1 :
世界@名無史さん:
取り合えず胡亥と霊帝はどっちがより暗愚?
2 :
世界@名無史さん:2013/04/08(月) 14:49:44.54 O
知んね
3 :
世界@名無史さん:2013/04/08(月) 14:51:14.05 O
暗愚比べなら両者とも万暦帝の足元?にも及ばない。
4 :
世界@名無史さん:2013/04/08(月) 16:30:52.70 0
東晋の安帝
西晋の恵帝
「米がないなら肉を食べればいいじゃない」
胡亥と劉禅だったら?
劉禅は父の死後40年、孔明亡き後でも30年近く国を保っただろ
在位3年で滅んだ胡亥より圧倒的な実績だ
8 :
世界@名無史さん:2013/04/08(月) 20:00:48.98 0
やっぱり王莽じゃないの?
劉宋の前廃帝。
豚のように棒に縛り付けて吊るした叔父たちの目の前で
その母を近臣に強姦させた。
北斉の後主。何百匹ものさそりを桶に入れて
そこへ囚人を放り込み苦痛の極みに転げまわるのを見て大はしゃぎ。
徹夜で宮中の園でさそりを採集しまくっていた。
元々は異母兄が考案したものだが、
話を知ると「こんな面白いこと、なんでもっと早く知らせてくれなかった!」と言った。
北周の宣帝。臣下の妻をむりやり泥酔させて強姦し、反乱を招いた。
中国北部を統一した父・武帝の遺産を数年で食いつぶしている。
春秋時代の衛の懿公。ペットの鶴が異常に好きで、官位や俸禄まで与えていた。
狄が攻めてきた時には家臣に見放され、「鶴に追い払わせればいいでしょう」と言われた。
唐の高宗もなかなかの暗君だと思うが女房のおかげで失政なく済んだな
12 :
世界@名無史さん:2013/04/09(火) 06:15:35.31 0
>>6 劉禅って三国志のおかげで有名暗君扱いだけど、アホかもしらんが暴君じゃ
ないからな。
13 :
世界@名無史さん:2013/04/09(火) 10:31:12.60 0
>>12 このスレタイは「一番の暗君」であって
「一番の暴君」じゃありませんが???
14 :
世界@名無史さん:2013/04/09(火) 10:33:20.23 0
中共王朝最後の皇帝がキンペー
暗君と暴君は厳密には違うけど、かぶることも多い。
あの激動時に在位40年の蜀漢後主は
やはりただの暗君とは言い切れんだろうなあ。
道光帝
林則徐を罷免してフラフラと定まらない外交姿勢でアヘン戦争の傷口を最大限開いてしまった
林則徐を抜擢する目があっただけでもいいんじゃないか?
アヘン戦争の対応のマズさは同意だけど
清朝は名君揃いだから失政があると余計に目立つな。
19 :
世界@名無史さん:2013/04/10(水) 16:13:11.42 O
皇帝が政治から離れて酒色に溺れた程度で国が傾いてしまう中国王朝を見ていると、
宗教狂い女狂い身障疑惑と色々いたのに余裕の安定感を見せた徳川幕府が凄く感じるな。
>>20 中国システムは集権型の独裁だから、皇帝が無能なだけで傾く。
日本のシステムは、基本的にトップが無能な御輿でも廻る。
でも、中国みたいに優秀なトップが強烈な個性で引っ張るには不向き。
って感じか?
日本はむしろトップが無能な時の方がいい
魏忠賢の専横を許して明滅亡の最終スイッチを押した天啓帝
>>19 実は異民族王朝の元に殉じた漢人の官僚はかなり多いそうな。
最後まで元に忠義を尽くして殺される、或いは元の「北帰」に付き従った者など。
順帝は酒色に耽ったが暴君ではなかったし
性格は穏和だったらしい。
>>20-21 逆に皇帝が暗愚で遊んでばかり
政務は家来に丸投げで自身はノータッチだったのが
結果として好結果を生んだというケースはないかな。
長州のそうせい侯か
明の嘉靖帝・隆慶帝・万暦帝の三代は全員暗君だけど
嘉靖末期〜万暦初期は徐階・高拱・張居正といった有能な宰相達のおかげで
やや国が持ち直した時期だと思う
この場合 万暦帝は暗君というより幼君だけどね
後漢や明は初期数人の皇帝以外は僅かな例外を除いて皆暗君なのに
よく約200年や約280年続いたな
29 :
世界@名無史さん:2013/04/11(木) 00:46:54.48 0
最初のほうで、敵を全て潰し、新しいシステムをしっかり整え、上手くまわるようにしたら
後はそれが腐って落ちるまでの間、遊んでおればよいのだよ!
どっかの大学生みたいだ!
北宋の徽宗の名が出てないね
31 :
世界@名無史さん:2013/04/11(木) 20:36:21.03 0
毛沢東はどうなんだ?
暗君からほど遠い
暗君は数千万の人間を殺す前に自分が殺される
毛沢東は文革で大勢の人を死に至らしめたが、
国共内戦とか対日戦とかを勝ち抜いたリーダーだからな。
内政を顧みないで戦争に明け暮れて国を傾けた君主でも
なかなか暗君とは呼ばれんしな。
34 :
世界@名無史さん:2013/04/11(木) 22:35:44.78 0
初代が凄いけど暴君のパターンは
初代が死ぬと二代目が暗君扱いされて
反乱されるパターンが多いが、共産党は生き残ってるしな
>>31 毛沢東は「歴代王朝の○君」ではないからスレ違い。
36 :
世界@名無史さん:2013/04/11(木) 23:45:22.87 O
37 :
世界@名無史さん:2013/04/12(金) 00:19:28.14 0
>>25 皇帝ではないが
春秋時代の斉の景公と晋の平公が双璧
徽宗
奇跡の画家。でも画家が政治や軍事に関わるとろくなことにならない。
39 :
世界@名無史さん:2013/04/13(土) 08:55:35.17 0
>>21 多少スレ違いだが、民主党政権を経験したらそういうのんきな
ことを言えなくなった。
菅はまだ同情の余地があるとはいえ、鳩山はこのスレの話題になっても
おかしくない出来だと思うが?
とはいえ、鳩山は基本的に真面目で善意の人だろうww
真面目で善意(熱意)を持って行動したら最悪だったと言う形の中国の
皇帝は王莽、毛沢東、崇禎帝じゃないのかな
40 :
世界@名無史さん:2013/04/13(土) 09:59:19.39 0
安倍も鳩山と同じようなタイプなのにネットでは過大評価されてる
孫晧
最悪だったとかこのスレに出てくるような暗君と比べたら
犠牲者たちが怒りだすレベルじゃないの。
国がなくなる!とか言っても危険性を大きく取り上げた場合の話だし、
実際に攻められて国がなくなってるのとは比べられないだろ。
>>41 実は優秀な子
孫家の人間が物語の後半に入るとダメ人間になるのは何故か
>>43 孫武の血では無く孫悟空の血が騒ぐから。
孫文が晩節を汚さなかったのは、政権安定する前に死んだからか?
俺
>>46 以前某スレで話題になった東日本皇帝陛下におわしますか?
李自成
偉い人はお正月にしか食べてはいけない餃子を、
せっかく皇帝になったんだから贅沢したいと、毎日毎日作らせては食べて
満州族に滅ぼされてしまう。
煬帝の陵が工事現場で発見されたよ!
墓誌も見つかってるそうな。
携帯で知って思わず「ほおーっ」とうなってしまったよ。
>>48 李自成は調子にさえ乗らなければ「天命を受ける」ことが出来たと思う。
>>50 呉三桂を懐柔出来ればとりあえず清の侵攻は防げるだろうけど
その後の展開はジリ貧な気がする。
東晋は在位短く若くして死んだ明帝以外暗君揃い
>>25 さっきもどこかで書いたが、万暦帝と張居正はまさにそのとおりかと。
>>39 崇禎帝はなんかカッコいい。
苛斂誅求やら、不要支出のカット(これが命取りに)など色々と理不尽なことをやったけど、
それら全てが明帝国すなわち天下のためにしたことだから。かなり勇み足だけど。
最期も、首を吊って髪で顔を隠し、
「歴代諸帝に見せる顔がないので、このまま葬ってほしい」
だもんな。歴代諸帝よりずっとマシだから安心しろよと言ってやりたい。
「清史稿」にも「甚だしく暗くはなけれども」と記述されるくらいだし。
55 :
世界@名無史さん:2013/04/20(土) 14:49:15.52 0
>>51 呉三桂も一応皇帝と名乗ったから、このスレの話題になる資格はあると思うから
書き込むが、あそこで李自成についていても、
李自成は、国を統治する才覚なんて無かったから、結局呉三桂と
殺し合いをやっていたのではないかな
そして五代を上回る分裂状態になって、結局満州族が天下を取っていたのでは
ないかな
56 :
世界@名無史さん:2013/04/20(土) 14:51:12.97 0
つまり下落率だろ?
即位時から退位時までの間に
もっとも国力を低下させたものが最優秀暗君
それなら着実な治世を行った親父の遺産を使い果たしただけでなく
一気に亡国に導いた煬帝ということになるが
煬帝は暴君というイメージはあっても暗君という表現はイマイチしっくりこない
南朝斉の蕭宝巻。
父の明帝が崩御すると16歳で帝位を継ぐが、もがりもせずに「気味が悪いからすぐに埋めよう」と言い出し、
喪主の礼として哭泣をするようにと言われても「喉が痛いからやだ」と拒否。
葬儀では忠臣が慟哭したが、頭巾が外れて禿頭が見えたので「禿鷹が哭きにきた」と手を打って大笑いした。
即位後は六人の重臣を殺害し、奸臣を近づけて重税を課し、多数の宮殿を造営して財政を破綻させた。
後宮に引きこもって幼馴染の潘氏を寵愛し、庭園の歩道を黄金の蓮華で敷き詰めたという。
また通行人を馬蹄で踏みつけるのが好きで、妊婦を踏み殺したりもしたという。
ついに反乱が起きて衛兵に殺害され、死後は諸侯に格下げされて「東昏侯」と呼ばれた。
59 :
世界@名無史さん:2013/04/20(土) 18:25:11.34 0
>>58 もう無理なことだが、そういうバカ皇帝どもの精神分析とかやったら
興味深い結果が出そうだな。
俺は宋の前廃帝がいちばんひどいと思ってる。
気違い揃いなら北斉だな。
61 :
世界@名無史さん:2013/04/20(土) 20:18:04.74 0
北斉の文宣帝は人を殺さなければ鬱状態になっていた
人を殺して気分を晴れやかにしていたっていうんだから
まさしく死んだほうが天下のためだったな。
かわいそうなのはその皇太子。
囚人の惨殺を命じられて拒み「精神昏擾」して
言語障害になってしまったっていうんだから。
62 :
世界@名無史さん:2013/04/20(土) 23:16:15.90 0
>>61 あの家系の連中を見るに
仮に孝昭帝が簒奪を行わなかったとして
その太子が血腥くない天子になるとは
想像できんがなw
63 :
世界@名無史さん:2013/04/20(土) 23:35:06.82 O
皇帝ではないが鉄仮面くらいか北斉のキチガイ一族の中でマトモだったのは
65 :
世界@名無史さん:2013/04/21(日) 00:23:46.61 0
>>62 何人かはまともな皇族もいるし、子が必ずしも父と同じになるとは限らない。
少年天子・廃帝殷の施政は至ってまともだったし。
66 :
世界@名無史さん:2013/04/21(日) 21:45:28.52 0
>>65 殷の施政がまとも、てたった1年だろ。
長続きしていたらやはりバーサーカーになってたと思うな。
殷の最狂親父の文宣帝にしてからが、
10年の在位期間のうち序盤は寧ろ明君と称えられてたぐらいだぜ
67 :
世界@名無史さん:2013/04/22(月) 15:51:05.16 O
バーサーカー:文宣帝
ジェノサイダー:洪武帝
と言った所かな。
両者共暗愚ではないな。
68 :
世界@名無史さん:2013/04/22(月) 16:17:38.83 0
69 :
世界@名無史さん:2013/04/22(月) 16:37:21.70 O
暗愚と言うより傀儡だな。
>>68 胡亥の場合は親父が大建設ラッシュで人民を疲弊させていて
即位時には人民がいつ爆発してもおかしくに状態に達していた
煬帝の親父は高句麗遠征に1回失敗した以外は
開皇の治と呼ばれる善政を敷いて人民に不満がなかったのを
煬帝が大建設ラッシュと3度の高句麗遠征失敗で亡国に追い込んだ
胡亥の治世って一から十まで趙高の手の内だったような気もするが、
皇帝自らが先頭にたってどんどん国にダメージを与えていったのだろうか。
それとも趙高のようなやつが実験を握って好き勝手やっていたとしても、
その時君主位にあったというだけで責任は免れられないのだろうか。
73 :
世界@名無史さん:2013/04/22(月) 17:24:16.18 0
史記の記述を信じるなら、趙高が扶蘇謀殺を企てた時は
まだまともな良心持ってたな>胡亥
結局謀略に加担してから一挙におかしくなってる。
史記に引用されている趙高の上奏文。あれを受け容れるって
狂っているとしか思えない。
74 :
世界@名無史さん:2013/04/22(月) 17:26:29.01 0
>>72 責任は重大。もう20代だったというし、
その気になれば兄の扶蘇を推戴することもできたし
自分が帝位に即いたとしてもいくらでもまっとうな施策はできた。
それを自分で自堕落、しかも残虐な道を選んだ。
胡亥の後を継いだ子嬰は趙高粛清してるし、
胡亥もやる気あれば趙高粛清してまともな政治するチャンスはあったんだな。
陳勝・呉広の乱が起きたのは胡亥が即位した翌年のことだから
即位した時点でいつ反乱が起きてもおかしくない状態だったわけだし
けっきょく治世もわずか三年しかなかったから
秦滅亡原因の殆どは始皇帝が作ったと思う
それを考えると秦滅亡の責任を胡亥や趙高に押しつけるのは酷な気もする
かなりの暗君だったのは間違いないと思うけどね
子嬰気の毒だよな
>>72 佞臣に政務を任せる
あるいは政務をほったらかしにして佞臣に実権を握られるって
暗君の最たるものだと思うが・・・
どっちにしろ、暗君とか言っても
胡亥みたいに何もしなくて宰相が好き勝手やってた(と見なされている)のは、
自ら音頭とって悪政を強いた他の暗君に比べたらランク低いよな。
そっちは暗君でなくて暴君と呼ばれるような
暗君って原語の意味としては、儒教関連だろう(多分)
ストレートに取れば愚かな君主ってところかなーって感じだが
暗君の正確な定義はともかく、
このスレ的には人民に害悪な君主っていいんだろうか
煬帝は暴君というより暗君じゃないか?
>>81 国を再興して江南を華北のような大混乱と大虐殺から防いだとはいえ
東晋の元帝は暗君
上記は全て宰相 王導のおかげ
東晋は明帝以外は暗君しかいない
王導、陶侃、郗鑒、桓温、謝安たちのおかげで意外に長続きしたけど
>>84 東晋だけじゃなく西晋からして暗君ばかりじゃない?
>>85 皇帝になる前の
司馬懿・師・昭までだな司馬家の当主で優秀だったのは
>>86 ああ、あとはスイッチを押すだけというところまでお膳立てされていたからね。
初代が暗君って本来ならあり得ないよw
ところで劉禅をちょっとだけ擁護してみる。
>>7や
>>15も言っているとおり、あの蜀の中だけでも人心が全くまとまらない動乱を
孔明亡き後も数十年も国を保つだけでも尋常じゃない。
その上、滅亡して魏の宴席で、
司馬昭から「都の暮らしはどうか?」と聞かれて
臆面もなく「蜀の田舎より楽しいです」と、
もはや実質上皇帝である司馬昭に答えたというエピソードも
最悪の暗君だからこその言動だとされるけど、
下手したら(つか下手しなくても)あっさり殺されるのがこの時代の常なのに、
この豪胆さは目を見張るものがある。
後漢末期・三国時代・西晋・東晋は悲惨な戦乱が続いて人が次々と簡単に死んで行くのを見て
皇帝だけでなく全体的に人の心と頭が麻痺してしまったとしか思えない
西晋 恵帝の精神薄弱は時代の影響でなく先天性っぽいけどな
>>87 暴政を敷かなかっただけで、別に国を保たせた訳でもない
酒と女と宦官が大好きだっただけ
暗君とは言い難いけどね
2代目が恵帝でなければ、少しはその後の状況が違ったんだろうか。
北方系異民族の流入って言う大勢は変化がないにしても、
もう少し穏やかで混乱の少ない状況で徐々に混じり合い置き換わる感じで。
八王の乱を防げれば五胡の乱という(晋にとって)最悪の事態も起こらなかったと思う。
魏が皇帝以外の皇族の権限を縛りすぎたため晋(西晋)は援軍のない魏を滅ぼせたのを学んで、
晋(西晋)は魏とは逆に皇族に多くの権限を与えたら八王の乱でいったん滅亡。
歴史に学ぶことの難しさの典型例ですな。
94 :
世界@名無史さん:2013/04/26(金) 09:44:51.09 O
明も太祖があれほどの粛清をして皇族を要職に就けたのに
清成立後は足の引っ張り合いをやって明復興の可能性を自分達で潰したな。
95 :
世界@名無史さん:2013/04/26(金) 10:31:34.90 0
おれ
96 :
世界@名無史さん:2013/04/26(金) 11:56:15.81 0
a
>>94 明の皇族はそれ以前にも建文帝vs.永楽帝や宣徳帝vs.漢王で殺し合いしてるがな
98 :
世界@名無史さん:2013/04/27(土) 09:08:58.00 0
皇帝と名乗っていないけど
前秦の符堅はどうなの?
一視同仁なんて、あの時代では過激思想だろう?
>>93 魏が漢末期の状態を手本にしたことも載せておけよ。
バランス難しい
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 13:58:16.90 0
>>94 >明も太祖があれほどの粛清をして皇族を要職に就けたのに
明の皇族は生活費を受給するだけで、実際の職務はほとんど行っていないぞ。
地方に封ぜられた皇族が文化人のパトロンとなって、文化の発展に寄与した例もあるが。
皇族の数があまりにも増えすぎた明末になると、
皇族も一般の職に就くことが認められるようになり、
崇禎期には、科挙に合格した者もいる。
符堅は暗君どころか五胡十六国時代で一番の名君でしょ
理想に走り過ぎて最後は自滅したとはいえ
>>98 符堅は魅力的な人物なんだよな。
王猛がいたときは理想に走りつつも聞く耳を持っていた名君だったし、
時代を先取りしすぎて、周りがついて行けなかった部分が大きい。
ただ相手が東晋ではなく、正統性に欠ける劉宋以降の王朝だったら、
南征も成功していたかも知れない。
現在まで漢王朝が存続していたら
国民の4人に1人は宦官だったに違いない
104 :
世界@名無史さん:2013/04/27(土) 23:23:23.36 0
死
▽済南事件(1928) 中 国 兵 による日本人略奪陵辱暴行殺人事件。被害者約400名
・頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
・顔面に刺創。地上を引きずられたらしく全身に擦創。
・両手を縛られて地上を引きずられた形跡。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。
・女性。全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。
陰部に径2.5cmの木片を深さ27cm刺されている。
両腕を帯で後手に縛られて顔面、胸部、乳房に刺創。助骨折損。
・顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる。
・助骨折損、右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。
右脚の白足袋で婦人と判明した。
日本も日清戦争のときに旅順でやっちまってるから何とも言えん
戦争なんぞそんなもんだよ
>>105日本も日清戦争のときに旅順でやっちまってる
何をしたんです?
中国人ってどの王朝でもやること変わんないな
109 :
世界@名無史さん:2013/04/28(日) 10:03:28.17 0
>>108 そういうところだからこそ、孔子様みたいな人間が出てくるのでないの?
あと殺し合いばかりをやっているパレスティナからキリスト様が出てきたみたいに
ちょっまえになが上がった前秦の符堅にしても
皇帝と名乗っていたかどうかわからんが、南北朝時代の梁の武帝にしても
日本ではちょっと出てこないタイプだろう?
しいて言うなら、鳩山がそれに近いかな
上杉謙信もそれに近いかもしれないが
中国に限らずどこでも同じでしょ
秩序が立つ→システムに矛盾→腐敗→革命→新たな秩序
矛盾・腐敗の期間に一定の改革ができれば長命王朝で出来なければ短命王朝になるけど
今の中国共産党政権はケ小平で改革の一段階はクリアしたけどその後は腐敗面の方が加速しているかな?
梁の武帝だけでなく東晋に始まる南朝の社会は在地の有力者を恐れて皇族を
都督として要地に出鎮→反逆のパターンが多い。武帝末期に侯景の乱に乗じて
各地の皇族が自立したのがいい例だよ。
暗君狂主のオンパレードというより前漢末からの郷村社会の衰退が
豪族の台頭→九品中正に見られる官僚の選挙の不正の横行がさらに
社会不安を招く悪循環が顕著に表れたのが魏晋南北朝であり、
暴君の頻発はそれへの強権的な施政の現れだよ。失敗すれば南朝の廃帝たち、
成功すれば強制移住を繰り返した石勒、石虎、符堅のように英雄(まあ後世の評価は
かなり微妙だが)となる。
112 :
世界@名無史さん:2013/04/28(日) 13:21:48.12 0
ジョン王に匹敵する暗君って、中国にはいないだろう
ジョン「中国にさえ生まれていればこんなに笑い者にならなかったのに・・・」
特に北斉と南斉は暗君狂主のオンパレードだな。
まあ石虎、冉閔の養父子コンビも大概だけど。
彼らが暴れ回った後で符堅のような人物が出てくるのは
この時代の面白いところだが。
呉王司馬晏は兄弟中もっとも劣るとかって書いてあったけど、
恵帝よりバカってことなの?
それとも即位しているから恵帝は別格扱い?
そもそもなんで司馬柬を後継者ににしなかったんだろう?
結果的には早死にしたけどさ。
長幼順と皇后となった賈后の実家の力じゃないかな
その1代前に武帝でなく司馬攸に継がせておけば良かったのに
長幼順では武帝より下だけど司馬昭の兄司馬師の養子だから
司馬家の嫡流という点では攸の方が上でもあったし
118 :
世界@名無史さん:2013/04/28(日) 22:08:23.75 0
どっちにしろ恵帝と安帝、二人も池沼を輩出してる時点で(r
119 :
世界@名無史さん:2013/04/28(日) 22:20:32.98 0
たぶん皇帝と名乗っていたと思うから(皇帝とは名乗っていなかったかもしれない
この人は皇帝とかの称号を越えていたと思うから)
太平天国の洪秀全はどうなの?
残虐とか、好色とかを超えた次元で完全に逝っているだろう?
男と女を完全に隔離したりとかww
内ゲバに励んだりとかww
まあ、そのわりに太平天国は長く続いたと思うのだけどww
日本で例えたらオウムが独立戦争を起こしたようなものだろうww
>>119 夢のお告げがどうとか言ってたから暗君というよりは狂人でしょ。
でも一度は国を建てちゃったんだよなあ
現代中国で太平天国は正義で鎮圧した側は悪という評価だけど
ぶっちゃけいま洪秀全と太平天国みたいのが出てきたら
共産党は絶対に逮捕&弾圧するでしょ
法輪功は弾圧してるフリなのかな...
洪秀全は天京事変でなんともね・・・
石達開以外の他の登場人物も狂っていたけど
>>122 太平天国はアヘン禁止など帝国主義に反対は当然として土地の分配政策など
清朝への反対というより社会政策の有無が義和団や白蓮教との評価の差となっている。
参武一宗の法難のように中国の宗教へのアプローチは共産党に限らず
体制に組み込もうとする動きは古くから多い。南都北嶺のように江戸時代まで
権力そのものとして振舞っていた日本の歴史から見ればキツく感じるかもしれんね。
>>124 楊秀清の粛清、石達開の離脱、北伐の失敗後も曽国藩の包囲網を破るなど
勢いはあった。だけど大平天国最大の失敗は列強と正面衝突してしまったことだよ。
これは明末の李自成が清軍と戦うのとは比べ物にならない障壁といっていい。
127 :
世界@名無史さん:2013/04/29(月) 10:00:36.86 0
太平天国はアヘン厳禁だったけど
洪秀全ってアヘン患者よりラリッてたんじゃね
一応即位したから趙王倫もノミネートくらいは。
孝武帝の死に様もた大概だし。
暗君の宝庫晋。
と言うか、あれだけの長期政権で名君が一人も居ないのもなんだかなあ。
一族も暗愚とか言われる人が多いし。
なんで後続の世代はどうしようもないやつばかりなんだろう?
>>128 中国史上唯一のダメ貴族社会だったからじゃないか?
130 :
世界@名無史さん:2013/04/29(月) 21:51:00.98 0
>>129 あの時代は何だったのだろうな?
あの徹底的に現世肯定の中国人が清談にいそしんでいたのだからなぁ
それでも、南朝側が清談にいそしんでいても、普通は北方遊牧民が
リアル現世肯定でまとめてしまいそうなものだが
なぜかあの時代に限っては北方遊牧民の側も感化されてしまう
のだよな
131 :
世界@名無史さん:2013/04/29(月) 23:03:00.17 0
黄巾賊の乱以後の長い戦乱で上から下まで全人民が現実逃避してたんじゃね?
餓えからは逃げられんぞ。
別に1でも皇帝限定って書いてないし、
君主ならOK?
半独立で肩書きが節度使とか公とか州牧程度でもいいのかな?
134 :
世界@名無史さん:2013/04/30(火) 14:08:09.79 0
いんじゃない?
独立した勢力で名実ともにトップならね
>>130 貴族上層部の清談が特徴的に語られているが現実逃避よりも拝金主義の横行が
はるかにひどい。中正に金を送って官職を買うことがおおっぴらに行われていたのだから。
竹林の7人の王戎ですら人事登用で賄賂をとって弾劾されている。
中国古代世界の特徴である父老が仕切る郷村社会から豪族が部曲を支配する荘園の
世(これは華北の後趙〜北魏でも変わらない)になったら漢代の孝廉秀才はもとより曹操の唯才すら通用せず、
唐代に完成した貴族社会への向かうのは必然だよ。清議、清談はその流れへの抵抗あるいは逃避
だから知識人層に広範囲で支持されたのも無理のない話だ。
体制がどんなに変わっても賄賂や拝金主義は変わらないな。
>>117 あのとき陳泰の進言通りに賈充を切っておけば。
ってそもそも司馬昭が暗君?
名目上はまだ君主じゃないけど。
誤用的表現だと大動乱のA級戦犯、それも上に超が三つくらいつく。
138 :
世界@名無史さん:2013/04/30(火) 21:56:44.76 0
司馬昭は親父と兄貴が作った基盤を着実に強化しているから暗君じゃないよ
でも賢明な人間でも後継者指名を誤ることはあるね
元帝を後継者にした漢の宣帝とか
高宗を後継者にした唐の太宗とか
後継者といえば始皇帝は本当に死ぬ間際に扶蘇を後継者に指名したのかな?
史記には趙高、胡亥、李斯が遺詔は握り潰して胡亥が即位したことになっているけど
「馬鹿な子ほどかわいい」で実際にも扶蘇でなく胡亥を後継者にした可能性はないのかな?
>>139 李斯はともかく家庭教師に過ぎん超高のその後の出世ぶりが良い証左だと思うが。
>.140
なるほど
擁立の功臣としての大出世と考えれば納得
>>137 賈南風の時代は外戚である賈氏の棟梁が若年の賈謐で同族の賈謨は賈后
に反抗的で弱体政権にもかかわらず10年の政権を維持できたのは張華の功績
が大だが、それ以上にそれまでに失敗した楊駿、汝南王、東安王、楚王の身内びいき
の欄賞人事が原因だということを学び趙王や梁王のような長老や陸機をはじめとする
二十四友のように声望の高い人士を尊重したからだよ。
それが崩れたのは斉万年の乱で張華と趙王倫の腹心の孫秀が対立して派閥均衡
が崩壊したためで愍懐太子の殺害は趙王の賈氏討伐の口実に過ぎない。
143 :
世界@名無史さん:2013/04/30(火) 22:52:41.48 0
>高宗を後継者にした唐の太宗とか
では太子承乾と魏王泰のどちらか、とでも?
実は暗君とは当人のことではない
そんな暗君に育て、指名した先代がアホなのだ
>>144 あなたがバカなのは親のせいだと言いたいんですね
わかります
146 :
世界@名無史さん:2013/05/01(水) 00:32:09.85 0
>>136 と言うよりも、人口が半分以上減らすような時代でも
お金の信用を維持できたと言うことのほうが驚きだが
漢代なら、お金、お金というのもわかるのだ?
しかし、人口が半分以下になっても、お金、お金というのは
まあ、あの時代のお金は紙幣じゃなかったから、銅とか貴金属の
金属貨幣だったからと言うのもあるのかもしれんが
それを考えると、経済学的に見て中国史上の暗君というのは
王莽にトウタク(漢字変換できない)に蒋介石かな
あとは明代の歴代皇帝かな
明の歴代皇帝が暗君揃いなのって、
洪武帝が徹底的に文官を粛清したことで、
皇帝の権威や権力以上に皇帝の仕事が急増したからなんじゃない?
148 :
世界@名無史さん:2013/05/01(水) 07:12:05.37 0
ん?
明は暴君揃いではあるけど暗君揃いではないと思うが?
