん:2014/01/04(土) 20:38:50.72 0
ねんで群雄がすぐいなくなるのかな
>>5 代替わりと共に消えてしまう地方勢力を「群雄」と呼び、
代替わりしても残る広域に及ぶ勢力を「王朝」と呼ぶ。
ただそれだけの話。
欧州と纏めてしまうと分裂しているようだが、フランスは統一され続けていたし、
スペイン・ポルトガルやイギリスも大体現代と領土は変わってなくね?
ドイツが異常。
9 :
世界@名無史さん:2014/01/05(日) 05:07:14.96 0
中国は始皇帝による統一のインパクトがでかすぎたんじゃなかろうか・・
10 :
世界@名無史さん:2014/01/05(日) 05:12:08.61 0
歴史が首尾一貫してるのは、日本だけだろう
シナは異民族、匪賊入り乱れての破壊と興亡の繰り返しに過ぎない
11 :
世界@名無史さん:2014/01/05(日) 05:18:21.16 0
西ローマ崩壊後、数百年たって
シャルルマーニュが統一しかけたが、結局
分裂したよな
抑えがきかなくなればまた分裂。
今が統一して分裂してるだけなんじゃね
オゴタイが長生きすれば統一出来たかもな
>>1 中原がやはり世界の一等地なので、そこをめがけて周辺からわんさか押しかけるのが
中国なんじゃないかな?だから中原を奪い統一するのが群雄の目的。
ヨーロッパは、文明の起きたところではなく、むしろ追い払われて来た土地。
そこへ定住して愛着をもった人たちがそれぞれの地域で暮らし国を作ってきた。
やっぱり文明の発祥地、中国、インド、エジプト、メソポタミアなどは、恵まれた一等地
なんじゃないだろうか?それだけに周辺から押し寄せ侵略され入れ替わる。
中国と西洋を比べてどうするの?
てst
ヨーロッパは中央に山脈があり軍の移動が制限されることと、
あとは海路で大抵の場所と連絡ができるのが大きいと思う。
海路でつながっている場所はたとえ隣国が気に入らなければ
そこを避けて好きな他国と交流できる。
自分で交流相手を選べるので強力な権力で統一する必要性がない。
内陸部が強大な権力により問答無用の統一を志向するのと対照。
そしてもうひとつは大陸勢力を分断して回るイギリスの存在。
20 :
世界@名無史さん:2014/01/06(月) 12:24:11.50 O
>>10 まあ、“連続性”っていう点では
明らかにヨーロッパの各国の各王朝は高く
中国の各王朝は低い
日本は中間くらいでは。
21 :
世界@名無史さん:2014/01/06(月) 14:52:36.38 O
広さと多様性で言えばインドもロシアも統一出来てる
22 :
世界@名無史さん:2014/01/06(月) 19:18:11.24 O
>>16 戦国の七雄のうち、四国が中原に都を移しているな
越、楚、秦も代が経つごとに異民族色が薄くなる
23 :
世界@名無史さん:2014/01/07(火) 14:48:51.87 0
「サッカーは戦争だ」とラモスは叫ぶがラテンアメリカも同じ言語(ポルトガル語も同じロマンス語として)
なのに多数の国が分かれている。イギリスもスコットランド、イングランド、ウェールズと
かつては民族、言語も異なり、スペイン国内にしてもバルセロナは一般スペイン語でない。
むしろポルトガルを
別の国にするならバレンシアも別の国にしてもおかしくは無いレベル。ドイツもしかり。
したがってヨーロッパやラテンアメリカでサッカーが盛んで強いのはラモスの言う「サッカーは戦争だ」
に該当して応援は熱くなる。日本は単なるスポーツで一般人はワールドカップで熱くなるだけ
24 :
世界@名無史さん:2014/01/07(火) 15:04:22.21 0
イタリアに限っても、長年にわたって多くの都市国家が分かれていたせいもあり、イタリア統一後も未だに各都市の国民である
という意識が残っているし方言の差は大きい。これをイタリア方言と呼ぶのか別の言語とするのか? オ・ソレ・ミヨはナポリ語で
あるのかナポリ方言であるのか?
どの程度の類似性をもって方言とするのか、或いは異なる言語とするのかの客観的判断は殆ど不可能で、民族問題や領土主張との
こうした現象はイタリアだけでなく、同じ経緯を持つ他のまたかつては都市国家同士が幾度も戦争を行っており、またイタリアは
歴史的に別の国に分れていた期間が長いため方言の差が激しいとされているが、そもそも言語成立の過程にも複雑な事情が絡んでいる。
古代ローマで話されていたラテン語の俗語形である俗ラテン語が、ローマ消滅以降にかつての統治領(イタリア・フランス・スペインなど)
ごとに統一性を失って方言化した際、イタリア各地のラテン語方言がイタリア地方特有の変化を遂げたと判断した人々が、近世になって
これらを一つの言語体系(イタリア語)と定めただけである。
ドイツにしたってオランダに近い地方はオランダ語に類似して別の言語と扱ってもおかしくない。
>>22 現在の中国人は北方民族との混血だから。
そもそも、流民であるとか、ゴールドラッシュで移動、移民するのはアグレッシブな
連中が多い。中国人の性格をみてもそれが実証されているような気がする。
中国は黄河長江大運河を押さえてしまえば統一も同じ。
また、河川は流域政治が統一されなければまともに交通手段とならないから
周囲も独立より統一を歓迎する。
統一しているように見えて中はバラバラ
中国の場合、帝政時代は鎮や村までは中央の支配が及んでなかっただけじゃないの?
点と線だけ支配して、あとは地主みたいな村のボスに徴税を任せる。
ボスはやりたい放題だけど、税を上納さえすれば放置。
中共成立以降に末端単位まで党員を送り込んで、
ようやく近代的な国家の体になった。
でも広すぎ多すぎ細かすぎで中央の目が届かないから、
地域ボス化した党員が悪事を働いてもなかなか分かりにくい。
29 :
世界@名無史さん:2014/01/10(金) 17:45:44.08 0
>>27 バラバラなものが緩やかに大枠として統一されていることこそ帝国の要件だろ
中国はアジアを統一したことがあるのか?
31 :
世界@名無史さん:2014/01/10(金) 18:50:33.63 0
>>30 そもそもそこで言うアジアってどういう枠組みよ?
32 :
世界@名無史さん:2014/01/10(金) 20:25:24.87 0
中国が秦以降度々統一を繰り返せているのは漢字という表意文字の存在と始皇帝による度量衡の統一などに意志疎通が助けられているという要因もあるとおもうの
>>28 中国は秦の時代から強力な中央集権国家だった
戸籍によって住民は管理され課税や兵役の負担が課され
隋の時代から実施された科挙によって貴族階級も一掃され皇帝への権力一極集中が完成した
官吏は腐敗防止のために転勤を繰り返す仕組みで地方に根を下ろさせない制度
地方の自立を許さない制度だったからこそ統一国家が存続し続けた
>>32 ローマ時代もギリシャ語・ラテン語という公用語があって
通貨も統一されてたのに、ローマ分裂後、再度の統一は起きなかったのはなんでなんだぜ
秦の統一期間なんてローマに比べたら一瞬でしかなかったのに
>>28 漢代には近世西欧諸国以上の官僚制度が確立してるよ
>>34 ローマは正に
>>28で、地方の有力者が中央の皇帝家と軍団に税を収めれば
あとは地方の豪族が好き勝手にやっていたから
再統一しろって方が無理な話
37 :
世界@名無史さん:2014/01/10(金) 22:06:37.06 0
>>34 ローマ帝国が長続きしすぎて社会システム自体がどんどん劣化していったってものあるんじゃないかねー
市民権みんなに与えちゃったり国教にキリスト教採用しちゃったり
もうこんなことしたらパンとサーカスだった頃には戻れんでしょ
それに比べて中華は劣化したらリセットしちまやいいからなー
>>34 ユスティニアヌスが再統一してるしフランク王国の時代にも再統一してる
これらがすぐに分裂していくのは欧州の王朝がとかく分割相続する上に
やがて王権が衰えて諸侯が台頭してくるから
オスマン・中国・イランとかは親兄弟でも殺しあって分割相続などは行われなかった結果統一が維持された
そう考えると中国の官僚による統治システムというのは凄いな。
王朝の頭は漢族だろうと異民族だろうと、結局どうでも良くて
その統治システムに乗っかっているだけなんだ。
>>38 フランクはイタリアもイベリアも占領出来なかった
ビザンツはイタリアさえ再統合出来なかった
行政組織の整備や技術の発展に基づく、征服に必要なだけの軍事力を持て無かった
41 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 00:38:46.74 O
中国の途切れ具合はすごいな
宋→元→明→清
相互に全く繋がりがない
一方フランスはカペー系で約千年
祭政分離で王統はお飾り
実質は酋長と豪族の寄り合い所帯なら、飾りの部分は続くんだよ
権力を握る家は栄枯盛衰でもね
43 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 03:49:30.09 0
中国だって別に統一よりも地方色のある中規模政権に支配されていても良かったんだよ
しかし、それをすると北からお馬にのった愉快な羊飼いに各個撃破されてしまうので
まとまるしかない
まあまとまっても、撃破されるんだけど されるにしても被害がすくなくてすむ
各所の別勢力のお馬さんが群雄割拠とか悪夢だから、一箇所に一勢力での支配ならまだまし
中華思想とかなんてことはない まとまらざるを得ない農耕民の夜郎自大なスローガン
みんなで団結しよう!よりも、俺達は超すごいんだから他の連中を思い切り見下してやろうぜ!のほうがまとまりやすい
匈奴やら鮮卑やらいろいろと昔から延々と北方からの圧力に
痛めつけられていた中国だけど、ソ連が崩壊した今は
北方からの圧力がほぼ無くなったから、
安心して南方に進出しているわけなんだな。
ロシア共和国は平和を愛する国家だもんね。
>>40 フランクがイタリア占領していなかったとか凄い新説だなw
どっか別の次元から来たのかよww
47 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 10:48:06.71 O
>>43 北方民族に対抗するためにまとまったと言うが、
具体的にはみんなどういう行動取ってたの
48 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 11:09:43.10 0
中国では秦漢による統一の記憶がずっと残っていてそれが後世の王朝の目標になり、しばしば成功した。
欧州でもローマ帝国の記憶があって後世の王朝の目標になったが、中国ほどには成功しなかった。
49 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 11:15:43.83 O
>>48 北巍や隋は統一できて、
フランクは一瞬で終わったのはなぜか
50 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 11:29:02.91 0
北魏はともかく隋こそは一瞬だろう
フランク王国は分割相続という習慣が原因かと
「巍」?
52 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 11:51:29.91 O
53 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 11:59:46.50 0
東洋には天下統一って概念が強いけど西洋とかには、そういうの
印象うすい気がするんだけど。
天下を統一するってのは東洋独特なのかな
ローマ教皇の信仰圏を国境とみるならば、
欧州だってずっとキリスト教で統一されてるともいえる
支那は統一してるといっても内乱も多かった
統一してるように見えるのはやはり科挙による官僚登用が上層にあったからか
55 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 13:02:59.70 O
>>48 秦、楚、呉、越(晋も?)
もともとは異民族だが、春秋時代に漢字一文字の国号にして中原文化に染まっている。
始皇帝より前に下地は充分にできてた。
中国は、北は北方民族、チベット、ウィグル、モンゴルの脅威、沿岸は倭寇の害、
と、ぐるりと脅威が取り巻いていた。したがってそれらの脅威に対して闘ったり取り込んだり
等の巧みな支配が、存亡にかかわる課題であった、そのため中央集権による強い権力が必要だった。
ヨーロッパはレコンキスタ以降、ヨーロッパを脅かす主な外敵はおらず、ヨーロッパとして結束する
必要はなかったのでそれぞれの地方で列強が育って行った。現在EUとして結束したのは
アメリカを意識してのことだろう。
>>53 というより西欧の大半(イタリア半島以外)は未開で住人もあらゆる面で文明的知識から遠く
帝国を支配し得る官吏と成り得る知識人の絶対数が全く足らず
又それを支えるに足るだけの農業その他の生産性の高さも全く無かった
要するに統一出来る下地が全く無かった
知識人が多かったから中東圏は東ローマの衰退後も
比較的巨大な帝国が何度も勃興した?
人口密度が低いのもある
人口密度が高いのに結束した中華はなんだったのかって事になるが
61 :
<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2014/01/11(土) 16:57:15.35 0
元々がフランク王とかノルマン王とか大部族単位の王国に分かれてたその子孫多数が
貴族社会を構築して王国、公国を作りまくったし、パプスブルグ家のようにどこから
湧いたのか分からん家系がたくさん王国作ってるし、今でさえ王国、公国があるだろ。
基本的にヨーロッパは貴族運営でオリンピックとか万博とか牛耳ってるらしいぞ。
イギリス、スェーデン、ノルウエー、デンマーク、ベルギー、オランダ、スペイン、
ルクセンブルク、モナコ、アンドラ、リヒテンシュタインとか王国、公国だらけ
62 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 18:50:27.45 O
>>56 いや、だからそういう意識で統一が成されたとは思えない
秦、漢、隋、唐、宋、明、清も
ガチで戦って相手を滅ぼしてる
分裂状態を維持したい中間権力層がいなかったのも効いていると思う
誰がTOPになるかが全てであって統一の功臣ですら粛清される国柄だったからね
No.1以外を目指すことに意味がなかった
ではなくて、中国は西欧と違い、豪族が知識階級や高級官僚層に取り込まれて消えた
一方の西欧は近世になって国家組織が整備されるまで豪族による封建支配だった
65 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 20:07:05.88 O
>>64 しかし、動乱期の群雄達がそういう豪族にならずに消えるのは
一度社会が崩壊した後漢末から続く動乱じゃ豪族や群雄が湧いたけど
隋唐以降は、士大夫層が統治階級に組み込まれて
私的関係による群雄じゃなく小国家になってるから。一言で言えば支配制度が整ってる
科挙があるから貴族階級を形成し得ない
権力握っているのは科挙で選ばれた官僚だから内部からは廃止論なんて出てこないし
王権を奪取した側は自分の統治に都合の良い官僚組織を壊したりしない
68 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 21:12:47.41 O
>>66 群雄も、長く続いてればヨーロッパの王みたいに民衆から敬われる権威が付いたろうけどな
戦国時代の王国も、
秦帝国崩壊後、一旦は全て復活した
>>62 意思なんかいらないよ
なるようになるだけ
システムやまとまり方が優れているなら残るべくして残り、
どこかに脆弱さを抱えているなら滅ぶべくして滅ぶ
進化論と一緒
>>62 意識で統一がなされたと56には書いてないだろう。
周りを外敵で囲まれていて常に侵略侵入されていたし、内通者にもことかかなかった。
だから内側では、寄らば大樹の陰ということで、統一された大きな国が民衆により望まれた。
中国というのは昔は国内になんでもある豊かな一流の大国だった
中国では主を民衆が選ぶと言われていて、武力だけ強くても覇王と呼ばれて天子にはなれなかった。
建前上のことだろうけれど、皇帝になる人間も気を使っていた。その民衆の希望が統一された大国
なのだろう。中原に世界一の統一国家ができるというのは、民衆に刷り込まれていることなのかも。
>>68 違う違う、支配体制が非常に脆弱で粗雑だったので
狭い領土を統治するにも私的家来の他、血統や家門や家柄に頼らざるを得なかった
>>70 農民反乱の指導者がそのまま皇帝になる国なんて中国だけだからな
紀元前に王侯将相いずくんぞ種あらんやなんて言葉が出てくる国柄
>>72 貴族諸侯階級は反乱で皆殺し。古くから続く貴族は唐末までに絶滅。
庶民が皇帝になる国、貴族がいなくなった国。だから、歴史学者のなかには中国を
ある意味、世界一進んだ国と言う人も。功利主義拝金主義者の国なのに
民衆が共産主義を選んだ時も世界が驚いた。現在の中国式の共産主義の拝金主義にも
世界が別の意味で驚いている。これから金持ちは逃げ出してやっぱりまた中国は民衆の国に戻るのかも。
74 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 00:42:03.70 0
>>72 でもそれまでは全然農民なんか表に出てなかったんになぜ
75 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 00:55:50.25 0
なんか西洋のが既存の秩序とか伝統とかに対して厳格な気がするんだ
貴族階級も王侯も未だに存続してるし、中国は逆に秩序、伝統は
文化レベルでは存続するものの人的レベルではほとんど軽んじられる
し、続いてるものがない。歴史的建築物にしても同じ。
これは遺伝子的なものなのかも
76 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 01:03:34.48 0
ヨーロッパではおなじ一族でけいしょうするしな
中国は武力で無理矢理統一した
力が正義
ヨーロッパはローマ教皇がずっと存在し政治的に影響力も持っていた
キリスト教が正義
78 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 02:15:19.64 O
>>75 日本も古い建物なんかほぼ無いじゃん
木造だからすぐ燃えるし腐るだけ
>>75 中国では新技術が発明されると直ぐに広まったが
西欧だと仕事を奪われる職人ギルドが反抗して潰す例はよく遭ったしな
何故共産主義になったかが謎過ぎる
>>73 西欧貴族は能力に関係無く血統によって権力を与えられる
唐前期までは中国も同様だったが、官職は能力によって得る物になり
貴族制は解体された。元と清で多少揺り戻しはあるけどね
81 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 10:34:41.92 0
>中国では新技術が発明されると直ぐに広まった
ほーんと〜、ちぃーとも知らなかったわぁ〜
>>79 共産党が地主を襲えと命令したから
中国で国王になれるのはずっと盗賊の親玉
83 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 11:31:44.41 0
>>80 >貴族制は解体された。
>>82 >共産党が地主を襲えと命令したから
中国で国王になれるのはずっと盗賊の親玉
謎だ(笑
84 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 11:52:25.82 O
>>80 それが不思議だ。
日本では例えば信長や家康が従来の貴族を倒しても、
自らの部下や同盟者に沢山の領土を与え、
そいつらが新しい貴族になってる
つまり、中国ではなぜ春秋戦国時代以降
封建制が再び現れることがなかったのか?という疑問に行き着く?
86 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 13:00:37.39 O
関ヶ原の戦いで、秀忠軍を入れた徳川ベストメンバーで勝利しても
国中を全て徳川で占拠するのは不可能だし
もちろん譜代大名は現れる
中国は公的な契約関係以外にも
たくさんの結社が並立していて、
地図上はひとつの国でも
地図に表せない権力構造が無数に並存
しているんじゃないかね。
88 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 13:38:59.97 O
東北
・金(満洲)
華北
・燕(河北)
・斉(山東)
・代(山西・内モンゴル中部)
・秦(陝西・甘粛東部・寧夏)
・羌(青海)
・涼(甘粛西部)
・回乞(新彊)
江南
・呉(江蘇・安徽・浙江・江西)
・楚(湖南・貴州)
・荊(湖北)
・蜀(四川)
東南海岸
・ビン(福建、属国として台湾)
・南越(広東・広西、属国として海南)
・大瞿越(ベトナム北半)
始皇帝が国中の郡の行政長官を任命制にした
これが始まりじゃないかな
つまり中央政府による支配と地方貴族の勃興の繰り返し
日本だと明治時代の武士の廃止と知事の任命にあたるが
ヨーロッパだと貴族は貴族のまま
中央集権国家は長続きしない
これは歴史の真実
>>84 封建制は結局のところ所領の多寡=軍事力の大小=政治力という制度
皇帝の独裁とそれに忠実な官僚という制度のもとでは皇帝を倒せない軍事力などあっても無駄
どんな功臣でも皇帝の気まぐれで誅殺され貴族化しようがなかった
日本では徳川の太平の世でようやく軍事力の意義の低下とそれによる武士の官僚化が行った
まあ今の日本は一転してどんどん世襲化が進んでいるけど
92 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 16:45:51.25 0
>>80 >貴族制は解体された。
>>82 >共産党が地主を襲えと命令したから
中国で国王になれるのはずっと盗賊の親玉
これは間違いだろう(笑
93 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 16:47:14.53 0
>>84 中国人は貴族を嫌ったのさ。元や清にいたのは、草原貴族やマンチュ貴族。
中国の議会選挙では幹部の息子でも普通に落選するからな
世襲を嫌う伝統は共産党になっても変わらない
一党独裁なんで選挙やってないと思ってる奴も多いけど
春秋戦国はおいといて、三国〜南北朝で369年間、五代十国で53年間、
金・南宋で144年間分裂してて、案外と分裂期も長いよ。
南北朝や五代と同様の状態ならば
フランスは17世紀より前は極限られた期間を除いてずっと分裂
スペインも16世紀前半に統合されるまでずっと分裂
英国も近世より前はずっと分裂したまま
ドイツもオーストリアハプスブルク王朝が成立するまで同じ
日本は大分マシでも、朝廷が支配力を喪失した平安後期から江戸幕府成立までずっと分裂状態
「中華」自体が拡大縮小してるからなー
古代は黄河流域の都市国家だけだったのが、
清末には東北、蒙古、ウイグル、チベットまで拡大
>>92 中国共産党は地主などの土地を奪って貧しい人に分け与えると言う戦略をしていた
それが目当て人が増え共産党は勢力を徐々に広げて行った
間違いでは無く真実
99 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 18:02:35.61 0
>>95 「(分裂している期間はあれど)そこからまた統一へ向かう中国、それはどうしてだろうか」
というのが片方の議題だろう?
100 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 18:04:54.34 0
>>98 地主の土地を奪って貧しい人に分け与えるということと82が同じとな?
共産党は、地主を襲えと命令したのか?解せんな。
>>82 >共産党が地主を襲えと命令したから
中国で国王になれるのはずっと盗賊の親玉
101 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 19:25:13.60 O
>>97 満州が中華の一部になったのは封禁を解いた1860年代だが、
それ以外は清より後かも
102 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 22:19:13.12 O
>>95 第一次、第二次の南北朝時代は
統一とは言えないまでも「分裂」とも言い難い。
103 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 23:56:09.67 O
>>96 逆に、民族が一つの国家に雑居してる状態もな。
但し、国内がほぼ一つの民族しかいないのは
前近代では日本と朝鮮くらいかもしれないが。
>>103 朝鮮半島は南北で夫余、高句麗、百済などの?貊族と
馬韓、新羅、加羅などの韓族、2つの民族が居る。
日本も琉球と蝦夷島、出羽北部は微妙だけど
105 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 01:54:47.93 O
>>105 中国王朝の臣民にはそんな意識は残ってないと思う
という事は中国人は単一民族で構成されていたんだな、成程。
んな訳は無くて、朝鮮半島の南北に主要な民族が2つあるのは否定しようが無い
統一国家が成立した時に同一国民意識を持つのとは別の話かと。
107 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 02:59:35.87 O
>>106 朝鮮半島北部で、
李朝時代に扶余系の言葉が話されていた痕跡は無い
108 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 03:04:16.32 0
だったら朝鮮語は日本系だな
>>107 中国で古蒙古系、羌テイ系、呉越系、百越系の言葉が話されている痕跡は無い
しかし、漢族が単一民族で構成されているかというと微妙だろう。
李朝時代も今も半島では方言間の発音差が大きい
これは異言語を上塗りした後によく見られる現象。
日本人が琉球人と蝦夷(エゾ。≠エミシ)の子孫を含んで構成される様に
半島の南北に主要な民族が2つあるのは否定出来無い、北東部には女真族の子孫も居る
これは一つの国の下で同族意識を持つ事とは別の問題
110 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 05:47:23.26 0
・・・は無い
・・・は無い
と匈奴すら「おそらく」程度で正確には言語が確定してないのに
根拠も出さずに言い切るのは単なるバカ度胸か単なるバカか無能か?
>>109 なんでスレタイに関係なく朝鮮話になってるのか知らんけど横から書くよ
朝鮮語の方言差が基層言語の特徴を反映しているという確信はどこにあるの?
具体的なデータはあるの?
まーたエベンキ妄説?
世界地図を見ると
中国はひと続き
ヨーロッパは山脈や半島が多くて分断されている
という感じを受ける。
それだけではフランスとドイツとの分裂は説明できないが。
オランダとかベルギーとかがあったりするし。
もうひとつ。
中国は
北方遊牧民族と南方農耕民族
という基本的な対立構造があったのが大きかったかもしれない。
3連投ですまん。
ヨーロッパもローマとゲルマンとの対立構造はあったけど
早くに崩れたからね。
>>109 朝鮮語は、済州島以外は、驚くほど均一な言語だよ。発音差なんてほんと知れてる。
基本的には、「慶尚道とそれ以外」に二分され、
例外として、咸鏡道だけは孤立して慶尚道と同系だが、これは、まとまった移民があったため。
李朝中期ごろまでは、あのあたりは女真語圏だった。
エスニシティ的には、ソウル北方付近でざっくり南北分裂するが、言語(方言)では全く対応しない。
116 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 10:52:20.51 O
>>112 スイスだって混じってるし。
日本や朝鮮や中国みたいな同化制作が無かったか
117 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 11:40:23.13 0
>>115 60年掛けて今、2大方言区分を形成する実験中なわけだが
118 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 13:00:09.17 0
>>115 慶尚道サトゥリは新羅語の名残でアクセントを保有していて
それ以外の方言は元々新羅でなかったからアクセントが消失してったという説をよくきくんだが
>>118 それが正しかったら、諺文制定時には、当時の漢城(ソウル)標準語のアクセントは、確実に消えてるはずだよね。
実際には、李朝中期くらいまでの随分長い間、漢城方言でもアクセントは残っていたし、
上昇アクセントの痕跡は、長母音としてほんの数十年前まで残っていた。
慶尚道方言は、母音がかなり激しく合流して、母音数が減っているので、
その代償として、アクセントを消滅させにくかったのだろうと思われる。
あーあ、朝鮮ネタで2ch特有のクソスレに転落
さいならーー
121 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 17:13:17.09 0
これは嫌韓ネタでなくチョンネタ
122 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 18:48:32.87 0
123 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 19:23:25.68 0
(世界史板やのにチョンネタしたら)いかんのか?
124 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 20:43:03.07 0
朝鮮史は中国史の一部だと思うが
中国もそう言ってる
125 :
世界@名無史さん:2014/01/13(月) 23:53:10.71 O
要するに、東アジアは同化力が強い
大陸はそうかもしれんな
でも日本と中朝は鎖国同士w
ヨーロッパだと王や貴族が親戚と有るんだが
東アジアだとほとんど無い
やっぱり中国の中央集権国家が問題のような気がする
127 :
世界@名無史さん:2014/01/14(火) 00:13:28.20 O
>>126 中国の律令を用いて、日本や朝鮮は単一化されたのかもしれない。
もし律令が徹底されずに封建制になってたら
未だに異民族だらけだったりして
律令が無かったら天皇、王家や藤原家が支配力を喪失した後
武家の幕府が一応名目上大体の範囲ではあっても、天下統一する事は
数世紀遅くなってたかもなあ。
下手したら鎌倉時代と室町時代すっ飛ばして、いきなり近世国家誕生だったかもしらん
>>80 >西欧貴族は能力に関係無く血統によって権力を与えられる
能力関係あるよ
あんまボケだと廃嫡される
嫡子が一人しかいなけりゃそういうこともないけど
それは洋の東西を問わずそうだろ
>>127 それは違うぞ。律令によって豪族の合議制から天皇中心の中央集権国家になった
(朝鮮はいわば中国の一地方で中国の力の強いときは国として認められず諸侯あつかい、日本とは別物)
ところが天皇や貴族に力があって中央集権になったわけではないから、その体制は長くはつづかなかった。
131 :
世界@名無史さん:2014/01/14(火) 19:47:46.66 O
>>128 民衆に「日本人」という意識が芽生えたかも怪しいな
132 :
世界@名無史さん:2014/01/14(火) 20:49:18.68 O
>>126 ベトナムは知らないが、
中朝日で婚姻無いな
>>48 イスラムの侵入がないか、東ローマを潰せるぐらいの力がイスラムにあれば統一はあったかもね。
結局中途半端に弱ってしまったせいで、後継を担うような勢力もできず、かといって東ローマ自身による再統合もできなくなってしまった。
東ローマが倒れれば西欧含めて全部イスラム化して、地中海世界でそのまま行っただろうし、イスラムの侵入が無ければ東ローマが盛り返して(あるいは後継となるような勢力が表れて)再度西方征服が行われたかも。
>>132 日本以外(ベトナムは知らない)は、中華文化圏だからその間では婚姻は
あっただろうね。
ヨーロッパは、王族は親戚同士。王族と貴族の間のほうが王族同志よりも
へだたりが大きい。
ローマ帝国は蛮族が文明社会を征服して出来た帝国で
北魏や清みたいなもんでしょ、どっちも満州から出て来たけど
中原に覇を称えたら結構な部分を棄てちゃったし
ビザンツも欧州北西部を再征服する気は無かったんじゃね
136 :
世界@名無史さん:2014/01/14(火) 22:45:09.74 O
>>134 少なくとも朝鮮半島の政権が、
中国などと婚姻したとはあまり聞かないな
元くらいしか
137 :
世界@名無史さん:2014/01/14(火) 23:52:22.61 O
大理は日本朝鮮とは真逆のルートやったな
>>132 日朝は百済までは有った
あとはごく最近で李方子がいる
律令ガーというのには、激しい違和感を感じざるを得ないなあ。
それを言うなら、ヨーロッパにおける、ローマ法の圧倒的影響力は何だったのか?ということになる。
古代ローマの判例と学説の集大成であるローマ法源は、
西ローマが滅亡し、東ローマがビザンツ化した後も、
(イミフになった部分が多くきちんと読めないだけで)中世の間もそれなりに機能していて、
それがルネサンス期に、大々的に復活することになる。
これにより、18世紀には、法律的にはヨーロッパ大陸部は統合されていた。
ヨーロッパの国家にとって、自国民の争いを、国家権力がどの法で裁くかというのは、
国家のありかたを決める、極めて重要なポイントだった。
ヨーロッパの歴史家には、「法圏」という地域区分の発想法が昔から存在していて、
法がどんなものかは、歴史と文化を考える王道として、常に問題とされていた。
律令って、そういうものかね?
