前回が落ちたようなので
2スレ目
今更だがあんまり接点ないよな
オーソドックスという事以外に
ワラキアがブルガリア帝国の一部だった時に遊んでいた事ぐらいか
3 :
世界@名無史さん:2012/06/30(土) 13:14:31.49 0
そもそもルーマニアができたのは近代だし
ヴラフ人の国
5 :
世界@名無史さん:2012/07/01(日) 15:24:15.64 0
ともかく国民の民度が最悪だった国
6 :
世界@名無史さん:2012/07/01(日) 16:18:57.18 0
一将功なりて万骨枯るという言葉があるが
弱兵どもを率いて戦線を推し進めたヨハネス・クルクアネスは真の名将と言える
9 :
世界@名無史さん:2012/07/04(水) 15:57:55.22 0
>>8 ベリサリウスは訓練された兵士と
蛮族兵があった
10 :
世界@名無史さん:2012/07/05(木) 21:01:08.50 0
ローマ帝国って黒人とか中東系民族で構成されてたから
ルーマニアなんて全く関係ない
11 :
世界@名無史さん:2012/07/05(木) 21:04:17.50 0
よって今のイタリア人はヒスパニアやゴート・フランクの流入した
民族なのでローマ人とは無関係
ローマ帝国はキリスト・ユダヤは迫害の対象だった
12 :
世界@名無史さん:2012/07/07(土) 19:06:08.38 0
>>10 しかしルーマニアもイタリアも
ロマンス語派
ルーマニア語は半分スラブだけど
13 :
世界@名無史さん:2012/07/07(土) 20:15:42.91 O
ダキアってルーマニア?
14 :
世界@名無史さん:2012/07/07(土) 20:43:11.18 0
南スラブ人と北スラブ人(ロシア、ウクライナ)は人種が違う
北は長身金髪碧眼のコーカソイドぽいけど
南はなんか中東のコーカソイドと混じってる感じ
15 :
世界@名無史さん:2012/07/08(日) 23:25:58.14 0
16 :
世界@名無史さん:2012/07/08(日) 23:45:48.21 0
ノルウェー王ハーラルはヴァリャーグ時代
イタリアの戦場で反目し合ってたギルギル(ゲオルギオス・マニアケス)
の讒言で投獄された事があるというが
実は税金横領が発覚したからであるとも言われる
しかしヴラフ人っていつも「またお前らか」みたいなタイミングで歴史に浮上するよな
>>10 ローマって言うか中部ラテンって、海路でのフェニキア植民と
トロイあたりから陸路での民族大移動の過程で土着先住と交わり続けながら西進を続けて
アルプス越えが面倒そうなんで南下した一群が土着と交わった結果でしょ
そんで腰を据えた一群もあったと
その西進でのルートがルーマニアなら、ルーマニア土着先住民の血を受け継ぐ者がいると考えたほうが自然
そういった事実がなきゃローマ以前の都市国家アルバ・ロンガはトロイの英雄が建てただとか
ロムルスレムスの母親がその国の王女だとか、そんな伝説なんぞ出てこないと思うがね
19 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 22:42:02.49 0
東欧のプロイセンと美しい国の戦績
オングロスの戦い
ブルガリアより多くの兵力をつぎ込んだにもかかわらず
木造砦を落とせず大敗、ブルガリアの建国を認める
なお、アラブ人にコンスタンティノープルを包囲された時には
ブルガリアに多額の貢納金を支払いアラブ人を追い払ってもらった
ヴァルビリチア峠の戦い
プリスカを焼き払って帰る途中
逃げ道を完全に封鎖され
「鳥でも逃げられない」と情けない事を言いながらブルガリアに虐殺される
ヴェルシニキアの戦い
ブルガリアの十倍の兵力を有しながら
な ぜ か 勝 て な い
アケロオスの戦い ペガエの戦い
シメオンに完全敗北し事実上降伏
ハンガリー人に金を払って攻撃してもらったが
そ れ で も 勝 て な い
サムイルの反乱
当時辺縁だった西部ブルガリアから挙兵したサムイルに
東部ブルガリアを奪還され、さらにトラキア、マケドニア、北ギリシャまで
占領され、これを鎮圧するのに数十年かかる
なお盲目となった捕虜を見たサムイルが卒倒して死んだという話は
後世の創作である
20 :
世界@名無史さん:2012/07/22(日) 02:21:30.66 0
ルーマニア人がトラヤヌスやローマを讃えるのって
アイヌ人が坂上田村麻呂を讃えるようなもん
そこは東北人にしとこーよ
ローマ支配は結構長くて血統文化に影響受けたろうし
支配の終わりにしてもローマ支配を覆してダキア王国復活、なんてノリではない
東北人はワカタケル大王支配下の関東機内甲信からの移民者の子孫で
アテルイのころの住民とはあまり関係ない
そしてワカタケル大王の勢力外だった
陸奥出羽にはアイヌ語地名が多いことから
アテルイのころは住民はアイヌ人で間違いない
ルーマニアは東欧各国のなかでも一番領土欲を満たした国だろう
トランシルバニア領有ははっきり言って僥倖というものだ
>>22 ダキア人とルーマニア人はアイヌ人と東北人よりも近いとは言い難いように思う
ダキア人 → トランシルバニア人
ゲタイ&イラン系ロクソラン族 → ワラキア人&モルダビア人
イラン系スキタイ → ドブロジャ人
ダキア人って、トラヤヌスによる反乱鎮圧のあと当地から追放された連中とは別物なの?
それとも実態では、そんなに追放されてはいないのかい?
ルーマニア人のDNA調べれば分かりそうなんだけどね
28 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 21:31:22.20 0
ルーマニアがスラブ語を消そうとしたのは
ロシア嫌いだったから?
29 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 15:05:29.05 0
東ローマ帝国は様々な民族を兵士として雇った
フィン人スラヴ人アルメニア人トルコ人アラニエ人ノルマン人
だけどヴラフ人て傭兵でいたか?
いたよ
31 :
世界@名無史さん:2012/07/30(月) 08:58:59.70 0
毎回毎回ブルガリアに城や町を占領されまくりなんだよ
コンスタンティノープル以外まともな防御施設がないのか
弱兵揃なのか
民兵の弱さにはベリサリウス将軍も手を焼いていたらしいな
33 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 06:16:08.07 0
ベリサリウスのころはまだフン族が軍隊にいたらしいな
さらにいえばゲルマン系の民族もいた
34 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 13:42:30.92 0
アラブ人との戦いでも同盟国のハザール国や
クルド人兵士頼みだったものなあ
あとアルメニアを盾扱いにしている
今は科学と工業技術がある所の軍が強いだろうが
昔のように矢の打ちあいや槍の付き合いや殴り合いが主な時代だと
下手に文明をもつとやはり弱体化するんだろうな
35 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 13:45:14.02 0
アラブ人もアッバース朝のような大帝国の時代になると弱体化して
トルコモンゴルの傭兵を使うようになった
昔ながらの生活をするベドウィンはそうでもないようだが
36 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 13:47:50.68 0
トルコ人でさえも
オスマンと東欧諸国との戦いを見るに、
相手より多くの兵力を出してるにもかかわらず
相手より多く流血している事が多いし
一人当たりの戦闘力は遊牧時代より落ちてるんじゃないかと思える。
ラテン人を虐殺するコンスタンティノープルの民衆がとても
教育程度が高く理知的な人間とも文化程度が高い人間とも思えないがな
いや向こうも十二分に野蛮なんだからしかたなしだろう
それに残虐性と文化性は共存するよ
39 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 20:18:59.33 0
もしかしたら第四回十字軍の時って
軍事力以外でも
西欧>>ビザンツ
だったのかもね
まずは軍事力、その次に建築技術などが追いついたと
ビザンツなんて使うな
イブン・バットゥータも法律やらなにやら文明的な所の人間は
そうでないベドウィンに比べて身を守る術に劣るみたいな事書いてたな
はっきり言って十字軍時代は軍事制度とか装備以前の問題だ
兵隊の素質、いやもはや国民性まで腐っていたのか
壁の穴から覗き見してきた従軍僧一人に恐怖して全軍逃亡したんだからかな
>>39 建築の類はアルメニア人にやらせてた
そりゃおいこされるわ
44 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 20:38:19.04 0
ギリシア・ローマ時代からの伝統をうたっていたが、
結局長く続けば腐っていくことは必然なんだよな
兵隊の弱体化は古代の東西分裂前から
移動してきたゲルマン民族に負けたり
ゲルマン人を兵隊にしていた時から始まっていた
ギリシャの持てる武器とは刀剣ではない。機織り機だ
私は指が十本あるが、そなたらは舌が10枚はあるな 突厥
サクソン人は平和よりも戦いを好む、我々の間ではローマ人とは惰弱な人間を意味する 司祭
ギリシャの持てる武器とは刀剣ではない。機織り機だ ノルマン人
>>43 東ローマ帝国=ギリシャ人ではないからだろうね。
愛国的で有名なマウリキオスとヘラクレイオス1世、ニケフォロス2世、
ロマノス4世とかはカッパドキア出身の皇帝。
カッパドキアは支配層がイラン系で住民の多くがアルメニア人だった。
マンジケルトでの敗因の一つは、ギリシャ人とアルメニア人の対立であった。
ギリシャ語が母語は当然として(でなければ出世できない)
イラン語アルメニア語ができたのはいるんだろうか
クリミアのイタリア商人(ヴェネチア人とジェノヴァ人)が残した史料には
「ウイグル語(おそらくウイグル文字で記されたタタール語)の読めるギリシャ人女性」
について言及されているものがあるそうだ。
アルメニア人兵士を評価しているくせに
アルメニア人に暴動起こされているニケフォロス
52 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 20:46:21.11 0
バルカン(という名前は当時なかったが)で働く役人はスラブ語が必須だったろうな
53 :
世界@名無史さん:2012/08/31(金) 19:54:12.03 0
アルメニアの弓兵は重宝されたが
アルメニア人は反ローマ反ギリシャ感情が結構高く
扱いづらくもあった
54 :
世界@名無史さん:2012/09/09(日) 01:40:38.66 0
突厥にぼこられ続けた馬鹿な国があるらしい
55 :
世界@名無史さん:2012/09/12(水) 04:43:05.79 0
レイプ事件が騒ぎになった国があるらしい
56 :
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 01:36:58.16 P
57 :
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 04:38:40.46 0
この時代ののギリシャ人はアラブやブルガリアといった戦意のある敵兵との戦いには
てんで弱いのに
ラテン人の一般市民に対しては虐殺働くからいやになる
58 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 18:22:52.23 0
>>56は捏造
当初)
アイ○ックの陰謀にハメられた 美しい大和撫子の精神を持った日本人女性が
世界最悪の鬼畜に 体じゅうのすべてを 犯されに犯され 凄惨な最期を遂げた。
実際)
白タクによる強盗致死事件
ゆる○わ ニコ兄貴に胸キュン☆
ニコ兄貴が 興味があったのは...ゆる○わの カラダではなくて スマホだった...
ルーマニア殺人犯、過去に起こした事件は全て予算不足を理由にDNA鑑定されず釈放されていた。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1347254561 31 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/10(月) 23:39:03.70 ID:fjmtgwXx0
ものすごい風化速度
33 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/11(火) 06:20:10.24 ID:aShqVIRX0
>>31 「上着と手からDNA」と公式発表されたのが大きいよ。
唯の強盗致死事件だと気づけば、急速にさめちまうし。
邪推アフィブログ涙目。
59 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 19:27:07.58 0
>>57 ギリシャ人と言うよりは
ギリシャ語話者のローマ人だな
60 :
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 22:24:34.51 0
ブルガリア兵一人=帝国兵百人
ぐらい差があるな
61 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 16:10:35.86 0
ラテン人じゃないのに
例の法律のせいで
自分たちはローマ人なのだと思ってしまったのが間違いなんだよ
62 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 20:17:25.99 O
>>61 ローマ意識を捨てるチャンスはなかったんかね?
63 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 03:52:49.78 0
>>62 近代まで存続していたら
ルネサンスとロマン主義との影響で古代ギリシャへの意識が強くなり
おそらくローマ人もいなくなり
帝政も革命騒ぎでなくなり
ギリシャ共和国が誕生していただろう
64 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 20:31:42.74 0
そのギリシャ帝国なりギリシャ共和国と
俺たちの世界のギリシャ共和国では
名前はしらんが全く別の国家だろうな。
オスマン帝国の内に入っていない事になるから
そうだろうな
66 :
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 00:24:28.68 O
首都はミストラスかな。
何にせよ、西欧色の強い国にはならざるをえないだろう
帝国が生き残るには最低でもブルガリアより南の十字軍国家を全部
平らげてタウロス山脈より西のアナトリアを取り戻さないといけない
そうするとやはり首都は
大体中央になるコンスタンティノープルがいいと思う
68 :
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 22:39:29.13 O
コンスタンティノポリスのままなら
意識改革まで出来なさそうな気がして…
>>68 出来ると思うよ
日本のように地方から近代化=ルネサンス、古代共和制復古の動きがくる可能性もある
現に熱心党はテッサロニキで起こった
近代化しないと生き残れない=ルネサンス、古代復古=帝政否定
となっていくと思う
神聖ローマ帝国も末期の方はほとんどローマの名も意識も形骸化していた
東帝国も似たような事になるだろう
中世の意識のまま近代まで行きつくなんてのはあり得ない
改革して近代化しないと近隣諸国に併合される
だが近代化すればするほど帝政とローマ否定の動きは強くなる
脱皮みたいなもんだ
生き残るには帝政のという皮をはがなければいけない
史実ではそれができず併合された
異民族に支配されてもされなくても
ギリシャで帝政が生き残ることはないしローマの名も廃止されるだろうが
帝政崩壊よりは
自分たちで廃止したほうがよろしいと思う
72 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 01:27:26.06 O
@東ローマがミストラスに遷都して国名をギリシア帝国に変えるか、
Aギリシアの地方大名がギリシアを統一してギリシア王国を打ち立てるか
73 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 20:18:35.53 O
モレアスが独立→ギリシア帝国
が一番スムーズではないかと。
一からやり直す必要ないし。
近代化することはあっても王国だの帝国だのがギリシャで
現代まで続くことはない
伝統主義と近代主義の合体事故で選挙でプリンケプス・インペラトルを決めることに
ルネサンスという古代ギリシャの共和制と科学を再発見して
ヨーロッパの近代が始まるが
ルネサンスによって近代化と古代への憧憬が深くなると
帝政とローマの名がいまいましいものとなってしまうだろう
史実のギリシャ王が選挙で追放されのとおなじように
帝政も生きることはできない
江戸幕府なくなるようなものか
78 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 19:51:35.23 O
ルネサンスのスローガンは「古代の復興」だが、
東ローマは古代ローマの生き残りだからな。
あ、けど東ローマでは「ギリシア・ローマの正統後継者」とか言いながら
ギリシアはアレクサンドロス、ローマは帝政期しか認めてなかったし…
オスマンを退けた後、どのようにルネサンスを行うのやら
79 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 22:46:38.81 O
ニコポリスじゃ遅すぎた
80 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 00:02:58.07 0
そんなことよりマニアケスの首でサッカーするぞ
81 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 01:49:11.69 0
アラブやブルガリアにみかじめ料献上して
トルコ人に土地献上してほろんだ馬鹿な国
82 :
エゥーゴ ◆C5p8guYtTw :2012/10/22(月) 22:21:42.50 0
どうやったらオスマンをバルカンから駆逐できたか考えようや。
オスマンこそがバルカンなのでそれは無理。
アナトリアからオスマンを駆逐する方法ならばある。
84 :
世界@名無史さん:2012/10/28(日) 18:36:02.50 0
ブルガリアに負けている帝国軍がそんな事をやるのは無理
85 :
世界@名無史さん:2012/10/28(日) 18:45:54.21 0
フランス人とイタリア人に国を譲り渡してフランス人とイタリア人の移民を募って
軍勢を集めればいい
86 :
世界@名無史さん:2012/11/04(日) 00:00:37.48 0
帝国軍と古代のスパルタマケドニアが戦えば
余裕で古代の方が勝ちそう
ヴラド・ドラクルってトランシルヴァニアの大公だと思ってたらワラキアだったんだな
88 :
世界@名無史さん:2012/11/10(土) 06:58:45.09 0
ルーマニア人は古代ローマ人の子孫を自称してるが近代まではキリル文字を使ってたんだよね
それに現代のルーマニア語は意図的にスラブ系の語彙を排除してったんだよね。
確かに周りがスラブ系の国ばかりだし割と自然な事だが近代になり西欧から国民国家の概念が輸入されると
共に民族意識統一の為にこういう事をしたのであろうか?しかし何故にローマ?ルーマニアの国名自体がローマ由来だが
ナショナリズムを煽るなら古ダキア人の方が良かったのでは?
