領土を全喪失した亡国の残党が、亡命受け入れ先が無い理由により船で漂流中に時化に遭い、
引率者が、我が国が滅びるのが神の意思ならばこの船を転覆させてみよ、とかいう主旨の発言をした途端、
乗っていた船が転覆して死んでしまった…とかいう笑い話には元ネタがあるらしいのですが、
何の事件だったのですか
南宋滅亡時の張世傑じゃね?
乙。
非常に曖昧な質問になるんだが
近代化以前の中国(とりあえず明末清初辺り)の金属加工技術について。
武具や兵器限定での所感なんだが、鋳造はともかく鍛造する能力は微妙だったのかな
同時代の欧州・日本の刀剣や鎧の出来と比べると見劣りする気がするんだが・・・
もしそうなら何か原因とかあったんですかね?
歴群の戦略戦術兵器大全の中国編を眺めててふと気になって。
ハンガリーの摂政について聞きたい
今グデーリアンというドイツ国防軍将軍の回想録読んでるんだが
文章によくハンガリー摂政ザラーシュツィって出てくるんだけど、名前検索しても出てこない
もしかしてサーラシ・フェレンツって人と同一人物?
アメリカが現在世界一の超大国に育った件。
広大な土地があり資源が豊富だったと言うのはもちろんあるが、
当時の超大国であったイギリスが支配していた事も理由の一つだったりする?
宗主国が超大国であれば植民地に輸入される文化経済産業工業諸々などの幅は広いだろうし。
(でも大英帝国の全盛期ってアメリカ独立後みたいだし、世界一の経済大国となったもの独立後の18世紀からだけど)
イギリスと植民地獲得戦争して勝ちを得る事が出来るほどの軍事力国力資金等があるかはおいといて、
もしアメリカを支配してたのが別の国だったらまた違ったって気もするが、
イギリスによる統治下は短かったから宗主国がどこだったかってのはそこまで関係無いのかな?
つブラジル
>>6 同時代にそれらしき人が彼以外にいないな。
Szalasiをドイツ語風に発音するとザラーシュツィになるのかしら。
ただハンガリー国の国民指導者や首相とは名乗ったが、摂政とは名乗ったかどうか。
10 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 20:57:29.60 0
色即是空は大乗仏教、それも般若心経ですが
そういう意味では上座部仏教では色即是空の概念は全くないのですか?
色即是空はブッダの教えなんでしょうか?
それとも大乗仏教だけの話なんでしょうか?
>>10 上座部は幾つもの部派に分裂しているので一概に言えないが、一番有力だった説一切有部では
三世実有・法体恒有と言って三世(過去・現在・未来)に渡って変化する事無い実在が有る、としていたらしい。
諸行無常とは真逆の立場ですな。
空が中心的な概念となるのは龍樹(ナーガルジュナ)以降の様です。無かった訳ではないけど重要とはされてなかった。
アメリカ合衆国は、何であんなに自由厨というか、自由主義を絶対視
しているんですか?とにかく自由志向ですよね、あの国
単なる植民地からの独立戦争による独立国というだけでは、理由に
ならないと思うのですが
>>12 民主主義の国で、国民に対して、「国家のためなのでおまえら国民には不自由を強制させてもらう」、というのと、
「そのために国家がうまく運営できなくなろうとも、おまえら国民の自由は保証する」、というのとでは
どっちが支持されると思う?
アメリカ人でなくても、普通は、後者を選ぶだろ?
>>13 そうですかねぇ・・・
協力し、共同する事とは、制約を前提とし、不自由を受け入れるという事を含んでいます
共同体である国家において、制約とは大前提であるし、ある程度の不自由は国家の成立時点で
国民に受け入れられている物である筈です
実際、歴史における共同体の成立というのは、そういった要素を含んでいたと思います
ですから、共同体となる事を選んだ時点で、自由・・・特に個人の自由は、共同体の利益より
下位に置かれている筈です
ですので、同じく共同体であるアメリカという国家が、国家運営上の不都合を無視してでも
自由を至上化する理由として、順当とは思えません
そもそも、国家運営とそれによる国民の幸福最大化より、自由を尊重するというのは
単なる無政府主義に過ぎないと思いますし、けれどもアメリカ国民は、夜警国家論は好きでも
無政府主義ではないように思います
>>14 アメリカ合衆国の国家論については置いといて、ウィキペディアよりコピペ
>”We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice,insure domestic Tranquility,
>provide for the common defense, promote the general Welfare,and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity,
>do ordain and establish this Constitution for the United States of America.”