古い時代の欧米人学者は、律令法圏なるものを立ち上げてみたが、
実体は何もなかった。そもそも、あれは法なのか?と疑う人すらいる。
140 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 01:12:17.74 O
じゃあ律令じゃなくてなんだろうな、
唐で生まれ、日本や新羅で民族を均一化させるように働いた制度はないかな
141 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 01:35:33.00 0
君主や貴族が異民族と婚姻を結ばないことで国家と民族の境界を一致させた?
日本は唐に負けて内向きに
新羅も唐を拒否して内政重視
確かに区別が明確になった時期かも
唐はわりとバカ?
>>139 今伝わってるローマ法ってビザンツで作られた物だからね
ローマ帝国時代の法はモンゴル帝国と同じで
単に偉い人の命令や処置が積み重なっただけでしか無い
古い時代の欧米人学者は、道楽をやって飯が食えた只の小説家
学者でも研究者でも無い
いや、判例法ってそういうものだろ
ラテン語は古くから磨き上げられた「法律の言葉」であり
そこだけはギリシャ語に譲ることはなかった
145 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 10:06:13.85 O
>>142 新羅なんか、数年前まで対等に戦っていた二国を併合したわけで
そこらへんをまとめるのに唐の制度を重宝したろうな
>>139 律令はガチガチの絶対王政主義的だがローマ法は民主主義的なのだよ
それが18世紀末に決定的な違いを生み出すにいたるのだ
147 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 12:32:46.35 0
コモンローも知らんと、法学語る奴が多いのは、成文法こそ法律、という変な認識が
日本人に定着しちゃってるからか
これも律令導入の名残だったりしたら面白いな
148 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 12:52:19.31 0
律令制度を完璧にやろうとしたらコンピュータが必要
>>144 いや、全然違う
単なるその場その場の命令や処置の集まりであって、相互いに矛盾する物も多く
近世西欧諸国の法体系とは似て無いし、その時の権力次第だから判例法でも無い
>>147 英国の法は拘束力が強く、中央行政府の裁量権限が幅広く封建的で権威主義
法学の分野じゃあなく、酋長が学ぶ権力者の為の統治術
150 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 16:11:06.88 0
ローマ法は、戦国〜後漢までの法令と一緒だと思うよ
体系化して編纂されたビザンツの法律が魏晋南北朝以降の律令と類似する
151 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 20:31:31.34 O
>>141 いや、少なくとも唐までの北朝は遊牧帝国と婚姻関係がある
柔然、突蕨、さらに吐蕃もあったしな
農耕国家である満州民族の渤海や南蛮の南詔にも降嫁してたしな
但し盛唐以降は貴族制が廃れ、血統だけでは権力が付与されなくなるに連れ
漢族の中国王朝では降嫁はしなくなっていくけど
153 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 22:20:09.98 0
渤海は主体はむしろ扶余系じゃね?
のちのちツングース化したかもしれんけど。
>>147 明治以降の軍国主義〜戦後の長期一党支配で刷り込まれたお上意識だと思うよ
お上の制定した法律が絶対でコモンロー的な考えは徹底的に支配層から忌避された
155 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 22:26:23.58 0
柔然、突厥、吐番は北朝にとっては異文化圏であり、
強敵(とも)として同格の相手であったから通婚はそんなに不思議ではない。
そもそも北朝がもともと遊牧系の子孫だし。
しかし南詔と渤海はよくわからないな。
新羅や日本と同じで、唐の文化的影響下にある格下の国だろうに。
ただ、東アジアの四カ国の中で、
引きこもるようになった日本と新羅は今日まで残り、
南詔と渤海は消えうせたことは偶然じゃないような気もしないでもない。
156 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 22:31:23.48 0
渤海との通婚ってあったっけ
>>151 日本と朝鮮の話な
唐で生まれた制度が日本と朝鮮の民族を均一化させたとは言っていない
>>154 コモンローはお上絶対の封建的統治文化な
>>153 渤海の主体は靺鞨、これは後の満州族
夫余系の高句麗人も建国に加わってるがあくまでも少数派
>>159 扶余は滅びた民族。高句麗と扶余は別もの。
161 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 00:47:16.04 0
>>152 唐は外向きだと思うが、
宋になって中国も内向きになったような気がする。
162 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 01:21:21.14 0
変なPが湧いてる
163 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 01:58:29.36 0
>>159 靺鞨でも西南部は扶余系の言語だったという話もあったような
>>163 夫余人の残した記録が残って無いから、お話だけなら何とでも創れるわな
夫余が勿吉の攻撃を受けて滅亡した後、西南部の部族に同化した遺民も多いってだけで
高度な行政用語や概念語などの一部単語を除けば、滅亡した民族の言葉を使う蓋然性が全く無いしね。
例によってバ韓酷か金王家が願望に基づいて創造したお話でしょ
>>154 中世以前の神秘主義が色濃い儒教をベースにしているから
カルト臭いしな。
>>158 コモンローは要するに上意下達
成文化された法律ではなく、お上の指示が絶対という体制だしね。
強大化した古代の部族によく見受けられる支配原理
167 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 17:31:49.00 O
何回も復興運動があったあったな、
渤海は
民衆にとっては契丹より渤海のが暮らし易かったんだろうな
結局は遼に取り込まれて、復活するのは金の登場まで待つ事になるけど
契丹は契丹人の国だろう?渤海はしらんが。渤海は国じゃないくて
中国の地方だろう?渤海王は中国の地方政府の長。
170 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 20:41:52.37 0
171 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 20:46:54.47 0
西洋の場合だと、
「スペイン」、「フランス」、「ドイツ」、「イングランド」という
単位ですらまとまっているとは言い難い。
同じラテン系、ゲルマン系であるにもかかわらず
政治的に強くまとめられていなかったせいか
それぞれの帰属意識は国家よりももっと小さい単位に向いているような気がする。
その一方で、国家を超えた結婚見たいのも当たり前に行っている。
それに比べ、東アジアでは「国境」が非常に大きな役割を持っていて、
その中での同一意識も高い。
172 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 20:52:25.47 0
例えば、フランス革命より前に
「オレはフランス人だ!」っていう考えはあったんかいな?
173 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 20:56:35.12 0
ブルゴーニュ人
ブルターニュ人
ノルマンディー人
ガスコーニュ人
アキテーニュ人
プロヴァンス人
ランドック人
174 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 20:58:04.85 0
アキテーニュ人 じゃない アキテーヌ人
175 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 21:24:14.42 O
>>173 ブルターニュ以外はみんなラテン系か?
逆に言えば、
ローマ時代には現在の国境を越えた「ローマ人意識」が、
ラテン系地域にはあったかも。
176 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 22:15:42.01 0
>>171 国境が大きな役割をもっているのは、東アジアではなく日本だけじゃないかな?
欧州と同じく大陸では、いろんな民族が集住している。
>>175 ビザンツが分離した後も、6世紀か7世紀か忘れたが
結構遅くまで同じローマ人という意識は残ってたしね
住む国は自分で選ぶのが当たり前というのが欧米の文化
日本人が成人すると田舎から東京に出ていくのと同じ感覚で移住していく
179 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 22:51:10.18 O
>>176 朝鮮半島でも、李朝時代には中国からの人間の流入が
ほとんど見られなくなるらしい。
ベトナムはわからない。
ただ、明との戦いを見る限り、民族意識はあったっぽい
>>178 中国人そっくりだな。日本人とは感覚が違う
181 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 23:39:13.09 0
渤海だって復興運動もあったし、
「渤海人」という呼び名も残っていた
扶余系かツングースか知らんが、相当統合は進んでたんでは(南部では)
182 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 23:46:27.68 0
>>172 >>173 なんかパっと見、
中国にくらべてヨーロッパってすごく遅れて見える。
「フランス王国」って言っても、
無数の都市国家が殷や周にしたがっている状態に近いし。
イタリアなんて統一して100年程度
ヨーロッパは土地に根ざした領主が基本
日本に似てるんだよ
欧州でも北西部かな、オスマン、ビザンツは官僚制の発達した帝国だし
185 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 01:38:54.10 0
東欧なんてゴミ
186 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 03:11:24.93 0
フランスが「フランス」として成立したのは百年戦争がきっかけ、とはよく言われる
アカデミー・フランセーズやら、言語の統一やらリシュリューからマザラン、ルイ14世あたりでほぼ完成した
フランス革命はその果実であって萌芽じゃないわな
187 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 03:13:11.17 0
逆に、ドイツやイタリアは、今だに「ドイツ人」「イタリア人」ってより、属する
地域に対する帰属意識の方が高いんじゃないかね
欧州には、欧州人が結集して闘わなくてはならないような外敵がいなかった。
逆に欧州連合は、第二次世界大戦後のアメリカと言う欧州のライバルを意識して
アメリカを凌駕するという目的があってつくったと思う。EUは新しいローマ帝国に
なりたがっている。アメリカのほうもローマをほうふつとさせるギリシャ風の建造物や像がある
189 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 13:45:58.86 O
レベル1は帝国(ローマ)
レベル2は国民国家(フランス、西ゴート、東ゴートとか
レベル3は地域国家(ブルゴーニュやトスカーナ)
190 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 13:47:33.22 0
>>189 ブールゴーニュ国家は、現代的な意味ではプレ国民国家ではなかろうか
特にフランドル
豪族の集合体が国民国家とか、凄い発想だなww
古代夏王朝は国民国家、邪馬台国も国民国家、統一以前のスペイン各地方も国民国家だw
>>188 >>欧州には、欧州人が結集して闘わなくてはならないような外敵がいなかった。
WW2の後はソ連が外敵の役割を果たしていたんじゃね?
欧州が結束してもアメリカの力を借りないとソ連には敵わなかったし。
>>192 冷戦構造のときはそうだっただろうけど、それ以前は欧州人が結集して
戦わなくてはならないような外敵はいなかった。ww2では欧州が戦場に
なってしまい、ww2後の劣勢、米ソの優性は欧州人にとって脅威であり
屈辱だっただろう。それが欧州連合結成の動機の一つだと思う。
日本も最近簡単に中国との戦争を言ったりしている人たちがいるようだけど、
日本が戦場になってしまえば、これほど不利なことはない。今までの優性を
一気に失う時代になるだろう。戦争は避けよう。
195 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 17:08:45.94 O
日本も東西ゴート、フランクも
レベル1の遺民を活用して
レベル2の国家をまとめていたという点では同じ
196 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 17:39:33.17 0
>>195 国民国家には近代的に明確な意味があるから、別の定義で使いたいなら違う言葉持ってくるべき
197 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 18:15:26.13 O
「王国」は?
198 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 19:07:55.71 O
中国は、分裂してから数十年ですでに前秦が華北統一してるのか
199 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 20:49:18.28 0
フランク、西ゴート、東ゴートが統一される可能性は無かったんかな?
それは有ったんじゃね、数回試みられてるし
成功しかけても結局失敗したけど
あんたら歴史シミュレーションやったことないでしょ?
やったことあれば中国が統一しやすいのはすぐわかる
こんなのは幼稚園児でもわかるわ
欧州に比べて中国は滋味豊かだからね
一旦国が大きくなると他の小さいところより圧倒的に有利になりやすい
面積増大→国力急激増加→さらに面積増加→・・・
のスパイラルが働くわけ。歴史シミュレーションも後半は圧倒的力の差ができつまらなくなるからね
逆に欧州は貧しいから面積ある程度増えたところで
他より有利になりにくいわけ
202 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 22:54:48.07 O
>>200 地形のせいでしょうかね
中国は前秦が崩壊してもすぐに次が来る
>>203 は?中国くるまで
どんだけ面積獲得したと思ってんだ?
205 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 23:32:06.70 0
ぜんぜん滋味豊かじゃない
>>201 もっと、どうして中国が滋味豊かなのか(意味がよくわからんが)とか
ヨーロッパが貧しい(意味不明なんだが)の説明をしてくれないと
言っていることの意味がわからないよ。
207 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 23:40:19.46 O
208 :
世界@名無史さん:2014/01/17(金) 23:46:16.84 0
じゃあなんでローマはヨーロッパ大陸を統一できたんだ?
後出しジャンケンの支那文明
210 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 00:05:31.07 O
>>208 イタリア以外は後進地で、
まとまりが無かったから…とか
>>210 ギリシアとエジプトが有ったぞ
中世以前はキリスト教の力が強すぎて
それを否定する王が出なかったからかも
>>209 勃興時期にエジプト王国マケドニア王国の崩壊と重なったからでしょ
大明帝国が分裂して滅亡した空白に女真族が進出したのと一緒
中東もインドも分裂しまくり
214 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 02:43:13.35 O
秦は同一文化圏の統一でしかないのに、
ローマは言葉も通じない地域をよく征服できたな
しかも海沿いに
秦は同一文化圏の統一でしかないのに、
モンゴルは言葉も通じない地域をよく征服できたな
しかも文明として圧倒的に遅れていたのに
秦は同一文化圏の統一でしかないのに、
女真は言葉も通じない地域をよく征服できたな
しかも文明として圧倒的に遅れていたのに
バビロニアは同一文化圏の統一でしかないのに、
エドプトは言葉も通じない地域をよく征服できたな
しかも細い回廊伝いに
マガダは同一文化圏の統一でしかないのに、
大月氏は言葉も通じない地域をよく征服できたな
しかも大山脈を超えて
>>208 ローマ帝国の時代は周りに大国があった。
それになにより、
>>1の設問は、ローマ帝国以降どうして欧州は統一されず
分裂をくりかえしたか、ということ。
欧州がローマ以降統一せず、ローマ帝国以上の発展をとげたということは、欧州の精神性が
進化していったということを意味していて、中国が有史以来統一したがり、輪廻の輪をぐるぐる
まわっているような歴史をくりかえすのは、精神的に発展があまりなかったということを
意味しているのかもしれない。
西洋は地中海という圧倒的な障壁があんだから
そら統一はしにくいよイタリアとスペインが独立しやすい地形
ブリテンもそうか
フランク王国みたくドイツとフランスは統一できる可能性はあったがね
歴史的理由と環境から来る風習の差でできなかったが
218 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 11:00:06.17 0
圧倒的な障壁は地中海よっかアルプスではないの?
219 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 11:04:43.88 0
地中海を「障壁」って……
地中海はむしろ文化圏をつなげる鎖って評価されることのが多いのに
>>219 そうだよな。むしろ地中海は一つの文化圏だよ。同じような黒い目黒い髪、上半身が発達して
腕の長い、骨組みの大きい、肌の浅黒い人たちが住んでいる。
いや普通に軍事的には障壁ですがな
文化圏つなげるのはそらそうだがそもそも海が平地だったら
「違う地域を?ぐ」
でなく「一つの地域」になってまっせ
>>221 ローマ時代はカルタゴがあったけど、欧州からみて地中海の向こうに大きな脅威は
なかっただろう?地中海は障壁どころか、恵みの海だったんじゃないか?
ローマ帝国って明らかに地中海沿いに国が出来た
船を戦略的に使っていたから
地中海は障壁じゃない
>>222 スペインイタリア間では障壁だっただろ
イタリアトルコ間では障壁だったろ
そういうこと
>>223 そもそもあそこが平地だったらってことを想定してんだぞ
全部「イタリア」になる
>>224 イタリアとスペインだったら地中海関係ないだろう。地理的なことをいうのなら
むしろ山だろう。地中海がどんな障壁になったというんだろうか?
むしろ昔は川や内海にそって交易がさかんになり都市が開けた。
いや山脈って
山脈もあるけどそれ地中海があるから「山脈が障壁」
になってるんだよ
何度でもいうが
「地中海が平原だったら」ってこと想定してんだぞ
>>226 すると、「地中海が平原だったら」ヨーロッパは中国のように統一していたという
ことですかね?それはまた別の問題で、ほかにスレッドを作っていただいて議論すれば
盛り上がるのかも、ですが。
おいおい
何故中国と違い西洋は分裂したか?ってスレだろ
でその理由を俺は地中海に求めたわけだ
なら
「地中海がなかったら」という思考実験するの当たり前や
おかしなことを言ってる脳
229 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 13:16:02.62 0
旗、前漢、後漢、
前秦、北魏、隋、唐、
>>228 中国も海に囲まれていますが、欧州とは別の様相を呈していますよ。
地中海を分裂の理由に求めるのは、やはり無理があるんじゃないでしょうか?
むしろ中国が特別なんじゃね
中国の場合は
基本的には内にこもっての発展性に乏しいかったからじゃねーの?
モンゴル帝国の場合が例外で
233 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 13:56:40.86 O
秦の前に中華の概念はあったが、
ローマの前にはヨーロッパの概念は無いネ
>>230 中国の真ん中に海があった場合を想定してんだが。。
235 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 14:05:26.51 0
>>233 え!?
ヨーロッパってヘカタイオスの地図が初出じゃん
ローマより全然前だぞ
一方で中華の初出は孔子が書いたとされる春秋
「中華」と「ヨーロッパ」、どちらの言葉が生まれた時期も紀元前500年前後で同時期だ
>>234 その想定の話なら、別にスレッドをたててくれっ。
>>235 欧州の今の主たちは、そのずっと後に移住してきたんだから、
それは関係ないだろう。
238 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 14:18:41.60 O
>>235 共通の文化圏としてのヨーロッパはローマ後じゃない?
占領する価値のある土地が地中海沿岸くらいしかなかったんじゃね
春秋・戦国以前に共通の文化があったのか?
楚や秦だって以前は夷狄だったのだろう?
今だって北と南じゃ言葉も主食も違うぞ
なんか変なレスが多いなあ。
SPQR(ローマ帝国の正式名称)の、ラテン語解釈から始めるべきなんじゃないの?
ここに、古代ローマの政治形態の、かなり特殊なところがある。
帝国とは言うけれど、建前はどこまでも「ポリス連合」であって、
「都市ごとに、住民たちが直接統治する都市国家」の枠を、建前の上では、意図的に保持してる。
豪族が個人で支配する邑ではないので、都市を征服しても、住民を全員虐殺しない限り、都市国家は残ることになる。
同盟都市戦争の後でも、ローマ中央と同盟都市との間の関係は、国際法上の外交関係として規律される。
244 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 16:47:31.87 0
245 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 17:28:25.18 O
>>240 秦の将軍も大臣も中原などの出身じゃね?
中華内の人の交流は非常に盛ん
246 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 18:50:36.56 O
楚も中原に遷都
>>236 最初のレスみろ
イタリアスペインが独立しやすいと書いとるものがある
そこからはじまってるんだ
本当に頓珍漢だなお前
248 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 18:55:30.36 0
アラゴン海上王国の事を知っていたらイタリアスペインが独立しやすいなんて口が裂けても言えないと思う
特殊な例を挙げて全てを解説するのは詭弁の典型だろう
カルタゴもそうだが海があったから特殊な技術である航海術を発達させて
それが有利になる国家もあったが
ふつうは障壁だからこそカルタゴの有利さが出てきたわけで
地中海が中原のごとく河川がある平原であったらそもそも
そんな技術はいらん
250 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 19:07:01.13 O
>>242 日朝越に比べて
内部での統合が全くない
多数派と呼べる民族すらない
251 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 19:16:25.32 0
>>249 フェニキア
ギリシャ
カルタゴ
ローマ
イスラム
ノルマン
アラゴン
スペイン
オスマン
無数に地中海を跨いだ政権が出現しているのに一体何が特殊なんだ?
地中海などという穏やかな海を渡るのに大した技術が必要な訳がない
仮に障壁だと捉えたとしたら当人たちはその向こうに外敵がいるだなどと露にも思わないだろうよ
>>216 西欧の発展の主たる要因は全てが米大陸からの収奪に依拠していた
米大陸からの膨大な額の金、銀が無ければ
北西部欧州世界全体の急速な経済発展と技術革新は起こる可能性が全く無かった
>>241 それは気候による、夏から周代に掛けては華北でも稲作が広く行われていた。言葉は北も南も中国語。
尤も、南北の方言差を北鮮語と南韓語が別言語と規定するのと同様に見る輩も居るけどね
>>243 要するに知識人の絶対的な不足のせいで、行政組織が整備出来ず
図体はデカくなっても領域国家化出来無いまま、未発達な都市国家連合体であり続けたって事か
あのね
それらの国家は「海軍」があるでしょ
「海軍」があることこそ「特殊」なんだよ
地中海がなければそもそもそんな技術はイラン
あと航海術はいつの時代も最先端
「たいした技術」だよ
ガレー船でも帆船でもいいがどれだけ複雑で運用面もめんどうか
歩兵とくらべたら馬鹿でもわかるだろ
254 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 19:44:03.81 0
>>253 海に面した国において海軍があるのは非常に当たり前の事だ
地中海や北海という航海技術を磨くことのできる穏やかな海域があったからこそヨーロッパ人は世界中を征服したのだ
それはイスラムとアラビア海・紅海、マレー・ポリネシア人とインドネシア多島海にもアナロジーが見られる
これらの地域では沖に釣り船を出して魚を捕る事の延長で航海技術は発展できる
逆にアフリカや南北アメリカのような閉鎖海域に乏しい地域では航海術は発展しなかった
そうだね
でその技術は沿岸国家がもつ特殊技術で
さらに海上で優勢を保てる海軍となると沿岸国家でも一部しかないでしょ
技術と維持コストが『桁違い』
そういう障壁があります
256 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 19:56:08.78 0
とにかくな
「特殊」とか「めんどう」とか「たいした」とか主観でいくらでも基準の変わる言葉を使うな
「すべての海は障壁である」これは×
「荒波の立つ外洋は紛れもなく障壁であるが、航海技術を発展させられる様な穏やかな内海は通路となる」これが正解
257 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 19:58:58.52 0
>>255 保てない国は海洋勢力か大陸勢力のどちらかに侵略されるか緩衝地として残されるかの二択なんやで
それが地政学や
258 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 20:06:06.66 O
少なくとも前秦にできたことが
東ゴート西ゴートフランクにはできなかった
>>256 航海術は徒歩とくらべ特殊な技術だろう
比較が歩兵なんだから
「たいした」は「たいしたことない」に対応させてんだから
主観は他方がいいだしたこと
単純な話で地中海なかったら陸軍だけ必要でしょ
侵略には海軍という コストと技術必要なものがさらに必要なんだから
侵略側にとっては障壁ですがな
あと商売のことでなく軍事の話だぞ
通路にもなるがそれは平原なら全部通路ですがな
何度もいうが中原と比較してんだ
内海は、通路になるし、その道路づくりもメンテナンスもいらない。
内海を航海するのは簡単。そして古来より海洋民族がいてまかせられる。
日本の水軍も、水軍をつくったのではなく、古来より船を浮かべている人たちが
水軍になった。
内海を障壁なんていうのは、とんでもないこと。
輸送機関の発達していない時代は、物資を船ではこんだ。
内海や川こそ都市発展の礎
261 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 20:23:56.42 0
>>259 平原には人が住んでる
征服して回らないといけない
人間の食べ物だけじゃなく馬に食わす飼い葉も必要
大砲が発明される前の海戦がどんなものだったか知っているか?
まあそんな事はいい
ヨーロッパが統一されなかったのは気候帯を南北に分けるアルプス山脈が存在したせいだ
大帝国は気候の似通った東西には拡大しやすいが、南北へは拡大しにくい
アルプスを跨ぐと生活習慣がガラリと変えなければ適応できない
そのためローマ帝国はバルト海に到達することはできなかったし、神聖ローマ帝国も瓦解した
>>256 瀬戸内海はよく両岸を跨いだ国が出来たしね
大内家然り、京兆家然り、三好家然り、毛利家然り
>>261 アルプスは障壁だろうね
イタリア防衛に役に立つ
それはともかく平原に人って
なんどもいうが想定が中原なんだからその間は隣接してる想定だよ
なんで間が敵国かなにかという想定だ
輸送なら河川もしくは牛馬だろうがそれがナンだ
>>260 軍を送るんだぞ
ふつうに第一次ポエニ戦争でローマ苦戦しましたがな
あと河川は中原に普通にあるから河川交通は想定済み
秀吉も北条家征討や島津成敗では、物資は主に
東海道や山陽道じゃなく海路で運んでる
266 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 20:54:29.28 0
>>263 ヨーロッパが統一できないのは少なくとも地中海のせいじゃないってのは確かだな
(仮に障壁になった海を槍玉に挙げるとしたらナポレオンが越えられなかったドーバー海峡)
アルプスはプレート境界にあたるヒマラヤ・アルプス造山帯にあたり、ユーラシア大陸の中では当然険しい部類に入る
これは中国の四川盆地の四方や華南にある低い山々とは違って厳しい高地の環境があるだけではなく
山を越える空気を結露させてそこに雨や雪を降らせ、降水で水分を失った山の向こうへ吹く風は乾燥した気候(すなわち地中海性気候)を作り出す
気候の違いが文化の違いを生み、宗教の違いまで生み出した
このありさまは南北朝に分裂しても都が山がちな華南ではなくせいぜい長江流域にあって華北とは地理的に隔絶されていない中華王朝とは対照的だと思う
地中海のせいじゃないってのは確かといいきってるが根拠はかかんのかいw
理由ないならどうともいいようがないなぁ
気候の差は統一妨げる要因の一つにはなるね
>>265 河川でおk
>>264 しらんがな
必要あれば作るだろ
道路もコストかかるが海軍はそれ以上でんがな
アルプスって大した事無いよねw 海沿いルートも有るし
蜀の桟道と大差無い、というか秦嶺山脈のが険阻
269 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 21:10:43.52 0
>>267 アルプス・ヒマラヤ造山帯を跨いだ国家は地中海を跨いだ国家よりも少なかったと思う
神聖ローマ帝国はフランス王国に西側の平野部を削られて南北の交流が減ったことで分裂へ向かったとも取れるし
カフカーズ山脈はロシアとオスマン帝国・ペルシャを、ヒンドゥークシュ山脈はロシアと大英帝国領インドを、ヒマラヤは現在でも中国とインドを隔てているといえる
270 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 21:12:10.01 0
>>268 軍事的に制圧しやすいかどうかよりも、恒久的に支配して文化的に同化できるかという点の方が統一帝国の出現には肝要なんだよ
271 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 21:16:54.65 0
>>266 欧州が地中海のせいで統一できないなんて、突飛すぎる。ですね。
272 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 21:23:05.99 0
中国というのは、一族が固まり、その社会のありようは、年老いたナチズムに
似ていると言われている。そういう特色を持った社会だから、凝り固まる=統一を
めざしていたのかもしれない。
欧州のほうは、合理的な思想が統一するよりもわかれていたほうが一蓮托生に
ならずにすむとか、独立独歩の精神が独立をつづけさせていたのかもしれない。
現在私たちの目から見たって、どうして中国が分国しないのか不思議に思わない?
