【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗か

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946世界@名無史さん:2014/02/11(火) 12:33:59.83 0
>>945

他の文化との関係

イラク、イランやインダス地方とは盛んな交流が行われ交易圏を形成していたが、
別の独立した文明という説と、メソポタミアやエラム文明からの移住地として始まったという説がある。
東側では、土器などに関してガンダーラ墓葬文化(英語版)(GGC:スワート(Swat)文化ともいう)との深い関係が考えられている。

また同時期の北側では中央アジアの広い範囲に遊牧民のアンドロノヴォ文化が栄えており、これとの接触もあったようである。
サリアニディはBMAC文化の起源についてアナトリアなどに由来する説を称えているが、
イランのエラム文明に由来するとする説やイラクからインダス一帯の交易権圏の下で独自に発達したとする説、
他にほぼ同時期のタリム盆地の先史文化と結び付ける説もある。


アーリア人との関係

この時代は、アーリア人がインドやイランで勃興する直前の時期に当たり、BMACはこれとの関係でも注目されている。
アンドロノヴォ文化を原アーリア文化とする説があるが、この文化はインド・イランの考古学的文化と関連づけるのが難しい。
またアンドロノヴォ文化が原アーリア文化であれば、これがBMACを滅亡させたと想像されるが、
BMACは馬の牧畜と戦車を使用する文化により滅亡した形跡はあるものの、より北方に位置する地方の同文化の最も早い痕跡は紀元前1100年頃のものである。
またサリアニディ自身はBMAC=原アーリア説を主張し、大量の灰あるいはケシや麻黄が発見された宮殿の部屋をアーリア人の拝火儀式、ソーマ(ハオマ)儀式の証拠であるとするが、

BMACは農耕文化であって馬に関係した遺物は極めて乏しく、BMACを原アーリア人と関連づけるのは困難である。
またジェームズ・マロリー(英語版)はヴェーダにおける砦の記述と発掘された城塞とを結び付け、アンドロノヴォ文化がBMACと同化してアーリア文化になったと主張するが、
BMACとこれを滅亡させたと見られる文化は短期間かつ断絶的に入れ替わっている。

インド・イラン語派には印欧祖語やドラヴィダ語と異なる基層言語があるとの考えもあり、それがBMACの言語(単一ではない?)と考える人もいる。
現在ガンダーラ地方の近く(カシミール)に残っているブルシャスキー語も関係があるかもしれない。
947世界@名無史さん:2014/02/11(火) 12:36:49.66 0
948世界@名無史さん:2014/02/11(火) 22:53:04.94 0
マジャル語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%AB%E8%AA%9E

ウラル語族のフィン・ウゴル語派に分類され、フィンランド語やエストニア語と同系統の言語であるが、意思の疎通がまったくできないほどの大きな隔たりがある。
ヨーロッパで話される諸言語の多くが属するインド・ヨーロッパ語族とは系統が異なり(ただし歴史的経緯からスラヴ諸語やドイツ語の影響をある程度受けている)、
姓名や日付などの語順もインド・ヨーロッパ語族の言語とは異なる[1]。



ハンガリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC

「ハンガリー」は俗説にあるような「フン族」が語源ではなく、「ウンガルン」(独: Ungarn)、「ウガリア」(希: Ουγγαρ?α)に見られるように元々は語頭の h がなかった。
語源として一般に認められているのは、7世紀のテュルク系の Onogur という語であり、十本の矢(十部族)を意味する。
これは初期のハンガリー人がマジャール7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。
949世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:06:12.64 0
>>948

ハンガリーの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

建国まで

この地域は、1世紀にはローマ帝国が属州パンノニアを置いた。4世紀にローマ帝国が衰退し、ゲルマン人の移動が始まると、この地にゴート族が到来した。
その後、ドナウ川中流の良質の平原に着目して、5世紀にフン族、6世紀にアヴァール人などテュルク系と見られる遊牧民の勢力がそれぞれ到来し定着した。

9世紀になるとウラル山脈の中南部周辺からウゴル系遊牧民であるマジャル人が黒海北岸〜ロシア南部のヴォルガ川南岸付近の広大な草原地帯に到達した。
その後、大首長(ジュラ)アールパードは共同統治者の名誉最高首長(ケンデ)クルサーンとともにバルカン半島を経由して、ハンガリー平野この地に移住してきた。
アールパードはパンノニア平原を根拠とし、アールパード家の祖となり、ドイツ南東部のバイエルンなど東・中部ヨーロッパ各地を騎馬で蹂躙し、同時期の海のヴァイキングとともに怖れられた。

しかし、955年にアールパードの孫タクショニュはレッヒフェルトの戦いでオットー1世に敗れると、
今までの部族の風習であるシャーマニズムによる自然崇拝を放棄し、カトリックによるキリスト教に改宗して、パンノニア平原に統一王国建設を開始した。
同時に現地のスラヴ族やラテン人など多くの民族と混血して、現地に同化した。


アヴァール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB

概要
フンが姿を消してから約1世紀の後、フンと同じく現在のハンガリーの地を本拠に一大遊牧国家を築いたのがアヴァールである。
フンほどの強大さはなく、またアッティラほど傑出した指導者がいたわけでもなく、さらに周辺民族による記録が少なかったためにアヴァールの歴史はよく知られていない。
しかし、アヴァールは東ローマ帝国およびフランク王国と接触し、スラヴ諸民族の形成に大きな影響を与えた。[1]

言語系統[編集]
アヴァールの言語は「テュルク系」説、「柔然と同族なのでモンゴル系」説、の2つがあるがどちらなのかは不明である。
950世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:12:57.09 0
>>949
ハンガリー王国[編集]

聖イシュトヴァーンの王冠と宝器1000年にタクショニュの孫であるアールパード家のイシュトヴァーン1世が本格的にキリスト教に改宗すると、
ローマ教皇からハンガリー国王として聖別をうけ戴冠し、ヨーロッパ世界の一員となった。
それからのハンガリー王国は北部のスロヴァキア(モラヴィア)、南部のクロアチアのスラヴ人を支配下に入れ、さらにルーマニアトランシルヴァニアにも勢力を伸ばした。
この頃がハンガリーの絶頂期であり、中欧の強国として君臨していた。

この時代の領域は聖イシュトヴァーンの王冠の地と呼ばれ、以後ハンガリーの歴史観において重要な位置を占めた。
このためハンガリー王となるものは聖イシュトヴァーンの王冠を頂く者であるという概念が生まれた。

1240年にはモンゴル帝国のバトゥによる侵略を受け、甚大な被害をうけた(モンゴルのポーランド侵攻)。
この経験を経たことでハンガリー国王は防衛体制を整える必要に迫られ、貴族層に土地を与えて彼らの主導で堅固な城塞を築かせていった。
同じく防衛上の観点からも城壁を持つ都市の発展が求められ、従来までの都市のほか、新たにドイツ人の入植を契機とした都市も形成・発展した。
その例として、シビウ、ブラショフ、ビストリツァ、コシツェなどが挙げられる。
951世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:19:38.05 0
>>949

