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ぐは何貼ってんだ俺
ちょっと血管切ってくる
血管切っただけじゃ死なないから風呂にも入るんだ
ローマ古式にのっとった自決
加藤そこまでだ
ハンニバルが像を引き連れてアルプス越えしたってのは本当なのかね?
制海権はローマ
沿岸部はローマに封鎖
じゃあってことでアルプス越えてきた
ハンニバルさんマジ戦士
しかもアルプス山中の諸部族はローマでさえアウグストゥスの時代にやっとこ平定したのに
そいつらを調略もしくは蹴散らしながら進んできたという漢の中の漢
ゾウはほとんど死んだ
近世ヨーロッパの、歴史を題材にした絵画では、崖から転落する象がお約束。
十数はこえたんだよなぁ・?
歴史絵画の象は正直でかすぎるけどな!
象は結局役にたったんだろうか
道中でのハッタリには役立ったかもね
トラジメノー湖では役に立ったんでは
新渡戸稲造が武士の切腹を説明するのにカトーの切腹を引いてるけど、本当にカトー以外で切腹して自決した奴いるの?
歴史絵画では象がローマ兵を踏み付けてたりするが、実際には象は
人間を踏み付けるほど足を高く持ち上げられないとか。
ゾウに踏み殺されて死ぬ奴結構多いで
>>19 あれは跳ねられたって言う方が正解らしいよ。
象は人に限らず生き物を踏むのをいやがるんだが
狂乱状態になると踏むこともあるらしい
ただ立っている人のうえからはふまんだろw
森林象類似の小さなものなんだから
馬もそうだよな。変なもの踏んで怪我したくないから避ける。
いい子にしないとハンニバルが来るよ!
象の足の裏の皮は本当に繊細で
目隠しして寝てる人を踏まそうとさせてもすぐ気付いて足をそっとよけるんだよ
インドやタイみたいなあの辺じゃ象による踏みつけは割とメジャーな処刑方法
あと立ってる人間を踏みつけてるとこなんか絵画でもねぇだろw
跳ね飛ばして踏み潰してくんだよ
あと思ったけど戦象とかだと蹄鉄?とか初期の騎馬隊みたいに袋被せんのかな
店名が気になるな
象を描いてあるのはカエサル家の家名のもとになった先祖にちなんでるんだろうね
そういう解説あってもいいのに
ここにいる人はラテン語かじったりしてるの?
ロマ物に書いてある程度のラテン語はみんな知ってるよ
語尾変化が面倒臭くてなあ
みんなトゥスつければいいトゥス
相方のほうが面白いぞ
35 :
無なさん:2013/09/10(火) 06:00:41.59 0
古代ローマの皇帝にはかなりどうしようもない人間が多いけど、
ご馳走を振舞われる位で喜ぶ市民や反戦的な皇帝に歯向かう軍人等、
上も下も結構どうしようもない気がする。
それでも大帝国を作れる位だからこれでも他の国よりましだったんだろうか。
普段はご馳走なんて滅多に食べられないからなぁ
ご馳走ってかなり重要だぞ古代なら
今現在の日本でもな
飯より重要なものがどこにあるってんだ!バンッ
古代ローマ時代にラテン人にとっての本土ってどこら辺まで?現在のイタリアの領域で合ってる?(アルプス以南からシチリアまで)
時代によって違うだろ
共和制時代はマグナグレキアでさえ本国とは言いがたいだろう
アルプス以南ではなくて
アペニン山脈とルビコン川より南が本国
アペニン山脈とルビコン川より南がイタリア
アペニン山脈とルビコン川より北はガリア
シチリアとサルディニアとコルシカは属州
ルビコンまでが「本国」になったのは同盟市戦争以後?それ以前はローマ市だけ?
>アペニン山脈とルビコン川より北はガリア
丁度現在の”北イタリア”と呼ばれる領域とピタリ同じだね
北イタリアは人種も気質も南と別物なんだと(日本の関西と関東とかじゃなく、完全に別の国々と呼べるぐらい違うらしい)
中世も別の国でおすし
イタリア統一は相当後だしな
ガリバルディ万歳!
今日昼間にやってたNHK・BSの
「空から古代ローマ帝国を見てみよう」
を見た人いる?
ローマの進んだ技術、建築とか水道とかはローマが滅んで失われたって言うけどビザンツには受け継がれなかったの?
自称ローマな訳だし受け継がないのは変だと思うんだけど
51 :
世界@名無史さん:2013/09/12(木) 22:30:16.43 0
ローマほど頭良くて進んだ文明を持っててもキチガイカルトキリスト教に洗脳されてしまうんだからな
アヤ・ソフィアがあるじゃん
アヤソフィアはいいね
まあパンテオンの方がデカいし精緻だけど
ビザンツは旧ローマ領奪回には熱心じゃなかったもの
例外はユスティニアヌス帝ぐらい
せめてローマ含むイタリア半島だけでも維持できてればなぁ
ローマ帝国の後継国なのに肝心のローマを領有できないとは何とも恰好がつかない
占領維持する国力が無かったのだろうから仕方ないんだけど
アヤソフィア派?それともハギアソフィア派?
56 :
世界@名無史さん:2013/09/13(金) 00:18:54.56 0
5賢帝が終わった辺りの絶頂期にローマの技術者や知識層10万人が突然アメリカ西海岸にワープしたら
そっから北米を超大国に仕立てるまでにどれぐらい掛かる?カリフォルニアなら気候も地中海っぽくて似てるからそんなに掛からない?
>>54 11世紀半ばまでは南伊は維持していた。
12世紀にも、マヌエル1世がイタリアで戦略を展開している。
バシレイオス2世の次が名君だったり、
マヌエル1世がミュリオケファロンの戦いで挫折しなければ
いずれローマ奪還を目指した可能性は考えられる。
もともとローマ市を失った原因は産業の空洞化だし、12世紀までのイタリアに、
維持するに相応しい名誉以外の実利的な対価があったのかどうか。
>>54 テオドリックの東ゴート王国=西ローマ帝国
ユスティニアヌス1世が古代ローマを滅ぼしてしまった。
さらに、イタリアだけでなくパンノニアとイリュリアも東ゴート領だったので、
イタリアで東ゴート軍とビザンツ軍が戦っている隙に、スラブ人らがバルカンに
侵入し放題となり、ユスティニアヌス1世とベリサリウスらの故郷はスラブ化
していった。
>>57 ユスティニアヌス1世に憧れたマヌエル1世のイタリア遠征は、
ルーム・セルジューク朝に足場固めの時間を与える事になった。
マヌエル1世がバシレイオス2世に憧れて「ブルガリア人殺し」のように
「トルコ人殺し」と呼ばれるくらい対トルコ戦に専念していたのならば、
ビザンツは生き延びられたのかもしれない。
壁の内側しかない時とかって飯どうしてたん?
コンスタンティノープルの事か?
海側から船で補給していたんじゃないの
政治力だとカエサルとアウグストゥスってどっちがすごいの?
政治力特化だとブッ千切りでアウグストゥス。
理由色々在るけど、そもそも暗殺の被害者って政治力の破綻。
>>64 そもそも上下で測れるようなもんじゃないと思うがね
>>65 オクタビアヌスはカエサルの敷いた大まかなレールの上を歩いただけ、って評価もできる
からなんとも言えんだろそこは
元首制ローマのグランドデザインしたのは間違いなくカエサルなわけでな
カエサルが暗殺されたのは素行の悪さも原因だと思う。
カエサルとアウグストゥスが同時代で過激に競い合いしたら
カエサルが勝つと思うが
(最後は暗殺オチでも)
同時代にいたら軍を把握できて、指揮能力も高いカエサルが勝つかもな
でもローマを繁栄させるという意味ではどっちが勝つかは
神のみぞ知るって感じだな
ポンペイウスVSアントニウスの脳筋対決はよ
>>70 ポンペイウスは脳筋じゃないから、アントニウスじゃどうやっても勝てんだろ
「喜劇は終わった。喝采してくれ!」
オクタの最期の台詞から、カエサルの書いたシナリオ通りに動かされたという
苦々しさを嗅ぎ取るのは深読みかな。
>>72 そう読むとしたら、カエサルの〜、のみならず、
ローマのプリンケプス以外の何者になることも許されなかった
自分の人生への自嘲と考えてみるかな
バカ言え、アントニウス他後継者なんかいくらでもいたろ
逃げ出す選択肢も取れたわ
アウグストウスの最後の言葉は創作じゃないかと思ってる
あれほど偽善を貫きかつ後世への配慮をあれほど考えた人生だから
跡継ぎが不利になるようなことはいわんだろう
本当だとすると王にあらざる王になったことに対する言及だとは思う
自分の役割を演じきってハッピーエンドになったから喜劇
>>75 皇帝伝なんぞ創作と伝聞がメインだろ
所詮は史書じゃなく伝記
オクタ「名君のふりはウンザリだ!暴君になって悪逆の限りを尽くしてぇぜ!」
スヴェトニウスなんてハドリアヌス帝の時代のやつだもんなあ
帝政初期の皇帝たちの逸話なんか知りようがねえ
2つの皇帝伝はどちらも地雷源だから仕方がない
カエサルの愛人セルヴィーリアの扱いに関しては協力できたオクタ少年とアントニウスが微笑ましい
下手したら暗殺犯の母親という理由で害されそうなところを逆に丁重に扱って面倒みてる
政治的に有効だったんだろうな
セルウィリアが助かった理由
・前夫が民衆派としてスッラに殺されてるため、一応民衆派だった
・カエサルの愛人の立場を利用して政治的に動いた経歴がない(ファルサルスでのブルータス助命はカエサルの独断
・クレオパトラのような野心は皆無
・カエサル暗殺後、ギリシアに逃げたブルータスについていかなかった
というか、被粛清者の女性肉親や妻で殺された人はいたの?
>>51 頭良すぎて裕福になって吐きながら食べたり飽食と快楽に溺れていったって
>>49でやってたよ
吐きながら食べる、はセネカの社会風刺の拡大解釈じゃないのかと思うが
共和制時代でも吐瀉剤用意して会食してたのだし
口先ではストア派哲学を語りながら吐いてまた食う。
そこらの折り合いはどう付けていたのやら。
吐くのは当時推奨されてた健康法
食いたいが為に吐いてたのは少数だと思うがな
ウィテリウスはともかくクラウディウス程度で特筆されるくらいだから
ローマの墓碑銘はエピキュリアンだよな。
「生きてるうちに酒をたくさん飲んでおけ。死んだら飲めないぞ!」とか。
それはただ酒飲みなだけです
91 :
世界@名無史さん:2013/09/15(日) 19:17:53.81 0
ローマほど進んだ科学技術を持った人たちでさえ洗脳してしまうユダヤカルトのキリスト教。恐ろしすぎる
卑しい下衆民族なのに日本人を洗脳した層化学会みたいだ
寧ろ学術文芸という面ではギリシャのポリス時代から後退しているローマ
ユダヤ人がよく「キリスト教なんてユダヤ教のナザレ派の一派」
といってるが
ああ確かにそうだがお前たちが迫害される理由はわかったwとおもった
新書で『ユダヤ人とローマ帝国』というのを読んだら、ユダヤ人は
ローマ以前のセレウコス朝支配下の時代から差別されててワロタ。
>>92 ローマって共和制の頃から
ギリシャ文化奨励派とギリシャ文化くそくらえ派が争ってるからな
そりゃ先達の文化を継承発展させるのは無理だよなあと思った
>>93 て言うかユダヤ人だったイエスもそう思っていたと思うよ。
弟子の弟子あたりが勝手に派閥争いしながら新宗教作ったんだしな
だいたいパウロのせい
ローマ時代の科学技術はあくまで古代レベルだから
基本イスラム、モンゴルなどによる東西交流で
新技術が大量に入る前の世界って各地域で分断されてて技術的な広がりに限界あんだよね
んなこたないさ
古代にはスキタイがいるし
インド交易も活発だった
キリスト自身も自分はユダヤ教徒だと考えていただろうし
そもそもパウロって小アジア出身のローマ市民権者でギリシャ語話者で、
ガリラヤの属州民ばかりの使徒達の中では異質な存在だよな。
ローマで布教した連中はイエスには面識が無かったメンバー。
それだと寂しいので、ラテン語も話せなかった使途が、何故かローマに出張して布教した事になっている。
>>54 ユスティニアヌス1世以外でイタリア全土を奪回する可能性が
あったのは、ヘラクレイオスとその後継者だけだと思う。
ヘラクレイオスはササン朝と対決する事を諦めてカルタゴに
遷都しようとした事があった。もしそうしていたのならば、
新帝国は西地中海で勢力拡大をせざるえないだろうから、
カルタゴからイタリア全土を征服する事もありえただろう。
そして、やがてササン朝かアラブ軍がカルタゴを占領する
事になったのならば、再びローマが帝都に返り咲く事に
なったかもしれない。
ローマ末期の元老院とか貴族ってどんな感じだったんだろうか?
たしか550年頃までローマに元老院は存在したらしいけど、そのあとコンスタンティノープルに移ったのか虐殺されたのか
蛮族侵入後の貴族たちはどうしてたんだろう ロムルス・アウグストゥスは退位後ヴィラに移り住んだらしいけど
現代まで続く唯一のローマ貴族はマッシモ家だけらしいね
さすがに眉唾だろう
末期の元老院ならシドニウスがいろいろ書き残してる
ガリアの所領をゴート族に取られちゃったけど
その所領を割り当てられたゴート人がわざわざ金送ってくれた、やったー
とか
ローマ人有力者 → 聖職者
蛮族 → 王・封建諸侯・騎士
ローマ人有力者 → 聖職者
蛮族 → 王・封建諸侯・騎士
>>106 領土を大名に取られたでおじゃる
でも大名が献金してくれたでおじゃる
やったー
っていう日本の公家と同じだな
ゴート族、割とローマ人の元老院階級大事にしたよね……
ランゴバルド族はアレだったがw
アッティラ→大王
ゴート王・ゲピード王→側近
ギリシャ知識人→顧問
ローマ人→獲物・戦利品
113 :
世界@名無史さん:2013/09/17(火) 22:33:25.18 0
クラディウス帝がブリタニア遠征したときに
カエサルがガリア戦記を事細かく記したように
ブリタニアの蛮族との戦いの記録があれば面白かっただろうなぁ
何年にどこどこを制覇したって言われても、制覇するまでの詳しい経緯が分からないと実感が沸かない
>>113 あんなにすごいものを残されたら、余程の文才がない限り自分も書こうなんて思わないだろうね。
>>113 そういや考古学的にはアグリコラの総督着任より前に
割と北の方までローマ領化出来てたとか
タキトゥスのおっさん義父を賛美したくて話盛ったやろ
末期のローマは人材不足だな。特にローマ人の人材が
それって上流層がこぞってキリスト司祭になったのが原因?
プロコピオスの『戦史』を読んでみたいなあ
日本語訳ないんだよな
末期は司祭には優秀な人間いるよね
ペラギウスとか
知ってる人名を挙げるスレwww
アッティラがローマ側の人材をスカウトしまくり
122 :
世界@名無史さん:2013/09/18(水) 04:00:36.10 0
スティリコ将軍「ヴァンダル人で悪かったな。でも心はローマ人だッ!」
ホノリウス「だが処刑する」
スティリコはどうすればよかったのだろうか?
ユーロ見ているとやっぱローマだよな。
中枢の獨仏とお気楽貴族の伊、屑の希に他人行儀な英、ちょっこし仲間はずれの土
カエサルなら事を起こしてホノリウスに取って代わってたな
ホノリウス自体が父が初めて皇帝になったわけだし、
由緒正しき王家でもなんでもない。
ローマの王朝って長続きしないよなあ。
歴代最長が最後のパレオロゴス朝で、それでも200年に数年足りない。
100年以上続いたのだってヘラクレイオス朝、マケドニア朝、コムネノス朝、パレオロゴス朝だけ。
100年以上続いてるのは全部東西分裂後の東方皇帝で、
東西分裂前だとユリウス・クラウディウス朝とネルウァ・アントニヌス朝が僅かに100年足らず。
あとは続いても数十年で滅亡。
1つの王朝に拘らなかったからローマ帝国全体で長続きしたのかもな
血縁がなくとも皇帝になれたから
ローマという枠組み自体は長く残ることになったけど
それぞれの王朝は短命になったか
成立過程からみて血統そのものに正統性が与えられるものではなかったですし
初代は血統にこだわったが
133 :
世界@名無史さん:2013/09/18(水) 22:52:12.31 0
ギリシアだが、小西晴雄訳のトゥキュディデスがちくま学芸文庫から10月間。
カエサルの考えた帝政自体が共和政の発展形みたいなもんだし
中世やオリエントの王政・君主政とは根本が違うとこがあるよ
ローマ独自の政体とも言えなくもない
どう考えても権力基盤が若干脆弱な王政そのものです
>>134 まあ都市国家から発展した多民族国家の世界帝国だしね
どっちかというと終身制の大統領制
共和政の基盤は残してるし
帝政後期みたいな専制君主制なら王政っぽくあるが
決定的に違うのが事実上世襲と法律上世襲の差
民主国日本の今の天皇でさえ天皇になる法律上の根拠は血統
ローマは根拠が元老院と民会の支持で血統ではない
王政ローマは世襲じゃなかったんだよな
未発達の部族社会は指導者が世襲でない事が殆ど
それはもう王っていうより酋長って感じだな
プーチン朝
プーチンは息子いないんじゃなかったっけ
メドヴェージェフが副帝か
ローマ人の物語
終わりの始まり
未発達の部族社会のまま地中海の帝王になった?
現代人から見るとローマ式のほうが被害が少なく好ましくみえる
後継者対策でハーレムつくったものの親族血縁で殺し合いなんて本末転倒過ぎる
逆にローマ帝国の暴君・暗君後の名君登場率の高さは異常
まあローマ式いうても帝政入ってから基本は血縁相続ですんで
五賢帝は爺とホモの集まりだし
しかしスッラとマリウスの抗争何かを見ると
ローマも結構血なまぐさい・・・
帝政に入っても皇帝暗殺大杉だし
日本の天皇や将軍はそんなに暗殺されてる例が多くない気がするんだが、
やはり東アジアならではの「畏れ多い」感じが大きいのかね?