香港が中国になってしまったのも驚きだったし。
273 :
世界@名無史さん:2014/01/18(土) 21:31:22.04 0
>>272 「幇」って凄いよな
結局近くの他人より遠くの身内なんだぜ
>>272 西欧って何処も、中国の様な能力選抜による官僚制統治と違い
つい最近まで王族による非合理な封建支配体制だったんだけど
西欧は産業革命の波と民主化という2つの波に乗れたってのが大きいな
他の地域では産業革命は喜んで導入しても後者は押しつけられて嫌々って感じで
社会改革が遅れたままで結局西欧には勝てない
東アジアなんて世界最悪の少子化でその歪がもろに出てる
>>272 それは逆らったヤツに徹底して仕返しする国だからさ
弱いときはペコペコし、強くなったら高圧に出る
そして相手を攻撃し、土下座させ泣いて許しを乞うまで痛めつける
まさに死者を掘り出して鞭打つ国
今の中国そのままだよ
でも国が傾いたらその恨みで一気に滅びる
>>273 国より身内
法律より身内
それが中国で生き延びるために必須だった精神
>>273 お互いに呪縛しあっているんだよな。他人を傷つけることも平気になったりする。
>>274 西欧も非合理的な封建支配体制だったんだろうけれど、アジアとはくらべものにならない。
西欧は「飛躍」できたものな。アジアはそれができない。まねるだけだ。
>>275-278 何度か説明してやってる通り
西欧の発展の主たる要因は全てが米大陸からの収奪に依拠していた
米大陸からの膨大な額の金、銀が無ければ
北西部欧州世界全体の急速な経済発展と技術革新は起こる可能性が全く無かった。
というのが当の西欧歴史学者の一致した見解な
ギリシア諸都市はやむを得ずに近かったが、古代ローマの場合、
アジア帝国的官僚制は、「国体の根幹」として、意図的に採用していないんだよね。
十分出来るはずだったのに、意図的にやらなかった。
それは、ローマ市における、平民と元老院議員との二重構造、ローマ都市民と周辺農村住民との「顧問関係」
(ローマ式)民主政を支えている「この関係」を、壊したくなかったから。
だから、SPQRの原義に戻るべき、と言ったんだ。
これは最終的に東ローマで崩壊して、中国好きに好まれそうな皇帝権&真正の官僚制が成立するが、
それは「ビザンツ化」と言って、イタリア半島より西では、後々までとことん嫌われた。
「ビザンツ的専制は嫌だ」という発想が、西欧政治史の原点になる。
いいや、やれる素地が無い為にやりたくとも出来なかった。
文明から遠いイタリアには知識層が存在せず
官僚を供給するに足るだけの知識人が居なかった
帝政が長く続き漸く文化的に進歩していき、漸くディオクレの頃に成って
不完全ながらも一応の未熟な官僚制が可能となった
それまでは地方の豪族から、決めた額の上前を
軍事力による脅しやローマ市民権という特権の見返りに刎ねる事しか出来なかった
帝国全体を統治する官僚制は、様々の面の未発達により
やりたくとも実行する事など不可能だった、それがお花畑や妄想ではない正しい実態認識
282 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:37:30.91 O
そもそも東ゴート西ゴート崩壊後は
「地中海が障壁で〜」とか「それ以上にアルプスが〜」
とかいう以前に
イタリア半島、イベリア半島、ガリア、ゲルマニアさえ統一されてない件
283 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:46:10.69 0
>>279 それはちょっとちがうんじゃないか?
収奪された金銀が生かせるだけの下地が欧州にあったから飛躍できたんだろう?
今の中国をみろよ。世界中から金を収奪して、何ら新しいものをうみだせてない。
>>283 流れ込み続ける莫大な金銀があったからが故に
取引が活況を呈し、更に取引が拡大し、産業が拡大し
投資が行われ、富が拡大再生産されて周囲へ周囲へと広がり
国家財政の規模が膨らみ、富裕層が厚く広くなり、学者を抱える余裕が生まれた
無ければ不況かデフレが起きてそこで終わり
伸び縮みしながら漫然とした歩みを続けるしか無かった
中国は今急速に進歩している
それ以上に富んでいる先進諸国も同等以上に進歩しているというだけの事。
西欧の発展の主たる要因は全てが米大陸からの収奪に依拠していた
285 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 01:08:10.55 0
>>282 ゴートじゃなくてフランクって言いたかったのかな?
286 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 01:10:28.38 O
>>285 イタリア半島は東ゴート、
イベリア半島は西ゴート崩壊後、
ガリアはフランク崩壊後
法学者たちが、紀元前1世紀までに、債権譲渡と法人(国体に反するため特に禁止)以外の
現代文明社会が持つ、すべての民事法制度を書きあげた
あの古代ローマを以て、「知識人が存在しない」ねえww
物権や債権は当然、契約、不法行為、善意無過失、損害賠償制度、危険負担などの諸制度から、
売買、請負、賃貸借、委任、といった主要な典型契約から、消費寄託(所謂銀行預金)のような高度な契約、
さらに、現代的問題とされる、瑕疵担保責任や製造物責任に至るまで、
近代法の複雑な概念は、民事法については、キケロの頃にはほぼ出揃っていた。
刑事法も、違法性、故意、過失、未遂など、帝政前期にはほぼ出揃うことになる。
一方前漢帝国は、法は3条だけでいいアルヨとのたまっていたw
まあ、これは法家への反発だけどな。
288 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 01:34:51.96 O
西ゴートがなくなったから
また振り出しに戻る
アストゥリアスというめっちゃ小さいバスク人の国からのやり直し
中国は皇帝が絶対だったから法が邪魔だったてことか?
不満が有れば反乱で国家転覆しろとw
290 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 03:18:32.20 0
>>287 そんな物は全く書き上げてなどいない
そもそもローマ法はなんら体系立って処らず、場当たり的な命令や指示の積み重ねでしかなかった
まともな、相互矛盾や重複の少ない法典となったのはビザンツに於いて。
現実に基づかず妄想でお花畑を膨らませても無意味、無駄
物権、債権、契約、不法行為、善意無過失、損害賠償制度、危険負担
売買、請負、賃貸借、委任、瑕疵担保責任、製造物責任、消費寄託(ローマの場合銀行が無く銀行預金では無い)
それらは古代中国に既に存在する。
というより法概念でも法体系でも無く、単に社会生活上の遣り取りに関する了解でしか無いのだから
こんな物は何処の社会であれ必要性に応じて生じる、単純な決まり事に過ぎない。
瑕疵担保責任や製造物責任も又秦漢の法、魏晋の律令に登場する
というより再度書くが、この程度の事はある程度発達した社会には
必然的に生じる日常生活上の簡単な問題解決手段に過ぎない
オマエは少し現実を認識しないと駄目
>>283 日本の1.4倍のGDPを持つ国相手にお前は何を言ってるんだw
今や中国の製造業なしには世界はあり得ない
ジョブスはかつてオバマと対談した際にiPadを米国で作れるか?と問われて
不可能だと断言した
293 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 12:32:03.67 0
>>292 横からだが
>新しいものをうみだせてない
の反論ではないな
295 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 17:03:17.67 0
結局宗教がでかいんでないか?欧州諸国は宗教観が強くておまけに自我まで強いけど、中国はそこまで宗教が入り乱れてる訳でもなく宗教を理由に国が分裂、なんてのは無かった希ガス
296 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 18:01:00.20 O
>>296 そう想い込むのは自由。事実と違うとしてもね
298 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 19:07:24.79 O
>>298 いや、グラナダの反乱も、モリスコの反乱も、バレンシアの反乱も、オランダの反乱も
ユグノーの反乱も、マザラン執政時の反乱も、異端諸侯の反乱も
300 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 20:15:02.64 0
西洋の優位性って分裂してるから達成できたんだと思う
気候と自然の違いだと思う
ヨーロッパはドイツとてフランスとてスペインとて、一定の安定した肥沃な土地だ
中国は、北は草原であり、西は砂漠
中国のような環境になると、厳しい環境の部族が安定した内陸部に押し寄せる
それが中国の統一とヨーロッパの分裂の違い
>>300 春秋戦国時代は複数の独立国家間の拮抗した競争が数百年継続する稀有な例だった
多数の思想や兵法が生まれ競争の中で洗練されていき最後に秦〜漢へと連なる法治による統一国家を完成させた
中国のその後の繁栄と統一の維持はこの時代の貯金でなされたようなものだと思う
中国はスタートダッシュが早すぎて追いつかれてしまい、西欧は理想的な時期に国家間競争があった
>>300 唐、宋、元、明、常に西欧諸国家よりも科学的、技術的水準で上回っている
発展していたのは五代や南北朝に限らない。
確かに元の時代は、モンゴル族の劣後した統治により衰退したが例外
西欧が長足の発展を遂げた主要な要因は米大陸で収奪した
莫大な金銀が持続的に供給される様になった事。
分裂に殊更言及する様な大きな意義は無い
それでは、現在の中国は世界から富を収奪しているから、これから飛躍できるっての?
収奪って言ってもレベルが違うんちゃうかな。
富のほとんどが信用なんだから収奪はしてないぞ
中国の問題は自身の大きさにより
必ず内需型に転換せざるをえないから早めに高成長が止まること
>>301 肥沃じゃないぞ
人口見てみろよ
しかも生活苦でアメリカに数千万人も移住してるぞ
>>303 宋までは確かに圧倒していたが明代末期ともなると・・・
紅夷砲をポルトガルから購入して技術導入してたくらいだしね
>>301 農業生産力で言えば中国のほうが圧倒的
ドイツなんぞ小麦の栽培にすら四苦八苦してライ麦が主体だったし
ジャガイモが導入されるまで食糧事情は恐ろしく悪かった
つまり欧州は葛藤が進歩を促し
中国は欲望が支配した
まあヨーロッパが発展したのは宗教改革後だけど
皇帝の権威=宗教だよね
中国は宗教改革が無いのだろう
>>308 生産は明の官営工房
それまでの火砲は鉄でなく銅製だったというだけで
サンプルに幾つか購入した後は、紅夷砲は官営工房で生産されてる
>>307 肥沃とは言えないが、少なくとも華北の多くの地域よりは肥沃。
生産性の低さは単に農業技術が剰りにも低かっただけ
同時期のイスラム世界と比べて小麦の収量は約1/3
それじゃ当然食っていくのは大変に決まってる
全然話が違ってきてますやン
>>311 中国の穀物生産量は6億トン近くて、EU全体+旧ソ連を遙かに上回るんだが。
314 :
世界@名無史さん:2014/01/20(月) 17:07:20.36 0
ただ、年によって凸凹が極端
>>313 主要な精製穀物の生産量が中国約4億d、EU約2.2億d、ロシア約0.7億d
そのうち満州の生産高が約二割を占めるから1割程度の違い。
近世以前は倍以上の大差があったから、単純に西欧の農業技術が低かったという事
>>315 今では欧州のほうが農業技術は高いけど、
中国のほうが生産量が多いと言うことは、土地が肥沃だからだろうな。
>>316 現代中国と西欧諸国の農業技術に収穫量の違いが出るような差は無い
生産量はほぼ同じ、可耕地面積も大差無い
近世以前に中国と西欧の生産高に倍以上の大差があったのは
単純に西欧の農業技術がお粗末で未熟だったという事
なんで麦と米を比較してんだ・・変な奴
単純に江南で生産できる水稲の収穫倍率が
小麦に比べてクソ高いってだけなんでは
小麦の5倍から10倍くらいあったはず
往時のメソポタミアとヨーロッパではどちらが肥沃?
小麦の生産量は中国が1.15億トンでEU全体が1.32億トンだから
EUのほうが多いな。
コメやトウモロコシは比較にならないけど。
西欧の肥沃の話なんだが、
>ドイツとてフランスとてスペインとて、一定の安定した肥沃な土地だ
>肥沃とは言えないが、少なくとも華北の多くの地域よりは肥沃
これらは、異なる時代を比較してるのでは。
フランスもイギリスもドイツも古代と中世は一面ほぼ森だった筈。
肥沃という程切り開かれたのは近世になってからでは?
スペインはちょっと違っていて、スペインが肥沃といえるほど発達したのは
ローマ時代の話で、フェニキア時代は、農業生産物よりも内陸の鉱物目当てに
フェニキア人が交易のための都市を沿岸に建設した。アウグストゥス時代に
北東部沿岸とグアダルキビル川、タホ川周辺の開拓が進み、これら地域を
中心にタラコネンシス州とバエディカ州、ルシタニア州がつくられ、テトラルキアの
時代にはより細かく属州が分割される程半島全域の開拓が進んだ。
ウマイヤ朝による征服も土地が肥沃だったことも一因ではないか、後ウマイヤ朝の
繁栄もスペインの経済力が大きく寄与していたのではないかと推測している。
で、もしも、の話だが、レコンキスタは双方略奪ばかりしていて経済力の
発展という点ではマイナスだったから、もしレンコンキスタが経済力向上に
プラスに働き、ヨーロッパ統一の意欲をもったカール五世の時代に
宗教改革などが起こらず、ハプスブルク家とチューダー朝の婚姻連合が
うまくいき、経済力のあるオランダを手元にとどめておけたなら、
100年くらいヨーロッパ統一帝国ができたのではないかなどと夢想したりしている。
近代以前の農業技術でそこまで収量に差が出るとは信じられないな
どこも似たようなことやってるだろ
具体的に中国の農法がどれほど西欧に先んじていたというのか
農法よりも気候風土と生産物の違いやろなあ
前近代に西欧が中国並みに肥沃だったら、人口も中国並みになっていただろうな。
ていうか中国ほど農業生産に適した所はないよな。
小麦、米、トウモロコシの3大穀物がバランスよく大量に栽培できるし。
野菜、果物の栽培も容易。
牛、豚、ニワトリ、羊のような家畜も飼いやすい。
いやw肥沃さでいうとメソポタミアの方がはるかに上
>>323 イランと華北の天水農業地域の収量が均すと10倍程度で同じ位
両国の灌漑をしている地域やシリア、エジプトはもう大分高め
一方の西欧諸王国は3倍前後、幾ら作業当たりの農地を広く扱う
粗放農業とはいえ、非効率
>>326 メソポタミアも中国も古代から文明があった地域だけど、
一方は農業生産が不振で、一方は今でも世界一の農業生産国なのはなぜ?
慢心、環境の違い?
330 :
世界@名無史さん:2014/01/20(月) 22:58:34.76 0
>メソポタミア
塩分凝集
>>328 つうかもろに砂漠だから>>中東
基本的に初期の文明が出来た地域は砂漠化が進む過程で生き延びるために文明が出来た
しかし中国は乾燥化の度合いがそこまで酷くなく長江などの大河のお蔭もあり今まで何とか持ってきた
中東は水の枯渇が深刻で小麦の生産をやめる国も相次ぎイランでは農民がどんどん農村から逃げ出している
また現在の世界の農業生産は地下水の過剰揚水に頼っており北米には特に膨大な地下水(日本列島並みのサイズの地下水原も)がある
中国も同様に過剰揚水で強引に生産を維持しているがもともと雨量が少なかった中東では地下水の備蓄が非常に少ない
欧米の収量が増えたのは化学肥料のお陰だと思うが
その前は3年に一回作付けとかやってた
米は毎年可能
中東は一般に冬雨地帯、インドとシナの大部分は、夏雨地帯だからね。この差が決定的だった。
冬雨のほうが、土砂降りになりにくいため、自然を手懐けて穀物栽培をするのは容易だが、
夏に雨が降らないため、灌漑を完璧にしても、夏の乾燥で、土壌に塩分が蓄積してしまう。
インドやシナの場合、夏に豪雨が降って、塩分をかなり洗い流してしまう。
まあ、それだとしても、有史以来化学肥料導入前の、旧大陸穀物の「収穫/播種比率の世界記録」は、
黎明期のバビロニアの小麦栽培で、このレコードはその後どこも破っていない。
世界文明の中心は、明らかに最初から中東であり続けたわけで、
様々な古拙思想のかたちは、新バビロニアでほぼ完成の域に達し、
古拙帝国のかたちは、アケメネス朝ペルシアで、完全に完成してる。
その後の中東の歴史は、古拙帝国をどう克服するか?という問題に移行している。
ある日本人イスラム研究者が、「イスラムとは、帝国的な縦社会の拒否である」と言っていたが、名言だと思う。
中華は、世界文明の中央が倦んだ「古拙帝国」を、ずっと繰り返す漬物樽であり続けたけどな。
西欧はちょっとした事で塩害を起こす程の蒸散量は全く無く
降水量も豊富で地味も植生も豊か。
イスラムやビザンツと比べ国土に恵まれていたが
凡ゆる技術が劣っていた為に、活かす事が出来てい無かった。それだけの事
そのルームやイスラム国家も、中華世界と比べてしまえば
科学、技術の大多数の分野で見劣りしていた事は誰も否定し得ない
えーと、麦は連作障害があるぞ
連作障害があるけど灌漑には向いてる
麦は華北で天水、灌漑の両方で生産されてるしな
江浙実れば天下足るとか湖広実れば天下足るとか言われていたけど、
実際に土地の肥沃さでは東北平原の黒土地帯がトップなんだよな。
中華P厨は、ヨーロッパに対しては、あのローマ法学すら全否定の勇ましさだが、
中東の話が出てくると、とたんにしおらしくなるのなw
まあ、
>>1は、中東と比較したほうが実益があると、俺も思うけどね。
中東との比較で浮かび上がる問題は、
「どうして、中国人は、古代風の統一大帝国支配を、嫌にならなかったのか」ということ。
中東の民は、カルデアやアッシリア、ペルシアの大帝国の横暴にうんざりして、
最終的に、同じ神様を拝むだけ、という形に落ち着いた。
ところが、中華の民は、秦始皇帝の横暴や、漢帝国の内乱を経験して、
一時は明らかな現実逃避をしたが、隋唐で、また古代風大帝国秩序に復帰してしまう。
隋唐は、アッバース朝のような新興スキームの宗教帝国ではなく、古代以来の古拙大帝国の1つ。
むしろ歴史的には最初はアラブからイランに攻め込む流れだった
ササン朝もローマとの抗争で消耗した所に勢力拡大してきたアラブ人の侵略で滅ぼされたし
その後アラブ人は現在のイラン領内にも多数入植している
またその後は結局オスマン・イラン系諸王朝の二大勢力の拮抗が長く続いて
これが近代に欧米諸国の介入で力づくで解体された結果が今の小国乱立
本来欧米は中国もそうしたかったが中国人の抵抗が激しくて断念しただけの話
341 :
世界@名無史さん:2014/01/21(火) 22:42:52.80 0
中国は宗教色がうすいのが原因の1つじゃなかろうか
キリストやイスラムみたいな強烈な一神教はなかったから。
いわゆる世俗を超越した何らかの権威というものが
単なる武力による統一だけでは、広大な帝国を成立させることができなかった
原因かもしれない。広大な地域を統一せしめるというのは単なる欲望でしか
なく、それを制御しうる思考回路がなかったのかもしれん。
宗教が精神性の発展や欲望の制御システムとして作用してたのかもしれん。
理由として、もし西洋にキリスト教がなく単なる武力統一で統一できる社会
であれば、広大な地域を支配する統一王朝が出来てたと思うし
結局、中国は残念なんだよねえ
皇帝の権力が強すぎて
しかもその皇帝は武力で決まるという
>>339 イスラム帝国も、ユスティニアヌス朝以下の諸王朝も
官僚制度の整った広域帝国
西欧人が統一帝国を創れなかったのは
農業を筆頭とした技術の稚拙さと、知識人の欠如が元凶
西欧にも高い技術水準と豊富な知識人が存在したならば統一帝国を築く事も出来たが
それらは未開野蛮な西欧には存在しなかった。というだけの事
欧州統一はモンゴルの侵攻がスムーズに進めば実現したと思う。
モンゴル帝国の一部としてだけど。
>>341 完全な自己矛盾、論の為の論で支離滅裂、意味不明
西方正教が無ければ西欧はより分裂していただろう事は疑う余地が全く無い。
西欧が統一出来無かったのは
純粋に技術水準の低劣さと知識人の欠如であって、それ以外の原因は枝葉末節に過ぎない
346 :
世界@名無史さん:2014/01/21(火) 23:09:06.39 0
>>345 でもキリスト教が流布する前はローマっていう統一王朝が
あったわけだし、技術なくても知識人いなくても統一できてるじゃん
単純に武力による制圧で拡大してるだけだし
つうと欧州ではキリスト教が有ったから
殲滅戦が起きなかったという事かな?
その代わり非キリスト国は殲滅してたが
むしろ一神教ありの欧州・イスラムの比較のがおもろいかもしれんね
>>333 >黎明期のバビロニアの小麦栽培で、このレコードはその後どこも破っていない。
黎明期はもっとも肥えた極小さい中核部分だけが対象だったのだから当然だと思うが。
運河を作って開拓したり、湿地帯を排水したりして新耕地を作った場合、人工的に
開拓した部分の生産性が低くなるので、耕地全体の収穫/播種率が落ちるのは
当然ではなかろうか。
京大の前川教授の算出では、初期王朝時代は76倍だが、ウル第三王朝時代は
30倍になったという。一見収穫倍率が低下したように思えるが、Jacob Lassner
等の研究では、初期王朝時代の耕地面積は1660ヘクタール、ウル第三王朝時代は2700ヘクタール
に増加している。増加した部分は人工的に開拓した部分であり、30倍以下の収穫倍率で
あった可能性は大いにある。全体を平均すると30倍になった、と考えた方が妥当だろう。
無論、中核部分も塩害等で70倍以下になっていた可能性もある。中華やエジプトや
インドなどの、もっとも収穫倍率の高い中核部分だけ取り出した数値と比較しないと
意味がないのではないか。
>>339 宗教を統治の核としようとした帝国はマウリヤ朝や4世紀ローマ帝国などがあり、
アッバース朝が最初ではないと思うが。。。また、オスマンやサファヴィー朝は
十分古拙帝国とやらの範囲に入るのではないか。
>>346 軍人皇帝時代以降のローマ皇帝はローマや伊半島中部以南へ立ち寄らなくなり
東西分裂は東帝と西帝に分ける以前から定着してる
ローマが統一したのは力の空白というか偉業というか、奇跡みたいなもんでしょ
ウマイヤ朝を始めとするイスラム帝国も広域帝国だし
ビザンツも同様、宗教は統合に利こそ有れ分裂には働か無いな
況して西欧諸王国は同宗教なんだし
でも西ヨーロッパの宗教は異質というかローマ教皇に絶えず
世俗の権力が媚びてるイメージしかないんだよね
王権の存続する基盤をローマ教皇権に依存してる
それがいつまでも分裂が続いた一因じゃないのか
>>351 ○東方
東ローマ「聖像崇拝するとか異端っしょ。聖書にも書いてるし、聖像破壊反対派は財産没収な!」
↓
東ローマ「聖像最高だわ、誤解してたわ。聖像破壊派は財産没収な!」
(以下繰り返し)
↓
協会が貧乏に
○西方
東ローマ「いうこと聞かんローマ教皇はタイーlΦ(l´lДl`l)Φlーホ!!。おまえ新教皇やれ!」
↓
新教皇「やっぱギリシア人の言うことは聞けんわ。聖像ないと頭の悪いゲルマン人はキリスト教理解できないし」
(以下繰り返し)
↓
西ローマ皇帝たてるンゴ
354 :
世界@名無史さん:2014/01/22(水) 00:52:50.26 O
>>352 本気のつぶし合いではなく、
ややぬるめの争い?
中国で言うと、
周を一応敬ってた春秋時代?
結局1はなにが言いたいんだ?
またシナが分裂してたら産業革命が起こったとかいう不毛な説を述べたいのか?
356 :
世界@名無史さん:2014/01/22(水) 17:27:18.08 O
>>355 まずは明とイタリア都市国家の比較からかな
臨安、開封、杭州、南昌、建業、商丘、襄陽、徐州、江陵、成都、重慶、泉州
どの都市もミラノ、ヹネツィア、ジェノア、ナポリ、ローマ、サヺイア、シチリアより
先進的で巨大だから比較の意味が無いわ
358 :
世界@名無史さん:2014/01/22(水) 19:35:36.93 O
中原もしくは沿岸部の都市は
共和国に移行するべきだった
欧州は官僚制が整備されずに封建制に移行していったことが統一できなかった大きな理由だろう
契約による一時的な主従関係がどんどん世襲化されていって権力構造が細分化してしまった
360 :
世界@名無史さん:2014/01/22(水) 23:19:58.83 O
>>359 やっぱりセナトールらローマ人の行政の力も大分落ちたの?
