1 :
アイドル アッチラ大王:
さあ、語れ!
当板では、テンプレが4文字のスレは、コメント禁止&dat落ちするのをみんなで黙って眺めるのみ、
というルールがたった今出来ましたので、よろしくお願いします。
3 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 14:53:53.36 0
2 get
4 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 14:54:19.08 0
5 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 14:55:50.39 0
フン族はバイカル湖周辺から欧州へ移動したという話しは本当?
6 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 16:41:12.80 0
何の確証もありません。
7 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 18:29:43.05 O
歴史上ヨーロッパ人に最も恐れられた人々。
「目は鳥のヒナのようだ」
8 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 18:41:11.63 0
キリスト教教会が悪者にしようとしたのにも関わらず、
アッチラのファンは後世のヨーロッパにも存在し続けた。
フーン
ヨーロッパ人「もうフンだり蹴ったりですよ」
11 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 20:51:49.04 0
まあ、ハンガリー人、フィンランド人、エストニア人の御先祖様を
悪者扱いもできないからな。
12 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 21:22:50.17 0
あれだけギリシャやローマや近東を荒らして文献も多く残ってるのに民族、言語不明とは?
フン族研究者ほど分からないと言うが、一殺として複合騎馬民族集団じゃないかと?
13 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 00:07:48.95 0
アッティラという名前自体がゲルマン系のゴート語で「とっつぁん」みたいな意味だそうだしな
ゲルマン系もフンという集団に参加していたのか?
ローマのキリスト教化に対する最後で最大の反撃だった。
ネロとは比較にならないほど教会を焼き、司祭や教徒を虐殺したアッティラだが
「神の罰」としてキリスト教徒たちはアッティラをネロのようには憎まず、寧ろ恐れた。
意外にも「話せば分かる」面もあり、司祭が直談判して教会の焼き討ちを免れたりもしており
反キリスト一点張りというわけでもなく、配下にはキリスト教徒も結構いた。
野蛮人どころか当時としては宗教や民族を問わず使える奴は使っていたという寧ろ合理的な君主ではないだろうか。
15 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 09:10:32.41 0
>>14 そうかもしれないな、
三流経営学の本に、アッチラ大王のことが取り上げられていたことが
そのなかで、
アッチラ大王は良い報告をした部下は叱り飛ばして、
悪い報告をした部下は褒め上げた、と書いていた。
教訓として、経営者は悪い報告はあまり聞きたがらないから、
ついつい悪い情勢は報告が遅れがちになる。
経営者はこうでなくてはいけないと書いていたな
16 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 12:00:57.38 O
結局何系民族なのさ?
フン系フン族
18 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 19:31:10.34 0
中欧のフン族の墳墓から背の低いモンゴロイドの人骨が
出たという話しだ。
>>11 ハンガリーはマジャール族
フィンランド、エストニアはフィン族
20 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 08:12:37.83 0
モンゴル・トルコ系の騎馬民族に
ゲルマン人が合流していったのがフン族なのだろ。
>>14 ジンギスカンと中央アジアの回教圏のオアシス都市みたいな関係だな。
22 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 11:55:41.75 0
>>18 別のフン族らしき墓からはコーカソイドの人骨が出てきてる。
フン族研究第一人者が書いたタイトルがそのもの「 フン族 」という
本(8000円ぐらいする) にはフン族は結局、未だに系統不明だと書いてある。
分厚い本でフン族に関わる逸話は多いんだが・・・
俺は例のトルコ系の匈奴が、200年かけてヨーロッパに現れたと信じてたが
匈奴すらおそらくチュルク系主体だったろうぐらいではっきりしない。
当時はモンゴル系、アーリア系、中間のチュルク系騎馬民族がごっちゃで
後期倭寇のように略奪盗賊集団だったかもしれない。
とにかく文字や彫刻絵画、建築文化を持ってない遊牧民族は証拠がないから
荒らされた周辺民族の逸話しか残ってないから分からない。
23 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 16:31:16.51 0
東ゴートとの接触後は一部コーカソイドの連中を従えていたのは
確実でしょう。それ以前はモンゴル・トルコ系がほとんどかと。
フン族も欧州に登場した前後では構成が違っていたかもしれない。
24 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 04:03:47.13 0
フン族がアラン人に接触した頃のフン族の遺跡や墳墓とか
発見されてるのかな?
25 :
世界@名無史さん:2012/08/06(月) 02:22:26.39 0
>>11 >まあ、ハンガリー人、フィンランド人、エストニア人の御先祖様を
ハンガリー人やフィン人のフン族子孫説は遺伝学的に否定されてるだろ。
今現在のマジャールのハンガリーはフンの直系ではないが子孫ではあるというが。
一方でフィンランドとエストニアは同族に近いがマジャールとはかなり違うという
27 :
世界@名無史さん:2012/08/06(月) 19:30:39.57 0
アヴァールはモンゴル・トルコ系と聞いたけど。
誰から聞いたというところがあって初めてソースたりえる
29 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 10:10:59.13 0
アヴァールの首領はハガーン(汗)とは名乗っていたそうだし、
突厥が敵視していたらしい。
30 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 12:51:22.44 0
バラミールは架空人物という話しは本当?
31 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 17:25:16.44 0
フン族に関する絵や逸話はモンゴルの進行以降のものが圧倒的に多いから
アジア方面から来た蛮族と言う事でモンゴルとダブった発想が多くね?
匈奴がトルコ系かモンゴル系かゴッチャかという議論があるぐらいだけど
それが何百年も経ってカスピ海の北、いわばインドヨーロッパ語族の故郷
みたいなところにいればコーかゾイド化してると思うが?
それにしてもアラン族とかキンブリ族が、その他ゲルマン民族が分かってるのに
分かってるのに一番荒らしまくったフン族の正体が不明だとは、そっちの方が不思議だ。
ゾイドなのか。格好良過ぎ。
33 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 21:17:07.78 0
ハンガリーという地名はハン(フン)に由来する。
フン人をなぜフン人というのかだが、ハーンに由来
するのかもしれない。人種的には混血していても言語
は優勢な集団のものが維持される。ダルビッシュのよう
な風貌のものがアルタイ系言語を話ながらヨーロッパを
震え上がらせた様子が想像される
アッティラの風貌の記述からするとバリバリのアジア人w
大月氏やエフタルの末裔かもしれないフンザは、フン族と関係があるのでは?
シュメール語とセム語 = エラム語とペルシャ語 = エトルリア語とラテン語
のように、匈奴語はアルタイ系ではなくブルシャスキー語だったかもしれない。
36 :
世界@名無史さん:2012/08/09(木) 06:13:11.82 0
バイカル湖周辺から移動してきたと聞いたが?
インド人はエフタルの事をフーナと呼んでいた。
西ゴートと東ゴートようにフン族も分裂したらしい。
モンゴル語で人間をフンと言う
ふんふん。
41 :
世界@名無史さん:2012/08/09(木) 16:51:04.04 0
なるほど
西洋人「なんだこいつら、ちっちゃいし顔まっ平らだし、猿か!? 人間か!?」
フン族「フン(人間)だ」
ってところか
>>42 西洋人がお猿を知るのはもっとずっと後だけれど
>>33 Onogur(十部族の意)が転じてハンガリーになった
>>43 お前らはナニモンだ?
フン(人間だ)
って、こんなところじゃね?
カンガルーだって、実際は動物の名前じゃなかったらしいし
46 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 03:42:45.48 0
ブルガール人もフン族の主要民族
フフン
49 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 12:39:40.87 0
フン族=匈奴という説は当たりでもあり、外れでもあるのかもね。
匈奴が強勢だった時は、その勢力下の一部族だった可能性は低くない
と思う。ただ、北匈奴の王族率いる部族がそのまま西進したというのは
何とも言えない。
フン族がアラン族と接触するまでは、どこかの国や部族と衝突したという
記録がない。かなり勇猛で好戦的な連中なのに、アラン襲撃以前にどこかが
大被害を受けたという記録が全くない。アランと接触する以前は、あんまり
人が多くない地区をひたすら移動していた可能性が高いかなと思う。
50 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 12:46:25.00 0
匈奴→南匈奴で
北匈奴→フン族=トルコ系(ブルガール、ハザールなど)かな?
右賢王の配下(すこし格が下がる大当戸あたり)の部族の末裔だったかもね。
直系でなく、西進した地でその文化を取り込んだ土豪勢力が実体という可能性もあるけど。
53 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 14:41:19.98 0
フン族は戦闘に投げ縄を用いたそうだが・・・・・
>>53 弓騎兵だったら、普通にあるよ。
現在のモンゴル人も投げ縄をもちいるよ。
漢代の中国北方の騎馬民族の匈奴が西方へ移動した
56 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 08:45:27.72 0
北匈奴も中国の資料から消息が消えた以降は、
どっかで暴れていたという記録は中央アジアとかに
ないね。
57 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 20:27:20.57 0
フン族=平たい顔族?
58 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 20:32:05.42 0
そういや、前にあったフン族関連のスレッドで、
フン族女性の人骨をもとに生前の顔を復元した画像がアップ
されてた。顔はバリバリのアジア系だった。
東洋人種の形質は、西洋人種と混じると急激に無くなっていくからな。
西洋人種と比較して遺伝子的に劣性なんだろ。
フン族がアジア系だとしてもおかしくない。
アジアというのはもともとトロイヤとかイオニアとかのあたりのことなんだけれどねえ。
61 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 21:56:33.61 0
アフリカもチュニジアかリビアかにあった地域名
ペルシャも今のイランの一部の地名
インドも川のHindu からギリシャ語でhを発音しなくて?
62 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 22:02:38.85 0
>>59 白人の容姿は劣性遺伝の塊だろ
色素の薄い髪や目の色は、黄色人種か黒人と混血
したら次の世代に、その形質は受け継がれない
>>62 モンゴロイドのアマゾン原住民の中にいきなり、金髪で目が青い子どもがいたりするんだけど…
劣性遺伝つうても例を挙げれば血液型のO型のように両親に
劣勢遺伝子が隠れてれば子で合わさって発現することもあるわけだ
大きな目や高い鼻は優性らしいから色黒でコーカソイド顔という発現
もありがちじゃねえかな
66 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 01:38:02.05 0
>>63 そんな稀な例を挙げられてもね
金髪碧眼と黒髪黒目が混血していけば、金髪碧眼はやがていなくなってしまうわけで
例えばキルギス人は「赤い髪、緑の瞳」(新唐書)「水晶のような色の瞳に、赤い髪」
(敦煌出土チベット語文書)と、かなりカラフルな容姿をした連中だったようだけど
その直系にあたるハカス人は、ほとんどが黒髪黒目なわけで
>>64 高い鼻はともかく大きな目はどうかな
ウズベク人は遺伝的には白人優勢にも、かかわらずモンゴロイドみたいな目をした人が多い
あとは白人特有の細くてサラサラした髪や、薄くて柔らかい皮膚も劣性遺伝だろうな
>>66 混血した東洋人の血が多かったからじゃないの?
逆に、ロシアには結構モンゴル系の人が混血しているけど、モンゴル系の形質した人の方が少ないよな。
白人劣勢っつってもフン・アヴァール・マジャールの流れを汲む現在のハンガリー人を見ると(ry
北欧にくらべて体型がずんぐりしてるかもしれんがありゃどう見てもアジア人じゃないw
そう。だから、白人の形質が多いと、東洋人の形質は消されてしまう。
70 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 04:36:38.64 0
>>67 キプチャク人なら、わからんでもないがロシア人にモンゴル人の末裔
は、ほどんどいないぞ
キプチャク・ハン国が建国された時、移住してきたモンゴル人は4千
戸しかいなかったからな
>>68 フン族は人口が少ない上にすぐに滅亡したし、アヴァールもマジャール
も今のハンガリーに来た頃、すでに純粋なモンゴロイドじゃなくなって
いるだろ
そもそも、北方モンゴロイド特有の下戸遺伝子保有者がハンガリー人に
は2%しかいないのだが(科学朝日 モンゴロイドの道)
純粋じゃないとケチをつけてもアヴァールは若干スラヴやイランが入ったとはいえ
民族的にはほぼモンゴルの直系
ところで
純粋なモンゴロイド
とは何?
ロンドン五輪、観ててもウクライナ代表とかアゼルバイジャン代表、
ロシア代表にもモンゴル顔がごろごろいるね
74 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 17:48:41.85 0
フランスやイタリアにも多いね
ノッペリ顔のナチス親衛隊長ヒムラー長官
76 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 21:28:25.43 0
インディジョーンズ4作目の映画で、ソ連軍が登場していたが、
上の仕官は、アメリカ人が見たスラヴ人の様相をしていたが、
(日本人がイメージするロシア人的な様相)
下の兵隊クラスは、モンゴル顔の人間(東洋人?)をかなりの割合で
混ぜていた。
明らかに、西洋の人のロシア感だなと感心した
>>71 アヴァールのほうがモンゴルより古き民族じゃね?
78 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 02:00:30.06 0
匈奴=フン族説が正しいとすれば、匈奴自体がチュルク系(コーカソイドの血が入ってる)
の説が強いのに、それが何百年もカスピ海北の様なコーカソイド故郷付近にいれば、ほとんど
コーカソイドになってるんじゃ? それが醜い姿だったとか?
しかし、ヨーロッパに無かった鐙を馬に載せてたらしいし、唯一フン族がヨーロッパに与えた
物は鐙とイタリア半島を襲った時に避難民が逃げて集まって出来た町がベネチュアらしい。
何よりもゲルマン民族を動かしてヨーロッパをおおよそ今の姿に再構築するきっかけにはなった。
79 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 07:28:50.73 0
モンゴロイド男性って古代からまったくモテてなかったよ。
黒人より男系遺伝子を残せてない。
↑ネタお腹一杯です
鐙はアヴァールがヨーロッパにもたらしたとされる。
82 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 08:17:05.83 0
実際のロシア人に(西部)にモンゴル顔なんてほとんど見えないんだが
>>78 いやさー、古今東西、どういう集団間でも。接触があれば、混血してるよ。それこそ何世代も生殖隔離した例なんて無いわな。
存在を認知している隣の集団と、接触が無い、物質や情報や人員そのものの交換、平和裏にも、紛争の結果でも、とかく、
集団間の接触で混血の無かった例なんて無いわな。
「純粋なモンゴロイド」だの「コーカソイドの血が入ってる」だの、そういうことは論ずるだけ無為なんだが。
>>82 近代・現代の話か?
ちょっと前の共産時代にはモスクワにもレニングラードにもカザンにもノブゴロドにもモンゴル人やベトナムは
ウジャウジャいたぞ。
共産政権崩壊後はそれに加えて中国人がものすごい数いついてるよ。
>>76 70 :世界@名無史さん:2012/08/12(日) 04:36:38.64 0
>>67 キプチャク人なら、わからんでもないがロシア人にモンゴル人の末裔
は、ほどんどいないぞ
キプチャク・ハン国が建国された時、移住してきたモンゴル人は4千
戸しかいなかったからな
はあ?ナポレオンを最終的に破った大将軍のクツーゾフは、先祖をたどるとモロにチンギスハーンなんだけど?
そういうロシア貴族って結構いたんじゃないの?
87 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 10:48:56.21 0
そんな個人の例をあげてどうするんだか
ほとんどいないの例外になるだろ。貴族なんだし、姻戚関係で子孫はいっぱいいるんじゃないの?
89 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 11:40:22.95 0
そんな桓武天皇の母の10代前の先祖は百済人だから、天皇は百済人みたいな話されてもね
そのロシアのモンゴル系貴族も、先祖辿ればモンゴル人がいる程度だろ
本拠地のキプチャク・ハン国ですらモンゴル人は数が少なすぎて、すぐにキプチャクに同化
されてたぐらいなのに、キプチャク人よりさらに人口が多かったロシア人に人種的影響をお
よぼすのは、まず不可能
90 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 12:17:32.79 0
西から東に拡大してった遊牧民はいないのか?
周、獫狁、匈奴
秦
ティムール
94 :
76:2012/08/13(月) 16:17:44.28 0
みんな誤解しているようだが、おいらはロシア人はモンゴル顔だと
書き込んでいるのではない。
スピルバーグ監督の映画の中で、ロシア兵の中にかなりの割合で
モンゴル顔を混ぜていると書き込んだだけだ
スピルバーグ監督の脳内では、ロシア人は一皮むけばモンゴル人と
表現しているのだろう
(スピルバーグ監督は皮肉なことにロシアのユダヤ移民だけど、
だから、おそらく公式書類ではロシア系となっているのではないかな)
それと同じでフン族の言い伝えも相当アジア系のほうに誇張されて
いるのではないかな
95 :
きだーら:2012/08/13(月) 16:46:05.51 0
>90
氐、羌、吐蕃、タングート、アフシャール、パシュトゥーン
失敗したけど、ジューンガル、カージャール
>>94 ということは、ロシアの前はハザールでハザールのの前は突厥だったから、アジア系なのか。
スピルバーグの脳内のことを詮索してもしょうがねぇんじゃねーの?
まー普通に考えれば、バトゥについてきたタタール人のことを想定してるんだと思うが。
98 :
世界@名無史さん:2012/08/14(火) 01:22:57.05 0
>>90 アーリア人そのものじゃないか?
言語はチュルク系になってるけど、ウズベクとかウィグルなどチュルク系にはR1a の
遺伝子がむしろイラン人より濃い。
それと混血の話だが、中国タリム盆地の金髪白人のDNA はアジアとコーカソイドのどちらも
入っててケルト人の東方移住者という予想は外れたとテレビでやってたろ。アーリア人だろな。
99 :
世界@名無史さん:2012/08/14(火) 01:26:44.56 0
だから、フン族もやっぱりチュルク語化したアーリア人じゃないかと勝手に想像する。
とにかくフン族については正体不明だが、後期はアラン、ゴートを含む複合略奪集団だったのは想像出来る。
100 :
世界@名無史さん:2012/08/14(火) 20:13:12.34 0
>>97 スピルバーグ監督の脳内はともかくにしても、
西洋の学者はやはり、ロシア辺りにいる民族はみんな
一皮向けばモンゴル人だとの先入観から研究に入っているのではないかな
だから、フン族の研究でも決め付けてかかっている部分が
多分にあるのではないかな
101 :
世界@名無史さん:2012/08/15(水) 10:22:33.11 0
フン族の悪口の記述はさっ引くとしても、
その容貌の記録はどう見てもアジア系といった感じだけどな。
アーリア人化したのは多数のゲルマン所属と接触し、隷属させた
後の話だと思う。アッチラ以降の時代の話しだろう。アヴァールに
吸収される直前とかは、かなり欧州化してただろうが、アランを降し、
東ゴートに攻撃をしかけた頃は東アジア系の連中が主体でしょう。
102 :
世界@名無史さん:2012/08/15(水) 14:01:25.43 0
アッチラは複数のゲルマン妻がいたらしい。
このくらいの時代には混血も進んできたのだろう。
103 :
世界@名無史さん:2012/08/15(水) 15:33:50.12 0
アッティラはその新しいゴート族の娘を嫁にした初夜に一晩中やってて
腹上死したらしい。とにかく歴史には、フン族に限らず後世の作家が
考古学的証拠も無く、好き勝手に話を作り上げたものが現代の歴史にも
引用しまくられてるので訳が分からなくなっている。
典型的な例が教科書にも載っているマルコポーロの東方見聞録。
マルコポーロは何も書いてない。誰かが書いた初期の本は薄っぺら。
ところが近代の東方見聞録は分厚い。マルコポーロは中国に行って
東方見聞録を書いた。それが学校の歴史では事実とされている。
>>103 マルコポーロは実在したけど
東方見聞録自体は、本人が見聞きしたことの
話を編集しただけって説もある。
アッティラなんて、伝説に近い人物だろう
それに該当する人物は居ただろうが
腹上死云々は怪しいよな。
>>104 紀行文見聞録なんて見聞きしたことを書かずに何を書くよ?
東方見聞録は、マルコが晩年、ジェノア牢獄の中で知人(物語作者・ルスチケルロ)に語った物語。
そのため、細部に事実誤認やモノ忘れがあるのはやむを得ないだろう。
ベストセラーとなって、さまざまな版が出版され、いろいろな訳注も現れて、
原本の内容がどれなのか、にわかに分かりにくい状況が生まれた。
107 :
世界@名無史さん:2012/08/15(水) 18:58:29.91 0
>>104 案外腹上死ウンヌンは正しいのではないかな
どんな独裁政治家でも、下半身スキャンダルはいがいと下々の人民には
情報が伝わっていて、ギャグのネタにしていたから
まして、アッチラのあとはあっという間に帝国が崩壊したから
遠慮なく悪口や下半身スキャンダルを話せただろうし、
大体、突然死するのは、毒殺でなければ、心臓病の発作か
脳卒中は大半だろう?
昔は夜になっても、テレビもないし、読書をするにしても、
明かり代は高いし、楽しみとしては酒を飲んで女とやることくらいだろう
おいらは腹上死の可能性は高いと思うけどな
まだ、キリスト教の道徳も定着していないことだし
暗殺だな
女アサシンにやられたんだよ
109 :
世界@名無史さん:2012/08/15(水) 22:10:59.17 0
>>107 情事がスキャンダルになるって考え自体がつい最近のもんなんだわ
明治時代の日本でも妾を何人囲えるか自慢しあってたてぐらいだし
あとね童貞じゃなければわかると思うけど、セックスするにしても
明りないと、なかなかできないんだわ
110 :
世界@名無史さん:2012/08/16(木) 08:38:17.32 0
もしアッチラが長生きして、息子に恵まれて、ローマ帝国全域を
征服して、100年くらい持たせたら、
アッチラもカエサルみたいに、英雄に分類されていたかな
このひと、部下の統率力もあったし、キリスト教の神父が攻撃を思いとどまるように
説得すると受け入れたりしたから、英雄として持ち上げるエピソードには
事欠かないと思うのだが?
111 :
世界@名無史さん:2012/08/16(木) 11:21:23.12 0
アッチラを悪者に仕立てていったのは中世キリスト教教会。
そんでもアッチラファンは後世にも存在し、『神の鞭アッチラの戦争』
なんて本も出版されてりしている。
112 :
世界@名無史さん:2012/08/16(木) 11:59:15.06 0
季節は春。しかし普通の人、特にフルタイムで就労しているような人は、
そんな余計なおまんこを首輪にはしないと思うの(真昼間暇な売春婦でもなし)。
なにあんた死にたいの?
1000年後のモンゴルと多分に重ねられて語られていると思う
>>110 それはありえなかったと思う。アッチラのフン帝国だけでなく、
西ローマ帝国もアエチウスが死ぬと崩壊していった。
あの当時、アッチラやアエチウスらの個人的能力で、かろうじて
それぞれの帝国をまとめていたようなので、もっと長生きしようが
しまいが、彼らが死んだらおしまいだっただろうね。
115 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 14:26:15.99 0
東ゴートを攻撃した時は、
フン族に統一の王はいたのかな?
116 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 18:00:26.05 0
117 :
世界@名無史さん:2012/08/19(日) 14:16:55.46 0
これほど暴れてギリシャ、ローマ、ペルシャの記録もあって、北欧のエッダやニューゲンベルグの歌にも出てきて
イタリアを襲った際にベネチュアが出来たきっかけにもなったのに言語すら不明とはどういうこと??
フン族はスキタイ語を話すモンゴロイドだったのかも
サルマタイやアラン族とほぼ同じ言語を話していたのかも
だからゴート族やローマ人とも会話出来たのだろう
119 :
世界@名無史さん:2012/08/19(日) 18:25:45.92 O
↑意味がわからない
120 :
世界@名無史さん:2012/08/19(日) 21:46:16.56 0
ただ、東アジアから中央アジアにあってヨーロッパには無かった鐙を使い
半端ない騎馬技術と弓の腕を持ってたらしいからチュルクかモンゴル系っぽいし?
121 :
世界@名無史さん:2012/08/20(月) 15:20:45.04 0
まあ、アジア系騎馬民族だったというのはかたいのでは?
ゲルマン人と接触するようになってからコーカソイド的な人も
混血で増えてきたのだろう。
フン族は独自の文字を持たなかったし、言語は文化程度が高い方が
残る傾向にあるので、フン族は戦闘力は高かったが、周りの諸民族の
方が文化程度が高いので、言語的にはフンの元々の言語は消えていって
しまう。
>>121 その説明には、マジャール語およびトルコ語という反証がある。
どういう反証?
比較言語学的アプローチって胡散臭い
124 :
世界@名無史さん:2012/08/21(火) 07:16:28.86 0
フン族研究してる専門家は言語すら全く証拠が無く分からないと言ってる。
まぁ言語が分かればほぼ民族系統が分かるわけだが。
125 :
世界@名無史さん:2012/08/21(火) 12:05:42.04 0
フン族の言葉らしき単語は人名くらいしかないのでは?
人名もバラミールみたいに架空の人物とされる人もいる。
糞族なんて汚い呼称されて可哀想
まあ皇帝だって自分のことチンっていうし
フンだり蹴ったり
>>122 東西の文化を貪欲に吸収し、旧来の文明圏に対して軍事的に優位に立つまでになったから、言語も残った。
ローマの残渣のおちぶれコンスタンチノープル政権と、新進気鋭のセルジュク政権やオスマン政権との比較、
衰退停滞の中世のど真ん中フランク帝国のさらに東の端の辺境ド田舎パンノニアと、これまた、東西の文化に
触れて勢い盛んなマジャールとの比較では、そりゃ、西方に分が無いのは明白だわ。
マジャールはもともと遊牧民ではなく半農半猟民だったので、
パンノニアに移住後に農民になって人口が増えた。
フン族、アヴァール、ブルガールは遊牧民だったので、
おそらく人口が増えずスラブ農民に吸収されてしまった。
マージャルやスラブ、アングロ・サクソンは先住民を追い払い
自ら農民となったが、ゴート族やブルガールらは騎士階級となり
先住民に吸収された。
>>129 アナトリアがトルコ化したのは、トルクメンによってアナトリアの農地の多くが牧草地化したので、
アナトリアの農業が衰退してビザンツ人の人口が激減したからだとされる。
セルジュークのイラン人宰相ニザーム・アル・ムルクは、トルクメンをイランからアナトリアへ誘導して、
祖国イランを救ったとされる。トルクメンがアナトリアに移住しなければ、イランがトルコ化していた。
だっフンだ!
