2 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 02:24:41.89 0
ナポリってかつて栄華を極めた王国だったのに
どうして豪華できらびやかな宮殿ぽい建造物がないのでしょうか?
いかめしい城塞はあるのですが。
宮廷文化は栄えなかったんでしょうか?
>>1乙
>>2 ほぼスペインの属国だったもんね。
王様が宮殿を建てる理由のひとつに、権威を誇示するためというのもあるわけだから、
中央集権化が進まないと、巨大な宮廷文化というのは起こらないんじゃないかな。
あと好みの問題で、イタリア貴族は郊外にヴィラを作って、のんびりすごすのが好みにあっていたみたいだ。
歴代中華王朝はインドを征服しようと思わなかったし、インドの諸王朝も中国や東南アジアを
征服することはありませんでした。なぜですか?
5 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 09:27:41.43 0
6 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 10:46:20.50 0
>>4 おそらく「こんなところ征服しても意味ないよね」とインドや中国の君主は考えたんでしょうね
アレクサンドロスの大遠征でもインドまで到達すると大王以外はそう考えたらしいから
道義的には正しい行いだよな、征服しないっていうのは
>>4 まあ、地理的な障害が大きすぎたんだろうね。
あの巨大なヒマラヤ山塊というのは、軍隊が移動するには困難が大きすぎるし、
迂回して中央アジア経由でアフガニスタンから入るにしても、
途中砂漠があり、遊牧民の王朝が出張っていたり、山あり谷ありで容易なことではないと。
さながら西遊記の世界そのもので、いまの月に行く感覚だったといわれている。
あとやはり、文化的な相違が大きいんだろうね。
あまりに中国的でないため、入り込む余地はないと思われたんではないか。
インドをぎりぎり許容できたのは、イラン系で、イラン系の勢力は時々インドに侵入して、
王国を作っている。アーリア人というのがイラン系でしょう。
8 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 13:32:01.38 0
↓こういう教育を受けてきました。
日本の侵略行為 :断罪
コロンブス以降の侵略行為:開拓者精神
鄭和の非侵略行為 :一応こんなこともあったよ程度の扱い
1979年の中越戦争について、当時の左よりの人々はどんな反応をしたのでしょうか?
特に反米論者でベトナム戦争批判・ソ連を官僚主義と批判していたような立場の人は
10 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 18:43:11.34 0
絶句したw
11 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 20:13:54.90 0
>>9 ほとんど無視していたww
因みにベトナム難民もカンボジアのポルポトの大虐殺もだww
あの時代の日本の左巻きは、韓国の軍事政権の非難ばかりしていたww
後はチリのピノチェト政権かなww
プリンプリン物語のアクタ共和国だってチリ・アクタから取ったのだからww
12 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 20:48:49.49 0
左巻きの連中が目覚めたのはソ連崩壊ん時じゃないの?
>>4 一件隣り合ってるように見えて実はヒマラヤ山脈に遮断されている。
仏教だってインドから直接入って来たんじゃなくて、一旦北西部のガンダーラに行って
シルクロードを通って中国に入った。
継体天皇は中国北東部や内モンゴル・現モンゴルなどの地域の
騎馬民族が日本来て築いた王朝だと聞いたのですが本当ですか?
つまり、神武(伝説だが)からの血統は途絶えていて今の天皇は
神武天皇の血は引き継いでいなくてアジア北東部の騎馬民族の
由来だということになりますが。
日本史板で聞きましょうね
日本史板は過疎です
17 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 21:36:22.89 0
ネトウヨなどのキチガイはスルーしましょう
>>14 かつて江上波夫が騎馬民族征服説を唱えたが何も証明出来ず、
今では騎馬民族は来なかったと考えられている。
>>13 吐蕃帝国とはなんだったんだろうか?
パッと出で長安に迫ったかと思ったら瓦解してチベットには二度と類似の統一王朝が出現することはなかった
20 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 21:55:08.71 0
>>14 まだ騎馬民族征服説なんかあるの?
これって日ユ同祖論と同じくらいペテンでしょ。
もはや都市伝説のような話。
トイレの花子さんとかと同じレベル
21 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 22:19:06.55 0
西夏は?
歴史的過程として世界中に氏族共同体時代とでもいうべき時期がありますよね
氏族氏族といいますが、最初は他人なわけで、どういう条件がそろえば氏族社会と言われるんでしょう
氏族共同体は村の各家庭がすべて身内だったんですか?そのようなことは可能ですか?
また氏族共同体が崩壊する理由はなんですか?
23 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:07:39.44 0
血縁関係の集団を氏族というんだけどそれがなんで「最初は他人なわけで」?
24 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:16:53.28 0
江上波夫といえば東北アジア史の権威だぞ
それをネラーの分際で都市伝説と言ってトイレの花子さんや口裂け女と同等に騎馬民族征服説を並べるのは何事?
25 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:18:12.00 0
イエス・キリスト、ムハンマド、ゴータマ・シッダールタ
数多くの奇跡を起こした伝説が残っていますが、
どのあたりまでが確かだと証明されているのでしょうか?
あとムハンマドとマホメットどっちの方が一般的ですか?
26 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:27:05.18 0
ムハンマド アラビア語
マホメット 英語
騎馬民族征服説を言うのならばそれに対する指摘・批判も知っているはず
そしてそうしたものに対して効果的に反論できなかったことも知っているはず
28 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:30:18.16 0
>都市伝説と言ってトイレの花子さんや口裂け女と
ha?
継体天皇は越前の豪族といわれとるな。
天皇家の親族のひとりではあったのだろうが、
直系ではなく傍系で大伴金村の後押しで天皇になったといわれている。
31 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:42:16.44 0
継体天皇が実はアジア大陸から攻めてきた騎馬民族の王でそれがそのまま天皇になって今に続いているというのなら
確かにトイレの花子さんや口裂け女レベルと言われても文句は言えまい。
講談とか小説の題材としては中々に面白いけど、史実として考えるなら眉唾ものだわな
33 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:49:00.07 0
継体天皇は応神天皇5代目の孫
平将門は桓武天皇5代目の孫
34 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:51:10.53 0
源頼義(義家の父)は清和天皇5代目の孫
35 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:58:46.53 0
日本人のルーツ説の一つに、呉や越の民が戦乱を逃れて列島に渡ったというのがあって
特に越人は刺青文化があり、邪馬台国の習俗にあってるから有力だというのがありましたが
そもそも、当時の航海技術で東シナ海は渡れるのですか?また、海の向こうに島があるなんて知ってたんですか?
日本人って
シベリア系5割
中国大陸・韓半島系3割
南洋系1割
くらいだっけ?
イギリスはサクソン・デーン・ケルト・ブリトン・ローマの寄り合い所帯だから
一個の歴史は無いって言われてるけど
大和の渡来経路がバラバラな上に蝦夷熊襲とどつきあってた日本もたいがい多民族だよな
それよりはるか以前から日本には人が住んでいた。
だから、呉人や越人が日本人のルーツというわけではないだろう。
それ以降も断続的に人の流入があったけど、
水田稲作を伝えたグループがどこのものだったかははっきりしない。
水田稲作は中国の揚子江下流域で広まったもので、
それが半島経由で入ってきたのか、中国南部から直接入ってきたのかよくわからないが、
最近は中国南部から直接伝わったんではないかと考える向きが多いらしい。
対馬暖流や偏西風があるから、うまく乗っかれば自然とたどり着く流れになっている。
反対方向のほうが難しいんだろうね。一方通行だから、日本の存在はその後も長く大陸には伝わらなかった。
>>37 それは、一つの歴史として一国の歴史を見ることができない、という意味か?
それなら当然だ
世界中全ての国で言えること
>対馬暖流や偏西風があるから、うまく乗っかれば自然とたどり着く流れになっている。
ポリネシアの海洋移動の時から思ってたんだけどさ、何人かが離島に漂流という形で
たまたまたどり着いたとしても、稲作みたいに種子や高度な文明を移入するには、定期的かつ
計画性のある往来が必要じゃないの?勿論、まとまった数も必要だし。
更に水田を作るには水質豊かな土地を確保する必要があるけど、そういう場所は先住民が
先にいるわけで、これを駆逐しないことには不可能じゃない?
ヨーロッパの暗黒時代の原因はキリスト教だとされてるけど
中国はなんなの?遊牧民のせいにすることはできないよね
ヨーロッパだってフン族のせいにしてないんだから
>>41 ヨーロッパがキリスト教のせいならば、中国は儒教のせいにきまってるじゃないか
43 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 15:18:28.41 0
あのカタカナだらけの効率の良い覚え方を教えてくれ!
>最近は中国南部から直接伝わったんではないかと考える向きが多いらしい。
選択的に朝鮮半島で稲作が先行したという従来の考え方がおかしいんだよ。
温暖な日本の方が早いと考えるのが常識だろ。
稲作の北限も日本の方が高緯度地帯なのに比して、半島では南岸〜中部迄しか北上しなかった。
従来の日本の研究者は中国と日本の稲に対しては、野生種か栽培種か、水稲種か陸稲種かを厳密に区分するのに
朝鮮半島だけは曖昧なまま、日本と中国の中間であるかのように錯覚させる書き方しかしていないのが問題。
>>40 農業の伝播に計画的かつ持続的な往来とか必要ないだろ
技術を持った小集団が、その技術を活かせる土地に流れ着くだけでいい
そういうのの積み重ねで改良、淘汰が進んでその土地の原型的な農業が生まれると
どうも権力や組織がないと技術は伝播しないと考える奴が特定少数どこにでもいるな
技術移転の「意思」がなくとも伝播そのものは起こりうるよ
>>40 それと、駆逐も何も、古代は土地に比して人口がやたらと少なかった時代で、
文明が発達していた大陸でも、例えば江南とか土地はあっても耕作する人がいなかった
現代のように、全ての土地に遍く人がいるなんて状況は有史以来初だ
>>44 農業の話ではなくなるが
倭国はピカピカの金印貰ってるのに
韓半島は銅印しか貰ってないってのも、
これまで中→韓→日と思われてた
古代東アジアヒエラルキーの逆転箇所だよな
ばかばかしくてとてもつきあいきれんわ。
49 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 18:06:38.64 O
>>44 なんで?
朝鮮南部でも可能なんだから、
別にそこを経由したと考えるのは不思議でもなんでもない。
>>40 >更に水田を作るには水質豊かな土地を確保する必要があるけど、そういう場所は先住民が
>先にいるわけで
縄文人は低湿地よりもむしろ高台を好む。水田を作らないから。
>>49 まあ、不思議ではないんだけど、韓国て意外と寒いんだわ。
日本などは稲作の北限に近い部類だからね。
日本でも明治以降、北海道で米作ろうとしたけれど、
寒さに強い品種というのがなかなか作れなくて、
無理して作ったら、鳥もまたいでいくといわれるくらいまずかったというな。
その後、品種改良をすすめて、きららとかすこしはましな部類の米が作れるようにはなったが、
いまでも北海道産の米というといまいちな感じはある。
>別にそこを経由したと考えるのは不思議でもなんでもない
経由していなければならない、という考え方を異常だと思うかどうかって話だが、議論ではなく「ならない派」なんだろうなと思うわけで…
フツーに考えれば朝鮮半島から伝わったのではなく、日本人が直接技術指導できる範囲のみに農作地が分布したと思うわけで…
まぁどう思うかは個人の自由であるわけで…
>51
『ほしのゆめ』と『きらら395』にあやまれ!
まぁ100年以上も努力すればそりゃ北海道銘柄も改善されるだろうが
日本人にとって「米」というのは
コシヒカリとあきたこまちの二強を指すからな
筑紫平野特産のササニシキなんか
現地人もまずいって認めてるし
>>42 でもやっぱり西晋代までは儒教とうまくやってこれてたじゃん
それが何で五胡以降は駄目になるの?
>>53 そこに至るまでがめっちゃ大変だったのですよ……
なんで北海道でまで米を作るのか、もはや宗教的情熱としか言えない
きらら395とかいう名前の米は
心底からまずいと思ったよw
北海道なら無理して米作らんでも小麦とか作ってればいいんじゃないのかね
米が一番儲かるってことはあったりするのかな?
>きらら395とかいう名前の米
397じゃなくて395が、今、流通しているのか
昔話なのか…
歴史好きの連中は最近のことは知らんのか
北海道米はすでにブランド化してるだろ・・
気温が上がった影響とか言われてるようだが
57は、取り敢えず他人の言葉を否定したいだけじゃねぃ
きらら395を実食したって、昭和何年に何処で食ったんだよ〜ってレベルだしw
>>60 「今は」だろ
そこに至るまでの道のりは、凄まじいものがあったんだよ
札幌農学校でも、当初は酪農を中心に小麦や野菜類の生産に力を入れる予定だった、当初は
北海道どころか東北すらヤマセで飢饉とかよくあることだったというのに
>>62 だから最近のことはって言ってるだろ、よく読め
品種改良で稲作限界が広がったなんて常識で長文書くまでもない
>>37>>47 韓半島ってwwwwwwwwwwwwwwww
南朝鮮人かよwwwwwwwwwwwwwwwwww
65 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 23:00:33.63 0
日本は明治維新後すぐに文部省を設置し学制公布、教育令公布と
近代義務教育を取り入れたのが数あるアジアアフリカ諸国の中で唯一近代化を完成させた。
当時のアジアの大国である清もオスマントルコも近代化はしたけどそれは軍隊を西洋化するとか
建築物を近代化するなどで教育に関しては一切中世のままだったので人材が育たず
結局は列強に浸食されて国まで滅んだ。
日本はアジアアフリカで唯一近代義務教育を取り入れたのでアジアから列強になれた。
これは学生時代の予備校の日本史の講師が話していたのですがこれは
学問的に真実なのでしょうか?
また本当に他のアジア諸国清やオスマン帝国は近代的な教育制度を
とり入れなかったのでしょうか?
日本史板で聞きましたが世界史板に誘導されました。
>65
>日本史板で聞きましたが世界史板に誘導されました。
日本史板で複数人がレスを付けているのに礼も言わない、世界史板に移動する宣言もしなかったのは
最初に付けた俺のレスが気に入らなかったからかな?かな?
識字率がそもそも高かったから
完全植民地化を免れた他の国々(清、タイ、トルコ)より
民衆の教化がスムーズに行えたんだろ
日本以外の3ヶ国の場合
まず子供が学校に行く事の必要性を蒙昧な民衆に理解させるのに骨が折れそう
学校教育制自体無かったか、
教育制一応敷いたけど、貧民への配慮ゼロだったせいで金持ち師弟以外誰も通わなかったのか
義務教育の制度をいつ導入したかもあるけれど、
それよりは、どれくらい制度としてきちんと運用されているかのほうが重要だと思う。
親がちゃんと学校行かせているかどうかを監督する仕組みであるとか、
行政が受け皿となる学校を用意しているのかなど、徹底するには課題も多い。
日本の場合、離島まで学校建ててユニバーサルサービス化しているわけだから、
学校に行かせないことについていいわけできない。
アメリカのスラムの黒人なんかいまでさえ義務教育受けていないだろ。
日本が唯一かどうかはともかく、
ほんとうに実行できていた国は日本くらいなものだろう。
アメリカが戦後、国民教育制度について助言することになった時、
アメリカより日本のほうが読み書きの能力が高く、恥ずかしいことになったという話もあるくらいだから。
日本の場合、江戸時代の終わりにはほとんどの国民が読み書きはできるようになっていたともいう。
そういうのが明治以降の日本の近代化に大きな貢献をしたのは間違いがないところだ。
72 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 01:29:56.52 O
>>71 さすがにほとんどはないでしょう
戦後でもマトモに読み書きできない人は大勢いたし
それでも中国よりは大分マシだろうが
中国はあまりに広すぎる
>>72 チベットウイグルモンゴル満洲を除いた支那本土の人口密度はほとんど同じ
支那本土の面積は日本の十倍程度で唐の人口六千万平安時代六百万、清朝三億江戸時代三千万、現代は十億と一億
よく支那を無政府状態だという連中が日本からも支那からも出るが疑わしい
文字の獄をはじめ反政府活動は断固として取り締まられており統制が利いていないとは思えない
要するに義務教育の不徹底もアヘンの蔓延も清朝自体のやる気がなかっただけだろう
逆に清朝が熱心だったのは排外運動でこれは蒋介石毛沢東から習近平まで受け継がれている
この前の反日暴動も略奪被害の誤爆がほとんどゼロであり公安の私服警官により誘導された共産党による国家テロであることは確実だが
戦前も蒋介石の藍衣社などによる国家テロは頻発しても一般市民による反日運動はほとんどない
済南事件においても同時多方向からの一斉襲撃という状況からすれば蒋介石による組織的略奪日本人襲撃事件であることは明白だ
しかし支那通や媚中派連は蒋介石の日中友好などという空言を信じ込んで支那は統制がきかないからしかたないなどと寝言戯言を並べ立てる
だったらその後済南が蒋介石と閻錫山の間で三度も支配者が変わったのに一度も外国人襲撃事件がおきなかったことをどう考えているのか?
日本軍の反撃に恐れをなした蒋介石と閻錫山が配下の軍勢に外国人襲撃を厳禁したからではないか
支那の支配者は民衆の統制もできないほど愚かでもなければ弱くも無い
ただニコニコ顔で日中友好を説きながら日本人襲撃虐殺を平然と命令するような連中だというだけのことだ
その現実から目を背けるために支那通だの媚中だのが愛用しているアヘンが曰く支那は無統制だということだろう
いつからオナニーを垂れ流すスレになったんだ?
雑談したいならそっちのスレでやれよ・・・
二つ質問があります
・神聖ローマ帝国の選帝侯はどの段階でマインツ大司教、トリーア大司教、ケルン大司教、ボヘミア王、宮中伯、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯の7人に決まったのでしょうか?
法的には1356年の金印勅書を以って上記7人が確定されましたが、それ以前からこの七人による選挙が行われていたようです。
しかし帝国初期にはザクセン公、フランケン公、シュヴァーベン公、バイエルン公、ロタリンギア公といった部族大公による選挙が行われていたようです。
この境界がよくわかりません。
・神聖ローマ帝国の選帝侯はなぜ上記7人に決まったのでしょうか?
帝国内で唯一王号を持つボヘミア王はともかくとして、それ以外の人選の理由が理解できません。
バイエルン公、オーストリア公、ロレーヌ公、ルクセンブルク公、ブラバント公など、
比較的大規模な封土を持っていた諸侯は選帝侯以外にもあります。
特に、バイエルン公やロレーヌ公、ブラバント公は部族大公の系譜を受け継いでいるにも関わらず選帝侯になっておらず、
ザクセン公が部族大公以来一貫して選帝侯であることと対照的です。
>>65 >当時のアジアの大国である清もオスマントルコも近代化はしたけどそれは軍隊を西洋化するとか
>建築物を近代化するなどで教育に関しては一切中世のままだったので人材が育たず
これ本当にその日本史の先生が言ったの?
清もオスマントルコも近代教育制度を取り入れる改革は一応はした
ただ、日本のように成功はしなかったというか清もオスマン帝国も
近代化それ自体を自らやめた国だから
>>76 ライン宮中伯(プファルツ家)は30年戦争に関連して滅亡しているし、
ライン宮中伯の持っていた選挙権はバイエルン王国(ヴィッテルスバッハ家)が継承したんだよな。
聖界諸侯が多く含まれていることからもわかるように、
神聖ローマ帝国(ドイツ、イタリア)は皇帝権力と教皇権力の力関係で物事が決まるから、
選帝侯のメンバーシップも、当時の実力や政治力を反映しているんだろうな、と思うわけだ。
初期はフランス王が、おれもやりたい、とか言い出して、もめたりしたけれど、
ハプスブルグ家の世襲が確定してからは、たんなる称号みたいになっていったし、
諸侯としての格式を示す以外に意味はないんではないかと。
>>76 >・神聖ローマ帝国の選帝侯はどの段階でマインツ大司教、トリーア大司教、ケルン大司教
>>78 >聖界諸侯が多く含まれていることからもわかるように、
>神聖ローマ帝国(ドイツ、イタリア)は皇帝権力と教皇権力の力関係で物事が決まるから、
これは高校時代に世界史でこの辺をやった時から思っていたんだけど
なんで神に仕える宗教関係者が政治にしゃしゃり出ているんだろう?
俺から言わせればおまえらは葬式と結婚式と信者への説法だけしてろって思うんだよね。
高校時代に世界史習ってこんなスレ覗いてるぐらいな割には知恵の浅い意見だね。
どこでもいつでも宗教関係者は政治をやりたくて仕方ない。
今の日本を見たって創価学会という宗教者が公明党を使って
日本の政治にしゃしゃりでているんだしw
81だけどもっと掘り下げると池田大作という宗教者が創価学会と公明党を使って日本の政治掌握だな
そもそも聖書では
「この世の権力から離れなさい」「政治権力は野獣」
って散々言ってるのに、それに逆らうって事は
生臭破戒僧以外の何者でもない
それを知られたくなくて、中世の僧侶達は
一般人が聖書読めないようにしたんだろ?自分らの神を冒涜してるな
でもオセアニアやアフリカの部族国家や部族社会では
精霊や神と交信できる宗教家はかなりの権力が与えられていたのも事実。
首長・国王に霊力が求められたりもしている。
カルト宗教なんて上層部ほど
権力欲・性欲・金銭欲が強いってのが罪深いな
審判の日に助かった下層信者達が、司祭様のご安否を必死で確認したところ
メギドの火に焼かれてる最中だったみたいなジョークが
結構あちこちの国であるんじゃないか
誰か55に対する回答をお願い
まあローマもキリスト教とは上手くやってたんだけどね、フン族侵入までは
国教になるのも民族移動後だし、まあそれでも遊牧民のせいにはしないけど
なんか的外れな流れになってるが……
>>79 ドイツの聖界諸侯ってのは、もともと皇帝が部族大公や強力な伯に対抗するために
「世襲を許さない官僚」として各地に配置したのが始まりだったりする
だから、帝国における支配機構の一端を担うのは由来からしても当然だった。
その後皇帝権力の低下により、聖界諸侯の独立性も強くなり、結果として「世襲でき
ない大諸侯」という地位となる
この聖界諸侯の地位を巡って、世俗諸侯間の争いになるわけだが、それはまあ話
がそれるからいいや
この「皇帝が配置した大司教、司教」に対する叙任権を教皇が求めたのが聖職叙任
権闘争に繋がる
ただ、
>>76に関しては、ちょっと本格的に調べてみないことにはわからんなぁ
ルクセンブルク伯については、当時の皇帝カール4世がルクセンブルク家出身であり、
また、金印勅書で定められた7つの選帝侯位のうち、ボヘミア王およびブランデンブルク
辺境泊の2つを占有していたため、バランス的に難しかった面もあるかと思う
>>80 まあおまえの書き込みからは知恵も何も感じられないけどなw
なんでそんな顔真っ赤にしてんのw
おやおや必死www
>>82 創価学会は池田大作が作った新興宗教だと思われがちだが実は戦前からある。
俺は創価は嫌いだけど学問板で主張するならもう少し創価のことを調べて
学問的センスに則って発言するべきだねw
中国共産党を作ったのは陳独秀
創価学会を作ったのは牧口常三郎
公明党を作ったのは創価学会2代目会長戸田聖城。
その時の池田大作は単なる一幹部に過ぎなかった。
ヨーロッパの船乗りが出てくる小説かマンガで、「海神ネプチューンの加護があるから云々」っていう
セリフがあったんだけど、キリスト以外の神は認めないのがキリスト教なんじゃないの?
おお・・・・5つ前くらいの板で聞いたのと同じ質問が・・・
簡単な回答は確かこうではなかったかな
キリスト教化をもってしても
南ヨーロッパに文化として根付いた軍神マルスや海神ネプチューンへの信仰まで取り払うことは出来なかったという事
97 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 16:25:01.10 0
モスクワ大公国を建てたルーシのルーツはスカンジナビア半島。
仏ノルマンディー地方とイングランドのルーツもスカンジナビア半島。
ロシア人やイングランド人にとってノルウェーやスウェーデンを
民族の故郷と慕う意識がいまいち見当たらないのですが、
どの程度あるものでしょうか?
失われているとしたらその原因は何でしょうか?
また、ノルウェー、スウェーデン人たちは自分たちこそ英露の祖先or支配者という自負はあるのでしょうか?
>>97 半島出身の勢力に支配された被征服民は、
自分たちの君主が半島出身だと認めたがらないのだ、悔しいから
それはネトウヨが半島出身の天皇を「半島出身」だと認めようとしないのと一緒だ
>ノルウェー、スウェーデン人たちは自分たちこそ英露の祖先or支配者という自負はあるのでしょうか?
それは当然ある
韓国人が日本人を嫌っても「親天皇」なのと一緒だ
99 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 16:35:21.74 0
>>98 たいへんわかりやすい回答、カムサハンミダ。
76です。回答ありがとうございます。
>>78 フランス王がやりたい、と言ったというのは本当ですか?
何かの本に書いてある内容でしたら教えて下さるとありがたいです。
ハプスブルク家の世襲が確立されてからも、カール7世が選出されたように実質的な側面もあった気がしますがどうでしょうか。
この時点の選帝侯は例の7選帝侯+バイエルン公だったかと思いますが、
ブランデンブルク辺境伯はご存知フリードリヒ大王、ボヘミア王とバイエルン公はカール・アルブレヒト=皇帝カール7世、
ケルン大司教はカールの弟クレメンス・アウグストであり、これら4選帝侯はカール7世支持ですね。
カール7世を支持しそうなザクセン公や宮中伯の動向はよく知りませんがどちらにしても既に8票中4票がカール7世支持なのでカール7世の当選は堅かったでしょう。
>>87 ブランデンブルク辺境伯が選帝侯に定められた理由が個人的には一番謎が大きいですね。
文字通り辺境にあり、国力も大したことが無さそうで、部族大公の系譜を引くわけでもない。
後にホーエンツォレルン家の躍進によって大きな勢力を振うことになったものの、
少なくとも14世紀半ばの時点では際立った存在には見えません。
ブランデンブルクが選ばれるならオーストリアやケルンテンの方がまだしも選ばれる根拠がありそうです。
また金印勅書が出た時点で既に7選帝侯は確立されつつあったみたいなので、
ルクセンブルク家が、という話はあまり関係無いような気もしますが…
新たにルクセンブルク伯を入れるというのは難しかったかもしれませんね。
>>97 リューリク朝にしてもノルマン朝にしても断絶してるからなあ
>>100 バイエルン公とオーストリア公が選ばれなかったのは、ルクセンブルク家と
競争関係にあったからです。カール四世の父親ボヘミア王ヨハンの神聖ローマ皇帝即位を
阻んだのがバイエルン大公ルートヴィヒ4世でしたから。バイエルンも
オーストリアも力があるというまさにその理由で選帝侯に入らなかったのです。
カールの金印勅書による選帝侯の人選は、過半数がルクセンブルク家支持となる
ように配分されたはずです(記憶だけで書いていて申し訳ないが、今時間が無いので。。。)
>>86 (宗教改革より前のキリスト教もそうだが)儒教では、物を自分では作らずに動かすだけで金を儲ける商人を
卑しい職業と見なしていた
だから儒教社会では、経済への理解がたりない
経済への理解がないから、朝廷は放漫財政になりがち
そして金がないことに気づいて税を重くする
重税に耐えきれなくなった庶民が反乱を起こし、国が乱れる
反乱を鎮圧するためにまた金がかかり、さらに税が重くなるという悪循環になり、やがて限界に達して
反乱軍が国をのっとる、もしくは国内でゴタゴタしているうちに外の民族に征服される
中国はそんなことの繰り返し
104 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 17:17:38.46 0
純粋に外部から武力で潰されたのは宋だけか
>>100 ブランデンブルグ選帝侯は当時バイエルン公家のヴィッテルスバッハ家
だったからじゃないですかね。ヴィッテルスバッハ家懐柔の為ブランデンブルグを
選帝侯にしておいて、その後息子のヴェンツェルの為にブランデンブルグ選帝侯を
買収して手に入れているから、金印勅書作成時のカール四世には既に計画と勝算があり
ブランデンブルグを入れたのではなかろうか。
107 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 17:32:05.99 0
ドイツ人はフランスのことをフランクライヒって呼ぶことに際して
「自分たちもフランク人なんだよな」っていう矛盾は感じないのでしょうか?
それとも自分たちがフランク人という認識は持ってないのでしょうか?
「自分たちもフランク人なんだよな」と考えたりするのは、ドイツのフランケン地方の人びとくらいじゃないの。
>>102 >>106 回答ありがとうございます。
…が、手元にある資料によれば金印勅書が出されたのは14世紀半ばなのに対して
選帝侯が7人と確定したのは13世紀半ばらしいです。
当然カール4世が生まれてもいませんし、それどころかルクセンブルク家から一人も皇帝は出ていません。
この段階でルクセンブルク家との関係からバイエルン公やオーストリア公が選ばれなかった理由や
ブランデンブルク辺境伯が選ばれた理由を説明するのは不可能であるように思われます。
>>107 ドイツ国家の始まりはザクセン朝からと言われてるくらいなんで、ザクセン人の末裔を自認してる人はいても、フランク人とはおもってないんじゃ
それと、カール大帝の栄光の後裔って意識は別なんだろうが
111 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 18:01:07.25 0
>>108-110 ありがとうございます。よく考えてみます。よろしければ付け足しや異説をお聞きしたいです。
ブランデンブルク辺境伯の話題が出ているのでそれに関して質問なんですが初代の伯はアルブレヒト熊公ですが熊の由来はなんですか?