中国の官僚制は近代フランスの官僚制のモデルになったんだっけな
362 :
世界@名無史さん:2014/01/22(水) 23:44:10.33 0
>>359 ローマ→西ローマ→ラテン三国→領邦
とどんどん退化して細分化されているのに、
なぜそいつらが世界を制覇したのかが謎。
それはこのスレで出されてきた、競争に結びついたんでは。
中国では競争が官僚制という秩序に取り込まれてしまった。
ルネサンス以降の西欧では競争が国家秩序に取り込まれずに開放されていた。
ほぼ無制限に永続した競争がいわゆるグローバリゼーションとなり今に至る。
やめる事のできない競争の永続モデルを作り上げてしまったのが近代西欧。
EUは、市場統合は競争の為だったが、政治・財政統合など、今後官僚制的な
統合がもし進んだら、中華やローマ帝国のように停滞してしまう時が来るかも知れない。
364 :
世界@名無史さん:2014/01/23(木) 00:38:32.67 O
>>363 ただの分裂だけなら、
アフリカやニューギニアなどの未開社会にも当てはまる
そして、
ローマ崩壊後のヨーロッパは
ローマ期に比べて幾分未開社会に近づいた、
つまり退化したように思える。
365 :
世界@名無史さん:2014/01/23(木) 00:46:13.35 0
>>363 近世の発展の大部分は純粋に米大陸の膨大な富が源泉。
その証拠に17世紀中葉に銀の採掘量が減っただけで
数十年に渡ってスペイン、ジェノアは深刻な不況に陥ったし
北海諸国も経済成長や物価上昇が0%前後まで下がった。
英国の隆盛衰亡も北米植民地の経営と軌を一にしてる。
まあ中国、インドに匹敵する富を生み出す
米大陸を「発見」したのは大きいよな。
アメリカを失った後の英帝国の富の源泉はインドに移ったので、
世界大戦までは超大国だったけど。
339だけど、案の定、あんまりよく趣旨が伝わってないな。
さらっと「同じ神様を拝むだけ」と書いたけど、これ、具体的にはウンマーということ。
ウンマーで統合されていればいい、皇帝も官僚も聖職者も要らない、というのが、イスラム教の本質。
とは言っても、結局カリフが帝国を作るんだけど、それ自体はムスリム的には二次的な存在。
この発想は、20世紀後半になっても続いていて、
ナセル主義は、アラブ主義と言いつつ、イスラムからは距離を置いて、世俗を追求せざるを得ず、
結局「そんな二次的なもので騒ぐの?」という、アラブ1400年の伝統の前に、結局屈してしまった。
中華の場合、「頑張って勉強して官僚になろうぜ?」というインセンティブだけで、
どうして統一帝国が維持できたのか?というのが、中東から見るととても不思議。
ウンマはカリフ、イスラム法学者やスルタン、アミールとそれに従属する官僚と共にあるし
支配者や支配原理とは競合しない
イスラム世界の分裂は基本的には宗派同士の争い
東方正教が西方を無視し、カトリックと異端が血塗れの宗教戦争を繰り広げたのと似てるかな
>>368 そもそもスレチなんで基本的にキミは相手にされてないんだから
キミの話なんて聞いてるわけないじゃん
>>366 個別の国ではなく、ヨーロッパ、ひいては米国という欧米枠で考えたい。
新大陸の銀枯渇はヨーロッパ全土に及んだというハミルトン説(1934年)は現在では
否定される傾向にある。 ブローデルとスプーナーは、新大陸銀はヨーロッパの
銀の総量を25%増加させただけだと分析した。1972年にブレイディングとクロス、
モリノーらが行なった分析では、新大陸銀枯渇の影響はスペインに限られていて、
その他ヨーロッパではあまり影響がなかったと分析された。特に西欧では
信用決済制度(紙幣・株・債券)が発達し、銀を代替し、スペイン脱落後の
オランダやイギリスの発展を支えた。
近世以後のヨーロッパは、資源だけではなく、資源を代替するものを
発明したり、代替するものを輸送することを永続的に、国家規模で行なった
ことに特徴がある。代替するものの輸送とは、例えば新大陸でサトウを
生産するのに黒人をアフリカから送り込むというようなことも含む。
これらの現象の背景にあるのが「競争の永続モデル」。個別の資源や商品の
枯渇とともに国の経済の凋落となってしまったのがスペインで、資源や商品が
枯渇すれば代替物を掘り起こし、常に経済成長するモデルを(結果的に)作りだして
しまったのが西欧と米国。
>>368 >それ自体はムスリム的には二次的な存在。この発想は、20世紀後半になっても続いていて
皇帝も官僚も聖職者も温存しているが、現世的な政治組織は二次的なものを
理想と考えたのは中世キリスト教も同じ。特に中世前半はその傾向が強かった。
イスラムは確かに一歩進めて聖職者を廃する理想を提唱したが、実質的には
ウラマーが聖職者となり、皇帝はカリフ・スルタンとなり、官僚はウンマの拡大とともに
必要となり(イランでは近世に聖職者が階級組織・地主となり)、この点に
関しては、キリスト教世界とあまり変わらなくなってきている。
官僚が国を停滞させるってのは
真実だろう
>>363 まさに同意。EUはまた分裂すると思う。
375 :
世界@名無史さん:2014/01/23(木) 18:16:40.59 O
>>364 ベトナムが中国から独立して、
中国風の国家を建設したのは
「積極的な分裂」という感じだが
ヨーロッパは小型のローマが増えたわけじゃない
>>371 17世紀は度々経済縮小に見舞われた事、数十年に渡ってスペイン、イタリアが深刻な不況に陥り
フランスも景気後退を繰り返し、英蘭も低成長となり
1500〜1600年の間に3倍以上に拡大した穀物価格や経済発展は
17世紀に入ると持ち帰る金銀は減少し、17世紀中葉を過ぎる迄その成長を完全に止めている。
とはブローデルの研究。物価が3倍に上昇した以上
通貨供給量の増大が同等以上だったのは想像に難く無く、宋代中国でも同様の現象が起きてる
西欧諸国が押し並べて景気後退に苦しんだのが17世紀
重要なのは、統一する前に
分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイは
なぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
西仏戦争和蘭謀反その他、特に三十年戦争で荒廃しまくってるよ
379 :
世界@名無史さん:2014/01/23(木) 23:26:46.80 0
ベネチアやフィレンツェ、オランダは共和制だから進歩したんだな。
皇帝とかが要るとそいつの贅沢や威信づけのために富が消費されちまう。
料理や音楽がしょぼいイギリスで化学が発展したのもそのためだろう。
オランダは豪族が王を戴く王政国家
ヹネツィアの17世紀は衰亡の季節
英王国で学問が発達を始めるのはフランス等より遅い
西洋は発展を繰り返したというよりも、古代ローマの興亡と近世以後の勃興との
二つ(取り合えず中東とインドは除外)。16世紀以降の西欧のは興亡ではなく景気変動と戦争の荒廃。
中国の場合も、断代史観が大きな先入観を与えていて、秦以降で実際に滅亡したといえるのは
秦、新、陳、隋、後梁、宋、元、明、清であって、前漢、後漢、魏、晋、南北朝、唐は
王朝の簒奪に過ぎず、国家機構は弱体化しつつもそのまま存続している。五代の幾つかの国は内戦による政権交代。
その上で、秦、新、陳、隋、後梁、宋、元、明、清のうち、分裂が恒久化しそうだった
のは、南北朝時代と金と元の前半の時代。元が統一できなかったら、南北分裂が普通という意識や
地理認識が恒久化していたかも知れない(実際西欧人は北部をキタイ、南部を上部インド、または蛮子などと
認識していたようだし)。
中国正史のうち、晋書以降隋書迄の正史11書のうち8書までが一括して唐太宗の時代に作られていることを見ると、
史料に占める割合の高い唐以前の中国史にあっては、唐太宗の印象操作というか情報操作の
努力とインパクトはでかいと思う(晋書は十八家晋史など18もの晋書が太宗以前に
作られているが、太宗の命じた国定晋書がでたら散逸した)。
中世西欧でも、フランク王国や神聖ローマ帝国で、ビザンツ史家くらいの継続性をもって
古代ローマとの継続性を強調する史書を延々と作り続けていたら、もう少し違った印象に
なったかも知れない。
382 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 00:03:24.33 0
いや、西欧では「簒奪」というか本格的な王朝交代がほとんどなくないか?
フランスでは
メロヴィング→カロリング→カペー系 だけだし、
イングランドもそんなもんだ。
安定してるのかもしれん。
カロリングは後継ぎ無しの断絶だから
超平和的な交代だね
384 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 01:21:57.06 O
カペー朝も、カロリングの血が入ってから
完全に君主として認められたんだった
385 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:08:26.96 O
中国は王朝交代の時に死ぬ人数多すぎ
中国が街全体を城壁で覆うのは
そうしないと住民が皆殺しにされるから
387 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:20:28.38 O
そういや戦国七雄の各王家ってけっこう長続きしてるな
388 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:23:01.36 0
>>386 都市とは何か
について君は考えてみるべき
大陸では、城壁があることが都市の条件であって、それは欧州も中東もインドも中国も
同じだった
だからこそ、19世紀に江戸は巨大な村に過ぎないって暴論も出たわけ
ちなみに人口数百人でも、城壁に囲まれてたら都市として扱われた
>>388 ロンドンやパリなどの城壁は市内と市外の区別が主な目的
ヨーロッパでもフン族やイスラムの侵攻が有った所は強固な城壁で町を囲んだ
目的は外敵を阻止するためで、これは中国と同じ
ヨーロッパも先住者を皆殺しにして移住していた時代が有る
江戸は堀と土の城壁にかこまれてんじゃん・・
土の壁も城壁なのは歴史的に中国その他みるまでもなく正しいから
暴論でなく間違ってる
暴論というのは一応の強引な筋が通ってないと
391 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 11:59:41.29 0
>>390 江戸は市街は城壁囲まれてないでそ?
江戸市街全域を囲う城壁はなかったはず
>>389 パリの城壁は何度も外的を退けてるよん
ノルマン人やら、他の諸侯やら
惣構えの土手って壁でっせ
393 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 13:52:40.17 0
>>392 江戸の惣構えは、江戸初期はともかく、後期は都市の主要部のかなりの部分が
惣構えの外になってしまった事実を無視して、江戸にも城壁が〜ってのは無理筋だろう
ちなみに「江戸は巨大な村」云々は、19世紀に実際に言われた言説であって、今誰かが
主張しているとか、そういう話ではない
そういう言説があったこと自体が歴史的なもの
>>394 ロンドンはなぜ城壁を拡大しなかったのか?
パリはなぜ徴税用の城壁を作ったのか?
396 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 14:32:55.34 O
>>395 やっぱり技術が落ちたから
同じようなの作れなかったんかねえ
>>393 それこそ無理筋
城塞都市の近辺に人口密集地があろうがなかろうが
江戸城そのものは城塞都市であることは変わらない
398 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 19:14:14.71 0
>>186 たとえば、
「フランスの民族衣装」みたいなものはあるの?
「フランス○○地方の民族衣装」とかは検索したら出てくるけど。
そもそも現代でもフランス語の統一なんてできてないじゃん
400 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 19:48:44.30 0
フランスは政治的にはパリへの一極集中だけど、文化的には統一されてないといえる状態。
ブルターニュ、ノルマンディ、アキテーヌ、ランドック、プロヴァンス、ブルゴーニュなどなど
独自の強い文化を持っている。
民族衣装も例外ではない。
中国は王朝が一時的に分裂しても人の交流は保たれて人種の分裂にならなかった
三国〜五胡十六国〜南北朝の長い長い分裂時代も華北〜江南間をより良い待遇や
環境を求めて皆が自由に往来していた
欧州ではこういう大陸規模で移動を繰り返す文化は中世には完全に途絶えてしまっていた
402 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 20:22:07.67 0
>人種の分裂にならなかった
「人種」の定義はネグロイド、モンゴロイド、コーカソイド、アメリンド、カボイドなどの区別をいうのであって
王朝が替わった程度では分裂しない。
403 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 20:28:51.82 0
カボイドじゃなくカポイドだ
西欧では、ロマンス語とゲルマン語の境目など、古代ローマの言語の
名残が残っているし、現在のイタリア各地の方言も、ローマ以前のラテン系諸語の
分布をとどめているということらしい。それと比べると、中国は移動と人口増加が
多すぎて、現在の言語分布が古代の状況をどの程度反映しているのかよくわからん。
>>382 ローマ帝国は簒奪と王朝交代の繰り返しなんだけどww
国家組織≒ローマ軍団だから、被害が少なかっただけで
>>382 王の血統が無い者は王になれないという観念
>>404 今の北中国の自称普通話は基本的に満族方言、晋の在った辺りが蒙古族訛り
南部は古漢語、楚、呉越、山越、南越、閔越に分かれるって説が多いけど実際どうだろうな
408 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 21:11:18.11 0
長江より南部の山中に点々と客家集落が・・・
409 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 21:12:42.79 O
>>388 ところが、世界を見渡すと、話は単純ではない。
中華では、都市の定義は「城壁に囲まれていること」。これはよい。
ところが、中東だと、一般住民を城壁の外に追い出した「都市」が昔から存在する。
典型例は、かつてセンター試験にも出題された、「アッバース朝の首都バクダッド」だ。
バグダッドの円形城壁内部には、政府機関と政府中枢の官邸しか存在しなかった。
ヨーロッパだと、今度は再び城壁が要件になるように見える。
ところが、ヨーロッパ文化では、城壁自体は絶対の要件ではない。
欧州的な意味での都市の定義は、「農村とは、政治的に異なる原理原則が適用される地域」
ということになる。StadtとDorfの違いは、19世紀の政治学者・法学者の重要な論点だった。
不思議なことに、ヨーロッパの定義を当てはめると、「日本には都市があるが、中国には都市が無い」
ことになってしまう。日本は、江戸時代においても、町方と在郷は、
天領、各藩領を通して、基本的に統治のあり方が別枠だった。だから「都市はある」ことになる。
ところが、中華帝国は、都市について別枠の統治構造を導入しない伝統がある。
この問題、意外に難しい。
政治的な要件でいうなら中国はどこも都市みたいなものだから区別が無いってことになるな
中国では豪族・貴族が早くに根絶されていて農村だろうと都市型の行政が行使されていた
412 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:26:37.29 0
中国って言葉が曖昧
ウイグル、チペット、モンゴルの自治区や
南部の山岳地帯も含むの?
413 :
世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:29:08.99 0
四川省だって明末清初の大虐殺でほぼ伝統的な住民が殲滅されて
移住者が入ったんだし
これは四川だけ無かったと思う
415 :
413:2014/01/24(金) 22:43:36.68 0
>>410 少しは勉強しような
宋開封の人口は200万だが、半分以上は都市郊外の人口
これは臨安、杭州その他の大都市も同じ。鎮は鎮、農村は農村
>>416 鎮に固有の統治システムはありますか?周辺領域から、取り分ける特異な特徴を持っていましたか?ということだよ。
これ、中華帝国は、なぜか区別をしない。版図は首都以外、基本的に同じ一元管理。
城壁の外と同じシステムで、城壁の中も統治される。
清末にやってきた欧米人は、この不思議なシステムにみんな首をかしげていた。
日本は、一元管理のように見えて、桃山時代以降、一元管理ではなくなる。
戦国期に、町衆たちが、惣村とはやや毛色の違う自治を始めたから、
近世の領主たちも、郷村支配とは別の論理を、町方として適用せざるを得なかった。
言いたいことは整理してから言おうな。
何が言いたいのか話がズレまくり。
中原の都市と農村の区別がついているのは、どんなに理屈をこねても変わらない。
いやそんな話は最初からしてないと思うが
いや、どっからどう読んでもそんな話としか理解出来無いが
例えば都市では建築の様式や規格が厳格に定められていたが
農村ではそうでも無かった。
例えば都市では専売品の生産と販売が官によって行われていたが
農村では座の様な免許制だった。
他にも都市と農村部では商税の税率や品目が違っていた。満州族の清は異端
422 :
世界@名無史さん:2014/01/25(土) 02:19:07.84 0
元はどうしてくれる
唐も微妙だぞ
423 :
世界@名無史さん:2014/01/25(土) 11:08:19.75 O
>>415 日本人だけかっこいい鎧武者姿なのはズルいと思う
424 :
世界@名無史さん:2014/01/25(土) 21:11:47.59 0
教皇を皇帝だと思えば欧州だって教会っていう官僚制でほぼ統一されてたじゃん。
だから、単に国が沢山あるだけなのに「分割」されてるように見えるだけじゃね?
誰も、なんで日本と中国は「分割」されてるんだとは聞かないじゃんw
それが言えるのってカール大帝の頃だけじゃね
この人の指摘が、かなり言えている。
377 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 22:37:15.82 0
重要なのは、統一する前に
分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイは
なぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
378 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 23:09:15.06 P
西仏戦争和蘭謀反その他、特に三十年戦争で荒廃しまくってるよ
>>426 を訂正します。ごめんなさい。こっち↓が正しい。
この人の指摘が、いい。
377 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 22:37:15.82 0
重要なのは、統一する前に
分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイは
なぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
>>421をちゃんと理解出来たかな?
話題をすり替える前にやるべき事があるだろう
いきなりどうした
430 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 00:51:12.89 O
>>426 確かに中国は各王朝が断絶していて、
ヨーロッパでは王朝が安定してるが、
別な問題なようにも思う
中国が統一滅亡繰り返したのって中華思想があるからじゃねえの
432 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 01:04:11.31 0
官僚制や封建制なんて、どの国にだって似たようなのがあんじゃね。
比べりゃ差異はあるだろうし、バランスも違うだろうけどな。
つーか、どっちかだけが高度化してんのは、むしろ遅れた国だろw
433 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 01:46:11.69 O
ヨーロッパのが普通かもな
ローマ崩壊後、年月をかけて各地域の統合を果たした。
中世は春秋時代、
絶対王政期は戦国時代みたいなもんかな。
それよりも中国のが異常。
秦帝国崩壊後、各国が復活したのにまた瞬時に統一された。
>>431 モンゴル人に中華思想は無かったと思うぞ
ヨーロッパまで攻め込んだw
そのオマケで中華統一
中国は統一しやすい政治風土が有るのかもな
皇帝に徳がなくなれば、天命をうけた人がそれに変わり
天下を統一する。それをマジで信じてたんだろう
436 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 11:00:06.84 O
>>434 清もね。
但し、始皇帝までは何百年も統一されてなかったのも事実。
障壁になる山をくずしたりでもしたんかな
437 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 11:22:26.02 0
欧州や日本は宗教的権威と世俗的権威が分離してたけど、儒教はそれを「分離しない」て
いう思想だからなあ。天子=皇帝。
北方民族と対立してたから、宗教的権威と世俗的権威が同一だと一番効率的だったのかな。
国内統制としてなら法家の方が優れてるのに、なんで漢が法家でなく儒教を採用したのか
不思議だったんだけど。天子=皇帝が一番、明確だったからかな。
>>436 統治のためのツールである法制度と官僚制度の熟成に時間がかかったってことでないの
>>432 西欧諸王朝に官僚制が出来たのは17世紀以降、スペインは16世紀以降
それ以前は王家に属する家人と封建領主が居ただけ
今1つの国になってる仏、独、西、英、伊も各地に豪族が居て全くの分裂状態だったのが西欧
最も早いスペインでも統一されたのは15世紀
中世はどの国も小政権が分立して、最も統一し易い立地の仏でさえ未統一の状態
>>435 >秦帝国崩壊後、各国が復活したのにまた瞬時に統一された
確かに劉邦は皇帝になったけど、郡県制は旧秦領土、その他郡国制は旧
六国の領土であり、郡国制が少しづつ削減され、武帝の頃にほぼなくなるまで
100年くらいかかっている。前漢当初から統一帝国というのはかなり武帝時代以降の
印象に上塗りされてしまっている。
封国は封建領主と同様の存在
>>440の定義に従うと西欧諸王国が統一されたのは18世紀以降という事になる
それでいいんじゃないか?
官僚制による中央集権でないから議会が発達したとも言えるし
アメリカは今でも合衆国
アメリカ合衆国に属するかどうかは
州が決められる
明治以降の日本の制度はイギリスを真似たと言われるけど
官僚制度は中国に近いな
駄目になる訳だw
446 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 17:45:20.49 0
>>439 詳しいね。ありがとさん。で聞くけど、
なんで教会を官僚制と考えちゃいけないんだ?
不完全ながらも戸籍を管理してたのは教会だし、租庸調に似た仕組みもある。
世襲でもないし教区の移動もあるし、諸侯に呼びかけイスラムに軍隊を派遣した。
で、基軸となる知識体系は宗教。
中国の官僚だって基軸の知識体系は儒教という宗教。まさか、あれを学問とは
言わないだろ?
そっくりに見えるんだけどw
そりゃ国力的に圧倒的劣勢な南軍は
北軍動くまで待ってたら詰みゲー確実だからね
449 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 18:21:41.81 0
>>447 南の独立宣言に対し武力討伐の意思しめして
兵集めたのはリンカーン
当時でも批判があった
南はそれに対応しただけ
451 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 18:45:34.61 O
>>446 教会の寄進地が教会毎にバラバラだったから。
日本でも教養と学問を修養していた仏僧は、荘園の代官や幕府の官僚として重用されたし
大寺院が境内都市を形成したり多数の荘園を抱えていたけど
都市国家が複数あっただけで、仏教の下に統合されてた訳じゃ無い
その程度の規模だと官僚制は不要で、世襲だったりコネだったりで維持してたし
多少進歩しても仏教やキリスト教の僧侶の中から実務に長けた者を選べば済んだ
453 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 20:38:38.47 O
隋、明、清、中華人民共和国も瞬時に統一した
>>433 まったくその通りだと思う。
中国というのは特異な世界だ。特異な価値観に基づいた特異な人たちの集まり。
なぜこういうことを言うかといえば、世界(?)がめざしている(?)世界政府
これは、まさに中国的、あるいは中国を征服した北方民族的な価値観ではないかと思うから。
日本やロシアも同じ価値観なんだけどな
植民地から搾取するという事をせず
自国の領域として取り込もうとする
隋の前に北周が553年に四川省と雲南省を征服し、577年に北斉を滅ぼした。
隋が征服したのは南朝でももっとも領土の小さい陳だけだから、隋が瞬時に
征服したという気はしない。清も、呉三桂らが清側についたことが大きく、
呉三桂らの叛乱が完全に終結する1681年まで統一したという感じがしない。
>>454 今でさえ国連諸機関の官僚性は問題だと思ってるので世界政府なんかごめんだわ。
官僚制=中国的特異なもの、というわけでもない。
官僚制が中国独特のものと言っているのではなく、
世界政府が中国的なものではないかと言っているだけ。
458 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 21:38:30.79 O
今は台湾のみが分裂してるが、
これもアメリカの庇護あってのものだろうな
459 :
世界@名無史さん:2014/01/26(日) 23:28:42.57 0
隋よりも唐のがもっと瞬時に統一した
460 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 07:43:16.00 0
かつての欧州の普遍主義も、世界政府的発想の根源だと思うけどね
>377 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 22:37:15.82 0
重要なのは、統一する前に
分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイは
なぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
↑の指摘はいいなあ。西洋もEUという統一を目指して実際ゆるく連携して
それを強めていくのなら、中国の二の舞になりそう。
>>455 同じ価値観っていうか政府が公定ナショナリズム的方針を採用してたからじゃね
463 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 16:38:26.58 0
まるで壊れたスピーカーだな。
>>377の問題は他人の指摘を黙殺し続けるって事だ
つまり、信仰に基づいてひたすら繰り返し教義を説法するカルト。と見るのが正しい
377:世界@名無史さん [sage] :2014/01/23(木) 22:37:15.82 0
重要なのは、統一する前に分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイはなぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
426:世界@名無史さん [sage] :2014/01/25(土) 22:17:33.07 0
この人の指摘が、かなり言えている。
377 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 22:37:15.82 0
重要なのは、統一する前に分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイはなぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
427:世界@名無史さん [sage] :2014/01/25(土) 22:20:07.09 0
>>426 を訂正します。ごめんなさい。こっち↓が正しい。
この人の指摘が、いい。
377 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 22:37:15.82 0
重要なのは、統一する前に分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイはなぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
461:世界@名無史さん [sage] :2014/01/27(月) 13:46:00.65 0
>377 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 22:37:15.82 0
重要なのは、統一する前に分裂や滅亡する必要が有るってことだ
つまりスレタイはなぜ中国が滅亡を西洋は発展を繰り返したのか。でも正しい
↑の指摘はいいなあ。西洋もEUという統一を目指して実際ゆるく連携して
それを強めていくのなら、中国の二の舞になりそう。
464 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 17:08:19.01 O
>>400 東アジアと比べると、
ヨーロッパでは、「ヨーロッパ」という中での結びつきは強く、
「フランス」という結びつきは弱く、
「ブルゴーニュ」という結びつきはまた強くなるな。
これが日本になると、
江戸時代の時点で、
朝鮮や清の人間をはっきり「外国人」と認識している。
ムスリム・ギリシャ正教徒と西方教徒は歴史の大半に於いて敵対関係にあったし
西方教徒の中でもカトリック派と異端派は血みどろの宗教戦争を繰り返した。
東亜に当たるのが欧州で、中国・日本に当たるのがムスリム・ギリシャ正教徒・西方教徒
467 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 18:24:06.12 O
468 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 20:44:58.01 O
中国の皇帝は国内では他から隔絶した権威の割にコロコロ変わる
ヨーロッパの王は国内でもそう隔絶した存在じゃないわりに長持ちする
>>464 フランスは多民族国家だから地方色が強いのは当然。
日本はいろんな民族がきれいに混ざって日本人という単一民族になっている
地方色よりも日本、日本人としての意識のほうが強いと思う。
470 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 21:22:47.20 0
その「民族」っていうのが政治的な力によって形成されたものだからな。
日本人というくっきりとした民族が形成されるには、
奈良時代あたりの律令国家の成立が欠かせないだろう。
また、フランスもローマ時代はそれなりにまとまりがあっただろうに、
それ以後強い力で統一されていなかったからバラバラになっちゃった。
471 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 21:34:50.86 0
>>466 ドイツが国への所属意識弱いのはわかるな。
しかし、中国やインドみたいにバカでかい国の人間も
国への意識は高いわけか。
473 :
世界@名無史さん:2014/01/27(月) 23:38:41.22 0
>>466 国の所属意識の降順に並んでて、市町村がそれに逆相関してるように見える。
世界、大陸、地方は全体的に低くて、相関関係も見えないな、俺には。
てことは、所属意識にあんまり歴史性はなく、より日常生活に密着した
現在の行政組織に感じてる気がする。だから国と市町村で大部分になる。
これらは同一の行政組織の上と下。身近な役所や警察を、国と市町村の
どっちの所属と捉えているか、その選択の問題だけなのでは。
ただ低いところで平均化した地方への所属意識で、時々高い国がある。
これらの国は歴史性がある程度反映してるのではと推測。
オーストリア、フィリピン、ドイツなど。
世界への所属意識は、現在のお国事情が反映してるのではと推定。
アメリカ、メキシコ、ロシアなど。
大陸への所属意識は大陸毎に推定。
ルクセンブルクとベルギーは、小国ほどEUを意識するからかなと思う。
ウガンダ、ナイジェリアは推定すら不可。政情不安定が何か影響してるのか?
日本の場合は律令というより人の移動だろうな
武士とか日本中移動して共通語が生まれ
なんとなく価値観が同じになった
武士以前は東北は別の国w
>>468 首相はコロコロ替わるが、知事はそれほど代わらない、田舎の村長なんざ全然換わらない
そういうこと
476 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 00:20:31.14 O
>>474 蝦夷を日本各地に分散させたり、
日本人を陸奥出羽に集団入植させたのは
朝廷では
日本では住所は都道府県→市町村→丁目番地の順で表示するけど、欧米では逆なのは関係あるの?
一番上位の存在を左上に持ってくるのは中華圏の文書様式
キリシタンは逆なんだろ
古代ローマは「地中海世界」。
地中海を中心に北アフリカを含む地域がひとつのまとまりと認識されていた。
むしろアルプス以北の方が異世界。
フランスではガリアがフランス人の祖先とされ、カエサルと戦ったウェルキンゲトリクスが
フランス史上最初の英雄とされている。
ブリテンにもやはりローマの侵略に対して戦った女王ブーディッカがいる。
ローマ帝国がヨーロッパを征服したと言ってもそれはあくまでも「征服」であって
一つの国としての「統一」ではなかったのだ。
そうこうするうちゲルマン人がやってくるし、西ローマは滅ぼされるし
ゲルマンの諸民族がそれぞれ国を作るし、ヨーロッパと言う地域を表す概念はあっても
統一した国として認識されることはなかった。
でも秦の始皇帝は「統一」と言われる。
言語の地域差は大きいとはいえ、「方言」と認定できる範囲で、
文字を統一すれば文書で意思疎通ができる。
もしかすると秦が亡びた後、小国分裂になってそれが長く続いたら、
それぞれ独立した国になっていたかもしれない。
しかし秦の支配に反旗を翻した諸侯のうち劉邦が漢を建てて新しい皇帝になり、
それが長く続いたから「統一国家」という認識が固定されたのだろう。
480 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 01:34:56.20 0
まあ、春秋戦国時代の各国は、周王の元で諸侯であったりしたし、
その後も様々な人材が各国を縦横無尽に移動していて、
とてもローマ征服前のヨーロッパのような、
「別の世界」と言う言うイメージではないわな。
と言うかむしろ春秋戦国時代は中世以降の欧州に似てるんじゃないの
封建制だし
やっぱり中央集権官僚制を敷いた秦が元凶だな
中国が統一されるたびに文化が圧し潰された感じ
そう思い込みたいのは解るが、近世に至るまで
中国は農業、工業、科学の凡ゆる分野で断トツの先頭を走り続けた超大国
そして西欧諸王国が急速に発展した近世後期以降
彼等の国は中央集権官僚制を布いた
>>483 元寇で日本に上陸できずに
2度も全滅したのに?