>>146 人口は額面通り激減したわけではない。戸籍に載らないのが多いのは
西晋崩壊後の異民族政権が人口を自分の根拠地への強制移住の繰り返し
からも明らか。
明は皇帝権力が強いので代変わりごとに皇帝以下の最大権力は官僚だろうが
宦官だろうが失脚するのが確実なうえ現役の権力者でも皇帝の気分しだいで
転落するから唐代の宦官のように王朝内に権力集団を形成しにくかったことが
皮肉にも政府の機能不全低下を防いでいた。無能ばかりなのは事実だが永楽帝
のような人物ばかりだと外?の繰り返しで煬帝のような結果になっただろう。
宣徳帝や弘治帝ときどき永楽帝のような人材ならOK
それインチキw
永楽帝は遠征やら紫禁城建設やらで派手に金使ってるけど
民草の暮らし向きはどうだったのかな?
>>87 新の王莽なんかも統治者としてはまるっ切り無能じゃないか
永楽帝は自分の治世において、
洪武帝の言に背いて宦官を重用して、
永楽帝の代はそれなりの統治をしたけど、
後々やっぱり宦官は国家の害悪になった。
後の世の火種を作ったことは確かだけど
それでもって暗君とは言い難い……よな
>>152 王莽は微妙なんだよな。
100%儒教による理想主義的政治としては必ずしも間違ってはいないけど、
100%儒教による理想主義的政治そのものがそもそも不可能だったという話だと思う。
>>153 王莽こそが神秘主義満載儒教による後漢、魏晉王朝の設計図を書いた
世界史的な人物だよ。
社会主義の理想は美しいけど、実現は不可能ってのと似てるな
157 :
世界@名無史さん:2013/05/02(木) 22:23:31.20 0
一応皇帝と名乗っているから、黄巣はどうなの?
ものすごいスケールで人肉を食べたみたいだけど
あれだけの反乱を起こせる人を暗君とは言わない
あと黄巣は後世反乱者の代表の一人として扱われたから
暴虐エピソードは幾分か割り引く必要もある
黄巣は皇帝を名乗ったものの、部下はいても臣下はいなかったので君主じゃないと思うんだが
たいした階層の出身でなく皇帝を称せるほどの反乱を起こしたヤツは
ひとかどの人物だったと思う
暗君というと、無為無能な王ってイメージが強いけど
史書なんかだと暴君も暗君と呼ばれてカテゴライズされてるの結構見るよね
代表的なのは、有能だけと暴走してしまった紂王が暗君呼ばわりされてるのとか
部下と臣下の明確な違いってなんかあるのか?
>>161 中国的に皇帝(というか君主)は天命を受けて生まれたとかいう
儒教あるいは中国の元々の文化素地が関係してそうな気がする。
黄巣は長い間、中国の支配層の主流だった貴族勢力を
ほぼ壊滅させた点では歴史を変えた人物ではあるな。
安禄山→黄巣→朱全忠の流れがそれ以前の中国社会と
それ以後の中国社会を変えていったような感じだな。
この辺は大量虐殺の連続で民衆はたまったもんじゃないが。
164 :
世界@名無史さん:2013/05/03(金) 22:17:49.57 0
>>160 じゃあ陳勝・呉広も?
一応王と名乗ったそうだから、ここには登場する価値はあると思うけど
言葉は「王侯将いずくんぞ種あらんや」「燕雀なんたら」の言葉を残したと
されているけど、出世してから昔の友人が訪ねてきて、最初はそばにおいて
いろいろと遊具したけど、昔の身分の低い頃の話を吹聴したため
ウザイと感じて殺してしまってから、急に没落したと史記に書かれているけど
どう見ても、成金親父の哀れな末路にしか思えないのだが
成金にすらなれない人間がどんだけいると思ってんだか
166 :
世界@名無史さん:2013/05/03(金) 22:27:03.65 0
成功におごってしまうのは誰にでもあることだよ。
「王侯将相いづくんぞ種あらんや」の一言で
半永久的に中国史に名を遺すだけのことはした。
あくまで個人的印象ではあるけど、
あまりに短期間だと暗君にすらなり得てない感じ。
統治してないって言うか。
>>164 お前さあ、大量殺人テロリストとして脇が甘すぎるよ。
なぜ自分たちの連絡網が把握されているかさえ分からんだろ。
世の中を舐めきった虫けらは、暗殺業務にすら耐えん。一匹残らず消してやるから有難く思え。
陳勝はおごりというよりも基盤が無いに等しい状態が最後まで響いたのが印象だな。
趙で自立した張耳たちのように部下(呉広を含めそう思っている奴がいるのかどうか)
たちからは終始なめられっぱなしという印象しかないな。結局最期も裏切りで御者
に殺されているしな。
>>163 則天武后が先に貴族弱体化させてるからなあ
>>169 同じような基盤のない人間である劉邦、朱元璋あるいは毛沢東と違って
配下に有能なオルガナイザーがいなかったのが痛いな。
>>170 たしかに則天武后が関隴系の地位を押し下げてしまったのが
政争とそのための混乱を招いた根本原因かも。
172 :
世界@名無史さん:2013/05/06(月) 11:50:20.34 0
胡錦濤だろ
耄碌してからの玄宗
太宗、武則天の蓄財を一瞬にしてパーにした
耄碌してからってことだと、他にも数人の候補が居るな。
終身皇帝って言うのはやはり無理がある。
乾隆帝の晩年も暗愚そのものだな。
176 :
世界@名無史さん:2013/05/06(月) 15:18:11.80 0
西晋の恵帝
177 :
世界@名無史さん:2013/05/06(月) 16:25:19.51 0
>>175 秦の始皇帝もなかなかのものだと思うぞww
あの超合理主義者の仕事中国の人間が、神仙の術にこだわって
除福に騙されるのだからなww
178 :
世界@名無史さん:2013/05/06(月) 16:25:56.50 0
毛沢東のロリコンも…
アレって徐福側から始皇帝に詐欺を持ちかけたの?
それとも始皇帝がなんたら言った時に
側近かなんかがそれなら徐福ってやつがいるよ〜
ってことで徐福に頼むことになったのか。
前者なら完璧な詐欺師だが、
後者なら命令を断ったら命がないから同情はできる。
不老不死の手法を心得ている筈の人間を「断ったら命はないぞ」と脅すのもなんか滑稽だなw
そういえば明の愚帝達も不老不死を追い求めていたな。
暗愚君主の必修科目かw
181 :
世界@名無史さん:2013/05/07(火) 17:29:09.03 0
>>180 不老不死でも首を刎ねられたら死ぬとおもいますが…
182 :
世界@名無史さん:2013/05/07(火) 19:37:10.77 0
明朝は暴君・暗君のオンパレードだが、
次の清朝は名君揃いだよな(凡君はいても暗君は一人もいなかった)。
前者を反面教師にしたのが要因かね。宦官の専横もなかったし。
溥儀ちゃんがいるじゃない
自伝読むと、周囲の暗君育成ぶりと本人の狭量ぶりに可哀想になる
清朝はともかく、溥儀がもっと人物だったら
満州族がこんなにあっさり満州語と共に滅びゆくことはなかったのでは
184 :
世界@名無史さん:2013/05/09(木) 00:44:37.41 0
晩節を汚したというなら孫権も
大陸の虐殺っぷりとかスケールでかすぎて、創作に思えてくる
大陸側からしたら日本は甘ちゃんだぜと思っていそう
187 :
世界@名無史さん:2013/05/09(木) 11:20:23.50 0
石虎とかどう?
五胡の君主で石虎よりアホはたくさんいるけど
そいつらの方が石虎ほどの害をまき散らさなかっただけマシかもな
明朝は暗君オンパレードだが
五胡十六国は暴君の宝庫wだな。
中国の皇帝をこいつは暗君、こいつは暴君とか分けて言ったら
半分以上ろくでもないのばっかりになりそうだ。
世襲制だから当然そうなるでしょ
>>182 咸豊帝がやや暗君要素が強い位かね?それでも明朝の豊富な人材と較べると、
ちょっと弱いような。あとは同治帝・宣統帝辺りが、性格やらエピソードやらに結構
暗君要素が見え隠れするから、フツーに成長して政務に携わるようになっていたら、
かなりの働きが期待できそうなカンジなんだがw
やっぱあれかね?後宮経営が明に較べて遥かに堅実だったのが大きいような。
ある程度徹底した宦官の権力中枢からの隔離とか、あくまで婦徳の有無を第一に
行われた皇后選びとか。
193 :
世界@名無史さん:2013/05/09(木) 22:57:17.31 0
昔からよく劉禅は叩かれるけど
凡君の器はあったと思う
西晋の恵帝の方がよほど暗君
蜀は劉備のカリスマ性と孔明の辣腕でなんとか保ってた国で、
これを魏相手に保持するのは二代目としたらあまりに条件が悪い。
しかし、親らの遺産を食いつぶした形になったとはいえ、40年も国を保持し、
しかも国を荒れさせることなく魏に降伏し、天寿を全うしたんだから、有能じゃないにしても無能でもない。
君主として中くらいのレベルを下回ることはないレベルだろ。
劉禅が優秀だとは思わないが、
歴代中国皇帝の大量の有害な君主どもみてたら
諸葛亮存命中は特に問題起こらなかっただけでもマシな方だと思う。
少なくとも霊廟を作るたびに人民にぶち壊されるほどひどかったとは思わん。
いや、むしろあの時代に暗殺も禅譲もなかったというのは合格点だろうw
夏殷周秦漢晋隋唐宋元明清
毛沢東
習近平
199 :
世界@名無史さん:2013/05/12(日) 03:27:44.83 0
スレの趣旨とは関係ないんだけど
中国の歴代王朝ってどんな宗教を信仰してたのかな?
日本の皇室とかは神道
西洋ならキリスト教
アジア圏なら仏教
インドならヒンドゥー教
で宗教を信仰してきただろうけど
中国の歴代王朝が信仰してきた宗教ってあまりイメージが沸かない…
>>199 殷は道教の元になるような信仰で、周はそれプラス儒教に取り入れられる祖先崇拝。
秦は、宗教的には原始的な道教じゃないのかな。徐福の様な連中がいたわけだし。
漢は武帝以降は儒教だろ。それ以後の王朝も公式には、儒教で並行して道教と仏教も
保護していたんだろう。モンゴル族による減の場合は、フビライ以降はチベット仏教。
明は朱子学の立場の儒教っていうとこだろ。清は、最初はシャーマニズムと仏教で、
漢化が進んでからは儒教だろうな。
201 :
世界@名無史さん:2013/05/12(日) 03:40:34.99 0
>>199 仏教の場合もあるけど大体は儒教や道教が根強い
日本の天皇みたいに皇帝を現人神とする風潮もあったしね
それとインドの王には結構ムスリムも多かったから・・・
劉禅周りがよければ良いって感じで実際の悪政は晩年くらい出しな
203 :
世界@名無史さん:2013/05/12(日) 21:01:53.60 0
統一王朝で順調に即位した二代目皇帝は暗君率が高い気がする。
李世民や趙光義は簒奪者だし、まともなのは後漢明帝とホンタイジくらい。
唐の憲宗皇帝が仏舎利を宮中に迎えようとして
韓愈がそれを「仏など異人にすぎません」って諫言して
その日の夕べに遥か僻地に左遷されてるな。
唐は基本「道先仏後」。宮中での宗教は道教が仏教より上。
老子の姓が「李」だから勝手に「わが皇室のご先祖さま」ってこじつけた結果。
で、玄宗皇帝は老子の注釈なんか書いてる。
「御注」として尊重されたが、若い時には明君だっただけあって
学問的にも水準高いそうな。今の現代語訳でも引用されてるし。
梁の武帝が仏教政治を行ったのは有名だね。
三度も自発的に退位して寺院の奴隷になってる。
その度に皇太子や文武百官が莫大な寄進をして
皇帝を寺から「買い戻す」。であらためて即位してもらう。
則天武后は偽経まで作って自分の即位を正当化したから
表向きは熱心な仏教徒。東大寺の大仏建立に影響を与えたという大仏も造らせてる。
(内実は???仏教の慈愛の心を持ってたとは到底思えない)
満州国の溥儀皇帝は熱心に仏教を信じていたが
慈悲の精神とは程遠く、八つ当たりでおつきの宦官を殴打しまくる一方で
虫を殺さずに「徳を積んだ」と
自己満足に浸る、というものだった。
満州国末期には毎日毎日仏像の前で読経していたらしい。
自分と同世代の清朝皇族たちと一緒に。
溥儀みたいに小さい時から特別な環境にいたら
平民から見ておかしい人になっちまうだろうな
中華皇帝ほどの特別ではないけど
幼いころから大スターだったマイケル・ジャクソンも
あんな感じだったし
>>203 即位に至る経緯はともかく両者とも暗君には程遠いだろ。
209 :
208:2013/05/13(月) 09:34:32.04 O
>>203 失礼。
まとも?な世襲ではないから暗君にならなかった、という事か。
朱棣は三代目だが同じような感じかな。
「燕賊簒位」と書かれて激怒して方孝孺一族を皆殺しにしたり
建文年間を歴史から抹消しようとしたりと完全に簒奪者でしょ
211 :
世界@名無史さん:2013/05/13(月) 13:25:08.44 0
三国志ネタだと
劉禅は暗寓だ、暗寓だとネタにされているけど、
呉の最後の皇帝のほうがもっとむごかっただろう
しかも、呉の最後の皇帝も、劉禅も天寿を全うしているから
もって暗寓ネタが残ってもよさそうな気がするが
どうして、劉禅だけがことさら暗寓だと蔑まれるのだろうか?
それだけ蜀に思い入れが強い人が多いってことだろう。
蜀漢正統論とかそれを受けての三国志演義で。
蜀が滅んだ、無念だ
↓
劉禅とか蜀の皇帝だった癖に特に目立って活躍してねーな何やってんのこの無能!
↓
劉禅無能説が広まり、劉禅が無能だったことが事実として扱われるようになる
戦闘が嫌いで、支配地域の拡大をせず、良く領地を治めても、後年降伏すれば、その後の歴史で悪く書かれるよ。
歴史を書くのは、降伏先の体制に組み込まれた文化人なんだから。
酒と女に溺れると書かれるくらいなら、民は貧しいながら平和に暮らせてたのではないかな。積極的であれば、悪逆非道の評価されてたりして
214 :
世界@名無史さん:2013/05/13(月) 20:53:42.41 0
趙の武霊王や斉の?王が当時から悪く言われていたように
戦争ばかりしてたら国や身を滅ぼす、民のためにならないという発想は
当時からあった。
なのに、劉禅の浪費よりも孔明や姜維の分不相応な遠征の方が
よほど国力を消耗したはずが
なぜ孔明や姜維は昔も今も非難されず
劉禅一人だけが罵られるのだろうか。
215 :
世界@名無史さん:2013/05/13(月) 21:58:19.72 0
>>214 これはおいらの想像だけど、大日本帝国は白米食い放題で人を集めて
いただろう?大日本帝国とは行かないにしても、日本の戦国時代でも
白米食い放題かそれに近いものを戦争中の兵隊には食べさせていただろう?
やっぱり兵隊さんには戦争中はうまいものを食わせないと士気が維持できないだろう?
おそらく、孔明や姜維も兵士の食い物には細心の注意を払っていたに違いない。
で、孔明や姜維の戦争はそんなに負けていないだろう?大抵は小競り合いを
繰り返しては引き上げを繰り返していただろう?国の財政は火の車になるかもしれないが
末端の兵士にとっては「うまいものが食えてよかったよかった」に
なるのではないかな。劉禅の浪費は戦争よりははるかに金は使って
いないだろうが、下々の人民には金が回らなかったのではないかな
中国の歴史書は、ほぼ確実に前王朝の最後の皇帝を、
もう原形をとどめないほど悪人として描かれるからな。
劉禅は生き延びたとはいえ、当然史官なんてつかないから、
その暗愚さも拡大解釈されている可能性はないかな?
元々漢正統で持ってた国で演戯成立後は更にそれが強くなった。
だから必要以上に悪く言われてるのはそうだよ。
ただ決して名君でもない。好意的に見て凡君。
亡国の主で暗君だったとは思うけど
比較的人民に害は与えていないだけでも
孫晧よりはかなりマシかな
悪しざまに言われているヤツはとりあえず持ち上げて、
褒められているヤツはとりあえず悪くいえば
通っぽく見られる風潮あるよな。
別に劉禅の件がそうだってわけじゃあないけど、
孫晧は有能だったとか董卓は名君だったとか……
現存史料で悪く言われてたら、
当時の事情を鑑みて、必要以上に悪く書かれている可能性はある
って指摘は正しくても、実は名君だったのに捻じ曲げられている!
ってのはなんの証拠もないただの難癖
ちょっと前に李世民を執拗にけなしている奴が居たな。
>>220 出来のいい弟にコンプレックスを持つ人なのかもしれんな
俺の名を言ってみろ
お前はすでに死んでいる
225 :
世界@名無史さん:2013/05/14(火) 10:12:01.39 0
まあ、始皇帝とか、曹操は時代によって評価が分かれるけど、
王朝最後の皇帝は、安定して暗君、暴君認定されているなぁww
後漢の献帝とか南宋の恭帝みたいに即位したときに幼帝で
しかも王朝がどうにも再建不可の状態で即位した人たちはそこまで叩かれないけどね
溥儀も成人してから日本軍にかつがれて満洲国皇帝にならなければよかったのにね
227 :
世界@名無史さん:2013/05/14(火) 11:02:07.69 0
崇禎帝もそんなに悪くは言われてないし
長期王朝の最後の皇帝は大抵即位した時点で
手遅れの状態なので暗君扱いされるのは最後の一つか二つ前の皇帝
>>220 もう随分と昔だけど、隋煬帝と唐太宗のどちらが優れているかって論争があって、
比べること自体がおかしいけど、後世に大きな遺産(大運河など)を残したのは煬帝だって話があったな。
フケンとかいうカス
中途半端な能力主義をやって裏切られまくって帝国を一瞬で消滅させた
>>229 前秦の符堅のことだよね?
民族間の諍いを無くし、戦に敗れた相手も市民もしくは官吏として受け入れた
多民族国家を作ろうとして失敗した、珍しいほどの理想主義者だよね?
東晋軍を前にして渡河の真っ最中に、旧敵国民に裏切られて一瞬で消滅した。
たしかに成功に重なる成功で調子に乗りすぎたから暗君ともいえるけど、
この人がいなかったら五胡十六国を纏めようという動きはなかったろうから、
やっぱり歴史上に必要な人だよ。
それにしても、五胡十六国の国々って、
帝国を打ち立てるまでは立派な人物なのに、
帝位に就いた途端どうしようもないバカになるケースがこんなに多いんだろう?
符堅は下半身を制御できなかったのが致命的
君主が女も男も節操無く手を出すなよ
苻堅が暗君ねぇ…
唐太宗をこき下ろしてた人と同じ臭いがする。
233 :
世界@名無史さん:2013/05/14(火) 17:16:07.26 0
>>214 姜維はともかく孔明は外征を繰り返したにも関わらず
国力を低下させなかったのでは?
そしてそれが孔明の優れていた点なのでは?
外征ほど国力を低下させるものはないよ
孔明が優れていたのは公正な政治でその不満を出させなかった点
蜀漢は「簒奪者の曹魏を倒して漢の天下を回復する」が建国以来の国是なので
北伐をしないと国のアイデンティティが消滅する
しかし蜀そのものは防衛に向いていて、それなりに豊かなので
引きこもって単なる地方政権となっても、ぼちぼちやっていけてしまう
建国初期にがんばって長安・陝西を奪取できていれば…
初代がたいした軍才がないのに私怨で呉を攻めて大敗して多くの有能な将兵を失っちまったからな・・・
237 :
世界@名無史さん:2013/05/14(火) 18:25:13.97 0
>>229 符堅は一度負けただけで、国が潰れたからな
王猛とか「一視同仁」のスローガンに引かれて、集まった漢民族や
その他の異民族出身も多かっただろうに、しかも符堅がそのとき戦死を
していたならともかく、符堅は生き残っていたのだろう?
もう一度「一視同仁」のスローガンでやり直そうとは誰も考えなかった
のかねぇ、あの元朝でさえ、モンゴルに逃げ帰るときは
漢人官僚もたくさん同行したのだから
肥水の敗戦まで、姚襄の死からは25年、前燕の滅亡からは12年しか経ってないし
2世代3世代経たないと統一的スローガンは定着せんのだろう
六国を併合したあとの秦と似たようなものだ
>>232 >唐太宗
太宗李世民はガチで自分の記録を強引に史官から奪って読んで
自分の記述を自分好みに変えさせたりしたから信用ならないのは事実。
初唐は珍しく価値ある野史(「唐創業起居注」)が残っているから、
特に玄武門の変あたりや、殺された兄・李建成や弟・李元吉の再評価などがされているから、
太宗・李世民をこき下ろすのも、必ずしも間違った姿勢じゃないと思うよ。
李世民は兄弟とその子供達を殺した人間としては糞だけど
皇帝としては名君だよ
>>240 うん。確かに名君だったんだろうけど、
やがて編纂される自分自身の歴史を自分自身が恣意的に書き換えたりしているから、
そんな太宗自身の自意識が混じっている新旧唐書の理想の名君っぷりな記述も
いささか割り引いて考えるべきってことなんだよ。
>>240 でも兄弟殺しって世界史という枠組みだと珍しい事じゃないよね
オスマン帝国や遊牧民の間ではよくあることだし普通なのかもしれない
どうしても一人に権力が集中する政治体制だと
反対派に成りうる勢力は潰さないと安定しないだろうしね
>>243 優雅な貴族社会だったと言われる南朝なんて、蓋を開けてみれば
王権が変わるごとに前朝の血筋を赤子に至るまで殺し尽した時代だもんな。
現代的な観点から言えば兄弟殺害は、
何の関係もない人を殺すよりなんか酷そうなイメージ与えるけど、
国家の安定の一点から考えると、消しといた方が安全なんだよな。
まさに修羅の道
君主制(少なくとも東洋の)は一子相伝だなあ。
ローマなんか親子兄弟、はて養子同士義兄弟とかでも共同皇帝っているけど。
カぺー朝初期も親の生前に子も王になってたな。
あっちは共同君主とかあまり気にしないんだ。
まっ、共同皇帝も殺し合いするんだけど、カラカラとか。
248 :
世界@名無史さん:2013/05/15(水) 19:45:33.22 0
経営の原則では大抵は、スケールメリットが生かせるから
権限の集中と経営規模の拡大に走るのだけどな
日本だって、たわけと言うのは、農家が兄弟に均等に田んぼを
分けていってしまって、三代後にはみんな没落してしまったことから
きているのだし、分割民営がうまくいったのは歴史的に見て、
日本の国鉄とディオクレティアヌスのローマ帝国4分割くらいじゃないの?
中華世界では、庶民も含めてそういうことはないのではないかな
「田分け」は俗説だろ…
250 :
世界@名無史さん:2013/05/15(水) 23:15:59.91 0
>>245 「もう皇族になんか生まれたくない」と嘆きながら死んでいった皇帝の気持ちがわかるな
251 :
世界@名無史さん:2013/05/16(木) 00:38:13.64 O
>>245 皆殺しにした後に皇帝が頓死したらどうするんだ。
朕とともに滅びよ
だから閉じこめてスポイルしとけってのがオスマン方式で、
坊さんにしとけば良いが足利方式。
それでも謀反は有るけどね。
魏は後続疎外って言っても、オスマンよりは穏当だな。
あそこまでスポイルされれば、大抵は人格が歪むし。
あの時代の坊主はほとんど政治家だから、幽閉よりはマシか。
イスラムは脱俗の聖職者なんて、そんな便利なものがないしな。
劉宋の明帝は大量に皇族を殺したくせに仏教を熱心に信じていて
皇族殺害の当日には泣きじゃくって自分の罪を事前に懺悔していたらしいが
「皆で力を合わせて御仏の道のもと大宋を立派な国にしようぞ」って発想にはならんのだろうか・・・。
255 :
世界@名無史さん:2013/05/17(金) 21:31:15.99 0
仏教に熱心だったのは南斉の明帝。
こいつや息子の蕭宝巻も酷いけどこいつの先々代の蕭昭業は
早く皇帝になりたいがために父や祖父が早死にするように呪詛した最低の不孝者。
みんなの前で懺悔してたのか?ポーズだな。
それか歴史家が後世の捏造の説を採ったかだな。
北斉・南斉ともにキチガイ揃いだな
258 :
世界@名無史さん:2013/05/18(土) 22:35:52.42 0
南朝に暴君だらけになったのは劉裕に責任の一端があるんじゃないか?
献帝も曹奐も降伏した劉禅も殺されたりせず丁重に扱われたのに
恭帝を殺したりしたから簒奪後に前王朝の皇族を皆殺しにするという流れが定着してしまったし。
劉裕は恭帝だけでなくその兄の安帝も殺しているな。
二帝を殺すってのはさすがになかなか例がないだろう。
憶測だが貴族社会の頂点にあって秩序の源になっていた晋朝を
血みどろのやり方で抹殺したことで、貴族たちは
実に寒々としたものを感じただろうし、
禅譲の偽善性に心底うんざりしただろう。今までの禅譲は
まだ本来の禅譲の形を残していたんだから。
劉裕は恭帝を殺した後、病死と発表して三日間の喪に服している。
中国の本当は殺してでも帝位が欲しいのに
禅譲を強要して、二、三度は固辞してようやく受ける
ってのが儀礼化してるのには心底うんざりするよなあ
魏の曹家や晋の司馬家は前王朝内でも有力な豪族で
ある程度一族の基盤があったけど
劉裕は貴族社会の中で底辺出身から成り上がっているから殺しとかないと不安だったんだろうな
劉裕はまだわからなくもないが、宋の劉氏は大して正当性もないし、
蕭道成はそこまで恐れなくても良かったと思うんだけど。
>>250 亀レスだけど、それって14歳の少年皇族じゃなかったっけ?(うろおぼえ)
264 :
世界@名無史さん:2013/05/20(月) 22:15:33.95 0
蕭道成といえば427年生まれ
その子武帝440年生まれ
とか
北魏献文帝454年生まれ
その子孝文帝467年生まれ
何か萌える
北魏太武帝 408年生まれ
子景穆太子 428年生まれ
孫文成帝 440年生まれ
曾孫献文帝 454年生まれ
玄孫孝文帝 467年生まれ
来孫宣武帝 483年生まれ
生きてれば70代で来孫が見れてしまう
266 :
世界@名無史さん:2013/05/20(月) 23:43:42.58 0
こういった暴君・暗君伝説はどういったいきさつで記録に残るのだろうね
一応、中国の歴代王朝は君主の一日を日記形式で記録していたそうだけど、
君主が家臣の妻を犯したとかのレベルまでいちいち記録に残すのかねぇ
しかし、そんなことを文字にして残すと、後々がやばいとか考えなかったの
かねぇ
まあ、暴君伝説は、中国の場合あとの王朝が歴史を残すから
わりと残りやすかったと思うが、敗者の言い分、たとえば前秦の符堅の
「一視同仁」のスローガンは、最後の勝者が北方遊牧民の流れをくむ、
隋や唐だったから、記録に残ったと思うけど、
モンゴルの場合は、逃げるときに漢人も大勢北方に逃げたのだろう?
