【冊封】朝貢体制【貿易】

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1世界@名無史さん
歴代の中華王朝が行った周辺国との外交関係
中華から見た朝貢国、朝貢国から見た中華
貿易の実態や冊封と朝貢、藩属国や互市国など
朝貢体制について様々に語ろう
2世界@名無史さん:2012/02/06(月) 17:57:59.07 0
朝貢したら得するあるよ。
早く来るヨロシ。
再見。
3世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:01:06.92 0
一番朝貢できてた範囲はどれくらいかな?
4世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:22:56.40 0
アヘン戦争の原因は、朝貢貿易だから、
朝貢貿易戦争の方が実態に合っている。
5世界@名無史さん:2012/02/07(火) 02:12:15.80 O
>>4
阿片は朝貢の品じゃないだろ。
6世界@名無史さん:2012/02/07(火) 15:51:30.26 0
オランダとかポルトガルとかあのへんも形式上は朝貢なの?
7世界@名無史さん:2012/02/07(火) 16:05:21.17 0
>>6
そうだよ。アヘン戦争まで形式的にはみんな朝貢貿易
8世界@名無史さん:2012/02/08(水) 02:09:18.95 0
へぇ。まぁあくまで形式上の話にしても、ヨーロッパの国もそれでよかったんだ。
9世界@名無史さん:2012/02/08(水) 02:33:23.11 Q
いや、よくなかったからアヘン戦争に繋がっていく事になる
10世界@名無史さん:2012/02/10(金) 19:11:29.43 0
中国最大の貿易国はどこだったんだ?
11世界@名無史さん:2012/02/10(金) 23:36:15.08 0
>>10
イギリスじゃない? アヘン問題が起きる前でも。
茶葉を最も欲しがったのはイギリスで、清は代価に
銀を受け取る。
12世界@名無史さん:2012/02/11(土) 07:53:17.77 0
>>10
宋代だと日本じゃないのかな
宋銭なんかものすごい量を日本に出しているだろう
13世界@名無史さん:2012/02/13(月) 16:30:28.11 O
中国から見て朝貢してきた国は冊封無しでも
客臣くらいには思われてたのかな?
14世界@名無史さん:2012/02/13(月) 21:29:00.55 0
そうなんじゃね?
イギリスの使節に、お前は臣下なんだから皇帝陛下の前では土下座しろよ、
って言って怒らせたじゃん。
15世界@名無史さん:2012/02/13(月) 23:25:52.23 Q
ロシアの使節には三跪九叩頭させたからな
調子に乗ってたんだろ
16世界@名無史さん:2012/02/16(木) 23:39:59.33 0
貿易でないと手に入らない、必要なモノはなかったのだろうか?
17世界@名無史さん:2012/03/23(金) 21:04:26.22 0
夜郎自大
自分たちが夜郎になってしまっているのがわらえる。
18世界@名無史さん:2012/06/07(木) 13:27:17.55 0
>>9
朝貢形式でない貿易は私貿易として事実上認めてたんでしょ?
英清貿易も広州の特許商人と東インド会社間の民間貿易。
イギリスが戦争を仕掛けたのは阿片を取締られたから。
所で阿片はopiumの当て字だから片仮名でアヘンと書くのは変な気がする。
19世界@名無史さん:2012/06/24(日) 01:15:31.18 0
もとは英語じゃなくて中国語だそうな
20世界@名無史さん:2012/08/14(火) 16:00:00.47 0
冊封体制は当初から形式上のものから李氏朝鮮との間のように徹底されたものまであってかなりいい加減
日本の場合古代の王制の時から形式的で、
天皇が君主になった後も本来許されることがない君主ではない将軍などとの間で形だけ事実上名目的な冊封が行われた
日本から直接皇帝のもとに出向くこともなかったし、儀式的礼法的にも簡略化されていて義務も免除されていた
後々には薩摩が琉球を介して間接的に清国と貿易することも事実上清国は黙認していた、
これは冊封体制が崩壊しかねないことにもかかわらず続いた
朝貢も冊封も時代や地政学的状況、国家間の力関係などで待遇も義務もピンキリだった
朝鮮など陸続きの一部の小国弱国は絶えず緊張状態があったと思うけど、
日本にとっては朝貢も冊封も国や民族の存亡にかかわるようなものではなかったけど
冊封、朝貢を根拠に日本などに干渉したり自国に併合しようとするので
冊封、朝貢のツケは漢族が存在する以上永久に負うことになる
21世界@名無史さん:2012/08/15(水) 09:05:58.76 0
>>20
確かに其を盾に言い掛かりを付ける事も有っただろうが冊封は基本的に形式的な物だろう。

>>19
ギリシア語らしいが。
22世界@名無史さん:2012/10/22(月) 22:53:52.82 0
>>18
>事実上認めてた
って、変な表現だよね。事実上認めざるをえなかった。
23世界@名無史さん:2012/11/08(木) 06:21:54.00 0
>>18
特許商人に免許を与えてたのは広州海関であり、それを管轄するのは紫禁城。
いまの中国はこれと何ら変わりがない。
24世界@名無史さん:2013/09/02(月) 03:00:54.35 0
>>20
そうだよ

事実上名実な柵法体制は、実質対半島でしかない
・常時的駐留権
・軍隊の制限
・金銭朝貢
・大臣の決定


までやっていた、完全な地方で
ほぼ半島独自体制

それ以外のはほとんど
・下位国家としての統治認定
がスタンダードで物的朝貢を請求する力がなく、
有名な朝貢で、プレゼントじゃなく属的朝貢なのは
@邪馬台の渤海朝貢大金でわないがこの資金は対唐工作費及び渤海支援費だったが「渤海の一方的な対唐地位向上に使われた」使い込まれた

A宋の対遼対金重土下座金銭朝貢
年間金保有高の50%を朝貢
「反故したら宋朝は一族総出でレイプ売買されて滅んだ」
年間100万両一人あたり100両規模で朝貢してた

B半島

これが3大、実質2大朝貢でわなかろうか
25世界@名無史さん:2013/09/03(火) 10:14:13.25 0
>>24
日本が抜けている。足利義満は室町幕府の外交壟断による権威の確立のために
朱元璋に門前払いされても執念深く日本国王を確保した。
さらに勘合貿易における貿易船の水増しや皇帝の長寿祝いなどを口実に
規定外の朝貢を繰り返した。

そもそも明以前の冊封体制は国際関係の調整に過ぎず、(唐代に日本が席次でクレームを付けて困らせたようにね)
明代以降の朝貢というより海禁政策は江戸幕府の鎖国と同じで貿易管理が主眼にある。
これは中国でも日本でも流通経済の膨張に対応する通貨の供給ができないための経済抑止政策の一環だよ。

あと中央アジアやモンゴルの遊牧諸政権に対しては明代では馬市のような取引所を開設し、清代ではモンゴル
を吸収した為チベット仏教の大旦那の地位を得ることにより、トルファンやチベットにヘゲモニーが及んだように
何から何まで華夷秩序が外交の基礎だったわけではない。
26世界@名無史さん:2013/09/12(木) 18:43:18.20 0
>>24
>邪馬台の渤海朝貢
よく意味がわからん。邪馬台国と渤海って時代が全然ちがうだろ。
邪馬台国が対唐工作と渤海支援のために渤海に朝貢したって、どういうこと?
>>25
義満の朝貢って「属的朝貢」か?
遼・金に対する宋、中国に対する半島みたいな支配・従属関係ではなくて、
貿易目的の朝貢ではないのか?
27世界@名無史さん:2013/09/12(木) 21:13:26.77 0
中国にとって最後の朝貢国は李氏朝鮮と思われがちだが、
実際には1906年に朝貢したネパールが史上最後の朝貢国らしい。
28世界@名無史さん:2013/09/13(金) 10:15:38.77 0
>>26
冊封を受け入れないと朝貢できない。南北朝時代、九州の懐良親王
が日本国王になってしまったため義満は門前払いをくらっている。
また明側の要求である倭寇の取締も行なっている。
29世界@名無史さん:2013/09/15(日) 12:49:15.70 0
かつては遣唐使も遣隋使の延長線上で、あくまで文化や制度を学ぶための使節で、
冊封は受けない「対等外交」って思われてる時期もあったけど、
日本国王・主明楽美御徳への勅とか見ると、実際には朝貢以外の何物でもなかったな。
30世界@名無史さん:2013/09/15(日) 12:52:42.46 0
明や清の時代にならないと、厳密な冊封の制度なんか確立していないよ。
31世界@名無史さん:2013/09/16(月) 17:29:44.06 0
>>29
一般的には、遣隋使も遣唐使も一緒くたにして、
遣唐使も対等外交って勘違いしてる人が多いよね。
32世界@名無史さん:2013/09/16(月) 21:36:08.34 0
桓武天皇の父である光仁天皇は、唐の使節に土下座して臣下の礼をとっている。
33世界@名無史さん:2013/09/17(火) 14:54:32.88 0
奈良のMrハトヤマ光仁天皇だね
宮廷内で味方が少なかったんで権威付けに吹き込んだ学者がいたとかいないとか
当時親王の桓武帝は激怒したらしいけど
34世界@名無史さん:2013/09/18(水) 18:27:01.77 0
まあ、遣唐使が唐の宮廷の新年の朝賀の式に他の朝貢国の使節と一緒に参列し、
新羅より格下の扱いを受けてた時点で、日本の地位が唐の朝貢国なのは歴然たる事実だよな。
35世界@名無史さん:2013/09/18(水) 21:01:32.06 0
中原を中心として距離が遠くなればなるほど野蛮っていう価値観だからな
それが中華思想
36世界@名無史さん:2013/09/19(木) 19:16:06.68 Q
やはりただの朝貢国より冊封国の方を格上としてたのかね
37世界@名無史さん:2013/09/19(木) 19:21:09.06 0
>>29
白村江で負けたことで事実上降伏したようなもんだしな。
その後唐が衰退したときに独立。
その後は一時期を除けば、お前の下なんて嫌だからと独立独歩。
38世界@名無史さん:2013/09/19(木) 22:01:03.34 0
そんな簡単な話しじゃないよ
白村江の後すぐに高句麗滅亡でも10年後には羅唐戦争
で新羅と唐が対立
さらに渤海建国後に渤海と唐で戦争ー>講和
と状況はめまぐるしく変わってる
唐にしても日本が渤海や新羅と同盟されても困る
新羅は渤海と日本が組まれたら終わり
わりと日本はカード握った状況なんだよね
39世界@名無史さん:2013/09/20(金) 05:25:39.23 0
朝鮮はともかく日本や琉球みたいな遠くからの朝貢貿易って頭下げときゃ儲かるイメージ
40世界@名無史さん:2013/09/20(金) 18:17:21.25 0
とはいえ、第一回遣唐使のとき(舒明朝)に「礼を争う」とあった尊大な倭国が、
白村江の敗戦で北部九州に唐軍に進駐されて、30年のブランクを経て入貢したときは、
完全な朝貢国として中華皇帝に臣下の礼をとったのは紛れもない事実。
41世界@名無史さん:2013/09/20(金) 19:48:55.72 0
>白村江の敗戦で北部九州に唐軍に進駐されて

どこの国の歴史ですかそれは?
42世界@名無史さん:2013/09/20(金) 20:12:38.33 0
そんなもんホントにあったのかいな?
羅唐戦争の影響で唐から直接日本に来るのはかなり難しくなってるのに
43世界@名無史さん:2013/09/20(金) 20:23:53.53 i
占領されたら他の同様な事例から類推して、最低限皇太子を人質に差し出すか、最悪天皇が長安に送られることになる。
せいぜい停戦&和平(一応負けた日本が頭を下げる形だったかもしれんが)のための外交使節が来たくらいだろう。
44世界@名無史さん:2013/09/20(金) 20:49:26.64 0
その外交使節が、単なる使節の護衛というには多すぎるほどの軍勢を連れてやって来た。
だから、事実上、北部九州は唐軍に一時占領されたと考えられる。
45世界@名無史さん:2013/09/20(金) 22:26:22.95 0
>>44
それ唐の記録にあったけ?
46世界@名無史さん:2013/09/20(金) 23:21:59.25 0
古代における大和朝廷の権力の基盤って実は宗教的権威でも武力でもなく、大陸産の珍しいモノ(銅鏡→鉄→中国製のの贅沢品)を分捕るなりパシリに貢がせるなりして入手して、豪族に分配できたところにあるんじゃないかと思う。
パシリの百済が潰れた以上、どのみち唐に土下座してでも贅沢品輸入ルートを確保しないと貴族が離反して国が瓦解する恐れがあったのでは?
47世界@名無史さん:2013/09/21(土) 00:37:17.50 0
北九州に何百人かの単位で駐留してたって話がなんかあったような
48世界@名無史さん:2013/09/21(土) 01:10:46.29 0
万単位の兵力を送り出せる倭を
数百人レベルの駐留で占領できるわけないじゃん
49世界@名無史さん:2013/09/21(土) 01:15:04.89 0
だから形式上の問題なんだろ
50世界@名無史さん:2013/09/21(土) 14:33:16.96 0
日本書紀は曖昧にしてるけど、北部九州は使節団の名目で唐軍が進駐してきて、
GHQ状態だったんだろうな。
51世界@名無史さん:2013/09/21(土) 18:14:52.70 0
だから数百人クラスの進駐軍で何ができんのよ?
52世界@名無史さん:2013/09/21(土) 18:38:39.21 0
唐は蜂起一回で全滅の目に合うような部隊規模で進駐するアホだったって言いたいの?
53世界@名無史さん:2013/09/21(土) 20:18:52.45 0
>>44
ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーよwwww
曲解にもほどがある。
朝鮮人が倭の半島への出兵は傭兵だった!とか言っているレベルの妄想だ。
54世界@名無史さん:2013/09/21(土) 20:24:17.61 0
>>50
てことはGHQって飾りだったんだ
知らなかった
55世界@名無史さん:2013/09/24(火) 20:15:59.21 0
好太王碑にある倭とは、北九州あたりの海賊集団か朝鮮半島南部の倭人のことだろ?
56世界@名無史さん:2013/09/24(火) 22:32:31.15 i
>>47ー52
ジブラルタル駐留軍なんか、スペインが本気だしたらイチコロ
みたいな議論だよね
57世界@名無史さん:2013/09/24(火) 22:46:54.08 0
もうパシリの百済に持ってこさせることもできないんだし、唐とケンカしたままでは中国の文物が入ってこなくなって困るからこの時は日本のほうから詫びを入れたような気もするな。
で、唐側としてはイマイチ信用できないから念のため大人数の護衛を付けて使節をよこしたってことでは。
58世界@名無史さん:2013/09/24(火) 23:33:59.59 O
つーか
礼としての位階と
外交上のパワーバランスを単純に同一視しちゃいけない
両者は密接に関係してても同じじゃない
中国人がいくら儒教の理念を唱えても現実はそれじゃないようにな
「礼」に沿うという理由で厚遇される、あるいは沿わないという理由で冷遇されることと
実質的に対等外交であることかは関係が無い
59世界@名無史さん:2013/09/25(水) 02:00:15.72 0
日本側からすると実質的に人質取ってる状態でもあるしややこしいな
60世界@名無史さん:2013/09/25(水) 12:05:45.96 0
>>55
そんな倭寇に毛が生えた連中と覇を競ってたの?高句麗って
>>56
古代の航海技術で直接シナから日本に航海する技術は無い
しかもその話の時点では羅唐戦争勃発で半島を経由できなくなってた
遠征軍を随時送り出せる状況では物理的に無い状況だから揶揄されてる
61世界@名無史さん:2013/09/25(水) 12:37:16.00 i
原住民の反乱を「羅唐戦争」などと大国かつ宗主国の唐より新羅を先に記載するのはどうなんだろう
「羅賊の乱」という名称にするべき
62世界@名無史さん:2013/09/25(水) 14:16:25.48 0
まぁそういやそうだね
唐側に戦争名が無かったんじゃないかな・・
63世界@名無史さん:2013/09/26(木) 06:57:46.99 0
結局、聖徳太子(厩戸王子)のときに虚勢張って「対等外交」やって、
舒明〜天智の頃もその延長で「礼を争う」とか実際に戦争やったりしたものの、
白村江で唐にボコられて己の立場を認識して、朝貢国として臣従したってこと。
64世界@名無史さん:2013/09/26(木) 13:32:42.04 0
でいつ日本がシナ帝国に従って派兵したり即位の認証へたり
貢物差し出した?
65世界@名無史さん:2013/09/26(木) 19:04:30.67 O
お互いに新羅を挟んで決定的な対立は望まなかった
だから位階争いは適当に誤魔化して国交結んだっていうのが実情だろうな
日本側から折れたのなら中国の史書に誇らしく書くだろうよ
66世界@名無史さん:2013/09/26(木) 21:08:19.67 0
まあ、遣唐使は普通に朝貢国扱いだけどな。
67世界@名無史さん:2013/09/26(木) 22:08:29.70 0
日本は唐に征服された
68世界@名無史さん:2013/09/26(木) 22:24:18.72 0
唐に服属したのは事実だが、征服はされてないだろ。
唐が弱まった好きに完全に独立してあとは独立独歩
69世界@名無史さん:2013/09/26(木) 22:35:35.09 0
白村江の後で防人始めましただから、形として頭下げた後もそ
れなりに険悪な感じだったのかな
70世界@名無史さん:2013/09/26(木) 23:02:25.53 0
>>69
新羅の海賊対策がメインでは?
71世界@名無史さん:2013/09/27(金) 02:12:06.28 0
新羅から海賊来るのはもうちょっと後
新羅が荒れてからじゃん?
72世界@名無史さん:2013/09/28(土) 00:34:58.28 0
>>12
圧倒的にインドだと思ったが
>>64
朝貢国と半分自国扱いの藩属国は違うからね
日本はそこまで求められる外交関係には無かった
73世界@名無史さん:2013/09/28(土) 03:58:19.95 0
冊封国は外臣、朝貢国は外客臣の扱いだからな
74世界@名無史さん:2013/09/28(土) 05:37:42.98 0
いや、違うよ
藩属国は臣下扱い
朝貢国は中華秩序に服属する国扱い
75世界@名無史さん:2013/09/28(土) 07:56:37.28 0
服属国であることに変わりはないから、
光仁天皇は「御座」から下りて唐の使者に平伏したし、
足利義満は臣と称して明の国書を礼拝した。
76世界@名無史さん:2013/09/28(土) 10:04:29.89 0
頭下げときゃ貢物の数倍返しで大儲けだからな。
味をしめてお土産目当てに用もないのに度々ご機嫌伺いに来る朝貢国もでてきた。
77世界@名無史さん:2013/09/28(土) 12:24:09.07 0
結局、前近代においては日本の対等外交なんてのは幻想だったってことですね。
国内向けに虚勢張ってただけで、いざ中国に接するときは臣従するか、民間任せ。
78世界@名無史さん:2013/09/28(土) 12:55:05.86 0
中国と貿易したい日本
どうでもいい中国って時点で立場弱いからな