中国は16世紀においてすでに日本から負けていたと言える
刀も銃も日本を参考にしている
486 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 08:25:45.84 0
>>482 戦国期から秦以外の六国も自国を華夏と称して中華を統一すべしと考えていた。
日本の場合、明治維新から敗戦までの間は、単一民族思想はメジャーじゃなかったんだけどね
敗戦後に一気に日本は単一民族の国だと(日本人の中で)いわれるようになった。
489 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 12:21:04.35 O
>>487 周代に楚や秦自身の中華化があって、
初めて秦帝国の統一があったわけね。
それに、
エラムやクレタやエトルリアの例からして、
周より前(夏殷)の言語は
全く別だった可能性もあるなあ
>>489 少なくとも文字(とその意味)には連続性があるってのは、他でもない日本で検証されとるけどね
>>485 日本は16世紀更には17世紀に於いても、大工、医師、山師、陶工などを顧問として雇い
農書、水利書、医書、薬学書などの文物を輸入している
鳥銃に関して面白い事実があって
明は火縄銃を導入する際に日本製、オスマン製、イベリア製の火縄銃を参考にしたが
日本製を命中精度と飛距離に優れ、オスマン製は威力と操作性に優れると利点を挙げるが
一方のイベリア製の物は軽いとしか評されていない
>>489 殷、夏は同一言語だと確定してる。甲骨文の調査には日本の研究班も参加してるよ
492 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 17:17:02.97 O
>>488 アジアからの留学生を受け入れたり、
中国を侵略したりと
「中国に代わる、東アジアの中心」という意識が強かったのでは。
>>488 ヤバさに気づいたのは最近だろ。国連人権委員会アメリカの沖縄サミットに対する牽制。日本近代建国の薩長を否定も出来ん。
勘違いされてるのは、琉球民族は古くから沖縄に居たけど
アイヌは蝦夷と違ってここ2000年の間に大陸から渡って来た連中って点
495 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 18:09:16.52 O
>>494 アイヌこそ龍の子孫の最後の生き残りなのよw南から北上孤立した集団だ
497 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 18:46:56.56 0
ん?
源為朝の子孫だよ?
縄文人・アイヌは大陸じゃなくてスンダランドから北上したオーストラロイド的な容貌をした旧モンゴロイドの肌が白くなったものだぞ
499 :
世界@名無史さん:2014/01/28(火) 20:52:02.45 O
>>479 「地中海文明」の拡大は、エジプトが興ってから
ローマが地中海統一するまでで、
「ヨーロッパ文明」の拡大は
ローマがキリスト教を国教にしてから
リトアニアがカトリックになるまでかな?
地中海文明と言っても、東のイスラム文明やマケドニア諸王国、ビザンツ文明と
西のゲルマン族諸王朝は全く別物だからなあ、イタリアは西寄りの中間
>>498 YーD系は中国の実態がまだ解らんのよw
チベットから琉球がスッポリ空白域。
強烈な中国のストーカー領域だ両者共
>>501 もう解ってるよ、日本でもDは極少数しか居なかった
それが鎌倉時代以降に爆発的に激増した
絶滅に向かうなら兎も角時代を下って増殖するかよw古いDNAだ
Y染色体なんてろくにコードされてないんだし、古いDNAとか関係ないでしょ。
単純に確立問題で増えたり減ったりする。
でもそんな論文あったか?
505 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 01:44:45.98 0
>>500 西ローマ、東ローマともに
@温暖な北アフリカをイスラム勢力に奪われる
A蛮族に侵入されて文明レベルを落とす
B北の蛮族に文明を伝授する。
その時に媒介となるのはキリスト教
というのは変わらない。
カトリックか正教に回収することが、
「ヨーロッパ人」になった証らしい。
>>503 DはDでも日本人のDの絶対大多数はここ1000年以内に変異した遺伝子型を持ってる
>>505 西方亜教は進んだイスラムやギリシャ正教から文明を学んでたよ
508 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 01:51:36.63 O
ウマイヤ朝は、ダマスカスに首都を置いていたから、
地中海文明圏としての意識が強かったんかな
509 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 02:11:07.83 0
中国は統一の歴史が繰り返すから進歩できない
510 :
あ:2014/01/29(水) 03:08:43.92 0
そだねー
511 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 09:38:59.68 O
>>508 地中海統一を目指してたのはまちがいなさそう
>>508 地中海文明圏というより、地中海商業圏に重心があったのではないか。
513 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 13:26:19.84 0
338 :名無しさん@13周年:2014/01/29(水) 13:19:42.83 ID:SKAkm8dE0
田母神候補も時々変なこといってるが、
田母神の他が中韓人なので、
田母神しかいない件
514 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 14:18:25.26 0
欧州なんてとっくの昔にキリスト教で統一されてるじゃんよ。
日本と中国は仏教で統一された大帝国だったんだな
知らなかった
中華帝国が儒教よりも仏教を重んじてた時期ってどれだけあんの?
西欧諸部族が世俗権力よりも教祖様を重んじてた時期ってどれだけあんの?
518 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 20:41:23.89 O
>>516 儒仏道と三種類ある上に、
仏の宗派も沢山あるからな。
>>517 そもそも世俗諸侯が分裂していて
教会は全く連帯などせず、教皇すら小さな一領主だったからな
>>1 中国はフン族(北匈奴)を追い出した強者の国
一方ヨーロッパはフン族に追い出された連中の弱者の国
これを踏まえれば答えは自ずと出る
鮮卑だのに蹂躙されてるんですがそれは
523 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 21:26:44.30 O
フン族のアッティラもカトリックに改宗して、
アッティラヌスとか名乗ればその時点で「ヨーロッパ人」と認められるな
偶像崇拝するカトリックは異端!
ローマ総主教は早急にコンスタンティノポリスに出頭せよ。
まあマジャル人もヨーロッパ人として認められているからな
526 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 22:51:12.50 0
>>508 ダマスカスが首都のままで、
イラク以東を失っていたら、
イスラム教自体が「キリスト教ムハンマド派」とみなされていた可能性さえあるな。
キリスト教がユダヤ教徒は別の宗教って見なされるようになったのって何時位なの?
528 :
世界@名無史さん:2014/01/29(水) 23:06:30.45 0
異端と見なされ最初から処刑されてるからな
529 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 00:22:29.56 0
>>525 ハンガリーヤリトアニアの立ち位置は
春秋時代の秦や楚に通じるかもしれん
>>14 これだな
中国なんて今まさに分裂の危機だろ
>>529 ハンガリまで行っちゃうと呉や越だな、秦楚は違う
532 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 01:58:01.85 0
ヨーロッパはカトリックや正教を絆にしてたけど、
そんなんもないのに呉や越も同化していった中国ってなんやねん
533 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 01:59:54.69 0
楚はミャオ・ヤオ系、秦はチベット系、
呉や越は消滅した言語だろうか?
呉が対岸の台湾と同じオーストロネシア、越が越南と同じオーストロアジアだったとしても何も驚かない
>>533 楚は僮族でこれは淮河中下流域に居た東夷、言語はシナ語系
秦は魯の出でシナ語。
呉越は研究者によれば、人名地名や残された単語からして膠着語だろうって話
536 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 03:29:14.10 0
ミャオ、チベットは日本語と似ている
起源が同じだと思う
537 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 11:50:42.06 O
538 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 12:32:57.70 O
>>464 仏教が多数の宗派に別れていて、
また布教が国家主体で行われたためだろうか
なんで楚や呉、鮮虞は中華化したんだろうな
秦は一時離れたけど最終的に中華化果たしているし
どうしてその方向に行こうとしたのか少し不思議だわ
ミャオ語、チベット語は中国語と似ている起源が同じだと思う
南韓語は日本語とも高句麗語とも似ても似つかない遠い起源すらも違うと思う
中華は経済力(農業生産力)とそれに付随する富と文化の蓄積が圧倒的に高い上、
戦国時代以降は家族社会制度が変化して、
帝国の権威を受け入れ、民族平等を重んじる思想になったからでしょう。
異民族が受け入れられて、豊かな富と生活が得られるなら
そりゃ中華化する志向が強くなるわな。
>>542 基礎語彙が全然一致しない
文法だけ似てる言語は全く無関係な言語間でもふつうにある
544 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 18:29:47.43 O
>>539 逆に、日朝越は中国に従う方向から参入したが、
途中で「中国に併合されないための中国化」を行い、
併合されなかった
中国では漢族であれ何族であれ、最初は自民族中心主義の
スローガンを打ち出していても、ある程度に帝国建設に成功すれば、
結局、それを捨てて五族共和みたいな感じになって、
逆に民族主義を激しく抑圧する方向に変わって行く。
これは近代の中華民国も共産党政権も一緒。
その割にはチベット民族もウイグル民族も男は去勢されて
女は強姦民族浄化されてるんですけど
その証拠に中国のY染色体は9割漢民族のO3だし
民族主義を弾圧するのは少数民族弾圧にほかならない
維吾爾族ってここ数十年で倍以上に増えてるんですけどw
中国に限らず、特定民族だけをやたら優遇する政策じゃあ
大帝国を長く維持するのは不可能だろうて
>>547 一人っ子政策は漢族を厳しく狙い撃ちして、
それ以外の民族にはそんな規制を掛けていないからな。
他にも大学受験や公職への就職など優遇処置があって
漢族はそれに不満を持って民族詐称をする者が多く、
社会問題になっている。
550 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 21:42:08.65 0
戸籍の無い若者が1億人居ると言う噂もある
もちろん学校にも行けない
551 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 21:44:19.48 0
中国人は残留孤児を育てたりしてたからな。
当時の日本人が中国人の子供を育てるとは思えん。
「民族」と言うものに対する関心があまりないんじゃないかなと思う。
552 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 21:46:18.82 0
じつは満州地区に住んでる中国人は
日本統治を感謝している
子供は労働力としたという側面もある
残留孤児は単純に中国人の善意とも見れない
554 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 21:48:34.16 0
キチガイ馬賊を追い出し
秩序と平和をもたらした日本統治
あの時代がもっと続けば良かった
その後に来た共産党は地獄の豚だ
日本の右よりのブログなどを読むと
中国の少数民族はひたすら抑圧されているだけという印象を受ける。
しかし少なくとも「少数民族優遇制度」は存在する。
民族詐称が事件になるくらいだから、
ネトウヨがわめき立てているような「在日特権」とかと違って
民族を詐称しても余りある
利用価値があるとあるということだろう。
在日特権というか只の違法行為だからな
在チョンが自治体からテロで獲得した優遇は
557 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 21:59:37.60 0
いろんな民族を同化してきたし、
同じ中国人でも方言差が大きくて遠くに行けば言葉は通じないし、
あまりに広すぎて日常的に「民族」や「国家」を意識することが無いとしたら、
民族差別とかに興味が無くなっても大して不思議ではないな。
>>554 満州国は日本人移民を送り込んで、それを自民族中心主義で優遇して
他の民族を抑圧支配したのが良くなかったな。
結局、赤軍が侵攻したら、すぐに被支配民族が全て寝返った。
日本人移民を送り込まず、安全保障だけ担って、
息の掛かった現地人の自治に任せるようにすれば、
モンゴル人民共和国みたいに中華から引き離すことが出来たかも知れない。
あるいはきちんとした国籍法を作り、完全に民族平等と民主化を実現すれば
成功したかもしれない。
559 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 22:04:27.26 0
>>553 どうだろうかな。
例えば残留孤児が中国人の養親らを大量に呼び寄せて
問題になったりしてたが、
その残留孤児は少なくともそう不当な扱いは受けていなかったということだろう。
もし戦前の日本人が中国人の子供を拾ったとして
普通に育てたりするかというとはなはだ疑問。
だって戦前世代の爺さん婆さんの東アジア人や東南アジア人への蔑視はすさまじいからな。
560 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 22:08:35.58 0
>>516 仏教とキリスト教の違いは面白いな。
仏教っていうのは日本人にとっては、
ハンガリー人にとってのカトリックみたいなもので、
先進文明圏に参入する媒介となるものなんだろうが、
カトリックが西ローマ帝国と限りなく一体化していて
「ローマ」や「教皇」という核があるのに対して
仏教は別に核ないしな。
561 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 22:09:54.26 0
あ、でも儒教は曲阜とかあったか。
世襲だし。
>>560 ハンガリアにとって先進文明を意味したのはギリシャ正教
>>559 それはトッドの言う直系家族と外婚性共同体家族の違いによるんじゃない?
日本と中国では家族に対する価値観が根本から違う。
>>557 韓国で留学して働いた経験のある中国朝鮮族の人曰く、
中国では差別など受けたこともないし、民族を意識することもあまり無いが、
韓国では同族なのに、強烈な差別や侮蔑を受けること良くあったと。
それに関しては、相当怒りと憤りを感じていたらしい。
>>549 共産党は漢族一色になるのを嫌って必死に少数民族保護政策を取ってきたからな
しかし同化は止まらず登録だけ少数民族で中身は漢族同然という人が増えている
中国は昔から歴史上の有名人でも民族どころか人種すら不明な人がしばしばいる国柄で
民族意識が希薄な伝統がある
>>565 たとえば満州民族(中国では満族と呼ばれる)なんかは
1000万人を遙かに超える人口がいるが、
身分証明書の族籍以外は全く漢族と変わらん。
満州語なんて誰も話していないし、食べるものも一緒、
旗包(いわゆるチャイナドレスで彼らの民族衣装)なんて、
観光業者とカラオケ小姐くらいしか着とらんし。
ウイグル人やチベット人が反発するのも、
あくまで圧政に対するものであって
同化政策や民族浄化に対するものではないかもしれないと。
それなのに、民族を次々と同化させていく引力がある。
>>554 >キチガイ馬賊を追い出し秩序と平和をもたらした日本統治
うちのじいちゃんは徴兵され満州で日本人開拓地の警護を担当していた。
勤務して数ヶ月すると状況がわかってきて、馬賊は日本人開拓団のために
土地を取り上げられ追い出された元の原住民だと知ってやる気がなくなった
そうだ。日本人開拓団の人びともそんな事情は知らずに新開拓地という宣伝で
参加したので、住み始めてから話が違うということ知り、 しかし今更戻れもせず、
非常に困惑しながら暮らしていたそうだ。満州全部がこのようだったとは
思っていないが、少なくともじいちゃんが勤務していたところはこうだったそうだ。
>>567 別にダライ・ラマもありもしない民族差別を喚き立てているわけじゃないし、
チベットの独立を目指しているわけでもない、
ただ共産党が自らの権威を傷つけ統治の障害になると思いこんで、
チベット仏教を弾圧解体しようとすることを批判してるだけ。
(チベットに限らず、漢族のたとえば法輪功とか、もっと厳しくやられている)
チベットの場合は宗教と文化が密接に結びつき、領域的にも特殊で
他の民族よりも同化が進みにくい部分もあるけど。
でも都市部では相当に同化が進んでいるし、沿岸大都市への出稼ぎも多い。
>>568 あの、満州はもともと中国人が移住禁止の土地だったって知ってる?
馬賊の王だった張作霖の勢力が日本軍の10倍以上の兵力を持ちながら
満州地区からあっという間に駆使された
それは張作霖が極悪非道で最低だったから
関東軍が満州からあっという間に駆逐されたのは
極悪非道で最低だったからかもな。
ソ連軍は満漢蒙朝各民族の現地住民から諸手を挙げて解放軍とされて協力したし。
573 :
世界@名無史さん:2014/01/30(木) 23:57:17.21 0
>>572 そんな事実はまったく無いよ
お爺ちゃんから話聞けよ
>>570 知ってるよ。清朝時代の話でしょ。それが何か?
あと、572は俺じゃないよ。
575 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 00:21:10.55 O
>>570 封禁って1860年くらいに解かれなかった?
>>575 そもそも満族自体が中原での暮らしを望んで内地へ移住しちゃって
満州は過疎化してた皮肉。で、対ロマノフの為に仕方なく漢族に入植させたっていう
>>576 清朝政府の認識としては仕方がなく入植させたのかも知れない。
しかし入植した人びとの意識は自分の生活を作るためだったろう。
満蒙開拓団も、人が開拓した土地を取り上げることになるとは
思ってもおらず、自分の生活を作るために移住したのだろう。
結局困るのは清朝時代に満州に移住した人びとであろうと満蒙開拓団で
あろうと、お上のいいように振り回される下々の住民だ。
ところで、
>満州は過疎化してた
って、清朝を支配した満州族の故地ってどこだかわかっていってる?
関東軍を追い払った後にソ連軍が、
支配した満州に外モンゴルみたいな独立政権を作らずに、
さっさと撤退したのが残念だな。
満州民族が国を持てる最後のチャンスだったのに。
579 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 01:06:02.17 O
中原に向かわず、満州に腰をすえて
適度に中国文化を摂取してれば良かったものを。
結果だけ見たら自分の故郷を中国人にプレゼントして歴史の闇に消えていったお馬鹿さんだな。
中華思想を漢民族のナショナリズムのように、近代的な思想の枠組みに入れて理解するのは不適当だよな。
>>579 満州民族も今では完璧な中国人なんだけどな。
客家みたいな純血漢民族よりも
余程「中国人」らしいのは皮肉だが。
>>577 満貴や満旗の多くは早い段階でさっさと中原に移住しちゃったし
一般の満族も段々漢土への流入が増えちゃって
18世紀後半になると清朝は満州特に北部の維持に苦慮し始めてる
満族の人は地方の漢族の普通話(中国標準語)が聞き取りにくいから、
もっと綺麗な発音で話してくれと文句を言うくらい
中国化しているという笑えない現実もある。
>>577 で?清朝を支配した満州族の故地ってどこだよ?
明朝末期、満州全体(東北地方)の人口は約600-800万と見積もられていた。
このうち、清の明統治により漢地に移住したのは200-250万と
見積もられている。さて、清朝を建国して移住したこの200-250万人は、
満州のいったいどの地域にいた人たちなんでしょう。それは満蒙開拓団が
移住した箇所とどのように重なっているでしょうか?という話なんだよ。
せめてそれくらい答えられないと。
因みに満蒙開拓団の一部はソ連国境に移住させれた開拓団もいる。
彼らは対ソ防衛を意識した屯田団としての役割を担わされていた。
>>576の
>対ロマノフの為に仕方なく漢族に入植させたっていう
と満蒙開拓団の目的は共通する部分がある。
更に
>>582 >満旗の多くは早い段階でさっさと中原に移住
満期の任地は中原ではなく現内蒙古地区が多く、中原ではない。
よくもでたらめばかり書けるものだ。当なことを言って人をだます。
満蒙開拓団をだまして移住させた当時の政府のやからと同じだな。適
>>581 アメリカのアファーマティブファクションと一緒の構図だな。
外国からは所得面での不平等が指摘されるが(事実ではあるが)
国内では優遇措置に反対する勢力があるという。
>>579 ヌルハチは明の経済制裁に相当苦しんだからな。周囲には敵対する
モンゴルやヌルハチ系以外の女真もいるから、打開するには
戦争しかないだろ。もっともそれが通用するのはヌルハチだけだけどな。
>>578 溥儀という失敗した前例があるから無理だと判断したのだろう。
それに中国東北部は結局もう漢化した地域だから満州国のような傀儡国家
を立てれば中国のナショナリズムの泥沼にはまり、ベトナムの仏米のようになった
だろう。
587 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 10:04:17.72 0
漢化って悪い事だろ
中原の歴史共有と内部で隠してる文明史的な血統論。「中華民族の復興」今の処看板倒れだがヤバイのは血統パンドラの箱開けて動き出した時だ。
中国東北部の問題を例えると
朝鮮人が日本を征服して大王になる
その政権が崩壊し日本人が日本と朝鮮半島を支配する
朝鮮人が「俺たち日本人だぞスゲー!」と誇りに思う
こんな感じwww
590 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 12:27:32.65 O
台湾が唯一中国人の別国家やな
>>584 意味不明。満旗は大部分が北京周辺に集められ
それ以外も内地の大都市近郊に配置された。
>>584 >>570を読むと、「満州が過疎化して、空いている土地に日本人が入植した」
と考えているようだったので、そうではない、ということを書いたもの。
日本人に土地を取り上げられた元地元住民が馬賊化した。
19世紀初頭から中国人が流入し始め、開拓を進めた。特に中北部。
日本人の開拓団の一部は、その土地を取り上げ、代わりに住んだ。だから、
>>554 >キチガイ馬賊を追い出し秩序と平和をもたらした日本統治
は明らかな間違い。
>>576 >満州は過疎化してた皮肉
これも間違い。清朝の一部の漢土移住で満州の人口は減少したが、別に
過疎化する程減少したわけではない。しかも移住民の殆どは、清朝の
中核部族であり、彼らの故地は満州のとある一部の地域。アホにわざわざ
教えるのは嫌だから自分で調べて。清朝の故地は満蒙開拓団の主要な移住先
とは異なるから、「清朝の移住で過疎化したところに満蒙開拓団が移住した」
というのはまったく史実と異なっている。
>>582 これも間違い。北京は中原ではない。
君、地理・歴史ともに間違いだらけなのに、いつまでも言訳が多い。
>>589 ほんとこれ。
かつて中華を征服した民族で中華化せずに最後まで独立を保てたのは
外蒙古ぐらいだろう、内蒙古は引き離されて併合されたが。
その外蒙古もソ連がいなければ、おそらく中国の一部になってただろうな。
>>592 中国人なら誰でも知ってる「闖関東」で清朝から移民を奨励された
山東や河北の漢族数百万人が苦労して満州の荒地を開墾していったのは有名な話。
その影響で遼寧省南部の方言は山東方言になっている。
>>592 北京は中原、言い訳に無理があるぞw
但し「清朝の移住で過疎化したところに満蒙開拓団が移住した」という主張は別人の物だし
当時の満州には漢族が多数派とはいえ相当な人口が居たからこの主張は誤り
而し清代に満州から満族の人口がかなり減ったのは事実で特に北部は減少が進んだ。
中原って言葉が指す地域は時代によって大きく変遷するけど
燕を中原と呼ぶことはなかったはず
呉越(江蘇)を中原と呼ぶことがないのと同じレベルで
597 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 18:40:59.57 O
台湾だけ独立国だが、
あれはあくまで「中華民国」で
むしろ台湾の地方色や台湾人の意志を圧殺して成立した。
598 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 19:06:33.91 0
中華人民共和国の一地方だったほうが
台湾の地方色はむしろ保持されたろうな。
>>596 山海関から函谷関までの内側は全部中原だと思い込んでたけど
全然違うんだなw
600 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 19:10:49.75 0
不思議なのは、
戦国時代の三晋の韓魏趙だが、
あれって自分の苗字を国名にしたの?
伊達氏が自分の領国を「伊達国」にするような感じ?
じゃなくて封地の地名を氏にした。伊勢氏みたいなもん
とりあえず清朝ではヌルハチが瀋陽に都を置いたので、
清朝の皇族にとっては瀋陽が「父祖の故地」。
ヌルハチとホンタイジの陵墓もあるし、皇帝はたびたび訪れていた。
で、その満州族の故地である東北地方は清朝の始めには禁制が敷かれて
特に漢民族は入れなかった。
けど、18世紀ごろから開拓を奨励し始めたんだけど、都の暮らしに慣れた八旗
(清朝の貴族)は田舎へ行くことをいやがって開拓しに行こうとせず。
結局山東人を中心に貧しい農民が新たな土地を求めて入っていくようになった。
そして19世紀後半にもなると、人口はどんどん増えていった。
603 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 23:45:58.14 0
>>592 馬賊は日本が満州に進出する前から居た
よってオマエの間違い
604 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 00:04:46.09 O
>>601 けど、晋分割時に国名を決める時に
自分の名前を付けたんかな?
中行氏とかだとそのまま付けるわけにはいかないだろうけど。
605 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 01:56:14.01 0
魏は違ったと思うけど
606 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 01:57:44.03 0
魏は国の名前として新規に創造された文字だとオモタ
鬼に委ねるとは縁起の悪い文字じゃのう
人付ければ倭w
魏も朝鮮並に胡散臭い国だな。
古代中国では鬼は神を意味してたんだよ
神に仕える者達の宗教国家だった?
西門豹がBBAを川に投げ込むわけだ
倭人から一部パクったのか?国名漢字
魏志倭人伝とやらの怪文書の書き方といい朝鮮超えるかもw
戦国の魏と、それ以降の別の魏の区別がつかない無知は別の板に帰れ
くだらなすぎて頭痛くなるわ
「倭」の漢字を作ったのも古代中国人なんだが・・・
614 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 03:27:26.71 0
「鬼」は、日本では最大級の褒め言葉なのだ
まあもちろん悪い身も有るがw
倭系呼称は煽りに使えないと認識出来ても思い切り頭出して「鬼子」かw
人種が入れ替わったと自ら曝し墓穴掘ってるな。
616 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 04:22:29.84 0
変わった! 輝く時間の中で
617 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:04:06.14 O
>>606 畢氏が魏という都市(村?)をもらって魏氏に改名したはず
618 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:26:46.25 O
>>604 晋分割以前に、
「趙氏様御領国」みたいな呼び名はあったんかな?
619 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 13:45:06.67 O
魏書の第30巻にある烏丸鮮卑東夷伝の倭人条を魏志倭人伝と呼ぶ悪習
諸葛没後に司馬懿仲達が公孫氏を征伐した際に公孫氏に朝貢していた
周辺蛮族が朝貢を魏に鞍替えしたい旨申し出てきた際の小話が東夷伝にあるもの
教科書でも独立した書物みたいな書き方して前後の経緯が全然ちゃんと説明されていない
北方でコソコソしていた公孫氏に邪馬台国が朝貢していたなんてのは一部の思想の持ち主に都合が悪いからなんだろうけど
>>618 あったよw
というよりその程度の事も知らないくせに何故ここに居るのか大いに疑問
>>620 魏書と三国志巻1〜30は別物なw
ふつう魏書とは書かない
魏書は北魏の史書であって、三国の魏とはなんの関係もない
これを混同してるようじゃ話にならんわ
確かに、倭国が魏以前には公孫氏へ朝貢していたらしいというのは大学の講義で知ったわ
625 :
目覚めろ!日本人:2014/02/01(土) 18:17:03.13 0
大変だ! 必見だよ! 日本を守るためだ!
「厳選!韓国情報」 「中国・韓国・在日朝鮮人崩壊ニュース」
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626 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 18:57:18.26 O
>>621 聞いたこともないな
晋陽のまわり?
魏氏様御領国は魏の西半分か?
627 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 22:44:58.33 0
康煕字典【魏】より
(説文)本作巍高也。従嵬委聲。(註)徐鉉曰今有省山以爲魏国之魏。
(詩魏風譜)魏者虞舜夏禹所都之地也。在禹貢冀州雷首之北。析城之西。周以封同姓焉。
三国志は魏書30巻/蜀書15巻/呉書20巻で構成されている
魏書が三国志と別物とかアホかw
蜀書が31〜45巻、呉書が46〜65巻で通巻になってるんだから
>>620の「魏書の第30巻」という言い方が変と言えばええだけの話や
せやさかいに
>>623ちゃんも
>>628ちゃんも両方おバカさんなんやで(ニッコリ)
>>626 王族大虐殺で六卿寡頭制の時期には王室の所領は数城しか無かった事も知らないのか
知氏の持ってた所領が何所か知らないから何とも答えられないけど
呼び方云々でゴチャゴチャ言ってる時点で小物。
632 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 13:35:49.55 0
船と馬を使って征服可能な範囲が帝国。
海と草原の地形が有利で、山や森林は不利。
だから地球上には、帝国が発生しやすい地域としずらい地域がある。
しやすい地域には、宗教や民族や文化が変わっても何度でも発生する。
中国は発生しやすい地域で、欧州はしずらい地域だったってことだろ。
633 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 14:18:05.04 O
三晋はベルギーみたいに二つの異なった地域から成り立ってるんか
>>632 秦と同じ頃にローマ帝国誕生
でもその後の歴史はずいぶんと違う
中国だと封建的制度が育たなかった、って言うけど無かった訳じゃないんだよな。
殷、周、春秋前期は封建制だしね
むしろ秦以降になぜ封建制が復活することがなかったのか
という疑問に
漢は一部封建制やん
639 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 17:52:28.57 0
日本ではごく一部の中央貴族が朝廷の官職を独占したため、
そこからあぶれた下位の貴族は国司の職を得て派遣されると
荘園を開拓したり土着したりして在地豪族となり武士となり
地方の支配者となり封建制の基となった。
中国では特定の一族や身分で官職を独占することがないため、
節度使や刺史で派遣されても常に中央復帰を考えていた。
地方のためなどと考えることなく単なるワンステップであって
搾取するだけの対象しかない。
在地権力となることがないので封建制に発展することは無かった。
>>637 朝廷の支配力が落ちると目を吹き出す軍閥は封建制の高度な産物だけど
あくまで軍事的な要請で仕方なくやる物であって
貴族制世襲制と強固に一体化した封建制みたいな前時代的な体制に戻る方がおかしい
今の日本で天皇と武家の支配体制に戻せと言ってるのと同義
通信技術が未熟で輸送手段も未熟なうちは
「封建制の方が先進的」な場合もあるんだってw
こういう現代の価値観で上下の地位をつけるのは学問でなく
小中学生までの「お勉強」レベルだとおもうぞ
>>639 そんな感じだな〜
>>640 日本を道州制にしろって議論ならある
中央集権制は中国を見れば欠点が多いのは明らか
反対派を力で押さえ込む「軍国主義」に必ずなるしね
>>641 無いよ。そう思い込みたいのは解るけど
残念ながら実際の歴史とは違う
日本の道州制というか地方分権推進論はアメリカのような体制を見習えとよく言うが
当のアメリカが連邦政府の権限を強化する中央集権化をずっとやってきている歴史がある
>>644 アメリカは、連邦の強化を目指す側と、それに対抗して個別の権利を守ろうとする側の
せめぎ合いの歴史だね
だんだんと前者が強くなっていってるという
中央集権から、より地方分権が強くなったといえば、ドイツかな?