あ、でも中国だと皇帝や皇族が
容赦なく殺されたことも多かったんだっけ?w
>>148 養子多すぎ問題
疑似血縁とでも言うべきか
あとホモじゃねぇバイ(疑惑)だ
>>150 押し込め、と言うものがあってだな
ご病気orご乱心ゆえとっとと御退位御隠居あそばせってな
まあローマ皇帝は終身元首なのがネックだったかと
ちうか日本は最高権力者がすぐ名目上のものになるから
殺す必要ないんじゃ
天皇も鎌倉の征夷大将軍も
御輿が大人しく担がれててくれるとは限らない訳で
>>150 中国も統一王朝の時代は暗殺少ないけど
南北朝や五代や清朝崩壊後の分裂時代は酷いぞw
日本は一部を除けばそもそも天皇や将軍が権力持ってないっていうw
曹操方式だよね、実質権力は持っていても皇帝はそのままでって。
>そもそも天皇や将軍が権力持ってないっていうw
誰が持ってるの?藤原氏?
将軍が権力持ってなくて藤原氏が権力持ってた時代は無いと思いますが
>>158 摂関政治ゆうだよ、平安時代は将軍も天皇も権力持たずに藤原氏の天下。
平安時代の将軍って…
将軍職自体はあったけどな
鎌倉幕府以降の将軍的なのではないけどな
何ゆってるだよおまいら、将軍が権力持ってなくて藤原氏が権力持ってた時代は有ったのか無かった
有ったのか無かったんじゃない?
ないあるよ
坂の上の田村麻呂なんてかなりでかい権限持った将軍やで!
彼の征夷大将軍の現地を直接支配して税とれるという非常大権を
日本全国に広めたという法構成が幕府の法権原
だから「幕府」という平和なのになぜか法律上戦争状態にある制度なんだぜ
関白、藤原秀吉っていうのもいるし
秀吉の法権源は公文書閲覧権と帝への助言役という構成だね
より天皇に接着してる
>>165 鎌倉時代の"将軍"って征夷大将軍じゃない期間がかなりあったんだけど
そろそろローマに戻って来い
普通の市民と風呂に入れる皇帝なんて、
フレンドリーで素敵やんw
実権無いのに簾の向こうで顔も見せられないお偉いさんなんかより、
皆が実物でもコインの肖像でもその顔を知ることができる、
ローマの仕組みはいいね。
ガリアに侵攻したフン王アッティラは逃げ切れずと絶望し
川に飛び込み自殺を図った母子を自ら泳いで救い出した。
秀吉「北野大茶会で僕と握手!」
トラヤヌスの風呂場エピはおもろいな
背中をかいてくれる奴隷がいない兵士の話
それトラヤヌスやない、ハドリアヌスのときや
そうだっけ
すまそ
>>170 ちなみにインペリアル型テルマエ、いわゆる皇帝浴場の創始者はネロ
ギリシャ贔屓だけあってギムナジウムとセットで造られた
自分の風呂に庶民を入れてやって人気取りしたとスエトニウスに毒づかれたのがティトゥス
これらの発展形にして完成形がトラヤヌス浴場
そういや奴隷とか外国人は公衆浴場入れたん
前スレからの疑問なんだが
出典は不明だが「超低料金で奴隷でも入れた」という説明を
ローマ関連の解説本でよく見るから入れたんじゃないか
奴隷も数が多いし
衛生状態よくないと都市部じゃ疫病の原因になるよね
奴隷と一緒の風呂に入るとかマジごめんなんだが
本当かよ
そもそも風呂の維持管理保守は奴隷の仕事じゃないか
ローマの文化受け継いだイスラムにも公衆浴場はあったが
出入口が奴隷用と普通用に別れてるだけで内部は共用だった
>>180 でも金持ちはオイル塗ったり垢すりしたりの奴隷を引き連れて入ったりしたんでしょう?
引き連れた奴隷の数の多さがステータスだからな
江戸時代の銭湯が出入口が男用と女用に別れてるだけで内部は共用だったみたいな
というか少し上に背中を掻いてくれる奴隷がいない兵士を皇帝が見た話がのってるではないか
皇帝も奴隷も元兵も同じ場所にいたわけだ
同じ場所でも客と三助は違うだろ
奴隷は自前
浴場の従業員とは別だぞ
入浴目的でくる奴隷と介添えでくる奴隷は別物だろ
それくらい理解しろよ
新宿2丁目的なサウナもございます。
>>180 奴隷の価値すらないお前がそんな身分になれるわけねぇだろバーカ
急にどうしたの?奴隷なの?
大米帝酷
├―――┐
日本奴隷 南韓獣
部落差別の本で
部落は汚れた平民であるから平民の下にいた奴隷たる下人でないといってたな
下人は奴隷だから同じ部屋に入れる。風呂場での世話ができる
エタは汚れてるから同じ部屋には入れない
よって主人の世話なんてできない
なかなか面白い
より差別されるエタが平民に戻れる場合もあるヒニンより「エタヒニン」の世界では上というのも
>>180の
奴隷を汚いという発想は近代化された新たな差別意識と言うべきだな
普通にローマ時代から汚いだろ
そもそも固定化された身分の日本の部落民と
変動する身分であるギリシア・ローマの奴隷を一緒にされても困る
比較するならヒンドゥーの不可触民とやっとけ
ディオクレティアヌス帝の家系も奴隷階級出じゃなかったっけ?
奴隷と言ってもワタミの社員より待遇が良い奴だっていたわけだし。
そういう連中の能力はワタミの社員と比べ物にならんぞw
奴隷の中で一番高級?なのはギリシア人等家庭教師。一番下級なのが子供か技能のない女
>>199 家庭教師の値段は家一軒分くらい。家族同様の扱いを受けた。あと秘書や楽器演奏家も超高額で大切にされた。
そりゃ死なれたり逃げられたりサボられたりしたら困るもんな。気持ちよく働いてもらわないと。
肉体労働は強要できるが知的生産活動は強要できんからな
代替性もない
本を作る写本奴隷は知的生産であると同時に肉体労働でもあった
本を作る写本奴隷は知的生産であると同時に肉体労働でもあった
一括で奴隷ってくくりにされてるだけなんだよな
誰もが縄付き重りつきで奴隷市場で買い叩かれるアメリカ奴隷制度をイメージしてはいけない
そういう技能持ちの奴隷なら正直下層庶民よりよっぽど良い暮らしに加えて兵役の義務も無いし
それに解放奴隷になるのにかなりの資産が必要な時点で奴隷にも報酬が支払われていたのは確実なんだから
債務とかで簡単に奴隷とかになったりするあの頃の奴隷と後世の奴隷とは違うものなんじゃないの?
>>205 アメリカの黒人奴隷は、歴史的に見て奴隷制度の中でも最悪の待遇の一つだよ
>>204 ほぼ一緒だから特に問題は無いよ
ローマの奴隷の99%は米黒人奴隷をイメージすれば善い
ローマ暗黒史観の持ち主がきたぞーーー
みんな隠れろ!
知識奴隷はいいけど
農園と鉱山労働に回された奴隷はキツそう
カエサルがスッラに狙われてローマ脱出するときに一緒についてきた使用人奴隷もいたな
途中で体調崩したカエサルを看病したり逃亡先で一緒に戦ったり
ついでに暗殺されたとき命懸けで遺体を持ち帰った奴隷も
同一人物ではなさそうだが歴史の陰で大活躍だな
そりゃカエサルに付き従ってた奴隷はそれこそ子供の頃から寝食を共にした奴隷でしょ
同じ家庭教師から学問も教わる、将来は主人の手足になって働く為に
まぁカエサルの周りの奴隷は何故か解放奴隷になるよりもカエサルの奴隷として一緒にいるほうを選んだとか何とかあったみたいだけど
日本の中間や下人のイメージなんだよな
有能なら有力なクリエンティスになるだろうけど独立させたらもったいない場合がある
小アジアからローマに売られてきた子供の奴隷が
主人の元で複数の著名な学者に師事して大成した事例があったな
ハドリアヌスにも一目置かれた、エピクテトスだったかな
日本人のイメージする「奴隷」って黒人奴隷とかになっちゃうから
ローマ時代の奴隷の多くは日本語の「奴隷」という訳は相応しくないんじゃなかろうか
でも元もとの意味での奴隷はあっちのほうがどっちかいうと正統でおすし
「派遣」にするか(棒)
ローマ時代の奴隷の多くは日本語の「奴隷」と完全に合致する存在だよ
マムルークやイェニチェリの様な存在は1%未満
奴隷の反乱とかあったらしいじゃん?
アレは被征服民のリターンマッチでもあるな
>>219 農園奴隷が割合として最多だったそうだが、江戸期の小作人をイメージすると分かりやすい。収穫量の何割かを所有者に納め、残りを現金化するなどして自活していた。楽ではないが、飢えることもない程度の暮らしができた。
特殊技能を持つ奴隷は今だと専門職、家事奴隷は使用人やサラリーマン(主人に代わって家業の経営に従事)にあたり、都市部だと結構な人数がいた。職種によれば高い報酬を得られることもあり、自由民になれる可能性が高かった。
悲惨なのは鉱山奴隷でこれがイメージ通りの奴隷。全体の二割弱。あまりの重労働で平均寿命は30歳くらいだった。
所有者に虐げられ、悲惨な生活を強いられていたのが大多数というのは、古代ローマに限って言えば間違い。
古代ローマの奴隷は所有者に虐げられ、悲惨な生活を強いられていたのが大多数
土木作業に従事する奴隷は鉱奴隷と似た存在で稍マシな程度
農奴隷は中世の農奴の様な裁量権や拘束された中での権利も無く
地主階級の広大な農地に大量投入されその日暮らしで酷使された
家内生産に従事する奴隷は比較的マシだが、当然自由は無い
知能労働に該当するのは1%にも該当しない
無論、彼等は全てモノでり人格権は存在ししてない
そんなに虐げられたら中国王朝のように農民反乱で滅亡する
225 :
世界@名無史さん:2013/09/24(火) 00:16:39.14 O
バガウダエてのが帝政後期には問題になってな
まあローマも数千年あるんでなんともいえんが
共和政時代の農園奴隷が過酷な扱いを受けていたのはカトーの農耕論や農園奴隷が大半のシチリアで
数回に渡る奴隷戦争がおきていることからもわかるだろう
てゆうか農園奴隷が自分で作物処分できたとか出典どこよ?
古代ローマスレでローマも数千年あるとかバカじゃないの?
227 :
世界@名無史さん:2013/09/24(火) 00:24:19.37 O
東ローマは正統なローマ帝国ですがなにか?
公式には一応2000年余り続いたことにはなってるが…
そういやビザンツ末期の農村ってどうなってたんだろう
古代ローマで反乱が頻繁に起きたのなら根拠となる一次資料があるはず
無いなら眉唾
そもそも反乱が続いたら国力が衰退して千年以上も国土維持できない
こいつまえもいた暗黒史君で妄想基地
さわんな
お花畑史観の方が少数派のようだが
やっぱり一番きついのは鉱山なのか
水車使った送風設備もないだろうしなあ
やっぱ少女奴隷の需要ってエッチ?
むしろ少年奴隷が
>>234 娼婦ももちろんいるけども
そればかりではないのも当然である
昔は子供を作る事が足枷となって奴隷にならざるを得なかったんだろうか?
自殺したらその家族が罰せられていたのかな?
人権という意識が出来る前の時代の奴隷ってどんな暮らしをしていたんだろう?
ローマの奴隷は被征服民が基本
戦利品だから貴重な財産
外国にいってかった舶来物の地元名産品の一種とかんがえればよい
美人の性奴隷を飼うことは男の夢の一つだけど、
大金払って仕事に使えない奴隷買って
日々の飯食わせたり外見の手入れさせて、
オバサンになっても生きてること考えると
娼館に行った方が早いとみんな思ってたんじゃないか
自分の傍にいる女性奴隷についムラムラっときてやることはあるだろうが
性奴隷にも家の中の仕事はさせてもいいんじゃないか?
241 :
世界@名無史さん:2013/09/24(火) 19:18:34.79 O
帝政後期のガリアにおけるバガウダエの闘争はめちゃくちゃ有名だろ
ガリア帝国や蛮族どもの侵入もこいつらがいたおかげ
スティリコやアエティウスも悩まされてる
>>240 奴隷にも契約あるからねえ
本来の用務以外のことやらせるなら、再契約した上で給金払う必要があるよ
>>240 それじゃダメなんだよ、何となくだけどさ。
244 :
世界@名無史さん:2013/09/24(火) 21:16:34.64 O
全裸で家事させれば盗難も防げるだろ
奴隷戦争:共和政後期
バガウダエの乱:帝政後期
この間の時期には何かあったっけ
>>244 何言ってるんだ。
古代ギリシャ人・古代ローマ人が全裸、
もしくは半裸で生活していたのは常識だろ?
あの時代の彫像がみんな肌も露わなのが何よりの証拠。
古代の神々を信奉する多神教のマクセンティウスがコンスタンティヌスに敗戦しなければ
ヨーロッパはキリストカルト化せずに済んだ
コンスタンティヌスってほんと売国奴だよね。たった10年前までキリスト教徒迫害してた国が
一気に政治権力の中枢にキリスト教徒が入り込んで一神教崇拝固定、多神教の神々弾圧、そして中世暗黒時代へ突入
アッティラがローマ・ビザンツの息の根を止めて
フン帝国がヨーロッパを支配していたらキリスト教は廃れていたかも
宗教ってのは雑草みたいにしぶといものだ。
キリスト教世界が暗黒時代だった頃
イスラム世界は黄金時代だった
>>248 マクセンティウスが負ける時流の流れがあったのだろう
あるいは天下とったユリアヌスが不運だったってことも時流関係あるかも
>>251 イスラムはローマの文化の一部を引き継いだのよね
キリスト教世界はローマ的ギリシャ的なものの破壊を奨励したけど
同じセム系一神教でもこの差
>ローマ的ギリシャ的なものの破壊
それってギボンに言わせるとフン族はじめヴァンダルなど蛮族の仕業に
皇帝の像とかキリスト教徒が率先して壊してたけど
マルクス・アウレリウスの騎馬像が残ったのは聖人の像と勘違いされてたからって話が
アッティラって極悪人のように言われるが
実はキリスト教の狂信者達を大根の如く
NADEGIRI&SATUGAI
し、支配下のゲルマンやアランなどの
部族の伝統を保護した英雄だったのではないか。
レオ1世「アッティラが逃げ帰ったのはわしの威光」
略奪していいよ!暴力は振るわないでね!ってお願いした人乙
逃げ帰ったとかふかし過ぎ
>>251 ウマイヤ朝とかイスラム帝国時代はアラビア半島出身の
生粋のアラブ人だけがムスリムで、領民のほとんどは
まだ異教徒のままだった。イスラム教が領民に広まるに
つれて帝国そのものは衰退した。
例えば仏教徒とかだったアフガン人が改宗したのは
既にガズニ朝時代だった。アフガン人はゴール朝を
創建してやがてインドに攻め込み仏教を殲滅して
信仰心を誇示した。
>>257 ローマ領外のゴート族とかもアルメニアやエチオピア
と同様に自発的にキリスト教徒に改宗していた。
西ゴートはキリスト教化していたろうが
東ゴートやゲピードはまだしていないだろ。
キリスト教化していたならゲルマン神話にアッティラは登場していない。
フン族来襲時はまだキリスト教化していなかったかもしれんが、
アッティラの時代だとどうだろうか?
フン族来襲時はまだキリスト教化していなかったかもしれんが、
アッティラの時代だとどうだろうか?
アッティラが虐殺したキリスト教徒は狂信者だった
だな
テロを繰り返すキリシタン狂信者が処刑されただけ
すごいキリスタン嫌いが多いのね
ローマを描いた作品としてグラディエーターがあったけど、
キリスト教の視点から描かれているものだって塩野七生さんが書いていたけど、
あれをローマの視点から描いたらもっと面白かっただろうね
ここを読んで行ったらもっと色々と想像出来ただろうけど
あのカラカラ温泉ってホモ浴場だったのかしら?
一応混浴だったみたいだけど
>>266 ベン・ハーじゃなくて?
グラディエーターはどっちかというと娯楽特化のフィクションの気がする
日本人はキリスト教というより極端なやつが嫌いなんだよ
宗教を罵倒するという「宗教的熱心さをもった無神論者」
も「熱心な宗教者」どちらも常識がない奴として嫌う
>>267 ローマの浴場は午前が女性、午後が男性と時間分けになった
それもハドリアヌス帝の頃からな
カラカラの頃じゃ当然そう
イギリスのバースにあるローマ浴場に行ったんだが
あそこって霊感が強い人にはいろいろ見えるらしいぞ
一緒にいた人がそういうの感じやすかったんだけど、怨念めいた奴隷がいるとかなんとかって
イギリスは幽霊の宝庫だろ。ローマ兵の行軍からチャールズ一世まで。
ロンドン塔
キリスト教はそんなに悪くないと思うぞ
ローマ帝国自体、皇帝が最高神祇官を兼ねる宗教国家でもあったわけだ。
崇める宗教が変わっただけとも言える。
それが帝国が分裂して皇帝の力が落ちると、相対的に教会の力が上がった。
皇帝や君主が、ヨーロッパの経済政治マスコミといった広域ネットワークを維持できなくなったので、教会がそれを代替した。
これは一種の分権といえるのではなかろうか。
皇帝だけが持っていた権利を、分権されて教会が持つようになった。
ローマの祭祀は参加さえすればいいもの
信教の自由はある
ユダヤ教だって一応ローマの国教で信じる自由はあり特権も持ってた
税金払わなかったりテロったら処罰されるだけで
> 崇める宗教が変わっただけとも言える。
もうちょっとマシな擁護しろよ
国教?
>>275 ローマ人の「信教の自由」と我々が考える現代の「信教の自由」は別物。
なぜそんなにローマ人が寛容だったといえるのか分からない。
ローマは他の信仰行っても迫害されない信教の自由だな
現代は政治が特定宗教と過度のかかわりもって目的、効果において特定宗教を保護しないという積極的なものも含む
ローマは特定宗教の助長は認めてる
両方国の法に信仰が触れたら弾圧
問題はキリスト教が他の宗教を弾圧したことそういう意味で信教の自由を迫害した
古代人にしてはローマはそうとう寛容だ
何教がどうだろうと知ったことじゃないが
一論、一説、一意見が出てきた程度で
擁護だの信者だのアンチだのとか言い出される風潮がうざい
>>276 免除特権あるぞ
>>277 比較対象は現代の信教の自由だなんて一言も言ってないぞ
>>274の
>崇める宗教が変わっただけ
に反論してるだけ
ローマ時代の食べ物も豊富だったんだろうね
ポンペイに行って来たけどキチンとしたキッチンの跡があった
>>281 ∧,,∧ ∧,,∧
∧∧ (・` ) ( ´・) ∧∧
(ω・` ) U ) ( Uノ( ´・ω)
| U u-u u-u (U ノ
u-u ∧,,∧ ∧,,∧ u-u
(・ω・`) (´・ω・)
(l U) (U ノ
`u-u'. `u-u'
それはともかく暦オタとしてどこ感動した?