明よりもモンゴルの方が良い(正しい)と思うだけの根拠があったはずで、
そういったスローガンとか思想は何一つ残されていないのだよな
おそらく、モンゴルなりの「一視同仁」的なグローバル思想があったはずなのに、
>>266 そういった前時代を貶める歴史は、ガチで殷周易姓革命からやってたもんな。
甲骨文がなければ、永遠に殷は悪者、周は聖人で貫き通されるところだった。
建前:周の文王に至るまで善政によって何世代も徳を積んだから、
紂王の暴政によって、もはや天にも愛想つかされた殷を打ち滅ぼすよう、
王になどなりたくなかった周に天命が下ったので、仕方なく殷を滅ぼした。
本音:商(殷)の文明が発達するにつれ国庫への負担が厳しくなり、
帝辛(紂王)の世に至ると致命的になって来たので、
当時貨幣みたいなものだった「貝殻」を求めて、しきりに東征した。
そして周は商の大部隊が東に行っている隙に首都を攻撃し制圧した。
・・・最初からこれだもんなぁ < 中国の歴史観
日本もそうなんだよなぁ
日本なんて2600年以上の歴史があるとか言っておきながら日本書紀(720年)が一番古い文献って時点で臭すぎる
文字が無かったおかげで捏造し放題ともいえる
マトモな日本人は2600年以上の歴史があるなんて思ってないし
日本書紀や古事記の記述も全面的に信じちゃいない
劉宋への評価は梁草創期の幹部沈約(宋書を編纂した)に代表される南朝貴族社会の
清議、清談による武力や財力にものを言わせた権力奪取への批判が
現在に至るまでのこの王朝の評価の根底となっている。沈約は劉裕の貧困層救済や北伐を評価しながらも
貴族層の外にある軍人皇帝劉裕を徳が薄いと評価している。その延長上に3代皇帝の文帝
の貴族層合流を評価するというロジックが完成する。これは同様の寒門軍人上がりの蕭氏
にも適用できる。
また梁武帝がわかりやすいように仏教を国家鎮護の手段にしたように流動の激しい江南社会
をまとめるのは非常な困難であることがわかる。歴史観よりも国家アイデンティティの
ロジックから社会構造を掘り起こすのが歴史だろ。
>>265 太武帝に梁の武帝並みの寿命が有れば、
曾孫にさえ先立たれて、
皇太玄孫なんて世にも珍しい代物が出現していた可能性がある。
ルイ十五世が十四世の曾孫だったね。
そして暗君…
>>269 一方、まともじゃない日本人は二万年の縄文文明とかデンパを飛ばしてると
274 :
世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:46:43.53 0
日本も200〜300年くらい経って、今の歴史を中国みたいに国史として、
国家が編纂する時、お役所に残された書類だけでは、
小泉レイプ疑惑(これはかなり怪しい話だがww)
小泉猥談好き(これはほぼ正しい)
鳩山略奪婚(これは事実)
菅直人不倫(これは事実)
橋本元総理強姦未遂疑惑(これは大げさに伝えられている可能性もある
現実は口説き方がくどかっただけかもしれない、ただロシア語通訳の
米原万理さんがおびえていたのは事実)
橋下コスプレイ(事実)
の事実は出てこないだろうなww
国会図書館みたいなところから探し出して、史官の好き嫌いによって取り上げたり、
取り上げなかったりするのだろうな
ただ、昔の中国に今の国会図書館に担当する部門があったのかどうかは疑問だが、
唐以前の国史は、個人が勝手に作ったのを国史認定していたみたいだから
ゴシップ収集家みたいな人間が街の噂を残していたのかもしれん。
例えば、三河物語みたいに、徳川期は秘本扱いにして一族だけしか見せなかっただけど、
明治になって公表するとか、一向一揆の弾圧の様子を瓦に刻み付けて、生めておいたのを
後の時代になって掘り起こすとか、そういうのが次の王朝に歴史として
採用されたのかもしれん。
275 :
世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:56:18.18 0
文章は整理してから送信してくれ
276 :
世界@名無史さん:2013/05/22(水) 10:07:43.37 0
そういえば一時期日本で発掘された土器が世界で最古だから日本は文明発祥の地だって書いてる本があったなぁ・・・
2,3年前に中国でそれよりも遥かに古い土器が発掘されたからトンデモ学説が消えたな
トンデモ学説書いてる奴は間違ってたら以後二度と出版してほしく無いわ
>>274 唐謹製の晋書はゴシップや怪談の類を取り入れまくったので編纂責任の房玄齢は
その伝でボロクソにけなされている。日本の江戸時代以降にそれまで当たり前に
大手を振るっていた旧事紀が偽書であることがわかったように中国でも
史記も含めて資料批判は非常に厳しい。
っていうか、性癖なんか史書に書くようなことじゃないでしょ。
個人の伝記ならともかく。
首相がマゾだろうが、赤ちゃんプレイしてようが、愛人が百人いようが、
失脚の原因としてのスキャンダルにでも成らない限り
国の歴史には関係ないし。
極論、没後半世紀くらいたって大量殺人鬼だったことが判明しても、
政敵の抹殺とかでもないかぎりはただの歴史こぼれ話。
辻斬りとかか
280 :
世界@名無史さん:2013/05/22(水) 20:27:19.38 0
>>260 司馬炎の頃まではそれでもギリギリ建前は守ってたけど
劉裕以降は完全にただの簒奪だもんなあ。
禅譲だなんて思う奴は誰一人としていないだろうに
わざわざそんな茶番をするのかわからん。
>>280 >禅譲
禅譲って神話の中だけの話で、要するに「原始共産社会」。
子供は父親を知らないフリーセックスの時代だから、階級など生まれるはずもなかった。
働き者も怠け者も首長(=王)さえもが分け前は一緒。
で、一番割に合わないのがリーダーつまり王であり、村人を束ね、播種期の見極め、狩りのリーダーなどなど、
様々な責任が報酬もなく同じ分け前でやらされた。
そんな世界で次の王として禅譲をされても、そりゃあ普通断るわな。
TVでみた象の群れのリーダーも
一番遅く寝て1番早く起きる
常に周囲を警戒し、皆の子供に気を配る
ほんとに大変そうだったぞう
>>281 そんなのは老荘思想のプロパガンダに過ぎん。殷墟やその他の遺跡でも
既に格差は存在している。禅譲なんてのは最初に始めた王莽の時代が
郷村社会をもとにした世論懐柔のための儀式だよ。その後の曹丕、司馬炎、
劉裕などの体制内革命が王莽期の自称皇帝たち、袁術、呉蜀、西晋
末期の群雄政権との比較で安定さでは上回っているのは明らかだよ。
>>283 言われてみれば、老子の思想と共通しているな・・・
むしろ西洋的な概念なんだが・・・
んで、だから"原始"共産制社会なんだってば。
言ってしまえば原始の石器時代ってことだよ。
ヒトも一人では狩猟や漁撈に限界があり、
そのためにムラを形成し、
大規模な狩猟・漁撈が出来るようになったばかりで
ムラの収穫物はムラのものとなった。
これが「原始共産制社会」。
別に理想を説いているわけじゃなく、
むしろ理想と現実がどう違ったかを言いたかっただけ。
リーダーなんかなにか役得がなければしんどくてやってられんでしょう。
役得なしだとすると、あんなものに進んで成りたがるやつの気がしれん。
現代は少し騒ぎすぎ。
他所の収賄や利権の配分くらいは大目に見ないと。
そのうちなり手がなくなっちゃうぞ。
286 :
世界@名無史さん:2013/05/23(木) 15:47:04.35 0
正規の給料を高くすればいいだけの話。
287 :
世界@名無史さん:2013/05/23(木) 16:23:00.61 0
>性癖なんか史書に書くようなことじゃないでしょ。 個人の伝記ならともかく。
小説のネタ本としての利用価値大w
288 :
世界@名無史さん:2013/05/23(木) 16:25:26.77 0
皇帝の性癖は真似しなければならない
っていう文化が根付いていれば・・・
>>285 八王の乱のように権力亡者のなり手には不自由せんよ。
291 :
世界@名無史さん:2013/05/25(土) 01:23:16.80 0
>>290 同感だな
お金より、権力と言う人間もかなりいるからな
このスレで上げられている暴君・暗君は権力を行使しているときは
面白かったのかな?楽しんでいたのかな?
たとえばヒトラーはたいていの期間はやること、なすこと当たっていたから
独裁者であることを楽しんでいたように思えるけど
スターリンは、「私はもう何も信じられない、自分自身でさえも」
と言っていたから、楽しんでいたとも思えないのだが
独裁者は一度成ってしまうと、辞めたくても辞められない。
辞めてから畳の上で死ねたのは、スラ(ローマに畳はないが)くらい?
相手が子孫なら強制隠居・幽閉程度で済むときもあるけど。
一番じゃないとは思うが、唐の中宗って名前が出てた?
>>293 暗君と言うより凡君と言った方がしっくり来る気がする。
しかし、あれを凡と言ってしまうと、
ちまたの平凡なお父さん、旦那さん達が気の毒な気もする。
296 :
世界@名無史さん:2013/05/25(土) 15:13:54.05 0
中宗、現代日本にいたら、全くうだつの上がらない万年係長。
実母実妹に小馬鹿にされ、あげくは妻と実の娘による保険金殺人の餌食。
君主にさえ生まれなければって例はままあるけど、
この人の場合は庶民に生まれていてもろくな死に方をしないような。
298 :
世界@名無史さん:2013/05/25(土) 19:09:58.05 0
それに比べると睿宗はまだましだったな。
自分に権力も能力も無いのを自覚して余計なことはしなかったし、
なによりも玄宗皇帝という鷹を残したし。
>>298 玄宗だって、唯一の女帝でありながら政治の化物・武則天の遺産のおかげで
治世の前半分は名君に見えただけでしょ。
楊貴妃と会ってからの玄宗は暗君そのものでしょ。
武則天は凄いぞ。評価の角度によっては、太宗李世民よりもずっと名君だ。
寵愛する男の子兄弟がわが世の春を謳歌して、対立した皇族やらを讒言すれば即処刑だけど、
この兄弟と対立したのが有能な宰相・政治家の場合は、讒言してもむしろ兄弟が
「頭下げて謝って来い、このバカ者ども」と一喝して、「(その政治家に)謝罪しないとお前らを棄てる」とまで言われ、
しぶしぶ頭を下げに行ったというエピソードがあるくらい、ほとんどの史上の皇帝(男)よりもずっと立派な女帝だった。
歴代支那では”女”帝というだけで悪く言われ続けたけど。
隋の文帝、煬帝、唐の太宗が負け続けた高句麗を滅ぼしたのも武則天だしな
301 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 09:33:25.24 0
「玄宗皇帝」って中高生のころはかっこいい名前だと思っていたけど、
大きくなって字を調べたら「暗黒の皇帝」って意味じゃないかよ、と・・・
302 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 09:48:30.44 O
(^o^)ダ-スベイダ-卿みたいで(E)
武則天、君主としてはほぼ文句の付けようなし?
子育ては失敗したみたいだが、所謂名君でもその手は多いし。
君主としての評価とは、まっ、一線を画す項目だな。
前漢の哀帝と平帝の落差はなに?
って言うか「平」の意味は?
成帝はの「成」はなんだ。別に何も成してないよな、あの人。
皇帝の廟号やシ号では、 恵 がよろしくないと有名だけど、 他には 景、 泰、 定、 明、仁、穆、あたりがパッとしないとか在位が短いとかの印象。
元帝、妻選びに失敗し、前漢滅亡の「元」凶になった人。
成帝、新朝「成」立への道を開いた人。
哀帝、新朝成立のための哀れな犠牲者。
平帝、本人の意思はともかく、結果的に新朝への「平」穏な移行期を提供した人。
と、曲解してみる。
じゃ明の神宗は?
諡は「顕皇帝」だな(実際はもっともっと長いがラストの一字が重要)>神宗万暦帝
309 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 21:47:48.97 O
「文帝」は名君のイメージがあるけど、「文宗」は宦官の傀儡だった唐の文宗とか清の咸豊帝とかいいイメージがないんだよな
中国じゃないけど、なんで李朝は○祖があんなにたくさんいるんだ?
憶測だけど、儒学が徹底的に浸透していたから
できるだけ自分の父や祖父とかを称えたかったからじゃないか?
あれだけの治績を遺した朝鮮史上最高の名君が「世宗」なのに
その嫡孫から王位を簒奪した次男が
「世祖」ってのは明らかに政治的意図があるよな。
むりやり褒め上げている感じ。
知識としてだけ知ってた「死六臣」。
斬首だったと思い込んでたが、手足を牛にくくり付けられて
生きながら八つ裂きにされたんだな・・・。
>>16 確かに戦争指導と外交はゴミカスだったけど、道光帝だけのせいに
するのはちょっと気の毒な気がする。人口爆発&阿片蔓延と巨額の
貿易赤字&乾隆帝の放漫財政のツケ&何の役にも立たない無駄
飯ぐらいの満州八旗と嫌な条件がそろってた上に、海防用の軍備が
全く更新されてなかった。康熙・雍正・乾隆時代からどころの話では
なく、明の万暦年間から。北京の物資の首根っこである大運河への
道、経済の中心地帯たる江南の大都市群を守るはずの舟山列島
定海砲台の砲が万暦年間製のまま放置されてる。あれは無理ゲー。
>>183 それは溥儀にはどうしようもない。清も初期には漢族移民を
推奨してたけど、封禁に転じて以降もどう努力しようが長城から
南へ連れてきた満州人はかっての祖先と同じく堕落し帰農も
何もできなかった。咸豊帝と黒竜江総督が封禁解除したのが
決定打。あれで満州人の未来は定まってた。
>>307 「神様みたいに待てど暮らせど姿を現さない皇帝(25年間)」じゃない?
ちなみに25年ぶりに姿を現したのは、皇太子との不仲疑惑を晴らすために茶番劇をやるため。
だからもしくは、良心的に
「神様みたいに何を考えてやがるのかサッパリ解らないし知りたくもないからさっさと退位しろ」
宋の神宗とは何から何まで違うけど同じ廟号だよな。
諡号は生前の功績を評して決めるらしいけど。
一番には役不足wだけど正徳帝もなかなかの逸材だな。
ラマ教にイレ込んだり本物の軍隊で戦争ごっこをやったり
跡継ぎも作らず遊里に入り浸ってそこで頓死。嘉靖帝、万暦帝という「傑物」を誕生させる要因にもなった。
318 :
世界@名無史さん:2013/05/27(月) 21:24:12.38 0
戦争は天才だが政治が滅茶苦茶っていう皇帝も多い。石虎なんていい例。
あと北斉の高洋など。五胡出身の皇帝は残忍な人が多いので興味深い。
嚇連勃々もそう。中国史で一番面白いのは五胡十六国から南北朝・隋唐帝国
全期が圧倒的ではないかと思います。
正式には皇帝ではないけど実質皇帝だった項羽も戦争は天才的だったけど・・・の口だね
項羽はそもそも戦争も天才的じゃない
前線で強いだけ
戦術と戦略の違いだな
戦術とはまさに項羽、韓信タイプ
戦略は張良、蕭何タイプ
>>319 司馬遷もそう考えて「項羽本紀」を作っているからね。
これは司馬遷の慧眼だったと思うよ。
そもそも司馬遷は、”とある王朝の記録”ではなく”ここまでの天下すべての歴史”を書いたわけだから。
あと、書き起しが「五帝本紀」な点も司馬遷ならではだろうな。
既にもう単なるお伽噺でしかなかった三皇五帝を、さすがに三皇は歴史ではなく神話だと『史記』に書かなかったけど、
左丘明の史実と考えられる歴史書オモテの「春秋左氏伝」と、荒唐無稽であやしいけど書いたウラの『国語』を読み比べて、
司馬遷は「黄帝その人ではなく、後に黄帝の功績と集められ作りだされた複数の英雄たちの記録」が黄帝であるとして、
「黄帝伝説のうち、どう考えても有り得ないを除いて、まだ穏当な」話を五帝本紀に記したそうな。
>>321 韓信はともかく項羽は戦術ではなく戦闘に強いだけの所謂匹夫の勇な気がする。
戦闘に強いということは優れた戦術家だったってことなんだけど・・・
彭城の戦いでも兵力で圧倒的に劣性だったにもかかわらず
漢軍の弱点であり後方である簫から攻撃して大混乱を引き起こして勝利したりと
項羽の戦術面の才能はかなりのものだったと思うよ
戦略で劣っていたというなら解るけど
項羽は背水の陣より前に、兵糧を捨てて後をなくして勝つ
っていうのやってるからな
そこそこ戦術には明るいんだろう
でも子どもの時の話で兵法を基本を学んですぐやめたとか
いう話があるがどうなんだろうな
本多忠勝とかもロクに兵法なんか学ばなくても戦闘では抜群の強さを発揮していたから
経験と勘でいけちゃうタイプだったんでしょ
習ったのが、江戸時代の兵学みたいな、実用性に乏しいやつだったんじゃないの。
教養ですらない、ただの学歴みたいなほぼ純粋には無意味なやつ。
天性の感があるような人は馬鹿馬鹿しくて聞いてられなかったんだろう。
それでも礼儀として聞いておくって言う、所謂大人のやり方も有るんだけど、
あの人はそう言うのもバカにしてた感じで。
戦略とか戦術って、知識としては教えられても、まそれだけなんじゃないの。
自分のものとして使えるかどうかは、生まれつきの能力で、
才能のないやつはどれだけ教えても無駄。
戦術史家みたいなものしか教育では作り出せないとか。
なんかそんなものじゃないかという気がする。
才能がないやつが下手に知識だけ持ってると振り回されてむしろ有害かも。
まっ、元もと才能がある人の能力を引き出すきっかけになったり、
発想の引き出しのを増やしてあげる程度の効果は有るかもしれない。
兵法を学ばなくて戦争に強かったやつより
兵法を学んで戦争に強かったヤツの方が圧倒的に多いんだからな
でも、双方とも撤退するという和議を破って追撃した劉邦も、
それが戦術の常だとしても、何か釈然としない。
自分と相手がどう出るか次第というのもあるからその時その時の運もあるね
空城の計とか成功したらともかく失敗したらただの馬鹿だし
項羽で言うと最後は四面楚歌なんて奇策に引っかかって四字熟語にすらされてるし
>>318 戦争は天才だが政治が滅茶苦茶・・・
毛沢東主席のことですか?
>>330 いや、別にそれは否定していない。
でも兵法を学んでも戦争に弱かったやつもいくらでもいる。
教育の効果は、自分の欠点を見つめる機会とか、発想の元手が増えるとかで、
生まれつきの欠陥か成長過程で身につけることができなくて、
基本的にそう言う思考ができない人の補正はまず無理だろうと。
どうやっても頭の働きがそっちに向いてない人ってのは厳然として、
それもかなりの割合で存在する。
絶対音感の欠如とか、美的感覚の欠如とか、発達障害とかそんな感じで。
まあそう言うことが言いたいだけです。
暗君の中には、どうやっても向いてないのに、
不幸にも君主の家に生まれてしまった人も多いんだろうな。
前近代の軍人家系の場合も。
馬謖もか
337 :
世界@名無史さん:2013/05/28(火) 21:46:47.12 0
>>333 毛沢東は当然政治は滅茶苦茶! 中国史上でもたぶんダントツ1位だろう!
戦争は? ズバリ下手だが環境情勢が彼に味方した。戦争自体は国民党の方
が強かったが汚職・腐敗・日本との死闘での消耗などで自壊したのが真実だろう。
要は毛沢東は運がよかった。そして天下を盗ったあとは劉邦を手本として
ライバルを括弧撃破していったのだ。国民のことなど何億人死んでも一顧だ
にしなかった。彼も中国史上の暗君ランキングの上位に輝く資格は十二分だと思う。
>>337 毛沢東というか中国人民解放軍は朝鮮戦争で制海権、制空権をアメリカに奪われて、兵器の質でも圧倒的に劣っていたのに
アメリカ+国連軍に負けなかったのは凄いと思うゾ
アメリカがドミノ理論なんてアホな物を信じる要因の一つになったとも言われてるぐらいだしな
朝鮮戦争で制海権が必要だったのかは疑問だが
確かに負けなかったのはたいしたもんだな
マッカーサーが解放軍を過小評価してバカすぎたのもあるけど
マッカーサーの後任リッジウェイが戦線を立て直して再度38度線まで押し返さなければ勝っていたし
>>333 政治の才覚は欠けていたのに政略には長けていたのが中国の運の尽き……
341 :
世界@名無史さん:2013/05/29(水) 08:03:06.57 O
毛沢東はソ連軍ともやりあって、一応負けてないんだよな。
インド軍には勝ったし。
悪政には定評があるけど、人口は爆発的に増えている。
よく分からないが、とにかく凄いとは思う。
共産党としてリーダー取って、
国民党と日本ともやりあって負けなくて、
最後に国民党倒して政権取ってるから
そこまでは凄いのは確定
問題はその後だ
親や親族が王侯将相でもなく一介の農民から身を起こし、
天下を取って全権を掌握したんだから、
毛沢東は劉邦、朱元璋に並ぶ1000年に一度の英雄だと思うが。
345 :
世界@名無史さん:2013/05/29(水) 22:26:33.01 0
>>344 中国では19世紀以前の時代認識なら成立する論だ! ただ20世紀でもこの
視点で判断するのはいかがなものか? 実の毛沢東は本当にスケベなだけの
権力大好き爺さんだったというのだ。その毛沢東を後ろから操縦していたのは
周恩来! 日本では名宰相の誉れ高いが彼の狡猾さは中国でも有名だ。
農業を駄目にした大躍進政策・数千万人が殺されたという文化大革命!
どうみても毛沢東は暗君のカテゴリーに入れねばならんと思う。
今問題になっている中国人の振る舞い・考え方にも影響を与えた。
監視社会を奨励し隣人・家族ですら信用できない恐怖政治を敷き古来の
道徳も破壊! 実際彼の暴政の余波を受け日本も苦慮しているというのが
現実ではないか? その彼が英雄?? 歴史の再勉強が必要だ!
毛沢東が傑物だったことは間違いないけど
劉邦や朱元璋の粛清は建国の元勲とその一族だけだったけど(朱元璋は万単位になっちゃったけど)
毛沢東の場合は大躍進と文革で一般庶民にまで害が及んじまったのがな・・・
大躍進…暗君の所業
文化大革命…暴君の振る舞い
と言ったところかな?
終身制だと最後ぼけちゃうことは良くあるよね。
ぼけなくても、あまり長いと気力が続かなくなるんだろうし。
康煕帝と乾隆帝、なぜ差がついたのか
350 :
世界@名無史さん:2013/05/30(木) 19:50:46.16 0
>>349 苦労人で、国が潰れるかもしれないと言う試練を乗り切った人と
生まれながらの皇帝の違いじゃないのかね
351 :
世界@名無史さん:2013/05/30(木) 22:35:17.67 0
毛沢東はケ小平に目をつけて決して完全に追い込まなかった
ソ連と対決してアメリカと手を組んだ
これも功績だわ
>>349 耄碌する前に死んだか
無駄に長生きしたか
生まれながらの皇帝なら8歳で即位した康熙帝の方が生まれながらに近い気がする
同じ8歳のとき乾隆帝は親父の雍正帝が皇位に就くかどうかすら不明だったわけだし
>>346 朱元璋は地方官僚も大量に粛正してなかったか?
中国の中世を作った曹操と孫氏、こいつら以降中国はずっと暗い
コンスタンティヌスが叩かれるのならこいつらももっと叩かれるべき
曹操と孫氏が中国史上最大の暗君
356 :
世界@名無史さん:2013/05/31(金) 11:59:54.81 0
実際に孫権の晩年はかなり叩かれているだろ。
だいたい霊帝と董卓のせい
天子は仕事しないで遊び呆けているのが仕事だ
みたいな思想なかったっけ?
無暗に臣下の前にでて威厳を下げないで
細かいことは我々にお任せください的な
宦官の決まり文句じゃないやつで
359 :
世界@名無史さん:2013/05/31(金) 22:21:45.53 0
中国史の真実は実はよくわからない!というのが真実!
何故かって天下は神が決めるもの。ということは勝てば官軍!
どんな場合でも戦争・陰謀でも天下を獲ったということは神の思し召しである
という思想・易姓革命思想だ。 そして中国史の正史といわれるものは例外なく
勝者から観た前代の記述になっているのだ。当然自らに天命があることを強調
するため前代を厳しく記述することになる。
このポイントを押さえてなけえばならない。あの貞観の治で有名な唐太宗ですら
玄武門での兄弟殺し(建成・元吉)を闇討ちした汚点をそそぐ為彼らを非道な
肉親として貶めているが二人とも優秀であったようである。
そんな烙印を押されている者も数数多いるのではなかろうか。
勝てば官軍で敗者となった為に実像以上に貶められている人がいるのは中国に限らず世界何処にでも共通していることだよ
361 :
世界@名無史さん:2013/05/31(金) 23:26:27.31 0
勝った側が負けた側を悪く書くのは中国史に限らずどこでもあることなの。
日本史だけは厳正で歪曲のない史書を書いてたと思うかい。書紀は言うまでもなく六国史全体にせよ吾妻鏡にせよ徳川実紀にせよ。
ちなみに中国の史官ってのは権力者に殺されても真実は曲げないって信念があるからかなり厳正なの。
悪く言われてると評判の殷の紂王だって頭脳明晰で弁舌に優れ怪力を持っていた、って褒めるとこは褒めてるのよ。
>>361 中国の史官ってのは権力者に殺されても真実は曲げないって信念があるからかなり厳正なの。
昔はまともな人もいたんだな...
>>361 その話しはしってるけど、正史は次代の政権が作るから、作った政権に都合のいいバイアスがかかっていると考えて思う
「史官は真実を書いた」と史官が書いた
>>363 断代史なら何してもいいってわけじゃないのよ
もちろん多少は入るけどそれは万国共通なの。
もっとも宋史あたりは歴代正史でも酷いって言われるけどね。
366 :
世界@名無史さん:2013/06/01(土) 00:54:25.13 0
>>364 そんなことはない。有名な崔杼の例だけど。
斉の荘公って人が臣下の崔杼の妻と密通した。崔杼は激怒して荘公を殺した。
その後権勢を握った崔杼は「君主殺し」と書かれることを嫌って史官に変えるよう強要した。
しかし史官が変えないのでその史官を殺した。そしてその弟を後任にするとその弟も君主を殺したと書いた。
それも殺すと更にその弟が、となったので崔杼はついに諦めた。
ちなみに都に史官がいなくなったと聞いた地方の史官は都へ急行した。
しかし既に真実が記されたことを知って帰った。
史官は占いもやったけどこれも憚らない。凶は凶という。君主というより神や歴史に仕えてる意識があったの。
孔子の時代には既にはるか歴史の霧の向こうで、
遺された書をもって知るしかなかった殷周易姓革命だけど、
文王から遡ること数世代特を積み上げたことで、
聖なる文王と武王と周公といった姫氏一族に天命が下り、
不本意だが天命だから仕方がないと殷を滅ぼした、
という儒教が普及したのもあり、当然の歴史と誰も疑わなかったが、
19世紀末〜20世紀初頭の殷墟の発見、発掘で、
それがデタラメの大嘘だったとわかるのに数千年かかったからな。
>>366 >史官は占いもやったけど
司馬遷の時代には、むしろそっちの方が本業化しいて、
それを常々問題視していた父司馬談の遺言で、司馬遷の「史記」は作られたんだよね。
>>365 宋史が酷いってのは、もっと悪逆非道な政策が行われていたことが隠されてるとか?
それとも、元に都合良く書かれてるとか?
そういう客観的な立場に立って歴史を記録として残そう
というスタイルが存在したのは中国のすごいところだが
史官がどんだけ客観的な事実を知り得たかというのもあるし
本人が客観的なつもりでも超バイアスかかってたりするのはしょうがないな
情報が豊富な現代でも克服できてないからな
三国志を書いた陳寿は、敵国(蜀漢)出身の上にスキャンダル持ちで立場が弱く、
パトロンの張華や晋室に都合の悪いことはあまり書けなかった
陳寿は孔明好きだったのに孔明の軍事能力がたいしたことないと書いただけで
後世フルボッコを喰らって可哀想だな
そんなに的外れな評とも思えんのだけど・・・
軍事能力を評しているのは裴注じゃない?
朱熹は陳寿を非難してるけど。
三国志には、北東の異民族を扱った烏丸鮮卑東夷伝はあるのに、
魏と正式に国交を持った大月氏(クシャーナ朝)などの西域については、独立の列伝がない。
実は西域との国交を取り持ったのが、司馬懿が倒した曹爽の親父の曹真だったので、
西域伝を作ると彼の功績を取り上げねばならず、司馬懿の子孫である晋室には面白くないのだ。
司馬懿とその党派が功績を立てたのは北東で、公孫淵を討伐したり倭国から朝貢させたり、
高句麗や韓を服属させたりしている。しかし西域遠方の大月氏に比べれば近隣辺境の小国に過ぎず、
史書では距離をわざと引き伸ばしたり規模を拡大したりして、功績を誇張せねばならなかった。
皇帝より格下の王だけど
あれだけ軍事能力を発揮した韓信が
呂后や蕭何の単純な謀略であっさり粛清されたのは意外だな
まあ一応は即位してるけど、暗君以前だなあって人達
更始帝・劉盆子・侯景・侯景に担がれただけの蕭正徳他多数
暗君にさえなれなかったが、その素質があったっぽい更始帝。
劉盆子君の方は本当にただ担がれただけ、牧畜やってれば幸せって感じ、
馬援があのまま牧畜やっていて、その下で牧童でもやってれば、
幸せな人生だったんだろうな。
侯景は君主とかの器じゃないってだけ。
蕭正徳はコメントする価値すらないレベルのどうしようもなさ。
>>357 コンスタンティヌスの叩かれ方を知らないのか
この人のせいでヨーロッパは千年のキリスト教のくびきに苦しむことになったと酷評されてるんだ
そして曹操と孫氏もその立場にあるのだ、こいつらは何で中国を縛り上げたかといえば
儒教だ、儒教によって中国をくびきにおいた、そのせいで中華人民は二千年間矮小化された
その状態を魯迅が阿Q正伝で喝破している
劉備のおかげで目立ってないがこの両者の罪は重い
三国時代以降暗君が多いのも儒教のせいなのだ
キリスト教はルネサンスを起こす土台にもなれたが
儒教は何の未来もない、中華人民はいまだにこいつらのくびきに苦しめられている
それほどに儒教で中国人を縛り上げた曹操と孫氏の罪は重いのだ
儒教云々で曹操や孫権を批判するのは的外れだと思う。
光武帝の影響のほうが強いだろ。
中国は宋の時代までは世界最先進文明だと思うし、
単純な経済力なら清が傾く19世紀半ばまで世界一だったはず。
儒教思想を徹底的に排除した毛沢東は
今では始皇帝と並ぶような暴君扱いだし。
というか、曹魏は儒教軽視の王朝だからねぇ
儒教重視は漢の元帝、王莽、光武帝と続いている
孫呉・蜀漢はしょせん地方政権で、文化的にも大したことはない
江南を開発して南朝の基盤を作ったぐらいなことだ
>>379 中国が突出して世界一だったのは1820年辺りらしい
この時代は中国の最大のライバルのムガル帝国が崩壊してるから中国だけが突出した時代
他の時代はインドと中国が競り合ってる感じ
鄭の霊公、スッポン鍋を食わせなかっただけと言う、
おそらうもっとも馬鹿馬鹿しい理由で殺された君主。
幽公じゃあまりに酷いってことで、後に霊公に変わったそうだけど、
どこら辺が違うんだ?