>>131 今のイランの人種構成比、広義のペルシャ人、広義のトルコ人、その他で、5:3:2くらいだよ。
134 :
世界@名無史さん:2012/08/24(金) 13:59:49.90 0
フン族が来たのはアッチラ
135 :
世界@名無史さん:2012/08/24(金) 20:45:23.85 0
アラン族が元々いたのはカスピ海北部からウクライナにかけてのあたり。
それより北に大騎馬集団がいた可能性は低く、おそらくフン族はアラン族
居住地区より東方からやってきた可能性が高い。しかも、どうやら以前から
フン族とアラン族が抗争していたという記録はなく、突如登場した好戦的
な連中に襲撃された可能性が高い。
しかし、現在のカザフスタンあたりにいた集団なら、比較的近くにあった都市を
襲撃していたはずだが、その地区にはフン族と思われる連中の襲撃の記録がない。
だとすると、もっと北側のルートを通ってアラン族の居住区に姿を現したと考え
られる。フン族の戦闘スタイルはモンゴルあたりの騎馬民族に近く、おそらく
モンゴル北部・バイカル湖あたりの人間集団が移動を開始し、シベリアの方を通って
372年にアランを襲撃して史書に登場というのが『アッチラとフン族』という本での
仮説だった。
騎馬ムンズク
遊牧ムンズク
370年代だと匈奴はとっくの昔にモンゴリアの支配者ではなかった。
フン族は西匈奴でも北匈奴でもない第三の勢力なのだろうか?
>>135 アラン族の北東、カザフスタン北部の黒土地帯は当時どうだったのだろう?
ウクライナからミヌシンスク盆地まで肥沃な黒土地帯が続いているので、
かなりの人口がいたはずだと思われるだが?
紀元前に移動した月氏とトハロイやサカは、オアシスルートの砂漠の遊牧民だった。
そのはるか北方の黒土地帯にいた半農半牧民は、どこへいってしまったのだろうか?
ミヌシンスク盆地には堅昆やキルギスがいたされるが、そこから西へウクライナまで
の広大な地域がロシア人が移住してくるまでよくわからない。
ローマ人と語ラウヌム
140 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 08:20:11.44 0
うーむ、西走した北匈奴がどこに消えたというのも謎。
北匈奴が四散し、一部がフン族コア集団に合流した可能性は
あるかも。元匈奴の連中から西方の情報がもたらされ、得物を
求めて凶暴化した可能性はある。
141 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 18:40:04.28 0
アラン族の征服まで、これといった戦闘記録がない。
凶暴化する何かがあったに違いない。
142 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 21:19:45.16 0
>>141 一番大きなのは当時の寒冷化だろう。五胡十六国時代や、ゲルマン人の流入
(フン族と無関係に始まっていた)のもそれだしね。ただでさえ、北匈奴の中心
民族はマジャール人、フィン人、エストニア人、カレリア人など、中国北部で
暴れまわった札付きの凶暴さだったしね。
マジャール人、フィン人、エストニア人、カレリア人などは
北匈奴の中心民族ではないだろう?
144 :
世界@名無史さん:2012/08/26(日) 00:24:48.25 0
フン族どころか匈奴の正体すら正確には分かってない。
碑文からおそらくチュルク系の言語を使ってたぐらい。
テュルク語にも「単于」みたいな称号ってあるの?
146 :
世界@名無史さん:2012/08/26(日) 03:00:15.75 0
>>144 匈奴の正体を探るにも乗り越えないといけない障害が多いな
まずは当時の漢語音を探り当てる、それである程度近づけても、瑞字や蔑字によって実際の発音から遠ざかる可能性もあるし
アヴァールやブルガールの王はカガンと呼ばれたが、
フン族の王の事をローマ人は何と呼んだのだろうか?
同じくスキタイやサルマタイ、アラン族の王は
ギリシャ人やローマ人に何と呼ばれていたのだろうか?
148 :
世界@名無史さん:2012/08/26(日) 14:51:11.55 0
ハザールがフン族の子孫の一部だと言う文献も中世にあるらしいが
このハザール国がユダヤ教に改宗して今のユダヤ人のメインであるアシュケナージに
なったと言う説が強いとはフン族を調べて初めて知ったよ。
特にアシュケナージのレビ氏族の遺伝子はR1aが50%以上と言う結果が出てる。
ヒトラーはスラブ人やアシュケナージユダヤ人など、アーリア人の血筋が濃い民族を殺したわけだ。
フン帝国とソ連はともに約70年から80年ぐらいで崩壊した
150 :
世界@名無史さん:2012/08/28(火) 09:39:46.29 0
アシュケナージというのは宗派であって民族じゃない
151 :
世界@名無史さん:2012/08/28(火) 11:10:09.14 0
152 :
世界@名無史さん:2012/08/28(火) 12:29:26.25 0
>>151 たわけはそっち
繰り返すぞアシュケナージは宗派であって民族じゃない
アシュケナージにも元祖ユダヤはいるし
スファラディにも改宗ユダヤがいる
人種が未だにわからないってのはハーフだらけだったのでは?
154 :
世界@名無史さん:2012/08/28(火) 15:38:17.44 0
そもそもチュルク系のブルガール人がスラブと混合してブルガリア人の祖先だったり
同じくチュルク系のハザール人が民族ごとユダヤ教に改宗してアシュケナージ
になったりするから、今もだが中央アジアからヨーロッパ東部は民族入りみだりだろ。
おそらくはフン族は優秀な騎馬戦闘民族だったことは確かだから、スキタイ、チュルクの
混合だと思うが、それは専門家すら分からない。
女子中学生のウンコが大好物の僕はフン族の末裔かもしれない
藤林丈司
158 :
世界@名無史さん:2012/08/28(火) 22:23:52.73 0
匈奴もフン族も戦法はヒットエンドラン。形勢が悪くなれば逃げるだけ。
都市も農地も何も持って無いから失うものが無い。まさにマッドマックスのライダーギャング。
ぶっちゃけ、モンゴル帝国だって
人種はごちゃごちゃだろ?
モンゴロイドだけでなくトルコ人とかヨーロッパ人もモンゴル軍に加わってた。
モンゴルは征服した土地の兵士を使い捨てるのが上手かったからね
161 :
世界@名無史さん:2012/08/31(金) 10:35:10.31 0
フン族も同じでは?
162 :
世界@名無史さん:2012/08/31(金) 11:00:24.08 0
カエサルがゲルマニアで苦戦するずっと前にアレクサンドロスはゾクディアナで
多分イラン系と戦ってるわけだが、その後イラン系とチュルク系の諸国に仏教が
信仰された時代があったから中国から中央アジアではイラン系かチュルク系が主体
だった事だけは間違いない。騎馬民族は男は全員が馬に乗った兵士だから最強。
163 :
世界@名無史さん:2012/08/31(金) 18:46:23.35 0
フン族ネタは続かないだろうな。なんせ正体不明なんだから。
164 :
世界@名無史さん:2012/08/31(金) 18:52:21.22 0
正体不明だからこそネタが続く。
フン族そのものがネタ。
海の民とどっちが正体不明?
166 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 02:33:12.01 0
グレート・ムタの正体くらい不明
167 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 04:20:36.53 0
スキタイ=フン族 西アジアの遊牧民 トルコ系遊牧民
ヨーロッパを席巻したトルコ系西アジア遊牧民
170 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 08:02:52.74 0
>>160 モンゴルは恐怖政治戦術が徹底していたけど
アッチラ大王は、その辺がいまいち甘かったから一代で潰れたのではないかな?
結構神父の説得の応じて軍隊を撤退させたりしたようだし
アッチラ大王の側近にはラテン語やギリシャ語の読み書きができるような
インテリがゴロゴロいたのではないかな
城攻めひとつにしても、コンスタンティノープル以外は
難なく落としているようだし
アッティラの宮廷はペルシャの影響を強く受けていたという
トルコイラン系の西アジア遊牧民
フィン、マジャール、フンなど欧州を席巻した遊牧民は
173 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 09:05:05.45 0
フン族は東ゴート撃破後、
カフカスを越えてシリアやメソポタミア方面に侵入している。
メソポタミア方面はササン朝の支配下であり、その影響があった
のは当然でしょう。
フン族は黄金大好きの連中。黄金の価値をあまり理解してなかった
ゴート人とは異なる。おそらく東西交易のことを知っていたからだと
思われる。匈奴そのものではなくても、かつては匈奴傘下の部族が
西進した可能性は大いにある。
ゴート族はゲルマン民族
175 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 12:41:36.54 0
世界の4大文明はメソポタミア、エジプト、インダス、中国となってるが
もう一つ、馬を家畜化して騎馬民族と成った文明も加えるべき。馬は文明に多大な影響を与えた。
まだ4大文明とか言ってるのは教科書だけだよ
177 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 19:50:19.67 0
では現在何大文明になってますか?
古代に大文明が4つしか存在しなかったって考え自体が否定されてる
179 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 21:00:53.15 0
逆に言えばエジプト文明はメソポタミア文明の続きだし
ある意味、中東文明と中華文明か?
しかし、鉄や麦は中東から中国に入ってるし。
エジプトの方がメソポタミアよりも早いんじゃないの?
西洋の人はなんとかして、メソポタミアの方を古くしたいようだけど…
NHKの四大文明の本の座談会のコーナーで
欧州でメソポタミア、エジプト、ギリシア、ローマでしょと言われたと読んだ覚えが
日本の教科書独特なものだっけ?
江南地方で発見された鋳型は中東とは関係無いというが
1万年ぐらい前にカザフ地方で騎乗があったのではないかという痕跡が発見されたらしい。
立証されればデレイフカよりさらに3千年遡ることになる。
184 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 22:08:44.52 0
>>180 どっちが古かろうが、欧州・ゲルマン系でない事は確か。
>>184 はあ?いずれも、白人だろうがw
エジプトの方は黒人との混血があるんだろうけどね。
186 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 22:19:39.37 0
>>185 普通、中東系はコーカソイドでも白人とは言わん事が多いけどな
188 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 22:22:35.71 0
>>180 シュメールとかメソポタミアの方が早い。その事は吉村教授も言ってるが、
そもそもシュメール以外にも少なくても1万年前の都市遺跡がシリアで発見されてる。
189 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 22:30:45.93 0
アッティラってゲルマニアの大半を勢力圏にしていたけど
ゲルマニアを征服したような話は聞かないのでゲルマニア
の諸部族と対ローマ軍事同盟を結んだってことだろ。
>>166 タイガーマスク(全)のピンチで起こる三沢コールくらい深い謎だな
191 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 22:47:59.15 0
海底都市発見でインダス文明が最古になる可能性
まあどっちにしろこのころ欧州・ゲルマンはウホウホやっていた
強いて言えばスラヴの地域である黒海北岸辺りで遊牧文化が発生していて
後のキンメリアやスキタイの基礎が形成されていた。
>>188 エジプトの方が古いんじゃないの?ソース希望
>ゲルマニアを征服したような話は聞かないので
フン王エッツェルのブルグント殲滅はゲルマン叙事のメイン・イベント
195 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 23:03:43.81 0
>>192 >まあどっちにしろこのころ欧州・ゲルマンはウホウホやっていた
うほうほやってたらとっくにローマに征服されている。
エジプトとメソポタミアが国家として創生している頃に
ローマ自体この頃国家どころか都市すら形成していたのか
>>192 ヨーロッパの森林地帯に印欧語族はまだ進出していないはず
おそらく印欧語族はウクライナとカザフスタンにだけいた
この頃の欧州は人類によるネアンデルタール人の駆逐が完了していた。
この頃の欧州はクロマニヨン人によるネアンデルタール人の駆逐が完了していた。
クロマニヨン人 → バスク人、グアンチ人
ケルト人がウホウホ青銅器文化やってるころ
スキタイ人はヒャッハーと中東を荒らしまわっていた
>>192 遺跡が残り易い巨石を使う事がなかっただけで
遅れた未開の地だったとは限らない
ってマスターキートンが言ってた
紀元前3世紀にスキタイ王国は、ケルトとサルマタイに挟撃され滅亡した。
スキタイはダレイオスを撃退しガリアはカエサルに征服された。
アッティラは黒海北岸を制圧しガリアを征服しようとした。
サルマタイに東から攻撃されたスキタイは、
ケルト人に阻まれてパンノニアに移住する
事が出来ず、クリミア半島に逃げ込んだ。
ガリアがローマによってラテン化されていた頃、
サルマタイはダキアを抜いてパンノニアまでヒャッハーと荒らしまわっていた。
206 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 01:43:56.52 0
>>199 俺も以前はカナリア諸島のグアンチ族がコーカソイドなのでクロマグロ人の子孫かと
思ってたが、遺伝子からはカダフィ大佐の出身のベドウィン(ベルベル人)らしい。
207 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 01:50:25.74 0
グアンチ族すらルーツが分かったのにフン族が分からないとは・・・
古いらしい文献ではチンチンクリンの浅黒いつり目と書いてあるものも有るらしいが
フン族らしき墓からはコーカソイドしか出てこない。
間違いなく言える事は、アッティラを含むフン族の絵画やレリーフは中世以降の物ばかり。
つまりモンゴル、タタールと同一視してる。
>フン族らしき墓からはコーカソイドしか出てこない。
かなり珍説なんだが。
209 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 03:40:58.96 0
「フン族―謎の古代帝国の興亡史」というフン族研究家が書いた本にある。
フン族の墓からモンゴロイドの骨が出たという奴がいるが、それが本当ならフン族は謎の民族でなくなる。
モンゴロイドで決定じゃないか。そんな話こそ聞いたことがない。
フン族が匈奴の一派かどうかが"謎"なんであって
"モンゴロイド"と推測される遺骨ならハンガリーでもカタラウヌムでも発掘されている
211 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 05:02:24.89 0
>>210 いつも聞く話だが、しっかりした考古学文献のソースは?
中国史には結構、ペルシャとか争ってたから超西域の事を把握してたようだが
ある部族が突然西進した話は無い。
中央アジアはその頃、仏教系のチュルク国家やイラン系の国家、そもそもミランダ王の
問いに出てくるギリシャ子孫の国家まであったが、フン族については何も無い。
匈奴説も捨てがたいが、もし匈奴が西進したなら200年もコーカソイド地区にいて
モンゴロイド容姿が意地できるか? そもそも匈奴自体がトカラ人をはじめ、他の
アーリア人の血筋を引く、今の大半のチュルク人のように半コーカソイドだろう。
以外、こんな説もある。ただフン族には何も決めてが無いことだけは確か。
・遺伝子的にはヨーロッパ人と同じR1aでありながら、中央アジアの人々が印欧語に属さないのは何故か?
その理由は、4〜11世紀にトルコ語が広がって定着したことにある。トルコ祖族はモンゴル〜シベリア
南部で生まれた匈奴である。その系列であるフン族が東方からヨーロッパまで移動したことでトルコ語が
中央アジアに広がった。
・古代民族のDNA鑑定によって、匈奴は2000年前の時点でヨーロッパ人と北東アジア人の混血部族であること
が明らかにされている。モンゴルやバイカル湖周辺で確認される最も古いヨーロッパ人のミトコンドリアDN
は6000年前のものである。
212 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 06:38:46.80 0
213 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 06:50:06.60 0
訂正: 土鈴 → 奴隷
つまり、エジプトの羊飼いもメソポタミアの羊の家畜化が無かったらいなかった。
ヒエログリフで牛とか羊が出て来なかったっけ?
214 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 07:30:59.51 0
2000年前の匈奴にイラン系のスキタイやソグドを飛び越えて
"ヨーロッパ人"の遺伝子と断定しているが、
今現在のヨーロッパ人が当時既に形成されていたということなのか?
216 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 12:47:18.94 0
2000年以上前のタリム盆地の白人のミイラは姿形は完全な金髪もいて白人だが
馬も持っており、着ていたウールの織り方はヨーロッパに由来し楽器はペルシャ、
頭飾りの貝はインド洋の物だった。DNA配列はヨーロッパ、西ユーラシア、東アジア
の混血だった。別のアジア人風ミイラも見た目はともかくDNAは東西混合だった。
これらが匈奴かどうかは分からないが、少なくとも匈奴の支配下地域で匈奴の見た目は
わからないが、おそらく中国西部は今と同じくコーカソイドとモンゴロイドの混血が
主流だったんだろ。2000年前はヨーロッパではたかだかローマ時代だから中国西部から
ヨーロッパ東部にかけては程度の差はあれどコーカソイドとモンゴロイドの混血だろう。
中国のシルクロード桃欄のミイラやタジク人の祖先は西アジア系遊牧民
イラントルコ系と欧州を席巻した遊牧民との繋がり・・・
218 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 13:03:27.32 0
西ローマと東ローマが言語や民族が異なっていた様に、
匈奴とフン族も言語や民族が異なっていたのだろう。
220 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 20:28:54.66 0
今日、皆も読んだはずの「アッティラとフン族」というフランスの学者の本を読み切った。
フン族と匈奴とは関係ないと言ってるが、この学者は中国語もモンゴル語も分かるらしいが
なんと漢時代の中国語の読みが不明だから匈奴を何と読むか諸説あると言う。
確かに今の中国語も北京語と広東語とは外国語ほど違っている。むしろ匈奴の文献が少ない。
逆にフン族の記録はプトレマイオスの記述ほかバカほど多いが、結局はフン族のルーツは
むちゃくちゃ想像説だけでしかない。バイカル湖付近から来たとか、ウラル山脈から来た
ウゴル族がサルマティア人やアラン族やチュルク諸民族に影響された文化を持ってたとか云々・・・
ロシアの書物だったかハッキリしないが、フン族の風刺絵だったか今では忘れたが
スキンヘッドでモミアゲもしくは顎鬚の厳つい如何にも頑健そうな男たちがロシア及び
欧州を席巻している絵画を見たことがある。多分フン族の姿を模写した絵画ではないのか
雰囲気はペルシア風なのか、オスマントルコ風か、イスラム風か・・・イラントルコ色が濃い
そういえばロシア風建築モスクはその頃の影響だろか、その建築様式にイスラムやペルシアの影響を感じるが
ロシア及び欧州を席巻した騎馬民族フン族 イラントルコ系西アジア遊牧民か
人種的にはともかく文化的に後のブルガールはトルコ系、アヴァールはモンゴル系とされている
223 :
世界@名無史さん:2012/09/03(月) 20:07:04.51 0
アヴァール王のパヤンは、
モンゴル語で「富める人」という意味らしい。
元にもバヤンっていたよね
225 :
世界@名無史さん:2012/09/04(火) 12:09:26.36 0
アラン族とかゴート族とかは結構勇猛な部族だっただろ?
その勇猛な連中が簡単に撃破されてしまう高度な軍事集団が、
アラン襲撃まで他の地域・国と戦闘もしないでいたなんてあるかな?
北匈奴かは別にしても、匈奴の構成員が西進したと考えてよいのでは?
シベリアあたりでのほほんとしてた連中が、アランやゴートを撃破する
程の軍事組織なわけない。
かつてスキタイとサウロマタイは同盟してペルシャ軍を撃退したが、
アラン族とゴート族はフン族に対して同盟しなかった。
もともと黒海北岸はアラン族に近縁のサルマタイの領土だったから、
アラン族は黒海北岸を奪い返そうとゴート族と長らく敵対していた。
アッティラ死後、黒海北岸はブルガールの支配下に置かれ、
ハザールやキプチャクとチュルク系遊牧民が支配し
ゴートやアランが復帰することは無かった。
228 :
世界@名無史さん:2012/09/04(火) 19:44:47.15 0
ハリウッド映画でもフン族はモンゴル系の俳優が演じてるね。
ジェラルド・バトラーってどこのモンゴルだよ
230 :
世界@名無史さん:2012/09/04(火) 20:08:02.63 0
ナイトミュージアムのアッティラは中国人(パトリック・ギャラガー)
モンゴリアン俳優はバーサンジャブしか認めない
騎馬大王アッティラ/平原の支配者(2001)
アッティラも側近達も、思いっきり白人が演じている
ナチスはゲルマンの英雄ジークフリートがアッティラ王に仕えたことについて
どう思ってたんだろう?
234 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 04:59:02.88 0
なかったことになってるのでは?
235 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 05:05:35.04 0
>>232 チュルク説とウゴル説と加えてサルマタイ、アラン族の混合説があるけど
いずれにしてもコーカソイド。
アッティラ王の段階では完全なコーカソイドだろうかと。
ずいぶんずんぐりした色黒の目の小さなコーカソイドだな
>>233 「ヒトラーのテーブルトーク」によると
ヒトラーはキリストも「ユダヤ人じゃなくてローマ軍のゲルマン人兵士だろう」
と言ってたそうだから、何とか理屈をつけてアーリア人認定してたんでないw
238 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 14:54:37.22 0
あの地域にモンゴロイドがいること自体おかしく思わないか?
匈奴の墓からはコーカソイド系らしい骨が出てくるらしい。
今日とと言わず西方のチュルクにしてもウラル系にしてもコーカソイド。
フン族がモンゴロイドならば、どこから来た何者なんだ? アラン襲撃以前の記録は無い。
古代の一文章と後のモンゴル襲来のイメージが強すぎるんだよ。
>>218 アファナシェヴォ文化(コーカソイド トハラ系の祖先?)
↓
オクネフ文化(モンゴロイド チュルク系の祖先?)
↓
アンドロノヴォ文化(コーカソイド インド・イラン系の祖先)
アファナシェヴォ文化人は寒冷化でミヌシンスク盆地からタリム盆地へ移住、
その後タリム盆地の砂漠化の進行で西域南道から東へ移動して月氏となる。
おそらく周や獫狁、秦、匈奴らの祖先は甘粛から黄河流域へ追い払われる。
ミヌシンスク盆地と西域南道にはイラン人が移住する。
現在のカザフ人が、古代サルマタイ人の血も引いており、
モンゴロイドとコーカソイドの雑種という事なのでは?
要は混血激しい糞(フン)みたいな民族だったと…
中央アジア人の遺伝子は昔とさほど変わってない、ということかもしれんな
移動したり流入したりするのは一部で大勢はあまり動かない
244 :
世界@名無史さん:2012/09/06(木) 04:49:52.87 0
何千年も東西の交流があるのに、何万年も前の氷河期に別れたらしい
コーカソイドとモンゴロイドが未だに別れてるのが不思議だ。
しかもアフガニスタンのハザラ族はペルシャ系の言語だが、何百年経っても
コーカソイドとはならずモンゴロイドとして差別されてる。
245 :
世界@名無史さん:2012/09/06(木) 05:44:12.98 0
アーサー王物語には考古学的と言うことで、なぜかコーカサス地方の出身者が現れるんだよな。物語りなのに・・・
246 :
世界@名無史さん:2012/09/06(木) 10:16:37.18 0
アランという西欧の人名はアラン人に由来するそうだな
アラン海あたりの出身でしたっけ?
アラニアは東はアラル海から西はドン河とアゾフ海まで
東はドン河から西はローマ属州パンノニアまでがサルマティア
>>244 モンゴル軍による虐殺でアフガニスタンの人口が激減したからだろう
充分な先住民がいればとっくの昔にモンゴル人は同化消滅しているはず
アジア系がコーカソイドと混血すると
トルコ系はコーカソイド化するが
モンゴル系はモンゴル顔をそのまま維持する。
カルムイク人やレーニン、ハザラ族を見て確信した。
しかしモンゴル人と(中国の北にいたころの)トルコ人自体の見た目は違わないという
カルムイク人やハザラ族が入植した地域には先住民がいなかったのだろう。
>>246 フランスのシラク大統領は、サルマタイのシラケス族の末裔だろうね。
同じくローマ時代のシンドイ族は、インダス河のシンド人と同祖だろうね。
フランスのシラク大統領は、サルマタイのシラケス族の末裔だろうね。
スキタイのシンドイ族は、インダス河のシンド人と同祖なのだろうね。
ブリヤート・モンゴルあたりでは外見は完全にモンゴロイドなのに髪だけ生まれつきブロンドの人が時々いるという
255 :
世界@名無史さん:2012/09/06(木) 23:54:41.74 0
イギリスに移住したジュート人がスキタイ系という説があるそうだけど、何か根拠はあるのかな
256 :
世界@名無史さん:2012/09/07(金) 00:06:39.95 0
>>254 ロシア人の関係も多大にあるから古代なのか近代なのか分かるのかな?
北方領土ですらもうごちゃごちゃになってるだろ。
>>255 聞いたことがない。ソースは? アングロ・サクソン・ジュートと言うぐらいだから
デンマークやドイツザクセン地方から単純に来ただけじゃない?
メルキト族がコーカソイドの末裔なので、テムジンとジュチは西域人ような容貌だった。
元帝国には精鋭部隊としてアラン族やキプチャク族など西方出身の兵が多数いた。
ウイグル可汗国ではウイグル人らは帝都オルドバリクの城壁外で放牧しており、
都の住民の多くはソグド人だった。
259 :
世界@名無史さん:2012/09/07(金) 02:43:21.29 0
見事に中間って感じ
>>260 真ん中の写真の子は、明らかにコーカソイドの特徴もってるな。
ロシア遠征の結果か?
263 :
世界@名無史さん:2012/09/08(土) 00:46:03.79 0
こういうのがフン族か(笑)
中央アジアってたまに息を飲むほどの美人がいるよね
265 :
世界@名無史さん:2012/09/08(土) 05:13:31.48 0
それはどこの世界でも同じでは?
266 :
世界@名無史さん:2012/09/08(土) 05:40:09.26 0
>>262 それはソ連時代はロシアの属国だったから、
中にはロシア人との混血も生まれたのだろう。
話しがさかのぼり過ぎ。
ロシアのタタール系貴族だって大半はモスクワにカザン汗国とかが征服されて帰順した連中だしなあ。
タタールのくびきというよりロシアのくびきの結果。
ヴォルガ・ブルガール → カザン・タタール
269 :
世界@名無史さん:2012/09/08(土) 12:36:48.52 0
カザフスタンなんて今も半数がロシア人
古代はイランやチュルクの影響で今はロシアの影響か
モンゴル帝国とソビエト帝国どちらが大きい?
タシュティク文化(BC1C-AD5C:エニセイキルギスの前身説あり)の墳墓から出土した葬儀用仮面の写真。
http://trog.narod.ru/et/tashtyk.JPG 場所はロシアシベリア管区・カザフ・新疆ウイグル自治区・モンゴルが一つに接しそうな場所のあたり。
こいつらがそのままフン族とは思わないが、東方からの大移動説が正しいのなら似たような顔だったろうとは思う。
>>269 いまや(2009)ロシア人23.7%、ウクライナ人2.1%にまで減ったらしいねカザフスタン
ロシア語しか使えん人も多いしロシアの影響は大変なもんだが、カザフという
枠組み自体モンゴル後継政権で出来たもんだしこちらも影響大きいな
テュルク系だからモンゴル以前のキプチャク族も忘れてはならんだろうけど
272 :
世界@名無史さん:2012/09/08(土) 15:44:40.80 0
カザフスタン人の写真やビデオを見ると、
一部コーカソイドとの混血はあっても基本モンゴロイドだね。
モンゴル人よりも顔に凹凸があり、日本人にむしろ似ているよ。
タシュティク文化の古墳は遊牧民では稀な方墳で
匈奴の古墳であるノヨン・オールと共通点が多い。
275 :
世界@名無史さん:2012/09/09(日) 15:44:53.98 0
フン族がカザフのあたり長期に留まってたら、
近くの都市とかと交戦記録とか残ってそうでない?