>>643 何を持って優劣とするかは問題だが
少なくとも軍事力では封建制国家に中央主権国家がしばしば敗北してまんがな
科学技術や商売の発展などでも優位性がしばしばある
きみは理由なく否定してる時点で非常に香ばしい人間と一目でわかるね
自分を利口だと思い込みたいのはわかるけど無知丸出しで説得力もないので
そうではないね
いまだに封建制度の残っている国はあるのかな?
648 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 20:16:26.51 0
やはり地理的な要因が大きいんだろうな 山で隔てられていないと領界線を引きにくい
から際限なくでかくなってしまうのではないのだろうか?
>>646 >>640をよく読んでみよう、軍事上の要請と書いてある
官僚制が徴兵制と結びつかず募兵制度を採る場合
軍事と直結した制度である封建制が軍事的に優越する。
が、しかし、科学、技術、経済の発展で利する面は無い
>>649 じゃあ軍事的には封建制が先進的なんだから640がそもそも間違ってるんだと
アナタは繰り返したわけだね
普通に江戸日本は商売が発達し朝鮮は発達しなかったが
封建制のイタリアでルネサンスが花開いたが
中国では科学文化が停滞した
オスマントルコも科学が停滞過去の遺産があったのに
反証できるものは腐るほどありますがな
651 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 21:48:29.09 0
イギリスでは封建制度が議会制民主主義に繋がり
世界一の帝国となった
封建制度だけじゃダメ
>>650 軍事的には古代の部族社会に常見される軍事民主主義体制が最も多くの兵士を動員出来るが
行政的政治的経済的には統治も統合もヘッタクレも無い非効率な代物
李朝は封建制より更に遅れた奴隷制社会、農業、商業、工業、医学、科学
凡ゆる面で停滞したのも必然の成り行き
西欧のルネサンス程度の物は、盛唐〜五代に既に成し遂げられている
足利時代〜徳川初期に当たる中国明代には科学、文化が大いに進歩した
満州族は世襲制の軍事組織を中核とする国家体制を持ち込み科学、技術の進歩は稍遅れたが
而し清末であってすら明治維新後の日本は未だ科学、技術、産業の面で追い付くかその手前で
民国期の分裂と内戦による停滞で追い越したに過ぎない
オスマンは西欧と違い米大陸から流入した莫大な金銀の恩恵を受けない
域内で自給自足した経済圏を形成していた。
しかもオスマンが西欧諸王朝に対して圧倒的に優越していたのは
逸早く移行したイェニチェリとカプクルを中心とする中央集権的な軍事組織と
封建騎士と傭兵を中心とする乱雑な指揮系統の西方正教諸国のそれの優劣
653 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 21:49:53.29 0
馬鹿が君主になれば国は滅びる
封建制なら国が滅びず代わりが生まれる
これがこのスレの答えだ
654 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 21:53:32.03 0
>>634 そりゃ同じわきゃないw
ローマ、イスラム帝国などは船型の帝国で、支配領域は地中海沿岸。
船型のローマ帝国にとって、西欧地域は外地に過ぎない。
だから距離的に近いドイツより、遠いイギリスへと拡大した。
中国は馬型の帝国。だから中国の歴代王朝はほぼ北出身。
経済力は十分あるのに、南出身の王朝なんて明くらい。
中国の南は帝国が発生しずらい地域。
だから北に馬型の帝国ができるとすぐに征服されて統一帝国になる。
多分、帝国ってのは馬が基本。
船型は地中海沿岸くらいで、その後スペイン、大英帝国まで無い。
ヴァイキングがいいとこまでいってたけど。
こじつけてる自信はあるw
前秦の例なんかを見ると封建制が発達する可能性はあったと思う
おっと、中国でもが抜けてた
>
>>652 >李朝
封建制か中央集権かが論点
これは論点そらし
中央集権は奴隷制につながるから封建制に劣ってるという主張なら成り立つねぇ
自爆でっか
>ルネサンス程度
世界史的な常識だとそうではありませんw
実際に科学技術分野で世界最先端です
今の近代科学につながってる
これは事実を捻じ曲げてるだけ単なる現実逃避ですな
ちなみに明治維新ができたことそのものが「封建制の利点」ですがな
>オスマン
米大陸に進出できなかったのは何故かな?
遠洋航海技術でおとってたからじゃん
ふつうに17世紀には科学、技術、軍事で西洋封建諸侯に敗北してるな
658 :
世界@名無史さん:2014/02/02(日) 22:32:31.64 O
地方分権の議論は地方で自民が圧倒的に強く都市部で弱くて国会でも基盤が弱かった時代の主張
野党にガタガタ言われれない地方で好き勝手やらせろということだった
今は国会が大政翼賛会以上の完全一極支配だから地方分権なんて議論すらされなくなっている
そういえば20世紀までに工業化に成功した国って封建制を経験した国ばっかりか
>>662 封建制じゃね?
領主植民地から始まってるし
>>661 封建制が廃止された中国が異例中の異例なだけで
部族社会に留まってでもいない限り何らかの封建制は経験してるw
清の三藩とかの封建制もあったけど、結局潰されてるしな
>>657 少しはお勉強してから出直してね
奴隷制→封建制→官僚制という段階で発達する
ローマは長い間貴族の家産が国の大部分を占める奴隷制国家だったが
帝政期に漸く封建制となり、分裂直前に東側限定で漸く官僚制へと進歩した
実際に科学技術分野で世界最先端だった宋、明は皇帝独裁の官僚制
西欧に於いて科学が外界からの摂取でなく進歩し始めたのは17世紀以降の近世に入ってから
そして官僚組織が整備され中央集権国家へ進歩した時代でもある
遠いから。イベリアとアナトリア・ルメリアの位置が逆なら
絶対にオスマンが最も早く米大陸へ進出していた。
相変わらず無知だから教えておくと遠洋航海の開始は
南海交易やインド洋交易を行っていた中国、インド、イスラム商人の方が何世紀も早い。
オスマン帝国の領土が最も西方へ拡張したのは17世紀中葉
>>666 それらは段階を追って発展とは言えないな
奴隷制国家というものがそもそもおかしい
新大陸はどうなる
それに官僚制だった中国は極めて停滞が長かった
朝鮮も同じで変化するには国家崩壊が必要だった
奴隷制国家は中国では周代まで、ローマの西側だと2世紀
モンゴルではチンギス王朝が途絶えるまで、西欧だと一部の国を除き中世を通して存在
漢→宋で農地当たりの農業生産高は倍以上に増え
経済規模は10倍以上に発達した
産業革命後もしばらくは英中貿易が英国の大赤字で阿片戦争起こす動機となったくらいだしな
こうした現象は植民地から搾取しまくっていた英国にとって経験したことのないものだった
なんか19世紀の唯物史観の意識のまんまの人間がおるな
マルクスの解釈が唯一無二といつまで勘違いしてるんだ
中国の奴隷制が周までって・・・。実態は1900年代まで続いてるよ。
Wikiれば一発でわかるようなことを。
>>666 それは話題そらしだよ
中央集権か封建制かが議題
また勉強というならキミは昔の共産主義思想類似の化石みたいな思想だな
>奴隷制→封建制→官僚制という段階で発達する
こういう思想そのものを否定してんのに
官僚制国家中国は普通に奴隷いただろ
現代の中国でさえ移転の自由がないから厳密にいうと「農奴」だ
そういう階層的理解そのものが変といってる
>近世
だからルネサンス時代は封建制だっつの
大航海時代は封建制でしたがなにか?
当時から既に航海術や銃砲冶金まどで欧州が世界最先端だったが
>絶対にオスマン
根拠のない妄想を語られても
>遠洋航海
わざわざ「遠洋」といったのはまさにお前の主張をあらかじめ封じるためだw
外洋を長期間航行する技術はすでに大航海時代「劣ってました」
673 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 09:20:05.66 O
封建制の定義がわからない
明の晋王やら燕王が、
国内で中央集権してたら
封建制?
674 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 10:38:09.81 0
>>673 大領主と小領主が主従関係を結び、
大領主は小領主の領地支配権を認め、外敵からの防御の義務を有し、
小領主は大領主への奉仕義務を負い、戦いの時は指揮下に入る。
>>668 >漢→宋で農地当たりの農業生産高は倍以上に増え
経済規模は10倍以上に発達した
これ出典教えてくれ。興味がある。
>>659 地方分権じゃなくて地方交付税な。道州制の問題も結局はここにある。
道州制も結局大阪都構想を見ればわかるように地方自治体のリストラであり、
財源移譲という名の地方交付税の廃止が目的で戦前の中央集権体制
の復活が目的だよ。
中国の皇帝を頂点とする集権体制では地方の行政を俸給のない、あるいは低い
胥吏が担当し、それが構造的な腐敗につながったように日本も明治後の地方公務員は
それまでの江戸時代の農村支配と一緒で仕事に見合った給料を支払わず、
ほとんど名誉職と言っていい状態だった。
>>671 政治的な弾圧やを奴隷状態とは言っても奴隷制とは言わない。
また農村の小作農への地主支配を言うなら日本も敗戦までは
奴隷状態になる。
そして苦力を指すのであればそれを使っていた国アメリカも
奴隷制になる。
奴隷制とは法で明確に奴隷を規定しなければそれは経済的な
あるいは日本の実習生制度のように法や行政指導の不備から
生じる従属関係に過ぎない。
678 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 11:38:58.30 0
>明治後の地方公務員は・・・仕事に見合った給料を支払わず、ほとんど名誉職と言っていい状態だった。
え?
うちには明治から役場職員と教師が何人かいたけど、大変な忙しさだったらしいよ。
一人では処理しきれない事務量があるので、事務補助を公費で雇ったり自費で雇ったりしたそうだ。
勿論、書記を自費で雇えるくらいの給料は出た。
それが戦後は一転して公務員の給料はインフレに追いつかず民間より低レベルになってしまった、というオチがあるがw
明治政府は小さな政府だったんで
基本お役人は少数で高給取りでっせ
何しろ民間人の人件費がやすかったからね
680 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 17:05:16.89 O
江戸時代は国人とかいなくなっても封建制?
>>672 ローマは帝政前期まで封建制ですらなく、貴族の眷属とその家産奴隷による豪族支配の寄り合い所帯でしかなかった
その後、より制度化明文化された封建制へと発展した。
少なくとも宋以降の中国に奴隷は居なかった。ちなみに現代米国には奴隷が存在する、時折逮捕されて話題になるね
現代ですらじゃあなく、毛沢東の計画経済時代に農戸と非農戸の区分が創られた
17世紀のルネサンス時代は軍事的力、政治行政制度でオスマンに劣り、科学の発達でも同程度でしか無かった
技術が発達し科学分野に注力する様になるのは18世紀の中央集権的官僚制、所謂絶対王政の時代
航海術、冶金、大砲製造、どれも明が最も進み優れていた。銃は日本、西欧諸国じゃあ無い
ニーダムやフローデルはイベリア国家が新大陸を最初に発見したのは単に地理的に最も近かったからに過ぎないと言っている。
また、鄭和はアフリカ東岸まで遠洋航海を行い精緻な地図を作成した。
他にもフェニキアは紀元前に3年掛かりで喜望峰を越えて地中海から紅海へ航海している
はい、残念賞
683 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 17:42:21.57 0
>>680 そこが議論になってるのだ。
日本の歴史を軽蔑したい人は、支配者が武士階級だから同じと見て、江戸時代を封建時代=中世という。
評価する人は、江戸時代は武士はもはや在地地主ではなく官僚であるとみて、封建時代と近代の中間=近世と言っている。
なってねーよw
江戸時代を中世という馬鹿なんぞ居ない
日本列島の大部分を各藩が統治していたから封建制
官僚は居たが、皇帝独裁や絶対王政の様な中央集権では無い
と、日本の歴史を軽蔑したい人が申してをります
>>675 ありがとう。でも漢書と宋会要というだけではあまり役に立たない
漢書は食貨志?宋会要は食貨篇? 何故宋代の農業生産性が漢に比べて
倍以上になり、経済規模が10倍になったと言えるの?
>>681 唯物史観で中国に奴隷はいないがアメリカに奴隷はいるという。。
キミ中国人だな
それはともかく逮捕されてるんだからアメリカのは奴隷でなく犯罪者がいるだけ
現代中国は土地の所有権がなく移動の自由もない
これはかつて農奴といわれた存在そのものですがな。
これにまともな反論がないのはかなりイライラしたようだが
あと封建制なり中央集権と奴隷制は並存するぞ
奴隷がいたアメリカ合衆国はお前の中ではどう理解してんだ
ルネサンス以前からもそうだが実用に耐える羅針盤を造り保険をつくり
複式簿記を作ったのはイタリア人
明らかにオスマンより優秀だった「場合がある」
おまえは「全て劣ってる」といったからこれだけで論破終了だがなw
火器もオスマンより優秀な場合も多くしばしば軍事的にも越えた
封建制オーストリアへの大二次ウイーン包囲の時点で軍事技術では
隔絶した差がすでにあったことはほぼ定説
鄭和は実態が不明な上その技術は失われたのだから話にならん
鄭和後は明白に劣っていることはキミでさえ認めざるをえんだろう
無理筋のへんてこな主張だったね
689 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 18:35:38.69 0
>>684 そしたら、上の、
「明の中で、燕王だの秦王だのが
各領国内で明と同じような中央集権制を敷いていたら
それは封建制といえるのかどうか」という問題にぶつかる。
それは封建制でいいでしょう
地方分権が十分で地方領主が世襲したら封建制でいいかと
691 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 18:48:25.79 0
史家は大明の体制を封建制とは言っていないけどな
692 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 18:54:33.29 0
ま、確かにそしたら各国で競争しあって中国の科学は進むかもしれないけど。
693 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 19:14:38.15 0
江戸時代の天領でも、
代官を派遣したところもあったが、
多くは地元の人間が納めていたらしいしなー
どうも封建制という定義があいまいすぎる
代官は数万石相当の土地を担当するが知行数百の旗本
与力もほとんどいないので人がいない
ひとが足りないので庄屋みたいな村役人が徴税してます
>>688 俺は681ではないが、
>移動の自由もない
には疑問がある
勤めている企業で中国支社にいたが、しょっちゅう辞められて困った
確かに都市戸籍と農村戸籍に分かれているが、
農奴というからには、簡単に辞められない状況になっていないと農奴といえないんでは
少なくとも俺は今の会社をリストラされたら簡単に職がないから、
職場にしがみつくしかないサラリーマンは自分達を農奴のように感じている
米国本社では、女性就労が増加して夫婦共働きが増加したら、転勤命令を拒否する
社員が増加した。あっちは日本よりも単身赴任をさせるのが難しく、家族は
一緒にいたいと堂々と主張できる文化があるから
仕事をもってる夫or妻がついていかない割合が高く、結果的に定住志向が強まったりしている
移動の自由といってもいろいろあるので、部分だけ取り出して論じても意味ないのでは
もういっこ思い出した。
農村戸籍でも大学に進学すれば、その大学のある都市戸籍に移せるんだよ
で、就職しても、就職先の戸籍にあえて移さない奴が殆どだった
確かに戸籍の移動は日本と比べると面倒で、実働2,3日かかり(日本だと
数十分程度?)、確か郵送とかではできない筈で、手続きは有給扱いにならないのが普通だったから
給料のよい仕事が見つかれば、どうせ辞めて別の都市にいくかも知れないからと、大学のある都市戸籍から
移さない奴が殆どだったよ。
稀に移すやつが出てくると休暇申請してきた
>>687 学者が史料を研究した結論として宋代経済史という本にそう書いているからそう言える
同一面積の田の平均生産高が漢→宋で2倍強
水田で比較すると3〜4倍、全体で平均すると概ね3倍弱になる
>>688 宋、明では奴隷は禁止されていて、それはともかく逮捕されるんだから宋、明のは奴隷でない
西欧の農奴は農業にしか従事出来ず、転職も出来ず移住しても見つかれば連れ戻された
農戸は工員になろうが転居しようが何の問題も無い。お勉強が足りない
世界で最初に実用に耐える羅針盤を創ったのは中国人、保険を創ったのはアラビア商人
複式簿記を作ったのもアラブ人、ルネサンスの時期には
その3つ全てが中国からオスマン帝国に到る地域で使われていた、無かったのは未開だった西欧くらいのもの
そんな定説は無く、オマエの願望に過ぎない。
第二次ヰーン攻囲の時点すら未だハプスブルク王朝はオスマンと同等かそれ以下でしかなかった
西欧側が巻き返しを始めるのは18世紀に入ってから
宋元明代を通じて遠洋航海を行い南海交易をしていた、実態が不明なのではなくオマエが無知なだけ。
西欧の帆船の性能というのは蒸気船が登場するまで
速度、積載量、対波性に於いてジャンクに劣後する物でしかなかった
>>698 宋明では奴隷は禁止されていたというが、中華民国になっても、母親が女の子を
人買いから買って息子の嫁として一生奴隷として使った歴史はどうなるの?
人身売買と奴隷は区別すべきじゃね
戦前や江戸時代は人身売買が普通にあったけど
それをもって日本は江戸時代や明治時代は奴隷制だったとは言わないし
奴隷って一言で言ってもピンキリだからな。
>>698 サンクス。ではその書籍を参照したい。別に君を疑っているわけではなく、
その情報を探してるところだったのだ。正確な書名と著者名を教えて欲しい。
中国語でもOK
>>699 現代米国では奴隷は禁止されていたというが、20世紀末になっても、
女の子を人買いから買って一生奴隷として使い死亡させた歴史はどうなるのかな?
>>704 なにそれ。米国にそういう習慣があるならソースを。
>>698 追加ですまん。宋代は漢代の10倍の経済力との話の根拠も教えて欲しい。
>>698 つまりはお前のアメリカの奴隷とやらはいなかったわけだな
捕まってるんだから
そして宋以前にいたんだから中国の封建制時代なり官僚制時代には奴隷はいた
よって現代アメリカに奴隷はいないし中国に奴隷はいたってことになるな
お前は嘘をついたわけだ
羅針盤を航海に使えるようにしたのは中国人ではないし海洋保険の原型作ったのはイタリア商人
複式簿記が実際に確認できるのはイタリア人使用のもの
第二次ウイーン包囲の失敗で人口大国トルコの衰亡が決定的になる
30年戦争の経験から広がった軍事改革にトルコはついてこれなかった
実際に負けているし優位性がこの後確立したというのが定説
火砲が欧州で発達したことに触れてないがどういうことかね
星型要塞は時計は音楽は?
オーケストラより中国なりオスマンの音楽が優れてるなら何故いま流行していない
ジャンクの優位性はよく中国人がいいウィキにもその趣旨のこと書いてあるが
あれは嘘
竜骨がないあの船は外海での運用に劣る
これは専門的な話になるから省くが単純に底が深いフネは安定するぐらいでいい
で鄭和の実態とやらを示せ
お前はまた鄭和でなく他の商人に論点をすりかえたが
>>704 漆侠編宋代経済史上下
多分電子版の中国全史の中の宋遼金夏の経済史でも似た様な事が書かれてる筈だから
そっちの方が入手は早いと思う
>>700 多くの女性が日本から見ても信じられないほど虐げられていた中国やその周辺国の因習を
抜きにして、奴隷がいない社会が宋、明で欧州より進んでいたとはとても言えないということ。
弱いものがとことん虐げられたアジアの因習を度外視できない。
>>708 大学図書館と国会図書館にあるのを見つけた。サンクス。
念を押すようで悪いけど、10倍の話もこの本でよい?
>>710 OK
>>707 西欧には中世は勿論、近世の絶対王政時代更には近代に到っても奴隷が居た
しかし、体制はあくまでも封建制、中央集権官僚制で
ローマの様な奴隷が生産活動の多くの部分を占める奴隷制とは異なる
羅針盤を航海に使えるようにしたのは中国人、記録も実物も最も早い。
イスラム商人もイタリアより何百年も早く中国由来の羅針盤を遠洋航海に利用していた。
海洋保険を創ったのはイスラム帝国時代のアラビア商人、投資組合からの派生
第二次ウイーン包囲の失敗は西欧がオスマンと伍する事がはっきりと確認された契機
ハプスブルク王朝が失っていた東方領土を奪い返し始めるのは18世紀に入ってから
それも一進一退を繰り返しての事、オマエの願望と現実の歴史は異なる
火砲や火器はオスマンでより早く発達していてその結果がハンガリやトランシルヴァニアの失陥。
火線の為の突出部を設ける築城術は既に南宋、元の時代に登場している。
音楽に興味は無いがオスマン軍楽隊の音楽から多数引用されたのは皆知っている事
ジャンクは竜骨の在る船もあったし無い船もあった、種類によって異なる
外洋航海用の船には水密隔壁を設けていたし帆も南海交易用にとってガレオン等より合理的な造り
そもそも南蛮人自体がインド以東の貿易ではガレオンを使わず金を払ってジャンクを雇っている。
オマエの信仰に基づき嘘だと思い込むのは勝手だが、現実とは違うとだけ忠告しておく
>>709 ヨーロッパの魔女狩りとかユダヤ差別とか酷いものだったろ?
同時代の宋や明がそれよりも劣っているとは、とても思えんよ。
>>707 明代の外洋船に使う巨大な竜骨が杭州周辺で発掘されていた、ような
>>712 宋や明以降も、魔女狩りや異民族差別が横行していたのが中国やその周辺国だろう?
いったいその国のどの部分を見ているんだ?全体を見る目はないのか?
>>712 魔女狩りの時代って、反動宗教改革の時代だからね
宋代の頃の欧州はマケドニア朝ローマ帝国とか、そんな時代やで
>>711 サンクス。アマゾンでも見つけた。評価高いね
ケチを付けているつもりはないので、一応背景を説明しておくと、ご存知だと
思うが、昨年出版された岡本隆司編『中国経済史』のおかげで、俺の周辺では中国経済史に
関心が高まっている。この本は、数量経済史的な分析に否定的なので、逆に中国経済史で
数量的な値がどこまでわかるのか調べて発表会をしよう、という話になってる
>>707 両者を仲裁することになるのかも知れないが、複式簿記のアラブ起源説はゴイテインが
カイロ・ゲニザ文書で見つけた貸借対照表かと
で、複式簿記は貸借対照表と損益計算書の二つから構成され、この現物が確認されるのがジェノヴァだかのイタリア
なので、カイロ・ゲニザのものは複式簿記そのものではないが、イタリアの複式簿記の
起源となった可能性はある。あるけど現時点では証明されていない。
だから、二人の言っていることは、両方間違ってはいない
>>715 異端審問が盛んになってきた中世末期の12世紀から17世紀くらいでしょ?
ちょうど、宋から明にかけての時代だと思うけど。
横レスだが。
20世紀になっても、売国奴だといわれたら膾にきりさかれる私刑を
受けていたし、その後の共産党下でさまざまな魔女裁判がおきたのは
記憶に新しいところではないだろうか?
>>714 清朝に関しては、朝廷に関しては満州族とモンゴル族の連合王朝みたいなものだから
上層では漢族が差別されていた面はあるけど、下部構造はそのままで
結局中華化してしまって漢族官僚に帝国の実権が移ったな。
辛亥革命以降は民族差別自体語るのがナンセンスなレベル。
>>709 男女での分業という発想自体がない中国について無知にも程があるw
男も料理するのが当たり前だし女も工場で肉体労働するし中国人のそれは徹底している
>>711 また
話題をそらしたな
中国に奴隷がいてアメリカに奴隷がいないことは自ら言っているんだから
反論になってない
大航海時代の羅針盤は中国より優れている
海洋保険は
ttp://www.tokiomarine-nichido.co.jp/hojin/marine_site/info/history.html ここでもみろ
少なくとも発展させたのはイタリア人どもだ
ウイーン包囲のあとはトルコは凋落してる
圧倒的人口誇る帝国がオーストリアと「伍した」のなら
軍事技術が上なのは明白
火砲はオスマンで発達したが西洋がまだ封建制の時代に西洋が超えたから
オスマンの凋落が始まってるんだ
ジャンクをどう思おうと勝手だが実際に最大の難所ケープやホーンを頻繁に行き来したのは
ジャンクではない
お前のは妄想だがこちらは事実がある
で星型要塞やら時計はどうした
音楽は引用されようとなんだろうと「劣っているとおおむね判断されている」
まあ中国では優遇措置を狙って少数民族を詐称する漢族が
後を絶えなくて社会問題になっているくらいだし。
たとえばアメリカでいくら優遇措置があっても
黒人やネイティブアメリカンになりたがる白人はいないし、
日本でも朝鮮人になりたがる日本人も皆無だろう。
それくらい出身民族で不利になる差別がない社会ではあるわけだ。
漢族からは、ありもしない民族差別で優遇されてる
少数民族に対する反発も出ている。
>>720 庶民の男はコックになるか洋服の仕立て屋になるかだったらしいが、女が
天の半分を支えるといわれ始めたのは共産主義国家のスローガンになってから
だと思うが?
724 :
世界@名無史さん:2014/02/03(月) 23:26:18.07 0
>>711 でも明やサファビー朝は
ヨーロッパから武器や戦術を導入してたんでしょ?
>>720 >男女での分業という発想自体がない中国
これこそ間違いだぞ。それは共産主義国家になってからのこと。
ウィーン包囲では欧州各国の援軍があっただろw
それにオスマンは東部にペルシャ、北方にロシア、西方に欧州諸国と四面楚歌だった
中央の交通の便によい地域が最初は発展するがやがて背後を脅かされない辺境の地で開発が進むと形成逆転する、
というのは様々なケースで頻出する事例
欧州とロシアはどちらも背後が完全な安全地帯で有利過ぎる立地
普通にオーストリアにも敵はいますがな
実際に動員兵力はオスマンが多いですがな
729 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:00:41.73 0
中国には今でも奴隷が居る
730 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:03:11.20 0
「封建制」も定義が実にあいまいだけど、
「奴隷制社会」というのもさらにわからん。
なんで奴隷の有無が時代の進歩度を表す基準になるの?
731 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:07:29.52 0
封建制でも官僚制でも奴隷は居るよね
極端に言うと民主制でも奴隷は居る、古代ローマ・ギリシアとか
732 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:09:28.51 0
室町時代にも奴隷がいたが、
室町時代は封建制だよな?
奴隷の人数で決まるのか?
こいつは未だに唯物史観というへんてこな思想持ってるので
前提条件として体制に上下がないと不都合なんだよ
だから奴隷制と「体制」でないと都合が悪い
でも奴隷は国家制度という意味での体制でもない奴隷もおおいのであなた方のような疑問には
うまく答えられないよ
>>724 明が戦術を導入した事は無いし、宣教師の報告は真逆で明軍の統制は我が国の軍隊では到底及ばないとある
兵器もそれまで青銅で鋳造していた大砲を鉄で鋳造する為のサンプルとして数十門輸入
後は自前生産、火器は主に日本とオスマンの火縄銃を参考にしてる
>>721 はいはい、願望を垂れ流すだけの無知な老害はNG
>>734 オスマンと比べるならオーストリアにしろよ・・
なんで他国が出てくる
>>737 16世紀のオスマンが戦っていたのはハプスブルク家とその勢力圏(北イタリア)だからだが???