ドイツの始まりはローマのクソ将軍を撃破したときから
始まるんだろ
>>109 マインツ、トリーア、ケルンの三聖界諸侯+ライン宮中伯は、ホーエンシュタウフェン家の頃には
すでに選帝侯としての地位を確立していたようだから、そこはさておくとして
あと、部族大公の中でも突出した伝統と力を持っていたザクセンと、遅参組ながら、帝国唯一の
王号を保持するボヘミア王は理解できる
と、考えると確かにブランデンブルクは謎だねえ
>>113 トイトブルクとウァルス?
トイトブルクでふと思い出したんだけどアルミニウスってアルミニウムと関係あるの
法家思想と儒家思想との関係を教えて下さい
儒家である荀子の弟子が法家思想の大家である韓非子だったりしますよね
しかし法家思想を採用した秦が焚書坑儒を行ったりとどうも両者の関係がよく分かりません
>>116 いわゆる諸子百家ってのは後世の分類
儒家と墨家はともかく、それ以外の〜家に分類されてる人たちに「自分たちは〜家だ」なんて意識はないよ
(似た思想の者には共鳴したり影響を受けたりはしたろうけど)
法家だから儒家に対してどうだ、ととらえることがそもそも間違い
韓非子は荀子に学んだが、儒とはまた違う韓非子自身の法律重視の思想を確立し、それが実際に秦で
運用されたら結果的に焚書坑儒になった
なお、坑儒と言うけど、儒者だけでなく、というかむしろそれ以外の、役にも立たない無用の学問をいたずらに
唱えていたエセ学者みたいな連中こそが弾圧のメイン
>>109 >>114 サクセン公とボヘミア王が入っているとなると、バイエルン公とシュヴァーベン公が
入っていない理由も解せないなあ。
>>118 シュヴァーベン公はホーエンシュタウフェン家の本領地だったし、その断絶後は
分裂しちゃったから、その後の選帝侯としての選定という意味では、存在感無か
ったんじゃないかねぇ……これ、単なる推測(妄想)で基礎資料の欠片も無いけど
120 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 19:56:05.00 0
>>100 >フランス王がやりたい、と言ったというのは本当ですか?
横レスだけど、フランス王の弟のフィリップ豪胆王がロタール国の復活を目論んで
復活した暁には東ローマ帝国の皇帝を輩出する野望を抱いていたっていうのはある。
>>115 アルミニウムの語源は、その化合物のミョウバン(染色や皮をなめすのに使われていた)を
意味するラテン語アルメン(英語ではアルム)
アルミニウスの方がそのアルメンに関係あるかどうかは知らない
>>116 人間の本性は悪なら、
悪いことを前提に法の網をかぶせるしかないだろ。
荀子の性悪説が法家思想に結びつくのは自然なことに思えるが。
思想というのは近いほど近親憎悪の対象となるからな。
秦が法家を国家イデオロギーと認めたのなら、
それ以外の思想は統制されるのはしかたがない。
儒家と法家というのは源流が同じとみなされるわけだが、
根底に横たわっている思想は似たようなところがある。
要するに、人民はばかだから、教化する必要があるということだな。
法家は法というハードな手法を重んじるのにたいし、
儒家は礼といったソフトな手法を重んじる。
それだけの違いでしかない。
>>118 そうすると、ポイントはバイエルン公が外されてブランデンブルグ辺境伯が入った
という二点ということになるか。それらの理由は大空位時代の政治情勢にあるのだろうね。
>>100 >文字通り辺境にあり、国力も大したことが無さそうで
ブランデンブルクの事は知らないけど一般論としては辺境伯は普通の伯より上の立場だ。
>>116 荀子に規律によって人を治める事を学んだ韓非子はその道具として儒家の礼では不足と考え、
商鞅や申不害の法術がそれにふさわしいと考えた。更に言えば道家の影響も受けている。
法家だから他は全否定って事は無い。良いモノは取り入れるのが思想家。
>>121 回答有難うございます。
あまり関係なさそうだね...
>>124 比較対象が公、それも部族大公の一角であるバイエルン公や、皇帝ルドルフ以来強大になったオーストリア公だからね
127 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 23:57:17.24 0
マホメットが起こした一神教(イスラム教)はあっという間に中東全域に広まり、それまでの多神教信仰を覆してしまいましたが、
それよりも前の時代に、キリスト教が中東全域に広まらなかったのはなぜなのでしょうか?
また、マホメットが起こした教えが「キリスト教の一派」程度ではなく、新しいものとなったのはなぜなのでしょうか?
キリスト教とマホメットの教えが、せいぜい東西キリスト教の違いぐらいにとどまっていたらもっと良好な関係が築けたのではないかと思うのですが。
中東・北アフリカでも旧ローマ帝国領にはキリスト教が定着していたし、今現在でもそこそこのキリスト教徒が残っている。
ササン朝はゾロアスター教が国教だが、キリスト教も浸透していたし、現イランにも少数のネストリウス派が存在する。
>>127 下
イエスを神の子、人間世界に生まれた神としているのがキリスト教
イスラム教では、イエスは預言者の1人であって、神の子とは認めていない(ちなみにムハンマドも
預言者であって神の子ではない)
キリスト教では、イエスは人間世界に人として生まれた神なので、イエスとしての姿なら描いたり
彫ったりでき、その聖画像を崇拝することができる
イスラム教から見れば、それは厳しく禁止されている偶像崇拝にほかならない
両者は最初から、互いに相いれることはできない
アミールとスルタンの具体的な違いってなんですか?
アミールを公爵と訳してる本がありましたが、別にスルタンの部下というわけではないですよね?
109ですが回答ありがとうございます。
この質問で長引かせてしまい申し訳ありません。
>>114 そうですね、状況からしてもブランデンブルクが選ばれる必然性というのが全く無いので
何らかの史料が欲しいところだなあと思いますよね。
しかしながら封土のあまり大きくない三聖界諸侯とライン宮中伯についてもやや釈然としない部分が残ります。
聖界諸侯に関しては、ドイツ内でマインツ、トリーア、ケルン大司教がもともと別格だったりしたんでしょうかね。
ライン宮中伯はライン・フランケンの直系的なところがあるので、部族大公由来の権利ですかねえ…それとも宮中伯という官職由来なのか…
>>118-119 シュヴァーベンは分裂崩壊したので選帝侯としても消えてしまった、とみるのが妥当だとは思いますが
フランケンとロタリンギアがその点やや微妙で、どうもそれぞれ東西フランケンと上下ロタリンギアに分かれて以降も
選帝権を保持していた時期があったようなことが書いてある本があったので分裂だけで説明できるのか不明です。
まあその本もドイツ史の通史を扱ったものなので国王選挙について詳しく説明されているわけでもなかったのですが。
東フランケンといってもヴュルツブルク司教が選帝侯であったとは思えませんし。
>>120 ヴァロワ・ブルゴーニュ家はロタールの国の復活を目指すような拡大政策を取っていましたね。
突進公が皇帝フリードリヒ3世に王号を要求したという逸話がありますが、
本によってどの王号を要求したのかバラバラです。ロタリンギアなのか、ローマなのか、それともブルグントなのか、フリースラントって話まであったりします。
そういえば同じフランス王族のカペー・アンジュー家、というかシャルル・ダンジューは
アルル王国=ブルグント王国の復活を具体的なところまで進めかけていたとか。
>>123 その二点が一番大きそうですね。帝国内でバイエルンよりもブランデンブルクが優先される理由というのが14世紀までの時点で全く見当たりません。
>>124 この場合は辺境伯と普通の伯を比較しているわけではないのでその指摘は妥当しないかと。
比較対象は
>>126の方が言うように公ですから。
>>130 アミールの称号を持つ者の立場や権力は、時代や地域によっていろいろなので、太守、総督、首長、王など、
さまざまに訳される
本来は、ある地域の統治と軍事をカリフから任された司令官といったところ
それがしばしば現地で自立・世襲化し、実質的なその地の君主の称号となった
現代ではクウェートやカタールやアラブ首長国連邦の構成国などの君主の称号がアミールで、首長と
訳されることが多い
133 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 08:22:31.98 0
>>127 エジプトのキリスト教 『コプト教』
エチオピアのキリスト教『エチオピア正教』
レバノンのキリスト教 『マロン派』
シリア、イラク、トルコ東部『シリア正教』
http://www.k5.dion.ne.jp/~himar/echrist/what.htm 「アッシリア人」は非常に古い時期からのキリスト教徒であり、
1世紀のアッシリア人の王アブガルがイエス・キリストに直接教えを乞おうとして果たせなかったといわれている。
ネストリウス派の教会組織は「東方アッシリア教会」と呼ばれ、
隊商ルートを利用して中央アジアやさらには中国へと修道士を派遣した(景教)。
景教は中国においては早い時期に衰えたが、モンゴルや中央アジアではケレイト族のような熱心な信徒集団もいた。
http://www.kaho.biz/mec.html べつに教義が近いからといって平和に共存できるとは思えん。
仏教とキリスト教だと戦争もおきんだろうし、ユグノーとカトリックで殺しあいしてるし。
もし中東がキリスト教に染まってたらギリシャの学問が伝承できなかったろーが。
逆に西洋にイスラム教が広まってたら世界はもっと平和だったかもしれん。
134 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 09:02:08.38 0
>マホメットが起こした教えが「キリスト教の一派」程度ではなく、新しいものとなったのはなぜなのでしょうか?
ムハンマド自身は新宗教を起こしたとは認識していなかった。
しかし、キリスト教側がムハンマドの改革を拒否したのでムハンマドの後継者達が
新宗教として整備していった。
史実のキリストって、私は神の子だとかブツブツ言いながら街を徘徊してる痛いおっさんだったの?
今でもそういう人、たまにいるけど何でそんな宗教が広まったの?
史実のキリストって、私は神の子だとかブツブツ言いながら街を徘徊してる痛いおっさんじゃなかったから
137 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 09:21:39.30 0
ハリツケにされて生き返ったおっさんはイエスさましかいなかったんでしょ
あと、「救世主が現れる」って予言があったっていうのもある
138 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 09:24:54.18 0
それよりムハンマドのほうがもっと不思議
当時はイスラム圏のほうが文明度は高かった。
西アジアが文明の中心だからな。
文明というのは高いところから低いところに流れるもので、
遅れた文明が進んだ文明を感化するということはふつうない。
ヨーロッパは迷信と狂信によって衰退に向かったから、
イスラムのほうが栄えたんだわ。
141 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 10:00:40.87 0
実際のイエスは記録にも残らない無名なただの修行者だよ
弟子が勝手に神格化して奇跡を起こしただの神の子だのと言ってユダヤ教に対抗するための方便に使っただけさ
142 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 10:14:14.23 0
>>137 生き返ったのではなく、貼り付けにされた時は痛みで気絶していただけでそれが息を吹き返したのだよ
143 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 10:14:52.92 0
貼り付けじゃない、磔だw
144 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 10:18:05.27 0
開祖自身が新宗教だなんて言ってる場合は碌な宗教にならない。
マインツはフランクフルト・アム・マイン、ケルンは戴冠式の街アーヘンの司教区なんで、聖界諸侯の中でも特別に格式は高かった
のは確かなんだよな
マインツは、教皇以外で唯一「聖下」の称号許されていたわけだし
>>141 記録にも残らないおっさんが磔刑受けるの?
もしかして磔刑自体、捏造?
147 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 12:29:19.55 0
>>146 キリスト教「記録を残してないローマ帝国さんサイドに問題がある」
>>146 記録に残らなかったおっさんで磔刑受けたやつなんて、山のようにいたはずだが?
イエスと同時に磔刑にされた2人はただの泥棒だぞ
149 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 13:58:12.69 0
二千年前のパレスチナ属州の処刑記録が現存していたらそれこそ奇跡中の奇跡
151 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 14:44:26.69 0
>>134 >ムハンマド自身は新宗教を起こしたとは認識していなかった。
いや、ムハンマドの頃から新しい宗教だという意識はあっただろ。
ムハンマドの頃からすでにユダヤ教徒などと対立しており、
ムハンマド自身も、ユダヤとの違いを強調するためメッカに向かっての礼拝を定めたりした。
イスラム教のメッカのカーバ神殿への礼拝て、
はっきりいって、偶像崇拝だよな。
嘘つきだよな
ムハンマドって元は何教の人なの?
154 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 15:33:26.71 0
>>153 ムハンマド以前のアラビア半島では主に自然宗教的な多神教が信仰されていた。
ムハンマドのいたクライシュ族もそのようなアラブ多神教を信仰していた。
キリスト教やユダヤ教も少しは広まっていたみたいだが、大多数のアラブ人は多神教を信じていた。
155 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 16:13:42.63 0
キリル文字の成立って9世紀とのことなんですが、
どうしてあんな文字を作り出さなきゃならなかったんでしょうか?
元になったであろうラテン文字をそのまま使えばいいのに。
英語のアルファベットもラテン文字と多少の違いはあるにしても
自然な変化の範囲と思えるのに、キリル文字は意図不明の作為があるのですが。
156 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 16:58:39.08 0
エレノア・オブ・アキテーヌってヘンリーIIと結婚したあと
ヘンリーIIによって軟禁されるのですが、そんなことされて
アキテーヌの領民や貴族は平気だったんでしょうか?
そんな時でも領民は税金を払わなきゃならないんですよね?
素直に払うとは思えないのですが。
この時の領民や地元貴族の反応が知りたいです。
キリル文字はラテン文字からじゃなくてギリシャ文字からの派生
158 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 17:04:10.75 0
>>157 ご指摘ありがとうございます。質問の文中のラテン文字をギリシャ文字に改めます。
159 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 17:12:55.51 0
>>156 現代的な感覚から離れて考えてみるのお勧め
まずは封建制とはなにか、から調べてみるといいんでないかな?
周辺環境に関する知識が無いとりさ、その辺の理解は無理よ
あと、当時の税制ってどんなもんだったかも調べてみるといい
根本的に勘違いしてると思われる
>>158 基本的にギリシア文字で発音できないスラブ語の音を表現する為に
作成した。シュト、チュトとかの複音子音とかィヤ、ィイ、ィユ、ィエ、ィヨとかの
母音とか。日本語でも昔はゑとかゐとかのかなが使われていたのを考えると
わかりやすいのでは。
>>158 外国語の文字そのままよりも、その言語に合った文字の方がいい
漢字やアルファベットがあるからといって、日本語を表すのにひらがなカタカナがなくていいってことはないでしょ
どうしてキリル文字を作ったのかと言えば、スラブ人へキリスト教(東方正教)を伝道し、現地の聖職者を
育成する上で、スラブ語を表せる文字が必要だったから
キリル文字のキリルは、伝道者の修道士キュリロスに由来する
ただし、キュリロス自身が開発した文字は、現在のキリル文字とは異なるグラゴル文字らしい
後に普及した文字が彼の名にちなんでキリル文字と呼ばれている
162 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 17:41:04.61 0
>>159 そんな遠いヒントじゃ調べようがないじゃないですか。
領民が捕虜になった王を取り戻すこと話は16世紀のフランスのスランシス1世があるのですが
それと何が違うのでしょうか?
申し訳ないですが、答えになることが一つもないような回答はお断りしたいと思います。
163 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 17:42:20.39 0
164 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 19:33:38.97 0
>>162 >156の疑問を一生涯掛けての研究テーマとしてください。
学士院会員を目指して。
165 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 20:48:52.03 0
今、TVで歴史マニアのおばちゃんが執念でリチャード3世の遺骨を探して
イギリスで歴史を覆す発見をしたという話をしていたけど同じ歴史マニアでもおまえらときたら
2chで糞レス三昧の最低な生活してんのねw
>>145 「聖下」の称号って何じゃそりゃ?そんな日本語存在しないぞ
167 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 20:57:40.38 0
>>155 もしかして、ギリシア文字もラテン文字から作られたと思ってる?
歴史マニアのおばちゃんが見つけたのかよ!!
まぁ、シュリーマンもある意味、只の歴史マニアだけど。
でも「ここの駐車場にリチャード3世の遺骨があります!」と言ってよくそれで
発掘許可が下りたなというのが不思議だよw
普通なら、なんだこのババアでスルーされると思うけど。
見損ねたぁぁ!!
なんで乱戦で死んだリチャードが教会で埋葬されたのかとかとか
死体がちゃんと墓に納められて記録にも残っているのかとか
墓地なのにリチャードの骨しか出てこなかったのはなぜか
とか知りたかったorz
五賢帝の実績を見ると、ハドリアヌスが本当に人間かと思えるくらい傑出していますが
高校世界史では殆ど彼の実績を取り上げず
正直五賢帝の中で為政者の実績としてはイマイチなマルクスアウレリウスアントニヌスをプッシュしてるのは何故でしょうか?
172 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 21:27:00.40 0
日本中国朝鮮をヨーロッパから守った明治大正昭和はローマの五賢帝にならって三賢帝として評価されますか?
孝明明治大正昭和で四賢帝じゃないかと思う。
個人的には孝明天皇は幕末の中でうまく治めたと思うよ。
孝明天皇が幕末の乱世や列強からの外圧下で上手く治めたとは思えないけどな・・・
177 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:01:13.38 0
>>167 というかキリル文字はロシア、東欧に布教しようとした僧の兄弟が作ったということなので
9世紀なら新約聖書もギリシャ語の原書じゃなく、ラテン語の聖書だっただろうという憶測です。
ギリシャ文字がラテン文字の原型というより、ギリシャ文字の成立のほうが
ラテン文字より早かったと思っているのですが、成り立ちを教えてください。
178 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:03:31.00 0
あほらし
180 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:05:14.31 0
>>171 侵略行為を断罪する立場で教科書作ってるんじゃないの?
領土を最大にしたハドリアヌスを称えるわけにいかなかったのでは。
マルクスアウレリウスアントニヌスはパルティア戦争に勝ったから入っているのかね?
あと大正天皇が発達障害だったという証拠はあるのかね?
182 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:11:29.88 0
>>177 >ロシア、東欧に布教しようとした僧の兄弟
それはギリシア正教会の修道士ね
当然ギリシア語の聖書を持って行った
>>166 英語で言う"His Holiness"の訳語
教皇に対しては、猊下ではなく聖下を用いる
"Sancta Sedes"を聖座(ローマ司教座のこと)と訳すんだが、マインツ大司教はかつて
"Sancta Sedes Moguntina"(無理に訳すと「マインツ聖座」)と称されたって話
もともと造語だが、日本のカトリックは公式にこの言葉を使う
184 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:20:45.28 0
185 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:23:26.79 0
このスレって質問者も回答者もバカばっかだなw
>>180 ローマの領土を最大にしたのはトライアヌスで、ハドリアヌスはメソポタミアから撤退し
事実上領土を縮めています
ハドリアヌスの実績って領土を広げたとか戦争で勝ったとかじゃなくて内政の充実でしょ。
>>179 大正天皇って発達障害だったの?今でいうアスペ?
189 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:31:43.03 0
メソポタミアやアルメニアから撤退していらぬ外国との戦争をなくして国内を落ち着かせたのが
ハドリアヌスが賢帝に入れられる理由だと思うけど違うのかしらね?
190 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:33:48.55 0
>>170 リチャード3世の遺跡から第2の棺
2012年に発見されたリチャード3世の遺骨発掘現場から、新たな棺が見つかった。
ボズワースの戦いで亡くなった王の墓より1世紀以上遡ると専門家は述べている。
被葬者は不明だが、重要人物であったことは間違いない。権力闘争に敗れたリチャード3世は、
穴に埋めるだけで十分と判断されたようだが、今回見つかった墓は豪華だ。
遺体は十字架で装飾された鉛の容器に密閉され、さらに石灰岩のサルコファガスに収められている
。しかも、当時の修道院の目立つ場所に埋葬されていた。
発掘チームを率いるレスター大学のリチャード・バックリー氏は、「相当な地位の人物に違いない」と予想する。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130802-00000002-natiogeog-sctch
>>100 フランス国王フランソワ1世は皇帝位を欲しがってカール5世と争った。
教皇を抱き込んで戴冠式を決行すればなんとかなるとか、いろいろ画策したけど
結局勝ち目はなかったけどね。
>>174 世界史版で申し訳ないが孝明天皇
が世の中を治めていたとは思えない
193 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:48:58.53 0
孝明天皇なんて御所という檻の中で「じょーい、じょーい」とただ叫んでただけだろうw
>>188 大正天皇に障害があったのは有名な話だろう。
アスペというよりはもっと愚鈍なほうの障害であったらしい。
当時はそういうことを今以上に隠さなければいけない事情があったから、
なるべく国民の目に触れないよう秘匿されていたけれど、国民は皆知っていたという。
>>194 大正天皇は漢文や朝鮮語もしっかりと学ばれていたしアスペや愚鈍はないだろう。
まあ病弱ではあったし父明治天皇も天皇になれるのか心配していたようだが。
大正10年の段階で病状が悪化して摂政を置かなければならなくなったというから
逆説的にそれ以前は摂政を置かなくてもなんとかなっていたんじゃないのか?
ていうか他の兄弟もみんな夭折してるんだよな。
昔なので死にやすいとはいえ、遺伝的になんか問題あったんじゃないかと思う。
>孝明天皇
>大正天皇
日本史板より世界史板の方が食いつきがいい件について
それ以前に日本史板は世界史板より過疎だし日本史板の人間は
世界史の知識が皆無だが世界史板の連中は世界史の他に日本史の知識も豊富
板住人の数
日本史>世界史
高校履修
世界史+(必修ではない)日本史>世界史
天皇の権威に関する質問は、他にふさわしい板、スレがありますのでそちらでどうぞ。
特定アジアの現代史に関する質問も、他のふさわしい場所でどうぞ。
ネトウヨなどのキチガイはスルーしましょう。
>>156 ヘンリー2世は早くから自分の死後の領地の相続を決めていて、アキテーヌは三男リチャードが継ぐことが
決まっていた
ちなみに、長男は早く死んでおり、強欲な次男の若ヘンリーはイングランド、ノルマンディー、アンジューを
自分が継ぐことを父に了承させていた
四男ジェフリーは結婚相手がブルターニュの相続人だからいいとして、ヘンリー2世最愛の末っ子五男ジョン
には継ぐ領地がなく、そのため彼はジョン・ラックランド(土地なしのジョン、ジョン欠地王)と呼ばれた
とにかく、リチャードはすでに実質的なアキテーヌの領主代理だった
リチャードは母アリエノールにそそのかされ、兄の若ヘンリーや弟ジェフリーらとともに、父ヘンリー2世への
反旗をひるがえし、だからアリエノールは軟禁されたわけで、その時点でアキテーヌの事実上の領主は
リチャードだ
>>202 ヘンリー2世がアリエノールの夫として持っていた権利を
リチャードが生前相続したような感じじゃなかったっけ。
アリエノール本人の権利はアリエノール死後にリチャードに単独相続される予定だったはず。
中世では女性が単独領主をやるというのはなかなか難しいことで、
正当な権利者が女性だったとしても、夫や息子を共同統治者に立てるのが普通だった。
ヘンリーやリチャードもそのようにしてアキテーヌ公になっていた。
204 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 07:49:49.73 0
ティムールの予言で有名な、ティムールの棺ですが
国が発掘したということはちゃんとした調査資料があるのですよね?
英文ソースでいいので読んでみたいのですが、今もあるものなのでしょうか?
複顔図が残ってるので、骨格の調査もしていると思うのですが
206 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 10:35:34.77 0
東アジア以外の地域で、なんで表意文字って廃れちゃったのかな?
文字の数が多くなるから覚えられない。
日本でも明治時代に森有礼が日本語は難しくて洗練されてないから
全面的にフランス語に切り替えようとか言い出した。
実現しなくて良かった。
キチガイの意見だな。刺し殺されて当然の国賊
他地域に比べ、記録媒体が高価or希少だったのでは?
表音よりも表意の方が小さな面積に多くの情報を詰め込めるし
〜でしょうか?
〜ですが
って質問してる人は同じ人?
文体変えてくれ、そろそろうざい
戦前の日本人ってすごいよね。
あんな馬鹿みたいに画数多い漢字いつも使ってたんだから
東洋派西洋派があって、学問に関しては世界屈指といわれている
世界に対する知識を発信するのも戦略でした
いまの中国人はもっとすごいぞ。
214 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 14:34:25.87 0
>>206-207>>209 表音文字ってっても中東あたりのアラビア文字(アラビア語における女性系を意味するター・マルブータとか格変化と関係するアリフ・マクスーラやタンウィーン)とかそれ以前のペルシャやメソポタミアで使われてた文字の使い方はかなり表意寄りの部分があったりする
形勢戸と士大夫ってどう違うんですか?
「遣日使」でぐぐると
遣唐使にたいして遣日使もすごかった
という記事があるけどその遣日使の回数が無い
新羅と渤海は双方ともに回数が載ってるのに
唐から日本に来た回数だけ載ってない
一体何回だろうか
217 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 17:02:09.74 0
>>215 形勢戸とは単に地主のことを指す。
士大夫は地主・科挙官僚・文人の三つの側面を全て併せ持った者を指す。
ただし北宋に限る
水滸伝好きなら誰でも知っているよ
女真は第三勢力として拒否したけどね
219 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 17:24:36.93 0
厨な質問ですみませんが、弾圧されたキリスト教徒の数と
キリスト教徒に弾圧された異教徒の数ではどちらが多いでしょうか?
キリスト教徒どうしの内部抗争は数に含めないということで。
そんな数とか
世界中を探してもそんな統計を自慢まがいに言うバカはいない
>>209 それはコンピュータ前提の発想じゃないの?
「見」は一文字だけど「look」は四文字だよ。
222 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 17:53:21.82 0
>>221 表音文字より表意文字の方が単位面積あたりの情報量が多かったのは間違いなかろう
そりゃ極小文字で書いたらそうだろうけど中世の写本とか見ても普通のサイズで書いてるじゃん。
それでも間違いないの?
224 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 18:03:13.33 0
>>223 片方を物凄く小さく、片方を物凄く大きく書かない限り変わらない
そもそも表意文字の方が記載する文字数(つまり文章)も少なくなる
史記とか、あれ表音文字だと量がとんでもないことに
>>222 かの有名なリーンカーンの言葉で考えてみる。
人民の人民による人民のための政治(16文字)
government of the people, by the people, for the people(46文字)
と三倍近くになるね……長いな
>>207 支那でよく使われる支那文字の数と英米人が良く使う英単語の数はほぼ同じ
支那人の学習速度が特に遅いわけでもない
支那文字は一文字が一つの単語に相当するのだから一つ一つ覚える手間がかかるといっても
他の言語と学習量に違いがあるわけではない
>>221 なんか勘違いしてない?
表音文字の「look」が4文字分の面積を使っているところを、表意文字「見」なら1文字分の面積しか
使わないのなら、表意文字の方が小さい面積ですむと言ってる
>>209はあってるってことでしょ
紙という昔は高価だった記録媒体に、多くの情報を詰め込めるよ
フォントは英語のほうが少なくて済むよな
229 :
209:2013/10/01(火) 18:31:09.23 0
俺の書き方が悪かった
東アジア以外の地域の話だったのに、
>(東アジアでは)他地域に比べ、記録媒体が高価or希少だったのでは?
と書いてしまった
どっかで発掘された遺跡の建造物が核兵器以外じゃあり得ない溶け方してたとか聞いたんだけどマジ?
ごめんこれ考古学の質問だな
板違いだった
>>227 あ、ホントだ。表意文字の方が有利なんだからそれが駆逐される理由としては変って話な訳だけど。
ヨーロッパは記録媒体が無くて貴重だったけど東アジアは紙もあれば木だって竹だってある。
>>230 モヘンジョダロかハラッパなら嘘。
>>210 うざい?うざいと思うならおまえが消えろ
質問スレなんだから「〜でしょうか」は当たり前に来る
234 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 19:07:48.50 0
消費増税が決まりましたがこのように度重なる重税増税を課す悪政下にありながら
なんで今の日本は革命やクーデター、デモがないのでしょうか?
ちなみに自公政権民主党政権みたいな悪政三昧だった政権は世界史にありますか?
>>234 世界史いろいろ勉強してきたけど今の日本の自公政権、前の民主政権ほど
最低最悪な悪政を行った政権はないな。
年金減額、控除廃止、増税増税、物価上昇。
これで革命が起こらないのがおかしい。
低脳アホウヨはいまだに安倍の悪口いったら朝鮮人とか言いがかりつけてくるんでしょ?
