1 :
世界@名無史さん:
このスレは世界史の良い話を書くスレです。
この手のスレって戦国板以外じゃ定着しないよね
穆公
エリザベス二世がイギリスの田舎を見てまわったときのこと。
そのルートにある家で息子が母親にこう釘をさした。
「母さんは紅茶をあふれるほど注いで、ソーサーにこぼれたのをすするだろ。
あんな行儀悪いことは女王陛下の前で絶対にしちゃいけないよ」
母親はうなずいた。
後日、はたしてこの家に女王陛下がたちよったのである。
がちがちに緊張した母親は、息子の助言など忘れていつも通りのくせで紅茶を飲んだ。
そして女王陛下が帰ったあとで、母親は息子に自慢げにこう話した。
「おまえは行儀悪いなんて言ったけど、陛下だってソーサーにあふれた紅茶を
すすっていたわよ!」と。
女王陛下は内心もちろんこの飲み方に驚いていた。
しかし、自分が普通の飲み方をすれば相手は粗相をしたとあわてて、
恥ずかしがってしまうにちがいない。
そこで女王陛下は、とっさに相手をまねてソーサーから紅茶をすすったのだ。
君主たるもの、どんな相手でも気遣うというおはなし。
似た話で「フィンガーボウルから水を飲む陛下」というものもある。
>>4 面白いな。しかしこういうのを見るとイギリスも恥の文化なんだなあ。
君主の威信より平民の面子が大事か?
>>6 地位にかかわらず他人のメンツを安易に潰しちゃイカンってことだよ。
8 :
世界@名無史さん:2012/01/25(水) 18:08:23.48 0
イギリス人って皮肉屋な面が強調されがちだけど、結構ウィットに富んだ民族でもあるよね
>>4みたいな感じのディスりじゃない、その国や民族の良い面にスポットを当てた逸話が
ここで投下されて行くと良いな
9 :
世界@名無史さん:2012/01/26(木) 22:40:43.22 0
1937年国共合作が成立し国民党と共産党は一時停戦をすることになった。
長征残留部隊の司令官だった陳毅(後の10大元帥、政治局常務委員)は
停戦の通知を行うために湘贛省ソビエト地区に入ったがそこの主席だった
譚余保(後の湖南省党副書記)は陳毅を党を裏切ったスパイだとして牢獄に押し込め銃殺しようとした。
しかし念のため党中央に問い合わせたところ
陳毅の通知は正式な党の指示であったことが確認され譚余保は陳毅に泣いて謝罪した。
さすがに陳毅は剛毅な男であり笑って譚余保を許したのであった。
10 :
世界@名無史さん:2012/01/27(金) 09:42:16.77 O
こういう風ないい話は、人の心を元気にするから理屈抜きにイイやね。
お姫様のファンガーボールの話を小学生の頃に聞いて感動したことがあるな。
光武帝が夜遅く帰った時、門が閉まっていて入れてもらえないということがあ
った。身分を門番に伝えても規則ということで開けてもらえず、しかたがない
ので朝帰りをした光武帝は、自分を入れなかった門番に褒美を与えた。
東ローマのレオン6世がお忍びで夜の町を歩いていたところ、兵士に不審がら
れたので、金貨を渡したところ見逃してもらえた。
更に別の兵士と出会った際も、金貨を出すことで見逃してもらえた。
こういうことを何度か繰り返していたが、最後に会った兵士は金貨を出すと逆
に怒り出し、皇帝を鞭打って牢に入れた。
翌日、牢から出られた皇帝は金貨を受け取った兵士たちに罰を、自分を牢へ入
れた兵士に褒美を与えたという。
春日局が門限を破って大奥に戻ろうとしたところ、門番に遮られて帰ることが
出来なくなったので、冬の寒い夜を外で過ごす羽目に陥った。
翌朝、門番は信用出来る男という理由で誉められ、褒美を貰った。
ナポレオンの陣中において、不審な男を兵士が誰何したところ、要領を得ない
ので引っ立てられた。男はナポレオンであり、兵士を賞賛して警備を任せた。
関東大震災の後、東郷平八郎邸はかろうじて焼け残ったので、若手将校が見舞い
に訪れたところ、それらしい屋敷の前で野良着をつけて後片付けをしている老翁
がいたので、「爺さん、東郷閣下のお屋敷はここか」と問うた。
すると老翁「そうだ」と言ったきり、振り向きもせず作業を続ける。
将校相手に態度がでかいのに怒って近づいてみると、老翁は東郷本人だった。
13 :
世界@名無史さん:2012/01/27(金) 15:27:48.86 O
山野野衾氏はネタ豊富そうだからこのスレがネタ切れでストップしてる時なんかには書き込んで欲しいよね
悪い話もある人ですが、ピョートル大帝。
彼が崩御した原因は、真冬の河口で砂州に乗り上げた船からの救出作業に協力
するために、自ら水に飛び込んで体調を崩したこと。
ただ、生命の源(旧約聖書のサムソンしかり、類話は多いです)である髭を切る
などの西欧化政策から「あれは西洋人が成り代わっているのだ」という今でいう
ネトウヨの様な発言が一般市民の間からも出ていた状況であり、崩御は歓迎さ
れたということです。
>>13 貴方も書き込んで下さい。何より、
>>1さんが立て逃げというのが頂けません。
文帝と周亜夫の話も有名だな
初めて読んだのは漢文の授業だったか
16 :
世界@名無史さん:2012/01/27(金) 19:41:27.07 0
変人哲学者として当時から有名だったディオゲネス
樽の中に住んだり公然の前でオ○ったり・・・。
しかし住民達からは暖かい目で見られていたらしく、悪い若者に樽を破壊されたときは皆でお金を出し合って新しい樽を買ってあげたらしい
17 :
世界@名無史さん:2012/01/27(金) 19:46:59.35 0
>>14 ルイ14世も死んだ時は民衆から喜ばれたそうだね
>>17 そのへんはどこを切り取るかにもよるだろうな。
民衆でも嘆き悲しんだ人間も多かっただろう。
19 :
世界@名無史さん:2012/01/28(土) 00:40:12.05 O
確かに歴史はどの角度から見た記録なのか…を意識しないと間違うと思う。
敗者側から見たものと勝者側から見たものでは違うし、事実と真実は別物とも言える。
勝者と敗者で綺麗に分かれればよいのですが、友人同士でも同じことを記した
印象がまるで違いますからね。
それぞれの関心から、異なる部分を省略することもある。
甲乙丙丁の四人が同一のことを記していた場合、甲の記録だけだったら現代に
書かれる様相が異なっていただろう、ということもあります。
そして、勝者が歴史を作るとはよく言われますが、敗者も敗者なりに都合よく
歴史を作りたがります。敗者の方を全面的に信ずることも、また出来ない。
21 :
世界@名無史さん:2012/01/28(土) 22:30:20.68 0
竹内均教授が大陸移動説を昭和天皇陛下に進講した。
「地球の歴史はどのくらいですか」
「3〜40億年くらいといわれています」
「それは変ですね。それだけの長い期間じっとしていた大陸が2億年前から急に騒々しく動き出したのですか」
「いえ、それ以前も動き回っていてそれが2億年前に一つになっていたのではないかと思われます」
「わかりました」
22 :
世界@名無史さん:2012/01/29(日) 13:19:53.29 0
WW1に従軍した世界的バイオリニストのフリッツ・クライスラー。
戦後演奏旅行を再開し1923年日本にもやってきた。
演奏が休みの日、ある場所に訪れた。
クライスラー「今日は日本で最も偉大な場所に行きました」
日本人の記者「それはどこですか?」
クライスラー「乃木将軍の墓所です」
中々思い浮かばないものだな
悪い話なら結構あるんだが
別にいい話に限らなくてもいいと思うが
いや、
>>1にいい話って書いてあるし…
インドの騎兵三十人が、中央アジアのタタールの村を襲撃し、女も物も略奪 して回ったことがあった。
ところが、皆逃げ惑っている中で
一人だけ冷静な老婆がいて
「お前さんたち、悪いこと言わないから早くお帰りなさい。
もうすぐ娘が帰って来るが、そうしたらお前さんたち、おしまいだよ」
と言う。
だが、誰も本気にすることは無く、遂には老女自身も縛り上げ、馬の背 に乗せて連れ去った。
ところが、半里も行かない内に、後方を見ていた老女が喜びの声をあげた。
すさまじいばかりの砂煙と馬蹄の響きで、娘の帰還を悟ったのである。
娘はまず、遠くから奪ったものを置いて立ち去れば、命は助けようと言った。
そして、誰も本気にはしないと見るや、瞬時に三つ四つと矢を放ち、敵の騎兵を射落としてしまった。
インド人たちも矢を放つが、射程距離が違い過ぎて勝負にならない。
あっという間に半数が射殺され、残りも抜刀して突進して来た娘の手にかかり、全滅させられてしまったのであった。
すげえw
>>25 2004年の私の書き込みじゃありませんか。懐かしい。
>>27 うん、ムガル帝国誌から文字起こそうと思ったけどちょうど該当の部分がネットにあったんでちょっと改変して貼った
ムガル帝国誌も一応読んでますよ
サティの時に裏切った浮気相手を道連れにした話とか悪い話ばっかりあるよねあれ
いとも簡単に人が殺されますからね。
一部出ているペルシャもさることながら、インドも古代から王への不敬には
かなり厳しい土地でしたし。
透明人間になる薬を飲んでいた竜樹が王宮で殺されそうになった時、王の頭
の周囲に踏み込んだら罰(確か死罪)を受けることを利用し、王の側に逃げ
込んで一命をとりとめたという話を初め、仏典にも王の不可侵性を示す話が
ずいぶんありますが、時代が下っても、イスラームが来ても、ムガールが来
ても、緩和された気が致しません。
ヒューマニズムがないからねぇ…
洋の東西問わずモリモリ死んでいくから現代の価値観でみると悪い話が多い
>>29 そんなことより働け
親が泣いてるぞ
変な名前で毎日2ちゃんねるに入り浸ってるなんて知ったらどんな顔するだろうな
>>31 毎日張り付いてそれを監視しているキミは絶望的だなw
>>31 山野で親が泣くなら、
案山子だと一族郎党が憤激するんだろうなw
34 :
世界@名無史さん:2012/02/08(水) 22:12:23.31 0
連合軍捕虜収容所での通話・日本人=自害する。ドイツ人=脱走を謀る。イタリア人=歌い出す・・・つまらんか
>イタリア人=歌い出す
アフリカ第二の高さを誇る山、ケニア山のレオナ峰(4985m)に初登頂した
のは、第二次世界大戦中にイギリスの捕虜収容所からこの峰を眺めていてど
うしても登りたくなり、物資を懐に入れるなど準備を重ねて脱走した三人の
イタリア人捕虜。
下山した三人は収容所に戻り、罰として一月弱の独房生活を強いられた、と
いうのはいい話……なのでしょうかね。
イタリア人はいつ見ても人生楽しそう過ぎて困る
イタリア人すげぇな、まじで、、
第二次大戦時の日本人捕虜が作ったウズベキスタンの国立ナヴォイ劇場
1966年の大地震の時、周囲の多くの建物が倒壊するなか
ナヴォイ劇場はビクともしなかった。
どういう境遇になっても日本人、国民性は変わらんわ
昔山野氏がアッバース大帝と泥棒の小話を書いていた気がする。
記憶違いかもしれないが、もし山野氏で、思い出したら書いて欲しい。
なんとなくいい話げだった気がする。
40 :
世界@名無史さん:2012/02/09(木) 19:06:37.45 0
すいません。↓でした。山野氏は前後に登場していましたが↓を書いたのは別の人物でした。
夜中にアッバース大帝がお忍びで街を歩いていたら
変な男たちの三人連れに出会って意気投合。
彼らは実は盗賊団で、これから王の宝物庫を荒らしにいくという。
面白くなったアッバース大帝も着いていって、道々お互い自己紹介をする。
盗賊1「自分は動物の言葉が分かる」
盗賊2「自分はどんな鍵でも開けられる」
盗賊3「自分は一度見た顔は決して忘れない」
大帝「自分は実は絶大な権力を持っていて、
髯をちょっと捻るだけでどんな大罪人でも許すことができる」
途中で犬が吼えたのを聞いて盗賊1がいわく
「犬が言っている。『大金持ちはお前たちの中にいるのに、今宵お前たちは何処に行くのか』」
やがて庫に着くと盗賊2が鍵をこじ開けて四人で荒らしまわる。
翌朝大帝は王宮で兵士を呼びつけて昨夜の盗賊たちの人相を詳細に語って
「ひっ捕らえてまいれ!」と命令。
そこで三人の盗賊が捕まえられてきて、盗賊たちは顔を上げられずにがたがた震えている。
ところがそこで盗賊3がふと大帝の顔を見上げて驚いていわく
「俺たちは三人とも特技を披露した。今度はあんたが髯を捻ってくれ」
これには大帝も苦笑して彼らを許すしかなかったという話。
アラビアンナイトやなw
42 :
世界@名無史さん:2012/02/09(木) 20:59:42.52 0
ロシア皇帝のパーヴェル1世は
「臣民が皇帝の為に血を流すのではなく
皇帝が臣民の為に血を流さねばならぬ」と言っていた。
但し、その具体的方法として皇帝が考えていたのは
君主同士の決闘であった。
43 :
世界@名無史さん:2012/02/09(木) 21:05:49.61 0
良い話かどうか分からないけど
その子ニコライ1世の話。
陸軍の主計官に会計を誤魔化して私腹を肥やしている男がいた。
発覚しそうになり主計官は自殺を決意した。
夜、いよいよと拳銃を手にした主計官の肩を叩く人がいた。
皇帝その人であった。
「今回だけは無かったことにしよう」と語りかけて
主計官は自殺を思いとどまった。
わかりやすくっていい方法だと思うが、パーヴェルの母親で君主だった
エカテリーナのことは念頭に置いていたのかな。まあ、エカテリーナの
ような母親を持ったからこそ、女性でも決闘して全然問題無いと考えていたの
かも知れないが。
特に良くも悪くもない話。
ある寒い日の未明。一人起き出したエカテリーナ2世は、ストーブに火を点けて
暖をとろうとした。
ところが、やがてとんでもない悲鳴が上の方から聞こえて来る。
それと察した女帝は、慌ててストーブの中に水をかけ、消火した。
かくして、女帝は使用者がいない間にストーブに繋がる煙突を掃除していた
少年に謝罪することとなった次第。
もう一つ。
大黒屋光太夫が謁見した際、女帝は船内に祀られていた伊勢の神棚を手にと
ると、偶像がないのに信心の対象とすることは、日本人の習慣であると評し
た由。『北槎聞略』が今手元にないので、うろ覚えですが。
フリードリヒ2世やルイ15世、同16世でも、面白がったでしょうね。
マリア・テレジアなら、嫌ったと思いますが。
>>40で伊勢盛時を、
>>42でアミンを思い出しました。
日本の神社には偶像がないから外国人には分かりづらいらしいね
道教みたいな、いかにもな偶像宗教のほうが確かにわかりやすいだろうな。
ナチスドイツでは純潔の血が優れた人間を生み出すが
大日本帝国では純潔な精神が優れた人間を生むと比較されてるくらいですしね
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
51 :
世界@名無史さん:2012/03/04(日) 17:16:59.75 0
やっぱり悪い話も含めるべきなんじゃね?
52 :
世界@名無史さん:2012/03/04(日) 18:32:23.70 0
コルベ神父の話はあまりに凄惨だし劇的に過ぎるよなあ。
これ有名な「ちょっと」どころじゃない話だけど
パリ・コミューン崩壊の時、ヴェルサイユ政府軍に捕らえられた
コミューンの少年兵がいた。
即時銃殺になろうとして
少年兵曰く、
「お願いだから少し待って!近くの家に母さんがいるんだ。
最後のお別れをしたいんだ!必ず戻ってくる。行かせてくれ!」
政府軍の将校は「嘘を付いてそのまま逃げる気だな」と思いつつ
憐れに思って「一時釈放」してやった。
しばらくして、なんと少年兵は戻ってきた。
「さあ戻ってきたよ!撃てよ!」
ユゴーが伝えている話。
>>52 実利よりも誇りに生きるのはかっこいいがそれで死ぬには少々若すぎるな
この後どうなったんだろう?
赤眉の乱の時も、賊に「老母の所へ食料を届けてからにしてくれ」と言って一旦
解放された息子が戻ってきたので、殺されずに済んだという話がありましたね。
(桑の実の話とは別)
以下、『大智度論』ほかにある説話ですが。
昔、実語(嘘をつかないこと)を心がけている須陀須摩という王がいた。
ある時この王が園に出ていると、空から翼を持つ鹿足という王が現れ、須陀
須摩王をさらっていってしまう。
鹿足王は、百人人の王の頭を神に奉げようとしていたのであるが、須陀須摩王が
「私は昔から嘘を言った事が御座いませんが、園に出る前に出会った婆羅門に
『帰ったら供養しよう』と言ってそのままになっておりますので、これを遂げさ
せて頂きたい」と訴えたところ、七日の猶予と共に返された。
無事供養を遂げた主に対し、周囲は「守りを固めてさらわれるように致しましょう」
と勧めたが、嘘をつきたくない須陀須摩王は鹿足王を待って身を委ねる。
鹿足王は感心し、更に教えを説かれたこともあって、改心したのであった。
類話は、実話から願望まで各所にありそうです。
×百人人の
○百人の(『仁王般若経』では千人)
○さらわれるように
×さらわれぬように
失敬。
釈迦の話がヨーロッパでキリスト教の聖人の話ということになってたって事もあるし
他の国の話が場面と人物を変えて言い継がれているって事もあるかもしれないね
57 :
世界@名無史さん:2012/03/04(日) 21:29:54.16 0
>少年兵
ユゴーは、「そのまま銃殺された」と伝えていたと思う。
そのことに激しく憤ったからこの出来事の詩を書いたはず。
うろ覚えですみません。
でも実際には助命されたという説もあるらしい。
>>49 結局、各国とも自分のとこのあまりもんをまわしてるだけじゃないのか?
59 :
世界@名無史さん:2012/03/04(日) 21:34:32.02 0
同じくパリ・コミューンの話。
今度は悪い話。
ヴェルサイユ政府軍にガリフェという嗜虐的な将軍がいた。
彼の部隊はパリに進撃、捕らえられて震えているコミューン側の婦女子を前に
ガリフェは演説をぶつ。
「我こそはガリフェ!諸君は私が残酷だと聞いているだろうが
諸君の想像以上に私は残酷なのだ!」
そして捕らえた人々を片っ端から銃殺させた。
三流漫画の救いようの無い悪役のようだ。
>>56 聖ヨサパトと聖バルラームのことですね。
ソロモンの逸話や大岡裁きで有名な「二人の女が一人の子を争う話』もガンダーラ
から両話の記録より古い(仏教説話を題材にしたとおぼしき)像が出土しています。
像の出土より前に没していますが、南方熊楠は仏典や漢籍の事例を渉猟した上で、
インド起源の話が東西に広まったものとしています。
>>60 こういう例をみるとキリスト教も多神教的側面を保管出来てるよね
神が聖人になっただけで
62 :
世界@名無史さん:2012/04/01(日) 10:33:17.67 0
フランス革命が起こる少し前の話
フランス貴族出の海賊であるミッソンはマタガスカル島にリバタリアという海賊の国を建国した
リバタリアは合議制であり人種、言語、民族によって差別されない
自由と平等が保証された理想郷だったという
この理想郷を守るためミッソンは海の守りを徹底させリバタリアの安全を図った
ある日、いつものようにミッソンが海賊稼業から帰ってくると
リバタリアの国民は全員虐殺、略奪されていた
ミッソンは海賊らしく海の守りには長けていたが陸は無防備だったために
マタガスカル島の現地住民に襲撃されたのだ
自ら作り上げた理想郷が消滅した事に失望したミッソンはヨーロッパへ帰る事にした
しかし帰る途中、運悪くハリケーンに遭遇し海の藻屑と化したという
現地住民からしたら勝手にやってきて住みついてるやつら何なのって話だからな
みなごろしにした当時の由長は英雄だろ。
海賊やっておいて自由!平等!とか言われてもな…
誰でも自由に盗めます。
誰でも平等に殺せます。
66 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 20:46:50.16 0
良い話とは言えないだろうが
ユダヤ人抑圧政策を採っていたニコライ2世に
あるユダヤ人が自分達にも自由と平等をと直訴した。
皇帝は彼に哀しげに目をやり
「予は諸君を解放してやりたいが、
ロシア帝国の為を思うとそれはできない」と答えたらしい。
チャールズ2世の愛人の1人ルイーズはフランス人ということもあって、市民からは嫌われていた
ある日、これまたチャールズ2世の愛人(ということはライバル)のネル・グインと馬車で出かけたところ
豪華な馬車はルイーズに反感を持つ市民に取り囲まれて罵声を浴びせられ、立ち往生した
その時、ネルは馬車の窓から顔を出し「私だよ、プロテスタントの売笑婦ネルだよ」
市民は「ネルが一緒じゃしかたないや」と馬車の包囲を解いた
68 :
世界@名無史さん:2012/04/21(土) 11:20:37.63 0
アレクサンダー大王が海賊に、
「海を荒らすのはどういうつもりか」
と問うた
海賊はすこしも臆するところなく、
「陛下が全世界を荒らすのと同じです。
ただ、私は小さい船でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」
と答えたという
69 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 21:15:30.60 0
マウリヤ朝を打ち立てたチャンドラグプタは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
ソヴィエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
常陸の戦国大名佐竹義重は暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
時代や土地が変わっても専制君主の考える事は同じか…
(へーベルのカレンダーゲシヒテンより抜粋)
オランダのライデン市、1807年のとある平和な夕方、
ライン川に停泊中の火薬の樽70個を詰めた船が突然大爆発した。
付近の家々は倒壊し、何百人もの人が生きたまま、あるいは死体となって埋まった。
中には子供たちのいた校舎も三つあった。
油や鯨油の倉庫が多数あったので、大火災も起こり、甚大な被害が出た。
当時イギリスはオランダと交戦中だったにもかかわらず、ロンドンからは
救援物資や多額の義捐金を積んだ船がいく隻となく到着した。
「ライデン」とは、受難・苦しみの意味だそうですが、この災難が起こるより
ずっと前からこの町の名はライデンと呼ばれていたそうです。
71 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 17:52:14.72 0
うろおぼえ
ムガル帝国はヒンドゥー教徒の多い地域でのイスラム王朝であったが
その初期は異教徒に寛容で諸イスラム王朝に共通していた異教徒に課す税(ジズヤ)も設けなかった
ある日隣国ペルシャからイスラムの神学者がムガル帝国の皇帝に謁見する機会があった
その神学者は
「異教徒には『コーランか剣か』で対応するべきだ」
と皇帝に進言した
皇帝は何も答えず代わりに隣にいた大臣がこれに答えた
「我々(イスラム教徒)はこの地においては料理に含まれる一つまみの塩ほどでしかない
そのような方策は現実的ではない」
後年、ムガル帝国の第6代皇帝のアウラングゼーブは熱心なイスラム教徒であり
イスラム法にも基づく統治を行いジズヤも設けた
彼は外征を繰り返しムガル帝国の最盛期を築くが
それは諸民族、宗教との軋轢を生み帝国の基盤は大きく揺らいだ
彼の死後、帝国は急速に崩壊してしまった
72 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 22:41:15.81 0
>>69 どれも基本的に残虐な人物だし当然といえば当然かな…
佐竹義重で思い出したので一つ話でも
ムハンマド・アリーはオスマン帝国からナポレオン率いるフランス軍が去った後のエジプトに太守として追認された
しかし在地土豪のマムルーク達は半独立的でアリーの統治基盤は脆弱であった
イギリス軍がエジプトに上陸してきた時、アリーはこれを打ち破ったものの
イギリス側に付いたマムルークも少なくなかった
ある日、アリーは宴と称して400あまりの有力なマムルーク達をカイロ、シタデル城に招待した
しかしこれはアリーが仕掛けた罠であった
アリーは城に集まったマムルーク達を一網打尽、皆殺しにした
地方のマムルーク達も翌年息子に軍勢を率いさせ攻め滅ぼし一掃
アリーはエジプトにおける支配権を確立しエジプトは近代化への道を歩むことになるのである
以上、シタデルの惨劇でした
73 :
世界@名無史さん:2012/05/27(日) 02:21:14.94 0
ある海賊がアレクサンダー大王に、
「世界を荒らすのはどういうつもりですか」
と問うた
アレクサンダーはすこしも臆するところなく、
「海賊が海を荒らすのと同じだ。
ただ、私は国軍で他国と戦うから皇帝と呼ばれ、オマエは海賊船で商船を襲うから海賊と呼ばれるのだ」
と答えたという
ナポレオンが士官学校にいたころ、果物が好きで
果物売りの娘からツケで買っていた。
やがて学校を卒業し、ツケを未払いのまま軍人になった。
それから数々の武勲をあげ、将軍となり、第一統領となり、
いろいろあって最終的に皇帝になった。
そしてやがて、士官学校のあった町に行き、いつぞやの
果物売りの女を探し出し、ツケを払った。
利子として多額の金貨も一緒に。
それから、この町に来る度に自分が泊まる為に、と言って、
女の家も建て替えてあげた。
律儀なのかスケベなのかいろんな意味でいい話だと思う。
>>72 南方三十三館仕置か…
つまり佐竹義重はスターリンやチャンドラグプタやムハンマドアリーに匹敵する人物と言う事だな!