ダキア語残ってないからなあ
スラブ要素入っているといってもスラブそのものとはなれず、ラテン要素が
残ってるならそれを核に結集ということでない?
90 :
世界@名無史さん:2012/11/10(土) 18:35:52.56 0
微妙にローマの要素が残ってるからか
しかし遺伝的にもスラブ人の影響が強いよね。
なぜスラブの国としてではなくラテンの国としてまとめようとしたのか?
自他共にスラブ人ではないヴラフ人と認識してたからしょうがないんじゃない?
92 :
世界@名無史さん:2012/11/11(日) 02:29:13.41 O
ブラフ人ってラテン語身につけたダキア人か?
>>92 中世では「なんかロマンス系の言葉喋ってる山の羊飼いども」ぐらいのニュアンスだろう。
>>90 当時はロシアをはじめとしたスラブ諸族よりも
フランスイタリアのようなラテン世界の方が発展してたから
>>88 ダキアだとトランシルヴァニアだけになってしまう。
ワラキア&モルダビアはローマ時代にサルマティアだった。
96 :
世界@名無史さん:2012/11/18(日) 23:41:48.37 O
第一次大戦のときのルーマニアの無様っぷりってなんなんですか。
日和見してロシアが勝つと思って参戦したらドイツ・オーストリア軍にぼこられて
てめーは外から見てろって中立に。でロシア革命の混乱を好機と見てモルドバゲット。
で認められて勝ち組。
>>87 トランシルヴァニア在住は小説のドラキュラ伯爵のほうですね。
ルーマニアはスラブかといったら
そうだともいえない
100 :
世界@名無史さん:2012/11/21(水) 18:23:06.90 O
まわりからの差別化も当然あるでしょう。
スラブ人であるという自意識を持っていたら周囲のスラブ人の一部に
なってたかもしれんね
たぶん同化した元ラテン語話者もいたでしょう
ブルガリアあたりでビザンツ帝国軍と戦ったヴラフ人の首長に
「ドブロミル」というスラヴ人っぽい名前のが実際いた。
ローマ帝国と言え
スラブは吸収力が高いからね
モスクワだって元はスラブの土地じゃなかったし
リトアニアもほぼスラブ化した
ブルガリア
スラブ語にならなかった時点で大したもの
>>102 ウラディミールとかはワリヤーグやゴート族に由来するゲルマン系の名前
ウラジーミルは元々スラヴ語で「世界征服者」では?
東ローマ帝国のヨーロッパ側の支配について
建前上領地とあるが
現地のスラブ人から徴税徴兵出来ていたのだろうか
ブルガリアは重税を課せられたことはよく知られているが
セルビアやギリシャの山奥に住んでるスラブ人は実質野放し状態?
110 :
世界@名無史さん:2012/12/23(日) 03:20:12.60 0
ブルガリアに圧倒的な兵力差で負け
アラブとも大抵兵力で上回っているのに負け
セルジュークにあっという間にアナトリアをとられ
第3回十字軍が一撃で取り戻したイコニウムを何度出兵しても取り戻せず
第4回十字軍には壁穴から覗き込んだ従軍僧一人にビビって全軍が逃走
ノルマン人にはギリシャ人が持てる武器は生糸と裁縫道具だけと言われた
ニケフォロス2世はアルメニアやフィンのような外国人傭兵を使った
どうしてこの時代の兵士は弱いのか
111 :
世界@名無史さん:2013/01/28(月) 21:37:21.65 0
確かに不思議なぐらいの弱さだ
皇帝はトリューニヒトのように安全な所に閉じこもってないで
新征している者が結構いる
それなのに弱い
ルーマニア人に「出身地はどこですか?」って聞いたら、
「いんくりーしゅ。」って答えたんですが、地図で見ても発見出来ませんでした。
正確な地名分かりますか?
他に聞いた情報は、
・ブカレストから400km離れてる。
・ブカレストの西側、ハンガリーの方。
しょーもない質問ですいませんが、よろしくお願いします。
>>112 in_クリシャナ かな?
ハンガリー国境線の東、アラドやオラデア辺りの地名。
>>113 どうもありがとうございます。
都市名じゃなくて地域名だったんですね。
115 :
世界@名無史さん:2013/04/13(土) 08:36:01.47 0
>>110 ノルマン人「ギリシャ人が持てる武器は生糸と織物機だけだ」
116 :
世界@名無史さん:2013/04/14(日) 11:50:50.05 0
ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン著
コンスタンティノープル征服記より
「この地(アナトリア)のアルメニア人はギリシャ人を憎んでいたため
われわれ(十字軍)に協力した」
行政能力
十字軍>>>>>>>>>>>>ギリシャ人
19世紀くらいだとロシアの貴族もフランス貴族に憧れてるんだな
ブルガリアあたりだとギリシャ文字に近いキリル文字
トルコとの対抗上親ロシア
トルコは脱アラブ、脱イスラムのため西欧文字採用
ソ連崩壊後もブルガリアやセルビアは親ロシアだもんな
ルーマニアは正教だが
都市にはドイツ人、農村にはハンガリー人が多い
バルカンよりは中央的要素も多いかも
118 :
世界@名無史さん:2013/04/21(日) 00:52:32.16 0
スラブ民族にもどうかされなかったアルバニア人てなにもの?
ハンガリー人はアジアンとヨーロピアンの混血民族だから最強なのよ
科学、芸術分野に多くの偉人を輩出
120 :
世界@名無史さん:2013/04/27(土) 20:11:23.35 0
アジアンて
マジャールとかせいぜいウラルあたりにいた民族だろ
そんなにアジアとかモンゴロイドがクソゴミで嫌なら、アジア的要素のあるハンガリーを好きにならなきゃいいのに。
そうすりゃ苦しまなくて済む。頭悪くねえか?
俺は逆に、先祖がアジア系の騎馬民族であるマジャール人はカッコいいと感じるんだが。
123 :
世界@名無史さん:2013/06/30(日) 23:56:51.99 0
現代のギリシャの脱税率は20%だそうだが
東ローマ帝国の徴税力と脱税捜査力と検挙率は現在のギリシャ政府より上だろうな
すさまじいまでの重税を課したため
コルフ島民など侵攻してきたノルマン人をコンスタンティノープルの圧政者からの
解放軍として歓迎したらしいし
124 :
世界@名無史さん:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN 0
で、何で東ローマ時代のギリシャ兵は弱いの?
あきらかに十字軍やスラブ人より武勇で劣っている
なんでだろうね
落命上等の野蛮さもなく、かといってそれを跳ね返すだけの洗練された組織的用兵もない
ってあたりかね
傭兵に任せっきりだからかな
財力によって多国籍軍を従えることが皇帝の美徳とされていたのは無視できないはず
弱いから傭兵にまかせっきりになったんでしょ。
少なくともアラブ人やブルガリア人との戦いでは
ギリシャ兵が多数参戦していた
そして負けていた
古代末期のローマ軍は何でゴート兵より弱くなってるのという疑問に通じる
ガリア戦記を信じるなら
そのころはガリア人より武勇に優れるローマ兵は多く出てきているのに
マケドニア朝の中期ぐらいまでのギリシャ人重装騎兵はそれなりに強かったぞ
ただ、その騎兵の供給源は農民階級だったが、その農民の土地が一部の富裕層に集中したため
一般の農民が貧農化していき、騎兵を供給・維持できなくなり、マケドニア朝後期ぐらいから急速に
弱体化してしまった
で、十字軍がおしよせる頃にはもう、ビザンツの自前の軍はもうボロボロになっていた
強かった?ニケフォロス・フォカスが優秀だっただけでは
現にニケフォロスがやヨハネス1世らが死んだあとの
シリア駐屯軍はファーティマ朝との戦いにまけてダマスカスを失っている
バシレイオスが直々に指揮する軍隊にも騎兵がいたのだろうが
それらはブルガリアに惨敗した
さらにフォカス家の重装騎兵を受け継いだろうスクレロスとフォカスの叛乱勢力も
キエフルーシの軍勢に負けている
マケドニアの中期も
セルビア人やアルメニア人に戦闘で大敗してんだよなぁ
アルメニア王国自体は謀略で滅ぼしたが
コムネノス家の皇帝は肌が黒いと言われていたそうだから
先祖は黒人だったんだろう
133 :
世界@名無史さん:2013/09/15(日) 17:23:43.03 0
敵より多く兵士を用意しても余裕で敗北
第4回十字軍の時には
壁にあいた穴から顔をのぞかせた従軍僧に恐れおののき
全軍撤退
こりゃ笑われるわ
軍事制度以前の問題
兵士に勇気がなさ過ぎる
134 :
世界@名無史さん:2013/09/15(日) 17:32:08.33 0
838年にアラブ人によるアモリオン攻撃前に行われた戦闘では
東ローマ側のクルド人兵士の部隊はアラブ人の軍を壊走させたが
アラブ側のトルコ人傭兵は東ローマ帝国本体のギリシャ兵を殲滅し
皇帝テオフィロスに死を覚悟させたほどだった
「アラブにもローマにもどちらの側にも名誉なき戦い」
エドワード・ギボン
135 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 13:14:56.27 0
意地悪な見方をすれば
ニケフォロス・フォカスの成功も
敵のアラブ勢力がアッバース朝の最盛期と違って
分裂していたからともいえる
つまり自分が強くなったからではなく
相手が弱くなったから
ローマの進んだ技術、建築とか水道とかはローマが滅んで
失われたって言うけどビザンツには受け継がれなかったの?
自称ローマな訳だし受け継がないのは変だと思うんだけど
ビザンツは旧ローマ領奪回には熱心じゃなかったもの
例外はユスティニアヌス帝ぐらい
せめてローマ含むイタリア半島だけでも維持できてればなぁ
ローマ帝国の後継国なのに肝心のローマを領有できないとは何とも恰好がつかない
占領維持する国力が無かったのだろうから仕方ないんだけど
ユスティニアヌス1世以外でイタリア全土を奪回する可能性が
あったのは、ヘラクレイオスとその後継者だけだと思う。
ヘラクレイオスはササン朝と対決する事を諦めてカルタゴに
遷都しようとした事があった。もしそうしていたのならば、
新帝国は西地中海で勢力拡大をせざるえないだろうから、
カルタゴからイタリア全土を征服する事もありえただろう。
そして、その後ササン朝かアラブ軍によりカルタゴが陥落
する事になったのならば、再びローマが帝都に返り咲く事に
なったかもしれない。
つーか建築や水道橋ならビザンツやその後でも結構受け継がれてね?
トルコの水道橋も最初はローマ時代に作られたが今残ってる大半は
オスマン製だったり、なんてこともあるようだし
>>137 11世紀半ばまでは南伊は維持していた。
12世紀にも、マヌエル1世がイタリアで戦略を展開している。
バシレイオス2世の次が名君だったり、
マヌエル1世がミュリオケファロンの戦いで挫折しなければ
いずれローマ奪還を目指した可能性は考えられる。
ユスティニアヌス1世に憧れたマヌエル1世のイタリア遠征は、
ルーム・セルジューク朝に足場固めの時間を与える事になった。
マヌエル1世がバシレイオス2世に憧れて「ブルガリア人殺し」のように
「トルコ人殺し」と呼ばれるくらい対トルコ戦に専念していたのならば、
ビザンツはイタリアではなくアナトリアを奪回出来たはず。
ビザンツなどという
西欧の歴史家がローマと認めないためにでっち上げた名前を使うな
>>140 マヌエルじゃ無理
あれの失敗はミュリオケファロンだけじゃない。
それ以前の、シチリアでもシリアでも負けている
その程度の能力だった
南イタリアを維持してたといっても
絶えずアラブ人と戦争していた
最終的にアラブ人にとられるシチリアももちろん
南イタリアもアラブや神聖ローマ帝国との戦場となっていた
攻め込んでくる相手を駆逐できないのにどうして領土を広げることができようか
そもそもスロベニアを除く旧ユーゴスラビアやアルバニアにあたる部分を
どれだけ支配できていたのか
セルビアのあたりなどしょっちゅう反抗起きているし
徴税も徴兵もできてなかった
つまり支配できていなかったんじゃないの
ヘラクレイオスからロマノス4世までの東ローマは
アナトリアこそが本土でイタリアなんぞ不要
うん?歴代王朝はイタリア総督を置いて領土を維持しようとしたり
征服しようとしてたぞ
結局ノルマン人にポワされたが
セルビアも実効支配できていなかった
149 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 17:31:09.53 0
他民族に打ち勝った古代時代のレギオンや
チェコのヤン・ジェシカのような新たな戦術を生み出した
というような話をまるで聞かないんだよな
せいぜい「略奪し終えて帰ろうとする敵を襲え」(ニケフォロス・ウラノス)
ぐらいなものだし。しかもこれ、ブルガリアのクルムのぱくりっぽいし
所詮は異民族の個人的武勇をあてにしなければいけない国だ
ソフトもハードもない。
ゲルマン系やスラブ系の国にとって中世は停滞ではない成長の時代
(古代がまだ原始的だったと言う事だが)
この国の中世は停滞の時代だった
ギリシャ火でアラブ海軍やヴァイキングを撃退した
あの火炎ならイスラム教徒やヴェネツィアも使ってた
しかも思ったより使い勝手が悪いから
決定的な武器でもないし
ギリシャ火をもった艦隊がキエフルーシに負けることもあったしな
153 :
世界@名無史さん:2013/10/06(日) 23:53:27.78 0
ギリシャ火炎はハードウェア
154 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 01:29:24.20 0
アカデメイアの閉鎖はギリシャ人の劣化を更に推し進めた。
ギリシャ人は古代の科学を近代に発展させ、利用する事ができなかった。
スラブ人の侵入と破壊は古代ギリシャ文明にとどめを刺した
現代のギリシャにとって中世は紛れもなく停滞の時代だった
自然科学の分野で人材を輩出できていないと言うのがつらいな
科学と数学は国家発展の元だから
ブルガリア人より多くの兵力を出しているのに
大抵ブルガリアに負ける
158 :
我ら冒険DREAMER:2013/10/19(土) 20:02:05.18 O
>>154 それもユスティニアヌスだったよな、
何考えてるんだあいつは
まぁ、アレアレ・・・フェリペ2世なんかと同類で
勤勉、宗教護持、拡張主義 → 財政崩壊 のフラグをたててしまう残念な人でしょう
>>158 別にユスティニアヌス個人の思惑で閉鎖したわけじゃなく、当時の時代の流れが
「異教的なものは廃止」だったからだろ
仮にユスティニアヌスが閉鎖しなくても、その後の数代のうちに皇帝の誰かが
閉鎖したのは間違いない
161 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 21:11:32.70 0
先進国だったヴェネツィアかジェノヴァかシチリア王国に併合されるか
傀儡されていたほうが発展したろうね
162 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 21:33:24.70 O
>>161 いつそこらへんと逆転したのかな
マヌエル一世代には逆転しかけだったかな
164 :
世界@名無史さん:2013/10/19(土) 22:47:02.73 0
あん?1100年代にはもう逆転してるでしょ
財力でも技術力でも航海術でも
コムネノス朝は張り子の栄光だったわな
張り子でもあそこまで輝けたら大したものだけど
ただ第4次十字軍の顛末見る限り、限り無く東ローマが弱体化していてあの結果だったからなー
166 :
世界@名無史さん:2013/10/20(日) 00:27:39.37 0
壁からのぞいた従軍僧に驚いて全軍が逃げ出したのが
あの十字軍の最中だった
167 :
世界@名無史さん:2013/10/20(日) 00:52:08.06 O
>>164 西欧が始動したのがカール大帝のころとして、
短いうちに逆転されたもんだな
西欧が始動したのはカエサルのガリア平定後
東ローマ領はローマ征服以前からの先進地域
169 :
我ら冒険DREAMER:2013/10/20(日) 11:43:20.20 0
170 :
世界@名無史さん:2013/10/20(日) 12:55:51.94 0
こりゃ何らかのリニューアルが必要だったな。
簒奪者が現れて、
コンスタンティノポリスの政権を滅ぼし、
ギリシアに首都を移すとか。
171 :
世界@名無史さん:2013/10/20(日) 12:57:08.22 0
国名もローマ帝国からヘラス帝国とかに変えた方がいいな。
それならアレキサンドリアに首都を移してエジプト〜カルタゴの帝国にしたほうが長生きできたろう
シナイ半島のとこだけに兵力さくだけで済むし(西はたまに注意しとけばいい)、食料自給可で紅海航路も押さえられる
コンスタンティノポリス自体の守りは固かったが、三方面を常に気にしなきゃいけないのが厳しい設定だった
だったらそれで架空戦記でも書けば?