本当に哀れすぎてどうしようもない。日本の糞が威張り散らすネットをどうにかしないと今の体質は変われないでしょ。
238 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 19:55:45.82 0
消費税嫌やね。もうあきらめムードだけど。
240 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 20:06:44.28 0
バシャールアサドは世界の国家指導者の中でも最も善良な部類だよ。
日本人の多くが誤解している。
何をもって「善良」とするかだな
アサド自身は開明的で有能な政治家だと思うが
やってること自体は世界で最も極悪な部類
もちろん、そういう状況になったのはアサドだけのせいではなくて、アサドはやむを得ずやってるのだろうけどね
海外の途上国から富と自由を搾取して、
国内に無産市民は増え、
一部の職業政治家が国を動かしてる
低所得者は権利や人権を叫び、
高所得者は冨を増やすことに忠実で、日本に対するロイヤリティは薄い
ポエニ戦争後のローマにそっくり
カエサルはまだですか?
244 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 20:42:24.97 0
なんだ、貉か
>>234 ずば抜けた悪政ではないけど世界史で出てくるあらゆる政権を仕分けすると
今の自公も昔の自公もこの前までの民主も悪政の部類には入るだろうな。
善政には決して分類されないだろうと思うけどね。
テレ朝記者(♀)
「復興税が目的外に使われている現状は早急に改めるべきです」
「政権交代から半年、総理は逃げるな!」
この女、政権交代したら即座に当該年予算の全ての執行を取り止められるとでも思ってるのかと一瞬思ったが多分税知識が皆無なんだろうと思い直したけど、
小娘が何様のつもりなのかと溜め息をついていたら今日の放送では
テレ朝記者(♂)
「公明党は増税に深夜まで抵抗しておりましたが、高支持率である総理の強引な主導により増税がきまりました〜」
公明党は信者に増税の必要性を説いてきたのに、今更増税撤回はできないと増税推進派だろうが…公明党が反対しているのは復興税の前倒し廃止だって〜の
思い込みや先入観で報道してんじゃねぃよ>テレ朝
で、民主党政権下に復興税予算は持て余していて財源は確保しても使い道がない→復興税の前倒し廃止
消費税増税が十七年も出来なかったのは、自民党単独ではできなかったからだろうし
マスコミも匿名掲示板もバカバッカorz
>バシャールアサドは世界の国家指導者の中でも最も善良な部類だよ。日本人の多くが誤解している。
倫敦で眼科医やってりゃ本人も幸せだろうに…
善良かどうかは兎も角、コノ雑誌、海外の萌え豚も知ってんだよなwまぁ外国人の大半は本文を読めないだろうが
http://2ch-ita.net/upfiles/file8543.png
247 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 21:07:18.13 0
アサドも安倍も目くそ鼻くその悪政
自公政権と言っても公が悪いなw
俺は信仰心はないけど創価一族だけど「池田先生にお応えするため」と言って
公明党支援しているんだよね。たまに嫌々会合とか出るけど。
えっ?日本を良くするとか国民のためじゃなくて池田大作のためなの?
つまり政治も知らない学会員がただ「池田大作に喜んでももらうため」だけに
公明党支援をしている。
申しけないけどこんなの政治じゃないし正しい選挙じゃないし民意じゃないわな。
スレチすまんでした。
残念なことに組織票も国民の票だから、それもまた民意の一つとして扱われてしまうのが民主主義の悲しさ。
金3世代もアサドもムバラクもヒトラーもムッソリーニも安倍も同じ穴の狢だろう
そもそも創価以外で公明党なんかに入れてる奴っているの?
俺のところにも学生時代の同級生とか職場の同僚とかで
「公明党お願いします」と来るけど「わかりました」とはいうけど
公明党なんか投票したことないけど。
252 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 22:06:37.10 0
金も選挙で選ばれているしヒトラーも選挙で選ばれている。
公明党政権も政治無知のカルトが教祖様のために投票しているとは言え
正当な法律に則った形で当選している以上、文句は言えない。
アメリカもメガチャーチとかいるからな。
あいつらはマジキチ。
英語は26文字しかないとか、漢字は多すぎるとかいうけど、
英語の単語の綴りを覚えるのってそれはそれでものすごく大変じゃん。
リンク踏む気はないけど
メガチャーチという字面からの印象だと間違いなのか?
中国では石垣や煉瓦を用いた、築城が進められてきたけど
日本では戦国時代の終わりまで築城といえば土塁と板塀でした。
これは戦術面で日本が劣っていたということですか、それとも必要が無かったのですか
>>257 一般に、城壁というのは外敵への備えだからね。
中国やヨーロッパなど大陸では、遊牧民やノルマン人による侵入が多くて、
かれらは攻略した都市を略奪しまくったから、それへの対策として街を城壁で囲むようになった。
日本はそういう意味での外敵はほぼいなかったし、大名どうしの争いは、一応庶民とは切り離されていたといえるね。
日本では、大名は郊外に山城を建てて、そこを防衛拠点としていた。
大名自身もふだんは城下の館に住んでいた。
戦争の時だけ山城に入った。
そういや対外戦争の元寇では石垣による長城を博多湾沿いに構築してるな。
あれも略奪対策なんだろうか?従来の土塁じゃダメだったのか
260 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 10:12:07.87 0
海岸線に土塁ってあんまり意味ないだろ。
高潮で崩れるし、水路で石の運搬も苦労じゃないし。
土塁は土を運んでつき固める手間の割りには登りやすいし、波に脆い。
戦国時代の城って作っては廃城のくりかえしでしょ。
平地に建てられるようになったのは戦国末期だし。
起伏の激しい山地にレンガを積んだところで、不定形の石を積んだほうが
崩れにくいと思うけど。
261 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 10:17:35.70 0
そろそろ日本史または戦国板でやれ
記録に残ってる中で、ヨーロッパにはじめて到達した中国人って誰ですか?
漢代にシリアにまで行ったのは確実なんだから隋唐あたりにはもういそうな気がするんですが・・・
263 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 11:38:31.98 O
日本で長城や高い城壁作っても地震台風竜巻豪雨で崩れるだろうが
>大名どうしの争いは、一応庶民とは切り離されていたといえるね。
土木工事に駆り出されたことを恨む百姓の落首がたくさん残ってるからここ間違い
265 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 12:34:56.45 0
だから、いい加減別の板でやれや
266 :
米と肉の相性は最高!!:2013/10/02(水) 13:20:34.02 0
>>58 北海道は水源豊富だかんね、寒いと虫もつかんし
上越露西亜でも栽培できる稲作はある意味究極作物
267 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 13:56:42.27 0
ショパンとかモーツァルトとかバッハとかって貴族だったの?
貴族っぽい服装の肖像画が残っているけど・・・
>>267 音楽で名をあげ、高収入になり、そういう服装ができるようになっただけ
貴族や教会周辺職業出身で最下層出身ではないが
>>268 そうなんですか。ありがとうございました。
整備開拓時代の、ドク・ホリデイのwikiを読んだら、
「引き金を安全金に縛り付けていた事で有名。」って書いてあったんだけど、どういう構造なのか想像できないんだけどどういう風にやってたの?
効果あったんだろうか?
ドク・ホリディについては、よくわかりませんが、
トリガーガードを、安全金と当てていると思われます。
一般的には、用心金です。
引き金の周りを囲む安全用の部品・部分です。固定することで、引き金を少し
引くだけで早く発射できる様にしていたという意味だと思います。
軍事板の方が詳しいと思います。
272 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 18:50:37.20 0
16〜18世紀、イタリア半島は神聖ローマ帝国、フランス、スペインの支配下にありましたが
その頃の文化財をみてもイタリアらしさを感じるばかりで対外勢力の影響を見出すのは困難です。
なぜイタリア諸国は神聖ローマ、フランス、スペインの文化的影響を排除できたのでしょう?
逆に神聖ローマ、スペインにイタリア文化の影響を見出すことも困難です(音楽を除く)。
フランスに関しては芸術面でイタリア文化が食い込んでいます。
特に不可解なのは神聖ローマ。ローマを名乗る割りには貴族がフランス語を話したり
フランス建築を真似たり、イタリア文化との関係が浅く感じられます。
神聖ローマはなぜローマを名乗る割りにイタリアと文化の融合が起こらなかったのでしょうか?
>>61 平成以降の話ですよ
数字までは覚えてないけど
きららという文字までは見たと思うよ
秋田こまちと混同してるんだろうか?
米が無くなって仕方なく買ったら
見事にまずかったのだけは覚えてるからなw
60-70年代に韓国を軍事独裁政権だと批判してきた共産主義者は、現在では一転して
韓国礼賛→日本批判というロジックを展開しています。
この教義の変更には何かテーゼや決議のようなものがあったんですか?
275 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 19:56:16.26 0
276 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 20:18:46.28 0
>>272 君君ぃ〜
文化は高いところから低いところへ流れるって相場が決まっておるだろぅ〜♪
イタリアは産業革命以前までは欧州よりも文化的優位にあったイスラム圏と海を挟んで対峙している訳で、したがって先進の文物が流れ込んでルネサンスがここから始まるのも当然の寸法って訳さ。
それにローマは西ローマ帝国亡き後も教皇猊下が鎮座おわす権威の中枢、西方キリスト教圏では何処よりも重要だ。
>神聖ローマはなぜローマを名乗る割りにイタリアと文化の融合が起こらなかったのでしょうか?
ゲルマンとラテンの融合した代物ならカルミナ・ブラーナなんかどう思うよ?
277 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 20:34:49.09 0
>>276 回答ありがとうございます。
カルミナ・ブラーナは長い間、修道院に埋もれていたのを19世紀に再発見されたんですよね。
つまり融合は起こってはいたがほとんど目立ってなかったという事例ではないでしょうか?
ローマが文化の高みであるならば、なぜ神聖ローマの貴族はフランス語を好み、フランスの建築を真似たのでしょうか?
>>272 イタリアの文化が最も花開いていたのはルネサンスで、それ以降は下降です(
少なくともそういうイメージの人が多い)。
下降期には他国の文化吸収しづらいです。
たとえば、建築であれば、
イタリアの有名な建築のほとんどはルネサンスのもの=イタリアのイメージだからです。
もちろん、ドイツやフランスの影響を受けているカゼルタ宮殿とかありますが、
普通の人は、イタリアの有名な建築にカゼルタ宮殿をあげる人はまずいません。
つまり、イタリア文化=ルネサンスで止まってしまうイメージが強い部分があります。
フランスでは、そのものずばりローマ賞というのを設置していて、
受賞するとイタリアへ留学します。このため、イタリアの影響を受けていることが
多くあります。
他国にローマ賞のような制度がおそらくありません。
イタリアからフランスに文化の中心が移動するので、イタリアをフランスが吸収し、
フランスから拡散の流れが多いです。
地理的にも神聖ローマはフランスの方が近く、ドイツとイタリアでは気候や風土が違います。
また、イタリア自身も、古代ローマっぽい古典主義的なものをつらぬいていたわけでも
ないので、イタリアをまねたらローマになるわけでもない。
そもそも名義的なローマであって、実際のローマをまねしたいわけでもないです。
フランソワ1世が、イタリア文化を取り入れたのに対して、神聖ローマ帝国皇帝が
なぜ取り入れなかったのだろうか?という疑問を持つかもしれませんが。
こういう疑問は、非常に難しいです。
というのは、実行した理由よりも、実行しなかった理由は難しい。
ブームが起きた理由よりも、ブームが起きなかった理由の方が難しいのと同様です。
何とでもいえるからです。
279 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 20:46:39.82 0
>>278 すごく納得できる回答、ありがとうございます。モヤモヤしてた部分が片付きそうです。
276さんの回答も感謝しております。
>273
そんな不確実な話を書くことに意義を見出せる御友達ができるといいね(ハァ
レベルの高いことで遍く知られている世界史板には不向きな学力レベルのようだが(w
>レベルの高いことで遍く知られている世界史板
そこ、笑うとこですか?
282 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 21:08:08.31 0
283 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 21:12:24.17 0
>>282 真面目に見ようかと思ったら、左上に1260年っ書いてるやんか……
>>274 韓国賛美というか歴史問題とかで日本を叩く為だろ。
そしてそうやって韓国を煽り、日本を叩けば、
日本人は韓国の傲慢さと捏造により韓国への感情が悪化し、
韓国も対日感情が悪化する。
そうすれば日韓双方が対立するので、有事のさいにはやくにたつ。
将軍様が南下してきても、日本が助けないだけで韓国がなくなるわけだし。
まあ韓国が反日感情で自ら孤立への道を歩んでいるのはアホとしかいいようがないが。
285 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 21:17:39.18 0
1240年だ
つまり、ホーエンシュタウヘン朝フリードリヒ2世の時代で、北の神聖ローマ帝国から、イタリア王国、南の両シチリア王国までフリードリヒの統治下
ただ、ひたすら反乱退治に明け暮れてた時期だな
286 :
282:2013/10/02(水) 21:19:38.56 0
287 :
282:2013/10/02(水) 21:21:45.81 0
>>280 唯一「おいしくない」を超えて
「不味かった」米ですからw
東北か北海道か
どちらかの米だったことは間違いないw
それに2ちゃんは辞書や新聞じゃないし
不確実な話の方が多そうだけどなw
何年前に何処で何と言う銘柄かも分からない米を食べたという感想が楽しめるとはスバラ!
ここはたのしいいんたーねっつでつね
肉魚野菜デザートならまだしも
食べる頻度の多い主食だもんねぇw
そういう食材が不味いというのは正直珍しい話ですよw
291 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 22:32:55.89 0
>>272 ベネデット・クローチェ著 ; 阿部史郎, 米山喜晟訳
『イタリアとスペイン : ルネッサンスにおける文化史的考察』
恒星社厚生閣, 1972.3
これは、イタリアにおけるスペイン文化の影響を論じた本だったと思う。
あと神聖ローマとイタリアの融合
という点では、
クラッシック音楽がまさにそれじゃないですかね。
イタリアの遺産が、ウィーンで大きく花開いたんだから。
>>267 現在でも指揮者やオーケストラの演奏家は燕尾服を着てるし。
その時代に「正装」しようとしたらそういう服装になる。
294 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 03:45:09.07 0
19世紀に産業革命が起こったとされている国は全部で何カ国ありますか?
>>267 家臣だったり、貴族の屋敷に出入りを許されてる職工商人身分だったり。
スポンサーである貴族の前で演奏やらなんやらするから小綺麗な格好をさせられている。
296 :
過疎板の過疎スレに純血主義持ち出す奴がいるとは思わんかった:2013/10/03(木) 05:03:53.82 0
確かイタリアの音楽家でランドヴなんたらってのいませんでした?
フルネームを教えて下さい
できればヴの付く名前出来事でも構いません
>>282 ポーランドから見てもうプロイセンが邪魔で邪魔で
>>297 プロイセンだけじゃなくてポメラニアとポメレリアも邪魔だろ
299 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 14:02:45.46 0
ハンガリーって長い間オーストリアに併合されていたけど
ハンガリー側にメリットあったんだすか?
それとも屈服させられていたのですか?
オーストリアとハンガリーで婚姻関係はあったのでしょうか?
円満な関係だったのでしょうか?
300 :
運営乙:2013/10/03(木) 14:07:58.14 0
>>280 258 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2013/03/14(木) 05:21:58.28
>>242 ネットストーカーの正体は2ちゃんの中の人
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1320835812/1-3 3 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/11/09(水) 20:12:36.98
491 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :2011/11/09(水) 20:05:33.59
>>489 もうやめようぜ、ネットストーカーの2ちゃん運営さん
嫌がらせの時の手口が全く同じだから、流れみてりゃ運営による書き込みだとわかるんだよ
有耶無耶にして2ちゃんの運営がネットストーキング行為をしていた事実をごまかし
逃走準備に入ったらしいが、レス読んでた奴なら普通にわかるぞ
>赤屍って共産党って言うこと??
勝手にお前らネットストーカーの2ちゃん運営がそう言ってるだけだし
お前が民主党員とか統一協会員とか言われるような立場だから自分の姿を投影してるだけだろ?
495 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :2011/11/09(水) 20:08:10.17
>>491 だから、IP見る権限なんかあるのが当然でしょw
----------------------------------------------------------------------
ネットストーキングしていた2ちゃん運営、更に醜く開き直る
301 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 14:10:34.61 0
>>297 そこはプロイセンっつっても、のちのプロイセン公国ではなく、いわゆるドイツ騎士団領だけどな
この170年後にドイツ騎士団はポーランドに敗れ、その宗主権のもとに置かれる
303 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 14:21:21.10 0
>>299 うーんと、ハプスブルク君主国って言葉があってね
別にハンガリーはオーストリアに併合されてたわけでは無いのです
しかし、ハプスブルク家の国際戦略の中に組み込まれていたのは間違いないので
様々な軋轢もありました
ただ、中央集権化が進んだマリア・テレジア女帝の頃でも、ハンガリーは独自の議会を持ち、
一定の権力、または国王権力の牽制機能を有していました
>>299 メリット・デメリットの問題ではなく、オーストリアのハプスブルク家は、ハンガリーの正当な継承者
1526年に、ハンガリーとボヘミア(チェコ)の王ラヨシュ2世(ボヘミア王としてはルドヴィク1世)がモハーチュでの
対トルコ戦で陣没し、その姉の夫であるハプスブルク家のフェルディナント1世がハンガリーとボヘミアを継承した
だから、それ以後のハプスブルク帝国の皇帝は、ハンガリー国王、ボヘミア国王でもある
こういった継承で、ある国の君主が別の国の君主にもなって、複数の国を治めることは、ヨーロッパではよくあった
305 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 14:33:44.74 0
>>302-304 ありがとうございます
どうもヨーロッパの「国」という概念が把握しずらいです
そこを克服して初学者を脱したいと存じます
>>299 19世紀を通じてヨーロッパでは、国民国家運動が広まって、
中東欧はハプスブルブ家の所有物であるという考えは徐々に廃れていった。
とくに、普墺戦争でオーストリアが敗退して、ドイツ統一はプロイセン主導で行われて以後、求心力は一段と弱まり、
ドイツ人であるハプスブルグ家がハンガリー貴族に多くの特権を認め、(自治権などを含む、)
オーストリアハンガリー帝国はドイツ人とハンガリー人による連立政権の観があったという。(このため二重帝国とも呼ばれる。)
これらは当然のことながらそれ以外の民族には不満を残すことになり、分裂の火種としてくすぶり続けた。
307 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 16:01:59.74 0
>>306 やっぱりハンガリー貴族への懐柔策や異民族の不満封じ込めとかあると理解できるんですが…
ラヨシュ2世の死によって継承権が移動したときなんか、ハンガリー人はどう新王を承認したのかなって…
近代〜現代に近づくと理解できる余地があるんですが、近世のこまごました国のことは理解不能ですわ
解説ありがとうございます
308 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 16:39:28.16 0
>>307 それは、ハンガリーよりも、ポーランドやボヘミアの王位継承追っかけてみるとわかるかも
ボヘミアなんかすごい早い段階で民族王朝断絶しちゃうし
>>307 ラヨシュ2世の没後、ハンガリーはオスマン・トルコに占領されてしまい、ハンガリー王位はハプスブルク家に
移っていたとはいえ、そのハプスブルクは最初のうちはハンガリーを支配するどころかトルコに攻められて、
首都ウィーンさえ包囲される始末だった
正統なハンガリー国王とはいっても、その頃は名目上の国王でしかなかったわけ
それが、17世紀末ぐらいにオーストリアの名将プリンツ・オイゲンがトルコ軍を破ってハンガリーを奪回、
名実共にハンガリーがハプスブルクのものになった
キリスト教徒のハンガリー人貴族にしてみれば、オーストリアは異教徒を追い出してくれた解放者だった
そもそも、ヨーロッパの王侯貴族は、国民と血縁が無い。
契約的封建関係から貴賎婚を回避する傾向があり、王妃は近隣国の王族だし、貴族は貴族で国内外問わず
近いランクの貴族間での婚姻が専ら。
民族というような、王侯貴族と民衆との間では、血縁紐帯は殆ど無い。
>>309 歴史的ハンガリー全土がオスマン朝の支配下だったわけじゃないよ?
まあハプスブルクに残ってたの1/3くらいだったけど
>>308 ハンガリー:アールパード朝
ボヘミア:プシェミスル朝
ポーランド:ピャスト朝
の三つが民族王朝だよね
アールパード朝とプシェミスル朝は比較的早い段階で断絶してしまったけど
ピャスト朝は分割相続で分家しまくったおかげかかなり遅い時代まで存続してる。
ただし断絶していないにも関わらず王位は他家に持ってかれた。
>>309 >>311 現スロバキアのブラチスラバが首都になってて
西部のある程度はハプスブルク支配下だったな
オーストリア継承戦争でマリアテレジアが演説しにいったのもブラチスラバだったっけか
>>313 うん、個人的にはプレスブルクの方がしっくりくるけどw
315 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 18:19:01.20 0
>>308-314 たくさん解説していただき感激ですぅぅぅ(涙
ただいま咀嚼中です。王族と国民の結びつきの薄さなど示唆に富む助言ありがとうございます。
プリンツ・オイゲンはここで活躍するんですね。
皆様の助言、しっかり肥やしにしたいと思います。
316 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 21:47:34.18 0
>>306 この「国民国家運動」は、
じつは、ハプスブルクつぶしのためのプロパガンダだと思う。
アメリカ独立戦争の最中に大陸会議が独立宣言を採択した狙いを、アメリカ内部の観点と対外的な観点の二つの面から、ヨーロッパ諸国、人々の結束、内乱の三つの言葉を使用し文章化して説明せよ
という問題のよい答えを教えてもらえませんか?
101-120字です
アメリカにとって独立するメリットがあったのかっていうと
人は自由であらねばならないって言う精神的な強迫観念以外には特に無い気がする
課税問題がそれを後押ししただけだよな
カナダみたいに緩やかな国になる道もあったんだし
>>317 試験のカンニングはだめだよ。まず自分で考えよう。
>>318 なんでそれだけの知識で質問に答えようとしてる(答えにすらなってないが)のか理解に苦しむ
どうして基本的な事すら学ばず世界史板で質問に応える側に回ろうと思ったのか・・・
321 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 00:53:51.64 0
まあでもいまんとこベストアンサーだもんね
318より良い回答がでるまでは
>アメリカ内部の観点と対外的な観点の二つの面から、ヨーロッパ諸国、人々の結束、内乱の三つの言葉を使用し文章化して説明せよ
英がアパラチア山脈より西への白人の入植を禁じたため、米は地続きの領土拡張が不可能だった。
ヨーロッパ諸国の都合に従わされる事に以前より強い憤りを感じていた各植民地代表は
内乱中の欧州勢の介入ができない間に史上最悪の残忍な大虐殺を計画した。ネイティブに対する恥ずべき行いは
人々の結束を喚起する最高の口実だと植民地側が確信したからである。
内心では自らの悪行を恥じ入っていた植民地側は共同正犯の主体を誤魔化すため已む無く独立を選択した。
つまり米独立とは恥と同意語としてこの後の人類史で永遠に語り継がれる事となってしまった。
>>323 旧ソ連かイラン、ベネズエラ辺りだったら表彰ものの回答だなw
アメリカはなぜ独立したんでしょう。課税撤廃要求で良かったんじゃないでしょうか?
適当だけど、いろいろあるだろね。
独立宣言により、独立戦争として人々の結束をさらに促すことが出来る。
独立国として徴兵・課税制度・大陸会議・紙幣発行など独自システム構築への正当性。
大陸会議への中央集権・権限強化・各邦の協力強化。
内乱ではないことによる軍事行動の正当性と士気の向上。
課税制度はきっかけで、もともと独立したい機運があった。
イギリス無しでもやっていけた。イギリスは不要になった。
上層部の政治的地位の向上を目論んだ。
ヨーロッパに独立国との認識を持たせる。
外国と条約が結べる。負債を借り入れられる。
独立国としてヨーロッパの戦争協力が得られる。内乱の場合、本国との全面戦争に突入してしまうので介入がしづらい。
ヨーロッパとの対等貿易が期待できる。
327 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 02:30:53.80 0
独立すれば永久的な課税撤廃が得られるし、さらに関税も自主的に決められる。
国内向けと国外向けで2つに、まとめるとどうなるんでしょう?
どういう形でまとめたいのかを考える。キーとなるフレーズを中心に
そのフレーズと関連の薄いものを切り捨てる。字数が足りないときは無理につなげ、
多めに作り、最後に字数に合わせて文字数を切り詰めればいいんじゃないの?
上のやつは、明らかにあり得ないのも意図的に混ぜてあるから注意してね。
330 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 03:04:25.74 0
大陸会議は独立宣言を採択することにより、内部的には結束を強め英国に武力を打倒する力を増し、
対外的にはこの戦いが内乱ではないことをヨーロッパ諸外国にアピールし、支援をとりつけ、また
交易相手として主権が大陸会議にあることを知らしめた。
確かにこれではカンニングと同じですね
次からは自分でよく考え
それでも理解できない部分を訪ねることにします
教えてくれた皆さんありがとうございました
>>327 関税なんて二カ国間の力関係で決まるものだから、独立かんけーねーべーよ
永久的なんて国際関係には無いわなあ。
メフメト2世のコンスターチノープル攻防戦時に使われた
「ウルバン砲」ですが攻防戦闘時に何門使われたのでしょうか?
それとウルバン報の威力・射程は資料にによってまちまち(1.6q〜40q)ですが
一番信頼できる射程はどの位なのでしょうか?
・またウルバン砲以外の砲とかを使用した形跡等ありましたでしょうか?
>>332 独立しないと力関係もクソもなく決められちゃうんだから関係なくはないだろ
336 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 17:43:27.49 0
>>332 いや独立したら永久的に英国から課税されることはないだろ なんでも文句言いたい年頃かよw
338 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 18:24:13.37 0
世界最初の宗教戦争ってどれでしょうか。
例えば、黄巾の乱のような宗教叛乱をまとっていても、実体は社会不安から
引き起こされた農民反乱、の度合いの方が大きいものは除いて、
宗教的情熱の方が他の社会・経済・民族の独立、といった要因よりも大きい
宗教戦争はどれになるのでしょうか。
>>340 宗教の定義から始めないと無理ちゃう?
あと、民族ってのは宗教や文化を紐帯とする同質性のある社会集団のことだから、
民族問題絡んだら、宗教も絡むし、まあ逆も真
>>338 ありがとうございました。
清の時代まで記録には現れないんですね
>>334 独立してなくてもカナダとかオーストラリアとか勝手放題に関税決めてるだろ。
東アジアの海には中国人海賊が跋扈してたり、ポルトガル船の奴隷になってヨーロッパまで
行ったやつなんか相当いるんだろうに記録にないのはおかしいな
日本人奴隷売買の研究が進んだのも最近だし
中国のもこれからなんじゃないかな
346 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 20:17:04.69 0
>>342 私は中国史は、素人で、これは単に、英語で、
「最初にヨーロッパに来た中国人は誰ですか」とグーグルで検索してみただけの話です。
モンゴルのポーランド侵略とか、
13世紀のイタリアでは、モンゴロイドが奴隷として、
一般的に売買されていた、という話は研究の世界じゃ常識レベルの話なんで、
もっと遡る可能性はいくらでもあると思います。
>>341 そうですね。この場合の宗教の定義は、民族を超えた改宗がなされていて、
改宗を巡る叛乱や戦争があるものです。
例えば、第一回十字軍は、食い詰め農民や下級騎士などの経済的要因も大きいと
思いますが、わざわざ聖地まで出向くという点が、宗教的要因が優位を占めているといえます。
なので、この質問においては、第一回十字軍は宗教戦争となります。
こんな感じで、宗教的動機が勝っている最古の戦争を考えてみていただけませんか。
>>344 奴隷の名前なんか一々記録に残すものなんかいな?
そりゃ、大物は時として名前が史書に載ったりするけれど、普通は一山ナンボってなものよ。
出自すら不明だよ
349 :
カモッラって闇パン売ってるの知ってる?:2013/10/04(金) 21:01:01.66 0
なんか混ぜ米なんて犯罪があるらしいけど米は混ぜたほうがおいしいって本当?
350 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 21:08:13.18 0
時代といえば時代だが、
奴隷は高価で大事な商品だから、
商取引の記録がある。イタリアだけど。
>>350 そりゃ、奴隷を何人どこそこで売った、何人買った、とかの記録でしょ?
よほど特殊な例をのぞいて、個々の奴隷の固有名詞までは、普通、いちいち記録に残らないよ
アメリカのヴァージニア植民地に初めて黒人奴隷が売られたのは1619年だが、その時の16人の奴隷の
名前なんて残っちゃいない
352 :
フランス語でロリジュンって言うんだぜ:2013/10/04(金) 21:50:07.85 0
マリーアントワネットってなんであんな歪曲された形で伝わってるの?