比較的近くにあるササン朝とも交戦しそうだし。
アラン族襲撃からアッチラ大王までの頃までのフン族は
かなり高度な軍事集団。シベリアあがりの無人地区から
ひょっこりきた連中の戦いと違う。
フンガリーとフンランドとヒュンダイはアチラの方の子孫です。
紀元前の烏孫と康居もフン族と同じく元々どこにいたのかわからない。
大月氏の西方移動以前、東から西へ東胡、匈奴、月氏、トハロイ、サカ、
マッサゲタイと並んでいたが、烏孫と康居が当時どこにいたのか不明だ。
烏孫は匈奴帝国領内にいたようだが、康居はおそらく北カザフスタンから
南下したのではないだろうか?
278 :
世界@名無史さん:2012/09/11(火) 10:09:10.18 0
ユーラシア草原の騎馬民族でイラン系をタジク、トルコ系をチュルクと大まかに呼んでたのはホンマ?
欧州を席巻した遊牧民の食文化の名残が今で言うハンバーカー ホットドッグのようなもの
パンに挽肉やハンバーグ、ソーセージを挟んだ物 これはトルコなどでシシ・カバブという肉の串焼き
を薄くそぎ落とした物をパンに挟んで食べていた遊牧民が欧州に伝わったものではないのか
ロシアからドイツのハンブルグ・・・ミルク・ヨーグルト・チーズ・バターなどの乳製品も日常毎日取る習慣も遊牧民の食生活からではないのか
ロシアのコーカサス、ブルガリアなどの東欧、トルコなどは毎日の食習慣
ロシアのケフィアなども
牛乳やチーズは古代ローマ人も摂取していたので、遊牧民とは無関係であると思われる。
もっと言えば、シュメール時代から食されている一般的なものだったしね。
バターについても存在自体は既に古代メソポタミアで確認されるものの、保存が利かずマイナーな位置づけ。
古代ローマ人も主に整髪料や軟膏などとして使い、あまり食用には用いなかった。
一方で、スキタイがバターらしきものを愛好している様子をヘロドトスが描写していることから、
その食習慣は遊牧民由来かもしれない。要は、バターを保存しやすい寒冷地であるか否かだろう。
今のモンゴロイドと白人の体格差を見ると、フン族がゴート族を一方的に蹂躙できたことが信じられない。
昔は白人も低身長だったってきくけど…
個の体格差より騎馬技術とかの影響の方が大きいって事では
コーカソイドの全てがデカい訳でもないしさ
アラブ人のイブン・バトゥータに言わせると、タタール人は体格がいい。
半農半猟のゴート人は馬の上で寝起きするような相手と
ウクライナ平原で戦った。しかも近隣のアラン族もこれに加わっていた。
ゴート族はサルマタイを模倣して重槍騎兵を主力とする軍だったとされる。
そもそも元々は歩兵が主力だったゴート族はどうやってサルマタイを
征服したのだろうか?
弓騎兵を主力とするスキタイを重槍騎兵を主力とするサルマタイが征服する
↓
歩兵を主力とするゴート族が重槍騎兵を主力とするサルマタイを征服する
↓
弓騎兵を主力とするフン族が重槍騎兵を主力とするアラン族とゴート族を征服する
↓
アッティラの死後、ゲピド族とゴート族がフン族を追い払う
>>281 ローマ人やギリシャ人も印欧語族で祖先は遊牧民
アッティラの死後はブルガールやハザール、キプチャクに支配されており、
ゴートやアランが支配権を回復することは無かったようだが。
アランはモンゴルの征服によって親衛隊に編入され多くがモンゴル高原に徴用され
ゴートはクリミア汗国がロシアに併合されて消滅した。
アッティラの死後、ゲピド族とゴート族がパンノニアからフン族を追い払う
290 :
世界@名無史さん:2012/09/14(金) 00:58:10.78 0
291 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 03:08:40.54 0
やっぱフン族はアランの近くにいたイラン系の
連中とも違いそう。
292 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 03:23:59.89 0
イラン系の民族はよく分かるようだが文献が残ってるんだろか?
匈奴もフンもよく分からない点では一致してるな。
例えばフン族がチュルク系だとしても今のトルコ人はトルコ系の言葉を
使ってるが人種は様々な民族、おそらくブリテンの様に何度も征服者が
変わってもアナトリア原住民の遺伝子が一番強いんじゃないかな。
フン族もカスピ海の北辺りにいたならウラルとかコーカサスの遺伝子が強いんでね〜?
293 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 03:51:25.63 0
× おそらくブリテンの様に何度も征服者が 変わってもアナトリア原住民の遺伝子が一番強いんじゃないかな。
○ 何度も征服者が 変わっても原住民の遺伝子が大半ブリテン原住民の様に、アナトリア原住民の遺伝子が一番強いんじゃないかな。
アッチラってどこ?
あっちら
295 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 07:05:05.95 0
バイカル湖近くにいたのでは?
アナトリアのトルコ人の祖先は、もともと支配者に従順な連中だったのだろうな。
彼らはかつてフリギア人やリディア人など非ギリシャ人だったが、マケドニアに
征服後はギリシャ化して、セルジュークに征服後はトルコ語を話すようになった。
一方スラブ人とアルメニア人は根っから民族主義的で、誰に征服支配されようが
スラブ人とアルメニア人のままだ。スラブ人はもともとスキタイやサルマタイに
長期に渡り支配されていたが、スラブ人として歴史の表舞台に登場した。
アルメニアはイスラムに征服されたが、イラン人らのように改宗しなかった。
297 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 12:54:48.90 0
やはり匈奴の子孫とみるべきだな、騎馬戦法からみて。
298 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 14:49:20.79 0
アラン族とかとは全く別種の連中でしょ。
長く居住区域が隣接してたなら、そうそう一方的にやられない
だろう。相手の戦法も知ってるだろうし。アランや東ゴートの
負けっぷりを見ると、見たことも無い風体と戦法を駆使する
連中が東方から突如としてやってきたというとこだろう。
299 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 15:45:51.33 0
匈奴の一部が消えて200年かかってんよ。中国史に無いとすれば西進したと思うが
多民族の中に消えて・・・っても中央アジアはチュルク系かイラン系ばっかやな。
300 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 20:56:46.79 0
アッチラとコッチラは関係ないけど似たような連中だろ。
ヒュン奴族同士でも争ってただろうし、
そんな少ない資料で無理やり結び付けてもと思うがな。
302 :
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 05:53:17.72 0
古代のヒッタイトとかエジプトやギリシャを悩ませ滅ぼした
海の民は、ギリシャ人、フェニキア人、エトルリア人などの
多国籍略奪集団だったらしいから侮れん。
フン族もチュルク、スキタイ、ウラル、スラブの多国籍略奪騎
騎馬民族だったんじゃないかな。単なる妄想だが。
ローマに攻めてきたフン族軍にアランが含まれていたことは記述されている
>>298 スキタイとサウロマタイは隣国どうしでかつてペルシャに対して共闘したが、
スキタイはサウロマタイに征服されてしまった。
305 :
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 22:50:29.76 0
オセット人は先祖の名前アランを堂々名乗り日本土俵に来た。
306 :
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 23:45:11.24 0
阿覧の国は、北オセチア・アラニア共和国って言うんだな。
アランと言う欧米人の一般的な名前はアメリカ人にも多いんだけど
アラン族がヨーロッパに侵入する前はこういう名前は無かったそうな。
アラン族はイラン系だと当時から分かってるし今も子孫が国を造り
欧米人の名前にもピックされて大相撲でもそのまま使われてるのに
フン族ときたら・・・
アッティラとかブレダとか。
アッティラは人気のある名前だったりブダベストの名はブレダから来ている
308 :
世界@名無史さん:2012/09/19(水) 18:16:25.75 0
>>221 >スキンヘッドでモミアゲもしくは顎鬚の厳つい如何にも頑健そうな男たちがロシア及び
>欧州を席巻している絵画を見たことがある。多分フン族の姿を模写した絵画ではないのか
ヨルダネスによるとフン族は髭がほとんど生えなかったそうだから、まったく関係ない連中だろう
309 :
世界@名無史さん:2012/09/19(水) 23:20:45.00 0
フン族が暴れなかったらゲルマン民族の移動とローマの崩壊は無かったか?
歴史に異父はナンセンスだがどうだろう? すでにローマはゲルマン兵だらけ
だったので次官の問題だったのか。ソビエトも勝手に崩壊したし。
ゴート王国がそのまま定着して今のウクライナはゲルマン語系になってたかも。
どっちみち13世紀にモンゴルが来たら防ぎきれなかっただろうが。
アラブ・ムスリムが出現するまでは、ローマ帝国は崩壊しなかったと思う。
伝統的にローマ軍は対ゲルマンと対ペルシャを重視していたから、
アラビア方面からの攻撃にはうまく対応出来なかったと思う。
南からのアラブの攻勢により混乱したローマに対して、当然の事ながら
これに乗じて北からゲルマンやスラブも攻め込んできたはず。
一方ウクライナはゴート族の統治下に繁栄発展していったと思う。
312 :
世界@名無史さん:2012/09/20(木) 06:43:58.82 0
その頃ってすでに、東西ローマに分裂してたよな。
キリスト教会も力を増してゲルマン傭兵も文明人
になってたし、特にガリアはかなりローマ化されて
フランク族があの流れで王朝をつくったんじゃね?
ところでクロービスとかメロヴィング朝だっけ?を
造ったフランク族も、ゲルマン人だけじゃなくイラン系
のサルマタイやケルト人、サクソン人やら単一民族じゃ
なかったんだ。フランク族という単一民族と思い込んでた。
フン族もアラン攻撃前から、すでに騎馬民族の多民族集団
だったんでは?
ゲルマン人出身の皇帝と将兵らが他のゲルマン人を征服したかもしれないね。
ゴート族により穀倉地帯となったウクライナを、エジプトをアラブに奪われた
ローマが狙ったかも。たぶんクリミア半島を足場に領土拡大してドニエプル河
からボルガ河までが属州となり、それに対してゴート族はドニエプル河から
エルベ河にいたる地を統一してローマに抵抗しただろうね。
314 :
世界@名無史さん:2012/09/20(木) 13:39:59.06 0
暴行・略奪(カツアゲ)癖があってス力卜口AV好きな同級生がいた。
暴行・カツアゲの被害の常連だった数人は最初カストロと陰で呼んでいたが
ばれて殴られたので今度はアッティラという渾名で呼んだ。
被害者常連で逆襲作戦を練って、決行日をカタラウヌムと名づけた。
まず世界史の授業でフン族とアッティラの話が出た瞬間に
彼がス力卜口AV愛好者であることを女子含むクラス中に証拠付きでぶちまけた。
次に、ぶちまけた奴が放課後先生に〆められ終わって下校途上
(予想通り)アッティラ君に殴られ始めたところ、同志全員で駆けつけボコボコにし返した。
翌日からアッティラ君は学校に来なくなった。
カツアゲされた金は帰ってこなかったが後悔していない。
ブルガールとスラヴの連合軍がコンスタンティノーブルを攻撃していた時期に
ハザールが空き巣のように黒海北岸を占領してしまった。
ブルガール・スラヴ連合軍は仕方なくビザンツ帝国に降伏、
そのままハザールに対する防人のような形で国家を築いたのがブルガリア。
316 :
世界@名無史さん:2012/09/20(木) 21:50:08.23 0
>>314 スカトロ好きを糞族呼ばわりする学生
あちこちにいるんだな。
うちの同級生もそうだった。
>>312 ゴートもブルグンドもランゴバルドも単一じゃないけどね。
あとメロヴィング朝は、ガリア管区のセナトール貴族層の支持により
成り立ってた国で、王権自体は弱かった。
まぁ、今でいう地方の市長さんみたいなもんだよ。
>>309 フン族の出現よりも、皇帝ヴァレンスが対ペルシャ戦の増援としてゴート族らを
帝国領内に引き入れた事が重大なのでは?
かつてサルマタイがスキタイを征服した時は民族大移動などは起きなかった。
フン族がゴート族を征服して終了するはずだった事を、大きくしてしまったのは、
東ローマ皇帝ヴァレンスだったのでは?
もしそうなったのならば、黒海北岸でアヴァールが来る6世紀半ばまでは、
フン帝国が存続するか、ゴート族の反乱でゴート王国が復活したと思う。
319 :
世界@名無史さん:2012/09/21(金) 22:20:21.87 0
>>316 なんで自らをこともあろうに糞族と称したんだろうね?
320 :
世界@名無史さん:2012/09/21(金) 23:23:56.35 0
遊牧民族、というよりも新興民族の国家は元来USAと同じような多民族集団だよ。
それでも王国として1世紀以上続くと、言語も共通語でかなりまとまってくるのではないかい。
エジプトは多数の言語が話されていて、しかもファラオ自身が
多数の言語を操っていたというが。
寧ろアメリカのように一つの言語の下に異なる人種を支配するというほうが異質。
フンゾクのムンズク
323 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 12:58:18.00 0
324 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 13:10:48.25 0
325 :
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 19:07:30.84 0
フン族は東ゴートを撃破した後、
コーカサスを越えてシリアやアナトリアを
荒らし回ったらしいね。
>>321 いまやアメリカでも、5人に1人は英語を話せないそうな。
アッティラはラテン語も話せたとか
行動範囲の広い遊牧民は複数の言語を操れて当然のような生活環境。
近代の国民国家と当時の遊牧民国家は言語・宗教のあり方が根本的に異なる
フン族って今の何人になるわけ?
モンゴルからトルコ系じゃね?
その混血あたり
330 :
世界@名無史さん:2012/10/05(金) 14:08:36.42 0
戦法を考えると、モンゴル・トルコなどの系統が
コア集団だったのだろう。東ゴート襲撃以降にゲルマンやら
スラブも集団に組み入れられたかもしれないけどね。
騎兵でも槍を主武器として戦う系統の連中とは明らかに違う。
モンゴル・トルコ系の連中に、年月共に欧州系民族との混血が
進んだと考えるの妥当だろう。
331 :
世界@名無史さん:2012/10/05(金) 20:15:36.29 0
強いて言えばハンガリー人の中にほんの少し混じっているかも。
332 :
世界@名無史さん:2012/10/05(金) 21:16:15.82 0
アラン人が北オセチア・アラニア共和国という国があるというのに、
フン族は言語すら特定されてない不思議?
ブルガール王クブラトやアスパルフはアッティラの息子イルナックの
子孫と伝えられてたそうやね
クブラトの子孫はブルガリア(アスパルフの勢力)、
タタール、チュヴァシに分かれたそうだが
アッティラ死後、パンノニアはゲピードが奪い取ったが、
ドナウ河畔〜黒海北岸〜ボルガ河畔はブルガール・アヴァールの縄張りになった。
335 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 02:07:58.68 0
遊牧民は定期的に定住民を襲うのが趣味のサークル団体だからな。
336 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 10:25:15.00 0
ハンガリー人にはゲピード人とアヴァール人の血は混じっているだろう。
クマン人もね。
フン族はわからないけど。
ハザール可汗国の首都アティルは、アッティラの名に由来するらしい。
なおwikipediaによるならイティルは"大きな川"の意味で10世紀の文献から
見られるそうな(アッティラは5世紀の人)
5世紀:アッティラのフン帝国の成立と崩壊
パンノニアはゲピード王国、黒海北岸はアッティラの後継者など
↓
6世紀:アヴァール帝国がパンノニアから黒海北岸まで支配
↓
7世紀:黒海北岸の大半を大ブルガリアが支配、パンノニアは
アヴァールの支配続く
↓
7世紀:大ブルガリア崩壊、黒海北岸はハザールが支配、パンノニアは
アヴァールの支配続くがサモ王国などスラヴやフランク勢力が拡大
ブルガリアはドナウ流域に建国
↓
8世紀末-9世紀:フランクとブルガリアに挟撃されてパンノニアの
アヴァール滅亡、スラヴの大モラビアも勢力を広げる
黒海北岸はハザールの支配続く
↓
9世紀末-10世紀:マジャルがフランクとブルガリアを追い出し大モラビア
を倒してパンノニアを支配、ここでようやくハンガリーがパンノニアの
支配者となる
ハザールが衰退して黒海北岸はペチェネグの支配下に
フン帝国崩壊からハンガリーが現在地にやってくるまで随分時が経った
もんだ。アヴァールの支配も中々に長かったが後世ではちょっと
影薄いかな。言語もいまいちはっきりしないし。
ブルガリアと同様にアヴァールもスラブ化したとされる。
342 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 19:31:49.54 0
>>341 スラブ化して、ほどなくマジャール化したでござる。
なんでNECやねん
344 :
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 11:36:28.91 0
>>335 かつて日本という東洋の島国に存在した秘密結社「超自由」(ジョージ・ポットマンの平成史風)みたい
345 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 12:01:53.43 0
中央アジアから西ユーラシアに、巧みな弓の戦術を持った有力な騎馬民族なんて
チュルク系かイラン系以外にいるか? イラン系ならアラン族みたいに正体が分かる。
ウラル語族の説もあるけどウラル系って騎馬民族か?
346 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 12:18:51.51 0
で、フン族の次に暴れたのも正体不明で突厥説が強いアバール族?
フン族、アバール族、ブルガールもいて、最後にウラル系のマジャール人がハンガリーに?
その間にスラブ系が、次々と東ヨーロッパやバルカン半島に侵入してくる。
それが今のバルカン情勢をゴチャゴチャにしてるのかな?
ビサンツ帝国がアヴァールと講和したことに突厥が報復として
クリミアからビザンツの役人と軍隊を追放したというから
アヴァールは突厥と敵対関係にあったと確認される。
ここからアヴァールが中国の史書で突厥に駆逐された柔然説があるという。
348 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 21:39:31.96 0
柔然はモンゴル系。
349 :
世界@名無史さん:2012/10/12(金) 20:30:59.50 0
好戦的なフン族がアラン襲撃まで、
比較的近隣にあった都市などを襲撃した記録が
ないのが不思議。
ただ、フン族の戦闘での強さを考えると、かなり戦闘経験
豊富な連中。人がまばらなシベリアからひょこり出てきただけ
の連中が、勇猛なアランや東ゴートを軽く撃破できるとは思えない。
やはり北匈奴の残党に周辺にいた遊牧民が合流して形成された人間集団
じゃないだろうか。
350 :
世界@名無史さん:2012/10/12(金) 21:44:44.22 0
200年も経って?
康居、丁零、堅昆あたりの流れをくむ集団なんじゃないの?
こいつらは匈奴の従属下にあった時期もあるし、内乱で敗れた匈奴の単于を迎えたこともあったりで、
匈奴の戦闘文化を吸収する機会には非常に恵まれている。
アランの勢力圏の東端にも近いんで、匈奴では叶わぬ時間と空間の乖離を埋めることができる存在。
両端の匈奴やアランはデータが多いけど真ん中の康居は都市も
支配してたけどデータが少ないからなあ
その辺に居たらデータが少なくてわけわかんない連中ということに
なるかな?
353 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 14:55:37.57 0
悦般国とフン族は関係はないのかな?
魏略西戎伝: [北烏伊別國]在【康居】北、又有[柳國]、又有[巖國]、又有【奄蔡國】
康居の北にあって奄蔡國(アラン)と並べられてる3カ国あたりがくせーな。
で、少し時代が下る悦般国ってのは場所的にはだいたいこの3カ国あたりなんだわ。
悦般国自体は北魏時代まで存在するから、フンが東ゴートを追い立てる時代より後だな。
3カ国のうち優勢になったものが残って悦般国になり、敗れたものが西進したって感じかもしれん。
んで、悦般国は1世紀に敗走した北匈奴の単于を祖としている。ただし国が現れるまでの経緯は不明。
これは、地侍が平家の落武者を祖とするようなもので、ただの従属部族だったんろうという説もある。
いずれにせよ、この3カ国あたりでは匈奴の権威が滅亡後も効力があったんで、文化的な共通性はあったろうな。
西進したものはフン(ヒュンヌ)になり、残った悦般国が後に南下しエフタル(白フン)となる、という展開も容易。
>>355 トルコの歴史の本だとまさにそんな感じの書き方してるな
匈奴の東西あるいは南北分裂後に北匈奴(一説には西匈奴残党)の存在が
中央アジアまで西進していってその地で現地の他の部族と融合或いは連合化し
更に西に進んだものがフンで中央アジアに留まってそこからインド方面に南下したのがエフタルと
面白い事にトルコだとフンもエフタルも王族をカガンで呼んでるんだけど
これはトルコ以外では流石に根拠にはなってない
北烏伊別、柳、巖といった漢字を中古音で発音したらどんな感じなのかね。
テュルク古語で当てられる言葉があれば面白いし、フンやエフタルとの関係を見出せないかな。
358 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 17:02:50.97 0
中国の歴史書に匈奴が奄蔡を滅ぼしたという記述なかったけ?
359 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 18:06:11.81 0
ヘロドトスのスキュタイ人の記述なんかを見ると
遊牧民はみんな同じ習俗なんだって思う。
モンゴルや匈奴起源だと思ってた価値基準はスキュタイが
西紀6西紀にはすでに実現してるんだね。やっぱ昔の
ユーラシアの北方はみんな同じ一つの民族だったんだよ、多分。
>>359 基本的にウラル・アルタイ語系を話す民族は、全てモンゴル高原に何らかの
縁を持っている。日本人が一番縁遠い。モンゴル人、トルコ人と同じアルタイ系で
ありながら、ウラル系のハンガリー人、フィンランド人、即ち元匈奴人よりも今の
モンゴル人に遠い。
361 :
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 00:31:33.39 0
>>357 北烏伊別の北が文字通り方角を指すのか、似た音の当て字なのかも気になる
362 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 18:38:49.79 0
パンノニアに現れたアヴァールは偽アヴァールという説もあるよね。
欧州に現れたフン族も、その昔は一大強国を作った匈奴の名を語って
自らをフン(匈奴)と宣伝した可能性はあるな。バイカル湖からカザフ平原
あたりに遊牧民なら、匈奴の名声は知ってるだろうし、勝手にフン(匈奴)
と名乗ったのではないだろか?
もちろん、匈奴の末裔の部族も一団に加わってた可能性は大いにある。
それ言ったら、きりないしな。
モンゴルだって、チンギス以降のモンゴルは
あちこちの民族が混じって、多民族化したけど
モンゴル人だったし
364 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 20:32:16.68 0
北匈奴を祖とする(自称?)連中が、西進した連中と
中央アジアに残った連中に別れたとする説が時間軸的にもあり得る説かな。
ただ、もっと東から移動してきた人間集団も加わってたのか、中央アジアの
あたりにいた連中だけだったのかは何とも言えない。
もっと東の連中となると、3〜4世紀ごろだと丁零(or高車)・堅昆くらいしか該当者なさそうだなぁ。
匈奴や柔然と違って、中間期の鮮卑は、西の端は烏孫くらいまでしか影響力なさそうだし。
366 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 21:06:29.17 0
北匈奴の末裔が中央アジアにおり、
それが何らかの理由で凶暴化してアランに殴り込み、
更に東ゴートを襲撃したという感じなのだろうか?
気候の変化と優秀な王の出現(バラミール?)だ西進の
原因だろうか?
367 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 22:01:56.24 0
ゲルマン人は何故フンと戦わずして民族移動したのか。白人らしくないな
伝説では東ゴート王エルマナリクがフン族襲来を聞くとそのままショック死、
総崩れとなり西へ逃亡開始、一部は降伏、フン族の片棒を担ぐようになる。
モンゴル軍の先祖みたいな連中だぞ
勝てるわけ無いだろ。
弓騎兵だぞ。完全にチート兵器。
アランはサルマタイの分流みたいなもんで、そのサルマタイは弓騎兵のスキタイを凌駕したわけだろ?
どうにも本質的に違いはないように思えるんだが、フンは何かが強かったんだろうなぁ。
371 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 04:35:30.20 0
優秀な軍事的指導者がいたのでは?
架空とも言われるバラミール。アラン・東ゴート襲撃からシリア・アナトリア
方面に侵入した頃は、優秀な軍事的指導者に騎兵隊が率いられていた可能性が
高い。
サルマタイ騎兵は重装備なためフンの弓騎の機動力に翻弄された
373 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 06:48:42.19 0
フン族の騎馬力は圧倒的らしい。
374 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 07:13:25.14 0
勇猛で知られたアランや東ゴートが軽くやられたとこ見ると、
あまり対戦したことがない相手だったと推測される。お隣同士だったら
交流ないし交戦した経験があり、それなりに戦えたはず。
みたこともな無い凶暴な連中が、見たことも無い戦法で攻撃仕掛けてきた
ので、為す術も無く敗退したという感じじゃないだろうか?
375 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 13:10:11.99 0
>>374 しかも、その残虐さたるや常軌を逸している。
これではさすがの白人系民族も勝ち目なし。
サルマタイは重装騎兵でスキタイの弓騎兵を打倒した。
そのサルマタイの分流たるアランが、なぜ同種のフンの弓騎兵にやられたのか?
スキタイとて、遊牧騎馬民族だったのだから騎馬能力が高かったことに変わりはなかろう。
複合弓の素材が改良されて威力が増したのか?
アランの経済的困窮などにフンが政治でつけこんで上手く従属させたのか?
377 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 17:17:07.77 0
フン族は政治に巧みそうではないがな。
どう見てもぶん殴って言うことを聞かせるタイプ。
重装騎兵が有利か、軽装弓騎兵が有利かは何とも言えない。
モンゴル系とされるアヴァールはフン族程の強さは発揮してないが、
後のモンゴルは滅茶苦茶強かった。
やはり弓騎兵の能力を十分生かせる軍事指導者の存在が大きかったのでは?
バラミールからアッチラまでは高い軍事能力を有する王や指揮官がいたのだろう。
ギボンによればゴート人は襲いくるフン族の顔すら確認できなかったという記述。
大げさに言ったのだろうが、
フン族の乗っていた馬はそれまでのゴートやアランの知る馬とは異質だったようだ。
モンゴル軍が使ってような、小型の馬かな?
実際に世界を制覇したモンゴル軍は、小型の馬に乗った弓騎兵だし
そっちのほうが、少ない食事量とか耐久性とかもあるのかもね。
デカイと足に負担かかるだろうし。
380 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 06:15:40.84 0
弓の巧さは卓越してたようだな。
381 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 07:48:24.95 0
>>379 たぶん小型馬だろう。
例えば馬の側部から弓射するとかね。
382 :
世界@名無史さん:2012/10/22(月) 20:21:34.03 0
フン族の東ゴート襲撃からカタラウヌムの戦いまで70年以上。
凄い長期間フン族の脅威にローマ帝国とゲルマン民族は晒されていたんだな。
フンの矛先がローマに直接向いたのはアッティラの時代になってからで
それまではビザンツやペルシャに向いていた。
384 :
世界@名無史さん:2012/10/24(水) 20:19:47.20 0
確か東ゴート襲撃以降はアナトリアやシリア方面に繰り出して
略奪を働いていたようだ。物騒な連中だ。
385 :
世界@名無史さん:2012/10/25(木) 14:20:57.66 0
小さい馬の方が軍馬に向いてるのかな?