東ローマ帝国軍の主力が重騎兵で、騎兵に適した人材はバルカンや
アナトリアなど牧畜地域の出身者なので、エジプトとか先進地域だけ
では軍隊を維持しにくい。
中世エジプト諸王朝はマムルークとか外部に兵の供給を依存していた。
175 :
世界@名無史さん:2013/10/21(月) 22:22:57.20 0
コンスタンティノポリスという古代の人間がのこしたハードウェアに頼り切りの
中世帝国
176 :
世界@名無史さん:2013/10/22(火) 00:05:22.13 0
>>154 閉鎖されなかったとしても
その後に起きたスラブ人の移動によって崩壊していたでしょ
意外にもスラブの族長たちが哲学者に感銘をうけ、ルネサンスを必要としない平行世界が・・・
178 :
世界@名無史さん:2013/10/22(火) 07:37:14.12 0
ボリュステネスのビオンはおそらく古代のスラヴ人。
179 :
世界@名無史さん:2013/10/22(火) 16:06:00.39 0
ドーリア人は非ギリシャ人
180 :
世界@名無史さん:2013/10/22(火) 16:29:39.02 0
ギリシャ人は
大神ゼウスへの信仰を忘れて処女から生まれたとか言う怪しげなユダヤ人を
崇めたからだめになった
その前からもう既に駄目だった件
182 :
世界@名無史さん:2013/10/22(火) 17:51:48.70 0
だめじゃないだろ
ゲルマン人やスラブ人の侵入前は
ローマ支配下でも程度が高い所だった
弱兵
文化だとか科学だとか哲学以前に
弱兵になったのが一番悪い
遷都以来、弱兵じゃなかった時期ってあんのか?
いや、そうじゃなくて。
ギリシャ人の
アテネだとかマケドニアの全盛期はペルシャとも戦えるほど強兵だったのに
いつしかブルガリアに負けてばかりの弱兵になったのはなぜなのだろうかと
ローマ兵はなぜゴート族に負けるほど弱兵になったのか
>>186 東ローマの多数派はギリシャ語を話すトラキア人やフリギア人で
ラテン系のスペイン人やルーマニア人みたいなもの
トラキア人は凶暴で知られていたのに
トラキアもマケドニアとテッサリアもペルシャには割とあっさり帰順した。
スキタイやアテネとスパルタなどペルシャに激しく抵抗したのは少数派。
東ローマが1453年まで持ち堪えたのはアラブ人とトルコ人が異教徒だった
からだろうな。だたのアラブ帝国だったらもっと早くに東ローマは降伏
していたと思う。
ブルガリア王シメオンに事実上降伏したことがあったな
降伏反対派のクーデターとシメオンの死によって
おじゃんになったが
ブルガリアは近代の第一次世界大戦でも強兵だった
おおっと、調子こいて第一次世界大戦に参戦したにも関わらず、
ボロ負けの連続でロシアに多大な負担をかけ、
ロシア革命とともに降伏に追い込まれた某国の悪口はやめてもらおうか!
でも、連合国についたというだけで、外交的勝利を収めてるという理不尽。
194 :
世界@名無史さん:2013/10/23(水) 21:09:15.52 O
ユスティニアヌスは東ヨーロッパも西ヨーロッパも両方ダメにしてくれたな
フランク王国までユスティニアヌスに征服されてたら、
ヨーロッパは永久に浮上できなかったかも
あの戦争で被害を受けたとはいえ
イタリア半島が中世でも先進地となったのはさすがと言える
ギリシャに遷都すると言うならマニ半島がいい
あそこはオスマン帝国の侵攻を妨げて
事実上の自治を保っていたと言うぐらい
外敵の侵入を防ぎやすい
だが、東ゴート王国としての未来を見たかった気持ちもある
198 :
世界@名無史さん:2013/10/23(水) 22:17:14.25 0
>>195 でも南はだいぶ衰退してない?
おそらく被害が少なかったと思われる北から発展したイメージ
中世の少なくとも前半はボロボロだったはずだが>イタリア半島
ヴェネツィア、ジェノヴァ、ミラノ等も、半島部というよりその付け根の方だし
シチリア王国は北の諸都市をしのぐ先進国だった
シチリア王国はシャルル・ダンジューのころまで欧州の中では列強と言っても良いくらいに強かったのに
近世近代には見る影も無いほどに衰退してしまったな
西ゴートの最後の王ロデリックは裏切りでアラブ軍に敗れたとされるが、
裏切ったのはユスティニアヌスに派遣されスペイン南部を統治していたが
西ゴートに帰順した者の末裔らだった。
ユスティニアヌスはササン朝に対抗する為にエチオピアにイエメン遠征
をさせたが、ササン朝とエチオピアの抗争で疲弊したイエメンがマアリブ
ダムの維持を断念したので、多くの農民らが遊牧民化して後のイスラムの
大征服の原動力となったされる。
ナポリを忘れるとか死ね!
結局、ゴート戦争の荒廃は言うほどではなかったんじゃないかね。
イタリア半島が壊滅したというなら、中世の頃には
半島外の諸都市がもっと存在感があってもよさそうなものだが。
>>202 戦争を趣味でやるからな。
ところで、(史実のゴート戦争より小規模に)北を征服し、
スラブ人達に布教したりしてたらどうなっていただろう。
「古典古代の復興」は大切だけど、
「我こそはギリシア・ローマの正統な後継者である」という意識は捨てにゃかんのか。
206 :
世界@名無史さん:2013/10/23(水) 23:25:35.81 O
東ゴート王国はイタリアだけでなくパンノニアとイリュリアも支配していたので、
東ゴート軍が東ローマ軍と戦う為にイタリアに集結するとパンノニア等が無防備に
なってしまい、スラブ人らがパンノニアからイリュリアに南下して西から東ローマ
領に侵入し放題になってしまった。
ユスティニアヌスは東ゴート王国全土を征服しようせずに、アペニン山脈と
ルビコン川を国境に東ゴートと講和して、東ゴート王国自体は存続させて
引き続きバルカンの守りとすべきだった。
208 :
世界@名無史さん:2013/10/23(水) 23:41:51.31 0
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
自分を守ってくれていた者を莫大な資金を使って潰してしまう
似たようなことはアルメニアにも言える
1042年にアルメニア王国を滅ぼして領地は最大に達したが
セルジューク朝と領地を接してしまい
セルジューク朝の下のテュルク部族の襲撃を受けてしまうようになった
アルメニアはセルジュークからの防壁となっていた
>>205 そういやギリシアとローマの後継者を自任していたものの、
東ローマ帝国の正史では
ギリシアはアレクサンドロス時代、
ローマは帝政時代しか書いてなく、
ポリス時代は評価の対象じゃなかったとか。
史観の重視の問題だな
やはり、
「ローマとの決別」
「ポリス時代のギリシアの再評価」
のきっかけとしてはマニ半島への遷都は良かったかもしれない
後半になって財政状態悪くなったのも
産業競争力が西側に負けているから?
215 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 15:18:56.80 0
>>210 いや、前期東ローマ帝国の最大のライバルであるササン朝もそうでは。
疲弊させたことがアラブ人の拡大の原因となった。
アラブ人の拡大の原因はイエメンが疲弊して
マアリブダムを修理出来なくなったから
マホメットがさっさと死んでいれば・・
別な人間が似たような一神教完成させていた
ムハンマド以外にもライバルの預言者が複数いた
>>210 アルメニア人はアルメニア正教徒だが、ロマノス4世ら東ローマ側の
アルメニア人が自分達と同様にギリシャ正教に改宗する事を望んだ。
改宗したくないアルメニア人は、マンジケルトの戦いでセルジューク
側に参加して奮戦した。
221 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 18:36:58.00 O
>>219 いても、ユスティニアヌスがいなけりゃアラブ人は統一できなかったっぽい
222 :
結論:2013/10/26(土) 21:42:09.37 0
・ムハンマドがいても、東ローマの皇帝がまともな人間だったら
まずアラブ帝国は建設できなかった。
・ムハンマドが死んでも、ユスティニアヌスが皇帝だったら
アラブ帝国が建設されて、東ローマは崩壊するか、
しなくても領土を大量にとられる。
どうでもいいけど、ムハンマドの時代の東ローマ皇帝はユスティニアヌスではなく
ヘラクレイオスじゃね?
224 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 22:50:28.25 0
いや、ユスティニアヌスがいらんことするから
ササン朝が衰退して、その隙をついてアラブ人が拡大したってこと
ユスティニアヌスの関心は西のイタリア半島や北アフリカにあったから、
東方のササン朝とはむしろ妥協したんだが
エチオピアをけしかけてイエメン遠征させたのが云々って上で言ってないか
ならそれはアビシニアのせいであってユスティニアヌスのせいでは無いんじゃ。
漢武帝
ルイ14世
アウラングゼーブ
フィリペ2世
ユスティニアヌス
誰の所に住みたい?誰の後を継ぎたい?
ササン朝の国力が衰退していなくても
ハーリドには勝てなかったと思う
あれは化けものだ
十倍の兵力を出しても勝てないだろう
>>228 ルイ14世
いちばん、その後のやりようはあったと思うわ
ササン朝の衰退は、ホスロー2世のせいなような
フォーカス&ヘラクレイオスのクーデターで引くに引けなくなった、のかもしれんけど
ホスロー2世自身が東ローマの援助で王位を回復したぐらいなのだから、
東ローマとササン朝だと東ローマの方が大国だった。
アラブの侵略でササン朝は滅んでしまうが、東ローマは帝国本土である
アナトリアを守りぬいた。
シリアエジプトアフリカ持ってる時でもアラブに負けたのに
アナトリアバルカン南イタリアだけに弱体化してなんで守りきれたのかね
アナトリアにはイサウリア人やフリギア人、カッパドキア人など勇猛な民が
いたけど、エジプトやシリアは文明化し過ぎて兵に適した人材が少なかった
からではないのかな。
足手まといのシリアやエジプトを見捨てたから東ローマは生き延びた。
ベルベル人って戦力にならんかったんかな、屈強そうだけど
まつろわぬ民で難しかったんやろか
ベルベル人はヴァンダル族に抵抗して独立したので、
そのまま東ローマ統治時代も独立していた。
>>233 決戦じゃなくてゲリラ戦主体で戦線を構築し直したらしい
ヤルムーク川以前と以後で、捕虜の内訳が違うとか
アラブ軍は非戦闘員を捕虜にしているけど、東ローマはアラブ軍人限定だとか
>>220 ロマノス4世らにアルメニア人という意識はない
母語がギリシャ語で正教だから
自己同一性は母語で決まる
ササン朝が衰退してなくてもアラブ人の侵攻を防ぐことはできない
あの頃のアラブ人がハーリドをはじめ
政戦両面で神話の伝説的な人材が多すぎる
イギリスもロシアも追い出されたアフガニスタンを制覇したのもアラブ人だ
おそらくこのころのアラブ人に現代の武器を持たせたらイスラエルもつぶせる
その強さだってササン朝の衰退と関係があると考える方が自然では。
後金だって明が衰退して女真の地の権力が空白になった時に生まれたし。
ホスロー二世だったかの時代に、東ローマとの戦争に入れ込みすぎたために、
大河のメンテナンスをやらず、
そのために大氾濫が起こって帝国中枢のメソポタミアに大量の餓死者が出たらしい。
メソポタミアはアラブとも近いし、
こういった動きがアラブの勃興と関係が無いとはとても思えない。
アラブ大征服時にカナンに多くのユダヤ人いたら激しく抵抗しただろうな。
ローマがユダヤ人を追い払ってパレスチナを創建しなければ、アラブ人は
ヨルダン川を突破出来ず北アフリカに侵入出来なかったかもしれない。
かといってササン朝が強すぎたらそれはそれで東ローマにとっては迷惑だし、
どうにかならんもんかな。
>>241 メソポタミアで大氾濫が起こったってことは塩害による土地の衰退はこの時にある程度回復されたのかね?
現代でメソポタミアの農業がいまいちなのは塩害のせいだって言われるけど。
ギボンを読んでも
ホスロー1世が攻め込んできた理由がよくわからん
ゴート族の「我々がほろんだら、貴国が攻められるでしょう」と言ったのを
真に受けたわけではなかろうに
イラクは地味にアラブじゃなかったんだな
247 :
世界@名無史さん:2013/10/29(火) 21:59:41.78 0
>>244 バグダッドがアッバース朝の首都になっているということは、
そのころまでにある程度回復した?
>>244 アッバース朝時代に黒人奴隷を使ってイラク南部を再開発したけど、
「ザンジの乱」を奴隷を皆殺しにして鎮圧したので、耕す者がいなく
なって元の荒れ地に戻った。
249 :
世界@名無史さん:2013/10/29(火) 22:23:13.04 0
さらに、アルサケス朝とササン朝はローマ、東ローマと互角というイメーがあるが、
実際には人口はローマ側の数分の一で、
その上、人口や生産のほとんどがメソポタミアに集中してらしい。
つまりイラクか
その国力差で両朝がローマと対峙してたことを思うと
余力たっぷりなはずのローマが蛮族も制せなんだとは情けないのぉ
つぶそうとするには国力があるし
ガリア人ほど御しやすいものでもない
>>249 ササン朝滅亡までのイランはあまり文明化せずに尚武の気風を維持していたのだろうね。
ローマの方は帝政後期以降イタリア本国が軟弱化して、バルカン出身者や蛮族に軍事力を
依存するようになっていった。イランも中世イスラム時代に文明が発展して人口が増加
すると、軍事力をマムルークに依存するようになった。
254 :
世界@名無史さん:2013/10/29(火) 23:16:32.71 0
イランと言えば非常に文明が進んだイメージがあるが、
広いから地域差があったということでしょうか。
バクトリアやソグドなど貿易で豊かな都市部に対して
クルドやアフガンなど山岳牧畜民らは貧しい
ゆってもササン朝もエフタルを抑えきれずに貢納金はらって半従属状態になったりしてるからなぁ
ギボンが知らんかったのかは分からんが、ホスロー1世の親父の代から貢納金捻出のため東ローマに攻めだした
>>243 ササン朝はマウリキウス帝が助けなければパルティア以来の
名門ミフラーン家のバフラムによって滅んでいたはずだった。
ササン朝は滅びミフラーン朝パルティアが創建していたはず。
バフラムはヘラートを拠点に突厥と戦っていた武将なので
引き続き東方での勢力拡大を継続しただろうから、 東ローマが
ランゴバルトを滅ぼしてイタリア全土を奪い返す余裕も生じたはず。
対アラブに関しては、ミフラーン朝がイラクを放棄してイラン防衛に
専念する可能性が大なので、アラブは東へ勢力拡大出来ずに西に戦力
を集中する事になり全地中海沿岸がアラブ領となり、言うまでもなく
東ローマが7世紀中に滅亡したかもしれない。
ギリシャ領にとってはアラブ人に支配されていたほうがよかったかもしれん
中世初期にアラブ領となり
中世後期にフランス領かイタリア諸国のどれかに領有されるのがベスト
もしミフラーン朝だったのならば、ゾロアスター教が生き延びたかわりに
キリスト教が消滅したかもしれないわけだ。
シチリアこそアラブの恩恵を受けた所では
>>258 史実のイランと同様にアナトリアはイスラム化したかもしれないけど、
アラブ化しなかっただろうね。アラブ人はイラクやシリア、北アフリカ等
アラビアに近い気候の土地に入植した。
アラブに征服されてイラン人が軟弱化しないと、トルコ人がイラン経由で
アナトリアに侵入する事も不可能だっただろうね。
>>247 ミフラーン朝が成立してイランが激しく抵抗して、
アラブがイランを征服出来なかった場合は、当然
イランに隣接するイラクは危険だから、バグダッド
を建設して首都にしようとはしなかったはず。
アラブ帝国の首都にはシリアのダマスカス以外だと
おそらくエジプトのフスタートが選ばれただろうね。
コンスタンティノープルはアラブ人には寒過ぎて
嫌がられたと思う。
この東ローマ問題点は国力ではない
国力はまあある
アラブやブルガリアとの戦いでは相手より多くの兵力を出していることが多い
問題はそれでも勝てないことだ。
兵隊の質が悪すぎる
まあだから外国人兵士を頼みにしたんだが
アラブやブルガリアと戦ったアナトリア出身の兵達は、
東ローマ創建時にはバルカン出身者らに守られる側だった。
バルカンのスラブ化で守ってくれる者がいなくなったので、
アナトリアの連中は自ら戦わざるえなくなった。
かつてディオクレティアヌス帝は自ら配下のオリエント軍で
ササン朝と戦わずに、バルカン軍を率いる副帝ガレリウスに
ササン朝との戦争を丸投げした。この当時すでにアナトリア
などオリエントの軍は頼りにならなくなっていたようだ。
スラブ以前のバルカン住人ってイリュリア系だよな
ガタイのいいゲルマン傭兵とか騎射の巧みなテュルク系マムルークが強兵なのはわかるんだが、
イリュリア人てのはいったい何が強みだったんだろう
イリュリア人やトラキア人は世界最古の騎馬民族だったらしい。
まだ騎射戦術ではなく馬上から槍を投げつける戦術で、同世代の
フリギア人とドーリア人は戦車戦術のヒッタイトやミケナイを
滅ぼしたとされる。
ケルト人とゲルマン人は剣と盾を持った軽装歩兵が主力で騎兵は
少なかった。ゴート族とか東ゲルマンはサルマタイの戦術を模倣
して重槍騎兵が主力になっていた。
スラブ人も剣と盾を持った軽装歩兵が主力で、アバール族や
ブルガール族など騎馬民族の配下となって歩兵部隊を担当した。
イリュリア人がドーリア人をギリシャ南部へ追い払い、
トラキア人がバルカンからフリギア人をアナトリアへ
追い払ったとされるね。
イリュリア人とトラキア人はフン族みたいなものだった。
バルカン南端の7世紀ぐらいに東ローマに最征服されたギリシャも
もはや戦いが弱くなっていた
その後のブルガリアやノルマンの侵入には抵抗できず占領されたり虐殺されたりした
神聖ローマ帝国と東ローマ帝国は
イタリアで戦ったことがある
オットー1世とニケフォロス2世の時代である
ブルガリアはギリシャを何度も掠奪してるのに領有化は出来そうでできなかったな
領有化したのは十字軍だった
オングロスの戦い
ブルガリアより多くの兵力をつぎ込んだにもかかわらず
木造砦を落とせず大敗、ブルガリアの建国を認める
なお、アラブ人にコンスタンティノープルを包囲された時には
ブルガリアに多額の貢納金を支払いアラブ人を追い払ってもらった
ヴァルビリチア峠の戦い
プリスカを焼き払って帰る途中
逃げ道を完全に封鎖され
「鳥でも逃げられない」と情けない事を言いながらブルガリアに虐殺される
ヴェルシニキアの戦い
ブルガリアの十倍の兵力を有しながら
な ぜ か 勝 て な い
アケロオスの戦い ペガエの戦い
シメオンに完全敗北し事実上降伏
ハンガリー人に金を払って攻撃してもらったが
そ れ で も 勝 て な い
サムイルの反乱
当時辺縁だった西部ブルガリアから挙兵したサムイルに
東部ブルガリアを奪還され、さらにトラキア、マケドニア、北ギリシャまで
占領され、これを鎮圧するのに数十年かかる
なお盲目となった捕虜を見たサムイルが卒倒して死んだという話は
後世の創作である
275 :
世界@名無史さん:2013/11/04(月) 22:20:37.50 0
アラブ人がエジプトに侵入すると
エジプト人は東ローマからの圧政の解放者としてアラブ人を歓迎した
ノルマン人がコルフ島に侵入するとコルフ島は重税から逃れられるとノルマン人を歓迎した
十字軍が侵入するとアルメニア人は解放者として十字軍に味方した
ブルガリア人は何度も武装ほう起している
なぜこの国のギリシャ人は悪政と圧政しかできないのか
国力に比してデカすぎる首都(及びそれに付随する諸々)のせいじゃないかな
とはいえ、人口比からいえば西欧よりは確かに重い中央だが、西アジアとは大差ないかもしれん
ただの感覚論っす
277 :
世界@名無史さん:2013/11/04(月) 23:32:37.25 O
>>276 じゃ、やっぱりモネンバシアに遷都した方が良かったんでは
首都を移したとしても
そこがまたでかすぎる首都になるだけ
279 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 00:10:05.08 0
どうすれば規模縮小できるのか。
280 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 00:16:40.17 0
やっぱコンスタンティノポリスの肥大化と
兵隊の弱体化は関係ありそう
281 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 00:21:06.38 0
古代ギリシアとの差がありすぎ。
いいところがまるでない。
ただ、古代ギリシアの発展速度はすごすぎる。
前にも後にも、東にも西にもあれほどすごいところは存在しないな。
(ローマに併合されるまでには急速に劣化していたらしいが)
ヘロドトスによると
エジプトのおかげなんだと
イリュリア人たちはスラブ人の南下を防げなかったのだろうか
それより前のゴート族の侵攻は?