>(われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに
>自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。)
というわけで、合衆国憲法において国民の自由は、国家の秩序維持、国防、公共の福祉と並ぶ最重要事項です。
ついでに言えば、アメリカ合衆国とは「領域内にある50のStatesの連合体」であって、言ってみればより強くまとまったEUのようなものであるので、
「国民は自由な個人である前に国家の一員である」という感覚がそもそも常識ではないわけです。
南京で北京官話が話されるのはなぜですか?
長江下流域は中国有数の言語が分立している地帯なのに…。
もしかして、北京から派遣されてきた役人やそれについてきた人の子孫だからだとか?
>>15 少なくとも、建前の上では「自由」を至上命題の一つにしていて、それをより上手く
守るために、共同体を形成する事に消極的に同意している、という感じなのでしょうか?
ありがとうございました
18 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 11:44:09.66 O
ニクソン訪中(とその下準備)以前の米中関係は一切交渉ゼロ?
貿易とかはあったの?
19 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 12:06:24.67 0
古代エジプトとかギリシャとかローマとか、高度な文明築いていたのに、
なんで半裸に近い格好だったんだろう?
中国は紀元前でもきちんとした着物を着てたのに。
>>19 庶民レベルだとむしろ中国の方がレベル低い
上流階級の服装は中国と遜色ない
君の思い込み
>>16 南京で話されるのは、官話(公用・標準語)と総称される諸語/方言のうち、
江淮官話に属する南京官話であって、北京官話ではない
リンチって単語は中国語の凌遅から来てるって本当ですか?
23 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 15:44:53.52 O
第一次大戦後、なんでイギリスはイラク、ヨルダン、パレスチナって分けたの?
民族的には全部アラブ人だし歴史的にも一体だったでしょ
>>22 いいえ、アメリカの独立戦争の頃、ヴァージニアのチャールズ・リンチという人物が、
無法者の取締のために私的に法廷を開催したことに由来します
>>23 大戦中に協力してもらった現地勢力や有力者それぞれに対して、国を与えなくてはならなかったから
「アラブは一体」というのがまず間違い
28 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 17:44:22.83 0
>>20 エジプトは王様でもほとんど裸じゃなかったか?
ギリシャでも、布きれ巻き付けてるような半裸に近い格好だし、
ローマだって武人は腕やすねを丸出しだよ。
下手すると蛮族の方が、全身包む格好してて文明人っぽいんだが。
>>12>>14>>17 アメリカは、開拓によって大きくなっていった国だ
開拓時代の辺境では、たとえば強盗に襲われたからといって、保安官がすぐに助けに来てくれるわではない
広大な辺境では、自分の身や家族は、自分で守らねばならない
そういう環境では、自主自尊の精神がはぐくまれる
「国が自分たちのために何をしてくれる? それより、自分たちで自由にやるぜ」という気概を持つ
だから自由が大事になる
質問したいのですが、東漢王朝の頃は寝具はどうなっていたのでしょうか?
床というベットのようなものがあったのはネットで見ましたが、綿花栽培が然程行われていない時代に、
布団というものが存在していたのかな?と疑問に思いました。仮に布団があったとして、何が詰められたのでしょう
真綿、麻綿、羊毛綿
32 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/26(土) 20:59:40.86 0
>>23 それは近代のアラブナショナリズム的な考え方だと思う。同じアラブと言っても、
歴史的に一体だったとは限らないでしょ。そもそも、歴史的に一体という定義が、
曖昧だけど。歴史をさかのぼれば、それらの地域が分かれてた時代もあったし。
イギリスがそれらの地域を分けたのは政治的な理由が大きいかな。ヨルダンと、
イラクの分離はそもそも文化・社会面でこれらの地域の相違が大きかった面が、
あると思うけど。パレスチナとヨルダンに関してはシオニストとの関係も配慮して、
その上で、アラブ人との協定も考えて分けたという政治的な理由が大きいかな。
ただ、だからといってこれらの地域が必ずしも一体だったか否かはまた別だよ。
33 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 21:44:48.44 O
≫32
中東戦争の時は団結して異民族のイスラエルと戦ったってことでok?