>>281 _人 _,,.. - ''''"" ̄`"'''7:::∠__
) ,. '" !ヘ/:::/、
___ _l⌒l_ / ハ, __i i:::::>! ',
(__ ) (_ _)l⌒l / /'! ハ /!二_ハ i´ | ハ
_/ / / / | | ___ | / ,.ィ‐-V レ゛´!´.ハ`ヽイ / ! !
(__ ) __ (_/ l⌒l `ー' / ヽ i i イ「ハ !__,リ ノ | /| |
/ /(___) | l_ │ .○ /ヽ | /.| | ! !ソ  ̄ 〃 レ' | |
│ │_ ( ○ _) 丶_/ / / レソ〃 ,-=ニニ'ヽ. 7 ,' |
丶__) `─' `ー' |7! i ! u / /! |
_l⌒l__ /⌒ヽ /⌒/ .'ゝ、_ヽ、 _ノ / / / i ,'
(_ \\ | /⌒ヽ_/ / ̄レヘ/,./^i,.-,r イ´レヘ/ヽ、ハノ
/ / ̄ヽ | `ー'(_/\ / r| ! ! レ^i/  ̄'7ー-、
(_/ / / `ー' ハ /ヘ__/// ヽ,
`ー' ,. '⌒ヽ,r‐''"´ ̄ト、::::::/ !
上野の都立美術館に行ったよ
今回は地中海を主題とした展示だった
古代のフェニキアから中世のベネチア、オスマントルコ、近世の英仏植民地時代と興味深かった
ローマに限らず、古代帝国は宗教や価値観については寛容というか、過度に干渉しないのが有り様だったよね
そもそもそこまでの権力は無かったとも言える
イスラム帝国も統一された帝国だった頃は、在地の宗教には干渉をあまりしなかった
干渉を余りしないというか干渉しないからこそ大帝国になれたというか
複数の文化圏にまたがる大国は
文化や宗教に寛容でないと維持できないんだろう
アメリカと同じくローマは移民国家が出発点だから異民族を受け入れるのは習慣なんだよ
米国は他民族の大虐殺による民族浄化で成立した国なんだが
現地民はにんげんじゃないからね!
平等というのは虐げられた側から発生した概念だけど、
寛容というのは勝者から発生した考え方じゃないかと思う
両方成し遂げるのは大変なんだろうけれど、後者のほうがより難易度が高い気がする
カエサルを生んだ国ってスゴイわ。全てはローマに通ずる va Roma
前者がアメリカ、後者がローマの違いなんだと思うのね
平等というのは寛容にはなり得るけれど、なり得ないのだとも思う
「努力論」が全てだから。努力をしなかったから奴隷なのだという考え方
それに対して寛容というのは、「無邪気、関心を向ける、現実的」なのだと思う
だからもっと考え方に余裕がある
でもアメリカとローマが行った事で共通しているのは
ノーブレス・オブリージュという貴族のみ持ち得る誇りと無償援助だと
塩野七生さんが書いてあった
だからやっぱりイラクみたいな失敗があったけど、やっぱりアメリカはスゴイとなるのだと思う
とりあえずアメリカのは全世界の覇権国家であるがゆえに現状固定が彼らの利益だからだよ
そもそもアメリカは自分らを覇権国家だとも思ってない
一部の上層部を除けばな
>>286 ラテン文化はもともとギリシャ文化が由来。ていうか丸パクリだが。
で、ローマが拡大した場所をみれば、ギリシャ文化が通用している土地が多い罠。
アレクサンドロス大王の東征でヘレニズム化した土地とかね。
同じ文明圏を相手にしている間はおおむね上手くいったが、カルタゴやガリアやユダヤやパルティアやゲルマンやブリテンを相手にすると、力ずくで押すしかなくなった。
>>292 たった1%の特権階級が2割の富を独占する収奪社会だからな
散々収奪した富をほんの僅かくらいは寄付しなきゃ暴動が起きるよ
その点はローマとよく似ているかもしれない
>古代人にしてはローマはそうとう寛容だ
アケメネス朝の話はスレ違いだ
>>295 寛容というのは征服した後の事であって、
力づくと言うのはある意味どこでも戦争になれば同じ事
モンゴル帝国も軍事力さえ壊滅させたあとは統治は現地民に任せてるしな
で、それは寛容とはまた別問題だろうし
>>299 モンゴルの披征服者は悲惨だったって聞いたけど
ローマに征服されるというのとは全く違ったんじゃない?
そもそもモンゴルは征服した後の計画があったんだろうか?
ここら辺の歴史は全く無知なんだけど
>>293 簡単に言うけど、やろうと思えばできるけれど、やらない事を選ぶ人・国の方が圧倒的に多いから
なかなか出来る事ではないのね
ローマはカルタゴを破壊し尽くしたし
モンゴルはサマルカンドを水攻めで押し流した
そこはバグダットだろ
ホラズムのウルゲンチ
>>300 モンゴル帝国の場合は13世紀に大征服、
14世紀にペストの大流行と帝国崩壊なので、
征服地の人口が征服前に回復しなかった。
>>302 スキピオvsハンニバル
ハンニバルはものすごい猛将だったのに母国では悲惨な扱われ方で
むしろ勝利したローマの方が大きく褒め称えたんだよね
カルタゴを破壊というよりも戦争はそういうものじゃないの?
やるかやられるかなんだから…
ローマによるカルタゴ破壊は復讐だな
アッシリアのニネベ、秦の咸陽とかが
破壊されたのと同じ
>>307 それはわからないけど復讐ではなくって、
最初は小さくって目に入らなかったローマが脅威になってきて、
相手に攻められるか、守るか(攻めて行くか)
それだけだったんだと思うよ
いずれにせよカルタゴは滅ぼされるべきである
個人的には好きだが
カトーのような人間のさばらせるから共和制行き詰まったんだと思う
ヴァンダルがカルタゴからローマに攻め上り略奪したという因果
>>310 自分も個人的にカトー大嫌い
だけどこういう人間もまた必要なんだろうなって思うんだよね
スキピオと言い、カエサルと言い、カトーには苦戦したけど、
ローマらしいなと思ったりもするんだよね
アッティラは恨みがあるわけでもないのに
アクィレイアの街を残骸すら識別が困難になるほど破壊した
カトーやみたいなのがいてもいなくても
マリウスの軍制改革を実行に移した時点で
兵士の私兵化と軍閥の台頭は不可避だったんでは
カエサルがいようといまいと帝政になってたと思う
カエサルくらい傑出した人材がいなければ
貴族らのつぶし合いして終わってた気がする
アレシアの戦いって、歴史上の武将でカエサル以外で勝てた人いるのかな?
>>253 違うねイスラムはキリスト教を通してギリシャローマ文化を受容した
ギリシャローマ文献のアラビア語翻訳の9割以上はシリアのキリスト教徒によるものとわかってる
初期のアラビア学問は現地のキリスト教徒が担ってたけど
イスラム教徒の数が増えると異教徒は締め出された
だいたい多神教ローマとイスラムの間は数百年開きあるから直接受容できるわけない
いるだろうけど戦い方は変えるだろうねえ
アレクサンドロス大王の場合:ガリア中の援軍が駆けつける前に陣頭に立って山頂攻め落としちゃう
ハンニバルの場合:部族間の確執を拡大調略し敵戦力削っておいてから偽装撤退する所を包囲殲滅
ナポレオンの場合:左右どちらかに隙を見せて片翼で持ちこたえてる間に山頂奪取、そこから半包囲
>>306 >むしろ勝利したローマの方が大きく褒め称えたんだよね
「郷土の英雄」として褒め称える側のカルタゴが絶滅してたから記録も消滅
>>284 5世紀辺りから13世紀辺りまでの展示物がほとんどなくて、古代から突然ルネサンスの時代に飛躍するのにはワロタw
失われた中世っていうけど、こうやって展示物だけを見ても、それがはっきりとわかるんだよね
>>317 西方正教でも教会組織や法にはローマの影響がある
>>322 それってイスラムやビザンツ完全に無視してる展示構成だな
カトーというのはたしかものすごく規律があって、公平な人だったんじゃなかったっけ?
だからこそカエサル(天才)のやっている事が理解出来なくって当然なんだと思うけど
今でこそ偉大さがわかるけど、当時はここまで計算出来ていた人を理解出来る人こそ
ほぼいなくって、自分らがあの時代に生きていたらカトーの方が正しいと思っていたかもって思う
カエサルは人を見抜く天才でもあるから、「読めなくっても当然だろう」と
寛容だったんだろうけど
単に共和制絶対主義者なだけじゃなくて?
当時は共和制よりも君主制にならないと国を守れなかったみたいだよね
判断力も遅いし、進まないし、貧困が悪化して、
塩野七生によるとカエサルは君主制にする必要があると思っていたみたい
だけど共和制にも共和制なりの良いところがあったみたいで
それを寛大でもあり怜悧なカエサルは(塩野七生訳によると)以下のように述べているんだよね
「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、
それがはじめられた当時まで遡れば、善き意志から発していたのであった」
だからカトーはある意味、共和制の良い部分を信じていた人であって、
好き嫌いはあるけれども、全部が悪かったとは言いきれないのだと思う
マキャベッリは、「地位獲得の当初は、敵に見えた者のほうが、
もともと味方であったものよりも役に立つことが多い」と書いていて
もちろんカエサルもわかっていただろうから、カトーみたいな人は
邪魔でもあり必要であったんじゃないかな?と思ったり・・・w
カエサルって本当にスゴイw
カエサルの像ってないんだよね〜
アウグゥストゥスの身長を引き延ばした像は沢山あるんだけどw
ギリシア神話に惹かれて→色々→カエサルと出会う→心を奪われるって辿ってきたけどw
あとはチェーザレ・ボルジア君が好きだった。でもちょっと陰湿だから
やっぱりカエサルとは比べものにはならないわねw
もう知れば知るほど乙女心を揺らされるわ
在原業平と、大海人皇子が大好きなんだけど、また違ったタイプwww
小カトーの事か
まあ大も小も融通の利かない石頭には違いないが
ただカトーでなく小か大か明記してくれないか。
どっちもアレな人だからまぎらわしい。
331 :
310:2013/09/27(金) 17:30:20.81 0
話の流れ的にカトー(大)のつもりだったんだが
カエサル好きが多いスレじゃ(小)と混同され易いのか
カエサルが好きだろうと嫌いだろうと、カエサルスレじゃなく
ローマスレなんだから、大小明記は基本だろう?
流れだけで区別がつくような2人かっつうの
共和政原理主義者か。
ガイウス・ユリウス・カエサルも何人もいるから独裁官カエサルとか呼ばないとな
禿の女たらしで
ユリウス氏族の女はみんなユリアらしいけど、姉妹がいる場合はどうしたの? みんなユリア?
ユリア、ユリアU、ユリアV、ユリアW
>>337 長女、次女〜と呼んでいた、ニックネームで呼んでいた等々、説は色々あるが分かってない。
エイドリアン・ゴールズワーシーの「カエサル」読んだ方おられたら、感想教えてください。
>>339 藤原氏の女がみんな藤子だった、
と考えるとあまりにおかしい話だな。
名前というか、ユリアって「ユリウス氏族の女」という意味で、
女性は事実上名無しだったんじゃないの?
343 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 10:26:51.86 O
個人名はあるが系図等には氏族名しか記されない可能性
女性の実名は明かさない習慣だった日本でも、身分の高い女性の実名は
記録に残っている。記録にさっぱり出て来ないローマはどうなんだろうね。
ローマ滅亡の原因がフン族のせいだとはもう素朴に思えなくなったよ
とても深い大人の事情が心の病がローマを滅亡させたんだね
そして今なおこの病から抜け出せてないのだね
どういう事?
347 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 17:05:10.75 O
というかフン族は帝国維持に貢献しているほうだろう
実名っつっても北条政子ってホントは名前違うんだろ?
>>346 ローマが滅びたのはフンのせいでもゲルマンのせいでもない
キリスト教のせいだ、いやもっと言えばキリスト教に頼らざるを得なかった
古代地中海民族の心の弱まりのせいだということさ
おごれるものも久しからず
フンがゲルマンとスラヴを支配下に置くことでローマを圧倒したという衝撃が
ヨーロッパ諸民族のローマ信仰を打ち砕いた
近代においてもドイツとロシアが共謀すると西欧の力では歯が立たなかった。
>>348 本名だろ
出世魚みたいに名前変えただけで
出世するごとに?肩書が増えていくアウグストゥス
ローマは養子にいくと名前が〜アヌスに変化するんだっけ
ガイウス・オクタヴィウス・トゥリヌス
↓
ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス
↓
インペラートル・ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス・アウグストゥス
>>347 フンのせいで民族大移動が起きたんだからそれは無い
>>356 なぜキリスト教に頼らざるを得なかったかの考察が相変わらずないな
キリスト教のせいで暗黒化したとは俺は思わん
コンスタンティヌスからフン侵入までの半世紀は第二のパックスロマーナだと思うが
>>357 なぜキリスト教に頼らざるを得なかったの?
キリスト教の布教とか国教化が帝国に与えた影響について詳しい本ってない?
もちろんキリスト教史観でもなく、中立的な立場から分析した本。
軍人皇帝時代以降のローマ帝国は、軍の主力が騎兵となり皇帝の多くが
乗馬の盛んなドナウ河以南属州の将兵出身者となっていた。
軍人皇帝時代以降のローマ帝国では、もはやイタリアは本国ではなく
エジプトのような豊かな属州のひとつに転落した。
ドナウ河以南属州が事実上帝国本土だったので、ゴート族やフン族により
これらの地が壊滅すると、広大な帝国はもはや維持不能となった。
今さら基本的なことだけど、
ローマ帝国とか言った場合西ローマの滅亡までなんだな
東ローマまでを含めるか、東西に分裂した時点でおしまい
としなかったのはなんでなんだろう
やっぱローマが版図にないからか?
東ローマは正統なローマだっつーに
東ローマはランゴバルドによって奪われる直前の時点までローマを版図に収めていましたが。
ローマを奪われたのはランゴバルドによってではないか。
教皇が東ローマ皇帝の影響下から離れた時点かな。
365 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 23:51:20.70 0
やっと『ローマ人の物語』を通読できたんだが……
読んで思ったのは、「たった10年やそこらの平和でも、民衆にとっては非常にありがたいこと」だということだな。
それだけの時間があれば、当時の一般市民なら(前の戦災で荒れた)田畑を復興し、結婚して子供を作ることができただろうし。
そうなれば、「家族のために何か一仕事果たそう」という将来への希望も湧いて、社会の活性化につながっただろう。
特に帝政初期〜五賢帝時代の平和な時代と、蛮族の侵攻が絶えなかった帝政後期とを比べるとより一層、感慨深いものがある。
>>365 カエサルは日々の争いや戦火の中で既に未来の、パクス・ロマーナを描いていて、
その為にはローマはどうするべきかが見えていたんだろうね(>_<)
カエサルがいなければ平和なローマは築けなかったんだよ
カエサルが生きている時にはまだまだ実現されずに、カエサルの選んだ
アウグゥスタスが実現に向けて周りを率いたけれど、カエサルみたいな
温厚で平和好きの男が、戦火の中で味方と争ったり、外部と戦ったりするのは
あまりにも皮肉ではあったと思うんだよね(;_;)
東ローマは1150年頃までローマ帝国の理想を保持してたね
イタリア南部は支配してたし教皇さえいなければローマも治めたかった
その影響で南イタリアの住民の一部は今でもギリシア語も話せる
おいおい
イタリア南部はローマ以前にマグナグレキアという
ギリシア植民地だっつの
>>365 >読んで思ったのは、「たった10年やそこらの平和でも、民衆にとっては非常にありがたいこと」だということだな。
「兵隊になりたくない」「戦争したくない」「平和が大事」
まるで極東の某国のようではないか
だから繁栄したんだな
ローマ帝国がダキアから東進しドナウを越えて
黒海北岸を制圧していればフンが大勢力に発展することも無く
パックス・ローマはもっと長く続いたかもしれない。
>>368 それもあるけど11世紀まで東ローマの支配下になければ
マグナグラエキアのギリシア語はもっと早くに消滅していただろう。
今でも消滅寸前みたいな感じだしね。
グラエキア?
と思ったがwikipeではその表示なのか
おっさんは外国語の日本語表示が色々変わって悲しい
グレキア派はどれだけいんだろ
エジソンかエディスンか
>>371 アウグストゥスの頃は将兵の多くがまだイタリア出身だったから、
寒冷な欧州での戦いは不慣れだっただろうけど、軍人皇帝時代の
頃から将兵の多くが北方属州出身となり蛮族と同じ気候に慣れて
いたから、欧州での領土拡大が容易になっていたはずだけど、
多くの皇帝らが第二のカエサルやアウグストゥスとなるよりも、
第二のアレクサンドロス大王となる事を夢見てパルティアや
ササン朝との戦争を優先したので、蛮族制圧は後回しにされた。
>>373 古典読みでグライキアのほうが好きだなあ
>>371 蛮族と戦争しても儲からない
東方のパルティアと戦争したほうが儲かる
カエサルとアウグストゥスの偉大さがわかるな
一時の目先の儲けより国家が長続きするように考え行動した
アウグストゥスの像があちこちにあって一応どれも背が高いんだけど、
アウグストゥスってとても小さい男だったんだって塩野七生が書いてたよ
カエサルはよく人を見る目があったもんだ
カエサル自身は大柄な男だったみたいなんだけどね
その像を作る人もさ、そのままの身長で作ったりなんかすると切られたりしてたのかな?
リアリズムの強い当時のローマ人としてはどのような気持ちだったのかなって思ったりする…
でもリアリズムがあったからこそ大きくしておくに越した事はない、嘘も方便だと思って
大きく創ったのかもね。ベリッシモーみたいなw
アウグストゥスってたしか170もなかったんじゃないかと思う…
>>378 アウグストゥスは国境線を短縮して兵力をより有効に配置する為に
エルベ河にいたるゲルマニアを征服しようとした。
国境線が長過ぎると兵力が分散してしまうので、ブリタニアとか
アルメニアを征服してはならないと後継者らに遺言した。
んで病弱で咳ばっかしてたんでしょ
大丈夫かこいつって思われても無理ないわな
>>381 後世の伝記じゃチビ扱い、当時の記録では180程で高身長だったって話だろ
どっちが正しいかは藪の中
ぶっちゃけ大航海時代ぐらいまで、レバントの資源と豊かさはヨーロッパを圧倒してたよ。
唯一ヨーロッパ人と互角の戦いを演じたのはオスマントルコだけ。
一行目と二行目が整合的でない
豊かさの話なのか戦争の話なのか。圧倒してたのに互角なのか、オスマントルコとレバントは同視するのかしないのか
(その後)唯一ヨーロッパ人と互角の戦いを演じたのはオスマントルコだけ。
って書くべきだったね。
ごめんね
レバントと言えばシリアとエジプトでアンティオキアかアレクサンドリアを
首都に南ローマ帝国が成立しなかったのは何故だろうか?