鎖国するからイラネってタイミングなら対等になれるが
79世界@名無史さん:2013/09/28(土) 13:16:08.63 0
鎖国か土下座交易か海賊交易かという極端な関係しかない
80世界@名無史さん:2013/09/28(土) 13:36:46.95 0
>>75
いや、違うよ
藩属国というのは半分臣下、王を解任される事もあったし
法律その他を中国の物に合うよう改正したり、時にはその物を使用せねばならなかった
81世界@名無史さん:2013/09/28(土) 14:32:41.09 0
皇帝が使節に全権委任してなければ、
よこの国王よりも使節の官位が上位になることはありえない。

平伏して挨拶なんて、特別な事態。
新王朝の承認を遅らせ、旧王朝に与していた場合の初回の外交など。
82世界@名無史さん:2013/09/28(土) 14:49:54.38 0
天智大王の没後、30年間も遣唐使の派遣が中断され、
再開後初の遣唐使で日本国と倭国の関係が混乱して伝わったのは、
やはり天武天皇が壬申の乱に勝利して即位したのが、
唐側から見て簒奪行為に見えたからなのかな。
83世界@名無史さん:2013/09/28(土) 15:13:01.13 0
単に半島南部の混乱で寄港できなかったからじゃん?
あと高句麗解体後の唐の本格侵攻の危険性も捨て切れなかったし
84世界@名無史さん:2013/09/28(土) 15:13:57.50 0
遣唐使再会が渤海建国後なのは偶然じゃないでしょ
85世界@名無史さん:2013/09/28(土) 15:41:36.72 0
>>81
大身の官位より下、というかそういう事ではなく権能の問題
敵対しない限り中華皇帝が朝貢国君主の地位を剥奪する事は無いが
藩属国の場合は剥奪されたり意図しない者に継承する事例が散見される
86世界@名無史さん:2013/09/28(土) 15:43:32.02 0
>半島南部の混乱で寄港できなかった
直接渡航していた事実を知らない馬鹿
87世界@名無史さん:2013/09/28(土) 16:15:14.61 0
あのさー直接渡航はワリとリスクがあるのと
何処につくのか不明になるって問題があるのよ
どこでもいいから漂着すればいいって感じなら問題ないんだけど
88世界@名無史さん:2013/09/28(土) 16:29:04.65 0
>>85
藩属国というのは清朝の藩部(内外蒙古の王公や新彊のイスラム系部族)のこと?
89世界@名無史さん:2013/09/28(土) 16:34:17.11 0
>あのさー直接渡航はワリとリスクがある
事実なんかどうでもいい
ウリの思い込みを聞けーっていうの
すげー迷惑なんだけど
90世界@名無史さん:2013/09/28(土) 17:09:43.88 0
え?でも実際渡海ルート構築は時間かかるし
従来のルート通ると襲われる危険性高いんだよ?
新羅って強くはないけど「粗暴」なんだよね・・
91世界@名無史さん:2013/09/28(土) 19:28:20.97 0
>>88
漢代の南蛮諸国、徹底的に凹られた後の突厥
渤海、ベトナム諸王朝、新羅、高麗、李朝のこと
92世界@名無史さん:2013/09/28(土) 19:50:24.74 0
>>88
藩部のイスラムは、イリのカザフ民族ぐらいしかいない。
オアシス定住民は、世襲制領主ではなく、官僚制度なのだ。貝伊が長官級。トルコ語のbeyが語源。

>>91
朝鮮(1392-1910) は、年代が違うでしょ!
冊封朝貢の制度ができて、そいつでしょ。
93世界@名無史さん:2013/09/28(土) 20:14:29.77 0
>>92
明代も朝鮮と越南は別扱いで他の国とは束縛の度合いが段違い
半島、ベトナムは終始強い影響下に置かれてた、まあ沖縄もなんだけどw
94世界@名無史さん:2013/09/28(土) 20:24:34.79 0
琉球は南蛮人が中継貿易受け持つまでは一人勝ち状態でぼろ儲けしてたイメージ
海を挟むと頭下げるメリットだけが大きくなる感じ
95世界@名無史さん:2013/09/28(土) 22:25:25.29 O
直接渡航は可能だけど
羅針盤が無い時代に、陸地の見えない海を突っ切るのがどういうことか想像してみ
天候が悪化したり日が暮れれば空も見えない
長期間海を渡るってことは陸地の補給に頼れ無いことだからそれだけ物資も詰めこまなくてもならない

普通に半島を経由した方が安全なんだよ
96世界@名無史さん:2013/09/28(土) 23:36:31.99 0
630〜838年の内、北路は665年迄の35年間。
http://yamato-chuuka.com/img/menu/menu_img11.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/Kentoshi_route.png/300px-Kentoshi_route.png
http://homepage3.nifty.com/ayumi_ho/ganzinraizitu/kouro.jpg

何時もの事だがチョウセンスキーは絶対に論拠を言わないで、敵である「ネトウヨ」の敵失狙いでしか発言しないorz
97世界@名無史さん:2013/09/29(日) 00:06:03.24 0
日本と新羅の関係がそれほど悪くない時期でも、半島が慢性的に飢饉が続いていたため、盗賊化した難民・海賊が跋扈してて治安が悪かったのでは?
98世界@名無史さん:2013/09/29(日) 01:28:38.85 0
いやだから矛盾無いじゃん
半島南部が倭の影響下にあった時期は北路で
白村江の戦いで半島から撤退した後、
唐と新羅で抗争が始まり
半島経由が出来なくなったから
直接渡海ルートを取らざる得なくなった
唐の侵攻の危険性もあったから遣唐使どころじゃないし
渤海成立後は唐侵攻の可能性は無くなったから再開した
でも半島は荒れすぎてて半島経由は危険できなかった
って流れでしょ
99世界@名無史さん:2013/09/29(日) 01:44:21.61 0
渤海ルートって道中の半分くらいはまともな街道とかなさそうだし、食料は狩りとかで現地調達しながら何もない荒野をひたすら突き進んでいくって感じだったんかな?
100世界@名無史さん:2013/09/29(日) 03:42:07.41 0
どうだろ
渤海ルートって渤海使のルートをそのまま使ったんでしょ
それと渤海ルートの陸路はほぼ旧高句麗領だし
そこまで未開地域じゃないと思う
101世界@名無史さん:2013/09/29(日) 09:26:10.92 0
>>96
南路4はそんなに難路だったのかね
102世界@名無史さん:2013/09/29(日) 13:48:24.19 0
>いやだから矛盾無いじゃん

>>87
>>90
>>95
103世界@名無史さん:2013/09/29(日) 14:56:38.95 0
>>102
95は私じゃないけど何処に食いついてるのかさっぱりわかんないんだけど?
104世界@名無史さん:2013/09/29(日) 16:32:30.29 0
取り敢えず、妄想、思い込みで書き込まなきゃいいんじゃねぃ
95に限らず、日本の学校で日本史を履修して遣唐使の航路図を一度もみてないわけない
まぁこう書くと高校で日本史の授業はなかったとか言い出すんだろうけど
日本史の知識が皆無なのに、何で妄想を語りだすのかってとこを、真面目に自問してみてはどうだろうか
105世界@名無史さん:2013/09/29(日) 16:45:11.23 0
>>101
正月の朝賀に間に合うように長安に到着するスケジュールのため、
台風シーズンに航海しなければならなかったのが遭難の多い理由だったとか。
106世界@名無史さん:2013/09/29(日) 17:06:36.26 0
台風シーズンでも航海出来る航海術があった証左でもあるな
107世界@名無史さん:2013/09/29(日) 19:13:39.80 0
普段から使節の正使は大陸に常駐していて
長安に出向かなくてよい時期は、経済活動してればいいと思うよ。
手続きとして、勅書のとりつぎは副使に任せて、到着が間に合わなければ
大和朝廷の意向はスキップして、正使に全権委任という委任状を出しておけばOK。
そうすれば、無理して渡航して命を落とす心配はない。

実は帰りのほうが大変。陸地に着かず、太平洋を漂流してアメリカに行ってしまう。
108世界@名無史さん:2013/09/29(日) 19:16:51.95 0
海流って言葉知ってる?
109世界@名無史さん:2013/09/30(月) 07:34:10.72 O
何なんだ…
派遣が可能である=絶対安全
だと思ってる馬鹿がいるのか?
110世界@名無史さん:2013/10/01(火) 14:39:04.63 0
>>81
冊封使は冊封を天子に代わって執り行う勅使なんだから、天子の代理人。
あまり低い身分の人間にやらせるのは相手の体面を損ねるが、原則的には
官位とか関係ないでしょ。天子の代理なんだから、冊封を受ける側は当然、
そう扱わなければならない。平伏するのも別に特別なことではない。
111世界@名無史さん:2013/10/01(火) 16:03:44.48 0
 
「遣日使」でぐぐると
遣唐使にたいして遣日使もすごかった
という記事があるけどその遣日使の回数が無い
新羅と渤海は双方ともに回数が載ってるのに
唐から日本に来た回数だけ載ってない
一体何回だろうか
112世界@名無史さん:2013/10/08(火) 18:11:22.42 0
遣日使って耳慣れない言葉だが、中国側からの答礼使や冊封使のことを言ってるのか?
113世界@名無史さん:2013/10/09(水) 19:18:08.26 0
その遣日使というのが、白村江の後に北部九州に進駐したGHQみたいな連中や、
8世紀後半に光仁天皇に臣下の礼(御座を降りて平伏)をとらせた連中のことなのか。

日本も偉そうなこと言ってたわりに弱っちいな。
114世界@名無史さん:2013/10/09(水) 19:37:49.35 0
幾ら虎の威を借りても
その超大国唐は日本の属国だと認めたんだけどね新羅を
115世界@名無史さん:2013/10/09(水) 20:42:19.64 0
その日本は唐に服属した。
116世界@名無史さん:2013/10/12(土) 06:06:29.07 0
日本史の教科書とかでは、遣唐使は唐の先進文化を学ぶための使節って面が強調されてて、
朝貢使節って事実は曖昧というか黙殺されてるんだよね。
それ以前の遣隋使に関しては、やたらと「対等外交をめざした」ってことが強調されてて、
遣唐使では朝貢の事実が隠蔽されてるから、大多数の人間は遣唐使も対等外交って勘違いする。
だから、光仁天皇が唐の使節に土下座したって事実を知ったときは衝撃だったわ。
117世界@名無史さん:2013/10/12(土) 07:15:49.01 0
別に土下座まではしていないが、国王としての承認を求めて臣下の礼をとったのは事実だな。
なんでかというと光仁天皇は天智天皇の系統で、これは天武天皇がクーデーターを起こして政権とっていらい、
天智系は冷遇されまくってて、立場がとても弱かったので唐の後押しが欲しかった為と言われている。

まあただの国内事情に利用しただけで、義満と似たようなもんだが。
118世界@名無史さん:2013/10/12(土) 08:11:17.98 0
>>116
ぶっちゃけ皇室のアイデンティティーの一つだと思うよ、「アンチ中華」という概念は
だからできるだけ朝貢の痕跡は隠そうとしている
倭の五王なんかは中国史書と記紀との整合性をとらないようにしているっぽい
119世界@名無史さん:2013/10/12(土) 11:44:05.20 0
ていうかあの時代朝貢って概念あったのか?
明くらいからだと思っていたんだが。
120世界@名無史さん:2013/10/12(土) 12:08:42.50 0
>>119
朝貢の概念はあったよ、中華秩序に含まれる国という意味で
但し貢納が義務付けられている属国の朝献とは違い
朝貢国は徳に惹かれて自主的に行うという名目だけど
121世界@名無史さん:2013/10/12(土) 13:43:55.68 0
冊封が中華から王の承認なら、朝貢だけの関係は国の承認てとこか
122世界@名無史さん:2013/10/12(土) 13:50:50.69 0
倭の五王に関しては官職も受け取っている。
123世界@名無史さん:2013/10/12(土) 14:28:51.05 0
>>120
それは冊封では?
124世界@名無史さん:2013/10/12(土) 15:55:11.64 0
>>123
唐代の日本は朝貢はしたが冊封された事は無い
125世界@名無史さん:2013/10/12(土) 17:20:55.71 0
>>124
だけど、唐の皇帝が宰相の張九齢に起草させた「勅日本国王書」というものがあるから、
日本国王に冊封されてたのは間違いないけどね。
126世界@名無史さん:2013/10/12(土) 18:31:56.63 0
日本がうちは独立国じゃいって強く出てるとき以外は自動的に属国
127世界@名無史さん:2013/10/12(土) 18:45:01.73 0
唐以降で冊封されたのって、義満だけじゃなかったっけ?
あとは相手にしなかったし。
義満も一代限り、あとはこんな屈辱受けれるかといって拒絶した。
128世界@名無史さん:2013/10/12(土) 19:23:50.07 Q
義満の後も日本国王に冊封された足利将軍は何人かいるぞ
129世界@名無史さん:2013/10/12(土) 19:24:54.43 0
義満の息子、4代義持は朝貢形式を屈辱的と感じて勘合貿易を中断したが、
その弟の6代義教は貿易の利益を優先して朝貢を再開した。
しかし、その子の義勝以降、冊封された確証はないらしい。
ただし、8代義政が明の皇帝からもらった国書には「日本国王」と明記されているので、
明から正式に日本の代表者として公認されていたのは間違いない。
130世界@名無史さん:2013/10/12(土) 21:24:13.62 0
>>125-126
願望が史実であって欲しいからといって嘘を連ねては駄目だよ

スメラミコトへの勅日本國王書には
冊封に関する文言は1文字も無く丹?真人についての事等しか書かれていない

王が唐によって任命される新羅と違い属国では無い
131世界@名無史さん:2013/10/12(土) 21:41:41.88 0
唐に対して「大日本皇帝」と称することができなかった時点で
向こうから下位に置かれていたのは間違いないけどね・・・。

大宝律令には「皇帝、華夷に称する所」と明記しているのに。
唐への自称は「日本国王」なんだから、日本も下に置かれていることを
認めていたんだよ。
132世界@名無史さん:2013/10/12(土) 21:48:15.66 0
>>113
>>116
土下座とまでは記してないが、確か光仁天皇は御座から下りて
唐使に礼をしていなかったか?

よく中国歴史ドラマである拱手の礼くらいはしていたと思う。
他国の使臣に対する通常の礼なら、一国の帝王が玉座を下りる必要なんてないはず。

石上宅嗣が「彼は大、我は小」と自己認識して
「宜しく○○の礼を用ゐるべし」と発言し、「忠臣義士の道に非ず」
と非難されている文献もあると聞いた。壬生家の文書じゃなかったかな。
133世界@名無史さん:2013/10/12(土) 21:54:34.13 0
光仁天皇は唐が強大な国家だと冷徹に認識していたと
その現実感覚を俺は却って評価したい。

暗君なら夜郎自大になって
「朕は明神御宇日本根子天皇。
震旦の使臣如き何するものぞ」とか言って国交断絶を招いてる。
134世界@名無史さん:2013/10/12(土) 21:55:53.67 0
>>131-132
朝貢している時点で中華秩序に服属しているのだから
下位に置かれたのは当然の事、但しそれ迄の話

支配権を唐から冊封され明確に従属が義務付けられていた属国の新羅とは違うんだよ
135世界@名無史さん:2013/10/12(土) 22:06:22.06 0
新羅と違う、違うって強調してもなあ。
皇帝と国王、その時点で雲泥の差がある。
日本は唐に服属していたってことは認めるんだよね?
なら「新羅(半島)とは違う」って力説することにどれだけ意味があるんだ?

単に唐が直接力を及ぼせたか否か、
要するに海があるか無かったか、それだけの地理的要因だよ。

上のレスであったが、「日出処天子」だけが強調されて
長い遣唐使時代の実態が余り伝わってないことを危惧すべきだね。
136世界@名無史さん:2013/10/12(土) 22:10:06.57 0
そもそも遣隋使だって、よく『隋書』を読めば
「倭王(聖徳太子?)」は自分の事を「蕃夷」と称している。
で、煬帝は「海西の菩薩天子」だと。

完全に臣従。事実は事実のまま記して欲しかったなと
当時の教科書執筆者には今でも言いたい。
137世界@名無史さん:2013/10/12(土) 22:12:22.58 0
>単に唐が直接力を及ぼせたか否か
いや、違うよ

宗主国の唐は属国の新羅に直接の命令権を及ぼしたが
目下に過ぎない日本へは間接的にも何ら力を及ぼしていない
両者の対唐関係は天と地程に異なる
138世界@名無史さん:2013/10/12(土) 22:15:26.47 0
>>136
蕃夷の語は、臣下である事も従属下にある事も意味しない
臣従では全く無い、臣従とは羈縻支配下の諸府州や冊封国を指す
139世界@名無史さん:2013/10/13(日) 01:50:15.50 O
天皇の臣下で官位として中位くらいの将軍が冊封をうけただけだろ。
140世界@名無史さん:2013/10/13(日) 09:36:17.85 0
国王号は冊封の有無とは関係なく用いられてるのではないのか?
確かに魏志倭人伝や宋書倭国伝には、親魏倭王や倭国王に冊封する記事が出てくるが、
隋書や唐の歴史書には冊封記事は出てこない。

また、有名なフビライからの国書には、まだ入貢もしていない日本の支配者に対して、
一方的に「日本国王」と呼んでいる。
国王号の使用に厳格だったのは、明の初期くらいだったのではないか?
明も後期にはると、足利将軍に冊封は明確に証明できない上、正規の国王でもない大内氏が、
勝手に日本国王印を使って朝貢している。
141世界@名無史さん:2013/10/13(日) 10:14:04.13 0
>>139
当時の権門体制では足利将軍は御判御教書を発行するなどすでに
最高権力「公方」として確立しており、京の市政を掌握するなど経済軍事
面という実態だけでないよ。
142世界@名無史さん:2013/10/13(日) 10:16:14.61 0
そもそも近代以前の中華王朝に対等なんて概念ないんじゃないの?