ユスティニアヌス帝の即位時
イリュリアは東ゴート領だった
ビザンツ帝国なんてチンギスハンに出てくるイサキオス2世とミカエル8世の名前しか知らん。気付いたらサラディンかシチリア王国に滅ぼされてるし
ゴート族が住み着いていたらどうなっていただろうか
287 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 16:37:50.40 0
ギリシャ人は軍神アレスをこけにしたため惰弱になった
一方軍神マルスを崇拝するラテン人は強盛になった
キリスト教徒の十字軍がアレスを崇拝しちゃダメだろw
289 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 17:27:18.46 0
古代の話だよ
マルスを崇拝したラテン人は地中海を制覇した
290 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 18:24:24.94 0
>>279 人が住める所が少ない場所に首都を作ればいい
山の中の盆地とか
291 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 20:13:25.18 0
ニケフォロス2世の功績も所詮は相手のアラブ人がいくつかの国に分裂したのと
傭兵であるフィンやスラブ兵士を活用したから
カタフラクトのような騎兵は昔からある
292 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 20:29:24.64 0
>>269 おそらく古代ギリシャ人とトラキア人は同祖だろう
南に向かっていったのがアカイア人やドーリア人
残ったのがトラキア人
東に向かったのがフリギア人
アナトリアにいた連中といえばフリギア人の末裔、あとトラキア系とおぼしきビティニア人の末裔、
それにガリア系のガラティア人の末裔あたり、これらの連中は兵としては役立たずだったのかな?
294 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 22:07:58.88 0
ギリシャ語化したんだろう
イコール役立たず化っすか、ひでぇなw
>>289 そのラテン人も、荒事を貧民に、そして蛮族に任すようになって、
最終的に蛮族の支配下に屈する事になったがなw
>>291 ニケフォロス2世らフォカス家はカッパドキアの名門軍事貴族、
カッパドキアはマウリキオスとヘラクレイオス、ロマノス4世など
英雄的であるが悲運の皇帝を輩出していた。
カッパドキアは他のアナトリアのようにギリシャ語化しておらず
住民の多くがアルメニア人だった。
マウリキオスやロマノス4世の無残な最後は、彼らがギリシャ人
ではなく民族的な憎悪も原因だったと思われる。
>>292 トラキア民族の本拠地はドナウ河以北のダキアだったらしく、
青銅器時代末期にドナウ河を超えて南下、フリギア人とかを
南方へ押し出していったとされる。
ギリシア語化 → 触れた者をすべて惰弱にさせる
なんてマジックアイテムなんだ!
漢民族化によく似ているな
301 :
世界@名無史さん:2013/11/06(水) 18:57:05.01 O
>>282 そのエジプトを、驚異的な速さで抜いてない?
302 :
世界@名無史さん:2013/11/06(水) 20:41:25.87 O
瞬時に師匠であるエジプトを抜き、
ペルシア帝国をも征服する…
しかしローマに征服されるころには
ローマ人に呆れられるくらいに低脳化&弱体化
303 :
世界@名無史さん:2013/11/07(木) 02:10:34.32 0
でものちに東ローマとして再び栄光の時代を迎える
さらにのちにはオスマントルコの支配下に...
>>301 抜いてないと思う
シリアだとかエジプトだとかヒッタイトとか
先行する文明があったから発展できた
だが古代のオリエントの天体学や建築を抜いたとは言えない。
十字軍国家になったこともある
いや、ローマ支配下の時はまだよかった
学問も盛んだった
傾いたのゴート族の攻撃とスラブ人の移住
さらに上の方で東ローマは圧政と重税をしいたとあるが
今のギリシャも東ローマの重税に苦しんだ所だよ
まだ十字軍国家のほうがよかったぐらいだ
307 :
世界@名無史さん:2013/11/08(金) 22:32:34.71 0
>>304 けどさ、
ギリシアがエジプトから本格的に文明を学んだのは
サイス朝代からで、それからの進歩は異常なほど。
日本なんて遣隋使始めてから何百年経っても
中国を抜く分野なんてほとんどなかったじゃん。
でもオリエントの帝国ほど
経済的な繁栄を達成した事あるか?
309 :
世界@名無史さん:2013/11/09(土) 16:03:46.11 O
>>308 もしかしたらほんのわずかな間だけ、
豊かになり、
それで急速に発展したとか?
早い時期にフェニキア文字からギリシャ文字を考え出せて
オリエントの先進地域の真似が出来た
後進の物は先進の物が十年考えてできたものをすぐにまねできる利点がある
ルーン文字を考え出したゴート族も
フン族の来襲がなければ
ウクライナの地で文明国になれたかもしれない
312 :
世界@名無史さん:2013/11/10(日) 18:52:04.23 0
バルカンとギリシャの地にスラブ人じゃなくゴート族が住み着いていたらどうなっていた
ゴート族はスラブ人のように数が多くなかったから、
バルカンはゲルマン化しなかったはず。
スペインの西ゴート王国みたいな国がバルカンに建国、
ブルガリアみたいに長期間東ローマの脅威になったけど、
ゴート族が西に向かわないので西ローマが滅亡しないはず。
314 :
世界@名無史さん:2013/11/10(日) 21:06:46.02 0
>>310 同じことは日本にも言えるが、
やはり中国を抜く分野など長い間ほとんどなかった。
ショートカットできるのは言うまでもないが、
やはりギリシャの進歩の速さは異常に思う。
中世初期のスラブ人の侵入から免れたギリシャの都市は
テッサロニキ コリントス アテネ とあとはどこがある?
316 :
世界@名無史さん:2013/11/11(月) 02:51:51.44 0
なんでスラブ人はギリシャ語化しなかったのか
数が多かったからかな?
ギリシャ語が保たれた地域は数が少なかったのかも
乾燥していてスラブ式農耕に不適だったのかもな
318 :
世界@名無史さん:2013/11/11(月) 03:53:46.86 0
エーゲ海の島に住みついたスラブ人はギリシャ語化してそう
アルバニア語が現存しているという事は、スラブ化したバルカン北部は
もともとギリシャ化もラテン化もしていなかったのかもしない。
西方だとブリタニアとバスクがラテン化していなかった。
ルーマニアよりも長期間ローマに支配されていたはずのに、アルバニア語
とかが現存しているのは謎だな。
バスクとウェールズは大西洋岸でローマからは裏側だけど、アルバニアは
イタリアの真正面でローマのギリシャ征服の足場になった土地だった。
アルバニアは山地だから
ギリシャ人もスラブ人もあまりたちいらなかったのでは
321 :
世界@名無史さん:2013/11/11(月) 19:58:18.83 0
貢物を持ってこさせればよしとして
実効支配をしていなかった
322 :
世界@名無史さん:2013/11/11(月) 20:26:20.76 0
ギリシャと山国アルバニアは別の国だし、スペインもカタロニアは手放したくないだろうが
山国バスクはさっさと独立させてもいいんじゃね?
歴代君主的には、バスク人君主がレコンキスタ成し遂げたんだけどな
324 :
世界@名無史さん:2013/11/11(月) 21:09:19.83 O
>>323 今のスペイン王室のルーツはバスク人のナバラ王国とアストゥリアス王国だったはず
325 :
世界@名無史さん:2013/11/11(月) 22:33:56.68 0
アストゥリアスはゴート人だったな
326 :
世界@名無史さん:2013/11/11(月) 22:46:26.26 O
>>325 いや、三代目くらいからは現地人が王になってる
今のスペイン王室のルーツはフランスだろ…
328 :
世界@名無史さん:2013/11/13(水) 20:46:55.05 O
スペイン王室自体の先祖がバスク
329 :
世界@名無史さん:2013/11/13(水) 21:14:54.45 0
>>328 何を以って先祖とするのか不明だが最初にスペインを一体として統治した狂女王フアナはイヴレーア家の庶流トラスタマラ家の人間だからルーツはフランク人だし
その息子で共同統治者のカルロス1世=皇帝カール5世は言うまでも無くドイツ系なんですが
母系を含めると
色々な人種が入ってくるから
先祖の系統を断定するのは意味ないと思うが
332 :
世界@名無史さん:2013/11/15(金) 01:45:38.42 0
ヒメノ→イブレア→ハプスブルク→ブルボン
で、バスク人の血は一応受け継がれてるんでは?
母系の先祖をたどっていったらアラビア人の血も入ってるかも知れんね
アンリ・ド・ナバール
>>332 ヒメノ家はゴート人の血を引いてるから
やはり原初的なスペイン王室のルーツは西ゴート人と言うべきではないかな
336 :
世界@名無史さん:2013/11/15(金) 12:23:04.91 O
スペインは西ゴート人のアストゥリアス王国、バスク人のナヴァラ王国とアラゴン王国、
フランク人のスペイン辺境伯領というそれぞれバラバラのルーツがあるのに
スペイン王室のルーツが○○人と断定するのは馬鹿げた話
強いて言えば現王室のブルボン朝のルーツであり、最初のスペイン王を出したトラスタマラ家のルーツでもあるフランスだと思うけど
338 :
世界@名無史さん:2013/11/15(金) 15:09:56.78 O
>>337 アストゥリアスは三代目あたりからバスク。
ペラーヨは本当に「君主」だったんかな?
アストゥリアスはガリシアでローマ化以前はケルト人居住地だったような
言うまでもなくケルト人の移住以前はバスク人ら先住民の土地だったはず
だから民族を特定するのは難しい
例えばグルジア王家のバグラト朝は元々アルメニア人の王家だったけど
アルメニアがセルジュークに征服されたのでグルジア王家として存続した
アストゥリアス王国3代目のアルフォンソ1世はカンタブリア人の首領
これはガロ・イベリア人かバスク人かはっきりしてないはず・・・カンタブリア州は現在も位置的に境界地だ
それ以前の伝説的な二代に関しては、本拠地が現アストゥリアス州だから在地民はガロ・イベリア人だろうね
ガロイベリア時代・ローマ時代・西ゴート時代を問わず、バスク人は例によって山岳の中で独自性を保ってんのな
>>338 アルフォンソ1世の妻ってペラーヨの娘じゃなかったっけ?
実質婿入りと違うん?
ペラギウスが実在したとしてその娘と結婚したのが事実なら
女系でゴートの血がはいってるな
もっとも欧州の貴族と言うのはどこもみんな混血児だからな
ルーマニア人はよく
あまり縁がないジグマリンゲン家の者を王に選べたものだ
344 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 02:19:24.06 0
>>341 アルフォンソ一世を「三代目」というのは違和感があるな。
西ゴート視点で見過ぎのような気がする。
345 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 02:29:16.71 0
バスク人は立派な民族かもしれないが、
フランスにくらべてひどく「遠回り」なような気がするのは気のせいか。
西ゴート王国がそのまま近代につながるのではなく、
小国の段階からやり直さなければならなかったと言うのは。
346 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 03:33:10.07 0
そもそもペラーヨなんて実在しない
>>344 カンタブリア公から見て二代目とすべきかね?
それとも実質的なアストゥリアスの初代とすべきかな?
レオン王国やイスラム諸国は後者で見ていたようだけど
>>345 イスラムの侵攻を受けたから仕方がない
それにバスクと西ゴートがどれだけ繋がりがあるのか疑問符がつくしね
実質的にはバスク国家がムスリム・アンダルスの衰退に乗じて勢力を拡大したようなものだし
まあ、バスク系と言っても、スペイン王は18世紀に、ナバラ王は14世紀に血統は断絶してるけど
イスラムの侵攻を受けた所はあまねく文明の光が与えられ
発展の恩恵を受けている
クレタ島だけでなくギリシャ本土も
コンスタンティノープルの無能な政府から解放されていれば
今頃は脱税率が25%超えて経済破綻なんて事にはならなかっただろう
349 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 08:31:21.75 O
東だけでなく、西ゴート滅亡にも東ローマが絡んでるな
ベリサリウスのおかげだな
351 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 08:44:20.03 O
こりゃやはりフランクが滅ぼされてたら
ヨーロッパは永久に後進地だな
352 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 09:59:06.03 O
ブルガール族の南下以降も
ドナウ川を越えてトルコ系民族のペチェネグやクマンが何度か掠奪的な攻撃をしてきたことは
あまり知られていないな
ブルガリアはコンスタンティノープルを占領できなかった
これはわかる
だがギリシャあたりも何度か攻め込んでいるのに領有できなかったのはなぜだ?
そもそも領有する気はなかったのか?