1600年頃のスペインで鉱山採掘の為?の奴隷として日本人が3人くらいメキシコに渡っていたってのが確認出来たと以前ニュースになってたから
記録を残してるケースだって多分あると思うわ
354 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 21:57:37.38 0
>>351 だれも固有名が残っている、とはいってないだろ。
そそっかしいな。
けど、残ってたような気もするが。
>>354 君自身にそう言っているつもりがなくても、
>>348が「奴隷の名前なんか一々記録に残すものなんかいな?」
と書いているわずか2レス後の
>>350で「商取引の記録がある」と書いていれば、スレを読んでいる人たちは
それを「奴隷の名前が記録に残っている」という主張だと解釈してもおかしくない
だから勘違いする人が出ないように、補足してあげたんだよ
それをそそっかしいなと言うとは、君こそ、そそっかしいな
356 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 22:13:20.22 0
>>347 エジプトのアクエンアテンの時代の内乱とか
アテン神信仰に宗教改革したから内乱が起こった
357 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 22:21:41.57 0
>>325 軍隊が送り込まれて生き死にを掛けた戦争になると穏健派の声なんて掻き消されちゃうんはない?
絶対的な権力を持つリーダーがいれば妥協点さがしとかあるだろうけど。
いつの世でも騒乱が起こってるときって中庸な意見なんて却下されるとつくづく思う。
>>356 イクナートンの改革は内乱となったわけでない筈なので違うと思います。
宗教的動機が最大の要因で起こる戦争って意外に見つからないもんですね。
中国の名前なんだけど、時代によって二字名や一字名の多い時・少ない時がある気がするのですが
流行のようなものなんでしょうか?
例えば後漢から西晋では史書の9割近くの人名が二字名であるのに対し、隋唐は二字名が主流で
元から明初にかけて一字名が多くなり、明末から現在は二字名が主流のように思われます。
これは何か歴史的背景があるのでしょうか
訂正
×例えば後漢から西晋では史書の9割近くの人名が二字名である
○例えば後漢から西晋では史書の9割近くの人名が一字名である
>>351 名前の残ってる有名な奴隷というと
モーセ
ハム
ハガル
スパルタクス
蔡倫
鄭和
アンルトム
エピクテトス
あたりかな。
>>361 数多くのマムルークたち、スルタンまで生んでるけど、彼らも奴隷
>>359白人らにレイプされた時代は長い名前を持つ。
漢字でアルファベットを表記するのは大変だから。
だからチャンコロ帝国の大半は皇帝の諱が複数の字を
持っている。
マムルークは奴隷ではないよ。
あれは完全に誤訳だ。
同じ基準であれが奴隷なら、稲葉正成とか朝倉宣正とか織田信照とかの附家老やら、
ウィリアム・スミス・クラークとかエドアルド・キヨッソーネとかウィリアム・ゴーランドとかの
ような明治期にいっぱい呼ばれてた外国人知識人やらも、奴隷だわな。
日本の家老や武将は人買いから買ってきた人材じゃないやろ
366 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 23:14:15.64 0
>>364 マムルークが普通の奴隷とはかなり待遇が違うのは確かだが、
一応イスラーム法的には奴隷ということで当時のイスラーム社会でも認識されてたんだから、
「完全に誤訳」っていうのは言い過ぎだろ。
もちろんイスラーム圏の他の奴隷とは色々と異なる点も多いがイスラーム法的には奴隷だよ。
マムルークは奴隷ではあるけれど、一般的に考えられる奴隷とは違って、
身分としては相当高いものがあった。
実際上は、武士であり、貴族であったといえよう。
チャンの国で「安」と「胡」という姓をもつものは
白人男性が祖先。
安はアントニウス、
胡はヘレニズム都市由来の父親、
という意味だから。
369 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 23:30:12.91 0
>>364 そもそも奴隷とは「他人の所有物として売買や譲渡の対象となる人間」のことを指すのであり、
待遇が良いかどうかは関係ない。マムルークも定義的には奴隷であり、決して誤訳ではない。
実際、当時のイスラーム法でも実質はともかく名目上は奴隷ということになっていた。
マムルークに限らず、一般人より良い暮らしをした奴隷も歴史上たくさんいる。
だからといって彼らが奴隷ではないということにはならない。
奴隷の中でも専門職、管理職は特権階級の仲間になれる
賎民のバラモンって奴だ
>>340 イスラム教のジハードはアラブ人によるたんなる征服戦争のようにもみえるな。
コーランか剣か、ということばから、宗教的色合いが強かったとはいえるだろうが。
明確な宗教戦争というのはキリスト教の十字軍が最初でいいんじゃないか。
コーランか剣かなんて俗説もいいとこ
おいおいどうした学問板
374 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 23:43:52.24 0
>>372 イスラーム教のジハードが単なる征服戦争なら十字軍だって単なる征服戦争になるぞ。
>>369嘘つきチンチャンチョン乙。
奴隷とは古代ギリシャの白人によれば「人の形をした
奴隷のこと」を
指すのだ。
「人の形をした道具」、の間違いじゃねーか。くだらねえ。
>>372チンチャンチョンの黄巾の乱は?
378 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 23:48:48.35 0
>>376 それは昔の定義だろ。現在の定義はそうじゃない。辞書引け。
379 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 23:51:52.79 0
イギリスは新大陸の植民地について、(独立戦争が起きずに時代が経過すれば)どのように統治しようと思っていたのでしょうか?
スコットランドやウェールズみたく完全に同化して、
イギリス王族が「プリンス・オブ・ヴァージニア」を名乗ったり、
ニューヨーク公爵がロンドンの社交界で優雅なキングス・イングリッシュで語らったり、
ジョージア出身の農場主が政治家となり、ビッグベンで宰相を務めたりしていたのでしょうか?
>>377 質問者がいってるけど、
じっさい黄巾の乱は王朝末期にありがちな大農民反乱でしょう。
たまたま核となった指導部が太平道であっただけだと思うよ。
それだと超人アレクサンドロスに滅ぼされた
アッシリアにキリスト信仰が生まれたのも無効になるよチンチャンチョンさん。
382 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 00:25:46.72 0
高校の世界史の参考書に出てくるレベルの歴史上の人物で
後世の研究から実在しない人物だろうと言われてるのはどのくらいいますか?
>>365 じゃあ、ダン野村が仲介してアメリカへ行った野球選手は、奴隷なのか?
>>369 マムルークはは、所有されてもなければ、売買や譲渡もされてないよ。
拘引されてきたわけでないよ。契約的封建関係を以って雇用されてはいても、自由身分だし。
>>382日本の歴史教科書をまず全部捨てろ。話はそれからだ
>>366 イスラム教の教義が発展段階が古代の終わりか中世の入り際くらいのときにできたものだから、そりゃ、
賃金や代償を以って労役の供出を約束するという形についての語彙が足らないから、従前の「奴隷」と
似たような語句を使っただけで、中身はまるっきり、封建的な主従関係、しかも双務的な契約的関係だし。
>>361で名前の挙がっていない高橋是清ですが
彼は世界的にはあまり知名度がないのでしょうか?
>>387 世界的にって言うとアフリカとか中東とかも全て含めると、(実際に調べてないから断言はできないけど)殆ど無いと言ってもいいと思うよ
他国の歴史上の首相を知ってる人というのは中々いない。
外国の首相なんて在任期間が異様に長いドイツぐらいしか覚えられないわ
390 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 07:39:18.16 0
>384
そもそもマムルークは元々「所有されたもの」という意味の言葉だ。
実際はともかくイスラーム法の上では主人の財産とされた。
マムルークを新たに雇うことは、イスラーム法の上では奴隷の購入にあたる。
もちろん、実態は単なる雇用契約みたいなものだった例も多いが、
それでもイスラーム法の上では名目上奴隷の売買ということになってた。
もちろん、マムルークの大半は買われてからしばらくすると、
解放されたので、イスラーム法の上でも時間がたてば奴隷でなくなるが、
それまでは名目上は主人の所有物であり奴隷だった。
まあ、あくまでも 名目上の話であり、実態はかなり違うが。
391 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 07:48:50.22 0
>>386 中身は確かにその通りだろう。あくまで名目上の話をしてる。
名目上はマムルークは一応奴隷であることに変わりはなかった。
だから、マムルークを奴隷と訳すのは誤訳ではない。
実態も重要だが、実態にこだわってばかりだと、
当時のイスラーム社会がマムルークや奴隷をどう認識してたか、
イスラーム法でそれらはどのように扱われたか、
ということを見失う。
日本の江戸時代は250年近く平和だった稀有な時代というのは有名だと思うのですが
お隣の朝鮮も日本の江戸時代の期間は対外戦争をしていない気がするのですが……
朝鮮の平和な時代というのはどの時代にどのくらいあったのでしょうか?
満州人に攻められて土下座してるよ
394 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 09:20:28.32 0
メフメト2世のコンスターチノープル攻防戦時に使われた
「ウルバン砲」ですが攻防戦闘時に何門使われたのでしょうか?
それとウルバン砲の「威力・射程」は資料にによってまちまち(1.6q〜40q)ですが
一番信頼できる射程はどの位なのでしょうか?
・またウルバン砲以外の砲とかを使用した形跡等ありましたでしょうか?
395 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 09:29:54.34 0
日本中国はかなり細かく文字による歴史が残っているのに
なんでアルファベットやアラビア文字が古くからあるヨーロッパや中東は
文字による歴史があまり残って無くて12世紀以前の歴史は不明点が多いのですか?
せっかく文字があるのだからもっと古文書が残っていてもいいと思いました。
朝鮮に無いのは不思議じゃないの?
397 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 10:54:33.19 0
>>395 アラビア文字自体、イスラムとともに普及したもんだけど
東南アジアとか南アジアもスルー。
紙がなかなか伝わらず貴重品であり続けたからじゃないの?
401 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 14:28:06.44 0
>>400 貴重品なら大切に保管するんじゃないの?
そもそも紙が伝わらなかったのは史実なの?
中国が没落した理由は外国からの侵略のせいなのでしょうか?
それとも、改革など内政に失敗したからなのでしょうか?
403 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 15:00:03.64 0
>>402 香港や上海をみれば判るように、外国から侵略されても貧乏になることはありませんでした。
なので内政ですね。
404 :
グリーンピア、健保の保養施設、厚生年金会館って今どうなってる?:2013/10/05(土) 15:01:02.23 0
ユダヤ人の頭にドリルがついてるって本当?
だとしたらどういう理由でドリルがついてるの?
名前欄に文章書いてるのはNG推奨
変法自強運動がもし成功したとしても欧米に肉薄することは可能だったでしょうか
407 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 16:05:29.83 0
>>406 可能だったと思います。この手の答えは単純にこうと言えるものではないので
辛抱つよく考察を重ねてください。
>>402 経済的な意味での没落で言えば外国からの侵略は一つの契機にはなった
超簡略化して説明すると
16世紀辺りから中国(当時は明)と他国との交易が盛んになっていき、徐々に海禁も緩んでくる
スペインの植民地で採掘された銀や日本の銀が中国に流入し、銀が普及するにつれて銀で税を納める税制が一般的になっていく。
清の時代でも輸出超過で銀の流入が続いていたが、イギリスとしては銀が流出するのを避けたいのでアヘンを売ろうとした。
清朝は阻止したかったが出来ず、結果的に大量のアヘンが中国に流入し、逆に銀が海外に流出した。
銀が流出した事で国内の銀が減少し、そのぶん銀の価値が急激に上がるインフレをおこし、銀で税を納める制度が被害を受けた。
また銀は当時の中国国内で交易を行う商人達の決済の手段としても使用されていたが、急激なインフラの為に流通網が被害を受けた。
ちなみに明後期から清の初期辺りに地域毎にある特定の作物なり製品を生産してそれを国内で循環させる経済圏が構築されていたから、それが機能しなくなることで経済的に打撃を受けた。
それと同時に民に課せられた税は銀の価値の上昇によって急激に増加していったから民の税負担が急激に増えた。当然の結果として社会不安が蔓延した。
こうした中で徐々に経済力が衰えていく、経済が衰えれば民衆の社会不安は増大し、反乱を起こす事になり、反乱は経済を衰えさえ・・・の悪循環に陥った。
内政に失敗したのが原因かと言えばそうとも言えるし、外国からの侵略が契機になったかと言えばそうだし・・・
まあ、これは衰退の始まりの段階だからね・・・
>>401 史実なのと訊かれると答えようが無いが、紙の製法が西方に伝わったのは唐の時代の事とされている。
タラス川の戦いでググれ。ヨーロッパに伝わるのはもっと後だろう。紙自体はもっと前に伝わっているだろうね。
紙は貴重というか僅かしか無いから記録自体出来なかった、という事はあり得る。
>>409 紙が無くても獣皮を利用して記録するのは中東から欧州では当たり前だったはずなんだけどね
エジプトにはパピルスもあった
>>392 モンゴルに完全制圧され、明清に継続、属国期間は約650年じゃなかったかな。
国王の子供は北京で人質生活、気に入られたのが帰国して後を継いだ。
ソウルに迎恩門というのがあって、中国から使者がくると、国王はそこで土下座して出迎えた。
>>410 確かに羊皮紙の写本はそれなりに残ってるけど手間が全然違うから
やっぱり貴重で高価である事には変わりない。
パピルスはまとまって出土したとかあまり聞かない気がするけど、
乾燥し過ぎて風化して残ってないのかもね。
>>395 残ってるだろ。日本語に翻訳されていないだけで。
>>412 まあ、高価でないとは言ってないw
記録を残すための道具が安価に大量に出回るようになったのは近代以降だろうしね
416 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 21:29:53.40 0
>>395 そもそも質問の前提がおかしい。単に日本ではあまり知られていないだけで、
ヨーロッパや中東だって12世紀以前の歴史は詳しく分かっている。
中国側の史料しか残っていない3世紀の日本なんかよりも、
同時代のヨーロッパにあったローマ帝国の方がよっぽど詳しく分かっている。
あなたが知らないだけで、中東やヨーロッパだって古くから記録は残ってるよ。
まぁ、王朝ごとに正史を残す習慣のあった中国もかなり史料の残っている地域ではあるが。
417 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 21:38:43.50 0
そのような資料を駆使してローマ帝国衰亡史が・・・
418 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 22:02:59.59 0
ところで、パピルスって割と見つかってない?
文献資料的な意味で
イギリスのジョンやヴィクトリアのように歴代で同名の王がいない場合は、
普通「1世」をつけないと思うのですが、
現スペイン王のフアン=カルロス1世はなぜ1世がつくのでしょう?
>>395 楔形文字もヒエログリフも知らんのか。
古代ローマのラテン語文献もあるし。
そうだっけ?調べてみたらナグハマディ文書とかオクシリンコスパピルスとか見つかってるようだ。
422 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 01:07:25.50 0
>>419 たしかに不可解だ 二世の即位があって初めて1世なはずじゃ
>>419 たぶん、本人が、1世をつけて名乗っているから。
ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世とか自分で1世をつけています。
>>421 これから何代も続きますように、って意味あいで一世とつけたり、有能な君主に対して再来祈ってつけたり、
あとは、泊付
あと、一代目が居なければ二世はない、ってのは間違いで、ダライダマには一世がいない
425 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 08:03:12.39 0
僕ぁさあ、ボカサ1世と名乗ることにするよ
426 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 10:19:58.62 0
俺はボカサ3世!
コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認した時、(313年ミラノ勅令、)
帝国内のキリスト教徒と非キリスト教徒の人口比は大体どれくらいだったのでしょうか。
428 :
419:2013/10/06(日) 16:24:07.18 0
皆さんありがとうございます。勉強になりました。
429 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 17:01:29.56 O
>>427 ロドニー・スタークの最近の研究によると、
ミラノ勅令(313)直後の時点でキリスト教徒はローマ帝国全人口の17%を占めるまで増加していたそうです。
430 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 17:10:44.62 0
>>429 横レスだけど、そんな少ないんだ!過半数あると思ってた。
なんでキリスト教みたいな邪教集団がローマで数を増やしたの?
教義が単純だから?
たった17%しかいないのに伝統的な祭儀を捨て去るというのも凄いな
433 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 18:09:17.21 0
ミラノ勅令の結果急速に信者が増えていってテオドシウス1世の国教化のころには7〜8割
>>432 その時点では、まだ伝統的な祭儀を捨てたわけじゃない
ローマの神々への信仰とは別に、キリスト教の信仰の自由が公式に認められたってだけ
>>390 現在のプロ野球だって球団は選手を“保有”してるけれども、プロ野球の選手は奴隷か?
>>392 国としては戦争していても、一部の地域が戦禍から無縁なんてことは、よくあるじゃん。
朝鮮なんて、そういう、地域だらな。明国や清国に定期的な挨拶と納税(貢納)をすればほっといてもらえていた自治領。
明国も清国も朝鮮に要求する税として人的資源も獲ってたから、これが戦争に投入されてれば無縁ではないとも言える。
支那は伝統的に兵員は中央直轄でなくて、高官の私兵だから、なかなか記録に詳細が残らない。
>>395 たとえば、エジプト。ナルメル王からカイサリオン王まで3000年分王様の名前が残ってるのに、文字の記録が少ないのか?
カイサリオン王から現代まで2000年ちょいだよ。紀元前の方が歴史が長い
438 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 21:17:34.14 0
>>435 マムルークは当時のイスラーム法の上で名目上は主人の財産という扱いだったが
現在の法律で、プロ野球選手が球団の財産という扱いになるのか?
日本の民法における所有権の対象にプロ野球選手は入らないだろ。
自分が知らない=存在しないという思い込み
こわいな、こわいなぁ〜
440 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 22:03:39.33 0
>>437 その3000年分の王の名前はわかっていてもその王がどんな統治をして
その王の時代がどんな時代でなんて細かく分てってないから説得力なし。
日本は神武から今上まで各歴代天皇の血縁から実績からその時代背景まで
全部細かく文書に残ってわかっている
欠史八代も有るけどな。
442 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 22:10:40.00 0
>>440 寝言は寝て言え。神武なんてほとんど伝説だし同時代史料は全くない。
古事記や日本書紀はかなり後世に書かれたもので信憑性は微妙だ。
エジプトの王は業績の良く分かってないやつも確かにたくさんいるが、
詳しく事績が分かっているやつもたくさんいる。
それに比べて、エジプトにアメンホテプ4世のいた頃と同時代の日本なんて全く記録に残ってないがな。
縄文時代に名の有る人が存在したら逆に驚くわ!!
まじめに取り合うのもあほらしい……
エジプトを例に出すならマムルーク朝時代は日本で言う鎌倉中期〜戦国時代初期にかかるけど
マムルーク朝エジプトよりも日本の方が文献資料も豊富なんだけどな。
はっきり言ってマムルーク朝なんてアラビア語というのがありながら記録があまり残ってない。
446 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 22:28:43.95 0
>>445 日本であまり知られてないというだけでマムルーク朝も結構史料残っているし、
割と詳しい歴史が分かっているぞ。マムルーク朝に関する論文をググると、
日本語でググったとしても、かなりたくさんの資料が残っていることがうかがえる。
当時の社会や政治について結構研究されていることが分かるぞ。
話変えて悪いがエジプトと言えばマムルーク朝後のオスマン帝国下の歴史に興味ある。
なんかで読んだけどオスマン帝国下でのエジプトはオスマン政府の派遣する総督と
いくつもの有力マムルーク軍団が争っていたそうだけど日本語ではあまりこの辺の
ことを書いたものがない。
三戦住民としてはエジプトの戦国時代にも興味ある。
マムルーク朝なんて、ヴェネツィアの資料やらなんやら山盛りだろうに…
というか日本中国が以上に歴史資料が残っている、残り過ぎているんだよ
なんかの本で読んだけど小さな小島の国ナウルも13の部族が争う戦国時代があったんだってよw
そこに列強が介入して最終的にはドイツ領になったけどそもそも英語でもナウル史の本はない
>>450 あまり
w ← これを使わないように。ナウルの人に失礼だよ。
ナウルのようなクソ怠け者でも拠り所となる部族があって戦争までしてたんだぞ。
とある台湾人から、「日本は我々中華民族が創造した。」と言われました。
まず、第一に、これはどの程度信憑性があるのでしょうか?
また、中国をはじめとした中華圏ではどの程度この説は信じられているのでしょうか?
中華思想的に考えれば、このような言説は特別なことではなく、日本以外の周辺諸国にも同じようなまなざしが向けられているのでしょうか?
現在の中国は日本が作ったという説ぐらい信憑性があります。
日本でこの説が信じられているくらい信じられています。
「社会主義」を創造したのは日本人だからな。
457 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 04:20:36.35 0
稲作が基盤になっているからでしょ。稲作が中国から伝播したからという根拠。
中国人は誰しも自分たちが文明の中心だと思い込んでるんでしょ。
458 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 05:07:51.30 0
>>272 >神聖ローマはなぜローマを名乗る割りにイタリアと文化の融合が起こらなかった
亀レスだが、カロリング・ルネサンスとかあるだろ
>>454 金印もらって喜んでる国だからな
>>454 中国人は漢字を使っている、使っていた連中は全部中国人だと思っている。
日本も中華文明を継承していると思っている。
これはわりとマジで。
ちなみに白人も日本人って中国人が移民したんだろとか思っている。
これもわりとよく聞く。
460 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 07:39:49.03 0
まあ、中華「人民共和国」の鉤括弧部分が日本生まれなくらいにはつながりが深い国である
あと、漢字文化圏=歴史的極東(中華)文化圏って見方は妥当性なくもない
>>457 けど、秦漢の時代に稲の評価は蕃夷の穀物。
真人間は、粟、黍、麦(大麦)を食べるという認識。
領地の経済規模や官吏の俸給も粟の量に換算。
462 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 07:45:58.71 0
>>457 水稲耕作の源泉は東南アジアだろ
稲って熱帯性の植物だぞ
>>457 陸稲、そしてそれから生まれた水田稲作はどちらも中国南部あたりとされているが、
だが当時中国人なんてそこにはいなかったんだよ。
黄河流域が祖先とされるのでむしろ米はあまり食べてなかった。
>>462 中国南部は温暖湿潤、さらに当時は縄文海進の時代でかなり暖かかった。
464 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 08:11:59.53 0
>>463 もちろん華南は今でも温暖湿潤だが、水稲耕作が東南アジア発祥なのは変わらん
465 :
457:2013/10/07(月) 08:41:45.53 0
じゃあ稲作は中華文明ではないことの証拠だし、
漢字は、漢字以前に大和王権は成立してたから根拠になりえないってことで。
>ちなみに白人も日本人って中国人が移民したんだろとか思っている。
別に間違いじゃないんじゃないんの?
467 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 09:14:15.48 0
当たってるとも間違ってるとも今は断言できないのだ
縄文人と春秋戦国の時代にすばらしい創造性を示した原中国人の子孫が日本人じゃねーかな。
原中国人は大陸ではほぼ死に絶えた。
>>468 煽るつもりじゃないけど、春秋戦国時代の人種が現代中国と違う人種というのはネトウヨがよく言う理論だよな。
中華文明を実質的に作った周だって西からの征服王朝なんだから「原中国人」などという人種はそもそも存在しない。
それに、日本人のルーツ説の一つと考えられてる越・呉はそもそも文化も中国人ですらない
氷河期に大陸と繋がっていた時代にシベリア方面から多様な人種が流入して定住したんじゃないかな。
その後大陸とは切り離されて、ガラパゴス化して、原日本人(縄文人)が成立したと。
その後航海術の発達とともに、漢化される以前の呉人や越人といった江南人が入ってきて稲作を伝え(第二波)、
いまの日本人の原型ができたと。
要するに、他人だな。
472 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 09:56:35.02 0
人種と民族の区別すらついてない無知は放置の方向で
縄文人
というのは、人種? 民族?
474 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 11:09:33.68 0
>>473 どういう文脈でその言葉を使うか、による
縄文文化(と呼ばれる一定の共通文化)を持つ人々の集団、なら民族
生物学的な共通項を持つ縄文時代に日本に存在した人々ってな話なら人種
でも後者はオカルト文脈でしか使われない
一定の共通文化って・・・・・縄文時代に同時代で共通していたものって、土器の技術水準くらいだろ。
それで民族なのか?
楔形文字を粘土板に書くから、アカディア人もシュメル人もヒッタイト人もペルシャ人も同じ民族なのか?
476 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 11:34:11.69 0
>>475 そだよ?
民族もカテゴライズするレイヤーによって区分が変わってくるから、例えば縄文文化の下に、さらなる小分類が勿論あっただろうね
ちなみに土器に関しては、技術水準ではなく、製法や装飾に一定の共通項がある
だから縄文式土器って呼称するのさ
人種はこれとはまったく別の分類になるから被せられんけど
まあ民族も人種も極めて社会学的な分類だからな
生物学的な根拠なんてあるようで実際はないに等しい
478 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 12:05:48.18 0
>>478 そうそう。冒頭の記述が的確だね。
>人種(じんしゅ)とは、ヒト・人間を分類する用法の1つである。 生物学的な種や亜種とは、異なる概念である。現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しない。
生物学的な根拠なんてないのに、何か絶対的な違いがあるかのように錯覚してるアホの多いこと
例えば「大和民族」と「朝鮮民族」の生物学的な違いなんてありゃしないのに、何か絶対的な違いがあると思い込んでたりw
中米の文明って、ヨーロッパ人が侵略してくるまで鉄器どころか青銅器も発明してなかったらしいけど
一応社会制度が整ってはいるのに、青銅器ひとつまともに作れないってどういう事なんですか?
?
インカもアステカも青銅器使ってたぞ?
482 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 13:14:22.07 0
黄銅鉱の鉱脈を見つける運次第
以前は当然のように認知されていた「蒲寿庚はアラブ人」が近年になって覆されましたが、
かつてどのような根拠でアラブ人とされ、
またどのような発見があってアラブ人でないことが裏付けられたのでしょうか
ムガール帝国の歴史見てると、サイイド家と称する家によって皇帝廃位が多く行われてるんだけど
このサイイド家ってどういう家なの?サイイドというぐらいだから宗教指導者?
サイイド朝ってあったよね。
デリー=スルタンの時代だから関係ないかもしれないが
サイイドて預言者の子孫という意味じゃなかったけ。
>>479 ん?日本人のトップでは黒人のトップには100mではどんなに頑張っても勝てないだろ。
均一で差がないわけがないだろうが、
北方の人間はベルクマンの法則やグローシャの法則、アレンの法則により、
必然的に体は大きくなり、体毛は薄くなり、表面積は小さくなる。
生物全般に当てはまる法則が人間にだけ当てはまらないわけがない。
実際人間でも南方のほうが体は小さく、北方のほうが体は大きくなる。
耳など外部に出ているものにも多少の差が出てくるし、骨や歯の数も異なる。
ほかにも東洋人は頭がでかく、体は逆に小さめ。ぶっちゃけスタイル悪いね。
体の大きさが違えば身体能力にも当然差がでる。
生殖器とか倍以上差があるしw
日本鹿でも大きさや色などにより亜種として分類されている。
人間だけ分類をしないというのは差別とかうるさい連中が多いからだよ。
黒白黄色は全部違う種だよ。
宇宙人がいたら犬の犬種のように別々に登録するだろう。
>>489 >日本人のトップでは黒人のトップには100mではどんなに頑張っても勝てない
それ、大嘘
現在勝てないのは生物学的要因ではなく社会的要因というのが科学的定説
現に黒人が「早く」なったのはここ百年に満たない現象にすぎず、同じ百年で日本人が逆転することも可能性としてはありうるとされてる
あんたのその思い込みは
「日本人のノーベル章受賞者の数はユダヤ人受賞者の数に遠く及ばない→日本人はユダヤ人よりバカ」
って言ってるのと同レベル
黒人と東洋人とで長さや距離が変るの?
>>489が生物学的に劣等なのは確定的に明らか(爆)
まず民族と人種はちゃんと分けて考えよう!
民族と人種を同一視するとヒトラーみたいなとんでも人種理論に到達しちゃうぞw
そもそも人種なんて定義しようが無いだろ。
物理的にも生態的にも隔離されてないのに。
ところが民族も人種も恣意的分類に過ぎないから人によって定義が違いすぎて
キッチリ分けて考えることなんてできないんだな、これが
例えば肌の色による人種分けをした場合
コーカソイドとネグロイドの差よりネグロイド間の差の方が遙かに大きくなりがちでまた多様だだということが遺伝子研究で示されてる
肌の色による分類は「犬を『チワワ』と『チワワ以外』に分類しよう!」と言ってるようなものなんだよw
496 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 17:18:32.56 0
>>495 民族は生物学的な要素は全くなく、社会学的な分類だから、その意味では恣意的だろうが意味はある
もう民族じゃなくエスニックグループって呼べばいいんだよマジで
>>496 確かに、そういう意味では意味があるわな
質問があります。
モスクワ大公国といいますがなんでモスクワ王国じゃないんですか?