だから名目的な対等関係なんて存在しないと思うんだが
まあ実質的には日本は対等というか適当にそういう秩序を利用してた感じだけど
143世界@名無史さん:2013/10/13(日) 10:20:42.19 0
>>141
天皇の家臣には変わりないわけだが。
144世界@名無史さん:2013/10/13(日) 10:41:22.48 0
>>143
室町時代は限りなく公方と天子の関係が対等になっていた。
北朝天皇は、はじめから幕府の傀儡だったが、義満時代に完全に実質的権力を失い、
幕府に寄生する、ただの権威の装飾に成り果ててしまっていた。

しかも、義満が出家して世俗の権威や上下関係にとらわれないフリーダムな立場になったり、
妻を後小松天皇の准母にして、自らはその夫ということで天子の父と同格の立場になり、
さらに息子の義嗣の元服を親王の格式で行った。
その祝いの宴では、天皇と義満は台頭の席次だった。

こういう室町王権の実績のおかげで、江戸初期に上洛した徳川将軍は帝と対等の席次で対面し、
その後、幕末に公武の立場が逆転するまでは、勅使は将軍の下座だった。
145世界@名無史さん:2013/10/13(日) 10:55:53.62 0
従一位の徳川将軍、通常時の勅使は従三位。
勅使は下座でOKじゃね?
146世界@名無史さん:2013/10/13(日) 10:58:31.74 0
官位の上下に関係なく、勅使は帝のお使いだから上座。
幕府からの上使も、官位が上の大名より上座から将軍の命を伝達する。
147世界@名無史さん:2013/10/13(日) 11:20:28.79 0
>>144
いや将軍の位にいる時点で天皇の臣下ですから、
日本国王の証をもらっているから、中国皇帝に冊封されたという理屈が成り立つなら、
将軍の位をもらっている時点で天皇の丁稚であることは確定ですよ?

実質的に対等だったというのなら、義満はそもそも明と対等で外交やっていたわけだけど?
148世界@名無史さん:2013/10/13(日) 11:59:24.78 0
中国側は分裂時代の小国や、一地方官でも上から目線だったのかね?
五代十国の頃、呉越国が日本に国交を求めてきたが、当時の朝廷はそれを拒否した。
これはやはり呉越の方が上から目線だったからなんだろうか?
また、後白河院の頃、南宋の地方官から朝廷に来た手紙には「日本国に賜う」とあって、
朝廷内で公卿たちの間で物議をかもしたそうだ。
後白河院は気にも介せず返書を出したらしいが、やはり臣下の礼をとったのだろうか。
149世界@名無史さん:2013/10/13(日) 12:17:47.86 0
>>148
よほど重要な局面でない限り、日中ともに専門の官僚が何も考えずに前例をもとに定型文に従って作文するだけ。目線がどうとかや中身より、いかに四六駢儷体の美文に仕上げるかに全神経を注ぎ込んでそう。
150世界@名無史さん:2013/10/13(日) 12:21:49.21 0
>>148
呉越とは一応、正式の関係があったようだ。
ただし、藤原摂関家の当主が呉越王と文書をやり取りするという関係。

教科書レベルでは、遣唐使の廃止=国交中絶って説明だから、
呉越と藤原氏との関係は国交ではなく、私的な交流って解釈なのだろうか?
151世界@名無史さん:2013/10/13(日) 13:39:00.70 0
>>146
大名で公卿って、紀州尾張以外だと加賀藩ぐらいしかいないだろう。
幕府の高官にも官位はない。ほとんど序列外同士でのことだろう。

武士は、源義経の前例から、官位の序列の中に組み込まれない前提だ。
152世界@名無史さん:2013/10/13(日) 13:41:11.69 0
>>146
四六駢儷体って、明朝以降からでないと
そんなに拘る存在にはなっていない気もする。
153世界@名無史さん:2013/10/13(日) 14:16:17.99 0
>>151
>>146で言いたいのは「幕府の上使」が自分より官位が上の大名に、
「役儀により言葉を改める云々」ってやつだろ。

大名・旗本にも武家官位があり、大名には従五位下の諸大夫から四位の中将、少将もいるから、
五位の旗本が四位の国持大名に上座から上意を伝達することもあるだろう。

中国からの冊封使が琉球など属国の国王に冊封の勅命を伝える場合も、
同様に一官吏が一国の王に対して、上位から皇帝の勅命を伝える。
154世界@名無史さん:2013/10/13(日) 15:13:02.65 0
>>146>>153
嘘を書かないように。もし仮に幕府での序列が下の上使なら下座
尤も通例はそういう無礼な処置は決してしなかった
>>148
オマエの願望と妄想はもう聞き飽きた。
賜とは、目上の者が目下からの利益に対して返礼する事を指す
君臣や半島王朝のような宗属関係とは無関係
155世界@名無史さん:2013/10/13(日) 15:24:48.76 0
例えばペルシャやインドからの使節は中華皇帝から
度々下賜品を賜っているが、中国王朝の臣下では無い
156世界@名無史さん:2013/10/13(日) 17:56:29.61 0
中華の暴威に直接晒される距離じゃなければほんといい交易相手だ
157世界@名無史さん:2013/10/14(月) 04:23:09.99 0
中華にまさるものはなし
158世界@名無史さん:2013/10/14(月) 10:35:10.86 0
>>156
ところがその交易こそが鎌倉南北朝の日本の騒乱の元凶になった。
中国から導入された膨大な銅銭が京を金融セクターに変えてしまった。

当時の日本の京の土倉を代表とする金融万能主義は律令崩壊後の本家、領家、下司
の荘園の重層支配を一人が支配する一円支配に変え、それが鎌倉幕府滅亡〜戦国
という長い紛争の時代の根本原因を作った。
159世界@名無史さん:2013/10/14(月) 12:05:06.44 0
土倉が発達したのは室町時代だし
旧荘園や在地の支配や代官なんぞして無いよw

土倉は読んで字が如く物資の取り扱い
物の預かりや運送も主な仕事の1つだった
160世界@名無史さん:2013/10/15(火) 21:36:07.11 0
朝貢と冊封の区別がぜんぜんわかってないアホが多すぎ
161世界@名無史さん:2013/10/17(木) 10:19:33.47 0
中国は金銀銅などの鉱物は慢性的に不足してて、日本はそれが豊富だったからな。
高額で買い取ってもらえる。
162世界@名無史さん:2013/10/19(土) 17:51:52.49 0
遣唐使の時代、天皇は本当に冊封を受けていなかったのだろうか?
唐からの国書に、日本国王に勅すとあるのなら、当然、国王に任命されているはずだが、
まさか冊封もされていないのに国王と公認されていたのだろうか?
元のフビライの国書でも朝貢すらしていない日本の支配者を日本国王と呼んでいる。
どうも中国王朝側の国王の基準がよくわからん。
163世界@名無史さん:2013/10/19(土) 19:15:41.55 0
遣唐使の時代、天皇は本当に冊封を受けていなかった。

唐の国書に日本国王へ勅すとあっても、必ずしも国王に冊封されているわけでは当然無い。

唐は冊封していなくとも、天皇を日本国王として認めていた。

クビライ時代の元も、朝貢していない将軍を日本国王と呼んでいる。

中国王朝の呼ぶ日本国王とは日本の支配者。
164世界@名無史さん:2013/10/19(土) 23:12:31.46 0
>>163
使者は朝廷に派遣したのだが?国書というより返書な。上のレスからも分かるように
自分からへりくだってそう称したから書かれていただけだよ。

日本国王号に意味ができたのは貿易管理が厳しくなった明朝からだからだ。
165世界@名無史さん:2013/10/20(日) 09:51:15.39 0
ということは明以前は、冊封の有無にかかわらず、異国の王は国王認定してたのか。
166世界@名無史さん:2013/10/21(月) 07:39:40.46 0
認定も何も歴代中華王朝の大半は図体でかくてプライドは高いけど
喧嘩はからっきしってタイプだもの
裏では番長の匈奴君にいつもお金せびられてるみたいな・・
でも身内には超内弁慶

あまり知らない人には強く出れないのよ
167世界@名無史さん:2013/10/21(月) 10:53:01.45 0
中華王朝は漢民族が主体出ないなら強いぞw
漢民族主体の王朝だと異民族にはさっぱり勝てないから弱いけど。
168世界@名無史さん:2013/10/21(月) 14:15:07.55 0
匈奴や突厥をフルボッコして崩壊させる最強国だよ
その時代に地上で2番目に強かったのが匈奴と突厥
169世界@名無史さん:2013/10/21(月) 15:26:04.41 0
中華が平和ボケして汚職やらなんやらでぐだると周辺蛮族に勝てなくなる
170世界@名無史さん:2013/10/21(月) 20:34:21.54 0
機動力のある周辺集団には、利権を与え懐柔し
定住している周辺集団には、思想教育をして圧迫する。

それが清朝のやり方。その後の馬軍団も中共も一緒。
遊牧民を懐柔し、オアシス民を監視する。
171世界@名無史さん:2013/10/26(土) 10:46:10.34 0
清朝がジュンガルを平定できたのはチベット仏教の大檀那になったからだからだよ。
経済圏への取り込みが主要な理由だよ。それをグローバリズムと取るか植民地主義
ととるかは解釈の分かれるところだが懐柔だの監視だの低レベルなものではないよ。

そういう主張をするダライ・ラマや新疆の活動家は現地社会から乖離した負け組み
にすぎない。
172世界@名無史さん:2013/10/26(土) 14:06:10.85 0
チベット僧侶階級はともかく新疆のテロってる人たちは
物の考え方より前に出自からして現地人から浮いているし
173世界@名無史さん:2013/10/27(日) 06:32:00.09 0
どっちにしろ清朝は満州族の王朝であって、漢民族とは関係ないんだけどな。
漢民族がチベット支配した事あったっけ?
チベットが成都とかまで占領した事はあったけど。
174世界@名無史さん:2013/10/27(日) 07:34:47.52 0
馬家軍や趙爾豊が清朝にとってかわっても、中央への従属性は続いてしまったから
現地(ジュンガルやラサ)に政治的実力がないんだと思うぞ。
ロシアを後ろ盾にして分離したハルハは、ロシアに有力政治家を潰されてしまい
ロシアに従属する時期が長く続いてしまう。
175世界@名無史さん:2013/10/27(日) 09:56:06.89 0
早くからロシアに従属したブリヤート、ロシアを頼って独立したハルハ。
モンゴル人は同じ黄色人種で騎馬民族の満州人より、白人のロシアの方に親近感があったのか、
それともよほど清の支配を嫌っていたのか、どちらなんだろう?

ブリヤートなんて文化的にはロシアより清の支配に属したほうが自然なのに。
176世界@名無史さん:2013/10/27(日) 11:31:09.33 0
ハルハもそれ以北の部族も文化的には満州人よりロシア人の支配に属したほうが自然だよ
ロマノフ王朝の支配様式は非常にモンゴル的
177世界@名無史さん:2013/10/27(日) 13:29:05.01 0
>>175
ロシア=白人のふりをしているジョチウルスの後裔
178世界@名無史さん:2013/10/27(日) 19:19:04.90 O
西洋のことわざ
「ロシア人の皮を剥いだらモンゴル人が出てきた」

ロシア人は見た目は白人でも、考え方がアジア的という意味
179世界@名無史さん:2013/10/27(日) 19:43:51.45 0
実際19世紀には、タタール語やカルムイク語も喋れた人多かったからな
180世界@名無史さん:2013/10/30(水) 19:20:42.14 0
中央アジアの3ハン国は露清両属みたいな感じだったのかな。
19世紀まで3ハン国は清に朝貢してたけど、ロシアにも通じていて、
気がついたらロシアの領土や属国になってた。
181世界@名無史さん:2013/10/31(木) 06:50:04.91 0
あのあたりのハンは、内外蒙古の王公よりずっと野蛮な暴君のイメージがある。
だから、ロシア革命であっさり追放されたんだろう。

第二次大戦で日本が負けるまで、なんだかんだで残ってた内モンゴルの王公は、
意外とソフトでマイルドな統治をしていたのだろうか?
ソ連に支配された外モンゴルでは、黄金氏族は根絶やしにされたらしいが。
182世界@名無史さん:2013/10/31(木) 19:35:29.47 0
チョイバルサンはどうみても傀儡政権だもんなあ。
チンギスの子孫皆殺しとかモンゴルの全否定じゃないか。
183世界@名無史さん:2013/11/02(土) 08:26:47.43 0
桓武天皇の延暦23年(804)七月六日、藤原葛麻呂を大使とする遣唐使船が肥前国松浦郡の田浦から
唐をめざして進発した。(中略)大使藤原葛麻呂が驚嘆すべき急行軍で長安入城を敢行したのは、正
月元旦に開かれる元会儀礼に参加し、貢献物を貢納するためである。日本側の目的はどうあれ、唐朝
が遣唐使を受け入れるのは、日本朝貢使が元会儀礼に参加して貢献物を貢納し、唐に対する政治的従
属を表明するからである。

足立啓二『天空の玉座』より
184世界@名無史さん:2013/11/02(土) 08:32:02.11 0
>>183のような遣唐使が朝貢使節だったことを、歴史の教科書は曖昧にして教えない。
遣隋使の「対等外交をめざした」ばかりを強調するのは、正直アンフェアだと思う。
185世界@名無史さん:2013/11/02(土) 09:13:03.79 0
対等を目指したってことは対等じゃなかったってことだわな
186世界@名無史さん:2013/11/02(土) 12:11:38.99 0
現代の米国とその他の国の関係は対等でないが
唐代新羅の様な外交権や軍事権を持っていなかった属国や保護国と違い
自主的な外交権や軍事権を保持している、これは当時の日本も同じ
187世界@名無史さん:2013/11/02(土) 14:31:23.70 0
まあ、日本なんて唐から見れば、大伴古麻呂みたいに使者がドタンバでゴネないかぎり、
普通に新羅より下の席次にされるレベルの国だからな。
188世界@名無史さん:2013/11/02(土) 14:45:07.65 0
現実には日本の属国だと認定された新羅は日本の下に位置し
明代には将軍処ろか管領の細川家、管領代の大内家や琉球より下の扱いだったからな半島
189世界@名無史さん:2013/11/02(土) 14:55:25.92 0
その大内は李氏朝鮮に臣下の礼を取るかわりに、半島内に所領を要求している。
もうカオスだな。
190世界@名無史さん:2013/11/02(土) 16:34:57.20 0
大内家は李朝に対して臣下の礼を取らなかった
李朝は航海の安全保障も所領の献上もしなかったからね
191世界@名無史さん:2013/11/02(土) 16:39:31.84 0
>>187
逆に言うと、使者がゴネなかったら、新羅の下位に置かれてたってことだよな。
そして、ゴネ得事件が歴史に残ってるということは、普段は必ずしも新羅の上位じゃなかったってこと。

日本、たいしたことねーなw
192世界@名無史さん:2013/11/02(土) 17:02:31.69 0
>>191
在チョンの願望は解ったが
現実はそれ以後ずっと日本が上の席次で滅亡するまで新羅は格下

南北朝前半は日本の領土認定されていたし
後半になっても日本の属国と見做されていた
大唐の属国になると日本の属国ではなくなったが当然の格下扱い
大元では蒙古族の領土となり、大明では琉球より格下
そもそも李朝自体が大清と同じく女真族の征服王朝だ
193世界@名無史さん:2013/11/02(土) 17:35:17.30 0
中国王朝の実体の伴わない官爵は根拠にならない。
群雄割拠状態の朝鮮の一部を全部にすりかえるのは詭弁だぞ。
唐の冊封を受けた時代は191のとおり。
蒙古族の領土とか属国なのか併合されたのかいいかげんはっきりしてくれ、
李成桂が女真族なんていうのは松平が賎民出身だというのと一緒だよ。

それとやたら唐を大帝国扱いしているが最盛期は武周期の中盤くらいで
玄宗期には遼東の都護府も機能せず長城内に平蘆節度使をおいて国防を
図らなければならないほどで教科書に出ている羈縻支配が機能していたのは
ごく限られた期間に過ぎない。

古麻呂が席次を争った時期は府兵制がくずれ官健と呼ばれる外国籍を含む傭兵
に頼らなければ国防ができないように唐は中国史でも屈指の脆弱体制であり、
そんな中で序列にこだわるのは財政危機で演習も中止になるアメリカに集団的自衛権
の拡大で自由主義諸国内の序列を上げようと必死な政府を彷彿とするな。
194世界@名無史さん:2013/11/02(土) 18:49:32.18 0
唐の冊封を受けた時代は日本が席次上位で新羅は格下
つまり>>192の通り

唐は中国王朝の中でも際立った大帝国だよ、太宗から玄宗の末年まで
長い時間に渡って満州〜漠北〜印度支那北部〜西域〜中央亜+半島北部を支配する
比類する者の無い大帝国だった

羈縻支配が機能しなくなったのは9世紀に入ってからで2百年以上に渡って存在したうえ
藩鎮の領国は羈縻支配と違い唐中央の直接支配下にある行政軍事機関

しかも、満州南部と半島北部を支配する安東都護府が蘆龍節度使の兼任となった後も
唐が放棄して靺鞨人国家渤海の領有となったのは日本海側のみで
黄海側は依然として平壌周辺まで保持していた

府兵制を止め募兵制となった唐は軍事力を増し
西域を奪還し中央アジアや北庭にまで領国を広げている

オマエの主張は常に無茶苦茶なのは、話の核が現実と矛盾する願望と妄想に立拠しているから
それを革めない限り説得力の無い妄言しか書けないよ
195世界@名無史さん:2013/11/02(土) 21:27:22.94 0
>>193
官爵は兎も角半島南部は日本の殖民地だろ。
倭人が植民して立てた都市国家だと考えるのが妥当。
だからその倭人の宗主国である大和朝廷に従っていたし。
高句麗と争うときには大和朝廷が何万という大軍を援軍として送っていた。
当時渡海して万単位の援軍を送る理由は半島南部の国家群が倭人の国家だったと考えないとつじつまが合わない。l
196世界@名無史さん:2013/11/02(土) 21:45:34.82 0
狂信者が多いスレだな
197世界@名無史さん:2013/11/03(日) 05:57:32.53 0
中国は日本に興味無いってのが歴史的事実
198世界@名無史さん:2013/11/03(日) 08:18:05.86 0
中国から見れば白村江や倭寇や秀吉とかは、うるさいハエみたいなものか。
199世界@名無史さん:2013/11/03(日) 10:44:32.75 0
>>194
>長い時間に渡って満州〜漠北〜印度支那北部〜西域〜中央亜+半島北部を支配する
>比類する者の無い大帝国だった

満州とか漠北とかはっきりしない領域をかかれては困るな。(満州とかこの時代にない用語を使うなよ。)
インドシナにおいてもベトナムにあった安南都護府が機能しないために711年(玄宗即位の翌年、太平公主と絶賛バトル中)
に広州に嶺南五府経略使を設置している。

752年にタラスの敗北で安西節度使が消滅したことは無視ですか?