東ローマ帝国との同盟[編集]

アヴァールが歴史上に現れるのは558年のことで、時に東ローマ帝国ではユスティニアヌス1世(在位:518年 - 565年)の治世であった。
アヴァールは突厥に追われて北カフカスに姿を現し、アラン人の仲介で東ローマ帝国と同盟関係を結んだ。

567年、アヴァールはゲルマン系のランゴバルド人と組み、ダキアとトランシルヴァニア、東パンノニアに割拠していたゲルマン系のゲピド族を滅ぼし、
その地を奪った(アヴァール可汗国(英語版)[7]の建国)。

翌年(568年)、ランゴバルドがイタリア半島に向かいランゴバルド王国を建国すると、アヴァールはそれに代わってハンガリー平原全域を支配した。
ここにおいてアヴァールの勢力範囲は、ティサ川流域を中心にボヘミアからドナウ川流域を経て南ロシアにおよぶ広大なものとなった。
この年、突厥可汗国の室点蜜(Stembis)の使者がコンスタンティノープルに現れ、東ローマ帝国と対ペルシア同盟を組み友好関係を結んだ。

東ローマ帝国ではユスティニアヌス1世が死去し、ユスティヌス2世(在位:565年 - 578年)が即位していた。
ユスティヌス2世はアヴァールに対して強硬姿勢を執り、アヴァールの使節に対して貢納の支払いを拒否したが、
アヴァールの指導者バヤン・カガン(英語版)の怒りを買い、バルカン半島の要衝であるサヴァ川沿いの要塞シルミウムを陥落寸前までに追い込まれた。
これによって、ユスティヌス2世は574年にアヴァールへの貢納を再開することとなる。

東ローマ帝国と突厥可汗国は568年以来、使節を往来させていたが、ふたたび東ローマがアヴァールと同盟を組んだことで両者の関係が一気に崩れ、
576年に突厥は東ローマの使節を非難するとともに(突厥はかつて自分たちが打ち破ったアヴァール人と同盟を結んだことに不信感を抱いた)クリミア半島の東ローマ領を征服した。
952世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:20:48.95 0
>>949

アヴァール対スラヴ[編集]

623年頃、最初のスラヴ国家であるサモ王国(英語版)(623年-658年)が旧チェコスロヴァキアの地に形成され、その地のスラヴ人がアヴァールの支配を脱した。
サモ王国は7世紀後半にアヴァールによって滅ぼされるが、すでにアヴァールの方も衰退期に入っており、全体としてはスラヴ人が独立性を強めていった。

791年、フランクのカール大帝がアヴァールに遠征し、804年までにドナウ川中流域を征服。
一方で南のブルガールもアヴァールを追ってパンノニアまで進出したため、アヴァールはフランク,ブルガール,スラヴの3者によって分割され滅亡した。


アヴァールの国家組織[編集]

アヴァール可汗国は強力な軍事力と発達した政治機構を持つ遊牧国家であり、支配者は遊牧国家の君主号であるカガン(khagan:可汗)を称した。
カガンを中心として「イウグル」と「トゥドゥン」と呼ばれる二人の高官が補佐する体制であったとされる。
またパンノニアで発見されたアヴァールが残したと考えられる鐙・火打ち金などの出土品は東アジアや北アジアに起源があり、
アヴァールが鐙を西欧に伝えたことで西欧の戦闘法に大きな影響を与えた。
一方で、アヴァール人の進出によってカルパチア盆地やドナウ川上流域に残っていたテウルニア、ウィルーヌムといった司教区は消滅した。
953世界@名無史さん:2014/02/12(水) 00:01:22.18 0
>>745
さて、フンガリア

ウクライナ、クロアチア、チェコ の真ん中にいるかな。


トルコは クロアチア、ブルガリア辺りに枝が見える。
それにしても、シリアとトルコの間が遠すぎる。
レヴァントの回廊を通らないと繋がらない、、、
954世界@名無史さん:2014/02/12(水) 00:38:41.87 0
>>761
ところでこの年代はどこから判明したの?
まだ見逃してる遺跡があるとか?


> とにかくR1bが欧州に侵入したのは4500〜5000年前だからね。
> それまでに狩猟採集民と農耕民の最低ふたつの人類の流れがあるわけだ。
955世界@名無史さん:2014/02/12(水) 05:29:37.71 0
あっちに長く住んで白人を見慣れれば美男美女ばかりじゃないことに気づくよ
956世界@名無史さん:2014/02/12(水) 19:38:46.76 0
>>954
どこにでも書いてあるよ。
とにかく新石器時代以降に本格的に西欧に進出して、
今ではかなりのウエイトを占めるまでに至った。
957世界@名無史さん:2014/02/12(水) 20:58:40.56 0
>>956
書いてあるのは見つからなかったけど
該当物はありました


http://r1b.org/?page_id=112

R1b and the Bell Beaker Phenomenon
Ancient DNA analysis of two male skeletons from the Late Neolithic Bell Beaker site of Kromsdorf, Germany showed they belonged to Y-DNA haplogroup R1b.[1]
More specifically, one skeleton belonged to R1b (M343) with the testing of R1b1a2 (marker M269) having failed and the other skeleton belonged to R1b1a2.
Both were ancestral for SNP U106. No other downstream markers were tested.
The find is important because it links the widespread Bell Beaker Phenomenon (hereafter BB) with the most frequent Y-DNA haplogroup in modern Western European males.
It is also important as R1b has not appeared in any Neolithic or pre-Neolithic ancient DNA to date.


Resources

1. Lee, E. et al. (2012), Emerging genetic patterns of the European neolithic: Perspectives from a late neolithic bell beaker burial site in Germany,
American Journal of Physical Anthropology, online 3 May 2012 ahead of print.

2. Muller J, Van Willigen S, New radiocarbon evidence for European Bell Beakers and the consequences for the diffusion of the Bell Beaker Phenomenon, in Franco Nicolis (ed.), Bell Beakers today:
Pottery, people, culture, symbols in prehistoric Europe (2001), pp. 59-75.

3. Vander Linden M, Demography and mobility in North-Western Europe during the third millennium cal.
BC, Prescott C. & Glorstad H. (reds.), Becoming European. The transformation of third millennium Europe and the trajectory into the millennium BC (2012). Oxbow Books, Oxford, p. 22.
958世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:18:17.91 0
>>957
ありがとう。
このくだりだね。
It is also important as R1b has not appeared in any Neolithic or pre-Neolithic ancient DNA to date.

