匈奴の郷土はいずこ?
今のウイグル辺りじゃない?
トカラ系やイラン系の遊牧民が進出していた地域に地元のモンゴル系が
かぶさって混血した遊牧民ができた。
遊牧民族は馬に乗っての圧倒的な戦闘能力で基本的には農業の中国を悩ませた。
それでツングース系の言葉にアーリア系の屈折語が影響して単純化した
屈折語的な膠着語がチュルク語になったと妄想する。以下はほぼ引用。
チュルク諸語の人称語尾は、明らかに文末主語か所有語尾が変化したもので
たとえば、トルコ語の yazıyorum「私は書く」は、副動詞(連用形)yaza + yor「いる」+ um で、
この -um は men「私」が変化したもの。これは、次の現代ウイグル語の形から明らか。
現代ウイグル語では、同じ「私は書く」が yazimän > yaza + (dur) + män で、män「私」が
人称代名詞そのままの形で語尾化してる。1人称2人称では dur が落ち、3人称では yazidu
「彼は書く」の形で du (<dur)語尾がある。単純過去の -dim などは形動詞(連体形)についた
所有語尾の変化。
チュルク諸語の人称語尾が発達定着するのは、古代語から中世語の段階で、人称語尾のある
イラン系言語(ペルシャ語やソグド語)その他との接触の影響が大きいと思われる。
誰がうまいこと言えと(ry
・・・と言ってほしかったんじゃないのか
>>743は
ツングース語では人称語尾変化がないんだな
いやいやツングース語の文法はチュルク語じゃなくて日本語そっくり
チュルク語に最も近く「見える」のはブリヤート語だろう
地理的にもブリヤートはヤクート人のルーツ地区だし
人称代名詞が接尾辞化して動詞につき人称変化が起こるのも似てる
>>745 大間違い、当に妄想
トルコ語は歴史以前からトルコ語
現代トルコ語はペルシャ語から多少の影響を受けてるが大した物じゃない
つまりツングース人の祖先は日本人で、
チュルク人の起源は日本人デス!
(-@w@)
匈奴がトルコ系かすらはっきりしてないだろう
フン族=ミヌシンスク文明ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国アスカ人
>>754 トルコ系かモンゴル系の二択だから大差無いよ
モンゴル西部か東部か、どちらにしてもモンゴル
757 :
世界@名無史さん:2014/06/03(火) 00:53:36.98 0
>>734 エフタルが白いフンと呼ばれていたということはフン族は外見はエフタルよりモンゴロイドに近かったんだろうな
>>739 フンも柔然もかつての匈奴の構成部族だったのかもな
だからフンは東進せずに西進したのかも
フンもエフタルも悦般の構成部族だったのか
確かにそう考えればエフタルがフンや悦般に似てることも説明できるな
761 :
世界@名無史さん:2014/06/08(日) 23:55:35.29 0
なるほどね、エフタルは白フン・白匈奴=コーカソイド(イラン系?)と
考えるとつじつまがあう。匈奴の人骨や中国史書をみると、匈奴にはコーカソイド
の人もモンゴロイドの人もいたようだから。
フン=北匈奴の残党のうち、悦般を建てた連中とは分かれて西進したモンゴロイド系部族の末裔とも考えられる。
そもそも遊牧民は雑多な種族の集まりだからね。
762 :
世界@名無史さん:2014/06/09(月) 00:28:20.54 0
モンゴル人にくらべてイラン人ってそんなに白いか?
モンゴル人の相撲取りは色白じゃないか?
白人という呼び方は黒人に対しての呼び方だろ?
