353 :
世界@名無史さん:
中世イタリアの都市貴族というのは、爵位のある正式の貴族なの?
それとも金持ちの上層市民のことを比喩的に、そう呼んでるだけなの?
354 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 18:49:13.21 0
>>331 あと思い出した、
ユスティニアヌスの嫁テオドラが、ストリッパーという説。
355 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 18:50:11.48 0
>>344 家紋と名前からそんな説もありますが、不明です。
ユダヤ系説まであります。
ネロの母親もストリッパーじゃなかったっけ?
>>353 本当に特権のある貴族であることもあれば
単なる富裕層であることもしばしば
イタリアじゃなくて都市ごとに結構事情は違う
358 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 18:55:46.09 0
>>353 色々。
もとから貴族というのが、都市に住まわされたり、
都市に住んでたりで、都市の有力者に、というのも普通にある。
Visconti なんて名前に注意。
ど田舎の貴族だったのに、都市が有力になると、
子弟を都市に住まわせて、都市を内から操ろうとするのもいた。
富農が都市住民になって、商業なんかで大成功、
貴族との縁組で、貴族へなんてのもあり。
メディチ家も、起源は貴族じゃないだろうが、
16世紀には、大公位を皇帝からもらった。
359 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 19:02:23.79 0
>>353 都市貴族ってのは、アルプス以南と以北で結構違うんだが、基本は市の参事会の議員の有資格者、またはその家門を指す
これらの家門はほとんどの場合遠距離交易商人であり、都市の中核を担った
イタリアの場合は、ヴェネツィアを除いて少数の有力家門に権力が集中する傾向があり、
ジェノヴァのドーリア、グリマルディ、フィレンツェのピッティ、メディチなんかが著名
今のモナコ公家は、ジェノヴァのグリマルディ家の流れだよ
360 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 19:06:36.23 0
>>353 その意味で、都市貴族に爵位はない
メディチ家も、トスカーナ大公となってからは都市貴族とは呼ばれなくなる
典型的都市貴族が都市を支配し続けていた例は、アルプス以南ならヴェネツィア、以北ならハンブルク、ブレーメン、リューベック
この辺りだね
フィリピン人の英会話講師に聞いた話で質問があります。
「私の先祖はパイプタバコ一本で土地(広さはわかりません)を買った。当時はパイプタバコの価値が高かった。」とのことですが、
このような話は他の地域や時代でも多くあったのでしょうか?
362 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 19:21:38.71 0
要するに「都市貴族」というのは金持ちの大商人、特権商人のことで、
爵位や領地のあるホンマモンの「貴族」ではないということでいいの?
>>362 貴族の定義って何よ?
ホンマモンの貴族って言うからにはホンマモンの定義があるんだろうねぇ?
都市貴族は身分上は平民、市民ってことでしょ。
>>331 シッキム藩王妃 ホープ・クック。アメリカ人。
スウェーデン王妃 ジルヴィア・レナーテ・ゾマラート。父ドイツ人商社勤務、母ブラジル籍。
366 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 19:39:40.58 0
堺の会合衆みたいな町人の旦那衆が都市貴族って解釈でいいのかな?
>>364 それはどこ基準で平民、市民?爵位は誰が発行するものが正しい爵位なんだ?
>>354 皇妃テオドラはストリッパー上がりだが、その夫の皇帝ユスティニアヌス1世だって農民出身だし
(結婚した時点では、皇帝の甥だったけど)
ローマ帝国やその後継のビザンティン帝国は、そもそも皇帝自体が必ずしも世襲でなくてもよかった
軍人などの庶民上がりの皇帝も多かったから、皇妃も庶民出身でまったく問題なかった
後には、ビザンティン帝国では、(外戚の台頭を抑える意味もあって)一種の美人コンテストで皇妃を
選んでいたことも何度かある
>>364 所謂ホンモノの貴やら王侯やらだって、もとは夜盗みたいなものが、支配権を何世代も維持しただけのものだし。
>>366 そういう都市貴族もいる、そうでないのもいる
>>367 正しい爵位なんてモノはもとから無いよ。
単純に、言った者勝ち。
無論、自分ところが格上だと思ってる隣の領主が、認めねーとかいって戦争になったりもするけれど。
372 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 19:46:30.09 0
>>364 都市は法人として一個の有力な封建領主として扱われ、都市参事会は封建領主と同格だった
例えばヴェネツィア貴族が都市の代表として他国の王宮に行けば、貴族と同等に遇されたし、元首は王と変わらない待遇を受けた
この辺は北のハンザ都市も同じ
いやいや都市貴族には王や皇帝の支配下におかれ、正式の爵位受けるものもいるぞ
それと単に町の有力者が事実上の貴族とされる場合もある
>>371 んだから都市貴族は身分は平民市民とかいう謎理論は成立せんよね
都市貴族もピンキリだし
ヴェネツィア元首dogeなんて東ローマのduxから来てるから普通に元首はお貴族様
375 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 19:52:35.46 0
>>373 後者は既に都市貴族じゃない
例えばヴェルフ・エステ家はフェラーラを統治したけど、彼らは封建領主であって都市貴族じゃない
ヴィスコンティ家やスフォルツァ家、トスカーナ大公以降のメディチ家も都市貴族とは呼ばない
前者はイタリアには割といたな、特にギベリン側に
376 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 19:53:23.93 0
>>374 まあ、ヴェネツィア共和国は、共和国としてダルマツィア公爵だしなw
>>375 なんで町の有力者をイタリアのシニョーレに限定してんだよ
ベネチアは典型的後者がいただろうが
378 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:01:10.28 0
>>377 ヴェネツィアの貴族のこと言ってるなら、単なる有力者なだけで貴族ってわけじゃないが
>>372 ウェストファリア条約以降じゃあないのか?