…あれ?あんまり誉め言葉になってない…?
>>74 士官学校時代に小娘で皇帝になった時に再開って事はどう考えても三十路過ぎてね?
>75
>>74 >士官学校時代に小娘で皇帝になった時に再開って事はどう考えても三十路過ぎてね?
その士官学校はブリエンヌにあると書いてあるので、実は士官学校ではなくて
陸軍幼年学校のことと思われ。すると卒業年から換算して再会までに20年くらい
経っていたと思う。てことは女は30代中ごろか後半くらいか?
再会時、女にはすでに子供もいたそうで、ナポレオンがその子供の学費を出してやって
ナポレオンと同じ士官学校に行ったそうだ。旦那の話はでてこなかったので
未亡人だと推測。
77 :
世界@名無史さん:2012/05/27(日) 17:37:53.22 0
ナポレオンって後家殺しなん?
>77
英雄色を好むっちゅうから、後家だろうと中年女だろうとコマシたかもしれん。
最初の奥さんも子持ち年上女だったし。
皇帝にならなかったら返さないつもりだったのかな
>79
皇帝になるまではそれどころじゃないくらい忙しかったんじゃないの?
皇帝になったあと返しに行ったからこそ、果物売り女に最高の栄誉を
与えられたんだし結果おーらいさ。
うろ覚えですが、こんな話がありました。
1790年代、フランス革命干渉戦争で、ライン川を挟んで睨みあう
フランス軍見張り兵とドイツ軍見張り兵。
見張りに退屈したフランス兵が「やーい、ばーかばーか」と叫ぶと
まじめなドイツ兵が「おーい、今何時か?」と聞かれたと勘違いして
「3時半だよ」と叫び返してあげた。
国民性というか、ちょっといい人の話。
にらみ合う兵士の交流と言えば、1914年、第一次大戦の最初の年のクリスマスに
西部戦線のイープルでにらみ合っていた英独両軍の兵士が、クリスマス休戦で、
たばことかウイスキーとかソーセージとか交換したりして交流したそうな
残念ながら翌年以降はクリスマス休戦はなくなるが
83 :
世界@名無史さん:2012/06/06(水) 17:23:44.67 O
ボヘミア王の証の一つである聖ヴァーツラフ王冠には「真のボヘミア王でないものが被れば一年以内に死が訪れる」という言い伝えがあった
第二次大戦中、重要な工業地帯だったこの地域を統治していたラインハルト・ハイドリヒは
この言い伝えを迷信と侮りプラハ城に安置されていたこの王冠を被った
9ヶ月後彼はイギリスの支援を受けたチェコ人に暗殺された
84 :
世界@名無史さん:2012/06/06(水) 17:48:01.42 O
中央アジア、ペルシャを制し一代で大帝国を作り上げたティムールの棺の裏にはこう記されていた
「私が墓から出た時、大きな災いが起こる」
20世紀、ソ連が調査の為にティムールの棺を開き遺体を外に出した
3日後、ドイツがソ連に侵攻を開始、甚大な被害を受ける事になる
災いを恐れたのかソ連はその後遺体を棺に戻し蓋を鉛で溶接、以後ティムールの棺は開封されていない
>>76 疫病・不作・戦争で国内が荒れると平民レベルは晩婚化が当たり前になるので、
風潮的に中ごろ位では意外と気にならなかった可能性もある。
まあナポレオンが平民かは置いておいて。
86 :
世界@名無史さん:2012/06/07(木) 15:29:32.42 O
>>82 まだ敵に対する敬意というものが残ってた時代だったんだな…
87 :
世界@名無史さん:2012/06/07(木) 19:46:31.81 0
→ビルマの竪琴
ここは不気味な話スレか?
>82
クリスマス 休戦 でぐぐったら、いろいろ類似のエピソードがでてきて泣けた。
いい話なんだけど、せつない話だ。
ネルー
「本当のサドゥー(インドのいたるところにいる仙人のような存在)なんて実際にはほんの一握りしかいないんじゃないか?」
側近
「そんな事言ってサドゥー達に聴かれたら怒り狂いますよ」
ネルー
「そんな心配は要らない。例えサドゥー達の耳に入っても皆自分こそが一握りの真のサドゥーだと自惚れるからだ」
女王エカテリーナがある宴会でおならをした。
若い陸軍士官がとっさに「失礼しました」と罪をかぶった。
その後彼は異例の昇進をした。
ある国際会議で、日本代表がおならをした。
とっさに椅子の肘掛をこすって類似の音をだし、ごまかそうとした。
なんどかこすっていると、となりのインド代表がつっこんでくれた。
「最初の音がいちばん良く似ていましたな」
無政府主義者クロポトキンが亡命先のロンドンで
国王エドワード7世が臨席するパーティに出席したことがあった。
国王のスピーチに皆起立して拝聴したが
クロポトキンは座ったまま。
国王、にこやかにクロポトキンに語って曰く、
「私のスピーチはどうでしたか?」
クロポトキンはひどくばつの悪い思いをしたらしい。
93 :
世界@名無史さん:2012/06/10(日) 08:20:27.23 0
>>45 亀+野暮ですが
女帝自らストーブに火を入れ、自ら消したんでしょうか?
また、冬のモスクワの未明時に煙突掃除するものなのでしょうか?
94 :
世界@名無史さん:2012/06/10(日) 18:28:39.07 0
日本の森有礼と清の李鴻章が会談したときの会話
李鴻章
「祖国の衣服を捨て西洋の衣服に身を纏うなど恥ずかしくないのか?」
森有礼
「400年前に辮髪で胡服を着た漢人がいたのか?」
李鴻章は慌てて話題を変えた
>>94 どう答えても政治的に見事にヤバ過ぎですな
質問を質問で返すなあーっ!!疑問文には疑問文で答えろと学校で教えているのか?
とでも言っておけばよかったんだよ
そもそも質問を質問で返すなってのは誰が言い始めたんだろう
イギリスの王ヘンリー4世が国民の贅沢をたしなめるため
「派手な服装、アクセサリー着用禁止」の法令を出したが
さっぱり効き目がなかったので、法令に一文つけ加えた。
「ただし、淫売婦とスリはおかまいなし」
たちまちその日から法令が守られるようになった。
日本の、それも戦後の話だけど
とある殺人犯の死刑囚がいた。
獄中で見事なまでに模範的な態度を見せたが
なぜか被害者の遺族への謝罪をしようとしない。
死刑執行が言いわたされた日。彼は拘置所長に遺族への謝罪を切々と綴った手紙を手渡した。
所長達は驚くとともに「なぜ今まで一度も謝罪しなかったのか」と訊いた。
すると彼は言った。
「自分は心から悔い改めたつもりでしたが
どうしても生への未練がありました。
そんな自分が謝罪の手紙を出すと、『もしかしたら遺族の人たちが
これで同情してくれて減刑に同意してくれるかもしれない』と期待するかもしれませんでした。
それは真の悔い改めではありません。だから執行が決まった今日に
手紙をお渡しすることに決めたのです」と。
この死刑囚の名前も事件名も思い出せないんだけど
強烈に印象に残った。
昔小学生の時に歴史の教材として渡された史料集の中に書いてあった逸話集
からなんだけど
日本に開国を迫ったペリーは、日本に行く前に日本や日本人について調べました。
そしてこのような結論を出したそうです。「日本人は自分たちの事を世界で一番
優秀な民族だと思っているようだから、その傲慢さをへし折るように交渉するのが効果的だろう」
101 :
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 16:51:00.57 0
それのどこが、ちょっといい話 なんだ?
102 :
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 17:15:27.49 0
>>97 自分を悟られず相手の答えを引き出す必要がある者が言い始めたのだろうな
103 :
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 17:17:44.78 0
104 :
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 21:59:51.10 O
処世術ぽくていい話って感じがしない
フェデリコ二世の第六回十字軍を紹介しようと思ったけど、感情こもりすぎて1レスに収まらない。
誰か綺麗なまとめ頼む。
破門された王が話し合いでエルサレムを得た
>>93 すみませんが、今になって仰られても困ります。
安史の乱が起こり、玄宗が四川に難を逃れた時のこと。
渡り終えた橋が焼かれそうになっているのを見た玄宗は言った。
「後から逃げて来た者たちが渡れまい。残しておけ。」
昭和天皇が、大戦末期のフィリピンでの対処について、同じ様な意見を述べ
ておられたと思いますが、他所で読んだ本なので詳細失念。
北宋の初め、当時世間に怪しげな讖緯書(予言の書)が流行しており、取り
締まってもききめがなかったので、趙匡胤は敢えて逆のことをした。
偽者の讖緯書を大量に書かせ、世の中にばらまかせたのである。
その結果、どれが「本物」か分からなくなり、世間が飽きて流行は収束した。
江戸時代後期、四国の小藩で博打が流行しており、禁令も効果がなかった。
そこで藩の重臣がある法令を出した。
「今後、博打で負けた者は勝った者を訴えれば全額取り戻せることとする。」
こうして、藩内では博打は流行らなくなった。
道徳心自体を涵養したものでないという点を、明治の法学者に批判されてい
るお話ですが。
>>82 狙撃兵が真っ先に日常に戻り、他の兵士も段々普段通りに撃ちはじめ、とい
うのが残念なことです。
上の博打の話ですが、現在でもカルテルや談合が発覚する前に申告すれば、
課徴金を最初の企業は100%、二番目の企業は50%、それ以降は五社目まで30%
減免される制度があるのを、一寸似ていると思いました。
利益で釣るのであって、道徳で最初から止めさせるのではない。
止むを得ざることか。
民法概論を読むと無知な君でも世間の事が色色とみえてくると思うよ(苦笑
>>110 それは案山子に言ってやれ。
この板で奴ほど己が見えていなくて世間知らずで厚顔無恥な者は存在しないのだからw
袁術の美談
陸績が6歳の時、袁術の下へ行き、橘を出されたことがあったが、彼は橘を
三枚(枚は数え方)懐に入れておき、辞去する際にこれを落してしまった。
袁術いわく「陸君、客として来ていながら、橘を持って行くのかね。」
陸績は言った、「持ち帰って母に食べさせたかったのです。」
袁術はこれをおおいに奇とした。後世、二十四孝の一つとされている。
『真・恋姫夢想』の劇中でもネタにされていて今更ですが、一応。
なんでかカーチャンネタって無条件でウルウルくるナー
114 :
世界@名無史さん:2012/06/27(水) 04:30:57.41 0
>>106 アル・カーミルとフリードリヒ2世ね
フリードリヒ2世の墓が19世紀に調査されて
>棺の中の彼はイスラム風の衣装を身にまとい、
>シャツの袖にはアラビア語で「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」
>というカーミルに向けられたと思われる言葉が刺繍されていたことが記録に残っている。
周辺に心を許せる人間がいなさそうだったフリードリヒ
かつて敵だった人間が一番心を理解し許せる相手だったとは皮肉だが
感動するエピソード
日本ではあまり知られていないが彼のオラニエ公ナッサウの好敵手として有名なアンブロジオ・スピノラ
ジェノヴァに生まれた彼は傭兵隊長としてその半生をスペインに捧げた
が、当時宮廷を牛耳っていたオリバーレス公とは仲が悪く、スペインの財政難も相まって戦費の支払いが滞り
スピノラ家は破産、彼は失意のうちに病死した
ユスティニアヌスの将軍ベリサリウスを彷彿とさせる人物である
スピノラとかファルネーゼとかは名将として有名なんだとばっかり……
明治時代の雑誌に掲載されていた記事ですが。
アメリカのとある少年が仔犬にヴィクトリアと命名し、
我ながら良い名だと思った少年は、ヴィクトリア女王に「陛下の御名をいただきました」と手紙を送った。
手紙を読んだ女王は少年の無邪気さを喜び、米国大使を通じてこの少年の身元を照会し、
「私の名を使っていただき嬉しく思います、その後ワンちゃんはお元気ですか」と返事を書いたとか。
でもその犬を鞭うったりするんですよね?っていう内容の手紙を送ったりしないのか?
アメリカの裁判所にて
男 私が「このブタ女」と言ったことが罪に問われているのでしょうか?
判事 そのとおりです。
いかなる状況であれ、公衆の面前で淑女を罵倒するような行為は許されません。
男 淑女にブタ女と言う事が悪い事だということはよく分かりました。
ところでブタに向かって淑女と罵倒することは罪になりますんで?
判事 それはジョークと言うものですな。
男 この淑女!
ムガル帝国五代皇帝、シャー・ジャハーンの治世の時の話。
皇帝、シャー・ジャハーンは悩んでいた。
ペルシャから訪れた大使がインド式のお辞儀をしないのである。
いくら親切にもてなしてもその大使は皇帝を侮っているのか
高飛車な態度を貫き続け決してインド式のお辞儀をすることは無かった。
そこで皇帝は一計を案じた。
謁見の場で大使に会う予定だが入口の大門を閉じて、くぐり戸だけ開けておくように命じる。
このくぐり戸と言うのが、体を大きく曲げ、ちょうどインド式のお辞儀をするときのように
頭を地面のほうに下げ、大層苦労してやっと人一人が通れるようなものだった。
皇帝としては
「大使はインド式のサラームよりもっと卑屈な姿勢をさせられた」
と、言う事にしたかったのである。
が、大使はこの計略を見破った。
大使はくぐり戸を頭から入らず後ろ向きに入ったのである。
皇帝は裏をかかれた事に腹を立て大使に向かって
「このろくでなしめ!そんな恰好をしてロバ小屋にでも入る気か!」
と怒鳴った。
すると大使は平然として
「こんな狭い入口をみてロバ小屋と思わぬものがありましょうか」
と答えたという。
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 2
シャー・ジャハーンがある日、大使に向かい
自分が造営させている新しい都市であるデリーは
イスバハーン(ペルシャの首都)に比べてどう思うかと尋ねると大使は声高に誓ってこう言った。
「神にかけてイスバハーンはあなたのデリーの土埃には及びません。」
シャージャハーンはこの言葉をデリーに対する賛辞と受け取った。
が、大使はデリーの土埃が酷いのでからかってやったのだと語ったという。
アメリカンフットボールの黎明期のこと
激しいスポーツなので、選手が死亡する事故があって、アメリカのマスコミや世論は、「あんな危険な競技は禁止すべきだ!」
という論調で沸騰した
が、その死亡した選手の遺族が、「故人はアメリカンフットボールが大好きでした。どうか、故人が愛したスポーツをなくさないで
ください」と嘆願する手紙を当時の大統領セオドア・ルーズベルトに出した
ルーズベルトは、アメリカンフットボールを存続させ、その代わりに、二度とそのような事故がないよう、防具をつけるように
指示した
アメリカンフットボールの選手がプロテクターを身に着けるのは、それ以後のことである
セオドア・ルーズベルトという大統領は私個人としてはあまり好きではないが、このエピソードは好きだな
日本も「危険だから禁止!」と短絡的になるまえにこういう発想をすべきだな
中世イングランドでやってたフットボールなんて本当に死者続出だしなw
>>124 ルールなんてない御神木奪い合うはだか祭みたいなものだからなw
リアル首絞めとかやってる版画とかも残ってる
ちょっとオカルトちっくだけど、イギリスの幽霊関係の本にあった話
ナポレオンがなぜイギリス侵攻しなかったかというと
イギリス中の魔女が集まって、ナポレオンの心にイギリス行くな!
と念じたから
ヒトラーがイギリス侵攻しなかったのは
イギリス中の超能力者が集まって、ヒトラーの心に働きかけたから
それと第1次大戦や第2次大戦で、大陸で戦うイギリス軍が不利になったとき
雲の上から高らかなラッパとともに、弓矢で応戦する援軍があらわれて助かった
ってのもあった
カミカゼが吹いて蒙古軍を倒したって話と似てるな、島国根性かなーと
思ったんだがどうであろう、各々方
何故侵攻しなかったって、トラファルガーで負けたから侵攻できなかったんだろ
>それと第1次大戦や第2次大戦で、大陸で戦うイギリス軍が不利になったとき
>雲の上から高らかなラッパとともに、弓矢で応戦する援軍があらわれて助かった
>ってのもあった
それアーサー・マッケンの小説「弓兵伝説」が実話として広まっちゃったんだよね
フィクションが伝説となる、これも定番なんだろうな
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 3
シャージャハーンが大使に
「歴代のペルシャ王に比べてインドの王たちの権勢をどう思うか言え。」
と迫ったところ。
大使が答えるには
「インドの王様がたと言えば十五、六の大きな月で、ペルシャの王たちと言えば二、三の小さな月と申しましょうか。
これほどよい比較の対象はありません。」
シャージャハーンはこの答えを聴いて、たちまち良い気分になったが
すぐその後で、この比喩は自分にとっててあまり有利なものではなく
大使が言いたかったのはインドの王はだんだん小さくなり
ペルシャの王は三日月のようにだんだん大きくなるということに気が付いた。
>>131 なにやらペルシャの大使が一休さんめいてきたなw 大好きだ!
説話集みたいなものなのかな?
今回のはどっかで類似話を聞いた記憶があるな
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 4
ある時シャー・ジャハーンは大使の返事がぞんざいで傲慢だったのでけしからぬと思いこう言わずにはいられなかった。
「このろくでなしめ、お前のような気違いを送ってよこすとは
シャー・アッバース(サファヴィー朝の第5代皇帝)の宮廷にはまともな人間がいないと言うことか。」
すると大使は
「いえ、とんでもない。宮廷には私よりはるかにまともな人間が、しかも大勢おります。
が、陛下にふさわしい大使を、と言う事でございましょうな。」
と答えたという。
大使こんなことしてて酷い目に合わなかったのかな?まぁ、大丈夫か?面白いし
この逸話は一休とんち話のたぐいでは?w
>>134 この大使絶対後藤又兵衛って名前だろ
まさかペルシャにいたとは…
2ちゃんの煽り厨をインテリにしたんだな
なんだかんだで、シャー・ジャハーンがいい人だったんだろう、実話なら・・・・
ここまでコケにされてるのに言い返すしかしないって事はそれだけ当時のペルシャが脅威だったって事じゃないか?
アッバース1世は衰退しつつあったサファヴィー朝を盛り返した中興の祖らしいし
ナスレッディン・ホジャとティムールの話のペルシャ版なんじゃないかな。
ホジャの話自体元々トルコ起源だという保証はないと思うが。
真偽はさておき確かなのはこの大使は糞ムカつくって事だw
イイハナシでなくおもろい話だなw
バーブルやアウラングゼーブなら洒落にならず、フマーユーンならボケ殺し、
アクバルなら機智で返すイメージがあるという点では、この手の話で出す名
がシャー・ジャハーンというのは絶妙。
禿同
146 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/26(木) 22:27:50.55 0
>>144 >アクバルなら機智で返すイメージがある
でも、アクバルにもビールバルという頓智で有名な人物がいるよ。
アクバルとビールバルのエピソードもユーモアに満ちててなかなか面白いよ。
賢い君主のイメージの強いアクバルだけど、ビールバル相手には一杯食わされてる。
義満に対する一休、秀吉に対する曽呂利新左衛門のようなものですか。
これが家康や吉宗相手だとしっくりこないわけで、そこそこ活気と流動性の
ある時代の君主の方が、こういう胡散臭い人物が出る余地がありそうです。
真の馬鹿殿相手ではないというのもまたよし。
アクバルにも名言は多い。
「才能に違いがあるのは、人類が永続する源泉である」など。
148 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/26(木) 23:26:45.77 0
>>147 なるほど、それなりに活気ある君主のほうが頓智もより引き立つということかな。
>アクバルにも名言は多い。
アクバルは基本的に名君だったので、インドでは今でも好かれてるらしく、
その手の名言もそれなりに多く残ってるんだろうね。
149 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/26(木) 23:40:07.70 0
ちなみに、ビールバルのエピソードで一番好きなのは以下の話。ちょっと頓智とは違うけど。
ある日、ビールバルは子供の世話に追われ、宮廷に遅刻してしまった。
アクバルはビールバルに対し、「子守りぐらいで遅れるとは情けない」と怒ると、
ビールバルはそれに反論し、「子供の世話はとても大変なのですよ」と言った。
そして、アクバルに対し「実際に子守りをやればその大変さが分かるでしょう。
今から私が子供の役をやるので、アクバル様は私を子供だと思ってあやしてください」と言った。
そして、いきなり子供のように泣き出し「あれが欲しいよー、これが欲しいよ〜」と駄々をこねだしたのだ。
アクバルが必死であやそうとするも、ビールバルはいつまでも泣いて駄々をこねまくった。
とうとうアクバルは降参して、子守りの大変さを認めたのだった。めでたし、めでたし。
これもしアクバルが放置プレイしたらビールバルは悲惨な状況になるな
シャー・ジャハーンとペルシャの大使 5
シャージャハーンはついにキレた。
皇帝は不遜で何度も煮え湯を飲まされたペルシャの大使に敬意を払う事は無くなり
隣接する大国の使者だというのに大使を気違いとしか呼ばなくなった。
ある日、皇帝は密かに命を下した。
口先では適わないとからと実力行使に出て屈服させようとしたのか
…それとも事故に見せかけた暗殺を狙ったのか。
大使が城の会議室に続く狭い通路を通る際に強情で機嫌の悪い象を一頭放つ事を命じたのである。
後日、大使が駕篭に乗ってその通路を通る時が来た。
手筈通り暴れ象が放たれる。
が、大使は間一髪のところで駕篭から飛び降り難を逃れ
手練れの部下に象の鼻を射かけさせ追い返す事に成功したという。
>>135 御明察
一連の話はムガル帝国誌より抜粋。
ペルシャ人から聞いた小話として記述されていました。
「城の会議室に続く狭い通路」でも象が暴れるスペースがあったってのが何かスケールが違うわ
マルミミゾウにちがいあるまい
まぁ一国の君主をあれだけおちょくればなw
ブッダを象に襲わせたダイバダッタといい、事故に見せかけた暗殺で象暴走
はインドの伝統ですか。豪快な。
日本だと暴れ馬か角に松明を灯した牛?