オスマンのように領有してからコンスタンティノープル攻めしたほうがよかったのに
355 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 11:42:01.28 O
>>347 西ゴートの軍人やローマ系官僚を受け入れていたりして
>>355 どれだけ受け入れてたんだろうな
レコンキスタの頃に西ゴートの後継者として振る舞うようになって法典とかかなり導入した形跡があるから
少なくともその頃までは西ゴートと関係のない発展を遂げていたと言えるから
西ゴート人が数多く流入していたとしても無意味だしなあ
秋田、青森、滋賀、鳥取
最弱候補
358 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 12:51:39.98 0
ゲルマンの諸王国、
特に東ゴート、西ゴート、フランクはローマ人を従え、
劣化版とはいえ、ローマの後継だっただろうに、
イタリア(半島部)とイベリアではその連続性が断たれたみたい。
これはデカいな。
>>356 ペラーヨの話も創作か、
過大に大きく取り上げたのかもしれん。
王というよりは「客人」程度の扱いだったのかも。
359 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 13:20:39.11 0
少年愛を好む民族だったんだね。
『西洋古典学事典』のダーキアの項目にも載っていた。
360 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 20:57:22.77 0
カスティーリャ伯というのもやはりバスク人だったのだろうか。
バスクはすごい民族だな、
「先住民」や「辺境の少数民族」というフレーズからは
送れた民族との認識が日本ではあるかもしれないが、
実は他のスペインの地域より経済的に発展していて豊からしいし。
361 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 21:17:35.93 0
>251
ローマが人口5000万と推測されているが、
アルシャク朝とササン朝は人口1000万程度だとよ。
あと、ササン朝が強かったらアラブの勃興も無かったというが、
よく考えたら東ローマはササン朝に滅ぼされる寸前だったわけで、
難しいところだな。
>>361 ずいぶん前のレスへの返答なので、一瞬なんだか分からんかったw
ぶっちゃけ、人口1000万といえど兵20〜30万くらい動員できると思うよカネさえあれば
東西交易でそれなりに国庫が潤う体制だったと思うから、対抗できてたんじゃないかな
帝政ローマが本気で総動員体制とってたらヤバかったと思うが、誰も得しないしねソレ
363 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 22:19:55.22 0
アルシャク朝とササン朝は兵力動員率は高そうだな。
364 :
世界@名無史さん:2013/11/17(日) 18:13:33.18 0
帝政ローマって領土の割には総兵力が少なかったイメージ
ガリア人やヌミディア人兵士で水増しできるから
>>361 ヘラクレイオスがカルタゴに遷都した場合は、
ホスロー2世対アブー=バクルになったはず。
おそらく東ローマとアラビアが対ササン朝で
同盟するだろうからササン朝が負けそうだな。
ペストはモンゴル軍経由でヨーロッパに広まったって話だけど、あれだけ猛威を奮ったペストが軍で流行ったらモンゴル軍でもヨーロッパまで行く前に壊滅してたんじゃないの?
368 :
世界@名無史さん:2013/11/19(火) 20:24:49.35 O
>>361 東ローマはローマの半分ぐらいで2千5百万から3千万人くらい。
ユスティニアヌス帝の頃からペストが大流行していたので、
ヘラクレイオス帝の頃には東ローマの人口はかなり減っていた。
うちエジプトで1000万人くらいだろ?
あそこ、なんで兵として使い物にならんのだろう・・・
ペストでエジプトの人口も同じく減少したので、
ヘラクレイオス帝の頃とかマムルーク朝末期には
エジプトは5百万人以下になった。
エジプトとか農業が盛んな地域は、言うまでもなく
騎兵に適した人材が少なかった。
エジプトは東ローマの支配に嫌気をさしてアラブ人を歓迎した
エジプトを拠点に皇帝になろうとしたり独立しようとした人物は
何人かいたけど、エジプトで入手出来る戦力では他の属州出身の
ライバル達に敵わなくてことごとく鎮圧されてしまった。
同じオリエントでもシリアならば対イラン用の大軍が入手出来た。
スーダン方面の黒人系戦士を使ってた人がいたような・・・
375 :
世界@名無史さん:2013/11/20(水) 23:57:11.33 O
>>373 エジプト人の国家って、
少なくともアケメネス朝以降は
一個もないんかな
アイユーブ朝からマムルーク朝に変わったあたりで、
上エジプトのほうでなんかゴニョゴニョしてたような・・・・
ササン朝が滅びる前にティグリス・ユーフラテス川の大洪水があってメソポタミアの農地が壊滅してた
対ヘラクリウス戦で修復もできなかった
ササン朝末期からアッバース朝創建まではイラクの衰退期だったようだ。
ウマイヤ朝は中東最大の領土だったけど、ユスティニアヌス帝の治世以来
ペストの流行が繰り返されてので、あれほどの広大な領土だけど総人口は
2千万から3千万人ぐらいだったらしい。
アッバース朝はホラサンのアブー・ムスリムを粛清してバグダッドを建設など
領土拡大から国内開発へ方針転換したようだ。
アブー・ムスリムが粛清されねば、東の唐では安禄山の乱の真っ最中だったから、
イスラム帝国の領土はウマイヤ朝よりもさらに東に拡大しただろけど、同時に
バグダッドを建設する事は不可能だったと思われる。
ぎゃふん
380 :
世界@名無史さん:2013/11/23(土) 22:16:06.56 O
マジャール人がコンスタンティノープル包囲したことあるか
ブルガリアが邪魔でマジャールは遠征出来なかった
東ローマ帝国時代の兵士は
カエサルが指揮しても勝てなさそう
スラブ人の移住によって
スラブの血が濃くなったため
1942年にヒトラーからスラブ人扱いされた
ギリシャとか言う国
>>384 やあ、こんにちは、西スラブの家系のヒトラー家のアドルフさん。
386 :
世界@名無史さん:2013/11/30(土) 12:05:14.83 O
>>274 ペリクレスやアレクサンドロスの時代と比べて
文武ともに劣化が半端ない
古代のギリシャ人も
向こうの文献が残ってないだけで
エジプトやペルシャやシリアに蛮族扱いされていた可能性もある
「海の民」は蛮族として恐れられた
そんなかで後世の東ローマの構成員に含まれていそうなのは、
アカイア人、リュキア人、ペリシテ人、チェケル人の末裔あたりかな
海洋民族ギリシャ人は今も健在。
近代にはギリシャ独立戦争でオスマン海軍を打ち破ったり、
バルカン戦争ではオスマン海軍をエーゲ海から叩きだして、
中東方面からの増援を阻止して戦争を決定づけたりしてる。
そして、現代においても世界有数の商戦保有数を誇る海運国家。
最近の経済危機で
造船大量キャンセルしたように
船もあまり動かせなくなったと聞いたが
中世のころはそのジェノヴァやヴェネツィアに航海シェアとられてた
>>390 科学と工業と知的産業が発達していないから
ヨーロッパでスペインとポーランドの次ぐらい長時間労働でも
経済破綻してるんだよ
軍事的にはアルメニアごとき小国に敗北を重ね
謀略をもって滅ぼしたと思ったら
セルジュークとの防壁となったアルメニアを滅ぼしたことにより
直接セルジュークから攻撃を受けた国がある
初期の東ローマ海軍は数で劣るアラブ海軍に敗北してエーゲ海の制海権を取られて
ギリシャ火炎を持った後でも無敵というわけではなく
アラブやヴェネツィア海軍に度々負けていた
名将といわれるヨハネス1世でもアルメニアの軍備にビビって退散したとか言うからな
397 :
世界@名無史さん:2013/12/08(日) 20:22:37.35 0
マケドニアの平原やタイゲトス山に住んだスラブ人はペルーンを祭る神殿の一つも造らなかったのだろうか
作ったとしても、破却したか、教会に改装しちゃったんじゃね?
小規模なアルメニア人虐殺が
この時代でも起きている
400 :
世界@名無史さん:2013/12/10(火) 23:02:33.50 O
401 :
世界@名無史さん:2013/12/13(金) 00:00:37.27 0
ギリシャ人のY-遺伝子
Eが一番多い
次がI
東大医学部の頭脳王がパルティアだって
古代ギリシャ人は
おそらくE1b1かJ
404 :
世界@名無史さん:2013/12/15(日) 00:09:23.04 0
古代はあるが中世がない
せいぜいサロニカの教会かアッティカの十字軍が築いた城ぐらい
観光に使われる歴史遺産のほとんどは古代の物と言う惨状
コンスタンティノープルに搾取されたり
スラヴ人の移住によって中世にはめぼしいものがない
ゲルマン諸国にとって中世は暗黒時代ではないが
この国にとって中世とはまさしく暗黒時代だ
405 :
世界@名無史さん:2013/12/15(日) 20:13:53.18 0
実は観光収入も観光客数もヨーロッパの中でさほど大きいとは言えない農業国ギリシャ
それは仕方ない、西欧の富裕国から遠すぎるもの
車で気軽にいける距離じゃなければ来訪客も何分の1かに減るさ
407 :
世界@名無史さん:2013/12/15(日) 20:36:23.56 0
西欧の富強国に行く観光客の数や観光収入自体でも負けているギリシャ
というかウクライナよりも観光客の数が少ないんだよ
408 :
世界@名無史さん:2013/12/15(日) 20:49:41.34 0
>>390 どうせ船員は賃金が安いトルコ人かアルバニア人だろ
工業力、科学力がないから昔の人間が作ったハードウェアに頼らざるを得ない
ソフトウェアを作れない現代ギリシャ人
ウクライナって、ヤルタとかオデッサあたりの黒海リゾートに来る旧ソ連圏からの旅行者が多いんでは
そんなにあなどれたもんでもないと思う
ギリシャはもう少し観光産業が盛んだと思ったけど
よく考えたら冬の地中海は観光しようもないんだよなあ
>>407 日本でも、奈良県の観光客数は年3000万人くらい、千葉県は年1億4000万人くらいだよ。
歴史遺産よりも、近場の海水浴場だよ。
最近観光庁外国人1000万とか言っているのを見て
他の産業で他国に負けてきているから
観光に力を入れているのかと思えてくる
>>412 記録するものがなかったから古代史はないが
ゲルマンそのものは古代から存在した
一応ゲルマン人は古代中世近代と右肩上がりに発展していっている
だがギリシャは
>>412 記録するものがなかったから古代史はないが
ゲルマンそのものは古代から存在した
一応ゲルマン人は古代中世近代と右肩上がりに発展していっている
だがギリシャは
>>41 記録するものがなかったから古代史はないが
ゲルマンそのものは古代から存在した
一応ゲルマン人は古代中世近代と右肩上がりに発展していっている
だがギリシャは
>>4 記録するものがなかったから古代史はないが
ゲルマンそのものは古代から存在した
一応ゲルマン人は古代中世近代と右肩上がりに発展していっている
だがギリシャは
地中海世界が5000年かけて蓄えたものを、1000年立ち直れないくらいに見事にブチ壊したくせに。
その残滓を啜るだけでも右肩上がりだよwwww
スラヴ世界も古代よりは中世のほうが発展している
スラブ世界に古代なんか無いだろ。
文字がなかったから
歴史記録がないだけで
スラブ人は古代から存在している。
何言ってるの?
スラブ圏には古代という時代区分が無いんだよ
古代のスラブはおそらくネウロイか農耕スキタイ
ザルヴィンツィ
427 :
世界@名無史さん:2013/12/18(水) 23:24:04.70 0
北方の東スラブ人はフィン系の子孫かもしれないらしい
原始的な生活をしていただろう古代のスラブ人も
中世になって王国を築いていたりしているから
進歩はしてるはわな
モスクワのあたりは、もともとメリャ族の居住地、ペテルブルクのあたりはイングリア族・ヴェスプ族の居住地。
いずれも、バルト・フィン系の言語の話者
スラブ諸語の子音の硬音・軟音の対立なんてウラル諸語の影響だ。フィンランド語やエストニア語ではゲルマン語の影響で
失ってしまっているが、バルト・フィン語でもカレリア語には残っているし、サモエド諸語やらコミ・ペルミャク語やらにも残っている。
430 :
世界@名無史さん:2013/12/19(木) 03:20:44.68 O
>>428 ギリシャ、すなわち東ローマから学んだわけだ
>>428 原始的な生活をしていたなら、そりゃ、原始時代だわなw
既に中世になってるところから支配者受け入れて開明化したら、古代すっ飛ばして中世だわな。
木造の小屋や木造の道路は造れたらしいから
原始時代ではない。
三内丸山遺跡って、結構でかい木造の物見櫓とか倉庫とか住居とか、丸太や割板を使った渡し板の痕跡とか
出てるんだけれど、縄文時代って原始時代じゃあなかったっけ?
ヴェルム氷期のユーラシア各地の高緯度地域で、精巧に加工したマンモスの象牙を柱や梁に使用した住居が
造られていたことが判ってる。同時期の木材の豊富な地域なら、同様に石器を用いて加工した住居を作っていた
はずなんだけれどねえ。似たような石器は低緯度地域でも出ている。
ネアンデルタール人と生存競争しながらマンモスを狩っていた時代は、原始時代違うん?
石器時代だから原始時代と一概に言えないわけで、ミノア文明の初期とかエジプト文明のナルメル王の時代とかは
まだ人為的に精錬した金属は使用されていなかった。
南スラブ人はハプロタイプIの比率が高い
>>430 今では逆の立場になっている
現代のギリシャで技術力を持った大企業て聞いた事ある?
最近のギリシャで発見された科学だとか工学だとかあまりきかんだろ
医薬品のほとんども自国生産できず
外国からの輸入に頼っている国だ
最近の経済危機では医薬品を払う金もないから
ツケで恵んでもらったそうだぞ
そうしないと国内の患者が死ぬから
・
自然科学分野のノーベル賞とフィールズ賞を受賞したギリシャ人の数
十字軍はアルメニア人の城砦の作り方に感銘を覚えて
本国で真似したり参考にした城を作った
だが東ローマからは何も学ぶものはなかった
アルメニア人はフランスの制度を優れたものと認め
明治時代の日本のように
外国の要素を取り入れた
だが東ローマの物を学ぼうとはしなかった
嫌いだった。昔から知っていたからという理由もあるだろうが
優れたものがなかったからだろう
439 :
世界@名無史さん:2013/12/25(水) 00:06:07.40 0
科学力と工業力だったら
今じゃルーマニアのほうが上だな
スラブ人
ブルガリア
ノルマン
コンスタンティノープル外の領地は何度もこれら外敵に占領されているが
民衆はこれら占領軍に反乱を起こしたりはしなかったんだろうか
441 :
世界@名無史さん:2013/12/31(火) 19:40:10.09 0
ブルガリア人に反抗したギリシャ人は聞いたことがないが
コンスタンティノープルで居住していたラテン人を虐殺したことと
十字軍に味方したアルメニア人を虐殺したことぐらいしか
武勇を発揮した話を聞かないね
442 :
世界@名無史さん:2013/12/31(火) 21:37:29.40 0
中世の中ごろですでに
東ローマ帝国は
技術でも産業でも社会制度でも後進的になっていたのか
ビザンツ世界も7-8世紀に暗黒時代といえる文化荒廃を経験してるから・・・
マケドニア朝時代にある程度回復したけど、最後まで以前の水準には戻せなかった
444 :
世界@名無史さん:2013/12/31(火) 22:44:46.89 0
衰退したのはギリシャ地区
トラキアやアナトリアはグルジアやアルメニアの亡命民が
多かったのでそれほどでもなかった
445 :
世界@名無史さん:2013/12/31(火) 22:51:54.67 0
アルメニアとグルジアを失い
アナトリアもセルジュークに取られたため
もはやコンスタンティノープルだけの事実上の都市国家になった
しかし西ヨーロッパは復興して、
さらには世界をリードして今に至ってるじゃん。
一度転落したのは同じなのに?
イタリアの存在
あそこは中世の分裂でも
高い文明があった
確か中南部イタリアはユスティニアヌスによって破壊されたんだったな。
でも、北イタリアに文明が残存したのは不思議ではある。
あと、ローマ帝国はイタリアに本拠地を置いていたので、
西側は北へ大きく食い込んでいるが、
東側は大して北に食い込んでいないことも原因かもしれない。
(東側ではドナウ川らへんまでしかフロンティアを拡大できていないから、
そこまでしか文明化できなかった。)
イタリアって対サラセンの最前線だったろ。
アルタヴィラ王朝のような、ローマとビザンツィンとイスラム圏のカイロ政権と等距離外交で
当時の先進地帯だったイスラム圏から文物の移入で栄えてたところもあったし。
東ローマといえ
ゴート戦争の被害は誇張されている
造船と水運という当時高度な技術がいる産業はつぶれていなかった
金融業があった
コンスタンティノープルから税を搾り取られるだけの存在だった
ギリシャが衰退するのは当たり前
十字軍国家が反乱ではなく外的に併合されて始めて
崩壊したのもそういった理由がある
コンスタンティノープルは搾り取るだけで
資本の蓄積も技術の発展もなかった
ただ古代の人間が作った城壁を頼りにしていただけだった
十字軍やオスマン帝国に併合されるのもしごく当然
454 :
世界@名無史さん:2014/01/02(木) 01:52:12.19 O
>>451 でもルネッサンスの都市は北の都市ばっかですよ
>>454 北部というか、フィレンツェの一強だろ。
456 :
世界@名無史さん:2014/01/03(金) 01:59:34.09 O
ルネッサンス
あービザンツが恋しいよ、オスマントルコが憎いよ
ビザンツ帝国スレがないし、東方正教スレもないし...
