海を渡った日本人と、来日した外国人と

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233世界@名無史さん:2013/10/17(木) 23:50:14.57 0
『吾妻鏡』の元仁元年2月29日の条によると、
去年(1223年)の冬、越後国寺泊浦に高麗人の船が漂着したが、
乗組員は風変わりな弓矢・具足を所持しており、衣服の帯には銀簡(銀牌)を付けていた。
その銀簡には文字が刻まれていたが、誰も解読できなかったという。
『吾妻鏡』にはその文字が収録されている。

白鳥庫吉はそれを女真文字と推定した。
1976年にはほぼ同型の銀牌がソ連で出土し、
それにより、銀牌の文字は女真語で「国之誠」の意であることが判明した。
金国の通行証だったらしい。

ちなみにこの時期、金はモンゴルに滅ぼされる直前で国内が騒然としており、
ひょっとすると女真人の亡命者あたりがいた可能性も
234世界@名無史さん:2013/10/18(金) 21:21:13.09 0
ソースだしな
235世界@名無史さん:2013/10/18(金) 21:31:52.09 0
    ,-ー─‐‐-、
   ,! ||     |
   !‐-------‐
  .|:::i ./ ̄ ̄ヽi
  ,|:::i | (,,゚д゚)||  < 出典かいてあるだろうが ゴルァ!!
  |::::(ノ 中濃 ||)
  |::::i |..ソ ー ス||
  \i `-----'/
     ̄U"U ̄   ・・・と思ったがググると見つかるんだな、便利な世になったもんだ
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/74_gai.pdf
236世界@名無史さん:2013/10/19(土) 18:35:23.60 i
ランディ・バース
スタン・ハンセン
237世界@名無史さん:2013/10/24(木) 23:52:49.00 0
【社会】スペインの「ハポン」姓さんのDNA鑑定 天正遣欧使節からのサムライの子孫
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1382610286/
スペインの「ハポン(日本)」姓、400年経てDNA鑑定へ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1382617315/

スペインの「ハポン」400年経てDNA鑑定へ

 【コリア・デル・リオ(スペイン南部)=藤原善晴】スペイン南部の「ハポン(日本)」姓の人々と約400年前に渡航
した日本人のサムライらとの血縁関係をDNA鑑定で探る名古屋大学、東京大学、国立遺伝学研究所などによ
る共同研究チームが24日、約600人のハポンさんたちが住む町コリア・デル・リオで初めての血液採取を行った。

 研究チームは今後、日本人の遺伝情報との比較を行う予定だ。

 同町の古文書に「ハポン」姓が現れ始めるのは、慶長遣欧使節一行が訪れて数十年後から。地元の郷土史家
らは「ハポンさんたちは、スペインに残留したサムライたちの子孫」との説を提起している。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131024-OYT1T00858.htm
238世界@名無史さん:2013/10/25(金) 13:08:11.51 0
411 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 02:25:57.06 ID:0EKQvh1A0 [1/2]
ハポン姓はスペイン内で現在、電話帳で容易に確認できる第一姓でいうと
コリア・デル・リオと隣町ラ・プエブラ・デル・リオを除いて、
15km先の大都市セビーリャに50軒、マドリッドに1軒、バルセロナに1軒しかない。(1989年時点)
コリア・デル・リオと隣町ラ・プエブラ・デル・リオには、第一姓・第二姓あわせ合計832名。(1993年時点)
マドリッド、バルセロナの1軒ずつはいずれもコリア・デル・リオ出身者で、セビージャの50軒もほぼ同様。
ということで、ハポン姓がスタートしたのはコリア・デル・リオであることは確実。
慶長遣欧使節中25名が帰国前の2年間滞在したのがコリア・デル・リオであり、かつ7人前後が現地に残留している。
(以上、太田直樹「ヨーロッパに消えたサムライたち」角川書店より)
ということで、特にこの町である必然性がない奴隷より、使節団の残留者がルーツである可能性が高いと考えられる。
ここでいうルーツとは、使節団にあやかって名前だけハポンとした場合も含む(ただし蒙古斑の出現率がスペイン人としては異常)。
239世界@名無史さん:2013/10/30(水) 23:02:08.50 0
【歴史】鑑真に新説「渡来時ではなく、晩年に失明したのでは」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1383102714/