暴れ牛で暗殺未遂ってのはカムイ外伝であったなw
>角に松明を灯した牛
源義仲の策が有名ですが、長門本『平家物語』も言及しているように、元ネ
タは田単でしょうね。伊勢盛時もやったという話があります。
馬は『雑兵物語』に陣中での暴れ馬に気をつけよとはあるものの、人為的に
暴れさせて利用したという話は、寡聞にして存じません。
『徒然草』に、人を突く牛は角を切り、人を食う馬は耳を切って標にすると
いう決まりが見え、これは平安期まで遡るようですが、牛馬を利用して平時
に殺した話が、はてあったものかどうか。
馬が厩で守護のために飼われていた猿(孫悟空が天で厩番を命じられたのも
これに由来するといいます。タイでは象舎の番にも飼われていた)に噛み付
いて片輪にしたという話はありますが、人を殺した話はなし。
名馬生喰というのは人に噛み付く気性から命名されたそうですが、殺した訳
ではなく、だからこそ飼われたのでしょう。
ヘラクレスが捕えたディオメデスの馬や、小栗判官が乗りこなした鬼鹿毛は
実際に人を食い殺したとされていますが、どちらも性質を誇張した伝説です。
ルイ6世の長子のフィリップは、放し飼いになっていた豚に突進されて落馬
したことが原因で落命しています。悪い話(?)ですが。
落馬が原因で死亡した人物は数多いものの、これはなかなか無い死に方。
フィル・ヒッポス(=愛馬者)が落馬って笑うところ?
都市で放し飼いの豚って所有権やら上のような事故おきたとき損害賠償はどうなってたんだろう
羊が畑の作物をくった場合の損害賠償責任は読んだことあるけど
>>161 流石。
>>162 わざと家畜を放って挑発するという話もよくあったのでしょうね。
『イリアス』にも、私戦の動機の一つとして挙げられていましたが。
『正法念処経』の挙げる地獄の中に、雨炎火石処といい、象に酒を飲ませて
人を殺した者が墜ちる地獄がありました(それ以外の罪人もいますが)。
象関連以外の罪も墜ちる条件に含まれているものの、『往生要集』にも登場
しないマイナー地獄ですが、多分インドでは象で人を殺す人間もそれなりに
想定されたのでしょう。
お釈迦様の従兄弟である提婆達多が、大象に酒を飲ませてお釈迦様たちを襲わせたという逸話が有る為であると思います。
ガトリングガンを開発したガトリングはこの発明で兵士の死傷者が減ると考えていた
百人分の働きをする武器があれば戦争に投入される兵士が少なくて済む
投入される兵士が減れば死傷者も減るという理屈だった
ガトリングガンを過去の物にしたコルト・ブローニングM1895重機関銃を開発したブローニングは
この発明で戦争がなくなると考えていた
強力な兵器が存在すれば戦争は起きないという理屈だった
まあ、原爆を開発したオッペンハイマーや水爆を開発したテラーも、多かれ少なかれ
だいたい同じようなことは考えてたろ
その手のはなしは死の商人との謗りを回避するための言い訳じゃまいか?
ピースメーカーなんて言ったら兵器か武器屋か煙草屋と相場は決まっている
ルイ16世が殺傷力の強い新兵器を持ち込まれ、大臣一同と共に発明して持
ち込んだ男を「酷い悪党」認定して追い返したという逸話がありますね。
本を処分してしまったので、固有名詞などが分からなくなりましたが。
日本育ちの米国人女性、ドロシー・エドガーズは戦時中日本軍の暗号解読に
当っていた、というのはいい話ではありませんが。
戦後日本人ジャーナリストが日本生まれの彼女の弟がアメリカで存命中であ
ったので電話をかけたところ、
「何分明治者で御座いますので、どれほど正確な記憶か…」
と日本語で言われて驚いたという逸話は好きです。
産経新聞は私も愛読しています!
最高の新聞ですね!!
>>170 無論、ギャグとしてだろうな。
誤報とネトウヨ好みの記事を無闇に信じると危険過ぎる。
山野さんのような学者先生が、産経新聞に書かれている事を
宣伝してくれると、とても心強いです。
産経新聞の記事は勉強になるし、同級生の間でも大好評です。
薄汚いチョン
>>171に付きまとわられるのは御不快でしょうが、
強い心で正しい歴史を後世に伝えるためにも、頑張ってください。
おれは
>>170は統一雑談スレのこのレスからの流れで書いてるのものと推測している。
742 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 22:27:55.84 0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120809/wlf12080919390013-n1.htm 乱交セックス「盆踊り」 性を解放、神聖な伝統行事【産経新聞】【夏の特別編(2)】
>日本では性は神聖なものとされ、盆踊りのほか、念仏講、御詠歌講、神社の祭礼など民衆の
>宗教的な行事の中心には、日常的な営みとは違う聖なるセックスがあるべきだと考えられて
>いたようだ。風俗史家の下川耿史氏が詳述しているように、盆踊りは性的な乱交パーティー
>だったのだ。そして日本中を熱狂で揺るがすようだったかつての盆踊りの隆盛は、性が解放
>されるエネルギーをこそ原動力にしていた。
(中略)
>近代化の結果の性的萎縮
>しかし、近代日本が西洋の性道徳や家族制度を、木に竹をつぐように導入した影響は大きい。
>性の解放は犯罪とされ、性はわいせつなものとして公共の領域から追放されるようになった。
>念仏踊りや盆踊りという巨大な文化運動を生み出してきたほどのエネルギーを封印した結果、
>人は性的にも発想や活動の面でも萎縮してしまい、文化や社会は力を喪ったといわざるをえない。
産経どうしたんだ(´Д`; )?
儒教の貞操概念とキリスト教の純潔思想こそ日本の伝統!の産経まで日本土俗の風俗を賞賛
しなければならい程に日本人の少子化と活力低下は深刻なのか?
>>172 江沢民死亡記事や東京都各区への捏造記事への対応を知らんのな。
南京大虐殺の死亡者数は国内メディアでは産経新聞が最大(30万人)だってこともw
トタテPが産経は誤報続きだと何度も書き続けていたが
大分前の事を一件知っていただけだったとは…気違いの気違いたる所以か(苦笑
電波しか書けないなら相応しい板が他にあったように思う
でもまぁ、一寸良い話というよりは、かなりカワイソウな話だなコレ
>>176 案山子は「民主党政権が左翼政権」だとか「福島原発事故は管が悪い」とか、
普通にデマを何度も飛ばしていることも知らんのか。
まあ、靖国神社礼賛や原発安全神話もまだ信じてるのがネトウヨでは普通かもしれんが、
東京都各区の件なんて先月末だぞw
何度も言ったが、案山子は極東板と最悪板にしか書き込むな。
質問スレを荒らすのもやめろ。
178 :
世界@名無史さん:2012/08/16(木) 08:36:11.92 O
>>171 >>177 このネトウヨ連呼して煽るPはなんだ?
とりあえず本人と確定できない荒らしを案山子と認定すなよ。
あいつは山野に反応する読解力のない荒らしだろ
他の書き込みを案山子と断定する根拠ないのに決めつけるのが本当にキモい
ネトウヨ連呼厨が勝手に脳内に敵を設定し、
短絡的にレッテル貼りする馬鹿ということがよくわかる書き込みだ。
>>178 夏休みなんだよ。気の毒な人だから放おっておきなよ
180 :
世界@名無史さん:2012/08/16(木) 21:23:16.40 0
案山子の季節にはもうちょっと待て。
今田んぼの稲は花が咲いているところ。
>気の毒な人
Pは、ここまでレスを重ねても事実は「産経による江沢民死亡記事の誤報」これだけ
この一つのことだけしか知らずに産経は誤報ば・か・りとかよく言い続けられるもんだとソノ偏執性には厭きれるばかりだが
一つの事実が内包されていればソノ数倍の妄想・思い込みで対象を攻撃してかまわないというのは、ネトウヨと言われている書き込みに時折見受けられる論理と同じなんだよな
多分当人は気付いていないだろうが…
同じ事をやっていてもネトウヨは駄目で、俺様は全く無問題と考えられること事態気違いの証左だが
そういう考え方を他者は受け入れてくれるはずという「甘え」はバカコテにも通じるところがあって興味深い(苦笑
>>178-179 案山子が粘着中傷しているのは山野だけではないし、ここ数日に限ったことでもない。
また、案山子自身が自分で名無しで書き込んでいると自白していたわけだが。
案山子の書き込みの特徴としては以下のものがある。
「ネトウヨ準拠の言動」「常に上から目線」「コテハンへの中傷」「ねぃという語尾」「(苦笑の使用」
「謎の人物トタテPまたはP(だから、これ誰?)と戦っている」「世界史に興味がない」
これらが複数当てはまったら、それは案山子の書き込みである可能性が高い。
無論、案山子ではない可能性も少しはあるが、案山子並みの残念な輩だということは動かしようがない。
>>180 稲の花はもうおわっている。
虫送りにはちと遅いが、案山子は早目に燃やすべきだな。
>>181 そもそも、
>>175では三件を上げているんだが、なんで江沢民死亡記事の一件だけになるんだ?
今年に入ってからだけでも産経新聞の誤報記事は、ネトウヨ妄言以外にもこんなにあるんだが。
・韓国は日本のオリンピックの活躍を報道していない!→ちゃんと報道していました。
・東京都内11区、自衛隊との防災演習拒否!→全て捏造、しかも記事とコラムのダブル拡散w
・自衛隊の戦車にウインカーがあるのは平和憲法の所為!→他の先進国でも普通に装備してるのに?
・民主党が党所属議員にブログ禁止通達という言論統制!→ごく当たり前の注意喚起がなぜそうなる?
去年は江沢民死亡以外にも京大入試カンニングの犯人間違いの他にも震災関連や発言捏造まで。。。
いや〜、こんなのを無理矢理でも擁護しなきゃいけないネトウヨの案山子って大変だわw
>俺様は全く無問題と考えられること事態気違いの証左
>他者は受け入れてくれるはずという「甘え」
↑いつもの自己紹介乙w
お前な。スレ違いだからやめろキチガイ。
案山子と断定できないことは間違いない。
屁理屈さえつけれん反論でもない寝言はやめろ。
案山子もお前のアホ理論も邪魔なだけなんだよP
関係ない話でスレ荒らしてんじゃねえ。
ネトウヨなんて言葉は荒れるし要らん在日認定かけられるから使うな。
187 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 00:37:39.00 O
戦間期のソ連での事
ある男が無実の罪で裁判を受けていた
男は裁判官の前で自身が潔白と党への忠誠を訴え続けた
男の主張を聞いた裁判官はこう答えたという
「あなたが無実なことは分かっている。だがソヴィエトには労働力が必要なのだ」
男は有罪となった
課せられた刑は強制労働だった
188 :
世界@名無史さん:2012/08/22(水) 19:38:35.45 O
南北戦争時のアメリカ
初期の北軍の将軍ジョージ・マクレラン慎重な人物であり戦に際しては入念な準備を欠かさなかった
これが功を奏したのか南軍の名将と名高いロバート・E・リーをも打ち破っている
マクレランは名将と持て囃された
が、あまりにも慎重過ぎるので政治的な理由で戦闘での勝利が手早く欲しかったリンカーンを苛立たせ
民衆からも「のろまのジョージ」と渾名され求心力を失いついにはリンカーンから解任を言い渡されてしまった
多大な犠牲を出して南北戦争は収束
ある新聞記者がリーの下を訪ね
「北軍で最高の指揮官は?」
と聞いた
するとリーは
「マクレランだ。文句無しに」
と即答したという
>>107 新田義貞にも似たような逸話あるね、それ
ジャガイモ飢饉にあえぐアイルランドの惨状を憂いたオスマントルコの皇帝アブデュルメジト1世は
アイルランドの農民に対して義捐金を送ることを決定した。
が、オスマントルコが予定していた義捐金の金額は
ヴィクトリア女王がアイルランドに施した金額2000ポンドを遥かに上回っていた為
ヴィクトリア女王はオスマントルコ側に義捐金を2000ポンド以下に減らすように要請。
結局オスマントルコの義捐金は当初の十分の一以下の1000ポンドになってしまった。
南京で大量のゴキブリを処分。さすが大日本。
192 :
世界@名無史さん:2012/08/31(金) 21:30:42.61 O
>>165 第一次大戦中にドイツ側の毒ガス研究者も似たような事言ってたな
525 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 23:01:31.66 ID:Wx/EeekW
ガンジス河畔のある村にヒンドゥー教の聖者と誉れ高い一人の老人がいた
彼は毎朝日の出と共に聖河で沐浴を行うのを日課にしていたが
彼と一緒に沐浴して功徳にあずかろうと村人たちも一緒に沐浴していた
ある日、老人が胸まで水に浸かって沐浴していると
上流の方からけたたましいエンジン音を響かせ
河面を波立たせながら進行する蒸気船が通過した
これに朝の厳粛な祈りを妨げられた老人は激怒
蒸気船の船員に向かってこう叫んだ
「いい加減にしろ!神の河を騒がせる不届きは、このわしが断じて許さぬ!
お前たちのような不信心者は船ごと皆飲み込んでやるから覚悟しろ!」
これを聞いた異教徒の船員たちは笑いながらこれに応えた
「鉄の船ごと、俺たちみんなを飲みこんでやるだとさ。
これはありがたい。聖者と誉れ高い方に飲み込んでもらえりゃ俺たち皆まっすぐ天国行きだ。
俺たちは今夜六時、帰り船でここを通るからぜひとも約束を守っていただきましょう。
頼みましたぜ!」
囃し立てる船員たちに老人は頭に血が上ってしまい大声を張り上げる
「忘れるな!六時だぞ!後になって吠え面かいて謝っても許さんからな!」
さて、このやり取りは朝の沐浴の時間に行われていた
いつものように功徳にあずかろうと村人も一緒にいたのだ
「聖者が鉄の船もろとも、船乗りたちを飲み込んでしまうらしい」
噂はたちまち村中に広まり隣の村にまで流れていた
527 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 23:03:59.94 ID:Wx/EeekW
その日の約束の時刻、噂を聞きつけた人たちで河岸は大きな祭でもあるかのように賑わった
人だかりの中には弟子を従え顔をひきつらせ青ざめた様子の老人もいた
信者たちは彼に平伏して迎えたが老人はこれに目もくれず河の中へと入っていった
やがて約束通りに下流からエンジン音を響かせた蒸気船がやってきた
異教徒の船員達は蒸気船を聖者に近づけると船を止めて言った
「さあ、約束通り、船もろとも俺たちを飲み込んでいただきましょう!
聖者の胃の中に入れてもらえりゃこんど生まれる時はバラモン(司祭階級)様だ。
歯の無い口でもぐもぐやらずごくりと一気におねがいしますぜ!」
船端から身振り手振りで面白おかしく悪態をつきだした
河岸には固唾を飲んで見守る信者、半信半疑の野次馬達で溢れ返っていた
引くに引けない聖者はまばらな歯で船縁に齧り付く
しかし歯が立たない
必死の形相で何度も試みるものの鉄の船には歯型すら付かない
やがて聖者の額からは滝のような汗が流れ出し
飛び出しそうなほど見開いた目玉からは涙がぼろぼろとこぼれ出した
その時、老人に付き添っていた弟子が岸に向かって叫んだ
「みんな!師匠が涙を流しておいでだ!
あんな無礼な船乗りばかりでなく鉄の船にまで憐みを掛け、赦しの涙を流しておいでだ!
さすがは俺たちの師匠だ!ありがたやありがたや」
この言葉が岸に伝わると集まった群衆は皆、聖者の寛大な慈悲心を称えた
老人は岸に戻ってくるとまるで凱旋してきた将の如く、威風堂々としていた
村人たちの尊崇の合掌に迎えられ、大手を振って夕闇の中へと姿を消したという
全然いい話じゃないゴミみたいな書き込みする奴ってなんなの??
お前が良い話投稿しろって事だよ
すごいトンチで船員を懲らしめるもんだと思ったのに(´・ω・`)
すごいトンチ使いなんてこのスレじゃ大使しかいないって(´・ω・`)
199 :
世界@名無史さん:2012/09/09(日) 10:00:49.54 0
モンゴル帝国がサマルカンドを支配していた頃の話。
キプチャク汗国のベルケ汗は、サマルカンドのバーハルズィーというイスラムの聖者を崇敬していたので
ある時、使者を遣わして黄金のパイザ(通行証)をバーハルズィーに贈った。
バーハルズィーは「これは何かね」と使者に聞くと
「これを身につければあらゆるトラブルから身を守ることができるだろう」という答えが返ってくる。
するとバーハルズィーは「ではそれをロバにつけて草原に放ってみてくれ。
ロバが狼どもに食い殺されなかったら受け取ることにしよう」
といって、結局パイザを受け取らなかった。
( ・∀・)アレクサンドロスに対するディオゲネスの姿勢に近い感じ!
ディオゲネスさんは広場で公開オナニーしたらしいな
未開人の土地は先着順で領有宣言していくのが当然の慣例だったのが大航海時代からこっちの世界史。
でもフランスのルイ16世がフリゲート2隻の指揮官として太平洋探検に送り出したラ・ペルーズ伯爵は、
すでに現地人が住んでいる土地を勝手に領有化するなんてやっちゃいけない事だと航海日誌に記し、
その言葉を実践した。時代の趨勢を無視するお人よしに乾杯。
冒頓単于が即位した後、東胡が所有する駿馬を頂きたいと使者を遣わしてきた。
群臣は反対したが、単于は隣国との好を重んじて「惜しくは無い」と駿馬を送った。
これに増長した東胡は、今度は単于の妃を頂きたいと使者を遣わしてきた。
群臣は怒って戦をしようと言ったが、単于はやはり隣国との好を優先し、妃を送った。
次に東胡は使い道のない砂漠を要求してきたので、これならくれてやってもいいと言
った臣下もいたが、国の基である土地をやれるかと単于は激怒。
くれてやろうと言った臣下を切り、東胡を滅ぼして王を切り、人民と家畜を奪った。
己の物は出せたが、国の物は出せなかったという男の話。
しかし、即位した経緯を知っていながら、よく要求出来ましたね。
あの話で駿馬と愛妻を殺していたので、砂漠ともども執着がないと見たものか。
日本の政治家の真逆だな(´・ω・`)
205 :
世界@名無史さん:2012/09/12(水) 00:12:41.43 0
むかしむかしあるイングランドに強欲な領主ととても心優しいその妻がいたそうな。
夫が領民に課す重税を改めさせんと、ある日ついに妻は意を決し馬に跨って街をデモ行進。全裸で。
というわけで、いい話かつエロい話というユニークさがうれしいゴダイヴァ夫人伝説。
Wikipediの記事についてる絵は恥じらいを含んでとてもナイス。
GODIVAのチョコ買うとその話の説明あるよね
実は仲の良かった変態夫婦の性癖につき合わされたことを知らない我々であった
寝ぼけながら馬鹿なことを書き込んだがもし本当ならいい話になってたw
>>205 ただの伝説じゃん。実在のレオフリック伯に失礼!重税の根拠もないし、変態どころか夫婦揃って敬虔で妻のストリップなんか許すわけない、というのが地元コベントリーの見解です。
現代で時々起こる全裸デモはこのゴダイヴァ夫人の故事に由来してるらしいね
この逸話はでばがめの英訳で憶えたw
>>204 新聞広告で知りましたが、『文芸春秋』の新刊に尖閣絡みでこの故事が引用
されているようです。
>>205 イタリア以東の例しか存じませんが、夜馬などに跨った裸の女(魔女の原型か)
や人狼が凶作の精を追い払うという伝承がありました。
案外、イングランドにも類似の伝承があり、それが変化したのかもしれません。
誰も見てはならないのに見た者がいたという、民俗的な禁忌を連想させる要素
もありますし(一番古い記録からあるのかが問題ですが)。
俺はクイーンの曲の歌詞で知ったな
ロシア皇帝アレクサンドル2世の戴冠式の時。
先帝以前から仕えていた老将軍がレガリアの宝珠を捧げ持つ役だったが
緊張と人いきれで一瞬気が遠くなり宝珠を床に落としてしまった。
大聖堂中にごろごろと宝珠が転げ落ちる金属音が響き渡り
皆なんとも言えぬ気まずい雰囲気に。
すると、新帝は大音声で叫んだ。
「今倒れたことが大事なのではない。
彼が戦場で雄々しく立ち続けたことが大事なのだ!」と。
徳川家茂にも似たような話があったよね
お年寄りを大事にする逸話はいいな(・∀・)
アレクサンドル2世はフィンランド人には評価高いみたいね
ポーランド人にはたいがい恨まれてそうだけどな
ちょっと悪い話スレならのびたかもな
世界史だとちょっと所じゃなく悪い話ばっかになりそうだなぁ
偉人のちょい悪な逸話とかならありそう
ルソーが障害者を妊娠させて捨ててた話とかか?
223 :
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 13:28:27.66 0
ゲバラの最後
「撃て、恐れるな!」
224 :
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 13:29:57.46 0
えー、世界史盤に書き込んで良いのかわかりませんが、
騎士様に関する話を・・・
連隊、整列!
祝砲を!
***
ヴィトの妹
(いい話or悪い話スレで)ええやん?
226 :
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 23:04:06.36 0
いい話が少ないのではなく
いい話を知っている人間が少ないだけだ
張学良が乃木希典のファンで、晩年にNHKの取材受けた時に
乃木が日露戦争の時に作った漢詩「爾霊山」をすらすら書いたって話
最近知ったが、結構有名な話のようだね
反日と尊敬する人は相反しなかったわけか
反米でリンカーンやキング牧師尊敬してる人間なんていくらでもいるだろ。
中国大嫌いで三国志愛読してる人間なんていくらでもいるだろ。
長渕剛も金髪でハーレー乗ってるしな
>>230 「アメ車かっけー!でもなんにもない田舎の地元を忘れられない」なハマショーのほうが健全だな
232 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 13:06:36.15 0
前漢の元帝の時代、飼われていた熊が柵を越えて皇帝に襲い掛かり、皆怖れ
て立ち向かわずにいたところ、一人馮婕、が立ちふさがって熊を防ぎ、その
隙に熊が刺殺されて事なきを得た、という話を思い出しますね。
ついでに。
北魏の皇帝に胡国から獅子が献上されて来た。
時の皇帝は獅子を哀れみ、故郷に返してやるように命じたが、使者は獅子の
世話が大変で養いきれず、途中で殺して帰還してしまう。
使者の苦労を聞いた皇帝は、敢えて罰することはなかった。
確か『洛陽伽藍記』にあった話ですので、興味がおありの方はそちらを。
234 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 23:35:33.65 0
「南米の解放者」サン・マルティン将軍の指揮の下、アルゼンチンがスペイン支配からの独立戦争に踏み切った1813年、
その緒戦であるサン・ロレンソの戦いの最中、サン・マルティン将軍は倒れた愛馬の下敷きになり、身動きがとれなくなってしまった。
わらわらと迫り来るスペイン兵、将軍ピンチ!