王と公の違いを具体的に教えてください。
初邦訳のときにやっちまった
王と訳しても構わない称号だったのに、何故か大公と訳してしまった
以降、そのまま使ってるだけのこと
>>490 ありえないな。これから黒人全体の生活レベルがあがり、競技人口が増えてくれば、
その差はますます開く一方。
昔黒人は遅かったわけではなくて、ただ白人に比べて競技人口や教育環境が不適切だっただけに過ぎない。
その障害が減ってくると黒人が独占してくる。
ノーベル賞などの賞の場合は選んでいるものに偏りがあるからだよ。
そしてユダヤが頭いいのを否定する人間もいないんじゃないのか?好き嫌いは兎も角。
比べるならIQテストなどだろう、もっともこれをみてもユダヤの数字はとても高い、黄色人種もやや高いけどな。
これは頭が大きいからだろう。
>>495 黒人の間でも大きな差があるのは否定しないよ。
>>498 ルーシやポーランドの貴族の称号のкнязьやKnia?が、西欧のPrinceやDuxと同格とされていて、
その漢訳が、公・大公。
遡って小国乱立時代のロシアのкнязьも同じ訳が当てはめられて、モスクワ国の君主がモスクワ大公、
モスクワ大公の支配する領域がモスクワ大公国。
>>500 ユダヤ人は黄色人種に分類されていたけれどな。
今では骨相による区分でのコーカソイドで白人度同じ区分にされてるけれど、
西欧圏ではユダヤ人は白人の範疇に入れてないよ。
黄色人種はネオテニーだからな。
その分身体と脳の発達は遅れる。が適切な教育を施せば頂点は他の人種より少し高い。
最も人種差よりも個体差の方が大きいのは変わらんけど。
>>495 どういう趣旨か理解に苦しむが、チワワとそれ以外という分類は、チワワなるものを確定するという意味では意義があるのでは?(もっとも、分類学は「それ以外」なるカテゴリーを積極的には採らないであろう。)
また、一般にAとBを分類する作業とBが極めて多様であるという主張は両立し得ると思う。
結局、文化的に形成された部分は認めた上でなお、「悪しき優生学」を警戒しつつ形質人類学などの所見も取り入れて行くのが穏当ではないか?
>>498 ロシア語の「クニャージ」は、ドイツ語のケーニッヒや英語のキングと同じ語源に由来しているので
本来は「王」なのだが、キエフ・ルーシ時代ですらロシア各地にその称号を名乗る領主が乱立していた
さらに、後にロシアの君主の称号が「ツァーリ」(皇帝)になると、一部の男性の皇族に「ヴェーリキー・
クニャージ」という称号が与えられて、それを英語では「グランド・デューク」と訳すことが多かった
そのため日本語でもこれを「大公」と訳したのだと思われる
それで、「クニャージ」=「公」ということになってしまい、初期の王国まで「大公国」となってしまった
506 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 18:47:16.19 0
これだよ……
社会的偏見と無知はなくならないけど、まともな顔して入ってくんなと
ユダヤは宗教とそれをもとにした社会習慣を紐帯としたエスニックグループであって人種じゃねえよ
いい加減にしろ
507 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 19:52:35.07 O
ユダヤ人はナニ系かで差があったはず、優秀なのはアメリカにいき無能なのはヒトラーに淘汰されたし
>>503「人類=猿ネオテニー進化仮説」自体が生物学者から疑問を呈されているようだから、
人種に関してネオテニー概念を持ち込むのは(それはそれで示唆的で興味を誘うけど)、
科学的事柄として持ち込むのは待ったほうが良いのでは。
nationはmodern-nation-stateとの関連で使われる概念なので、
ethnic-groupを客観的単位として使うのが最も解りやすいと思うけど、
留学先の大学では特にアフリカ系学生の中に、
ethnic-groupはnation-stateを作れず少数民族の地位に甘んじている社会集団とみなし使うのに抵抗を感じる学生もいました。
新日のイメージがある「トルコ人」も、実は無数とも言えるethnic-groupで構成されてますよね。
509 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 20:27:58.44 0
モスクワ大公国の質問に乗っからさせていただきます。
ミラノはどうして王国でなく大公国なんでしょうか?
イタリア(フランスやドイツも)では土地に爵位が定められていますが、
それはどんな由縁でそう決められたんでしょうか?
勝手に王国を名乗ることは出来ないようですが、もし勝手に王を名乗ると
どんな制裁がくだるのでしょうか?
アシュケナジム(単数形アシュケナジ=東方ユダヤ人)に知能の高い個体が統計学的に多い理由として、
J・ハーディは、
彼らは神経細胞内のスフィンゴ脂質の量が多く、
これに起因する諸疾患の羅患率が一般ヨーロッパ人の100倍以上で、
この脂質が神経の樹状突起の増殖に寄与している事に注目しているらしいけど、
一次資料にたどり着けなかったので、おもしろ情報としてお伝えするに留めます。
511 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 23:10:55.92 0
なんで同じ民族って同じ顔してるの?
兄弟?
512 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 00:36:21.37 O
猿の子供と人間の子供はそっくりなんだよな。
>>509 質問には答えられませんが、中世の特にイタリアでは、
爵位と実際の政治的影響力は違いますよね。
一般にイタリアの公国は王権の権威が(形式上はともかく)届かない「国」です。
大公は基本的に国王・皇帝の親族関係にある場合使われる事が多いですが、
大公と大公国は必ずしもエキヴァレントな関係にある概念ではないようです。
ミラノ公国をミラノ大公国と呼ぶ根拠は(手元に資料がない事もあり)よく解りません。
イタリアにおける爵位・爵領は、
遡ればフランク王国の分裂・崩壊から教皇領・神聖ローマ帝国の興隆を経る中で、
「豪族」がそれぞれの戦略に基づいて選択した/選択させられたものだという事。
中世イタリアで最も独立心が強く由緒ある家は、低い爵位にあえて留まり、伯爵や侯爵を軽蔑していた節があります。
以上、全然質問に対する答えになってませんが、
徒然なるままに、よしなし事を述べてしまいました。
514 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 03:03:21.87 P
>>511 お前が通った学校はみんな同じ顔してたか?
>>469 ネトウヨの俺から言わせてもらうと、中国人と血縁関係にないほうが嬉しいので、
弥生人がたぶんいたとされる当時の中国の長江以南は漢民族じゃないほうがいいんだけどな。
日本は中国の文明文化とは関係ないのがいいんだよ。
ていうか枝分かれした種とかいう話になってくると、あいつらは領有権を主張してきかねない。
>>508 ネオテニーだと考えるとわりと納得なんだがな。
とくに黄色人種の新モンゴロイドはその傾向が強い。
成長が遅い、身体能力は低めというか、頭が大きめなのでどうしてもそうなる。
脳の大きさは=ではないがある程度相関関係がある。
また筋肉なども貧弱であるし、骨格や肉のつき方でどうしても嫉妬するくらい差がある。
体は小さめ、コーカソイドは寒冷化への耐性として巨大化したのと比べて、
同じく寒冷化に適応したモンゴロイドは逆に小さくなっている。
経年劣化が少し遅い、寿命が少し長い、これは外国人が日本人によく言うこと。
肌年齢とかみてると実際差がある。
これらを未成熟で生まれて来て、環境適応や成長の余地を増やす為と考えると納得。
また知能指数は平均的にかなり高い、欧米のトップクラスの知能指数の人間に、
むこうではかなり少ないアジア系がかなり比率が多いのを考えるとね。
アジアは教育熱心だからと言われているけど、教育で伸びる余地が大きいからそうなっている。
またきちんと教育しないと発達や自立が遅い分ダメな子になる可能性が大きいので、
経験上そうなってしまっただけの気もする。
否定するものもあるんだろうけどさ、やっぱり俺はこれを押すね。
まあここまで来ると人類学や生物どーこーになって板違いだけどさ。
517 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 08:58:15.76 0
>>516 妄想垂れ流すのは別のとこでやれ
できれば人のいないところで
古代メソポタミア(主にウルク)の風俗や文化に関してオススメの本があったら教えて下さい。
史実かは不明ですが、ギルガメシュ叙事詩の頃の時代について知りたいです
519 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 13:09:17.68 0
>>513 >爵位と実際の政治的影響力は違いますよね
はい、ミラノ王国でもよさげなのにミラノ公国となってる理由を知りたかったのですが…
プランタジネット朝だけなんで紋章の絵柄で呼ばれるのでしょうか?
>>519 たとえば、日本で戦国大名の1人が、自分は領地も広いし軍事力も強いからといって、特に正統性もなく勝手に
自分は征夷大将軍だとか関白とか名乗ったとしても、朝廷が認めなきゃただの自称にすぎず、他の大名から
失笑され、攻撃の大義名分にされるだけでしょ?
称号を名乗るには、それなりに正統性が必要で、前近代の日本の場合はそれは朝廷による任官
それと同様に、中世のイタリア北部ならば、公爵とか王とかの称号は神聖ローマ帝国に認められなきゃ正規の
ものではなかったし、近世ならイタリアの他の国々に国際的に認められる必用がある
ミラノの領主に公の爵位を与えたのは、神聖ローマ皇帝ヴェンツェルだ
その後、スフォルツァ家がミラノ公を乗っ取ったが、ローディの和(1454年)という条約でイタリアの他の国々から
スフォルツァ家がミラノ公として承認された
522 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 14:20:42.36 0
>>521 承認作業とか位の授与がハッキリあるとは!勉強になりまいた。ありがとうございます。
523 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 14:39:27.22 0
>>521 教皇が補任する場合もあるんやで
まあ、皇帝の代理を勝手に称してやるんだがw
男の宦官はなぜ生まれたのでしょうか?
皇帝の女に手を出されたくなければ、女に宦官の仕事をさせれば良かったのでは?
>>514 ほとんど同じ顔してたよ。
違う顔のやつを排除してきたから、同じような顔になったのかな?
526 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 16:41:30.89 0
余談ですが、
日本の天皇制/律令制は極めて特殊で、
律令官位官職の権威は、
武士の登場期には全土(東北北部は鎌倉後期)で地位を保証する根拠となっていて、
明治維新に至るまで、律令が唯一の正統な権威でした。(つまり明治維新まで日本は律令国家)。
中世イタリアにおける神聖ローマ帝国の位置、彼らの与える爵位爵領の権威(とその限界)は、
日本の官位官職とは全く異なります。
(続く)
(続き)
特筆すべきはBarone(男爵)と、その由来(元々は自由民と言う意味で、土着の豪族であり、厳密に言うと本来は皇帝や王から授けられたものではない)。
公爵の起源は、ローマ帝国が(最初は地方指令長官に)、後に領内の異民族の首長に与えた称号(Dux)。
伯爵はDuxが部下に与えた称号Comesが起源。
侯爵と辺境伯は、ともにフランク王国が国境守備隊長に与えた称号Markgrafが起源。
これらは世襲化され序列化・固定化され、
時代によってはそれぞれ独立国の様相を呈したりするわけですが、
そんなわけで、イタリアにおけるBaron(男爵)は、
「お前ら侯爵や伯爵とは違う」
という独特の気風を持っていたようです。
追記
童話や小説などでも、自由な気風を持つ主人公は男爵である場合が多いようです。
例:カルヴィーノ著「木のぼり男爵」
余談ばかりすみません。
>>527 何言ってんだこいつ
世界から見たら汚シミのような極東の島国の土人の制度が「極めて特殊」なのは、当たり前だっちゅうのw
「正統な権威」なんて成り上がりの武士どもからガン無視されてっから「下克上」と呼ばれてた、
つうことも知らんとは、無知とはオソロしいw
それに律令制とは奴隷制でもあるので、日本は奴隷制国家でもあったわけだw
だからいたいけな朝鮮人たちを強制連行して性奴隷にできたわけねw
↑そうか、水木しげる先生の名作、「姑娘」のような世界だったのか。
項羽と劉邦のマンガを読んでたら、范増が劉邦を漢中に封じるよう勧めるシーンで
「まさに左遷でございます(*咸陽から見て西=左に遷すの意)」とか書いてあったんですが
中国の地図はこのころから北=上だったのですか?
唐突に
>>530のような下品な口調の人が乱入すると、引くなあ…。
>>527さんが言いたかったのは、明治維新まで、ほとんどの肩書きは元を辿ればその正統性の根拠が朝廷にある、という事だと思う。
確かに「律令」という言葉を安易に使うのはやや問題だけど、
>>530さんの「…下克上と呼ばれてたっつう事も知らんとは、無知とはオソロしい」
というセリフを読んで、人々が憐れみを感じるのは、
>>527さんに対してではなく貴方(
>>530)に対してだという事に、気付きましょうね。
534 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 20:05:56.52 0
おっと、そうだ
イタリアの爵位については基本的に西ローマ皇帝の後継を自称するドイツの皇帝がそれを認めるわけだけど、例外もある
例えばヴェネツィアはダルマチア公爵の称号を持っていたけど、これは(東)ローマ帝国によって正式に与えられている
まあ、イタリアは複雑で、一概には語れない部分あるよね
>>518 中公新書「シュメル」(小林登志子)とかどう?
>>533 横からだが、口調は下品でも
>>530の内容は別に間違っていないと思う。
>>527の「肩書きの正統性の根拠が朝廷にある」というのは、
しょせんは極東のローカルルールにしかすぎず、
しかも律令制なんて中世以前にすでに形骸化してしまっている。
だから建武の新政なんてもので復古しようとする騒動が起きてしまうんだが。
その程度のものを恐れ多くも神聖ローマ帝国の権威と比較しようなんてことは、
「まさに無知」としか人々の憐れみをさそうことでしかないであろう。
まあ本人も「たかが余談」と認めていることだから、あまり目くじらを立てたくはないのだが。
公爵にはプリンスとデュークとふたつあるね。
プリンスは王子だけど、デュークは部族大公でプリンスと同格の格式を認められた部族の首長の末裔であるということ。
伯(=カウント、グラーフ)はその下の地方官。男(爵=バロン、フライヘア)というのは国王から不輸不入権を得た一本(独鈷)の大領主という意味。
当初はこの三つしかなかったが、ドイツで辺境伯(=マルクグラーフ)が作られると、伯より格上の大地方官として侯(マーキス)が作られた。
子(爵=ヴァイカウント)というのは宮廷貴族で王の官僚として勢力を成した人たちのことをいう。
539 :
538の添削:2013/10/09(水) 21:45:54.23 0
公爵にはプリンスとデュークとふたつあるね。
プリンスは王子だけど、デュークは部族大公でプリンスと同格の格式を認められた部族の首長の末裔であるということ。
伯(=カウント、グラーフ)はその下の地方官。
男(爵=バロン、フライヘア)というのは国王から不輸不入権を得た一本(独鈷)の大領主という意味。
当初はこの三つしかなかったが、ドイツで辺境伯(=マルクグラーフ)が作られると、伯より格上の大地方官として侯(マーキス)が作られた。
子(爵=ヴァイカウント)というのは宮廷貴族で王の官僚として勢力を成した人たちのことをいう。
>>532 中国では「君子南面す」と言って帝とか王とかは北に居て南に居並ぶ臣下に君臨していたので
北が上だったんじゃないでしょうか。ですが地図の事は判りません。
日本と中国と西欧とイスラム世界とそれぞれ「独自」の官職制度があるのは当然。
一方から見たら他方は「特殊」になるのは当然。
542 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 22:27:12.10 0
プリンスを王子の称号として使うのは、むしろ後付けじゃないのか?
本来はプリンチペ「第一人者」由来の独立した有力者の称号だろう
543 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 22:33:16.01 0
あと、ドイツの伯は、部族大公を監視、牽制するために皇帝が配した皇帝直轄の官吏が
由来だったりするので、一般的に部族大公の配下とすることはできない
その古き良き伯の流れを引き継いたのが、唯一残ったライン宮中伯(プファルツ選帝侯)
べつに日本の例をひきあいに出して西洋の官職制度を説明しただけなのに
口から泡飛ばす勢いで食ってかかるバカは放置しておこうよ
>>524 牧畜文化では種雄以外を去勢しておく事が日常だったから
あんまり違和感が無い上に、男手はやっぱり必要だからね。
>>540 右京が西、左京が東だろ。
南面してるんだし。
>>532 洋の東西を問わず、地図は北が上ということになっているね。南半球は別として。
方角に関しては、北極星が中心ということになるんじゃないかな。
まあ、やはり、北が上でないと使いづらいんでしょう。
名簿なんか書く場合、
たいてい、序列の高いものから書くでしょう。
縦書きの場合、右から書くのがふつうだから、
右のものが上位者ということで、
左に書かれたら降格ということになったんじゃないの。
>>548 そんなことはない。中世イスラムの地図は北が下となっている。
>>548 昔の日本の地図でも北がしたなのを何枚か見たことある
>>548 太陽の南中する方向、昼間に光の来る方向(つまり、北半球なら南)を上に描くのは、それはそれで自然だ
また、街中とか駅の壁とかに固定されている地図などは、北を上にするよりも、その地図を見た時の方向を上に
した方がわかりやすい
北が上でないと使いづらいなんてことはないし、そのように思えるのは、単に現代の我々が、北が上の地図を
見慣れているからにすぎない
静岡県周智郡森町では慣例なのか、東を上にする地図が使われ続けています
地図メーカー大手のゼンリンも東を上にするローカルルールに従っているため、
ゼンリン地図を下地に採用している公的地図に至るまで東が上です
慣れない人には困惑されることもありますが、
確かに「地図は北を上とする明確な規則」があるわけではありませんね
地図の方位を決めるのはケースバイケース
天体観測なんかをしていればほんとうの中心は北極星であることに気付くだろうし、
方位磁石などを使えばかならず北を示すことに気が付く。
太陽の軌道というのは季節によってもだいぶ変化するものだし、
北極の重要性というのは早くから知られていたと思うよ。
昔の旅人は、地図の上を北極星に向けて地面にペタッと置いて、
明日はあっちへ向かって真っ直ぐ歩こうとか、計画したんだと思うわ。
中国の王朝によって左を尊んだ時代と右を尊んだ時代があるって初めて知ったよ
左遷は『漢書』周昌伝に出てくる言葉だが、この漢の時代は右とのこと
(日本の雛人形の殿様の位置が時代によって違うのは知ってたけど)
曹操の墓が見つかったってニュースがあったけど、あれは結局本物だったの?
時代考証をあまりされずに書かれた作品中のネタで随分引っ張るもんだなあ
559 :
世界@名無史さん:2013/10/10(木) 12:38:26.23 0
などと言いつつも皆さんは自動車のGPSを北上(ノースアップ)でなく先上(ヘディングアップ)にしてませんか?
よく考えたらマリーアントワネットってなんの理由で処刑されたの?
旦那は絶対君主の象徴だから処刑されたとしても、妻を処刑するのは西洋的な道理に合わないんじゃない?
マリーアントワネットを殺すならルイ一族を根こそぎ殺すべきなのに、そういう形跡もないし
>>562 一般に人間は、革命後の騒乱の中では、理性に従ってではなく、感情に従って行動するから。
テキトーな事を言ってしまいましたが怒らないでね。
ファーストレディとか言って、お妃だの大統領夫人だのが出張ってくる慣習があんじゃん。
日本ではそういうの無かったけれど。
処刑しようぜという世論が生じたのは、国外脱出しようとして失敗してからだな
国民を見捨てて自分らだけ助かろうという卑しい性根と解され、怒りを買った
566 :
世界@名無史さん:2013/10/10(木) 15:41:53.96 0
フランチェスコ・スフォルツァはヴィスコンティ家を「乗っ取った」ってことですが
どんな乗っ取り行為をスフォルツァがしたのかがよく判りません。
もしかしてスフォルツァの身分が低いのに名門ヴィスコンティ家の家督の長になったことを
エリート主義的な観点からそう表現したのでしょうか?
それともやはり明確な乗っ取り行為があったのでしょうか?
>>562 オーストリアとの決裂を決定的なものにして国内の日和見主義者を黙らせる為だ
>>566 ヴィスコンティ家を乗っ取ったというよりも、ヴィスコンティ家の男系が途絶えて、ミラノが一時的に共和国になり、
その状況の中で、ヴィスコンティ家の娘婿でもあり、傭兵隊長としてミラノの軍事面の実力者でもあったスフォルツァが
台頭して実権を握り、ミラノ公を僭称、そしてそれがミラノ国内でも周辺諸国にも認められた、って感じですかね
もしかしたら
>>566さんは、
>>521で「乗っ取った」って言葉を使ったことにひっかかっているのかもしれませんが、
そこでの乗っ取りとは、単に、もともとはヴィスコンティ家のものだったミラノの実権と公位がスフォルツァ家に
移ったことを言っているだけで、言葉の綾です
569 :
世界@名無史さん:2013/10/10(木) 16:27:59.18 0
>>568 ありがとうございます。
521に限らずいたるところで「乗っ取った」と書かれており
そのくせ一向に具体的な乗っ取り行為の記述は目にしないので
つねづね疑問でした。おかげさまでスッキリしました。
スフォルツァ、ちょっと気の毒な書かれ方ですわ。
もしスフォルツァが高貴な家柄だったらこんなそしりを受けなかっただろうに。
インドのマウリヤ朝の都の遺跡地図では、看板の方位が間違っているらしい。
遺跡の看板の写真↓では、はっきり図の上が北となっているが、
http://www.pbase.com/candebat/image/122204907 実際にGoogle Mapでその場所を見ると、
25.600156,85.184813
地図内の↑の方向は東だということがわかる。
これは恐らく、
>>552の指摘するように、「その地図を見た時の方向が上」なのかも
知れないが、だとすると、わざわざ方位記号を書き入れなくても良いと思われる。
単なるミスかも知れないし、インド人独自の地図感覚なのかも知れない。
>>555 >昔の旅人は、地図の上を北極星に向けて地面にペタッと置いて
でも黄帝の指南車の故事では南を指し示した事になっているんだよな。
>洋の東西を問わず、地図は北が上ということになっているね。南半球は別として。
江戸時代までは南が上だったり、誰も気にしていなかったり…我が国はフリーダムでしたが?
今でも日本では屋外に張られている観光地図や町内の地図なんか
北が上になっていないのが多いな。もーぜんぜん駄目。
>>562 裁判の結果死刑判決を受けた。
罪状は、国庫を浪費した、オーストリアと通じてフランスを売った、国政に介入した、など
あることないこといろいろな罪状が作られた。
>マリーアントワネットを殺すならルイ一族を根こそぎ殺すべきなのに、そういう形跡もないし
国王の妹は翌年ギロチンにかけられた。
息子は幽閉されて病死。娘だけのちに釈放。
国王の弟二人は革命勃発後さっさと国外逃亡したから手が出せなかった。
>>562 当時(1792年)、ジロンド内閣がすでにオーストリアに宣戦していて、
革命戦争が始まっていた。しかも、形勢が悪かった。
なんで負けるかといえば、それは国王夫妻が敵に内通しているからであり、
国王夫妻はヴァレンヌ事件でオーストリアに亡命しようといた、
国王夫妻にたいする風当たりは急激に強まった。
第二革命で過激派が政権を握るようになると、過激な主張が通りやすくなり、
過激派は国王を、本来人民が持っていた主権を簒奪した主権簒奪者、とまで言い切った、
ついには国王の処刑という動きが起こる。
さらに、国王以上に浪費家の王妃は憎まれていたから、殺されて当然と思われた。
マリーアントワネットといえば某まんがにおいて、
十月事件(ヴェルサイユ行進事件)の時、
王妃を出せ、と騒ぐ暴徒にたいして、出て行って丁寧なお辞儀をしたという話が出てましたけど、
じっさいそういうことはあったのでしょうか。
スエーデン武官と愛人関係にあったという通説はほんとうですか。
>>577 あることないことという言葉はないこと分のほうが多い時に使うものだ。
王妃の罪状はないこと分がないこともないだろうがあること分のほうが多い。
>>562 赤字夫人ってあだ名がつけられるぐらい、王家の浪費を象徴する人物とみなされてたからねえ
実際には、国家財政が傾いてたのはアメリカ独立支援のせいで、それに比べたら王妃の贅沢による浪費なんて
たいしたものではなかったんだけど、この場合、重要なのは事実ではなく国民がどう思ってたかで
自分たちはパンにも困ってるのに重税かけられたのはあのオーストリア女の贅沢のせいだ、って国民は思ってた
だから、彼女をスケープゴートとして殺すことは、国民を喜ばせ、革命政府を支持させることになる
暴徒に殺されたんじゃなくて、「裁判」で「処刑」されたんでしょ。
何の罪で?内通罪?主権簒奪罪?
583 :
世界@名無史さん:2013/10/11(金) 18:18:29.76 0
584 :
世界@名無史さん:2013/10/11(金) 18:23:09.47 0
王家の浪費とか言うけども、当時の国家のありようとしては、分を越えなければ、贅沢も
仕事のうちだったんだけどね
マリー・アントワネットが分を越えた浪費家だった証拠は、実は残ってない
まあ、ルイ14世がね、うん
まあフランス革命期ってシャツの窃盗で死刑宣告される世界ですから
ていうか個人レベルの贅沢で国家財政がどうこうなるのは流石にな。
イメルダ婦人だってそこまでじゃないし。
それに貴族の浪費は今で言えば公共事業みたいなものでもあったし。
王族貴族が浪費しないと文化とか生まれないし。
日本には女人禁制って宗教行事等でありますけど世界には無いんですか?例えばヨーロッパとか
588 :
世界@名無史さん:2013/10/11(金) 23:36:08.51 0
>>587 あるよ、今でも
ギリシャのアトス山とか
>>580 つ
>>581 つ
>>584 財政難はルイ14世時代の戦争からで、アメリカ独立戦争の支援も大きかった。
オーストリアと通じたスパイ、というのも濡れ衣。
ヴァレンヌ事件も王の意図はフランス国内のモンメディ要塞へ移るのが目的。
国外逃亡は当時のプロパガンダから生まれた俗説。
>>589 ほう
アメリカ独立が、フランス革命を誘発したということね
フランスがイギリスに対抗したということなんだろうけど
>>589 財政難についての常識は改めて指摘されるまでもないが、オーストリアと共謀して利敵行為を働いたのは事実だろうが
ルイもアントワネットも死刑の直接的な罪状は財政がとか旧体制の象徴だからとかではなく利敵行為だ
ルイはともかくアントワネットが革命前からボロクソに嫌われてたのは事実だが、
罪があるから殺されたわけで嫌われていたからではない。
>>562への回答にもなるが、元国王ルイの息子が裁かれなかったのは利敵行為の責任を負ってないからというだけの話。
ルイ16世って罪状抜きで死刑になったんじゃなかったっけ?
594 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 01:55:10.90 0
純粋に国家に対する罪状だけで判断するとマリー・アントワネットは有罪なの?
オーストリアと共謀って暴徒に突き上げくらってたら実家である隣国に非難するのは
正当な生存権じゃないですか。
昔の人間に人権などない!
てめえの事情はそうでも国家と国民に反逆したんだから死罪相当だわな
597 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 03:50:11.42 0
べつにオーストラリアの軍隊を招きいれたわけじゃないし
何をもって反逆とするのか?
王さま・王妃さま大好きなのはわかったけど無理に擁護しなくていいから
別に罪状なんて適当でいい。
あの狂乱の時期に革命後の主導権を握り綱渡りするためには、
場合によっては理性や法に固執するのは逆に危険だった。
一歩間違えれば自分が殺される。
実際、当時のパリの民衆は血に飢えて殺戮に明け暮れていた。
例えば、無数のカトリック僧が、カトリック僧というだけの理由で、残虐なやり方で殺された。
パリ全体が狂気に満ちていた。そこはもはや1780年のパリとは違う世界。
王様の首を斬り落とさなきゃあ近代化できないとか、毛唐どんだけ野蛮なんだか。
お后とか奥方とか大体助命するだろ、フランス革命の何百年も前の高台院も建礼門院も助命されたわな。
>>600 王党派に担がれてまた一反乱起こされて血を流すのと、王様一人分の血を流すのどっちが良い?
そういう事だよ
602 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 08:51:55.49 0
平均寿命が25歳という
そんな時代だしな
>>601 建礼門院 ⇒ 寺に隠棲、摂津国に所領あり。壇ノ浦合戦から37年後没。
後醍醐天皇 ⇒ 島流し。
足利義昭 ⇒ 将軍職返上後、所領一万石、太閤相談役、准后待遇
高台院 ⇒ 寺に隠棲、所領1万5千国。大坂戦役から9年後没。
豊臣国松 ⇒ 斬首。
徳川慶喜 ⇒ 公爵叙爵、貴族院議員。大政奉還から44年後没
むしろフランス革命では、王の死によって旧権力との関係修復の道がたたれ、ナポレオン戦争にいたるまでにさらなる血が流された、
とする評価もフランス国内にすらあるよ
ただ、あそこで王政を否定することから、民主共和制度の礎となったという評価も別にある
結局は視点の置き方次第だよ
歴史的に見るなら、その事象からその後の歴史はどう動いたかを見た方が建設的
ところで、高台院を助命て
そもそも助命言われるような事態には一度もなってない人だろうに
淀に追い出されたことで、家康の保護を受けなければ餓死しかねかったとか?
大阪史観でしょ
・高台院は家康によって大坂城から追い出された
・関ヶ原の決戦は、豊臣家と徳川家の対決
大阪周辺でしか通用しないローカル史観があるんだってば
また日本史かよ
世界史板で日本史の話題出すなカス
よそでやれ
過去レスで部族大公という言葉が出ていますがこれはなんですか?
日本史では豪族みたいなものですか?蘇我氏とか物部氏みたいなものですか?
ある国の歴史と、別の国や民族の歴史を比較し、
「こことこことは似ているが、あそことあそこは異なっている。これはこれこれこういう気候風土や習慣の違いによるものであり〜」
といった研究に興味を持っているのですが、
どのような学部学科を志望するとよいのでしょうか?