中国語でも「幽霊」って言うの?
中国で幽霊は鬼
そして鬼は中国語で夜叉
曹操は「唯才」を謳いあげたけど
俺が日本人、昭和と平成の人間だからかもしれんのだが
「唯才」をうたっているのなら曹操本人にならまだわかるけど
ただその血を引いてるってだけの子孫にまで代々忠節尽くすべきいわれなんかないよなあ
って激しく思うんだよなあ・・・。
王朝が儒学を重んじていて、臣に仁愛を以て当たるなら忠義を尽くしたいと思う。
でも魏の場合、王朝は才を求め、臣は見返りの利を求めるだけだろ?
なら皇帝に「才」が無く、臣に「利」をもたらすこともできなくなったら
もうおしまいだろう、と。
憶測する司馬氏は実際そう考えて簒奪したんじゃないかと憶測している。
訂正
憶測する司馬氏は→司馬氏は
張献忠の虐殺とかは、プロパガンダだろ
本当に皆殺し
>>378 たしか曹操って才能至上主義で、その正反対である儒教は大嫌いだったんじゃ?
孔融への対処も物凄く冷淡なものだったし。
それとも曹丕以降の皇帝に儒教大好きな人でもいたの?
曹操は儒家が毛嫌いしている法家だよ
曹操とか儒教嫌いの筆頭じゃん
孔子の子孫の孔融をぬっころすレベル
孔融もやたら皮肉と屁理屈で難癖つけてくる嫌な奴だったしなあ
学識と文才はあるけど実務に疎い批評家という典型的な人物
自ら危険に身を曝して大改革をしている時に、何もしてない奴が横からあーだこーだ言ってきて
何かヘマをすると「それ見たことか!」と突っつかれる。
曹操じゃなくても殺すと思う。
生かしておけば超うざい
殺してしまえば「孔子の子孫を殺した」と万世の悪評をこうむる
これはうざいでえ
蒼天航路じゃ曹操はうるさいのにキレて殺したんじゃなく、
孔融も自分を殺させることで儒教を弾圧してるっていうことを立証したかった
曹操は逆にそういう傲慢な考えを許せなかったから殺した
って解釈になってたが、あんがい正しいかもしんない
まあ日々のぶーたれに殺意は抱いていただろうけど
>>389-395 マンガかファンタジーの読み過ぎ
最低限正史後漢書と正史三国志読め
あと曹操が改革主義者だとか儒教冷遇とか全部ファンタジー
改革主義者なのは袁紹で曹操はむしろ守旧派
儒教も冷遇どころか厚遇
よく才能至上主義とか言われるけどその唯才のみこれを挙げよと言った
求賢令でも「戦乱さえ終われば清廉の士を必ず使うから」と儒教重視の姿勢を打ち出してる
「今は緊急事態だから儒教的にダメな人でも使うしかない」という半分泣きの入った布告だよ
儒教というか、名士のことをいいたいわけか
まあ九品官人法は曹丕の時にできたが
>>396 持論が受け入れられない程度でキレるなよ
キモいぞ
>>398 史料に基いて反論も出来ないのに何言ってるの?
せめて正史後漢書、三国志くらい読んでから曹操や孔融について語れよ
あと出来るなら文選とかも推奨だな
太平御覧まで全部チェックしてるなら尚良し
他にも色々あるが太平御覧読んだなら自分で辿り着けるようになってるだろう
学問板で史料も読まずに漫画で語るとか何考えてんだ?
資料読めと言うわりに自身も資料に基づいたロクなこと書いてない人ってなんなんだろうな?
>>400 じゃ、どの辺りが基いてないと思うのか書き込んでみたまえよ
なんか孔融みたいな人がいるようだ
>>401 400は史料に基づいても、ロクなこと言わないと言っている
東呉は豪族の集合体だからなあ
統一してたり推奨してたりしたわけじゃない限り、もとからの儒教思想だったんじゃね
曹操は儒教の厚遇者だ、才能を重んじるというのも実は儒教的なものなのだ
曹操の行ってきた政策はほとんどが儒教的なものだ
漢と魏の違いが分からないか?魏にただよう重苦しさは儒教によるものだ
じゃあ老荘思想でやればよかったんだな
清談バンザイ
曹操の求賢令からはじまる九品中正はそれまでの人材の選挙システムの改革が目的で
別に儒教を攻撃したものではない。秀才や賢良が郷村社会内のパワーが反映されて
富裕なだけで適切ではない人材が推薦されている現状からできた制度だよ。
それを司馬氏が人材の選考をする中正を地方の裁量にして制度を骨抜きにしたから
夏侯玄は批判を加えている。この批判の中で夏侯玄は中正の件だけでなく後漢以前の
地方のわがままが通る秀才などの人材選挙にも批判を加えている。
>>396 王朝打倒でなく自分が皇帝になりたかった袁紹は即位時の光武帝や呉蜀と
一緒の割拠主義者だろ。袁紹伝の審配のような豪奢な暮らしをする配下がいたように
後漢後期の豪族社会の上に乗っかっただけの袁紹は改革者どころか
屯田や兵戸を作ることで軍事経済基盤を作った曹操と比べても歴史の主流から
遠い人物だろうね。
>>408 何を根拠にそう言ってるのか
袁紹なんて周代以来の伝統だった宦官を皆殺しにしろとか言ってる改革派だぞ?
曹操は「宦官は必要、悪さしたらそいつを罰すればいい」と保守的
>後漢後期の豪族社会の上に乗っかった
これ曹操もそうだぞ?
というか後漢末から三国時代はすべての国が直接統治するだけの能力がなくて
豪族を手懐けて間接統治によって支配する形態なのになんで袁紹だけが取り立てて問題視されるんだ?
屯田や兵戸を作った→屯田は昔からやってる
兵戸は曹操だから出来たことだけど
これって別に曹操が革新的だからとかじゃなくて単に
公然と奴隷扱いできる青州兵を手に入れたからだぞ
曹操の祖父は宦官だもんね
曹操が改革派というイメージは、権力を掌握した者の必然性として、植え付けられたものでは?
袁紹は改革的に宦官皆殺ししようとしてたわけじゃないでしょ
どちらにせよ、上20くらいのレスはスレチ
不満と怒りが積み重なって皆殺ししたいと言っただけだろ
>>409 逆、逆。前漢以来の豪族の伸長への対処が王朝の最優先事項だよ。光武帝の太学の整備、
奴隷解放、土地調査(失敗したが)などを見れば容易に分かる。
袁紹の宦官攻撃など党箇の禁を見てもわかるように清流派士人の内輪だけのウケ狙いの
主張に過ぎない。
歴史研究で後漢というよりここから中国の中世期に移行を論じる際、必ず豪族が幅を利かす
郷村社会に起点を置くように、宦官攻撃に限らず八厨、八顧のような格付けにみられる礼教を
下敷きにした地域の伝統保守的な価値観を基準にして郷品という階級をつくり、これは皇帝も
介入できないものである。こういう地方の士人の世論を味方にできるから二袁や劉表、劉焉
呉蜀は勝手に天子の祭祀を行うことができたんだよ。
豪族の間接統治というより正確には流民のような人間を多く抱えた世襲の軍人首長の連合政体な。袁紹や呉が
その傾向が強かった。
晋が曹操というより魏が過酷な政治をしたという評判を立て、九品中正の形骸化を進めたことが魏が
中世への移行期で反動的な政治(漫画的な表現だと改革になる。)をした良い証左だよ。
何が逆だよ
清流派の内輪受けというけど元は外戚から出た発案で
袁紹らがそれに乗った改革派、曹操が反対した守旧派だろ
なんかメンドくさい人がいるね
袁紹が改革派とか笑えること書いちゃってるし・・・
それからお前は「曹操」と魏を混同してるが両者は別物だ
曹丕は曹操とは違って非常に改革的な男だし魏の性質も曹操より
初代皇帝だった曹丕の影響の方が大きい
このスレがこんなになったのも
霊帝が暗君すぎて黄巾賊の乱を引き起こしたせいだな
後漢は光武帝、明帝、章帝と最初の三代を除くと全て暗君か幼帝なのによく200年も持ったな
霊帝も別に暗君違うし
>>416 曹丕を改革派(いい加減こういう表現にはうんざりする。)とするのは宗族への圧迫政策かな。
宗族の監視は後漢から続くもので曹丕オリジナルの政策ではない。魏の特筆すべき点は
第一に九品中正であり、これが曹操の求賢令が淵源なのは誰でもわかる。王朝の機能
復活を目論む政治が魏で最も顕著なのは、三国志演義などで諸葛亮死後気が緩んで暗君になったと言われる
曹叡だよ。親政開始のため曹真や曹休、司馬懿などを地方に出して都督制を充実させることで
地方政治の引き締めをおこなっている。(都督制が魏晋南北朝において地方統治の根幹になったのは周知の通り)
徒党を組んで仲間内のほめあいで名声をあげて官職を得ようとする連中を浮華とみなして
まとめて免職(有名どころでは諸葛誕がいる。)して人材選挙における公正さを画している
晋の恵公
秦の支援で晋の君主となるが、即位したら領土を割譲するとの約束を履行せず
また飢饉の時に秦から食糧支援を受けたが、その翌年に秦が飢饉になると、
これ幸いと攻めこんで敗退、捕虜になり生贄にされそうになる
>>421 いやオリジナリティの有無は改革的かどうかに関係ないから
曹丕のオリジナルではない!←だから何だ?
お前はバカか?
以下、三国志の話を禁ず
>>424 こいつ危ないヒトなんじゃねーの
三国志の話はスレに準ずる程度にしてくれ
霊帝は中国皇帝の教科書みたいなイメージだな
何もせず、ただ酒と女に溺れる日々を過ごすみたいな
余計なことしてないだけましなんじゃない
> 余計なことしてないだけましなんじゃない
中国どころか世界史上でも類を見ないの売官を行ったアホ皇帝だぞ
地方役人の役職を買ったやつは買値以上の金を稼ぐために搾取しまくり
その不満が黄巾賊の乱が広まった一因
>>427 後漢は桓帝の時代から相次ぐ戦争で経済が破綻してた上に
地方の軍は地方官や軍人が私兵化してしまったり
税金を懐に入れてしまったしていたので
国軍は力を失うし国庫に入るべき税も取れず国家が疲弊していた
そこで登場したのが霊帝
霊帝は軍人などに私物化された従来の軍とは別に
皇帝直属の常備軍を設立した
売官で得た資金を投じた可能性が高い
アホ皇帝どころか後漢の再興をするために色々手を打ったんだよ
売官はもちろん劇薬のようなもので一時の財産を国に与えるけど
長期にわたって国を苛むから使い方が難しいがそれで集めた資産を有効に使えるなら
まだ挽回できるんだが手を打ってこれから国内のリストラクチャリングというところで
30代の若さで霊帝が急死してしまったということが痛過ぎた
霊帝って実はすごいヤツなんか
売官なんてヨーロッパでもザラだったし
霊帝はまがりなりにも国を立て直そうとしただけ万暦帝よりはマシ
>>428 ×30代の若さで霊帝が急死してしまったということが痛過ぎた
○10代のうちに急死してくれなかったことの方が痛すぎた
売官なら司馬炎の方が上手だな。
売り上げを全部自分の懐にいれちゃったんだから。
>>430 数多おわします暗君の頂点に君臨するのは
やはり神宗万暦帝陛下で決まりですかね。
実は凄いやつがお店ごっこに大金注ぎ込むかよw
初動で抑えるべき時に元肉屋を大将軍とか何も見えてないことの証拠だし
暗愚な霊帝を高評価する俺カッケーw なんだろ
>>434 簡単に殺された運のない男だけど、実は孫武の生まれ変わりのような男だったとか、言ってみる
東周英雄伝で隠れた賢者というのがあったからさ
まあ、ないわなw
肉屋をブタ殺しと書いていた横山光輝先生の最初の頃の三国志は好きだった
商売ごっこと言えば、晋の愍懐太子の母親も商売人の娘だったっけ?
どっちもまもなく王朝が崩壊した。
438 :
世界@名無史さん:2013/06/06(木) 21:49:03.37 0
>>362 オソレスだけど
いまの日本でも、マスゴミ人は基本的にブサヨで、新聞とかテレビは
かなりバイアスがかかっているだろう?タカ派の産経や、自称保守の
文春や新潮や個人独裁のナベツネの読売もあるにはあるけど、
そいつ等だって、元共産党か全共闘崩れが大半で保守的なことを書いていても、
言葉の端々や行動様式を見るとブサヨなんだよなww
それと、同じで中国の場合は史官と言うものは儒教の信奉者で、大抵儒教的な
価値観で物事を見ているだろう?だから商売人は毛嫌いして、
商売人上がりの人が権力を握るとすぐにけなしたり、国家が商売をすると
すぐにけなしたり、儒教を小馬鹿にするような言動をした人間はそれこそ
大悪人認定してきたところがあるのではないかな
その一番弊害が出ているのは元史で、まとめるにに2年しかかけていない
うえに、中国正州の外の出来事は無関心で、財政政策の考え方とか、
儒教を小馬鹿にしてきた言動はほとんど書き記していないだろう?
元史のアフマド伝なんか、姦臣認定されているけど、イラン側の集史だと
名政治家扱いしているじゃないか
歴史は国によってそれぞれ
救国の英雄は、敵国から見たら虐殺者(稀に例外あり)
>>434 >初動で抑えるべき時に元肉屋を大将軍とか何も見えてないことの証拠だし
何進はいきなり大将軍やったのではなく、
郎中から始めて河南尹までやってからの大将軍だから
ただの無能ってわけでもない
またこの当時の肉屋って別に悪い扱いもされてないし
賄賂で妹を皇帝の目に留まるところに送り込んだように結構金も持ってる
妹の力で成り上がったというのは出世速度から見ても確かだが
肝心のその妹を宮廷に送り込み権力闘争を兄妹で勝ち切って
皇后と大将軍になる程度の手腕はちゃんとあるよ?
イメージだけで語る前にちゃんと史料読んで色々検討しないとダメだ
で?
重用した霊帝は名君だと言いたいのか?
暗君でない資質もあったのかもしれんが
しょせん暗君以上の実績しか残せなかった暗君だよ
若死にしたからとか言い訳にならん
んなこと言ったら幼児で死んだ歴代皇帝ほぼ全員名君の資質があったと言えるぜ
桓帝・霊帝の二代が後漢滅亡に決定的役割を果たした暗君かな。
明はその二代に相当する滅亡原因を万暦帝1人で作った。
>>441 何進を重用したから暗君という主張に対してのカウンターでしかないよ
何進を重用することが暗君の証拠にはならないというだけの話
>>442 違うね
若死にしたから「採った政策が効果が出なかった」ということだよ
霊帝のしたことは「暗君でもなければ名君でもない」ということ
実際、後漢の崩壊理由は霊帝ではなく、霊帝死後の権力闘争によって起きた戦乱によってだぞ
>>443 桓帝で果てしない異民族の闘争で疲弊し、さらに党錮の禁で党人を弾圧し
その弾圧された党人の一人張角が人脈を使って霊帝の代に反乱を起こしたのが黄巾の乱
じゃあ党人弾圧止められるかといえば無理の一言
党人はクーデターすら画策していた
その乱も何とか乗り切って直属の常備軍を作ったところで霊帝が死に
即位するのが年端も行かない子供
ここで起こった権力闘争によって後漢が詰んだ
後漢で決定的役割を果たしたのは時の宰相だった董卓だよ
暗君霊帝を必死に庇って何したいんだこの人は?
暗君は暗君にすぎん。
党人大赦の時に「張角だけ許さない」の一文だけで、
張角が弾圧された党人の一人とか言っている時点でアホ。
張角だけ許さない、じゃなくて党人は許すが張角は許さない、だろ
張角が党人でなかったら他の党人の話を出す必要はない
張角はぶっ殺す、で終了
黄巾の系統だった組織見れば張角が高い教育を受けた人間って事が一目瞭然で
この時代、そんな教育受けて野にいるという時点で党人の可能性は高い
> 張角だけ許さない、じゃなくて党人は許すが張角は許さない
原文の唯の字に注目 唯張角不赦
どちらでもいいんだけどね
後漢政府に不満を持つ党人が
黄巾賊の乱に加担することを恐れて禁固を解いたことは重要な記録だから
党人の話を出す必要はあり過ぎるくらいにある
党人だった可能性はあるよ
はいありますよ
でもそうでなかった可能性もあるのに弾圧された党人とか言い切るのはどうなの?
「壬子,大赦天下黨人,還諸徙者,唯張角不赦」
でしょ
原文引用とか言いながらわざとバイアスかけてトリミングするの止めようね
大赦で天下の党人を許したが、張角のみは許さなかった
張角は大赦の対象外だったって書くんだが?
大赦される党人でないなら対象外ってかかねーよ
張角は死ね、ファックって書いて終わり
大赦は大赦で別にする
何進を重用したのは常識的に考えて本人の能力より皇后の兄貴だったからでしょ
重用したことは暗君の証拠にはならないけど
それで霊帝が実は暗君でなかった証拠にもならないんだよね
第二次党錮の禁は霊帝が13歳で即位した直後だから責任ないとしても
そこから黄巾賊の乱が勃発するまで16年あるからな
その間に売官とかで世間の評判を落としたり人民の搾取を放置した皇帝は暗君の名に相応しい
>>448 その一文で張角が党人かそれに連なる人だったらしいと推測されているだけで学者でも解釈の評価が確定してないだろ
それを断定口調で張角は党人だったとか言い切るのってどうなの?
仮に張角が党人上がりだとしても弾圧された不満で叛乱を起こしたとは限らない
単に庶民の不満と宗教的成功を見て帝位に野望を持っただけかもしんないでしょ
それ以上に張角の出自はスレチ
肝心の霊帝はどう頑張っても暗君だったという一般的な評価を覆すのは難しいよ
売官と黄巾賊の乱を引き起こす要因を作った皇帝であることは変わらないからね
常備軍も制度としては優れていたかもしれないけど
黄巾賊の乱で疲弊していた時に実施すべき政策だったのか疑問だよね
霊帝死後の権力闘争も、霊帝が後継者をしっかり決めなかったことが最大の原因だし、
最後まで搾取政治の元凶である宦官の束縛から抜けられなかったしで、暗君の要素満載だな。
454 :
世界@名無史さん:2013/06/07(金) 08:43:47.71 0
>>451 張角はたしかにスレチだなww
国を作るとか皇帝を自称する前に死んだからww
ただ、同時代の張魯はかろうじて議論に加えることは出来るかもしれん
一応国を作って、正史では善政をしいたと残っているのだからww
張魯のほうは、皆殺しにされずに、それどころか娘は曹操かソウヒの息子と
結婚して優遇されたそうだから、善政を敷いたと書き記されているけど
張角は消えてしまったから、イカサマ師認定されているからな
暗君・暴君認定も関係者が皆殺しにされるかどうかでもかなりの
違いがあるのかもしれん。
徽宗という声が少ないのは意外だな
徽宗は暗君だが史上最低というほどでもないだろ
史上最低とは思わんが
即位時に特に下り坂でなかった北宋を花石綱他で疲弊させ
更に金との外交的失敗で北宋を滅ぼしたからかなりの暗君だとは思う
458 :
世界@名無史さん:2013/06/07(金) 09:24:51.56 0
>>455 >>456 彼は芸があるからww
足利義政だって、銀閣寺を作ったから、能無し認定が多少
和らいでいるところがあるだろう?
日本に確か
稀少な徽宗の真筆と伝えられる
国宝の絵があったな
徽宗か、他に選択肢があったのにわざわざ道楽皇子を選んだ皇太后が悪い。
まあ同じ道楽君主でも、芸術系道楽派と酒池肉林派とでは、
かなり評価が異なるなあ。
これは芸儒家コンプレックスなのか、
人ができないことやったやつへの、ひがみやっかみか?
自分が報いを受けた君主と、子孫後継者が酷い目にあったのとでも、
多少(気持ち程度)は評価が違うっぽい。
って言うか、総合的見て凡君だったり、
先祖の遺産の上に胡座をかいていただけで社会的矛盾を放置、
とりあえず当人生存中は破綻しなかったけど、
滅亡へのハイウェイをせっせっと敷設していた。
そんな君主でも、文化的業績を上げただけで名君扱いだったり、
文化コンプレックスってのは大きい。
464 :
世界@名無史さん:2013/06/07(金) 12:13:29.36 0
>>463 銀閣寺でも、今では観光資源だからな
万里の長城でも大運河でもその恩恵を受けている後世の人たちは
あの時代の人の怨嗟の声も、見てみぬフリをするだろうよ
スターリンにしても、毛沢東にしても、曲がりなりにも超大国や
大国にして、それなりに国家の威信を高めたらから大目に見られる
ところがあるし、道楽系(この場合は巨大建築物、巨大寺院
大帝国の建設も含める)は多少大目見られるだろうて、
これが酒池肉林系だと、後世代には目身見えるものを残して否から
悪行ばかり残すことになる。あのヒトラーでもアウトバーンを作って
いなかったら、徹底的にボロカスに言われたのでないの?
ヒトラーはアウトバーン作っても徹底的にボロカスに言われてるじゃんw
466 :
世界@名無史さん:2013/06/07(金) 13:47:58.60 0
>>465 アウトバーンを残したから、曲がりなりにも社会保障政策や
経済政策、その他内政面まで冷静に評価されていたと思うぞ。
アウトバーンを残していなかったら、完全に魔術師認定
されていたと思う。
他の経済政策とか環境保護政策、社会保障政策は
他人の手柄にされていた思う。
ヒトラーはスレチだけど一言だけ
確かに冷静に見れば
>>466さんのいう通りだし
日本ではヒトラーはアウトバーンを作りムッソリーニはチネチッタスタジオを作ったと言われるけど
イスラエルやドイツはいうに及ばずヨーロッパの多くの国やアメリカで
公人がアウトバーン作った事だけでも評価してあげたらと言ったらメディアからフルボッコ喰らうぞ
銀閣は金閣に倣って銀箔仕上げにしたかったが財政難で出来なかったのは周知の事実だが
もしギンギラ仕立てにしていたら観光資源としてはともかく義政の評価は更に下がったかな?
>>406 清談も儒教的なものだよ、老荘なんてのも儒教の一部分を切り取っただけに過ぎないからな
更にこのころに生まれるのが悪名高き中華思想だ、中華思想が本格的に蝕み始める
魏呉の諸政策は外部世界との交流を硬直化させた
もういいよ
>老荘なんてのも儒教の一部分を切り取っただけに過ぎない
老荘思想の方が先だが
文人皇帝でも宣徳帝はむしろ名君と評されてるな。
>>410 荘子が聞いたら卒倒しそうだ<老荘思想が儒家
老子が仏陀の師匠だから、仏教も儒教の一派だな
ギリシア哲学もキリスト教もイスラームも儒教
475 :
世界@名無史さん:2013/06/07(金) 22:27:45.39 0
万暦帝のおかげで
天啓帝の愚かっぷりが目立たずに済んでるな
自分としては
正真正銘の白痴だった東晋安帝を
最愚としたい。
宣徳帝って叔父を焼き殺したり、文人ってイメージがないけどなあ。
俺が知らないだけで、文治でかなり功績あった人なの?
>>475 安帝は生まれつきの白痴だから除外てやれよ
障害者を暗君というのは可哀想すぎるね
479 :
世界@名無史さん:2013/06/07(金) 22:52:36.33 0
責任は安帝を後継者にした孝武帝にあるな。
孝武帝も謝安の死後は無能な司馬道子に政務を丸投げして
遊び呆けてたわけだし十分に暗君と言える。
480 :
世界@名無史さん:2013/06/07(金) 23:25:03.39 0
>>468 銀閣に銀箔を張ってもおそらく数年で黒ずんでしまうから、
いまとそんなに変わらないと思う。
よって後世の評価もいまとそう変わらないのでないかな
それに足利義政は銀閣寺が残されていたくらいだから、
当時の庶民からもそんなに嫌われていなかったのではないかな?
嫌われていたのは日野富子のほうでww
これが中国だと、暗君認定されたら、墓は暴かれるわ、宮殿は
焼かれるわで、残されるのは文字に書いた記憶と伝説のみになっていただろう?
紫禁城のほうは、満州族が謙虚だったから残されたけど
始皇帝が作ったという巨大墓がまだ残ってたら
ピラミッド以上の観光資源になったかもな
水銀の川だか池を作って天井には宝石を埋めて夜空を再現したんだろ?
まあ項羽が焼かなくても絶対破壊されてるだろうけど
始皇帝陵ほどではないかもしれんが
中国にはまだ高宗・武則天の乾陵や
永楽帝の長陵が盗掘されずに残っているからな
保存技術ができるまで発掘しないみたいだけど
一番じゃないんだけど唐玄宗は名君のように見えて暗君じゃねーかと思う次第
484 :
世界@名無史さん:2013/06/08(土) 08:40:53.72 0
>>482 そういやぁ武則天の墓は暴かれていないな
玄宗皇帝は一応武則天の一族だから、天寿くらいは全うさせてやれ、
墓も作らせてやれと考えてもおかしくはないのだが、
そのあとの安録山や黄巣あたりだと暴いてもおかしくないのにな
やっぱり歴史を書き記した史官の方に問題があったのかな
一般庶民にはそんなに嫌われていなかったのかもしれない。
業績だって、何百年も苦しめられた高句麗を滅ぼしたのだし
あと武則天の墓の発掘に関してこんなやり取りがあったそうだなww
学者が調査をしたいといったら、周恩来が「そんなにせかさなくても
墓は逃げ出しはしないよ」と言ったら
学者は「墓は逃げ出さないかもしれないが、私のほうがこの世から
逃げ出してしまうよ」
485 :
世界@名無史さん:2013/06/08(土) 10:37:55.71 0
墓を暴くって風習はいつから始まったんだろうな
伍子胥の時代より前からあったんだとすれば
「死者に鞭打つ」なんて当たり前って事になるし
どこでも昔からある
近畿とかにある古墳も多くは盗掘された痕跡があるんだよ
盗掘とは目的が違うんじゃね?
そういう泥棒が墓を掘り返すのと、
権力者が前権力者の墓を暴くってのは別の次元のことだろ
伍子胥が特殊な例で墓を暴くのなんてほとんどは盗掘だろ
項羽軍の始皇帝陵暴き
赤眉軍の前漢皇帝陵暴き
董卓の後漢皇帝陵暴き
孫殿英の清皇帝陵暴き
この辺り全部収められている埋葬品を略奪する為の大掛かりな盗掘だぞ
>>484 周恩来がはやる学者たちを抑えたのは英断だな
明の十三陵の発掘調査も本命は最大規模である永楽帝の長陵だったけど
慎重を期して一つ小回りな万暦帝の定陵を小手調べに先に掘ったら
発掘・保存技術がしっかりしていないせいで
けっこうな数の埋葬品をダメにしてしまったらしい
始皇帝陵の兵馬俑も本来は色が塗られていたのだけど
長い間地中に埋もれていたのが突然大気に晒されると酸化で一気に色が消えてしまうので
まだ結構な数が地中に埋まっていることは分かっているけど
現在は新たな発掘を控えている
殷墟の墓は一部、墓泥棒による盗掘の痕跡があるけど、
周によって暴かれたという話は聞かないね。
実験台にされた万暦帝先輩カワイソス
発掘された万暦帝先輩の亡骸
文革で狂ったチャイニーズ達によって
焼却処分されちまったんだぜ
494 :
世界@名無史さん:2013/06/08(土) 12:36:03.00 0
>>491 あの時代はまだ、中華の人も祟りを信じていたのかもしれないww
と言うのは殷を滅ぼしても皆殺しをせずに、宋に移して、祖先の祭りを
継続させたそうだから、三国時代まではなんだかんだと言っても
祟りを信じていたのではないの?関羽を殺した人は、関羽の亡霊に
取り付かれて死んだとの伝承があるし、劉禅にしても孫コクにしても
天寿をまっとうできているし、そのあとの南北朝になってから
盛大に皆殺しをやるようになったなぁ。だから暴君・暗君の所業も
派手になっていくww
>>471 詩経や易経のほうが老荘よりずっと先だ
>>473 対抗意識バリバリだもんなwつまり儒教よりずっと後だということだ
>>474 そんなバカげた説は中国人も信じていない
>>494 やはり、三国志の時代からおかしくなっていくだろ?
>>495 老子のが孔子よりも先に生まれてるとされてるだろ
易経なんて作者が伏羲なんだから論外じゃねーか
法家・墨家も儒学から出たし、老荘も儒の一派だとすれば、
別に曹操や孫権がいなくても、中国はずっと儒から逃れられないというわけだ
仏教も道教もキリスト教も儒教化するし
法家は老荘からの派生
墨家も儒家じゃないというか戦国時代だと儒家がアンチ墨家の立場だぞ?