そのとき身を挺して将軍をかばい、間一髪の危機を救った一兵士がいた。やがて独立軍は体勢を立て直しスペイン軍を敗走させる。
将軍の盾となって致命傷を負った兵士は、勝利を得て幸福だと言い残して野戦病院で息を引き取った。
建国に寄与した英雄としてアルゼンチンでは有名な話で、この兵士ファン・バウティスタ・カブラルを顕彰する銅像や記念碑は多い。
235 :
世界@名無史さん:2012/10/25(木) 19:17:44.07 O
ゼロ戦のプロペラは実はアメリカの企業が特許を持っていた
そこで日本の航空機製造企業はその企業の特許料を支払って製造を行っていた。
その後の第二次大戦が始まって、その特許料の支払いが行えなくなり、支払いが中断した、
その後終戦、アメリカの企業はもう特許料の支払いは日本には無理だろうと考えて諦めていた
しかし戦後1年位たってから日本の企業から手紙が来て、
そこに書いてあったのは戦争中に生産した
そのプロペラを使って製造した航空機の数で
その数は優に1万機を超えていた、そして手紙にはこう書いてあった
これだけ生産したので特許料を請求してくださいと、
アメリカの企業は請求書を送った、そこに書いてあった
請求額はたったの1ドルだった
それたしかすごい古い技術だったとかそういう話だったような
その言葉が聞きたかった…特許料は1ドルだ
義理人情の国アメリカだな
義理人情の姐さん像立ってるし
アメリカはそういう伝統があるのかもしれん
フランスが独立戦争にあれだけ骨折ってくれたのに
アメリカが渡したのは感謝状一枚だったからな
>>240 まあナチスの支配から開放してあげた件でチャラにしてよ。
242 :
世界@名無史さん:2012/11/26(月) 09:02:39.57 0
244 :
世界@名無史さん:2012/12/08(土) 13:18:01.67 0
オーストラリア南部にあるエンカウンター(出会い)湾の名は、
当時は殆ど未知の大陸だったオーストラリアへ英仏両国がそれぞれ派遣した探検家、
イギリスのフリンダース艦長とフランスのボーダン艦長がここで偶然出会ったことに由来する。
当時はフランス革命戦争・ナポレオン戦争と英仏の争いが絶えなかった時代。互いの船に
敵国の旗を見て最初は身構えたが、こんな地の果てまで来てドンパチすることもないやね、
そうだねお互い学術調査が目的なんだしね。ということで浜辺にテーブルを置いて食事しながら
歓談モードに移行。その後何もなかったように西と東に分かれてそれぞれの航海を続けたという。
ほのぼのエピソードだなw
イギリスも出島占領なんてやる必要なかったのに
春秋時代の覇者 楚の荘王の話
ある日臣下を招いて宴会を開いていた。皆が楽しく酔っ払ってきたころ宴会場に風が吹きこみ、蝋燭の灯りが消えてしまい場は真っ暗になった
するとその暗闇の中で王の寵愛する女性の服を引っ張り、セクハラしたものがいた。
彼女はとっさにその男の冠のひもを引きちぎって荘王にこのことを告げた
「蝋燭が消えた隙に、私に無礼を働いた者がおります。私はその者の冠のひもを引きちぎりました。蝋燭を灯しさえすれば、それが誰だかすぐわかります」
すると荘王は
「わたしはみんなに酒をご馳走して酔わせた、それゆえに彼は無礼を働いてしまったのだ。
女の節操のあるところを見せようとして、臣下に恥ずかしい思いをさせるのは宜しくない。今日わたしといっしょに酒を飲む者は、愉快にやるためにみな冠のひもを切れ。」
と命令した。灯りがともると皆ひもをちぎっており、宴会はその後も楽しく続いた。
それから2年後、楚が秦に攻められた。秦の勢いは凄まじく荘王はもはや絶体絶命の窮地に立たされた。
その時一人の男が荘王の前に立ち塞がり矢刀を受け止め、敵の囲いを突破し荘王を救いだした
しかし彼は瀕死の傷をおってしまっていた。荘王は彼を改めて見たが、名前を思い出すこともできない将官だったので彼に問うた
「よくやってくれた。だが私は今までお前をそこまで優遇してきた記憶がない。なのに何故お前は自分の命を賭してまで私を救ってくれたのだ?」
すると男は
「いいえ、貴方は私を御救いくださった。私は先年の宴でお后様に無礼を働いたものです。あの時王の計らいによって皆の前で恥をかかずに済んだのです
あの日以来私は命をささげ王の恩に報いようという気持ちでおりました」
と答え、にっこりと笑みながら息絶えた
名前も覚えられないような凡庸な者が王の心遣いにより勇敢な忠臣に変わったのだった
>>246 春秋戦国時代っていい話多いよな
史記の方は報われない話が多いが
荘王は古代クズニート界の覇王だな
親が死んだあと喪中だからとかいってひきこもって先祖の財産で遊び暮らして「俺に説教したらぶっ殺す」って令だして
「俺はやればできる男なんだ、そのうちやるよ」って言い続けた
まぁ本当にやればできる男だったのは凄い
250 :
世界@名無史さん:2012/12/31(月) 14:10:23.00 0
251 :
世界@名無史さん:2012/12/31(月) 15:13:02.45 O
ニハーヴァンドの戦いでペルシャを破ったイスラム帝国、この快勝をカリフに伝える為に出された伝令はカリフの居る町に急いだ
やっとの思いで町に着いた伝令だがそんな姿を見たみすぼらしい老人が何事かと伝令に声をかけた
老人
「それ程急いで何かあったのですか?」
伝令
「急ぎカリフに伝えねばならん事なのだ!そこをどけ!」
老人を振り切り先を急ごうとする伝令だが老人はしつこくついて来ては伝令に何があったのか尋ねてくる
伝令はもはや老人と問答するつもりはなかったので無視し
併走しながらカリフの宮殿に到着、伝令は門番に対してこう言った
伝令
「カリフに急ぎ伝えたい事があり馳せ参った!カリフはいずこに御座す!」
門番
「カリフならあなたの隣におられるではないか」
そう、伝令にしつこくつきまとっていたみすぼらしい老人こそ、二代目カリフのウマル・イブン・アル=ハッターブその人であった
252 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 00:12:06.74 0
>>251 いや名乗れよじいさんw
>>249 だいたい
>>248であってるで荘王さんはw
喪中とか謀反あったから忠臣見極めるためとか言い訳してたけどこの人3年はリアルニートだったから
ニートだったことを利用した手腕を褒めるべき
始皇陵は地下宮殿に財宝が集められ始皇帝を守るための
兵馬傭が築かれた。 しかしその建築には多くの人夫が犠牲になった。彼を尊敬
する人間はいない恐怖政治の産物と自己満足に他ならぬ
兵馬庸の数ほども、忠臣がいるならば王は恐れずにも
生きただろう。不老長寿を願うがばかり天下統一を成し
遂げたが、果たして彼が欲しかった安心感とは。ひとつの
人形兵だけでも棺を見つめているなら王の悲しみがわかるのだろうか。
古代ローマも現代と同じで政治家が民衆の人気取りにばらまき政策を行っていた
カエサルも同じようにばら撒き政策で絶大な人気を獲得した
だがそのばら撒きに使った金はカエサル自身の金であり莫大な借金をしてまで民衆に金をばら撒いていた
255 :
世界@名無史さん:2013/01/06(日) 10:13:35.09 0
>>254 借りた金なんだからカエサル自身の金じゃないと思う。
中国がODAの借款を受けながらアフリカ諸国に援助してたようなもので、もちろん下心あり。
しかも民衆派の政治家として人気があったカエサルへの、実質的な賄賂だわなw
でもそれが巧いやり方なら現代の政治家も同じことするよね
民衆派の政治家が現代にいないだけかもしれないけど
戦利品とかなんだかんだで借金はけっこう返したしカエサルのはまさしく「ちょっと」いい話だと思う
一時期困窮していたユリウス・アッティクスであったが偶然にも最後の家産
であった古家の床下から莫大な財宝が発見された。
その財宝は法に照らせば皇帝の物だったようだが、アッティクスは密告を用心して
包み隠さず報告した。
しかしネルウァ帝はアッティクスに「遠慮せずにこの賜物を使え」と言った。
それでもアッティクスは「一臣下には不相応に莫大ですから利用法が思い付きません」
と辞すので、ネルウァ帝は「ならば乱費するがいい。汝のものだからな」と言った。
259 :
世界@名無史さん:2013/01/13(日) 09:46:10.07 0
モンゴル帝国第二代ハーンのオゴタイは酒が大好きで色んなさけを毎日たくさん飲みまくっていた
チンギスハンの息子たちは権力争いをしていたが比較的人望があった彼は他の兄弟からも好かれていたため
オゴタイの体調を心配し酒の杯数を減らすように忠告した
オゴタイは仲がけしていいとは言えない兄弟たちが心配してくれたことに感激し酒の杯数を減らしたのだった
だが杯数を減らした代わりに杯の大きさを巨大にした
そういうことじゃねぇw
261 :
世界@名無史さん:2013/01/14(月) 13:26:15.90 0
オゴテイの死因は酒の飲みすぎによる体調不良…
素直に兄弟の言うこと聞いておけばヨーロッパの国がいくつか消えていただろうに
酒が国を救ったといういい話だな(棒)
酒で死ぬと言えば張飛もそうだった気が
保健の授業ってやはり大切なんだな、うむうむ。
禁酒なんて簡単だよ
俺なんか、100回は禁酒している
264 :
世界@名無史さん:2013/01/14(月) 21:38:31.81 0
>>263 その道のエキスパートがこんなところにいらっしゃったとは!
ニザーム藩王国のある藩王はハイデラバーディー・ビリヤーニー(インドで著名なハイデラバードの郷土料理、スパイスの掛った炊き込みご飯)が
大好物であったが不摂生だったのか糖尿病を患ってしまった
当然医者から食事制限の指導を受けるが
どうしてもこの好物を食べたい藩王は医者に詰め寄りスプーン二杯だけと言う条件で好物を食べることを許可された
するとこの藩王はスプーン二杯という決まりは守ったが王者とは思えぬようなことを始めた
大皿に乗ったビリヤーニーを藩王が必死になって小さなスプーンに移して山盛りにし限界ギリギリまで盛ったら
作法も薙ぎ捨てて一心不乱に食したのだという
健康に悪いと分かっていても王ですらやめられない美味、ハイデラバーディー・ビリヤーニーの話
そういうことじゃねぇw (2回目)
インド料理屋行けばあるかな?
要はドライカレーなんだろうけどちょっと食いたい
267 :
世界@名無史さん:2013/01/20(日) 14:52:05.17 0
個人的にちょっと飽き易い味だったな、ベリヤニ
少し食うぐらいならとても美味い
>>265 食は貴紳も狂わせますね。
藤原朝成(百人一首に歌有り)が、太り過ぎで「夏は水漬け、冬は湯漬けでお食事を」と
言われてその通りにしたものの、山ほど食べて意味無しという逸話よりはましですが。
明恵は味噌粥を食べたら美味過ぎたので「これはいかん」とわざわざホコリを入れて食べ
たという逸話があるくらい、食の魅力は恐るべきもの。
酒もタバコも簡単に辞める事が出来たが、甘いものが辞められなくなってしまった。
酒タバコやってた時はほとんど口にしなかったのに。
ジョークメニューのネタに使えそうだな
注文するとスプーン2つにヒマラヤ盛りで料理が出てくるみたいな
ソクラテスは「あの人があなたを悪く言っています。」と告げた人に、
「いいじゃないか。その男はよく言うことを学ばなかったのだ。」と言った。
「あの人はあなたを中傷していませんか。」と言う人には、
「そんなことはない。私には覚えのないことなのだから。」と言った。
ソクラテスは喜劇作家にはこちらから我々を話題にしてもらったほうがよいと言った。
彼らが我々の欠点を話題にするのならそれは我々自身を正すことになるし、
そうでないのなら、自分たちにはまったく関係のないことなのだから、と。
加来 耕三
「忘れられたバンクーバーの慰霊碑」
> だが、この「平和の祭典」の舞台で、同じ日本人がかつて、生命(いのち)を懸けたもう一つの“物語”が
あったことを知る人は少ないようだ。
バンクーバーの代表的な公園スタンレーパークに、一種奇妙な記念碑が建っている。
「日本人義勇軍戦没者慰霊碑」とでも訳せばいいのだろうか。碑文は、英語でつづられていた。
この碑については、多少の噺(はなし)がある。ここにいう戦没者は、約70年前の第2次世界大戦の
戦死者ではない。その前の第1次世界大戦のおり、日本の大正4年(1915)にあたる年の11月、
「加奈陀(カナダ)日本人同胞の権利獲得と名誉のために」をスローガンに、募集された義勇兵に応募し、
カナダ軍に身を投じて、連合軍側の一員として戦った日本人戦死者のためのものであった。
現在のカナダは、200以上の民族が暮らす移民の国として、民族や人種の多様性を尊重する
「多文化主義政策」を採(と)っていると聞くが、「晩香坡」とバンクーバーを書いた
当時=大正初期のカナダ=は、アメリカと同様、「排日」の凄まじい嵐が吹きすさび、人種差別も重なって、
日本人移住者はカナダに帰化できても「公民権」を与えられず、当然のことながら参政権も認められない
状況下にあった。
にもかかわらず、カナダの日本人(大半はバンクーバー周辺にあった)は、自発的に自分たちを迫害する
カナダ人を助けるべく、戦場に向かったのである。
>もっとも、義勇軍の方も、カナダのために戦ったのではなかった。彼らはただ、バンクーバー周辺に
暮らす同胞=日本人=のため、その次なる世代のために、自らの生命を投げ出したのである。
換言すれば、人間の尊厳を守るための戦いであった。このような日本人の軍隊は、日本史上皆無
ではなかったろうか。
> 義勇兵たちは、口を揃えていう。「われわれカナダに暮らす日本人は、祖国を出てからこれまで、
何度も何度も失敗を繰り返してきた。いまさら、おめおめと故郷へ帰ることはできない。カナダを
新しい祖国として、この国に永住することを決意した。妻子ある者は一刻も早く、日本から家族を
迎えたい。そのためには、われわれは参政権を手に入れなければならない。ここにくらす日本人の
未来のために、われわれは征(ゆ)かねばならない。われわれはカナダの土になる。この戦いは、
アメリカに暮らす同胞のためでもあり、日本人民族としての、血税を払うことにも通じるはずだ」
> ところが、カナダ政府・軍関係者は「義勇軍を結成してくれたことは感謝するが、
採用するつもりはない」とつっぱねた。そのため、義勇軍は一度、解散に追いつめられている。
> だが、ここで引き下がっては、渇望する選挙権は未来永劫、手にすることができない。義勇軍の
中から、「26ドルの旅費を自弁して、個人的にアルバータ州カルガリー市まで出向いて、軍に
志願する者は採用する」とのカナダ軍の言葉に、一縷の望みを託して、出頭することを決めた
日本人が43名いた。ほかの義勇兵たちは、旅費が工面できなかったのである。
>大正5年6月22日、彼ら第一陣はバンクーバーを出陣、征途の人となった。「さらば、敬愛する
全加奈陀在留同胞よ! 我等は勇んで英国に向(むか)って去る。我等の凡(すべ)ては健康なり」
>たとえば、龍岡文雄という義勇兵がいた。彼は英国軍人が舌を巻くほどに優秀であり、
その上官の連隊長は、「一兵卒にしておくには惜しい、1年の休暇をやるから
イギリス本国へ戻り、士官学校に入って、士官になるように」と熱心に勧めた。
日本人義勇兵にとっては、空前の名誉といってよい。だが、龍岡はこれをことわった。
<御厚意を深く感謝します。然(しか)れども義勇兵仲間からはなれ、私のみが仲間から
敬礼を受くるに忍びません。殊(こと)に私は予備役ながら日本陸軍少尉でありますから、
祖国日本の命によらず、戦時抜擢とはいえ、英国陸軍の将校たることは遠慮いたします。>
(長谷川伸『生きている小説』)より)
> ことわられた連隊長は、龍岡の言葉に涙を流し、「ならば曹長をやれ」と、小隊長代理を
命じたという。龍岡はその後間もなく、最前線で両足を吹き飛ばされて戦死した。
10数人ずつに振り分けられた義勇兵の許にも、仲間の戦死は知らされる。しかし彼らは、
勇をふるって自らの生命を捨てる覚悟で、前へ、前へとただがむしゃらに進んだ。
「白人碧眼(へきがん)を青くしてこそ、日本人の真価なり」。多くの者が、カナダ兵の楯となり、
戦場に倒れた。
九死に一生、後方の病院に送られた戦傷者の日本人義勇兵は、ここでカナダ人、連合軍の
一員として、はじめて人種差別のない、平等な扱いを受けた。
>このとき、病院を訪れたイギリス国王ジョージ5世から、彼ら日本人義勇兵は幾人か、
声をかけられている。
祖父江玄碩という兵士の場合は、「何国の方ですか」と国王に問われた。
「日本人で御座います」
「加奈陀軍に属して、ビーシー州晩香坡から参りました」とも答えている。
国王はうなずきながら、次のように言ったという。
「貴方が隊へ帰られたら、日本人の参戦を吾等が感謝致し居る旨、日本人諸氏に伝へて
下さい」
(山崎寧翁伝記編纂会『足跡』より)
>国王は握手すら、祖父江に求めてくれたという。翌日のリバプール・エコー紙は、
「唯一最大の光栄者」と見出しをつけ、祖父江のことを報じたという。
やがて大戦が終わり、日本義勇軍の人々はバンクーバーに帰ってきた。戦死した
「55名」も加え、199人全員が、このときカナダ市民としての権利=選挙権=を与えられたのである。
>>274によれば、日本人義勇兵は43名
>>276によれば、そのうち55名が戦死して、199人が生き残ったのか
すげーぜ、カナダの日本人!
一番最初に入隊したのが旅費が工面できた43名てこったろ
ロシアの作曲家シュニトケは若いころ音楽大学で師事していた
大作曲家ショスタコービッチにこう言われた。
「私は君の音楽が全く理解できない。だが、その『間違った道』を突き進みなさい」
シュニトケは、その言葉を守り大作曲家になった。
ちなみに、ショスタコービッチは同じ言葉を音大のころ大作曲家グラズノフに言われ、
グラズノフは同じ言葉を音大のころ大作曲家リムスキー・コルサコフに言われていた。
米軍で最も多くの勲章を受けた部隊が
WW2での日系人部隊って言うしな
有能指揮官の元での日本人部隊と、
女を守ることと男の矜持のかかったイタリア人部隊には逆らうな、
ということだな
全米が泣いた!!
カエサルは平生より友人を愛想よく気軽に、かつ丁重にもてなした。
森林地帯を旅行中、随員のガイウス・オッピウスが突然病に倒れた。
カエサルはたった一件の番小屋をガイウスに譲り、自分は大地を枕にして眠った。
282 :
世界@名無史さん:2013/01/29(火) 21:57:52.60 0
ガイウス・オッピウスが濃いめのホモだったんだろ
太平洋戦争終結後、インドネシア独立運動に参加するため駐留日本軍を離隊した
宮山滋夫氏が部隊に残した置き手紙。
敢えて大命に抗して独自の行動にい出んとす
言うなかれ敗戦の弱卒天下に用なしと
生を期して米英の走狗たらんよりは微哀に殉じて火による虫とならん
天道は正義にあり 歴史の赴くところ正義にあらずして何ぞ
敢えて不遜の行動に出ずるゆえん 乞うご容赦あらん事を 戦友諸君
宮山氏は東京帝国大学卒の俊英で日本軍に入隊後も士官になる道を選ばず
一兵卒でとおした。インドネシア独立軍では教官として軍で習得した陣地構築、
破壊活動、兵器製造などの技術を教え、独立を見届けた後、無事日本に帰還した。
インドネシア独立を手助けしたのは良い話だけど
能力があるならそれを活かせる役職についたほうが結果的に多くの人を助けられるんだけど
こういう凄い地位につけるのにつきませんでしたっての美談にしてるのに納得できない
よく知らないんだけど士官学校行かずに兵卒で入隊した人も士官になれるの?
一定の学歴があれば入隊後に幹部候補生試験を経てなれるよ。後藤田正晴も内務官僚だったときに徴兵され後に主計将校になってる。
288 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 11:27:49.84 0
289 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 12:28:38.96 0
14c中部イタリアの大商人の話。
優秀だが、お金がないため、大学にいけない
学生に、学費を出してやる。
もちろん、親戚でもなんでもない。
その学生は、法学の知識をたんと身につけ、
大学を終えた後は、
その大商人の最も信頼出来る顧問弁護士のような存在に。
年を経ると、お互い一番の親友のような関係に。
その大商人は、別の似たような学生にも、学費をだしてる。
今度は、医学部。
もちろん、その学生は、卒業後、
その大商人の最も信頼出来る主治医のような医者になってる。
まあ、当時の商人の生活の知恵のようなものか。
290 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 12:33:39.24 0
人によっては、ヨーロッパ最初の革命ともいわれている、
叙任権闘争。
ベネディクトゥス7世を、
軍事的に支えたのは、
トスカーナ女伯のマティルダ。
マティルダは、他の人間を夫としたが、
ベネディクトゥスに思いを寄せていた可能性が高い。
世界史の一大革命が、
一組のカップルの秘された愛の成果であるかもしれない。
291 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 12:45:24.50 0
イブン・シーナーの現存する主著は『治癒』
当時のアリストテレス的な、論理学、自然学、数学、形而上学
を一つの体系にまとめあげた浩瀚な書物で、
その影響は、いうまでもなく、スコラ学にまでおよんでおり、
イスラム世界の当時の知的水準の高さを示す至宝といえる本。
この本の出来たきっかけは次の通り。
この種の学問を身につけたくてしょうがない人物がいた。
この人物は、イブン・シーナーが、自分の学問の保護者を探して、
諸国を遍歴し、思うような保護者をみつけられず、
精神的に疲労困憊している時に、イブン・シーナーに出会った。
当然、この人物は、書物を通して、イブン・シーナーを知っており、
感激して、イブン・シーナーの世話を焼いた。
後にイブン・シーナーは、一国の宰相にまでなる。
もう哲学教育のための時間を持つことができない。
そこでかの人物は、授業がむりなら、アリストテレス哲学の概要を書いてほしい、
とイブン・シーナーに懇願する。
で出来上がったのが、浩瀚な『治癒』。
『治癒』の膨大さは、その人物に対するイブン・シーナーの感謝の反映のような
気がしてならない。
この出会いが、後のペルシア、中世ヨーロッパの思想史に大きな
影響を与えた、ともいえる。
292 :
南風の秘話:2013/02/01(金) 14:08:21.37 O
293 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 14:42:11.94 0
ネトウヨのオナニーは禁止。ここは専門板。ニュー速+でやれ、くそめ。
シンディ・ローパーも自己破産してどん底だった頃、
日本料理屋を経営してた日系人に親切にされたから今でも親日家だ
295 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 05:43:58.31 0
73歳、山西省盂県。
1941年4月はじめの朝、西烟から河東村の砲台へ拉致された。
拉致される前には隣の人が殺されたのを目撃して、
養父母のところへ逃げようとしていたところだった。
日本軍が跡を追ってきて、養母は私をかばおうとして頭を切られ、
養父も首に刀を受けた。血が止まらずに、鶏の皮を貼れば止まると教えられその通りにしてみた。
その場で私は二人の日本兵から強姦され、顔も腫れるまでぶたれた。
父の牛やロバも奪われ、そのロバの上に縛りつけられて河東村の砲台まで連れて行かれた。
砲台の下には大きな窰洞があり、その中に煉瓦でこしらえたベッドがあった。
昼間は5〜6人、夜は十数人がかわるがわるやってきては強姦された。
身体を焼かれるなどの虐待も受け、40日間くらいそこに監禁されていた。
父は家具を売って二百元をつくり、
日本兵が薬が欲しいというので薬を差し出したりして、やっと私は解放された。
296 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 12:26:34.40 O
297 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 13:10:50.13 0
太平洋戦争中、日本兵の90%以上が亡くなり、飢餓地獄といわれたニューギニア。
だが、現地の人たちの多数が犠牲になったこと、まったくといっていいほど知られてこなかった。
戦後半世紀以上たって、被害者本人や遺族が語り始めた戦争被害の記憶は、
信じられないほど悲惨だった。
「この悲惨な出来事は、わたしの目の前で起きたのです。
日本兵がわたしの母をレイプし、そのあと殴り殺したのです。
母は体をばらばらに切断され、皮をはがされ、肉片として軒先に吊るされ、
この飯ごうでゆでられました」
バラス・ブカヒンさん(70代半ば・男性)は一点を見つめ、
悲痛な面持ちで語った。
足元には母親がゆでられたという黒い飯ごうが置かれている。
まじれすだが、ニューギニア方面では現地のピジンイングリッシュで
「ビッグ・デス」と呼ばれているらしいな>現地民衆の被害
299 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 17:50:17.46 0
276 人間七七四年 sage 2013/02/02(土) 17:32:53.98 ID:wBnP35N9
「農民の嘘は可愛いものだ」
と落武者狩りで命を落とした天下人の明智さんは生前語った。
「パンがなければお菓子を食べればいいのに」
と言ってもないマリーアントワネットの発言を捏造した平民ロベスピエールさん
結論
この世に可愛い職業も身分もない
南無阿弥陀仏 チーン
300 :
フェイスブックで教えてもらった:2013/02/02(土) 23:48:13.54 O
「アメリカの青年達よ。東洋には、すばらしい国がある。それは日本だ。日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!」
http://ameblo.jp/bushi-degozaru/entry-10504265831.html(こちらより転載)
硫黄島での戦いの時に第五艦隊司令長官としてアメリカ海軍を指揮したレイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言葉です。
彼は戦後、この言葉を伝えるべく全米各地を講演して回りました。
彼が、このように日本の事を言うようになったのは、次のようなエピソードがあったからです。
1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出して、アメリカ軍が硫黄島を占領したあくる日のことです。岩山の穴の中から負傷した日本の陸軍少佐が降伏のしるしのハンカチをもって出てきた。
彼は「司令官はいないか。穴の中には、有能な30名の青年達が残っている。彼らを日本のため世界のために生かしてやりたい。私を殺して彼らを助けてくれ。」といいました。
少佐を引見したスプルーアンスが「お前も部下達も助けてやろう」というと、彼は「サンキュー」といって絶命しました。
その後、アメリカ軍は、青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れたりして、残された青年達に穴から出てくるよう勧告をしますが、彼らはそれに応じず抵抗を続けました。
数ヶ月間の抵抗の末、やがて何名かが餓死し、最後に残された者たちは手榴弾で自決して果てました。
その爆発がした時に、スプルーアンス司令官が穴の所に飛んで行くと、穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙がおかれていました。
「閣下の私達に対する御親切な御厚意、誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。
最早(もはや)水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、全員自決して天国に参ります。
終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。
昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿」
(祖国と青年 平成7年6月号)
旧日本兵2万2000人が戦死。今だに1万3000人あまりの遺骨がみつかっていない。
ブン殴っておきながら誉めて喜ばせるアメリカの統治技術は流石だ。
と読んだおれはひねくれているのだろうか?