正倉院宝物に関する研究成果を論じ合う「正倉院学術シンポジウム」
(奈良国立博物館主催、読売新聞社後援)が27日、奈良市の県新公会堂で開かれた。

 同市の唐招提寺を開いた中国・唐の高僧、鑑真の没後1250年を記念して
「鑑真和上と正倉院宝物」をテーマに研究発表と討論が行われ、約200人が参加した。
このうち、美術院国宝修理所(京都市)の木下成通・研究部長は、同寺の鑑真和上坐(ざ)像(国宝)の
「お身代わり像」を制作した際の調査で、同像の表面に油が塗られていることが判明したことを紹介。
正倉院宝物の伎楽面にも彩色保護のために油を塗った例があり、「今後、仏像の修理でも
油を塗布している可能性を考えて調査する必要がある」と指摘した。

西山厚・奈良国立博物館学芸部長は、鑑真は目が不自由だったという定説を、
正倉院に残る鑑真の書状から検証。自由な筆跡や余白を認識した書き方などから、
弟子の代筆や目が見えない人が書いたとは考えにくいとして、
「鑑真は来日時は目が見えていて、最晩年に失明した」との自説を披露。
興味深い研究成果に、参加者も熱心に聞き入っていた。

ソース
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20131028-OYT1T00295.htm
240世界@名無史さん:2014/01/05(日) 00:50:09.29 0
>>228
ロシアに漂着してロシア語を覚えた日本人たちって、
ロシア語の人称による動詞の活用とかは理解できたんだろうか?
241世界@名無史さん:2014/01/05(日) 17:23:07.91 0
228の中でロシア語を覚えていそうなのは大黒屋、津太夫、中川だろうが、
少なくとも大黒屋の「北槎聞略」には動詞の語尾変化は見られないね。
過去形、進行形、命令形などもあやしいもんだよ。
他の2人も似たようなもんだと思う。
242世界@名無史さん:2014/01/06(月) 10:46:57.62 0
名前忘れたけどアメリカに行ったやつといい
勤勉にがんばっているな
243世界@名無史さん:2014/01/06(月) 21:04:13.69 0
そこでアメリカ系ベスト5ですよ

松次郎  初のアメリカ系だが帰国後自殺
重吉   太平洋上漂流450日
音吉   モリソン号事件
万次郎  有名人
彦蔵   日系米人第一号
244世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:33:16.53 0
英語圏組は、語学習得は少しは楽かもしれん
綴りは大変だろうが
245世界@名無史さん:2014/01/25(土) 21:02:53.02 0
アメリカから日本に密入国したマクドナルドも面白いな。
現在のワシントン州出身だが、>243の音吉がそのワシントン州に漂着している。
この2人が出会っていた可能性は、決して否定できない。
246世界@名無史さん:2014/01/25(土) 21:46:07.26 0
>>233
その人たちはどうなっちゃったの
247世界@名無史さん:2014/01/25(土) 22:13:56.10 0
ガイシュツだろうが、海を渡った日本人代表は、ジョン・マン だな〜
248世界@名無史さん:2014/01/26(日) 09:03:52.18 0
外出?
249世界@名無史さん:2014/01/26(日) 11:22:06.02 0
ある意味「外出」には違いない。引きこもりの日本から世界に出て行ったんだから。
ジョンマンとジョセフヒコは仲がよくなかったらしいね。
250世界@名無史さん:2014/02/01(土) 10:26:22.65 0
【朗報】はるごん順応性高杉
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/akb/1390054784/
251世界@名無史さん:2014/02/07(金) 17:03:46.42 0
江戸時代に出島にいたオランダ人が日本人の女性との間に生まれた子供を
ちゃんと認知して本国に連れ帰ることがあったらしいけど、
そういう人はその後どんな人生送ったんだろうなあ…
当時のヨーロッパの日本関係の話って出島のオランダ人とか戦国時代の宣教師とかのばかりで、
ヨーロッパにいたはずの混血児の残した話や聞き取った話は見つからないな
252世界@名無史さん:2014/02/07(金) 21:53:31.91 0
>ヨーロッパにいたはずの混血児の残した話や聞き取った話