やはり軍事力をドナウ河以南属州出身者とかに依存していたから、シリアと
エジプトは東ローマ帝国から自立出来なかったのかな?
軍人皇帝時代のパルミラの場合はイラン人騎兵を傭兵としていたよね。
シリアもエジプトも超狭いから帝国の首都は無理だは
その豊かな東方領土を手に入れながら負けたポンペイウスとアントニウス
あとカシウスとブルータスもか
東に行くと負ける法則でもあるのか
リキニウスもコンスタンティヌスに敗れている
ディオクレティアヌスはガレリウスにササン朝
と戦ってもらっている
392 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 21:05:55.06 0
トラヤヌス帝の東方遠征が成功してれば、帝国分裂時に、メソポタミアに首都を構える分国ができていたかも。
まあ、ローマの名を冠しながらも文化的には全くアジア的な国家になっていただろうけど。
トラヤヌス帝の東方遠征が成功したのならば、
おそらく旧パルティア領の維持が優先された
だろうから、フン族の欧州侵入のはるか以前に
ブリタニアやガリアとかがゲルマンに奪われて
しまった事であろう。
>蛮族と戦争しても儲からない
>東方のパルティアと戦争したほうが儲かる
ダレイオス一世は儲からないのに大規模な遠征を行ったのは
オリエントを脅かす大勢力がこの地に築かれるのを阻止しようとしたのではないか。
でも次がハドリアヌス帝だったら旧パルティア領放棄するかもよ
ガリア属州が陥落したらローマ本国が危険すぎる
なによりその危険を防ぐ為に行動したカエサルの努力が水の泡
カエサルもパルティア遠征を考えてたけど成功後の統治は無理してまではしなかったと思う
カエサルとハドリアヌスはそういうところで現実的というか似た者同士
蛮族たちってどこからやってきたの?
歴代の皇帝たちがいくら蛮族をとりこんだり、撃退しても次から次へと押し寄せてくる様子を見てると、
北の果てにホワイトホールでもあって、そこからうじゃうじゃと南下してくるようなイメージが……
ダキア獲って金銭的に最も余裕あったトラヤヌス時代で不可能だったんだから
東方を領土にする能力なんてローマにはないって事だな
>>356 つまりキリスト教が滅亡の要因だったと
大学の論文で使えそうだな
フン族がゲルマンをフルボッコしているドサクサに
ローマもゲルマンを攻撃して息の根を止めれば
ゲルマン人の侵入に悩まされることなど無かったのに
下手にフンの防壁に使おうなんて考えるからあんなことになった。
>>396 蛮族だから後先考えずにボコボコ子供作る
↓
食物足りなくなる
↓
口減らしを兼ねてローマに略奪旅行
↓
略奪成功しても失敗して死人が出ても蛮族全体としては丸く収まる
口減らし対象が成人男子w
>>384 当時のローマって火葬だったんでしょ?
誰か皇帝級有名人で遺体を学術調査された人とかいないのかな?
ゲルマン人って森の奥地や沼地に篭って地勢を生かしたゲリラ戦法や奇襲戦法が得意なのに、なんでフン族に圧倒されたのかがよくわからん
フン族って騎馬民族だからゲルマン人が篭ってる森の奥地や沼地なんてそう簡単に踏み込めないんじゃないのか?
フンも牧畜主体で沼地や森林の出身だし。
騎乗弓射が得意になったのはもっとあとだし
フン族に襲われた時のゴート族は、ウクライナのステップに住んでいた。
そこはゴート族が移住してくる前は、スキタイやサルマタイとかが遊牧
していた牧草地帯だった。
遊牧民のフン族に勝てないゴート族が、かつてどうやって遊牧民である
サルマタイに勝利したのかは解らない。
フン族って匈奴とは別なの?
蛮族って当時の文明国から見ての見下しで、
蛮族が猿人みたいな集団だというのは語弊がある
>>407 彼ら自身が文字記録を持たないので永遠の謎
>>407 匈奴の末裔は中核氏族だけで、兵隊はそれ以外の部族じゃね
>>405 沼地や森林の出身なのはフン族ではなくて、
ハンガリー人であるマジャール族では?
マジャール人は、もともとは遊牧民族でしょ
マジャール族はおそらくは現在のタタルスタンの原住民で、
ハザールに追われたブルガール族に追い出されたと思われる。
>>410 トルコ系ブルガール&ハザールはフン族の配下だったらしいね。
匈奴はもともとオルドスにいたから匈奴の本家は南匈奴の方で、
フン族の祖先とされる北匈奴は匈奴に征服された異民族だろうね。
南匈奴がイタリア人ならばフン族はビザンツ人みたいなものだった
のだと思う。
モンゴルとフンだったら、どっちがつおいの?
モンゴルは鐙を使用していたけど、フン族はまだ鐙を使用していなかったから、
モンゴルの方が強いだろうね。
モンゴル対フン族という事は、モンゴルが東でフン族が西という事だから、
東から攻めるモンゴルが圧倒的に有利のはず。
右の方がピカソってるね
やっぱり大陸の端同士だと体型が違うもんだな
右は写実主義をとっくに卒業して抽象主義の領域まで到達しているんだな
ローマがイスラエルをパレスチナと改名させた理由って何?
嫌がらせ
イスラエルじゃなくユダヤ属州だけどな
塩野史観以外のローマ本も読みたいなぁ、かといって重たい論文みたいな本も嫌だなぁって人間は
何を読めばいいですか?
>>421 何か文句あんの?ユダキチはマジ害悪だわ、死に絶えろ屑民族
サルマタイはゴートが来た頃にはアランなど部族が分化しており
ゴートは細分化したサルマタイ系の諸部族を確固に撃破、あるいは懐柔しつつ
ウクライナ地方の地歩を築いたと思われる。
ゴート族が来た頃のサルマタイはスラブ人の影響で農民化し始めていた。
サルマタイのロクソラン族はダキアとともにローマに征服されていた。
ローマ軍撤退後にロクソラン族は西ゴート族の支配下となった。
アランは遊牧民の特性を維持しササン朝に侵入するなどかなり強力で
ゴートもアランの領域には手が出せなかった。
>>423 ピーター・ブラウン『古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?―』
おすすめ
ケルト対スキタイ
ゴート対サルマタイ
ルーシ対ハザール・ペチェネグ・キプチャク
431 :
423:2013/10/03(木) 01:16:04.66 0
>>424 スターリンの側近だったカガノヴィッチ(カガンの子孫)とか
東欧のユダヤ教徒の多くはハザール・カガン国人の子孫
カガンて可汗?
カガン=可汗
マルティアリスの和訳された出版物ってありませんか?
436 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 23:41:21.05 0
476年の(西)ローマ帝国の滅亡について、当時の人々はどのような思いを抱いていたのでしょうか?
「これで神の王国が到来する!」と喜ぶ人、「文明の崩壊だ」と嘆く人もいれば、
あるいはゲーテみたく、特に感慨を持たなかったのでしょうか?
ひとつだけ言わせてもらえば
イタリア人がチンチャンチョンのローマ帝国に対する
憧憬を迷惑がってる。アジア人がローマに来ると
歴史的遺産の価値が下がるから。
いや、あんたのところのホノリアが指輪を贈ってきたんでね・・・
>>436 410年のローマ略奪でその感触は終ってる
476年はむしろ喜ばれたのでは
パクスバルバリカの到来によって
「え、まだ滅んでなかったの?」
「元老院は存続してるだろ、たぶん」
「結局皇帝が東だけになったな、まあ今までと大して変わらんわ」
オドアケルもテオドリックもスティリコの後継者の一人に過ぎない
古代ローマは546年から549年に東ゴートと東ローマの戦いで滅亡した
476年って帝国西方でもパンノニアとソワソンはまだ残ってるよね
西ローマ帝国の滅亡っていうとなんか違和感ある
476年頃はすでにアッティラが死んでフン帝国が崩壊していたので、
ローマ人もゲルマン人も希望に満ち溢れていたとされる。
540年頃にペストの大流行が始まるまでは東ローマの全盛期だった。
シアグリウスの心情ってどんなんだったんだろうな
>>443 >アッティラが死んでフン帝国が崩壊していたので、
ローマ人もゲルマン人も希望に満ち溢れていたとされる。
どの史料からそう読み取れるの?
ローマが長年、攻略できなかったゲルマン(ゴート族)を民族まるごと追いやるほど強かったフン族ってどんだけ強いんだよ
フン族の1000年前に
スキタイがヒャッハーとメソポタミアを蹂躙しエジプト国境まで迫ったように
遊牧民は有能な首長に指揮されると無双になる。
しかし一旦指揮官を失うとたちまち四散する。
448 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 08:39:42.15 0
西ローマはほんと、国家として「命数を使い果たした」「老衰死した」
という表現があてはまるな
ある意味、東の兄弟よりは幸せな最期を迎えたのかもしれない
塩野七生じゃないが、
「カエサルが当時の西ローマの指導者ならどうしただろう」
と思う
衰退期の国家の特徴の一つは、有能な人物が権力の座に昇れなくなること。
国家運営よりも宮廷内の陰謀がメインになる。
スティリコやアエティウスは能力的にはカエサルに比べても引けはとらないかもしれない
置かれてる状況に大きな差があったが。
幸せな最期を迎えるのと1000年長生きするけど不幸せ最期を迎えるのがどっちがいいかと言えば後者だと思うけど
スティリコの死で実質のローマ帝国は死んだ
アエティウスの死で名目上のローマも死んだ
カエサルは政治と軍事、両方できたからなぁ
スティリコは政治的に負けた
状況もあるからな
カエサルも瀕死の西ローマ時代にうまれて何ができたか
カエサルだったらホノリウスから簒奪するんじゃないかね
召還されたらヤバイと感じて挙兵しそう
少なくともスティリコのようにおとなしく殺されはしなかっただろう
カエサルだったらアッティラを撃退し
返す刀でガイセリックを粉砕、
ローマ無双で帝国復活!
>>448 西ローマは寝たきり老人になってしまい、
東ゴートと東ローマが病室に乱入してきた
スティリコ&ホノリウスもテオドシウスが
西へ派遣したから元々は東側だった
東ゴートのテオドリックも同じくゼノンが
西へ派遣した
応仁の乱以降、室町幕府の統治機構は崩壊し、各地に戦国大名が勃興して勢力
争いを始めた。足利将軍家は畿内勢力のオモチャとなり、細川やら六角やら
三好やらが京都を制するたびに将軍の首をすげ替えた。信長が義昭を追放した
時に室町幕府滅亡とされるが、将軍追放はこれが初めてではなく、義輝などは
松永久秀に逆らって殺されている。違ったのは、信長は代わりの将軍を擁立
しなかったこと。応仁の乱以降のパターンが崩れたゆえに滅亡とされた。
なんか西ローマに似てるな。有名無実になってから長くなり、名目すら
失われた時に滅亡認定。
459 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 19:19:14.22 0
日本が弱腰のヘタレ国家になるならイケイケの信長公が天下人になってくれればよかったのに・・・
天皇制廃止して東南アジアとオーストラリア植民地化してくれて今頃オーストラリアとNZと太平洋は日本人のもの
>>458 三好長慶も代わりの将軍を擁立してないし
やった事は何も変わらないけどね。要は後付け
確かに三好長慶は5年間、織田信長は9年間、将軍を追放してから後任を擁立せずに統治しただけだもんなあ。
どちらのケースでも将軍は追放されてからも解任されずに在位し続けたけど
三好長慶は生きてる間に妥協して将軍を呼び戻したのに対して織田信長は追放したまま死んだって違いでしかない。
足利幕府もローマ帝国も行政体としての機能・施政権がとっくに失われている
名目的にラヴェンナなり京都なりに皇帝・将軍がいるだけ。
実質的な行政権を失いながら数百年生き残ってる天皇家という奇跡の存在も
ローマ人が黄金の茶室を見たらどう思うのだろうか?
子供部屋?
天皇はマジ世界史的にみてユニークw
生きる文化遺産だよ
一般的なローマ人は黄金の茶室は嫌いそう
千利休のほうを支持すると思う
派手好きなカリグラやネロは気に入るかもしれんが
あの時代は黄金の装飾珍しくないからそれはないな
タキトゥス曰くドムスアウレアの金の使われ方は並レベルらしいし
古代は金ピカ万歳だからな
当時の彫刻とかも彩色したり金メッキしてたんでしょ
地味で落ち着いた配色は好かれないんじゃないかな
豪華さを求める美食家ルクルスが不興買ってなかったっけ
盟友であるはずのキケロやポンペイウスとかからも
虚栄心は人一倍と呼ばれたカエサルの邸宅も豪華ではなく質素だったというし
帝政期と共和政期で違ったりするかも?
古代の彫刻とかみな色つきだったらしいいね。
中世以降の西欧人が塗装が剥げ落ちたのを
芸術的だと評価するようになった。
ピラミッドも剥ぎ取られた外壁の全面に絵が
描かれていたのかもしれない。
ローマのインテリ名士(特にストア派贔屓)は質素を美徳と言うが
高利貸しでしこたま儲けたり大農場経営したりしてるやつ多いよね
その復元変すぎやろw
>>475 474は肌が塗っていなくて未完成だと思う
ある人「やっぱ、ものの価値はハゲてから分かるんやで!」
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>>436 哲学者ボエティウスのように東ゴート王国に士官して統治機構の整備に尽力している人もいるし、
一概に蛮族最悪ってわけでもなかったんじゃないかな?文官はローマ人じゃなければ務まらなかったわけだし
ミロのビーナスみたいに石の色そのままなのが完成品だと思っていたら
色がついていたのが剥げたのかー知らんかったわ
>>476 アテナ像は3つの中ではありかなーって感じだが
服についてる顔がシュールだな
近代になってから、大英博物館が
「なんか彫刻の表面汚れてるし、肌も褐色より白いほうがいいよね」
ってゴシゴシしちゃったんだよな
もったいねえ
パルテノン神殿も今では全体的に真っ白だけど、古代の当時では青色やら黄色やら赤色やら鮮やかな彩りだった
彫刻の目も青色の染料が施されていたけど、時とともに染料が剥がれて真っ白になった
兵馬俑も彩色されてたらしいな。
エジプトの大スフィンクスは胴体に比べて頭が小さ過ぎるので、
元はもっと大きかったが、王朝交代の際に顔を削って新王の顔に
作り替える事を繰り返したので、小さくなったという説がある。
このスフィンクスとピラミッドも古代には色鮮やかだったらしい。
寺社も丹塗りで派手派手だったしね
銀閣も本当に銀閣になるはずだったらしいね
ムガールのシャー・ジャーハンも自分の墓として
黒大理石のタージマハルを造らせる予定だった
ティトウスの凱旋門やトラヤヌスの記念柱も極彩色だったんやろか
491 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 17:57:39.31 0
東大寺の大仏や平等院鳳凰堂なんかも、けばけばしく彩られていたそうだしな。
正直言って、現代日本人には受け入れられないセンスだろう。
アラビア半島をローマ世界に取り込むんでいたら、イスラム教は誕生していなかったの?
イスラムは貧富の差をどうにかしようという社会運動で
かつそれが大人気になったことから見て
交易地でないような状況が生まれなければそのうち似たのがでてくるよ
そして位置的に交易の適地だぞあそこ
メッカに最後まで残っていた古代宗教もキリスト教によりもっと早くに
滅んでいただろうね。
キリスト教化していたはずだからイスラム教は誕生しなかったと思う。
大形馬に乗るアラブ兵が小型馬に乗る北方蛮族を撃退したかもしれない。
かつてトラヤヌス帝時代にはローマのヌミディア騎兵がダキア側の
サルマタイ騎兵に勝利した。
アラビアも当時はかなりキリスト教化してたよ
イエメンはアクスム(エチオピア)に併合されてたし、ムハンマドの親戚にもキリスト教徒がいる
アラビアにはユダヤ教徒は入植してなかったのか
イスラム教誕生当時のイエメンの国教はユダヤ教だったとされる。
ビン・ラディンの家系はその当時以来のユダヤ教徒らしい。
アラビア半島がローマ属州となったのならば、
アラブ兵もローマ軍に加わるわけだから、
さらにササン朝も征服出来たかもね。
そうなると東西ローマ境界は、セルビアと
ボスニアの国境ではなく、ボスポラス海峡と
エジプトとリビアの国境になっただろうね。
そこへフン族がヒャッハーと余裕で手薄なガリアになだれ込み
これにはガリア人も苦笑い
501 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 22:26:23.60 0
それだけの広範囲な領土を持つ国家を(当時の文明レベルで)維持するにはどんな方法があるのかな。
昔ながらの、「現地の指導者階級の子弟をローマに留学させてローマン・スピリットを叩き込み、現地に送り返す」
というので大丈夫だったかな。
西ローマ、中ローマ、東ローマに分割統治
さらに各々が東西に分かれ…
ササン朝が滅ぶか弱体化すると
フン族はエフタルや月氏&サカ族の様に
バクトリア経由でインドへ向かうかも
気が付いたら、
イベリア・ローマ、ガリア・ローマ、ブリテン・ローマ、ゲルマニア・ローマ、……、エジプト・ローマ、メソポタミア・ローマ、ペルシャ・ローマ、
ぐらいに分裂していたりして
史実のローマ帝国もイスラム帝国も分裂していったよね。
史実のローマ帝国はガリア、ドナウ、オリエントの三つに
分裂してそれぞれ発展しそうだったけど、アウレリアヌス
やコンスタンティヌスが強引に再統一してしまった。
分裂したままだと弱体化しないかなぁ
身内同士で互いに牽制してたら外敵に付け込まれる危険性もある
その時代にいたらスッラでもカエサルでもアウグストゥスでも再統一したんじゃなかろうか
・とにかく穀倉地帯をがっちり掴む。
・兵士に給料をちゃんと払う。これができないと汚職&反乱がボコスカ
この二つができなくなったらもうその文明は終わり
508 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 00:15:35.49 0
かつてはローマの穀倉地帯だった北アフリカが、そのご海賊の巣窟になり、いまじゃアレな状態なのはなぜ?
乾燥化が進んで農業が成り立たなくなったとか?
