チュルク系民族・チュルク諸語圏の歴史 2

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410世界@名無史さん
韓国軍は、ベトナム女性を 強姦した後、女性の容姿で選 別を行い、不美人や年寄りの
女性は 両手・両足を切断して、火に 放り込んで焼き殺した。

殺す前に両手・両足を切断 しておいて、死ぬまで強姦す る「ダルマ」(達磨)と彼ら が
呼んだ強姦による虐殺をした。
411世界@名無史さん:2013/05/23(木) 05:05:54.42 O
チョンw

この世とは言わないから日本から全員消えてくれwwwww
412世界@名無史さん:2013/05/23(木) 10:43:01.34 0
スレ違いの自演で気を引こうとするな
コプロラリアホモ牛
413世界@名無史さん:2013/05/23(木) 13:26:03.03 0
白馬青牛のいるスレの流れは

スレに沿った書き込み
  ↓
朝鮮が出てくる
  ↓
朝鮮貶しが始まる
  ↓
白馬青牛登場
414世界@名無史さん:2013/05/23(木) 17:27:17.13 T
>>408
ところが入り込んでる。
モンゴル帝国時代に派遣されてきたウイグル人のビチクチの一人を始祖とする慶州のy氏という
一族がある。
415世界@名無史さん:2013/05/23(木) 18:00:35.88 0
むかしディープコリアという本でチョンは新婚旅行で
海岸で白馬に乗るのが定番だとあったけどその事か?
416世界@名無史さん:2013/05/23(木) 18:09:57.83 0
一戸彰晃
417世界@名無史さん:2013/05/23(木) 18:35:19.75 0
一戸彰晃
418世界@名無史さん:2013/05/23(木) 23:36:38.94 0
竹島は韓国の領土だってよ。曹洞宗から破門にしろよ
全体が変に見られるぞ。
419世界@名無史さん:2013/05/24(金) 13:17:56.52 0
テュルク民族が1ミリも入り込んでない島の話をするな
このコプロラリアホモチョウセンメクラチビゴミハゲ牛
420世界@名無史さん:2013/05/25(土) 06:47:13.47 0
韓国軍兵士に強姦されて生まれたベトナムの子供
(韓国の精子「敵軍の子」として)忌み嫌われ迫害される子供たち。
その数3万人韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、
韓国軍の従軍慰安婦として強制徴用されたベトナム人女性が産んだり、
ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた
韓国人との混血児などを総称して「ライタイハン」といいます。

韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの
女性は両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり
殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」
と彼らが読んでいる強姦・虐殺をしたり
川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースもある。

そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として
韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。
弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。

韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。
これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。
間違いなく歴史上の事実である、韓国の戦争犯罪
韓国人の野蛮な民族性が顕になったベトナム戦争でした。
421世界@名無史さん:2013/05/25(土) 06:57:14.88 0
422世界@名無史さん:2013/05/25(土) 15:36:34.56 0
チョンを語るな出て行けクソムシ!
423白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/05/27(月) 23:22:23.85 0
>>408
ネット右翼の日課の嘘吐きばっかし云うてもつまらんよ。
>>414
 そうじゃったね。
348 白馬青牛 ◆8mr41B7alChB 2012/06/15(金) 01:41:20.10 ID:Eqh7vkiz>>344-345
 松田壽男氏は、弓月氏をトルコ系のカンクリ(康曷利)族とされて
ますね。まぁ西突厥の時代で、古くは烏孫の地なんは、事実ですが、
烏孫もチベット系、トルコ系、イラン系の部族連合集団で、イリ地域の
トルコ系の拡散からカンクリ(康曷利)の可能性は否定し難いですね。
しかも四、五世紀は民族移動期ですから。
ですが、非中国文化でローマ・ペルシャ文化とスキタイ文化の混合の新羅
の都のあった慶州は、モンゴル帝国時代でも、ウイグル西方地域からの
流れがあって、中央アジアと新羅の縁は強いですね。
http://www.surname.info/seol/seol2.html
 慶州y氏なんか、トルコ系ウイグル(回鶻)人が モンゴルのセレンゲ川
(y輦河)のセツ(y)を姓とした。このことは ウイグル人がオアシス西南に
移住した後、高昌の『高昌y氏家伝』にも出てますね。