739 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:28:49.47 0
>>735 でもその日本の銃ってヨーロッパ伝来では
740 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:36:22.16 0
伝来してもすぐに本家を凌ぐ性能になるのは日本の伝統
741 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:37:18.77 0
新規の発想と
改良の発想
社会的条件が違うのだろうな
742 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:38:48.35 0
とすると、
やっぱ元末の郡雄が互いに競ってれば
武器の性能も一番向上した?
中国は無理っぽい
なにしろ戦争が殲滅戦が多い
徹底して殺しまくって何も無くなり
全員死んで最後に立っているのが勝者って感じ
中国は国家間の条約も余り意味が無い
停戦協定は必ず一時的ですぐに崩壊する
近い親族は助け合うが
他人と約束を守ると言う習慣がまったく無い
745 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:48:01.29 0
中国人に取って条約や約束は、時がくれば破っていいもの
これが常識
746 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:48:03.76 0
>>743 で、結局残った国が「統一」するわけだな。
なんでヨーロッパの戦争は相手を滅ぼさないのか・・・
そういう根本的な疑問に帰る。
>>741 火縄銃も言っちゃえば中国伝来の小火砲を
手元の火鋏で着火出来る様にしただけだからな
>>746 滅ぼさないんじゃなく滅ぼすだけの軍事的実力と統一を維持する行政力が
中世には無かった、その証拠に崩壊していた西ローマは滅ぼしてる。
近世末期に至って漸く総力戦を行う基盤が整ったけど
既に国家制度の整備されていた各国が対応する変革も早く行われたし
英国の位置が近過ぎロシアの位置も遠過ぎた
748 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 01:04:17.87 0
>>747 ヨーロッパは騎士道
中世は軍人だけが戦争した
>>738 勢力圏でもないしその中身はばらばらだし
しかもなんでオスマンの同盟国フランスを敵みたいにかいてるんだ
>>735 反論せず罵倒のみってのは私は論戦に負けましたという宣言ですぜ
751 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 02:15:34.22 0
>>747 いやしかし中国の殺し具合は群を抜いてるような気がしないでもない。
>>748 行政が殆ど存在せず公が非常に小さかったせいで
御恩と奉公の騎士しか動員出来なかった
相手も城という名の館に数人居るだけだから困らなかったけどね
>>750-751 願望を垂れ流すだけで反論するだけの中身が無いから罵倒するしか仕様が無い
いや、そんな事は無い。あると言い張るなら論拠と史料を
私の心ゆくまでたっぷりと提示しないといけない
中国には数十万の兵や民を皆殺しにしたって記録が多いよね
100万てのもある
やっぱり、ここがキモみたいだな
中国人に騎士道は理解出来ない
朝鮮人に武士道は理解出来ない
中韓はただ殺し合い騙し合うだけ
756 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 08:28:01.08 O
>>753 それをやる理由がわからない
残虐さなら日本人もヨーロッパ人もあり、
戦場で暴行も略奪もしてるが
スケールが違う。
757 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 09:57:20.28 O
蝦夷や隼人にはやってたと思うけど、
日本人同士ではあるのかね?
ヨーロッパでも非キリスト教徒にはやってたか
日本だと島原の乱ぐらいかな
ヨーロッパも今頃になって統一したいとEUなんか作っているけど、
結局無理なんじゃないかなと思う。
今世紀中には、半分くらいイスラム教徒や黒人になっていそうだな。
>>749 フランスとの比較は同時代のオスマン帝国の
人口規模をイメージしやすいように比較して書いたもの
敵みたいというのはあくまで君の印象
レバントの海戦の頃のイタリアはハプスブルクの勢力圏だが?
ローマ教皇は反宗教改革のリーダースペインの影響下にあったし、16世紀後半の歴代教皇に
大きな影響力を持ったフランシスコ・ボルハはスペインのボルジア家の出身
ナポリ王国は1503年スペイン支配化に入り、ミラノ公国は1535年にスペインに征服され、
トスカーナ大公国には1569年以降スペイン軍が駐留している
更にオーストリアもスペインもハプスブルク家。この状況で16世紀がハプスブルク家の勢力圏
とオスマンの戦いで無いなどとどうして言えるのだ?
>>735 中国をネガティブに見る連中はGDP統計はいい加減だと信じないのに、
どうして皆殺し数の記述は信じたがるのだ?
>>761 人口減と皆殺しの記録
これら多方面で一致してるからだよ
皆殺しは無く人口減も無かったとすると
中国の歴史書全部が嘘だってことだぞ
>>762 ほお。多方面で一致。ならばその数値をちゃんと提示して論じてくれ
>皆殺しは無く人口減も無かったとすると
中国の歴史書全部が嘘だってことだぞ
皆殺しは無く人口減も無かったなどと一言も書いてないが
百万の皆殺しという記述が10万程度であるかもしれない可能性を検討することと、
史書全部が嘘と断定することはまったく違う
ここも興味深い
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html > かくて、中国の人口崩壊は、他の地域に見られぬ特徴を持つようになった。すなわち、
>1.周期的に繰り返したこと
>2.歴代の王朝政府があらゆる知恵を結集して人口崩壊の予防策を講じたにもかかわらず、結局、人口崩壊の回避に一度も成功しなかったこと
>3.人口崩壊のあと、中国は必ずよみがえったこと
田畑を分割して相続したため、人口が増えれば増えるほど細分化され
国民の暮らしは貧しくなった。これが行き詰まると紛争が多発したのかも
こういう視点は無かったなw
17世紀にも四川省の人口数百万を丸ごと殲滅するぐらいの殺戮が有った
四川方言は北京系だし、これは大規模な民族入れ替えを裏付けている
つまり中国では街を襲って皆殺しにして
そこに自国から移住させる切実な理由があった
それ以外に国民の貧困を救う手だてが無かったのだ
幾らでも耕作可能な土地が余ってるイメージあるけどそうでもないのか
>>759 欧州人は所詮東から逃げてきた弱者だからな
既に移民に乗っ取られかけてるとことかあるし
769 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 17:42:57.13 0
>>732 室町時代にいた奴隷とはなんですか?ソースを示してください。
>>764 石平の時点で信憑性に大いに欠ける
ただの反中アドバルーンタレントだからな
>>765 明代中期以降は長子相続で次男以下は都市へ流入したり客戸、小作化している
>>756-757 単に中国以外の地域では総力戦を遂行するだけの行政力が無かった
その証拠にナポレオン戦争や第一次欧州大戦では数百万人が殺害されている
>>760 おいおい
スペインハプスブルク家とオーストリアハプスブルクがお前の中では一体なのか
お前でも判るように言うとまさに中央集権化されてないばらばらの地域だな
もし時に協力はするが統一戦線なんて夢のまた夢
封建制が中央集権国家より優れているから
こんなにばらばらでもオスマンに時に優位だったという主張なら成り立つね
774 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 19:46:34.67 O
>>769 南北朝時代の、子供を人買いに売った記録があった
長尾景虎が関東で一山いくらで捕虜叩き売った記録があったな
あと、北条や武田の勢力圏で、売られた連中の買い戻しやらの記録も出てきてる
それほど珍しくもなかった模様
>>764 >中央集権化されてないばらばらの地域だな
もし時に協力はするが統一戦線なんて夢のまた夢
俺は「統一戦線」などとは一言も書いてないが
君が初めてだしてきた「統一戦線」なるものの意味が不明だが、
16世紀イタリア諸国がスペインの勢力圏にあったという意味なら、その通り。
当時イタリア諸国とスペインが「統一戦線」を組んだから、
>人口に比例した兵力の動員が出来れば、レバントの海戦でハプスブルク家+イタリア北部
共和国連合軍がオスマンに勝利できたのは何の不思議もない。あくまで技術や戦術の話ではなく、総人口の話だけど
と書いたわけだ
あと君は、中央集権=官僚制、それ以外封建制 と言う極端な単純区分しか
無いようだが、16世紀後半のスペインや北イタリアでは比較的官僚制の構築が進んでいた
この辺も学習した方がいいと思う
>お前でも判るように言うと
君はイタリアがスペインの勢力圏ということも知らなかったようだが、
君は、自分の知識の乏しいことを自覚してないのかな
こういう中傷をすれば、君の自尊心が満足するというのなら、別に俺は構わないが
>>775 それ買い取ったのは親族だから
つまり身代金
奴隷として売ったんでは無い
そうですね。捕囚=捕虜だから、処罰として売買した。
身代金を払えば解放される。奴隷とは違うのでは?
古代の奴隷は捕囚を奴隷階級に組み込んだ、それとは違うような。
捕囚の売買を即奴隷だと決め付けたなら、江戸時代の刑罰である
寄せ場送りなども奴隷にしたということになるが、刑罰による捕囚や
囚人を奴隷というのは違うと思う。奴隷という言葉を使うのはやめたほうがいいのでは?
>>776 安価もできんのか
どうでもいいが例のあいつなら
海上保険は読んだかね
それとお前がれいのあいつならウイーン包囲を問題にしてたんだから
まるで関係ないんだよ
またオーストとスペインを同視してるのを問題にしてる
読解力もないのか
スペインのしたでなくオーストの下でないと話にならんのよ
初めから関係ない話してんだぜ
あと封建制と中央集権とくぎった話題なら単純にお前が苦しい言い訳してるだけ
こちらは時に封建制の方が効率いいといってるんだから
中央集権化が進んだ「封建制」より絶対に「中央集権制権」
が良くないとお前の理論では変
すでに「場合によって封建制が効率いい」という自白そのものだよ
ここは完全に失敗しましたなw
>>779 ヰーンを攻囲されてる時点でかなり劣勢
ハンガリトランシルワ゛ニアも失ったままだし
>>779 アンカは打ち間違えたスマンね。
>ここは完全に失敗しましたなw
残念だが、俺は、君と論争していた相手ではない
>>696で中国の戸籍の話と、
>>716でアラブの複式簿記の話を書いた者だ
だから封建制と中央集権の話については答えようがない
>>734で、人口の話をした時に横レスと書かなかったのが誤解の招いたのかも知れないが
相手を罵ることばかり考えているから、相手が違うこともわからず
一人相撲をすることになるのだろう
中央集権国家というのは官僚国家であるから、
統治が上手くいってる平和な間は文書による正確な記録が残りやすいわな。
戦乱になると、支配圏を離れた人口など国家が把握できない情報が多くなって、
整合性がとれなくなるけど。
相手を叩くことばかり考えている連中の間にわって入るのは軽率
罵り合いに巻き込まれても仕方がない
784 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 23:00:07.27 O
>>778 ギリシャとかでも金払えば平民になれなかった?
>>784 古代は奴隷階級というものが存在していたからな。数がいた。
786 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 23:20:49.04 0
マルクスは何らかの根拠をもって
奴隷制社会→封建制→資本主義社会→社会主義→共産主義
という道筋を描いたのではなく、
被支配層の地位がどんどん向上していたという考えに
現実の流れを半ば無理やり当てはめたという感じか。
(奴隷→農奴→低賃金労働者→中流階級)
参考にできることもあるかも知れないが、
あんまりうのみにも出来ないような気がする。
>マルクスは何らかの根拠をもって
こういう認識だったら、マルクスは語れない。
ああ、
>>652を読んで、中華P厨がどんな変態説に拠って立つのか、よく分かったよ。
この人、「宋代=世界最速の完全近代社会の完成」説の崇拝者だ。
だから、李氏朝鮮は?というと、あれは奴隷制だと言う。
つまり、古代・中世・近代の、古典的な西欧史式三分説は、議論の前提としてある。
ところが、前の議論では、古拙という単語が出ていたのに、全く無反応だったから、
西洋史&オリエント史の、きちんとした知識は無いままに、
中国史だけ読んで、「宋代=最速近代社会論」に嵌って崇拝してるのだろう。
要するに、大中華様は、宋代で、偉大なる近代社会を完璧に完成させていたのに、
500年も経ってから、「まだ五胡十六国レベル」のはずの西ヨーロッパが、
金銀財宝を略奪してチートし、大中華を勝手に侵略してきた、という歴史観の持ち主。
そもそも、
室町時代と江戸時代をくらべてみると、
室町時代にはいたはずの村の領主(地頭や国人?)は江戸時代ではいないし、
王の権力や領地も全く違う。
これを同じ封建制といっていいのか、
それとも封建制の中で段階が違うだけで、やはり封建制なのか。
そこまでの無知、常識知らずを、歴史観の持ち主とはいわない。
>>737 オーストリアを今のオーストリアと間違える神聖の馬鹿だったか…
792 :
レイプ世界一はオーストリア:2014/02/04(火) 23:42:40.71 0
おいおい確かにオーストラリアと間違えたら失礼だよ
>>1 中国は北方の異民族からしか侵略は受けなかったけど、ヨーロッパはいろんな方向に敵がいたから。
795 :
世界@名無史さん:2014/02/05(水) 00:20:09.25 0
>>794 ん
少なくとも日本からは2回、チベットからは1回侵略受けてるって言えるかね?
>>781 いずれにせよ内容が変
ハプスブルクがなんで統一されてる前提だよ
あと二回も仮定をつけて本人以外とおもってることを示唆してますがな
割り込んだこと含め誤解させといてなんで上から目線だ
本人かのような装いで現れて
疑いつつも反論したら
「一人相撲」と罵倒
罵倒はあんたもしてる上に責任転嫁もしてるだろ
だからさ、片方に西ヨーロッパを持ってくる議論をするなら、
SPQRの原義に戻れと、すでに書いたのにw
SPQRの何たるかを知らずに、春秋戦国から秦漢帝国の制度の類推しか出来ないから、
「貴族の眷族」だの「豪族寄り合い」なんて、的外れな分析をするんだよ。
ローマという都市(R)における元老院議員(S)と平民(P)からなる(q)集合体だ。
ローマにおいて、「都市の貴族(Sが象徴)と、田舎の平民Pとの間の関係」は、どのようなものだったか?
そして、それが壊れたとき、中世の農奴が生じるわけだが、それはどういうことか?
このSとPとの関係は、今の日本語の外来語(カタカナ語)だと「クライアント」というw
>>796 自分が本読んでも理解できないから、相手を罵倒して
どんどんアイデアをださせてファイリングでもして
朴るぐらいが目的なんでは?
熱くなって教えたり説明したら利用されるだけかも。
>>784 金を払って戦争捕虜が解放されるのと
金を払って奴隷階級から平民になるのでは全く意味が違う
正直ヤヤコしい
佐渡金山とか
ソ連の強制収容所は奴隷か否かとかな
>>799 まぁ最初からヘンテコな主張してたしね
多分リアル中国人か活動家だろう
今頃唯物史観とは
>>797 無知は多少なり歴史を勉強しないといけない。
ローマ帝国の図体はデカいが、行政制度は非常に稚拙な物でしかなく
血統家門による特権と奴隷を始めとした家産を持つ豪族の集合体でしかない。
ローマという厳格な階級社会の部族国家、は。
家門と血統により特権を与えられ、土地や奴隷等の家産を持つ貴族の
奴隷制に基づく家産支配制が根本にあり。
征服した植民地、所謂属州の属州民と呼ばれる平民から
大雑把な行政手続による搾取が収入の基礎となっていた国。
ローマに於いて貴族の眷族には、封建制下の御家人や寄子程の自由裁量は無く
より強固な従属性と拘束があり、況して集権的官僚制度の様な実力による選抜等無かった
>>802 早く海上保険が中央集権国家でうまれた証拠を出してくれ
>>799 まさにオマエの事だなwww
無知な上に何の反論も出来ず時間の無駄だからもう相手してやらないが
>>803 何を教えて欲しいか、何故それが必要か
無知なんだから謙虚に、そして知りたい事は具体的に書かないと駄目だよ
>>805 何でも中央集権が優れているといったたヘンテコな本人様なら
>>711 の議論をわすれてはいないでしょう
>>806 逃げてないで、何を教えて欲しいか、何故それが必要か
無知なんだから謙虚に、そして知りたい事は具体的に書かないと駄目
やっぱり眷族だの何だの言ってたのは、中華P厨本人だったのなw
クライアントですよ。分かりますか?
あなたも、法律問題で困ったことがあったら、弁護士のところに相談に行くでしょう。
税金の計算に困ったら、税理士の事務所の門をたたくでしょう。
これがクライアントですよ。
法律相談をしたら、弁護士先生の眷族になるんですかね?
中国の律師は、そんな怖い人なんですか??ww
本当は802にはもう一つ致命的な問題があって、こんなところで転ぶというのは、
日本の小中高の社会科教育を受けた人では、正直考えられないので、
この人は中国人なんじゃないか?と俺も疑うが、
それは項を分けて論ずることにしよう。
>>801 中国人が自分の国のことをあれほど知らないということはないでしょうな。
>>807 横だけど、教えてほしいのはなくて朴りたい。
自分のオリジナルにするつもりなんだろう。
膨大な他人から朴った情報で本書いたりしたいじゃないのかな。
>>808 ローマの恩顧関係というのは弁護士や税理士の様な技能の提供と報酬ではなく
政治家の口利き、地縁、血縁、コネ縁故
裁判するにも厳格な階級社会のローマでは属州民ではローマ市民権利者には勝てない
なので利益を提供する事で眷族となり仮想家長となって貰わないとならなかった、そゆこと
>>807 ああもう及び腰だなw可哀想
なんでもいつの時代も封建制<中央集権とあんたがいったので
それに対する反論を721に語ったわけだ
それからアナタは負け犬らしく逃亡なさってるので反論をどうぞと
>>802 専門用語を知らない無知らしいけど
「貴族の眷属」とは具体的になにをいってるのかな?
一般的な日本語の訳語かラテン語でいってみな?
無知なアナタに教えてあげるよ?
>>812 何を教えて欲しいか、何故それが必要かを書くだけで
自分は何の提供も証明も負っていないのに
それすら出来無いのかこの老害は
815 :
世界@名無史さん:2014/02/05(水) 01:28:20.15 0
ほんとに老害だ
>>813 豪族の眷属とは、雇用関係でも封建制下の様な与力御家人的存在でもない
貴族の家に隷属する奴隷や属州民やローマ市民権者
>>814 話題そらしに必死ですがまず803をどうぞ
次に721各種をどうぞ
あれだけ嬉しそうに長文で反論してたあなたが
まともに反論しなくなったのはあなたが自分の敗北をよくよく自覚したからでしょう
仲間のpとコンビ打ちしときゃいいじゃんw
>>817 逃げてないで追い易いようアンカーを打つ事
文を指定する事
何を教えて欲しいか、何故それが必要かを具体的に書く事
>>816 おやおやw
眷属
1 血筋のつながっている者。一族の者。身内の者。親族。
2 従者。家来。配下の者。
でどうやら眷属は2の意味で使ってますな
でかりにその場合一
>般的には貴族の家に隷属する
@奴隷やA属州民やBローマ市民権者
とおっしゃっていますが
この@ABのなかで伝統的貴族のなかでは眷属たりえない人がいます
さてどれだ?
理由もつけて述べてみなw
さっそくぼろが出てヤンの
>>819 ああもうオウム返ししかできなくなってきたな
短文で相手の疲労を狙うしかなくなったかw
>>711の反論
>>721で列挙された技術なり文化は
『封建制が時には中央集権国家を凌駕した証拠」
なので反論をどうぞ
>>820 眷族とは2+奴隷なので全て含まれる
はい、残念賞
>>821 どれが『封建制が時には中央集権国家を凌駕した証拠」なのか
具体的に書く事
>>822 おおあせってきたなw
どうやら質問の意図さえも理解できなくなってきたかw
追加で質問
そういう眷属を伝統的にはラテン語でどういいましたかな?
初歩的なんでこれはぐぐればすぐわかる
でそうみた場合@ABで古い貴族のなかでは仲間はずれがいます
さてどれ?w
>>821 ああ、ちなみにオマエは
>>711に対して反論出来ていない
証拠や文献処ろか情報すら提示してないからな
>>823 721は封建制国家で発展、凌駕したもの
そうでないといってたんだから頑張って反論しよーね
>>824 豪族の眷族とは
>>820の2と奴隷を合わせた存在を指すので
奴隷や属州民やローマ市民権者の何れもが対象
>>825 711には証拠が皆無じゃん
一応保険会社の引用という証拠もこちらは出したのにw
また自爆してやんの
>>827 まず具ぐれよw
そういう眷属の言い方があるからw
>>826 先ず
>>711に対して反論出来ていない
『封建制が時には中央集権国家を凌駕した証拠」以前に根拠にすら提示してない
>>829 豪族の眷属とは、雇用関係でも封建制下の様な与力御家人的存在でもない
貴族の家に隷属する奴隷や属州民やローマ市民権者を指す。
何か言いたい事は?
>>828 東京海上の保険小噺がどうかしたのか?w
>>830 あらあら反論できんから頭ごなしに否定かw
>>698 >>681 なんぞで議論をくりかえしたのに?
ああこれは完全に逃亡にはいってますやんw
音楽は自明だろ
「自分で良く知らん」といったが今現在封建制国家の作った音楽が残ってる
海上保険もソースだした
星型要塞は反論さえしなかったな
>>831 そういうことを指す専門用語があんだよw
はっきりいって常識だ
それさえも知らんのはわかったから早く調べろ
>>833 ほらオマエの謂う所の証拠だ
西欧には中世は勿論、近世の絶対王政時代更には近代に到っても奴隷が居た
羅針盤を航海に使えるようにしたのは中国人、記録も実物も最も早く
実用的な羅針盤は中国で発明された
イスラム商人もイタリアより何百年も早く中国由来の羅針盤を遠洋航海に利用していた。
海洋保険を創ったのはイスラム帝国時代のアラビア商人、投資組合からの派生
第二次ウイーン包囲の失敗は西欧がオスマンと伍する事がはっきりと確認された契機
ハプスブルク王朝が失っていた東方領土を奪い返し始めるのは18世紀に入ってから
それも一進一退を繰り返しての事、オマエの願望と現実の歴史は異なる
火砲や火器はオスマンでより早く発達していてその結果がハンガリやトランシルヴァニアの失陥。
火線の為の突出部を設ける築城術は既に南宋、元の時代に登場している。
音楽に興味は無いがオスマン軍楽隊の音楽から多数引用されたのは皆知っている事
ジャンクは竜骨の在る船もあったし無い船もあった、種類によって異なる
外洋航海用の船には水密隔壁を設けていたし帆も南海交易用にとってガレオン等より合理的な造り
そもそも南蛮人自体がインド以東の貿易ではガレオンを使わず金を払ってジャンクを雇っている。
地理的にイスラム商人や中国商人はアラリカ南岸を頻繁に行き来する必要が無かった
>>835 だからそう主張するならお前以外の人が主張してるソース出せw
なに711のコピペしてんだw
じゃあ721には「反論できない」証拠じゃんかw
論破されたらオウム返しって古い手法じゃの
721への反論をどうぞ
>>836 「そういう集団」をローマでは一般的になにといったかな?
固有名詞があるんだが
お前少なくとも日本の大卒ではないな
中卒レベルの知識だ
>>837 だからそう
>>711主張するならお前以外の人が主張してるソース出せw
じゃあ711には「反論できない」証拠じゃんかw
論破されたらオウム返しって古い手法じゃの
711への反論をどうぞ
>>838 貴族の眷族が何を意味するかわからなーい
と述べた自分の書き込みを読み返そう
>>813 そしてそれに対する解説を理解しよう
>>816 尤もそれに対して返って来たのは
>>820だけどね
貴族の眷族が何を意味するか理解出来たか出来ていないのか
さあ、どっちか明確に答えよう
>>840 質問の意図さえわからず発狂かw
ではヒントをやろう
「ローマ貴族を支える人間たちの集団を示す固有名詞があります」
それはなんでしょうw
検索能力もないのか
>>842 ローマ貴族の支配とは家が行う物で
>>802。
家長が家産支配を行う体制、奴隷制を基礎にした原始的な物
帝政期になると封建制へと進歩し帝政末期には東側では漸く官僚制が布かれた
844 :
世界@名無史さん:2014/02/05(水) 08:20:58.72 O
一応東側は再統一したな
ギリシャ人でもスラブ人でもなく
トルコ人だが
>>843 だ か ら
その被支配下にあるとお前が思ってるやつらを固有名詞でなんというかな?
まさか知識のあるかしこいかしこいwアナタがしらないわけないわけないでしょ
高校レベルの知識だよ
846 :
世界@名無史さん:2014/02/05(水) 08:53:27.14 0
なんか平日の夜に随分盛り上がってたんだなw
知識はあってもニートじゃどうしようもないよな
>>796 君と論争している人のように装ったつもりは意思はまったくないのだが、結果的に誤解させてしまった点は謝る
しかし、内容が変だという点については、納得し難いので議論を続けたい
誤解の発端は、
>>734での以下の引用が悪かった点にあると反省している
>圧倒的人口誇る帝国がオーストリアと「伍した」のなら
この部分は、「圧倒的人口誇る帝国」オスマン帝国のイメージについて、総人口の観点では
「圧倒」ではなかった、ということを示す目的で
>>734を書いた。比較が目的なのだから、
君が「フランスを敵のように」と印象を受けたのに違和感があり、
>>760で反論した。
更に、
>>734では、レバントの海戦に焦点を合わせていて、
>>734の
>レバントの海戦でハプスブルク家+イタリア北部共和国連合軍がオスマンに勝利できたのは何の不思議もない
の記載のハプスブルクにはオーストリアは入っていない。この文の「ハプスブルク家」は
「ナポリ王国」「ミラノ王国」及び占領下にあった「トスカーナ大公国」を示し、
北部共和国軍はジェノヴァとヴェネツイァの意味を意図していた(分割)
オーストリアは、
>>760で初めて書いたもので、これも誤解を招いた点だと思うので謝る
>更にオーストリアもスペインもハプスブルク家。この状況で16世紀がハプスブルク家の勢力圏
とオスマンの戦いで無いなどとどうして言えるのだ?
この一文がスペインとオーストリアのハプスブルクが統合された中央集権を意図しているような誤解を招いたのだと考えるが、
当初のレバントの海戦の時の関係国から逸脱してしまい「ハプルブルク家勢力圏」としてオーストリーを入れてしまった。
君の頭には当初からオーストリーVSオスマンの文脈が前提にあった点をもっと咀嚼して書くべきだったと思う。その結果
君の
>>773 >スペインハプスブルク家とオーストリアハプスブルクがお前の中では一体なのかお前でも判るように
という発言が出てきてしまった。
>お前でも判るように
に応えてこちらも上から目線になってしまった。
さて、その上で当初の
>>734についてだが、内容を俺は変だとは思っていない。この話は更に次に分割する
元の主題はレバントの海戦時のオスマン帝国とスペイン側勢力を人口の観点から考察するというものだったが、
ここではレバント海戦時の中央集権の話も加える
人口については
>>734に書いた通り
16世紀後半のオスマン1500万、スペイン700万、イタリア1100万で、レバントの戦いでの双方の陣営人口は、
オスマンが圧倒していたわけではなく、ほぼ拮抗していた
レバント海戦時のスペイン側諸国のうち、北イタリアやスペインは、当時としては比較的中央集権化が進んでいた。
もちろん度合いの話であって、ナポリ王国は封建国に分類した方がよい段階である
>>776の
>中央集権化されてないばらばらの地域だなもし時に協力はするが統一戦線なんて夢のまた夢
「スペイン勢力圏とイタリアの共和国」全部を合わせた集権化という意味なら、確かにばらばらだが、
個別の国では、集権化が進んでいるところもあった。複数の集権国の同盟は近代ヨーロッパの重要な要素なのだから、
レバント海戦当時のスペイン側を国の内外含めた封建諸侯の離合集散のように捉えるのは誤りだと言える
ただし、軍隊の主力は国民兵ではなく、傭兵であり、この点国民兵の近代国家とは異なっているが
、傭兵の給料は中央政府が出しており、政府収入は銀行家からの借金や植民地からの物資、国内租税から構成されていて、
植民地の物資と国内租税は集権化と官僚化の進展のもとで集められた
スペインとジェノヴァ、ヴェネツィアの関係は、「時に協力」かも知れないが、
スペイン本国とイタリアのスペイン勢力圏諸国(ナポリ、ミラノ、トスカーナ、ローマ教皇)との関係は、「統一戦線」に近い。
当時のオスマンが面していたオーストリア・ハンガリー方面はまた事情が異なっていると思うが、
レバントの海戦時のスペインVSオスマンについては、オスマンは「圧倒的人口」ではなく、中央集権VS封建の戦いではなく、
その集権化の高度化には程度差はあれ、寧ろ近代と比べれば大同小異のレベルの中央集権国VS中央集権国の(一時的連合)戦いだったと考える
うーん
だから何だっていう話を長文で語ってるように見える
「封建制対中央集権」の議題にはなんの関係もない話なのでは?