302 :
世界@名無史さん:2013/02/03(日) 00:34:02.15 0
無差別空爆と原爆落としてから支援して今では日本人が一番好きな国になってますからね
303 :
世界@名無史さん:2013/02/03(日) 10:10:11.12 0
アーレイ・バークも最初反日だったのが親日に変わってるね
ケンカしてかえって仲良くなるのは、よくあることさ
304 :
世界@名無史さん:2013/02/07(木) 20:10:24.77 0
305 :
(^_^;)マタ反日工作:2013/02/08(金) 21:15:25.55 O
高山正之氏が週刊新潮の「変見自在」で”朝日の罪”のタイトルで書いてました。
朝日新聞が支援したテロ集団がドバイで日航機を乗っ取り、東京では三菱重工ビルを爆破し、
何百人も死傷させた。
(前にも書いたかもしれません)
NHK、朝日には根性が腐っている日本人風に偽装した反日本人がいるのです。
NHK!本当に腐っている。Eテレに注意です。
スレ違いはいらん
307 :
世界@名無史さん:2013/02/10(日) 19:46:30.24 0
月へ行く途中で宇宙船が爆発事故を起こしたアポロ13号は、映画にもなった有名な話だが、
このミッションは13という不吉な数がさまざまに付きまとった因縁話でも知られる。
もう30年も前だったろうか、子供向けの科学読み物でこの事故の挿話を読んだのだが、
史上3度目の月面着陸という夢は叶わず、ぎりぎりのところで地球に生還した宇宙飛行士が
インタビューに答え、13号の13は幸運の数なんだと言い張るくだりがあった。
何故かと言うに、「俺たちは生きて帰れたからだ!」とのこと。
台詞は少しうろ覚えだが、何やら不吉なジンクスを吹き飛ばす爽やかな読後感だったのは確かだ。
308 :
世界@名無史さん:2013/02/13(水) 13:13:48.29 0
愛人同士で編成されていたため、雄々しく堂々と戦ったテーバイの神聖部隊。
やはり愛し合う男性たちの勇気が軍隊を不敗、無敵の強力な組織にして呉れるのだな。
マケドニア王のピリッポス二世が涙ながらに感嘆したのも諾なるかな。
>>308 ホモが力強い軍隊を作った双璧は古代ギリシアと戦国期日本だな
密集陣形の左側に愛人を配置して
必死に守らせたらしいな
右の奴が好きな左の奴は自分の左の奴が好きで
その左の奴が好きなのはまた左の奴という
三角関係なんてメじゃない愛憎劇が繰り広げられるわけだな
結論:みんな大好き
古代ギリシアの詩人アルカイオスは言った。
「ニカンドロスよ、君の脚の毛が濃くなってきたから気をつけたまえ。
すぐに尻まで同じように濃くなるぞ。そうなったらきっと誰も君を愛してはくれない。
君の美しさは松明のようなものだ。」と。
同性愛者の軍隊は侵攻先で婦女に対する暴行を行わず、名誉を求める彼らの信条に加え
すぐそばに恋人がいてかっこつけなきゃならないから略奪もほとんどしなかった
315 :
世界@名無史さん:2013/02/24(日) 15:54:04.96 0
┌(┌ ;o;)┐ イイハナシダナー
怖い歴史スレか不気味な話スレの方が相応しい
ソクラテスは結婚したほうがよいか否かと訊ねられた時、
「どちらにしても君は後悔するだろう。」と答えた。
318 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 20:50:43.18 0
アリストファネスの「雲」を読むと
ソクラテスとクサンティッペのケンカは夫婦漫才みたいで面白い
一方的などつかれ漫才ではあるが
319 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 22:16:48.75 0
年から年中男の悪口を言いながら別れないってはアレだよ
中国南北朝、陳の後主。
隋軍が帝都建康に攻め込んできた時、
後主がふと玉座の周囲を見回すと、皇帝を最後まで守ろうとする忠臣たちがいた。
その顔ぶれを見ると、遊興三昧だった自分に口うるさく諫言を重ねてきた人たちばかりであった。
日頃遊興のお伴をして心地よい言葉を連ねていた側近たちは
皆逃げ失せて影も形も無かったという。
322 :
世界@名無史さん:2013/03/01(金) 15:08:58.53 0
>>321 その話はどうやって後世(現在)に伝わったのか、その伝播ルートが気になる。
そのボンクラ帝戦後も生き残って天寿全うしたから。
324 :
世界@名無史さん:2013/03/01(金) 19:36:47.66 0
>>323 なるほど。討ち死になさったわけではないのか。
討ち死にどころか、宮中の井戸の底に隠れていた所を
敵軍に発見されて捕虜になってる>陳の後主
後主がそれまで散々冷遇していた真の忠臣たちは
「せめてこうなったら玉座に端然と座して敵軍を引見し
天子の威厳を示されませ」と進言したんだけど
それを退けて命惜しさに井戸の底に逃げこんだ。
でも一族ともに助命されて天寿を全うしたのだから、まだ幸運だね。
但し、一緒に井戸に隠れた美貌で知られる側室の一人が、
後の煬帝が自分の妾にしようとしたんだが
「この女に惑わされて陳国は亡んだのです」ということで処刑されている。
暗愚で知られた西晋の恵帝。
八王の乱のさなか、反軍に皇帝と側近を乗せた馬車が追撃され
矢が文字通り雨の如く降り注いだ。
侍中という高位にあった嵆紹はがばと皇帝に覆いかぶさり、
全身に矢を浴びながら息絶えるまで皇帝を守り抜いた。
追撃を免れて皇帝一行が川のほとりにさしかかった時、
従者が血まみれとなった皇帝の御衣を洗おうとした。
恵帝は言った。
「これは嵆侍中の血だ。洗うなかれ」。
人民が飢餓に瀕していると聞いて「米が無いなら、なぜ肉粥を食べないのだ?」
と言ったほどの暗君であった恵帝だが、目の当たりにした壮烈な忠義に報いる心は持っていた。
327 :
世界@名無史さん:2013/03/07(木) 13:34:26.46 0
4〜50年ほど前に聞いた話。
その人は中国戦線を渡り歩いていた。
その中で一番激しかった城市での戦い。
数日続いた城内からの攻撃が突然止んで、市民が何人か転げだしてきた。
来てくれと言われるままに城内に入ると死体だらけ。
負けるとわかった国民党軍が城内を略奪して市民や兵士同士殺しまくって逃げてしまったらしい。
んで日本軍が総出で死体を埋葬するのだが、沢山の死体に気が変になる兵士が続出。
これが終わると城内を一戸ずつ廻って生存者の戸籍を作る。
それでその人は除隊されたけど、再徴用されて同じ城市の仮設役場の仕事をし、終戦を迎える。
帰国する時、市民は国民党軍の支配下になることを嫌い嘆き悲しみ、
日本軍にとどまってくれと懇願されたそうだ。
328 :
世界@名無史さん:2013/03/07(木) 14:00:34.60 0
世界初の電子戦が行われたのは日露戦争の旅順攻略戦
日本艦隊が発信した電文をロシアの通信兵が同じ周波数で乱打しました。
旅順要塞降伏後、捕虜になったロシアの通信兵と日本の通信兵がお互いに顔を合わせ
「お前だったのか!!!」と大爆笑。特徴があるので通信兵はお互い分かるらしい。
二人は無線機を前に通訳官を間に談笑していたが、数時間後殴り合っていたらしい。
何でも原因は電波の受信を最大にするには出力を大きくするか?、使っていない周波数に合わせるか?
だったそうです。
その後、八木アンテナが開発されて、喧嘩の原因は解決しました。
専門家同士のらしい閑話ですな。
所属国家の縛りを超えて歓談できるのも、専門域での意見の違いで衝突するのも。
ユーゴスラビア王ペータル2世はドイツの侵攻によりイギリスに亡命した
同地で同じく国を追われていたギリシャの王女アレクサンドラと結婚、子を授かった
が、アレクサンドラが出産した嫡子が男子だった場合
ユーゴ生まれではないため王位継承権がなくなってしまう
このためイギリスに掛け合い出産場所であったクラリッジス・ホテル212号室をユーゴに割譲してもらった
無事にユーゴで誕生したアレクサンダル2世はその後王国滅亡の為即位はならなかったが
現在セルビアで王制復古を目指して活動している
ソクラテスが金持ち達を食事に招いた時、クサンティッペはご馳走がない事を恥じた。
ソクラテスは彼女に「心配するな。心得のある人達ならこれで我慢するだろう。
つまらない人達なら、そんな者達を私達が気にかけることはない。」と言った。
またソクラテスは他の人達は食べる為に生きているが、自分は生きる為に食べていると言った。
ソクラテスはこのスレにある逸話だけ見ると宗教家かのようだ
フリードリヒ大王が晩餐会を開いた折に、末席に座っていた老将軍がうつらうつらうたた寝をしてしまった。
慌てて隣の者が起こそうとすると大王
「よいよい、その者は戦争の際に寝ずの番をして余の安全と安眠を命がけで守ってくれた、そのまま寝かせておけ」
そう言うと大王は老将軍が目を覚ますまで晩餐会を待っていた。
334 :
世界@名無史さん:2013/05/02(木) 21:21:12.62 0
この時代の冷めた飯って不味そうだな。
335 :
世界@名無史さん:2013/05/03(金) 02:59:26.39 O
指導者よ明君たれ
注)「あきらくん」ではない
カエサルは酒をほとんど嗜まなかった。政敵のマルクス・カトでさえ
「後にも先にも素面で国家転覆をはかったのはカエサルだけだ。」と言っている。
ガイウス・オッピウスの伝えるところによるとカエサルは食べ物に淡白だったそうだ。
ある時、招待主から新鮮なオリーブ油の代わりに古くなった油を出された。
他の客は見向きもしなかったが、カエサルだけは主人を責めているととられないように
普段よりもたくさんおいしそうに食べたという。
337 :
世界@名無史さん:2013/05/05(日) 22:01:09.21 O
カエサルはガリアだったかで無駄に塩辛い漬物をだされ
部下が手をつけない中我慢して食った話あるな。
338 :
世界@名無史さん:2013/05/19(日) 16:17:25.18 O
本当の一流はそれなりの人格を持っている
339 :
世界@名無史さん:2013/05/19(日) 16:53:16.32 0
某市長とか。
340 :
世界@名無史さん:2013/05/19(日) 19:21:11.48 0
>>320 ベリサリウスの妻アンントニナなんかもよくわからん女性だよね。
年がら年中、若い男と浮気を繰り返している割には、
ユスティニアヌスに疎んじられ粛清されかけていた夫を何度か助けてもいる。
「英雄の妻」という自分の立場を守るため行動とも思えるけど
名誉を剥奪され財産を没収されたベリサリウスに最期まで付き添い、
その死をみとってもいる。
341 :
世界@名無史さん:2013/05/24(金) 17:37:10.47 0
アウグストゥスの顔の表情は話していても黙っていても、とても穏やかに澄んでいた。
あるガリア人の貴族が同郷人に
「アウグストゥスがアルプスを越えている最中に私は彼との会見を願っているように見せかけて、
ひときわ近寄ることを許された。その時、彼を断崖へ突き落とそうとしたが、
彼の顔立ちに心を和められて結局実行できなかった。」
と告白したほどだ。
突き落とすのに失敗した言い訳に1ペリカ
言い訳に使われるほどのスーパーイケメン伝説であったというわけか
344 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 18:19:25.74 0
いよいよこれから殷と戦おうとしていた時
太公望と周武王たちはその勝敗を卜(甲骨を焼いてひび割れを見る)で占った。
結果は「大凶」とでた。
太公望は立ち上がり占った甲骨を踏みつけて「こんな骨にどうして凶と分かるのか!」と怒鳴った。
その後周軍は殷軍に大勝利を収めて周王朝が始まった。
いい話とは思えないが、トルコ軍人の名誉心を知る話ではあるので。
オスマン帝国末期、大戦で敗北したトルコ領に侵攻したギリシア軍に
トルコ軍が大反攻をかけた時。
ケマル・パシャに前線からある将軍が電話で
「30分以内に敵陣地を陥落させます。命を以て誓います。」と報告した。
ギリシア軍はよく抵抗し、トルコ軍は陣地を占領できなかった。
その将軍は自らの頭を拳銃で撃ち抜いて自決した。
なんか中世のような価値観だな…
347 :
日本精神:2013/05/27(月) 11:29:26.48 O
>>344 そこは占った奴が無理矢理こじつけて大吉にするべきだよな
晋の献公の話だが、
辺境の征伐の戦果として、異民族の驪戎の娘『驪姫』を妃にしようとして占いを行わせた、
最初に亀甲で『大凶』と出て占いの神官は大反対したのだが、晋公はこれを不服として、
次に筮竹で占わせて筮竹では『吉』と出た。
晋公は筮竹の結果を良しとして慣例を破って占いの結果に従わずに驪姫を妃に迎えた。
ちなみに筮竹よりも亀甲の神託の方が位が上で神聖なものとされていた。
中国史で不気味な事件や面妖な怪奇な出来事がたびたび史記に出てくるのは、
暗に諫言する為に『天からのお告げである』との形を借りて進言しているケースが多い。
直接王や皇帝に意見すると不敬罪で殺されちゃうからね
諫言に耳を貸さずに異民族から妃を迎えた献公だが、
自分の息子の奚斉を太子として立てようとして晋に政治的混乱を招いてしまった。
神官の憂いは正しかった。
凶兆が出た場合は謹んで受けなければ禍を招くと言うことですな
WW1時のドイツは帆船による通商破壊戦を行なった。
彼らは皇帝陛下の海賊たちと呼ばれ大西洋、太平洋で暴れ回り
総計約3万トンの船舶を拿捕、撃沈させる戦果を挙げたという。
>>349 何時頃にはもう占いが絶対のものじゃないんだな
352 :
世界@名無史さん:2013/06/28(金) 17:36:23.68 O
大航海時代のスリランカでのこと
ある地方で裁判が行われていた
富豪の家で働いていた奴隷が盗みを働いたというのである
この奴隷、常日頃から悪事ばかり行いすこぶる評判が悪かった
それもこれもあってこの度の裁判となったのである
富豪は奴隷の評判の悪さや普段の行いをあげつらって裁判官に訴えかけるのだが証拠がない
裁判官は「全てを知る神のみぞ真実を知るだろう」と言って一旦閉廷
奴隷も特に拘束されることなく解き放たれた
その夜、富豪の家が火事で全焼してしまった
訴えられた事を腹に据えかねた奴隷が密かに放火したのだ
後日、再び裁判が開かれた時に奴隷はこう主張した
「先日富豪の家が火事にあう不幸があったがあれは全てを知る神が真実を知り得ぬ裁判官に代わって起こした罰に違いない。真実は神罰によってすでに明らかになった」
裁判官はこの主張を受け入れ奴隷は無罪放免となった
353 :
世界@名無史さん:2013/06/28(金) 18:12:56.95 0
無罪 for Men
354 :
世界@名無史さん:2013/06/30(日) 19:31:01.45 0
犯行に粗があって判事が華麗に暴くようなミステリーものかと思いきや斜め上だった
評判の良くないドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の話だが。
皇室専用ヨットの乗員たちにお酒の下賜があった。
全海軍から選ばれた才能品行ともに優れた乗員たちへのねぎらいだった。
ところがある水兵がどうしても「恩賜の酒」を受け取ろうとしない。
上官は水兵を不敬だと罰しようとした。
皇帝が事情を訊ねると、水兵は禁酒禁煙廃娼を本旨とする救世軍の信徒だった。
皇帝は「水兵を赦せ」と言い、「ドイツ海軍の将兵皆がこのように信念に忠実であればよい」
と笑ったそうな。
ヴィルヘルム二世自身が考えたという墓碑に刻まれた言葉が好きだわ
「我を賞賛することなかれ。賞賛を要せぬゆえ。
我に栄誉を与うるなかれ。栄誉を求めぬゆえ。
我を裁くことなかれ。我これより裁かるるゆえ。」
357 :
世界@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN 0
>>356 無能で自分の境遇を儚んで、それをうまいこと言って悦に入る君主って感じがバリバリする・・・
俺は微妙
俺は好きだよ>カイゼルの墓碑銘。
「我を裁くことなかれ。我これより裁かるるゆえ。」
は、確かにこの人はキリスト教の信仰を持ってた人だな、と思う。
むろん、北清事変の時の派遣軍将兵への言葉とか
およそ福音的姿勢とは程遠い言動もあるんだが。
>墓碑
たしかモトネタはもっと(つーか、かなり)長い
マイナーすぎて何という詩人だったか思い出せないが…
361 :
世界@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN 0
ロシア内戦時にトロツキーが赤軍を率いていた際、兵士の間で「白い虫(白軍)を殺せ」という歌がはやったが、
トロツキーは「赤軍の役目は、白軍兵士を殺すことではなく彼らを武装解除することであり、白軍兵士も同じ階級なのだから、彼らを組織するつもりで戦おう」と訴えて、その歌を歌うことを禁じた。
それで寝返った白軍の経歴を持つものはその後どうなったんだろうな
>>362 そりゃ、トロッキーは赦しただろうがな...
宿敵フランスの復讐を何より恐れた鉄血宰相ビスマルクは美食家で、シャンパーニュ産のワインを特に好んだ。
ヴィルヘルム1世「オットー、そなたが飲んでいるのはフランスのワインではないか。」
ビスマルク「畏れながら陛下、愛国心と舌は別物でございます。」
と国王にも切り返した。
365 :
世界@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
愛国心で味が変わるわけじゃねぇしな
367 :
世界@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN 0
|┃三 , -.―――--.、
|┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
|┃ .i;}' "ミ;;;;:}
|┃ |} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:|
|┃ ≡ |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
|┃ | ー' | ` - ト'{
|┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
|┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-' /
|┃ | ='" | < 同志
>>362-362!
|┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ 呼んだかね?
|┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
|┃ ≡'"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ
スターリンのいい話って無いの?
>>368 「ニキタ、ナイフを使え」とか?
スターリンと幼い頃の娘のスヴェトラーナの手紙のやり取りで
娘を「奥様」と呼び、奥様がいないとさびしいとか、早く奥様にお会いしたいとかべたべたに甘えた事を書いてるスターリン。
パパちゃまはちゃんと食事をしてますかとか、お酒を飲みすぎてはダメですよとか父親に指図する娘。
370 :
世界@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN 0
>>367 岡田眞澄さん(ファンファン大佐)っぽい。
スターリンの「いい話」は山ほど創作されてただろうが
(中には事実に基づくものもあっただろうな)
フルシチョフ以降悉くゴミ箱行きになったんじゃなかろうか。
ささいな人情話で肯定できる人間じゃないしな。
俺が「極悪非道の奴だけど、この人も一人の人間としては可哀想だな。
その気持ちはなんとなく分かる」とスターリンに同情したのは
有名な台詞、
「私は誰も、誰一人信用しない。自分自身すら信用しないのだ。」
>>370 岡田さん本人が「似てる」と自覚してたそうな。
「私はもうおしまいだ。だれも信用できない。自分さえも。」
スターリンの呟き
フルシチョフとミコヤンに向けて
373 :
世界@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN 0
なおおしまいじゃなかった模様
375 :
世界@名無史さん:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN 0
第一次世界大戦で、ドイツ軍が中立国ベルギーへ侵攻した時のこと。
砲火にさらされた街を死守するベルギー軍にドイツ軍が降伏を勧告した。
ベルギー軍司令官は投降を拒絶。猛烈な砲撃が再開された。
司令官は崩れ落ちた要塞の瓦礫の下敷きになった。
発見したドイツ軍は「敵の将軍は戦死した。礼を尽くせ」と命令。
司令官の傍らに将校を佇立させた。
司令官は下敷きになったが、生きていた。
ドイツ皇帝は捕虜にしたベルギー軍司令官に
ドイツ軍の最高の栄誉となる勲章を授与した。
377 :
世界@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN O
いい話なのか悪い話なのかよくわからんなw
WW1のベルギーは勇敢で信念を貫いた、王様がいい人だったのもある
WW2のときはカスで戦後も連合国にのけ者にされる
ただし戦わなかったから犠牲者は少なかった
どんなに宗教的な細心さからでも、カエサルは計画を断念したり遅らせようとしなかった。
犠牲式の時に生贄が飛んで逃げても、カエサルはスキピオとユバ王との戦いへ向かう日を延期しなかった。
船から上陸しようとして海の中に落ちた時ですら「アフリカよ、私は今お前を両腕の中に抱いたぞ。」
と叫んでこの事故を吉兆に変えてしまった。
とんちか!