>>610 ドイツあたりにゲルマン諸族が沢山いたのよ
大まかにはゲルマンだけど文化や言葉が少しずつ違う
それがフランクとかに征服されたんだがそのうち大きな部族が部族公として
ある程度権限与えられてその土地支配した
部族公家自体はその部族出身とは限らないし
その部族がいた場所と部族公の領土は必ずしも一致はしないけど
豪族ともいえるがもっと「異民族の集団」という性格が強かった
日本でいうと渡来系の秦氏や東漢氏、原住民系の毛氏みたいのが
一応の同一性もった勢力として近世まで生き延びたようなもの
>>607 福島正則以外、東西全ての大名がその認識だよ
秀吉の遺法に全面的に逆らってるのは家康一人だし
3大老の署名があって豊臣直属の黄母衣衆まで西軍に付いてる
最終的には秀頼も毛利輝元と一緒に出陣する予定
西軍に理があるくらい皆承知の上で
新たな天下人に付いて行くか、煤けた豊臣体制を維持するかを一人ひとりが選んだだけの話
副社長と秘書室長、
ワンマンvsプロジェクトの戦いとも言われる
こういう類の戦いがヨーロッパやアジアにも有ったら知りたい
614 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 13:30:05.13 O
>>612 日本では地方豪族は神官になったけど、
ドイツでは政治力も失わなかったみたいなものですか
>>614 失わなかったというか、そもそもザクセン朝自体が、最も有力な部族大公がそのまま王、皇帝になったもんだしな
代表的な部族大公家をあげると、ザクセン、バイエルン、ロートリンゲン、シュバーベン、フランケンなどなど
これらの家が、多くの場合は意図的でなく王位を輪番でつとめた感じ
>>608>>613 間違ってる
石田三成を嫌う連中が、徳川家康を核に「東軍」を形成し、
徳川家康を嫌う連中が、石田三成を核に「西軍」を形成した
家康が戦った相手は三成やその周辺の派閥であって、豊臣家ではない
大坂の陣と混同されてるのではないかと疑いたくなる
>>616いやいや
だから豊臣直属軍が付いてる上に
五大老制では多数決の3対2
さらに輝元が秀頼を擁して大坂城で出撃を伺ってた訳で
公式には西軍が豊臣軍なんだよ
だから東軍の結束力を高める小山評定が必要だった訳で
家康による簒奪を事実として認めるグループと、
筋目を重視するグループが対立して乱になったんだからな。
派閥に属さない人たちは多くは西軍に味方したでしょう。
関ヶ原の時は西軍は豊臣軍であると言っていた。東軍は逆賊であるとした。
関ヶ原の時は東軍も豊臣軍であり、石田一派や他の秀頼を操る佞臣を屠る為に動いたと主張していた。
関ヶ原が終わったら、秀頼などは家康も豊臣家臣であり東軍もそうだったといい。
逆に家康はあれで豊臣家は徳川家の家臣になった。という事にした。
まあ両方共戦前と戦後で立場と主張が180度変わってんだよ。
>>614 ドイツには中央権力なんて無かった
って考えると理解が早いかもね
完全に正しい訳では無い(皇帝権、教皇の介入、帝国議会の成立など)けど、
概ねこれで間違いない
621 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 14:50:18.23 0
地方豪族と天皇が隔絶している日本と、
地方豪族割拠が続いたドイツ、
どういう違いがあったのか。
>>614 日本の古代は神官が土地を仕切っていた
それが豪族化した
やがて豪族同士が争い権力の集中が進み、力を失った豪族が神官の仕事だけになった
こんな感じ
権力と神官の両方を持つ頂点が天皇だった
政治権力を武士に奪われたが
>>621 隔絶してないと思うが
武士の多くは天皇の子孫を標榜しているし
征夷大将軍も元は朝廷の役職だし
何故ローマ教皇はヨーロッパの頭目になれなかったのかは
日本の朝廷と違い臣籍降下で地方豪族と血の繋がりを持てなかったからですかね?
625 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 15:04:07.97 0
いや、日本での部族大公に当たる、
吉備氏や出雲氏や毛野氏やらの力は
天皇とは比較にならないほど落ちてる
「次のオオキミは吉備氏から選びましょう」
なんて話は聞いたことが無い。
>>611さん
どのような特定の大学・学部・学科を選ぶかという事よりも、(実際に「学際化」が進んでいるので)、
1:受験候補大学の学科の(3年次からのゼミを受け持つ)教員の研究分野を調べておく。
2:他学部および近隣他大学との単位互換制度が整っているか(そしてそこにどんな教員がいるか)調べる。
上記2点を基準にすれば、最初から受験学科名と偏差値で絞らなくても、
自分のやりたい研究テーマを掘り下げて研究する事は、(やる気があれば)出来ると思います。
※高い学歴(ステータス)にこだわるなら話は別ですが。
(すみません。以上は「たわごと」と思って寛大な心で聞き流して下さい)
627 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 15:12:44.33 0
>>624 逆に、自分はなぜローマ教皇が途中で世襲にならなかったのかが気になる。
完全な世襲じゃなくても、
特定の一族で独占するとか。
>>617 公式ではない
西軍側が主張しただけ
秀頼を戦場まで担ぎ出されると厄介だから、
家康は、秀忠が引率する主力を待たずに決戦に臨んだ
なぜ秀頼を相手に戦えないかというと、戦う相手は豊臣家じゃないからだ
日本史も世界史の一部だし、日本との比較で日本史の要素が出てきちゃうのは仕方ないけどね。
あの戦い、勝てば徳川の天下になるということは、
だれもが理解していたというわな。
いまいち理解していなかったのは淀殿と秀頼くらいで、
あの時もっと本腰入れて三成支援に動かなかったのが運の尽きだったんだろうな。
石田側の派閥は、徳川派を潰す動きに際し、
豊臣家対徳川家という構図にすり替えようと工作を試みたけど、
結局すり替えは完成できなかったんだよね
流れを無視して日本史の俺様大論文を発表されたり
天皇ガー韓国ガーみたいな特殊イデオロギーを発揮されるんでなければ
寛容な目で見守っていいと思うんだ
>>630 淀殿はともかく、当時7歳の秀頼にそこまで求めるのは無茶すぎるだろ
豊臣直属が三成に付いてたのは
高台院が力添えしたお陰だっけ?
お家騒動といえば
ディアドコイって、プトレマイオスとリュシマコスが
セレウコスに諾々と従ってれば、ローマに版図上書きされることも無かったろうにな
マケドニア対ローマ対カルタゴという三国志も有ったかも知れん
もういい加減に日本史板行けよ
なんで日本史板というのがあるのに世界史板でわざわざ日本史の話題を出すわけ?
ほんとうにバカじゃないのか?死ねよ
>>627 カトリックの神職は独身というのをご存じで?
独身でも男色走ったら意味無いよな>聖職者
本当に女性にも男性にも自慰にも走らずに斎戒保った僧侶って居るんだろうか
東に正当な皇帝が現に存在した、というのは教皇の権威を牽制するのに十分な力があったとは思う
>>637 そりゃいるでしょう
修道士とか行者とかの類になるけど
それと、世襲に必要なのは「嫡出たる子孫を残すこと」なので、男色のみならず、妾がいても問題はなかった
>>605 そもそも、政変や戦争に際して、大将首は取るような事態でも妻を処刑するような慣習が無いよ。
どうしてカソリックは血の繋がりを聖職者に求めなかったのかな?
642 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 16:04:03.15 0
>>636 いや、特定の一族で独占するだけなら
妻を持つ必要はない
たとえば自分の甥とかを後継者にすればいいだけだから
>>625 辺地に領地貰ってそままいけば代が続かず消えるかよくて田舎豪族になるかしかなかった人が
天皇に推戴されるような事態があっただろうに。
成功した例は、継体天皇、天武天皇
失敗した有名な例は、以仁王
644 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 16:07:48.24 0
教皇アレクサンデル6世は教皇になる前に私生児チェザレ・ボルジアを・・・
>>642 実際に何度かそうなりかけたこともあったけど、世俗権力の介入などにより、対立教皇立てられたり、軍事力で威圧されたり
まあいろいろとあって長続きしませんでしたとさ
メジチ家から連続して2〜3人出てなかったっけ?
素人めいた幼稚な質問だがなんで愛人囲って隠し子までいた聖職者からほど遠いアレクサンデル6世が教皇になれたんだ?
>>648 超が付くほど有能な政治家だったから
教皇になる以前から、枢機卿の中でも最も有能な人物という評価だった
逆にその評価が災いして、教皇就任遅くなったけど
>>649 聖職者としてはどうかと思うけど確かにフランスとスペインの魔の手から
イタリアを守ったところは有能な政治家だと言えるかもね。
ある意味イタリア史上では「名君」として評価されてもいいよな。
最低最悪教皇と言われているけど。
で、散々脱線してきたけど、
関ヶ原戦後処理における高台院の待遇を言っているのなら、
高台院は勝利陣営つまり徳川派の人間であり、
>>600が言うような「助命された」というのが、そもそも的外れ
そもそも教皇に愛人なんて珍しくはない時代
ボルジアはちょっと派手だったが
悪評の根幹は
・珍しい外人教皇
・息子が軍事的行動を派手にやって恨み買う
・最終的に後継者は失脚
したというまさに悪口が文書に残りそうなやつだったからだ
653 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 16:49:55.29 0
>>643 そりゃ天皇家の一族じゃないか。
継体も怪しいとはいえ、一族ということになってるし。
ドイツのように、他の有力豪族ではない。
>>651 高台院そのものが脱線じゃ。
マリー・アントワネットまで戻せ。
ドイツは大陸の一部だったから征服が続く限り国境は広がり
異民族が次々参入するしな
まぁ領邦君主はライン川沿岸の出身が多いが
>>648 スペイン国王フェルナンド2世(イサベルの夫)があんまり悪質なカトリック化政策(異端審問)を導入したもんだから、みかねたバチカンから警告を受けた時、
ロドリーゴが擁護に回ったことでフェルナンドの後援を受けて法王(アレクサンデル6世)に上り詰めたという話を聞いたことがある気がする。
>>614 612だが他の人がいってる感じでいいです
中央集権が成立せずそのまま古代豪族のまま戦国大名になったりしたようなかんじです
そして戦国諸侯のまま平和になり半独立国として近世まで存続
旧約聖書についての質問なんだけど、旧約聖書は聖典化の過程で、
内容の最後の時代がアケメネス朝時代で終わっているのは何故なんだろう?
例えば、ヨセフスの「ユダヤ古代誌」はヨセフスの生きた時代まで扱われている。
旧約聖書は、ユダヤ人の受難の歴史を扱っているのだから、ヘレニズム時代以後の
受難の歴史も旧約聖書に追加されていかなかったのはどうしてなのだろうか?
などと突然疑問が湧いてしまった。誰か理由を教えて。
それ思うんだよな
ペルシャ全盛期のオリエント各地の預言者譚から
いきなりローマ帝国属領ユダヤに話飛んでるからワケワカメ
>>654 看過できない不適切な用例を出した者がいるから仕方ない
>>658 それによって成立過程があきらかになる。
バビロン捕囚が終わって、パレスチナに帰国した後、旧約聖書の編集が行われた。
どうみても、救世主はキュロス大王だわな。
新約聖書は宗教改革をやろうとしたイエスの話。
のちに付け加えられた。
どっかのスレで、
なぜ「ヨハネの黙示録」の後も「アウグスチヌスの福音書」や「列ローマ教皇記」といったかんじの書物が執筆され、聖書に加えられなかったのか?
という質問を見たな。
もし神が実在するなら、今の時代も神意を受けた執筆者が新しい書を記していくはずだ、と。
しょせん聖書なんぞ、「特定の時代の人間が書いた(編集した)人為的な書物」だということだ。
>>661 成立過程の判明に役立つのは確かにその通りだと思う。でも例えば、
タルムードはササン朝治下のバビロニアでまとめられていて、聖典となっている
けれど、歴史記述は殆ど無い。ローマとの二度のユダヤ戦争と、それによる
ディアスポラなどは、重大な民族的受難の歴史だと思うのだが、タルムードが
聖典となったのであれば、バビロニアディアスポラ中に旧約聖書に続く
民族史が追加されてもよかったのではないか?というのが俺の疑問のひとつ。
まあ確かに、神話的預言者が、前6世紀以前の時代と比べて、ヘレニズム時代
以降はあまりいなかったから、民族史が書かれなかったのかも知れないが。
また、
>>662のケースも確かにありそうだ。「神意を受けた民族史を書ける
人物」というのがヘレニズム時代以降のユダヤでは認定されなかった、という
こともあるのかも。
フランス革命後も国王は「国王」だったけど、
立憲君主制を主張する派と共和制を主張する派が争っていて、
結局共和制が採用されて国王の廃位が決定された。
で、廃位した国王をどうするかと言うと、
生かしておいたら復位を狙う勢力に担ぎ上げられる可能性がある。
さらに、国王の処遇を巡る議論で、
「国民のものである主権を自分のものにしていたこと自体が罪である」
という主張が支持され、国王の有罪・処刑が決定した。
バビロニアに捕囚されてたユダヤ人を
ペルシアが天下奪取ついでに解放してやったんだったか
アンネの父親も、
強制収容所に居たところを
ソビエト軍に救出されて欧州生還したっていうから
あの怖い赤軍も本当たまには善行するんだなと思った逸話
加虐性異常者のサド侯爵も
フランス革命のお陰でバスチーユから娑婆に出られたし
まさに紛争は虜囚の奇貨だな
逆に、戦争・革命で体制が覆ったのに
新たな支配者からも恩赦が得られなかった有名な虜囚が居たら知りたい
>>636 なんで、ヤホベの神さんは「産めよ殖やせよ地に満ちよ」と言いながら、
その神さんの言葉の代弁者に未婚を求めるのか。
カトリックの教会組織がなんでそんなことになってるのか、なんだけれど。
>>653 支持基盤が中央に無くて、田舎豪族の支持で天皇になってんじゃん。
>>667 でも別に血統原理を覆してるわけじゃねーしー
669 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 12:55:42.42 0
>>666 別にユダヤ・イスラムは聖職者(正式には聖職者とはいえないかもしれない)
には独身を求めていないし、
ラビやイスラム法学者は別に独身でもない
カトリックの聖職者が独身なのは、パウロの趣味だ
まあ、パウロが「結婚せずに、ひたすらに神に尽くせ」と言っているのが
発端だからな
そのパウロでさえ、よく読めば何が何でも独身だといっているわけでもない。
神に尽くす生活をするのなら独身のほうが良いのでないの?
と言っているだけだから
だから、プロテスタントの牧師はカミさんを持っているし
まあ、カトリックが独身主義を採っているのは
昔は宗教と言うのは、金も権力も集まっていたから
世襲制になるとやばいから、独身者の集団で世襲を避けると言う意味
だったと思っている。
体よく言えば、神と結婚したら、世俗で女と結婚しない。
ローマに伝わってホモ度が上がったからだろう。
受難像やピエタ像みたいな、やろむっさいヒゲ面が三世紀頃のローマ人の好みなんだろうよ。
アパルトヘイトってアフリカーンス語なんですよね
でも、ヘイトって英語だと「憎む」って意味じゃないですか。
それとは関係が薄いって認識で良いんですか?
>>670 ローマのギリシャと異なる際立った特徴として、髭を剃るってのがあるんだが
ギリシャ趣味のハドリアヌスは髭を蓄えていたが、それを元老院に批難されたりしてる
>>671 アフリカーンス語はオランダ語から派生してるから、
英語とは直接関係ないね。
とはいえ、同じゲルマン系言語ではある。
英語のapart(離す)に、オランダ語の語尾(-heid)をつけて、名詞化したものだと思います。
>>672 結構ひげ面の皇帝いるじゃん。
ハドリアヌスから後、アントニヌスピウス、マルクスウエレリウス、ルキウスヴェリス、コンモドス、ペルティナクス
ディディウスユリアヌス、セプティミウスセヴェルス、カラカラ。8代100年ひげ皇帝。
批判されてるなら、んな、つづくわけねし
>>662 確かに、高等批評を用いた近代聖書学においては、
4福音書記者は皆ナザレのイエスを直接知る世代ではなく、
これら福音書に登場するイエスは、それらが書かれた時代の原始キリスト教集団に属する各著者の信仰を布教するために描かれた「宣教のキリスト」であって、
「史実のイエス」の教えを伝える事に主眼が置かれてはいない、
とする考えが主流ですね。
この説を唱えたブルトマンは、
「そもそも福音書記者たちに『史的イエス』に関する興味はほとんど無かった」
とまで言っていますね。
直弟子の世代からすでにエリート主義的思考も始まっていますし。
677 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 16:50:51.74 O
>>667 継体自身の素性はともかく、
かれは紛れもなくヤマトの王
播磨の王子や丹波の倭彦もいるが、
これらも養子入りが前提でしょ
え?マタイ福音書には
マタイ本人が登場してるんだけど
あれってメアリー・スー的手法だったのか
酒好きだったり
神殿商売に切れてヒャッハーしたり
女性信者達に優しかったり
結構等身大の人間像だと思うがな
イエスはゆったり生活楽しんでる部分もあっていい
本当に聖人っぽいのは洗礼者ヨハネ
>>625 蘇我氏(蘇我蝦夷、蘇我入鹿)、弓削道鏡
蘇我は天皇の地位を狙っているってのは通説ではないし
道鏡は氏族的権力を背景に天皇の地位を狙ったわけでもないだろ。。
決定的にちがうのは制度
ドイツ諸侯はゲルマンの伝統の一つ選挙王制で制度的に王になる道がある
>ゲルマンの伝統の一つ
そういや中世アイスランドも選挙制だったか
ゲルマンの選挙制って
古代ギリシャ・共和制ローマの伝統を継承したもの?
それとも各勢力の武力が拮抗してて力では勝負が付かなかったから便宜上?
アホな質問ですが、
BC90年、半島自由民全員にローマ市民権付与。
AD212年、帝国全自由民にローマ市民権付与。
リソルジメントがヴェネツィアと教皇領併合でほぼ完了したのが1870年。
で質問なのですが、中世から近代まで事実上の領域国家イタリアは存在しなかったわけですが、
この間、人々は階級や地域を越えて
(例えばナポリの農民とエステ家モデナ公爵とヴェネツィア商人などが皆)、
イタリア人意識を持っていたのでしょうか。
選挙王政は割とメジャーな制度だよ
ぶっちゃけクリルタイなんかも選挙王政
PS.それ(
>>684)に関するエピソードなども教えて頂けると嬉しいです。
>>684 日本人が持つ「日本人」という確固たる帰属意識は、今も持ってないのではなかろうか
愛国心を持ったイタリア人って居ないだろ
愛郷心は何よりも激しいが
だから近代以降の国家戦争ではろくすっぽ強くない
逆にWW2中に進駐米軍を圧倒した事がある(地域のトラブルで)
>>683 >>685 選挙王政がメジャーな制度なのはその通りだけど、
近現代のヨーロッパや日本みたいに継承法に従って自動的に継承順位が決まっている方が
歴史的には珍しいと言うべきだよね。
また神聖ローマ帝国の初期には、実質的には王統が絶えた時に選挙原理が働くのみで、
通常は世襲原理の方が優先されていた感もある。
>>683 全然違うがな
そもそもギリシアローマは富裕な自作農とかいまでいう中小企業の社長みたいな
「エリート市民」が都市国家の方針をみんなで決めようみたいなもん
ゲルマンのは部族の首長たちが集まって互選で王選んで侵略戦争とか防衛戦争しようぜ
みたいなもん
ただ部族といっても同じ文化をある程度共有する同系の部族ね
ガリア戦記読んだならヴェルチンゲトリクスがそんな感じ
近代以降で(生意気な)相手から宣戦された国が強大な国力でぼこぼこにしてやった著名な戦争は何がありますか?
最近学校で世界史を勉強するようになり、普仏戦争や太平洋戦争を詳しく知ってスカッとしました(後者は日本人としてどうかと思いますが)
数に勝る土人の反乱を、文明人が見事打ち破ったようなケースもお願いします。(義和団事件とかでしょうか?)
>>691 何が生意気なんだか意味がわからんが、釣りか?
プロイセンにしてもアメリカにしても、戦争すれば自国が勝つって分かってて挑発した面もあるからなあ
宣戦とは言えないけど、ドイツがラインラントに進駐した時に、
もしフランスが軍を動員して追い出しにかかってたら
ドイツは尻尾まいて逃げるしか無かったと言われてますね。
ヒトラーの完全なブラフ(はったり)で、「反撃されたら終わりなので内心ヒヤヒヤだった」とヒトラー自身が書いている(らしい)。
チャーチルの著作に↓は実在するのですか?
4 : 名無しさん@12周年 : 2012/04/08(日) 22:53:57.25 ID:KleOmKES0
■■ チャーチルの「対日世界大戦回顧録」より
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。
笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。
反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数が上がるのに、
それができない。
それでもう一度、無理難題を要求すると、これも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。
(以下省略)
>>696その著作が実在するかどうかは知らないけど、
その辺りの話題を持ち出したら、色んな人が色々書き込んで長くなっちゃうよ?
訂正
その著作→×
その叙述→○
>>699 サッチャーってアルゼンチンに宣戦された時は
とても勝てるなんて思わなかったらしいよ
東側の脅威ばっかり目が行ってて
第三世界への対処なんてゼロだったからだろうけど
中世イングランドだって百年戦争中に
背後のスコットランドから猛攻受けたら瓦解してただろうな
百年戦争中の1346年(クレシーの戦いと同年)にスコットランドのデイヴィッド2世がイングランドに攻め込んで
ネヴィルズ・クロスで、フィリッパ(エドワード3世の王妃)に撃退されてますが、なにか
>>700 そういや何でスコットランドはその時にイングランドをフランスと手を組んで挟撃しようとしなかったの?
703 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 20:00:39.63 0
>>691 英緬戦争とかどうかな。
ビルマがイギリスに喧嘩売ったら返り討ちにあって、最終的には征服されてしまった。
>>702 挟撃はしてるよ
>>701のネヴィルズ・クロスの戦いをはじめ、百年戦争中に何度かイングランドに攻め込んでる
>>700 >>705の言うとおり、イングランドは挟撃されてる
王権そのものは頑健そのものだったが、大陸からたたき出されたことにより内戦(薔薇戦争)となった
スコットランドの国力(の弱体さ)なめちゃいかんよw
>>687さん
>>688さん
お答えありがとうございます。
「自分が住んでるのはイタリアだ」
という認識はあったかな。
そりゃ言葉も違うわけだし、文化も違う、
政治統合はされていなくても、イタリアというものは意識されていただろう。
710 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 20:40:55.51 0
>>700 >とても勝てるなんて思わなかったらしいよ
真に受けるべきではない。
英国とアルゼンチンでは軍事力に相当な差がある。
南アメリカはなんでアメリカのように発展しなかったんですか?
スペイン人とイギリス人の差ですか?
逆にアルゼンチンとかビルマはなんで宣戦布告したの?勝てると思ったの?
>>711 Mウェーバーの解説本読んでみるといいと思う
これが一般的にはメジャーな解説だろう
まあ、スペインの植民地だとアメリカと比較できるのはメキシコくらいしかないけども
ブラジルはポルトガル統治にいろいろと問題というかなんというか。。。
>>711 イギリス>>>>ポルトガル>>スペイン
植民地の発展は宗主国次第だね
スペイン語圏はダメの象徴
>>712 アルゼンチンは、まさか英国が全力で戦争しかけてくると想定してなかった
アメリカによる英国抑制もあると思っていた(これは英国側も同様)
また、フォークランド(マルビナス)諸島は、英国の支援が少なく、アルゼンチンからの
行財政支援によって、その住民サービスが維持されている側面もあった
まあ、こういうすれ違いもあってそのまんま開戦
実際、マーガレットが吠えなかったら戦争してなかったかもな
アルゼンチンは、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどと並んで
「植民地」の中でも「白人新定住地域」(高温多湿ではなく、面積に占める平野の割合が高く、原住民はほぼ絶滅に追い込んで人口のほとんどが白人である植民地の事)に分類されてたんだけど、
そしてそれらは後に先進国になるんだけど、
アルゼンチンは白人は白人でも
ラテン系(イタリアとスペインからの移民がほとんど)だったからなあ。
それでも1910年辺りでは1人当りGDPが、
イタリアよりずっと高くフランスよりも高かった。
なぜ没落したかは、それに関するスレに書いてあった気がする。
718 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 21:23:14.09 0
>>681 >>682 道鏡が天皇になったら、
弓削氏が王家になるのではなく、
天皇家が教皇みたいな非世襲制の位になったんだろうな
>>717の続き。
1900年頃アルゼンチンの所得水準が高かったのは、
1870年頃に、牛肉をヨーロッパに送る冷凍船が発明されたから。
(マルコのお母さんもこの好況に惹かれてアルゼンチンに行った)。
なんで没落したのかな?
ちなみにこれは
>>711に対して書いたものです。
余談ですがチェ・ゲバラの日記を読むと、
アルゼンチン人が南米人の中で独特な存在なのが判る。
>>718 モンテネグロみたいな?
それはどうかなあ
道鏡自身が弟にでも継がせるという選択肢を採るかもしれないし
(元)皇族が巻き返してくる可能性もある
>>718 どうかなあ。
孝謙オババにしてみれば、「一代天皇」にしてあげたかったんだと思うよ。
天皇家の家督はオババが保持して、道鏡のあとは、天皇家の血筋が継ぐ。
道鏡に与える「究極の栄誉」として天皇の位をやろうという思いがあったんだろうけど、
貴族社会の回答はnoだったと。
>>702 そりゃ、両方に領地のある貴族が反対するし、実際に戦争したらどっちにつくか判りにくいから。
>>711 そうだよ。
カトリック圏、みんなズタボロだろ。
俺もそんな感じだと思う。
>>708さん、お答えありがとうございます。
他の皆様の
>>684と
>>707の質問へのご意見もお待ちしています。
あと、中世から近世にかけての「イタリア語」の方言のバラエティーは、
ポルトガル語とスペイン語の違い程度の範囲内だったのでしょうか。
727 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 23:34:49.18 0
>711
一方で、こんな面もある。
アングロ・サクソンが清教徒的熱心さで開拓した北アメリカは、原住民がほぼ根絶やしにされた。
現在の北アメリカで原住民の子孫は、政治的に全く無力といってよい。
南アメリカの方は、現地に入植or赴任したスペイン・ポルトガル人たちの下半身がだらしなかったこともあり、
混血という形ではあるが原住民の遺伝子は遺された。
そして、そうやって生まれた混血の子供たちは母親(原住民)が育てたから、文化も割合継承されている。
>>636 子供作ってから出家すりゃいいんだよ
出家前の隠し子じゃない公認の実子がいる司教枢機卿は何人もいた
>>727 先住民の言語と宗教が残ってないから
文化が残ったとは言えない
>>716 フォークランド紛争に消極的な閣僚に対して首相が「この内閣に男は1人しかいないのか!」と吠えたってジョークがあったな
>>728 サヴォイア出身で教皇やめて還俗した後に子供作ってるやついなかったっけ?
732 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 01:04:03.15 0
>>720 >>721 世俗の貴族たち(旧天皇家や藤原氏など)の上に、
非世襲の仏の代理人が君臨するという構図はありうるのでは?
それをヨーロッパではやっているし。
>>732 教皇権と皇帝権を単なる上下関係と見るのは大いなる誤り
734 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 02:14:10.42 0
お風呂の歴史について知ってること、または詳しく書いてあるサイトなどがあったら教えて下さい
>>727 人の数の問題じゃあないのか?
大体、北米はマトモに耕してない、国家形成すらしていない。経済は狩猟採集が主に農耕が少し。
日本で言うと縄文時代の後半か弥生時代の頭くらいのところ。
当然、人口はまばら。
中南米では、国家形成していた。都市国家レベルから、大領域国家に移行済み。
経済は農耕が主体。家畜の馴化、青銅器の使用、巨大建造物も作った。記号的な記録伝達手段もあった。
旧世界でいうと、エジプト古王朝、バビロニア、殷・周、日本でいうと古墳時代から飛鳥時代くらいのところだ。
或る程度以上の人口を抱えてないと、こうはならん。
>>732 日本の場合、(ヨーロッパにおけるキリスト教みたいに、)仏教は庶民の生活の隅々まで支配していたわけではないからな。
ほとんどの期間において、上流階級の教養としてもてはやされていただけで、
鎌倉時代以降、多少庶民にも広がっていったけれど、仏教信者なんてそんなに多くはいなかっただろう。
戦国時代になって本願寺が大流行したけど、これもそんなに長くはもたなかった。
江戸時代になって寺請制度が始まると、すべての日本人が仏教徒ということにされてしまったけど、
これでみんなが仏教が大嫌いになった。
だれも信じていないのに権威を持つはずがない。
>>729 パラグアイの公用語のグアラニー語は先住民由来の言語。
宗教はカトリックにされたけどね。
>>735 ミシシッピやアマゾン流域は相応の大人口がいたらしくて、都市国家レベルはいっていた模様。
ラプラタ流域は過疎地だったようだけど。
キリスト教なんぞよりも踊念仏のほうがはるかに庶民に浸透してたと思うが
739 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 07:21:56.93 0
>>729 先住民の言語であるケチュア語やグアラニー語やアイマラ語は
ペルーやパラグアイやボリビアで現在でも公用語になっている。
つまり今でも先住民の言語は残ってるということだ。
これらの国はラテンアメリカの中でもとりわけ先住民の割合が多い国で、
今でも先住民独特の宗教や文化を守って生活してる人もいる。
殺した数ならたぶん中南米のほうが多くないか?