>>30 布団なんかあるかよ!
おめぇ、しらねぇのか?
大きめの衣服をひっかぶってねてたということを。
35 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/26(土) 21:59:18.14 0
>>33 中東戦争の時もどこまでアラブ諸国が団結してたかは結構微妙だよ。第1次中東戦争は、
アラブ側の連携が上手くとれなかったことが敗因の1つだと良く言われてるぐらいだからね。
第4次中東戦争じゃそれまでアラブの盟主を自認してたエジプトがイスラエルと和平してる。
エジプトとシリアによるアラブ連合も短期間で終了してるし、必ずしもナショナリズムだけで、
全ての国家がまとまれるとは限らない。そういうのは少し楽観的すぎる見方かなと思えるね。
まぁ、アラブ連盟など汎アラブ主義に基づきアラブ人の団結を目指す動きはまだあるから、
一概にアラブ人の統一なんてあり得ないなんていうのもそれはそれで極論だとは思うけど。
つうか。
ペルシャ人とアラブ人、クルド人。みんな別の人種だし
37 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 23:00:04.92 0
え? 全部ホモ・サピエンスでコーカソイドだが?
べつの人種だよ。
学問的な意味じゃないけどね〜
文化がちが〜う
>>39 こ、こら!
おまえみたいな礼儀しらずは初めてじゃ。
何で昔の肖像画で真横を向いているのが多いの?
流行?
>>41 そんなに多いか?
たいてい、正面か、斜め前からだろ
みんな真横向いてるのは、古代エジプトぐらいだ
明の太祖・朱元璋っていう本の中で、「元朝の支配下では漢人は蒙古人と色目人から徹底的に搾取される
だけの存在であり漢人には苦難の時代諸々」みたいなことが書かれてたんだけどそんなに酷かったの?
個人的には元朝って、遊牧国家特有の多様性で形なりの国家を作ることができたみたいな考え方だったんだけど。
漢人というより南人じゃね?
華南華中の沿海部は、漢人ではないから。
韓国の時代劇で貴族がかぶってるあのツバ付帽子は何という名前で、いつの時代からかぶられてたんですか?
紐付きシルクハット
笠なんじゃね?
笠を「カッ」といい、漢音では「リプ(笠)」。
あの黒いのは、馬の毛を漆で固めたもので「黒笠(フクリプ)」という。
官人が正式に着用するようになったのは、高麗末期の1367年とされる。
それ以前は百年におよびモンゴル風に辮髪を結っていたが、元朝が衰退していたため服飾を改めた。
>>34 お答えありがとうございます
古来の日本のように大きい服をそのまま掛ふとんのように使用していたという事でいいんですかね?
51 :
世界@名無史さん:2011/11/27(日) 16:46:35.82 0
大きい服=どてら
52 :
世界@名無史さん:2011/11/27(日) 17:11:07.95 0
ローマ軍団兵と日本の武士が戦った場合、
やはり長い刀を持った武士の方が圧倒的に有利でしょうか?
53 :
世界@名無史さん:2011/11/27(日) 17:22:33.44 0
やってみたら?
第四次中東戦争を機に石油危機が起きたのは、OAPECにどんな意図があったからですか?
イスラエルに味方する西側社会ごと経済攻撃するため
56 :
世界@名無史さん:2011/11/27(日) 18:22:44.59 0
掛け布団なんか綿入れから進化してるんだもんな。
57 :
世界@名無史さん:2011/11/27(日) 22:51:48.77 0
仏教、ヒンズー教ともに
輪廻転生があってその中ではずっと苦行が続き
そこから解放するために解脱や悟りを開くために修行するってのが大まかな教義だと思いますが
だとしたらそれぞれ決定的な違いってあるのでしょうか?
これがあるからどうしても受け入れられないって感じで
あとヒンズーで言えば土着宗教ですが
その中でビシュヌやシバはどういう役割を果たしてるのでしょうか?
