ペルシャ人、ペルシャ語文化圏の歴史

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67世界@名無史さん
>>66
今のイランの十二シーア派が多数派になったのは、サファヴィー朝がレバノン
あたりから学者を招いたかららしいが、それ以前にもシーア派と定義されて
いなくても、イマーム信仰は強く、ナジャフとかカルバラー信仰が流行していて、
イマーム信仰の形をまとった反乱が目立つよね。そういうところに、
なにかイランに土俗的な、ゾロアスター時代から続いている宗教意識を
感じるんだよね。ゾロアスター教も、経典は神官しか読めず(その神官も
辞書なしでは読めなかったという)、一般信徒は儀式だけだったらしいから、
サーサーン朝時代も、民衆の間には土俗信仰っぽいゾロアスター教が残っていて、
それがイマーム信仰と結びつき、シーア派を受け入れる土壌に結びついたのでは
ないだろうか。という気がする。