今でもチュニジアからモロッコにかけては穀倉地帯だよ
アトラス山脈の北は雨がふる
>>508 人口が増えても耕す土地が全く無いしなあ
粗雑な農業でも食っていけるだけの北西部欧州とは違って
ローマが破壊して塩を撒いたから・・・と言うのは冗談で
欧州の農業生産力が圧倒的に高くなったから北アフリカに頼る必要がなくなった
乾燥化が進んでるのは間違いない
北アフリカにはハンニバルが連れて行った小型のアフリカゾウがいたが
あれは森林象の一種だろうし
ただ人為的なものもあるからねぇ
>>506 アウレリアヌスやコンスタンティヌスらは、バルカン出身だから
ダキアを放棄したりせずにバルカン北方に領土拡大すべきだった。
蛮族の襲撃で真っ先に犠牲になるのは、彼ら軍人皇帝らの生まれ
故郷だった。
後世のヘラクレイオスはバルカンをスラブ人に対して放置したが、
彼はカッパドキア出身で故郷をササン朝とアラブから守り抜いた。
514 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 01:42:28.85 O
>>512 つうかサハラ砂漠の拡大って人類が牧畜始めてからって学説もあるからな
人類史はイコール地球環境破壊の歴史だ
ねーよww
気候変動で高圧帯が移動したから砂漠になった
北アフリカは11世紀半ばにファーティマ朝がベドウィンを移住させる
までは農業が盛んだったとされるね。
11世紀末にはアナトリアもトルコ遊牧民が移住して農業が衰退する。
>>492 古代のアラビア半島は小数民族が点在してるだけの砂漠の不毛地帯だったこともあって、そこを覇権下にいれてもメリットはなかった
生産性もなにもない砂漠地帯に無意味に領土を拡大しても防衛費がかかるだけ
古代アラビアの総人口が推定100万人だっけ
推定50万人だったヒベルニアの方がましかな
7世紀にアラブが大征服を出来た原因は、6世紀にイエメンの貯水ダムが
崩壊して放棄されて、農民の多くが遊牧民になったからだとされるね。
だから古代ではアラブはゲルマンの様な軍事的脅威ではなかった。
イエメンがローマの属州でダムが修復維持され続けたのならば、
アラブが地中海やペルシャに攻め込む事はなかったのかもしれない。
>現地の指導者階級の子弟をローマに留学させてローマン・スピリットを叩き込み、現地に送り返す
アッチラが攻城兵器や多数の最新兵器が使えたのはこの連中を召抱えたからだろう。
>>519 「イエメンのダムなくしてシャルルマーニュなし」w
「イエメンのダム崩壊なくしてシャルルマーニュなし」だな
カエサルが暗殺されずにパルティア遠征したついでに、アラビア戦記でもしてたらイスラム世界は誕生してなかったんや
アウグストゥスはゲルマニアと同様にイエメンにも派兵して失敗した
西欧「うちたべものないよ」
レバンテ「うちたべものあるよ」
ローマ帝国崩壊
日本も地中海文明に影響されて、巨大な建造物やら彫刻やら作ればよかったのにな
こないだ大英博物館行ったんだが、西アジア以外のアジアの貯蔵品はどこも規模が小さくて、なにより仏教的な物がほとんどで5分もすると飽きるんだよ
それに比べて地中海文明の規模の大きさ、クオリティの高さ、バラエティ豊かな貯蔵品に圧倒されていくら見てても飽きなかった
527 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 08:13:01.94 0
>>526 インド北アフリカと違って、中華文明の至宝は極東に残ってるからな
今は台湾の故宮博物院にある
王朝が変わるたびに焼け野原になる国がありましてな
地中海と中東では古代の神々はもはや信仰されていないからだろうね。
メッカにあった偶像の破片とかどこかに残っていないのかな。
唯一残ってるのはカーバ石だけ。
これはムハンマド以前からの崇拝対象で、元は隕石らしい。
>>526 バーミヤンみたいに谷を丸ごと削って大仏作ればいいんじゃね
エチオピアみたいに岩盤を削り込んで教会作ればいいんでね
>>517 アラビア半島全土を征服する事は困難で無益だろうけど、
イエメンにいたる紅海沿岸をローマ領とする事は通商路
という事でメリットもあったし、実際にイエメンの富を
求めて遠征が試みられていた。
後世のエジプト諸王朝とオスマン帝国は紅海沿岸を領有
していた。
>>523 トラヤヌス帝がパルティアではなくイエメンへ遠征した
のならば成功していたと思う。トラヤヌス帝はインド洋に
進出しようとパルティアに攻め込みペルシャ湾に到達したけど、
抵抗が激しくてハドリアヌス帝が撤退してしまった。
言うまでもなくアラブ諸国はパルティアよりも弱小だったから、
イエメン遠征ならば撤退せずにインド洋に進出出来たと思う。
そうなると「占領できても維持できるか」といういつもの問題に行き当たる訳で。
アレキサンドリアあたりに中東担当副帝でも置くか?
トラヤヌス帝がパルティアにのめりこんでいる隙に
手薄になったダキアをサルマタイがヒャッハーと突破
サルマタイのロクソラン族はダキアとともにトラヤヌス帝が征服している。
ルーマニアのトランシルヴァニアがダキアで、ワラキアとモルダビアは
ゲタイ+ロクソランだった。
537 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 20:00:55.00 0
>>534 エジプトは属州じゃないから難しいんだよね……
トラヤヌス帝時代にサルマタイがダキアを抜いてパンノニアを荒らしまわって引き上げた。
ローマ軍は退却するサルマタイ軍を追撃できなかった。
>>501 ローマ的概念で文明化するってことだろうね。
その子弟の教育も大切だし、ローマの土木でインフラ整備された属州とかいまも遺跡がのこってるやん。
あと税負担の軽さ、道路網、それにローマ人の入植。
ある時期から一定条件で属州民にローマ市民権も与えまくるようになったし。
安全に商売ができれば反乱独立する意味が薄れる。
仮にローマ化、文明化をキーワードとすればもともと高い文明をもってたとされる東方はその概念の外になる。
モンゴル人は君臨してヤサクを取り立てるだけで、もとの宗教もなんもぜんぶそのまま。
汗はむしろその地の文化にそまったりその地の宗教に帰依したり。
こういう形もけっこう続いたわな。
>>538 パンノニアの東ダキアの西にはサルマタイのヤジキ族がいた。
トラヤヌス帝はダキア征服後何故かヤジキ族を征服してダキア
とパンノニアを接続しなかった。
トラヤヌス帝は元々ゲルマニア総督で欧州戦線の専門家だった
はずだから、ダキア征服後にさらにボヘミアやゲルマニアを
征服すべきだったと思う。よく知らない中東に遠征したから
失敗したのだろうね。逆にトイトブルクで敗れたウァルスは
元々シリア総督で中東に詳しかった。
>>517 イエメン遠征は負荷が高かったし、必要なかったのでは?
確か、インド貿易の最盛期であった1,2世紀は、
ローマ守備隊がバーブマンデル海峡の町に常駐していた筈(出典は
忘れた。エリュトラ海航海記かも)
また、遠征負荷については、紅海のアラビア半島側の北半分は岩礁が多く、
沿岸航海に適していなかった。だから季節風によって一気に沖合いを航海する
必要があった。イエメン遠征は、シナイ半島沿岸から一気にイエメンに到達
できる艦隊が必要で、征服したとしても維持するのも艦隊頼み。
ユスティニアヌス帝はイエメンのキリスト教徒からの艦隊派遣の
要請に、予算が無く遠方過ぎるとのことで、エチオピアを差し向けたという
経緯がある。
イエメンのマアリブ・ダムが崩落放棄されたのは、
エチオピアとササン朝のイエメン争奪戦の後だった。
この戦乱がダムの修築保全を阻害したのだろうね。
ユスティニアヌス帝はイタリアを廃墟にしたり余計な
事ばかりしているよね。
>>533 トライヤヌスがパルティアに遠征した時に「年老いた身でなければインドまで遠征していたのに」とかなんとか言ってるし
遠征する数年前にはインドや支那からの使節もローマを訪れているし、アレキサンダーが実現できなかったペルシャから東への東方遠征でもする気だったのかね
トラヤヌスとかユリアヌスとかせっかく欧州戦線で
大戦果をあげたのに、東方遠征で台無しだよな。
ディオクレティアヌスはガレリウスにペルシャ遠征
をやらせたので分割した意味がない。ガレリウスは
ダキア人だから旧ダキアを奪回したかっただろうな。
>>543 すまん。ソース教えて。
>インドや支那からの使節
確かインドからの使節はアウグストゥス時代じゃなかったっけ。
シナからの使節というのは聞いたことが無い。
遠征って一見華々しいけど
征服しても維持できなけりゃ骨折り損の草臥れ儲けだわな
ヒャッハー奴隷がいっぱいだぜー
だろ?
トラヤヌスの発言はただのジョークだろ
実際にはインドまで遠征する余裕も理由もない
領土を維持するのはさらに無理な話
まあ古代だからな。ヘレニズム諸王朝じゃ「アレクサンドロスの後継者」の
タイトル欲しさに無理な遠征をして自爆が多発したが、ローマにもそういう
のがあったとか?「アレクサンドロスの後継者にしてインド征服者」とか
かなりかっこいいなww
それだったらゲルマニア征服のほうがいいな
あまり北上するとヴァイキングに遭遇しそうだけど
砂漠地帯とるよりも森林地帯のほうがまだマシかもしれん
トラヤヌス帝の頃はヌミディア騎兵とか地中海岸出身の兵がまだ多かったから、
北方での戦いは苦手だっただろうけど、軍人皇帝時代以降は欧州出身者が兵の
多数だから、北方での戦争がはるかに容易になっていたはずだよね。
北方での領土拡大は兵達自身の身を守る事に直結する事なったはず。
欧州属州が蛮族により壊滅すると兵になる者がいなくなり、イタリアや
エジプトが無傷でも帝国は崩壊してしまう。
>>550 北海経由で木材でも輸入する積もりかよw
食料も無いし大赤字だわ
ゲルマニアを領有したらガリアとかの農民を入植させただろうね。
イタリアやギリシャとか地中海式農業をしている連中は欧州内陸
への入植を嫌がるだろうけど、欧州属州の元蛮族らならば同じ様
な気候の土地だから順応出来たはず。ガリア農民らはゲルマン人
らの手本となったと思う。中世ではフランス人がドイツ人の手本
となり、ドイツ人がスラブ人の手本となった。
ウクライナはローマ帝国成立以前に既に穀物輸出地帯だったって
ウクライナは沿岸部でギリシャ人のボスポロス王国が
ギリシャ本国へ向けて穀物輸出をしていた
その後ゴート族の支配下で内陸部でも農業が盛んになった
>>545 ローマ人の物語の文庫本25巻の「遠征」の章に記述してある
ただし「インドからの使節がトライヤヌスと会見しだが、研究者によっては支那からの使節もあったのでは」という、支那からの使節が来たのかどうかは研究者の推測で、文献のような確実な物的証拠が残ってるみたいではないようだ
>>556 トラヤヌス時代のインドからの使節の件はカッシウス・ディオが出典だった。
アウグストゥス時代のはアウグストゥス業績録かスエトニウスだったかも。
しかし塩野が断定口調で書いている箇所も、一応留保つきで読んどいた方が
よく、推測みたな記載の箇所はまず、塩野に限らず引用している研究者や著述家の思い入れだと
思った方がいいというのは、さんざんいわれ尽くされているところだと思っていたが。。。
大秦王安敦て何なんだ
三個軍団を返してくれ
ローマの女神「あなたがなくしたのは3個軍団ですか?それとも家族ですか?」
アウグストゥスの答えを述べよ
アウグストゥス、血筋にこだわり家族を失う
アウグストゥス、エルベにこだわり三個軍団を失う
ローマがゲルマニアを征服しなかったのって
ゲルマン人が小部族にわかれまくってて統治が困難だと判断したからだよな?
フン族はただ襲って奪うだけだから、相手が一個の国じゃなくて
小部族に別れているのはゲルマン人の戦力分散にしかならなかったから
ボコボコにできたんだよな?
大秦王安敦もローマ側には記録がないんだね
タイムスリップし、良い服を着て
「俺パトリキ!俺パトリキ!」
と言って貴族生活するのが夢
>>565 言葉はどうするん? ゴーチエの「ポンペイ夜話」でローマ時代のポンペイに
タイムスリップした学生はラテン語が話せたから問題なかったが。
言葉が通じないとバルバリアン扱いされてしまうのでは?
あと免疫の無いウィルスや菌も心配。
平たい顔族の奴隷がまた一人
顔が平たい上にズボン履いてたら蛮族確定
ウイルスと菌については
むしろ新大陸の新菌、ウイルスや抗生物質の洗礼受けた俺らのほうが
耐性あるんで「病原菌の素」となる可能性大
そうなると「病を生む悪魔」として処刑されるんじゃw
國原吉之助のプリニウスの書簡集を読んでいるんだが、注意書きが多くて手紙のやり取りが断片的すぎるのと
やり取りする相手が多すぎてなにがなんだがさっぱりわからないw
>>564 大秦がローマで大夏はバクトリアだっけ
そもそもなぜ大秦と呼んだのだろうね
秦や夏となんか関係があったのかな
タングート族の西夏は正式には大夏で
西夏は南宋とかと同じ俗称なんだけど
ならば大秦はまさにあの始皇帝の秦の
正式の国号だったはずだよね
邪馬台国の王も大倭王と呼ばれてるし
友好的な大国に大を付けるのは特段不思議でも無い
秦は列強国の中で最も西に位置した国だから
西にある友好的な大国を大秦と呼ぶのは奇異って程じゃない
それと、唐では大秦はペルシャとされてる
ペルシャは波斯国じゃなかったか
現代人だと古代ローマの水呑んでたらそのうち死ぬんじゃないの
自称「安敦の使者」が献上した品物は象牙とかタイマイとかで、
ローマっぽくないんだよな。むしろインドっぽい。
>>572 大夏はバクトリアを征服したトハラの事で
トハラは大月氏とともに西に移住したとされ
言うまでもなく月氏も後世の西夏もともに
甘粛にあった国だった
大秦の方はかの秦帝国が滅んだ時に一族が
西方へ逃れたという様な話が全くない
>>574 塩素消毒してないからサルモネラ菌が多いかもね
鉛中毒になるかもしれない
うろ覚えかつ出典も記憶なしで申し訳ないが、
ローマ水道の鉛については案外問題なかったのではという話を読んだことがあるような。
・鉛で葺かれた水道管のエリア自体がさほど長くない(木製水道も多い)
・鉛も酸化皮膜つくるので、水に溶け出す量もさほど多くない
とかで。
>>580 とりあえずロマ物では下記のとおり
・そもそもローマ人は鉛害を理解していた
・水源地から都市までは石造の構内で問題ない
・都市では鉛管だが流しっぱなしなので水に融解する危険度が低い
・鉛管に付着する石灰も、鉛管と水をへだてる役に立ったのではないか
当時のローマ人の遺骨から多量の鉛が検出されているそうだが
鉛の杯で飲むとワインが甘くなります!
鉛の鍋で煮詰めたワインは安価な甘味料として販売します!
みんなは知らんようだが戦後70年代くらいまでは日本も
家庭用の水道管に鉛は普通に使われてたぞ
まあ日本はもう滅亡したようなもんだからローマも鉛で滅亡したんだろ
日本はあと70年は滅亡しないっつーのw
ローマ帝国もアウグストゥスから西ローマ滅亡まで500年しか続かなかった
鉛のせいに違いない
175年 シリア総督の反乱でマルコマンニ戦争が中断
275年 アウレリアヌス帝暗殺
375年 フン族がゴート族を襲撃
476年 西ローマ帝国滅亡
575年 イエメンのマアリブ・ダム放棄
西ローマ帝国滅亡じゃなくて西ローマ帝国廃止だな
今DVDで出てるベンハーの最新作って、昔のとは違うのかな?
592 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 12:16:29.21 0
10年ぐらい前に、どこかの民放で「そして歴史は繰り返す」という題の特番があったな。
9.11テロ前後のアメリカの歴史とローマの歴史を重ね合わせるという、いろいろな意味で笑える番組だった。
たとえば
「親ブッシュ→カエサル」
「クリントン→ブルータスら」
「子ブッシュ→オクタヴィアヌス」
「ビン・ラディン→アルミニウス」
とか。
そして番組の最後は、
「かつて繁栄したローマは分裂し、西ローマは間もなく滅亡、東ローマもいつしか消え去り、こうして完全にローマはなくなった」
といった感じのセリフだった。
もう、どこから突っ込めばいいのかわからず、大笑いするしかなかった。
古今で日本といえば唯一無二の日本の国があるのみ
ってのが一般的な日本人だと国家観は理解しづらいよな
むしろコピペ的にはブッシュ時代の911テロがネロ帝のローマ大火事
自作自演が付きまとうという意味でな
昔もカルタゴ日本論あったしなw
しかしよりによって凡人を装った大天才に馬鹿の見本ジュニアブッシュを当てるとはw
シーザーに手をついて謝れ!!
アウグストゥスに泣きながら謝れ!!
愛嬌のカケラもないオクタヴィアヌスが小ブッシュか…
クリントンにブルートゥスは褒めすぎだな
>>596 英語読みかラテン読みに統一しろよ
アウグストゥスって議会で野次られるくらいだし
あーとかうーとか答弁途中で何度も詰まったり
自身のないところだとモゴモゴ口ごもるような話し方だったんじゃなかろうか
>>390 パルティア相手に勝利した武将ってローマにはいなかった
戦力的には互角でもなぜかいつも負けてしまう
トラヤヌスとセヴェルスは勝利してなかったっけ?
武将じゃなくて皇帝だけど
最精鋭の軍団でないとパルティア軍には対抗出来なかったのか
パルティア時代にはパルティア軍はカタフラクトが主力だったけど、
当時のローマ軍にカタフラクトは存在していたのだろうか?
ササン朝時代にはササン朝軍もローマ軍も双方がカタフラクトで
戦っていたとされる。
カルスが勝利したのはササン朝
>>598 スエトニウスとかに描かれている感じだと、アウグストゥスは慎重に言葉を選んで話すタイプだったらしいから、
そういう風に答弁に詰まる云々以前に、野次に対して一々反論しなかっただけだと思う。
アウグストゥスに対するヤジは元首政の体面のために
あえてアウグストゥスが許してたようなもんでしょ
カルタゴ陥落は避けられた気がしないでもない
ローマはカルタゴに国の位置を変えろって言ってカルタゴはそれを拒否したから徹底的に潰したんだよね?
場所の指定ってされたの?違う場所で新しくカルタゴノヴァを作ってやり直すことは考えなかったのだろうか
例えばアフリカ西岸とかに
カルタゴは単純に他の都市と同様にローマが殲滅せずに支配すればいいだけだな。
商業民族のカルタゴは尚武の民だったアッシリアほど危険ではなかったと思う。
アッシリアの場合は殲滅しなければ、バビロニアやイランの方が皆殺しになって
いたはず。
あそこまでやったのは、やっぱりハンニバルへの恨みかね?
