哲学を知らなければ歴史は語れない

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483第三の波~平 ◆JXLBbnYqTY
■明治維新の禁欲ドミノ倒し


禁欲の時代

最近、西洋歴史モノの映画を見るが、ほんとキリスト教は残忍だね。すぐ異端だ!首切り、火
破りと異端や戒律違反に対する反応が半端ないな。文化的なものなんだろうな。異端でないこ
とを示すための禁欲と、強迫性があるよな。

ようするに、ユダヤ教的方法論がキリスト教を通して世界に広がった。背景としては、アレキサ
ンダー後の、ヘレニズム圏、さらにローマ帝国である。一大文化圏、経済圏が誕生したこと。宗
教も地域に根ざした土着宗教から、コスモポリタンなものが求められた。ユダヤ教の方法論と
は、土地ときりはなされた民族が団結を維持する。一神教、律法主義、教会システムである。し
かしユダヤ教はあくまでユダヤ民族に根ざしたものである。それをさらに改善したのがキリスト
教である。割礼などの厳しい戒律を排除し、他民族にも入信しやすくした。

これはキリストそのもの教えからも読めるが、ユダヤ・キリスト教からヘレニズム・キリスト教へ
の変革を勧めたのはパウロの貢献と言われる。これにより庶民に広く浸透するとともに、知識
人たちにより、ギリシア思想などが取り込まれ神学として様々に体系化されていく。

ユダヤ教的な禁欲主義がキリスト教を通して社会に広がっていく。禁欲主義は、自然に生活を
拘束された農村より、自由度が与えられた都市的な習慣だろう。規律、慣習が生活にリズムを
与え、またコミュニティを生み出す。そして理想像として、清貧を極める聖人が生まれてくる。

このようなユダヤ教的禁欲は、現代日本人までつながっている。しかし現代は禁欲からさらに
規律である。経済性という要因がもっとも重視される。禁欲から規律は、フーコーの監獄の誕生
のテーマである。なぜ公開処刑から監獄に変化したのか
484第三の波~平 ◆JXLBbnYqTY :2012/04/22(日) 20:48:47.97 0
近代化とキリスト教

相次ぐ蛮民の侵入で解体したローマ帝国のあと、統一的権力として台頭したのが、カトリックな
わけだけど。近代化に対してキリスト教をどう評価するか。一つ目は、近代化を阻害する旧権
力。暗黒時代論。確かにキリスト教の強さは近代の自由平等と対立する部分はある。二つ目
は、ウェーバーの資本主義の精神としてのプロテスタンティズム、すなわち勤勉さ。

日本の近代化を見ると、明治維新で近代システムが導入されるとともに、ドミノ倒しのようにキ
リスト教的な禁欲主義に変化した。たとえば和服から洋服へかわったことだけでも、そこには、
禁欲主義が隠されている。和服なら、無頓着で見えていた肌が、洋服ではその露出が、キリス
ト教倫理観によって、きびしく管理されている。日本人は洋服を身につけることで、同様な禁欲
的倫理観を習慣づけられる。少しでも露出の高い洋服を着れば、破廉恥だと、責められる。

江戸時代の絶対主義

江戸時代は、西洋でいえば絶対主義王政に近い。鎖国されていたが、限定された海外貿易は
行われて、幕府が利益を独占していた。特に日本には銀・銅の鉱物が豊富で、管理された中
で、西洋で活発したグローバル貿易の恩恵を受けていた。

江戸は世界有数での大都市で、鎖国の中でも活発な国内市場によって、商人だけでなく、農民
も大きな恩恵を受けていた。定期的に起こる飢饉なども、単に天候の悪さが問題ではなく、不
作が市場に影響を与えて、インフレを起こすことが問題だった。ようするに、日本はプレ近代化
していた。

明治維新で急がれたのはなにかといえば、一番は軍事力である。鎖国によって、西洋で発展し
た兵器がなかったこと。それとともに、西洋では重商主義(植民地主義)、自由主義(産業革命)
とさらに発展して、富を稼ぎ、軍事力を高めていた。逆に、日本が短期間で近代化できたのは、
プレ近代化していたためだろう。
485第三の波~平 ◆JXLBbnYqTY :2012/04/22(日) 20:49:18.38 0
明治維新の「禁欲ドミノ倒し」

明治維新の近代化は国家、国民そのものを作りあげるプログラムである。その基本は全国統
一的な学校制度だろう。さらに農業から産業化。産業化ではすべての慣習が西洋化されてい
る。すべてとは業務ではなく、農村から都市部へ生活基盤を移して生活全般がかわる。サラ
リー方式になると、多くを金銭でまかない、娯楽など環境先般が西洋化する。

このような状況の中で、明治維新の「禁欲ドミノ倒し」は起こった。西洋近代化にはキリスト教的
禁欲主義の慣習が内在し、一体として影響されざるをえない。近代化の禁欲主義はキリスト教
的な倫理だけでなく、時間を細分化する規律訓練型である。