儒教って戦国期に成立するのにそれ以前の思想が儒家から派生するとか
別の思想から派生したものを儒家派生とかいくらなんでもお前の頭はおかしい
北斉・南斉の皇帝たちだけでもお腹いっぱい
五経が最古の文献資料なんだから全てが儒教の派生だというのはおかしくない
そして五経をまとめたのはほぼ孔子だと言って間違いない
>>500 それも儒教の縛りのせいだ、まあもっとも儒教が先鋭化するのも仏教の影響があるのだが
中国人なんて全てキリスト教徒になっちまえばいいと思うが
天だの道だのは一神教の神と変わらん
504 :
世界@名無史さん:2013/06/08(土) 22:28:26.51 0
>>493 これ始皇帝の遺体だったら燃やしたのかなぁ?
あの時代日本でも、「古墳なんぞ権力者の搾取のシンボルだから
全部ぶっ壊してしまえ」と主張するヤカラがいたのだけど
毛沢東は、「確かに権力者の搾取のシンボルかもしれんが、
それを作ったのは一般国民だ、これは一般国民の業績であり
シンボルであるから大切にしなければいけない」とみたいなことを言ったんだよな
いつだって過激派は極端なこと言うだろ
それを止めたからって名君認定されるわけじゃない
その点で暗君じゃなかったっつーだけの話だ
止めるにはもっともらしい話を側近と相談して持ち出せばいい
中国にだって一般人をこきつかって作らせたんだから破壊しろと言ったやついるだろうし、
日本にだってそいつらと同じグループに属してても
歴史的遺産だから大事にしようと言ったやつはいるだろう
文革で群衆が万暦帝を糾弾した時の糾弾文読んでみたいな。
病弱だったから政務を執れなかったとかじゃなくて、
ひたすら己の快楽だけ追求して
王朝滅亡の道を開いて万民を塗炭の苦しみに遭わせたんだから
後世から糾弾されるのは仕方ないと思う。
天子としての責任感とかあったのかね。
どうも少年時代にはあったそれを、
大人になって快楽主義、虚無主義に陥って
無くしてしまったように思う。
少年時代からねえだろうな
張居正の話を「うるせえジジイだな」程度としか思ってなかったんじゃね?
そして張居正死後に政治放棄
万暦帝は幼少の頃は聡明で将来は英主になると期待されていたよ。
ちなみに嘉靖帝もね。
>>506 どうでもいいけど快楽主義は悪い意味じゃないぞ
暗君も困るけど
朱元璋や毛沢東みたいな
有能なキチガイはもっと恐い
有能さよりも基地外が権力を持つことが怖いような気がするが、
代を継いだ君主が基地外なのと同じではなかろうか
洪武帝は元勲・官僚・文人とその一族を万単位で粛清しているけど
従順な一般庶民(特に農民)に対しては善政を敷いているけどな
朱元璋の幼少期の体験を考慮に入れれば朱元璋はそれほど悪い人物でもないように思えるな
幼少期に親と兄弟達が飢饉と重税で餓死すれば誰でも役人を恨むだろうし
為政者になったら民の為に税を少しでも軽くして役人の給与を低くしようとする考え方も理解できる
元勲殺しは淮西派という派閥が力を持ちすぎてしまったという実害や
朱元璋自身の役人に対する猜疑心の強さや彼の信用している人物が次々と死んだ事、皇后や皇太子、劉伯温などの個人的な側面が大きいのかもしれない
粛清すればするほど信用できる人物が減り、農民の為に役人の給与を減らせば減らす程、役人は貧困を理由に不正に手を出すようになる
まあ朱元璋は余りにも人間的過ぎたんだと思うが・・・
朱元璋は容貌も重要視される中国で
超ブサメンだったのに天下を盗ったわけだから
かなり人間的魅力はあったと思うよ
ブサメン過ぎて人目にとまり、出世のいとぐちになったのだ
特徴のないしょぼい顔だったら、みどころがあるとも思われなかったかも知れない
朱元璋って、物凄い極悪人面だったから、頭目に武装集団の中でも最暗部を任され、
事実そのとおりに活動し、挙句の果てには頭目も殺して集団のトップに立ったんだよな。
頭目は殺されてないよ
その息子たちは朱元璋に殺されてるけど
>>517 そうだっけ?
あやふやだった。すまん。
朱元璋もまあイケメンだったってこともないだろうけど
本当にあの肖像画に描かれているようなブサイクだったんだろうか
見る人に嫌悪感を与えるような容貌だったらやっぱ
人心つかむのは難しいんじゃなかろうか
>>519 醜悪な要望から美声が出ると結構印象も変わる
恐ろしい顔に顔していざという時には残虐非道なことを平然とやれる人間に優しくされたら
ギャップでコロッとなついてしまうもんよ
実際のところ部下や敵でも庶民上がりの兵士たちには優しい一面を多分に持っていたしね
>>521 その代わり知識階級にはすさまじい憎悪を抱いていたけどね。
>>522 それを天下とるまで見せず
逆に天下とりに利用したのはたいしたものだよ
この辺りが選挙で与党になる前から無駄に敵を作る橋下とかと違うところ
いわゆるヤンキー子猫効果である
万暦帝は無能だったがこの人が皇帝である間の人民がそれほど害を受けたとは思えないな
ツケを払わされたのは次世代以後の人達かな
日本もいま長期に渡り無能な政府が続いているとはいえ
国民がそこまで苦しんでいる感じはしないが
自分が老人になる頃または子供たちの世代に悲惨な時代が来てしまうかもしれない
有能な政府って、いつを指すんだ?
みんなだいたい自分が生きている時代の政府は腐っていると思うから難しいね。
南京にある朱元璋の孝陵も盗掘されず未発掘状態か
北京郊外にある息子の永楽帝長陵とどちらが豪華に作られているか気になる
永楽帝は鄭和の大船団を派遣しているから、
異国の品々が大量に副葬されているかもしれないよ。
そういった品よりも、鄭和船団が見聞したことの航海記録が埋葬されていればいいんだけどな。
後世の皇帝が大船団を作ろうとした時に、時の宰相が大出費を恐れて、
参考となる鄭和の航海日誌とかを、明の公文庫から廃棄してしまったんだよね。
後世から見たら「せっかくの大ロマンをもったいない」ってなるだろうが>大船団派遣中止
同時代を生きている民草にしてみたら、自分の生活にろくに結びつかない
皇帝の虚栄心を満足させるだけの大事業に血税を毟り取られるのはたまらなかったと思う。
「何万里もの海のかなたから珍獣が来た?天子さまの聖徳が全世界に及んでいるって?
そりゃめでたいが、こっちの生活は苦しくなる一方だよ」ってとこじゃないか?
>>531 中止は仕方ないが、記録焼いたのは人類に対する大罪
>>530 大出費を恐れたんじゃなくて派閥争いの結果だからなぁ
派閥争いの結果、敵対派閥が積極進出だったから
記録焼いちまえ、二度と外に出すなっていう感じだし
儒教原理主義者からしたら宦官の活躍なんてとても認められないよな
>>532 記録を焼いたのは、実際に成化帝とその取り巻きが、
西洋取宝船(鄭和の大船団)を再開させる意思を見せたからなんだから仕方がないよ。
なにしろこの大船団の船の大きさは、「明史」の記録を長らく誰も信じないほどの巨大さで、
実際には発掘された舵だけでも途方もなく大きく、
発掘物からの試算によると本当に8000〜10000トン級の大艦隊だったらしい。
ちなみにヨーロッパ大航海時代の船はせいぜい300トン級だった。
こんなの本当にやっていたら、当時の明朝の財政が破綻するのは目に見えていたんだから、
俺は
>>531に同意だな。
確かに記録が焼かれてしまったのは残念極まりないが、
「記録が焼かれた」ということ自体が歴史を反映していると思うよ。
>>533 いや、出費を抑えたかったってのも大きいと思うぞ。
派閥っても、第二の鄭和になりたいだけ宦官と、実際に政務に携わる廷臣の争いなんだから。
>>535 全く仕方ないとは思わんね
それ自体が歴史という観点は認めるが
その失われた記録が
永楽帝の業績を讃えるものの一つとして
長陵に副葬されているかもしれないわけだな
最後の航海は宣徳帝の時だから
景陵にも記録が埋まっている可能性がある
壁画などと共に紙類も急に大気に晒されると
一気にダメになってしまうことが多いから
発掘技術の進歩が待たれるな
>発掘物からの試算によると本当に8000〜10000トン級の大艦隊だったらしい。
確か、梶からの推定なんだけど、試算の積算基礎にした船が外用船じゃなくて、
比率が違うから過大に見積もりすぎだとかって説もあるらしい。
実際は、2、3千トン級じゃないかとか。
それでも当時としてはとてつもない巨船だけど。
宋の時代から中国の船はデカいとアラブ人とかに驚かれているよ
鄭和船団の船はそれらよりも更にデカいものを作ったみたいだけど
>>539 中国以外の船って相当後になるまで隔壁ねーからな・・・
ジャンク船作れないと船の大型化ってリスキー
もし成化帝がそんな非常識な規模の大船団派遣をやっていたら
もはや財政破綻は弘治帝でも取り返しがつかないだろう。
結果亡国の君主となり暗君と評されてしまったかもね…
大船団の派遣やってなくても成化帝は暗君だけどな
明には英宗、正徳帝、嘉靖帝、万暦帝、天啓帝がいるからそれほど目立たないけど
>>542 言葉が足りなかった。
この場合暗君呼ばわりされるのは弘治帝。勿論成化帝は明朝一の暗君と称されるだろうね。
>>510 本当に怖いのは肉体が殺されることより精神を殺されることだ
思想史的に見ればその2者は大したことはしていない
鄭和の記録が残ってて、
よしこの船を作れとか命令されたとして、
この規模の船団を作るには〜〜円かかります
えっそんなにかかるの無理だやめやめ
となった可能性もあるのではないか
恵帝は、単に頭が悪いって書かれ方のようだ。
いっそ安帝みたいに完全な知的障害者だったら歴史は変わっていたのだろうか?
晋書で、やたらに長子相続の欠点ぽく書かれているのって、
やっぱりアホな長男より優秀な弟が継ぐ方が、国のため、天下万民のためだって言う、
李成民の主張が暗に込められ、(むしろ大っぴら?)ているのだろうか?
実態としても、能力が低かったのは間違いないんだろうけど、
誇張とかバイアスとかかかってないかい?
>>547 >李成民の主張が暗に込められ、(むしろ大っぴら?)ているのだろうか?
>実態としても、能力が低かったのは間違いないんだろうけど、
李世民の兄・李建成のこと?
貴方の言うとおり、李世民に関する記録は、「殷周易姓革命」並に物凄いバイアスがかかっているから要注意。
なにしろ李世民本人が史官の書いた文をチェックし、必要に応じて書き直しを命じていたくらいだから。
例えば、長安に一番乗りした人の名は書かれていても、それ李建成の指揮下にある軍の者という点は隠されている。
突厥からの長安防衛任務という、地味だけど再重要な役割を任され、立派に成していた皇太子・李建成に対して、
他の勢力を潰して回る勢力拡大という華やかな戦功に飾られた李世民に人気が集中するには当たり前で、
実際、煬帝なみの野心家の李世民がこの流れを利用しないはずがない。
初代皇帝高祖・李淵が天下争いに参加する際、全ての行動は次男・李世民に相談の上だったと
『旧唐書』も『新唐所』も書いているけど、李世民より十歳も年上で暗愚でもない長男・李建成を差し置いて、
まだまだ若すぎる次男・李世民(確かこのとき20歳だったはず)に全て従う父なんかが天下を取れるわけがない。
まあ、別の意味で玄武門の変の責任は李淵にあるけれど。
人気も高く極端な野心家の次男を誅殺しておけばいいのに、逆に攻撃任務でたまりにたまった李世民の戦功に対して、
皇太子に最も近い特別な称号を与えたりしたら、ああなるのは目に見えていたのに。
記録にはたいてい誇張やバイアスがかかっているよ
あとは後世の読み手がそれを踏まえた上でどのように解釈するかの問題
北宋・南宋は徽宗を除けは特に暗君として挙げられる人いないね
逆に太祖・太宗以外に名君として挙げられる人もほとんどいないけど
全体的に影が薄い皇帝が多い
明は弘治帝が長生きして嘉靖帝、万暦帝が早死にしてれば
暗君だらけなんて言われなかったろうに
>>551 明では何故か名君は早逝し、暗君に限ってやたらと長生きするジンクスがあるんだよな。
洪武帝が中書省を廃止したため、真面目に政務に励めば、
そりゃ死ぬわってほど多忙だったんじゃないかと思う・・・んだけど、
でも内閣大学士が中書省に替わって宰相の役割をしたわけだから、
結局のところ、よくわからん。
孝宗の時代は金も世宗という先代、先々代のような暴君ではなく穏健な君主で国境
の紛争も起きなくなったのが大きい。宮廷政治の結果即位した孝宗は先代の高宗
の皇后呉氏の勢力には頭が上がらなかったせいで息子の光宗が事件を起こしたとき
全く手出しできず結局呉氏が収拾しているように指導力のある皇帝ではなかった。
孝宗は暗君ではないけど名君ってほどでもないな
南宋は秦檜、韓タク冑、史弥遠、賈似道のように権臣は有名だけど
皇帝が強力な指導力を発揮したことはほとんどない気がする
呉氏や史弥遠、賈似道のような権臣に擁立されたケースが多いからな。
また戦争指導者となった皇帝もいないしな。モンゴルのモンケやフビライのように
戦場に出ないと実験の掌握も難しい時代だろう。だからといって韓タク冑のような
戦争で挽回狙う→敗戦→講和のため暗殺は最悪の末路だがな。
だから五胡以降の皇帝が暗君ばかりなのは魏晋の取った
儒教優遇政策のせいだって
五胡以前も暗愚な皇帝多いし
春秋戦国時代以前にも暗愚な君主多い
>>558 後趙や前秦、北魏、それに南朝でも梁では鎮護国家体制のために
仏教の伸長が著しい。
561 :
世界@名無史さん:2013/06/16(日) 13:15:02.25 0
しかし、このスレで上がった暗君・暴君は自分が嫌われていたとの自覚は
あったのかな?
世間の評判を気にしていたのかな?
永楽帝の場合は、間違いなく嫌われていたのを自覚していたし、
世間の評判を気にしていて、挙句いたたまれるようにして、金稜(南京)
から北京に逃げ出したけど。
まあ永楽帝の場合は嫌われ方のも半端じゃないから
なにせ永楽通宝でさえ、国内ではあまり流通しないから、日本との貿易
決済用に回したくらいだしww
お金さえ受け取りを拒否されたと言うのは永楽帝くらいだろうww
そこまでされたら、さすがに自覚はするわなww
>>561 名君として名高い唐太宗李世民は気にしていたらしいがw
暗君にして暴君の北斉後主は、人民から搾り取った血税で
大規模な寺院増築や仏教行事を繰り返して
それで徳を積んだと自分では思い込んでいたらしいから
どうしようもない暗君は嫌われていると思うどころか
自分は名君だ、聖天子だとうぬぼれるんだろうな。
本気で仏教思想を学んだら「貧窮した民を救うことこそ慈悲の行い」
と思うようになると思うんだがなあ。
後主は暴君・暗君だが、頭脳の出来自体は悪くなくて
修文殿御覧といった、後の太平御覧や四庫全書にも通じる先駆け的なものを
つくらせてもいるんだよな。
達磨「功徳などない」
北斉は北周もそうだが北魏の六鎮の乱をはじめとする軍乱で胡漢の民族紛争が激化した
社会情勢を見逃すことができない。北斉では創始者の高歓が鮮卑系の勲貴を大量に
作ったせいで漢人官僚との軋轢が激しいのが最後まで響いたと言える。
後主時代の斛律光や蘭陵王のような勲貴も漢人官僚達との権力抗争の渦中で
殺されたと見るべきだろう。
皇帝の治世を評価するのは難しいな
例えば人為的にどうしようもない自然災害が起きたら国内では作物が取れず飢饉が起こるし
モンゴル高原からは死にもの狂いで略奪に来る。
侵略に対抗する為に兵を集めるには金がかかり民の生活は困窮する、一方で満足に兵を集めないと侵略される
まあそれも一種の天命だと割り切っていたのかな
とにかく南北朝時代(+五胡十六国)は中国史上でも
最も狂気に満ち溢れた恐ろしい時代だな。北も南も。
晋書のゴシップネタや怪談を収録しまくったせいで百鬼夜行の世界のイメージが
広まったせいだがな。
五胡南北朝の君主の信仰していたものは仏教によって先鋭化した儒教だ
中国のマルクス主義も儒教だな
ああ、曹操や孫権以前の中国は儒教に支配されていない理想郷であったことよ
>>567 阪神大震災とか東日本大震災でも
時の総理は対応が悪かったと攻められるから、
皇帝も已むをえまい
人民が苦しんでいる時に一日でも後宮でウサばらししてたら
いちゃもん付けられるネタを与えてるわけだし
>>571 後漢は光武帝による太学の建設に始まり神秘主義的儒教全開
の時代だよ。魏晉の禅譲革命から革命を肯定する当事の儒教は権力から危険思想扱いされて
弾圧されて低迷の時代を迎えることになる。儒教が力を取り戻すのはこの宗教色を排除して
人文主義的イデオロギーを取り入れた宋代になってからだよ。
>>572 漢の武帝の黄河決壊放置もヒドいよな。
封禅やら行幸やらやってたんだから決して手が回らなかった訳ではないのに。
宋学(道学)の元ネタって道教だからなあ
576 :
世界@名無史さん:2013/06/17(月) 20:33:55.37 0
蜀の劉禅や陳の陳叔宝は暗君と言われているけど、
乱世において無事に天寿を全うしたという意味では勝ち組なのかもな。
つか劉禅は敢えて司馬昭の前で暗愚の振りをしているように思える。
逆に伏見城で家康に会った秀頼は「こいつは優秀だ」と思われてしまったがゆえに・・・
577 :
世界@名無史さん:2013/06/17(月) 20:59:57.12 0
間違えた二条城ね
劉禅は陳寿にも輔政する人間によって染まる人物と評されたが魏呉のように
皇帝廃立の危機が40年の治世で一度もないという奇跡の男だがな。
諸葛亮時代は別格といっていいが、その死後30年の間、後漢のように外戚に制されることも
宦官を使って専権を振るうこともないから無能だが内部崩壊の危機にさらされないから
孫皓のように死んで詫びろとか評されることもない、三国どころか南北朝時代を通じても稀有な存在だよ。
儒教は前漢武帝が董仲舒を使ったのがね
武帝は名君扱いだけど文帝景帝の力で全盛期迎えた時に即位しただけで
実力は疑問が残るわ。
匈奴に勝った二人も見事に抜擢じゃなく他の目的で抜擢したら名将だったって運だし
さらに漢の為に奮戦した忠臣の李陵を匈奴へ走らせるまで追い詰めるほど無理解だったり
それを正しく糾弾した司馬遷を宮刑にするとか
極め付けが董仲舒で諸子を禁圧して中華世界の衰退を招いた。
繁栄した時代の君主は名君扱いされるな
古代中国じゃ繁栄するのも君主の徳のおかげでってことなのかもしれんが
未だに踏襲されてる気がする
>>573 確かに光武帝(劉秀)は後漢の都・洛陽に太学を作ったけど、
元々は前漢の武帝の時代に前漢の都・長安に作られたもので、劉秀自身もそこで学んでた。
>>579-580 >武帝は名君扱いだけど文帝景帝の力で全盛期迎えた時に即位しただけで
>実力は疑問が残るわ。
唐・玄宗と清・乾隆帝も似たようなものだね。
>>581 なるほどね。
治世初期から中盤までは先代までの遺産で上手く回るけど
自らの結果が顕れる晩年は…
漢武帝や乾隆帝はともかく玄宗はすんなり即位したわけじゃなくて
クーデターで権力を勝ち取ったわけだから
晩節を汚したとはいえ実力があったのは確か
ただ玄宗は則天武后時代の名臣たちの力を借りたからそれらがいなくなったら
李林甫のような貴族や楊国忠のようなえこひいきで引き立てた人物を登用しているのがな…
安史の乱以降、唐とユーラシア諸国の商売の潤滑油やってたソグド人を
徹底的に弾圧ぶちかましたから経済的にも結構影響あったろうな
ソグド人は安史の乱後中央アジアの覇者になったウイグルのもとに逃げ込めばよかったから
大した影響はなかっただろう。安史の乱後中央アジアはそれまでのシルクロード経由のドル箱というよりも
吐番やウイグルといった異民族勢力からの侵略に怯える地域にになったがな。
大王朝の全盛期に皇位に就きながら危うく国を滅ぼしそうになったのは明の英宗くらいか
安史の乱を引き起こした玄宗のパイセンを忘れないでください。
>>578 暗愚に振舞ってたってのも実は裴松之の註にしか無いよ
>>571 仏教でも良いのだよ、むしろ仏教こそ中国堕落の元凶かもしれない
中華の中世は後漢から始まるとされるが、丁度仏教の普及と重なる
堕落堕落としつこいね。その中国から仏教を導入した
日本も堕落したのかね。紅衛兵もどきが批林批孔を繰り返せば
進歩的だと思うのは滑稽だよ。
>>581 乾隆帝は多数の皇子の中から太子密建で直々に選ばれたんだから
優秀ではあったんじゃないか?
乾隆帝は優秀だったよ耄碌するまでは
>乾隆帝
せっかく祖父の康熙帝が中華圏の外のロシアと
ネルチンスク条約という”対等な”条約を結ぶという前例まで作ったのに、
よりにもよって大英帝国の正式な使節に、夜郎自大も程がある、清の冊封を認める等とのたまい、
この先の清の行く末を惨憺たるものにした元凶だろ
康熙帝がやたら優秀だっただけで
当時は殆どの中国人が他国相手には乾隆帝と同様の対応をしたと思うよ
意外に金の熙宗・海陵王の皆殺しコンビの名前は出てないんだね。
奴等は暗君と言うより暴君だからな。
>海陵王
無茶したのは事実だろうけど、
仲の悪かった次の世宗が、海陵王をことさらに悪く書かせた可能性もあるので要注意だと思うよ。
皇帝扱いされていないくらいだからね。
まあ、世宗は名君だったけどね。
海陵王は実際以上に悪く書かれているとこもあるだろうけど
やたらと殺しまくったのは事実だからな
金のもう一人の廃帝、衛紹王も暗君扱いだったかな。結果的にチンギスの高原統一 を促したりもしたけど
金は直系相続が世宗→章宗と宣宗→哀宗の二例しかなく
皇帝が先帝を貶めることが何度もあったからな。
清こと後金は対照的にヌルハチから同治帝まで10代続けて直系だった。
海陵王はむしろかっこよさすら感じる
英雄的素質は持ってたけど間違ったって感じ
>>601 モンゴルにせよ、金にせよ、清にせよ、遊牧民は家父長制ではないため兄弟間の関係は
対等に近いからな。チンギスハンの息子たちが中央アジアにそれぞれの汗国を立てたように
基本的に分裂傾向が強い。清も有名なドルゴンも即位していなくても睿宗と呼ばれるように
3代目でも長子相続が確立していない。金はこの傾向が最悪なかたちであらわれてしまった。
熙宗・海陵王以前も宗幹が宗磐・撻懶を殺しているように金はパワーバランスが特にひどかったのだろう。
>>603 撻懶は宗幹との政争で粛清されたけど宗磐はそん時に殺されてないぞ。
宗磐を殺したのは宗幹の息子海陵王。
606 :
世界@名無史さん:2013/06/22(土) 22:20:30.51 0
このスレで上がった暴君、暗君の仕事振りはマジでどんな様子だったのだろうか?
始皇帝の仕事振りは、現代のワーカーホリックの過労死状態だったようだけど、
万暦帝は、まじで書類ひとつ決済をしなかったのだろうか?
でも、全てをよきにはからえで、人任せにできたのだろうか?
特に軍事面では?
人任せにしたら、それこそ帝位を追われるだろうし
皇帝の側近が力を持っている場合、
無能だからこそ皇帝になれることもあるし、
何もしないからこそ皇帝の座に留まれるってのもある
明は皇帝がその気になれば政治を改革できる体制だったから
どうしても暗君に対する評価が他の王朝に比べて厳しくなるな
610 :
世界@名無史さん:2013/06/23(日) 09:42:38.29 0
>>609 確かに中華世界でも、君臨すれども統治せずは短期間なら
何回か成立した事があったけど、
大抵は殺し合いになってしまったなぁ
明にしたって、万暦帝はどうにかなったかもしれんが、
他の皇帝の時は、「よきにはからえ」でやっていたら、宦官が皇帝になろうとした
例さえあっただろう?
前漢恵帝は暗君かもしれんが好きだなあ
弟かばったり優しさが見えるわ。
司馬遷は厳しく批判しているけど、俺も恵帝好きだ。
武帝よりはよほどいい。
武帝は好き勝手に人の命奪いすぎだ。
613 :
世界@名無史さん:2013/06/23(日) 16:15:49.10 0
恵帝は皇帝としては頼りないけど陳平らが補佐すれば十分名君になれただろう。
晩年の劉邦のほうが側室の戚夫人の懇願で恵帝を廃嫡しようとしたり暗君の片鱗を見せてる。
呂后の残虐さばかり強調されてるけど自分の子を皇太子にしようとした戚夫人も大概な悪女だな。
614 :
世界@名無史さん:2013/06/23(日) 20:31:09.71 0
>>613 呂后の場合は、戚夫人の子供が皇帝になっていたら、
自分たちが戚夫人の一族に皆殺しにされていたかもしれないからな
誰もその可能性は書かないけど。
張良や蕭何はじめ元勲たちが誰一人味方しようとしなかっただけでも戚夫人の人柄がわかるな
>>615 張良も蕭何も曹参も、高祖(劉邦)の晩年あたりから揃いも揃って奇行に走ったというな。
皇帝とは言っても、キチンとした宮殿と礼が整うまで臣下と車座になってバカ騒ぎし、
どこか友情のようなものを抱かせる劉邦とは違い、
呂后はシャレにならないとみんなわかっているから、劉邦は恐れなくても、呂后は恐れられた。
617 :
世界@名無史さん:2013/06/23(日) 21:00:08.46 P
>>461 >まあ同じ道楽君主でも、芸術系道楽派と酒池肉林派とでは、
>かなり評価が異なるなあ。
同じ「勉強をせず成績が悪かった」でも
スポーツや音楽・芸術に夢中になり過ぎて・・・
と
飲み会・合コン三昧で・・・
とじゃ評価が異なるのと同じことでしょ。
呂后って戚夫人や恵帝のライバルになりそうだった劉邦の子供は殺しているけど
そうでない子供や劉邦の側室たちに対しては特にひどいことしていないし
呂后専横時代に粛清された元勲クラスもいないんだよね
王陵みたいに呂后にモロにもの申した人間ですら
遠ざけられただけで殺されることなく天寿を全うしている
呂后が殺したといわれている韓信、彭越といった連中の粛清は劉邦が生きている間で
実際には劉邦の意向がかなり含まれた粛清劇だっただろうから
呂后の残忍性はすこし誇張されている気がする
韓信、彭越も実際に反乱起こすか未遂してるからこれは悪くない
やっぱ人豚と専横した後クーデター起こされてるのが致命的だな
人豚で人格的に基地外というイメージを植え付けて、
クーデター成功で正統から大きく外された
いやいや黥布、韓王信、盧綰たちは実際に反乱を起こすか未遂だけど
韓信、彭越はでっちあげ謀叛で粛清されたでしょ
戚夫人に関しては普通に殺しただけなら戚夫人の自業自得で終わりだったな
殺し方も必要以上に悪く書かれている可能性があると思う
残忍な性格の持ち主ではあったと思うけどね
623 :
世界@名無史さん:2013/06/23(日) 23:16:03.63 0
>>622 まあ、ならず者に犯させた上に目を潰し、のどを潰し、手足を切断して、まだ息があるのに便所
にぶち込んだと言うのは、少し大げさに書いたような気がする。
せいぜいならず者に犯させて、ぶっ殺して、手足を切断した上に
便所にぶち込んだくらいじゃないの?
まあ、それでもすごいと思うのだが
ただ呂后は本紀を建てられたように項羽同様、滅ばされた
勢力にもかかわらず司馬遷の記述は敗者ゆえの貶めはあまり感じられないな。
呂后時代の政治は司馬遷も評価しているね
後の歴史においても呂后を再評価するほど
呂后派に政治的価値もなかったし、人間的魅力もなかったから
2000年以上も放置されて今の評価なんだろうな
武則天は近代になってから、かなり評価が上がったよな。
628 :
世界@名無史さん:2013/06/24(月) 08:21:15.16 0
>>627 あれは、手足を切った上に酒樽にぶち込んだのだろう?