そもそも羈縻支配が機能しなくなったから国防体制の再編のために節度使が設置されたという常識がない時点でもうね。

>羈縻支配が機能しなくなったのは9世紀に入ってから
安史の乱でウイグルに救援されたのを羈縻支配が機能していたなんていわないでよ。代償にさんざん略奪されたのに。
それと北庭が789年に、河西が776年に吐蕃につぶされたのに何を言うのやら。

募兵すなわち官健は国家財政を圧迫し住民の流出を加速させ塩の専売や両税法による社会不安
を招いたのだが。

教科書レベルの知識もないのに他人を願望と批判されても失笑しか得られないぞ。
200世界@名無史さん:2013/11/03(日) 12:12:45.13 0
唐って、中国帝国なんかなあ。
拓跋族による遊牧征服王朝じゃないの?
201世界@名無史さん:2013/11/03(日) 12:24:45.28 0
北朝の重臣が、拓跋や慕容の氏姓名乗っているんだから
唐の皇帝も鮮卑系だろうな。
202世界@名無史さん:2013/11/03(日) 15:09:11.06 0
>>199-201
反論出来ないからと言って難癖を付けては駄目だよ、満州漠北は満州漠北だ
常用される歴史地理用語なのだから、自ら無知蒙昧で愚昧だと喧伝している様な物

無知はこれだから困るね。広州に嶺南五府を設置?違う違う、嶺南西道に広州が属していた
しかも唐は何度か起きた反乱を全て鎮圧し滅亡するまで「交州」に府を置いた安南から撤退していない
中華王朝から独立したのは五代の南漢政権の時、少しはお勉強しないと

タラスの戦後に失ったのは安西都護府のうち中央アジアの羈縻州
パミールから東は失っていないし安西都護府も当然廃止などしていない
オマエは書いてる内容が虚偽だらけ、少しは勉強してから書き込もう

節度使を設置したのは府兵制から募兵制へ移行した為に
兵士を現地採用する様になったから、羈縻支配とは何の関係も無い
現に羈縻州は中唐、後唐になっても何ら改変されず各地に存在した
歴史上の一般常識くらい覚えてから書き込もうね、オマエはあまりにも無知過ぎる

北庭都護府が陥落したのは791年、安史の乱から数十年後で既に9世紀直前
河西回廊はその後唐が吐蕃軍を打ち破り奪回している

両税法は武則天の大地主への御目溢し政策によって隠田脱税が深刻になった為に実施された物
募兵制が財政不安を招いた事実も無い、そもそも募兵するのは徴税権を与えられた藩鎮
オマエは何の知識も無い分際で、よくもまあ想いつきの適当なウソばかり垂れ流せると感心するわ
203世界@名無史さん:2013/11/03(日) 19:24:48.76 0
長文厨が来てからスレの雰囲気が悪くなったな
204世界@名無史さん:2013/11/04(月) 00:37:28.68 0
>>202
だから満州漠北ってどこだよ?遼東は含まれているの?
常用とか唐代の歴史で満州なんて単語を使用するとかトンデモ本を読んで
自分の無知さをさらさないでくれよ。

安南都護府が機能しないから嶺南経略五府と書いただろう。日本語が読めませんか?

>タラスの戦後に失ったのは安西都護府のうち中央アジアの羈縻州
192の
>羈縻支配が機能しなくなったのは9世紀に入ってから
が虚偽だということは認めると。
それと安西節度使が消えたことをどうして無視しているのか?もしかして
節度使と都護府の区別がつかないとか?これは予測の斜め下の反応だな。

>そもそも募兵するのは徴税権を与えられた藩鎮
官健(どうせこの用語も知らないのだろうな)の費用は中央持ちなのだが
こんなことも知らんとは。

節度使の設置位置が辺境ににまず設置されたことも知らずに羈縻支配とは何の関係もないとか
どんなトンデモ本を読めばそんなことが言えるのやら。

両税法は安史以後に実施されたものだが武則天時代から80年もたって施工された制度
を「武則天の大地主への御目溢し政策によって隠田脱税が深刻になった為に実施されたもの」
なんてまさに「オマエは何の知識も無い分際で、よくもまあ想いつきの適当なウソばかり垂れ流せると感心するわ」だな。
205世界@名無史さん:2013/11/04(月) 01:49:18.55 0
>>204
漠北が何を指すのかすら知らないと、無知なら無知らしく黙ってればいいものを
何故虚偽の妄想と願望を垂れ流すのか
遼東は古代から現代まで一貫して中国に属する
高句麗、百済の征伐以降は唐代を通じて現朝鮮民国の黄海側も中国に属した

>安南都護府が機能しないから嶺南経略五府と書いただろう。
いやいやいやw これは酷いw 事実を捏造してはいけない
安南都護府が設置されたのは嶺南道五府の創設より後
しかも安南都護府は唐が滅亡するまで領域を維持し続けた

満州やタリム盆地の羈縻支配は9世紀に入り漸く解体された
オマエは本当に無知だな、少しは勉強してから書き込め
安西節度使の任命は安西都護府よりも当然大分遅く、管轄も安西都護府より狭い
またタラスの役で安西都護府西部を失った後も安西四鎮は当然継続している

藩鎮が雇う兵士の費用は藩鎮負担、それが藩鎮制の眼目。常識な常識

藩鎮が置かれた地域は羈縻州とは重ならない、節度使が任命されるのは
唐の直轄地であって羈縻支配地域に配置出来る筈が無い、その程度は理解出来るよな?w

両税法は武則天が招いた新興富裕層の土地兼併と逃戸によって
戸に対して課税していた均田制が破綻した為に実施された物、少しは勉強しよう
206世界@名無史さん:2013/11/04(月) 15:27:25.63 0
特定人物がスレを乗っ取ったら、もうスレもおしまいだな。
207世界@名無史さん:2013/11/04(月) 15:50:03.61 0
だから漠北はどこを指すのか聞いているのだよ両税法を武周期に原因を求める
自称物知りさん、どうして答えないの?答えられないの?

>満州やタリム盆地の羈縻支配は9世紀に入り漸く解体された
おやおや今度は地域を限定するのかね194の
>長い時間に渡って満州〜漠北〜印度支那北部〜西域〜中央亜+半島北部を支配する
>比類する者の無い大帝国だった
は修正するのかね、長文を連ねる割には間違いばかりだね。

>藩鎮が置かれた地域は羈縻州とは重ならない、節度使が任命されるのは
>唐の直轄地であって羈縻支配地域に配置出来る筈が無い、その程度は理解出来るよな?w
河北三鎮をはじめとする辺境を勝手に他民族地域だと思っているとはすごいな、無知もここまでくると
笑えるよ。あと藩鎮制なんて制度はないよ。藩鎮は安史後の河北三鎮が自立性
を残して唐朝に帰順して生まれたもので制度ではなく状態だよ。藩鎮の自立性は節度使
が行政職である観察使職を帯びることで担保されたもので節度使=藩鎮ではない。
まさかボディーガードで雇っていた牙軍の費用を自己負担してことを藩鎮負担の根拠にしてるんじゃないよな。
満州とか言ったり用語に関してはもっと正確に使って欲しいものだ。(まあ逃げ道を残したいからわざとしているのだろうが)

両税法の原因である均田制が破綻したのは安史の乱で唐朝が把握する戸籍が4分の1に減少したためだよ。
204でも書いたがいい加減自分の年代把握がおかしいことに気づいて欲しいものだ。
208世界@名無史さん:2013/11/04(月) 16:54:46.77 0
>>207
逃げるなら大人しく口を塞いで書き込まない、書き込むなら逃げ口上を止めまともに応答しよう

>>205一段落三四行目、二段落目、三段落三四行目、四段落目に対して何も反論出来てないが
自らの誤りを認め>>205に書いた史実を受け容れたと取っていいかな?

>>204>節度使の設置位置が辺境ににまず設置されたことも知らずに羈縻支配とは何の関係もないとか
藩鎮と羈縻支配が何の関係も無い制度だというのは理解出来たかな?

藩鎮とは組織全体を指す用語、節度使経略使等は役職、その程度は理解してから書き込もう

いい加減、財源を付与された藩鎮が官健を雇用していた事を認めよう
地方政府の税を中央へ送り裁可した後に朝廷から支給していたら藩鎮制の意味が無い

朝廷が把握出来無い戸籍が急増を始めたのは武則天期
安史の乱が税制を変更する決定的な止めになったというだけ
209世界@名無史さん:2013/11/09(土) 14:50:03.82 0
もうここは、特定人物の日記帳になったようだな。
210世界@名無史さん:2013/11/18(月) 23:49:17.27 0
インドシナの歴史にはあまり詳しくないんで聞きたいんだけど
清のインドシナ半島における影響力はどのくらいあったのかね
ビルマ、シャム、越南は冊封されてたみたいだけど
形だけなのかある程度は影響力があったものか。
当時のラオスとカンボジアはシャムと越南が宗主権争って
両国をいったりきたりしてたんだっけ?
211世界@名無史さん:2013/11/19(火) 00:42:24.06 0
何故かタイを持ち出しているのに
ヒリピンの名前が出ていないのか、非常に強い疑問を感じるね
212世界@名無史さん:2013/11/20(水) 06:09:22.32 0
>>200
唐宗室の出身氏族は実際にはそうなんだろうけど、一応
公的には自ら漢族を自称してたんだから、征服王朝とする
のも微妙な気がするけど。
213世界@名無史さん:2013/11/21(木) 23:52:53.44 0
血統100%異民族な女真族の李朝王族貴族と違い
唐朝の李氏は山東貴族と十数代に渡って混血して血統的には完全な漢族だからね
214世界@名無史さん:2013/11/22(金) 18:42:09.13 0
>>212
唐の支配層が漢族を称した文献なんてねーよ。

古今東西、異文化圏からの征服王朝で、被支配層に解りやすいよう、被支配地の支配者の称号を帯びるものだ。
隋・唐が漢人の称号の皇帝号を称したところで、漢族を自称したことにはならんわな。
215世界@名無史さん:2013/11/22(金) 19:02:48.59 0
>>213
人間、親が二人いないと子が為せないものなのに、血統100%なんかねーよ。
遊牧民の盟約には人的紐帯が必須で、戦争に際しての同盟でも和睦でも人員の交換があるし、
支配層の婚姻というかたでそれが行われることが多い。
前近代なら、戦争に際して、人的資源の収奪も普通にあったし、戦争関係なく、大体、隣接して
住んでいて、物資のやり取りをしていて、婚姻関係が無いなんて例は無いしな。
216世界@名無史さん:2013/11/22(金) 21:45:46.04 0
>>215
唐朝李氏の家系を見ても代々山東貴族と通婚してるのが分かる
文化的に完全な漢人だし、血統的にも限りなく100%に近い漢人
99%以上日本血統の桓武天皇の后みたいな物
217世界@名無史さん:2013/11/22(金) 23:14:29.80 0
5世紀北魏の7世皇帝の孝文帝が五胡十六国の習慣を改め、漢化を進めた。
その後の6世紀に漢化をやめて五胡十六国の旧に復した。
楊氏は普六茹氏、李氏は大野氏を名乗るようになった。

李氏は7世紀になって高宗の時代に、老子の李耳を祖先とする族譜を出している。
唐王朝の出自は、胡族である可能性もあり、家系偽装している可能性はある。
218世界@名無史さん:2013/11/22(金) 23:32:31.73 0
李氏の出自が胡の可能性は大いにあるだろう
但しそれは99%以上日本血統だった桓武天皇夫人と同じ様に
関隴貴族が血統的に漢化していた事と何ら矛盾しない

ああそれから、胡風に戻した皇帝は結局駄目になり
定着した漢風は、高麗行省が元文化に染まり切ったのと同じく、覆す事は出来なかった。
219世界@名無史さん:2013/11/23(土) 00:02:26.41 0
いやいやいや、遺伝子の話するのは釣られすぎだろ
出自の話と結果的にどうなたかの話はわけないといけない。

李氏は出自は関隴軍閥できまり、これは揺るがない
関隴軍閥は中原の典型的な中国人からみれば胡族にしかみえないし
南シベリアの遊牧民からみれば中国人にしかみえない、
そういうマージナルな存在
220世界@名無史さん:2013/11/23(土) 00:10:54.76 0
北朝や隋唐の住民を、タブガチTabgachと呼ぶ7世紀の突厥碑文からすれば
北部中国は、五胡のうちでも拓跋鮮卑が有力者っぽいな。
西夏の李氏も、拓跋氏を名乗っていたぐらいだし、北部中国では胡族の影響力強し。
221世界@名無史さん:2013/11/23(土) 15:52:43.99 0
北部中国人をキタイ(Khitai )と呼んでいるスラブ諸語。
遼の契丹が語源であるキタイと呼ばれてる不思議。
222世界@名無史さん:2013/11/23(土) 16:40:31.98 0
>>216
オスマン王朝のスルタンなんてみんな生母がヨーロッパ人キリスト教徒だけれど
最後までトルコ人だったで。
223世界@名無史さん:2013/11/23(土) 16:43:47.34 0
>>220
西域の連中もチベットも、唐王朝をタングTangのhuang-daiと言わず、Tabgatのkaganと呼んでるしなあ。
224世界@名無史さん:2013/11/23(土) 18:21:00.15 0
>>222
トルコの方が先進地域から来た支配者な上にオスマン語を使い続けたと知っていたかな?

>>223
西域ではそのまま唐の天子と呼ばれ、タージではチンのファグフールと呼ばれた、捏造は駄目だよ
225世界@名無史さん:2014/04/10(木) 22:48:12.85 0
>>221
スラブ語のキタイは遼帝国のキタイから直接きてるわけではない。
モンゴル統治下での用語
中国北部の旧金帝国領をキタイ
中国南部の南宋の旧領をマンジといった
226世界@名無史さん:2014/05/01(木) 16:42:12.91 0
>>188-190
>>190の言ってることが正しいとして、
>>189の言ってる大内ってのは細川の間違いか?
227世界@名無史さん:2014/05/07(水) 22:25:22.76 0
臣称はしてないけど百済王家の末裔を称して半島に領地を求めている
228世界@名無史さん:2014/05/11(日) 17:22:46.27 0
琉球、対馬、サハリンは中華世界と日本世界の交錯するグレーゾーン。
日中両属の琉球、朝鮮に臣下の礼をとっていた対馬、中国の出先機関に朝貢していたサハリン。

前近代は、現代みたいに明確に国境線を決めてないから、こういう曖昧な地域が存在したし、
琉球や対馬がそうであったように、潤滑油としての役割も果たしていた。
229世界@名無史さん:2014/05/11(日) 21:28:38.98 0
勘合符じゃない、ああいった目印になるようなものありますか?
以前何かのマンガで、明との貿易で証明に使ったものなんだ、勘合符じゃないよ
という問題が出ていて、答えが書いていなかったのでずっと気になっています
230世界@名無史さん:2014/05/12(月) 01:40:28.89 0
>>228
李朝は日本に臣下の礼を取っていたんだがね
231世界@名無史さん:2014/05/12(月) 19:56:45.45 0
>>230
取っていない。
室町時代も江戸時代も幕府と李朝は完全な対等外交。

江戸時代は、幕府が対内的に民衆にあえて誤解させ、そのまま放置していただけで、
新井白石や雨森芳州など外交の当事者は完全に対等外交を行っている。
通信使が朝貢使なんて思ってる現代人は、江戸時代の民衆と同レベルと言える。
いまだに江戸幕府(さらには明治政府)の印象操作に踊らされている。
実際には、外交の第一線に絶っていた対馬藩が李朝から臣下扱いされてるくらい。
232世界@名無史さん:2014/05/12(月) 20:03:05.61 0
そもそも李氏朝鮮が日本に臣下の礼をとる動機がどこにあるんかい
233世界@名無史さん:2014/05/12(月) 20:05:13.53 0
>>230
まぁやってることを客観的に評価すると李朝は江戸幕府(日本)に臣下の礼を尽くしていたが
事実を言うと>>231が顔を真っ赤にして全否定するからね
231のようなタイプには何を言っても無駄だしw

最近のニュースを見てて思うが、ベトナム人って「アメリカガー」「チュウゴクガー」「チョウセンガー」って一切言わないよね
自国の歴史を省みないで日本にだけ間違った因縁を吹っ掛けないベトナム人となら客観的な歴史を語れるが
231のような寄生虫民族がスレに独りでも居ると議論が成立しない
234世界@名無史さん:2014/05/12(月) 20:12:39.02 0
ベトナムが尖閣魚釣島の領有主張してきてもそんなこと言えるの?