もし今もあればどんな感じになってたんかな
最近、帝都の東方がキナ臭くなってきたな。
キエフ公といいダマスカスのペルシア人といい荒れておるな
461 :
世界@名無史さん:2014/04/20(日) 13:21:03.66 0
東ローマ帝国時代のギリシャ人兵士はなぜ弱兵なのか
アラブ人襲来後の帝国本土とは
西アナトリアとトラキアに当たる
東アナトリアは違う。あそこは異民族が多すぎる
ローマ人って今でいう
何人にあたるの?
中東人?
イタリア中南部
東ローマのことを言っているのなら、初期をのぞいておおむね、ギリシャ人が中心でしょ
もちろん、その版図にはそれ以外にもさまざまな民族がいた
一人当たりGDPは
ハンザ同盟 フランス フランドル イタリア諸都市 シチリア王国に
負けていそう
467 :
世界@名無史さん:2014/04/23(水) 21:49:57.50 0
東アナトリアって何人が住んでいたんですか?
アルメニア人?
カッパドキアは住民の多くがアルメニア人で支配層がイラン系
ヘレニズム時代のカッパドキア王国の王家はアケメネス朝の分家
カッパドキア出身のヘラクレイオス朝はアルサケス朝の末裔
最後の、後になって作られた伝説みたいなもんでしょ
コムネノス家の先祖は黒人
言語がギリシャ化した
フリギア人
472 :
世界@名無史さん:2014/04/28(月) 18:27:09.00 0
金融でも造船でも農業でも工業でも
イタリア半島の諸国に負けた価値ない国
473 :
世界@名無史さん:2014/04/28(月) 22:02:23.18 O
古代みたいに都市国家になってたら良かったんじゃね?
イタリアもそうだし。
474 :
世界@名無史さん:2014/04/28(月) 23:23:03.86 0
コンスタンティノポリスにいちおう教皇はいるけど、
ギリシアやアナトリア西部はポリスに分かれてそれぞれ切磋琢磨するスタイル。
475 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 12:14:24.38 0
4回十字軍以降の分裂時代を見ても
もう終わっているとしか思えない状態に見える
ヨーロッパで銃を「効果的に」はじめてつかったのはフス派なんだってね
社会面ではイタリア諸国軍事面でも中欧に抜かれている
476 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 15:55:16.50 0
なんで中世時代の兵隊がうんこなのか
考察した歴史家はいないのか?
アラブにもブルガリアにも負けすぎ
勝ったのも傭兵のおかげだったり
アラブ人が分裂していたから
477 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 18:21:37.28 0
世界史スピードまとめ
@都市国家成立→A領土国家が拡張→B皇帝専制が進む→C地方半独立と軍の忠誠心劣化
→D異民族の侵入と反乱→E滅亡→この後は新大陸発見までA〜Eの繰り返し
近世以後はD、Eの代わりに「民主化・民営化・工業化・情報化」「社会主義革命」等を置く
478 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 19:13:21.89 O
「ギリシャ・ローマの正統後継者」を名乗るわりには、
先進的だったギリシャのポリス時代は切り捨てて
アレクサンドロス以降のみを“正史”
“我らの歴史”とする史観や
新しく出現した異民族を
古代の民族名で代替する姿勢からは
えらく硬直したものを感じる。
日本で例えると、
武家時代にならず、
ずっと朝廷支配のままみたいな。
切り捨てると言うよりは
重要視されてなかったのでは
480 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 21:13:48.90 O
「アレクサンドロスの遠征はキリスト教布教のため」
とか解釈しとりそうやな
481 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 21:42:01.60 O
>>479 アカデメイアも封鎖したしな
よく知らんが、ポリス時代の遺産を破壊した?
アカデメイアはともかく
遺産を破壊する暇はないでしょ
スラブ人が侵入してきたんだから
7〜8世紀の「暗黒時代」が、文化面(特に建築面)での転換期でしょ
この時点でローマ時代から継続されてきたノウハウやシステムは、一旦途切れたと見たほうがいい
後代に意匠が近似するものがあったとしても、それは連綿と続く職工間の技術継承に基づくものではない
484 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 23:06:40.35 O
>>483 フランスイタリアスペインの有名都市の多くがローマ都市なのに比べて
東ヨーロッパの都市は皆中世以降のばかり
485 :
世界@名無史さん:2014/04/30(水) 23:29:17.56 0
西ヨーロッパも中世にひどく遠回りをしたことは間違いないんだろうけど、
東の方は、被害は西以上に大きかったうえに、
不要なもの(帝国)だけ残ってしまったので・・・
>>478 >先進的だったギリシャのポリス時代は切り捨てて
東ローマの主流はギリシャ本土じゃないからだろうね
トラキアやフリギア、リディア、リキア、ポントスなど
東ローマ人の直系の先祖はどうゆう評価だったのだろう?
487 :
世界@名無史さん:2014/05/01(木) 20:14:39.89 O
>>486 それもあると思うが、
アレクサンドロスに比べて全く価値を感じてなかったのも事実と思う
いや、マケドニアの扱いはどうなんかな
古代でもアナトリアやシリアやエジプトのほうが先進的だろ
>>475 モンゴルによるホラズムの滅亡がなければ、13世紀に東ローマは滅んでいたはず。
モンゴルとの戦争がなければ、ホラズムはアッバース朝とルーム・セルジューク朝を
征服したとされ、おそらくさらにグルジアやトレビゾンドとニカイアも征服しただろう。
その結果ラテン帝国からコンスタンティノープルを奪回するのはニカイアではなく
ブルガリアになったはず。
ブルガリアは強兵
東ローマが存続する可能性は、マンツィケルトで戦わずに講和するか、
戦って勝利するかだろうな。
13世紀の場合東ローマが滅んでパレオロゴス朝は存在すらしなかったはずだが、
1071年の場合はエジプトのファーティマ朝が百年早く滅んでいるはずだった。
エジプトにはマムルーク軍が主力のカイロ・セルジューク朝が成立する一方で、
ホラサンにはトルクメンが残留してルーム・セルジューク朝のような政権が成立、
エジプトの方がセルジューク朝の本家になったことだろう。
ベドゥインやベルベルの騎馬隊よりも
トルコ騎馬隊のほうが強かったのか
セルジューク朝のエジプト遠征軍はマムルーク
ファーティマ朝軍はマムルークと黒人奴隷兵アブド
ベドゥインもトルクメンも自由民で親兄弟に武術を教わったが
マムルークとアブドはともに奴隷で常備軍で訓練された兵士
牧草地が欲しいトルクメンは自分らだけでアナトリアを攻めたが
ロマノス4世軍に敗退、アルプ・アルスラーンはエジプト遠征を
中止してトルクメンらに合流してロマノス4世を撃破した。
トルクメンが土地を奪うのでイラン人と紛争になっていたので、
イラン人宰相ニザーム・アルムルクはトルクメンをイランから
アナトリアへ誘導した。
トルクメンは自分らだけでアナトリアを攻めたがロマノス4世軍
どうして負けた?ノルマン人の重騎兵でもいたのだろうか
ノルマン人の重騎兵だけでなくトルコ系ペチェネッグ人の弓騎兵もいた
ロマノス4世軍は稀にみる大軍だったので、当初アルプ・アルスラーンも
勝ち目がないと判断して講和しようとしたとされる。
ロマノス4世軍が大軍だったのはアナトリア防衛の為だけの軍ではなく、
セルジューク朝の本国ホラサンを目指す東方遠征の為に大軍を募った
からだとされる。ロマノス4世は「第二のアレクサンドロス大王」に
なろうとしていたらしい。
アルプ・アルスラーンはユーフラテス河を国境にして講和を提案したので、
東ローマの諸将もこれに賛同したがロマノス4世は講和しなかった。
496 :
世界@名無史さん:2014/05/04(日) 23:26:13.13 O
>>495 ここで講和してたら
オスマン帝国も無かったろうな
トルクメンがアナトリアに移住せずにイランに居続ける事になった結果、
ホラズム時代にカンクリ族がホラズム領に招かれる事はなさそうだから、
カンクリ族は西へ向かいキプチャク族を追い払って黒海北岸に移住した
かもしれない。キプチャク族は東ローマ領パルカンに逃げ込みそうだな。
バイバルスとかが東ローマの将軍とか皇帝になったかもしれない。
498 :
世界@名無史さん:2014/05/05(月) 13:30:52.93 0
講和したとしても
セルジューク朝の武将や遊牧民が
スルタンの意思に従わず
勝手にアナトリアやアルメニアを襲うこともあり得る
ユーフラテス河を国境にする予定だったからアルメニアはセルジューク領。
ニケフォロス・ブリュエンニオスらギリシャ人達はこの講和を歓迎したが、
カッパドキア出身のロマノス4世はアルメニアを見捨てる事を拒絶した。
500 :
世界@名無史さん:2014/05/05(月) 19:21:21.36 O
>>499 そうか、皇帝がギリシャ人ならその後の歴史が全く変わっていたと
だがギリシャ人より
在希皇帝や在希将軍のほうが優秀なのが多い事実
アトスの修道士になりたがったニケフォロス2世とかカッパドキアの支配層は
ギリシャ正教徒だったから、アルメニア正教のアルメニア人と対立していた。
ギリシャ正教に改宗したくないアルメニア人は、セルジューク軍に参加して
マンツィケルトで戦いアルプ・アルスラーンの勝利に貢献した。
>>500 ロマノス4世は将軍のままの方が東ローマにとって良かっただろうね。
アンドロニコス・ドゥーカスの方が皇帝ならば講和したはず。
>>496 マンツィケルトでの勝利後、アルプ・アルスラーンは捕虜にしたロマノス4世と
再びユーフラテス河を国境に講和したとされ、アナトリアを征服しなかった。
その後アルプ・アルスラーンはエジプトにも向かわず中央アジアへ進軍した。
彼は捕虜にしたホラズム大守を自ら処刑しようとして失敗して刺殺されてしまい、
帰国したロマノス4世も復位出来なかったので、せっかくの講和も無効となった。
>>494 ノルマン人重騎兵を率いたルーセル・ド・バイユールは、マンツィケルトでの敗北後
アンカラを首都にガラテア公国を建国して独立した。アンドロニコス・ドゥーカスは、
帰国してきたロマノス4世には勝利したが、ルーセル・ド・バイユールには敗北した。
東ローマ政府はガラテア公国を倒す為にセルジューク朝に派兵を要請したので、
アンカラからキリスト教徒は一掃されてしまった。
505 :
世界@名無史さん:2014/05/07(水) 18:27:06.10 O
日本で例えると、
ずっと公家支配が続き、
兵は主力は日本人でなく蝦夷、隼人、刀伊で固めてるイメージ
コムネノス家が皇帝なったのて
平将門の子孫が天皇になったようなもんだ
アレクシオス1世の皇妃は副帝アンドロニコス・ドゥーカスの娘で、
マンツィケルトで副帝アンドロニコスは軍の半分を率いていた。
ロマノス4世が率いた半分がアルプ・アルスラーン軍に包囲された時、
副帝アンドロニコスは皇帝軍を見捨てて退却してしまった。
アルプ・アルスラーン軍は逆包囲され全滅するはずだったが勝利した。
508 :
世界@名無史さん:2014/05/08(木) 22:22:42.38 O
>>498 そういやアステカもコルテスを殺せる寸前だったらしいが、
コルテス達を殺しても後から別のスペイン人来るよなあ、と思った
だからロマノス4世はホラサンにまで遠征しようとしたのだろうね。
ロマノス4世軍は野戦用の騎兵隊以外に攻城戦用に投石器などを
操作する人夫が多かったので、マンツィケルトでは足手まといに
なったとされる。
510 :
世界@名無史さん:2014/05/09(金) 22:10:39.64 O
敗走するコルテス達を追いかけず、
せっせと捕虜を生贄にするアステカ人
ロマノス4世軍に敗れてトルクメンらは敗走した。
アルプ・アルスラーン軍はマムルークとクルド人と
アルメニア人を主力とする士気旺盛な軍となった。
ロマノス4世軍はギリシャ人諸将の戦意が乏しかった。
東ローマ=アステカならば
アルメニア=トラスカラ
アルメニアはもう少し複雑だ
バグラト王家とそれに反抗するナハラルの対立があったから
本当は貴族は土地を世襲してはいけないのに
世襲していた遵法意識がない貴族
515 :
世界@名無史さん:2014/05/18(日) 16:26:52.21 0
ガリア戦記のころは
ガリア人よりも武勇に優れた兵士の話が出てくるのに
どうして弱兵化した
516 :
世界@名無史さん:2014/05/18(日) 18:34:48.89 0
モルダヴィアとワラキアが文献に出てくるのは第二次ブルガリア成立後か?
13世紀から15世紀だと
帝国よりも両国のほうが名将出してる
東ローマはペルガモンやポントスの末裔だからかな。
ディオクレティアヌスは自らオリエント軍だけでササン朝と戦わずに、
イリュリア軍を率いるガレリウスにササン朝の戦いを任せた。
リキニウスはガリア軍を主力とするコンスタンティヌス1世に敗れた。
>>516 モンゴルがキプチャク族を倒したからモルダヴィアとワラキアは独立出来た。
モンゴルがルーム・セルジューク朝をホラズムのように滅ぼしたのならば、
東ローマも息を吹き返したのかもしれない。
どーだろうなあ
時代は違うけど、ティムールがオスマン朝をギタギタにしても、東ローマは半世紀ほど延命できただけだったし
ティムールがオスマン朝をホラズムのように滅ぼしたのならば、
息を吹き返すのは東ローマではなくセルビアだろうな。
俺がブルガリアやセルビアならコンスタンティノープルはほうっておく
大城壁は超えられそうにないし
かといってコンスタンティノープルから軍が出てきたとしても物の数ではないし
そのかわりトラキアやギリシャを完全征服して
コンスタンティノープルは都市国家のようにしちゃうね
ブルガリアはコンスタンティノープルのそばだけど
セルビアはアドリア海を目指しても良さそうだよね
>>513 アルメニアがキリスト教化せずペルシャ化したままならば、
アルメニアがアラブによる征服後にシリアやエジプトの様に
イスラム化していたのならば、東ローマはアルメニアに拘り
続けずにすんだだろうな。
イタリアに拘ってバルカンがスラブ化
アルメニアに拘ってアナトリアがトルコ化
アルメニアとグルジアの商人と技術者と兵士が東ローマには必要だったから
こだわった
その割には小さなアルメニア人虐殺が起こっているが
>アルメニアとグルジアの商人と技術者と兵士が
>東ローマには必要だったからこだわった
東ローマ軍の主力であるカタフラクトに適していたからかな
ヘレニズム時代のアルメニア軍に既にカタフラクトがあった
>>521 占領した土地を返す代わりに城壁を全て取り壊せ
新たな城壁を築く事を禁止するという条件を付けてもいいな
よく考えたら
こんな条件飲むわけないか
制海権の問題だから放ってはおけないコンスタンティノープル
530 :
世界@名無史さん:2014/05/31(土) 21:39:24.81 0
ウマイヤ朝の時制海権とられていたよね
ウマイヤ朝に征服されてしまえばトルコにならずにすんだな。
南国出身のアラブ人にはアナトリアとバルカンは寒過ぎるから
イランと同様にアラブにもならなかっただろうな。
元々アラブ人は多くがベドウィン出身で海が苦手だったから、
ウマイヤ朝時代のアラブ海軍は元東ローマ人が担っていた。
後のマンツィケルトでのアルメニア人と同様にシリア人や
エジプト人らも非カルケドン派なので積極的だった。
533 :
世界@名無史さん:2014/06/01(日) 12:35:56.31 0
ウマイヤ朝の最後のコンスタンティノープル包囲戦の時
ブルガリア人が金につられなければ
アラブ人はコンスタンティノープルを占拠していた
オスマン朝の最後のウィーン包囲戦の時
ポーランドがオスマン朝と同盟したのならば
トルコ人はウィーンを占拠していた
スラブ人の手から免れ帝国領内にとどまったテッサロニキとコリントスだが
やはり古代より人口は減っているんだろうか
536 :
世界@名無史さん:2014/06/03(火) 21:45:46.47 0
やはり北アフリカの穀倉地帯を失ったのが
西にとっても東にとっても痛かったのでは。
537 :
世界@名無史さん:2014/06/08(日) 20:31:45.08 0
独立したセルビア王国の軍政は東ローマと似たようなものだった
だがセルビアのほうが強かった
歴史家は中世ギリシャ人兵士が弱兵だった理由と
独立した後の近代ギリシャに工業技術と科学技術が育たなかった理由を解明するべきだ
538 :
世界@名無史さん:2014/06/08(日) 20:39:20.50 0
>>532 ウィキペディアで
ギリシャ火炎はウマイヤ朝が先に使ったかもしれないと書いてあったが
うなずけるな
539 :
世界@名無史さん:2014/06/09(月) 15:55:16.91 0
ロングボウのような強力な武器はなさそうだし
腕前も悪そう
540 :
世界@名無史さん:2014/06/11(水) 20:57:17.05 0
>>537 秀吉の朝鮮出兵の時、
日本と朝鮮で武力に大変な差がついていたが、
それと同じで「東ローマには内戦があまりなかったから」というのはOK?