最後の台詞は「お前をネズミに生まれ変わらせた上に、私は猫に
生まれ変わって、いたぶり殺してやる」だったかな
以降、武則天は宮中で猫を飼うことを禁止したとか
呂后や武則天が長い間再評価されなかったのは
中国が日本より遥かに男尊女卑社会だったから
>>629 呂后も武則天もその一門は滅ぼされているからだよ。
その後も滅ぼされた外戚は厳しい評価をくだされているように。
631 :
世界@名無史さん:2013/06/24(月) 09:38:59.72 0
西太后の場合は呂后や武則天と違って権力を握った頃には
既に王朝が衰退していたから再評価されにくいな。
呂氏は呂后が死んだ後で滅ぼされているし
後の漢の皇帝は呂后の血を継いでない
武氏は武則天の死後に政争で殺された人間もいるが
武氏そのものが族殺されたことはないし
中宗から最後の哀帝まで唐の皇帝は全て武則天の血を継いでいる
人豚かはともかくそれらしいことはやったんだろうから
いかに憎いとしてもただ殺すに留めておけばなあ。
あれのせいで以後ずっと呂后=人豚のイメージで語られ続けることに
634 :
世界@名無史さん:2013/06/24(月) 13:31:06.41 0
戦後、あからさまに武則天を再評価というか持ち上げたのが江青なのがなぁ・・・
>>633 いくら相手に非が有ったとしても、あまりに過剰な報復は自分にとってもゆくゆくマイナスになるということか。
名君と呼ばれる君主は、前王朝の末裔や敵方にもそれなりに寛大な処置をしていたりするのが
徳の一つに挙げられていたりすることが多いよね。
伍子胥の屍に鞭打つもそうだけど
単に個人の復讐心を満足させるだけの結果の行為は
他の人にひかれる
呂后や武則天は一般人民には特に迷惑かけてないけど
西太后や江青はハンパない害をまき散らしているから再評価される可能性低いね
>>636 周囲:「やり過ぎなんだよ!」
ってな感じで確かに引くわな
他人にはどうでもいいことだからな。
ホロコースト?ヒロシマ?9.11?
>>639 俺は戦後生まれだが、ホロコーストも広島長崎も
911もどうでもいいとは全然思ってないけどな。
641 :
世界@名無史さん:2013/06/24(月) 23:48:27.41 0
前漢の武帝は司馬遷を宮刑にしたり、財政をガタガタにしたり名君とは程遠い。
特に晩年江充に騙されて皇太子を殺したことは最大の汚点。
霍光と宣帝がいなかったらもっと早くに前漢は滅んでたな。
>>641 >武帝
匈奴を屈服させたのも、「武帝だから」出来たわけじゃなく、
高祖・呂后・恵帝・文帝・景帝が溜めに溜めた国力が溜まりきったと時に、たまたま帝位に就いただけだからね。
ほんと、宣帝のほうがよほど名君だわ。
苦労知らずの浪費バカって感じだな
感情の制御もロクにできねえし
外征の成果だけで過大評価されまくっている君主だな
でも支配領域が最大のときの君主なのだから
王朝の最盛期なのは間違いない
>>636 ゴシショは気持ちは分かる。
父も兄も無実で殺されて何もかも奪われた上に
その後のゴシショは復讐の為だけに生きたようなもんだから
死んでました、それなら仕方ない、とは引き下がれんのも理解できる。
それに楚人ってのはそういう人なんだよ。爆発したら止まらない
項羽にせよ屈原にせよ。
悪いのは平王。
>>644 乾隆帝もそんな感じかな。
まぁ少なくとも明の愚帝共よりはずっと有能だとおもうが。
ローマ帝国だって最盛期は領土最大の
五賢帝時代
>>647 ローマの場合は、最盛期のハドリアヌスがあえて獲得領土の放棄とかやってるから
違うんじゃね?
ハドリアヌスは財政再建とかもやってるしなー
洪煕帝だったかな
あいつも確か永楽帝が獲得した領地を(統治にかかる経費が税収よりも多いから)放棄してるな
ただ単に領地を広げれば名君かと言えばそれはまた違うんだろうなぁ
トラヤヌスが何も考えず戦争で経済回したのが運の尽き
元は大臣たちが傀儡にしやすい人間を皇帝にしていたから暗君が多いんだけど影が薄すぎる
暗君としての実績wを積む前に首をすげ替えられる、
という感じだもんな>元
歴代中華帝国が領土拡大を成し遂げた皇帝を名君とするのは、
「皇帝の『徳』が新領土まで広がった」という思想から来るものなんだよね。
655 :
世界@名無史さん:2013/06/28(金) 01:29:59.89 0
>>653 ある程度強大な権力がなければ
一丁前の暗君にすらなれんわけかw
元の皇帝たちは酒とセックス好き放題
政治は大臣任せ
死んでからもあまり叩かれず
何気に良いことずくしだな
657 :
世界@名無史さん:2013/06/28(金) 08:48:07.39 0
フビライまでのモンゴルは実力のある奴しかトップに立てなかったのに
なんで元になった途端お飾り化したんだか
テムルもそんなに無能じゃないぞ
659 :
世界@名無史さん:2013/06/30(日) 13:35:41.92 0
>>652 元の場合は、儒教道徳で凝り固まった明代の史官達に、行動様式が
理解されなかったから、
実際元王朝は儒教なんて完全に馬鹿にしている節があるだろう?
官僚なんて、儒学者なんてろくに採用されずに、色目人を大量に採用して
いただろう?で、元が滅びる時、色目人の官僚の回顧録なんか
ほとんど採用していないから、影が薄いのではないかな
有能ではないけど、漢の武帝は、
・儒教を国教化した。
・異民族を征伐して中華イデオロギーを確立した。
何気に皇帝としての影響力は始皇帝に次いで中国史上最上級何だよね。
武帝なかりせば朝貢貿易はじめ東アジアの外交史も、
儒教を正統として繰り広げられる思想史もかなり変わった可能性がある。
司馬遷が玉を抜かれず悲歌も歌われず。
良いか悪いか度外視すれば。世界史の巨人なのは否定できない。
>>652 おかげでフビライ、成宗、順帝以外は在位10年を超えた皇帝はいなかったんだよね。
>>656 酒やセックスに溺れていないと皇帝なんてやってられなかったんだろうよ。
>>657 一応仮にもクリルタイが機能していたからじゃない?
クリルタイがうまく機能したのはオゴダイが選出された時だけだろ
それ以外のクリルタイは揉めているしグユクみたいな酒乱バカが選出されたりもしている
663 :
世界@名無史さん:2013/07/01(月) 10:58:30.23 0
>>662 いまの中凶のお抱え学者は「民主主義は屑だ、駄目だと
中国には独自のやり方がある」といったことを
論文で主張していたけど、中華の学者とか史官達もクリルタイ(民主主義)の
ことは知っていたのではないかな?
遊牧民は指導者の選び方は昔からクリルタイ方式でやっていたから
にもかかわらず、まったく歯牙にもかけていないだろう?
(自分たちの皇帝の選び方の参考にしようなんて書いていないからな)
たぶん、このやり方は駄目だとすぐに見切りをつけたのではないかな
かといって、中華の人が遊牧民をまったく評価していないかと
いえば、胡服騎射の前例でもあるように、いいものであれば受け入れた
事もあるのだから
現代中国も胡服騎射のように人民服を捨ててジーパン、Tシャツ文化を受け入れているな
665 :
世界@名無史さん:2013/07/01(月) 13:11:07.56 0
>>664 これが不思議なんだよな
戦争に負けたのだから、相手の考え方、思想までマネをしようとの
発送は出てもおかしくないのに、
「服装を変えたらいいだろう?武器を買えばいいだろう?」
で、すませるのだからな
暴君伝・暗君伝でも、温故知新とか中国のことわざのはずなのに、
宦官制度ひとつ改めようともしないのだからな
666 :
世界@名無史さん:2013/07/02(火) 09:43:17.60 0
>>641-643 その観点で言うと、始皇帝も司馬炎も、
確かに藤一を果たした初代皇帝ではあるが、
統一後の展望を欠いており、
子供や孫がとんでもない迷惑を被った暗君、
と言えなくもない。
前例のない始皇帝の方はまだ同情の余地が有るけど、
司馬炎はしょうがない。
667 :
世界@名無史さん:2013/07/02(火) 09:53:09.50 0
司馬炎は本当の意味でただ受け取っただけだから本人の能力はボロボロ。
始皇帝は確かに考公以来の皆の力で積み上げられた遺産で即位したけど
曲がりなりにも六国を滅ぼしてるから英雄には違いない。
それに法家改革を全土に適用しようとしての失敗だから
ただの暴君で滅ぼしたってわけでもない。
評価はともかく始皇帝が有能なのは動かせないだろうな。
司馬炎、王朝永続のために自分なりに知恵を絞ったんだろうけど、
打つ手が全部裏目に出たという悲惨な例。
あそこまで見事に外れると逆にすがすがしささえ感じるほど。
王朝どころか、自己の血統の保持すら失敗してるもんなあ。
せっかくせっせと二十何人作った息子は殺し合いでほぼ全滅。
まあ息子は自然死の早世も多いけど、って言うか粗製濫造?
息子に比べれば数少ない孫もほぼ全員が悲惨な最期を。
娘か孫娘を通して女系の子孫はいるのかもしれないけどね。
司馬氏で残ってるのって叔父や大叔父の系統だけでしょ。
いや偉大だろ。
盛り塩の習慣が未だに続いているんだからw
670 :
世界@名無史さん:2013/07/02(火) 18:14:04.28 0
>>669 これ日本ではソープランドまでやっているけどww
本場の中国ではやっているのかなww
因みに黄金町では盛り塩はやっていなかったww
>>670 どうなんだろうな?
王仙芝や黄巣みたいな塩の密売人が大反乱を起こすような国で
盛り塩なんてしたらすぐに盗まれそうな気もするが……
ちょっとスレ内容からずれるけど、
なぜか日本って、中国の意外なモノが残っているんだよな。
中国ではとっくに失われた書物があっさり出てきたりするのは有名だけど、
徳川光圀の「圀」なんて即天文字で、武則天の死後放置されてほとんど失われたのに。
673 :
世界@名無史さん:2013/07/03(水) 08:14:56.38 0
>>48 餃子毎日食える俺は皇帝より偉いってことか(笑)
>>673 李自成が皇帝に即位したのは山海関を破られた後だよな。
最早一刻を争う状況なのに間抜け過ぎるわなw
司馬炎はさほど悪くない気がする…
外威と皇族によって呂后から呉楚七国の乱のコースにいって前漢と同じ道をたどらなかったのは
無能な算奪者が続いたのと、司馬越が最悪のタイミングで早死にしたからなような
>>672 日本の寺から元代の地図が出てきたのもあるよね
東は日本から西はスペインまでのユーラシアほぼ全図
結構適当だけどアフリカ大陸やインドまでしっかり書いてあって
モンゴル帝国の世界観の広さがやばかった
>>672 黄門様本人は自分の名をどう思ってたんだろうな。
父に付けられた名を否定は出来んけど
彼本人が則天武后にいい感情を持っていたとは到底思えない。
>>677 あの字に変えたのは光圀本人で、もともとつけられた
名前は「光國」。
>>678 えっ、本人なの?全然知らなかったよ。
教えてくれてありがとう。
尊皇史観・水戸学とあの女帝への高評価が結びつくとは思えないんだが・・・。
680 :
世界@名無史さん:2013/07/03(水) 22:03:23.28 0
武照本人しか使えなったという「日」「月」「空」を組み合わせた字。
「天空に日月の如く輝く存在」って意味だろ。
いくら再評価が進んでも俺はやはり駄目だ。
どれだけ傲慢な女だったんだと思う。
しかし大恥かいたよ。ずっとずっと父が則天文字使ったと思い込んでた>黄門様
一つ学んだんだからいいじゃないか
ついでに言っておくと「光國」という名も潘主になった時に将軍から賜ったものだよ
684 :
世界@名無史さん:2013/07/04(木) 21:17:06.19 O
北魏孝文帝は漢化政策は長期的には必要な政策だったのかもしれないが
北魏滅亡の原因を作ったという意味では暗君だな
孝文帝は33歳の若さで死んじゃったのが残念だったね
無能でも安定した政権、有能な補佐がいれば暗君の要素があっても
余命を全うできるケースが多いけど、外敵から圧迫された小心者が
暗君と基地外を併発することが多い
>>686 政権も補佐も不安定だったけど
人柄で生き延びたレアケースが安楽候かね
中国の皇帝は最初名君あと暗君ってパターンが多いよな
それ中国じゃなくて殆ど何処の地域でもある事じゃね?
歴史に名を残すような帝国の創始者、大企業の創業者なんかはやっぱり偉大だからこそ帝国を建設出来たり大企業に育て上げたりしてる訳でね・・・
当然その後を引き継ぐ人物は創始者に比べると劣ると思うが・・・ 特に王朝みたいなのだと能力よりも血統が優先されるしね
漢と並ぶ中国全盛期の唐は二代目の太宗・李世民ばかり持ち上げられているけどね。
初代の高祖・李淵の出兵さえも、次男李世民が尻を叩いたことになっているし。
後に正史となる、皇帝としての自分の「実録」を、
李世民は検閲して書き直しを命じたりすることもしょちゅうだったからな。
旧唐書も新唐書も太宗・李世民の項は、編集長・李世民だから気を付けないとな。
つまり唐太宗はスレタイに相応しい人物とおっしゃりたい訳で?
とマルチコピペにマジレスw
692 :
690:2013/07/08(月) 00:22:15.37 P
>>691 コピペでもないし、ここ以外にはどこにも書いていないよ。
まあ、名君ではあったんだろうけど、こういう手合いもいるから、
中国正史で名君とされているからって鵜呑みにはできないよ、と言いたいだけだよ。
あと、
>>689に対するレスの意味もあった。
李世民は過大評価されている一面はあるだろうけど唐王朝で一番の名君であったことは間違いないな
子供に朱元璋とかつけたら
ホームレスになっちゃうだろ!
696 :
世界@名無史さん:2013/07/09(火) 09:19:06.49 0
>>694 昔の中国では、皇帝の名前は臣下の者が使えないようにしていたのだろう?
一般の庶民でも名前を変えさせていたのだろう?
だから普通の名前をつけないようにしたこともあったのだろう?
あやかりネームはもってのほか
日本の将軍みたいに、自分の字を使わせてやるから、金を払えと言った日には
キチガイ認定されるわな
そういやぁ、ここに上げた暴君・暗君認定でも官位や役職を売り飛ばしても
名前を売り飛ばした奴はいないなww
>>694 ベトナムじゃあ、皇帝の苗字を庶民に対する恩寵として、名乗る自由を与えちゃったけどね。
おかげで今じゃ「グエン」さんばっかり。
忌み名の文化はいつらへんにどの諸子百家から生まれて広まったのだろう
それからずっと連続してんのかな
699 :
世界@名無史さん:2013/07/09(火) 21:58:46.10 0
>>698 これは想像だが、日本でも万葉集の時代に、半ば暴君、半ば英雄
英雄認定されている雄略天皇が「あなたの名前を教えてよ、
僕の名前も教えるから」みたいナンパの歌を残しているだろう?
古代は自分の名前を他人に教えるのはタブーだったのではないかな?
おそらく中国でも、相当古代からそういうタブーはあって、これは半ば常識化されて、
庶民の名前を変えさせるのは当然みたいな感覚があって、
庶民としては明らかに迷惑だと感じていても、暴君の行状として
名前を変えさせたのは非難されていないだろう?
あげくこれが拡大解釈されて、文字の獄とか因縁的な言論弾圧でも
暴君認定されずに、名君の行状として記録されているのだから
だから後代になると名前を変えさせるのは迷惑だろうってことで、
皇族は滅多に使われない文字の名前が付けられるようになったようだ。
我々後世の人間には迷惑だけど、文句言ってもしょうがないし。
たださすがに初代皇帝は普通の名前だから、いろいろある。
>>695 ホームレス時代は朱重八(確か8番目の子供だったから?)
その後、郭子興に働きが認められて元璋の名前を授かったんだから
乞食の朱重八から皇帝になる朱元璋に生まれ変わったんだから元璋は悪い名前じゃないだろ
702 :
世界@名無史さん:2013/07/11(木) 10:51:11.74 0
朱元璋は世界史上でも稀有な成り上がり例。
貧民や下級兵士から成り上がった例は結構あるけど
餓死寸前の乞食坊主ってのは中々いないだろう。
逆に初代皇帝で一番苦労してないのは司馬炎だな。次が曹丕か。
この2人は即位前には実弟との後継者争い程度しか苦労がないし。
司馬炎の方はそれも大した苦労じゃない。
始皇帝は王位につけたこと自体僥倖に近いし。
道武帝も王家直系とは言へ、亡国を若年で再建し更に強大化させたくちだし。
あとは北周・北斉も初代皇帝はさほど苦労してないな。
やっぱり祖父ちゃん、父ちゃんが実質的に建国してくれていて、
苦労知らずのぼんぼんが初代皇帝になると、
あまり長続きしないってことか。
司馬炎はともかく、曹丕はちゃんと責務果たしただろ
曹丕は幼少期まだ親父の勢力が定まっていなかったからそこそこ苦労を知っていたと思うよ
苦労知らずのボンボンだから早く滅んだ…って
馬鹿っていうのはほんとイメージだけで語って何も具体的に考えられないな……
ドッと疲れるわ
707 :
世界@名無史さん:2013/07/11(木) 16:22:10.16 0
日銀「景気回復」
ど こ が?
>>707 どこがっつうか
ここどこかわかってる?
>>703 曹丕は30歳くらいまでは曹操の軍事行動にほぼ帯同してるんだが
少年期に苦労知らずのボンボンという点では
唐の李淵や李世民の方が曹丕よりも遥かに恵まれた少年期を過ごしているな
李淵は煬帝の従兄弟で妻は宇文泰の孫娘という正真正銘のボンボン。
李世民は若い頃から戦場で活躍してるから苦労知らずってわけじゃないだろうが。
712 :
世界@名無史さん:2013/07/14(日) 00:01:45.04 0
初代皇帝で一番の暗君は王莽だな。
司馬炎と息子に殺された朱全忠と宇文護の傀儡の宇文覚も捨てがたいが。
曹丕、司馬炎、宇文覚、高澄は初代と言われると何か違和感を覚える。
周の武王も
高澄じゃなくて高洋じゃなかった?>北斉の文宣帝
こいつは文革時の中国人のように「文宣帝」と諡号で呼ばずに
高洋と呼び捨てにしたい。殺人狂・強姦魔じゃねえか。
気にくわないヤツは殺して
好みの女を犯せるなら
オイラも暗君になりたかったよ
皇帝の権力が弱いと
自分の娘を後宮に送りこんで権力を得ようとする
外戚が好みじゃない女をゴリ押ししてきたするんじゃないか
それでも自分の好みの女と恋愛を楽しんでいたら
嫉妬した(というか政敵排除だと思うが)好みじゃない有力者の娘に毒殺されて、
ふざけんなてめえ殺すぞ!って言ったら宦官に諫められる
>>717 前漢の宣帝じゃねえかw暗君じゃねえけど。
新って黒歴史なの?
王莽の理想とした政策がいけなかったのか、人の使い方がいけなかったのか
暗君の総合商社・明の暗君・正徳帝は、「超」が三つほどつくレベルの平均的皇帝だったけど、
宦官が謀叛を起こした際に
「謀叛したければ勝手にしろ」だか「帝位が欲しければ持っていけ」だか投げやりに言ったというエピソードがあったな。
暗君を暗君たらしめる正徳帝の行動の数々は、それまでの王朝よりずっと仕事が多い体制にあるのかもな。
皇帝なんて地位は割に合わないにも程がある、と。
>>719 一応レス番150台でちょっとだけあるけど、
「新」という政権がまともに機能した期間って何か月くらいあるんだ?
ずっと時代は下って、明・清の間の李自成の「順」レベルじゃない?
王莽に人徳がなかったんですかね
王莽の新は、前漢王朝の官僚組織を
あくまで漢朝に忠節を尽くして朝廷を去った人々を除けば
そっくりそのまま引き継いでいる。
新王朝最後の日、王莽にはなお千人の官僚たちが付き従って
運命を共にしている。漢書王莽伝の描写が迫真的で、
最期の瞬間の迫る王莽たちの姿をまるで見てきたかのようなんだよな。
「階段を斜めに下った」というくだりには
絶望してよろめきながら宮殿から下りていく王莽の姿を彷彿とさせるし
「天、徳を予に生せり。漢兵それ予を如何せん!」の叫びも強烈な印象。
宮城の池の中にある楼閣に立てこもって一瞬でも最期の訪れを
遅らせようとあがく。そして最後は漢軍の将兵に惨殺された。
漢書では当然反逆者扱いの王莽だが
読んでいくうちに王莽たちに本気で同情した。
宮廷内の陰謀には長けていたけど政治の実務では無能な人だったからね
皇帝になったことに満足して実務は有能な宰相に任せとけば良かったのにね
悪く言えば、国を、実情を垣間見ずに、自己満足の理想主義な政策で、
忠誠を誓った有能な家臣もろとも破滅に向かわせた暗君と言えますかね。
725 :
世界@名無史さん:2013/07/15(月) 23:07:57.54 0
>>716 それなら文宣帝よりさらに後主や北周宣帝の方がオススメ
唯一の難点は、文宣帝30歳没、後主宣帝共に22歳没・・・
もう少し、せめて勃たなくなる頃までは楽しみたくないか?
今現在の行政力や社会状況から生まれる政治の限界を測れず安易な理想論に逃避するのはただの無能
全く同情できない
むしろ「俺が悪いんじゃない、周りが悪いんだ」という思考回路で自己憐憫に耽る最低の屑に思える
>>726 あの〜・・・たぶん書き込むスレを間違えていますよ
>>727 お前の何らかの政治的信念の気に障ったのかもしれないが
意味不明な言い掛かりは止めろ
ただ王莽の評価について述べていただけだ
729 :
世界@名無史さん:2013/07/16(火) 00:29:19.95 0
孫皓も即位前の評判は良かったが、呉の滅亡を避けられないのがわかって
自暴自棄になって暴君化したのと似たようなもんか。
もしかしたら万暦帝が無気力になったのも明の限界に気付いてしまったからかも。
万暦帝が無気力になったのは
張居正が万民の怒りを買うのを覚悟で大改革をして
落ち目だった明を立て直した直後だろ
張居正が生きている間は師匠が怖くてやる気があるふりをして
死んだら引きこもりニートの本性が出ただけだよ
いやいや、万暦即位以前というのは、上の正徳以降酒色に耽り政治を顧みなかった皇帝達が実に67年も続いてたんだぞ
朝廷と皇帝との溝は既に修復不可能だったのではないか
張居正一人が気を吐 いても後が続かないほどには
嘉靖帝の晩年から万暦10年に張居正が死ぬまでの期間は、
政治を顧みない皇帝の代わりに、
徐階、高拱、張居正といった有能な宰相たちがしっかりした政治をした時代だね。
北のタタールとの慢性的な緊張を緩和したり、
南の倭寇鎮圧で成果を出して北虜南倭を解決したり、
隠し田を摘発して収支を増やしたりで明が盛り返した時代だよ。
その後に秀吉の朝鮮出兵による予定外の大出費と、
タタールに変わってヌルハチの満洲族台頭とかもあったけど、
基本的には万暦時代の無責任政治がその後の大転落の原因だよ。
>>728 あ、王莽のことだったのか。
「今現在」って言うから、現在の何かについての話かと思ったよ。
まあ確かに社民党あたりのことと散れなくもない。
空想的理想主義ね。
つまりお花畑系カルト。
なにいってんだこいつ
736 :
世界@名無史さん:2013/07/17(水) 11:05:02.80 0
>>722 岡田英弘の話だと、班固は王莽が好きで、
王莽のことを書きたいがために漢書を書いたようなものだからと説明していたな
一番ではないが道光帝も暗君
時代錯誤の林則徐を欽差大臣に任命してのが最大の汚点
情報に疎い林則徐が国力差を考慮せずにアヘン戦争へと突き進み
完敗したお陰で清朝は没落していく事になるのである
アヘンおいしいですよね
林則徐は中華思想にとらわれず当時の清人としては珍しく欧米人が書いた国際法にも目を通したりと情報収集には熱心だった
阿片戦争の敗因は道光帝はじめ他の清国幹部が林則徐についていけず無能だったせい
負けるのはしょうがない。
でも狙ったかのように考え得る最悪の負け方をしたのが道光帝
そもそも王の名を帯びたイギリス特使を冊封志願者としか見ずに、
ほとんど手ぶらで帰させ、
「清朝側は通商条約を結ぶつもりがないから得るものは何でもいい」
とまでイギリスを怒らせ、更に康熙帝の在位を上回ってはならない
という意味不明な理由であまりにも無責任なことに勝手に退位した乾隆帝まで遡らないか?
乾隆帝「三跪九叩頭の礼を免除して会ってやっただけでも有難いと思えやトミーども」
たしか『夜郎自大』って言葉は二千年ほど前の漢の時代の言葉だよな?
なんという壮大なブーメランなんだろう?w
阿片戦争での清の情けなさを見ると幕末の日本はホントよくやったと思うよ
林は敵の敵は味方とかの外交戦術を練らずに
時代遅れの軍備と自国の人口を過大評価して
いたずらに戦争へと突入してしまった
ま、正確にはオランダなどから多少は
最新鋭の火器を買っていたりはしていたようだが
イギリスの国力は林の想像を遥かに超えていた
頑なに攘夷を守り馬関戦争で負けた長州藩の藩士と同じくらい
自分の国しか見えてなかった>林
>>745 吉田松陰や佐久間象山、横井小楠に多大な影響を与えた海国図志の著者魏源
と交流するなど外国情報を積極的に摂取していた林則徐の交渉が
国際的にも正当だからイギリス本国の議会で戦争への賛成が僅差だったように
林則徐は時代錯誤の科挙官僚ではないよ。
北京への攻撃で敗北に終わったように広州攻撃に完全に備えていた
林則徐を馬関戦争の長州などとは比較しようもないよ。
林則徐の功績は阿片戦争後にイギリスでなくロシアこそが中国の最大の敵とみなす
塞防派の開祖になったことだ。そうでなければ左宗棠も出てこず、東トルキスタンを
ロシアに奪われていただろう。
この当時でも北宋滅亡の元凶になった敵の敵は味方戦略でロシアに融和的な官僚は
多かったが四書五経しか読まない科挙官僚はやはりグローバルな視点が
かけていると言わざるを得ない。
ロシアが拡張して中国が弱まってくれていた方が、
現代社会にとってはありがたいけどね。
ただし、現代社会から中国共産党は除く。
中国共産党を除いた現代社会とか意味なくね?
中国とロシアがもっと睨みあってくれるのが日本にとっては一番ありがたいんだけどな
中国市場の衰退はマジで困る
>>749 そうなる確率はほぼ無いだろ・・・
中国とロシアは共に西側の価値感を拒絶している事や政治の支配体制が似ている点や
経済的にはロシアはヨーロッパ以外での市場を確保しておきたい供給側の立場と
国内需要を安定させる為になるべく多く資源を確保しておきたい中国の思惑の一致
中長期的な戦略的もロシアは中央ユーラシアでの影響力拡大に力を注いでて中国はインド洋までの海洋確保が目的だし利益相反にもなってない
反目しあっても大して利益は生まないけど、お互いに協力体制をとることで自分達の立場を確保できるんだから普通はそうするよね
まあ一言で言えば上海協力機構なんだけども
二つの大国が数千`の国境線で接しているだけで
いくらでも利益相反あるでしょ
旧ロシア帝国に奪われた失地もあるし
その敵の敵は理論からすると、
ロシアと中国を互いに危機感抱くように持って行くのが戦略じゃないかな
国家同士が戦略上の敵と見てるかってのはわりかしどうでもよくて、
国民同士があいつらウゼーと思ってくれればいい
中国はロシアと張りあうより南に目を向けているから、
ロシアと結んで中国をけん制するのがよさそうに思える
中国人は古代からめちゃくちゃリアリストな癖に、何故か孔子みたいなロマンチストを尊敬して、
儒教みたいな建前のかたまりを大事にするんだよな、そして中には王莽みたいに本気にするやつも出てくる。
毛沢東とかも、ロマンチストなんだけど、ロマンチストって思い通りにならないと切れるんだよな、いきなり。
思えば中国のような広大な土地に莫大な人民、歴史がどう判断するかはともかく、共産党は検討していると思う。
おそらくこれ以上の改革開放政策を取ったら最後、ロシアのように、チベット、ウイグル、モンゴル自治区、満州、香港、上海と
十年と持たずに次々に離脱独立すると思う。
中国人(漢民族)は儒教よりも道教の方が性に合ってるだろ。
>>751 中露は表面的には仲良く見えるかもしれんが、毛沢東の時代から今に至るまで相当に仲悪いぞ
上海協力機構なんてG8並に同床異夢だし
沿海州の帰属は火種になりかねんし
自分の国しか見えてなかった>林(則徐)
阿片戦争って朝廷がオタオタして、停戦派と抗戦派に分裂して朝令暮改、
林則徐がどうこうという以前の話じゃなかったっけ?