尖閣の魚釣島なんかベトナム人に呉れてやるってか?!
235世界@名無史さん:2014/05/12(月) 21:19:17.39 0
朝貢貿易って結構負担になってたらしいな
236世界@名無史さん:2014/05/12(月) 21:26:32.39 0
>>233
まともな歴史の本を読んで勉強しなおすことをお勧めする。
李氏朝鮮が日本に朝貢してたなんて書いてる、「まともな」歴史の本など存在しないから。

宗氏にごまかされた秀吉か、江戸幕府にミスリードされてた江戸時代の民衆じゃあるまいし、
もうちょっと客観的に公正な視点で「まともな」歴史の本を読んで勉強しなさい。
237世界@名無史さん:2014/05/12(月) 21:49:32.74 0
>>236
宗主国の明ですら李朝が日本に従属していたのは認知してるよw
しかも中華秩序の中で李朝は琉球より格下
238世界@名無史さん:2014/05/12(月) 21:56:38.68 0
>>236
史実とか事実はどうでもいいんだよ。
要は日本人として誇りの持てる歴史を書けってこと。

いいか、よく聞けよ。
一番大事なことは、歴史的事実がどうであったかということではなく、
日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。

愛国心のある日本人なら、そこんとこわかるだろ。
問題なのは事実がどうだったかってことじゃない。
日本人にふさわしい日本に誇りを持てる歴史を書くってこと。
239世界@名無史さん:2014/05/12(月) 22:08:17.55 0
>>238
愚劣な民族が織り成す悲惨な歴史の半島とは違い
日本は史実を述べるだけで十分に誉れ有る歴史なのだよ
240世界@名無史さん:2014/05/12(月) 22:46:41.73 0
とりあえず、日本オタはどいつもこいつもおかしいってことだけはわかった。
241世界@名無史さん:2014/05/12(月) 23:19:29.80 0
>>238
史実・事実がどうでもよくて、
常に正義で輝かしくないと自国を愛せないとは、「愛国心」が聞いて呆れる。
嘘で固めた誇りなぞ塵芥に等しいわw

>>239
近隣国を貶めないと自国を誇れないお前も似たようなもの。
242世界@名無史さん:2014/05/13(火) 05:24:48.98 0
いくらウヨでも>>238みたいな白痴の戯言いわないだろ
>>238はウヨのふりして煽ってるんだろうな
243世界@名無史さん:2014/05/13(火) 06:30:55.78 0
>>238みたいな極論は、いわばウヨとか保守の連中の本音だろ。
表だって言えないけど、自民党とか維新の連中なんか内心ではそう思ってるんだろ。
244世界@名無史さん:2014/05/13(火) 06:45:31.83 0
維新はともかく自民党はそんなこと思ってないよ
自民党は良くも悪くも資本主義の守護者なんだし
商売にさしつかえることなんか望むわけがない

自民党の一部にそういう勢力も居るけど
決して主流派ではない
245世界@名無史さん:2014/05/13(火) 07:03:45.49 0
第一次安倍内閣の「美しい国」だの教育基本法改悪だのは、
>>238を望む勢力の主張そのものだけどね。
相変わらず靖国に参拝する現職閣僚や議員連中も。
246世界@名無史さん:2014/05/13(火) 07:14:21.25 0
それ昔からある有名なコピペ.

世界史なんでも質問スレッド73
465 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2010/02/27(土) 04:41:41 0
いいか、よく聞けよ。
一番大事なことは、歴史的事実がどうであったかということではなく、
日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。

愛国心のある日本人なら、そこんとこわかるだろ。
問題なのは事実がどうだったかってことじゃない。
日本人にふさわしい日本に誇りを持てる歴史を書くってこと。
247世界@名無史さん:2014/05/13(火) 07:19:48.04 0
そのコピペの出所を知りたいな
たぶんコピペし始めた人の自作なんだろうけど
どこかの変なブログあたりから持ってきたものかもしれない
248世界@名無史さん:2014/05/13(火) 22:30:39.06 0
馬鹿チョンの朝鮮民族主義史観が先進国から嘲笑されてるから
いつもの様にアイアムヂャパニチュしてるだけだよ
249世界@名無史さん:2014/05/16(金) 07:47:25.97 0
>一番大事なことは、歴史的事実がどうであったかということではなく、
>日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。

歴史をふりかえっても、為政者にとって、これは当然のの考え方なんだよな。
戦前の皇国史観の国定教科書に基づく軍国教育も、アベ自民党の教育基本法改悪も、
根底にあるのはこういう思想だから。
250世界@名無史さん:2014/05/16(金) 21:41:02.28 0
そうそう、ネトウヨは自民党がとっくに竹島を切り捨てているのに
まだ取り戻すとか言っている。まさしく江戸時代の庶民レベルだな。
251世界@名無史さん:2014/05/16(金) 21:46:18.08 0
尖閣はいま現に日本が支配してる
南千島4島と竹島はいま現に日本が支配してない

本気で領有を主張する気なら
何が何でも奪取しようとする
いま現に支配してない現状を維持してるなら
それは本気で領有する気が無いから

つまり日本の係争地の中で政府が本気で領有する気があるのは尖閣だけということだ
252世界@名無史さん:2014/05/16(金) 22:02:41.19 0
×政府が本気で領有する気がある
○米国人様の御支持に従う忠実な売国奴である日本国の主権者たる姦僚様
253世界@名無史さん:2014/05/17(土) 08:31:42.62 0
遣隋使・遣唐使時代の日本が中国の朝貢体制に包摂されていたことは、
きちんと教えるべきだと思う。
聖徳太子(最近は厩戸王って教えてるらしいが)が対等外交やったとか、
日本の自尊心を満足させるようなことばかり特筆、強調するのではなく、
遣唐使も所詮は属国の朝貢使節だったという現実をきちっと教えるべき。
254世界@名無史さん:2014/05/17(土) 12:28:58.62 0
>>253は日本が冊封国の新羅と異なり属国では無かったという現実を受け容れるべき
255世界@名無史さん:2014/05/17(土) 13:22:52.67 0
「朝貢体制」などというものは存在しない。朝貢と冊封はぜんぜん違うんだがね
256世界@名無史さん:2014/05/17(土) 14:43:55.17 0
おまえ、いまさらスレタイに文句言うのか・・・
257世界@名無史さん:2014/05/17(土) 16:22:36.02 0
>>256
255じゃないが、スレ落として立て直せよ
258世界@名無史さん:2014/05/17(土) 19:21:18.49 0
>>257
この板はお前のいつもいるような1日1スレな板じゃないんだ。
数年単位でスレを使用する板でそんなことができるわけがない。ただの重複スレを建てるだけ。
259世界@名無史さん:2014/05/17(土) 22:14:18.81 0
元寇を撃退してから日本の態度でかくなったよな
260世界@名無史さん:2014/05/18(日) 12:43:28.37 0
中国の朝貢論と日本の嫌韓論
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/18/2014051800149.html?ent_rank_news
韓中両国の政府関係者による定期交流行事で、中国の当局者が韓国政府の関係者に対し「朝貢外交に戻ったらどうか」と探りを入れる発言をしたという。
真剣な話ではなかったが、韓国に対する中国の指導者層の認識や内心がそれとなく表れたようで、不快だった」と話した。
261世界@名無史さん:2014/05/18(日) 13:09:39.48 0
日本の嫌韓論をどうこう言うよりも先に半島こそ李承晩の時から嫌日だったわけだが
262世界@名無史さん:2014/05/20(火) 20:15:16.72 0
そいつらの意地汚さは旧日本軍で培われたもんだろw
263世界@名無史さん:2014/05/22(木) 06:16:16.37 0
>>254
正月の朝賀の儀式には、朝貢だけの国も冊封された国も一緒に皇帝を拝賀している。
唐からみれば日本も新羅も同じ東夷の属国扱い。
大伴古麻呂がゴネまくった有名な事件のときも、もともと日本は新羅の下位の席次だった。
264世界@名無史さん:2014/05/22(木) 07:37:00.53 0
>>262 李承晩は旧日本軍に居た?
265世界@名無史さん:2014/05/22(木) 18:23:04.60 0
>>263
結局、唐から見れば、数ある属国のひとつに過ぎないんだよな>日本
266世界@名無史さん:2014/05/23(金) 01:01:35.82 0
>>263
唐から見ると、日本は唐の世界秩序に服属し朝貢を行う朝貢国、新羅は唐の承認によって国が成立する属国
唐から見ると両者は全く異なる
朝見での席次も日本が新羅を属国としていた歴史から上位性を明確に認め
遠国であり且つ属国でない日本の方を上とした。
267世界@名無史さん:2014/05/23(金) 05:56:27.42 0
その一件が日本国内で古麻呂の大手柄のように喧伝されてるってことは、
古麻呂のようなクレーマーがいなかったら、ふだんは普通に新羅の下位だったってことだな。

それに朝貢って、蛮夷の王が中華の皇帝の徳を慕って、臣下として貢納して挨拶することであって、
冊封を受けようが受けまいが、唐から見れば臣下扱いで広義の属国だろう。
既に白村江の時点で新羅は日本の属国ではなく、8世紀には属国扱いしようとする日本と対立している。
268世界@名無史さん:2014/05/23(金) 13:50:18.24 0
新羅が国王を承認された外臣なら日本は国家を承認された外客臣て事か
中華思想から見れば新羅の方が上の様な物だがよく古麻呂は成功したな
269世界@名無史さん:2014/05/23(金) 22:27:41.95 0
日本は外国、新羅は内臣、しかも新羅の方が近く日本は海を隔てているから
原理原則からいくと新羅が上の席次になる、それを態々日本を格上としたのは
唐が日本>新羅の関係性を世界秩序の中で公に認めたという事
270世界@名無史さん:2014/05/24(土) 11:37:31.69 0
クレーマー古麻呂のときだけだけどな。
271世界@名無史さん:2014/05/24(土) 13:28:50.99 0
外交儀礼は通例に倣うから
その時そうだったって事はその後もそうだけどな
272世界@名無史さん:2014/05/24(土) 13:59:23.72 0
古麻呂がクレームつけなかったら、新羅の下位が通例だった。
古麻呂が日本で手柄話を喧伝したってことは、かなり異例な出来事だったってこと。
おそらく、その後はもとの通例=新羅の下位にもどったものと思われる。
273世界@名無史さん:2014/05/24(土) 15:05:55.32 0
大伴古麻呂による日本が新羅を服属国と成す事情を訴えたという事は
日本と新羅が共に参堂する機会は無かったという事
外交儀礼は通例に倣うから、その時そうなった以上それが通例と成り
その後も日本を上位と為し、新羅を下位と為たと思われる
274世界@名無史さん:2014/05/25(日) 23:00:33.87 0
ここまでの議論()眺めてて思うのはなぜ誰も藤原氏と王家の勢力争いで
新羅・唐に対する外交政策が二転三転してその流れに大伴古麻呂の件が
あることとをだれも指摘せずに低レベルな罵りあいやってるんだ?
百年単位のスパンで日本に限らず外交政策が一貫してるわけねえだろw
275世界@名無史さん:2014/05/25(日) 23:22:13.28 0
>>237
中華秩序の中で琉球が李氏朝鮮より上だったことはないよ。
確かに琉球は明代中期ぐらいまで異例の厚遇を受けていたし、
後になってもその名残があったけど、冊封使の身分が朝鮮
のそれより高くなったり、印璽が李氏や室町と同格の金印に
代わったりしたことはないから。
といっても琉球への冊封使は翰林院官僚だったから、単純に
その時点の身分じゃ測れないけど。

対して李氏朝鮮は格は高くても実際の待遇は酷い。元王朝の
待遇の名残だけど、まぁ元よりはマシ。比較にならないぐらい。
明清交代期に清にフルボッコにされて元の木阿弥になったが。
276世界@名無史さん:2014/05/26(月) 00:44:51.35 0
>>275
清代は琉球より下の扱いだよ
277世界@名無史さん:2014/05/26(月) 01:11:48.55 0
ここまでまともにソースでない煽りばかりwまあ、まともな世界史好きはとうに去って
脳内妄想を他に押し付けたがるバカしか残ってないから当然か
278世界@名無史さん:2014/05/26(月) 01:19:58.74 0
>>277
一番バカなのはおまえだから安心しろ
279世界@名無史さん:2014/05/26(月) 02:26:30.13 0
>>276
冊封使の身分は朝鮮行きは正三品以上。越南や琉球には正五品以下従七品以上。
冊封使は同じ天子の代理とはいえ、この身分差は相当なもんですけど。印綬だって別に
代わってないし。
280世界@名無史さん:2014/05/26(月) 19:50:59.87 0
李朝に来たのは冊封使ではなく迫使、李朝が献上したのは兵士や物資や兵器や世子
281世界@名無史さん:2014/05/27(火) 13:51:59.46 0
形式的にでも頭下げておけば儲かる関係と、ただの恐喝の違いか
282世界@名無史さん:2014/05/27(火) 17:41:09.95 0
朝鮮に清の圧迫が強かった時期って、ホンタイジに服属させられたときを除いたら、
壬午軍乱以降に清が残された数少ない属国である朝鮮をなんとか死守しようとしたときくらいだろ。
283世界@名無史さん:2014/05/27(火) 22:16:35.05 0
清代の所謂朝鮮冊封使なるものの中有名人の多くは軍権を持った迫使だな
所謂朝鮮冊封使全体だと何人の名前が現在に残ってるのか知らんけど
284世界@名無史さん:2014/05/28(水) 04:39:28.19 0
形式的に頭下げおけば儲かる
形式的に頭下げておけば後は放置プレー
恐喝

3段階
285世界@名無史さん:2014/05/31(土) 08:03:17.51 0
清が朝鮮への内政干渉、内政支配にまで乗り出すのは、
1880年代にミャンマーをイギリスに、越南をフランスに奪われ、
朝鮮で日本との角逐がはじまってからだけどな。
286世界@名無史さん:2014/05/31(土) 08:30:31.73 0
かなり北に回ってから南に伸びるって形状がどうしても後回しにさせてしまう
287世界@名無史さん:2014/05/31(土) 12:03:58.68 0
明代だけど、夏子陽「使琉球録」とか見ると、琉球は夷とか民貧國呼ばわりだな。
288世界@名無史さん:2014/05/31(土) 18:42:12.34 0
>>285
1730年代頃までもな。
清末に内地化しようとしたのは1860年代の仏の越南占領以降
289世界@名無史さん:2014/06/01(日) 14:07:38.28 0
いい加減朝貢なんだから漢代の東南アジアとか語って見せろよw
お前ら、朝鮮と琉球、日本しか語れないってどんだけ無知なんだ?
しかも煽りと罵倒で中身がすっかすか
290世界@名無史さん:2014/06/03(火) 19:23:49.96 0
中国に最後に朝貢したのは20世紀初頭のネパール。
乾隆帝時代に戦争して清軍を撃退してるから、そんなに友好的な国でもなかった上、
19世紀以来、事実上英国の保護国だったのに、最後の最後まで朝貢してくれた。
291世界@名無史さん:2014/06/03(火) 19:57:22.70 0
イギリスが何か無理難題押し付けてきたら
いやーウチら清国皇帝の子分なんで親分の意見も聞かないと〜
とかいって時間稼ぎをするためなんだよ
292世界@名無史さん:2014/06/03(火) 22:56:06.23 0
×無理難題
○滅亡
293世界@名無史さん:2014/06/04(水) 01:11:39.60 0
ネパールって滅亡したっけ?
今は王制が廃止されたけど
294世界@名無史さん:2014/06/05(木) 03:35:11.66 0
>>267
「冊封あってもなくても朝貢すれば属国」なんてことあるわけないだろ
それが朝貢にまつわるもっとも基礎的な誤解だっちゅうの

>8世紀の段階で新羅は日本から独立

アホか。おまえ史料ぜんぜん読んだことないだろ。
遣日新羅使の国書が続日本紀に載ってるから読んどけよw
295世界@名無史さん:2014/06/05(木) 12:49:54.42 0
日本だけの古文書に残っててもねえ...?
296世界@名無史さん:2014/06/05(木) 19:21:25.59 0
自国の書物は気に入らないことが書いてあるから、皆燃やしたニダ!
なんか文句あるニダか?
297世界@名無史さん:2014/06/07(土) 08:03:06.05 0
>>294
自尊心の肥大化した日本が一方的に属国扱いして、遣唐使の北路が利用できなくなったよな。
遣使=属国化なら、当然日本も唐の属国だよなw
298世界@名無史さん:2014/06/07(土) 08:18:40.89 0
>>297
はあ?一方的と?
広開土王碑を建てたのは誰だ?
馬鹿も休み休みいえよw
299世界@名無史さん:2014/06/07(土) 08:45:28.87 0
5世紀と8世紀で、どんだけ時間が経過して、情勢が変化してるのかもわからないのか?
8世紀に新羅が日本の属国だったなんて寝言言ってるやつは、高校の日本史教科書で学習し直せよ。