381 :
世界@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN 0
キッシンジャー語録
・日本は経済大国になってしまった。もっと早く潰しておくべきだった。
・東アジアはアメリカと中国の両覇権国で支配する地域だ。
・日本には絶対に核武装させてはいけない。
・台湾や韓国や日本ごときの為に、アメリカが中国と戦争するなんて馬鹿げている。
・中国の経済発展と軍事大国化は、アメリカの利益になる。
・日本の自主防衛を封じ込めると同時に、日本を中国、韓国、北朝鮮、ロシアから
分断して孤立化させる事が大切だ。そうすれば日本はアメリカに依存せざるを得なくなり、
アメリカにとって都合の良い経済政策と外交防衛政策を取らざるを得なくなる。
マジレスするとそのおっさんは軍産複合体で、単に軍拡競争が欲しいだけ
かつての冷戦時代の軍産複合体全盛期の構造を復活させたいですって言ってる
384 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN 0
荘子には面白い例えがいろいろ出てくるんだがその中に化け物の話があってな
適当に思い出して訳すと
斉の桓公が出かけた時に沢で化け物みたいなのを見た。
桓公はびびって管仲に「なんか今化け物いたじゃん?見た?」って聞くと「は?見てませんけど」
って答えられた。そんな化け物を見るとか不吉だし祟りありそうとびびった桓公は帰ってから放心状態になって病になった。
そんなときにある人が来たんで桓公は「化け物っている?」と聞いてみた。
するとその人は「いますよ。まず家の中には〜がいて、川には〜がいて」と化け物の説明を始めて
「沢には〜がいますね」と言ったから桓公は「それはどんなのなんだ!」って聞くと
「〜は〜で〜で〜ですね。こいつを見た人は覇者になれますよ」と言われた。
桓公は「マジで!俺が見たのそれだよ!」と大喜びしていつのまにか病気は治っていた。
化け物のせいで病になったのではなく、心が病にしていたんだ、というわけ。
あやふやな記憶だけど
アポロ計画時のアメリカは宇宙服開発の際、飛行士の安全を守るため機密性の確保には二重三重の対策をしていた
開発に当たっていた航空機メーカーと下着メーカーは稼働性との両立に四苦八苦したが数年の歳月の末、遂に完成した
この宇宙服の完成度は高く今にいたるまで大幅な変更がない、現在の宇宙服の雛型となっている
一方宇宙遊泳でアメリカに先んじていたソ連の宇宙服は機密性を確保するために服の入口をゴムで縛るだけという非常に簡素なものだった
さすがソビエト…
畑から兵士がとれる国…
宇宙飛行士と筆記用具の話を思い出したw
コズミックフロントでやってた奴かw
事故は一回も起こらなかったらしいから合理的ではあったんだろうな
第二次大戦中、ロンドンに亡命してホテルに滞在していたユーゴスラヴィア王ペータル2世の妃に
子どもができた
ユーゴスラヴィアでは、国内の生まれでないと王位継承権がないことになっていた
そこでチャーチルが粋なはからいをして、一家が滞在していたそのホテルの212号室を一時的に
ユーゴスラヴィア領と宣言し、生まれた子供アレクサンドル2世を、ユーゴスラヴィア生まれと
いうことにしてやった
(結局、ユーゴの王制は廃止されて、一家は戻れなかったけど)
1934年。農業技師たちはルイセンコの命令に従い雪の上に麻の種を播いた。
種はもちろん全て駄目になってしまった。
ルイセンコは雪が富農だと非難することも自分が馬鹿だとも言うわけにいかなかった。
ルイセンコは農業技師たちが富農で彼の技術を歪曲したと非難し農業技師たちはシベリア行きとなった。
いい話なのか? それ
>>389 なぜか冲方丁の新人漫画家にぱくられた短編を思い出した
393 :
世界@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN 0
>>391 涙腺壊れるほどいい話を
探したけど見つけきれませんでした
情弱な私を許して
394 :
世界@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN 0
ロシア皇帝アレクサンドル2世は、宮殿の中ではいつも
いつ自分が暗殺されるかと病的な妄想に怯えていた。
しかし実際に街頭で暗殺されかけた時には常に沈着冷静さを示し勇敢に振舞った。
何度かの暗殺未遂事件の後、ついに落命の日が来た。
御召馬車を狙った爆弾は直接馬車には当たらず
護衛の警官たちをなぎ斃した。
そのままその場から逃走していれば皇帝は助かっただろうが
皇帝は重傷を負った警官たちを気遣って馬車から降りてしまった。
そこへ第二の暗殺犯が「まだいるぞ!」と叫んで皇帝に爆弾を投げつけた。
皇帝は両脚と片方の眼球を吹き飛ばされその場に倒れた。
「宮殿で死にたい」宮殿に運ばれて皇帝は崩御した。
跡を継いだ皇帝アレクサンドル3世に
文豪トルストイは必死で犯人の助命を懇願した。
新皇帝は答えた。
「予自身に対する暗殺なら赦すこともできるが
父陛下に対する犯罪を子として赦すことはできない。」
395 :
世界@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
明41.09.04 第7559號 79頁 1件
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950906/10 本籍地住所不詳 太田 フネ 當十九歲
丈四尺八寸顏稍〻長ク目大ニシテ鼻隆ク口小ナリ頭髮Kク美人ナリ著衣二子唐棧赤縞半纏
木綿ノ袷淺黄木綿單物襦袢瓦斯茶色槇樣ノ帶ヲ纏ヘリ、遺言ニ依レハ千島得撫島ニテ育チ昨年十一月
中旬或ル人ト本國ニ渡リタリ父母ハ新潟縣直江津ニ存在スルトノコトナレトモ氏名不詳ナリト
右ノ者明治四十年三月十日行旅病人トシテ救護中同十三日死亡ニ付キ成規ノ手續執行ノ上假埋葬セリ
心當ノ者ハ申出ツヘシ
明治四十一年八月十日 長野縣北佐久郡東長倉村役場
明治時代に救われたアイヌ人女性
396 :
世界@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
ナバホとか第二世代のインディアンは、血液型はほとんどO型で髭がない
第三世代は比較的最近に移住したか、それとも現インディアン以前か?
トリンギット人の特徴
モンゴロイドである。
肩幅は比較的広い。
顔は角張っている者も多い。
身長は低い。
体毛、髭はモンゴロイドとしては発達している。また、眉毛は濃い(北米の先住民は基本薄いのだが)。
彫の深い顔をしている。
髪の毛はストレートから天然パーマまで。
目は二重。
唇は厚い。
鼻は高く長い。
血液型はB型33%、A型31%、O型24%、AB型12%。
頭は短頭。(頭の前後が短い)長頭もいるようだ。
狩猟採集民である。
因みに第一世代はブラジルで発見されたようなアボリジニ風
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/39/3bcc1b9566b4928b05e5c2a89c5b5ef7.jpg
397 :
世界@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
1976年夏、この年、フランスのボルドー地方は暑く、雨が極度に少なく、ブドウが枯死寸前になった
これが他の国なら、人間がブドウに水を撒くところだが、フランスでは、ワイン造りにおいて天候に人間の手を
加えてはならないと法律で規定されていて、ブドウに水をやったら、そのワインを出荷できなくなるため、
みな水をやらなかった
秋になってようやく雨がふり、ブドウはよみがえった
結果的に、その年の気候のおかげで糖度はいつもの年よりも高くなり、その年のボルドーのワインは最高の
できとなった
もしも夏に水を撒いていたら、いつもの年と同じレベルのワインしかできなかったと言われている
ヨーロッパってやけに食品の製法に関する法律が厳しい気がするんだけど
何か理由でもあるの?
地続きで沢山の主権国家があるから、幾らでも流通する
まがい物を防止するとか、ある種の非関税障壁だろう
厳しくしないと何処かの極東の国みたいになっちゃうじゃないか!
>399
前近代に、今の中国のように紛い物が横行したから
で、そういう(紛い物を売りつけて他国へ逃げた)連中は特定民族に罪を被せたんだよ
>で、そういう(紛い物を売りつけて他国へ逃げた)連中は特定民族に罪を被せたんだよ
具体的に何人に?
分からないなら知る必要もない
横からレッテル厨が食いついてくるだけなのだから
分からんな。ヨーロッパの話でしょ?
ポルトガル人がスペイン人に化けて悪事を働いたとかそういう話を期待してたんだが
>>405 ヨーロッパ全域で、歴史的に迫害されてる民族がいるでしょ?
黄巾賊か。
オスマン帝国のスルタン、メフメト二世の妃の一人はある体位を発明したことでスルタン最愛の寵姫となった。
それは女性がしゃがみ込み、股を大きく開いて後ろにのけぞる姿勢だった。この体位は「スルタンの妃」呼ばれた。
それは「日本四十八手」の「千鳥」に近い体位である。その一世紀後に「スルタンの妃」は「フランス四十手」の
「第六の体位」となった。「フランス四十手」は「第六の体位」をしゃがんだ女が動きにいろいろな変化をつけるならば
すべてのやり方の中でもっとも快感が強いとしている。
スペインの女王イサベル1世はレコンキスタが完遂されるように
下着を替えないという願掛けを行っていた
これに因んで茶色掛った灰色の事をイザベル色と呼ぶ
411 :
世界@名無史さん:2013/09/06(金) 20:41:48.67 0
>>410 誰が色を確かめて、誰が記録に残したんだ?
信玄餅が武田信玄が作ったとでも思ってんのか?
紀元前の中国で鶴が大好きな君主がいた。
鶴を貴族に取り立てて、いいものばかり食べさせてた。
そんな時、異民族が来襲!
君主「みんな戦おう!」
臣下「俺らよりいい身分の鶴を戦わせろよ」
結果、君主死亡、国は滅亡した。
415 :
世界@名無史さん:2013/09/11(水) 19:27:56.01 0
夏王朝創始者の禹は勤倹力行を目標としていた。
この時、始めて大変良い酒を造り献上した人がいた。
禹は飲んでその味を誉めたが、いまにこれで国を亡ぼす者
が出て来るだろうと言ってその発明をした人を斥けた。
斥けた・・・・・((( ;゚Д゚)))ガクブル
417 :
世界@名無史さん:2013/09/12(木) 17:47:53.50 0
うろ覚え失礼。
近代ドイツの哲学者エマニュエル・カントは大のお洒落好きで、毎日2時間は鏡の前にいた
見兼ねた友人が哲学者らしくないからやめろと忠告したところカント曰く
「流行遅れのバカになるよりも流行バカになるほうが良い」
といって習慣をあらためなかったそうな
内村鑑三はケーニヒスベルクがプロイセン軍に占領された時に
カントがフリードリヒ2世の圧力に屈して
「私はもはや宗教のことについては語りません」と述べたことを
偉大なカントにしてこの過ちありとしているね。
419 :
世界@名無史さん:2013/09/13(金) 07:07:11.93 0
エマニュエルぢゃなくて「エマヌエル・カント」ぢゃな
420 :
世界@名無史さん:2013/09/13(金) 14:14:48.77 0
>>418 バチカンにやり込められたガリレオみたいな?
421 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 20:47:32.25 0
キンガ姫の伝説
その昔、ハンガリー王女キンガ姫はポーランド王子と婚約しました。
当時、ポーランドには塩抗がなかったため、キンガ姫は強く念じながら岩塩坑へ婚約指輪を投げ入れました。
すると、王子のもとに向かう途中、井戸からその指輪が現れ、そこから塩があふれたと伝説は伝えています。
それ以来、「聖キンガ」は岩塩鉱山家の守護神になりました。
ポーランドには塩抗がなかったため、キンガ姫は強く念じながら
ハンガリーの岩塩坑へ
という意味?
『婚約が決まったお祝いに、姫は父王からハンガリー領内の岩塩鉱を一つもらいました。
が、姫は婚約が気に入らないので、婚約指輪をその岩塩鉱に投げ捨ててしまいました。
それでも婚儀は進み、姫と御付の一行はポーランドに入り、嫁ぎ先へ向かいます。
その旅の途中、ポーランドのある場所で、姫は「ここに井戸を掘りなさい」と言いました。
井戸を掘ってみると、なんと水ではなく塩が湧き出てきました。
そして塩の中から、あのとき投げ捨てた婚約指輪が出てきたのです!』
だからどうしたって言いたくなるのを抑えて、へー、と相槌うっときゃそれでいい、そんなお話
聖人譚だからね
そんなもんだ
24 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN 0
「水を飲む人は、井戸を掘った人の恩を忘れない。」
─── 1972年、周恩来 『毛沢東革命故事』
日中国交正常化交渉際に
「我々は近代化を実現し、水道水を飲んでおります。」
─── 中国政府高官
井戸を掘ったと自負する日本企業に対して
47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/25 22:55:25 ID:LhdntmmP0
イタリア統一の英雄、ガリバルディは赤シャツ隊を率いてシチリア島を占領
そのままイタリア統一の為にイタリア半島に進軍する予定であった
しかしシチリアのマフィア達はガリバルディの目的を快く思っていなかったため一計を案じた
ガリバルディとその兵士達はマフィアに宴会に呼ばれて訪ねていった
そこには燻製ハム、子羊の丸焼き、トリュフ詰めの鶏等豪勢な料理がずらりと並べられていた
この宴会は一週間続けられガリバルディとその兵士達はこれに釣られてシチリアに留まり
その間にイタリア本国で迎撃準備が整っていまいガリバルディは停戦せざるおえなくなった
85 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2013/10/17(木) 17:14:05.61 0
ティムールは遠征先で必ず当地の学者達を連れて来させ、こう尋ねた。
「そちは余を正しいと思うか。それとも余を悪党と思うか。」
正しいと答えても、その反対を口にしても、ティムールは死刑を命じた。
彼の軍勢がホジャの住む町に来た時、とうとうホジャは彼の前に呼び出され、
同じ質問を受けた。征服者を前に彼は答えた。
「あんたは正しくも悪くもない。あんたはアッラーの御心のままに振舞っているだけで、
つまり我々が長い間手前勝手なことばかりやっていたため、神が我々を懲らしめて
やろうと思われたのですわい。あんたは神から遣わされた災難というわけじゃて。」
これを聞いたティムールは大笑いして、ホジャを許したという。
429 :
世界@名無史さん:2013/10/28(月) 03:05:18.38 0
ティベリウスはアウグストゥスと仲が悪く、よく意見を対立させていたが
元老院議員たちがアウグストゥスをあざけるとティベリウスは激高して擁護した
また、アウグストゥスの意見をよく理解するためその著書を読みつくし彼の思想を理解しようとしていたがゆえに意見を言い合うことができたのだ
逆に理解しようとしなかった元老院や他の有力者はただアウグストゥスに操られるだけだった
430 :
世界@名無史さん:2013/11/02(土) 14:09:37.52 0
元ソビエト外相のシュワルナゼ氏が故国グルジアで政治的に窮地に立ったとき、
ドイツが救いの手を申し出たがシュワルナゼ氏が固辞したというのは聞いたことがある。
431 :
世界@名無史さん:2013/11/02(土) 14:22:26.10 O
ナチス∬武装親衛隊には、グルジア人義勇兵部隊や英国人義勇兵部隊もあったからな
(^。^)ソレニシテモどちらも英語では『ジョージアン』ナンダよな
432 :
世界@名無史さん:2013/11/02(土) 17:58:25.13 O
(・o・)英国自由軍団(BFC≠Bトルズ・ファン・クラブ)は、『セントジョージ部隊』だけどね
セント・ジョージ(ゲオルギオス)はイングランドの守護聖人で、グルジアの守護聖人でもあるからな
434 :
世界@名無史さん:2013/11/03(日) 01:00:06.26 O
第二次大戦にイタリアが参戦した1940年6月、
リビア、トリポリでありえない事件が起こった。
英軍機の空襲の直後、専用機で視察に訪れた
イタリア空軍大臣イタロ・バルボ元帥を
防空巡洋艦サン・ジョルジオが
対空砲火で撃墜してしまったのである!
ヤハリ(^_^;)セント・ジョージは英国の守護聖人だったね
>>389 それ同じような話しでオランダ王女バージョンもあったよな
場所はカナダの病室
第二王女か第三王女で、前女王(ベアトリス)の妹だった気が
412が笑えなくなる時代が来るとは思わなかったな。
機械で作ってる手作り風ハンバーグのネーミングがダメとか、
中年男性コックがおふくろの味を作ってたら偽装だのアウトだのと・・・
ウィリアム・ヘンリー・ハリソンは第9代アメリカ合衆国大統領に選出され就任演説を行った
その日はとても寒く強い風が吹いていたがハリソンは二時間にも及ぶ演説を敢行
これによって肺炎をこじらせ一ヶ月後に死去した
就任期間は31日。業績は就任演説のみであった
438 :
世界@名無史さん:2013/12/20(金) 17:20:50.05 0
日本からしたら反日が減るのはいい話やで
国内で銃を使った殺人事件が起きるのがいい話か。
書いているのは日本人じゃないんだろうな。
在日乙。
びびっとるのはお前らだけ
オスマントルコ帝国第17代皇帝ムラト4世は大のタバコ嫌いで
禁煙令を出しタバコを規制した
しかしそれで帝国の喫煙者が減る事はなかった
そこで皇帝自ら変装して街を歩き回り喫煙者を見つけては首を跳ねていた
彼の治世は短かったが2、3万の喫煙者が処刑されたという
綱吉臭を感じる・・・
ただ当時は金持ちのためのタバコのため
貧民の麦畑が潰されて庶民が餓えるような時代だったからねぇ
445 :
世界@名無史さん:2013/12/26(木) 19:08:35.35 0
何はともあれ、『西洋古典学事典』を読んでから
書き込むことだね。
西洋古典語典、東洋古典語典というのもあるで
448 :
世界@名無史さん:2014/01/06(月) 11:15:16.17 0
そんな作品は無視しろ。
重要なのは、ただ一つ、
『西洋古典学事典』だけだ!
449 :
世界@名無史さん:2014/01/06(月) 18:05:27.03 0
そんなにすばらしいものなら世界史板住人全員分を調達して1部づつで配ってくれ
450 :
世界@名無史さん:2014/01/08(水) 17:03:53.00 0
やしきたかじんを個人的には好きでも嫌いでもないが、
私の友人でたかじんの人生相談番組に出て
「離婚して子供がいて今職がない」といったら、
たかじんが即座に
「はい、じゃ明日からうちの会社就職。決定。相談終わり!」と、
職を得て今に至る人がいる。大恩人の死に大泣きしてる。
ちょwwwやしきたかんじ他界wwwwww
そこまで委員会どうすだwwww
【パキスタン】 14歳の少年が自爆犯を学校前で食い止め死亡
死亡したのは北部カイバル・パクトゥンクワ州の学校に通う中学生のエティザズ・ハッサン・バンガシュ君。
親類や目撃者の話では、6日の登校途中、学校の制服を着た男に学校の場所を尋ねられ、不審を抱いたという。
ほかの生徒たちがひるむ中、エティザズ君は男を阻止しようと石などを投げ、それでも校門に近付こうとする男につかみかかった。
エティザズ君につかまれた男がとっさに爆弾を爆発させ、2人とも現場で死亡。ほかに2人が負傷したという。
http://www.cnn.co.jp/world/35042349.html
1783年にアリューシャンに漂流した大黒屋光太夫とその一行は1789年にイルクーツクに到着したのだが、
光太夫達の帰国願はロシア当局に握りつぶされ、彼らは当地に留め置かれていた。光太夫は
女帝エカチェリーナ2世に直接謁見して帰国を願い出るため、帝都サンクト・ペテルブルクへ向かった。
女帝に謁見後のある日、光太夫が皇太子に呼ばれて宮殿に参上したときのこと。
帰りの馬車を手配したがなかなか来なかったので皇太子自らの馬車を光太夫に使用させた。
光太夫は固辞したものの、皇太子が是非にと強く勧められたので乗って帰った。
皇太子が行幸に出ると勘違いした皇太子の妻子や宮中の人は、光太夫が乗っているのを見て
仰天して肝をつぶし、口々に理由を尋ねた。
光太夫に同行して一緒に帝都に来ていたラックスマンはこれを聞いて、「いくら外国の人だからって
こんなことはしちゃだめだ」といましめてから大笑いした。
異国とはいえ、庶民の身でありながら皇族の馬車に乗ったことで光太夫は胸がおどり、
その日は一晩中眠れなかった。
454 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 04:04:15.72 0
またある日、光太夫はペテルブルクで知り合った人から、とある遊郭を案内された。
別の日、王宮に呼ばれた帰り道に光太夫がその遊郭の前を通った際、泊まっていくように強く勧められた。
珍しい客ということで娼婦達はみな様々にもてなしてきて、誰が光太夫の相手をするかで相争った。
名高い娼婦5人の中からくじで選ぶことになったが、結局その5人全員で光太夫を囲んで一晩中語り明かした。
翌朝に帰ろうとしたとき、娼婦がどうしてもといって絹や銀、旅の必需品などを光太夫におくった。
その後も光太夫は遊郭へ行くたびに色々な贈り物を得ていたので、友人のラックスマンに
「なんとまあ光太夫は果報者だな。これからは娼婦に物をもらう生活にしろよw」と笑われた。
455 :
世界@名無史さん:2014/01/12(日) 10:26:56.40 0
457 :
世界@名無史さん:2014/01/21(火) 16:48:13.21 0
ナポレオンが皇帝の位に昇った時、臣たちは彼が政治に巧みであることに感心しながら問うた。
「恐れ多くも陛下は政治をどなたに御学びになられたのですか?」
「朕は母の台所に学んだ。」
またナポレオンは次のようなことも言った。
「我は断言する。子供の将来はまったくその母に繋がっているのだと。」
独立戦争と明治維新が同じような自由革命だという点だな。
独立戦争と明治維新が同じような自由革命だという点だな。
日曜の牧師のお説教があまりに退屈だったので、サミュエル・クレメンズ少年は、その牧師に言った
「今、あんたが言った言葉は全部、僕の持ってる本に載ってるよ」
牧師は驚く
「そんなわけはないでしょう、ウソを言ってはいけません」
「ウソなもんか。今度、その本を見せてやるよ」
サミュエル君が持ってきた本は……辞書だった
このサミュエル・クレメンズこそ、後のマーク・トウェインである
なるほど、機知のある少年だったわけだ
ある時ムハンマドは「〜〜の日に山を動かす」と宣言した。
当日になると大勢の見物客が集まった。
ムハンマドは大声をあげて山に命令するが、いくら呼びかけても
山は動かない。すると、
「どうやら山はこっちに来たくないらしい。私の方から行こう」
と自分から歩いていった。
464 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 08:12:36.14 O
「韓国のパパはみんなこうして娘への愛を表現するんだよ」
◆韓国人牧師が施設の少女に性的暴行、「韓国のパパはみんな性犯罪者?」
「日本が言ってる意味がわかった!」―中国ネットユーザー
台海網の28日付の報道によると、台湾で児童養護施設を運営する韓国人牧師(55)が、
入所する未成年の少女にわいせつ行為をしたなどとして逮捕された。
報道によると、男は児童養護施設で家庭環境が複雑な18歳未満の子どもたちを預かっており、
狙った少女に「ほかの子が寝てから私の部屋に来てお祈りをしなさい」と指示。
部屋に来た少女にキスをしたり、一緒に風呂に入ったりした後、性行為に及んでいたという。
少女は追い出されることが心配で、耐えるしかなかったと話している。
男は少女に「韓国のパパはみんなこうして娘への愛を表現するんだよ」と言い含めていた。
このニュースが伝わると中国のインターネット上では次々と、
男や韓国に対する批判的な声が上がった。一部を抜き出してみる。
新華経済 2014年01月30日
http://www.xinhua.jp/rss/372512/ http://www.xinhua.jp/rss/372512/2/
465 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 12:34:17.42 O
「どうりで日本人が“韓国は強姦大国だ”っていうわけだ」
「韓国で最近問題起こすのはみんな宗教がらみのヤツ」
「中国ではこういうのを“幼女売春罪”と呼ぶ」
「台湾の“民主社会”ってのはこういう邪教を招き寄せる」
「韓国のパパはみんな娘にこうしてる?」
「韓国のパパはみんな性犯罪者ってことか!」
「こんなヤツが牧師?神の前で罪を犯して恐れない?
神の言葉を守らないで牧師なんて、恥知らずだ」
「牧師の仮面をかぶった性犯罪者。人間のクズ」
「韓国人ってブタやイヌ以下なのか?」
「いいんじゃないスムニダ もっとがんばれスムニダ」
新華経済 2014年01月30日
http://www.xinhua.jp/rss/372512/ http://www.xinhua.jp/rss/372512/2/
466 :
世界@名無史さん:2014/01/31(金) 15:02:08.38 0
前漢哀帝はホモで美少年と一緒に寝てたんだが
あるとき哀帝が起きたら袖の上に美少年が寝てた。
景帝は寝かせておいてやろうと袖を切って起きた。ホモを意味する断袖の故事だ。
マホメットは猫が好きだった。
それであるとき出かける時に服を探すと猫が服の袖の上で寝ていた。
マホメットは猫を起こさないように袖を切って、その服を着て出かけた。
同じようなことを考えるのな
>>466 その二つのエピソードを混ぜこぜにしたのを、何かの本で読んだ記憶があるけど
468 :
世界@名無史さん:2014/02/01(土) 23:21:36.43 0
>>467 マホメットの服の袖の上で哀帝が寝ていたとか?