ここ1〜2年の間に古代欧州人の変遷というか血統の入れ替わりに関する記事・論文が増えたね。
最後に登場するのがR1bということなんだが。
959世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:23:14.67 0
ウーニェチツェ文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%82%A7%E3%83%81%E3%83%84%E3%82%A7%E6%96%87%E5%8C%96

ウーニェチツェ文化(英語:Un?tice culture)は紀元前2300年から紀元前1600年にかけての中央ヨーロッパの青銅器時代の考古文化。
名称はプラハの北東郊外にこの文化の遺跡があるウーニェチツェ地区から採られた。中核部はチェコ、ドイツ中部と南部、ポーランド西部と中部に広がっている。
ウーニェチツェ文化は、先行する縄目文土器文化にとって代わって広がった。その後西部と東部では異なる発展段階を辿ることになる:

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/Central_Europe_Reinecke_BA1.png

この文化は、パウル・ライネッケ(en:Paul Reinecke)の年代区分では青銅器時代A1とA2に相当する:

A1:2300-1950 BC:三角ダガー、平斧、石製のリストガード(en:stone wrist-guards)、フリント製の鏃
A2:1950-1700 BC:金属製の柄の付いたダガー、フランジ付き斧(フランジ斧)、ハルバード、球形の頭部に穿孔のある針類、堅固なブレスレット
これらの区分年代は主にジンゲン集団墓地(放射性炭素年代測定)、およびレウビンゲン墓地とヘルムスドルフ墓地(年輪年代測定)での調査による。

マリヤ・ギンブタスによると、この文化の墓地遺跡にはバルト海産の琥珀が高い割合で埋められているという。


有名なネブラ・ディスクは、ウーニェチツェ文化のものとされる。この文化に特徴的な銅製のダガーが、この円盤とともに複数発見されたことによる。
960世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:26:35.98 0
>>959
死亡推定ワラタww


交易[編集]

ウーニェチツェ文化の交易相手の文化のなかには、ストーンヘンジで有名なイギリスの先史時代社会(Wessex culture)も含まれていた。
ウーニェチツェ文化の鍛冶屋たちは純粋な銅を使っていた。ヒ素・アンチモン・錫の銅合金によって青銅を作るのはこれよりもあとの時代からである。
例外もあり、たとえば先に挙げたジンゲンの集団墓地では、錫を9%混ぜた銅合金のダガーが何本か見つかっている。
このダガーはおそらくブルターニュ半島で作られたものと見られる。なお、ブルターニュ半島でもその地方の富裕層の墓が数か所見つかっている。
アイルランド産の錫は広く取引されていた。ドイツ・ヘッセン州のブツバッハ(Butzbach)では、リューニャラ(lunula)と呼ばれる三日月形ネックレスが見つかっているが、これは金製でアイルランド風の意匠となっている。
琥珀も取引されていた。世界的な大産地であるバルト海南岸産の琥珀(バルチック・アンバー)のほか、他所の小規模な産地で採られた琥珀も取引されていたようである。

このように周辺各地との人的交流は盛んで、最近ではスウェーデンのスコーネ地方から来たと思われる男性の遺骨がポーランドのヴロツワフ市で見つかっている。
この「スウェーデン人」男性は、滞在していたこの土地で地元の「ポーランド人」女性2人に同時に手を出したことが村人たちに発覚して捕えられ、女性たちと共に処刑されたものと推定される。[1]
961世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:36:39.04 0
>>958
年代はその続きにあるけど
元は確認してなす

>>957

Based on the radiocarbon (14C) dating of short lived material, the current prevailing view is that BB originated in Iberia (2900 BC cal.),
with an almost concurrent appearance in southern France and northern Italy.[2]
The spread of BB into Northern and Central Europe seems to have occurred somewhat later (~2500 BC).
Vander Linden (2012) questioned the use of 14C dating to find the origins of BB, mainly on the grounds that most dates fall within a very narrow time-frame.[3]
He reinforced instead the Dutch Model, which based on typology and burial data, sees BB as an evolution of the Single Grace Culture (Corded Ware) in the lower Rhine.
Limited ancient DNA has failed to provide a male genetic link however as Corded Ware skeletons
have been found to belong instead to haplogroup R1a1, haplogroup G and possibly haplogroup I. [4] [5]

Based on the homogeneity of STR variance of the three major subclades of P312 (U152, L21 and DF27), and similar modal values for U106 (65 of 67),[6]
both P312 and U106 seem to have had a great period of geographic expansion in a relatively short period of time.
A second, albeit less frequent, brother clade to L11 is defined by Y chromosome position 3263086 G>A (GRCh37/hg19 Assembly) (unpublished data).
The distribution of this group is primarily restricted to Northern Italy and France[6] and is easily spotted in academic studies by way of its off-modal value of DYS426=13.
While BB migrations seem to have impacted some areas such as Bavaria very heavily[7],
other areas such as Northern Iberia and Bohemia show very little variability from the preceding non-BB populations [8].

Understanding the dynamics of Bell Beaker population movements and how they shaped the distribution of R1b
and its phylogeny should warrant Y-DNA testing of ancient skeletal remains at the subclade level.[9]
962世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:32:30.24 0
英語で書き込んでくれている人、ありがとう。
今度の土日にじっくり読んで考えるわ。

フィナンシャルタイムズよりはるかに面白い。
963世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:33:36.72 0
>>957
http://dienekes.blogspot.jp/2012/05/bell-beakers-from-germany-y-haplogroup.html
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.22074/abstract


American Journal of Physical Anthropology DOI: 10.1002/ajpa.22074

Emerging genetic patterns of the european neolithic: Perspectives from a late neolithic bell beaker burial site in Germany†

The transition from hunting and gathering to agriculture in Europe is associated with demographic changes that may have shifted the human gene pool of the region as a result of an influx of Neolithic farmers from the Near East.
However, the genetic composition of populations after the earliest Neolithic,
when a diverse mosaic of societies that had been fully engaged in agriculture for some time appeared in central Europe, is poorly known.

At this period during the Late Neolithic (ca. 2,800?2,000 BC), regionally distinctive burial patterns associated with two different cultural groups emerge, Bell Beaker and Corded Ware,
and may reflect differences in how these societies were organized. Ancient DNA analyses of human remains from the Late Neolithic Bell Beaker site of Kromsdorf, Germany
showed distinct mitochondrial haplotypes for six individuals, which were classified under
the haplogroups I1, K1, T1, U2, U5, and W5, and two males were identified as belonging to the Y haplogroup R1b.

In contrast to other Late Neolithic societies in Europe emphasizing maintenance of biological relatedness in mortuary contexts,
the diversity of maternal haplotypes evident at Kromsdorf suggests that burial practices of Bell Beaker communities operated outside of social norms based on shared maternal lineages.
Furthermore, our data, along with those from previous studies, indicate that modern U5-lineages may have received little, if any, contribution from the Mesolithic or Neolithic mitochondrial gene pool.
964世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:39:27.64 0
>>962
いや、俺は英語を書くどころか読めないんだがww
全部コピペなので主の方をを拝むべし

ちなみに座右の銘は「(他)人の褌で相撲を取る」
965世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:51:01.68 0
>>959

Nebra sky disk
http://en.wikipedia.org/wiki/Nebra_sky_disk


Origin of the metals[edit]

According to an initial analysis of trace elements by x-ray fluorescence by E. Pernicka, then at the University of Freiberg,

the copper originated at Bischofshofen in Austria,
while the gold was thought to be from the Carpathian Mountains.[3]

A more recent analysis found that the gold used in the first phase was from the river Carnon in Cornwall.[4]
The tin content of the bronze was also from Cornwall.[5]
966世界@名無史さん:2014/02/13(木) 20:41:36.26 0
lie Teviec

http://en.wikipedia.org/wiki/Prehistory_of_Brittany

Mesolithic[edit]The best-known mesolithic sites from Brittany are the cemeteries on the islands of Hoedic (10 graves) and Teviec (9 graves) in Morbihan.
The collective graves are placed in shell middens without any particular order. Some graves show evidence of postmortal manipulations of the bones.
There are single burials and empty graves (cenotaphs) as well. The graves are covered with stones, a hearth or antlers forming a sort of dome.
Rich funeral gifts, flint tools, engraved bones, shell ornaments and ochre demonstrate the affluence of these hunter-gatherers, or rather fisher-gatherers. Certain shells are sex-specific.