首都を少し内陸に移せって言っただけなのに
>>605-606 皇帝伝じゃ口の達者さはアントニウス>オクタヴィアヌスで政敵につけ込まれ放題の印象だが
まあ当時は若造って所もあるかw
ギリシャ人やフェニキア人にとって内陸は蛮族が住む危険地帯
>>609 それもあったけど
もしカルタゴを放置していたらカルタゴとマケドニアとギリシア諸都市が同盟を組んでローマは南西と北から挟撃されていたかもしれない
カルタゴはティレニア海、マケドニアは北の内陸部から、ギリシアはアドリア海から
何しろハンニバルとマケドニアのフィリッポス5世は同盟組んでたし
>>609 カルタゴはハンニバルら軍事貴族に本国の商人貴族らが協力しなかったから
ローマに敗北した。ハンニバルらはスペインでカルタゴ・ノヴァを首都とする
独立国と化していたので、カルタゴ本国人は何故ローマが自分達を恨むのか
実感出来なかった。
この辺が寛容ではないんだよな
人種的差異や国力的に飲み込むほど国力差がないとき
「寛容」は行われない場合があるつうことだ
カルタゴ本国とバルカス家 = マケドニア本国とプトレマイオス朝
>ローマはカルタゴに国の位置を変えろって言ってカルタゴはそれを拒否した
そうやって国ごと別の位置に移動したところって、
世界史であるの?
興味深い国として宋が南宋として縮小存続、
西のほうの遠い地域で本国滅亡後も続いた西夏、
モンゴル系が移動侵入して勝手に政権作ったムガル帝国とかあるけど…。
ずっとスケール小さいけど、
秀吉に関東平野に追いやられた徳川が
大都市になるまでに江戸と近辺を発展させたりとか、
江戸時代以降は国替で弱体化させられた藩が必死で盛り返したりとかあったよね。
>興味深い国として宋が南宋として縮小存続
興味深い国としてローマが東ローマとして縮小存続
遊牧民族なら大月氏とか匈奴とか色々あんな
ゲルマン人の大移動のゲルマンもそうだな
>>617 西夏はチンギスに滅ぼされてるよw
王族が中央アジアに王国創ったのは遼
他には匈奴がフン帝国、柔然がアヴァル帝国を創った
西晋から東晋とか、元が北元とか、フランクが大分裂して東西フランク>ドイツ、フランスとか
例を挙げれば限りなく出てくるなこれ
>>620 >他には匈奴がフン帝国、柔然がアヴァル帝国を創った
これは氏族の血統的につながりがあったと仮定しても
国家としての連続性というとどうかと思っちゃう
単于の血統は中国の内地に入っていったし、可汗の直系氏族は絶えたしなあ
カルタゴの例で
「伝統的な国土を逐われる」「敗者」「喪失が国家や共同体の存立に関わる」
「圧倒的な相手に悪意を向けられたまま」
というようなのが要件だと考えると、
ウマイヤ朝と後ウマイヤ朝とかはどうなんだろう
>>622 遊牧民は末子相続な
蒲奴は単于の直系氏族、可汗一族は北魏で貴族になっている。
想いつきや願望でデタラメ書かないように
カルタゴのケースはカルタゴ自体ではなくて、ローマ内での政治闘争の結果のような気がする。
移動云々は国家安康みたいなものってまぁイメージで言ってるんだけどw
カルタゴは徹底的に叩かないと北方から圧力がかかったときに南北から挟み撃ちにされる。
後のフン族とバンダルに挟まれた西ローマは死亡フラグが立った。
場所としてもやっかいな所だよね
島伝いにいけばローマに近いし、ティレニアとアドリアを見張るにはローマよりもちょうど良い
カルタゴはハンニバル以後は大した敵じゃなかった
ローマの友好国のヌミディアと敵対したから潰されただけだ
同時代にハンニバルとスキピオがいるから目立たないけど、
ヒエロンとマシニッサってかなり有能だよな
>>615 そもそも国力の差に任せて飲み込むこと自体が寛容とは言い難いしな。
ローマの寛容は、相手がプライドを捨てて迎合すればそれなりに利益を受けれるけど、
プライドを捨てられない人々にとっては憤死物の扱いだろう。
カエサルの寛容を受け入れずに死んだ小カトーとか、それを端的に表してると思う。
まあ、寛容なんて大なり小なりそういうものだとも言えるが。
前387年or390年のガリア人によるローマ占領がよく分からないんだけど、ローマ人がガリア人を殺したことが根本的な原因ってことでいいの?
>>629 寛容とは、上位者が下位に対して示す態度である
と、喝破したのは誰だっけな
僕です
ギボンの記述にフン族に降ったギリシャ人が
アッティラを謙虚だと称えたという一文がある。
>>592 ああいう番組は、知らない人相手に適当に、良く言えば分かりやすく作るからね
ある程度知識があればツッコミどころ満載。
大昔見た「世界ふしぎ発見」の三国志もひどかった。
気がついたらサイム卿の本が日本語訳されてる…
高けぇ
>>634 そういえば最近あの番組、古代史について取り上げないけど
今まで古代ローマをテーマにした回ってどんな感じだったんだろ?
お風呂やら水道やら軽く扱う程度だったんだろうか
古代ローマの料理を再現してるレストランを紹介したのは見たような…
俺もローマの庶民みたく午前3時に起きて仕事は午前中だけで午後はダラダラ過ごす生活がしたい。
その当時の庶民は属州民だからもっと働いてたと思うぞ
ローマ市民は庶民ではないし
640 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 13:26:54.45 0
>>639 ローマ市民に庶民がいないとかどういうことだよ……
無産市民なんて山盛りいたのに
特権を持った没落無産貴族なんて山盛り居るだろうw
642 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 13:58:39.05 0
>>641 ローマ市民が全員貴族とかどんな史書読んできたんだよ……
市民は働かずにパンもらってサーカス見て遊び呆けてたとか信じてるんだろ
つまらん煽りだな
日本は民放どころか公共放送でも歴史番組のレベル低すぎだからなあ
歴史バラエティの酷さは言わずもがな
クラッススがパルティア遠征したのはどうしてなの?
ローマと同盟関係にあったはずでは?
カエサルが軍功上げまくってて
ポンペイウスの軍事的功績は言うまでもないのに
自分だけがいまいちだからこのままじゃ埋没すると焦った
カエサルって結局クラッススからの借金完済したの?
>>640 まぁ税金かからんだけ普通の庶民とはいいにくいとおもったんで
なにより数が少ない。属州民のほうが圧倒的におおい
だから庶民といえるかなぁと
そこでカラカラだすのなしな
人口の1割が市民なら、江戸時代の武士やポーランドのシュラフタぐらいだな
ピンからキリまでいるけど
651 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 19:12:57.70 0
>>649 まあね
属州のなかで、後から市民権与えられた層は間違いなく有力者ではあったし
ただ、首都ローマ及びイタリア本国には極貧の市民権保持者もたんまりいたのもまた事実
タルソスなど大都市の全自由民はローマ市民権を後から与えられてるので、有力者に限った話ではない
ウェスパシアヌスはヒスパニア・バエティカ属州の全市民に投票権なしのローマ市民権を与えている
まぁいいたいことはわかるが大まかに語ってんだからそうこまけぇこというなし
>>648 ヒスパニアやらガリアやらの属州総督で儲けて完済してる
ガリアの聖地を荒らして捧げ物の金とか奪ったシナ
歴代ローマ元老院議員の中で一番好きなのが大カトーな俺は異端なんだろうな
どういった理由ですきなんだ?
>>656 一番かどうかはともかくとして、大カトーはその行動に芯があり、エネルギッシュでしたたかな政治家だから、
好きな人がいても別におかしくはないと思う。
いちいち自分は異端アピールしたがる奴うぜえ
まあキャラは立ちまくってるよねカトー
厄介な人で且つ偉人でしかも名前にてるということで
大カトーというといつも加藤一二三をついでに思い出す
俺の脳内ファイルで同じ場所に入ってるからだろうな
大といい小といい原理主義的なのがカトー
現実派のスキピオやカエサルにしてみればウザいことこの上なし。
考えが偏ってるのにシャキシャキ精力的に動くから始末が悪いというか
小はともかく、大の方のカトーは別に原理主義的じゃないだろ。
スキピオが失脚させられたのは単に足元がお留守だっただけ。
>>650 同じ一割の人口比でも日本の武士を持ち出すとかなりイメージが違うと思う。
多分米本位制と日本の政権体質によるんだろうけど、武士は例えば大名クラスでも割と貧乏。
米本位制は最終的にはカーストの最下位にいる商人にのみ富をもたらす世界的に特異な封建主義。
>>656 カトーさんは天保の改革の水野忠邦のイメージ。
大カトーも現実主義者だったろ
性悪説を信奉している現実主義者って感じ
国家の英雄で独裁者になりうる有能な政敵を追い込むなんて卓越した政治力じゃまいか
>>666 江戸時代の商人の大半は農家と比べて貧乏だよ
金持ちなのは大店や店持ちだけ、地主や大名や職人頭が裕福だと言ってるのと同じ
軍団兵になれるのはローマ市民権持ちだけだから
士族と訳してもいい気はする
郷士とか同心なんて無産市民に分類できるしな
働かないと食べていけないだけの財産しかない市民が無産市民(プロレターリ)であって、無職だけではない
貧乏旗本や傘張り浪人は無産市民かな
八王子千人同心は無産市民だとおもうぞ
「軍人」か微妙で貧乏だが名誉ある階層ではある
>>672 それなりの禄を貰える貧乏でない旗本も所領持ちでなければ無産市民
ウェスパシアヌス帝以前のローマ帝国と19世紀前半のパリってどっちが清潔?
オスマンがパリを大改造するまでは帝政ローマ時代の方が清潔だと言われても不思議じゃないなぁ
ばっちゃはあまり深く突っこまずライバルになりうる人間を排除したという説明に留めてたけど、
オクタヴィアヌスがカエサリオンを殺させた時の心情ってどういうものだったんだろうな?
尊敬するはずのカエサルの実子をあの世に送ることの心情と周りからの視線をどう受け止めたのか
政治上のライヴァル足りうる人間への恐怖に駆られて行ったのか、
戦争後の怜悧な判断の延長で為したのか、
母のクレオパトラともども凱旋式の晒し者にしたあとローマで悠悠自適の生活を送らせることが
彼のスタイルに遭わなかったのか
難しいけどアウグストウスなら怜悧な判断で反乱の元であるカエサルの子は殺すだろう
でもあいつ家族愛はもってたから複雑だろう
でもその家族のユリアも切り捨てた冷酷さから言って
複雑だが押し殺したって感じだろうなぁ
>>677 そもそも
「カエサルを心から尊敬していて、その遺志を継ごうと思ったオクタヴィアヌス」
という人物像がばっちゃ(だけではないけど)の想像によるものだしなぁ。
あと、「カエサルは後継者としてオクタヴィアヌスを指定した」ってのも必ずしも自明なことではないし、
自身の正統性確保の為に最初から殺す気満々だったとも考えられる。
いやー尊敬はしてただろ
それが遺言状の公開でなんで自分に・・・?自分をそんなにも期待してくれてたのか・・・?
という感動が彼を成長させたと考えるのは自然だろ
あれで感動しないのは人間じゃない
まあ舞台を与えられたから伸びたのは事実だろうけど
そこにロマンチズムを持ち込むことはまさしくローマ的
あれで、とか言ってる馬鹿はフィクションだという事を想い出す様に
アンチは都合悪くなるとフィクション扱いだもんなあ
>>680 オクタウィアヌスへの遺産分配はそんな驚きの話でも無いっしょ。
男子はいないし親族も基本パッとしないカエサルにとっては、
法務官まで勤め上げた親父を持つオクタウィアヌスが、一番勢力のある親族だっただろうし。その親父は死んでて、養父は血のつながり無いしな。
ついでに、三分の一は別の親族に分配するって内容だった。
いやいやカエサル家に連なる男ならいくらでもいただろ
歴史書に書かれてる登場人物だけ見てりゃそうなるだろうが
>>656 大カトーの自決って有名な絵画があるけどその絵は好き
うわー!って叫びながら内臓エグってるのがまさにリアリズム
切腹は小カトーじゃね?
>>685 そらそうだろ。
そのカエサル家に連なる男たちの中でも、オクタウィウス家の嫡男を選んで財産分与するのは、
オクタウィウス家の政治活動の様子から見るとそれほど不自然じゃない、って話。
親戚同士で互いに全く関与せずに政治活動してた、と考える方が不自然だしな。
どう考えても政治活動時の有力な協力者だったろう。
無論、その子息の素質を見抜いていたのなら更に強い動機付けになるだろうけど。
カエサル家の政治的に有意な人材はマリウスとスッラの抗争でほぼ壊滅
カエサルがスッラに助命されたのも「カエサル家の後継ぎがカエサルしかいないから」
>>687 小カトさんのおかげで日本の奇習切腹が多少の理解を
【兵士審議中】
カエサリオン殺されたって
∧,,∧ ∧,,∧ マジ?臆病すぎじゃね?
しょうがなくね?∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) カエサルの実子だろ?
| U ( ´・) (・` ) と ノ どーなん?
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u' チャーハン食いたい
でもアントニウスの子は
助かるらしいぞ
【結論】
゚・ *: : *・
*・ ゜゚・ * : .。. .。.: *゜
* ・゜ ゚・ *: . .。.: *・ ゜゚ ・ * :..
。. ・ ・*:.。 ∧,,∧ .∧,,∧ .:* ・゜
∧∧(´・ω・`)(´・ω・`)∧∧ 貧弱な坊やだししょうがないよね!
(´・ω・`).∧∧) (∧∧(´・ω・`)
| U (´・ω・`)(´・ω・`) と ノ ボーナス期待してるよ!
u-u (l ) ( ノ u-u
`u-u' `u-u'
こんなイメージ
カエサルと小カトーの関係って
幕末の勝海舟と小栗忠順の政敵関係に似てる気がする
あくまでイメージでだけど
ローマって(養子が無ければ)男系の血縁によって受け継がれる氏族名・家族名があるのに
養子を同族から連れてくるって発想はあまり持ち合わせていなかったのかな
カエサル家には独裁官ガイウス以外にも男子はいただろうから女系でも4親等に過ぎない
オクタウィウスに相続させるのは少し理解しがたい。
漫画アグリッパのオクタヴィアヌス少年が
ひ弱に見えて人知れず冷徹に処断していくいいキャラだった。
あれの大人になってからの話も見たいが、
少年漫画の主人公には向かないかな〜。
でもデスノートみたいなダークヒーロー的主人公が当たったんだから、
あれが流行ってた頃なら受けたかもね。
>>695 英語版Wikipedia調べでしかないけど、ルキウス・カエサルはカエサル暗殺後にキケロ側についてるらしいから、
そもそもガイウス・カエサルとは政治的スタンスが異なっていたのでは。
そんな奴に遺産分配しなかったのは自然だろうと思われる。
セクストゥス・カエサルってのもいたみたいだけど、内乱の辺りで御家断絶してるくさい。
あとはわかる限りだと、ガイウス本人の姉妹のが嫁いだピナリウスの系譜とオクタウィウスの系譜に男子が確認できるだけ。
ピナリウスなんて全然政治史で名前聞かないから、多分大した活躍してなかったんだろう。
とすると、オクタウィウスとピナリウスに3対1で分配は、まあ妥当といえば妥当…なのかなぁ?
あと、ガイウス・カエサルとオクタウィアヌスの養子縁組は、
遺言によるものじゃなくてオクタウィアヌス自身の意思で成されたという説もあるし。
軍隊を養うのにお金は大事だけど、
お金が大事なだけのやつは軍隊は率いるのは無理だよ
なあクラッスス君
つーかアントニウスの子っていうか同時にクレオパトラの血も
ユリウス・クラウディウス朝の中に残っていくんだよなあ
後知恵つけるとますますカエサリオンの死に執着?したオクタヴィアヌスの心情が分からん
・実はカエサルが嫌い
・カエサリオンは本当にカエサルの子供じゃなかった
エジプト欲しいけど王族の血が邪魔だしやっかみで消した事にしとこうとか
>>699 カエサリオンに限っては「カエサルの子」っていう大義名分を使われる可能性があるからっしょ。
それこそ、カエサルの死を知って直ぐに喧伝してたくらいには、
オクタウィアヌス自身の正統性の裏付けに関する最重要要素の一つなんだから。
「アウグストゥス」という権威が完全に確立したあとならまだしもな。
当時のローマ社会じゃ嫡子とか養子とかあんまり重視されなかったんじゃ
アウグストゥスは最後にしぶしぶ養子のティベリウスに帝位を譲ってるな
アウグストゥスが死んだ時点でゲルマニクスは既に30歳近かったがティベリウスが中継ぎとして挟まれたのに対して
ティベリウスが死んだ時点でカリグラはまだ24歳だったがそのまま継承した
まあカリグラの時は中継ぎになり得る年齢にある親族はクラウディウスぐらいだったけれど。
カエサリオンもかわいそうだけど、
ティベリウスもかわいそうだなー
相思相愛の嫁と別れさせられるとか
ユリアさんもかわいそうやね。親父の都合でたびたび政略結婚させられて。
グレて非行に走るのも無理ないか。
リウィアは一度死産して子供産めなくなったんだっけ
同い年のアグリッパに後継者作らせるくらいなら
自分が新しい嫁貰って産ませるっていう手もあっただろうに
奥さんのことは尊重してたんだろうが
息子と娘はとばっちりすぎる
スキピオ・アフリカヌスも可哀想
コンスタンティウス(コンスタンティヌス父)も
なんかこんなことしてると性格ゆがみそう
>>705 その前からアウグストゥス派ではなくティベリウス派と目される人物が要職をつとめたりしている、
という研究結果があるし、アウグストゥス本人も「あいつは俺が死んだ後にアウグストゥスの名を受け継ぐから、他の仇名はいらないよ」
って発言を議会でしてたらしいからね。
心情的にはどうであれ、ティベリウスに対しては後継者としての地ならしはしてあげている。
>>708 リウィアはリウィウス氏とクラウディウス氏への重要なコネやし…
713 :
634:2013/10/17(木) 05:16:35.76 0
>>664 三国志っていうか、孔明の話。
幼い孔明が住んでた村を賊が襲って皆殺し、賊の名は曹操!
20年後、漢の丞相に登りつめた曹操に孔明は戦いを挑むのです とか
赤壁で絶体絶命になった劉備軍、そこに突如呉の水軍が現れ、劉備を救います。
実はこの危機に孔明は一人馬を飛ばして、呉の孫権に会い説得して救援に向かわせたのです、ドーン。
こんな感じで目が点になった。
悪いポンペイウスと元老院を倒したカエサル。しかし悪の一味の残党
ブルートゥスとカッシウスがひそかにカエサル暗殺を企んでいた…。
こんな感じ?