昨日の土曜日にトルコのアララト山付近の町が紹介されてたけど
アラブ系なのかやたら浅黒い連中ばかりだったが明らかにコーカソイド
マムルークとか白い奴隷出身という言い方があるけどあれもアラブ世界で
よくあった黒人奴隷に対しての言い方だろう
匈奴の人骨や中国史書をみると、匈奴にはモンゴロイドしか居なかった
イラン系遊牧民だったのは奄蔡なんかのアルタイより西の部族
>>762 トルコにカフカス人種は少ない、アラビアには殆ど居ない
765 :
世界@名無史さん:2014/06/10(火) 21:42:20.75 0
>>762 コーカソイドは明色化するまでは鼻高・褐色だったからね。
いまだにそのレベルの地中海周辺民族と新モンゴロイドを比較すると、
個体によってはモンゴロイドのほうが皮膚の色は薄い。
>>14 >まあでも、フン族がアラン襲撃まで大人しくしてたのが謎ですな。
主導権はあくまでフン族こと西端アスカ人にだけあったからですよ。
>>16 >いちおうブルガールはフンの王統の流れと称していたようだけど
どのぐらい入ってたのかな。場所柄フンの子孫が入って不思議は
無いけど
ゲルマン人=フン族こと西端アスカ人*北ゲルマン*西ゲルマン
>>18 >トルコ人と話してたら、フン族どころかチンギスハンまでにトルコ人だと言ってたよ
アスカ人=テュルク人=トルコ人
>>20 >やはり匈奴の末裔を名乗った連中が西遷したのでは?
北匈奴直系かどうかは疑わしいけど、かつて大帝国だった
匈奴の名を自分達の集団名として使った可能性は高いと思う。
フン族登場の頃には、後のモンゴル帝国みたく遊牧民の輝かしい
大帝国は匈奴しかなかった。その名にあやかりたい部族はいても
不思議はないでしょう。
1.不勉強。
2.匈奴=キォンヌ
3.全員北満洲出身
4.草原ルートが領土(「ヒト=クニ(どちらも『アスカ』)」という概念)
5.アスカ人=日本人
767 :
世界@名無史さん:2014/06/11(水) 21:34:24.84 0
北匈奴の単于一族の子孫は中央アジアに居残ったんだから、せいぜいフンは
かつての匈奴の支配下にあった一部の部族が西遷して、様々な民族と融合したものだろう。
後世でいえば、チンギス・ハーンの血筋ではなかったが、モンゴルの一部族の血をひく
ティムールたちのようなもんじゃないか。
ブルガールについては、遊牧民というのは様々な民族の集合体だから中にフンの末裔がいてもおかしくない。
ブルガール王家にフンの末裔の血が入っていても不自然じゃない。
鮮卑に降った匈奴人たちはみな、鮮卑を称するようになったように。
768 :
世界@名無史さん:2014/06/11(水) 21:41:36.93 0
エフタルは白人種トルコだ。織田信長みたいなルックスだっただろう。
決して浅黒い人種ではない。
匈奴の支配部族のうち多くはフンと成り、一部がアルタイ西麓に残ったのだな。
遊牧民は血統を重んずる為民族の融合というのが非常に起こり難い
テムルは大モンゴル中核部族の出身だったが自称としてはモンゴルを名乗っていない。
ブルガルが高貴な血統である匈奴の裔を入れるのは遊牧民としては自然な事だろう
匈奴や鮮卑は国名であるが、支配部族が自らをそう称する事も有る。
>>22 >中東や北アフリカなどアラブ世界やイスラエルに行くと東洋人蔑視がきつい
チュニジアに海外協力隊で行ってた奴に聞いた
トルコはかなりの親日的と聞いたし国内のトルコ人も親日的(当たり前か)。
コーカソイドで日本人を差別しないのはブラジル人とトルコ人ぐらいだと思うわ
南米やヨーロッパのアジア人蔑視はみんなが思ってるより酷いよ
中央アジアはどうですか?