ジークフリートの妻クリエムヒルトの再婚相手がエッツェル即ちアッチラです。
387 :
世界@名無史さん:2012/10/25(木) 20:55:45.94 0
>>385 ハーレーより小さいモトクロスバイクの方が戦闘的に使える。
自衛隊のバイクがそれ。
戦国時代の馬も小型だったらしいね
農耕馬みたいな、寸胴だったとか
389 :
世界@名無史さん:2012/10/27(土) 15:10:36.11 0
モンゴル軍はネズミの様な馬に乗ってるとバカにされたが、
戦ってみたら激強。フン族もそんな感じだったのかもしれない。
騎士用の馬は、1トン超えるのも有るらしいしな。
フルプレートアーマー着込んでも、走り回ることが出来た。
でも、ヘバリやすいんだろうな。
ポーランド・ドイツ連合軍は全滅に近い敗北だったし
しかし、霍去病とか衛青はよくこんな連中相手に完全アウェイで大勝したもんだ。
392 :
世界@名無史さん:2012/10/28(日) 21:36:12.84 0
>>391 まあ、コンサドーレ札幌でもアウェイで勝つことはあるよ。
汗血馬というオーパーツ
394 :
世界@名無史さん:2012/10/29(月) 01:32:47.63 0
トルクメニスタン辺りのアハルテケって品種がその末裔じゃなかったっけ。あの辺りならアラブ馬系統の品種も古くからいたんだろうな
395 :
世界@名無史さん:2012/10/30(火) 20:29:12.87 0
騎馬民族は俺が俺がの世界なので、
統率力のある王ないし指揮官がいないと意外と弱かったりする。
アラン・東ゴート襲撃の時は軍事的優秀な指導者がいたのでしょう。
>>378 ウクライナのタルパンも蒙古馬に近縁の小型馬だから、ゴート族やアラン族らの
軍馬もやはり小型馬だったはず。
ローマ帝国には北アフリカ産やスペイン産のより大型の軍馬があった。
トラヤヌス帝時代にはローマのヌミディア騎兵がダキア側のサルマタイ騎兵に
勝利したとされる。
ルーシの諸侯はモンゴル軍の馬が貧弱なので軽く見て大敗したというから
あの辺りで小型馬が本格導入されたとしたらモンゴル支配以後のことだろう。
蒙古馬よりも体格が良かっただろうが、当時のルーシーやキプチャクらの
軍馬は西欧やアラブの馬よりも小型の馬だったのではないだろうか?
寒冷な東欧の気候では、南方系の馬を放牧出来なかったと思われる。
西欧の馬もノルマン・コンクエストの軍馬はポニーぐらいだったとされる。
アッチラがカタラウヌムで敗退したのは、西ゴート族らがスペイン馬に
乗っていたからなのかもしれない。
カエサルのガリア遠征ではローマ側でゲルマン騎兵が活躍したとされるが、
ゲルマン兵が乗ってきた馬が貧弱だったので、ローマ軍が軍馬を提供して
ゲルマン騎兵はガリア騎兵と戦った。
おそらくゲルマン人らの馬はサルマティア産の小型馬だったと思われる。
乗馬教室行ったことあるけど
小型の馬の方が、大型の馬より
はるかに乗りやすいぞ。
当たり前だけど、車とかバイクでも
小型の方が運転しやすいだろ。
だから、小型の方が、疲労が少なくて
遠征には向いているのでは?
401 :
世界@名無史さん:2012/11/01(木) 01:04:12.08 O
みんな詳しいなあ
カタラウヌムの戦いは雨の中、ぬかるみに足を取られて思うように動けなかったという話もある。
403 :
世界@名無史さん:2012/11/01(木) 12:50:43.90 0
イスラムがヨーロッパを征服しても世界史の大勢はそんなに変わらなかったろうが
フン族の脅威はその後一千年間ヨーロッパのトラウマになった
癒され始めた頃にモンゴル襲来、捨てたはずのギリシア文化に頼らざるを得なくなり
大航海時代に突入、世界中にトラウマを撒き散らした
アッティラ大王の別名は「アキラ」だ
404 :
世界@名無史さん:2012/11/01(木) 13:01:44.70 0
ウィーン包囲が成功していたらどうなっていたか?
どうでもいい、アルハンブラ宮殿を見ても分かるとおり
イスラムでも豊かな風土に接すれば豊かな文化を作る位の順応性はある
文化の融合が進み逆ヘレニズム化して美しい美術や文学を生んだだろう
405 :
世界@名無史さん:2012/11/01(木) 13:09:41.78 0
フン族は違う、奴らは文化の破壊者ですらない、いうなれば強姦者だ
奴らは女を犯していっただけだ、それも処女達を
当時のローマ人はこう思っていた、金品を奪い破壊するだけなら
これは神の戒めであろうと考えることも出来た、堕落した罪深きローマ人に対しての戒めだろうと
だが奴らが狙うのは最も罪無き処女たちだけだ、これは神の何の意図なのだろうかと
処女に罪が無いなんて考えはキリスト教の最も大きな悪影響だな
ローマ視点では略奪者であったアッティラだが、
アッティラには膨大な部族が傘下に入り、彼らは「公正な王」と
彼の統治を称えた。
408 :
世界@名無史さん:2012/11/01(木) 19:51:19.68 0
白人が黒人には哀れみという名の”人種差別禁止”を掲げる一方で、アジア人(特に東アジアのモンゴロイドに)には一切容赦しないのはその為か
白人はアッティラしかりモンゴルしかり大日本帝国しかり、モンゴロイドを古代から中世、近代とずっと恐れ続けてるんだよね
キリスト教化される以前の白人のゲルマンや北欧神話ではアッティラはエッツェル・アトリの名で
クリームヒルトが頼り、気前の良い王として描かれている
410 :
世界@名無史さん:2012/11/01(木) 20:35:11.64 0
アッティラは原始ゲルマンの世界では英雄。
黄禍思想には、フン、モンゴル、日本
っていうのは、確かにあるだろうな。
恐ろしさは、イスラム勢力の比じゃないしな。
ドヤ顔で黄禍論を言うウイルヘルム2世に対しイギリスは
”HUN”とアッティラの片棒を担いだ古代の東ゴート・ゲピード人を皮肉った
日本はイギリスやアメリカが余計な事をしなければ、
江戸時代のままで彼らにとって人畜無害ままだろうな。
フン族のようにって奴
>>412 ドイツもイギリスも西ゲルマンの末裔で、
東ゴート・ゲピードら東ゲルマンとは
直接関係ないよなw
イギリス人はフン族の片棒を担いだゲルマン諸族の子孫をドイツ人と看做して
”HUN”と皮肉ることがある。
ゴート族やフン族のせいでローマ軍がブリタニアから撤退しなければ。
アングロ・サクソンはブリタニア守備隊に撃退されていたはずだよな。
>>416 第一次世界大戦か?
第二次世界大戦の時に
イギリスのプロパガンダポスターで
ドイツ軍をフンって書いてた奴を
見たこと有るわ。
ドイツはドイツで、ソ連の事を
モンゴルとかフンとか野蛮な狩猟民族って
プロパガンダ貼ってたしな。
419 :
世界@名無史さん:2012/11/02(金) 02:50:20.20 0
>>416 HOONじゃなくてHUNなんだな。発音はハンか
フン族の行為でさえ真のキリスト者には想定内のこと
そもそも神の断罪などという概念はこの頃には終りを迎えた思想なのだ
人類の全ての罪ははるかな過去からはるかな未来まで皆許されたのだ
神が自らの分身を送り出し自らを犠牲にした其の時から
それはフンの到来の遥か昔のことだ
蛮行などという概念はもう存在していないのだ
421 :
世界@名無史さん:2012/11/03(土) 14:28:00.30 0
だからフンも許されている
ハンっていったってほとんどの世界はハン国だからな。
まあ現実はローマ教皇がアッティラに貢納金を支払うことで
"許してもらった"側だったわけだが。
425 :
世界@名無史さん:2012/11/05(月) 15:35:00.38 0
フンの後継国家である、モンゴルやトルコはキリスト教徒や
イスラム教徒になりましたとさ
426 :
世界@名無史さん:2012/11/07(水) 17:48:15.65 0
モンゴルとトゥバは仏縁に触れましたとさ
合掌
427 :
世界@名無史さん:2012/11/11(日) 03:22:18.19 0
フン族とアラン・東ゴートは、
いきなり戦争状態になったの?
それとも、数十年接触期間があり、何かの
外交交渉決裂後に戦争状態になったの?
428 :
世界@名無史さん:2012/11/11(日) 04:15:41.90 0
文献には川を超えて突然フン族がアランを襲ったと書いてないか?
フン族が何族かも分からない古代の文献だからあてにならないが。
そもそもアランが文字を持ってたとは思えないので、ギリシャ、ローマあたり
の学者が誰かから聞いた話を書いたのだろ。昔の文献はほとんどそんなもの。
429 :
世界@名無史さん:2012/11/11(日) 09:08:30.32 0
突如、自分達を越える凶暴な連中がやってきたわけか。
なんか西洋人の書いた本だと
大抵、容姿についての言及があって
大抵、目が細くて、鼻が低くて、醜い容姿という感じだ
ゲルマン族だと多少肩を持つような言及も見られるが
フン族は、ただただ悪者なだけなことが多い
どうも人種差別を感じる
431 :
世界@名無史さん:2012/11/11(日) 19:55:20.23 0
ローマだって征服の過程で酷いことを散々征服地で行っている。
ゲルマンはローマの文化にある程度の理解と敬意を示し、
またローマの保護を求めたなど可愛いところもあった。
フン族は只、貢納金と逃亡民の引渡しを要求しただけで
ローマの文化など歯牙にもかけなかった。
仕方のない話だと思う。
ゲルマンは金髪碧眼でカッコイイ。
フンは、多分ツリ目の、エラが張った、背の低い人種
悪いけど、差別は止む得ない。
文化的にも劣ってただろうし
別にみんながみんなお前のような面食いばかりなわけじゃない。
>>432 そうかな?フン族にも、なにか良い所があるんじゃないか?
西洋人の書いた本では取り上げないだけじゃないか?
西洋人は自分達のご先祖のゲルマンは肩を持っているだけじゃないか?
なにより「醜い外見=醜い内面」みたいな空気がある点が問題だろ
「黒人は野蛮」と決め付けるのと同レベルだ
しかしさ、金髪の女性は、遺伝的に男性から好かれやすい
って説もあるんだぜ。
wikiで調べてみ
つまり、金髪は美しいって、価値は古代から有ったわけだ
目立つからだろ。
クジャクはカラフルな個体が残りさらにカラフルになっていくという進化論。
でもこの進化論で滅亡する種もあってそれがサーベルタイガー。
見た目はかっこいいが長すぎる歯は噛み付くと折れやすく、
顎まで骨折した化石が出て来る。
結局狩猟向きでは無くなり滅亡。
それは性淘汰といって生存競争とは相反するものだよ。
いや、やはり、目立つより、美しいが先だと思うよ。
極端な話、朝青龍似の女と金髪ギャルだったら
絶対に金髪ギャルに行く。
差別かも知れんが。人類の大部分はそうだろう。
ウクライナ侵攻したバツゥハーンも
白ロシアの女を狩りまくったって、話しだし。
オスマンだって、金髪ギャルをハーレムに入れまくってたっていうじゃん。
信じられないだろうが江戸時代の日本人は
西洋人の目や髪の色が青かったり赤かったりするのを
犬か猫みたいだと気持ち悪がった
くどいようだが美の基準の問題より
外見と内面が一致するような主張が問題なんだろ
「醜いフン族・黒人は、精神も醜い」という空気が問題なんだ
それは、かつては「美しい白人は、精神も美しい」という主張と結びついた
>>436 人類が黄金のものに価値を見出し始めたのはいつか知ってるか
実は新石器以降なんだそうだ、そしてその頃から階級制度が始まり始めたらしい
442 :
世界@名無史さん:2012/11/12(月) 19:40:54.35 0
俺は結構一重まぶた娘は好みだぞ。
目が細い娘も嫌いじゃない。色白は好きだけど、
あんま西欧娘は綺麗だとは思わない。
美醜は単なる文化だからな。
現在の二重で目がでかいとかがもてはやされているのも、西洋文化が覇権を握ったせいに過ぎない。
だいたい、平安絵巻なんか、目が細くて下ぶくれだろ?
浮世絵だって目がでかいとは言えない。
444 :
世界@名無史さん:2012/11/12(月) 21:37:31.17 0
でもまあ、フン族の中核はどうも白系人種じゃないことは確かそうだね。
後に混血は進んだのだろうけど。モンゴロイドが欧州までやってきたのは
確かそうだ。
アランと衝突する前は、この凶暴な連中が何処にいたかだ。記録がないとこ
見ると、どうもシルクロードの要衝の近くにはいなかったと推測される。
445 :
世界@名無史さん:2012/11/12(月) 21:45:54.57 0
>>440 >「醜いフン族・黒人は、精神も醜い」
いや、結構その主張は当たってるぞ。
イケメン・エリートほど、性格が良いのは事実。
男女ともにな。
これは、みんなが内心思ってるところだろ。
>>439 そういえば戦国時代の宣教師も
「日本人女性は金髪を嫌い、わざわざ髪を黒くする」とか言ってたな
>>443 沖縄人が述べるところによると
沖縄人が関西に行くと「外国人」扱いされるという
それは縄文系の沖縄人の「濃い顔」と
弥生系渡来人の血が濃い関西人の「薄い顔」の違いが原因だという
思うに「薄い顔」とは、そうした平安絵巻の顔だろう
日本では渡来人が覇権を握ったから
「薄い顔」がもてはやされるようになってしまったのだろう
ギボンがアッティラを典型的なカルムイク人の醜男だと貶したが、
何故かゲルマンの叙事詩では気前の良い謙虚な王
古代のローマ側とゲルマン側ではアッティラの評価が食い違っている。
サラディンとかもイギリスだと評価高いし
よく分からんけど、評価なんて、まちまちじゃね?
ゲルマンってアッティラに従ってた勢力も有ったし
悪くは書けないだろ
451 :
世界@名無史さん:2012/11/13(火) 04:50:31.86 0
今のウズベク人みたいな見かけだったかも? 個人差はあるが小柄で浅黒い。
ブラジル人に混ざると分からん。
452 :
世界@名無史さん:2012/11/13(火) 05:02:46.66 0
アランもキンブリ人もケルトの襲撃もエトルリア人もカルダコもエジプトもアラブもゲルマンもスラブも
分かってるのに、何で一番、凶悪なフン族だけ分からないのだ。
453 :
世界@名無史さん:2012/11/16(金) 02:58:14.34 O
お墓が見つからないからじゃない。
ミイラ、ローランの美女は白人だから3000年前にはあの辺に白人がいたんだ。
ハンガリー人フィンランド人どう見ても白人だし
蒙古斑の話し聞くけど、証明できる資料あるのかな?
とテキトウだけどフン簇は白人じゃないの?
モンゴロイドも出てくるし騎馬による頭蓋骨の奇形も確認されているというが。
ソースがwikiだけど紀元前200年前後にバルフ(バクトラ)が匈奴らしき一団に攻略されてるとか
北匈奴が檀石槐にモンゴル周辺から追放されたのが2世紀だから年代的にはクリティカルヒットと言ってもいいくらい
もし3世紀にバクトリアの辺りにいれば東ヨーロッパは射程圏内だね
>>216 近くにギリシャ人国家のグレコ・バクトリア王国やセレウコス朝があったんだから白人が居てもおかしくない
フンは混血でしょ。
白人蛮族もモンゴロイドもそんなに見た目区別ないぞ。
ケビンランデルマンとオリバーカーンとアッティラはそんなに区別ない。
>456
ギリシャ人とか拘らなくたってあの辺はソグド人やペルシャ人など白人のテリトリーなんだが
459 :
世界@名無史さん:2012/11/17(土) 06:54:13.49 0
オンナは現地調達する場合がけっこうあるから、
フンも当初はモンゴロイドでも、
アッチラの頃は混血の可能性が高いよ。
460 :
世界@名無史さん:2012/11/17(土) 07:22:24.62 0
アッチラって朝青龍顔の弁髪オヤジじゃないの?
浅黒く小柄だが上半身はがっしりしていて髭は薄く目は窪んで小さく斜視だった。
byギボン
典型的なヨーロッパ白人だろ。
どう見てもモンゴロイドの特徴です
白人的なのは目が窪んでることくらい
463 :
世界@名無史さん:2012/11/18(日) 00:43:43.37 O
アッチラの人相書きの一番古いのはどれ?
ギボンさんて18世紀の人ですか。
その人相書き正しいのかな?
464 :
世界@名無史さん:2012/11/18(日) 11:41:40.55 0
中欧のフン族の墓から主に背の低いモンゴロイドの人骨が出土したそうな。
ドイツかなんかで、フン族女性の人骨に基づいた顔の復元CGを見たことあるが、
どう見ても東アジア系統。
465 :
世界@名無史さん:2012/11/18(日) 12:22:18.42 O
人骨が出ても民族が特定できないのが分からん。
「人骨によるDNA鑑定の結果フン族はモンゴロイドである。」
と、確定できないの?
ゲルマンを大移動させる人数は少なくない。
とすれば、墓や人骨がもっと出てもいい。
人骨が白人だった時点でフン族でないとネグレクトした可能性は無いのかな。
と根拠もなく、フン族は白人じゃないのと妄想してます。
>>465 蒙古騎兵みたいな、アウトレンジ攻撃仕掛けてくる
高機動軍だったら、事実上の無敵だぞ。
数千も騎兵が居れば、民族移動を引き起こせるだろ。
民族は知らんけど、人数は少なくても大丈夫じゃない?
フン族は伝説上の野蛮人なので実体なんてありません。
出自不明のゲルマンが自分達の移動の根拠を責任転嫁してるだけで、
自分達こそがフンです。
>>467 じゃあ、ゲルマンだけどなく、ローマ側の資料はどうする?
ゲルマンとローマが、口裏合わせして、資料を捏造したのか?
仲良くもない両陣営がそんなこと出来るのか?
何の意味があって、やるんだ?
ローマはゲルマンに乗っ取り潰されているので。
キリスト教国教化から数年で東西分裂。西側は数十年後に滅亡。
アッティラもゲルマンも全部その間の出来事。
ローマ滅亡の原因を全てアッティラに被せているだけでしょう。
470 :
世界@名無史さん:2012/11/18(日) 15:11:41.29 O
弓騎兵自体は射手座が示すようにギリシャ時代からある。
馬に乗った弓兵というだけで蒙古人と特定していいのだろうか。
ケンタウロスって、フン族みたいな
野蛮な弓騎兵がモデルだって話も有るらしいね。
野蛮人=東洋人という固定化が後から来る。
実際はキリスト教徒とゲルマン民族とフン族はすべて東方からの来敵。
すべて遊牧民だったのではないか。
473 :
世界@名無史さん:2012/11/20(火) 06:21:29.38 0
>>403 どうかな俺は逆だと思う
遊牧民なら次第に現地へ同化しちゃうけど実際にマジャルやブルガルがそうであったように
イスラムの文化侵略度と人口増加力のほうがやっぱタチ悪いと思うわ
都市は再建できても文化は再生できないからな
474 :
世界@名無史さん:2012/11/20(火) 20:53:40.09 0
馬を家畜化して乗りこなす、いわゆる騎馬民族はおそらくアーリア人起源だから
騎馬で弓を射る戦い方は、アーリア系 →モンゴロイドに伝わったんだろう。
その過程で中央アジアにチュルク系と言う混血民族が生まれたのでわ?
>>473 モンゴル帝国も中国支配したら、中国化
イスラム支配したら、イスラム化
ヨーロッパ支配したら、ヨーロッパ化したもんな。
言語も人種もバラバラになって崩壊した
>モンゴル帝国も中国支配したら、中国化
漢族化はしていないからモンゴル高原に戻って遊牧生活に戻ったというが
フビライは完全に漢人化してたって聞くけど
漢語が読み書きできたというだけで「完全」に漢化したといわけではない。
ペルシャ語も話せたしラテン語も理解できたというし
479 :
世界@名無史さん:2012/11/21(水) 14:57:38.05 0
アランや東ゴートのやられ方からすると、
ほぼ未知の場所から来た連中なのは間違いない。
彼等の近所にいた白系人種ではない。戦法も全く
見たことの無い戦い方。
白系人種が集団に加わったのはアラン・東ゴートが
フン族に屈服した後のことだろう。匈奴と関係があるかは
不明だが、モンゴルか東シベリアあたりから移動してきた
連中だと思う。
480 :
世界@名無史さん:2012/11/21(水) 15:51:57.31 0
何度も書いてあるが実態は分からない。
ただし、フン族研究者によればウラル語族の可能性が強く中央アジアで
騎馬民族となったという。今のサーメ族もだがウラル語族は背が小さい。
ただし、日本を襲ったモンゴル軍団すら実態はチョン兵と南宋兵が大半だから
フン族もコアがたとえウラル語族だとしてもチュルク語族としても混成軍団だと思う。
481 :
世界@名無史さん:2012/11/25(日) 04:58:42.22 0
バイカル湖周辺から移動してきたのでは?
482 :
世界@名無史さん:2012/11/27(火) 07:42:08.59 0
モンゴル・トルコ系だろうというのが通説では?
それでモンゴル系とトルコ系がどう混ざったの?
484 :
世界@名無史さん:2012/11/27(火) 14:16:51.07 0
通説とまではいかないが有名説
匈奴の中国読みとフン族の西洋読みが似てるとかもあるが
遊牧民の北匈奴が史上から消えて250年も経って匈奴の形態を保てるのか
というのが疑問点になっている。カザフスタン辺りで同化したのでわ。
ローマ人かギリシャ人に言わせればアッチラは背が低いなどと書いてある
らしいが当時のローマ人は160cm程度で170cmのゲルマン人が大柄という。
肉食、乳製品を主食とした遊牧民が160cmのローマ人より背が低い?
150cmぐらいか(笑) それは考えられない。
485 :
世界@名無史さん:2012/11/27(火) 15:17:03.89 0
匈奴の末裔を自称してた可能性はあるかな。
伝説の騎馬民族の大帝国だったし。
まぁ現代のトルコでは匈奴、フン、エフタルは自民族の先祖って教えてて
冒頓単于、アッティラ、アクシュンバル(エフタルの初代王らしい)は
わざわざ胸像や記念切手を作って崇めるくらいの大英雄
487 :
世界@名無史さん:2012/11/27(火) 19:32:21.41 0
パンノニアに現れたアヴァールは偽アヴァールで、
モンゴル・トルコ系の遊牧民が、欧州で名が知られた
アヴァールの名を語ったという説がある。
フン族も中央アジアあたりでも名がしてた匈奴を自称して
た可能性がある。匈奴とHunsの音が似てるのも、その為かも
しれない。
489 :
世界@名無史さん:2012/11/27(火) 21:58:55.73 0
武帝がフルボッコにした匈奴の末裔がフルボッコにしたゲルマン人にフルボッコにされたローマ帝国
490 :
世界@名無史さん:2012/11/28(水) 03:07:15.03 0
カルタゴのかたきをゲルマンで討つ
晋をフルボッコした匈奴の片割れ南匈奴
カザフスタンに行った時のガイドの話
カザフ人はトルコ系の青い目をしていたがモンゴルと混血して黒い目になったと伝えられてる
それはモンゴル帝国後の話だと思うがな
今のモンゴル人や元朝皇帝はデブっちょのイメージたが、
騎馬で駆け巡るフン王は背が低かったんじゃ?
今の競馬選手も背が低いほうが有利と言われる
肉食と言っても森林地帯と違い、草原地帯は食料に限りあるからこそ移動するんでしょ
493 :
世界@名無史さん:2012/11/30(金) 13:14:54.18 0
競馬の選手は小さいのを選んでるだけ。近東人もローマ人もブリテン島人種も骨や
衣服などから160cm程度と小柄だったという。それは穀物類主体の食事をしてたから
タンパク質が足りない事から。今よりちょうど10cm低い。
遊牧民族は、とうぜん農地を持たず乳製品や肉食が主体だったから、今と大差ないだろ。
160cmのローマ人にフン族が小柄で浅黒いと言われたと書いてあるがマユツバものだ。
そもそも地中海人種のローマ人よりフン族が浅黒いって? トルコ系にしろモンゴル系
にしろウラル系にしろ、ユーラシア平原に地中海人種より黒いってどんな人種なんだ。
494 :
世界@名無史さん:2012/11/30(金) 13:34:25.99 0
お風呂に入らないから黒い。
サウナ風呂スキタイ起源説について
クルガンに埋葬されていたスキタイ系の諸王はかなり大柄だった。
アフガンのクシャン朝(大月氏)古墳の遺骨は身長190cmもあった。
スキタイは髭は濃いがゲルマン系のようにごっつくない。
498 :
世界@名無史さん:2012/12/01(土) 14:34:36.66 0
今でいうオセチア人とかグルジア人の感じかな。
499 :
世界@名無史さん:2012/12/01(土) 23:37:37.18 0
オセット人は直接にはスキタイを追いやったサルマタイの子孫。
言語的にはイラン系だったようだが人種的にはトルコ系の可能性もある。
501 :
世界@名無史さん:2012/12/02(日) 07:22:55.13 0
>>500 オセット人やグルジア人、チェルケス人なんかは欧州とイランの中間的な感じだね。
グルジアとチェルケスはコーカサス諸語だろ
サルマタイは元はトルコとイランの混合だったと思われるが、
その後土着化につれカフカース・スラヴが入ってきたと思われる。
504 :
世界@名無史さん:2012/12/02(日) 10:44:37.30 0
地中海人種では。
アルメニアがローマに支配された時代があったが
ラテン系の大量入植がカフカースで行われたという事実は聞かない
いやコーカサス系の一般論だしw
普通、地中海人種と言われてるよ。自他称ともに。
ただそんな分類自体が不明瞭なように根拠は無い。
古代のフェニキア人やベルベル人とアルメニア人を一緒くたの人種にしてしまうという
学説が生まれたのは何らかの政治的・社会的動機があるのか
フルリ系ウラルトゥ人 + 印欧系キンメリア人 = 印欧系アルメニア人
キンメリアの系統がヨーロッパ起源とは初耳だが。
系統は不明で後のスキタイがイラン系なのでイラン系だろうと推測されているだけで。
北欧系ノルディック人種 長頭 原印欧語族
バルカン・アルメノイド人種 短頭 シュメール人、フルリ人、カフカス人
地中海人種 長頭 原セム語族
サカ人の人骨は長頭だがソグド人とバクトリア人は短頭なので、おそらく
ソグド人とバクトリア人の祖先は印欧語族ではなかく、アルメニア人の
ように印欧語族に征服されて印欧語族化したと思われる。
>>510 アルメニア人が印欧語族で先住民のウラルトゥ人が非印欧語族なので、
移住してきたキンメリア人を印欧語族と考えるのは自然なのでは?