>>756 米中の方がもっと悪いぞ。連日NHKをはじめどこも対立を煽っているじゃないか。
日本人的な感覚では議論すると対立すると思うようだが、チャンネルを持つことが
安定に最も近いのは常識だろ。
乾隆帝がアレに見えるのは康熙帝がロシアとそれまでの華夷秩序を無視した
対等外交であるネルチンスク条約を結んだのに対してマカートニーやアマースト
に拝礼を強要したグローバルな感性の欠如が見られることだろう。それがスタンダード
だったとしてもだ。
>>758 米中の方が仲悪いのは言うまでもないw
今や米露より米中の方が仲悪いだろう。米露なんてアラスカ除けば隣国でもないし
米中露(ソ)はずっと3すくみやっているじゃないか。遠交近攻みたいな感じで
>>756 今の中露の関係が悪いって・・・西側とは核戦争でもしてんのか
毛沢東時代の中国とソ連の外交関係はアムール川流域の帰属問題を解決した事で中ソの時代は終わって中露の時代になってるし・・・
それと沿海州の問題は南樺太の帰属問題に似た感じで別に問題でもなんでも無いんだけどなぁ・・・
2008年だったかな?正式に国境が画定されてて、かつ沿海州なんて核心的利益にはならないから優先順位としてはかなり低いし
そんな問題よりもを海洋権益確立する事の方が優先すべき課題なんだよね
皇帝といえどもそうは傑出した人物も出る訳も無く、大概は普通の人だと思う。
それでもそれなりに帝王学とかね、少なくても大半はオレよりはましだと思う。
案外安部ちゃんや麻生さん、ん・・・蓮舫ぐらいはw
その中で、特に何も無ければ良いのだけど、天変地異や飢饉、叛乱、侵略とかね、運が悪かった皇帝が暗君呼ばわりされるんじゃないかな。
その悲惨な状況下でそこそこ国家の運営をしていた劉禅は評価できると思う。
暴君は逆に非凡な皇帝、理想像は殷の紂王。
イケメンで頭脳明晰、虎と互角の身体能力、時代や立場が違っていれば、新たな王朝の創業者になっている王。
なんか見ていて楽しそうなんだよね、殷の紂王、ちょっとやってみたい。
実は帝辛は史記に描かれるような典型的暴君などではなく、
盤庚の時代から徐々に華美になっていった祭祀の費用が
ついに財政を致命的なほどの圧迫となって、
当時通貨のようなものだった貝殻を求め東に何度も出兵中の
留守を狙った周が天下を取っただけと、甲骨片から判明したんだよね。
あ、帝辛=紂王ね
>>762 そんな事きいてねぇっちゅうの。
殷の紂王って言や桀紂で代表される暴君界のスーパースター。
殷の紂王は有能だよ。戦争にも自分で何度も出陣しているんだから。
酒池肉林なんて後世の誹謗に過ぎんよ。こんな仕事熱心な亡国の
君主も珍しい。
それを信じきって周公旦の政治を理想としていた孔子の立場は・・・
767 :
世界@名無史さん:2013/07/20(土) 19:26:59.15 0
後漢じゃあやっぱり暗帝だろう。
ああ、安帝だった。
本人そのものじゃなくて、伝わってる内容の幻想の人間を信じてるんだから
別に問題ないだろ
キリスト教徒が崇拝してるのは実際のキリストじゃなくて、伝説上のキリスト
日本人が好きな織田信長だって実際の人間像じゃなくて、
サブカルから摂取した信長成分から幻想の信長を作って、
それを好き嫌い言ってるだけだからな
それでもなぁ、儒教的に簒奪者はまずいよね
紂王がやっていたことは殷王朝を維持するための出兵と考えれば
周辺諸国からすると暴君なのは変わらないんじゃないか
それまで専ら西部地区の人間を充てていた生贄に地元民が見られたり
祭器に銅器を模した土器を使い出したり、システムに行き詰まりが
生じてそれは紂王の勤勉だけでは克服できなかったのかもしれない
>>764 > 桀紂で代表される暴君界のスーパースター
そうなんだよね。あたかも桀王の暴君っぷりの詳細が、紂王の暴君っぷりって感じなんだよね。
言い換えれば、全く同じ内容だけど、古いぶん原資料が少なかっただけとも言えちゃうんだよね。
妹喜に妲己と、間接的な犯人の名前すら似ているし・・・
ほんと、甲骨片の発見はツタンカーメンも裸足(でもマスクはつける)で逃げ出すほどの大発見だよ。
>>766 殷の滅亡と言っても、極端な話、紂王が死んだだけといえなくもないほど。
当然殷の後継者も軍隊さえも生き残っているわけだから、
そいつを担いで権力を奪おうとする連中もいたわけだ。
しかも武王姫発は殷を滅亡させて2年ほどで死んでしまった。次世代の成王姫誦はまだ幼い。
殷から政権を奪ったのは空き巣狙いでサクッっといっちゃった分、この空白期間に皺寄せが来た。
それを乗り越え、制度を建て直したんだから、周公姫旦は立派な人だったと思うよ。
ただ、俺は成王が成長するまで姫旦が王位についたという、周公即位派だけど。
摂政の権限だけじゃ、あれほどの大鉈は振るえないと思うから。
今のところ。殷墟なんて三千年後に発見されて、数千年間信じられてきた歴史が覆ったんだから
本当に歴史って油断ならないね。
>>769 「孟子」が奨励していなかったっけ?
どう考えても五胡十六国と南北朝
こんな時代考は世界史上ない
初代傾国の美女こと妲己とはなんだったのか
775 :
世界@名無史さん:2013/07/21(日) 03:35:53.90 0
斛律光や高長恭しか知らないけど面白い
>>746 なにげに下関は要塞砲を100門用意しているんだけど、
中にはどっから手に入れたのかしらんけど、アームストロング砲まで数門あったそうだし。
それ以外の砲もそこそこのレベルのものを用意していた。
17隻で海兵隊まで連れてきてて、奇しくもアヘン戦争と同じ数。
ちなみに英国も旗艦が砲撃されて艦長以下士官が殺傷されて、死傷者は連合軍のほうが多いくらい。
なにげに馬鹿にしたもんじゃないよ。
どうでもいいが「なにげに」が鼻に付いた。
779 :
世界@名無史さん:2013/07/21(日) 11:55:38.27 0
紂王や東周の幽王は暗君として扱われてるけど、東周の最後の王は話題にすらされないな。
南宋の理宗、度宗も万暦帝みたいに叩かれたりしてないし。
幽王は西周だった。
話題にするほどの影響力も権威も残ってなかったからでしょ
ただ周は気がついたら落ちぶれていたおかげで
捏造や誇張を交えた意図的な叩きに遭わずにすんだけどな
う〜ん、春秋時代はなし崩しって言うのも有ったけど、特に特定の国が強かった訳では無いし、
なんていうか皆で渡れば怖くない的な雰囲気が。
東周はよく史記を読んだら、その東周がさらに東西に分裂してるんだよなあ・・・。
ほんと末期症状だったと思う。一応最後の王は赧王ってなってるけど
その王が秦に降伏した後に片割れの王国が最後に秦に滅ぼされて滅亡。
史記ではただ「周君」としか呼ばれていない。祭祀の存続は認められてるから
最後の天子も助命はされたみたいだね。
784 :
世界@名無史さん:2013/07/21(日) 22:49:33.05 0
頃す必要を全く感じさせないぐらい無力だった、ということだろ
国はどこまで衰微できるかの重要なサンプルの一つだな<東周
五覇の頃はまだ権威を付与し敬れる存在として周室は機能していた
三晋や田斉を承認するにあたってもそれなりに利用されただろうけど
それ以降の戦国は全く必要とされ無かった
日本と違って下剋上は激しく無かったからなあ
新興勢力に権威を与える必要性は乏しく、安定した諸国間競争の中で
無駄に口を挟むと身を滅ぼす
>>786 > 下剋上は激しく無かった
そういえばそういう視点で見たことなかったな。
田斉と三晋は簒奪(的なこと)をして東周の承認で成立したのに、
少なくとも七雄では下剋上はなかった。(燕だけはよくわからないけど)
臣下で王になろうと考えた人はいなかったのか?
>>787 政権の担い手が有力貴族から実力主義の抜擢に移行したためかと。
春秋時代、有力貴族は王家と同じように国内の尊崇を受けていたから、
時によっては王家に成り代わることも可能だったが、
戦国時代の宰相はしばしば他国からの流れ者だからね。
王家に代わって世襲の権威をまとうのは最初から無理な話。
>>788 そんな状況で始皇帝死後の大反乱で
各地に旧六国の王族が王に擁立されたのに
最後の勝者として皇帝になったのが王族でも貴族でもない
劉邦だったというのが面白いな
最後の乱世で一番正統性あったのが
楚の将軍の末裔の項羽だからなあ
それでも傀儡の王建てて、それをぶち殺してるけど
>>789 秦が列国と各王家の権威を根こそぎ葬ったからね
秦の急速な膨張がなければ国家体制が安定していた
戦国七雄は長く存続したろうな
792 :
世界@名無史さん:2013/07/25(木) 19:28:24.54 0
中華の暗君でヘリオガバルスみたいな人はいたの?
逆に言うと国を滅ぼした暗君の子孫の羊飼いでも、その血筋で王に祭り上げられると
項羽たちは自分たちの君主に生前から「懐王」って名乗らせたんだな。
懐王・義帝を殺したのは最悪だったな。大逆無道の汚名必須なのに
なんでそんなことしたんだろ。
司馬炎の場合は側近やブレインがまたろくでなしばっかり。
保身と阿諛追従と人の足を引っ張る以外になんの取り柄もないやつばかり。
そんなのばかり側近に選ぶバカっぷりがまたすごい。
側近以外はけっこう人材もいるんだけど。
本人のでき云々より、そう言う見る目のなさの方が暗君の条件のような気もする。
>>792 ローマ皇帝については詳しく知らないんだけど、
Wikipediaで見た感じだと、前漢の哀帝がそれにあたるかと・・・
西晋については、先の三国時代の士官から逃れるために流行った「清談」がまずかったな。
その本義を超えて無意味に流行ったものだから、どいつもこいつもやる気の欠片もない。
中には詩を書くための資料となる書物を閲覧できるから士官に応じたなんてのもいたし。
なお、なぜ三国時代に士官を嫌がるかというと、元の曹操が人材マニアで、実際に三国とも人材難にあえいでいたから、
しらみつぶしに人材を探しまくったんだけど、戦乱での危険よりも、讒言で殺される可能性が極めて高かったんだよな。
798 :
世界@名無史さん:2013/07/25(木) 23:50:24.33 0
>>796 あそこまでの変態はさすがに中国史上でもいないのではないか?
あえていえば
(前漢哀帝+北斉後主+北周宣帝+明武宗−暴君的要素)÷1
竹林の七賢とか現実から逃避して悪口言うのがもてはやされたのもな
老荘思想もそうだけど、優秀で頭いいヤツは権力から離れて
世の中に不満を言ったりバカにしたりするのが利口みたいなのは
誰の得にもならんわ
明の正徳帝って物凄い暗君で、宦官に政務を任せて遊び呆けて、国力をかなり衰退させたけど、
その件の宦官がクーデターを起こした時、酒に酔った正徳帝は
「謀叛を起こしたければ勝手にしろ」
だったか
「皇位が欲しいのならくれてやる」
だったか言っているんだよね。元々皇帝になんてなりたくなかったんだろうな。
明清の皇帝は忙しいにも程がある状態だったから。
>>794 懐王っていうのは以前の楚の王で秦に欺かれて秦に負け幽閉されたまま死んだ哀れな王で
言わば楚が秦から受けた屈辱の象徴のような存在で、楚人の愛国心(?)というか愛郷心を掻き立てる為にそうしたんじゃないかな
楚の復興という大義名分とまだ微妙な勢力均衡状況での楚王擁立によって、かつての楚人達を項軍に引き入れる為の手段だっただけだと思うんよ
義帝を殺したのはただ単に大義名分と人集めの為に存在してたわけだからもう用済みになったし殺そうと思ったとか
秦軍を叩きのめしたのは自分の活躍があってこそなのに王の血筋を引くというだけであくまで、臣下という立場に過ぎないというのに腹が立っちゃったとか
功績の立てすぎで逆に自分が粛清されそうになったので先手を打って殺したとか色々考えられるね
俺は項羽じゃないから本当の所は知らないが・・・
802 :
世界@名無史さん:2013/07/26(金) 11:01:08.68 0
あとさぁ
信長みたいに自分を「神としてあがめろ」といって、
賽銭箱を置いたた奴はいないの?
しいて言うなら、洪秀全がそれに近いとは思うが、
その洪秀全も賽銭箱を置いたかどうかはしらん
毛沢東は、権力闘争の一環かもしれないけど、
一応は「自分を過度に賛美する奴は、反逆者だ」
「自分だってただの人間だ」みたいなことを本音か建前かどうかは
知らんが言っているしww
よく考えてみたら、信長って日本史上唯一の暴君じゃない?
これが夏休みというやつか
>>802 ここは皇帝スレだからな。
いちいちオレは神様だ、なんて言わなくても
皇帝=天子だから建前上、全人民が崇拝してくれるし、死んだら廟号がついて本物の神様になる。
わざわざ賽銭箱なんて作らなくても全世界の富が税金や朝貢で手にはいる。
それに信長の神格化の話はフロイスしか記述してない、史実としてはかなりアヤしい話じゃなかったか?
>>800で出た明の正徳帝みたいに「鎮国公総督軍務威武大将軍総兵官」なんてわざわざ臣下の称号名乗ったバカならいるけど。
>>803 マジレスすると
信長みたいな大名クラスで暴君なんて佃煮にするほどうじゃうじゃいるだろ。
天皇でも武烈とか陽成とか後醍醐とかいくらでもいる
島国の暴君はたいした事無い説を唱える
中国とロシアが異常なだけな気がする
ローマ帝国の初期は暴君のオンパレードだろ。
骨肉の争いも凄まじいし。
>>806 イギリスもたいがいだと思う。
ウィリアム征服王もリチャード獅子心王も俺達のジョン欠地王もヘンリー8世もブラッディマリーもチャールズはTもUもジェームスもTもUも
とにかくDQNのオンパレード
>>808 リシャールは暴君かというと、そんなことはないかと思われる
奴の本拠地アキテーヌでイングランドあんまり興味ない割に、比較的内政にも手をいれてるし、暴政はしてない
国の財政が傾くほど戦争にのめり込むのは十分暴政だと思うけどな
暴君なんて大概どこの国でもいるんじゃないの。
単に比較的日本で知られている時代、国が目立つだけで。
記録があまり残って無くて、歴史自体がほとんどわからない
地域・時代も多いわけで。
知識人が多いと王の悪口がたくさん残されてるだけかも?
813 :
世界@名無史さん:2013/07/26(金) 21:41:18.33 0
>>811 あの時代のヨーロッパだと、立派な公共事業かもしれん
ヨーロッパは土地の生産性が低いから
それどころか中華世界でさえ、時代によっては立派な公共事業
になっていたと思う。
歴史的に見て、中華は余った連中を借り集めては戦争をやって
すりつぶしてきたのだから
モンゴルのフビライといい、毛沢東も国民党の連中を朝鮮に
送りつけて潰しただろう
アヘン廃棄を強硬に勧めてアヘン戦争を引き起こした林則徐は
戦略眼もなかった
広東にカノン砲を200門準備して英国を迎え撃とうとしていたという話だが
英国軍が攻めてくるのは英国人居住者が多い広東だろうという甘い予測だけで軍備をしている
英国の蒸気船は推進力が桁はずれで
首都北京まであっという間に迫れることを考慮にいれてなかった点で
林則徐の戦略には最初から無理があった
とにかく犠牲者の数が40倍もあるという一方的な戦果に終わったアヘン戦争
最初から外交の限りを尽くして
アメリカやフランスから圧力を掛けさせるなどして戦争を避け
その間に軍備を近代化・拡張すべきだった
林則徐は剛直過ぎた
柔剛使い分けるとか清濁併せ呑むとか出来なかった時点で限界
もっとも責任は林則徐以上に
林を抜擢した道光帝にあるのだが
>>811 あの当時、一般的に特別課税が許されるのは、王の身代金、嫡男の騎士叙任、十字軍参戦
の3つで、リシャールのは十字軍参戦ってことで一般的に認められる課税なのね
まあ、それをやり過ぎた部分はあるけれども、苛斂誅求に過ぎたか、っていうとそんなことは
ないかな
あと、当時は王家の財政はあっても「国の財政」ってのはないよ
あるのはあくまで家の財産
>>792 淫行が有名だけど、ヘリオガバルスの暗君としての本質は、
「血統で帝位に担ぎ出されたが、当の本人は治めるべき臣民とは全く別の文化で育った『ガイジン』で、即位後もそれを改めずに周囲に押し付け顰蹙を買い 、遂には担ぎ出した奴にも見捨てられ悲惨な末路を辿る」という所だろう
類似例はロシアのピ ョートル3世等か
で、中国で例を探すと、わざわざ外国か ら皇帝引っ張って来ることは流石にないが、敢えていうなら北宋の徽宗かな
文人やってたら急に帝位が転がり込んで、全国から庭石集めさせたり臣下の権力闘争放置してたりして靖康の変の遠因となった
817 :
世界@名無史さん:2013/07/26(金) 23:09:09.73 0
>>814 考慮に入れてはいたよ。まともにぶつかるとまずいことは知っていた。
だから完全鎖国には反対し、剛柔互用で誓約書を出して恭順する相手は
優遇して離間を試み、交渉の余地は残す方針だった。それに反して全て
のチャンネルを永久に閉じよと命じたのは北京宮廷。
英艦隊が長江デルタ都市群や大運河、北京沖に迫る可能性、それにより
弛禁派の君側の権臣が皇帝の動揺に乗じることも予測済み。だから予め
その可能性を指摘し、その場合は懐柔策を採るよう奏上し警告した。にも
関わらず北京宮廷は完全に屈服。悪い予測ドンピシャ。
林則徐は皇帝ではないし、後の直隷総督を兼ねる北洋軍閥総帥のような
ものでもない。できることには限度がある。
北京宮廷の対応はその後も含めて何もかも最悪。
>>813 いかに国内の無職の食いぶち満たすためとはいえ、
それで国を傾けるのは誤りだろ
そういう意味で公共事業って言ってるのかもしれないが
アフリカの独裁国家なんかも自分の近辺の、
軍の喰いぶち満たすために税金つぎ込んで混乱してるよな
いかに土地の生産性が低かろうと
能動的に戦争起こす方がより国土は荒廃する
10歩譲って適度に戦争起こすのが経済的に安定するとしても
リチャードの場合は適度のラインを大幅にオーバーしてる
819 :
世界@名無史さん:2013/07/27(土) 02:47:16.11 0
暗君とは暗黒統制からの意味なのでは?
つまり、恐怖政治とか粛正統治を支配した君主で暴君とさほど変わりはない
愚かだとか無能やバカは、愚君や昏君
>>815 > 王の身代金
考えてもみれば、こんな単語がサラリと出てくるあたりに、
中世ヨーロッパの野蛮さや不安定さが滲み出ているよな
麻薬を蔓延させる国に対して断固たる処置を採った人間のどこが間違いなんだか・・・
某国が核兵器をちらつかせて覚せい剤の取り締まりをするなと脅したらビビッて屈しちまうのかこのPは?
パチンコ取り締まって無いじゃんバクチなのに
そういう問題じゃないな
>>821 だって、近世以降、王や皇帝が敵にさらわれるなんて明英宗を別とすれば、普通在り得ないでしょ。
>>825 攫われることもゼロじゃないけど、基本は戦時に王が捕虜となった時に支払われる
身代金だよ
王に限らず、騎士以上の身分なら捕虜にされて身代金払って身柄取り戻すのは普通
ヴェネツィアとかだと、単なる市民でも身代金払って解放させてるね
身代金とれる相手は殺さない、むしろ優遇するってのが中世欧州のスタンダード
>>826 > 身代金とれる相手は殺さない、むしろ優遇するってのが中世欧州のスタンダード
うん。だから、それがスタンダードなあたり、中世ヨーロッパ社会の恐ろしさを感じてならない。
で、話を中国に戻すけど、清って皇帝自身には暗愚と呼べるほどひどいのはいないけど、
西太后が表舞台に出てきたあたりから、廷臣の堕落・無能化が余りにも酷すぎたな。
前線にいる将官を無責任に叩きまくったり、自分の身の安全しか頭になかったり、と。
>>827 西欧の勃興期と王朝の末期が重なってさらに悲劇的になった気もするけれど、これが
王朝の盛期に当たっていたらどうだったかは割と興味ある
>>827 明のあたりから本当にヒドイのしかいないじゃないかw
いや明らかになってないだけで昔からまあそりゃダメダメだったんだろうけど
明の愚帝と清の皇帝を同列に論じるとは驚愕
???
>>827は家臣に本当にしょうもないのしかいないって話してんだが
良い鉄は釘にしない。良い人間は(明なんかの)官僚にならない。
833 :
世界@名無史さん:2013/07/28(日) 00:11:56.64 0
清も文宗だけはガチで馬鹿だった印象があるが
明の神宗はなまじ賢かった分性質が悪い、もう故意に明を滅ぼすための政治をやっているとした思えないし、
何故かそう言うときに朝鮮征伐とかボハイの乱、天命の変化、革命って実際にあるのかもって思わされれる。
武力の裏づけのない強硬策は相手に容易につけこまられ亡国へと繋がる
林則徐が犯した間違いでもある
当時中国にアヘン密輸していたのはほとんどがイギリスなのだから
他の国にその被害を訴えてイギリスを孤立させるなりすれば良かった
鎖国を解いて自由貿易を認める、但しアヘンは例外、これだけでよい。
アヘンを焼却などせずにこれは中国では禁止されているのでそのままお持ち帰り下さいだけでよかった
下手にイギリスの面目を潰すようなことを次から次へとしたので
イギリスでも報復に戦争することになったというわけだ
グラッドストンが反対したから林則徐の行為がイギリスでも正等と認められていたわけではない
グラッドストンは野党だから反対しただけ、それだけ
836 :
世界@名無史さん:2013/07/29(月) 13:44:13.64 O
「お持ち帰り下さい」で持ち帰らなかったろ
沖に停泊して手を出しにくい公海上で取引するようになっただけじゃない
再三の禁輸告知をハナっから無視して半ば公然と売り続けていたから強行策に出たんだろ。
>>835 まあな・・・清ってニコライ2世の戴冠式に、
たまたま近くにいた外交官をついでに寄らせるなんて非常識にも程があることをやってのけるからな。
>鎖国を解いて自由貿易を認める、但しアヘンは例外、これだけでよい。
片務的最恵国待遇で他の国まで清アヘン市場に乗り出すだけじゃない?
>下手にイギリスの面目を潰すようなこと
当時は白人社会では有色人種は家畜以下だったし、
清は清で、他国からの使節は朝貢以外認めなかったしで、
お互いを下に見合う正常とはとてもじゃないが言えない状態だったからな。
でも、清のこの失敗(というにはさすがにひどすぎるが)という前例があったからこそ、
後の大日本帝国が上手く舵取りが出来たんだけど。
>>837 最初に無視したのはそちらという言い分がイギリスにはあるからな。
乾隆帝ェ
相手がひどいからってこっちもひどいことをやっていいとか言うと、
結局武力が強い方が得をするだけなんだよな
自分たちのことを棚に上げてほれみたことかこいつらは蛮族だとか言える
負けた側が後で<原因>の方の蛮行を非難したところで、
勝った側はあーそーふーん悪かったね(鼻ほじほじ)と言いながら
でも君らも<結果>の方の蛮行したよね悪いよね反省しろってことになる
>>839 ガンジーさんは偉かったというしかないな
だがインドが独立できたのは武力のおかげじゃないか
842 :
世界@名無史さん:2013/07/31(水) 23:48:11.55 0
武力抵抗しなかった結果国を滅ぼされた
衛の懿公は暗君に入れてよいな
したよ
したけど家臣も人民もほとんど逃げて
忠臣数人と一緒に戦って集中射撃浴びて戦死した
中国人って民族には拘り持てっいるけど、国家にはこだわり持たないよね
国がいったん傾くと平気で裏切る
>>844 基本的に国なんてもの信じてはいないわな。政権交代しても勤めている会社変えるような感覚かな
家族か同族とかそういうものが一番に来る
俺の知り合いにも中国人いるけど最初のうちは政府信じているようなこと言うが、
ちょっと気を許して慣れてくると共産党の公式見解とは全然真反対の事言うようになるw
シンガポール人とかもこんな感じだろうな
今の政府一番信じていないのが中国人や華僑って説あるよな
あと、韓国人も「北朝鮮が軍事行動」みたいな記事が出ると「まーた韓国軍のプロパガンダか」みたいな反応するw
これは自分の周りの韓国人だけかもしれないけど
>>845 中国人も韓国人も、一人なら大人しいけど、
二人以上になると声高に罵声を浴びせかけて来るから要注意。
なんでこんなわけのわからないところで中韓に共通しているのかはわからんが。
>>845 中国人や華僑の政治思想は米国のリバタリアンと政治思想がよく似ていると言われるね。
>>847 うん、民族にもないな。「漢民族」なんてないし
だから家族や同族。姓が同じだったら結婚しないくらい家族同族には拘りがある。こんなの中国系韓国系だけだろうな
>>845 現代社会で国家って言うか現政権に拘っている国民自体さほど多くないような気がする。
ある意味普段はグダグダなのに、何か起こるといきなり一致団結するアメリカって国もかなり不気味なんだけどね。
中国の場合、西洋の植民地政策に刺激されて国家の概念を持った日本やインドとかと違って、
かなり昔から国家が成立していた割にこだわりが無いと言うか、確かに政権交代程度の認識だなぁ。
ただし、今の共産政権が崩壊したらそれこそプーチン並の強くて狡猾な指導者が出ない限り、かなりヤバイ事になりそう。
今の政権も後何年持つんだろ。
>>847 政権の中枢には所謂、漢民族しか付けないって言うのは民族への拘りとは違うのかな。
中国の統一王朝だけを見ても秦、隋、唐、元、清の皇帝は漢民族じゃないんですけど。
あとアメリカが一致団結ねぇ…
唐初期の皇帝は鮮卑の面影を残していたけど
中唐以後の歴代皇帝は漢族以外の何ものでもないよ
結局元鮮卑とか元匈奴とか元羌族とかと漢族が混血しちゃって今純粋な漢族なんてほとんどいないんじゃないの?
今の中華人民共和国は少数民族がいくつかいて、「その他全部」が漢族みたいな
最初から純粋な漢族の定義自体が存在しないからな
だから、人種ってのは民族区分を定義する必要条件じゃないっての
そもそもよほど孤立した地域以外で、遺伝的・人種的な純粋さとか保てるわけがない
まったく、ナチスのこと笑えんな
ヒトゲノムとか解析した遺伝学者がTVで人種とか民族は何の意味も無いただの勘違いゆーてた。
肌の色で分けるなら、血液型で分けるって言うのもアリでしょって。
それでもね、例えば高地の自治区とかに行ってもパーミットを発行して賄賂要求する行政官は、
必ず現地の人では無く、中央から派遣された”漢民族”、ましてや中央の共産党幹部に少数民族は皆無。
隋唐皇室の鮮卑族は唐時代に完全に漢化して民族そのものが消滅してしまったな
唐末期にも宇文●とか苗字で鮮卑系と分かる人間はいるが
中身は漢族そのものだったんだろうな
アメリカに移住した日系人がアメリカナイズされて
風貌や苗字以外は完全にアメリカ人になってしまっているみたいに
>>857 アメリカ凄いよね、こっそり入国してそのまま首尾よく市民権手に入れた瞬間から、も完全に愛国者。
世界中から集まった連中が、完全にアメリカ人している。
あの感覚で在日朝鮮を論じられるとかなりシンドイんだけどさ。
DVDでイージーライダー見たんだけど、当時のバリバリ左翼映画なんだけど、根底はアメリカラブなんだよね。
反戦だけどアメリカ大好き、ヒッピーだけどアメリカいい国、それほどいい国だとは思わないけどね。
ちなみに主人公はアメコミヒーロー、キャプテンアメリカ。
>>857 それを言うなら清朝の満州族もそうだな。
今の中国の漢族と満族の違いなんて全く分からないし、
完全に中国化している。
まあ、中国では何族だろうと、誰も気にも留めないけど。
ただ少数民族優遇政策のせいで漢族が少数民族を詐称することが
社会問題になっている。
>>859 新疆ウイグル自治区に満洲族の一部族である錫伯(シボ)族というのがいて
今でも満州語を維持しているよ
明を建てた李元璋=洪武帝は素人目には暗君だと思うのですがどうでしょう?
宋→元王朝では海外貿易が盛んでジェノヴァやヴェネチアから宋磁が出土しているくらい広大な範囲で交流がありました
元では東洋と西洋という用語が中国にはじめて現れ、世界概念が生まれました
明が永楽帝以外は内陸国家として鎖国政策を取ったので海外の情報が入ってこなくなり
特に西洋の諸科学や天文などの重要な最新技術を知るのを遅らせたのではないかとおもっています
明の根幹を作ったのは洪武帝なので責任重大でないでしょうか?
洪武帝は朱元璋だ
李姓じゃない
863 :
世界@名無史さん:2013/08/03(土) 10:28:18.13 0
>>861 たしかに
洪武帝は後の歴史に及ぼした影響で言えば、かなりの暗君だな
中国人は、中華思想にとらわれているけど、
彼以前の中華思想は「鎖国をしてしまえ」との発想はほとんどなかったような
気がするのだが
五胡十六国の時代には異民族を皆殺しにしたことはあってもだ
孔子様でも朱子にしても、「俺たち中華民族だもんね」との傲慢さは
あって、商売を蔑視しても、国を閉ざせとはいっていない。
万里の長城でも、あれは国を閉ざすと言うよりも、国境管理を
厳重にやるとの発想だからな
その理論でいくと徳川家康も暗君ということになるな
鎖国自体は家光の時代から始まっているが
家康の時代にそれなりに国を閉じる準備は始まってるからな
>>863 14世紀から15世紀の世界の事情無視して鎖国したから暗君とかお前が昏杉ってことに気付けない?