>>57 別に拒絶されるものは、お互いにありませんが。。。
カーストやジャーティとの関連で、仏教の飛び地がヒンズー地域にあっても
アウト・オブ・カースト扱いされてしまうから問題なのです。
仏教のあとにヒンズー教が成立したんだっけ?
>>41 西洋人は顔の彫りが深くて、実際モンゴロイドよりも前後に長い。
だから横顔が決まるし特徴をとらえやすい。
>>41 たとえ壁画とはいえ視線が合うのをおそれたからだよ。
今、渦中のオリンパス前社長って何人ですか
あまり欧米系にみえない顔ですが。
中央アジア系?
>>57 ヒンズー教は仏陀もビシュヌの化身の一つに過ぎない事にして仏教を飲み込んだ。
仏教も、例えば真言密教の即身成仏を梵我一如の焼き直しと考えればヒンズー教寄りに
揺り戻したと考えられる。(らしい)
>>59 バラモン教に仏教の要素を加えたのがヒンズー教
だから似てるのは当たり前
釈迦自体がヒンズー教の神の1人なわけだし
ビシュヌやシヴァやブマウラーはいわば
日本で言うと初詣で「神様今年も一年良い年でありますように」
と神様に参拝するだろ。その神様がどの神様なのかは意識していない
それと同じ感覚でどの神様かを意識してお参りするのがヒンズー教
マイケル・C・ウッドフォード
1960年リバプール生まれ
ヴィシュヌ神教があり、シヴァ神教があり、カーリー女神教があり、
その他諸々のマイナー神もそれなりに信者組織を抱えていたりする
それら雑多な信仰を一からげにして、ヒンズー教と呼んでいるような事情がある
ヒンズー教という統一された宗教組織があるわけではないため、
いつヒンズー教が成立したかは一概に言えることではないが、
ヴィシュヌが各種男神を吸収し始めたのが14世紀頃からで、
シヴァ神妃パールヴァティーが各種女神を吸収し始めたのもその直後
これをもって現代的なヒンディズムの礎と見做すならば、
仏教の誕生よりもはるかに新しい
>>19 1行目と2行目との間に関連性が無い
質問の前提が間違っているだけ
北極の民は顔以外を覆う、非常に露出の少ない衣装があるので、
高度な文明を築いていたとされます。
どのくらい高度かというと、つい近年まで石器時代水準だったという。
首都大の二次で世界史ありますが、おすすめの参考書問題集教えてください
赤兎よりも格上っぽい扱いされてる記録の残っている名馬って存在しますか?
71 :
世界@名無史さん:2011/11/28(月) 17:35:28.86 0
汗血馬
72 :
世界@名無史さん:2011/11/28(月) 17:41:35.95 0
ブーケファルス
赤兎も汗血馬 だよな。
ダービー馬のほうがはるかに能力はたかかっただろうけどな!
サラブレッドを初めとする競走馬は速く走ることに特化しすぎているので、
戦場で重い鎧を着た武将を長時間乗せるタフさがない
戦場では一頭の名馬よりも百頭の替え馬のほうが役に立つ
実際は黒王号みたいなのが英雄の馬
>>70 穆王八駿。周の穆王は8頭立ての馬車で中国全土を巡ったと言う。
土を踏まないほど速く走れる「絶地(ぜっち)」、鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」、一夜で5000kmを走る「奔霄(ほんしょう)」、
自分の影を追い越す事が出来る「越影(えつえい)」、光よりも速く走れる「踰輝(ゆき)」と「超光(ちょうこう)」、雲に乗って
走れる「謄霧(とうむ)」、翼ある馬「挟翼(きょうよく)」の8頭で構成される。
相対性理論全面否定かよ
神話的動物はいかがなものでしょうか?
>>78 八頭立て馬車なら結局、「翻羽(ほんう)」のレベルにほかの馬が合わせざるをえまいのな。
一番遅いのは翼があるだけで速度に触れていない挟翼じゃね?