8世紀には日本が一方的に属国扱いしただけ。だから新羅との関係が悪化して、
わざわざ危険な南路や南島路を使用しなければならなくなったなんて、奈良時代史の常識だろ。
300世界@名無史さん:2014/06/07(土) 09:15:45.29 0
>>299
馬鹿言うなよ。属国を脱するにも、それなりの礼儀と挨拶が必要だろってことよ。
朝廷が怒ったのは、それだけだ。
お前は高校以前だな。幼稚園からやりなおせ。
301世界@名無史さん:2014/06/07(土) 21:50:56.87 0
大体、日本が新羅を武力で圧倒してたのって好太王碑の頃の一時期だけで、
既に6世紀の欽明朝段階で加羅地方の支配権を新羅に完全に奪取されてるし、
7世紀には白村江で唐・新羅連合軍に惨敗して半島から駆逐されている。
律令国家を完成させた日本が大国意識を持って、勝手に一方的に属国認定してるだけ。
白村江で完全に半島から叩き出されてるのに、新羅を一方的に属国扱いし続ける日本が、
夜郎自大なだけ。
302世界@名無史さん:2014/06/07(土) 22:10:23.21 0
>>294
遣使が属国の証拠なのか?w
あのな、日本が遣唐使を派遣した回数よりも唐からの遣日使のほうが多いんだがねw
303世界@名無史さん:2014/06/07(土) 22:16:34.18 0
続日本紀を現代語に翻訳して引用すれば
新羅が
「国際的な現実はともかく、少なくとも日本政府に対しては」
明らかに属国としか言いようのない態度をとってたことは誰にも反論できないよ。
むろん実際は属国じゃないって理屈もあるが。
(属国的態度が有効だったならそれが「実際」だろって話もあるが)。
これは中国をめぐる朝貢問題についてもいえることだがな。
対中では形式的な朝貢をもって(日本にしろ朝鮮にしろ)属国認定するのか
利益につられること自体、事実上の国力の差異を認めてるんだから
「事実」上の属国の証拠とみるか…
304世界@名無史さん:2014/06/07(土) 22:19:30.14 0
>>301
新羅が実力で任那を我が物にして天下に恥じることがないなら
なんで「任那の調」をあとあとまで日本に納めてんのよ?
あと新羅は日本との外交において対等の立場を貫いたことは一度もないよ
日本側からの属国認定を新羅は受け入れていたことは認めるんだよな?
305世界@名無史さん:2014/06/07(土) 23:22:19.90 0
>>301
唐・新羅連合軍等と言うが、ぶっちゃけ白村江では唐軍しか戦ってないがなw

まあ回りでウロチョロしてたような記述は新羅本紀にあるがw
306世界@名無史さん:2014/06/08(日) 09:22:20.82 0
>>304
日本国王号を受け入れてことを属国の認定という説を唱える方ですかw
307世界@名無史さん:2014/06/08(日) 18:49:35.64 0
>>304
中国と日本同時に敵に回さないためだろ
308世界@名無史さん:2014/06/08(日) 19:25:32.25 0
>>307
日本のが圧倒的に強大だからだよ
半島南部全域にあった倭国領任那の調を納める事で赦して貰おうとしたのが新羅
309世界@名無史さん:2014/06/09(月) 06:48:39.38 0
バカみたい。本当に強大だったら貢物程度で満足せずに失地回復してるよw
310世界@名無史さん:2014/06/09(月) 14:48:46.87 0
実際侵攻すれば中国にすがって阻止するだけだろ
半島としても中国にでしゃばる口実与えるのは嫌だろうけど仕方ないし
311世界@名無史さん:2014/06/10(火) 00:54:05.94 0
新羅とか百済とか高句麗とか中国とかせめぎあう状況を進出の際には利用し
撤退の際には理由とするって感じ? 言い訳さえ立てばなんでも良いのかもな
冊封朝貢も言い訳力って感じもするし
312世界@名無史さん:2014/06/10(火) 01:03:59.73 0
いつの事言ってるの?
313世界@名無史さん:2014/06/10(火) 02:09:59.99 0
>>309
大唐帝国が無ければ新羅も任那府に組み込まれてるよ
鎌倉府、陸奥府、鎮西府、任那府、百済府
314世界@名無史さん:2014/06/11(水) 19:01:47.57 0
隋・唐が介入する前、しかも高句麗・百済が新羅と戦ってるときに
新羅に征服された任那を朝鮮半島を新羅単独で支配してる所から取り返す???
ウリナラファンタジーを笑えないレベル
315世界@名無史さん:2014/06/11(水) 19:59:21.35 0
そもそも加羅諸国の西部は友好国のはずの百済にも奪われている。
ヤマト政権(倭王権)に加羅諸国を維持する力は6世紀段階で既になかった。
まして、百済や新羅を属国として従える力など、6世紀にあるわけがない。

「任那の調」なんて、8世紀の史官が捏造した偽史だろ。
316世界@名無史さん:2014/06/11(水) 20:03:18.29 0
「任那の調」は大和朝廷が請求を続けたことは事実なんじゃね。ただ、どの程度払われた
かってことになるとそれはまた別問題なんで。この積極策を続けたのが上宮王家とのちの
藤原氏で軍事力持ちすぎちゃって大王位早く譲れとやっちゃったせいで粛清されちゃって…
317世界@名無史さん:2014/06/11(水) 21:50:13.92 0
>>314
唐が存在しない場合、高句麗と日本が半島を分割していたのは確実
>>315
7世紀の時点で百済は日本の属国、6世紀の時点で新羅は日本の属国
任那の調を新羅が日本へ朝貢していたのは史実だよ
318世界@名無史さん:2014/06/11(水) 23:24:42.03 0
>>317
新羅が膨張して高句麗と日本が後退した真興王(534-576)の時は唐も隋も無くて
東魏・北斉なわけで中国の干渉力がむしろ減退している時代でなくて?
319世界@名無史さん:2014/06/11(水) 23:42:07.52 0
あたまがわるいのか、
のうみそにもんだいがあるのか…
320世界@名無史さん:2014/06/12(木) 00:55:46.91 0
>>318
北魏以降は常に強大な北朝が存在していたので南下する余地が無く
倭も中心が東へ移動したので西が手薄になっていた時代
統合を果たした日本と気兼ね無く満洲から南下する高句麗に挟まれれば
中国からの救援が無い限り滅亡必至だろう
321世界@名無史さん:2014/06/12(木) 08:18:28.45 0
新羅は元々倭人の国なのに、何故倭国に朝貢しなかったんだろ
322世界@名無史さん:2014/06/12(木) 18:07:34.94 0
時或曰。欲誅新羅王。於是皇后曰。初承神教。将授金銀之国。
又号令三軍曰。勿殺自服。今既獲財国。亦人自降服。殺之不祥。乃解其縛為飼部。遂入其国中。
封重宝府庫。収図籍文書。即以皇后所杖矛。樹於新羅王門。為後葉之印。故其矛今猶樹于新羅王之門也。
爰新羅王波沙寐錦。即以微叱己知波珍干岐為質。仍齎金・銀・彩色及綾・羅・綾絹、載于八十艘船。
令従官軍。是以。新羅王常以八十船之調。貢于日本国。其是之縁也。於是高麗。百済二国王。
聞新羅収図籍降於日本国。密令伺其軍勢。則知不可勝。自来于営外。叩頭而款曰。従今以後。永称西蕃。不絶朝貢。
323世界@名無史さん:2014/06/12(木) 19:03:33.98 0
神功皇后とか架空の人物だし、新羅征伐物語もおとぎ話というかファンタジーだよな。
あれこそ、アニメやゲームの絶好の題材になりそうなのに、まだ誰も手を付けてないな。
324世界@名無史さん:2014/06/12(木) 21:33:54.54 0
>>320
それ高句麗が半島統一して終わりになるだけじゃ。日本が権益保持することなんて夢のまた夢
325世界@名無史さん:2014/06/12(木) 23:08:30.66 0
>>324
唐や高句麗は半島北中部しか領有出来ず、新羅は南中部しか領有出来無かった
高句麗の本拠から半島南部の主要な地域までは、高句麗程度の国にとって距離が有り過ぎる
326世界@名無史さん:2014/06/12(木) 23:11:53.22 0
海またぐ日本の方がよほどw
327世界@名無史さん:2014/06/13(金) 00:48:37.34 0
>>320
何代も前から北朝があるのに陽原王時代の領土失陥を中国のせいにするのは
どうかと思う
黄海側の領土を得るまで新羅は中国とは疎遠だったわけだし当時は高句麗
のほうが中国と近しいのでは
三国末期に新羅を攻め立てたのはむしろ百済のほうじゃないかと
いずれにせよ半島では中国を敵に回し続けるとどもこもならんようではあるが
328世界@名無史さん:2014/06/13(金) 14:46:29.20 0
>>320
倭の中心が東に移動したって誰の学説?大和朝廷の出自は一貫して近畿だったhザ図だが
329世界@名無史さん:2014/06/13(金) 18:22:31.68 0
「鉄の王キムスロ」や「太王四神記」を見ていると、
倭人(弥生人や古墳人)が半裸でウホウホ言ってた時代に、
伽耶や高句麗の人々が文化的生活を送っていたことがよく分かる。

当時の倭人=列島原住民はマジで土人レベル。
330世界@名無史さん:2014/06/13(金) 18:50:09.26 0
半島から渡った文明人がうほうほ征して日本を作ったから
半島と日本にかぶった勢力圏持つ時代があったのも当然だね
331世界@名無史さん:2014/06/13(金) 18:56:13.92 0
>>323
>神功皇后とか架空の人物だし

架空という証拠はあるの?
332世界@名無史さん:2014/06/13(金) 18:57:55.11 0
架空という証拠などあるわけないだろ
アホか
333世界@名無史さん:2014/06/13(金) 19:20:06.51 0
でも倭国に朝貢してたんでしょ?
334世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:13:52.92 0
倭国が朝貢もとめたことは、倭国に朝貢してることと同義じゃないからな
むしろ朝貢しないからって兵送ろうとして失敗してるw
335世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:17:41.64 0
>>326
新羅族と違い倭人は操船や造船に長けてたよ
半島中南部やゲルマニアの様な荒蕪地は越え難くとも
玄界灘や地中海を越えるのは苦に成らない
>>327
高句麗は常に中国と隣接していたから完全に従属するか敵対するしか無い
何代も前から北朝が存在せず心置き無く南下政策を執ったなら
間接支配地と成っていた新羅が独立する余地はあまり無いと思う
336世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:18:56.42 0
>>334
新羅は数え切れない程
倭国に対して朝貢を行ってるよ
337世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:22:23.61 0
>>335
日本の航海術なんてぼろぼろだから。海戦で多数の船を擁してたのに一方的にやられてるじゃんw
その後は北九州から山陰にひたすら兵おいて、守りかためるしかない体たらく
338世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:22:58.02 0
美女3000人が貢ぎ物らしいよ。
339世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:25:55.42 0
>>336
半島統一した後の話だよな。三韓時代ならともかく7世紀中葉以降は一切してないぞw
340世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:30:24.79 0
>>339
それ「任那の調」と間違えてないか?8世紀以降も日本に朝貢送ってるぞ
341世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:48:13.91 0
単なる外交使節を朝貢使節と一方的にみなして、格下扱いするのは日本の悪い癖。
342世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:53:50.03 0
小中華には言われたかない
343世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:54:02.75 0
一応、唐と関係悪化した時は二正面避けるために日本に対して頭下げに来てるが
344世界@名無史さん:2014/06/13(金) 20:59:50.42 0
白村江の戦いって、新羅軍何もしてないのに「唐・新羅連合軍」って書くと朝鮮人が勘違いするからやめた方が良いと思うの
345世界@名無史さん:2014/06/14(土) 00:51:55.90 0
何もしてなかったら新羅の有能さをもっと示すことになっちゃうぞw
346世界@名無史さん:2014/06/14(土) 02:26:04.02 0
>>335
中国にろくに朝貢してなかった時期の新羅を攻めても中国からは大して
文句も無いんじゃね
高句麗も急膨張して膨張の限界に達したのか色々征服しすぎて統合の限界
に達したのか
347世界@名無史さん:2014/06/14(土) 08:37:51.28 0
好太王碑に出てくる倭は、朝鮮半島南部の倭人か九州の海賊集団だったという説もあるな。
348世界@名無史さん:2014/06/14(土) 09:49:54.33 0
ああ、ホモ牛が唱えてるやつね
349世界@名無史さん:2014/06/14(土) 10:13:22.43 0
>>345
旧唐書や百済本紀、日本書紀にあれだけの大海戦として書いてるのに新羅本紀にも記事が無い。
前出の中国・朝鮮の文献ににも唐将(と百済王子)が指揮したとあるし、書紀も唐軍と戦ったとしか書いてない。

戦役全体での事を言ってるのなら、そもそも新羅救援は高句麗の搦手を抑えるための口実であって、単純に唐の都合。
350世界@名無史さん:2014/06/14(土) 11:53:25.43 0
そもそも当時、丸木舟だった倭の水軍が、
万単位で半島に渡海(丸木舟で渡海?これだけで信じ難いが)したという記述が殆ど神話の領域

百歩譲って戦いがあったのだとしても、
河口部の葦原に誘い込まれて、焼き討ちにされたというような
かなり一方的な陸戦で、事実をそのまま残せなかったと云うのが実態ではないだろうか
新羅の役割について何も分からないのは同様だが
351世界@名無史さん:2014/06/14(土) 14:32:43.51 0
>>343
3世紀以来滅亡するまで数え切れない回数、日本へ朝貢や納税しているよ
352世界@名無史さん:2014/06/14(土) 14:35:54.09 0
>>350
馬鹿チョンの願望と史実は常に乖離してるんだよね

倭人の船は、造船や操船に劣った新羅族の拙劣な丸木舟とは違い
東シナ海を航行可能な代物だったのが現実
353世界@名無史さん:2014/06/14(土) 14:53:12.32 0
そもそも埴輪の時点で準構造船だからな
354世界@名無史さん:2014/06/14(土) 15:55:31.33 0
そりゃハニワは泥をこねれば、なんにでも造形出来ますからね
とはいえ流石に「半裸でウホウホ言いながら唐軍に立ち向かった」という事はないと思いますが

ハニワの出土で言える事は、古墳時代の倭人が「船の形状をしたもの」を見た事がある、
という程度の事実じゃないでしょうか
あまり飛躍し過ぎると某半島のことを言えなくなりますよ
355世界@名無史さん:2014/06/14(土) 16:31:23.02 0
つまり丸木舟で朝鮮半島まで渡って半裸でうほうほしてたんだな
356世界@名無史さん:2014/06/14(土) 18:14:50.33 0
丸木舟で半島に渡って、高句麗とウホウホ、へんてこな弓や矛で戦ってたんだよ
357世界@名無史さん:2014/06/14(土) 19:37:10.86 0
室町時代でも、小舟に乗った半裸の海賊連中が明の正規軍と戦ってる様子が描かれてるし。
358世界@名無史さん:2014/06/14(土) 20:32:16.00 0
>>354
オマエの妄想癖は相変わらずだな
そうあって欲しいニダ(虚栄)→そうに違いないニダ(妄想)→それが真実ニダ(捏造)
という思考様式は馬鹿チョンそのもの
359世界@名無史さん:2014/06/14(土) 20:34:25.17 0
正規兵と海賊を混同するほど頭が悪いとは…
360世界@名無史さん:2014/06/14(土) 20:53:48.42 0
丸木舟が実は凄いんじゃね
361世界@名無史さん:2014/06/14(土) 21:00:44.18 0
好太王のときに高句麗と戦った倭人も九州か朝鮮南部の海賊集団だろ。
362世界@名無史さん:2014/06/14(土) 21:08:24.68 0
>>361
海賊集団に新羅や百済は臣従していたと高句麗はみなしたのか?
363世界@名無史さん:2014/06/14(土) 21:21:01.68 0
>>357
そこへお椀の舟に乗って箸で漕いでやってきたのが・・・
364世界@名無史さん:2014/06/14(土) 21:21:07.67 0
>>362
史実<<<妄想、だからな在チョンは
365世界@名無史さん:2014/06/14(土) 21:33:57.91 0
あえてソース出さずに居たら予想通りシコリアンがオナニー始めててワロタ
これ「弥生時代」の話な

弥生の準構造船の部材発見 九州初、福岡県前原市 2004/08/23 20:53 【共同通信】
ttp://www.47news.jp/CN/200408/CN2004082301006071.html

木棺のふた、実は喪船 奈良・巣山古墳出土の板 2008/07/28 18:32 【共同通信】
ttp://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072801000585.html

最古級の準構造船へさき 弥生前中期、琵琶湖岸で 2004/03/09 08:22 【共同通信】
ttp://www.47news.jp/CN/200403/CN2004030901002232.html

>琵琶湖岸にある滋賀県守山市の赤野井浜遺跡から、弥生時代前−中期の準構造船のへさきが見つかり、県教育委員会が9日発表した。  
丸木舟に舷側板などを付けて大きくした準構造船は、銅鐸や土器の絵画で弥生時代に使われていたことが分かっているが、実物は大半が弥生末以降。
366世界@名無史さん:2014/06/15(日) 02:04:02.31 0
やはり最新技術は新羅からもたらされてるんですね
www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_259.html
367世界@名無史さん:2014/06/15(日) 02:12:34.63 0
この時期は百済じゃね
368世界@名無史さん:2014/06/15(日) 03:34:28.11 0
そうあって欲しいニダ(虚栄)→そうに違いないニダ(妄想)→それが真実ニダ(捏造)

現実には卑弥呼の時代から百済や新羅を大きく超越した水準の造船技能を持ってたんだよね
369世界@名無史さん:2014/06/15(日) 03:55:16.18 0
ねーよw
370世界@名無史さん:2014/06/15(日) 10:47:15.50 0
世界史の教科書だと日本が唐の朝貢国として冊封体制の枠組みに入っていたと明記。
(帝国書院の世界史Aなど)
一方、日本史の教科書だと遣唐使の派遣についてそこそこ詳しい説明はあるものの、
朝貢使節であったことや、冊封体制の枠組みに入っていたことがぼかされている。
(山川の日本史Bなど)
371世界@名無史さん:2014/06/15(日) 11:16:07.16 0
>>366
>新羅王はこれに恐縮し、応神帝に新羅の船匠を献上して謝罪する。
と言うところまでは史実だが。

>この船匠たちが持ち込んだ技術は日本の造船のレベルを一気に引き上げた。
と言うのは全くの妄想。
ttp://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page410.html
そもそもそのページを書いた人間は、弥生時代の日本に準構造船が存在するという基本的な知識が欠落しているので論ずるに値しない。

事実はこう。
>棚板造りの船の源流である準構造船は楠なくしてはありえませんが、楠は朝鮮半島には生育しないので、
>準構造船あるいは棚板造りの船に対する朝鮮の船の影響は考えなくていいでしょう。
>中国山東省平度県で隋代の複材刳船が出土しており、
>金属器の使用による工作技術の向上や大陸との往来から弥生時代に前後継ぎの技術が中国から伝来したとする説が有力ですが、
>日本と中国では船の大型化の過程は異なります。