カリブ海の原住民は皆殺しにされてるし、
南米にしても人口が多かった分殺した数は多い。
2000万以上は殺すか、疫病で死んでるはず。
北米はそれに比べれば少ない。
残った人数は北米は50万程度なので生き残りはこっちのほうが少なそうだが。
741 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 08:52:21.91 0
>>736 日本の場合ってここは世界史板なので日本史の話題はいいから
なんで世界史板で日本史の話題をわざわざ出すの?バカじゃないかおまえ
742 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 08:57:17.72 0
>>740 確かにそうかも知れない。
詳しい統計がないから断言はできないが、
ピサロのインカ征服やコルテスのインカ制服みたいな大規模な先住民征服戦争の話が、
北米では19世紀になるまであまり見られない。
>>736 本願寺は信長と互角以上に戦ったぞ
その跡地が今の大阪城だし
↑
>>741が注意喚起しているのにまだ日本史の話題を垂れ流すキチガイ
745 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 09:18:07.76 0
746 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 09:41:18.49 0
日蓮大聖人は国を救いたいという思いから日蓮宗を立ち上げました。
しかしなんでそこから創価学会のような悪の集団が生まれたのですか?
747 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 09:41:55.57 0
1399年10月時点のヴェネツィア共和国の
厳密な領土範囲と隣国アクイレイアの領土範囲が知りたいです
それと上記の時点のヴェネツィア共和国の周辺国と
その友好/敵対度関係も知りたいです
748 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 09:52:11.29 O
何故北米にマヤ文明は届かなかったのか
届けば大発展したろうに
インディアン文明と戦争になる気がするけどな
というか、
アステカ人がネイティブインディアンと接触した事ってあるのだろうか
なんで中央アメリカ連邦って分裂しちゃったんでしょうか?
751 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 10:57:00.94 0
752 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 11:11:34.43 O
>>746 違います
創価学会が派生したのは日蓮正宗からです
日蓮宗ではありません
755 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 11:33:26.86 0
や、失礼w
日本史上の事例を比較対象として引用すること自体は今に始まったことじゃないが、
このところ、その引用が誤認というか間違いが多くて、突っ込まれまくってる状況
757 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 11:44:33.60 0
後周世宗→織田信長
宋太祖 →豊臣秀吉
宋太宗 →徳川家康
のようなこと?
いいや、すいぶん異なる
柴氏から趙氏への権力移行は極めて平和的に、幹部の全員一致の上で行なわれた
秀吉の織田軍閥乗っ取りは、競合相手を潰す抗争の上で行なわれた
匡胤への禅譲を幹部連中が認めるための根回しは、弟(太宗)が積極的に行なった
家康は、秀吉の乗っ取りを手伝うどころか、明確に敵対した
760 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 12:20:21.92 0
>>737 野蛮地域でも多雨気候のところは人口多いからね。
フィリピンとか、国家形成無く、マゼランやら来たときは平地も蛮族だらけ、20世紀に入っても山間部には首狩族の跋扈していたようなところだけれど
なんとかカトリックを押し付けてもスペイン語は押し付けきれなかったろ。
>>749 アステカ人それ自体がネイティブインディアンだろ
>>748 発展のノウハウが熱帯雨林地帯で川に頼らず降雨に頼って都市国家を作るというものだったから
ネイティブインディアンってアーリアン侵入以前からの住人であるドラヴィダ人かよ、
と無粋な突っ込みしたくなる
765 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 13:13:11.45 0
ヨーロッパ史には古代から現代まで通して禅譲のような例はありますか?
ローマの皇帝。
前任者が次を指名というのが慣例。
まあヨーロッパだとローマ皇帝くらいだよな
中世以降は禅譲みたいなことより簒奪とか死んで息子が即位するとか
血が途絶えて遠戚の別家系からの即位で王朝交代とか
>>765 カロリング朝東フランク王国の最後の王ルートヴィヒ4世が死去した後、選挙によりザクセン朝初代ハインリヒ1世が継いだという事例がある
他にもブランデンブルク選帝侯をヴィッテルスバッハ家からルクセンブルク家、ニュルンベルク城伯家(ホーエンツォレルン家)とか
ハプスブルク家のマクシミリアン1世の子供たちによるハンガリー、スペインとかいろいろある
769 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 13:24:31.68 0
>>765 禅定というけれど好き好んで禅定しているわけではないからな。
実質の宮廷クーデタで禅定を強要された側は皆殺しにあうのが常だった。
(禅定が、)たんなる宮廷クーデターと違いがあるとすれば、型どおりの儀式を伴うという点ではないか。
たとえば、フランク王国で、メロビンガーからカロリンガーに政権が移る時なんかが、この種の下克上に似ていると思う。
ピピンが「宮廷革命」をする時に大義名分としたのが、ローマ法王による公認で、この時からカロリンガーとローマ教会の癒着が始まる。
>>770 献帝は称号もらって生き伸びなかったか?
献帝はレアケースだよ
773 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 13:57:01.34 0
>>770 中華帝国でも皆殺しがデフォルトでもない
漢>魏>晋とか、後周>宋とかな
それにしてもiPhoneの辞書、歴史関係弱すぎ!
南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡して南北朝が合体したのも禅譲かな?
中華の南北朝においては、
簒奪した側が「禅譲だった」と言い張る一方で前任者を殺害したのが普通だった
その特定の時代の例を切り抜き、古代から近世までずーーーっと「皆殺しにあうのが常だった」かのように
錯覚させる書き方をすると、
>>770のようになる
776 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 14:08:43.11 0
マタハリって結局ほんとにスパイだったの?
シナ人が関わって修羅道に落ちない場合ってあんのかよ?
素朴な質問ですが、
キリスト教(というかカトリック教会)の、異端を排除(殲滅)する事への執念は、
ある時期まで、物凄かった印象を受けるのですが
(異端に対する憎悪は異教に対する憎悪より強かったとさえ思える)、
これに対し仏教は、違う宗派に対して歴史的に比較的寛容だった印象を受けます(日蓮系は攻撃的ですが)。
ほとんど違う宗教と言ってもいいほど、考え方のバリエーションがありますよね(例えば自力救済と絶対他力)。
なぜ寛容だったんでしょうか。
逆に前者の異端憎悪についての解説もお聞きしたいです。
780 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 19:22:25.21 0
ざっくりいうと、
キリスト教はご存じの通り、基本的に唯一絶対神信仰。
唯一神というのはどういうものか、と教会権威を以てきっちり定義しているが、三位一体という自己矛盾混込み。
この定義に対して疑問を持ち異を唱えているのが異端と呼ばれる。
仏教は本来は自分の悩み・疑問に自分自身で考え抜き解決方法を求めるもの。
その結論は当然一人一人みんな違う。
もしそれを異端として排除しようとするなら仏教そのものが成り立たなくなる。
781 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 19:22:46.85 0
>>779 ・カトリックがそういう教義を含んでいた
・信者たちの気質がそうだった=そういう気質の人たちに広まった
782 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 19:23:43.86 0
「混」が余分に混じった。
784 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 19:32:21.43 0
世界史から学んだこと。
キチガイの言い分のほうが議論に勝つ。
第三者からみるとニケーア公会議でアリウス派が負けるのはおかしい。
まともなこと言ってると教会組織内で権力握れないんでしょうね。
で、どんどん過激な教義に陥る。
旧約聖書の創世記って、古代バビロニアの神話や伝説を継承しているけど、
旧約聖書以外に古代バビロニアの神話や伝説が現在まで継承されている
文献って他に何があるのでしょうか?アラビアンナイトとかに継承されていたり
しないのでしょうか?
革命後のフランスしかり、ギリシャ独立戦争しかり、19世紀は市民や民族が自由を求めて
革命を起こしたのに、成功後は皇帝や王族を欲しがる理由はなんでしょうか?
普通に考えれば王政を否定→元勲が大統領という流れが自然な気がするんですが、王様になったり
外部から王様を迎えたりする特有の現象はなぜなんですかね
革命の大混乱に疲弊した結果
この混乱をまとめられるわかりやすい権威にたよっただけや
>>779 いや、仏教も派閥ごとに相当論争繰り広げてるで。
寛容に見えるのは、たまたま流血沙汰になるような事件と結びつくことが、
キリスト教に比べて少なかっただけで。
それに関しても例えば、仏教も日本に入ってきたときには、蘇我氏と物部氏の権力闘争と結びついて結構血が流れてるし。
>>734 クセジュにお風呂の歴史があるようだが、読んでいないので何とも。コルバンの『においの歴史』あたりが近代の衛生と絡める上で基本文献では?古代や比較文化的考察はあるはずだが、不案内だスマソ。
790 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 21:25:52.20 0
>>786 フランスに関して言えば、革命後の政治の混乱や外国との戦争による疲弊のため、
ナポレオンのようなカリスマ性を持った人による強力な独裁が望まれてた。
ギリシャの場合はギリシャ市民が王政を求めたのではなく列強が王政を押し付けただけ。
当時はウィーン体制の真っただ中だったから、列強としては王政の方が望ましかった。
791 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 21:43:44.12 0
>>785 シャー・ナーメってイスラム以前の伝承を叙事詩にしたんじゃないの?
古代から発展した地域としてオリエント圏と中国がありますが、現在は前者は先進国とはお世辞にも言い難く後者も先進国にあと一歩というところまで来ていますが
この両者の決定的な違いはんでしょうか?k
結局は人口なのでしょうか
>>792 インドはエジプトは、ということになるし、比較の意図が全く分からない。質問の前提を共有できるように書いてくれ。
イスラエルは中国より発達しとるぞ
イスラエルが例えば上海より発展してるということはありえんだろ
技術力も総じて中国の方がイスラエルより上
>>779 異端排除は結構きびしいよ。
東南アジアで上座部、チベット・華南で密教、北支・で顕教が盛んになったのは、それぞれの地域で
異端を潰し尽くしたから。
日本に伝わった時点では既に衰退気味の時期で、伝わったどの宗派も力が衰えていて多数派に
なりきれなかったから、排他性も失っていた。
或る一宗派が多数派を占めるようなところでは、排他性が失われていない。
チベットなんかは、歴史がそのまま宗派間の勢力争いで、近隣の異民族を巻き込んでの血なまぐさい
争いになってるし、タイ、ミャンマー、スリランカの仏教も政権と密着していて異端を許さない構造になっている。
797 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 22:32:39.66 0
>>792 人口と国土の差。人口と国土が大きいから中国のほうが結果的に国力が大きく見えるだけ。
一人当たりGDPで比べたら、サウジアラビアやUAEなどの産油国や、
トルコやイスラエルなどの方が中国よりも上だぞ。
そう考えると別に両者にそこまで大きな違いはないと思われる。
>>797 一人当たりのGDP上位10国を見ても、これを使って比べる意味があるとは思えないが
799 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 22:51:22.15 0
>>798 その理由は何だい?
先進国の定義は人それぞれだが、基本的には「経済的に豊かな国」ということだろう。
経済的に豊かかどうかを考えるうえで一人当たりGDPというのは立派な一つに指標になり得る。
実際、上位10国は経済的に発展してることが明らかな国がランクインしてる。
>>799 そう、もちろん指標にはなる
だけど現在の国際政治の世界において大きな影響力を持っているのは上位10国のうちアメリカだけ
世界史板の性格上、
>>792さんの質問は経済に限定した話ではないと思ったのでね
いや「発展してる」といってるから大きさより科学技術力や一人あたりgdpのことだろう
人口は「発展してる理由」ということで出したんでは?
802 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 23:06:22.54 0
>>800 国際政治や経済における影響力だったら
>>797でも言ってるように、
基本的には人口と国土の広さによるところが大きいだろ。
根本的な経済力は意外と中東諸国に比べて極端に秀でてる訳ではないが、
人口と国土があまりにも抜きんでていて周辺地域への影響力がでかいので、
結果的にオリエント圏よりも大国に見えるだけだと思う。
>>792は先進国かどうかと言ってるが、先進国というのは基本的に経済力で決まるので、
経済力に関して言えば中国とオリエント諸国はそんなに大差ないと言っただけ。
803 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 23:08:41.37 0
>>800 そこに一定の人口規模以上の国、とさらに指標入れるといろいろ見えてくるよ
流石に小国すぎると影響力は小さくなる
ルクセンブルクが一人当たりGDP1位なのは当然ながら金融、タックスヘイブンなどが関係してくると思うんだけれど
これは国の影響力というより単に税制の問題だろう
>>779 異端審問が厳しかったのは中世よりもルネサンス以降。
プロテスタントが興ったり、大航海時代でより遠くへ出かけて異民族と触れたりすると
カトリックの正統な教義を守るという意識が強くなったことがある。
異教に対するより、同じ宗教の違う宗派に対する憎悪のほうが強くなる場合があるのは
どこの宗教でも同じ。
806 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 23:20:14.16 0
>>803 上位10位のうち人口が1000万以上に達してるのは、
オーストラリア、カナダ、アメリカの3国だが、
これらの国は確かに国際的な影響力もそれなりに大きい。
807 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 23:26:42.88 0
『白雪姫』や『はだかの王様』のような、いわゆる「おとぎ話」は欧州のいつごろの時代の文化風俗・社会体制を反映しているのでしょうか?
たとえば城に住居を構える「王様・王子様」がやたらと出てきますが、せいぜい都市国家の領主程度の規模にしか思えなかったりするのです。
本朝だと、「かぐや姫」は奈良時代、「山椒大夫」は室町時代、といったような感じですが。
中世ヨーロッパで行われた他国間との会議では何語が使われていたのでしょうか??
やはり、普通に通訳を連れて行ったのでしょうか??
809 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 23:58:06.87 0
>>808 ラテン語ほか
中世の貴族どもはかなりコスモポリタンなんで、大抵は数カ国語は話せる
>>796さん、なるほど、それは知りませんでした。
ただ、それは
>>780さんの説明と相容れない部分がありますね。
余談ですが、何世紀の出来事か忘れましたが、
セイロンで、イエズス会宣教師たちが、
(彼らにとって多神教は「無知蒙昧の邪教」だったので)、
仏教の論客達に公開論争を挑んだのですが
(彼らはキリスト教の優位性を信じて疑わなかったから論争を挑んだのですが)、
なんとその公開論争で仏教側がキリスト教側を論破してしまった(「論破」とはつまり仏教側のある設問にカトリック側の誰も答えられなかった)という出来事がありました。
すみません。
>>805さんの解説へのお礼を言い忘れました。
ありがとうございます!
812 :
ちなみに日本の情報を米に流してたのドイツだったとか:2013/10/15(火) 00:35:34.23 0
ゲルマン忍者に詳しいHPを探しているのですが見つかりません
どなたかゲルマン忍者に詳しい方、詳しいHPを知りませんか?
>>797 × 一人当たりGDPで考えたらサウジアラビアやUAEやトルコやイスラエルなどの方が中国よりも上
○ 一人当たりGDPで考えたら香港の方が中東のどの国よりも圧倒的に上。なお香港の人口はイスラエルとほぼ同じ
2012年における
中東の全国家のGDPを合計するとおよそ350兆円
中国のGDPはおよそ820兆円
つまり、中東が中国に匹敵、大差ないなどと妄言を吐いているのは現実が見えていないゴミ
世界師板から去れ
816 :
814:2013/10/15(火) 00:43:42.93 0
818 :
814:2013/10/15(火) 00:54:45.99 0
そうでなければ質問スレですれ違いの論争だ。少しは自戒せよ。
>>818 こりゃ傑作だw
アンタ鏡を見たことないのかいww
>>810 情報ソースも何も無しにそんな話し出されても、「仏教はキリスト教よりすばらしい!」とか主張したいようにしか見えないんだけど。
>>761 フィリピンの人口が増えたのは十九世紀後半になってからだ
それまではフィリピンなんてほとんど無人でスコットランドよりも人口がすくなかったこともある
822 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 06:15:14.19 0
>>813 香港という一都市と国を比べる方がおかしい。
あと、香港よりカタールのほうが一人当たりGDPは上だぞ。
>>815 それは何度も言ってるように人口の差だろ。
中東の人口よりも中国の人口の方が圧倒的に多い。
一人当たりGDPで比べたら大差ないだろ。
単に中国は人口が多いから大国に見えるだけで、
純粋な経済力では中東諸国と大差ないんだよ。
インドなど稲作地帯以外の熱帯は前近代においては決して人口稠密とはいえない
ナイジェリアなんか日本の倍以上の面積なのに1900年ごろの人口は千五百万で人口五千万の日本の三割でしかない
それがすでに人口一億五千万で日本を上回り2100年の推定人口は九億で日本の十倍以上になると見込まれている
・・・二百年で六十倍とかあいつらゴキブリか?
人口密度平方キロ当たり一千人というのもやばい
ナイジェリア全土を農地にしても足りるとは思えない
いくら産油国でも無理があるんじゃなかろーか・・・っつーかそれどころか石油輸入国になるだろーな
>>821 稲作をするマレー系の土人がいっぱい居ましたよ?
827 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 07:42:41.13 0
>>821 フィリピンは米作地帯なわけだが
それも水田
828 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 07:53:59.69 0
清代の民族・身分について質問です。
清の支配下には、民族的には満洲民族、モンゴル民族、漢民族、チベット民族その他少数民族が存在した一方、
身分的には満洲・蒙古・漢人の八旗に属する旗人と、それ以外の人々(これらを全て民人と総称して良いのかどうかもわかりません)に分かれていましたが、
満洲民族=満洲八旗、モンゴル民族=蒙古八旗、漢民族=漢人八旗+中国内地の民人という理解で良いのでしょうか?
また、旗人と民人の区別は満洲と中国内地だけのもので、
藩部に住む人々はこうした身分制度の外に置かれていたのでしょうか?
特にモンゴル民族に関しては、満洲にも内地にも藩部にも住んでいるので、
全員が八旗に所属していたのか、所属している人としていない人がいたのか、よくわかりません。
世界の神話や歴史の中には、奇形の動物が神格化されてたりするけど
こういう信仰の起源は、突然変異とかで生まれた奇形動物が元ネタだったりするの?
>>828 藩部とかいうけれど、実際には、藩部の方が本国で、漢土の方が属州なんだよ。
で、旗人は支配層。
>>830 満洲本土は藩部ではありませんが、属州なのでしょうか?
旗人が支配層なのは当然理解しています。まさか民人が支配層な訳は無いので。
入関前から旗人に属していたものは満・蒙・漢問わず譜代扱いで、入関後に支配されたのは普通の漢人。
漢軍八旗は清に登用された漢人の子孫だけど、習俗や文化は満州族と同様で実際に清が崩壊した後は
満州人の戸籍に編入させられてる
>>831 19世紀のイギリスに例えると、
イングランドが満洲、スコットランドが藩部、漢土がカナダやオーストラリア、
世襲爵位を持ってる人が旗人
834 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 09:02:32.48 0
>>810 780は仏教のごく初めの大乗部未分化のころのこと
796は仏教が発展して上座部大乗部分化ののちのこと
>>832 旗人であるか否かは、入関前に清の支配下にあったか否かによって決まっていたのですか?
つまり、1644年時点で山海関以東(以北)に居住していた人とその子孫=旗人という理解で正しいのでしょうか?
>>833 世襲爵位を持っている人が旗人であったという例えだと、
満洲人でも八旗に属していない人の方が多数派だったということになってしまいますが…
>>835 八旗に属するというのが、どういうレベルかによるだろ。
>>836 八旗に属する人=旗人だと思っていたのですが、もしかして間違ってますか?
藩に属する人=藩士
くらいの間違いです。
現代では生物的にHomo sapiensなら人だけれど、前近代では、
支配層のみが人で、非支配層は民だから、
八旗に属する人=八旗に属する支配層=旗人
八旗のそれぞれの領地で田畑を耕したり羊を追ったりして税をむしりとられる民が多数
だわな
旗人というのは軍人でしょう。入関以前、
満州人は国民皆兵制だったから全員八旗に編入されていただろうけど、
モンゴル人や漢人は軍役に就かない人のほうが多かったんじゃないか。
就かないものは支配を受けて納税するだけの民人ということで。
入関以後、漢人で軍役に就きたいものは緑営に入った。
日本でいえば、三河以来の旗本とか、甲州以来の旗本とか、関東以来の旗本とか、
徳川の旗本にそっくりだね。(末期にになるとまったく役に立たなくなるところなどがとくに。)
>>820さん
私は(育った環境がそうだったためもあり)どちらかと言うとカトリックに親しみを感じる者です。
プロテスタントの「理屈っぽさ」よりカトリックの「いい加減さ」が性に合うというか。
ほとんどの人は(無神論者を含め)、
死ぬまでに1回は、アミニズム的な信仰心を持つと同時に、
無意識に唯一神に祈るという経験をするものだと
私個人は感じています。
なので私の発言を「仏教はキリスト教より素晴らしいという主張にしか思えない」と取られるのは心外だし、それは誤解です。
でも、宗教に関する話は読み手に多少不快な思いをさせるものですよね。
その点はお詫びします。
ちなみにソースは
「Contrversy at Panadura」(Univ.of California,1990)で、
留学中に読んだので一次資料は解りません。
ただ、イギリス統治下の出来事なので、イエズス会というのは間違いでした。訂正して謝ります。
>>828 用語の使い方に違和感があるよ
「満洲」とは満民族を示す単語だから、「満洲民族」と呼ぶと
「満民族民族」という意味の奇天烈重複語になる
>>841の追記
>>810の私の発言の「余談」にはかなり間違いがあり、論争を挑んだのは仏教徒側でした。
ただ、植民地支配側の「仏教のような多神教は無知蒙昧の劣った教え」という態度が割と露骨だったので、
それに対して論争を挑んだという形のようです。
話は変わりますが(そしてこれも余談ですが)、
「異教よりも異端を憎悪する」という心情に似たものが、
スペイン内戦での人民戦線側の中にも見られますね。
彼らの手記を読むと、軍に対する憎悪よりも、
共産主義勢力と、それ以外の人民戦線勢力の間の憎悪のほうが強い場合が見られます。
>>840 入関以前の八旗に編入された人とされなかった人の割合ってわかりますか?
>>842 「アイヌ民族」という用語の使い方もあったりするのでそこら辺は大目に見てください。
「満洲」という用語は日本では地域名称としても一般的ですので混同の恐れもあります。
地域名称としても一般的なマンシュウでは、サンズイを取ってくりゃれ
二文字目の方のサンズイを、だね
五行説で火徳の王朝とされる明に対抗して、火に克つ水を意識して「清」「満洲」とわざわざ
サンズイの字を使ったんだから、そのサンズイを省略しちゃダメなんだけどね、ホントは
>>842 別に重複してもいいじゃん。
エスペラント語とか
リオデグランデ川とか
モンブラン山とか
言うし。
ドンズー運動ってなんで日本は受け入れなかったんですか?
>>807 もともと、時代考証を元に作品を作っているわけではないので、適当です。
衣装からするとチューダー朝ぐらいでしょう。
851 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 17:13:01.40 i
>>851 なんでフランスは嫌だったんですか?
あとベンカル分割令ってなんで反対運動起こったんですか?
無知で質問しまくってすいません!
東遊運動は最初うまく行ってたよ
フランスと協定結んだからじゃあ追い出そうとなった
854 :
785:2013/10/15(火) 20:26:32.36 0
>>791 回答ありがとうございました。調べてみたところ、シャーナーメは
古代イランの伝説を扱っていて、古代バビロニアの伝承では無いようです。
更にゾロアスター文献も、古代インド・アーリア人の伝説の伝承とのことでした。
引き続いて皆様に質問です。
旧約聖書の創世記って、古代バビロニアの神話や伝説を継承してますが、
旧約聖書以外に古代バビロニアの神話や伝説が現在まで継承されている
文献って他に何があるのでしょうか?アラビアンナイトとかに継承されていたり
しないのでしょうか? (シャーナーメは違うことは確認しました)
ティムールといえば、中央アジアのあの人しか思いつかないんですが
元朝の名前を見てると、名前の後ろに「ティムール」とつく人が多いです。宰相の脱脱とか。
ティムールというのは名前ではなく称号なのでしょうか、それとも「○○兵衛」とか「○○左衛門」
みたいによくある名前なんでしょうか?
856 :
Ministry of Foreign Affairs of Japan:2013/10/15(火) 20:51:16.94 0
世界で世にも珍しい部活ってありますか?
857 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 22:25:37.12 0
ティムールは「鉄」という意味じゃなかったか?
つまり日本語なら「鉄男」
858 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 23:07:33.86 0
>>852 当時ベトナムはフランスの植民地であり、ドンズー運動は植民地脱却を目指して、
独立運動の人材育成のため日本に留学する運動だ。
宗主国のフランスがベトナム独立を促進するような運動を喜ぶわけないだろ。
ベンガル分割令は、ベンガルをムスリム居住地域とヒンドゥー教徒居住に分割して、
インドにおける反植民地運動を分断によって弱らせようと思って出した法令だ。
インド独立を唱える人々が反対するのは当然だろ。
資料を見ると、三国志時代って6000万人いた人口が3000万人くらいに激減していますが
これは実際に人口が減ったのでしょうか?
それとも中央政権の力が弱まり戸籍把握ができなくなったということでしょうか?
860 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 23:11:50.29 0
>>855 ティムールは、日本語の太郎や英語のJohnみたいな良くある名前だよ。
別に称号ではない。元の意味は
>>857も言ってるように「鉄」という意味で、
中央アジアでは結構ありふれた名前なので珍しくない。
>>858 よくわかりました!
ありがとうございます
862 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 23:27:07.18 0
>>854 ヘシオドスの『神統記』と『エヌマ・エリシュ』には類似性がある。
863 :
次にお前は「憎しみこそ答えかっ!」という:2013/10/15(火) 23:49:04.09 0
>>841 カトリ自主規制が「いい加減」とか珍説だな
つか日本でプロ○ス自主規制とか見たことない
ボケが思うに神というものは基本的に肉屋なのだと思うが
君の感想を聞きたい
名前欄で作文してるage厨はNG推奨
865 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 01:02:47.62 0
台湾へ逃れた国民党軍を、なんで中共は追いかけて息の根止めなかったの?
三国志ネタは平行線を辿るんで却下
答えは世界中を探してもないのが基本
>>868 笑ろたwおおきにw
まとめはかなり難しいけどw
>>863さん
私は
>>820の最初で
「私は育った環境のためもあり)どちらかと言うとカトリックに親しみを持つ者です」
と言ったはずです。カトリックであるともキリスト教徒であるとも言っていません。
ただし無神論者ではありません。
幼稚園からカトリックの学校だったので、
話かける時は無意識にイエス様を思い浮かべる、という感じです。
ちなみにカトリックのほうがプロテスタントより(良い意味で)「いい加減」なのは本当です。
カトリックの「いい加減さ」とプロテスタントの「理屈っぽさ」は、聖母マリアの扱いを見ると解りやすいです。
カトリック地域では、イエスよりもマリア様が敬愛されている場合が非常に多い(行けば解る)。
でも理屈でいうと、マリアに神性はない。
なのでプロテスタントではマリアの地位は当然低い。(例えばアメリカのゴスペルミュージックの歌詞にはマリアはまず出てきません)。
(続く)
荒らしに反応するなよ荒らし
(
>>870の続き)
また、多くのカトリック教徒が教会の教えを守っているか、
聖書に従っているかというと、実際はそうでもないです(これも行けば解る)。
現代社会で反感を買っているのは、プロテスタントの中の、
いわゆるファンダメンタリスト(原理主義者)です。
原理主義者とは、簡単に言うと、
聖典の文章そのものを信仰の対象にしている人達です。
なので融通がきかなず尊大になりがち(一概には言えませんが)。
私にとっては、信仰というのは理屈で考えるものではないし、
論争するものでもありません(あくまでも私にとっては、ですが)。
「神とは何か」という事を論ずる事にも、興味がないです。
では寝ます。
>>865 渡海能力がなかったから。金門島も落とせなかったし。
歴史上だとプロテスタントの方がリベラルな感じがする
どこにでも宣教師送って原住民連れて来て賛美歌歌わせてたりしたカトリックに比べると
プロテスタントはあんまり布教に熱を入れない。商売の方が大事。
異端を許さないカトリックに対し、解釈の違いで諸派乱立してもお構いなしなプロテスタント
と、いう感じ
あと、創立当初のイエズス会のキチガイじみた規律の厳しさとか
カトリック教会に対する絶対服従の姿勢とか。
十字軍やら三十年戦争やらに見せる宗教的寛容性のなさ。
とにかく自分達と教義が違う連中が許せないのがカトリック、
「カトリック嫌いな人あつまれー」で集まった潜在的ノンポリシー集団がプロテスタントという印象
おはようです。
>>870の冒頭に誤記があったので訂正です。
私は
>>820の最初→×
私は
>>841の最初→○
※私の長文書き込みのせいで読みにくくさせてしまい申し訳ありません。この件では二度と書き込まないのでお許し下さい。
>>872 神さんから授かったありがたいルール(教義)ですら無視しまくる連中が
人間相互に定めたルール(法律)なんかに従うはずねーだろ。
現に、カトリック圏の連中なんて、狼藉者か盗人ばっかりだろ。
元々、聖書原理主義者が始めたものだけに、思想的には過激になりがちだったわな。
なんとなく、60〜70年代の過激派に通じるものがある。カルヴァンの神聖政治なんてスターリンの政治と変わらんかったというしな。
それくらい、カトリックのやり方にたいして不満が溜まっていたということなんだろうな。
いい意味でいい加減とかいうけれど、悪い意味でもいい加減。
契約遵守とか無いもんなあ。近代には必須。
EUの豚さん国とか、みーんなカトリック圏だろ。
879 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 09:51:57.53 0
ここ世界史板だから、圧倒的にカトリックが狂信的って認識じゃね?