フリードリヒ大王にありそう
「この知恵の輪が解けますか?」と訊いたアレクサンドロス三世は
彼を真っ二つにしてこういった「たしかに解いた」と。
ムハンマドが一番若く一番寵愛した幼妻が砂漠ではぐれてしまった
そこにたまたま若い兵士が一人やってきて、彼女をムハンマドの元へ送り届けてくれた
しかし砂漠で一晩男と2人きりですごしたため、周りの人々は若い男と女が二人きりで一晩過ごしたんだから不義があったに決まっていると言って、幼妻を批判した
ムハンマドも不義があっただろうなと思っていたが、元々他の妻はみな未亡人だったりするなどこだわりの薄いことだったため、
貞操に関してはそこまで深刻に考えていなかった
けれども当時のアラブ人たちの慣習ではそのような不義があった妻は石打ちの刑で死刑にすることになっていた
彼の周りの人々は本気で彼女を絶対に死刑にするよう求めてきたため、ムハンマドはようやくことの深刻さを理解した
しかも幼妻はイスラム勢力の有力者の娘であり政治的な意味ももってしまっていた
不義があったとして死刑にしたがる派閥と不義はなかったかあったとしても死刑はだめだとする派閥で酷い論争になった
不義があったかどうかは本人たちの証言以外に証拠はなにもなく、どちらが正しいか判明するわけがなかった
このままでは内紛が悪化すると懸念したムハンマドはこれを解決することにした。
ただ一言「神のお告げがありました。神様曰く不義はなかったそうです」と言ったのだ
神様万能w
まさに全知で全能の神だ
そら預言者かたってる奴を信じる宗教としてやってきたんだから
どんだけ理不尽でも予言やで、って言われたら否定できんよなぁ
ま、シーア派のシンボルになるアリーさんは余裕で浮気糾弾し続けましたけどw
474 :
世界@名無史さん:2014/02/04(火) 21:14:49.64 O
ネトウヨは韓国起源
ゲーテはかく語る。
「我が家は古い家で、薄暗い部屋が幾間もあり、まるで子供を怖がらせるために作られたように思える。
それに私達は一人づつ別々に寝なければならなかったから尚更怖ろしかった。とても一人では眠って
いられなかったので、夜にそっと寝台をぬけ出して召し使いの部屋に行こうとした時、
父はあらかじめこの事を予期したと見え、寝衣を逆さまに着て私達を強く叱ろうと思って妙な風をし、
通路を塞ぎながら私達を見るや否や、恐ろしい声で叱り飛ばしたから、私達はこわごわとまた元の部屋に
逃げ帰ったものの、どうも暗い部屋に一人で寝ているのはまったく恐くて堪らなかった。
ところで我が母は始終愉快な晴々しい面持ちで人を感化するのに妙を得ていた。だから私達が恐がる念を
止めるためにも一策を案じ出して、報賞することで甘く効を奏したのだ。時はまさに桃果の盛りだったのを
良い機会として、私達がもし夜恐がる念に打ち克った時には朝方に桃果をたくさん御褒美にくれたのだ。
ところがこの法が奇効を奏して母子ともに満足する結果となったのだ。」
ゲーテはこのような話をしながらさらに言葉を添えて次のように言った。
「我がやさしき母の一言は哲学者の百の議論よりも私達に安心を与えたのである。」
ゲーテの文章を
>>475の目につくような形で翻訳、発表できるぐらいだから、翻訳者は著名な人に違いないと思うんだけど、なんでこんな下手な日本語にするんだろう?
戦前の文豪が訳した物を仮名遣いだけ直したとかなんじゃね?しらんけど。
意味が通じたら負け?
後藤象二郎は若い頃は相撲をやっており怪力でもあった。
ある時人力車に乗って帰る途中別の人力車と衝突し、車夫同士が喧嘩をはじめた。
後藤は相手の車夫の身体をひっつかむと、そのまま近くの交番に投げ込んだ。
机で仕事をしていた駐在は仰天して「交番に人を投げ込むとは何事か」と怒った。
すると「俺は後藤象二郎だ。往来の邪魔してるやつがいたので届けに来た」
とそのまま車夫に命じて走り去った。
481 :
475:2014/02/11(火) 19:50:03.93 0
>>477 近代デジタルライブラリーで見つけた明治の本が元ネタだから
あとは俺の文章が下手糞だから
483 :
475:2014/02/11(火) 22:23:08.05 0
>>482 いやいやそんな謝るようなことじゃないから気にしないでくれ。
ある日ジョージ・ワシントンが米軍を指揮した功を彼の母メアリーの前で盛んに称賛した人がいた。
彼女はこれに答えてこう言った。
「皆様それはあまりに褒め過ぎた話でおべっかに近いものです。
しかし幸いにもジョージは私の教訓を忘れないでしょうから、いくら褒められても誇るようなことはないでしょう。」
マリア・レティツィア・ボナパルトはナポレオンの母であり貧しいながらも女手一つで5男3女を育て上げた烈女である
ナポレオンが皇帝となった後、皇太后となり富と名誉を与えられても
ほかの家族はナポレオンを含め贅多な生活を送る中、本人は財に手をつけず質素な生活を続けていた
ナポレオンがエルバ島に流罪となり皆没落した時、それまでナポレオンから与えられた富に初めて手をつけ惜しみなく与えたという
脇汗のにおいに至高の価値を見出した永楽帝のために臣下が、女官に厚着を常にさせて汗をかかせるようにし
いいにおいの女官を寝所に呼べるようにしたという
ギャラリーフェイクって漫画でそんなフェチの話があったな
ごくまれに汗腺からの匂いに優れる体質のものがいるとか
臭い脇にしかお目にかかったことがないのだが、いい臭いの脇なんてあるのだろうか
レティッツィアは勿論だが、ポーリーヌも他の兄弟と違ってナポレオン最後の野望を支援してるんだよな
美人で兄想いとか羨ましすぎ(ナポ本人はチーズ臭フェチだったが)
本来、人間の脇や股間からは、異性をひきつけるフェロモン的な匂いの物質が分泌される
第二次性徴で脇毛や陰毛がなぜ生えるのか? その匂いをこもらせ、定着させるためだ
が、進化の過程で、人間の嗅覚は哺乳類の中でも最低レベルにまで退化してしまい、繁殖も
嗅覚に頼らなくなってしまった
いい匂いの脇ってのは、いわば、先祖返りってところだな
490 :
世界@名無史さん:2014/02/14(金) 21:54:38.87 0
つ楊貴妃
ワキガフェチが先祖返りで、いい匂いのワキは個体差の範疇って
気もするが
ベトナムが、韓国から「最貧国」呼ばわりされて
「我々はフランス・アメリカ・中国と戦い、独立したが賠償を要求した事はない。
多額の賠償金と援助でぬくぬくと成長した韓国に言われる筋合いは無い。
ベトナム人と韓国人の民度と国家自尊心の差だ。」
493 :
世界@名無史さん:2014/02/18(火) 18:50:39.66 P
国際連盟が創設された時、会議では各国代表の演説が延々と続くので
皆居眠りするのが普通だった。
その中でスウェーデン代表だけはいつも真面目に演説を聞いていたので
ある時イタリア代表からメモが回ってきた。
「君は確実に不眠症にかかってるから医者に見てもらいなさい」
494 :
世界@名無史さん:2014/02/26(水) 13:12:06.68 0
福沢諭吉に会いに来た人が掃除をしていた門番に「福沢先生はいるか」と尊大な口調で訊いたところ門番は「いらっしゃいます」と言って邸の中に案内した。
福沢に会いに来た男は部屋に通された後、少しの時間待たされる。
そして、憧れの福沢先生といよいよ対面した男は穴があったら入りたい心境にまで羞恥心に駆り立てられることになる。
何故なら最初にあった門番が(以下略
>>495 目下のものに対して横柄な態度とる奴っているよねー
人間性が醜いわ
時代を考えろ
その時代はそういうものだ
498 :
世界@名無史さん:2014/03/02(日) 16:43:03.68 0
499 :
世界@名無史さん:2014/03/03(月) 16:21:39.64 0
>>495 学園漫画にそういうのしばしばあるな。
用務員や警備員が実は理事長だとか。
絶賛連載中のアッララララーイな歴史漫画でもつい最近そんなシーンあったな。
アテネの重鎮政治家を訪れたときに。主人公はすぐに気付いちゃったけど。
501 :
世界@名無史さん:2014/03/04(火) 09:10:02.10 0
ジャンヌ・ダルクがシャルル7世を見つけられたように?
アレクサンドロス大王の如く、曹操の如く
503 :
世界@名無史さん:2014/03/05(水) 11:24:35.66 0
ナポレオンがオーソンヌにいた時、その住まいの近くに理髪店があった。
同僚の士官たちはしばしばその店に行ったが、その理由は店に艶妖な美人がいたからである。
ところが、ナポレオンは理髪の用事以外はまったくその店に行かず、軍務の余暇は一日中一室に
閉じこもって読書にふけり、婦人に関心を示さなかった。その為、彼女はナポレオンを頑迷だと忌み嫌った。
後年、ナポレオンは第一統領となり、大軍を率いてマレンゴに進んだ時、
たまたまオーソンヌを過ぎた。彼は昔を懐かしんで件の理髪店に行き、婦人に問うた。
「あなたは私を知っているだろうか。私はボナパルトだ」
婦人はとても驚いた。
「はい、憶えています。当時のあなたはいつも一室に籠って、私と語るのを嫌って避けていました」
ナポレオンは微笑して言った。
「もし当時の私があなたの言葉に応じていたとしたら、今日の地位を占めることはなかっただろう」
505 :
世界@名無史さん:2014/03/23(日) 07:12:44.04 0
前漢の李広には程不識というライバルとして比べられた同僚がいた。
李広が弓の名手、悲劇の名将として有名なのに対して程不識はほとんど知られてないけど、良い対称関係をしてる。
厳格な程不識の軍は規律が厳しく、細かい軍律で兵士たちは縛られていた。
しかし規律と統制がとれた程不識の軍は当然強かった。
対して大らかな性格の李広軍の規律は緩やかで、兵士たちは自由にのびのびとしていた。
しかし李広は兵士を大切にして苦難をともにしたから、李広軍の結束は強く、やはり戦いではとても強かった。
程不識は李広についてこう言った。
「李広の軍は軍律が緩いから、匈奴の奇襲を受けたらひとたまりもないが、兵士たちは彼の為に争って死ぬだろう
対して私の軍は厳しいが、だからこそ匈奴の攻撃を受けても動じないのだ」
506 :
世界@名無史さん:2014/03/23(日) 19:21:26.90 0
507 :
世界@名無史さん:2014/03/26(水) 23:39:56.93 O
有名な杉原千畝や樋口季一郎だけでなく、東京裁判で処刑されたA級戦犯は全員がシンドラーです。
ユダヤ系難民の船が英国や米国で湾岸警備隊の武力行使で接岸拒否され送り返された結果として
多くの人々が収容所送りとなり犠牲となった事例とは違い、
彼らは欧州から遙かな道のりを経て逃れてくるユダヤの人達を人道的見地から庇う施策を閣議決定し
同盟関係にあるナチス・ヒトラー側からの再三にわたる返還要求を断り続けて
日本国内経由と上海ほかで累計2万人以上のユダヤ人達を匿い救った英雄です。
靖国神社に祀られている彼らについて意見は様々有りますが
この歴史事実を消し去って否定することは誰にも出来ません。
靖国と日本を批判する上で幅広く共感を得る為に毎度ナチスとヒトラーを性懲りもなく持ち出して
声高に叫び続ける韓国と中国は先ずその間抜けな歴史認識を改める必要性があり
彼らはこの上なく無知で馬鹿丸出しの人達なんだと言わざるを得ない話でもあります。
508 :
世界@名無史さん:2014/04/03(木) 20:27:32.76 0
117 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 10:35:16 0
ウィトゲンシュタインと投資の話
ウィトゲンシュタインの親父は国有数の鉄鋼王だったが、
世紀末のウィーンの時代に自分の資産のほとんどをアメリカに投資した。
その結果戦後の超インフレ期になっても、一族は破産することなく暮らして行けた
そのごウィトゲンシュタインに大きな影響を与えたイタリア人の経済学者、ピエロ・スラッファは
「自分は100%値上がりするという確証がないものにしか投資しない」と言っていた
そんな彼が、思い立って投資を行ったのが
1945年、終戦した直後の日本だった
1967年頃、ソ連の彫刻家ヴィクトール・ゴンチャロフは、モスクワの床屋で帽子掛けに使われていた
大理石像を見て仰天した
それは、フランスのウードンという彫刻家の作品のディアナ像で、ナチス・ドイツがフランスを降伏させた
後に接収されてドレスデン美術館にあったものを、さらにソ連が接収しが、接収と輸送のドサクサで
行方不明となっていた(おそらく関係者の誰かが横領・売却してしまった)ものだった
その時点での所有者の床屋はその価値をわかっていなかったので、ゴンチャロフはわずか3ルーブル
払うだけでそれを購入、貴重な美術品を保護することができた
510 :
世界@名無史さん:2014/04/07(月) 19:26:39.11 0
460 :名無し三等兵:2011/12/19(月) 12:47:27.71 ID:???
ポーランド第2軍団第22輸送中隊のシンボルマークは"砲弾を運ぶクマ"である
その由来は第二次世界大戦中、
イランで拾われたクマを引き取り部隊に"正式に"編入させた事から始まる
そのクマはヴォイテクと名付けられ他の兵士達と同様にテントで寝たり、
トラックの荷台に乗って移動したり、ビールやタバコを楽しんだりした
ポーランド第2軍団が激戦地である南イタリアのモンテ・カッシーノに投入された時、
ヴォイテクも自らの"任務"を忠実に遂行して戦った
持ち前の怪力を活かして補給所から前線までを往復し、
重い砲弾や弾薬箱を一人で輸送して大活躍したのである
戦後、ヴォイテクは1947年に"除隊"して息を引き取る1961年まで
動物園に勤務する事になったのだが、なぜか見物客の中にタバコを檻に投げ入れる者が続出した
もちろん彼らはヴォイテクの好物を知っていたかつての戦友たちであった事は言うまでもない
あのクマかわいいよな
512 :
世界@名無史さん:2014/04/08(火) 13:09:52.27 0
♪僕はクマ、クマ
江戸時代の儒学者・薬学者・教育思想家として博識だった貝原益軒は、かつて乗合船の中に一人の書生といっしょになった。
書生は才力に誇っていたとみえ、とうとうと古今の学芸を論じた。
が、益軒は一言も加えず、静かに傾聴するばかりだった。
そのうちに船は岸に泊した。
船中の客は別れるのに臨んで姓名を告げるのを例としていた。
その時書生は初めて自分が論説していた相手が益軒だったことを知り、
この一代の博識者を前にして先刻の無礼を謝した。
あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいた。
「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」
男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていた。
ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知った。
そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦さまを罵ってやることにした。
「お釈迦の野郎、きっと、俺に悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。
その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」
そして、その日が来た。
男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、酷い言葉を投げかけた。
お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられた。
弟子たちは悔しい気持ちで、
「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」
とお釈迦さまに尋ねた。
それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていた。
男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまった。
どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのだ。
その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男に尋ねた。
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか?」
こう聞かれた男は、突っぱねるように言った。
「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな!」
男はそう答えてから直ぐに、
「あっ」
と気が付きました。
お釈迦さまは静かにこう続けられた。
「そうだよ。今、あなたは 私のことを酷く罵った。でも、私はその罵りを少しも受け取らなかった。
だから、あなたが言ったことは全て、あなたが受け取ることになるんだよ」
イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。
律法では石打ちの死刑に値する。
イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。
これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。
また、イエスも女の罪を許した。
そのとき突然群衆の端から一個の石が飛んできてこの哀れな女の頬に、ビシっと命中した。
キリストは石を投げた人物の方向を見つめると、大声で叫んだ。
「ちょっと、ママ、頼むから止めてよ!」
マリアは言った。
「え?だって、おまえを身籠もったアレは姦淫ではなくて神の恩寵なんでしょ?」
フランス革命前夜、若い侯爵が王妃に口笛を吹いたかどで不敬罪に問われた。
通常なら鞭打ち数回の上に禁固数年であったが、弁護により精神異常ということにされる。
それならばと専門の施設に入れられそうになるが、流石は貴族、身内が手を回して施設を新設し
中にある書庫と向かい合うことが許された。
元々古代ギリシャ・ローマの研究を趣味としていた侯爵は書籍にのめり込むことに。
それから革命が起きて身内も国外や泉下の人となるが、名目上は「施設」であったために手続き
上は国に管理されることになり、侯爵の生活費は国が負担し続けた。
そして「口笛事件」から50年後、間違っても不敬罪に問われないようにと、侯爵は完成した本
に献辞をつけた。
「フランス及びナヴァラの王、ルイ16世陛下に捧ぐ」
以下、これを見た書店主とのやり取り。
「ルイ16世陛下の思い出に、となさるべきかと存じますが……」
「なんと、崩御されたのか!それではルイ17世陛下宛てで」
「17世も亡くなられました」
「おお、すると今の国王陛下はどなた様だね?」
「ルイ・フィリップと申されます」
「その方は16世陛下のお孫様かな?」
こんな感じで改めて侯爵は「外」の世界の情報を聞き、楽しんだ。
そして改めて公判が行われ、釈放。
老侯爵は特に悔やむこともなく、残りの人生を自著の補訂に奉げたという。
?だれだろう
マルキ・ド・サド?
520 :
世界@名無史さん:2014/04/18(金) 20:09:56.61 0
フランクリン・ルーズベルトは愛人に看取られて亡くなったという
その愛人を手引きしたのがルーズベルトの娘だったとか
エレノア夫人「あの人があんたに頼んだのかい?」
娘「お母様、私には夫と子供がいます。私はお父様の孤独を埋めようとしましたが、
ダメでした。私ではダメだったんです。でも彼女はお父様のことを大切にしてくれているし、
お父様も彼女に依存していました。二人は愛し合っていました。お父様のことを考えると、
私にはこれがベストな選択だと思えたのです」
これにはさすがのエレノア夫人も「ああ、そうかい。悪かったねぇ・・・」と答えるしかなかった
523 :
世界@名無史さん:2014/04/29(火) 10:59:41.25 0
>>517 もしナポレオン皇帝時代だったらどんな悲惨なことになっていたのだろう?
28. 名前:ゴンベイさん 投稿日: 2013年08月08日 21:50 ID: bUIfSpN60
ユージン・サーナンの自伝読んだら、ジェミニ計画の宇宙遊泳何回目かでやっぱり膨らんでハッチから入りにくかったらしい。
屈強な宇宙飛行士2人がかりで「ギリギリ」戻れた。
地球に戻ってエド・ホワイトに聞いたら「うん、そうよ」って。
「なんで報告しねえんだよ!」と言ったら「戦闘機乗りが弱音吐けるかバカ」と返されたそうで。
同じ理由で「宇宙酔い」もアポロ9号まで誰も報告しなかった。
さすがのネイビー魂
525 :
世界@名無史さん:2014/05/26(月) 19:30:24.83 0
天智2年(663年)白村江の戦いの戦いで大敗を喫した倭国・百済連合軍
その敗残兵の中に大伴部博麻(おおともべのはかま)という倭国兵がいた
博麻は捕虜として唐の長安に連行されることになる
ところが遠方ゆえの事なのか交通事情が整っていない古代ゆえの事なのか
捕虜としては各段に扱いが緩く長安を比較的自由に出歩くことができたようだ
そんな時
「唐が倭国に攻め込む」
との噂を聞くことになる。
博麻は居てもたってもいられず同じく捕虜となっていた
土師連富杼、氷連老、筑紫君薩夜麻、弓削連元宝児の四人に対して
「私を奴隷として売りその金で帰ってこのことを伝えてほしい」
と提案
四人は博麻の言う通りにし旅費を調達して倭国へ向かい
天智10年(671年)に対馬に到着
唐が攻め込んでくるかもしれないという情報は大宰府、そして朝廷へと伝えられた
博麻はその後も唐にとどまることになるが
持統4年(690)、知人の唐人に誘われ倭国に帰ることとなった
30年近くもの年月を経て帰ってきた博麻を
当時の朝廷も讃え勅語や階位、土地など褒美を与えたという
>>526 正に憂国の士、素晴らしい
それにしても、古代というのに国民意識がしっかりしている事に驚き
やはり島国だからかな?
国民意識かもしれないが単に主君にたいする忠誠だったり
故郷にのこした家族のことを思ってのことかもしれないけどね
しかし朝廷がそれをたたえたのはすごい
30ねんだと間違いなく政府要人が入れ替わってるので
代々伝えたか記録がきちんと残ってるのか
平均的な成人になってからの寿命は50か60くらいだろうから
40代で政権の機密にかかわっても70代なので当時の事情知ってる人はみんな死んでるだろう
529 :
世界@名無史さん:2014/06/17(火) 03:43:51.74 0
>>94 「おまえが言うな」の代表例みたいな話だな
530 :
世界@名無史さん:2014/06/17(火) 03:55:22.24 0
>108
化石レスですまん
>偽者の讖緯書を大量に書かせ、世の中にばらまかせたのである。
>その結果、どれが「本物」か分からなくなり、世間が飽きて流行は収束した。
>「今後、博打で負けた者は勝った者を訴えれば全額取り戻せることとする。」
>こうして、藩内では博打は流行らなくなった。
すげえ
頭いいなあ
もう善悪も理非も抜きで結果だけを求める超合理主義
>>11 スピルバーグだかも会社のセキュリティを徹底し、IDカードを持たないものは絶対に入れぬようにしたら
自分が忘れてガードマンに止められたとかやってたな
>>100 日本世界一優れてると思ってたんだな・・・
なんか中国が上とか思ってそうだし蘭学とかのほうが上とも思ってそうな気もするが・・・
>>532 イメージだけど、日本人は郷に入っては郷に従えの法則で、場の空気を重視するからじゃないかな
外国に行った人は謙虚に学ぶけど、
日本に来た外国人には「礼儀作法を知らない奴」とか何とかに始まり
こっちの文化に合わせろっていう態度をとるかもしれない
神国に夷狄を云々というような攘夷論を聞けば、そう判断するだろうね。
>533
アジア方面にいくと日本語で怒鳴り散らしてたりするけどね
>>100 一つには武士が多用した漢文的表現方法には、異民族を蔑視する言い回しが含まれていたのと
もう一つは清朝の官僚が中華思想抜きにしても傲慢だった(目的はワイロ)のが日本の話とごっちゃにされたのがあるだろう
ペリーには情報があまりに少なく、江戸で最高級の懐石で歓待された時も
最後まで肉が出ないことを冷遇と勘違いしていた
537 :
世界@名無史さん:2014/07/07(月) 07:12:22.04 0
>>501 本当のジャンヌはシャルルに肉接して取り立てられたんじゃないの?