>>準構造船あるいは棚板造りの船に対する朝鮮の船の影響は考えなくていいでしょう。

ttp://127.0.0.1:8823/thread/http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1328518311/
372世界@名無史さん:2014/06/15(日) 11:30:32.47 0
373世界@名無史さん:2014/06/15(日) 11:51:35.65 0
唐朝廷の朝賀で新羅使節と席次を争ってるんだから、
当時の倭国は、朝貢国として立派に自覚があるのにね
374世界@名無史さん:2014/06/15(日) 12:29:57.01 0
>>370
日本史の教科書にチョン民族史観を持ち込むのは有り得ないよな
山川その他の売国出版社の刊行物は発禁処分するべき
日本が唐から冊封を受けた事は一度も無いにも拘らず史実よりも願望優先
375世界@名無史さん:2014/06/15(日) 12:31:40.17 0
>>373
唐の施政下にあった大唐属国新羅と
冊封を受けない日本の立場は唐から見て大違いだけどな
376世界@名無史さん:2014/06/15(日) 13:21:38.20 0
冊封を受けていなくても、朝貢して朝賀の儀式に参列してる時点で、
唐と日本の上下関係は歴然としている。
377世界@名無史さん:2014/06/15(日) 13:46:35.78 0
大食国(イスラム帝国)も参加してるんだよなぁ…
378世界@名無史さん:2014/06/15(日) 13:50:54.02 0
あと、吐蕃も参加してるがこの頃だと吐蕃の方が唐より優勢なんだよな
379世界@名無史さん:2014/06/15(日) 23:35:21.88 0
優勢かな?どさくさにまぎれて味方の振りして長安略奪できたけど
そのあと防御固められたら攻撃できてないじゃん
あといい加減、おまえら嫌韓ネタにつられすぎ。IDでない板だとこれだから
380世界@名無史さん:2014/06/16(月) 00:02:42.85 0
>>379
おまえは何を言ってるんだ?
戦争でなく戦闘レベルの勝敗なら、文官の世界では(国内では)なんとでも誤魔化しが効く。
現実問題として対等の国か、属国の礼を押し付け得る国かって差はデカイんだよ
381世界@名無史さん:2014/06/16(月) 00:07:33.95 0
いや、西域もウイグルに奪われ落ち目の唐にすら安氏の乱後の占領地奪回されてるじゃん
382世界@名無史さん:2014/06/16(月) 01:40:51.89 0
そういやロシアって朝貢した事ないの?
383世界@名無史さん:2014/06/16(月) 02:17:53.47 0
どこに?
384世界@名無史さん:2014/06/16(月) 03:00:45.38 0
>>382
朝貢処ろかモンゴルの一部だったけど
385世界@名無史さん:2014/06/16(月) 07:48:52.89 0
ソンツェン・ガンポから長慶会盟〜吐蕃崩壊に至るまで基本的に吐蕃優勢の方が多くね
386世界@名無史さん:2014/06/19(木) 01:46:51.47 0
事大主義者はグダグダだなw
387世界@名無史さん:2014/06/20(金) 19:15:09.74 0
>>384
いや中国にだよ
388世界@名無史さん:2014/06/21(土) 19:23:52.51 0
ロシアはネルチンスク条約以降、朝貢ではなく、「互市」という形式で清と交易していた。
ネルチンスク条約自体、ロシア皇帝とシナのボド汗(仏陀汗)との間の対等条約。
389世界@名無史さん:2014/06/23(月) 06:58:03.41 0
あの時代の西洋人は清朝皇帝を「ボド汗(仏陀汗)」と呼んだり、
徳川将軍を「テンジンクボウ(天神公方)」と呼んだりしてるんだが、
なぜ、こんな特殊な呼び方をしてたんだろうな。
390世界@名無史さん:2014/06/24(火) 23:43:32.46 0
>>388
朝貢というのは「交易の形式」ではない。朝貢ってのは役人への挨拶。
「互市」も形式の名ではなく単なる民間の対外交易をいってるだけ。
明清が鎖国してたからあたかも特殊な例のようにみえるけど
本来は国境での交易って以上の意味はないんじゃないの
391世界@名無史さん:2014/06/25(水) 18:30:08.51 0
>>389
ブッダカーンと呼ぶのは、恐らく清皇帝がモンゴル・チベット・ネパールに対し、
自らを観世音菩薩の化身と称した事と関係あると思われる
徳川将軍家は始祖が東照大権現なのだから、当然神の子孫=天神なのだろう
392世界@名無史さん:2014/06/25(水) 18:38:55.49 0
失礼、観世音菩薩でなく、マンジュ=満州=文殊菩薩
393世界@名無史さん:2014/06/25(水) 20:18:52.13 0
>>389-392
観音様でも文殊菩薩でもないよ、転輪聖王
394世界@名無史さん:2014/06/26(木) 00:03:53.55 0
哲布尊丹巴(ワイリー式の音写だと Jetsun Dampa)の名跡は、
8世の時にウランバートルで初代モンゴル国皇帝博克多汗(Богд хаан)になった。
皇帝でかつ転生活佛である例は実在した。
395世界@名無史さん:2014/06/26(木) 08:11:04.62 0
家康は明と勘合貿易を再開(=朝貢)しようとして拒否された。
拒否されなかったら、朝貢する気マンマンだった。
そもそも秀吉自体が明との講和条件の中に「勘合貿易の再開」を掲げていた。
396世界@名無史さん:2014/06/26(木) 20:00:17.72 0
>>389
どういう文献に出てきたのか知らないけど、
モンゴル語のboγda(聖なる)のことじゃないの?
>>394にあるように現代語でбогд。
397世界@名無史さん:2014/07/09(水) 06:55:47.40 0
秀吉は同時代のアルタン・ハン(明の順義王)のように、
正式な貿易を許可されたら、あっさり冊封を受け入れた可能性は高い。
抜け目のないエテ公だから、貿易の実利を優先した可能性は高い。

あのエテ公は、若い頃針売りとかしてたり、武将になってからも、
堺や博多の豪商との関係が深く、経済の実利には敏感だったからな。
実利さえ得られれば、空虚な名目に拘泥しなかっただろう。
398世界@名無史さん:2014/07/09(水) 06:59:56.69 0
外交交渉の鉄則として、まず誇大な要求をつきつけ、
実際の交渉の中で現実的な落としどころにもっていくってのがあるだろ。
秀吉の最初に示した講和条件(半島南部の割譲その他)もそれだったんだろう。

実際には、あの条件の中にあった「勘合貿易の再開」こそがエテ公の一番の目的で、
それがかなえば、喜々として明の冊封を受け入れたことだろう。
北方で明を荒らしたモンゴルのアルタン・ハンですら、貿易許可で大人しくなった。
399世界@名無史さん:2014/07/10(木) 06:37:22.33 0
リアリストの商人大名小西の裏工作で、明に対する偽の降伏が行われたが、
その結果として「秀吉の降伏」を確認した明は、「封は許すが貢は許さない」
(明の冊封体制下に入る事は認めるが勘合貿易は認めない)結論を下した。

そして秀吉を日本国王に冊封する使節が日本に派遣されたが、
五山の坊主が小西の袖の下を受けずに、馬鹿正直に明の国書を朗読したものだから、
秀吉は激怒して講和は破談。

要するにサルにとって「貢」の許可=「勘合貿易」の再開が最大の眼目だったってこと。
400世界@名無史さん:2014/07/10(木) 09:35:35.15 0
なんか色々書いてくれてるけど、秀吉の最大の目的が勘合貿易の再開だって根拠がゼロじゃんw
401世界@名無史さん:2014/07/10(木) 10:16:30.99 0
>>400
根拠<<<願望、それが馬鹿チョン
402世界@名無史さん:2014/07/10(木) 17:07:03.52 0
豊臣日本軍よりはるかに強大だったモンゴルのアルタン・ハンの行動を思えば、
エテ吉の思惑もどこにあったか分かろうというもの。
エテ吉自身がアルタン・ハン以上のことができると本気で思っていたと想定するのは、
むしろエテ吉を誇大妄想狂として侮辱することになる。

そのような誇大妄想狂扱いは、調略家として名高いエテ吉のリアリストぶりを無視して、
ただのアホ扱いすることになってしまう。
403世界@名無史さん:2014/07/10(木) 17:15:11.13 0
君の中では納得いってるのかもしれないけど、
説明が主観的過ぎて、他人には全然伝わってないだけの話
404世界@名無史さん:2014/07/10(木) 17:24:19.64 0
俺が一番、秀吉の気持ちを察することができるんだって感じ
405世界@名無史さん:2014/07/10(木) 19:24:57.09 0
客観的に見て、秀吉がアルタン・ハンより強かったとは考えられない。

アルタン・ハン>>(壁)>>秀吉

という事実を鑑みるに、アルタン・ハンが明に名目的に臣従して交易の実利でウハウハになった事実から、
秀吉もそうなることを望んでいた蓋然性は高いな。
406世界@名無史さん:2014/07/10(木) 20:29:22.40 0
ここは日本なんで根拠の無い妄想を5000回垂れ流しても
トンスランドと違い真実には成らないんだよね
407世界@名無史さん:2014/07/10(木) 20:39:31.93 0
アルタン・ハンのことも知らないヤツが偉そうにw

世界史板なんだから、朝鮮のことばっかり考えてないで、
もっと広い視野で他の地域や国のことも勉強しろよ。
408世界@名無史さん:2014/07/10(木) 20:45:04.13 0
ダヤン・ハーンならば有名だから知っているよ。
409世界@名無史さん:2014/07/11(金) 06:27:25.99 0
ダヤンはアルタンの祖父
410世界@名無史さん:2014/07/11(金) 06:34:59.84 0
>>405
秀吉が、アルタン・ハーンの強さを知っていたのが、書状とか何かからわかるのか?
そうじゃないとただの妄想
411世界@名無史さん:2014/07/11(金) 11:08:35.58 0
秀吉は征服する気満々だったろw
412世界@名無史さん:2014/07/11(金) 20:31:47.17 0
タタールやオイラートなら、ともかく日本には無理。
413世界@名無史さん:2014/07/11(金) 20:55:52.10 0
日本、弱いもんな
414世界@名無史さん:2014/07/11(金) 22:08:26.66 0
明征服は無理だな、半島征服は太閤殿下存命なら余裕だが
415世界@名無史さん:2014/07/12(土) 04:42:58.97 0
史実では無理だったな。
416世界@名無史さん:2014/07/12(土) 08:50:11.25 0
史料ベースでやらないとgdgdになるだけだな
417世界@名無史さん:2014/07/12(土) 10:44:18.32 0
明を直接脅かしたダヤンとアルタン。
明に直接攻め込めなかったサル。

一目瞭然だな。
418世界@名無史さん:2014/07/12(土) 10:53:36.57 0
結局、明を滅ぼすことには成功してるんだが。
419世界@名無史さん:2014/07/12(土) 11:18:51.04 0
>>417
なんだ、結局それが言いたいだけだったんだ
420世界@名無史さん:2014/07/12(土) 11:54:31.41 0
半島はゴビ砂漠並に貧しかったからな
421世界@名無史さん:2014/07/12(土) 11:58:43.75 0
>>419
だ・か・ら・中国を直接脅かして猛威をふるったダヤンやアルタンと、
明の本土からずっと離れた朝鮮半島を侵略した程度の秀吉とでは、
当然、前者の方が中国にとっては脅威だし、強敵だろう。
にもかかわらず、アルタンは交易を認められると、あっさり冊封を受け、
おとなしなった。

要するに、そういうことだ。
422世界@名無史さん:2014/07/12(土) 12:28:24.29 0
>>421
アルタンハンがどうしようが、秀吉がどうするかは秀吉の勝手だろう
話が飛躍してる

自分の中の「こうあるべき」が先行していて、史料でも遺物でもいいけど根拠が欠けている
だから、他人から見たら意味不明なんだよ
423世界@名無史さん:2014/07/12(土) 12:37:01.37 0
秀吉自身が文禄の役の最中に自ら示した講和条件の中に、
「明の皇女の降嫁」「朝鮮南部4道の割譲」「明の大臣との誓詞の交換」などとならんで、
「勘合貿易(朝貢貿易)の再開」が含まれていたことを忘れたのか。

これらの条件は、小西行長が全部握りつぶして、「明に降伏して冊封を願う」だけにすりかえ、
明側は「封は許すが貢は許さず(国王には任命するが交易は認めない)」の方針で冊封使を派遣してきたから、
交易の実利を得られなかった秀吉がブチ切れて講和が破談になったわけだが。
424世界@名無史さん:2014/07/12(土) 13:37:49.30 0
そもそも秀吉の講和条件の原文ってなんだろう?
425世界@名無史さん:2014/07/13(日) 07:06:33.48 0
>>423
正直秀吉の提案ですら日本からしたら最大限の譲歩だろ。
そのまま秀吉が存命していたら明は確実に征服されていたのだから。
426世界@名無史さん:2014/07/13(日) 09:57:27.08 0
無理w
427世界@名無史さん:2014/07/13(日) 12:13:59.99 0
大日本帝国の最大の譲歩みたいなものだな。
428世界@名無史さん:2014/07/13(日) 13:28:49.95 0
>>426
明の力で抵抗できるとは思えないのだが?
日本よりはるかに弱い清にあっさり併呑されてしまったわけだし。
>>427
実際南部仏印進駐により欧米と対立して石油禁輸食らってなければ、
そのまま重慶成都と陥落して中国は詰んだと思うが。
429世界@名無史さん:2014/07/13(日) 16:12:51.15 0
南京攻略数年後には既に戦闘員と兵器は半分以下まで消耗してたから
100%無理、統治が笊過ぎた
430世界@名無史さん:2014/07/13(日) 16:45:27.58 0
どうも日本の力を過大評価する連中が多いな。
こういう連中が無謀な戦争を起こしたり、支持したんだろうな。
431世界@名無史さん:2014/07/13(日) 17:25:29.69 0
五胡にしても元とか清でも、チャイナの住民を殺戮したあげく、残った人民に民族語を強要するとかせず
税収をあげて実効支配したわけでしょ?

とにかく前王朝の正規軍にダメージを与えて、住民の宣撫工作をしておいて
易姓革命を実現できれば、新王朝の勝利なわけ。

秀吉の勝利条件はどのへんにあるわけ? 明に代わって新王朝を樹立できればOKだったの?
432世界@名無史さん:2014/07/13(日) 17:32:01.21 0
>>429
どこの世界の話だ?
重慶征伐する兵力を南方に回したわけだが、
フィリピンでは15万の米軍と戦艦以上の多数の要塞砲を持つコレヒドール要塞。
マレーでは10万の英国軍と東洋最大といわれるシンガポール要塞。
インドネシアでは10万のオランダ軍とバンドン要塞。
さらにビルマでも圧勝している。
これらを日本は半年で占領したわけだが、中国軍が防げるとでも思っているの?
殆ど航空戦力すら割いていないのに、大陸だ通作戦で南方まで制圧されたってのに。

ていうか殆ど日本の統治に従っているだろ。
後方では反乱すらろくに起こってない。むしろ現地の自治政府や軍は協力的だった。
433世界@名無史さん:2014/07/13(日) 17:39:38.96 0
優勢と見ると手を広げすぎてしまう体質か。厄介だな
434世界@名無史さん:2014/07/13(日) 17:44:07.03 0
そして補給が追いつかない。
435世界@名無史さん:2014/07/13(日) 18:12:44.18 0
>>432
海軍の印度支那侵攻計画に対して、陸軍の過半数を占める関東軍が
既に半分程度まで戦力を消耗してるから陸軍は支援しないと回答してる。
しかも朝鮮銀行券の濫発でハイパーインフレを起こして経済を崩壊させてる
436世界@名無史さん:2014/07/13(日) 18:28:56.48 0
>>434
中国で補給が切れたことなんてないだろ。
そもそも南部仏印進駐の前には重慶の手前の宜昌まで陥落している、
こっから重慶までは500キロもなく支援ルートの大半は封じらている。
沿岸部の大都市を日本が確保して、工場もろくにない内陸部に封じられた時点で詰んでいたんだけどね。
日本がアメリカと戦争にならなければ、そのまま重慶成都と陥落して終了だったよ。

>>435
ハイパーインフレの定義知ってる?
437世界@名無史さん:2014/07/13(日) 18:37:33.75 0
>>433
むしろ広げなかった事で問題があったのが日中戦争。
軍や政府に戦争拡大反対派が多く、軍の作戦行動をいちいち邪魔していた。
なので兵力の逐次投入のような作戦になった事が多い。
宜昌にしても天皇のアホや、反対派などが邪魔していたしな。
桐工作などがあったからというが、中国相手なんだからまず殴らないと話にならないというのに。
譲歩をすれば弱いとみて付け上がるのが中国人なんだから。
438世界@名無史さん:2014/07/13(日) 18:40:39.23 0
植民地の三流兵に圧勝した大日本兵は最強に違いない。
439世界@名無史さん:2014/07/13(日) 18:46:27.64 0
>>438
中国軍がそれより強かったとでも思っているのかw
440世界@名無史さん:2014/07/13(日) 19:02:06.35 0
結果が全て
結果から見ると

共産軍>国府軍>日本軍

強いやつを味方に付ける戦略も強さのうちだし
むしろそれが最も重要なことだ
戦術なんて戦略のための一要素でしかない
441世界@名無史さん:2014/07/13(日) 19:12:30.48 0
>>436
重慶を落としても、より内陸の青海・新疆あたりに逃れるだろうし、
占領地の維持管理と補給がそこまで持つかどうか?
日米戦にならなくても、日本が先に経済破綻したような。
442世界@名無史さん:2014/07/13(日) 19:19:49.02 0
明朝の話をしていたはずなのに・・・
             /ヽ       /ヽ
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  ______ /U ヽ___/  ヽ
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443世界@名無史さん:2014/07/13(日) 19:26:09.54 0
>>441
そのあたりに逃れたとしてどうやって戦うわけ?
中国の各地の軍閥がついてきてくれると本当に思っているの?
政権はほぼ完全に崩壊するよ。
ていうか当時の新疆のあたりは実質独立国みたいなもんだぞ。
むしろソ連に近い。
444世界@名無史さん:2014/07/13(日) 19:46:42.06 0
おまいら、そろそろ軍板に行ってやれ。
板違いだ。
445世界@名無史さん:2014/07/13(日) 19:50:03.83 0
「朝貢体制」のスレで、もう皇帝も朝貢もなくなった時代の、
朝貢・冊封に全く関係ない戦争の話をやるのはマナー違反だ。

どうしても日中戦争の話がやりたいのなら、そういう軍事板でやれ。
446世界@名無史さん:2014/07/13(日) 20:11:36.29 0
日本軍は世界最強、補給が足りなかっだけ。
447世界@名無史さん:2014/07/13(日) 20:14:56.21 0
             /ヽ      /ヽ
            /  ヽ      /  ヽ
  ______ /     ヽ__/     ヽ
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  | |       / /      \   :::::::::::::::|
  | |       | (●      (●    ::::::::::::::|  軍事板いってよ・・・
  | |       | ∪      ∪   :::::::::::::|
  | |       |   (__人__丿  .....:::::::::::::::::::/
  | |____ ヽ      .....:::::::::::::::::::::::<
  └___/ ̄ ̄       :::::::::::::::::::::::::|
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448世界@名無史さん:2014/07/13(日) 20:16:22.18 0
>>436
ハイパーインフレそのものだよ
朝鮮銀行券の濫発で物価は数年で1000倍以上になった
449世界@名無史さん:2014/07/13(日) 20:37:52.97 0
>>448
一年で一万倍以上にならないとハイパーインフレとはいえんな。
ていうかそれどこの話だ?
40年ごろにそんな事は起こっていないわけだが?
450世界@名無史さん:2014/07/13(日) 21:40:24.24 0
>>449
濫造開始から敗戦までに1万倍以上の物価高騰してるから完全なハイパーインフレ
杜撰な経済政策によるハイパーインフレと経済崩壊は華北全域で起きた
451世界@名無史さん:2014/07/13(日) 21:49:20.51 0
もう意図的なスレ荒らし、スレつぶしと認定していいな。
この戦争厨どもは。
スレ違いの話題で、わざと朝貢スレを荒らして、そんなに楽しいか?