In Teviec there are stone cist graves. The bones of an infant have been postmortally ornamented with striations.

The corresponding settlements consist of shell middens.
A radiocarbon date of 4625 (uncal.) for Hoedic places it in the 6th Millennium BC cal, rather late in the Mesolithic sequence,
and indeed there are some indications of contact with agricultural societies to the East.
Their economy was based on marine resources. Recently, a number of accelerator dates have been published for Hoedic.

In Beg an Dorchenn in Plomeur (Finistere), domestic dog and cattle were already present, in Dissignac, microliths were associated with pollen evidence for clearances.

Some scholars speculate that megalithic graves might go back to the Mesolithic, but this contention is difficult to prove,
as most structures have been reused. Large numbers of microliths have been found under the chambered tomb of Dissignac fr:Tumulus de Dissignac.
967世界@名無史さん:2014/02/13(木) 20:48:44.45 0
>>928
ヌーリスターン語派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%AA%9E%E6%B4%BE

ヌーリスターン語派(Nuristan, ヌーリスタン語派)、またはカーフィル語派(Kafir)とは、
パキスタンからアフガニスタンにかけて分布する言語のグループで、インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属する。

比較言語学的な位置づけについては、近年ではインド・イラン語派内の独立した一グループとする見解が主流であるが、
一方で支持は少ないながらも、インド語派に含める説や、イラン語派に属するがインド語派に属するダルド語派から多大な影響を受けて変容したとする説もある。
いずれにせよ、ヌーリスターン語派の諸民族が現住地に落ち着いたのは相当の過去のことであり、またインド語派とは異なりパンジャーブ地方へは入らなかったという点に争いはない。


ヌーリスターンは1890年代までペルシア語で「不信仰者の地」を意味するカフィリスタン(英語版)と呼ばれていた。
これは当地の住民が独自の多神教(アニミズム)を信仰していたためで、言語もこれに倣ってカーフィル語派とされていた。
しかしアブドゥッラフマーン・ハーンに征服されて強制的に改宗させられ、住民の一部がイスラームを受容すると、
異教の民がイスラームの光に照らされたとしてヌーリスターン(光の地)と呼ばれるようになり、
カーフィル語派の名も差別的だとしてヌーリスターン語派に改められた。

ヌーリスターン語派に属する言語
ストランドは、ヌーリスタン語派には大別して5言語が存在し、それぞれ数種類の方言をもつとしている。
主な方言にはカタヴァリ語(英語版)、カンヴィリ語(英語版)、ヴァイアラ語(英: Vai-ala)などがあり、パキスタン側のヌーリスタンではカンヴィリ語話者が大多数である。
これら方言とはダルド語派との関連が指摘されているが、言語学的というよりは地理的な関連であろう。

Askunu (Ashkun) 2,000 speakers
Kamkata-viri (Bashgali, includes the dialects Kata-vari, Kamviri & Mumviri) 24,200 speakers
Vasi-vari (Prasuni) 2,000 speakers
Tregami (Gambiri) 1,000 speakers
Waigali (Kalasha-ala) 2,000 speakers
Zemiaki 500 speakers
968世界@名無史さん:2014/02/13(木) 22:21:19.40 0
ヌーリスターンの伝統宗教って、ヒンドゥー教からドラビダやムンダ由来の要素を除いたような感じなのかな
969世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:23:01.84 0
>>968どうなんっすかね

パシュトー語Pashto language
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%BC%E8%AA%9E
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/85/Pashtun_Language_Location_Map.svg/500px-Pashtun_Language_Location_Map.svg.png

パシュトー語(パシュトーご)は、アフガニスタン、またパキスタンの西部に住むアフガン人(パシュトゥーン人)の話す言語である。
インドヨーロッパ語族のイラン語派の東語群に属す。
アフガニスタンでは、憲法によりパシュトー語が公用語と定められている。一方、パキスタンでは、国語および公用語として定められていない。


文字[編集]

アラビア文字の系統のペルシア文字に、アラビア語にもペルシア語にも存在しない音(そり舌音など)の文字を加えて改造した、パシュトー文字(英語版)と呼ばれる文字を用いる。
ナスフ体(英語版)を主に用い、ナスタアリーク体も用いられる。

北部パシュトー語 - 11,430,000人(パキスタン、アフガニスタン、アラブ首長国連邦)
ギルザイ方言 - Ghilzai (pbu-ghi)
北東パシュトー方言 - Northwestern Pakhto (pbu-nop)
Ningraharian Pashto (pbu-nin)
デュラニ方言 - Durani (pbu-dur)

中部パシュトー語 - 7,920,000人(パキスタン)
Bannuchi (pst-ban)
Waciri (pst-wac)

南部パシュトー語 - 7,590,100人(アフガニスタン、イラン、パキスタン、タジキスタン)
クエッタ・パシュトー方言 - Quetta Pashto (pbt-que)
南東パシュトー方言 - Southeastern Pashto (pbt-sou)
カンダハール・パシュトー方言 - Kandahar Pashto (pbt-kan)
南西パシュトー方言 - Southwestern Pashto (pbt-sop)
970世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:30:12.48 0
>>969
History[edit]

According to 19th-century linguist James Darmesteter and modern linguist Michael M. T. Henderson, Pashto is "descended from Avestan",[9][10][11]
but Georg Morgenstierne says they are merely closely related.[47]
The word "Pashto" derives by regular phonological processes from Parsaw?- "Persian".[48]
Nonetheless, the Pashtuns are sometimes compared with the Pakhta tribes mentioned in the Rigveda (1700?1100 BC), apparently the same as a people called Pactyans,
described by the Greek historian Herodotus as living in the Achaemenid's Arachosia Satrapy as early as the 1st millennium BC.[49]
However, this comparison appears to be due mainly to the apparent, etymologically unjustified, similarity between their names.[50]

Strabo, who lived between 64 BC and 24 CE, explains that the tribes inhabiting the lands west of the Indus River were part of Ariana and to their east was India.
Since the 3rd century CE and onward, they are mostly referred to by the name "Afghan" ("Abgan")[51][52][53] and their language as "Afghani".[7]