>>713 ところがそれは曹操を騙る劉備だったのです、とかさ
>>714 分かりやすく理解しようとしたらそういう思考になるのも無理はないが
現実はもっと複雑なんです
違いますというのは簡単だけど、説明するのに厖大な文章量と時間を必要とするから歴史はめんどくせえ
>>718 その通り。まさかのネタにマジレス来てるとは。
そこはブルートゥス一味が劉備や孔明なんじゃ
塩野さんのローマ人の物語一通り読んだけどpart3勝者の混迷が1番理解するのが難しいって思う
そうかな?あそこはむしろ分かりやすかろう
ばっちゃ自身も乗れてないであろう12〜13巻あたりの軍人皇帝の時代の方が
叙述率多くて考察率少ないし
古代ローマに限った話じゃないけど、部族の名前と家系図が無数に出てきて
どこの部族と家系がどこのなんなのかを記憶するが辛い
ガリアとゲルマニアだけでもどんだけ部族が出てくるんだよw
ガリア戦記読むときの大変なとこだよなw
ヘルヴェティア族はあんまり移動してないな
スヴゥピ族とかヴァンダル族とかの移動距離すげえ
フランク族も後にノルマン人に侵略されて北欧はどんな修羅の国だっていう
ロマ物の4巻片手に読んだ方がガリア戦記も理解が早い
勝者の混迷は、塩婆的にはグラックス兄弟とかスッラもわりとお気に入りっぽいし、
何より、カエサル登場の前夜なのもあって結構気合い入ってると思う。
映画エッセイの方で、職を失うことがどれだけアイデンティティの喪失に繋がるか力説してて
それが「勝者の混迷」を書くのにも役立ったと言ってたしなあ
ガリア戦記はなぁ。当時のガリアの状況とかカエサルのローマでの立場とかが
わからないと、倒しても倒しても湧いて来るガリア人と戦い続けてるだけの
お話になるからなあ。
同時代人へ向けて書いたプロパガンタ作品やからね。
そんな作品が時代を超えて残ってるというから驚き。
むしろそういうものだから一般人にでもわかりやすい英雄譚で
残りやすいのではないか
「ローマ人の物語」でキリスト教がローマに与えた影響について書いてある部分を読みたいんだけど、
どの巻あたりでキリスト教の話が出てくる?
もちろん「キリストの勝利」は読むつもりだけど。
>>732 キリストの勝利だけでも分かるようにはなってるけど・・・
まずキリスト教の話はピラト総督による処刑がいかにローマ法としては外れたものだったかから
悪名高き皇帝たちの巻で書いてある
ローマ皇帝のキリスト教徒への考えは終わりの始まりの10巻かねえ
哲人皇帝がキリスト教徒をトライアヌス帝以来の慣例に従って裁くところと
そのときの言葉が載ってるし、それこそがローマ人というより哲人皇帝の哲学が垣間見える言葉
次が軍人皇帝たちの時代、ディオクレティアヌスらが弾圧し、コンスタンティヌスが利用し、
ユリアヌスが再び弾圧しようとした考えが分かる
ばっちゃの展開では、ユダヤのローマ史における特殊性をも理解しないと
キリスト教がなぜ飛躍できたか理解できないと論じてるし、自分もそれを正しいと思うから
ユダヤの抵抗の歴史から知りたいなら6巻のパクス・ロマーナの巻からだな
ちんこ出したい
735 :
世界@名無史さん:2013/10/18(金) 19:46:18.18 0
きんたま
パブリック
>>733 ありがとう。
「悪名高き皇帝たち」→「終わりの始まり」→「キリストの勝利」の順に
文庫本でなぞってみる。
中世の本ってあまり無いよね
宗教に支配された時代というのも味があって良いものだが
もちろん宗教以外にも中世も良い
キリスト教は絶対だったってのがいかに嘘っぱちかわかるから面白い
まさに権謀術数の時代で、うまくプロパガンダとしてキリスト教を利用したり、
時には実力を用いてローマを攻撃したり
直属の軍事力がショボイ上血筋によった画一した戦略を築けないローマが
いかに暗闘で権力闘争を行うかってのが面白い
どこに同意する文章があるんだ?w
来た、見た、ヤった
??????????ポンペイの売春宿の落書き
日本ほど史料に恵まれてる国はない
早い時期からの庶民の識字率も含めてな
一番史料的に災厄だったのが太平洋戦争の空襲というのはなんとも
誤爆か?
>>738 中世の宗教絡みはおもしろいぞ。
主にキリスト教の妥協っぷりが。
>>745 現代でも明治大正昭和の資料がブッ○オフに二束三文で引き取られて"保存状態が悪いから"という理由で処分されてるんだけどな
アレクサンドロス大王ってローマのことどう思ってたんだろ
ガリア人によるローマ占領後に産まれたからローマのこと知ってたよな?
正直眼中になかったと思う
その頃のローマってイタリア半島統一もできてなかった頃だし
武田信玄と台頭前の織田信長みたいな感じじゃね
師であるアリストテレスの著作にローマへの言及は現存しない(カルタゴはある)
エペイロス王ピュロスはローマ人を(ヘレネスではないので)「バルバロイ」と呼んだ
この時点ではラテンそのものがケルトより弱小だったのでは
アレクサンドロスはケルト人を傭兵に雇ったという話は出てくるが
ラテン人と接触したというエピソード自体が聞いたことが無い
早稲田大学入りたいです。
対策を教えてください。
ください。
>>754 塩野さんのローマ人の物語を読破せよ
次に何をすればいいか自ずと見えてくる
わけないだろ?
受験サロンスレで聞け スレチ
>>738 ローマ帝国滅亡からルネサンスまでのヨーロッパ史は味気なく面白味に欠ける
イギリスなんかケルト人やらノルマン人やらサクソン人やら、蛮族に支配され蛮族が統治したかと思えば
また別の蛮族に支配されるという繰り返しで11世紀ぐらいまでは文化水準の低下が著しい
ローマ帝国滅亡からルネサンスまでのヨーロッパ史が1番面白いな
>>754 二部狙えば?早稲田卒を売り物にしてる芸能人でも実は二部のやつがいっぱいいるぞ。
吉永小百合とかデーモン小暮とか。
>>756 フランク王国やら神聖ローマ(笑)やら戦国スペインやら結構面白いで
本日はザマ記念日だそうで
761 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 14:15:00.86 0
慶応も受けたいんだけど世界史何すればいい?
762 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 17:08:03.11 0
ホーエンシュタウフェン朝の皇帝たちやら、歴代カペー朝の国王達とか、複雑で面白いよ
所詮ローマ2000年の面白さに敵う時代はないけどな
西ローマ滅亡以降は国とか民族とか入れ替わりまくりで混乱する
ローマの軍人皇帝乱立時代ですら混乱するのに
765 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 21:35:46.48 0
中国も蛮族の時代だよね。
766 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 21:53:56.46 0
軍人皇帝の時代ならオクタヴィアヌスもアグリッパに殺されてるなw
日本には蛮族っていなかったのかな?
770 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 23:05:25.13 0
>>756 蛮族呼ばわりされているけど、
その東ゴート王国支配下でもカッシオドルスやボエティウスなどローマ文化の継承者が活躍してるじゃん
元老院とローマ市民に象徴されるローマは西ローマの滅亡で消滅したんだ
ビザンツもロマノフもただの残滓、栄光の残りカスだ
ドゥーチェこそローマの継承者
476年は西の正帝廃止
546年ローマ陥落で古代ローマ滅亡
ランゴバルド人あたりがやって来てからはイタリアはカオスだな
マジャール人やってきてもダキア人はラテン語喋ってたのだろうか
ダキアは566年までゲピド族が支配していた。
西ゴート族がスペインを長期統治出来たのは、
移動以前にワラキアとモルダビアを支配して
いてラテン語に慣れていたからだと思う。
ちんこ出したい
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ちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したい
ちんぽこ
ちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこ
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ちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこちんぽこ。なあなあ
ちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したい
ウアアウアア
ちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したいちんこ
783 :
世界@名無史さん:2013/10/20(日) 17:10:21.17 0
アルサキスってクイタナ法典を定めたんだっけ?
ローマ帝国の皇統が、分裂後は
東ローマ→ビザンツ→オスマントルコ
→ロシア
西ローマ→フランク→神聖ローマ→ナポレオン
→オーストリア
と流れていったという歴史認識は、後継者を自称した連中たちのプロパガンダなのかな。
何かを具体的に継承した、という歴史的事実はあるの?
785 :
世界@名無史さん:2013/10/20(日) 22:18:33.65 0
ちんこ出したいちんこ出したいちんこ出したい
西ローマは法王の承認だが本来正当性ないよなぁ
一種の箔付けみたいなもんだと思ってた
ローマ滅ぼした連中の末裔がローマ皇帝名乗るのも違和感バリバリだが
違和感少ないのは大英帝国ぐらい、ローマ皇帝名乗ってないけど
ロシア帝国も十分後継者の威容を持っている。
ロシアにしろ神聖ローマにしろ、
アウグストゥスとか五賢帝時代の栄えたローマ帝国から見れば格段に劣る不肖の後継者に見えるが、
3世紀ごろの劣化した帝国の継承者だと考えれば、「さもありなん」と納得できる。
フランク王国とかガリア帝国と大差ないしな
そら別モンですしおすし
寛容という意味では上記の中では多民族国家トルコが
ローマらしいか?
一般的認識でも法的にも一番遠いがw
つーかオスマン朝はローマorビザンツの後継者を自認したのか?
どっちかというとアッバース朝とかの後継者なんじゃ
塩野氏はイスラム(というか宗教全般?)嫌いっぽいから、
絶対認めなさそうw
トルコは自認してたはずだよ
キリスト教とイスラム教は五十歩百歩だが、それでも五十歩の差はある……みたいなことは言っていた気がする
ジズヤを払えば、異教徒といえども存在を許してくれるところとか
ルーム・カイセリを名乗ったのはメフメト2世やスレイマン1世ぐらいじゃないの
>>792 ギリシャ・ローマオタだったメフメト二世くらいじゃね?
あと、スレイマン一世も治世前半はギリシャ・ローマオタの側近の影響でそんなこと言ってた。
その側近が粛正されて以降は方針転換したけど。
あと、所謂スルタン・カリフ制は衰退期にでっち上げられたものなので、それまでは、イスラムの保護者であると自称する以外のことはしていない。
>>793 イスラムが嫌いじゃ十字軍物語かけねえだろw
ばっちゃが嫌いなのは一神教の狂信だと思うがな
799 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 00:47:18.65 0
ちんこ出したい
ちんこ出したい
フン→ハザール→キプチャク→ロシア→ソ連
>>798 キリスト教がローマ世界の滅亡の要因になったという思いもあるだろうからね
古代ローマ好きにはやっぱり偶像崇拝禁止令を出して、歴史的な遺産を破壊してしまった昔のキリスト教には納得がいかないのもあるし
802 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 07:47:14.67 0
一橋の世界史の対策を教えてください。
803 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 07:54:01.21 0
耶蘇教流行らなかったら羅馬ってどのぐらい持ったんだろ
帝国の首都がローマでなくなった時にローマでなくなったとも言えそう。
ディオクレティアヌスはササン朝をお手本に専制化を進めたとされる。
他の国の例だとパルティアとササン朝はともに帝都がクテシフォン、
ロシアはモスクワからサンクトペテルブルクに遷都して西欧化を進めた。
上戸彩はめちゃくちゃ美人やねん
上戸彩はめちゃくちゃ美人やねん
上戸彩はめちゃくちゃ美人やねん上戸彩はめちゃくちゃ美人やねん
ほーほほほーほーほほほーほーほほほーほーほほほーほーほほほーほーほほほーほーほほほー
みんな知ってるか?
フランスの首都はパリなんだぜ?!
自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛
自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛自画自賛
鎌倉幕府について語ろう〜!
鎌倉幕府について語ろう〜!鎌倉幕府
811 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 11:29:38.72 0
鎌倉幕府について語ろう〜
812 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 11:30:30.24 0
台湾ってどんな国?
素晴らしい国?
さっきからなんだこのキチガイは
ローマからナポリへと下る道中、わたしが見たものののなかでとりわけ顕著なものは、ほかでもなく、田舎の美しさと住民たちの極度な貧困である。
かつてローマ帝国の支配下、いかに多くの人々であふれていたかを思うにつけ、驚きを禁じ得ないのは、昨今のイタリアの荒廃ぶりを目の当たりにすることである。
byギボン
>>50 水道はペルシャにもギリシャにも中国にもローマの遥か以前からあった
816 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 14:41:43.43 0
ちんこ出したい
ちんこ出したい
817 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 16:24:39.91 0
今日はラーメン食いにいくか
削除依頼を出した方がいいと思うが、
進行速度の遅いこの板だとせいぜい数ヶ月に一回くらいしか
削除人が来ないんじゃないか?
820 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 21:37:06.11 0
ササン朝はアケメネス朝の継承者を自負していた
イエスキリストを死刑に処したのってヴェシパシアヌスの命令だったんだっけ?
ディオクレティアヌスの命令だよ
属州民を死刑にするのに皇帝の命令はいらないだろ
属州総督の小プリニウスの命令だよ
>>822 それって三世紀の皇帝でキリストとは年代が違う
キリストはユダヤ教の体制を批判したためユダヤ教徒の反感を買ってしまい
ユダヤを統治していたローマ総監に死刑に処するよう懇願した
なぜマジレスしたし
826 :
世界@名無史さん:2013/10/22(火) 09:38:23.53 0
ディノセフィルは誰の命令でバドイ法を定めたの?
カティリーナの陰謀がキケロに弾劾されるシーンだろ
絵自体は古代のものじゃないだろうけど
トーガ着心地良さそう
最近の若モンはトーガきないと爺さんが嘆いてたから
面倒なモンなんだろ
チェニックのほうがみかけにも楽そうだ
夏は暑そうだぞ
塩野ばあちゃん作でユダヤ人の物語って本書いたら面白そうだ
紀元前13世紀のモーゼから現代までの3200年の超大作
ばっちゃのSAN値がもたないからダメだろ
惚れこむ位の対象であることが最低条件
ギリシア人の方が面白そう
出るなら先にアレクサンダー大王だろう
ラテン語が得意だからイタリア以外は無理
アレクよりペリクレスの方があの婆さんのタイプなんじゃねえの?
何でローマってマケドニアを属州にしたの? フラミヌスは自治を認めたんじゃなかったの?
ロマ物2巻嫁
>>827 いや、これ大学でゼミ受けてる俺だろ。。
ところでそのキケロの隣に置いてある煙みたいなのは何?
ヴェスタの火。元老院開会中は、女神ヴェスタの絶やさぬ火から
採った種火を院内で焚いて、正義と真実の証とした。
と、とっさに捏造してみる。
当たり前だろ。
後ろに描かれている列柱(オーダー)がかっこいいな。
>>842 左側の教授が
なんだねキミ
私はグループで相談して何か意見を述べろと言ったのだが?
やる気がないのかね
と言ってる図
しかし議場がな。ホントは四角いガランとしたバシリカでやってたんだろ?
まあ、後世の絵だし
四角いけど座ってる描写各種書物にはあるので椅子はあったと思う
会合の種類によって、備え付けの椅子を並べたりしたんだろ
市民集会はスタンディングで盛り上がります
元老院の討議は長かった場合もあるっぽいが
水とかはどうしてたんだろうな
手紙が討議中に届くくらいだから奴隷とかに届けさせたんだろうが
演説中にゴクゴクやられたりしたらむかつくんだろうなぁ
演説中に愛人からの手紙読む奴とかもいるしな
童貞のカトーが怒った例のやつか
加藤だけど何か質問ある?
近年の国会演説では水がペットボトルになって寂しい。
コップだとぶっかけられる
演説の時は、水差しだの汗拭き用タオルだのを持った奴隷が傍に控えてるとか有りそう。
絶対あるなw夏は冷えた井戸水を定期的に汲ませる議員とかいたりして
うぜぇとか思われそう
演説が白熱し過ぎた時にそれを主人に伝えて、演説をトーンダウンさせる奴隷とかいたみたいだしな
デモンストレーションの場だし、お互い研究して
許されてる範囲で相手の勢いに水を刺す方法とか、
自分の演説を有効に働かせる方法使ってたんだろうなあ
キケロさんは一流の演者ということか
ローマ人の物語と、それに続く「十字軍」や「ローマ亡き後の」を読むと、いろいろな意味で、中世のヨーロッパ人は「ローマ文明の継承者『でない』」と思えてくるなあ。
中世だとむしろイスラム圏の方がそれらしい。
近代になると、それが逆転してくるが。
当時のギリシャ人やアラブ人ら文明人とって、フランク人とトルコ人は
皇帝とカリフが呼び寄せたともに厄介な野蛮人だった。
フランク兵もトルコ兵も相手が異教徒であろうとなかろうと手加減せずに
略奪したとされる。
キケロはソクラテスとかプラトンの答弁論とかギリシャ哲学に影響受けてそう
リーガルハイ
アウグストゥスが造った官僚機構によって皇帝が大した仕事しなくてもよかったから帝国運営がうまくいったって評価で
粛清は無実だった人も殺したし
信憑性の低い同性愛のことをまるで確定的のように書いてみだらな皇帝ってことにしてるし、「偏執狂」とか言われてるw
あげくに性的虐待してる間にパルティアとかゲルマン人に侵入されてるのに何も対策しなかった、
神格化も辞退じゃなくて元老院が拒否したことになってるな
日本ではティベリウスが身分によらず人材抜擢したのと情報網をきっちり動かしたことが官僚機構を活かしたと書かれてるのが多い
粛清は元老院議員同士で告発合戦で自滅した記述なし
まぁこれらは別にいいけどローマじゃなくて地方でインフラ整備したことすら評価されてないのは面白いな
ウィキだし一般認識というよりキリスト教徒の馬鹿たちが改変した可能性もあるけど
868 :
世界@名無史さん:2013/10/25(金) 01:09:38.26 0
ネロさんはもっとファンキーな書かれ方してるけどな
>>868 気持ち悪いのは議会が怠惰と腐敗による堕落で皇帝だよりになってたことを書いてないことだろ
キリスト教徒ってより独裁者は絶対悪で民主主義至上主義の欧米らしい皇帝否定だろ
でも塩ばあがやたら絶賛してたせいかティベリウスは日本では美化されすぎな気がしないでもない
英語版ウィキはウィキ()だしアホでもしゃーない
結局アレは多数決みたいな民主的制度だねw多数は事実を無視するのです
日本人がローマ皇帝知るのは塩婆の本とかだけど
向こうは各種伝説でも知ってるからそうデマみたいのが多いんだろうな
英語版wikiでしか書かれてない項目の史実があるけど、これだから信用出来ないんだよな
ディオクレティアヌスがアレな扱いで、コンスタンティヌスが聖人で大帝扱いの欧米キリスト教史観に何を今更だな
近代以降のティベリウス再評価は欧州発だし、キリスト教史観から脱却したい歴史研究家は山ほどいるだろうけど
むこうの歴史研究ってキリスト教のせいでそうとう息苦しそう
>>866 共和制()信者のタキトゥスの言ばっかり真実っぽく引用してるなw
酷いもんだ
まあヨーロッパだと古代ローマが身近な存在で、それだけに都市伝説化
してるんだろうけど。織田信長なんかも明治以後フロイスの『日本史』で
再評価されたけど、江戸時代には酷い暴君扱いだったからな。
悪の帝国残虐な皇帝
スターウォーズのような扱いだな
まあ二次大戦の後だしな
クラウディウスはどういう評価なんだろう
そもそもそういう伝説がないのかな
海外の一般人間のティベリウスの評価が低いのはあれだろ、
今川義元が日本の一般人評価だと、ただの貴族趣味のアホ扱いみたいなもんだ。
日本の場合は、一般人の読み物の中でまともにティベリウスを紹介したのが
塩婆さんの本くらいしかないから暴君扱いされてないだけで。
そういやモンタネッリの本でもティベリウスは暴君扱いじゃなかったな。
真面目に頑張ったけどローマの腐りっぷりに振り回されたかわいそうな人、
みたいな扱いだった。
義元はなぁ。信玄や氏康と対等に渡り合った実力者ぶりと、最後の桶狭間の
呆気無さがアンバランス過ぎるんだよな。妻に毒殺されて評価を下げた
クラウディウスに近いかもしれん。
日本でいう司馬史観以上に、向こうではタキトゥス史観が幅を利かせてるってことだな
明治善玉昭和悪玉史観みたいに、
五賢帝時代を綺麗に、ネロやカリグラ周辺を汚く、の結果
ティベリウスやクラウディウスにまでそれが影響してるというか
ぼくはスターウォーズ見ても帝国軍を応援してまつ
コンモドゥスも再評価されて名君になる日が来るかもしれない?
