ユーゴスラビア紛争

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30世界@名無史さん
イワン・スタンボリッジが、チトー主義(多民族共存型社会主義)に固執して全然ダメだったね。
スタンボリッジ体制のままだったら、東欧革命に巻き込まれて、セルビア共産主義者同盟はそのままオワコンだわ。
31世界@名無史さん:2013/01/29(火) 14:51:12.71 0
セルビア元首(共和国幹部会議長)のスタンボリッジは、
戦後レジーム(チトー主義:多民族共存型社会主義)に固執し、なんの新しい構想も打ち出せなかったからね。

ミロシェビッチが87年の9月に党内クーデター起こすのも仕方ないよ。
コソボでは、セルビア人がアルバニア人によるテロ的なヤリクチで圧迫され始めていたのだし。

アルバニア人も嫌がらせをしてセルビア人を追放しコソボ自治州を乗っ取り
本国アルバニアとコソボを統合させて“大アルバニア”を建国しようと動いていた訳で、
普通ならユーゴとアルバニアの間で戦争になる話だ。戦後レジームに固執し何もしなかったスタンボリッジが悪い。

アルバニアによるコソボ乗っ取りを黙って見過ごしていたスタンボリッジの責任は重たい。

それとミロシェビッチが87年の党内クーデターで政治的に得たモノは大きかった。
戦後レジームたるチトー主義に固執する党の古株連中を追出すだけでは無かった。

当時ゴルバチョフの影響で台頭し始めていた自由化・西欧志向の若手の改革派の旗頭
で党のベオグラード市委員長を務めていたパブロヴィッチを党幹部会から解任する事
にも成功している。彼もスタンボリッジに同調しコソボ問題での穏便な解決を主張した
事で党幹部会から解任されてしまった。

これで従来のチトー主義に固執する古株と若手の改革派の双方を潰す事に成功した
ミロシェビッチは、セルビア共産主義者同盟から反対勢力を追放してセルビア党を
ミロシェビッチ党に変える事に成功した。この時点から、当時はまだ反体制派と言
うべき民族派知識人や民族主義団体の支持を獲得、彼らをセルビア共産主義者同盟
の党機構や支持基盤に引き入れる事でセルビア人からの支持を強固にする事が出来た。