スペインでは19世紀になってもまだ異端尋問とかやってるし、
たいてい敬虔なカトリック君主が領内からユダヤ人を追い出し、
その避難先はプロテスタント国だもんな。
で、プロテスタント国では金儲けは破戒ではないからせっせと働く。
カトリックのほうがアバウトって聞くと「ああ逆説か、面白いな」って思ってら
言ってる本人はマジみたいで、余計に(カトリック=融通利かない)を確信したよw
880 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 09:58:18.88 0
カトリックは離婚できないしなー
それでヘンリー8世は国教会作ったんでしょ。
堕胎禁止とか今でも言ってるでしょ。
結婚するまで処女、童貞とかね。
魔女狩りが一番激しかったのはドイツのルター派の地域なわけだが
882 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 11:10:14.70 0
883 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 11:18:34.97 0
>>880一切の中絶を認めない過激派はアメリカのプロテスタント。
プロテスタントの精神が近代資本主義の精神というんなら、
ダメリカちゃんと借金返せよ。ごまかすんじゃねーぞ。
885 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 11:28:51.84 0
>>880 婚姻の無効ってものもあってだな…
国教会が作られたのは教皇が婚姻の無効すら認めてくれそうになかったという特殊な事情もある
>>885 カタリーナ妃が出戻りになるじゃん。んなみっともない真似、スペインがゆるさないわな。
イベリアの八割方、サルジニア、コルシカ、シチリア、イタリアの半分まで領地にしている
大国の威光は無視でないわな。
唐突ですみません。
イギリスからアメリカへ覇権が移る過程で、ターニングポイントと見なされているのはどのような事件(?)か教えて下さい。
特に中近東の覇権をめぐる出来事に興味があります。
888 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 12:05:50.60 0
>>886 教皇はこの時点で神聖ローマ皇帝=スペイン王の支配下にあったから、そういうこともあるんだろうね
イメージ的には、
カトリックは腐敗と堕落のきわみで、
プロテスタントはいかれてるという感じだな。
ヤマギシズムみたいな宗派もあるよね。
じっさい、人間はほどほどに汚れていないと生きていけないから、
カトリックのルーズさがいいという考え方もわからなくもないけどね。
いまのプロテスタント主流派は、儀式のやり方なんかを除けば、
じっさい、カトリックとあまり変わらなくなっているんじゃないか。
平信者が狭義について深く考えることはないだろう。
890 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 12:52:56.54 0
>>887 一般的に言われているのは第一次世界大戦
891 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 13:03:10.59 0
>>879の知見はやや浅い。平信徒がどの程度能動的にコミットしているかという視点で見ると、
プロテスタントのほうが、信徒個人が極端な原理主義にコミットし頑迷な組織を構成する危険性を最初から内包している。
その点カトリックは「いい加減でいい」という教会と信徒の暗黙の了解度が実は高い側面がある。
そもそもだ
厳格なのと、いい加減なのと、どっちの方が危険か分からないよ
人々がいい加減だからこそ熱狂に乗せられてなし崩しに暴力の連鎖が起こることだってあり得るし
人々が原理主義的だからこそ確信犯的に異端・異分子を排除する危険だってあり得る
893 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 13:11:17.87 0
アジアにはエイズス会がくるまでコンパスや定規がなかったそうですが、
それではどうやってあの四角い家や宮殿を建てたのでしょうか?墨と筆で
手作業でやるとどうしても直線が引けないし、円も描けない。
江戸時代は製図法もなく模型なしでいきなり地面に家を建てていたと
日本を旅した白人が驚いていたそうですが、定規やコンパスなしも
ないしユークリッド原論も知らないのにどうやって幾何学的な
建造物を建てらることができたのでしょう?やっぱり
伝統的な職人技ですかね。
世界史でイギリス嫌いになるやつwwwwww
で、イギリスはスネ夫とジャイアンの極悪ハイブリットって書いてあったけど、
大戦でジャイアン(アメリカ)とスネ夫(イギリス)に分裂したって見解で良い?
イギリスに関しては、アヘン戦争とパレスチナ問題の経緯についてはちょっと弁護の余地がないな
>>890 ありがとうございます。とすると1920年代には、
アメリカの政治指導者層も、イギリスの政治指導者層も、
「すでに覇権はアメリカに移った」と認識していたのでしょうか?
>>854すみません。それが私の質問に対するお答えなのかよく判らないのですが。
>>894 大戦以前に米は独立で英の反対政策をとっている。右側通行が良い例。
>>887 第二次大戦後、イギリスがアメリカに、ギリシャとトルコにたいする支援を肩代わりするよう要請したのが重要だと思うね。
これを受けてアメリカがトルーマンドクトリンを発表し、西側の盟主としての立場を明確にした。とはいえ、
一次大戦以来、ゆっくりと移動してきたわけで、一夜にして移動したわけではないし、他にも重要なイベントはあったけど、
どこかに分水嶺というのを設けるなら、ここであると思います。
900 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 13:37:17.76 0
>>896 ドイツの歴史家のシュペングラーというやつが、
第一次世界大戦をきっかけに「西洋の没落」という本を書いている。
この本は、WWIでイギリスを始めとするヨーロッパ諸国は没落し、
アメリカとソ連が今後の大国になるといっている。
当時すでにこのような考え方が知識人の間には浸透していたわけだ。
901 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 13:41:04.58 0
>>895 アヘン戦争は当時のイギリスの議会内でも戦争反対派がかなり多かった。
僅差で戦争賛成派が勝利したけどイギリス人の全員がアヘン戦争に積極的な訳ではなかった。
数学的な意味での(式を使った)楕円形を描く方法は織田信長の時代まで知らなかった、と聞きかじった事があります(うろ覚え)。
そもそも楕円の数式を私は知りませんが(自爆)
>>893 ひしゃげた皿に糸巻がついてるような道具、知らんか?
皿には墨汁を染ませた綿が入ってる。
それが、コンパスであり定規だよ。
905 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 13:46:24.28 0
反動宗教改革こそカトリック、みたいなのは流石に知識足らんのじゃないかと思うけども
良かれ悪しかれ、いろんなもの無造作に受け入れて知らん顔してたのがカトリックな訳で
オーソドックスが偶像ぶち壊してた頃も、変わらず偶像拝んでたしなw
まあ、反動宗教改革もカトリックの持つ顔の一つだとは思う
>>905 地域によりマリア崇拝が強いのも、カトリックが教線を拡げるにあたって、
土着の女神を「それは実はマリア様なんだよ」と言って人々をカトリックに入信させた名残りと言われてるよね。
>>899お礼を書き忘れてました!すみません。
なるほど、丁寧な説明ありがとうございます!
908 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 14:24:18.61 0
プロテスタントにファンダメンタリストやクエーカー教徒がいるように
カトリックにもオプス・デイやイエズス会があるわな。
要するに一部の過激な一派はどちらにもいるというだけの話。
もっとも一般的な主流派はどうなのかで見ていかないとダメでしょ。
小さな枝葉ばかり凝視してたら全体は見えてこない。
離婚の抜け道があるっていうのはそれだけ戒律が厳しいってことでしょ。
プロテスタントなら抜け道を使わなくても離婚できるんだから。
抜け道があっても審問をパスしなきゃいけない訳で英国王をもってしてもパスできなかったということ。
インディアン悲史なんかを読むとカトリックと違ってプロテスタントは教化すらせずに虐殺するイメージ
アメリカ合衆国もロシアも地続きの場合には虐殺・植民はなんか容認されるイメージある
19世紀末からの合衆国大統領による植民地主義批判とか、お前が言うな
あ、念のために念を押しておくと(滅茶苦茶な日本語だな)、
>>891は
>>879に対する発言です。
>>889に対する発言ではありません。
なんでこんなクドい念の押し方をするかというと、
>>889の人が「それは俺に言ってるのか?」と誤解して気を悪くしてたら申し訳ないと思ったからです。
ギリシアのポリスって何で仲悪いの?
例えばアイギナとアテネって一貫してくそ仲悪いよね?何で?
日本と韓国みたいな関係なわけ?
913 :
特撮衣装海賊版販売によりコスプレ違法化:2013/10/16(水) 18:19:10.68 0
>>908 ここの板メイドに関しては盛り上がらないよな
914 :
Jud.! 我らが野望と勝ち組のために・・・・・・!:2013/10/16(水) 18:25:48.97 0
そういや二つの球を合わせてチューチューして何度も引っ張って街中を大騒ぎにした実験の化学式ってどんなん?
916 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 19:30:36.36 0
>>893 親戚の大工の家、その祖父さんは東京オリンピックのころまで現役で大工やってた。
ユークリッドなんて名前は知らんかったけど3・4・5で直角を出すのは経験と技術伝承で知ってたよ。
917 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 19:33:01.37 0
>>914 そりゃマグデブルクの半球だで。化学じゃなくて物理学だ。
>>809 なるほど!ありがとうございます!!
では、ウィーン体制辺りでの会議もラテン語ですかね??
>>916要するに経験則による職人のカンしかなかった、と。
白人は二千年以上も前に幾何学を完成・創始しているのにねw
920 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 19:49:29.22 0
>>918 ウィーン体制の頃の国際公用語はフランス語でねーかな
>>919 ヨーロッパの大工も経験則による職人の勘で家建ててるんでねえの?
922 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 19:58:58.44 0
>>904 コンパスは日本語で「ぶんまわし」と言うんだで
>>921アリストテレスとエウクレイデスがいる欧州にそれはないだろw
西暦10西紀くらいからエウクレイデス原論は白人の必須教養だったんだぞ。
924 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 20:03:24.13 0
>>919 西欧人は古代ギリシア人の直系子孫かよw
925 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 20:07:01.94 0
926 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 21:02:51.27 i
ピタゴラスの定理も理解できないDQN大工がスマホの函数電卓アプリを使いこなしてたりするからな
墨壺の原型は中国だし、竿で長さを測ったりしてる
水平と垂直の取り方も知ってたよ
個人の家くらいなら職人の経験もあったかもだけど
927 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 21:08:50.83 i
ピタゴラスの定理も理解できないDQN大工がスマホの函数電卓アプリを使いこなしてたりするからな
墨壺の原型は中国だし、竿で長さを測ったりしてる
水平と垂直の取り方も知ってたよ
個人の家くらいなら職人の経験もあったかもだけど
928 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 21:13:18.03 0
>>919 ふ〜ん、2000年前から白人は職人でも幾何学を学んでいるのか(笑)
929 :
アイドル妖怪カワユシ& ◆DQR3XSYjuU :2013/10/16(水) 21:20:20.10 0
>>917 とにかく式を教えてくれよ
女だったらおもしろそうな設定の人物スレに打ち込みたいんだ
それともここは文系オンリーなのか?
930 :
BBNってなんでしょ?:2013/10/16(水) 21:23:45.02 0
1: 世界史なんでも質問スレッド117 (929) 2: 【看過できない】集めればいいんだろ?コンプガチャの実態とは、★2 (9) 3: 【3.11】 その時2ちゃんねるは・・・ (73) 4: ■ 移転ですー (110)
あ、板死んだ
>>929 要するに大気圧というものが有ると示しただけで式などというものは無い。
933 :
イタクァを作らないか?:2013/10/16(水) 22:21:37.52 0
このスレの感想を詩に改めてください
日本にも測量や設計に使える数学 (和算) はあった。
>>929 p = F / S
p : 気圧
F : 2つの半球を引き離すのに必要な力
S : 球の表面積
935 :
854:2013/10/16(水) 22:30:22.89 0
>>862 ご回答ありがとうございます。ヘシオドスの『神統記』と『エヌマ・エリシュ』
の冒頭を確認しました。確かに類似性があります。大変参考になりました。ありがとうございました。
古代ギリシアの神聖戦争について詳しく書かれてる本があったら教えて下さい
カトリックはマリア崇拝や聖人崇拝、七つの秘蹟とか教会のヒエラルキーとか
聖書から逸脱した教義がいっぱいあって、信者の守るべき行動も教会に決められてしまう。
異端には厳しくローマ教皇の権威が絶対的。
…ということで厳格に見える。
プロテスタントはカトリックのような教会の縛りは全くなく、
「ただ聖書のみ」をよりどころにする。
聖職者のヒエラルキーもないしマリア崇拝、聖人崇拝も無し。
聖書を読んでいれば何とかなる、と言う点ではゆるいんだけど、
聖書を厳格に守るとか、外れたらアウト、とか考え始めると
原理主義者になっていく。
結局方向が違うだけでどっちもどっち。
プロテスタントなんて世の中が近代に移る時期に出てきたものだからね。
中世と近代との違いは、宗教に依存するかしないかだ。
宗教なんていらなくなりかたときに出てきたものが無理やり宗教の体裁を
とろうとするから、経文重視になるわな。
でも、所詮、宗教の要らなくなった時代のものだから。
>>938 お、おう
カール5世は近代人だったかー、そうかー
940 :
934 あり:2013/10/17(木) 03:33:29.58 0
反対の 言葉を入れると レスが付く
941 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 05:13:29.34 0
>>939 カール5世の手記とか手紙とか同時代人の証言とか読むと
非常に人権に配慮してて精神的には近代人レベルではあるね
あと「近代」と「近世」の区分って君が思ってる程受容されてるわけじゃないから
中世の後は全部近代って主張する人も結構いるよ
>>938 >>中世と近代との違いは、宗教に依存するかしないかだ
というけど、宗教改革や清教徒のアメリカ渡航は近世のことだし、
ある種の聖書原理主義が近代に興ったりもしてるからなぁ。
依存の仕方が変わった、くらいに言っておく方が無難じゃね?
944 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 07:46:50.95 0
いくらなんでも、カール5世の幻の世界帝国が近代ということは無い
ルネサンスから近代の「萌芽」が見られるということはあっても、即近代という人間はいない
苦しい言い訳してんじゃねーよ
>>942が言いたいのは「近世」というラベリングを使わない人もいる、というだけで、
例えば、ルネサンス期の人間を今で言うところの近代人だと主張したいわけじゃなくね?
実際、「近代でも前期と後期じゃだいぶ違うから区別しようぜ」ってことで、
それまで「近代」とまとめられていた時代を「近世」「近代」と分けて呼称するようになったわけだし。
まあ今時、中世以後をまとめて近代とラベリングするのは、古臭いとの誹りを受けても仕方ないが。
>>943 宗教が要らなくなったと、人間や科学が力をつけてきたというのも、
あいも変らず旧態依然とした迷信的な宗教宗門が力を持っているというの、
矛盾しながらその時代の現実だったから、そういう、革命改革が
そういう形で為された。
宗門に対して、教義に叛いてるのはそっちゃだろ、っていう攻撃が
意外にも有効だったんだよね。
近世なんていうのは、日本だけだろ。
徳川時代が立ち遅れた封建時代でだということもろに中世だったと言う現実を
受け入れられない連中の使う言葉で、それを更に無理やり既に中世を脱していた
西欧にまで適用しようとして矛盾が出ている。
江戸時代の日本って同時代のドイツよりは中央集権が進んでたろ
いや、普通に西洋発の概念ですが…>>近世
950 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 09:49:36.60 0
明治になってヨーロッパの歴史学の「古代」「中世」「近代」という区分を導入した。
んで日本の歴史に当てはめてみると、わずか10年前までが中世ってのはいくらなんでもおかしいよ、って声。
そのころヨーロッパで「近代」が大雑把すぎるから「近世」という区分が議論されていたので
日本は早速それを江戸時代の区分名にしてしまったということ。
951 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 09:59:13.86 0
そもそも、ルターの宗教改革そのものは、中世末期にラベリングされることすらあるのではなかろうか
>>950 わずか10年前までが中世ってのはいくらなんでもおかしいよ
ってその状況が、封建制徳川時代が中世だという現実を受け入れてない
ってことだよ。
>>951 中世にとどめを刺したのが三十年戦争・ウェストファリア条約だから、そこから100年遡った
ルターの時期は1200年続いた中世の終わりごろってことで間違いないよ。
>>948 中央集権が中世か否かの差なのか?
イギリスなんか、徳川家康の征夷大将軍宣下と同じ年に、スコットランドから王様呼んできてイングランドの王様と
兼任にしたのに、いまだに、ブリテン島の法域は統合されてねーでよ。1つの島に2つの国。
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国としては、法域は3つ。マン島とかチャネル諸島の2つの法域とか
加えると、6つも法域がある。集権ちげーよなあー
955 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 10:34:29.65 0
>>951 西洋史における近世(early modern)はおよそ16世紀頃から始まるとされるの一般的。
ルネサンスをきっかけにヨーロッパは中世から抜け出し、
その後の大航海時代と宗教改革によってヨーロッパは近世に入ったという考えだ。
>>952 受け入れていないのはおもに外国人なんですけどね。
彼らはどうも東洋の文明も自分達と同じような段階を踏んで進むと思っているから、
色々おかしいなとなってくるわけです。それで新しい概念や区分を創りだす。
社会制度だけが、特定の分野だけが進歩する事だってよくあることなのに。
957 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 10:48:39.84 I
オリーブ油って古代ヨーロッパだとギリシア・ローマ問わず
結構重要なポジション占めているように思えるけど中世にはいると
イタリア半島でさえ影も形も
なくなってるのはなんで?実は普通に使ってた?
個人的には
@オリーブ採る暇あるなら小麦とるってぐらい小麦が足りなかった
A植物油より動物油の方がいいや
B中世初期の混乱でオリーブの育て方がわかんなくなった
あたりが思いつくんだけど・・・
中世は暗黒時代だしな。嗜好品作っている余裕なんてないんだよ。
はいはい
>>956 封建制やら宗門の特権を廃止して、中世の次に近代
段階ふんでんじゃん。
そりゃ、三十年戦争に較べりゃ戊辰戦争は短いし、そこから産業革命までもまた短いけれど、さ。
>>957 絶えず栽培もされていてずっと使っていた。
食用、工芸、身体の塗布、その他諸々の用途に。
回教圏へも輸出される数少ない産品。
962 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 11:28:16.60 I
オリーブ油中世でほとんど聞かなかったんですけど
普通に活躍してたんですね
どうもありがとう
ぶり返すのも気が引けるけど、
カトリックとプロテスタントに関するみんなの発言を読み返してみた感想から言うと、
意見の食い違いは、「いい加減さ」「厳格さ」をどの視点から解釈しているか、という点に行き着くように思う。
>>879は明らかに
>>870>>872の言う「いい加減さ」と「理屈っぽさ」の意味を誤解している。
(しかも彼は、
>>870がカトリック信徒ではない、という肝心な事を理解できていない)。
>>891が言うように、カトリック信徒には教会を冷めた目でみる習慣が根付いている。
また、「教会が無節操に妥協やごまかしで教義から逸脱したので、聖書に立ち返ろう」というプロテスタントの思考の原点は
>>676に書いたブルトマン系近代聖書学によって根本を揺さぶられ、
皮肉にもその事が逆に一部の原理主義者をより頑固にさせ、
現在のアメリカの病巣を作り出す結果になっている。
話題をぶり返してすまん。忘れてくれ。
>>931 エジプトはどちらかと言えば白いんですが
965 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 12:37:40.00 0
イングランドという国は、欧州の中でも中央集権が早く進んだ国だって知らない人が居るとは驚きですな
スコットランド?ウェールズ?
ありゃ別の国だ
>>965 強引な言い方すればウィリアム1世の時には同時期の王朝に比べて格段に中央集権化してるからね
征服王朝で王が臣下の大きさを適度に細切れに出来たし、土地の配布も王の権力で行ってるお陰で
ウェールズがイングランドに併合されるのって、イングランドが中央集権する前じゃなかったか
>>963 たびたび蒸し返すようですまんが、一箇所だけ気になる点がある。
>カトリック信徒には教会を冷めた目でみる習慣が根付いている。
カトリックは、教会以外に救いはない、といってるやん。
プロテスタントは、聖書以外に救いはない、といってるわけで、
教義の上ではそこが焦点なんだから、ちょっと見過ごせないな。
>>968 いや教義と宗教組織に対する信者の態度が一致しない宗教なんていくらもあるやん
そういうことだよ
970 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 12:49:46.98 0
>>967 違うよ。
ウェールズがイングランドの完全な支配下に入るのはエドワード1世の時代。
この時代は模範議会が開かれるなど、イングランドの中央集権化が進んだ時期だ。
>>870 いや、だからウェールズ併合はイングランドの中央集権化が完了する前だと言ってるんですが・・・
>>971 >>967だと「する前」って言ってるだろ
何で「完了」に摩り替えてんだよ
素直にごめんなさいしろ
>>972 「中央集権する」と言ったら普通完了を意味するよ
日本語不自由な人?
>>973 「中央集権化する」言うたら「し始めたところ」から「し終わるところ」まで解釈が分かれるんだぞ
日本語不自由な人?
>>975 そういう解釈の分かれる言葉を「完了」に摩り替えてるから文句言ってる
勝手に言葉を摩り替えてる
>>967が問題
>>969 おっしゃる通りですね。
あと、「カトリック」という言葉は
「カトリック教会」という意味にも「カトリック信徒」という意味にも取れるので、
その点も今までの皆さんの意見のすれ違いの元のひとつになっているように思います。
ウェールズ併合って、鎌倉幕府の奥州制圧や
秀吉の九州、関東制圧みたいなものなの?
>>977 プロテスタントもプロテスタントと一まとめにしてる時点で
西洋史ナメてんのかとは思う
せめてプロテスタント諸派でもカルヴァン派、英国国教会、ルター派くらいは分けて考えて欲しいわ
>>976 あなたが何と戦ってるのか知りませんが
>>967は
>>965に対する反論ですよ
さもイングランドの中央集権化がウェールズと無関係に行われてるように書いてるので
それは違うでしょ、と
みっともないからいい加減やめれば?
>>981 無関係の部分と無関係でない部分があるんだが
何で一事を以って全てがそこに起因してると思い込んでるのか知らんけど
>>954 それはイギリスが中世の残滓を保っているってだけなんじゃ…
日本語には(現在)完了形がないから、文脈で判断するしかないな。
ふつう、中央集権化する、といったら、完了の意味で使われないか。
事実関係としては、イングランドが中央集権化を進めた時期にウェールズはイングランドに併合されたようだが。
985 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 13:59:29.07 0
イングランドの中央集権化は極論を言えば
>>966も言ってるように、
ウィリアム1世の時期にはすでに他のヨーロッパ諸国よりも進んでいる。
その後、エドワード1世の頃には模範議会などができて中央集権化が一層進み、
最終的にテューダー朝の成立する頃にはイングランド国内での中央集権化はほぼ完了してる。
この間の時期にたまたまウェールズの侵攻があっただけで、
イングランド国内の中央集権化とは正直あまり関係ない(完全に無関係とも言い切れないが)。
だから、
>>981がイングランドの中央集権とウェールズの話を関連付けたがるのはおかしい。
>>980このスレでのこの話題で発言した人のほとんどは、
「プロテスタント」と言う時、少なくともアングリカン・チャーチの事は脳内でプロテスタントから除外している感じがします。
アングリカンはその設立動機が「聖書に立ち返る」事ではないので。
アングリカン・チャーチはそもそもプロテスタントではないと思うが
いや、プロテスタントに分類する人もいることは知ってるけどさ
>>979 当時ブリテン島にはイングランドとスコットランドとウェールズが別の国として存在していた。
イングランドの中でも七王国時代とか、いくつもの国が覇を競っていた時代も有る。
例えるならウェールズ併合はヤマトタケルの熊襲征伐辺りかな。
>>987 そうですね。
アングリカン・チャーチは、カトリックとプロテスタントの中間を自称しているらしいですが、
この「自称」している主体がそもそも一枚岩なのかよく判らない所がありますね。
ちなみに英国教会から分離したプロテスタントのバプティスト派(教会)は
現在、アメリカで最大勢力ですが、
その分裂の歴史・分化した諸団体の教義の違いがあまりにも複雑なので、ここでそれを文章にするのは無理ですね。
そのようなわけで、プロテスタント諸派の考え方の違いについて論じていくと収拾つかなくなる気がします。
あ、訂正です。バプティストは「最大勢力」と言うより「人口で見ると最大」と言ったほうが正確でしたね。
(分裂した諸派は別々の主張を持っているので)。
>>966 それって、逆説的になるけれど、集権化できてなかったからなんだよね?
フランスは臣下たるノルマン公に対して抑制が利かなかった。
普通、外交権は中央政権が一括して握っていて、地方領主が勝手に隣国に攻め込んだりは
認めないものだ。
イングランドはイングランドで、なんとかウェセックス王を盟主と頂きながらも、内実は小国の
乱立状態で足並みの揃わない状況。数年前に呼び戻された外国育ちの若い王なんかナメて
かかっていて足並みの揃わないところを、攻め取れてしまった。
>>965 11世紀以降、ずっと属国。
>>979 そうだよ。
皇太子が東宮だったり、常陸国や上総国が親王任国だったりするのは、プリンス・オブ・ウェールズと似たようなものだ。
993 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 18:00:06.33 0
>>991 スコットランドは違う
百年戦争でも、フランスと同盟してイングランドガンガン攻めてるわけだが
>>991 何が言いたいのかどうもわからんが、集権化どころか国がバラバラだったイングランドに
ノルマンディー公が攻め込んで中央集権的な国づくりをしたって話であってだな
ノルマン朝イングランド王国は当時のヨーロッパの中で
格段に中央集権が進んでいたってのは教科書にも出てくるくらい有名な話で、
神聖ローマ帝国とフランス王国が内部に領邦抱えてバラバラだったのはわかるけど
それ以外のポーランド、ハンガリー、スコットランド、イベリア諸国は諸侯の話ってあまり聞かないけどどうなってたんだ?
>>991 フランスは中央集権化出来てないからノルマン公を黙らせられなかった
ノルマン公はイングランドを征服してイングランド王になりドゥームズデイブック作ったり
諸侯の大きさを揃えて大諸侯も弱小過ぎる諸侯も作らないで
中期中世的なレベルでは中央集権的な国造りをした
あとスコットランドは属国になったりならなかったりだろ
リチャード1世なんてスコットランドに臣従の義務から解放する代わりに
大量の軍資金の供出求めて、スコットランド王は二つ返事で払ってしまい
この時点で「11世紀以降ずっと」という事は絶対ないってことになるんだけど
>>994 イベリア諸国の諸侯ってタイファのこと?それならもう酷いもんだよ
後ウマイヤ朝はタイファの内訌で完全に破滅してしまったもの
まあ、キリスト教諸侯もカトリック両王の頃までは反復常ならぬ連中で
中央集権どころか、王と権利争いで何度も政府転覆させてるね
>>996 キリスト教国のことを指して言ったつもり。
つまりイングランド征服の1066年時点で存在したガリシア、レオン、カスティーリャ、ナバラ、アラゴン、バルセロナの
六カ国の国内がどうなっていたのか、という疑問。
バルセロナは伯領だしフランスの宗主権が掛かってないこともないから、それ自身諸侯と言えるかもしれないが
他の五カ国は全て王国だけど国内の諸侯の話ってガリシアが臣下に背かれた話ぐらいしか特に聞かないなあ、と。
994で挙げ忘れたけど北欧三カ国の状況もなかなかに謎が深い。
>>994 ポーランドはシュラフタ(貴族)の力が強く、王様はお飾り
フランスからポーランド王に迎えられたヘンリク・ヴァレジ(アンリ・ヴァロワ)は王にあまりにも実権がないのに
嫌気がさし、たまたま兄のシャルル9世が死んだので、ポーランドを放り出してフランスに戻って即位し、
アンリ3世になった
>>993 ある種の独立戦争だけれどな。
って、さ、百年戦争時期って、フランスとイングランドがまだちゃんと別の国になっていない時分だし。
>>995 お金を払うから建前上は対等にしてください
って、やっぱり対等ではなくてパシリィーじゃん。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。