主権国家の元首は、自由都市から帝国から大公領から、とりあえずみんな同格って取り決めて、
外交使節の安全を保障し身柄を拘束したりしないとかいう慣例ができたのは。
>>349 質問者じゃないが。
”ヴェネツィア 1399年10月”で検索すると、
「ヨーロッパ・ユニバーサリス」のゲームの開始が1399年10月。
いやノブレスとして当時から事実上の貴族としてあつかわれていたし
いまの歴史上の記載でも貴族とされてるよ
383 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:08:15.32 0
>>382 おう、俺の言葉が足りなかった
これじゃ意味が変わるじゃんw
ヴェネツィアの貴族は、単に有力者を貴族と呼んだ、または有力者が貴族化した訳じゃない、っていう意味
あれ複雑なんよね
ヴェネツィアの貴族は、どこ行っても貴族と遇されたのは間違いないな
384 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:17:45.07 0
各地域によって差はあると思うが、都市の単なる有力者、金持ちのブルジョワ=町人が、
比喩的に「都市貴族」って通称されてるわけじゃないの?
>>383 貴族というのが世襲的に社会的な特権を相続する特定の社会層として定義した場合
ヴェネチア貴族は間違いなく貴族なんだけどね
>>384 そういう場合もあるが市の参議会員みたいな要職をを世襲したりする場合もある
>>384 上でも散々言ってるけどピンキリ
なんとなくハイソな人らをまとめて都市貴族って言ってるだけで
実際のところその実情はバラバラ
388 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:30:12.91 0
質問
なんで二次大戦前後あたりって白人は中東を植民地化奴隷化していないの?
俺の知識が間違ってたら前提からごめんだけど、確か二十世紀初頭って
白人が世界を支配していて白人以外の人種、黒人アジア人は劣等民族扱いされてて
みんな植民地化奴隷化されてたんだよね?
じゃあ戦車や戦艦潜水艦戦闘機の力で、昔から争ってたイスラーム世界
の中東へ攻め込んで褐色の肌の人達も植民地化奴隷化しようとしなかったの?
それとも当時の白人達って中東の人達のことは対等な同じ人間として認めてたの?
武田教授の歴史授業動画だと、当時は植民地、支配国、どっちつかずの国の三つに
別れてたって説明で中東は全部どっちつかずに色分けされてた
389 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:33:15.62 0
ヨーロッパの貴族は封建領主のイメージがあるから、日本の武家とか城主と重なるんだが、
都市貴族って日本の町衆というか上層町人としか重ならないんだよなあ。
会合衆とか角倉とか茶屋みたいな特権商人とか、江戸の町年寄とか。
>>389 日本と違って、欧州の都市(の一部)は封建領主から独立した主権を持っていたり
中間領主の支配権を脱して皇帝や王に直結して事実上の独立状態になっていたり
するから、日本の特権商人みたいなのとはまるで違うよ
391 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:40:06.68 0
>>388 まず植民地化と奴隷化を並列して使うのはやめろ。
20世紀初頭は確かに植民地主義の全盛期だが奴隷制は19世紀の段階でほぼ廃止されており、
20世紀初頭の時点では奴隷なんていう扱いではなかった。
中東は第一次世界大戦後に多くの地域が植民地化されてる。
イラク、クウェート ヨルダン シリア、レバノン、パレスチナなどは植民地になった。
しかし、トルコ、エジプト、イラン、サウジアラビア、アフガニスタンなどは植民地にならなかった。
ちなみに第一次世界大戦前の中東にはオスマン帝国とカージャール朝イランが存在し、
欧米列強に圧迫されながらも完全な植民地化には至らなかった。
>>391 エジプトは、あれほぼ植民地と言っていいんじゃ無いかなぁ……
トルコやイランは植民地化されてないけど
>>388 そりゃ強かったからよ
ジハードが有るし十字軍も負けた事が有るしな
中東は劣った地域ではなく独自の進んだ文化を持っていた
日本が植民地ならなかったのも同じで軍事力が大きな理由だ
394 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:55:04.06 0
>>392 ワフド党の活躍で一応名目上は独立できた。
スエズ運河などにイギリス軍が駐留した状態ではあったが。
なんだかんだオスマンが防波堤だった気がする
396 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 21:01:00.98 0
>>395 オスマン帝国は瀕死の重病人とか言われかなり衰退しながらも、
中東の地域だけは第一次世界大戦まで守り抜いた。
瀕死の重病人ではあったがぎりぎり大国の一つとしてヨーロッパからも認識されていた。
>>390 伊勢の町衆とか、江戸時代とおして、武家領主の支配を受けてないけれど
第二次大戦時、アメリカは砂糖不足に見舞われたそうですがなぜでしょうか?
戦争で砂糖の需要が急増するとは思えないのですが
>>156 隼人にしても熊襲にしても蝦夷にしても駆逐しないで服属させたけどな。
>>361 たしかマンハッタン島は24ドルだったらしい。
>>399 よく判らないけど軍事物資として配給制になってたらしいね。コカコーラ社では砂糖を
優先的に回してもらう為に、最前線で戦う兵士でもコークを飲めるようにする契約を
軍だか政府だかと結んだらしい。