Scholars such as Abdul Hai Habibi and others believe that the earliest modern Pashto work dates back to Amir Kror Suri in the eighth century, and they use the writings found in Pata Khazana.
However, this is disputed by several European experts due to lack of strong evidence.
Pata Khazana is a Pashto manuscript[54] claimed to be first compiled during the Hotaki dynasty (1709?1738) in Kandahar, Afghanistan.
During the 17th century Pashto poetry was becoming very popular among the Pashtuns.
Some of those who wrote poetry in Pashto are Khushal Khan Khattak, Rahman Baba, Nazo Tokhi and Ahmad Shah Durrani, founder of the modern state of Afghanistan or the Afghan Empire.
971世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:33:05.48 0
>>969

パシュトゥーン人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%BA

アフガニスタン(アフガーニスターン (Afgh?nist?n))は、ペルシア語・ダリー語で「アフガン人(パシュトゥーン人)の国」という意味。
北パキスタンのペシャーワルと南アフガニスタンのカンダハールは、パシュトゥーン人の伝統的な主要な中心都市である。
パシュトゥーン人は、パシュトー語またはパフトー語を話し、ダリー語とともにアフガニスタンの公用語の一つである。


歴史[編集]

紀元前2世紀後半に北方からイラン高原の東部に侵入したと伝えられており、もともとの居住地は、カンダハールの東にあるクーヒ・スライマーン山脈の近くにあったと伝承されている[1]。

10世紀頃にイスラム教を受け入れ、のちにイランのサファヴィー朝やインドのムガル帝国の支配を受けた。
その一派は18世紀初頭にサファヴィー朝に対して反乱を起こし、1722年に首都イスファハーンを陥落させるが、アフシャール朝のナーディル・シャーに敗れた。

ナーディル・シャーの死後、彼に従っていたドゥッラーニー族のパシュトゥーン人アフマド・シャー・アブダーリーはカンダハールでアフシャール朝から自立し、
アフガニスタン国家の起源となるドゥッラーニー朝を建国する。
ドゥッラーニー族が支配するアフガニスタンでは、パシュトゥーン人部族の有力者(貴族)が国家のあらゆる側面で力を持ち、国家を支配してきた。

民族の居住地域が大きく分散していないにもかかわらず、2つの国家に分割されているのは、19世紀当時にアフガン戦争によってこの地域を支配下に置いていたイギリスが、
保護国アフガニスタンと植民地インドとの境界を民族分布を考慮せずに引いたためである。
1893年の国境線(デュアランド・ライン)の画定に伴い、パシュトゥーン人の居住地域は、アフガニスタンと現在のパキスタン北西部に分かれることとなった。
972世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:39:27.85 0
>>967

Kafiristan
http://en.wikipedia.org/wiki/Kafiristan
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/AfghanistanNurestan.png

History 

Ancient
Further information: History of Afghanistan

Ancient Kapi?a Janapada, located south-east of the Hindukush, included and is related to Kafiristan.[5]
The Chinese pilgrim Hiuen Tsang who visited Kapisa in 644 AD calls it Kai-pi-shi(h).[6]
Hiuen Tsang describes Kai-pi-shi[7] as a flourishing kingdom ruled by a Buddhist Kshatriya king holding sway over ten neighbouring states including Lampaka, Nagarahara, Gandhara and Bannu.
Until the 9th century AD, Kapi?i remained the second capital of the Shahi dynasty of Kabul.
Kapi?a was known for goats and their skin.[8] Hiuen Tsang talks of Shen breed of horses from Kapi?a (Kai-pi-shi).
There is also a reference to Chinese emperor Tai-Tsung being presented with excellent breed of horses in 637 AD by an envoy from Chi-pin (Kapisa).[9]
Further evidence from Hiuen Tsang shows that Kai-pi-shi produced all kind of cereals, many kinds of fruits, and a scented root called Yu-kin, probably khus or vetiver.
The people used woollen and fur clothes and gold,[10][11] silver and copper coins.
Objects of merchandise from all parts were found here.[12]
973世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:58:52.79 0
>>968

ヌーリスターン人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%BA

ヌーリスターン人(ヌーリスターンじん、Nuristani)は、中央アジア・南アジアのアフガニスタンを中心に居住する民族である。ヌーリスタン人やヌリスタニ人とも呼ばれる。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Girl_in_a_Kabul_orphanage,_01-07-2002.jpg

アフガニスタン北東部のヌーリスターン州に住み、一部はパキスタンの北西辺境州 のチトラル地区にも住む。
金髪、紺碧目で色白という北ヨーロッパ人と同じような外見を持ち、特に子ども時代はその傾向が強い。
そのため、一説には当時この地を通った、ギリシャのアレキサンダー大王の軍隊の末裔であるという説もある。
言語はインドヨーロッパ語族イラン語派のヌーリスターン語派であるが、第二言語としてダリー語やペルシャ語、パシュトー語も話す。


ダリー語(ファルシー語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%AA%9E

ダリー語はアフガニスタンの公用語の一つ。タジク語と同じく基本的にはペルシア語であるが、発音・語彙を中心にいくらかの違いがある。
発音は、ペルシア語のe, oがダリー語ではi, uになるなど、ほぼ組織的な対応関係がある。
語彙の大半はペルシア語と同じだが、ダリー語にはパシュトー語やウルドゥー語からの借用語が多い。
また、西欧語からの新しい借用語については、ペルシア語ではフランス語由来の語が多いのに対し、ダリー語では英語由来のものが多い。


うーん、なにかの遺跡が思い出せない、、、
974世界@名無史さん:2014/02/14(金) 00:48:11.32 0
さて、スレも残り少ないので雑感を

>>600 ミステリートライアングル
>>574 一部判明したが気になる部分が残ってる
>>557 不明、検証したい

>>611
どっかでNGSDの話を見かけた
そしてワスレタww

>>687 たぶん、まだ頑張れない

>>720>>724
これはやることある

>>768 家畜は継続
いつもの詳しい人に教えてもらいたい
>>801よりは>>806

>>791 レムノス島とロドス島は、クレタも含めて検証要

>>849 とりあえず落ちついて嫁>>858

>>862 ここらへんは他のも含めて年代をきっちりさせたい

>>874 結果が気になる。 たぶんドイツ、デンマークのと一緒に出てくるとみた。

>>610 そろそろ見れるかと思う

とりあえず、「海の民」だけほったらかしてる
975世界@名無史さん:2014/02/14(金) 00:54:59.84 0
>>968

るつぼですね
http://www.hansen-jp.com/208amabe.htm

 エスニック諸集団

 このような事情から、アフガニスタンでは、南東部を中心に居住する征服者パシュトゥーン人が人口の約四〇%を占めるにすぎず、
そのほかに、

バダフシャーン地方にタジク人、
ヘラート地方とスィースターン地方にファールスィー人(ペルシア人)、
バクトリア地方にウズベク人、トルクメニスタンとの国境付近にトルクメン人、
ヒンドゥークシュ山脈の東部ハザーラジャート地方にハザーラ人、
その西部ゴール地方にアイマク(チャハール)人などが存在する。