538 :
世界@名無史さん:2014/07/07(月) 08:21:31.08 0
>>537 他のスレで説明してもらっていたろう。AV脳のおっさん。
三十年戦争のさなかのこと
ティリー将軍は、ローテンブルクの街が降伏するまで、さんざん手こずらせてくれたことに腹を立てていた
市の参事たちは全員処刑してやる、それから街を焼き払ってやると宣告した
ローテンブルクの元市長ヌッシュが、ティリーの機嫌をとり、せめて町だけでも救おうとして接待する
その時にでっかい3リットル以上も入るジョッキを出し、そのジョッキいっぱいのワインを自分が一気に飲めたら
街を焼くのは撤回してくれませんかと頼み込んだ
どうせできないだろうと思ったティリーはまあいいだろうとやらせてみた
ヌッシュはみごとにワインを飲みほした
街を救おうという元市長の心意気と飲みっぷりに感心したのか、ティリーは街も、参事たちの命も助けてやった
ヌッシュはぶっ倒れて眠ったが、命に別状はなく、その後天寿を全うしたらしい
落語なら、そんなに飲めるかどうか自信なかったので、直前に裏で試しに同じ量を飲んでいた、ってオチがつくのに
「試し酒」って奴だな、元ネタはイギリスとか中国とか諸説あるらしい
544 :
世界@名無史さん:2014/09/02(火) 19:41:57.52 0
Mirror紙www 学問板にそんなん持ってくんなよ
546 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 21:53:18.50 0
鎧を着た聖職者と言われたティリーがそんな程度で皆殺し令とかだすわけないだろ
作り話はもっと人物調べて作れよ
>>546 話の内容がフィクションか史実かはともかくとして、ローテンブルクという都市でそのように
伝えられていることは事実だ
その都市には、その場面を再現する祭りや仕掛け時計もある
「ローテンブルク 一気飲み」でググってみ?
あと、ティリーがしようとしたのは、「皆殺し」ではなく、参事の処刑と、町を焼くこと(住人は
その前に退去することができる)だ
548 :
世界@名無史さん:2014/09/06(土) 21:54:06.99 0
それから街を焼き払ってやる、の時点でお笑い話
信じてるやつはティリ知ってる歴オタにはいないだろ
暦オタならむしろマクデブルクからみてありうるとおもうんでないか?
まぁマグデブルクから発想をえたプロパガンダの可能性はあるだろうけど
参事の処刑も放火もふつうにありうるけどなぁ
もしかして釣り?
暦
551 :
世界@名無史さん:2014/09/11(木) 20:38:00.27 0
552 :
世界@名無史さん:2014/09/11(木) 20:40:19.08 0
西洋語って数の数え方がめちゃくちゃだからな
なぜあんな理不尽な数え方するんだ
西洋人は改善しようと思わないんだろうか
553 :
世界@名無史さん:2014/09/11(木) 21:05:17.66 0
俺の想像なんだが、英語の数詞の12と13との間に規則の境があるのは、
歴史上、数詞を取り込んだときの原英語か、取り込んだ言語かが12進法だった
のではないか、と思ってる。
12という数は、2、3、4、6で割り切れて、扱いやすいからね
古代の、算数を学んでいない人でも、物が12個、あるいはその倍数あれば、4人で公平に分けたり、
1/3を取り分けたりすることが比較的容易だ
むしろ合理性を考えたら12進法に利があると思うが……。
10進法のメリットは指の本数と同じというわかりやすさ。
556 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 15:00:38.66 0
合理性を考えたら最も合理的なのは16進数
2進法で少数を表せるのはひとつの利点だけど、それ以外に良い所ある?>16進法
558 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 17:47:09.89 O
>>553 古代ギリシャで
有理数=選ばれし優等数→分数は市民の使用すべき数
無理数=規則性の欠片も無い雑種数→小数は奴隷か精々下級市民実務家の使用する数
とされていた名残と聞き及んでいるが…
まあ刀槍弓振り回してる連中が褒美配る際には分数が便利なのは確か
559 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 17:55:32.62 O
(・∀・)小数は度量衡や計測量器具が整わないと揉めるから
棹秤で当事者同士で検定した錘使って取引する場合には分数が便利だった
が本当っぽいけどね
560 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 18:02:42.80 O
(・∀・)寧ろ棹秤が現れて小数が使い物になる様になったのか
それまでは天秤に1/2ずつ振り分けて行くしか無かったからそれでだな失敬失敬
561 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 18:16:14.86 0
>>561 その理屈だと12進数発祥の地は多指症の人が多数派だったと言う事になる。
563 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 19:17:28.43 0
10進数は人間の指がたまたま5本だったという偶然的な要因によるものでしかない
>>556人間の指がたまたま8本だとしてもそれが16進数が合理的である理由にはならない
564 :
世界@名無史さん:2014/09/13(土) 10:04:16.37 O
16は平方数なので基数として筋が良いのは確かインド人に対抗して256進法でも使ってみる?
>>562 ちゃうちゃう、12は片手の指で数えられるだろ。
親指を使って、残り4本指の3つの関節を順に押さえてみるレッツトライ。
レンガを積み重ねるには60進法最強や!
567 :
世界@名無史さん:2014/09/13(土) 11:57:28.55 0
>>565 指の先端まで使えば片手で16まで数えられるね。
片手に荷物を持っていても大丈夫w
両手を使ってようやく10まで数えるなんて原始的な手法じゃよね〜
2進法なら片手で31まで数えられるぞ
>>568 それ理論的にはそうだが小指と薬指が連動してしまうので
そうとう器用な人でないと無理
少なくとも俺は無理だったw
1853年、アメリカのレストラン
ある食材の揚げ物について、「切り方が厚すぎる、作り直せ」と客に言われて頭にきたシェフが、
嫌味のつもりで「そんなに薄いのが好きならこれでどうだ」と、その食材をおもいっきり薄く切って
揚げ、その客に出した
ところが、客が試しに食べてみると、パリパリした触感で、予想外に美味かった
こうして生れたのが、ポテトチップスである
571 :
世界@名無史さん:2014/09/13(土) 20:13:03.99 0
>>549 > 暦オタならむしろマクデブルクからみてありうるとおもうんでないか?
まさにその戦いにおいて、長期攻囲でストレスたまった兵士の暴走を必死で止めようとしてたティリー伯が
どうしてそんなことしようとするのかな暦オタさん
歴史オタにはわからんわ
572 :
世界@名無史さん:2014/09/13(土) 20:17:01.76 O
>>571 馬鹿だなぁ
ティーリー自身が善人説もあやしいがそれはともかく
「敵側にそう見られていた」ことは確実なんだから
「敵側の話としてそういう話がありうる」ことは確実
さらに言うと軍事的に有効なのでそういうことやる可能性もある
>>571 >>546は「鎧を着た聖職者と言われたティリーが」って言うけど、カトリックと新教が血みどろの
争いをしていたこの時代には、「聖職者」こそが最も残酷だったんだぞ
信仰心が強い者ほど、自分が正しいと信じている信仰を否定する信仰を持つ者を異端者として
弾圧することに熱心だった
異端審問や魔女狩りがあれくるったのも、まさにこの時代だ
聖職者に喩えられるほど敬虔なカトリックのティリーだからこそ、逆に、新教側の町を焼き払う
ぐらいのことはする
十分信憑性のある話だよ
信仰心あついなら異端者殺すのは善行なんだよなぁ
893:ID:??? 2012/04/03 00:02
支那戦線での話
ある占領した町で日本軍に対して地元民の反感が強い
「皇軍兵士が略奪、強姦をする」という噂があるのだ
ある日、日本兵数人が支那の中学生を街角でカツアゲしていた
「カネを持ってんだろよこせゴルア!」
「カネ持ってるかここでジャンプしてみろ!」
そこへ別の愛国者の日本兵が通りがかった
「我が皇軍はヤクザではない。ただちにやめよ」
カツアゲの兵士は
「ウリたちの勝手ニダ!お前こそ黙ってろニダ!!」
なんとカツアゲ兵士は、半島で徴兵された兵だったのだ
「お前らは日本人の恥だ!」
愛国兵士は武士の子孫だったのでmっていた木刀でそいつらを叩きのめした
以後、「日本兵の残虐行為」なるものは実は半島出身者のせいだとわかり
それを本物の日本兵が取り締まったことで、名誉は守られ、住民の尊敬を集めた
>>576 日本統治下の朝鮮半島で徴兵制がいつから行われたのかすら知らないおばかさんw
本国に移動した朝鮮人か志願兵かね
どれだけ捻っても対韓ヘイトネタの域を一歩も出ない。
>>576 話の面白さがあればまだ許せるが、何のひねりも趣もない。
1940年、パスツール研究所の門衛をしていた老人に、パリを占領していたドイツ軍が
パスツールの墓を開けろと命令した
老人は毅然として拒否し、自殺した
その老人こそ、1885年に、パスツールによる狂犬病ワクチン接種の初の成功例となり
命を救われたジョセフ・メイステルだった
おお、こういうのを待ってたよ!
恐妻家で有名な中国ネタ
昔、中国の将軍が精鋭部隊を作るとととなり、全国から一騎当千の勇者500人が集められた。
兵営前の広場に整列した勇者達に恐妻家の将軍はこう宣言した。
「これから隊長を決める。自分の女房が怖いものは 列からはずれ、広場の右手にに移動しろ」
ほとんどの勇者は右手に移動してしまったが、列の後方に一人だけ留まった者がいた。
将軍はその男を隊長に任命し、こう尋ねた。
「女房が怖くないのは本当か?」
男は照れくさそうに答えた。
「実は、将軍の話がよく聞こえなかったんです。 で、『他の人とは違う行動をとれ』と
女房に言い渡されていたもので」
???
内助の功?
カミさん最強ということだよ
>>584 はやく始末したかったんじゃないだろうかww
うむ、浮気してて消えてほしかったんだろうな
>>11とかの貴人お忍び話のひとつ。
神聖ローマ皇帝のカール5世は、お供一人を連れて急ぎの旅の道中、日が暮れてしまった。
案内人を探そうと村に入り、一軒家の戸口を叩くと、酔っ払って寝入りばなを起こされた農夫が出てきた。
農夫は道案内を頼まれて、不承不承カンテラに明かりを灯し、頼んだ人に話しかけた。
「お前さんは誰だい」「カールだ」「そうか。おいカール、このカンテラ持っててくれ、用を足してくる」
農夫が戻って来てカンテラを受け取ると、お供が「この方は皇帝陛下であるぞ」と一言。
仰天した農夫は平謝りしたが、皇帝は彼の税と賦役を生涯免除するよう指図したという。
>>581 自死の是非はともかく、この門衛の老人には畏敬の念を抱くな。
>>589 自殺はしたそうだが自宅でだそうだよ
でもドイツへの抗議の自殺ではあるようだ
>>588 カール五世がイスパニヤ王カルロス一世となるべく港に上陸した時に通り掛かりの漁師が言うに
「王様、そのだらし無く開いた口を閉じた方がよろしゅうございますよ。この国のハエは大層無礼ですからねぇ」
後年、カルロス一世が一介の農夫に
「この国では誰が立派な王かね?」と尋ねると
「そりゃ一番はイザベル女王様ですわ。
それに比べて今の王様はまるで駄目だね。暇さえあれば新教徒をやっつける戦争ばかりしてる。
そんな事やらなくても世界で多分一番強い王様なのに、全く困ったバカですわ」
この二つの話は史実かどうかは判らんが、カール五世はこんな小咄が語られるようなユルい一面を併せ持つ性格だったんだろうね。
>>591 ハエの話はハプスブルク関係の本で読んだことあるな
下顎突出の証拠だ
ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると一人の女性が民衆から石を投げつけられていた。
なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、
「この女は罪人だからだ」と答えた。
それを聞いたイエスは民衆にこう言った。
「ならばしかたがない。続けなさい」
そしてこう続けた。
「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの女性に石をぶつけなさい」
民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ
石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。
イエスぶつけるんかいw
宗教ジョークだな
あるユダヤ教徒の男が、神に祈った
「神様、わしの息子がカトリックに改宗してしまいました
どうしたらいいでしょうか?」
すると、ユダヤ教の神は答えた
「実は、わしの息子もなんじゃ」
キリストは間違いなくユダヤ人である
30歳にもなってありもしない妄想を人に説き
あまつさえ母が処女懐胎したと信じていた
キリスト教もキリストが生きてたころはユダヤ教ナザレ派だしな。
>596
少なくともイエスのセリフとして自分は処女懐胎で生まれたと言ってる部分はないはず。
600 :
世界@名無史さん:2014/10/07(火) 21:16:16.58 0
600get
601 :
世界@名無史さん:2014/10/12(日) 20:04:16.74 0
景公が酒宴を催した際に、晏嬰と共に現れた晏嬰の妻を見て、愛娘が晏嬰に嫁ぎたいと願っていた事を思い出して、
妻はずいぶん老けてしまっておるな。
私の愛娘は若くて器量良いなので貰う気は無いか?
と晏嬰に尋ねると、晏嬰は、
今は老けましたが、若くて器量の好い頃もあったのです。
人間は最初にこういう風になる後々のことまで約束いたします。
わたしも一度約束した以上はそむくわけにはまいりません。
と言って断った。
602 :
世界@名無史さん:2014/10/12(日) 22:02:26.49 0
戦国時代の魏の国で西門豹という男が知事に任ぜられた
彼は地元の農民達を集め、どんな苦難があるか聞いた。当時鄴では地元に伝わる迷信で、
毎年河に住む神(河伯)に差し出すため、若い女性と多大な財産を巫女や三老と言われる長老や儀式を管理していた役人に差し出し、
それらを河に沈めるという人身御供の儀式がしきたりとなっていた。これにより集められた金銭は膨大なもので、
民衆の生活が困窮するほどであったが、儀式に使われるのは一部で、残りは巫女達が山分けしていた。
また年頃の娘がいる家は逃げ出し、その田畑は荒れ放題となっていた。
これを聞いた西門豹は「横取りされているのが解っているならば、止めればよいではないか」といったが、
農民たちは「そんなことをしたら河の神のお怒りを買います」と恐れた。西門豹は「なるほど、わかった」と答えた
(続く)
603 :
世界@名無史さん:2014/10/12(日) 22:04:57.23 0
西門豹は巫女・三老・役人が迷信に付け込み肥え太り、農民達が困窮したので土地が枯れたと考えた。
更に灌漑が必要だが、迷信ある限り河に手を付けられないと判断し、まずはこの一掃に着手することにした
儀式が行われる日、河辺には巫女達と多数の見物人がいた。そこへ西門豹は見学したいと護衛の兵士を伴って参加した。
そして生贄の女性を見せられるや、「これでは器量が悪すぎる。『もっと良い娘を連れて行きますので待ってください』と河の神に伝えられよ」と言い、
「お怒りを買わぬためにも、使者には最も河の神と親しい者がよかろう」と巫女の老婆を河に沈めた。
しばらくして「巫女が帰ってこない。様子を見てこられよ」と言い、弟子の女性たちを河に沈めた。更に「弟子達も帰ってこない。
女では河の神への願いが難航しているようなので、次いで河の神に貢献している三老に手助けをお願いしよう」と言い三老を河に沈めた。
(続く)
604 :
世界@名無史さん:2014/10/12(日) 22:06:20.62 0
更にしばらくして「おかしい、三老も帰ってこない。更に次いでとなると、多額の金銭を集めた役人であろうか」と役人達を沈めようとしたが、役人達は「その任は何卒お許しください」と平伏して詫びた。
その顔色は血の気が引きすぎて土のような色で、額を地面に打ちすぎて流血するほどであった。西門豹はしばらく待った後、「どうやら河の神は客をもてなして帰さないようだ。皆も帰るがよい。
もし誰かが儀式をやりたいならば、私に話すがよい」と言った。役人も民衆も度肝を抜かれ、これ以降生贄の儀式は行われなくなった。西門豹は河の神を信じている風にして、儀式の中心人物を反論できなくしたまま一掃し、迷信も一掃したのである。
この結果、貢物を搾り取られなくなった民衆は貧しさに苦しまずに済み、年頃の娘がいる家は逃げなくなった。迷信と権力者達は一掃され、役人も民衆も西門豹の言うことに従うようになったのである。
605 :
世界@名無史さん:2014/10/12(日) 22:38:25.26 0
古代中国の伝説の大盗賊「盗跖」の話
9000人もの部下を率いてあちこちを荒らし回り、盗みを働くときは壁を壊すなど荒っぽく、
女はさらい牛馬は奪いとやりたい放題で、彼らが近づくと皆砦へ逃げてしまうほどであった。
それでいて大変に知恵の働く人物でもあった
あるとき盗跖の部下が彼にこう尋ねた。
「お頭、聖人君子になるためにしなければならない道はありますが、盗人にもあるんですかい?」
すると盗跖が答えて言うには、
「もちろんあるとも。君子と同じように盗人の五徳といって、それぞれ"聖"、"勇"、"義"、"智"、"仁"がある」
「それはいったいなんです?」
「聖とは盗むものをよく吟味することだ、金にもならないものを盗んでは儲けにならない」
「勇とは盗みに入る度胸のことだ。これがなければもちろん物を盗むなんて出来はしない」
「義とは仲間を先に逃し、自分が最後に逃げることだ。自分が真っ先に逃げるような奴に仲間はできない」
「智とは盗めるかどうか判断することだ。警備が厳重になったのに無理に盗もうとして捕まっては無意味だ」
「仁とは盗んだものを仲間と公平に分けることだ。独り占めをしたり不公平では、仲間に恨みを持たれてしまう」
「君子も盗人も、五徳を持って道に従わねば立派にはなれない」と語った。
イイハナシカナー!?
607 :
世界@名無史さん:2014/10/13(月) 01:02:07.86 0
ルパンは五徳揃ってるな
>>607 「智」が足りてないので、いつも捕まってるぞ
毎回のことですくに逃げ出すがww
「仁」も足りないでいで、次元と不二子の仲が悪い
世界史板でアニメかよw
俺はてっきりルブランの方かと思ったわ。
おじいちゃんは聖がちょっと足りないような。一介の泥棒にしちゃ、盗むもんが大きすぎますぜ。なんせ国一つ盗んだそうで。
611 :
世界@名無史さん:2014/10/14(火) 14:15:26.73 0
韓国で漢江の奇跡を成し遂げた朴正煕の発言
日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。
すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。
日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。
612 :
世界@名無史さん:2014/10/14(火) 14:45:48.71 0
割と公平ってのはちょっと褒め過ぎかな。
日本が外地に作った大学(城大・台大)は、学生の過半数が日本人だったし。
もっと公平であればよかった。
>>610 おじいちゃんは仲間がいない気がする、、、
>>612 そりゃこの手のことを持ち出す方が偏向してるから…。
インドやフィリピンにだって大学があったことや
外地の帝大よりもはるかに現地人向けだったことは無視されてるし。
そもそも併合なんだからハプスブルク帝国のなかのベーメンとかと比較しろよ
>>613 いやいや、潜水艦まで装備する私設軍隊のオーナーですよ。
殉職した部下の家族の面倒見るエピソードもありました。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世自撰の墓碑銘はいい。
「我を審くなかれ。我これより審かるるが故に。」
大戦の責任者の一人だが、しっかりした信仰はあったんだと思う。
読み方は「しばく」でいいのかな?
「さばく」。下手なジョークはやめてくれ。
620 :
世界@名無史さん:2014/10/16(木) 21:38:39.48 0
我をしばくなかれ。我これよりしばかるるが故に。
墓碑ならアダムスミスが最高
ごてごてした来歴は一切なく
「国富論の作者」としか書いてないそうなw
業績のでかさとその誇りがよくわかる
622 :
世界@名無史さん:2014/10/17(金) 03:54:52.15 0
墓誌なら平賀源内(筆者は杉田玄白)
嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常
(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや)
>>90 これいいな 今のVIPの連中に見せてやりたい
>>623 その一握りのサドゥーに自分が入れば名誉は守られるって理屈を
理解できる奴はたいしてイタくないやつだと思う。
鷲は亀を岩に落下させ、甲羅を割って食べる。
ギリシャ時代の劇作家アイスキュロスは、岩とまちがえられ、
頭に亀を命中させられて死んだと伝えられる。
それ、ちょっといい話なのかw
新羅王が唐の太宗に女楽二名を献じてきた際、太宗は言った。
「以前林邑から鸚鵡が献じられたが、それすら故郷に帰りたいと口にしている。
ましてや人が故郷を思わぬということがあろうか。」
女楽二名は新羅に帰ることが出来た。
ペルシャから献じられた獅子を「故郷に返してやれ」と皇帝が使者をつけてペルシャ
に送ったが、途中で世話が大変なあまり使者は獅子を殺してしまった。
しかし、使者は任務の過酷さから皇帝に罰せられずに済んだという話もありました
が、詳細失念。『洛陽伽藍記』にあったと思うのですが。
>>466 だからスギちゃんはあんなGジャンを着てるのか…
629 :
世界@名無史さん:2015/01/03(土) 19:22:54.46 0
>>583 将軍の話が聞こえた上で残ってても良さそう。
というか皆自分の女房が怖いて
>>629 日本で叙勲受けた妙齢の女性が
「勲章を受けるのも虚栄、勲章を拒否するのも虚栄なのでお受けすることにしました」
ってのが思い出されるな。
自分の信念に従った行動でもあるが、
嫌味ったらしい
変なプライドもった上から目線の行動でもある
大江健三郎がノーベル賞やレジオン・ドヌールは受けつつ、文化勲章を辞退した、とかあったっけね
北大路魯山人だっけか(うろ覚え)
人間国宝指定だかを拒否したとき
「北宋の徽宗みたいな文化人からなら貰ってもいいけど」と言い放ったり
それが良いとか悪いとかいうつもりは毛頭ないが
俺だったら喜んでいただくけどなぁ、いらないなら俺にくれないかなぁ、とか思うw
サルトルは、いかなる人間も生前に神格化されるべきでないとしてノーベル文学賞を辞退してた
ベトナムのレ・ドク・トも、まだ真の平和はもたらされていないという理由でノーベル平和賞を辞退している
政府の圧力などによってではなく自分の意思でノーベル賞を辞退したのは、今のところこの2人だけ
現在日本のノーベル賞受賞者のような扱いならばサルトルも安心して受賞しただろう…
>>632 天皇制理由に文化勲章拒否したのに
スウェーデン王から接待うけるノーベル賞を拒否しないのは
まさに「虚栄のための受賞拒否」てかんじで非常に俗物という印象を受ける
反権力キャラだったという永井荷風は受賞してなんだ権力になびいたかとか言われて
俺は受賞による年金が欲しかったんだと答えたとかいい潔さを感じる
>636
おっさん、金ってても貯めこむだけじゃないですか……
>>635 大江健三郎が俗物以外の何者だと言うのだ。
>>636 士族であることに誇りはあった様ですし、反天皇制でもなかったですからね。
むしろ古い(明治以降普及したよりももっと古い江戸の)価値観の持ち主。
>北大路魯山人だっけか
ロックフェラーにアメリカに招待され、夫人から
「貴方にはもう御目にかかりたくありませんが、貴方の作品とはまた御目にかかりたいです」と言われた人。
この際、海外でシャガールやピカソとも会っている。
日本にも住んでいた張大千もピカソと会っているし、凄い時代です。
魯山人も竹内栖鳳(この人も外遊経験あり)と会っていますし。
魯山人の若い頃の雅号が「大観」だったのを初対面の冨田渓仙に「たいそうな名前やな」と言われて嫌いに
なったのもこの頃の話。
640 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 21:16:01.22 0
ポアンカレ予想を解いたロシアの数学者グリゴリー・ペレルマン
フィールズ賞をはじめ片っ端から賞を辞退して、懸賞金100万ドルも蹴ってる
美談というか、全体的に頭の構造が凡人と違うのかな
キノコ喰ってるだけで幸せなんだよ
>懸賞金100万ドルも蹴ってる
何年か前のNHKBSでやってたけど
困窮の極みで世捨て人になってたな
現代の仙人
金がいっぱいあると研究できなくなるんじゃないの?
金が無いから研究しかできない。
という感じに自分を追い込む
645 :
世界@名無史さん:2015/03/03(火) 08:44:49.90 0
>>638 そのくせ、息子がレコード大賞企画賞を貰った時は、「ノーベル賞よりうれしい」と
発言してレコ大授賞式会場と日本国民を失笑させたw
646 :
世界@名無史さん:
>ロシアの数学者グリゴリー・ペレルマン
きっと人生においてもエレガントな解を追及しているのさ。
その邪魔になるものはどんどん捨てていく。