884 :
世界@名無史さん:2013/10/25(金) 14:06:52.93 0
グラディエーターで十分評価されたじゃないか(棒)
>>875 実際暴君だしそのせいで横死してるからな
それに信長が過大評価されるようになったのは
明治以降ではなく戦後になってから
信長って過大評価なの?
徳川の戦略的には豊臣家を押さえる目的として織田家を持ち上げた方がいいような気がする
スレ違いか
江戸時代には「信長以降の歴史は論評禁止」という不文律があったらしいな。
グラディエーターとかでもそうだけど、専門書じゃないと元老院とかの腐敗っぷりがスル―されてて
結局は「正義の共和制万歳」で終わるのが欧米クォリティ
むしろ専門書とかじゃなかったら「元老院は腐敗していました、まる」で終わらせられてる気が。
腐敗とは一言でいうけれど、当時の元老院がどういう状況だったかって、
まだまだ解明されたとは言い難いし。
というかそもそもグラディエーターは共和制万歳じゃなくて、暴君を倒しました万歳って話では。
アメリカ的な、というかハリウッド的な善悪二元論や動機が女のためって価値観を
持ち込まれるのは全く困りもんだ
まあ映画だし
>>891 グラディエーターは最後は共和制と元老院サイコーって終わり方だよ
グラディエーターでコモンドゥスが姉に懸想する描写があったが
アレを姉含む家族で見てたからきまずかったぜ
姉が「キモイ」といってたがなぜか姉に殺意覚えた
てめえみたいなウザイ女が言うなという感想
ダンテはカエサルを(キリスト以前の人だから)辺獄に住まわせておいて
ブルートゥスとカシウスをユダと共に悪魔大王に食わせてたな
彼には帝政が理想だったようだ
しかしトラヤヌスは天国に行く
史実通りコンモドゥスの後のペルティナクスの絶望的な状況えがいたらバッドエンドだしなw
財政破綻寸前の中で腐った元老院との政争と、近衛隊の武力背景に調子乗ってる状況とかもう希望無いだろ
>>887 昭和の頃は織田家の史料が殆ど残って無い(管理がざるで残してない)のをいい事に
(別の大名が施行していて既に)有る事(信長がやって)無い事信長起源にしてたw
元老院はもう空気になりかけてたし
近衛のほうが糞
帝位競売とかアホかと
そしてカラカラがぶち壊しに
カラカラはもう、彫像からして性格悪そうだからなぁ
コモドゥスもカラカラも、家族に手をかけたからなのかねえ
ドミティアヌスの暗殺原因はいったいなんだったんだろうな
歴史家としてでなく推理小説気味にでいいから誰かアプローチしてもらえんだろうか
塩婆ちゃんの記載より
フランスの女学者「ヴェネツィアに政治的影響力を持った女が一人も居なかったのは同じ女性として残念でなりません」
野次「だからこそヴェネツィアの政体は健全足りえたのです!」
一堂爆笑
古代ローマ好きなら映画ベンハーは見るべきだろ
あれこそハリウッド史観ならぬユダヤ史観やろ
キリスト史観じゃね
まあ、映画は映画として面白いことが第一やし
古い映画だが、「聖衣」はおすすめ。その続編は糞だが。
912 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 00:07:20.72 0
価値観はともかく、映画としては面白いからベンハーは有り
エンタメの本分は面白いことやからな
海戦の戦い方はベンハー見て知った
火のついた物投げて、船尾からドーンって体当たりすればいいんだよな
中世の海戦の研究で判明したことだけど
ガレー船の体当たりは行われてたけど、そればっかりではなかったそうな
まずそんな突撃しやすい角度になることが難しかったし、ぶつけた衝撃で両方が壊れることがあった
さらに突撃してぶっさした部分が抜けずに、敵と一緒に沈んでしまうということがけっこう起きたらしくて
普通に弓や槍の撃ち合いや、敵船に乗り移って占拠が多かった。
古代ギリシャでは船首に取り外しが可能な衝角を付けて、刺したあと外して離脱できる船が製造されたこともある
アテネやカルタゴの全盛期でもない、古代ローマじゃあんまり突撃メインにはできなかったのではないかな
実際ポエニ戦争では
カルタゴ軍に比べて操艦能力に劣るローマ海軍はカラスとかいう
相手の船に橋かけて乗り込む装置使ってボコボコにしたわけですし
ハンニバルバルカの親父は海戦で毒蛇を壷に入れた
ヘビ爆弾を敵船に投下してたな
火炎瓶投げ込んだほうが早くないか
狭い船内で毒蛇ばらまかれたらパニックになるだろうな
海戦って遠距離から弓矢で一斉攻撃するのが効果的だと思うんだがそう簡単にはいかないのかな
海は風が強いからかなりのベテラン弓兵でないと海に落ちるだけだろうなぁ
古代の弓の威力じゃ盾で防げちゃうからな
結局は白兵戦、重装歩兵が主力な時代よ
ヒストリエの海戦シーンでアテネ海軍が敵艦をざくざく沈めていくのは凄かった
フォーキオンなんて今まで知らなかったわ
カエサルのガリア遠征で、たかだか1000(だったか?)ぐらいのゲルマン騎兵で
10倍ぐらいのガリア騎兵蹴散らしたり、アレシアでも1000?ぐらいの騎兵が背後に回り込んだぐらいで
数万の敵が潰走するのがどうも理解できん。
当時は肉弾戦だから士気がものすごく重要なんだと思うよ
現在でもデモ隊に重装備の警官が突っ込んできたとき、
市民どもはばらばらになってにげるじゃん
市民どもって何だよ!
お前、元老院派か?
927 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 15:59:06.89 0
ちんこ出したい
928 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 16:00:45.06 0
ちんこ出したい
ちんこ出したい
出せよ
見ててやるから
民衆派だ!
>>926をプロスクリプティオに載せろ!
ヘリオガバルスはお帰り下さい
>>924 1000対1万は1対10とは違うしな。
人が増えると、戦線に参加できない奴とか、そもそも戦場の状況を把握できない奴とかが格段に増える。
それでもまあ、いくらか人数盛ってる気はするが。
カエサルのゲルマン騎兵はローマ側が馬を提供したらしいけど、
武器とか鎧も与えたのだろうか?
ガリア軍は指揮官以外はたいてい普段着で戦っていたとされる。
先日NHKで戦国時代の武将達の戦い方を詳しく検証してたけど
人数が多ければ強くなるわけではないそうだ
人数が多いとそれだけ指令が隅々まで行き届くのに時間がかかるのと、機動力が落ちるんだと
一番バランスがいいのが8000人なんだって
無線なんてない時代だし、伝令も高度教育必要だしな
上杉謙信か
そういや関が原の諸侯が率いた数て5000前後が多いな
扱いやすい数なんだろな
>>937 関ヶ原で5000前後を率いる諸侯が多いのは
20万石前後かそれ以下の諸侯がほとんどで、その中でも10万石以上の諸侯が目立つというだけだろう。
20万石以上の諸侯というのはもともと数えるくらいしかいない上に、
関ヶ原本戦には上杉も前田も伊達も佐竹も堀も島津も龍造寺・鍋島も出て来ていないから当然だろう。
10万石以上の諸侯が目立つというのは、それ以下の諸侯は単純に兵数が少なくて目立たないというのと、
前線に配置されなかったり、配置されても大身の諸侯に附属されるような形になったため。
関ヶ原の兵数というのはほとんど一律に1万石につき300人という計算がされているだけなので
10万石なら3000人、20万石なら6000人ということになっているが、
それが史実とどれだけ一致しているのかは不明な部分が大きいということも注意する必要がある。
そこは単に石高で養える兵力がそんだけなんだ
20万石大名で兵5000程度
>>938 上杉征伐の軍役が家康から発された時点では大名はほとんど関ヶ原なんか想定してないから、
東軍は家康の申し渡しどおりで石高と兵数の比率が揃ってるってことだ
>>939 実際はもっと多くの兵力を出せるよ。
朝鮮出兵では1万石につき500人出してるとこもある。
関ヶ原の数字はあくまで目安と考えるべきだね。
1万石250人を超える率で出せるのは防衛戦のときぐらいだ
それはない
軍役の基準がそれなんだからそれ以上もできる
日本史板に迷い込んだかとおもた
光秀や秀吉の家臣宛軍役状だと100石当たり5〜6人
他の大名家でも大体20石持ち以上から本人以外に1人連れてくるよう命じられてる
100石当たり3人前後で規定しているのは
遠征や、近場でも領国の反対側に位置するような場合
それは世界基準ではないよね、関が原がそうだからといってガリアでも同じなのかは
例えば装備や兵糧とか日頃の習慣とかで違ってくるんのでは?
難しいな。兵力って「三万の衆を集めて十万と称する」ぐらいは良心的な方で、
誇張が当たり前だからな。日本にしても、豊臣期まで下がらないと、はっきり
根拠のある数字が出て来ないし。ヨーロッパも「実は古代の方が中世よりずっと
人口が多かったんですよ」とよく言われるが、社会構造の違いもあるしよう判らん。
>>935 命令系統を合理化していたローマが強いのもさもありなん
銃砲の時代になればますます人の声なんか限界あるしな
そりゃプロイセンみたく士官数増やさないとやってけない
日本もヨーロッパも中世は強い領主が乱立してて、
集団戦よりも少数精鋭をうまく運用した勢力が強かったってイメージ。
ヨーロッパ騎士の槍試合や決闘なんて、
個人戦華やかだった時代だから成立してたって感じだし。
「敵よりも多くの兵を用いる事が戦術である」――ナポレオン
人数が不利のときの必勝法って、正面中央にいる軍勢が相手の攻撃に耐えてる間に
右翼か左翼の騎馬隊が素早く敵勢の背後に回り込んで、最終的に取り囲めばいいんでしょ
アレキサンダーもカエサルもハンニバルも劣勢の状況でそういう勝ち方してるよね
>>953 そんなカンネー方式が綺麗に決まるほど兵力差が拮抗してればいいけどねえ
現実は兵数差が開きすぎて戦闘が発生しなかったり、
包囲殲滅決めようとして普通に失敗するんです
古代以来の斜攻戦術がその「一部隊で敵を拘置しつつ別部隊が決勝点を超える」の典型やね
上手く回り込めてかつその攻撃が成功するのはそれ自体ムズかしい
側面攻撃しようとして列が乱れてそこに突っ込まれて負ける可能性が高くなる
側面攻撃できる精鋭部隊をそろえかつタイミングよくできる指揮官がいないと
ナポレオンの得意技は中央突破→各個撃破だったな
>>953 中央が突破されて側面迂回した騎兵は遊軍になって各個撃破される。
>>956 というかフリードリヒ大王の得意技、後手の先のやり口に近い
ジャブでガードを崩して生まれたスキ・ガードの乱れにアッパー叩き込む感覚
それをいうならアレキサンダーっぽくもある
あいつは常に先手必勝で勝っちゃうだろwwwwww
>>957 ガリア戦記嫁
中央突破対策を詳しく記述してある
ファルサルスで
カエサルがどうやって劣勢な騎兵戦力でポンペイウスの騎兵を防いだのかよくわからない
ローマ人の物語では馬をびっくりさせたみたいなことが書いてあった気がするが
>>962 騎兵が突撃してくると普通は恐怖心で人はたいていは逃げ出すのだけど、
馬は障害物に対して止まる習性があるので、カエサルは歩兵らに密集隊形
で騎兵を待ち構えさせて、敵騎兵の突撃を停止させたとされる。
カエサルか誰だったか忘れたけど中央に守備の手薄なガリア傭兵を敷いて、敵にそこが弱点なように仕向けるんだけど
その背後には頑強な重装歩兵を置いていて敵陣が中央に集中して攻め込もうとしたところを、ガリア傭兵を左右に散らして背後から守備固めした重装歩兵が出てきて猛攻を耐えてる間に、左右の陣営が中央に集中している軍勢を取り囲んで勝つみたいなの
誰だっけ?
ハンニバル
カンナエの戦い
>>962 今では確立してる、敵の片翼包囲攻撃に対抗するセオリーの一つを実行しただけ
でもそれは平原での騎兵の無力化という至難の業込みであって
古代世界ではまだ実践されたわけではなかったって話
敵の歩兵軍を数に劣るこちらの歩兵軍で持ちこたえてる間に
敵の騎兵が全力疾走出来ない距離までこちらから詰めてしまって
柵と囲い込みと軽歩兵・騎兵フル投入して防いじゃったってことだ
騎兵の本領は機動力で後退しつつ正面対決を
避け時間を稼ぎ相手の体力と兵糧を消耗させ弱ってきたところを叩くというのがセオリー
騎兵の本領はヒャッハー!
969 :
世界@名無史さん:2013/10/28(月) 00:23:42.89 0
>>969 どちらの文明も異民族に好き勝手やられてた時期か
北魏って遊牧民の鮮卑の国だよな。東西揃って蛮族にヒャッハーされてたのか。
973 :
世界@名無史さん:2013/10/28(月) 07:51:23.80 0
チンコ!
ちんこ出したい
974 :
世界@名無史さん:2013/10/28(月) 07:52:07.97 0
ちんこ出したい
ちんこ出したい
北魏といえば楊大眼だな
976 :
世界@名無史さん:2013/10/28(月) 10:17:30.80 0
>>969 金貨があるってことは、
キリスト教が伝わっていた可能性もあるってことか
厩戸皇子キリスト影響説もあながち間違いじゃないのかも知れないなー
978 :
世界@名無史さん:2013/10/28(月) 19:48:02.46 0
ネストリウス派がいたんじゃね。
>>971 南朝=東ローマで北朝=ゲルマンって感じだよね
ゲルマン諸国が隋唐みたいに東ローマを征服して
地中海世界を再統一するなんて出来なかったけど
欧州は南東より北西の方が気候と土壌に恵まれた豊かで広い土地だけど
中国は真逆で、其の辺は差異があんじゃね、西欧と一緒で
江南の王朝も豊かな物産と開発余剰地があるから基本的に北伐を志向しなかったし
地中海か中原かの違いかね
中華世界は陸続きだから比較的統一しやすいんだろう
ガリア人てローマ人のこと憎んでたの?
戦争でローマ人に負けるくらいなら自害するパターンが結構あるよね?
しかも女子供含めて
そこまでローマ人とガリア人は相容れない関係だったのだろうか
奴隷になるのが嫌だったとか?
アッティラがガリアに来たときアッティラに呼応しようとしたのはアランのサンギバンだけ。
次スレたのむ
>>982 かつてゲルマンのギンブリ族が攻めてきた時、
籠城したガリア人は同胞の人肉を食いながら
徹底抗戦して、キンブリ族らを撃退した。
アレシアの戦いでも同様に徹底抗戦する案が
出されたが、ウェルキンゲトリクスは却下して
カエサルに降伏した。
美味しくなかったんかな
よくやった
お前にはガリアをくれてやろう
ともあれ、
>>987は乙されるべきだと考える次第である
>>982 そりゃ嫌だろう>>奴隷
まともに読み書きできないガリア人の奴隷とか、主人が解放してくれなきゃ死ぬまで単純作業だろうしな。
下手すりゃ農場とか鉱山でボロ雑巾のようになるまで使い潰されるし。
>>981 フランク王国は封建化していたから中央集権的な東ローマやカリフ国のように
大軍を動員しにくかった。11世紀以降に東ローマとイスラム諸国が封建化して
くると西欧諸国に勝機が生じてきた。
ユスティニアヌス帝が強引に東ゴート王国を滅ぼしていなかったら、ササン朝や
アラブに大攻勢をかけられた時に、東ゴートにバルカンを奪われて東ローマは
滅亡していたのかもしれない。東ゴート王国は封建国家ではなく西ローマの社会
がそっくり存続していた。
ガリア人とスペイン人は当時の欧州地方では最弱民族
>>995 洗脳も何も、奴隷の扱いはピンキリで、農場・鉱山奴隷はガチで一山いくらの扱いだぞ。
高等教育を受けた奴隷は下手なローマ市民よりよっぽどいい生活してたし、
そうでなくても主人がいい人ならそこそこまともな扱いを受けてたけど。
支那朝鮮のようなかつての農奴制国家は、未だに人民を常時洗脳・
情報操作し続けないと国がもたないからなあ。
洗脳なんて技術は古代にないという当たり前のことを
すぐ忘れて勝手に「似たものがある」から洗脳といってるっだけなんだよなぁ
大日本帝国が洗脳ならいまの民主政治至高ってのも洗脳だわ
9条信者はカルトの洗脳と100年後は教科書に書かれるレベルだがな
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