ビザンツ領アナトリアがトルコ化したように印欧語族化したのでは?
513 :
世界@名無史さん:2012/12/02(日) 14:30:23.43 0
ウラルトゥはアフロアジア系のアッシリアに滅ぼされており、
アルメニアはイラン系アケメネス朝の支配の後に登場した。
アルメニアとキンメリアを直接つなげるのは無理。
キンメリア人はカッパドキア人の祖先となったとされるが、
カッパドキア人はアルメニア語を話していた。
アケメネス朝の統治下にウラルトゥ人とキンメリア人が融合して
アルメニア人が誕生したと思われる。
515 :
世界@名無史さん:2012/12/02(日) 14:57:31.10 0
トルコ料理店でアルメリア人を初めて見たが、ワスプ系アメリカ人と全く変わらなかった。
アラブ人とかイラン人とかトルコ人はなんとなく中東っぽいがアルメリアは違ったな。
もっとも個人差があるからたまたま見たのがゲルマン人みたいな奴だっただけかも。
>>500 サルマタイが人種的にはトルコ系の可能性もあるとは初耳だが?
サルマタイは元はトルコとイランの混合だったとは初耳だがw
240 :世界@名無史さん:2012/09/05(水) 20:29:39.68 0
米国とドイツの女性の学者が、サルマタイの女性戦士の墓を発見し、
ヘロドトスの記述を裏付けると同時に、遺骨のDNA鑑定の結果、
古代サルマタイ人はイラン系ではなく、現在のカザフ人(蒙古系)
と遺伝子的に極めて似通っていることが分かりました。
この鑑定結果については、英ケンブリッジ大学のお墨付きも得られています。
http://blog.ohtan.net/archives/50955371.html
単純にカザフ人にサルマタイの子孫もいるという事なのでは?
そう言うとイラン系よりカザフに近いと思われるサルマタイ人が
他の何者かと断じれる根拠があるのかということになる。
スキタイの東にいたサルマタイがトルコ系と無関係だったと言う方が不自然。
サルマタイと丁零の人骨とDNAを比較しないと断定出来ない。
>>517 イラン系というとペルシャ人やクルド人、アフガン人とかと比較したのかな?
かつてサルマタイが分布していたウクライナやワラキア・モルダビアとか、
サルマタイが移住したと言われるクロアチアとセルビアとは比較したのかな?
>>510 キンメリア人はイラン系かどうかは不明だけど
ヨーロッパの黒海北岸からやってきたはず。
524 :
世界@名無史さん:2012/12/06(木) 17:27:59.63 0
フン族の祖先はヤクート人とかでは?
そのヤクートは元はもっと南西に居たってらしいが
カザフステップの上辺りに住んで11世紀以降に東に行き更に北に上がって今のヤクートになったって話らしい
526 :
世界@名無史さん:2012/12/06(木) 19:44:37.47 0
やっぱそのあたりの連中なのだね。
527 :
世界@名無史さん:2012/12/06(木) 20:06:12.23 0
フン族の祖先が匈奴に従属してた時期はあったかも。
全盛期の西端のあたりにいた部族とか。広い意味では匈奴が西進した
とも言える。時代が下って俺たちは匈奴の子孫、匈奴と名乗ろうと
それが欧州でのHunsだったのかもしれない。ハンガリーがフン族の子孫
とか言うのと同じレベルの話し。
>>525 ヤクートはモンゴルにシベリアへ追い払われたらしいね。
ヤクートは丁零の一部族ではないかって説は前々から有る
それが本当かどうかはともかくヤクート自身の伝記にも
元は自民族は南西を故郷としてそこから北東へと赴いたみたいな伝承が有るそうだから
自民族伝承と重なり合わせても余り不自然ではないと思う
530 :
世界@名無史さん:2012/12/07(金) 00:28:06.51 0
ヤクート語とトルコ共和国のトルコ語と一部通じるらしいそうだ。
本土と沖縄本島の言葉はほとんど通じないのに。
それどころか沖縄本島と宮古島もガチンコ方言では通じないらしい。
宮古島の人に聞いたが真相は知らん。ジョン万次郎が捕鯨船で東北地方に
来た時も東北の漁民と海上で遭遇したがサッパリ通じたかったらしい。
ヤクートとアナトリアは何千キロ離れてルンバ?
531 :
世界@名無史さん:2012/12/07(金) 00:35:11.50 0
古代の黒海北岸がヨーロッパの範疇とは言いがたいし、
キンメリアは黒海北岸というよりさらに東の
ケルチ峡谷からアゾフ海沿岸辺りにあったと推測されている
スレちなのアレで言うけどサハ共和国内のロシア系がソ連崩壊以降流出が止まらず
2010年についにヤクート人が人口の50%台に達したって報告も有るそうな
一方ロシア系はついに4割を割って3割台に落ち込みその落ち込みは止まらないと
ヤクート人の人口が少しづつだけど増加に転じてるのも有ってこの地域のロシアの影響力も
少しづつではあるが弱まっている一方だとな
534 :
世界@名無史さん:2012/12/07(金) 03:01:54.32 0
ロシア人はアルコール中毒で平均寿命50代・・・
出生率も低く人口は減る一方。あの広い国土ではインフラ維持だけで大変。
人口が1億以下になるのも遠い未来ではないらしい。
ソースはニューズウィーク
>>532 むしろ黒海北岸は375年から1783年の間はヨーロッパではなかったのでは?
キエフ大公国や大ポーランドは黒海北岸を領有していなかったはず。
さらに古代ではギリシャやローマがヨーロッパではなかったと言えるのでは?
フェニキアやギリシャ、エトルリア、ローマらの地中海世界、それに対する
ケルト、イリュリア、トラキア、スキタイらの北方蛮族世界=ヨーロッパで
ギリシャ人やローマ人は認識していたと思われる。
北アフリカのイスラム化により地中海世界が分裂、キリスト教圏=ヨーロッパ
となっていったのでは?
>>532 スキタイは黒海北岸というよりさらに東のアラル海周辺からではないのか?
537 :
世界@名無史さん:2012/12/07(金) 15:42:18.13 0
>>534 アメリカもインフラ整備が醜いらしいな。中国以下の水準とかディスカバリーチャンネルでやってた。
やっぱり30万〜50万km2ぐらいの面積で人口6千万〜1億ぐらいの間がバランスいいのかな
雨は軍事力で無理矢理帳尻合わせてる感あるけどいつまで持つかな
辺境のウホウホケルトとガチでアケメネス朝と張り合ったスキタイの
比重は古代ギリシャでは全く違う
539 :
世界@名無史さん:2012/12/08(土) 14:27:31.64 0
なんで今のモンゴル遊牧民は漢人どころか朝鮮人、日本人と比べても存在感がなくなったのだろうか?
ローカルな勢力になりすぎだ。今の中国のモンゴル族文化圏は今にも漢族文化圏に呑みこまれそうだ。
遊牧民側が侵略せねば、漢族農耕民に不断に同化されていく、華北とは元々そういう所か。
短期戦では北に遊牧民が南の農耕民を征服し、長期では南の農耕民が北を征服。東北(満州)もしかり。
しかし、何故ハンガリーは国名がマジャール人なのにHUNGARYなのだろう。それではフン族の国だと思われるだろ?
確かに歴史的にはマジャールよりフンの方がインパクトはあるが、それは詐称ではないのか・・
スラブ系のチェコ人の国が、古代ケルト人のボイイー族に由来するボヘミアと呼ばれ続けていた事と同じ事だよ。
HUNGARY
日本JAPANと同じで外国に通用している呼称を追認しているだけ。では?
外国人が勝手にハンガリーと呼んでいる、ということでは。
ギリシャと似た事なんだろうね。
ギリシャはローマ人がヘレネスをグラエキと呼んだ事に由来する。
ペルシャ人はヘレネスをイオニア人と言う事でヤウーナと呼んだ。
さらにインド人はバクトリア周辺のヘレネスをヤウデヤと呼んだ。
ついでにインドという名称はインダス河下流のシンドに由来して、
おそらくシンドはスキタイのシンドイ族と同族だっただろうから、
所謂インダス文明の頃はインダス河とも呼ばれていなかったはず。
>>539 マジャル族長はフンの子孫と自称してたらしいね
マジャール人はトルコ系ハザール・カガン国の衛星国だったので、
ハザール人の部族であるカバール族が支配層だったとされる。
ハザール人はブルガール人とともにフン族の部族だったらしいから、
カバール族もフン族の子孫と言えよう。
カバール族に率いられてパンノニアに移住したマジャール人の多くは
農民化したが、略奪や戦争はカバール族らが担当していたので、
カバール族らは消耗して他のマジャール人に吸収された。
アヴァールもマジャールもフン族の後継者を称してパンノニアを支配した。
546 :
世界@名無史さん:2012/12/09(日) 17:14:22.78 0
フン・アヴァール・マジャールと謎は尽きない。
とりあえず全て遊牧民ということははっきりしている。
547 :
世界@名無史さん:2012/12/09(日) 18:48:32.48 0
>>544 ありがとうございます。フンとハザールとマジャールの関係の興味はつきませんね。
・間接的にハンガリー国家成立に手を貸したハザール人
http://hexagon.inri.client.jp/floorA4F_ha/a4fha402.html •ハザール王国の歴史 〜誕生から滅亡まで〜
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fha100.htmlより抜粋転載(貼付開始)
448年、ビザンチン帝国からフン族のアッチラ大王への使節団報告の中に、「戦士民族」としてのハザール人が登場している。
この時期のハザール人はフン族の配下で活動していたようである。(中略)
●7世紀中頃、カスピ海沿岸草原においてハザール王国(ハザール汗国)の創成が開始された。権威を誇った突厥(西トルコ帝国)は分裂し滅び、
ハザール人は彼らの支配から離れることができた。ハザール人は自らを「西突厥」の継承者と名乗った。
●ハザール人の貴族同士の間では、ユダヤ教を受容する王国中心部のグループと、首都とは没交渉に近い地方在住のグループの対立が目立つようになった。
そしてついに835年頃、内乱の火の手が上がり、支配者側が勝利すると、反乱者の一部は皆殺しにされ、一部は国外に逃れたのである。
この事件は、反乱を起こした有力貴族の部族名から「カバール革命」と呼ばれる。この有力貴族は家族とともにボルガのロストフの地に亡命した。
このロストフはルス人の商人団が築いた根拠地のひとつであり、ここでルス商人団の長の娘とハザール人の反乱貴族の息子との婚姻が行なわれた。
こうして「ルーシ・ハン国」(後のキエフ・ロシア国の前身)が成立したのである(※ 後にハザール王国の後継者としてビザンチン帝国に公認されるようになる)。(貼付終了)
>>357 ホクヲイヒェツ
リュウ、リュ、ロウ
ナン
パッと見関係無さそう
549 :
世界@名無史さん:2012/12/11(火) 20:21:03.92 0
フン族が匈奴の末裔を自称してフンと名乗った可能性は大いに有りですな。
出現場所からして匈奴全盛期の西端あたりだし。
傍流が主家の後継者を称した場合、僭称という自覚は無いだろうし、
主家が滅んだ場合は寧ろ継承することが自らの義務と認識しただろう。
551 :
世界@名無史さん:2012/12/13(木) 21:03:02.16 0
日本でも源氏、平氏、藤原氏の子孫を自称する連中が出てきたことを
考えれば、中央アジアにまで勇名をとどろかせた匈奴の末裔を自称する
連中が出てきても不思議はない。先祖は服属してた時期もあっただろうし。
もっとも、ゲルマン人やローマ人は匈奴は知らなかっただろうけど。
552 :
世界@名無史さん:2012/12/13(木) 23:43:48.18 0
はあ? 何百年経ってると思うんだ。文字もない民族だぞ。文字があれば問題にもなってないけど
>>551 匈奴の最大版図の馬鹿デカさを考えたら
ローマ人が知らない方が不自然だと思う
554 :
世界@名無史さん:2012/12/14(金) 06:35:57.54 0
文字が無くても伝承は残ると思うが。
555 :
世界@名無史さん:2012/12/15(土) 02:21:09.37 0
遊牧民の国家なんて範囲は曖昧なもの。その広い版図には別のチュルク系もいただろうし
イラン系やモンゴル系、ウラル系、スラブ系もいたはず。その中で何百年も匈奴民族として
独立した民族形態が保たれてたのか? それがフン族か?
フンが部族を統合した王権を確立したのはルアだという
>>555 遊牧民は典型的な軍事国家がほとんどで、民族の上下関係に煩いでしょ
支配民族と被支配民族、隷属民族を厳格に区別するし
559 :
世界@名無史さん:2012/12/15(土) 19:35:11.14 0
アフリカと言うのもチュニジアかリビアの一地方をギリシャかローマが呼んでた呼称だ
オリエントは?
フンッ族
遊牧の長であるハンを名乗っただけだと思う。
西洋ではフンと聞こえた。
フン=モンゴル語における”人”の意味
ハン=モンゴルにおける首長の称号
563 :
世界@名無史さん:2012/12/16(日) 09:48:54.51 0
だとすると、フン族はやはり
東アジア起源の遊牧民ということかな?
フンガリーとは言わないけどな。
日本語のトも、和語で人、漢語で都を表わす。
大和が山の人で、山城は山の裏(背(シロ))、という説もある。
それは置いとくとして、由来は一緒なわけか。
565 :
世界@名無史さん:2012/12/16(日) 11:45:02.01 0
フン族については学者もネラーも同じレベル。ここに出たマトモそうな説は出尽くしてる
日本人が倭人って書かれたのも
最初に会った中国人が、日本人が自分たちのことを
ワ(私)っていうから、ワジンって書いたんじゃなかったっけ?
フン族は超名作ゲームの Age of Empires2 ( Age of Kings ) でプレイしたけど…
せっかく攻略しても、レオ2世の説得でなぜか撤退するんだよな。
理不尽だw
表向きは説得といっても、
横からそっと財物を渡してお引取り願ったというから、
お土産はそれなりに貰えるはず。
>>566 ワレ(あなた)がワレ(わたし)の
って実際言う人いるからな
みんな大好きアッティラ・ザ・ハーン・ショー!
571 :
世界@名無史さん:2012/12/18(火) 18:22:43.12 0
海は荒海 向こうはタタールの地
572 :
世界@名無史さん:2012/12/21(金) 02:11:58.04 0
冠二郎の迷曲「バイキング」の歌詞にありそうな文句
確かめないけど
573 :
世界@名無史さん:2012/12/22(土) 03:39:56.11 0
>>572 連鎖的につボイノリオ先生が歌う『名古屋はええよ! やっとかめ』を思い出した。
フンVSローマって今のヨーロッパで例えるとだいたい
ロシア+ドイツVSイタリア+フランス+イギリス
だろ。EU詰んだようなもんじゃん。
575 :
世界@名無史さん:2012/12/26(水) 13:06:00.37 0
フン族がアランを襲撃した頃の東アジアのステップ地帯は
どの部族が強かったの?
日本でいえば、平家(ローマ)対源氏(フン)
源氏が勝ったけど
騎乗からバンバン矢を放つ遊牧民がバッタバッタと重装備のヨーロピアンを
なぎ倒すさまを想像するだけで痛快だわ
というかゲルマンは続々とローマを裏切ってフンにつきますた。
このスレのカキコ水準みれば、「ハンガリー≠フンが語源」と指摘できる人はいるだろうに、なぜ放置?
Onogur (テュルク系言語「10部族」の意」)
↓
ウンゲリア(Ungheria・伊)・ウガリア(希)・ウンガルン(Ungarn・独)
↓
オングリ(Hongrie ・仏)
↓
ハンガリー(Hungary・英)
スキタイが好きたい
581 :
世界@名無史さん:2012/12/29(土) 03:33:37.75 0
アッティラの時代はまだその支配領域にスキタイ王国の威光が残っていた。
スキタイ王朝があがめていた剣がアッティラの手に収まることで、
旧スキティア=黒海北岸地方における正統な支配者として
アッティラは自らを権威づけた。
それを言ったらフン族だってフランス語で「ウン」じゃないか。
テュル部族の末裔なら間違いではないし、
そもそも「HUN」などという単純二音の単語で何かの連続性を証明するのに無理がある。
あらゆる混同と偏見を経て現在の定義となったのが実体。
近縁語は"ニガー"とか"チョン"とか。
朕は国家なり、のチンは敬称なのかちんちんを表す蔑称なのか、
を論ずるのと同じくらいくだらないレベル。
フン!フン! ゾクッゾクッ
残念ながら、フンは匈奴の末裔でありモンゴル族なんだよね〜
おい579
また話の次元が極端に落ちたぞ
もう300台半ば〜後半あたりの内容以上に、起源について先に進められる話もねーよ。
もうそっから離れて、アッティラとか遺民(ビザンツ臣下になったやつとか)の話したほうがええんでないの。
フンはヨーロッパで伝説上の亜細亜蛮人。
子供が悪さをすると「フンが来るぞ〜アッティラが来るぞ〜」
と言い聞かせて寝かせ付けた。
もっとも近い種族は鬼かナマハゲ。
アッティラは身辺の警護を支配下の部族の族長とその率いる部族の交代で行わせた。
日本で言えば江戸幕府が江戸城の警護を外様大名に交代でやらせているようなもの。
誰も朝鮮のことなんて話してねえよ。
だからネトウヨって呼ばれんだよカス
592 :
世界@名無史さん:2013/01/02(水) 17:18:33.15 0
何かフンはモンゴルと被るね。
ハンガリーの10部族の10部族とは、マジャール7部族とハザール3部族のこと
ハンガリー人はウラル系言語のマジャールとインド・ヨーロッパ系言語のハザールとの部族連合
ハザールって突厥の一部族云々とかじゃなかったっけ?言語はテュルク系から置換済みだったんか?
595 :
世界@名無史さん:2013/01/02(水) 18:36:06.88 0
ハンガリーがマジャール7ハザール3の10部族連合だというのはたしかだが、
ハザールはチュルク系だね。
東ゴート王国がフンに攻撃された時スラヴの諸部族はゴートに叛旗を翻しフンに呼応したとか
597 :
世界@名無史さん:2013/01/03(木) 02:06:12.96 0
東ゴート王国じゃないだろ。キエフのオイウム王国だろ。
理由は簡単に推測できるぞ。交易で得た富をゴートが金融で独占して近隣のスラヴ部族に分配しなかったから。
金融というのは野放しにすると貿易収支が不均衡になって国家間の所得格差がどんどん広がる。
利子というものの性質としてそうなっている。
ゴートはオイウム王国で近隣のスラヴ系諸部族に阿漕な金融を行ったから、彼らから恨みを買ってる状態だった。
フンの民族は不明としても
弓騎兵だったのは
これは確実だろ。
でなければ、あの強さは説明できない
599 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 09:25:41.39 0
アランや東ゴートも見たことが無い戦法だった。
彼等の近所には元々いなかった連中ということが間接的に
わかってくる。ある程度の接触が長期間あったのなら、
交戦経験もあった可能性が高く、勇猛で知られたゴート・アラン
が一方的に敗戦するのは考えにくい。
つまり、東方から突如としてやってきた集団だったということだ。
匈奴=フンの説は疑わしいが、東アジアから移動してきた、モンゴル・トルコ
系統の騎馬民族だったのは確かだろう。
意味不明だな、その頃のトルコモンゴル系騎馬民族は
匈奴、丁霊、鮮卑、烏丸くらいしか知られていないのだが
だから、そのへんはスレ半ばで全部議論しつくされてるやろ
602 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 12:00:51.17 0
東ゴートのいたキエフは地理的区分はスキュティアではあっても、
遊牧民たちのいたポントス・ステップ地帯でなく、森林地帯。
ゴートはポーランドからヴァンダルと張り合いつつウクライナ(スキュティア)にやってきた種族だから、
東方的な弓騎兵の類を知らなくてもおかしくはない。
603 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 12:03:00.17 0
フンは長い間ウクライナのポントス・ステップにいてそこで拡大してキエフを攻略したと推測するのが自然な流れ。
東方からやってきたのではなく、東方と交流がありながら、キエフへは南方ないし南東方向から攻め込んだ。
フンが集団として大きくなったいまのハリコフの辺りだろう。
604 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 12:03:54.94 0
間違えたハリコフじゃなくてドネツク。
605 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 12:04:49.22 0
ドネツクからザポロージャのあたりまでのステップ。
フン族なんて無かった。
"アッティラ率いる5世紀に欧州を攻撃した部隊"はいるけど、
特定の"フン"という民族は存在しない。
アメリカ人を"インディアン"と呼んだようなもの。
607 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 15:19:07.59 0
>>606 「スキタイ人」や「ゲルマン人」と同じものか。
特定の地方に住む色々な言葉を話す色々な部族をまとめて呼んだときに使った名づけ方というだけ。他称かつ総称。
古代はスキタイ人はスキュティア(ウクライナ)の住民の総称で、
ゲルマン人はゲルマニア(ドイツ・ポーランド・チェコ・ベラルーシ・ハンガリーなど)の住民の総称だからな。
東方から来たのは確かだが
全ての敵は東方からしか来ないから。
609 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 18:11:58.23 0
スペインから見れば敵は南方から来た
ポーランドから見れば敵は西方や北方からも来た
スペインにフンを考察する文化は無いだろうし、
ポーランドはポーランド自身がフン側。
フンが蔑称であることは白人なら認識できることで、
それを無理に通常視してXiongと一致などと言うから同意を得られないんだよ。
例えば、エタはezoと近似語音だから同ルーツだ、などと唱えられたら
納得のしようもないだろ。
賎視は薄れているので、hungaryなどはそのまま使われているだけで、
当人達は言ってない。
ゲルマニア(ベラルーシ、ハンガリーは含まない)の範囲も知らない無知が世界史坂に来るとは驚きだなw
そもそも匈奴の末裔の滅ぼされたスキタイ自身も東方から移動してきた
613 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 21:25:26.30 0
Hungaryは10部族連合の国という意味だアホ。
10部族とはマジャール7部族、ハザール3部族。
614 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 21:28:57.09 0
ベラルーシは古代ゲルマニアにちゃんと入る
ハンガリー(パンノニア)はカエサルの時代は入る
あの辺り、つまり東部ゲルマニア(エルベ川以東)は後になるとスラヴィアと呼ばれる
そのときにはパンノニアもスラヴィアと認識され、また再びゲルマニアに含まれる
ポーランドはフンとは関係ない
ドイツ人を指す蔑称としてフンが使われることはあるがな
ベラルーシやウクライナなどの平原地帯はゲルマニアに含まれない
パンノニアはパンノニア、ゲルマニアとパンノニアが別の地域を指すのは馬鹿でも解る
ゲルマニアはポーランド辺りまで。
>>614の俺様世界では違うかもしれないがねw
616 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 22:37:54.95 0
ベラルーシは平原地帯じゃないだろw
ゲルマニアはライン川から東でヒュライアに至るまで
スキュティアはだいたい今のウクライナ南部で、その北ではドニエプル左岸がヒュライアで右岸から西はゲルマニア
パンノニアはフンの時代以降は長くスラヴィアだろうがこのボケ
教科書だと時代区分での違いが無視されているからなw
暗記馬鹿の典型
もう滅茶苦茶、諦めればいいのに何故恥を重ねるのだろうか?
ま、
>>614を取り消しパンノニアとゲルマニアが別の地域だと認めたのは一歩前進だw
元々東ゴート族やゲピダエ族の居たのがポーランドリトアニア、ゲルマニアもその一帯まで
「ドイツ人を指す蔑称としてフンが使われることはある」のではなくて、
ドイツ人までフン扱いされた。つまり"東方を蛮族だとみなすお前らも蛮族だ"という痛烈な皮肉だよ。
「Hungaryは10部族連合の国という意味だアホ。」の意味もよくわからない。
語頭を"フン"に変えてしまってる旧トルコ語を正式名称としてる国はない。
621 :
世界@名無史さん:2013/01/06(日) 10:23:29.36 0
>ポーランドリトアニア、ゲルマニアもその一帯まで
え?
622 :
世界@名無史さん:2013/01/07(月) 19:01:22.03 0
アッチラ全盛期の頃は特定民族とは言い難いけど、
それより数十年前のアラン・東ゴートを襲撃した頃は、
中核部族みたいな連中はいたでしょう。どうも欧州系の
連中と風貌が異なる人達を中核とした連中。もの凄く悪く
ローマ側に記述されたのも、そいつらでしょ。
「わー」と「なー」は我と汝が語源かな?
625 :
世界@名無史さん:2013/01/11(金) 22:22:14.31 0
>>624 北海道函館市恵山町(旧恵山町)にある道の駅は「なとわ恵山」。
まさに「あなたとわたし」という意味である。道南は東北弁の最北端であり、
北海道弁の最南端。函館付近は非常に東北弁の影響を受けている。
「わ」と「な」が先でしたか
そうすると「我」と「汝」の他にも「わ」と「な」から派生した
一人称と二人称があるのかな
「わ」は「私」とすぐ思いつくけど「あなた」も「あ"な"た」かな?
「わ」と「な」が飛び地で他地域に残っている、とかもありそう
あんまり引っ張るとスレチになるけど、この手の話も「フン」と
フンに類似する呼称の分布などに共通する所もあるかなと
>>627 わ+れ
わ+が
わ+れ+ら
なんてのがあります
わ+たし、もそうですね
な+れ
な+んじ
な+の
な+が
もあります
あなた=あ+なた、こなた、そなた、あなた、という場所を表す言葉です
フンの中国語名とされる匈は現在Xiong、かつてはHiong だったので、実際にはHong(oはウムラオト)
だったのではと思います
これが実際フンとどういう関係なのか、手掛かりはありません
今の匈の読みがシュン、昔がヒュン、実際にはフン
音を見るとフンと匈奴は酷似しているのですね
>>629 似てるといえば似てますが、例えばモン族と呼ばれる民族が二つあってそれぞれ何の関係もないように
ただ似てるだけという可能性もあります
>似ていると言えば似てる
これは、明らかにおかしい。
フンナとフン、呼び名だけ見れば似ている所かほとんど同じ
無論、呼称や多様な民族的特徴が同じだけで
実は関係が無い可能性も完全に0とは言い切れないが。
ふええ
>>631 Mong と Hmong もほとんど同じですが、全然違います
>>633 Hunとフンナは、民族的特徴がそっくりで、呼称もほとんど同じ。
635 :
世界@名無史さん:2013/01/28(月) 00:03:41.65 0
陸上域での接触では大昔から黄色人種の圧勝
少なくともモンゴルがブリテン島まで侵略してレイプしまくってくれてれば
ここ500年の西欧期においても彼らのアジアへの対応は違っていただろう
それが残念でならない
西欧なんてウホウホ土人だろ。寧ろ西欧の馬鹿にしている
南欧や東欧の方が文明が開けて活動が活発だった。
637 :
世界@名無史さん:2013/01/28(月) 01:21:54.48 0
>>635 あのままドイツ騎士団を破り続けてればヨーロッパまでモンゴル帝国だったかも?