パシュトゥーン人は一八世紀以後、スィースターン北部のファラーフ、スィンダンドやバクトリア地方にも移住し、分布を複雑なものにしている。

 以上が七大エスニック集団(民族意識に乏しく、民族とはいえない)であるが、このほかに、マイノリティ集団が少なくない。


 以上のエスニック集団の中で、パシュトゥーン人が話すパシュト語はイラン系であるが、ペルシア語とは大きく異なる。

タジク人、ファールスィー人、ハザーラ人、アイマク人、キズィルバーシュ人はいずれもペルシア語(ダリー語)やその方言を話すが、
ハザーラ人のペルシア語はモンゴル語の単語を含み、
アイマク人のペルシア語は、トルコ系の単語が著しく多い。
また、ウズベク語とトルクメン語は中央アジアのトルコ系言語である。
976世界@名無史さん:2014/02/14(金) 18:56:46.19 0
クローヴィス人のゲノム
http://sicambre.at.webry.info/201402/article_15.html


 この研究では、アメリカ合衆国モンタナ州西部にあるクローヴィス文化のアンジック遺跡で発見された男児(Anzick-1)のゲノムが解析され、他のゲノムと比較されています。
その男児の年代は、放射性炭素年代測定法で10705±35年前頃(暦年代では12707〜12556年前頃)となります。
この男児のゲノムが現代人や更新世シベリア人と比較されました。その結果、“Anzick-1”の属していた集団は、
現代のアメリカ大陸先住民の約8割の直接的祖先であり、残りの2割も、他のどの集団よりも“Anzick-1”集団に近い関係にあることが明らかになりました。
また、“Anzick-1”はシベリアのバイカル湖近くのマリタ遺跡で発見された24000年前頃の少年と、遺伝子の1/3を共有しており、
これは現在の全アメリカ先住民も同様です。

このことから、アメリカ先住民の祖先の一部たる東アジアの集団と、更新世のマリタの集団とが出会ったのは、
クローヴィス文化以前だろう、と推測されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。

参考文献:
Rasmussen M. et al.(2014): The genome of a Late Pleistocene human from a Clovis burial site in western Montana. Nature, 506, 7487, 225?229.
http://dx.doi.org/10.1038/nature13025
977世界@名無史さん:2014/02/14(金) 19:01:04.64 0
>>976

古代ゲノム学:モンタナ州西部にあるクローヴィス人の墓地遺跡で発掘された更新世後期のヒトのゲノム

古代ゲノム学:古代ゲノムからアメリカ先住民の祖先が明らかに
 クローヴィス文化は、約1万3000年前の北米に広く分布した古代の文化で、
クローヴィス尖頭器として知られる槍の刃など、独特な石器が特徴である。
ただ、これらの石器をどのような人々が作ったのかについては、わずかな情報しかなく、推測の域を出なかった。
今回、古代の北米にいたアメリカ先住民個体のゲノム塩基配列が初めて解読され、さらなる研究を進めるための情報が得られた。
このゲノムは米国モンタナ州にあるクローヴィス文化のアンジック遺跡の墓地で発掘された幼い男児(Anzick-1)のものである。
この部分骨格は約1万2600年前に埋葬されたもので、黄土を塗った多数の石器と一緒に出土した。
このゲノムは、現代のアメリカ先住民の祖先に当たる1つの集団に属している。
また、このゲノムと南北アメリカのさまざまな先住民集団との類縁関係は全て、他大陸のどの集団とよりも近かった。
これらの知見は、クローヴィス人がヨーロッパから移動してきたという仮説を否定するもので、クローヴィス人よりも数千年前にアメリカ大陸にヒトが居住していたという説と一致し、
現代のアメリカ先住民が、アメリカ大陸に最初にうまく定住した人々の子孫であることを示している。


http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_ft.html

地図http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_F1.html
分布http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_F2.html
分岐http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_F3.html
978世界@名無史さん:2014/02/14(金) 19:10:41.20 0
>>977

mtDNA and Y-chromosome subtrees.

http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_SF2.html
http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/images/nature13025-sf2.jpg

a, Schematic phylogenetic tree of mtDNA haplogroup D4h3 and its sub-branch D4h3a.

Mutations from the root of haplogroup D4h are specified only for haplogroup D4h3a lineage; diagnostic mutations are shown only for defined sub-branches on solid lines.
The haplotypes of Anzick-1, identical with the root haplotype of D4h3a,
and an ancient full sequence from the northwestern coast of North America (Ancient939), are indicated in red.
Insertions are indicated with ‘.’ followed by a number of inserted nucleotides (X if not specified), deletions are indicated with ‘d’ and back mutations to ancestral state with ‘!’.
The geographical spread of sub-branches of haplogroup D4h is shown with different colours specified in figure legend.


b, Placement of Anzick-1 within the Y-chromosome phylogeny.

Anzick-1 (circled) represents Y-chromosome haplogroup Q-L54*(xM3) (blue), which is offset by haplogroup Q-M3 (dark blue).
The lineage carried by the ancient Saqqaq Palaeo-Eskimo (light blue) constitutes an outgroup to Q-L54.
Each branch is labelled by an index and the number of transversion SNPs assigned to the branch (in brackets).
Terminal taxa (individuals) are also labelled by population, ID and haplogroup.
Branches 21 and 25 represent the most recent shared ancestry between Anzick-1 and other members of the sample.
Branch 19 is considerably shorter than neighbouring branches, which have had an additional ~12,600 years to accumulate mutations.

みれる?
http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/images/nature13025-f1.jpg
http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/images/nature13025-f2.jpg
http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/images/nature13025-f3.jpg
979世界@名無史さん:2014/02/14(金) 21:58:32.53 0
>>600

なんで見てなかったんだろうww
まじワロス

Table SI 14
Pigmentation prediction in the MA-1 individual contrasted with the Tyrolean Iceman
The method is based on assessing a total 124 SNPs associated with pigmentation traits

Phenotype
MA-1 (17 SNPs)
Iceman (24 SNPs)

darker skin vs fairer skin
blue eyes vs non-blue eyes
brown eyes vs non-brown eyes
green or blue eyes vs brown or black eyes
red hair vs non-red hair
freckles vs non-freckles
blond hair vs non-blond hair
brown hair vs non-brown hair
lighter brown or blond hair vs darker brown or black hair
blond or red hair vs brown hair
lighter brown hair vs darker brown hair
blond or red hair vs non-blond or non-red hair
980世界@名無史さん:2014/02/14(金) 21:59:49.58 0
>>979

MA-1 (17 SNPs)
darker skin (6/9)
Non-blue eyes (4/4)
brown eyes (2/3)
brown or black eyes (2/2)
-
freckles (1/1)
Non-blond hair (1/1)
brown hair (5/7)
darker brown or black hair (2/3)
brown hair (7/7)
lighter brown hair (2/2)
-