・支倉常長の時のハポンさん
>>228の日露の混血児
253世界@名無史さん:2014/02/08(土) 23:49:09.20 0
ヨーロッパだと混血は決して少なくないから日本みたいにあんまり注目もされんだろう
254世界@名無史さん:2014/02/08(土) 23:53:50.26 0
在特会は外国人の来日を阻止している?
255世界@名無史さん:2014/02/16(日) 21:33:17.20 0
>>236
その程度のならなんぼでもいるだろw
初代タイガーマスクだってメキシコやイギリスに長期遠征しているわけで。
256世界@名無史さん:2014/03/13(木) 01:58:38.17 0
江戸時代に渡来したイスラーム教徒(モウル人)の名前が記録されている稀有な例を見付けた。

『唐通事会所日録』によると、寛文4年(1664年)8月に、
薩摩沖で前年破船したシャム船のモウル人船員23名が、オランダ船での帰国を願い出たという記述がある。

同船の積載品は、シャム国王・モウル旦那・同地の商人木屋半左衛門から託された交易品であり、
とりあえず、日本でそれらの品々を売り払うことはできたらしい。

そして、モウル人船員の中でも、みるもきん(ミール・ムンキズ)、
ままとかしんorまるかそん(ムハンマド・カーシム)、
ことば(クタイバ)、うへき(アブー・バクル)の四名が金銭受取りに関連して言及されている。
彼らは無事にオランダ船でシャムに帰国したとの事。

ところで、長崎のモウル通事だが会話はできても読み書きはできなかったらしい。
別の機会に、別のシャム船内から不審な文書や絵図(蘭人によりペルシアの地図と判明)が発見された際に、
モウル文字にて書かれており解読不能と報告されている。
257世界@名無史さん:2014/03/18(火) 18:10:14.24 0
ペルシアということは文字はペルシア文字の方か
258世界@名無史さん:2014/03/18(火) 19:16:08.39 0
シャムとはいいながら、実際はパタニ王国あたりのアユタヤ朝支配下にあったマレー半島のムスリム商人かな?
モウル文字というのは、たぶんマレー系ムスリムも使っていたアラビア文字のことだろうね
ムスリム商人の海上交易ネットワークは当然ペルシアも視界に入っていたろうから、その地図があっても不思議じゃないか
259世界@名無史さん:2014/03/30(日) 20:05:37.11 0
あの辺りは多国籍な空間だね
260世界@名無史さん:2014/05/07(水) 22:39:34.62 0
こんなのもあるな
レオナルド・ブリュッセイ著
『おてんばコルネリアの闘い―17世紀バタヴィアの日蘭混血女性の生涯』平凡社1989年
261世界@名無史さん:2014/08/04(月) 20:29:07.83 0
倭系百済人
物部奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏、物部施徳麻薄エ
奈率(五品)や施徳(七品)は官名
262世界@名無史さん:2014/08/04(月) 20:40:02.50 0
旧百済地域から前方後円墳や倭兵甲冑が出てきてるしな
物部は軍事担当の氏族だったんで、必然的に後援国・百済には多く派遣されたことだろう
263世界@名無史さん:2014/08/04(月) 21:27:40.49 0
倭系百済人の一番の出世株は日羅かな
二品相当の達卒までいってる
264世界@名無史さん:2014/08/04(月) 23:06:52.59 0
継体天皇「オレだよオレ」
265世界@名無史さん:2014/08/05(火) 06:27:52.72 0
史料には書いていないけど、結構信じている人多いよね
266世界@名無史さん:2014/09/26(金) 10:55:50.91 0
クリストファー(Christopher)とコスマス(Cosmas) ※いずれも洗礼名(英語読み)