フランク汗国とかゲルマン汗国とか
638 :
世界@名無史さん:2013/01/28(月) 10:16:41.75 0
オゴタイ死去なかりせば・・・
639 :
世界@名無史さん:2013/02/04(月) 19:27:49.96 0
そうだね。
歴史の偶然と言うべきかな。
641 :
世界@名無史さん:2013/02/07(木) 00:13:13.90 0
オゴタイが長生きしてればユーラシア中が大草原になってたかもな
のどかでいいじゃん
羊飼おうぜ羊
643 :
世界@名無史さん:2013/02/09(土) 16:13:34.85 0
モンゴロイドであることは明白。
644 :
世界@名無史さん:2013/02/09(土) 17:06:26.90 0
アレクサンドロスが32歳で若死しなかったら?
645 :
世界@名無史さん:2013/02/09(土) 17:07:21.20 0
646 :
世界@名無史さん:2013/02/11(月) 02:14:34.17 0
>>644 アレクサンドロスはもう少し長生きしたであろう。
647 :
世界@名無史さん:2013/02/11(月) 02:26:37.65 0
アレクサンドロスは歴史上で最も世界に影響を与えた人物だと思う。
エジプトやローマ帝国東部がギリシャ語になったのは彼の功績だし
キリスト教もギリシャ語があってこそで、仏教にもアレクサンドロスは
仏像芸術に多大な影響を与えた。32歳は惜しかった。長生きしてたら
ローマ帝国は生まれなかったな。
>仏像芸術に多大な影響を与えた
始めて聞いたよ、そんな突飛な主張w
アレクサンドロスというよりエジプトやギリシャの偶像崇拝の風習が
インドにも入ってきたということだろう。
アレクサンドロス→グレコ・バクトリアやインド・グリーク朝→仏像芸術
って事でしょ?
>>648 ガンダーラ仏として仏像が作られ始めた点の事だろう
>>651 インド仏教には影響を与えていないし
パキスタンにより大きな影響を与えたのは東から来た遊牧民だろう
初期には仏像はないが、上座部であっても仏像作るようになってんだから影響なしはありえない。
バラモン教は祭祀中心で神像を造らなかったから、インド内部での内的発展というストーリーはない。
ギリシャと接触前のインドにゃ神像などは見つかっていないし、写実彫刻のノウハウもなかったろう。
仏教の初期は紀元前3世紀に当たるのだから
それ以前の仏像が見つかるワケ無いだろう
典型的な詭弁だ。
仏教の中心地はガンジス川流域、マケドニアの影響など何も無い
写実彫刻などという原始的な物は、統一以前のマガダ王国どころか
マケドニアなど影も形も無いインダス文明の遺跡からすら発見されている
はい、完全論破。
「かろうじで人間」「巨大な不細工な塊とも言うべき顔」「野蛮な外見」
初めてモンゴロイドを見たコーカソイドの素直な感想だよな
こんな奴等が突然襲ってきたかと思うとゾッとする
フンがヒャッハー!とウホウホしていたゲルマン人をフルボッコして征服
>>655 アジア人なんだから逆から言うべき
洗脳されている
ブリタニアのブーディッカやボントスのミトリダテスなど
ローマに歯向かった王は捕らえたローマ人を虐殺してしまったが、
アッティラは寧ろ捕らえたローマ人を自分の家来にしてしまい
武器を作らせたり政治の相談役に取り立てたりしている。
>>639 当時ロシアと東欧の都市は木の城壁だったので簡単に陥落したけど、
西欧と南欧の都市は焼き煉瓦や石の城壁で面倒だから撤退した。
モンゴルは南宋のように本国の近くならば脅威なので石の城壁でも
粘り強く攻め続けたけど、はるか遠くで脅威でないヨーロッパを
攻め続ける動機がなかった。
>>635 そうなったら日本は近代化出来なかったと思う。
開国とかじゃなくていきなり虐殺だろうな。
モンゴルなんかが西欧に侵略してたら開国どころかいまだに電気さえない生活だろうな
>>647 アレクサンドロスは間接的にフン族の産みの親でもあるだろうね。
サカ族はアケメネス朝の衛星国で、スピタメネスらアケメネス朝の
残党らとともアレクサンドロス大王と戦い、後継のギリシャ勢力と
対立し続けてついにグレコ・バクトリア王国を滅ぼした。
匈奴に敗れた月氏は、グレコ・バクトリア王国を滅ぼしたばかりで、
本国が手薄になっていたサカ族を追い払い西へ移住した。
アレクサンドロス大王がアケメネス朝を滅ぼさなければ、
サカ族とアケメネス朝の同盟が健在で、月氏は西へ移住
出来なかったかもしれない。
月氏は死に物狂いで匈奴と対決しなければならなくなり、
漢と同盟して匈奴を挟撃したはずだろうから、匈奴帝国は
秦帝国のように短期間で滅亡したかもしれない。
あるいは、月氏が匈奴に降伏して戦力を増強された匈奴に、
漢帝国は華北を奪われてしまったかもしれない。
ガリア帝国築いてほしかったなあ
>>635 >少なくともモンゴルがブリテン島まで侵略してレイプしまくってくれてれば
>ここ500年の西欧期においても彼らのアジアへの対応は違っていただろう
当時最先端の文明人だったシナ人やイスラームですら、モンゴルにレイプされてトンでもないDQNに成り果てたんだから
ただでさえ残虐なアングロサクソンとモンゴルの血が加わったら悪魔でも出来上がるんじゃないかw モンゴルにレイプされたスラブ人ことロシア人はご存知の通り悪名高き残虐民族だしな
どこの遊牧民も戦争時には徹底破壊の傾向があるだろ
遺伝子じゃなくて生活様式のせいだと思うぞ
スキタイがオリエントに侵入した時はモンゴルほど強力な破壊力が無かったのか、
モンゴル軍のサマルカンドやニシャープールのよな破壊行為には至らず、
エジプトから貢納金をせしめたり、メディアやリュディアの住民に重税を課す程度だった
>>666 パルティアとかセルジュークやカラ・キタイは、
オアシス都市を破壊しまくったりしていない。
モンゴル自体もオトラル事件以前の西夏征服や
カラ・キタイ征服では大量虐殺をしていない。
669 :
世界@名無史さん:2013/02/23(土) 07:11:31.93 0
フン族は東ゴート襲撃の時には徹底的に破壊したみたい。
フン族も黒海北岸の交易都市は服従させただけで破壊はしていない
>>665 なんかモンゴルがすべての諸悪の根源のような気がしてきた
コーカソイドの世界でモンゴロイドが忌み嫌われるのは当然だわ
オーストラリア・アメリカ白人乙
673 :
世界@名無史さん:2013/02/23(土) 10:45:56.62 0
そしてペストを残したが文化は何も残さなかった
イスラムのイベリア半島征服は様々な文化や中世ヨーロッパで停滞していた
科学もイスラムが維持していた。
スペインやラテンアメリカ、カリフォルニアの建物もイスラムが残した文化とラテンの融合
建物だけでもモンゴルはパオしかない
コルテス・ピサロ乙
コルテスやピサロとか長年イスラム教徒と戦ってきたスペイン人にとって、
イスラム教徒を虐殺しまくったモンゴルは憧れの存在だったと思う。
自分らもモンゴルみたいに異教徒を虐殺してみたいと憧れて、新大陸で
手加減しなかったのだと思う。
コロンブスとか東方見聞録とかを読んで憧れて、イスラム領を避けて元や
インドに行く為に西へ航海したら、未知の大陸に到達してしまったんだよね。
モンゴルはスペインのように異教徒を理由にした宗教虐殺はしていない
理由はどうあれイランやイラクで大勢のイスラム教徒が虐殺されたので、
モンゴルの事をプレスター・ジョンだと思った連中もいたわけだ。
モンゴルはヨーロッパも侵略したけど、狂信的なキリスト教徒の中には
信仰不熱心な者や異端者に天罰が下ったとしてこれを歓迎した。
言うまでもなくスペインには狂信者が多かったと思う。
モンゴルは擁護できないほど虐殺しまくり
でも4000万は流石に誇張だよね?
679 :
世界@名無史さん:2013/02/23(土) 13:26:45.90 0
>>677 ドイツ騎士団がボコボコにされた
あのまま進行してたら何処の軍隊がモンゴルに対抗出来たと思う?
とにかく馬上からの弓討学校卓越していて形勢が悪くなれば一旦引き上げるだけ。
そして、体制を立て直し We shall return を繰り返す。銃が中心の戦闘以前はモンゴル騎馬軍団には勝てない。
モンゴルの擁護できない野蛮な虐殺だがスペインの虐殺は異教徒を殺す聖なる虐殺
といいたいのか?
ローマに攻め上ろうとしたアッティラ率いるフン族軍はローマ軍との戦いではなく
イタリアの暑さの前にバタバタと斃れて逝った。
モンゴル人みたいな醜い奴等に突然襲われ、街を壊され、女は犯され、人々は皆殺し
こんな理不尽な目にあった中東や中央アジア、東欧の人達が気の毒でならない
>>680 金滅亡は復讐でもあるからやむえないだろうな。
アッシリアも秦もカルタゴも復讐者に滅ぼされた。
ホラズム遠征での虐殺はオトラルで殺された商人
の故郷を目茶苦茶にしたのだから擁護できない。
遠征の道案内をしたイスラム商人らにとっても
想定外の戦災だったはず。
>>676 魔女狩りや異端審問で処刑された9割以上がカトリック
先住民相手に虐殺を繰り返して絶滅させた英人と違い
スペインは建前だけでも早期に奴隷禁止を掲げたし
先住民の血を引く人々を現代に至るまで多く生存させている
685 :
世界@名無史さん:2013/02/23(土) 15:18:41.40 0
>>669 ゴート族の集落はフン族に破壊されただけでなく、
ゴート族が移動する際に敵に戦利品を与えない為と
未練を断ち切る為に自ら焼き払った場合もあった。
かつてカエサルと戦ったヘルウェティー族は
スイスからガリアへ移住する際に故郷の村々を
尽く焼き払った。
スペイン人みたいな薄汚い狂信者に突然襲われ、街を壊され、女は犯され、人々は皆殺し
こんな理不尽な目にあったインカやアステカ、新大陸の人達が気の毒でならない
先住民相手に改宗を強要したスペイン人と違い
モンゴルは建前だけでも当初から信教の自由を掲げたし
漢民族やスラヴ人など被支配民の伝統文化や宗教は
アメリカ先住民に比べれば遥かに維持され発展さえした。
野蛮で薄汚い金の亡者な狂信者だらけで、平和に暮らしていた人々を突然襲い
街を破壊し、文明の粋を尽くした工芸品を略奪し、女を陵虐し
先住民族を片っ端から皆殺しにした英米人の残虐性は、世界史上最悪と言っていい
>>687 建前だけでも・・・って実態は違ってたケースもあるのかい?
イメージだけだと、信教の自由っていうより、さして重要視してないだけな感じ。
つまりスペインの新大陸征服はキリスト教徒の偉大な教化で
モンゴルのユーラシア征服は野蛮な侵略であるという西欧史観なんだろ
691 :
世界@名無史さん:2013/02/23(土) 23:33:02.20 0
アステカの生け贄の儀式とかその為の生け贄狩りの戦争とか残虐な文化を辞めさせて、友愛を掲げる
カトリックに改宗させたのは意義がある。ただ旧大陸の疫病で大多数が亡くなったのは悲劇だな。
だがそのペストをヨーロッパに大流行させたのもモンゴルに一因がある。
モンゴルが宗教に寛容と言うより宗教の概念があったのか疑問だし、あったとしても関係ない。
無教養で残虐な戦術だけ長けた薄汚いモンゴル兵にとっては降伏してゆっくり強姦されるか、
抵抗していたぶられ殺される前に強姦されるかの選択しかない。
魔女裁判と異教徒虐殺とかしたて奴が友愛とか掲げて先住民を貶めるて正当化するという
まさに西欧キリスト教徒の常套手段。
モンゴルもスペインもともに騙し討ちがひどいよな。
降伏すれば助命すると言っていざ降伏すると皆殺し。
降伏しても無駄だから徹底抗戦するしかなかった。
モンゴルは知識人や職人は基本的に助命している。
人道的な理由ではないが。
スペインは異教という理由で根こそぎ破壊した
普通は見せしめに少数を虐殺して多数を助命するのだが、
モンゴルは圧倒的多数を殺すので見せしめの意味がない。
696 :
世界@名無史さん:2013/02/24(日) 01:54:17.58 0
抵抗すると残虐な方法で皆殺しにされると言う噂だけでも戦意が無くなる。
しかも本当に強くて残虐だから降伏して突撃先頭戦闘員になるしかない。
つか、ここはモンゴルスレか???
まあ、フン族も同じような戦法でヨーロッパを混乱に落としいれてローマを
滅ぼす要因にもなったがヨーロッパ人はフン族戦法を学ばなかったんか?
ローマも英国もともに騙し討ちが酷いよな。
降伏すれば助命すると言っていざ降伏すると皆殺し。
降伏しても無駄だから徹底抗戦するしかなかった。
アッティラは交渉しだいでは教会の焼き討ちとか免除したり
絶望して川に飛び込んだ母子を自ら泳いで救い出したりしてる
>>694 高麗とか越南とか民族国家を屈服させるには総力戦しかないだろうけど、
金やホラズムのような多民族国家は、少数を虐殺して出来る限り無傷で
征服する事が可能なはずだったのでは?
金の場合は女真族だけを殲滅して契丹族だけでなく漢人も懐柔すれば、
徹底抗戦にならないからもっと早く征服出来た思う。
女真族を殲滅しておけば後に清朝が台頭する事はありえず、明を倒して
再びモンゴルが中国を征服する事も可能だったはず。
ホラズムの場合はカンクリ族を殲滅してイラン人やアフガン人らを
懐柔すれば、カラ・キタイ遠征のようにあっさり終了した思う。
フン族は少数のゴート族らを追い払って多数のスラブ人を征服した。
新大陸の先住民は9割以上が天然痘とかの病気で死んだんだろ
確か「銃・病原菌・鉄」にそんなこと書いてた
けどモンゴルは街を破壊して女も子供も皆殺しだからな
しかもペスト患者の死体を投石機でカッファの街に投げ込むとか鬼畜すぎ
(ペストまみれの毛布をわざと先住民に贈った白人入植者のことは内緒です)
>>690 モンゴルのユーラシア征服を野蛮な侵略と考えてるのは西欧よりむしろ
実際に蹂躙された中東・中央アジア・ロシア・東欧の人達だと思うけど
彼等はモンゴルがしたことを忘れてないよ
それを言うなら
タスマニア人やオーストラリアやアメリカの先住民が西欧白人の征服を
野蛮な侵略だと考えているだろう。
西欧白人がフンやモンゴルを野蛮と批判しても
鬼畜が人道者面して他の鬼畜を非難しているだけに過ぎん。
中東や中央アジアや東欧の人達も批判してると思うけど
西欧はモンゴルおかげで漁夫の利を得た。
特にベネチアはモンゴルの友好国だった。
13世紀モンゴルの虐殺でユーラシアの
大部分で人口が激減したが、西欧だけは
14世紀半ばのペストまで繁栄を極めた。
ルネッサンスまでビザンツを除いて西欧は停滞していた
中央アジアや中東のイスラム圏がモンゴルの侵略を避難しているからといって
西欧白人の侵略をキリスト教の博愛事業と称えているとは聞いたことが無いし、
イランなんて寧ろ反西欧の急先鋒だろ
そうだね〜
黄色人から見れば、ヨーロッパ系とペルシャ系なんて同じような白人にしか見えんし
仲良くすりゃいいのにな
>>708 ビザンツは南欧・西アジア・東欧にあった国ね
712 :
世界@名無史さん:2013/02/24(日) 16:25:29.99 0
ところでウィグルからカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、トルコまで、シルクロード沿が
チュルク系言語になったのはモンゴルの部隊に加わったチュルク系民族の営業とがあるのかな?
テュルク化はモンゴル以前(キプチャク、ポロヴェツ等)からだからな
あまりにテュルクが多かったからモンゴル化が進まない
カスピ海と黒海の北側方面を除けば、モンゴル以前にセルジューク朝がほぼ征服済みなんだよなぁ。
といっても、大部分の地域では地元民の言語は置き換わってなかったろうけど。
>>713 むしろモンゴルがテュルク化した例なら幾らでも有るけどな
716 :
世界@名無史さん:2013/02/24(日) 19:22:07.08 0
モンゴルが支配した中央アジア、ウズベキスタン辺りも言語はチュルク化してるし
おそらくティムールもウズベク語を使ってたんだろな。インドを支配したらヒンドゥー語化したんだろうか?
717 :
世界@名無史さん:2013/02/25(月) 00:54:22.07 0
フン族が騎馬軍団という事はイラン系ならアラン族のように記録が残ってるはずだし
アーリア系以外の騎馬民族はやはりチュルク系なのかな? スラブ系はスレイブというギリシャ語にあるし
ウラル系と言う説もあるけどウラル系は騎馬民族いたのかな? モンゴル系は西すぎるからあり得ないし。
モンゴル系の柔然とアヴァールは、西過ぎるからモンゴル系じゃないんだよな
うんうん、よく解るよ。事実が願望と一致して欲しくないという気持ちわ
719 :
世界@名無史さん:2013/02/25(月) 14:59:52.44 O
それにしてもあれだけ暴れて文字文化が完璧だったギリシャ、ローマ、ペルシァ、シリアに
何系かの記録が無いのは不思議だ。その頃のチュルク系の民族の記録ってあった?
「背は低く、胸はがっしりしていて、頭は大きい。目は小さく、薄いひげには白いものが
まじっている。低い鼻と浅黒い顔色は彼がどこから来たかを示している」
まぁモンゴロイドだろうな
721 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 12:01:07.98 0
アランや東ゴートのやられ方を見ると、
ほとんど以前には接触がなかった連中だろう。
接触があったなら戦法なんかも知ってただろうし。
ウラルからやってきたという線はないと思うけどな。
どう見ても東方の知らないモンゴロイドが突如として襲い
かかってきたと思って間違いない。
ただ、北匈奴の末裔が西遷したものか、あるいはバイカル湖
方面から移動してきた連中かはわからない。ウラルがどうとか
言うのは、途中からフンの集団に組み入れられた連中だろう。
アラン族の領土が西はドン河から東はアラル海だったとされるので、
フン族はアラル海より東からやって来た事は間違いないだろうね。
723 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 17:52:19.09 O
その頃のチュルク系国家とか勢力の記録はないんかな?
中国辺りではとっけつ(ガラケーで変換できん)が活躍してた時代かな?
柔然か1つ前の鮮卑の時代じゃね、どちらもチュルク奚じゃないけど
突厥や丁零は受難の時代
725 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 21:11:21.32 0
>>665 モンゴルの文明破壊・DQN生産っぷりは半端ねーな
モンゴルの血をひく朝鮮中国モンゴルとは国交を断絶して
彼らのDQN因子を排除すべき
726 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 21:19:05.88 0
>>684 スペインもほぼ全滅に至らしめてるけどな
その証拠に先住民の男系子孫は皆無
英人はほぼ皆殺しにして
先住民の血を引く人々を生き残らせたっていうけど
スペインは男は皆殺しにして女は犯して子供を生ませただけの違いでしかない
穏健・正直←モンゴル>超えられない壁>ラテン・ポルトガル・スペイン≧アングロサクソン→残忍・偽善
728 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 21:58:39.36 0
残虐・捏造←モンゴル、チョン>超えられない壁>スターリンソ連・ナチス>ポルポト
正直・残虐←モンゴル>スターリン≧ヒトラー>超えられない壁>アングロサクソン→偽善・残虐
730 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 22:47:23.43 0
元寇で一番残虐だったのはチョン兵だった。
対馬では男は皆殺しで女は手に穴を開け船につないでやりたい放題やって虐殺。
ベトナム戦争でもチョン兵は似た様な事をやりまくったのでアメリカ軍も困ったらしい。
おそらく日本軍に徴用されたチョン兵も同じようなもんだったろう。
バランベルってどんな王だったの?
アッチラより強そうな感じがするんだけど
またモンゴルとスペイン、アングロサクソンで残虐民族決定戦やってんのかw
比べようないだろうが、どっちも残虐でいいじゃねぇか
秦もひどいんじゃ
穴埋め、皆殺し
秦とアッシリアがよく似ている
中華世界の西の果ての秦
セム世界の北の果てアッシリア
フンは390年代にシリアやカッパドキアも荒らしている
736 :
世界@名無史さん:2013/03/04(月) 13:49:35.63 0
西欧人が残虐になったのは気持ちの悪い釣り目モンゴロイドのせいだろ
よくRPGのボスで時空の破壊者みたいなのが出るがそのモデルはこいつらだろ
737 :
世界@名無史さん:2013/03/04(月) 14:04:56.39 0
アッティラの別名を知っているか?アキラだ
そしてアッティラとは名前ではない西欧人側がつけた名であり
意味は「お父ちゃん」だ、あれほどの残虐さを発揮した人間にこんな
名前をつけるとはもう人間心理の究極を見るようだ
738 :
世界@名無史さん:2013/03/04(月) 18:59:22.42 0
アッティラはゲルマン人の間では英雄だからね。
739 :
世界@名無史さん:2013/03/05(火) 07:33:43.27 0
フン族は370前後にアラン、次いで東ゴートを襲撃、
更に390年くらいにはシリア方面も襲撃しているが、
それ以前にどこかの都市や部族を襲撃したという話し
が無い。アラル海以東のオアシス都市を襲撃したという
話しもない。こんだけ凶暴で暴れまくっていた連中が、
全く襲撃しないとは考えられず、それ以前は比較的人口
が少ないとこを移動していたと思われる。
740 :
世界@名無史さん:2013/03/05(火) 23:22:29.78 O
所謂ダッタン人との関係は?
741 :
世界@名無史さん:2013/03/06(水) 02:08:28.72 0
アッティラの北欧方面の名前アトリは、いまでも残ってるみたいだな。
アイスランドとかフェロー諸島には、わりといるみたい。
デーン人はニーベルンゲンの歌でも普通にエッツェル同盟者になってるし、感情はすこぶる良いな。
たぶん、近世以降にローマ史が教養として入ってくるまでは、ごく普通に英雄扱いだったろうね。
743 :
世界@名無史さん:2013/03/06(水) 18:55:27.17 0
フン族が野蛮人扱いになったのはキリスト教の影響が極めて大だね。
744 :
世界@名無史さん:2013/03/06(水) 20:54:47.96 0
フン族もバイキングもモンゴル人も蛮族認定されてるが?
蛮族の分際で生意気だぞ
アルプス以北ライン以東の人々は、そもそもが真正蛮族だからな。
それ以外の西欧は、古代ローマ人からすればまぁハーフ蛮族かクォーター蛮族。
そんな自らの血を顧みずに、古典読んでかつての頭目フンを蛮族扱いにするたぁ片腹痛し。
匈奴とフン族って、同じなの?
ずうと、引っかかっている
中国の漢帝国(秦?)に討伐されて、西に逃げたのが勢い余って、
欧州の東で暮らしていたゲルマン民族を東から襲うことになり、
さらに、勢いを増して、欧州に侵入し、暴れまわったというのが
某説なんだけど・・・
>>748 何度もループしてるが、
>>345-380 あたりが現時点のFA
いまのところ、推論できることはあっても明確な結論は出しようもない
750 :
世界@名無史さん:2013/03/07(木) 15:34:03.10 0
歴史の論争なんてループそのもの。
>>749 ありがとう
これからの考古学的発見や、中央アジアやモンゴル、東欧に住む人々の
DNAの比較研究でなにか浮かび上がってくるものがないかな?
752 :
世界@名無史さん:2013/03/07(木) 18:57:55.18 0
>>751 ハンガリーの下戸遺伝子。
これはモンゴロイドの証。
人口の2〜4%らしいが。
以下のどれだろうか。
@マジャール人自信がモンゴロイドとの混血
Aフン族
Bアヴァール族
Cクマン人
Dモンゴル人(配下のトルコ系含む)
Eその他
>>747 フンとゲルマン族、柔然とフランク族を比べれば
後者の方が明々白々に野蛮な習俗を持ち文化的に粗野で技術的に遅れてるもんな
>>752 ほかの要素も含めうるだろうが、確実にありそうなのはハザールの遺伝的痕跡だな。
ハンガリー=Onogur(テュルク語で「十本の矢」、マジャール7部族とハザール3部族の意)。
ハザール人はテュルク系だったと推定されとるので、下戸遺伝子もあろう。
東ゴート族は統治に優れていたので黒海北岸とイタリアは繁栄した。
ロシアはゴート族に近縁のワリヤーグによって建国されたから、
ゲルマンの指導がなければスラブ人に国家建設は無理だったらしい。
756 :
世界@名無史さん:2013/03/08(金) 12:58:48.91 0
イラン系、スラブ系でなければウラル説、チュルク説ぐらいしか残らないが
残念ながら不明というのが定説。フン人らしい墓からはコーカソイドの骨ばかりらしい
まあウラルも西方チュルクもコーカソイドなんだろうけど
占い師の物言いとウリ二つだなw
康居の北隣に1〜2世紀間いたのがコア部族だとすると、ソグトとの混血になってただろうな。
今のウズベキスタン人と大差ない外見だったとすると、骨はコーカソイドに見えるのが多そう。
759 :
世界@名無史さん:2013/03/08(金) 19:09:35.39 0
761 :
世界@名無史さん:2013/03/08(金) 21:25:23.95 0
なでしこ対ドイツと試合を見てるけどドイツ人はネアンデルタール人の血が入ってるな。
みんな目が窪んでて鼻がデカイ。ゴツイ
>東ゴート族は統治に優れていたので黒海北岸とイタリアは繁栄した。
ゴートが18世紀までタタールの宗主権下でクリミアに細々と存続していた件
サルマタイに黒海北岸を追われたスキタイはクリミアに逃げ込んだ。
フン族に敗れたゴート族の一部がクリミアに逃げ込んでスキタイを
滅ぼした。
クリミアはボスポラス王国がスキタイやサルマタイ、フンに従属しながら存続していて
ゴートの支配下になったことは無い。ゴートは流民として流れ着いただけで征服したのではない
クリミア・スキタイの王都ネアポリは4世紀末以降に廃墟となったとされるから、
ゴート族かフン族に破壊されたのでは?