Iceman (24 SNPs)
fairer skin (8/15)
blue eyes (7/9)
non-brown eyes (5/8)
brown or black eyes (3/3)
red hair (2/3)
freckles (2/3)
blond hair (2/3)
brown hair (8/11)
lighter brown or blond hair (2/3)
brown hair (11/13)
lighter brown hair (2/3)
blond or red hair (2/3)
981世界@名無史さん:2014/02/14(金) 23:34:16.61 0
>>610

Table S2

Population(X) n Language Social/ caste

Paniya 5 Dravidian Tribal
Palliyar 5 Dravidian Tribal
Kattunayakan 5 Dravidian Tribal
Palliyar^a 5 Dravidian Lower caste
Madiga 13 Dravidian Lower caste
Mala 13 Dravidian Lower caste
Adi-Dravidar 5 Dravidian Lower caste
Hakkipikki^a 4 Dravidian Tribal
Vedda 4 Indo-European Tribal
Kamsali 4 Dravidian Lower caste
Chenchu^a 4 Dravidian Tribal
Chamar^a 10 Indo-European Tribal
Chenchu 6 Dravidian Tribal
Bhil 17 Indo-European Tribal
Kallar 5 Dravidian Lower caste
Kallar^a 8 Dravidian Tribal
Vysya 14 Dravidian Middle caste
Malai Kuravar 5 Dravidian Tribal
Satnami 3 Indo-European Lower caste
Kuruchiyan 5 Dravidian Tribal
Dushadh^a 7 Indo-European Lower caste
Scheduled
caste/tribe^a 6 Dravidian Lower caste
982世界@名無史さん:2014/02/14(金) 23:34:52.29 0
>>981

Population(X) n Language Social/ caste

Mali 5 Dravidian Lower caste
Minicoy 4 Indo-European Lower caste
Gounder 5 Dravidian Middle caste
Lodi 5 Indo-European Lower caste
Naidu 4 Dravidian Upper caste
Velama 4 Dravidian Upper caste
Velama^a 9 Dravidian Upper caste
Narikkuravar 5 Dravidian Tribal
Tharu 5 Indo-European Tribal
Dharkar^a 11 Indo-European Nomadic group
Kanjar^a 8 Indo-European Nomadic group
Muslim^a 5 Indo-European Religious group
Srivastava 2 Indo-European Upper caste
Jain 5 Indo-European Religious group
Meghawal 5 Indo-European Lower caste
Kshatriya^a 7 Indo-European Upper caste
Vaish 4 Indo-European Upper caste
Brahmin^a 8 Indo-European Upper caste
Kshatriy^a 15 Indo-European Upper caste
Brahmin 10 Indo-European Upper caste
Sindhi^b 10 Indo-European Urban group
Kashmiri Pandit 15 Indo-European Upper caste
Pathan^b 15 Indo-European Urban group
983世界@名無史さん:2014/02/14(金) 23:45:15.22 0
>>982

Palliyar^a 5 Dravidian Lower caste Cypriot > Abhkasian (0.4) > Georgian (0.5)
Brahmina 8 Indo-European Upper caste Tuscan > Lezgin (0.0) > Georgian (0.1)

他はじょーじ

We compute D(Onge, X; YRI, Y) where X is an Indian group shown above and Y is a West Eurasian group chosen from a panel of 43 groups
including Europeans, Central Asians, Middle Easterners and Caucasian populations.

We display the results for the population Y with the highest D-statistic mean,
the 2nd highest D-statistic mean (Z-score for the difference between highest and 2nd highest group),
and the 3nd highest D-statistic mean (Z-score for the difference between the highest and 3nd highest). We consider

|Z| > 3 to be statistically significant. a
indicates samples from Metspalu et al (2011) and b
indicates samples from HGDP.
984世界@名無史さん:2014/02/15(土) 00:08:25.57 0
>>981
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Scheduled_Tribes_in_India

>>983

Palliyar people
http://www.joshuaproject.net/people-profile.php?rog3=IN&peo3=17889

Religion
Buddhism 0.00 %
Christianity 0.77 % (Evangelical: Data not available)
Ethnic Religions 0.00 %
Hinduism 99.23 %
Islam 0.00 %
Non-Religious 0.00 %
Other / Small 0.00 %
Unknown 0.00 %

http://en.wikipedia.org/wiki/Brahmin
Brahmin (/?br??m?n/; also called Brahmana; from the Sanskrit br?hma?a ????????) are traditional Hindu societies of India, Nepal and The Far East.

Brahman, Brahmin, and Brahma have different meanings.

Brahman refers to the Supreme Self. Brahmin (or Brahmana) refers to an individual belonging to the Hindu priest, artists, teachers, technicians class (varna or pillar of the society)
and also to an individual belonging to the Brahmin tribe/caste into which an individual is born; while the word Brahma refers to the creative aspect of the universal consciousness or God.
Because the priest / Acharya is knowledgeable about Brahma (the God), and is responsible for religious rituals in temples and homes and is a person authorized after rigorous training in vedas (sacred texts of knowledge)
and religious rituals to provide advice and impart knowledge of God to members of the society and assist in attainment of moksha,
the liberation from life cycle; the priest / Acharya class is called "Brahmin varna." The English word brahmin is an anglicized form of the Sanskrit word Br?hmana.

わからんww
985世界@名無史さん:2014/02/15(土) 00:47:31.77 0
>>983

http://en.wikipedia.org/wiki/Lezgian_people

he Lezgians (Lezgian: лезгияр, lezgiyar, Russian: лезгины, lezginy; also called Lezgins, Lezgi, Lezgis, Lezgs, Lezgin)
are an ethnic group living predominantly in southern Dagestan and northeastern Azerbaijan and who speak the Lezgian language.

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Lezgin_map.png


History[edit]In the 4th century BC, the numerous tribes speaking Lezgic languages, which is part of the Nakh-Dagestan family of languages,
united in a union of 26 tribes, formed in the Eastern Caucasus state of Caucasian Albania, which existed before the 8th century BC.
Under the influence of foreign invaders Caucasian Albania was divided into several areas - Lakzi, Shirvan, etc.
986世界@名無史さん:2014/02/15(土) 01:17:10.28 0
>>968

詳しくわかんないけど>>972

Hiuen Tsang describes Kai-pi-shi[7] as a flourishing kingdom ruled by a Buddhist Kshatriya king
holding sway over ten neighbouring states including Lampaka, Nagarahara, Gandhara and Bannu.