まぁそうでしょうねとはいえる
>>751 スペイン王国は西欧諸王国の中では最も早く官僚制の進展した国
1530年代以降官僚制度が整備され、ある程度中央集権が進んでいた
現代人にはスペインは諸条件からして最終的には地方分権的な制度の方が結果として良かったんじゃないか
という人は居るけど、中世末期の西欧で最も強大それも圧倒的だったのは疑い様の無い事実
それに基本的な知識が頭に入ってない人が居るでしょ
>>848 レパントの海戦にジェノヴァは共和国としてはまともに参加してない罠
>>852 アラゴンとカスティーリャとポルトガルが完全にバラバラだった事実はガン無視ですか?
>>853 ジェノアが動員したガレーは十隻で教皇とナポリを足した軍勢より多い
カタルーニャもアラゴンもスペイン王の決めた税を
スペイン朝廷に納めてたのが現実ですよ
855 :
世界@名無史さん:2014/02/05(水) 20:06:24.60 O
「ヨーロッパ」の始まりはいつか?
>>854 アラゴン王領の税は、アラゴン王宮に収められていたはずだが?
官僚機構も税も別管理
正式にアラゴン王としての自治権喪失したのは1715年だ
>>856 一段目はその通り
二段目は意味不明
三段目も意味不明
一段目と二、三段目が完全に矛盾してる事も理解して無いのな
>>858 日本語読めないようだから補足
官僚機構も税も「カスティーリャ王国」とは別管理
正式にアラゴン王国としての自治権喪失し、カスティーリャの法と税によって
旧アラゴン領が治められるようになったのは「スペイン継承戦争後の」1715年だ
アラゴンが「正式」に法律的にカスティーリャに統合されたのは18世紀だが、
それ以前に事実上税はカスティーリャのために使われていた。
徴税率や徴兵についてアラゴンとカスティーリャは異なっており、カスティーリャ
より軽かったなどの「自治特権」は残っていた。しかし事実上はカスティーリャの
都合により人口調査が水増しされて多く徴兵されたり、軍隊の経費を負担を課されたり、
税金を取られたりしていた。この辺の「カスティーリャ独裁」への反発は現在でも
自治運動の要因となっているくらいなので、「別管理」の実体についてどこで
線を引くのかは難しく、それ自体がこの時代の研究者の研究テーマとなっている。
>>859 恥晒しの愚かな無知老害の為に教えてあげるとしようかw
アラゴン王とスペイン王は同一の存在
>>861 1715年以前に、称号としてのスペイン王は存在しない
カトリック王、という称号は利用したがね
中央集権化とは、異なる法制度を有する地域を一つの地域をさにまとめて行く過程でも
あり、その意味で、カスティーリャ王国、またアラゴン連合王国としての中央集権化は
確かに進んだが、「スペイン王国」なる集権国家は18世紀まで生まれなかった
もちろん
>>860の指摘は当を得ているし、異論はないがね
>>857 オスマンも、アルジェやチュニスあるし、モロッコやエジプトの支配体制も違うし
細かく検討すると難しいやね
>>861 おいお前さっさとローマ貴族の眷属の問題に答えろよw
だんだん中国関係なくなってるでござる
>>862 カルロス1世の時代にスペインの王と称しているんだよね。
カタルーニャやアラゴンは早い段階でスペインとして統合されている
反乱が起きた地域はもっと別の地域で、カタルーニャやアラゴンじゃ無い
>>865 そっから次の話を中華Pに聞いてるんだが逃亡してんだよw
>>862 カタルーニャアラゴンの合議は概ね名目的なもので
基本的にスペイン王の派遣した大司教によって主宰されていたし
大公や公爵を始めとする封建領ではなく、スペイン王国の官僚が行政を担う直轄地
>>868 さっさと
>>840の問いに答えてみようか。
理解出来たか出来なかったを答えるだけの、何の知識も要らない質問だよね
>>855 紀元前4世紀頃じゃないの?ヘカタイオスの地図が最初なら
>>869 813は自分がわからないから聞いてるんでなく
あんたヘの質問なんだがw
誤読ってレベルじゃないぞww
それはともかく「専門用語」といってるだろ
お前の独自解釈であるローマのけんぞくとやらを聞いてるんでないんだよw
固有名詞をこたえろよ負け犬
その固有名詞こたえたらそれについて
820の質問出してやるからw
これが出されるのがこわいからその前段階でとめてるんだろうけどw
872 :
世界@名無史さん:2014/02/05(水) 23:10:28.84 O
>>870 いや、今日のヨーロッパという概念…
カエサルのガリア征服か、
ローマのキリスト教国教化か、
クローヴィスのカトリック改宗か(西)か、
ウマイヤ朝の北アフリカ征服か…
とか考えてまして。
俺は、この中華P厨の蒙昧っぷりを見て、これは日本人としては朗報だと思ったわw
中国人の、法と政治に関する認識が、この程度であることが分かれば、
中国は30世紀になっても、世界の覇権を握ることは出来ないと、これは断言できる。
こんな奴らに付いていくのは、トンスルランドくらい。他の世界中の全てが、何が何でもお断りするよ。
彼には、どうしても、clientshipとsubordinateの区別がつかない。
だから、ローマの二重構造体制を眷族だという。もっと言えば、「猿山の猿の序列」と区別がつかない。
これは、いわゆるバカの壁という奴で、多分どんなに啓蒙しても無理。
clientshipが分からないということは、選挙というものが、どうしても理解できないということ。
そして、民主政治というものが理解できず、結果、自由(liberty)が理解できない。
だから、宋の官僚制こそが近代社会の完成だ、と思いこんでしまう。
>>873 この馬鹿はローマには王政期から滅亡するまで
民主政治など欠片も存在しなかった事を理解出来無いんだろうな
部族長が貴族や部民の選挙によって選ばれる体制は
古代の部族社会によく見られる、例えば鮮卑や契丹等
しかし社会、国家が発展してゆくに連れ1つの家系が首長を継ぐ体制へと移行する
これはローマも同じで王朝が開かれ帝政となった
>>873 トンスルランドとか使っている人間がそんなことを語る資格は無い。
民主政治や自由が理解できるかできないのは、官僚制うんぬんの問題ではなくて、
天賦人権論を受け入れ、身分や民族、人種などの差別と政治的独裁を全面否定し、
一視同仁の考え方と多様性を尊重するのが当たり前になるかどうかだろう。
民主主義と自由の本家元祖を自認するフランスや米国でも、
それに反対する政治勢力があるくらいだから難しい。
まして権威と不平等に重きを置く、特に自民族中心主義が根強い地域では、
さらに難しい。
877 :
世界@名無史さん:2014/02/06(木) 00:33:01.45 0
ヨーロッパがもっと移民を受け入れると
民主的にヨーロッパはイスラム国家になる
これは正しい事だ
>>876 国民国家の観念と民族自決は欧米列強の分断工作に散々利用されたからなあ‥
連中自身が世界中のありとあらゆる局面で
身分や民族、人種などの差別と政治的独裁、世襲の王国を全面肯定している皮肉
>>878 サウジアラビアのような、自由と人権、民主主義を重んじるなら
真っ先に潰されるべき政体ですら、「言うことを聞く」からと理由で
欧米、特にアメリカは肯定しているからな。
サウジとは違うベクトルだがイスラエルもしかり。
逆に国民から選ばれた政権でも「言うことを聞かない」と見なされた国は
経済制裁やら政変工作、酷い場合には武力を使ってくる。
880 :
世界@名無史さん:2014/02/06(木) 18:17:26.00 O
>>560 そういえば、
鎌倉時代か室町時代に
アイヌに仏教布教してた奴がいた
北海道島北東部に居たアイヌ族と日本人が接触したのは以っと後代。
あと、蝦夷とアイヌは別物
882 :
世界@名無史さん:2014/02/06(木) 19:16:49.62 O
渡島アイヌかと
エミシではないです
883 :
世界@名無史さん:2014/02/06(木) 21:45:36.36 0
あー、「polotical clientshipと、anthropological subordinanceの区別がつかない」ということは、
ここまで致命的なんだな。改めて本当に興味深いスレだと思う。
スレチのように思う人も多いかもしれないけど、これ、俺に言わせれば、ずばり
>>1の問題に直結する。
ポリス政体というのは、部族制を打破するところから始めるんだけど、
「顔を合わせて議論することで、部族制度の復活を止める制度」だから、構成員は小さく閉じている必要がある。
つまり、都市国家の形でしか運営できない。民主政の成立は、あくまでこの「顔を合わせて議論」の究極の形。
ギリシア諸都市は、ペルシア帝国が攻めてきても、弱小属国としていいように扱われても、
最後までこの形にこだわった。これが彼らの「国体」だったからだ。
でも最終的には瓦解した。アレクサンドロス帝国は、ポリスの完全崩壊のとどめだった。
ローマの場合、ポリス政体自体は原始段階のまま、無理に全面改革を行うことをせず、
ポリスの構成員と周辺住民をクライアント関係で結ぶことで、市民権の範囲を大きく拡張した。
ギリシア人には、クライアント関係だけのローマ平民は、到底「自由を獲得した」ように見えないから、
ローマは半分専制じゃねえか、少なくともありゃ寡頭制だろうよ、と非難された。
クライアント関係は、「クライアント同士が顔を合わせる必要はない」から、無限に広がる。
この形でローマは巨大帝国を築くのだが、コア部分はポリス型都市の、それも原初的な形態をとどめるし、
また論理的に、同盟都市を勝手に潰すことは出来ないことになる。
許されるクライアント関係は1層で、多重なクライアント関係は絶対禁止だから、
世界帝国とは言っても、小さくまとまるほうがやりやすい。
日本人で、日本の社会化の教育を受けていれば、具体的なことは知らなくても、
この話は自然に理解できるはずなのだけどね。中国共産党は知らんけどなw
続縄文あたりかな
北海道東北部から見つかる遺跡は
東北とそっくり
886 :
世界@名無史さん:2014/02/06(木) 21:49:06.97 0
887 :
世界@名無史さん:2014/02/06(木) 22:13:31.50 O
アイヌに布教してたのは日蓮宗と記憶
>>876 価値観の相違があると思うこと自体が錯覚なんだよ、実際には人間はみなポジショントークしているだけ
全体主義を良しとする人は自分たちは与党陣営だから権利を侵害される心配はないと思っているだけであって
逆にリベラルという立場は自分たちが抑圧される側だと思うから自由を重視する
だから政権交代がない国ではポジションが固定化し価値観の極端な分断が生じているように錯覚される
政治の流動性が高い欧州諸国ではそこまで極端な左右対立はないし中国のようなガチガチの独裁国家でも
市民は皆支配される立場で一致しているから左右対立が生じてこない
米国では近年ゲリマンダーのエスカレートで議会の勢力図が殆ど固定化するようになって左右対立が強まりつつある
>>884 民主制という形態は原始の部族社会で非常によく見られ。
都市国家と民主制の組み合わせは必然的に大量の奴隷と
家産奴隷による生産を主とする奴隷制を産む
ローマという奴隷制と貴族制の組み合わせの国が
イタリア半島内に多数の隷属部族を抱えていたのは
中核氏族を中心としてその下に征服した部族を構成は解体せず従属させる形態の
匈奴を始めとした遊牧民の帝国とよく似ていて、奴隷制だった点も同じ
890 :
世界@名無史さん:2014/02/07(金) 00:03:17.58 0
アメリカも奴隷制度だったしね
朝鮮は東洋的専制の最も堕落した形態やろ
893 :
世界@名無史さん:2014/02/07(金) 01:13:25.46 O
>>888 ポジショントーク以前に天賦人権説に基づく憲法による共和制民主主義と
それ以前の民主政とは同じ「民主」でも全く異なるものだ。
何人たりとも生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利を持つ。
それは国家によって恣意的に扱われないように憲法によって規定する。
立憲主義による不可侵の基本的人権という概念のない民主政の場では、
独裁専制と全体主義が生まれ「8割の賛成で、2割の人権を剥奪する」ことが
「合憲合法的」に可能になってしまう。
むろん憲法もまた多数決の原理で採択されたものである以上、
少数派の人権を抑圧するものになってしまっている可能性は否定できず、
また、天賦人権論に基づく憲法があるからといって、人権を保護するに十分ではない。
つい最近までのアメリカでも合衆国憲法修正第13条・14条・15条があるにも関わらず、
有色人種に対する人権侵害を認める州法は普通にあった。
現代日本でも人権侵害は常に起こっているし、
現行の法の中には不当に人権を抑圧・侵害するものもあると考えている人は大勢いる。
しかし、国家に不可侵の基本的人権を守る義務を課させる憲法は、
少なくとも国家による人権侵害をある程度食い止めうる歯止めの役割を果たしている。
そして、天賦人権論の否定の上に立った憲法は、そうした歯止めの役割を果たせない。
チベットは1959年まで、かなり強烈な農奴制だったな。
農奴の解放と封建貴族の政治的地位や特権の廃止に留まっている間は、
チベット人たちも歓迎していたが、対象が寺院や僧侶に向うと、
チベット人の反発は大きくなった。
>>889 それ貴族たる「市民」による共和制
上の人もいってるけど
貴族は貴族、ローマ市民権者はローマ市民権者
前者は資産・奴隷や寄子を抱える地主の家門の家長
後者は特権を保持する中核部族の構成員
共和制と言ってもいいし寡頭制と見てもいいし、どちらにしろ貴族政
899 :
世界@名無史さん:2014/02/07(金) 21:48:22.82 0
>>440 でも秦より後の時代で、
国同士の明確な上下関係が生じてしまっている。
徳川期の将軍と御三家を別の国家と言えるだろうか?
漢自体が匈奴の属国だしなぁ
漢帰徳候呼韓邪単于とかな
隋の皇帝も匈奴っぽい
904 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 01:53:52.21 0
そういや、「なぜ途中からすんなり統一されるようになったのか」と言う疑問は
遊牧帝国側にも言えるな。
905 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 01:54:20.37 0
中国人=中身モンゴル人
906 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 02:24:08.17 0
むしろ、ローマ帝国崩壊〜EU結成までのヨーロッパは、
古代から秦までの中国の歴史と似ているのかもしれない
907 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 03:51:08.11 0
漢族=実はモンゴル人
>>907 今のうち何だよな中国が東シナ海で血統パンドラの箱開ける前に日本側が引っ掻き廻す必要がある。
>>898 パトリキという意味でなく
当時の市民は特権持った一種の下級貴族だったから
民主制でなく共和制いう意味
>>904 穀物美味しいです?
遊牧民は分裂し易いけど統合は早いから、分裂しない強い動機があればいいし
遊牧民が無双出来たのはモンゴルまで
それ以降は生き延びる為に統一する必要があった
規模は小さいがイランでも一度ある程度の官僚制による統一国家の枠組みが出来ると
支配者が何度も交代しながら統一は維持され続けた
914 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 12:24:17.61 O
天皇も、最初どうやって日本統一したんだか
大君だけどな
単純に軍事だけでなく外交もりようしたのは
出雲などの位置づけなどより明らか
イカ娘の侵略に気づく者は、この時誰もイなカった
中央政府の権力が全国に及ぶようになったのは鎌倉幕府が承久の乱で勝ってからの話
まして武家政権以前の朝廷の力は非常に弱く地方には統治は殆ど及んでいなかった
陸奥に幾つも城柵を築造して主に関東で徴兵した軍で東北の併合を進めたのは
平安時代なんだけど
919 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 21:21:14.22 0
>>918 すぐ見捨てられたけどな
場所さえ分からない
920 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 21:27:22.18 0
京都の人は昭和になっても
東北は別の国だと思ってたw
>>919 記録にも残ってるし発掘もされたんだけど。オマエはどの話題に関しても無知過ぎる
>>921 へえ
無知だな
正確な場所はほとんど分かってないよ
白河の関も勿来関も場所は不明
秋田岩手の城柵の場所はほとんどが不明だよ
宥和政策へ切り替えられた9世紀、蝦夷との前線にあった城は
秋田城、雄勝城、志波城、徳丹城、胆沢城など
どれも位置が判明しているし遺構も調査されているよ
インドも統一された期間が少なかったよね
全領域統一はイギリスまでないし
全領域ってのがそもそも意味不明だけどな
伝統的に満洲とチベットが中国に含まれないのと同じく北部と南部は別々だし
>>921 919ではないが勝手に誰かに認定して
>オマエはどの話題に関しても無知過ぎる
というのは非常にキモイですw
Pってことは所謂中華Pか中華Pと名づけた人どちらかの可能性が高いが
どっちにしろキチガイじみてるわw
928 :
世界@名無史さん:2014/02/09(日) 10:11:13.74 0
2014年2月6日、中国の軍事関連掲示板・米尓社区に「ネットユーザーが選ぶ中国の敵10大ランキング、意外な国もランク入り」と題した記事が掲載された。
1位 日本
理由:わが民族の仇、変態民族、なりふりかまわぬ心は永久、野心のかたまり、地理的な縁
目標:全滅
2位 米国
理由:支配者、事を荒立てたがる、われわれの首を絞めている、ごまかし屋
目標:身を挺しても滅ぼしてやる
3位 ベトナム
理由:裏切り者、恩知らず、心変わりしやすい、不誠実、南沙諸島を占有している
目標:クズをぶちのめす
4位 インド
理由:チベット南部を占領している、決して負けを認めない
目標:とことん相手になってやる
5位 ロシア
理由:歴史的恨み、地理的な縁
目標:親の仇を子が討つ
6位 韓国
理由:北朝鮮をいじめている
目標:朝鮮半島統一
7位 英国
理由:米国と夫唱婦随
目標:きれいに別れさせる
8位 フランス
理由:チベットに肩入れしすぎ
目標:すっぱり別れさせる
9位 ドイツ
理由:無視できない存在だから
10位 フィリピン
理由:小賢しいチンピラだから
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83060
930 :
世界@名無史さん:2014/02/09(日) 11:32:54.79 O
清原氏もしくは平泉の藤原氏によって
本州の北端まで制覇され 、
その時をもって本州全てが日本に帰属したことになってる
931 :
世界@名無史さん:2014/02/09(日) 14:39:33.65 0
チョト違う。
藤原氏を源頼朝が滅ぼした時が本州までの統一らしい。
932 :
世界@名無史さん:2014/02/09(日) 14:58:47.45 O
>>931 そこらへんがわからない。
清原氏は人種的にはたともかく
民族的には明らかに日本人だし
平泉藤原氏は完全に日本人だし
中国でも同じ民族で複数の国が存在したぞ
民族と国は関係ない
平安時代の東北成敗は
途中挫折という形で失敗した
よってこの時点で統一されたとは言えない
>>929 >>4位 インド
>>理由:チベット南部を占領している
これに目を潰る西側のダブルスタンダードはマジで酷いよなw
ダライラマも反中しか欧米に受けないと分かっているからインドにはだんまり
>>933 半島でも違う民族で複数の国が存在したぞ
民族と国は関係ない
高麗時代の東北成敗は
途中挫折という形で失敗した
よってこの時点で統一されたとは言えない
半島が統一されたのは李朝時代
と、言ってるのと同じ
>>935 つうか半島が統一されたのは新羅の時代が最初でしょ
それ以前に統一政権は無い
半島も中国の様に何度も分裂した
今も分裂してる
>>936 中央政府の権力が全国に及ぶようになったのは李朝が同族の東北部を併合してからの話
まして高麗以前の朝廷の力は非常に弱く地方には統治は殆ど及んでいなかった
938 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 00:10:46.49 0
安倍氏清原氏奥州藤原氏の政権を
日本の一部とみなせるかどうかが問題だ。
前の二者の先祖がもともと日本人だったかどうかはこの際問題ではないが、
大和朝廷と同一の国家だったかと言えばちと疑問では。
ヨーロッパだったら別物と扱ってたと思う。
ちと疑問ってか、奥州藤原氏までは別の国だろw
秦が日本で一番遠い燕斉が奥州藤原氏
940 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 01:30:38.93 0
>>937 何を言ってるんだ
朝鮮が同化・併合した北東部は韓人じゃなくて女真の領域じゃないか
>>940 濊貊族の高句麗と辰韓族の新羅も民族違うんだから
高句麗を併合したのと何も変わらんだろ
942 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 02:43:04.66 0
大和とアイヌも民族違うんだから
津軽までの蝦夷を併合したのと何も変わらんだろ
ということか
イスラム地域も比較的大帝国が出来やすいよな
インドとヨーロッパは本当に出来にくい
945 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 08:19:06.13 O
>>939 けど幕府に反抗的な藩は独立国といえるんか?
中国こそがむしろ統一→分裂を繰り返してるように思うんだけど
西洋はローマ以後、統一されてないし
常時複数の国が起こってたし(近隣国の併合とかの紆余曲折はあるだろうけど)
なんか大和朝廷は
誕生した瞬間から日本統一してたと思ってるヤツが居るな
そんなの有り得ないから
誕生してから徐々に支配地を増やしていった
そして蝦夷成敗中に挫折、武士が台頭し政権を奪われた
蝦夷は武士政権前に支配下においてるっつの
949 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 13:18:34.97 0
じゃあなんで京都の人は
東北を別の国だと思ってるの?
>>947 半島王朝の権力が全国に及ぶようになったのは李朝が同族の東北部を併合してからの話
まして高麗以前の朝廷の力は非常に弱く地方には統治は殆ど及んでいなかった
>>949 じゃあなんで慶尚道の人は、平安道を別の国だと思ってるの?
951 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 16:46:08.79 0
中国の王朝崩壊と朝鮮の崩壊は連動してるな
>>951 新羅は唐が滅んで直ぐ滅亡したもんな
他の周辺国も南詔や渤海は唐滅亡に前後して滅びてるけど
953 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 17:51:59.81 O
安倍も平泉藤原も北海道に逃げようとしてた気もする
エミシとしての意識もあったんかな?
954 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 17:52:42.95 0
955 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 17:57:07.93 O
>>945 東北征服とも繋がるけど、
鎌倉幕府はヤマト朝廷と同じ国家か否か
>>953 源義経も実は北海道に逃げていた
これはマジ伝説
957 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 18:03:39.40 O
李成桂は奥州藤原氏のような存在だろうか
>>955 南韓は未だ65年しか国がないんだよな
日本は1400年もあるけど
>>955 形式上は鎌倉幕府は征夷大将軍だからね
天皇が任命した武士の頭領が政治を行った
よって同じ国
中国は禅譲も有るけどほとんど王朝交代で
国名も変えている
違う国
朝鮮も違う国だな
李成桂は日本で置き換えるとマッカーサーだね
李朝は女真族による征服王朝という一面がある
961 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 18:25:54.10 O
李成桂女真説って根拠あるの?
弁髪や女真語を強要したとか
見事に連動してるな
唐が滅ぶ → 新羅滅ぶ
元が滅ぶ → 高麗滅ぶ
明が滅ぶ → 清に隷属
清が滅ぶ → 朝鮮滅ぶ
むしろ女真貴族の重臣団や李成桂の祖先が元朝下で女真の出となってたのを見ても
女真族である事を否定する方が謎だは
但、朝鮮化してるから征服王朝じゃなく浸透王朝だと思うけど
964 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 19:07:13.37 O
965 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 20:17:38.47 0
日本みたいな歴史のないゴミ以下の国と違って中国も西洋も歴史があるからな
966 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 20:18:35.94 0
>>943 朝鮮の征服した東北部が同族というのはあの韓国人ですら言わない妄言なのはいいとして
東北地方北部にアイヌ語地名を残したアイヌは蝦夷の中で津軽と呼ばれていた集団ではないのか?
967 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 20:37:12.51 O
>>966 むしろ東北征服のやり方ややった主体がの違いが
地名の残存の有無の違いを生んだんじゃね?
要するに、南部では国家主体で民族浄化みたいなことやって、
北部では豪族が日本化を進めたんでは
968 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 21:06:38.75 0
>>956 源義経は衣川の館を逃れたあと、三陸海岸を北上→十三湊→日本海を南下→敦賀→近江に潜入
で、再起の機会を狙ったが果たさずに病死
というどこかの僧の日記があるらしい
>>965 馬鹿チョンがとうとう本性を現したなw
>>966 日本人の直系祖先である縄文弥生人と本州島の蝦夷文化は
土器や住居、農耕に至るまでよく似ている
一方でアイヌの文化は異なる点が多々あるし
地名にしても東北に関しては懐疑的に見る学者も多い
アイヌ語地名
〜ない
〜ひら
〜たいら
日本全部だぞ
>>968 アイヌを訪ねたイザベラバードはアイヌの信仰について
自然崇拝であるが唯一の例外として源義経を恩人として祀っていると書き残した
そしてアイヌはヨーロッパ的だとも書き残した
972 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 22:33:36.28 O
>>971 それって日本人が江戸時代に広めたんと違うか?
973 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 22:35:45.70 0
アイヌ白人説か
>>972 匈奴まで白人認定してた時代だし、根拠の無い感想でしょ
976 :
世界@名無史さん:2014/02/10(月) 23:13:53.29 0
977 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 01:11:38.79 0
>>976 近藤重蔵はいわゆる冒険家
樺太まで言った
しっかし中国も韓国も
本当に歴史の無い国だよねえ
世界で最も歴史の無い国家だな
それは東ティモールかコソボな
南スーダンを忘れてもらっちゃ困る
981 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 08:27:56.22 O
982 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 11:51:59.37 0
アイヌはもろに白人だぞ、何言ってるんだ
おかげで日本では現代のアイヌの写真は殆どタブー扱いで教科書にも昔の写真しか乗らん
アイヌの外見なんて極東ロシア人とほぼ同一人種だからな
日本と違ってロシアは極東の先住民を文化的に同化しただけで血統は入れ替わってないから
アイヌもロシア側では混血せずにそのまま残っている
984 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 13:23:36.42 0
ロシア側のアイヌ人は0人だよ
>>983 ロシアは旧ソ連時代から戦略的には日本には詳しい八重山辺り研究した言語学者捕虜の形質調査等。小泉純一郎脅したのも理由が在る。
>>983 極東ロシア人民は血統的に完全なモンゴロイド
ああ勿論日照量が少ないから色白で白人だけどねww
アイヌはモンゴロイドっぽいなにかということで
古モンゴロイドという分類
歴史を中華の手に取りもろす
なんで中国って単位なの?
西洋以外のユーラシア全域で言えば、モンゴルが一回ほぼ統一した程度
西洋だって例えばイギリスって単位ならほぼ統一されっぱなしだ
990 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:22:39.98 0
>西洋だって例えばイギリスって単位ならほぼ統一されっぱなしだ
アイルランド「」ガタッ
991 :
世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:29:02.27 0
イギリスって今でも分かれてるよね
992 :
世界@名無史さん:2014/02/12(水) 01:10:25.65 O
中国は中華思想
西洋はキリスト教
この違いからじゃない?
>>989 経済力や生産力や人口や広さが大体同程度だから
そのくらい解るだろ?
>>990 アイルランドはブリテン島ですらないだろよ
次スレ要る?
996 :
世界@名無史さん:2014/02/12(水) 20:16:18.22 0
>>994 『イギリス』
イングランド「」ガタッ
スコットランド「」ガタッ
ウェールズ「」ガタッ
北アイルランド「」ガタッ
マン島&チャネル諸島「えっ、ワイら呼ばれてるん!?」
『ブリテン島』イングランド「」ガタッ
スコットランド「」ガタッ
ウェールズ「」ガタッ
北アイルランド「……」^^;
997 :
世界@名無史さん:2014/02/12(水) 20:55:22.26 O
いないよ
1000 :
世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:19:22.23 0
1001 :
1001:
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