>>540 東ローマ帝国は、大規模な貴族反乱や民衆暴動が山ほどあったぞ
反乱に成功して皇帝になった者も何人もいるんだが
542 :
世界@名無史さん:2014/06/12(木) 01:05:22.81 0
>>541 そうだよなあ・・・
ならなんで弱いままだったんだ?
543 :
世界@名無史さん:2014/06/12(木) 01:08:19.71 0
江戸時代でも武士は弱体化したが、
新撰組みたいなのは大勢いたな。
まだ分裂する前も内乱とかあったが
ゴート族より弱かった
545 :
世界@名無史さん:2014/06/12(木) 21:14:07.32 O
546 :
世界@名無史さん:2014/06/12(木) 22:17:42.56 0
でもアラブ人も弱体化したよね。
文明化したらどこもそうなるんじゃないの。
ギリシア人なんてずーっと文明化されてたからな。
アラブ人が弱体化したのではなく
ペルシャやローマの支配下で飼いならされた
エジプト人やアラム人がアラビア語を覚えた
でもバグダッドのカリフはトルコ人の騎馬隊を頼りにしていた
しハールーン死後の後継者争いでは
ホラーサーンの遊牧民部隊にアラブ人が負けた
549 :
世界@名無史さん:2014/06/13(金) 12:18:27.42 O
日本の場合は安価で雇える屈強な異民族がいなかったため、
やむなく日本人をそのまま主力として使ったんだろうな
>>549 平安京の貴族たちから見れば、関東や東北の武士は異民族みたいなもんだし
551 :
世界@名無史さん:2014/06/13(金) 15:12:00.78 O
蠣崎氏はアイヌを兵としてやとったという
後にオスマン時代となって、ほぼバルカン出身のはずなイェニチェリがけっこう強かったのは、
銃器の時代という背景と、若年時からの練兵によるところが大きいのかな
おまえらビザンツ時代の時ももっと頑張れよと思わなくもないが、しょうがないか
スラブ系が多かったからだと思うよ
東ローマ帝国のギリシャ人というのは
十字軍に支配されていたほうが幸福だった
ある地方では重税から逃れられると
十字軍と、その少しまえの時代にやってきたノルマン人を歓迎した所もあった
>>548 マムルークを頼りにしたのは、ベドウィンやトルクメンとか
自由民らが、カリフやスルタンに反抗的だったから。
アッバース朝以降は君主に絶対服従する兵士が求められた。
557 :
世界@名無史さん:2014/06/13(金) 19:43:01.38 O
>>556 でも、そういう異民族優遇策が
アラブ人やギリシア人そのものの劣化に繋がったと思うの
558 :
世界@名無史さん:2014/06/13(金) 21:19:18.99 0
奈良時代、平安時代の日本に似てる点として、
・地方からの収奪がすさまじい
・首都だけが異常に大きい
という点があげられる。
今思いついたんだが、
ベリサリウスを西方じゃなくてスラブ人鎮圧に向かわせればよかったんじゃね?
スクラヴェンはパンノニアを支配する東ゴートが防いでいたから、
ベリサリウスらはアントを撃退すればで良かった。
ベリサリウスらはアントを撃退するだけで良かった。
562 :
世界@名無史さん:2014/06/14(土) 00:27:37.80 0
逆に北に遠征して、
北にギリシア人を入植させたり、
現地の民族にギリシア正教を布教すれば
後の侵略も防げるんじゃね?
北なんかいったら、14世紀まで延々と続く遊牧民侵攻の矢面にたってまうで?
ユスティニアヌス1世の時代はペストが大流行したり
気候が特に厳しかったそうだから難しいな
565 :
世界@名無史さん:2014/06/14(土) 02:16:10.59 O
>>563 完全に領土にはせず
文明化させて
仲間にする
つハザール
東ローマはワリヤーグやペチェネッグに対抗する為に
ハザールのサルケル市建設に技術協力したけど、
フン族来襲時にゴート族らにも援助して移動を阻止
するべきだったな。ゴート族は城壁に囲まれた都市を
建設しなかったのでフン族に呆気なく追い払われた。
北と言えば
マケドニア朝のとき
トルコ遊牧民がドナウ川から攻めてきた時がある
その時は遊牧民側に伝染病が流行ったらしいが
伝染病がなかったらどうなっていたことか
569 :
世界@名無史さん:2014/06/14(土) 11:17:28.84 O
>>567 スラブ人やウラル人にも同じように接し、
都市や国家、さらには文字や歴史書の製作も行う
人権意識だとか文化相対だという考えがない当時にそれは厳しい
キリスト教が伝わったのがせいぜい
>>537 多分テクノロジーが経済発展に重要なことだと気付いた人間が比較的少なかったからだろう
573 :
世界@名無史さん:2014/06/14(土) 18:23:50.83 0
でもローマ中心でラテン語が典礼にきまってる西側に対し、
東側は各地域で現地語が典礼言語に決まってるな。
ここは意外に先進的な感じがする。
その調子で、
北ではテュルク系、ウラル系の言語を典礼言語にしてほしかった。
574 :
世界@名無史さん:2014/06/14(土) 18:40:49.57 0
トラキア、イリュリア系などの国家もあって欲しかったけどな
ローマが滅んだ理由を貧富の格差に帰した
ロシアの経済学者ってだれだっけ?
>>574 軍人皇帝時代からユスティニアヌス朝までの
ローマ帝国はトラキア系イリュリア系の国家
トラキア出身のベリサリウスからアルメニア出身のナルセスに司令官交代
ユスティニアヌス朝最後の皇帝マウリキウスはカッパドキア出身なのは
バルカンがスラブ化してトラキアとイリュリアの人材が枯渇したから
でも母語はラテン語なんでしょ
ローマ時代にはラテン化していないアルバニア人の祖先は
バルカンのどれくらいを占めていたのだろう?
アルバニアってイタリアの真っ正面だけど何故ラテン化
していないのだろう?
ヴェネチアはラテン化してイタリアそのものになっている。
スペインのバスクやブリテンのウェールズはローマから見て
裏側だからローマの影響が弱くても不思議ではない。
アルバニア人はスラブ人とともにローマ領外から移住してきた
のかもしれない。
579 :
世界@名無史さん:2014/06/16(月) 00:32:16.42 O
>>578 イリュリア人がローマ化して、
後にまたアルバニア化したみたいな?
イリュリア出身の最初のローマ皇帝って誰だろう
ディオクレティアヌスより前からいたかな、アウレリアヌスもそうだっけか?
イリュリア出身の最初のローマ皇帝はデキウスだったけど
彼は妻がエトルリア系の名門貴族だった。
トレボニアヌス・ガッルスとウァレリアヌスもエトルリア系
だったので、クラウディウス・ゴティクスが名実ともに最初の
イリュリア出身のローマ皇帝と言えよう。
おお、詳説ありがd
北アフリカ出身者はもとより、フィリップス・アラブスよりも後か・・・
けっこう強い軍団かかえてるのに、案外遅い気がしないでもない
セプティミウス・セウェルスは北アフリカ出身者だけど
パンノニア総督でドナウ軍団の力で単独皇帝になった
アウレリアヌスの時と同じくオリエントとガリアが負けた
584 :
世界@名無史さん:2014/06/18(水) 20:31:14.08 O
六世紀時点での文明を維持したまま、
ギリシア、トラキア、イリュリア、エジプト、アナトリアに平和的に解体
スラブ人をどうにかしないといけないが
そういえばスラブ人が住み着く前にゴート人が来てたが
その被害はどれぐらいだったんだろ
586 :
世界@名無史さん:2014/06/18(水) 20:59:51.15 0
まず6世紀時点での国力でゴミ掃除(スラブ人遠征)してから
平和的に各民族で国家を作るイメージ
587 :
世界@名無史さん:2014/06/18(水) 21:56:01.72 0
>>573 一歩進めて、各国で
「ユダヤ人にとってのヤハウェはわが民族のゼウスである
イエスはヘラクレスである」
「ユダヤ人にとってのヤハウェはわが民族のペルーンである」
「ユダヤ人にとってのヤハウェはわが民族のテングリである」
みたいな感じで習合させてけばいいと思うわ。
588 :
世界@名無史さん:2014/06/18(水) 22:14:08.68 0
16世紀にもなってキリスト教世界帝国がどうのこうのほざいていたカール五世が
東ローマ帝国皇帝たちの姿にダブるな
中国から絹のせいほうじゃなく紙の製法をコピーできていたら良かったのに
590 :
世界@名無史さん:2014/06/18(水) 22:27:07.35 0
紙=社会全体の向上に役立つ
絹=貴族の生活の向上に役立つ
コンスタンティノポリス一極集中の、この国家の姿にかぶるな
>>585 バルカンが軍の主力で騎兵の供給地という事は牧畜が盛んだったはず。
ガリアとかのように農耕定住化が進んで、人口がローマ征服前よりも
増大していなかったから、スラブ人が来るとスラブ化したのだろう。
イリュリア人とトラキア人、新参のゴート族やアラン族とフン族ら
牧畜民に対して、農耕民のスラブ人は圧倒的な数だったはず。
ガリアやイスパニアでは侵入したゲルマンの方が同化消滅した。
ガリアやイスパニアは農業が盛んになったのでローマ軍の主力に
なれなかったのだろう。
ガリアのようにイリュリアとトラキアも人口が多ければスラブ化
しなかったはずだが、そうなると騎兵が足りなくてオリエントは
ササン朝に奪われてしまったはずだし、バルカンの軍事的優位が
ないのでローマ帝国はもっと早期に分裂しただろう。
お前の想像レスの多さもスラブ人並だな
593 :
世界@名無史さん:2014/06/19(木) 12:29:31.64 O
ゼウスとペルーンとオーディンとインドラは似とるな
テングリは知らないが
16世紀までほろんでいなかったとしても
ルネサンスの影響で過去の共和制への憧憬が強まり
400年早く反乱がおきてギリシャ共和国が誕生していただろうな
地方の反抗が相次いだ
596 :
世界@名無史さん:2014/06/19(木) 21:34:37.17 0
ルネサンスは古代の見直しという意味だが、
ずっと古代の栄光をそのまま引きずった勘違い国家は
ルネサンスとは殆ど無縁だった
597 :
世界@名無史さん:2014/06/19(木) 21:42:45.67 0
トラキアは既にラテン語かギリシア語化されてるのかな?
ダキア北部とかならトラキア系の言語が生き残っているかも
アルバニア人はダキア北部からスラブ人に押し出されて来たとか?
パレオロゴス朝の時テッサロニキで共和主義者の革命が起こった
鎮圧されたけど
住民から重税をむしりとる悪政国は滅んだほうがよかった
第4回十字軍で東ローマ帝国は完全に滅んで
バルカンは十字軍国家でアナトリア東部も十字軍の支配下になっていたら
後のオスマン帝国のヨーロッパ支配もなかったかもしれない
トルコ人侵入で牧草地化したアナトリアは西欧人にとって魅力的ではないらしく
十字軍はエジプトの方ばかり征服しようとしていた
603 :
世界@名無史さん:2014/06/20(金) 22:01:49.80 O
>>598 アルバニア人自体はイリュリア人の子孫だろうけど、
アルバニア語はそうかも
604 :
世界@名無史さん:2014/06/20(金) 23:26:49.94 0
西洋もエライ回り道してるもんな、
識字率も中世に大幅に落ちたようだし。
その回り道を無くして
スムーズにルネサンス出来ればいいが。
アウグスツスが発案したエルベ河にいたる地の征服は
フランクのシャルル・マーニュがようやく成功させた
実に800年ものの回り道であった
イタリアのおかげでルネサンスができた
607 :
世界@名無史さん:2014/06/23(月) 23:50:37.84 O
ハザールの都が東ローマ製とは知らなかったわ
技術支援した
609 :
世界@名無史さん:2014/06/24(火) 17:51:03.17 O
>>605 その後は順調にフロンティアは前進してる
610 :
世界@名無史さん:2014/06/24(火) 22:21:39.23 O
611 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 00:04:11.35 0
グルジア文字はギリシア文字から
はたしてそんな堅固な町ができたのだろうか
コンスタンティノープル以外のヨーロッパ側の町は
ブルガリアに何度も攻略されている
サルケルもスヴャトスラフに征服された
614 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 20:51:01.67 O
>>612 やはり六世紀以前に比べてテクノロジーは落ちてるだろうな
アウレリアヌスのローマ城壁にはコンクリートが使用されていたそうだけど
テオドシウス2世の大城壁にはコンクリートは使用されていたのだろうか?
616 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 22:42:00.91 0
キュリロスもハザールに行って改宗させようとしてたのか。
617 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 23:04:03.29 0
ヨーロッパはスラブ人の国ばかりでクソつまらんな
マケドニアだのセルビアだのブルガリアだのおんなじようなのばっかだし
ハンガリー人はパンノニアに定着してくれてよかったわ
618 :
世界@名無史さん:2014/06/26(木) 01:55:30.36 0
ルーマニア西部がルーマニア人、東がダキア人の国家が欲しいね
ルーマニア西部がダキア人で東部がサルマティア人ならありえる
ロシアを除く南ヨーロッパのスラブ人国家が分裂している必要性が感じられない
統一しろ
621 :
世界@名無史さん:2014/06/26(木) 12:21:12.55 O
遅まきながらラテン語からギリシア語に切り替えた所は一応評価できる
何で?
623 :
世界@名無史さん:2014/06/26(木) 19:50:39.41 O
モエシアとかがスラブ化したからギリシャ語が公用語になった
スラブ人がバルカンのラテン系を滅ぼしてくれた
>>572 そして出来たのは北朝鮮以下の工業力、科学力、技術力の国
第一次産業主体の国だ労働時間は確かポーランドとスペインの次に長いらしいが
(労働時間は意外にドイツは短い。短くてもいい製品作れて貿易できる国はいい)
利益が出る産業がないからいつまでたっても景気が良くならない
>>624 そのスラブ人はペロボネソスまで住み着いている
627 :
世界@名無史さん:2014/06/27(金) 22:00:26.87 O
>>625 サイス朝からポリス時代までの進歩の速さは異常
それからの落ちぶれ方も異常
意外も何もドイツは労働時間の短さは有名
スラブ人はオーストリアの皇太子を殺して
第一次世界大戦の原因をおこしたから排除するのが正解
一次がなければ二次もなかった
ヒトラーは売れない画家をしていた
630 :
世界@名無史さん:2014/06/30(月) 15:46:18.87 O
631 :
世界@名無史さん:2014/06/30(月) 20:51:00.92 O
ヨーロッパではコロコロ言葉が変わる
東アジアだと朝鮮やベトナムですら全く中国語になってないのに
632 :
世界@名無史さん:2014/07/01(火) 00:13:25.52 0
なんで「ポリス時代の見直し」を末期までやらなかったのか
民間のほうでは見直しがもう少しはやく始ってたんだよ
634 :
世界@名無史さん:2014/07/02(水) 02:11:50.96 O
熱心党
クレタ島と本土の人間じゃ
人種と生活風習が違ってそう
637 :
世界@名無史さん:2014/07/02(水) 17:01:11.24 0
クレタ人は嘘つきなんだろ?
クレタ人自身が言ってるんだから間違いない
638 :
世界@名無史さん:2014/07/02(水) 22:10:12.06 0
639 :
世界@名無史さん:2014/07/02(水) 23:27:24.76 0
ハザールもいいけど、
もっと重要なのは
北西コーカサス語族、北東コーカサス語族の国家。
南コーカサス語族はグルジアがあるけど。
640 :
世界@名無史さん:2014/07/05(土) 08:38:00.16 O
イティルは
641 :
世界@名無史さん:2014/07/06(日) 15:57:29.06 0
正教圏で技術力がある国と言ったらロシアぐらいしか思い浮かばない
642 :
世界@名無史さん:2014/07/06(日) 21:55:18.38 0
正教は学問と技術の発展を妨げる考え方でもあるのか
ロシア帝国も西欧から学ばなければ発展できなかったろう
それでもまだ保守的で遅れている部分があった
643 :
世界@名無史さん:2014/07/08(火) 21:25:39.44 O
コイネーを正教圏の共通語に!