ってあるよ。

個人的にはゾロアスター教は色々と調べたけど、
ヒンドゥー教はあんまりなじみがない。
987世界@名無史さん:2014/02/15(土) 10:18:50.41 0
>>610 上の方

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2842210/bin/nihms137159f1.jpg
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2842210/bin/nihms137159f3.jpg

Indian Cline group Samples Z-score from 3 Population Test for mixture % ANI ancestry
Mala     3  -2.5  38.80%
Madiga    4  -2.7  40.60%
Chenchu  6  31.3  40.70%
Bhil     7  -10.6  42.90%
Satnami  3  -5.6  43.00%
Kurumba  6  -12.6  43.20%
Kamsali  3  -6.5  44.50%
Vysya   5  5.4  46.20%
Lodi     5  -8.9  49.90%
Naidu   4  -3.3  50.10%
Tharu    5  -20.6  51.00%
Velama    4  -3.2  54.70%
Srivastava 2  -7.5  56.40%
Meghawal  5  -13.3  60.30%
Vaish    4  -22  62.60%
Kashmiri
Pandit    5  -20.6  70.60%
Sindhi    10  -26.3  73.70%
Pathan   15  -34.3  76.90%
988世界@名無史さん:2014/02/15(土) 10:33:09.45 0
ヨーロッパにおけるジプシーの放浪生活は1500年前に始まった、DNA調査で明らかに

http://jp.sciencenewsline.com/articles/2012120619410008.html


Published: December 6, 2012.
Japanese text by SciecenNewsline team
based on release from Cell Press

ヨーロッパでは多くの人口を抱えるジプシー「ヨーロッパ・ロマ人」(European Romani)の放浪生活は、
1500年前のインド北西部で始まったことが学術専門誌「Current Biology」を通じて発表された論文により明らかとなった。
今回、発表された論文は、ジプシーの起源に関わる最初の遺伝子調査に基づく研究成果となるだろう。


ジプシーは1100万人の人口を抱え、ヨーロッパの少数派民族グループとしては最大の規模を持つ。
ジプシーの人口は、ギリシャ、ポルトガル、ベルギーといった国の総人口とほとんど変らない。

「私たちは、ヨーロッパの人口において重要な部分を占めているジプシーの人口史を解明することに興味があったのですが、
これまでヨーロッパ各国においてジプシーは無視された存在だったため、彼らに対する科学調査もほとんど行われてきたことはなかったのです」
とスペインのInstitut de Biologia Evolutiva at Universitat Pompeu FabraのDavid Comasは述べる。

ジプシーの起源に関わる歴史書は存在していない。失われたジプシーの歴史を埋めるため、
ComasととErasmus UniversityのManfred Kayserと欧州の国際研究チームは、
ヨーロッパ中から採集された13のジプシー集団の遺伝子情報を使うことにより、ヨーロッパ・ジプシーの起源はインドにあることを確認した。
この結果は、言語学に基づく調査によって得られた従来の学説とも一致するものとなった。
989世界@名無史さん:2014/02/15(土) 13:57:45.21 0
>>988
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Romani_people#Genetic_evidence

Genetic evidence[edit]


Researchers doing DNA analysis discovered that Romani populations carried large frequencies of particular Y-chr and mtDNA that otherwise exist only in populations from South Asia.

47.3% of Romani men carry Y-chr of haplogroup H-M82 which is rare outside the South Asia.[22]
mtDNA haplogroup M, most common in Indian subjects and rare outside Southern Asia, accounts for nearly 30% of Romani people.[22]

A more detailed study of Polish Roma shows this to be of the M5 lineage, which is specific to India.[23]
Moreover, a form of the inherited disorder congenital myasthenia is found in Romani subjects.
This form of the disorder, caused by the 1267delG mutation, is otherwise known only in subjects of Indian ancestry.
This is considered to be the best evidence of the Indian ancestry of the Romanies.[24]


A study from 2001 by Gresham et al. suggests "a limited number of related founders, compatible with a small group of migrants splitting from a distinct caste or tribal group".[27]
Also the study pointed out that "genetic drift and different levels and sources of admixture, appear to have played a role in the subsequent differentiation of populations".[27]
The same study found that "a single lineage ... found across Romani populations, accounts for almost one-third of Romani males.

A 2004 study by Morar et al. concluded that the Romanies are "a founder population of common origins that has subsequently split into multiple socially divergent and geographically dispersed Gypsy groups".[24]

The same study revealed that this population "was founded approximately 32?40 generations ago,
with secondary and tertiary founder events occurring approximately 16?25 generations ago".[24]
990世界@名無史さん:2014/02/15(土) 16:06:02.56 0
ところで次スレは?
991世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:21:12.43 0
>>990
おいらはどっかの過疎スレに移るけどね
もともとアーリア人のスレ無くなったから移住しただけだし。

あと、>>979検証中に色々と間違いを発見したんで、
みんなに謝っておきたい。
もう残りのスレ数では修正は不可能だろうな。

ゴメンなさい
992世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:33:03.45 0
お詫びのついでに
最後までお付き合い頂いた方には
これは必見というものをご紹介

>>548
http://www.sciencemag.org/content/342/6155/257/suppl/DC1
http://www.sciencemag.org/content/suppl/2013/10/10/342.6155.257.DC1/1241844s1.mov

まぁ、ちゃんと調べてる人はもう知ってるだろうけどね



ヨーロッパの話は、ほっといても誰かが説明してくれるだろう
と思ったまま3年ぐらいは経っちゃったからなぁ
993世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:43:47.46 0
こっちは流石にみんな見てるよね?
>>656のリンク先にあるやつ


原論文
Iosif Lazaridis, Nick Patterson, Alissa Mittnik, et al.
Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans
bioRxiv posted online December 23, 2013
doi: 10.1101/001552

http://biorxiv.org/content/early/2013/12/23/001552


後、落ちるまでなら質問やリクエストを受付けるよ。
まぁ、英語は読めないから訳してはあげられないけどねww
994世界@名無史さん:2014/02/15(土) 21:43:28.00 0
>>979
http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/fig_tab/nature12736_ft.html


http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/images/nature12736-f1.jpg

a, Geographical locations of Mal’ta and Afontova Gora-2 in south-central Siberia. For reference,

Palaeolithic sites with individuals belonging to mtDNA haplogroup U are shown (red and black triangles):
1, Oberkassel;
2, Hohle Fels;
3, Dolni Vestonice;
4, Kostenki-14.

A Palaeolithic site with an individual belonging to mtDNA haplogroup B is represented by the square:
5, Tianyuan Cave. Notable Palaeolithic sites with Venus figurines are marked by brown circles:
6, Laussel; 7, Lespugue; 8, Grimaldi;
9, Willendorf; 10, Gargarino.

Other notable Palaeolithic sites are shown by grey circles:
11, Sungir; 12, Yana RHS.

b, PCA (PC1 versus PC2) of MA-1 and worldwide human populations for which genomic tracts from recent European admixture in American and Siberian populations have been excluded19.

c, Heat map of the statistic f3(Yoruba; MA-1, X) where X is one of 147 worldwide non-African populations (standard errors shown in Supplementary Fig. 21).
The graded heat key represents the magnitude of the computed f3 statistics.

http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/images/nature12736-f2.jpg
995世界@名無史さん
示された論文を読む限りでは、
欧州人の遺伝子的な歴史を整理するにはまだ時間がかかるということだね。

現代欧州人の起源が3種類の「集団」から成るというのは定説化しつつあるが、
それに遺伝子・人種形態・語族・分化・侵入経路をどう組み合わせていくかというのは、
大変労力がいるし、まだまだサンプルが必要だね。

ただ、北部欧州人とNATIVE AMERICANとの類縁性については、
かえって頭を混乱させる学説だね。

次スレでもよろしく。