ちなみにこのとき御者を勤めた造父はその功績で趙の地を貰って趙氏の祖となったと記録されている。
神話伝説を別にすると覇王項羽の乗騎、騅(すい)をあげねばならんだろう。史記項羽本紀では項羽が
漢軍に囲まれて最早これまでと別れの宴を開いた場面で「有美人名虞 常幸從 駿馬名騅 常騎之」と
虞美人と並べて登場するだけで詳しい事は判らないが。この宴の席で項羽が歌った垓下の歌で有名。
力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)
時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず)
騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき)
虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん)
ヒンズー教というのは神道ににてるよな。
インド人てのは胸が小さい女の子が好きだということか。
>>6 サーラシとは別人。ホルティの後任の摂政だが、単なるお飾りだったようだ。
(サーラシは下士官あがりの下賤。ザラーシュツィは伯爵様)
ちなみに義経の愛馬が 奥州産の名馬、太夫黒
受験生の分際でこのスレにいるのもあれだけど一つ気になったから質問
何でヒトラーって第一次世界大戦みたいに東西に戦線広げたの?
せっかくソ連と条約結んでたのに
ヒトラーがではなくドイツが。と言う話だろ。。
おまいら人ばっかだとおもったら馬も詳しいんだなぁ感心した
ワシは詳しいのはねこだがな
>>88 条約は、戦争初期にジャマされないように結んだだけで、長い目で見れば
ナチス政権にとってソ連の共産主義は相容れない物だったんだよ
>>88 イギリスが頑強に抵抗しているのはソ連を潜在的同盟国としてアテにしていると考えたから。
もともとのヒトラーの主張が、「ドイツ民族は東方へ勢力伸張すべき」だから。
そのために、ポーランドやソ連西部を占領して、現地のポーランド人やウクライナ人を排除して、ドイツ人を移民させるのが本来の政策目標。
反共主義という要素もあるけど、社会主義国でなくても旧バルト三国などの、現地民族の独立国家は認めない。
西側(イギリス・フランス)については、初めに叩いておいて、東側を攻めている間の安全が確保できたら講和するという都合のいい予定だった。
イギリスが頑張ったので予定が狂ったけど、本来の目標を優先して東側で戦闘を始めた。
どうせ、東側も一年で組織的な抵抗を排除できる短期戦になると予想していたから。
東部戦線を戦争と呼ぶなら西部戦線はスポーツと呼ぶのがふさわしい
ちゅう言葉を思い出した
なんで日本では寧波のことを「ねいは」と読まずに「ニンポー」って読むことが定着してるの?
他にも中国語読みする地域とそうでない地域があるよね、北京とか上海とか香港とか。
西洋人がそう呼んでたから
中国語って言うけど北京語その他etcいっぱいあって、しかも方言ってレベルじゃねえんだろ
超基本的な事でごめん。
イングランド人の事はなんて呼ぶのが正しいの?イングリッシュ?ブリティッシュ?
イングリッシュとブリティッシュの違いが良くわからない。
イングランド=イングリッシュ、スコットランド=スコティッシュ(?)、ウェールズ=ウェールッシュ(?)
でこの3国の人を国別に区分けしないもの、つまりブリテン島民族がブリティッシュかな?と思ったら、
スコットランド人をブリティッシュと言うと怒るらしいし、スコット人は自分をブリティッシュとは言わないらしい。
(真偽は知らんが…)
するとブリティッシュはイングランド人を指す名称?
それならイングリッシュとはどこの人?とゲシュタルト崩壊した…。
現代北京音では、北京はペイチン、南京はナンチン、香港はシャンカン、廈門はシァメンになってしまう。
ペキン・ナンキン・シャンハイ・ニンポーなどは、明清代の標準語である南京官話での発音が「唐音」として日本に伝わったもの。
またホンコンは広東語ヒョンゴンの英語訛りだし、アモイは福建語の南部方言から来ている。
寧波も北京音ピンインではning-bo、呉語ではnyng-poでちょっと違う。
なお上海は、上海語ではZan-hae(ソンヘエ)と読む。
イングランド人=English(イングランドに居住し英語を話す様々な人々)
連合王国国民=British(地域・民族的出自は問わない)
日本語では、連合王国を指して「イギリス」と呼んでしまうが、
Englishがオランダ語Inglesを通じて入った他称なので適切な呼び方ではない。
スコットランドやウェールズも、グレートブリテン島の一部であり連合王国に属するのだが、
「イングランド人なぞと一緒くたにされてたまるか」という民族意識から、Britishと呼ばれるのを好まない。
ちなみにEnglishもBritishも、近年ではホワイトでなくてもいいらしい。
おっと、Inglezはポルトガル語で、オランダ語ではEngelschだった。
まあスコティッシュもウェルシュも、英語は話すが一応ケルト系なので、
ゲルマン系のイングランド人とは違う、という意識がある。
2chでよく言われてる、朝鮮人=エヴェンキ族ってのはどれぐらい信憑性がある学説なの?