ノーベル賞科学分野受賞者
フィールズ賞受賞者
技術力と競争力のある大企業がギリシャに出ない限り
コイネーが共通語になることはない
あそこ科学者技術者と企業家といった人材育成を
独立以降怠っていた
645 :
世界@名無史さん:2014/07/09(水) 20:43:42.53 O
正教圏は多分一つにまとまらない
旧ユーゴスラビアは正教同士でもしっくりいってない
ロシアとルーマニア
ロシアとグルジアなど仲が悪い
ウクライナは言うまでもなし
ブルガリアはルーマニア、セルビア、ギリシャと政治的(表面的には)
現在平穏に見える対外感情よくない
事実上スラヴ語が共通語
648 :
世界@名無史さん:2014/07/12(土) 08:15:52.76 0
どう考えても1204年にすっきり滅亡して
あとはフランス人やイタリア人に任せておくべきだった
そうすれば南ヨーロッパがオスマン帝国に攻め込まれる事もなかっただろう
>>648 内戦にあけくれてトルコを引きこんだパレオロガス朝よりはましなのは確かだろうけど、それでも
結局最終的にはコンスタンティノープルはトルコに落とされてたんじゃね?
650 :
世界@名無史さん:2014/07/12(土) 10:17:09.35 0
1204年以降も滅亡回避するチャンスはあった
アルモガバルスにアナトリアに領地をくれて
オスマンにあたらせていたら
ギリシャ本土はエピロス、コンスタンティノープルはブルガリアで
パレオロゴス朝はアナトリアを死守すべきだった。
東ローマが
政治手腕でオスマンの属国として生き残ってたら
ナポレオン戦争や第一次世界大戦でどういう選択をしたのか興味ある
オスマンの命令でWW1に同盟側参戦した挙句
米英仏に処理されてやはり帝国終了?
アルメニア人のように虐殺されるのでは
属国になったとしても
イプシランディスが予定通り反乱起こしてるよ
生き残ったとしても帝政は崩壊する
ルネサンスが進むにつれて共和制の憧憬と帝政の嫌悪が進むはずだから
ヘラクレイオスがシルミウムにスラヴ人を招いてアヴァール人に対応させる
スラヴ人が実質的に自治を行いセルビア成立
ニケフォロス2世がルーシ人をよんでブルガリアを崩壊させる
ルーシ人がブルガリアに移住しようとする
アレクシオス1世が十字軍をよんでセルジュークにあたらせる
後に十字軍に滅ぼされる
カンタクゼノスがオスマン軍を使って敵対者を排除する
オスマンがバルカンに進出する
何回同じような事をやっているんだこの国は
やはり弱兵なのがいけないんだな
弱兵だから外国兵に頼らざるを得ない
ヴァレンス帝が対ササン朝戦用の増援にしようと
西ゴート族のモエシア移住を許可する
ビテュニア王ニコメデス1世がセレウコス朝に対抗する為に
アナトリアにケルト人を招き入れる
ドゥーカス朝はガラチアのルーセル・ド・バイユールらを倒す為に
セルジューク朝に派兵を要請する
クィントゥス・ラビエヌスはパルティアの将軍となり
アントニウスに抵抗し続けた
ペスケンニウス・ニゲルはパルティアと同盟して
セプティミウス・セウェルスに対抗した
ニケフォロス2世がクレタやシリアを征服できたのは
帝国の武力が強くなったからではない
相手のアラブ人の勢力が分裂していたからだ
660 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 12:12:21.28 0
工業や農業漁業の生産性や社会制度は
12世紀ですでに西欧に追い抜かれていた
661 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 12:21:24.25 0
絹織物産業でもベネチアに追い抜かれていたからな。
662 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 19:01:50.34 0
古代ギリシャがローマに征服されたのは
文明の模倣先だったシリアやエジプトがペルシャに征服されて落ちぶれたから
シリアやエジプトがペルシャを追い払っていたら
ペルシャ戦争も起きなかったしローマに征服もされなかった
東ローマが落ちぶれたのは
中国人のように異民族の騎馬戦術をとり居れなかったからじゃね
取り入れていたら戦争に負けず
スラブ人やアヴァール人の侵入も防げてイタリアもフランクに取られずに済んだ
663 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 21:17:00.67 0
むしろ中国は思いっきり征服されて、
王は異民族になっている。
だが、人口のためか、その異民族を漢民族化させてしまう。
超の武霊王と
後漢からq三国時代までは漢民族の武力は異民族以上だった
665 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 21:24:48.53 0
趙の武霊王のような人は一人もいなかったんだね
シリアやエジプトがペルシャに征服されたのはアッシリアが滅亡したから
東ローマは異民族の騎馬戦術をとり入れてカタフラクトが主力だった
ブルガリアのクルムやシメオンに負けているし
アッバース朝に貢納金支払わなくてはならないようじゃ
大したものじゃなかったんじゃないの
正教は人材を育てられない
シメオンが予定通り息子を皇帝にして
皇帝の父親として実権を握れたとしても
当時の東ローマの文官でシメオンが使いたがるような
人材がいるとは思えない
文官も全員ブルガリア人が任命されるんじゃないの
その当時のプレスラフはコンスタンティノープル以上の都市だったらしいし
結局弱兵なのがいけないと
670 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 21:48:04.86 0
ユスティニアヌスの時に強かったのはなぜか
それまでも同じくらいの強さあったの?
ユスティニアヌスの時まではバルカン出身者が軍の主力
バルカンがスラブ化して東ローマ領でなくなってから
アナトリアが本国となり軍の主力となった
フランス人が模倣したのはアルメニアやアラブの砦の作り方
増築と修理がされているとはいえ
古代に作られたコンスタンティノープル以外に感銘を与えられず
フランス人から無視された建築水準を見てもお察し
673 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 22:00:32.37 0
>>671 なら西征服する代わりに北征服すればよかったわけか。
スクラヴェンはパンノニアを支配する東ゴートとダキアのゲピドが防いでくれるから、
ベリサリウスらはワラキアとモルダビアを征服してアントを防げばよかった。
あのへん、東方にまだまだやばそうなのが控えてるのを知ってたんじゃないの
ユスティニアヌス配下の指揮官に帰順したフン豪族とかいたしさ
ユスティニアヌスの時代には、たまたまベリサリウスとナルセスという名将がいたことも大きいな
北アフリカへの遠征軍は兵数はそんなに多くなかった
ベリサリウスでなければ、占領はできなかったか、少なくとも、もっと苦戦しただろう
677 :
世界@名無史さん:2014/07/14(月) 17:24:58.84 O
>>676 だがそれを差し引いてもかなり強かったことは確実
ハギアソフィアも作れたし
678 :
世界@名無史さん:2014/07/14(月) 22:42:22.94 0
無能な働き者という言葉はあるが
本当に無能なだけなら皇帝になれなかったろうからマシだった
679 :
世界@名無史さん:2014/07/15(火) 08:51:44.51 O
>>676 むしろ身分の低いその二人が見いだされたことがすごい
>>662 古代ギリシャがローマに征服されたのは
ディアドコイ戦争でマケドニアが自滅したから
生前のアレクサンドロスのプラン通りならば
イタリアはマケドニア領となっていたはず
おそらくイタリアはアナトリアのように
ギリシャ化しただろうからスペイン語や
フランス語なども存在しなくなったはず
シリアやエジプトではなく
リディアがペルシャを追い払っていたら
ペルシャ戦争も起きなかった
エジプトはペルシャに一旦征服されたが
再独立していた
マケドニアのペルシャ遠征の数年前に
ペルシャはエジプトを再征服していたが
もしエジプトが独立したままなら
マケドニア軍に対して激しく抵抗して
足止めしたかもしれない
ペルシャがエジプトではなく
トラキアを再征服したのならば
マケドニアをギリシャ諸国と
挟み撃ちにする事が出来た
>>676 ベリサリウスはトラキア出身だけどナルセスはアルメニア出身
ユスティニアヌス朝に婿入りしたマウリキウスはカッパドキア出身
ユスティニアヌスの時代に東ローマはヨーロッパの国から
オリエントの国になっていたようだ
そういや、ユスティニアヌスのもう一つの偉業は、ローマ法大全の編纂など法律の整理・整備だが
その方面で活躍したのが、カッパドキアのヨハネスや、パンフィリア(現トルコ南部)出身のトリボニアヌスだな
この時代は、軍事も内政も、東の人材の比重が大きくなっていったという感じなのかな
文化方面ではヘレニズム圏の都市出身者が古来より活躍していたけど
勇猛さ野蛮さが必要とされる軍は北方系が有利だった。
ユスティニアヌス1世の叔父ユスティヌス1世も読み書きが出来ない
貧農出身の軍人だった。
687 :
世界@名無史さん:2014/07/16(水) 22:12:27.63 0
>>683 それを言い出したらコンスタンティノポリス遷都自体が始まりだった
688 :
世界@名無史さん:2014/07/16(水) 22:24:10.46 0
むしろウマイヤ朝期のイスラム帝国もギリシア・ローマ的な
地中海文明の後継者という面が強そうだな
つまり東ローマ帝国とあまり性格に違いが無さそう
>>687 コンスタンティノポリス遷都後でも
ウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟では
兄の方が西の皇帝でまだ西が優位とされていた
>>688 ウマイヤ朝はギリシア・ローマ的ではなくアラブ的なのでは?
ローマは軍団兵がウマイヤ朝はベドウィンが軍の花形だったけど、
東ローマとアッバース朝はササン朝を模倣してカタフラクトの
軍になっていた。
東ローマもアッバース朝もペルシャに憧れて贅沢な宮廷などを
模倣していた。
ローマもイスラムも、ローマらしくアラブらしくなくなって、
ペルシャらしくなっていった。
両者はともにより贅沢により軟弱に堕落していったとされる。
691 :
世界@名無史さん:2014/07/17(木) 12:23:59.18 O
>>690 後発のアラブ人は必ず先進文明から何かを学んでいたはずだが、
ウマイヤ期はダマスカスに首都があるし
やはりギリシャ・ローマ系住人の影響も強かったのではなかろうか
ギリシャ・ローマ化する前にアッバース朝が始まったという感じかなと
アッバース朝期において、
イスラム帝国を
メソポタミア文明→ペルシア帝国のラインに位置付けた
家屋については、ローマのドムス的構造をわりとよく継承してるよなイスラム圏は
道路接面側は壁として、中央に方形の中庭ペリスタイルを据えるような感じで
693 :
世界@名無史さん:2014/07/17(木) 22:02:53.38 0
アラブ帝国の征服とアッバース朝の成立で地中海世界と言えるものが消えるのと
ほぼ同時期に
フランク王国の領土が拡大し、
800年ぶり位にヨーロッパのフロンティアが東に進んでいるのは偶然か知らんけど興味深い
>>692 これ興味深いな
こういうところを集中的に研究してる本とかないだろか
というかペルシャの家屋の構造ってどんなか見当もつかん
ついでには、ビザンツの家屋はドムス的構造が続いてたんだろか
東ローマとかけ
>>693 地中海の北と南がイスラム圏とキリスト圏で真っ二つになったからね
>>690 ラテン人を30万虐殺するのを文明人とは言わない
698 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 01:52:09.81 0
ふーん
じゃあ現代の主要もほとんど文明人じゃないね
100万以上の虐殺となると限られてくるが
30万程度の虐殺なら現代の主要国も大抵やった前科あるよ
中世の初期を除けば
イタリア半島の諸国やフランドルのほうが技術的に進んだ文明人
700 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 13:35:28.81 0
誰が「ラテン人」を30万虐殺したの?ブルガリア人の間違いでは?
>>689 子供のころ:そりゃローマのある西が偉いにきまってる
大学時代:え?東の方が豊かだったんだ まぁ西すぐに潰れたしな
今:やっぱ西優位だったのか
結局東ローマなんてギリシャ人の国だからな
大日本帝国を海側と陸側の天皇で切り分けたら
本土南西諸島が先に滅びて満州朝鮮が栄えたみたいな不自然感
発祥を失って
征服した所にだけ国が残った
704 :
世界@名無史さん:2014/07/20(日) 01:42:36.06 0
それならトルコもそうだな
アングル族も今は征服地のブリテン島にしか居ないし
705 :
世界@名無史さん:2014/07/20(日) 02:09:59.58 0
トルコはトルコ語をしゃべるトルコ人だし、
アングロサクソン人は実際のアングロサクソン人が移住してきたから
そんなに不思議ではない。
しかし東ローマは
ローマ市を含んでおらず、
言語もラテン語じゃなくギリシア語
何言ってんだこいつ
>>701 西ローマはローマ人自身が開拓した発展途上地域だったのに対して、
東ローマは既にギリシャ人やオリエント人らによって完成された
発展の余地がない地域だった。
東ローマで数少ないローマ人により新たに開拓された新天地が
他ならぬコンスタンティノープルだった。
アケメネス朝もヘレニズム諸王もコンスタンティヌス1世以前の
皇帝らも、何故かビザンティオンを大都市に開発しなかった。
おそらくゴート族がエフェソスを襲撃する以前は、ボスポラス
海峡の防衛は重視されていなかったからのようだ。
ゴート族以前のスキタイやサルマタイら遊牧民は船で黒海を
渡って来る恐れがなかったからだろう。
ゴート族が黒海北岸に来なければ、東ローマの首都はシリアの
アンティオキアになったはずで、ローマは分裂するとすれば
ガリアとドナウとオリエントの三国になっただろう。
ギリシャ語が母語の人の国だな
ギリシャ人だと思っていたのは一部の知識人ぐらいだった
コンスタンティヌス1世はラテン化していたバルカン北部のナイッソス出身で、
コンスタンティヌス1世は西の副帝で彼の将兵の多くがガリア出身だったから、
ビザンティオンをコンスタンティノープルに拡張したばかり時は、この町に
多くのラテン語話者が移住していたのではないだろうか?
その後ユスティニアヌス1世の治世にペストの大流行で帝都住民が激減するのと
同時に、バルカンがスラブ化してラテン語話者が消滅したので、帝都の住民は
ギリシャ人ばかりになったと思う。
ギリシャ人のセレウキア + イラン人のクテシフォン
ギリシャ人のビザンティオン + ローマ人の新市街 = コンスタンティノープル
バビロニアのセレウキアは、ビザンティオンよりもはるかに大都市だった。
リュシマコスはビザンティオンを首都にせずリュシマケイアを建設した。
リュシマコス朝は、東ローマのプロトタイプだったが、流産してしまった。
リュシマコスは、後のコンスタンティヌス1世のように、有望な長子を処刑した。
712 :
世界@名無史さん:2014/07/21(月) 17:30:20.81 0
ビザンティオンなんてコンスタンティノポリス建都まではショボい田舎町だし
マケドニアのフィリッポス2世が、ギリシア征服戦争の端緒に選んだ都市だったな
黒海からギリシア本土へ輸入される小麦などを遮断できる、要衝ではあった
・・・え?はい、漫画ヒストリエから得た知識です
輸送手段の未発達な近代以前の都市の規模は後背地の広さで決まる。
後背地の規模を超えて発展させるためには政治力で輸送力をかき集める必要があり、
古代ローマはそれゆえ郡を抜いた大都市に発展できたが、
ローマ帝国末期に政治の中心地としての地位とインフラを失うと
後背地相応(というかそれ以下)の田舎町まで転落してしまった。
話を戻すと、ビザンティオンは後背地が確保しにくいのでそのままでは発展しなかったんだろうな。
黒海北岸の農業生産はエジプトに比べて貧弱だったからかな?
エジプトはオリエント随一の人口大国だけど、ボスポロス王国や
クリミア・スキタイもクリミア・ゴートも人口が少ないまま消滅
していった。クリミア半島がキプロスのように現在ギリシャ化
していないという事は、ギリシャ人に不向きな土地なのだろうな。
716 :
世界@名無史さん:2014/07/21(月) 22:45:02.93 O
>>714 でも同じイタリアのミラノやラヴェンナに移しても同じように思う
ポー川流域の沖積平野はかなりデカいが、当時だとまだ湿地帯かな?
現在の地図でみる限りじゃ、ナイル河口のデルタ地帯なみに大きい面積なんだがな
>>715 現代クリミア人は血統的にはムスリム化したギリシャ人その他の子孫だとか。
クリミア半島だけでは国力が低すぎて、
北方の平原地帯に対抗できる国家を形成できなかったのが原因かも。
東西分裂後コンスタンティノープルは、アンティオキアやアレキサンドリアと
肩を並べる大都市に発展したけど、当時の黒海北岸はフン族の侵入で農業が
衰退していたから、黒海北岸からの穀物には依存していなかったようだ。