ブルガールの時代くらいまではボスポラス王国の発行した通貨が確認されるらしいし
突厥がビザンツの使節を追放するまでは交易拠点としては機能していただろう
>>752 たったの2〜4%だけか
たまにハンガリー人とかスラブ系が皆モンゴロイドの血を引いてるかのように語る奴いるけど
彼らにとっては迷惑な話だろうな
768 :
世界@名無史さん:2013/03/09(土) 11:29:51.32 0
>>767 ハンガリー人自身はアジア系と言われるのを嫌っている。
それで姓名を印欧語族と同様に名前+苗字に変えるのが今では一般的だ。
ハンガリーにとってフン族は国の開祖
770 :
世界@名無史さん:2013/03/09(土) 12:53:30.61 0
ハンガリー人はアジア系を嫌う。むしろユダヤにルーツを求めるぐらい嫌みたいだ
だがもともとがウラル系はコーカソイドだろ
ウラル系と印欧語族と言語学的にルーツは近いという説もあるし
ヨーロッパ、近東、北アフリカでは予想以上にモンゴロイドアジア人蔑視が酷い
むしろアメリカが寛容
ハンガリー人はアッティラを極悪人扱いする西欧キリスト教史観に反発している
ハンガリーにとって今や欧州のキリスト教圏の国として生きていくほかないのだから、
そのアイデンティティの追求において雑音となる要素は除いておきたい、というのが本音だろう。
言語的に印欧語でないのは覆しようもないが、人種としてはフィン・ウゴルはコーカソイドという
一線は守りきりたいと。幸い、同グループのフィンランド人、エストニア人も見事な白人容貌だし。
サモエード人?いずれ同化吸収されて消滅するでしょ・・・・という展開待ちだぜ。
773 :
世界@名無史さん:2013/03/09(土) 15:47:56.93 0
>>772が正解。
ハンガリー人と話したときも当方が日本人というアジア人であることへの親近感はゼロだったね。
むしろ「我々欧州人は」と言う感じ。
>ヨーロッパ、近東、北アフリカでは予想以上にモンゴロイドアジア人蔑視が酷い
>むしろアメリカが寛容
イラクで日の丸を掲げた自衛隊は住民に好意的に迎えられたという話について
775 :
世界@名無史さん:2013/03/10(日) 08:24:14.80 0
ミツコ騒ぎの発端はハンガリーとフィンランドのテレビの日本人蔑視番組だったよな
モンゴル系のアヴァールがゲルマン系のゲピードを滅ぼして
ハンガリー平原を占拠したことはハンガリーの歴史の上で重要な事項とされる
アヴァール族はブルガリアと同様にスラブ化したので、
マジャール族の移住以前はパンノニアはスラブ語圏だった。
778 :
世界@名無史さん:2013/03/10(日) 12:11:55.32 0
>>774 アフガニスタンのハザラ人はシーア派だという理由だけじゃなくモンゴル系と
いうだけで弾圧されてる。911テロ直前に暗殺され、北部同盟の英雄視されてる
タジク族のマスード将軍も随分とハザラ人を殺してる。
イスラエル歩いてた日本人が差別語投げかけられることはよく聞くし、チュニジア
に海外協力隊で行ってたウチの会社の奴もシーノと蔑視用語がしつこいのでガキを
殴って警察沙汰になったと言ってた。アジア人ってコーカソイド世界ではそんなもん。
779 :
世界@名無史さん:2013/03/10(日) 12:49:50.73 0
チュニジアはアラブ系、アフガンは絶滅危惧種のイラン系
そもそもアフガニスタンは同族のパシュトゥーン同士でも
ペルシャとムガールの歴史的因縁の間で地域毎に殺し合ってる
大枠ではアジア人と言っても、日本人の扱いから糞扱いまで色々。
781 :
世界@名無史さん:2013/03/10(日) 18:18:33.00 0
>>777 あのあたりはヴェンドが南下していったスクラヴェンの諸部族、
のちにカランタニア人と呼ばれた、オーストリア(カランタニア)を中心とし、
北はタトラ山脈のスロヴァキアから東はハンガリー、
南はアドリア海のスロヴェニアにかけて住んでいた諸部族が広がって住んでいた。
この地域の北部はのちに諸部族連合のサモ王国となり、
パンノニアのスラヴ人はサモ王国に入らずしかもパンノニア平原では人口も希薄だからハンガリー人が入ってきた
フン族・アッティラは現在のハンガリーにおいても否定的にみなされているという事実は確認できない。
イスラム圏でテロで殺される確立ならアメリカ人は日本人より遥かに高い
フンを匈奴の一派とみなす説はドイツやロシア・中国に多く、
否定・疑問視するのがフランス・日本に多いのは国家の政治的な要素を含んでいるのか
フランスの研究者も、フンの中核集団がテュルク系だということは言ってるね、I・BonaとかK・Esherとか。
茸型取っ手のついた青銅鍋や三枚矢羽の鉄鏃などがアジア由来→人名解析からテュルク系という感じで。
ただ、匈奴から当該テュルク集団への連関が薄弱で、蓋然性が認められないと言ってるだけでね。
学術的な観点でいえば、現時点ではこの姿勢のほうが明らかに正しい。
そんな事は言ってないけどね。
虚連題氏族との関連がはっきりしないと言ってるだけで
匈奴とフンの関連性が弱いとは主張してない
むしろ、馬具、鏃、装飾模様等が
匈奴と関連の深い東アジア北部に特徴的な意匠だと認めている。
自分の願望を宛も事実かの如く装うのは
学術的な姿勢から正反対に位置する愚かな行為。
>>786 >>785の内容とどこにズレがあるんだろ、概ね似たようなことを書いてるつもりなんだが。
匈奴から突厥に至るまで文化的な共通土壌はあるんだから、この時代のテュルク系ならそこは明白やろ。
この場合の連関ってのは当然、
>>784の「一派」をうけての氏族・部族レベルでの繋がりの話だで。
まー、とにかくあんまり熱くなりなや、おにいさん。
匈奴が漢の都市を襲った場合はフン族のように街を破壊・殺戮はせず
財物の略奪と住民の拉致を基本としていた
789 :
世界@名無史さん:2013/03/11(月) 02:46:11.49 0
万里の長城も匈奴などの騎馬民族対策で行った大事業なんだから
中国人は騎馬民族の恐ろしさをよく知っていたのだろう。
ヨーロッパは騎馬民族対策が疎かで耐性が無かったんだろ。
まあ、中国もモンゴルに長城の効果もあまりなくやられたけど。
騎馬民族といえばスキタイなどのアーリア系とチュルク系と
モンゴル系しかいないだろ。アーリア人ならアランは現代の
住所まで(オセチア)分かってるからフン族がイラン系は無い。
残るあの辺りの有力者はチュルクだろな。モンゴロは遠すぎる。
あとアーリア遺伝子の濃いスラブ系が騎馬民族やってた頃あった?
>>788 おいおいw
匈奴は漢軍の手薄な隙を突いて田舎を荒らすのが基本行動
作物や奴婢の獲得が目的であって、都市を攻めたりはしない
当然ながら、陥落してない都市や城郭の破壊は不可能。
>>789 モンゴル時代は燕雲を北方のモンゴル族や満州族が領有していたので
軍事行動の度に長城を越える必要が無かった
フンの後に西へ行ったアバルは、モンゴル系の柔然を出自に持つから
フンの前身である匈奴がモンゴル系だとしても、東方過ぎるという事は無いよ
モンゴルも東欧を寇略しルーシを征服したしね
>>784 古代中国語の発音で、「匈奴」のことを「キョンフン」って言うらしい
これは、偶然とは思えないんだけどな
やっぱり、匈奴=フン なんじゃなの
しかし、今日に至るまで、民族系統不明っているのもまいったね
長く、西域、モンゴル高原を支配していた強大な民族だったのに
何かわからいのかな?
場所的に、モンゴル民族のような気がするけど
匈奴と烏孫と月氏は互いに敵対していたが、スキタイとサルマタイ、
タタールとモンゴルのように近縁だったとされる。言うまでもなく、
丁零はチュルク系の祖先で、東胡が鮮卑と柔然や契丹の祖先だった。
フン=北匈奴は匈奴に征服されたチュルク系の部族で、匈奴の本家は
南匈奴として華北に定住したと思われる。
もともと匈奴は、始皇帝に追い払われた時にオルドスに戻ってきたように、
農民的なところがあった。月氏は匈奴よりも遊牧民的だったらしく匈奴の
配下になる事選ばずに西方へ移住した。南匈奴よりも遊牧民的な北匈奴も
西方へ移住したとされる。
>匈奴は漢軍の手薄な隙を突いて田舎を荒らすのが基本行動
>作物や奴婢の獲得が目的であって、都市を攻めたりはしない
>当然ながら、陥落してない都市や城郭の破壊は不可能。
雁門が何回も突破されたり遼西太守が討ち取られたり
城郭は匈奴の攻撃を遅滞させる効果はあったとしても
完全に防御するのは難しかった
匈奴が雁門郡や幽州の守備が手薄な場所を寇略した際に
都市や城郭を攻めた例は無かった
遼西太守が討ち取られたのも少数の兵で野戦した時の事
当時の城郭は現存している明代に建設されたような堅固なものではなく
簡易な盛り土のようなもので容易に突破された
突破された記録が残って無い現実
それと版築する時には凝固剤を混ぜるので
硬度や強度は土塀に近い、土塀に鉄砲は効果無いし
大砲を撃ち込んでも崩れるまでには数十発必要だよ。
宋代以降焼煉瓦が使われ始めたのは耐候性と補修の手間の問題
土壁は毎年を手入れしなければ、上部の雨除けが駄目になって
水の浸透と崩れる原因になるし、草が生えてヒビ割れの原因になる
798 :
世界@名無史さん:2013/03/12(火) 22:49:08.56 0
匈奴すら民族、言語が分かってない
白いフンと言われたエフタルも言語すら分かってない
こんだけ暴れた連中が何語を話してたかも分からないんか?
>>798 スキタイもサカも何語を話してたか全く解ってないしね
801 :
世界@名無史さん:2013/03/13(水) 00:49:18.40 0
スキタイとサカはアーリア人、つまりイラン系と思ってたが違うの?
青木ちぇんちぇいの「アーリア人」は途中までしか読んでないけど
スキタイとサカ族抜くとアーリア人が成り立たない。
フンがアルタイ人、つまりトルコ系かモンゴル系ってのと同じ事
スキタイがどんな言葉を使ってたかは記録が殆ど無い
803 :
世界@名無史さん:2013/03/13(水) 01:57:10.07 0
中国西域からカスピ海あたりまで、モンゴル系、チュルク系、イラン系、スラブ系
以外に有力騎馬民族いるんかな?
>スキタイもサカも何語を話してたか全く解ってないしね
「全く」分かっていないわけではなく断片的には分かっている
805 :
世界@名無史さん:2013/03/13(水) 07:46:42.88 0
イラン系言語だな。
語の特徴からもともとケントゥムで、ゲルマン祖語と同じものだったと推定されるスラヴ語がイラン風の訛り(サテム)をもってるのは
スキタイやサルマタイなどイラン系遊牧民の影響。
806 :
世界@名無史さん:2013/03/13(水) 07:48:12.48 0
「先史時代ゲルマン人」のうち、スキタイやサルマタイなどイラン系遊牧民との接触が密で、
彼ら遊牧民に政治的にも家系的にも言語的にも影響されたのがスラヴ語派の諸民族。
>>804 フン語や匈奴語と同程度にはね。
フンの言語がトルコ系かモンゴル系と類推されるのと同じ程度に
インドイラン語派と類推されるだけで、決め手があるわけじゃない
アレクサンドロスの東征でサカとけっこう戦ってるけど、詳しい記述って残してないもんなんだな
アケメネス朝の史書もあんまないか・・・臣従集団もいたから何かの記録が残ってりゃよかったのに
スキタイ王アタイアスの名を刻んだ硬貨が残存しているがギリシャ文字で刻まれている。
スキタイに従属していたギリシャ植民者達の間で流通していたのだろうが。
スキタイ文字が無い以上ギリシャ文字かペルシャ文字で掘るしかなくね
811 :
世界@名無史さん:2013/03/13(水) 22:28:22.36 0
ヘロドトスの歴史を読むと印欧語であることは間違いない。
で、ヨーロッパ系でないという前提で消去法を採ると、インド・イラン系ということになる。
ということ。
少なくとも印欧語でないということはない。
812 :
世界@名無史さん:2013/03/13(水) 23:22:50.16 0
映画アレキサンダーではアレキサンダーは蛮族ソグディアナ人の嫁をもやってる
あれは史実か? 言葉も通じてたし
というかアメリカ映画では基本英語しか言語が存在しない。
実際にはバビロニアもこの頃はセム系言語が絶えてイラン系のペルシャ語になってしまっていたのか
>>812 史実。名前はロクサネ(現代名ロクサーヌなどと同じ)。イラン系言語で「光明」の意。
なお、唐代の安禄山(ソグド人ハーフ)の禄山もロクシャンのあて字とされる。
>>812 史実ではないよ
ソグディアナ人の方が文明的、マケドニア人が尚武粗野な蛮族。
ソグド人と言葉はあまり通じていなかったらしく、
シル川の先は海だと思い込んでフェルガナは幸か不幸か
マケドニアの占領を免れた。
817 :
世界@名無史さん:2013/03/14(木) 02:04:55.68 0
アレクサンドロスは32歳で偉業を達成してその後の世界史を変えた
俺はアレクサンドロスよりずっと長生きしてるけど生きる価値も無い人間だ
818 :
世界@名無史さん:2013/03/14(木) 02:09:33.18 0
西洋人限定で言うと
キリスト > アレクサンドロス > コロンブス > 電気発明した奴 > 機関車発明した奴 > ライト兄弟
いずれも世界を変えた
アッティラは古代ローマ帝国・文明に実質止めを刺した張本人として
西洋人的に否定的な意味で歴史を変えた男として忌み嫌われた
古代ローマ帝国・文明に実質止めを刺した張本人はユスティニアヌス1世、
当時の東ゴート王国は実質的に西ローマ帝国だった。
821 :
世界@名無史さん:2013/03/14(木) 12:43:03.56 0
最も残虐な軍隊が最も強いのが歴史の常だが、フン族もモンゴル軍は抵抗する町は男女子供問わず虐殺してる
アメリカ軍も都市を無差別爆撃、原爆まで使った。もちろん都市には男女子供がすんでるから問わずの虐殺となる
現在でもクラスター爆弾や燃料爆弾で大量虐殺。フン族、モンゴル軍、アメリカ軍は機動性、残虐性では共通してる。
さらっとローマ軍、英軍を外さないように
>>816 そういや、最果てのアレクサンドリアという名のアレクサンドリア・エスカテって、
シル川沿いでフェルガナ峡谷への入り口の都市だな。そういう背景があったのか。
アッティラは交渉次第で焼き討ちを免除したし
モンゴルが虐殺したのは役立たずで職人や知識人は寧ろ積極的に登用している。
徹底的な人種・民族の根絶をやろうとしたのはアングロサクソンとナチス
アングロサクソンが虐殺したのは役立たずの先住民で、
黒人やインド人は寧ろ積極的に活用している
ナチスが虐殺したのは反ドイツ的ユダヤ人で、
スラヴ人は奴隷労働に活用している
カルタゴから来たヴァンダルに略奪されるローマは因果応報
ヴァンダルは今でいうポーランド人
ヴェンドのこと
つまりヴァンドゥルス川(ヴィスワ川)の諸部族の意味
ヴァンダルってフン族と同盟してローマを南北から挟み撃ちにしようとしたり
フン族とは縁が深いはずなのに今のポーランドにはドイツやハンガリーのような
フン族の伝承は全く見られない
830 :
世界@名無史さん:2013/03/16(土) 07:13:57.17 0
>>828 それは本当だ。
スラブ系とゲルマン系の混合集団。
ヴァンダルはフンやアヴァールとは同盟はしたが、血族の混交はしていない
ヴァンダルは初期の西スラヴ人と推測され、
東方で政府が滅んだ東スラヴ系の諸部族の戦士階級が6世紀にポーランドまで逃げてきて、
土着のヴァンダルの文化と融合して、
現在スラヴ人文化と広く認められているプラハ・コルチャク文化を発生させている。
というより、「ゲルマン人」がゲルマン語派の言語だけを母語にしていた根拠は全くない。
ヴァンダルのような初期西スラヴ語派の集団も「ゲルマン人」
中世にもポーランド人やチェコ人はゲルマン人とされていた
「ゲルマン人」とはもともとは「ゲルマニア地方に住む人々」の意味にすぎない
中世初期ではゲルマニアのうち最大の面積となるのがスラヴィアで、ゲルマニアのほぼ半分の面積を持つ
政府が滅んだとか意味不明だろ
部族国家すら無かったのに
834 :
世界@名無史さん:2013/03/16(土) 11:31:24.97 0
そろそろクルガン厨は引っ込んでな。
835 :
世界@名無史さん:2013/03/16(土) 12:40:27.81 0
>>836 東ゴートの国家群の一つとしてキエフのオイウム王国があった。
オイウム王国は周辺のスラヴ系の諸王国と取引があってそれで生活していたというので、
チェルニャヒーウ文化圏ではゴート国家群と東スラヴ国家群が同じ文化を持ちながら混在していた。
836 :
世界@名無史さん:2013/03/16(土) 16:21:48.02 0
スラビアてスラブ人のっていう意味?
スワビアはスエビ族と関係無いけどな
838 :
世界@名無史さん:2013/03/16(土) 22:55:22.02 0
>>836 ゲルマニアのうちのスラヴ人の住む地方という意味。
スラヴの語源は栄光という説と(自分たちの)言語という説がある。
中世までのゲルマン語派とスラヴ語派は形態的に酷似しているが発音と語彙が違う。
ということは、先史時代の比較的新しい時代まで一緒だったが、
どこかの時点で、現在のゲルマン語派に相当する言語が西方で独自に発展をはじめ、
現在のスラヴ語派に相当する言語が東方のイラン系言語の影響を受けて独自に発展をはじめ、
互いに分化したと考えられている。
一応ゲルマン語派は最近の研究で前五世紀ごろ始まった非常に新しい語派だと分かっている。
839 :
世界@名無史さん:2013/03/16(土) 22:56:02.31 0
なおゲルマニアのほぼ東半分をスラヴィアと呼ぶようになったのは中世から。
840 :
世界@名無史さん:2013/03/17(日) 02:24:07.39 0
ゲルマンもだがインドヨーロッパ語族は先住民、クロマニヨン人とかの言語の影響はなかったん?
841 :
世界@名無史さん:2013/03/17(日) 02:32:51.84 0
インドヨーロッパ語族の先方隊はケルトか?
ギリシャか? スラブはおそらく後発隊?
842 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 18:55:41.83 0
白人てのはあれだ
ネアンデルタール人みたいなもんで今後の寒冷期に適応できず絶滅してく連中だから
843 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 19:26:27.58 0
>>841 アカイア人は4000年前にギリシャに侵入しているからね。
その時にケルト人がどこらへんに居たかだね。
ヘロドトスが赤毛の部族としているのがケルト人が歴史の初登場だが
ブリトンやガリアにどのような民族が居住しているのかヘロドトスの時代の
ギリシャ世界は把握していたのか
845 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 21:42:23.55 0
パシフィコ横浜のモールにトルコ人が民芸品を売ってるんだが、結構いい柄のペンダントが
あったので見てたら、「 これはトルコ人の魂 」イスラム前のウィグル時代からの物だと言う。
「トルコ人はウィグル、ウズベキスタンから来たんですよ。 」と言うので、ついでに
フン族はトルコ人かと聞いたら、「 フンはトルコ人ですよ! トルコには、アッティラと言う名前多いんですよ。」
と曰う。トルコではそういうことになってるらしい。俺はウィグル時代からお守りを買った。横浜パシフィコ行ってみ。
今のハンガリーだってアッティラは国祖に等しいほど伝承・神話が豊富にある。
フン族がトルコ系だというと日本人がチンギスハンを義経だとしてモンゴル人の反感を買ったように
自分達の歴史の横取りだと反発するだろう
>>843 青銅器時代にはケルト人の本拠地はボヘミアや南ドイツなどドナウ河流域で、
ブリタニアやイスパニアだけでなくガリアもケルト化していなかったらしい。
アーリア人の発祥の地がカザフスタンで、イラン高原がもともとエラム高原
だった事と同じような事みたい。
849 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 23:16:08.62 0
>>845 トルコではフンもエフタルも匈奴も自民族の祖先の歴史として教えてる
アッティラもだけど冒頓単于のトルコ名のメテってのも名前として扱ってるし
冒頓単于の胸像をわざわざトルコ国内に作って先祖の大英雄として誇ってる
>>848 朝鮮人と同じでいろいろ精神的に混乱してるんじゃね?
ロマン主義が嵩じるとこういう変なことになる
19世紀-20世紀半ばまではこういう国々はたくさんあった。
スウェーデンのゴート主義(笑)
ナチスのアーリア主義(笑)
イギリスのケルト主義やケルティック・キリスト教(笑)
もののたとえ程度じゃなくて本気で事実だと思い込んでいたこいつらはじつに痛い。
>>844 赤毛の部族はブディノイで、ブディノイがいたのは南ロシア。
スラヴ系ないしバルト・スラヴ系の先祖の一つだと考えるのが自然。
そもそも赤毛という表現が変。
赤毛は集団全体に発言することは遺伝的にあり得ないので、おそらく金髪を赤毛と呼んだのだろう。
>>847 後にイラン高原へ侵入した遊牧を行う集団は
シル河とアム河の間に居た先住の農耕民を絶滅或いは奴隷化しつつ
アフガニスタン→ウズベキスタン・トルクメニスタン→カザフスタンという様に
南から北へ征服を進めている
>おそらく金髪を赤毛と呼んだのだろう
いや、そのりくつはおかしい、あり得ないので。
854 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 23:52:56.27 0
>>773 同じフィン・ウゴル系白人でもフィンランドは気さくで親日的だが、
ハンガリーは有色人種に冷たくてクロアチアやオーストリアに近い感じがする。
国名はHUNGARYであってもだ。気候・風土の違いだろうか。
欧州では中欧と英蘭が一番日本人に厳しい感じがする。
855 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 23:54:42.54 0
赤毛だらけというのがありえない。
科学的にみて不可能。
ユーゴはミロシェビッチ失脚後は中国人に冷たくなったと聞いた。
857 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 23:56:04.46 0
>>854 フィンランドはオスマントルコと戦っていない。
フィンランドにはジプシーが少ない。
>>855 >おそらく金髪を赤毛と呼んだのだろう
このりくつはおかしい、あり得ないので。
赤っぽい髪色、と類推するなら許容の余地もアルが
金髪を赤毛と呼んだのだろうってww
ヘロドトスの記述に出てくるウラル山脈のふもとに禿頭のアルギッパイオイという部族がいて
これが後のフン族のアッティラの容貌の記述と合致している
860 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 00:19:39.98 0
>>858 日本人も金髪をもともとは紅毛と呼んだぞ
オランダ人は紅毛人と呼ばれた
実際に金髪は豚金でなくサテン色なら茶だから赤っぽいとも言われる
861 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 00:20:56.16 0
>>859 現代でもその辺の南露ならカルムイク人の成人にはほとんどが禿頭。
また、ヨーロッパではチェコ人の成人のほとんどは禿頭。
>>860 着衣や軍服が赤かったから赤毛人と呼ばれたのであって毛が紅いからじゃないよ
864 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 01:03:00.45 0
パシフィコ横浜のトルコ人はイスラム前のトルコ人の歴史を熱く語ってくれた
ウイグル、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン
全部トルコ人でトルクメニスタンとアゼルバイジャンはトルコ本国と全く言葉が同じらしい?
女房は、「 アレはアメリカ人でしょ」とわけの分からないこと言ってたわ。
日本人、アメリカ人、中国人、黒人で全部だろ?
866 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 01:46:58.26 0
トルコ人って本当にごっちゃだわ
小牧空港アピタモールのトルコ料理店のオスマンさんは浅黒くて太い口髭生やしてアラブ人に見える
パシフィコ横浜のトルコ人は小柄の金髪に近い茶髪でアメリカ人に見える
867 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 06:15:08.20 0
>>866 それだけトルコ人のルーツが人種的にも多様だと言うことだね。
遺伝子もそうだけど。
>>864 アゼルバイジャンもテュルクメンも現アナトリア・トルコと同じオグズ=テュルク系の言語だから
一部の言語以外は方言程度かそれよりちょっとずれた程度の違いくらいしかないし
特にアゼルバイジャンとアナトリア・トルコはお互いの言語でしゃべっても95%以上は通じるはず
ただアゼルバイジャンの方がより母音は多いけどね(アナトリア・トルコは8、アゼルバイジャンは9)
>>867 トルコっつうかテュルク系ってのは人種じゃなくって言語を根幹にくくってるから
北東の極寒地に住むサハ(ヤクート)なんって面構えは完璧に黄色人種そのものだけど
言語の根幹がテュルク系だから同じ括りになってるし
フン族が飢饉に陥りサルマタイを攻撃したとあるが、飢餓に陥った集団が他の集団を攻撃できるか?
漢が匈奴に攻撃されたのは「馬肥ゆる秋」(本来は良い意味ではなく憂慮すべき事態)
と馬がたっぷり牧草を食べれる気候の良い時だし、匈奴が飢餓に陥ると漢はここぞとばかりに攻め立てて
散々に匈奴を打ち負かしている。
漢が強くサルマタイが弱かっただけの事
>>860 蘭人や英人を赤毛と呼ぶのは、軍服の赤系色から付けた命名。
大体金髪なのに紅毛って意味不明だろ?少しは頭使え。
それから、英人蘭人の中でも金髪は少数派な。
江戸時代、ロシア人のことを赤蝦夷と呼んでいた
873 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 10:36:55.06 0
俺が子供の頃はガイジンって顔が赤いという印象だったわ
>>872 江戸時代後期、日本北辺ロシア極東は靺鞨地、粛慎地、北蝦夷、北夷と呼ばれ
ロシア人が紅夷赤狄と呼ばれた様に、漢籍の北方異民族に対する呼称や
ロシアを俄羅斯、ロシア人を赤蝦夷と呼んだ様に、清朝での呼称から採られていて
紅毛と出所は一緒、体毛や頭髪の色は無関係。
877 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 17:28:46.22 0
ブロンド・栗毛を見たことがない民族は「赤毛」と最初は表現するのが通常のケース。
スキタイは毛深いとは書かれているがケルトのような赤毛とはかかれていない
879 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 20:04:15.23 0
赤毛(金髪)はブディノイ
後にスラヴ系となった諸住民のひとつ
アッティラの時代はスキタイ王国の威光が残っていたのか、
アッティラがいにしえのスキタイの王が保持していたマルスの剣を手にした、として
アッティラは周辺部族に対し自らはスキティアの正統な統治者であると位置づけた。
実はスキタイ(民族)の王じゃなく、スキュティア(ウクライナ地方)の王じゃないか?