記録されている中では最古となる、1587年までに太平洋を横断していた日本人
またマゼラン海峡〜バハ・カルフォルニア半島の間を残し、世界一周にも近づいていた
日本人として初踏破となったであろう地は、以下のとおり
メキシコ・グアム・英国(3年滞在)・セネガル(未上陸?)・シエラオネ(未上陸?)・ブラジル・アルゼンチン(未上陸?)
267世界@名無史さん:2014/09/26(金) 10:56:52.96 0
英国人の記録に断片的にしか記されていないため、彼らの出生・身分についての詳細は不明
1587年時点で20歳と16歳、洗礼済みで葡語or西語を話せて、日本語の読み書きもでき有能であったと記されている
マニラガレオン船でバハカルフォルニアの港町に滞留してた折、キャベンディッシュ卿率いる私掠船に襲われる
その際スペイン側190名のうち7名が乗組員として徴発されるが、そのうちの2人となり英国船員としての航海が始まる
なおこの時スペイン側には、後にメキシコ副王により徳川家康への答礼使として日本に派遣されるビスカイノがいた
268世界@名無史さん:2014/09/26(金) 10:58:03.43 0
船はグアム・フィリピン・インドネシア・喜望峰を経由し、英国ロンドンに凱旋帰国
キャベンディッシュは叙勲を受けサーとなり、3年後には第2回航海に乗り出す
クリストファーとコスマスも再び乗組員として乗船し、西アフリカ経由で南米へ向かう
だがマゼラン海峡で嵐にあい、ブラジルに引き返したところでポルトガルとの戦闘で大打撃
最後はセントヘレナ島へ逃れる途上で行方不明となり、この過程のどこかで二人も落命したと推定される
269世界@名無史さん:2014/10/27(月) 08:57:32.04 0
『近年ノーベル賞を取った日本人』

南部陽一郎 1921年生
小柴昌俊 1926年生
下村脩  1928年生
赤崎勇 1929年生
鈴木章 1930年生
根岸英一・大江健三郎  1935年生
白川英樹 1936年生
野依良治 1938年生
利根川進 1939年生
益川 敏英 1940年生
小林誠 1944年生
中村修二 1954年生
田中耕一 1959年生
天野浩 1960年生
山中伸弥 1962年生
270世界@名無史さん:2014/11/16(日) 02:07:42.40 0
揚げ
271世界@名無史さん:2014/11/16(日) 02:51:18.88 0
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人
272世界@名無史さん:2014/11/16(日) 11:02:22.22 0
ここはどこ?スレで知ったが、青木リヨ(ハワイのカイウラニ王女の侍女)
映画化されてアメリカで評判だったらしい
273世界@名無史さん:2014/11/17(月) 08:13:55.10 0
戸来村に来た白人たちの正体ってなんだったんだろうね?
274世界@名無史さん:2014/11/18(火) 02:24:05.11 0
マラーノとか?
275世界@名無史さん:2014/11/25(火) 01:22:06.06 0
ベニョヴスキー・モーリツがまだ出てない
276世界@名無史さん:2014/11/25(火) 01:25:40.59 0
>>266
その人たちの日記が残ってたら面白かったんだけどねえ
277世界@名無史さん:2014/11/25(火) 08:03:48.92 0
アレイスター・クロウリーもまだ出てないな。
彼も来日した外国人なのに
278世界@名無史さん:2014/11/30(日) 08:46:28.52 0
江ノ島には行ったねぇ
279世界@名無史さん:2015/01/01(木) 05:09:43.72 0
関連スレ

日本人町、外地、租界、占領地、傀儡国家2 [転載禁止]©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1419997619/
280世界@名無史さん:2015/02/02(月) 01:50:42.27 0
あげ
281世界@名無史さん:2015/02/03(火) 07:52:07.52 0
湯川さんって、自分のことを川島芳子の生まれ変わりって思ってたらしいね。
282世界@名無史さん
>>281
なんでもっと早く気付かなかったんだろう。ていうか誰かが教えてやれば良かったのに