まあ、明が建国から約280年後に滅びた時の中国って、
西欧と比較して技術的にも文化的にも遅れた国だったわけでないしな。
洪武帝は晩年のだめっぷりも含めて秀吉と被るんだよな。
秀吉も洪武帝並みの権力を持ったらかなりひどい事したんじゃないかと。
朱元璋は晩年に凄まじい粛清をしているけど
人口の大部分を占めた農民相手の政治に関しては善政を敷いていて
朝鮮出兵で人民を披露させた秀吉とは違うぜ
>>861 ちょっと時代感覚が狂ってるような気がしますわ〜
洪武帝が崩御したのは1398年、これは1492年にコロンブスがアメリカ大陸を再発見する100年前
ヨーロッパで言うとちょうどルネッサ〜ンスの時期だが、この頃から西洋の学術はそれなりに凄い物もあったとは思うが、断トツで一番という訳でもなかった。
現代に生きているからその後に西洋がどのような歴史を歩んでいくか知っているからこうしなかったのは間違いだと言えるだけで
つまり洪武帝の時代に海外の科学、学術、文化を積極的に取り入れるという発想をする事自体がかなり難しかったという事
その当時ではそれが最高とは言えなくても最悪な選択肢とは言えない。
確かに建国時の方針というのは重要だけれども、その後の皇帝の判断次第で変えられる部分もあったのだから、
もし海外の諸文化、諸学問を吸収できなかった責任があるとするならばその時代、時代の皇帝の責任でもあるでしょ。
実際、実態は明初期と明末期ではだいぶ実情は違うんだけどね。
例えば1621年にポルトガルの商人が書き残した会計簿にはこう書かれている
「銀は世界中を回りまわった挙句、みな中国に集まった。あたかも中国が銀の自然の故郷であるかのように」
この言葉が示しているのは新大陸で発見された銀が一度ヨーロッパへ向かった後に
中国の奢侈品の買い入れに使われて、中国に莫大な銀が集まっていた現象を指していた。
現代の学説では世界の銀の1/3から半分を中国が保有していただろうという研究もある。
結局何が言いたいかと言うと、中国もグローバルな貿易体制に含まれていたし、西洋ともそれなりにやりとりがあったと言うこと。
"鎖国政策"が原因ではないよ。
>>868 農民って言うか貧乏人や弱者にはめちゃくちゃ優しいんだよね最後まで。
洪武帝と一緒に成り上がって図に乗ってヤツと
文化人面で気取っていたヤツらがまとめて殺された感じだな
巻き添えで殺されたそいつらの家族や従者達は気の毒だったけど
明の間に西洋の軍事技術が優越したのも事実だろうけどね
しかもその先覆ることが無かった
>>872 そうか?
たぶん西欧の軍事力が中華帝国のそれを上回ったのは清朝も中期に入ってからだと思うぞ
明が滅びた頃の西洋なんて日本と戦っても微妙なレベルだろ
>>873 軍事力じゃなくて軍事技術だよ
恐らく中国が発明したであろう銃砲を、西洋は中世後期の間により洗練して実戦的なものに変えた
移行東洋はそれを取り入れることはあっても
西洋のような漸進的な進歩は無かった
>>875 技術というのが兵器に関する技術を指しているにしても、明末くらいだと微妙
重火器に関しちゃオスマンにも負けてるしねえ
別に負けてないと思うが
ウルバン砲のことを言ってるならあれ自体西洋人が作ったものだろう
そもそも巨大さとかを誉めているのではないしなあ…
銃砲を進歩させる必要がないほど
西洋に比べて平和な社会だったってことだな
>>877 兵器技術ってのは運用面も含めての話だろ
17世紀初頭くらいなら、重火器の大量生産、集中運用においてはオスマン朝のが上よ
その後一気に抜かされるけど
880 :
世界@名無史さん:2013/08/04(日) 23:38:36.13 0
>>861 とはいえ元王朝の民政って凄まじく酷いぞ。朱氏一族の流転の日々とか
悲惨そのもの。金が取れない地域の貧農に砂金の上納を義務付けるとか
理不尽すぎ。
それに海禁にしたって倭寇や銀循環停滞による世界不況という切迫した
事情があったわけだし、当初は三市舶司管理下での貿易継続を模索して
いる。でも峻別が不可能だったからには全面禁止も止むを得ない。
>>880 基本的に北方遊牧民って略奪が主な収入だったしな。
支配階級のモンゴル人にとって課税と略奪の境が曖昧だった。
地方官吏もどれくらい多くの財を上納するかしか求められておらず、
そんな環境で当然地方官吏も腐敗し、収奪した税のピンはねなんて当たり前だったからな。
これが「民政」と言えるのかさえ疑問だよ。
それどころか元末期lには、「李・王・張・趙・劉(五大姓)を皆殺しにしよう」
なんてムチャ言い出す王朝幹部まで出てくる始末。
確かに無茶だけど実行していてくれたら地球環境に優しい政策。
エコロジーの観点から言うと大偉人じゃないのか。
20世紀以降の中国を主導してる連中は毛とか習とか別姓が多いから、
周辺諸国への迷惑度はあまり変わらないかもしれないけど。
昔ならいざ知らず現代にも北斉の皇帝みたいな事を言う奴がいるとは…
884 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) 09:43:55.33 0
>>882 モンゴルが中国を変質させたとは思わんのか。新法改革に
失敗し、外交政策の失敗を重ねて南遷することになったとは
いえ、北宋は言論の自由の萌芽すらあった凄い国だった。
その他モンゴルの支配を受けた地域、そして後にその地域に
勃興した国に支配された地域、みんなどこか不寛容で硬直
的なものに変わってるとは思わんか。
暗君、せっかく程良く分裂していた中国を統一してしまった、
始皇帝以下の迷惑な人達。
劉邦・劉秀・司馬炎・楊堅・李淵・趙匡胤……
名君。国家崩壊分裂の責任者と目される人達と、
割拠政権を作り上げ次代に継承させえた方々。
強大すぎる国ってのは存在するだけで迷惑。
その意味ではインドなんて国家の産婆役を果たしてしまった英の罪は重い。
おいおい 冗談だろ
中国の一人当たりの環境に対する悪影響は日本の数分の一だぞ
国全体で比較するのは間違ってると思うけど・・・
>>885-886 中国を分裂させた後は、インドネシアやパキスタンが相対的に強大すぎるから分割しようとか
インドネシア、パキスタンを分割し終わった後は今度は相対的に強大すぎる日本や台湾、韓国、ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピンも分割しようって事になるの?
結局「強大すぎる」なんて個人の主観に過ぎないよね アホらしい
>>887 現在の人口一人当たりの環境負荷について、中国が日本の数分の一であるソースあるのか
重金属汚染やら、大気汚染物質やらの排出量は日本の数千倍とかいう規模だから、
人口比なんて既に言い訳にもならんレベルだぞ
しかも、これでもデータ改ざん済みという
>>886 今のアメリカとか強大すぎて抑制が効かない状態だしな。
ソビエトがあったときは、それほど無茶できなかったけど。
>>888 まさかここ数年の話をしてんの?
俺が話してるのは歴史を通しての話なんだけどなぁ
昔の日本を含めて現在の発展途上国は汚染物質を汚染物質だと思わずにガンガン川に流してたり、大気汚染を深刻化させていた。
もしかして先進国は経済成長する際にどれだけ地球を汚染してきても仕方ない事だけど発展途上国が経済成長する時に環境汚染するのはいけない事だと思ってるの?
これは最近の環境問題で話題になる話だから覚えておかないと恥かくぞ?
>>890 人口一人当たり、って統計取るなら、単位期間定めないとどうにもこうにもならんだろよ……
あと、長い歴史で見るなら、黄河流域丸裸にして、環境そのものを変化させた中華文明
は、世界でも指折りだよ
>>891 大西部を牛を追って丸裸にしたアメリカとか、森を街に変えた欧州とかね。
多分絶滅種を数えると鯨命のオーストラリアがトップクラス。
何を基準に言っているのか、世界中が指折りだらけ。
> 発展途上国が経済成長する時に環境汚染するのはいけない事だと思ってるの?
いけない事に決まってんだろ
昔は公害の観念がなかったから仕方ないけど今はその失敗を学べる状況にあって
同じ過ちを繰り返すのは愚の骨頂
国防を考えれば隣国が弱いのが理想なんだよね
難民が流れ込む心配があるけど
海に囲まれた日本の場合はその点も安心だしね
>>891 古代文明のあった地域は全部当てはまるだろ、それ
896 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) 22:08:26.59 0
>>890 そいつらが言いたいのは環境がどうの歴史がどうのじゃないぞ
「極悪シナ人がいかに悪い存在か!」ってことだから。
だから論理とか客観性とかないのな。
彼らはいわゆる中韓と同じ思考構造だから嫌いな国でもいいとこは認める、とかその批判は公平に見たらおかしい、とか思わないのな。
日本に悪いところなどひとつもないし中国にいいところなんかひとつもないのな。
マニ教的二元論やな。
馬鹿の自演て分かりやすいね
>>892 アメリカやヨーロッパやオーストラリアも酷いけど、
環境破壊で言ったら、インドも凄いな。
旧ソ連もすさまじいところがあるし。
ブラジルもむちゃくちゃだし。
特に最悪の環境破壊である核実験を本土外でやった国は最悪だろ。
899 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) 22:21:10.21 0
>>897 自演じゃないんだが朝鮮人思考の奴は言っても信じまい
そいつ出てきてもID変えてるで何の意味もない、というかここID出ないな
どのスレも相当数のやつが自演してんだろう
900 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) 22:22:44.81 P
>>887(
>>890)が『中国の一人当たりの環境に対する悪影響は日本の数分の一』と中国擁護したが
>>888の『ソースは?』『中国の汚染は日本の数千倍だから人口比なんて無意味』と論破され、
>>887(
>>890)は『まさかここ数年の話をしてんの? 歴史を通しての話なんだけどなぁ』と論点をすり替えた。
ここまで見事なまでに惨めな工作員は本当に久しぶりに見た。晒しage
どのレスが自演と言ってないのにすぐに発狂して
自演しましたと認めてしまう馬鹿って惨めだよね
902 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) 22:24:25.13 P
>>899 もうやめとけって。徒に傷口を広げるだけだぞw
俺個人としてはもう少し粘ってみてほしいけど。なぜなら笑えるから。www
903 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) 22:31:41.32 0
どっちもやめい
>>896 その通り
ネットでいったら何故か叩かれる
中国人が悪いとかではなく、単に1人のアホが自演を交えて、
頭の悪い長文垂れ流しているのを笑われているのが解っておられないらしいな。
中国人の公害問題よりも、こんな頭の悪い日本人がいることを、我々は先に恥じなければいけないのかもしれない。
ムキになって自演する馬鹿は
中国歴代王朝で一番の暗君より馬鹿っぽいな・・・
>>895 うん
メソポタミアやギリシャも酷いもんだね
イギリスはギリギリ間に合ったが
中国って昔から石炭使いまくってたよね
どんな景色だったんだろう
他の地域で木材使ってたのの代わりだから森林破壊は他地域ほどひどくならなかったと
メソポタミア流域と違って荒れ果てたの大躍進以降なんだぜ。まあ、古代の時点で河が黄河
と呼ばれるようにはなってたけど
>>909 地質学の研究だと、黄河流域は大森林だったって言われてるけどね
古代にはもうステップ的な状況にまでなったらしいけども
ただ、黄土の特性が乾燥に強く、保水力が高かったため砂漠にはならんかったって話だね
しかし、中華文明に限らず、人間の文明がいかに自然環境を破壊してきたかって
のは、世界史板的には共通基盤(つまり文明の歴史が長いほど自然破壊は巨大)だったと
思ったけど、それを特定の文明批判だと受け止められるとは………
黄河流域の生態系の変化と黄河文明の因果関係って説明されているんだっけ?
日本はいくら木を伐採しても数十年後にはまた森になっていてまた同じところから木を伐採できる世界でも珍しい土地なんだよな
913 :
世界@名無史さん:2013/08/06(火) 22:08:52.62 0
>>910 文明の環境破壊も大きかったけど、根本要因は地球環境自体の
寒冷化・乾燥化で気候帯、特に中緯度高圧帯と熱帯収束帯がずれて
幅も変わって降水等のパターンが大幅に変化してしまったことじゃなか
ったっけ?
黄河流域が荒廃しても江南や四川の食料で養ってきたからええねん。
文明があると食料生産と金属の生産とくに鉄の製造のせいで、
石炭資源を活用できるほど発展しないと、森林伐採がガンガン進んでしまうからなあ。
メソポタミアやエジプト、インダス川流域、黄土高原の惨状は酷いもんだ。
中国の場合は中原でも食料は一応生産できているからまだマシと言えるが。
全体では今でも6億トンの穀物を生産できる世界一の農業超大国だし。
日本では国土を全部農地にしても6億トンも穀物作れないだろう。
ちなみに日本の穀物生産量は1000万トンもない。
メソポタミア、エジプト、インダスは冶金よりも船作ることで木材資源枯渇させた気が…
青銅時代に周辺の木材払底してないか?
917 :
世界@名無史さん:2013/08/06(火) 23:54:07.51 0
>>904 遅レスだがおまえが
>>890ならすまんね。
昨日妙に俺がレスしたから巻きこんじまった。
工作員とかチョンとか来るとは思ったが自演と来るとは思わんかったんでな。
いやこのレスも自演になるんだろうから重ねて迷惑なだけかw
スルーしてくれ。
衛の懿公の話だが、賢臣二人に夫人を託して出陣した時の話やら、
公に従った軍勢が不利な戦況の中で公に殉じて玉砕したという話や
ら、使者に出ていた寵臣が殉死し斉の桓公を感動させたという話な
んかを読むと、「鶴への偏愛のために民に見捨てられた暗君」という
のは本当かな?という気もしないでもないな。
懿公を見捨てた結果狄に国を滅ぼされて、国君だけでなく衛の上下
全てが辛酸をなめることになったわけだし。
衛では代々お家騒動が続いていたようだから、実際には懿公個人の
資質以前にすでに亡国だったのかもしれない、という気がする。
>>912 戦国、江戸時代なんかは木を切りすぎて伐採の制限をしたり、植林してるだろ。
伐って使うそばから勝手に森になってたわけじゃない。
>>919 単に植えるだけでも森に育つってのは確かだよ<日本
まあほっとくと広葉樹林になるわけだけど
(林業としては美味しくないし、水田耕作するにも森が暗くなりすぎて使いづらい)
922 :
世界@名無史さん:2013/08/07(水) 06:00:24.95 P
>>914 > 黄河流域が荒廃
三国〜南北朝あたりか?
隋の頃には長江流域への大運河を造ったあたり、
南北朝時代にはもう黄河流域の荒廃していたのは確かだろうな。
>>918 独立心が旺盛な中国人に一番欠けている特性が忠では無いかと思っているんだけどね。
西洋でも忠なんて概念は希薄なんだけど、その代わりに契約って制度でそれを補っている。
ただまぁ、元々賢帝の元で順調な国家を運営している間は忠なんていう特性はあまり必要ではない。
忠が美しく光るのは、国が生まれる瞬間や国家の危機、そして亡国の間際。
家臣の忠義が目立つ時は往々にして暗君の下なんだよね。
>>923 中国だと、「契約」どころかその上位に位置する「法」ですら、あまり好まれなかったからな。
法家思想の塊である秦・始皇帝の意思で法とされた苛斂誅求に懲りて、体系的な「法」はしばらく作られず、
儒教の「徳治主義」という人治主義がもてはやされた。
体系的法律が再び現れるのは、そのずっと後の北朝隋唐の律令制まで待たねばならなかったが、
唐の末期にはほぼ消滅。「宋」では律令は制定され機能したが、元で再び消滅。
以後、皇帝の「勅」で国を動かす人治主義に逆戻りしてしまったとさ。
儒家は古来の共同体的な慣習法(徳治)を好み、
量刑が固定される成文法(法治)を好まなかったようで、
鄭の子産も成文法を作ったとして非難されている
>>924 実際には法も徳も目的として同一、およそ人にとっての常識やタブーは大きくはぶれないんだけど、
法と徳の一番大きな違いは罰則規定の有無、そして罰則規定が無い徳において、ルールを守らせる動機は、
ただひたすらに世間に於ける評価、となれば逆に世間の評判さえ良ければルールは守らなくても、守った振りをすればいい。
で、どうなるかと言えば、例えば禅譲。
禅譲は中国史上で非常に頻繁に出てくる事件だけど、実際は前皇帝を生け捕りに出来た場合に実施される簒奪。
前皇帝はそこで拷問に掛けられて、疲れきって死を覚悟して、もう少しでも早く楽に殺してくれと願って禅譲を申し出るんだけど、
散々拷問までさせて、その一言を言わせた簒奪者は、そこでとんでもないとか驚いた振りをして断るんだw
小国寡民って言う偉大な思想も中国にはあるのになあ。
東アジアが平和だったのは中国が圧倒的な国力を持っていた歴代王朝を通しても拡大路線で行かなかったからだ
西洋の多国間での戦争の多いことったら無いよ
日本と中国が外交能力さえ向上すれば相互理解も可能になってくるんだがなあ
中国の文明としての功罪はまた別のスレの問題だろ
ここは暗君について語るスレだ
楚の懐王(最初の方)は相当暗君
楚人に慕われたのが不思議なくらい
>>928 中国って地形による障害にぶち当たるまで野放図に拡大してる印象しかねーよ
>>931 て言うか異民族に征服されるたびに領土が広がっている
明は宣徳帝の時に国境線を下げたりして元の時より領土が縮小してるだろ
>>933 ごめん、正確には異民族に征服されるたびに領土が広大に広がっている
明は景泰帝・天順帝と家臣引き締めることが結果的にできたのに
成化帝がすべて台無しにしたような気がする。暗君呼ばわりはちと方向違うけど
すみません、質問です。
躬(み)を一人称とするのはどのような身分の人でしょうか?
なんでここで聞いてるのか知らんがその漢字、自らと同じ意味持ってんぞ
ありがとうございます。
そこまでは調べられたんですが
どういう人が自称するのかわからなくて聞いてみました。
中国関係でここが一番勢いがあったので詳しい人がいるんだろなと思って。
ちなみにラノベに出てきましたw
ならラノベの設定でいいんじゃないの?創作内で適当な身分しか
使えないと作者が決めたならそのことにどうこう言う必要ないんだから
どの王朝でもだいたい3代目以後の皇帝は最高の環境で最高の教育を受けてるはずなのに暗君が出てくるんだよな
>>925 法など作ったら、民はその法さえ守ればいいということになり、
さらに将来は逆に法の目をかいくぐって悪事をなすだろう。
だから今までどおり、何をしたら罰せられるのかわからない民を生かさず殺さず、
常に怯えさせておくのが正しい統治だ。
・・・こんな感じだよね?
>>926 拷問で死んだ皇帝なんていたっけ?
>>936 景泰帝は割と良い方な皇帝だったけど、天順帝(英宗)は自分を救った元勲を粛清しただけだろ。
成化帝は・・・万貴妃がらみで擁護しようがないな。こちらは弘治帝が掃除したけど。
>>941 最高の教育は受けているだろうけど、環境は次世代での栄達を目指す佞臣や宦官ばかりで最悪だろ。
あと、五胡十六国に多い話だけど、即位前は非常に優秀でも、即位したらすぐに堕落したのが多い。
そういう例もあるんじゃないかな? 子供の頃は聡明だった最悪の暗君・万暦帝とか。
やっぱり皇帝という、何をやってもいい夢のような最高の地位で堕落するんだろう。
太子としての気構えや抱負、次期皇帝としての心意気や意欲など、一本芯が通っていないとな。
煬帝も即位するまでは猫かぶってたな
暴君暗君揃いの北斉は名将たちがいなくなったらたちまち瓦解したな
しかし北周の宣帝はないよな
もうほとんど中国統一できてたのに一代でぶち壊し
別にぶち壊してないだろ
北周をそのまま乗っ取った楊堅がしっかり中国統一しているし
>>944 史上最大の暗君は北斉の後主なんじゃないかと思ってた時期もあった
まだ文宣帝は戦争は強かったし
後主は斛律光や蘭陵王殺して国滅ぼしたからな
> 家臣の忠義が目立つ時は往々にして暗君の下なんだよね。
それは日本でも同じだと思うけどね。
内匠頭の火遊びを止めきれず断絶になった後で活躍した「昼行燈」
大石内蔵助を称える人は多くても、殿様を諌止して無事に過ごさせ
た祖父大石頼母を称える人は少ない。
「無事これ名馬」という言葉もあるし、大火に飛び込んで制圧する
勇敢な消防士が賞賛の言葉を浴びることはあっても、地道な努力
でそういう「勇士」の出番を不要にした人たちが脚光を浴びることは
稀だ。彼らが回顧されるのは、そうした平和に飽き足りず火遊びし
たあげく焼け死んだ「暗君」の尻拭いをした後の話、それも亡国に
至らなかった時の話だね。
大道廃れて仁義あり
知恵出でて大偽あり
六親和せずして孝慈あり
国家昏乱して忠臣あり
老子
東西逆転が白日の下にさらられたのはアヘン戦争
そこから中国の凋落が一気に進んだ
だから当時の皇帝道光帝は明らかに暗君
引き起こしたのは林則徐ではあるが林を抜擢した道光帝も悪い
せめてこのスレぐらいまともに目を通してから書きこめよ
>>946 北斉の没落は北魏孝文帝以来の漢化政策の結果による鮮卑や軍人蔑視が原因の西晋滅亡後や後趙滅亡後の民族浄化合戦を再現させた当時の社会情勢を無視できない。
高一族の祖である高歓からして漢族冷遇をしているように政権内の胡漢紛争は非常に激しい。高長恭たちの粛清の際の讒言を行った連中を軽視してはならない。
北斉の皇帝はあれでも後主前までは戦争に強かったからまだマシか
それに比べ劉宋や南斉の皇帝は取り柄のない基地外皇帝ばかりだな
劉宋の初代は貴族社会全盛期に底辺から皇帝に成り上がったし
戦争でも南燕、後蜀、後秦を滅ぼしているぜ
三代目の文帝も元嘉の治と呼ばれる政治をしている
六朝で平均以上の皇帝は
孫権、東晋明帝、劉宋武帝・文帝、南斉武帝、梁武帝だけだな
崇禎帝って中国最後の暴君じゃない?
明朝を守るために数々の政策を執り行ったが、
そのどれもこれもが逆効果だった。
それらを把握しつつ、それでもあきらめずに次の方策を打ち出し、成果なしの繰り返し。
目は血走り形相は鬼のようだったそうだ。あと焦りと苛立ちでやたらと廷臣を殺しているよね。
最期は長い髪で顔を覆い隠し「祖に合わせる顔がない」と遺言を残して死んだ。
崇禎帝の統治する国に住みたくはないけど、
いかにも
『目的のためなら手段を択ばない悪の皇帝』
『最後の最後まで国のためだけに生きた最期の皇帝』
って感じで、結構カッコいい生涯に思えて、俺は好きだな。
ちょっと厨二入っているけどw
なんだこの電波は
957 :
世界@名無史さん:2013/08/10(土) 06:57:00.07 0
あのさぁ
こういった暴君・暗君でも割とカミさんには頭が上がらないのがいる
のだよなぁ
隋の文帝とか、近世では毛沢東・蒋介石
大量虐殺をやることに良心のためらいを感じないのだから、
カミさんくらい、殺せば良いのに何故かカミさんのやりたいほうだいを
許すのだよなぁ
その心理がいまいちわからん
そりゃ、敵対者を殺すことにためらいないからといって、平気で身内殺す奴は少ないだろ
で、その二人、どこが暗君なんだ?
959 :
世界@名無史さん:2013/08/10(土) 07:13:08.15 0
>>958 マオちゃんの方だろ。蒋介石の方はなんというかままならないことばかりだったし。
蒋介石を暗君と責めるのは少し気の毒だな。内外の別の力による撹乱が大きすぎ。
死ぬまで権力掌握したあげく死後も制度普通に続いてんだが
権力者としては政策下手で権力抗争しかできなかったとはいえ
暗君の定義からは外れんだろ
治世は暗愚そのものだが、カミさんに頭が上がらないはまるで的外れ。
劉禅って30そこそこくらいで死んでたら名君扱いだったりして?
有能な宰相にすべてをゆだねてよけいな口出しをしなかったとかって評価で。
北宋とか明とかの平穏時の皇帝なら名君だったかも?
劉禅は受けは悪いけど、良くしのいだと思う。
例えばおやじや関張、孔明が居たとしても果たしてどうなったか。
そもそも三国とか言っているけど、実態は後漢の末、漢の皇帝ちゃんと居るじゃんまだ、劉備の皇帝宣言だって只の自称だし。
>>960 それだと明の皇帝や金正日も暗君じゃないってことになるな。
965 :
世界@名無史さん:2013/08/10(土) 10:36:13.68 0
孫権も20年ほど早く死んでたら孫堅・孫策を偉業を引き継いだ
中興の名君と評価されたかもしれない
>>964 金正日は、君主としてみるなら別に暗君じゃないだろ
名君の条件の一つに長生きしすぎないことってのはある。
ボロを出す前に死なないとね。
個人的にはあまりの早死にの人達は、どれだけ実績があっても名君には?マークが。
劉禅は陳寿が元主君ということで遠慮して書いたと思うけど
それでもあれだからな
>>968 そうは言うけど、劉備なら天下統一できたとでも?
蜀とか只の不良債権、多分異論は多々あるとは思うけど例えば袁紹よりは劉禅の方が出来るイメージ。
劉璋と劉禅は似ている
名君どころじゃない評価をされているけど、事績も『史記』にないのが、
周の成王。
尚書と毛詩を読めば、また違って来るのか?
袁紹みたいに身一つで飛び出して華北の覇者となった英雄と劉禅を比べても…
劉禅は何というか…負け方が糞だったね
まだまだ粘ればいくらでも粘れる次元のところで即刻びびって負けた
一度国の深くに攻め込まれたというだけで滅亡クラスの無条件降伏
自分のことしか考えてねえから臣下の身の安全を求める交渉とかまるでねえ
羅憲が頑張ってくれなきゃ呉に侵略されてたしな
袁紹は名門貴族の出だったはずだけど…
だから何だよ…ちゃんと歴史学べよイメージだけで語るな
袁紹は劉禅よりいくらかマシという程度だろ
>>975 歴史学ぶ限りどこをどう見たら身一つでなんてでたらめ言えるの?
袁本初は董卓が占拠する都洛陽より単身出奔
が、予め築いておいた人脈の取り無しによって事なきを得るばかりが冀州牧の地位を得る
董卓によって与えられた地位という不安定さの中、冀州牧の地位を上手く利用し反董卓連合を立ち上げる
その後も公孫賛にギリギリの状況まで追い込まれながら命掛けの闘いを繰り広げたりしている
お前が何を学んだ気になってるのか知らんが
正史を読めば常識レベルのことだ
980 :
世界@名無史さん:2013/08/10(土) 23:21:29.02 0
三国志の群雄の中でかなり有利な立場にいたのに
決断力がなくて宦官の孫に滅ぼされたカスというイメージしかないな
>>979 お前は身一つやら単身やらの意味しっかり学び直した方がいいぞ
清は直系皇族に生まれても誰が皇位継承者かぎりぎりまで分からないから
皇位目指す人たちは必死に頑張ってた印象あるな
>>981 宦官の孫と言っても曹騰は相国曹参の末裔だからな。
曹騰の父親の曹萌より上の系譜はよくわからないけど。
袁紹厨の必死さが笑えるw
しょせん曹操に遠く及ばない負け犬だよw
後継者が一人だったら…
当時でも曹騰が曹参の末裔だとか信じる
>>986みたいな低脳ちゃんは少なかったんじゃないかな?
990 :
世界@名無史さん:2013/08/10(土) 23:51:44.89 O
三國志はそもそも劉備を主人公として語られやすい
そのライバル兼引き立て役の曹操の更に引き立て役ということで
袁紹はかなり酷い扱いされてるよね
>>985 後継者になれなかった人物も一族の為への協力を惜しまない感じがする。
明末期とは大違いだな。
>>985 清で皇后の子として生まれた皇帝は道光帝と咸豊帝だけだしな
993 :
世界@名無史さん:2013/08/11(日) 00:27:15.14 0
明朝は南明時代になっても内ゲバやってるくらいだし
滅びるべくして滅んだとしか思えん
北斉の後主はなんか憎めない
残虐な暴君なわけでもないただ頭の弱い暗君なだけだし
あの数々の情けないエピソードも魅力的だ
実務経験ない所で君主大権担わざる負えない立場はそれはそれで地獄だろうしな
>>984 でも、清の三代目である順治帝は、あまりに仏教に傾倒しすぎて、
順治18年(1661年)に死んだのではなく、順治18年に出家してしまったという説があるし、
当時もまことしやかに、噂されていたらしいよ。
で、それのどこが暗君なの?無根拠の風説以外の何物でもないな
ついでに言えば当時の噂って何?金庸の小説でなく
次の皇帝が仏教に傾倒して特定の場所優遇してたびたび巡幸したことからできた逸話だから
若い名君死んだときに後代にできる単なる伝説だろ。そもそも儒教メインで仏教に関する逸話
なんてって人
>>997 イヤイヤイヤ、乾隆帝漢人説とかねw
>>973 劉禅には悲壮感が皆無なんだよね、負け方もそうだけど、安楽公に封じられたとか。
安楽公ってネーミングがまたね。
1000 :
世界@名無史さん:2013/08/11(日) 09:19:39.67 O
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。