そもそもスキタイはギリシャ人による他称で、スキュティアにいる住民全体を指す
つまり、「スキタイ民族」などというものは最初から存在などしておらず、スキタイとはスキュティア人つまりウクライナ人という意味
スキタイの王と書くとき、そのスキタイとはスキュティアの当時の住民のことにすぎない
スキタイとはスキュティアンズという意味
スキタイは民族名じゃないよ
黒海北岸の先スラヴ農耕民やギリシャ・ペルシャ商人もスキタイ王の威令下にあったと思われ、
アッティラもゴートやアランなど雑多な民族を支配下に置いていたことが共通している。
886 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 20:52:41.03 0
アッティラの縄張りとかつてのスキティアの領域が近く、
いにしえのスキタイ王の知名度を支配下部族に対する権威付けに
アッティラは利用した
>>877>>879 いい加減自分の誤りを認めたらどうですか
嘘を半万回強弁しても現実は変わらないのだから
888 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 23:02:37.42 0
>黒海北岸の先スラヴ農耕民やギリシャ・ペルシャ商人もスキタイ王の威令下にあったと思われ、
その表現がおかしい
黒海北岸の住民は、先スラヴ農耕民やギリシャ・ペルシャ商人もみなスキタイ人
そのうち遊牧生活を生業とする集団のうちの支配者が、スキタイの王つまりスキュティア諸住民の王と呼ばれただけ
ウクライナ南部は半ステップ気候のため遊牧民の通り道になりやすい
後のクリミア汗国まで遊牧民が優勢
古代ギリシア人が地誌を書くときクリミア半島の植民市までは知識がある
またペルシアも文明国だから知識がある
遊牧国家は都市や文書の文明を残さないから当時のギリシア人にもつかみにくい
というより紅毛人=オランダ人は髪の色が茶色で赤みがあるから紅毛の人つまり紅毛人と呼ばれた。
当時の彩色画でもオランダ人は髪は茶で、服は赤くない。
ウクライナ人はいまはウクライナ語と呼ばれるスラヴ語派の言語を話しているが、
ヘロドトス時代のウクライナ人は西南部で古代ギリシャ語、中南部ポントスステップではイラン語派の諸言語、中北部の穀倉地帯ではスラヴ祖語を話していた
892 :
世界@名無史さん:2013/03/21(木) 19:12:38.88 0
ハザールの時代ぐらいまではウクライナの諸部族は
ローマ帝国よりスキタイの方が馴染みがあったのか、
アッティラはスキタイ王の剣を所有したと称し、
ハザールもスキタイの末孫を称することで
その統治を権威づけた。
894 :
世界@名無史さん:2013/03/22(金) 00:20:34.44 0
誤解があるぞ
スキュティアという地名が先
つまりウクライナをスキュティアと呼ぶのが先
スキュティア(地方の)人のことをスキタイと呼んでいた。
スキタイは複数形で、スキト人=スキタイ
ウクライナを指すスキュティアと地名は中世まで使われた
後に辺境を指すウクライナという地名がポーランドなどによって使われるようになった
黒海北岸地域にローマの威光が通じるようになったのはキエフ公国以降
896 :
世界@名無史さん:2013/03/22(金) 02:13:52.82 0
ヘロドトスはスキュティア人=スキタイは生活様式の異なる種々の人々の総称としている
大きく分けると南半のステップの遊牧系(おそらくイラン系)と北半の黒土地帯の農耕系(おそらくスラヴ系)
そしてスキュティア人(イラン系+スラヴ系)の社会では対外的な観点からは遊牧系が政治的に優勢でその支配者をヘロドトスは便宜的に王と呼んではいる
ただしこの地位は王とは呼ばれるがスキュティア全域で専制的な支配力はなく、農耕系とは力でなく穀物の取引を通じて関係を持っている
ヘロドトスの記述でも、スキタイの王は自分を王と考えているという、僭称じみた旨の説明がある
王族スキタイはダレイオスの遠征の際に主導的に戦い撃退したことで
傍観的だった部族に対し主導権を握ることになった。
諸部族の棟梁という立場であって重大な事項は
諸部族の会議によって決められるというように
ペルシャ皇帝のような専制的な権力は無かったが
黒海の沿岸のギリシャ植民者から貢物を取り立て、農耕民から年貢を徴収し
墳墓の造営に従属部族を動員するなどといった支配的な権力は持っていた
899 :
世界@名無史さん:2013/03/22(金) 12:09:21.19 0
>>896 従属部族の末裔が匈奴と名乗ったのかもしれない。
昔は有名だったから。日本では源氏の子孫とか、平家の子孫とか
いうのと変わらないと思う。欧州系の連中はHUNと聞こえたのかも
しれない。
>>897 そういうのは歴史小説版でやらないと
板違い
901 :
世界@名無史さん:2013/03/22(金) 22:37:22.78 0
>>897 ウクライナの北部だけでなく中部まで、
つまりトシュチニェツ文化とコマロフ文化から
チェルノレス文化が展開した地域まではスラヴ語派のスキタイ人地域
最南端のポントス・ステップ地帯がイラン語派のスキタイ人地域だね
902 :
世界@名無史さん:2013/03/22(金) 22:38:55.68 0
支配階級民族の王族スキタイが居たのは南部の草原地域
被支配民族や奴隷民族の農民スキタイ農耕スキタイが居たのが
北部湿地森林地帯。スレイブ族はスキタイ人の征服によりスキタイ語化した
>被支配民族や奴隷民族の農民スキタイ農耕スキタイ
本当にそうだったのか?
ヘロドトスはそんなこと一言も書いてないが
905 :
世界@名無史さん:2013/03/22(金) 23:06:45.91 0
なぜ遊牧スキタイ(イラン)が滅んで農耕スキタイ(スラヴ)が残ったのか?
食料をつくることができる技術を持っていた
>ただしこの地位は王とは呼ばれるがスキュティア全域で専制的な支配力はなく、農耕系とは力でなく穀物の取引を通じて関係を持っている
本当にそうだったのか?
ヘロドトスはそんなこと一言も書いてないが
>王族スキタイはダレイオスの遠征の際に主導的に戦い撃退したことで、傍観的だった部族に対し主導権を握ることになった。
本当にそうだったのか?
ヘロドトスはそんなこと一言も書いてないが
>>901-902 本当にそうだったのか?
ヘロドトスはそんなこと一言も書いてないが
空想力豊かなのは、小説家にとっては良い事です。板違いだがね
ボリュステネスのビオンていう、
今でいうリバタリアンとアナキストの哲学者はスラヴ人だろ。
残念!
>>903の内容と同様のことはヘロドトスも書いている
>>898 後のスラヴ系社会にも見られる特徴
王ないし特定の遊牧部族が絶対的権力を持っているわけではなく、
遊牧や農耕や商業など様々な生業を持つ部族が連合しそのうちの一部族の長を王とする
今で言えばEUのファンロンパイ大統領のようなもの
遊牧や農耕や商業など様々な生業を持つ部族から一部族の長を王とするのではなく
優越的な特定の遊牧部族集団の中から王が選出される
遊牧民に普遍的に見られる権力形態がスキタイにも見られる
遊牧スキタイ諸部族から選出された部族連合が王族スキタイで、
それが農耕スキタイ、農民スキタイ、ブディノイ、ネウロイ等々から大なり小なりの信任を受けていたのではなかろうか
当時の時代の考古遺跡では農業地帯を武力で支配したという形跡はない
サルマタイの入ってきた時期になると農業地帯の集落が要塞化している
歴史が伝える、スキタイの始祖伝説は遊牧民に典型的なもの。
木が一本も生えぬ土地に住み農耕を全くしない王族スキタイは
農民・農耕・ギリシャ系スキタイを隷属させている、とも伝わる。
914 :
世界@名無史さん:2013/03/23(土) 03:05:00.40 0
おい、ここはアーリア人スレかよ?
「お前はスキタイネタが好きなんだな」
鹿児島大生
........↓
今日も桜島がフン火した
916 :
世界@名無史さん:2013/03/23(土) 09:11:58.65 0
略奪に来て厄介だから、
今でいう宥和政策を採って遊牧民に穀物か何かを少しくれてやって略奪しないようにしている
そのかわりならず者を取り締まってもらう
現代の税のようなもので、この授受の関係だけを見ると隷属のように見える
918 :
世界@名無史さん:2013/03/23(土) 11:06:33.62 0
920 :
世界@名無史さん:2013/03/23(土) 14:51:47.18 0
__
/ァ、\
( ノoo))
ノヽ ◎/( ヒタヒタ
(/(・)(・)\
(/| x |\)
( ヽノ
ノ> ノ
。。しU
王族スキタイが他の諸族を隷属させているなら
ダレイオスの遠征の際に
「全てをスキタイに任せて一任して欲しい」
「スキタイは信用できない」
などというやり取りはありえない。
また、スキタイが優位になければ
「全てを任せて一任して欲しい」
というような切り出しもありえない。
王族スキタイは盟主的な立場ではあるものの、
他の部族を隷属させるほどの力は無かったところが
サルマタイやゴートを服従させたフンと大きく異なる。
ダレイオスの遠征の際に支援した民族と傍観した民族は
全て非スキュタイな。
農耕スキタイ、農民スキタイに挙げられた民族は一つも入ってないし
非スキュタイだとご丁寧に説明されてる民族まで含まれてる
要するにオマエの主張は根拠の無い空想、妄想の類。
農耕民が隷属させられていたならダレイオスを解放者として歓迎しただろうが、
実際には農耕民は村から穀物を持ち去り、井戸を埋めてペルシャ軍が使えないようにするなどして
抵抗の構えを見せた。
はいはい「歴史」に隷属していたと記録されているが
それは誤りだ、根拠は何も無いが。だよね、聞き飽きた
毎度論拠を挙げられず妄言垂れ流すだけ
ダレイオスに協力してスキタイに立ち向かおうとする勢力・集団は
ギリシャ殖民都市を含めて無かった。
ダレイオスに隷属するイオニア人も又
スキタイの調略を受けてもダレイオスに立ち向かわなかった。
加えて、ペルシャ軍の進撃に対して、略奪しまくったおまえが悪いんだろw
と言ってスキタイを見捨てる近隣国もあった。
もともた鮮卑だってのはほんとうなのか?
鮮卑っつっても色々な集団があるからなぁ、みな同じ語族であるかさえ定かじゃない
乞伏部や禿髪部などのような西方部族ならテュルク系かもしれんし可能性はあんじゃないの
でも、それが丁零や高車あるいは康居辺縁のテュルク系と比べて妥当性が高いかどうかはしらん
>>927 鮮卑じゃなく匈奴なw
フンは匈奴のうち西走した集団が中核を成すというのが定説。
鮮卑はモンゴル語族の話者で
匈奴の残滓である宇文部は他の鮮卑とは少し言葉が違った
>>929 後漢の北匈奴ってわけか
ロマンだなぁ
フンと呼ばれた頃には白人化してるのかねぇ混血で
>フンと呼ばれた頃には白人化してるのかねぇ混血で
アッティラの風貌
>>931 参考書に載ってたアッティラ【中世】は白人で角が生えてたな
悪魔化されてたんだろう
しかし実際はどーだったのか?興味あるね
933 :
世界@名無史さん:2013/03/29(金) 12:48:14.36 0
元々はアラン族の居住区のもっと東から移動してきたのは確かだろう。
どうもアラン族も未知の強敵に遭遇して惨敗したみたい。長く隣接してた
連中ではないだろう。北匈奴の末裔だとある程度は接触もあっても不思議は
ない。状況からすると中核種族はもっと東から来た連中。そいつらが北匈奴
の末裔達を吸収して強大化したと推測する。
北匈奴と関係があると言えばあるし、無いと言えば無いとも言える。そんな
感じだと思う。後に柔然の一部と言われる連中がアヴァールを自称したように、
昔大帝国を築いた匈奴を自称し、周辺にひけらかした可能性が高いように思う。
中国の歴史書に匈奴がアランを襲撃したという記述があるのは、自称匈奴だった
可能性を示唆している。音がフンと聞こえるので、そのままフン族と呼ばれたと
推測する。
934 :
世界@名無史さん:2013/03/29(金) 13:59:00.51 O
>>931 アッティラの風貌なんてずっと後世の画家に描かれたもの
西洋人が描いた日本人すら昔の絵を見ると西洋人に見える
だがカスピ海辺りからウズベキスタン辺りに長く住んでればコーカソイド風貌になるわな
白人風貌の東方遊牧民…
トルコ人やアーリア人(インド・イラン系という意味)がまさにそうなんだよな。微妙な混血。
アラブなんかは黒人も混じってる
トルキスタンの原トルコ人なんかはむしろ黄色い
草原地帯の混血過程ははっきりしないね。いつも疑問に思う
一般に白人の原産地はヨーロッパ北部とされてきた
それはアフリカに黒人が多く、アジアにモンゴロイドが多いから…というものと同じ理屈からだ
しかし、アーリア人が東方から来襲したのは確かで、オアシス地帯には現に白人がいた
モンゴルの地層で見つかる旧石器時代の人骨も白人だ
ということは、原産地のヨーロッパからユーラシア東端まで一度広がり、それがまた西方へ帰還するという運動が、
BC2000以来繰り返される遊牧民の西方征服なのだろうか
そもそも白人ってそんなに繁殖力あるんだろうか
936 :
世界@名無史さん:2013/03/29(金) 18:14:17.33 0
モンゴルだってヨーロッパ系兵士を現地調達した
下層がコーカソイド中心で、支配階層に行くほどモンゴロイド系に近かったんだと思う
下層はともかく、上の階層は血を混ぜあうことは好まなかったはず
>>936 モンゴル時代なら史料とか残っててそういう傾向を知ることができる
アッティラやアーリア人の西方移動はどんな状態だったのだろうね
いわゆる印欧語族の移動は、オリエントの古文書におぼろげながら描かれていて面白いね
ギリシア人なんかも同系ではありながら、互いに争いつつ南下して成立する
>>936 だね、遊牧民は混血を好まない。
西へ移動した北匈奴が王族フンとなり
サカスキタイ系は遊牧フンとなったのは確かだろう。
目が小さくずんぐりしていて肌は浅黒い
上半身だけは鍛え抜かれて逞しい
>>938 遊牧民の歴史こそ混血の歴史の気がするが…
戦争の結果のレイプも含めてね
支配階級がどうこうとは別の話かも知らんが
アマゾンの逆レイプ
彼は背が低く、胸は広く、頭は非常に大きく、目は小さく、髭はまばらで、髪には白いものが混じり、
鼻はぺしゃんこで、顔の色は浅黒かった、すなわち出自による特徴が顕著だった
(原文)
Forma brevis, lato pectore, capite grandiori, minutis oculis, rarus barba, canis aspersus,
simo naso, teter colore, originis suae signa restituans.
ヨルダネス「ゴート史」・・・約100年前にアッティラと面会したプリスクスの文章(後世多くは散逸)を参照している
>>944 ほーすごいね!(・∀・)ノ
モンゴロイドだったわけだ
史料の強さだな
白人が黄色を侵略したのはここ数世紀だけの話だけど、僕達は古代から白人に迷惑をかけてるよね(´・ω・`)
岡田英弘が面白いことを言っていたな
歴史はもともとヒストリアイと史記しか存在しない
ヘロドトスのヒストリアイは、ペルシア対ギリシア、つまり東方対西方だ
この伝統を引き継いだローマ帝国で、やがてキリスト教が流行する
新訳の最後部にあるヨハネの黙示録は、ゾロアスタ教の影響を受けた光と闇、天使対悪魔の二元対立構造で、
“東西対決こそ歴史”というヘロドトス以来の歴史概念と結合する…
かくしてヨーロッパ人にとって東方とは悪魔であり、神の軍勢たるヨーロッパに滅ぼされるべき存在となる…
ヨーロッパ人のアジア人蔑視は、非キリストという理由以外にも根深く存している
948 :
世界@名無史さん:2013/03/30(土) 18:05:09.52 0
>>947 >“東西対決こそ歴史”というヘロドトス以来の歴史概念と結合する…
つい最近の資本主義vs共産主義だってぶっちゃけ東西対決だし
共産主義崩壊後の中東紛争や中露との対決だって結局形を変えた東西対決だし
今でもその辺は表層が変化してるだけで中身はなんら変わっちゃいないな
岡田は死ぬまで素っ頓狂な事ばかり発信し続けるんだろうな。
ヘロドトスはひたすらエジプトすげー、ペルシャすげーと賛美崇拝
東西対立など想像だにしてないよ
capite grandiori → ラテン語由来の英語でいうと「グランデサイズのキャップ」という感じ。
これは、サルマタイやアラン、そしてフンの習慣に見られた頭蓋骨矯正(幼児期に包帯で締め上げる)
のことを指していると一般に解釈されている。
ただ、欧州のサッカーチームに日本人選手が混じってると、引きの画で見て頭と体のサイズ比が違う、
というのが割とはっきり感じられる(自分はゲーム中はそれで見分けてる)。
http://livedoor.blogimg.jp/soccer_matome/imgs/4/1/41e7d32e.jpg 単純にそのことを表しているのかも、と個人的には思ったりもする・・・形状のことなら違う表現しそうで。
951 :
世界@名無史さん:2013/03/30(土) 19:19:00.16 0
2世紀あたりまで匈奴が、5世紀ぐらいから突厥が有力遊牧民だったからフンはやっぱりチュルクが妥当かな
横浜であったトルコ人はフンはトルコ人でトルコ人の故郷はウィグルだと言ってたぞ
ウイグルって地名じゃないしな、モンゴル高原東部のことだろうけど
>>951 その間の期間に有力だった鮮卑と柔然はどうだろね
>>953 トルコ語のウィキだとどっちもトルコ系にしてるんだよなこれが
ハハハ、我田引水だね
自らの歴史を権威づけたいのはどこも同じか
しかし、一理あると思うのは、匈奴がフンになるまで200年程度の時間があくし、成長の舞台も異なるということ
つまり“フンはもはや匈奴なんかじゃないんだ”と言われればなるほどそうかも知れんと思ってしまう
>その間の期間に有力だった鮮卑と柔然はどうだろね
↓
>トルコ語のウィキだとどっちもトルコ系にしてるんだよなこれが
↓
>一理あると思うのは、匈奴がフンになるまで200年程度の時間があくし、成長の舞台も異なるということ
>つまり“フンはもはや匈奴なんかじゃないんだ”と言われればなるほどそうかも知れんと思ってしまう
最後の障害者は、前の遣り取りとの応答が全く成立してないな
頭がおかしい
957 :
世界@名無史さん:2013/03/31(日) 12:54:04.86 0
匈奴がチュルクとすれば突厥、その他までチュルクとしては有力な遊牧民として連続してる
200年は大きいと思ったが中央アジアには匈奴という名称が消えただけでチュルクはいた。
匈奴と突厥とウィグル、ウズベク人の関係は? と言われれば言語が共通してるんでわ。
ただし匈奴はチュルクだと確定してるん?
確定はしてない、最有力候補の一翼ではあるけど
匈奴というものの連続性を考えるには、氏族としての連続性を要件とするのか、
言語・文化における連続性を要件とするのかで、ずいぶんと話がかわってくる
当事者たる遊牧民支配者層の間では、氏族>言語という意識が強そうだが
トルコ人というくくりが“トルコ語人”という程度のザッパなもの
トルコ語は中世から長期間、草原地帯の共通語だった
血筋血統まではつかめんだろうね…
960 :
世界@名無史さん:2013/03/31(日) 15:09:00.15 0
ハンガリー人はアジア系だと言うことを嫌がるが、トルコ人はウィグルが故郷とか逆だな。
トルコ人の遺伝子はヒッタイトからギリシャ、ペルシャ、その他アナトリアそのものなんだが?
オスマントルコの後裔を自称してるだけなんだよなぁ
末端の国民は昔からいた人間なわけで、遺伝子的にはアナトリア人の子孫なんだろう
遺伝子だけで民族意識は形成できないという好例だよ
結局、中華に苛められた北匈奴がフン族となり白人をレイプしていったってこと?
つまりモンゴロイドの中でも落ちこぼれの集団にすら白人は適わなかったというわけ?
だからモンゴロイドとの接触激しい中央アジアの白人は繁栄出来ず(フン族は南下しなかったためイスラム圏はチンギスハンが来るまでは無事だった)、一番遠いヨーロッパが繁栄できた?
スキタイ人ですら東側では勢力維持出来なかったからなぁ。
>>962 中華もそう誉められたわけではない
匈奴にはずっとヤられっぱなしだった
内部抗争につけこんで分裂を誘い、ようやく追い出した
匈奴は戦闘に勝ったが政治に敗れたってところだな
>>960 イランは中東の中で異質だよ、文化的にも血統的にも。
アナトリアから中央アジア東部で多く見られる遺伝子が幾つも分布するのは
トルコ人が何波にも渡ってアナトリアを征服したからだろうね
>>963 匈奴は敗戦が続いて内紛を起こしたのだよ
死傷者や馬・家畜の損失が重なり、略奪による利益が途絶えれば
必然的に内紛が起こる
遊牧系スキタイよりも農耕系スキタイのほうが興味深い。
何故なら彼らはその後10世紀ほどを経て歴史に「スラヴ人」として登場し、欧州最大の語派(民族ではない)を形成しているから。
このミステリー性がおもしろい。
フンの傍系子孫突厥が西域の都市居住農耕民を支配したのと同様
スキタイの中核氏族も原スラブ人を農民スキタイとして隷属させた。
匈奴は代替わりにつれて単于の権力が分裂した一方で
漢は一貫して皇帝の専制的な権力を維持できた
969 :
世界@名無史さん:2013/04/01(月) 00:14:32.03 0
お前さんはスキタイネタが好きなんだなー
鹿児島大院生
................↓
>>968 遊牧民は代が下るごとに牧地が分割されて相続される
じり貧なわけだな
都市と商業ネットワークから収税できる支那の方が安定性はあるのか…
ちなみに、中国の皇帝は一部の例外を除いてちっとも専制的ではない
背後にいる勢力(だいたい軍閥)が皇帝の勅を利用して政治を動かしている
遊牧民は上から順に一定資産を持って独立させるが
分ける家畜が無いときは剥き身でポイするのが通例とか聞いたけど。
中華皇帝のうち専制的で居られたのは宋、明の皇帝くらいじゃね
清は地方の権限が重過ぎたし、唐、漢はまだ中世的な封建制が色濃い。
>>962 武帝>>>>>>>匈奴=フン>>>>ゲルマン>>>>>>ローマ帝国
よーろっぱんが中国に勝ったのはせいぜいアヘン戦争以降の百数十年だけw
中国に何もかも敵わない劣等民族の集合体がヨーロッパのシロンボ
冒頓単于>>越えられない壁>>>高祖劉邦>>>>>韓信>>>>>項羽
そこは越えられない砂漠だろw
アッティラの配下なは白人がわんさかいたはずなんだが…
976 :
世界@名無史さん:2013/04/01(月) 14:09:27.41 0
アッティラは白人かも
978 :
世界@名無史さん:2013/04/01(月) 21:52:51.82 0
冒頓単于→破られた長城→高祖劉邦→超えられない股下→韓信→囲まれた四面楚歌→項羽
まあ、フンが匈奴の子孫といっても殆んど別もんだろうよ
子孫なのに別モンなのか、凄いな
981 :
世界@名無史さん:2013/04/02(火) 04:59:19.02 0
982 :
世界@名無史さん:2013/04/02(火) 14:29:31.93 0
というか中国も結局は永嘉の乱で南匈奴の末裔に滅ぼされてるやん
983 :
世界@名無史さん:2013/04/02(火) 22:22:29.21 0
ローマやシリアは被害にあってるけどササン朝ペルシャは被害にあってませんやん
ササン朝はフンを撃退はしたが結構荒らされてる
白いフン、つまりエフタルにはずいぶん押し込まれていたな
帝国をそこそこ長く維持した点ではエフタルはフンにかなり勝っているように見える
ナウシカはエフタルの子孫という設定だな
987 :
世界@名無史さん:2013/04/03(水) 11:22:06.40 0
匈奴すらあれだけ暴れて記述も多いのに言語不明とはいかに?
不明じゃなくトルコ系かモンゴル系のどちらか
989 :
世界@名無史さん:2013/04/03(水) 14:03:19.29 0
それを不明と言わないか?
犯人はモンゴル人かトルコ人か不明とか
990 :
世界@名無史さん:2013/04/03(水) 14:59:49.95 0
チュルク語の影響は極東シベリアまで影響してるんだな
ナバホ族と言語関係があるとされてるケット語すらチュルク語の借用語があるとか
>>989 ゴートやヴァンダル、フランクの言語は不明、なるほど。
>>990 というかテュルク語じたいが極北の森林の民の言語の系統だとどこかで読んだが
>>990 なもんでトルコのネヨウヨでも特に誇大妄想狂の酷い一派なんかは
アメリカの先住民すら同族認定してるようなのまで有ったりするんだなこれが
まぁトゥラン主義ってヤツにも実際は様々な派閥が有って
その中でももっとも拡大解釈の激しいごく一部の連中だけど
トルコ語は公用語化してたらしいから、別に支配地域をそのまま示すわけでもなかろ
どうも言語と民族は同一視され易い傾向にある
日本のように島国ならわかるが…
公用語になったんだから支配地域だろ
そういうわけでもない
公用語といって悪ければ共通語
日本人がイーアルサンの変形のイチニィサンを使ってるようなもの
別に支配されなくても使う
997 :
世界@名無史さん:2013/04/03(水) 23:42:06.30 0
チュルク語諸族はモンゴロイドがルーツか?
それがトカラ人やアーリア人の地域にいるからコーカソイド化したのか?
それともアーリア人がチュルク語化したのか?
ウズベキスタンのようにイラン人よりはるかにアーリア人遺伝子R1aが多いのは不思議
一部の単語が取り込まれた事と
公用語、共通語を同一視するのは新しい発想だね。
スペインの公用語はアラビア語←意味不明
マーケットランゲージ
取引で使う言語が草原地帯で公用語の“役割”を果たしたといっておこう
モンゴル語の単語にはトルコ語も多いよ
元々トルコ語話者の居るモンゴル高原をモンゴル化したのが
近世以降のモンゴルなんだから、そらそうよ
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