ウザイから消えろ、ヴォケ。
452世界@名無史さん:2014/07/13(日) 23:06:42.51 0
>>450
戦争終わるまでに千倍と一年で一万倍の差は大きいが?
ていうか嘘乙だな。朝鮮円が流通しており、その価値は日本が戦争で負けるまで暴落などしていないのだから。

華北においておこっていたのは蒋介石が退却するときに堤防ぶっ壊して、
水攻めにした事で黄河の流れが変わってしまい、華北が旱魃、徐州が水害で酷い事になり、
食料危機が起こった事によるもの。それによる高騰だ。

なお日本の支配地域以外だと数百万が餓死したが、
日本の統治地域では餓死者などでず食料が分配されていた。
453世界@名無史さん:2014/07/13(日) 23:14:16.23 0
>>452
濫造開始から41・42年度の時点で1000倍超のハイパーインフレ
敗戦までに30000倍、時間軸の違いだけで何ら違いは無い。
兌換すら保証され無い朝鮮銀行券を植民地よろしく押し付けたのが関東軍
経済的合理性なぞ最初から完全無視で野放図に濫造しまくった
その結果がハイパーインフレと金融、経済崩壊
454世界@名無史さん:2014/07/13(日) 23:41:33.26 0
>>453
敗戦後と統治中は別物だが?
また時間軸が違うならインフレ率が大幅に下がるためハイパーインフレにはならない。
お前さんの言っている嘘が事実だったとしても、ハイパーインフレにはならんのだよ。
日本だって戦争中においては物価などさして上がってないが、
敗戦した後はハイパーインフレになった。預金封鎖して人為的にやった事ではあるし。
インフレの最大の理由は焼け野原になって物資の生産が出来なくなったのと、
戦争に負けて円の価値がなくなったからだからね。

だが当然の事ながら戦争中においてはそんなことはおこっていない、朝鮮や台湾の円にしても同じこと。
1000倍のインフレも三万倍のインフレも起こっていないのになにを言っているのだお前は。
そもそもそんなになっていたら、もっと刷らないといけないだろうが、
現実には日本が刷った金額は駐留費用程度でたかが知れている。
100万程度の日本兵の食料で、数百倍の住民を支配していたのだよ?
少し考えれば大した負担ではないことに気付くはずだが?
朝鮮総督府などこれで景気が回復して長年の借金がなくなったほどだ。

一部のアホな本に騙されているなかわいそうな奴だ。
455世界@名無史さん:2014/07/13(日) 23:55:29.89 0
>>454
誰が何処で「敗戦後」と書いたかアンカーと抜き出してみようか
「敗戦まで」を何故「敗戦後」と自分に都合よく捏造したのか弁解はあるかな?

2〜3年で1000倍の物価暴騰年率1000%以上、完全なハイパーインフレな。
日本だって、ではなく、収奪の為に朝鮮銀行券をバラ撒いて
ハイパーインフレを引き起こしたのは中国本土に於いて
456世界@名無史さん:2014/07/14(月) 06:48:22.81 0
深夜にスレ違いの話題をしつこく書き込んで、スレつぶしを狙うおえらこそ、
日本軍なみの侵略者だな。

朝貢・冊封の話題もできないのなら、さっさと消えろ。
素直で軍事板に行け。

それとも、軍事板で書き込みできないヘタレなのか。
457世界@名無史さん:2014/07/14(月) 06:50:10.67 0
とりあえず、スレタイと>>1を百回声出してよく読め。

1 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 17:51:51.26 Q歴代の中華王朝が行った周辺国との外交関係
中華から見た朝貢国、朝貢国から見た中華
貿易の実態や冊封と朝貢、藩属国や互市国など
朝貢体制について様々に語ろう
458世界@名無史さん:2014/07/14(月) 19:39:50.29 0
>>122
敗戦までならありえないからお前が嘘を言っているのが確定だ。
敗戦後ならありえるけどな。
で、どっちなんだ?嘘つきなのか、間違えなのかw

また二、三年で1000倍でハイパーインフレかと言っているわけだが?
そして朝鮮円は日本円と交換できるわけで、
日本でそんな千倍ものインフレが起こったら大変な事になるなw

大規模な飢饉による食料価格の高騰は別に日本は関係ない。
恨むなら蒋介石を恨め。あいつが堤防ぶっ壊して逃げた事が原因だ。
むしろ国民党軍やその支配地域から奪った食料を配布した日本軍に感謝して欲しいくらいだ。
459世界@名無史さん:2014/07/14(月) 19:51:24.58 0
戦争厨は、いい加減、スレちがいの荒らしはやめろ。
軍事板に書き込んで、あっちの猛者どもに叩かれるのがそんなに恐いのか?
それで無関係のスレを自分の日記帳がわりに強奪しようとしてるのか?


このスレをつぶして、嫌がらせするのがそんなに楽しいのか?
おまえは、書き込みの内容以前に人間としてまちがってる。腐りきってる。
460世界@名無史さん:2014/07/14(月) 19:54:40.76 0
非常識な人間のクズに、何を言ってもムダかもしれんが、もう一度、警告する。
クソ迷惑なスレ荒らしはやめろ。
そして、ここのスレタイと>>1を百回声に出してよく読め。

1 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 17:51:51.26 Q歴代の中華王朝が行った周辺国との外交関係
中華から見た朝貢国、朝貢国から見た中華
貿易の実態や冊封と朝貢、藩属国や互市国など
朝貢体制について様々に語ろう
461世界@名無史さん:2014/07/14(月) 22:03:11.34 0
自治厨ってスレ違い荒らしよりウザイよね。
キーキー喧嘩するのを見るのが楽しみな俺みたいな奴だっているのに。
462世界@名無史さん:2014/07/15(火) 02:50:50.97 0
>>458
無知無知くんは実に無知だから困る
朝鮮銀行券は貨幣ですら無く日本円との兌換は当然認められてなかった

発券開始から数年、敗戦前までに
数万倍のハイパーインフレを実現し経済崩壊させたのが大日本帝国政府
463世界@名無史さん:2014/07/18(金) 07:33:36.21 0
まだ、スレ違いキチガイがしつこく書き込んでるな。
軍板行け。軍板に。どうせ軍板の猛者どもに叩かれるの恐いヘタレだから、
こんなスレ違いのスレで暴れてるんだろうけど。
それとも、スレ違いの話題でスレつぶしを狙う愉快犯か。だったらタチが悪すぎる。

猿関白や旧日本軍なみの害虫、侵略者だな。
464世界@名無史さん:2014/07/18(金) 07:36:22.30 0
日中戦争だのインフレだの無知だの連呼してるスレ違いのキチガイは、
そんなにムチが好きなら、お仕置きとして明の皇帝陛下にムチられた方がいいな。
465世界@名無史さん:2014/07/18(金) 07:46:11.72 0
せめて、猿関白が明の皇帝陛下に臣下の礼をとり、
これまでの無礼や罪のお詫びとしてムチられるとか、
気の利いたことを書けといいたい。

まあ、秀吉も明の皇帝の臣下としての自覚はもってたけどね。
466世界@名無史さん:2014/07/21(月) 03:20:39.49 O
話元にもどすけど古代中国と周辺国に上下関係あるのは分かったから

日本→朝貢 緩い属国関係
新羅→冊封 きつい属国関係
ということでOK?

上のスレで秀吉が明の家臣という根拠ちゃんとあるの?
467世界@名無史さん:2014/07/21(月) 08:32:58.36 0
秀吉「本人」が示した文禄のときの講和条件に、
「勘合貿易の復活」というのが入っている。

勘合貿易=朝貢形式での貿易。
468世界@名無史さん:2014/07/21(月) 11:29:54.37 0
>>466
唐代の話なら
日本→一度も冊封を受けた事の無い朝貢国、中華秩序に従う国
新羅→唐政府が長官を冊立し律令に従う羈縻州、唐の封建諸侯
西域諸国や靺鞨なんかがこの中間の冊封国
469世界@名無史さん:2014/07/21(月) 13:46:24.54 0
新羅はキビ州じゃないだろ。
高校世界史の資料集レベルでもキビ州じゃなくて冊封国だぞ。
470世界@名無史さん:2014/07/21(月) 13:49:08.57 0
高校世界史の教科書や資料集だと、
キビ州は、中国と直接境を接してる北方や西域の騎馬民族で、
冊封国は渤海、新羅、南詔などで、単なる朝貢国が日本や東南アジア諸国。
471世界@名無史さん:2014/07/21(月) 18:30:38.74 0
>>469
新羅は羈縻州と冊封国の中間だよ、冊封国というのは靺鞨や室韋の様に
自発的に支配者や法を定め、それを唐が追認して唐の官職に冊封する国
渤海靺鞨や突厥は時期によって羈縻だったり冊封だったりする、大人しい時期の吐蕃も冊封国。

新羅は常に唐政府の遣使が王を任命し、唐の律令が最も上位の掟で
冊封国とは云えない、完全な羈縻州でも無いけどね。

教科書にも色々あって、韓国への愛が溢れる歴史創造強化書は政経倫理の授業で用いる為の教典
472世界@名無史さん:2014/07/21(月) 19:21:41.14 O
冊封は属国で羈縻政策は属領位の違いがあるのでは?

まあ年号や王位なども唐や歴代中華王朝に毎回認定してもらってるようだから、
きつい属国関係にあったのは想像につくが
473世界@名無史さん:2014/07/21(月) 19:51:45.49 O
>>465

「勘合貿易の復活」とあっても講話条件が「明の皇女の降嫁」「朝鮮南部4道の割譲」だから
西夏や遼と結んだ盟約に近いものがあるかも

表向きは中華を敬って実利はこちらに尽くせみたいな
474世界@名無史さん:2014/07/21(月) 21:28:42.96 0
>>472
冊封国で唐が王や律令を決める例は無いから
その意味じゃ新羅は属領
475世界@名無史さん:2014/07/22(火) 23:24:52.43 0
おまいら、朝鮮蔑視と憎さのあまりに冊封国と単なる朝貢国を混同してないか。
476世界@名無史さん:2014/07/28(月) 07:44:17.56 0
所詮、日本は大唐から見たら新羅の下位。
それにごねた大伴古麻呂は空気読めない田舎者。
477世界@名無史さん:2014/07/28(月) 12:00:10.93 0
>>473
通るわけなさそうな要求をなぜ?戦勝報告を過大に受け取っていた?
478世界@名無史さん:2014/07/28(月) 12:28:27.68 0
父=大唐、兄=倭国、末弟=新羅
479世界@名無史さん:2014/07/28(月) 14:16:01.42 0
総本家=唐、小作人兼親戚=新羅、遠い先祖が同じ=日本
480世界@名無史さん:2014/07/31(木) 16:48:03.28 0
所詮、日本は大唐の臣下。
481世界@名無史さん:2014/07/31(木) 20:29:12.18 0
現代の約200カ国の過半数は米帝の臣下なんだよな、凄い凄い
482世界@名無史さん:2014/07/31(木) 21:54:58.83 0
比喩としては、あながちまちがいではない>>481
483世界@名無史さん:2014/07/31(木) 22:55:20.51 0
大半は影響下にあるだけで
臣下と言えるのは、サウード氏族の諸王朝と日本と沖縄と南韓とヒリピンとエジプトと加とウクライナと豪と越南くらいのもの
破綻国家にさせられた国でも軍門に下って無い国は多いし
484世界@名無史さん:2014/08/01(金) 19:40:23.42 0
比喩でいいのなら、アメリカにとっての日本、沖縄、南韓、比島、カナダ、湾岸諸国などは、
ローマ帝国の属領みたいなものだろう。
485世界@名無史さん:2014/08/01(金) 19:41:18.58 0
属領というか属州か。
486世界@名無史さん:2014/08/02(土) 09:02:41.97 0
>>483
あとはメキシコとかカリブ諸国とか
487世界@名無史さん:2014/08/03(日) 05:21:16.64 0
このスレの流れからすると、秀吉は頭下げて朝貢したいです、させてくださいって戦争ふっかけたのか
488世界@名無史さん:2014/08/03(日) 08:15:12.52 0
>>486
新羅は大唐の属領だったという事だね。

属州というのは羈縻州と大体同義
489世界@名無史さん:2014/08/11(月) 09:03:04.79 0
新羅を不当に貶めて、日本の自尊心を満足させたい厨に呆れ果てる。
490世界@名無史さん:2014/08/11(月) 12:52:23.69 0
いくら現代の韓国や北朝鮮が嫌いだからって、
過去の新羅を不当に貶めたり、倭王権や日本の律令国家を過大評価するのは、
いかがなものかと思う。
491世界@名無史さん:2014/08/11(月) 21:51:58.50 0
寧ろ逆で、虚栄心を満足させる為
史実に基づかず新羅を過大に誇張しまくってるのが南韓族
492世界@名無史さん:2014/08/12(火) 09:30:32.27 0
まあ、倭王権を過大評価してる日本オタにも同じことは言えるがな。
493世界@名無史さん:2014/08/12(火) 19:11:12.19 O
>>492
そういう人を「韓国面に墜ちる」というのだよ。
彼ら言うところの「韓国人」(韓国の人が本当にそうなのかは知らん)そっくり。
494世界@名無史さん:2014/08/12(火) 23:01:45.95 0
そもそも、「不当に貶め」って何よ
495世界@名無史さん:2014/08/12(火) 23:10:38.15 0
>>494
馬鹿チョン民族主義史観の否定
要は史実主義実証主義の人に貼るレッテル
496世界@名無史さん:2014/08/13(水) 17:26:33.07 0
ヘイトスピーチのレイシストに、そんなこと言われてもw
497世界@名無史さん:2014/08/18(月) 11:08:21.54 0
最近は中国を持ち上げて朝鮮を落とすとか、脱亜入欧でアジア蔑視が
ネトウヨの根源だったが原発メルトダウンで欧米にはとても入れないことがわかったので
アジアの中の序列でレイシズムを満足させる方向に切り替えるレイシストに
史観など必要ないw
498世界@名無史さん:2014/08/18(月) 19:23:20.10 0
>アジアの中の序列
>レイシズムを満足させる
非常に判り易く馬鹿チョンだな
事大主義で上下関係しか無く、現実から遊離した認識に固執する
499世界@名無史さん:2014/10/27(月) 22:40:55.76 0
ベトナムも帝号だったんだな。
500世界@名無史さん:2014/10/27(月) 22:46:23.88 0
>>499
いや、公式には王だよ
国内でだけこっそり皇帝と称してた
501世界@名無史さん:2014/10/27(月) 23:32:11.54 0
いやいやベトナム大皇帝はベトナム王とは違う。
大皇帝が王を冊封する。
王は中華の皇帝からも冊封される。
502世界@名無史さん:2014/11/02(日) 21:31:46.12 0
>>498
そうだからアメリカに事大主義で兄事する。とっくに冷戦は終わっているのに
中国を敵視し、挑発行為を繰り返し、アメリカの怒りを買う。自分の認識が誤っているのに
アメリカが怒る理由がわからない。
503世界@名無史さん:2014/11/05(水) 20:20:24.58 0
>>502
それ日本のことね。
504世界@名無史さん:2014/11/09(日) 12:51:48.30 0
日本州政府は事大為るんじゃ無く
米政府の傀儡として米国人に尽し日本人を使役為るんだよ
505世界@名無史さん:2014/11/14(金) 10:51:20.70 0
APECは朝貢!? 人民日報の表現に「行き過ぎ」との指摘
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/11/14/2014111400680.html
中国共産党機関紙の人民日報がAPEC首脳会議の終わった12日に「万邦来朝」という表現を使ったことから論議を呼んでいる。
人民日報系ニュースサイト「人民網」は同日、APECの夕食会の模様を紹介し、「多くの人々が『万邦来朝』を感じた」と書いた。
506世界@名無史さん
明も清ももうないというのに