>>30 >ローマ人との文明化を拒み続けたドルイド教のケルト人をレイプしたアングロサクソンをボコボコにしてレイプしたヴァイキングがイギリス人のルーツだしな。
どこら辺がローマ文明を関係あるのやら
キリスト教異端宗派アタナシウス派がローマ帝国とのつながり。
人種的には、ゲルマン人=西端アスカ人×北ゲルマン×西ゲルマン
>>31↑
>ローマ人はおろか、アングロサクソンもバイキングのデーン人もノルマン人もずっと昔のケルト人も
大きな遺伝子は残してないとケンブリッジ大学のオッペンハイマー博士は言っている。
大陸と陸続きだった頃に渡ったバスクと同じグループの人達だったとか。
言語だけアングロサクソンで文化はノルマンコンクエスト以降のフランス文化。
ケルトは地名やMacなどの人名に残っているだけ。
>>32 >イギリス人=バスク説が最新説らしい
http://blog.ohtan.net/archives/52099516.html >>34>遺伝子よりも環境だろ。水と食い物が沢山有る所が強い
正解。水と食い物が沢山有る所=草原ルートのアスカ大帝国アスカ人
>>40 >イスラエルのヘブライ語復帰ほどではないが、
イスラエルのはヘブライ語創造。
フンがアランを襲撃した時期と前秦の符堅が東晋に軍勢を向けた時期が重なる。
単なる偶然ではなく、前秦が東晋に大軍を振り向けたので東からの圧力が無くなった為に、
全軍で西進してアランに襲い掛かったのではないか。
773 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 12:55:32.10 0
匈奴だとすると単于とかの称号は無くなってのかな
774 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 22:04:19.48 0
そうなんだよな。
匈奴より新しいしローマ時代の最後に現れたわけだから完全な文献時代。
にもかかわらず匈奴と明らかに関連する証拠がないとは匈奴の末裔だとすれば不思議。
冒頓単于なんてトルコの英雄だしアホiPadの変換でも一発で出て来るほど有名だし
775 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 22:39:05.35 0
>>770 カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスあたりだと、
日本人やモンゴル人とほとんど変わらない容姿の人もいっぱいいる。
日本人だって、ハーフでもないのに阿部寛や平井堅みたいな顔の人もいる。
776 :
世界@名無史さん:2014/07/06(日) 15:10:47.76 0
北匈奴がいったん姿を消す頃の単于、蒲奴と再び文献の中で言及される北単于
との血縁的繋がりさえ怪しいよね。
その頃は呼衍氏がかなり力をつけていたわけで、支配被支配の入れ替わりが
容易に起こりえたことだけは想像できる。
基本的には具体的なことは一切わからない。
攣テイ氏と呼衍氏は婚姻関係とり結んでいるから、女系噛ましていいなら血統は繋がってる
ただ、女系ってのが古代遊牧帝国の正統性にどこまで影響を及ぼしうるかはしらん
で、西欧まで続くドミノ倒しのきっかけは誰なの?
曹操?
>>776 虚連題氏族か幾つかの閼氏氏族なら
非常に具体的且つ匈奴直系と断定出来る濃密な血縁関係だな
>>776 北史蠕蠕伝では、悦般国を建てた北単于率いる匈奴の集団は日に数回必ず顔を洗い頭髪を整え、
食事の前には必ず口をゆすぐ清潔な集団として伝えられているね。
これは高貴な集団であることを強調しているわけだから攣テイ氏(虚連題氏)族
の直系あるいは少なくとも血縁者集団であると解読していいのでは?
そして康居あたりにとどまって悦般国を立てた清潔な匈奴とは別に
さらに西走を続けた匈奴のことが伝えられているね。
その西走をつづけた連中が高貴な匈奴と血縁関係にあったのかどうか。
それって蠕蠕の不潔さを強調するための描写でないの?
そんな描写はしないよ史書だから
784 :
世界@名無史さん:2014/07/12(土) 12:52:34.68 0
785 :
世界@名無史さん:2014/07/12(土) 14:24:48.30 0
フン族は糞をした後、尻を拭かない
何故なら紙が発明されてなかったから
788 :
世界@名無史さん:2014/07/12(土) 22:04:41.03 0
>>785 この種の質問は日本史でも割りと謎なんだよな
とりあえず草とか葉とか縄とか木ベラとか水洗いとかまあ色々あるのはあるみたいだけど
790 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 00:15:58.25 0
チベットの田舎では綺麗な女も風呂には入らず、クソしたあとはハンカチみたいな
布切れで拭いてそれを洗わず何度も使って持ってるらしい。ネタじゃない。マジで
>>110 >プロのバイク乗りも曲芸をするが騎馬民族も曲芸の様に馬を乗りこなす。
山の尾根から海まで続く万里の長城のような無駄な事をするより兵力を
強化すればいいと思ってたがヨーロッパと違い、しょっちゅう騎馬民族に
攻撃されてた中国の対策が少し分かった。モンゴルには通じなかったけど。
草原ルートの方がはるかに豊かなので
騎馬民族は支那などには興味はない。
当時の経済力は
中国>>>全世界な