確かに李成桂とかの時代は女真みたいなのが半島に入り込んでたし、そもそも李成桂自身が
異民族出身という説もあるが…
エヴェンキ族が先祖ならば、バイカル周辺に檀クンが舞い降りて桓国を建国したという神話はあながち噓でもないのかww
>>104 世界史板では、エヴェンキって語を出した時点でばかにされる程度の信憑性
結局、民族ってものは文化的集団であるといえよう。
>>106 そうなのか。半島とツングース・モンゴル史はかじった程度の知識もないから全く知らん。
よく画像で貼られてる、半島とエヴェンキのトーテムが似てたのが個人的に興味があったんだ
日本にはあの手のトーテムはないなぁ
お地蔵さんや円空仏がそうだろ、と言う話もあるかもしれないけども
中世期のローマ教皇って私兵を持ってたの?
ローマ教会とか教皇領の警護は誰が担ってたんだろうか?傭兵?神聖ローマの兵?教皇の私兵?僧兵?
>>108 そんなことになると、シベリア領有権をしつこく言い出しそう
モンゴル人もロシア人もコリアンは嫌いだから、しっかりお仕置きしてくれるだろう
ついでに、こういうバカウヨをちゃんとお仕置きしてくれるといいんだけどな
しかしモンゴルは外蒙古だけとはいえよく独立できたなぁ。
他の遊牧国家は全部中国に併合されたというのに
117 :
99:2011/11/30(水) 11:45:05.61 0
>>101=103(?違う人だったらごめん)
なるほど、先祖が違う民族なのと歴史的背景(昔から仲悪いよね)が絡み、
スコット・ウェールズはイングランドと同一視されるブリティッシュ呼びを嫌ってるのか。
で、そう言う理由があるもののスコット・ウェールズのブリティッシュ呼びは正式な呼び名ではあるんだね。
ついでにそれは事実の話なのかぁ。
嫌がるのはどっかで見たか聞いた事あるような…でも理由までは書いてなかったしどうなんだろって感じだった為、
いまいち信憑性に欠けてたんだ。
わかり易く教えてくれてありがとう。
>>111 コロンナやオルシーニといった地元豪族と外国人傭兵
>>116 外モンゴルが独立したのは、モンゴル帝国の後継者ロシア帝国の後継者であるソ連のおかげ。
内モンゴルが独立できなかったのは、清朝末期に漢人農民が大挙侵入してたせい。
ただ外モンゴルでは、モンゴル文字に代わってソ連のキリル文字が普及してしまい、
モンゴル文字を残した内モンゴルと文化的に断絶してしまった。
なお「中国」というが、中華民国も中華人民共和国も遊牧国家を併合してはいない。
清朝は旧明領(狭義の中国)をも統治した満洲族の征服王朝ではあるが、
旧明領には天子皇帝、満洲族やモンゴル諸族には遊牧国家のハーンとして振舞っており、
モンゴルやチベットやマンチュリアなどを漢人(狭義の中国人)に統治させたことはない。
満州は清末期に漢人使って統治させてたろ。徐世昌とか張作霖とか
>>120 それは、政策として、漢人を起用して統治したんじゃなくて、
清朝の支配が揺らいだ際に、現地勢力が軍閥化、その頭目がたまたま漢人だったってだけじゃない?
生まれも育ちも満州の張作霖はともかく、徐世昌の東三省総督就任は完全に政策的な派遣でしょ。
まぁ友達の袁世凱の懐柔以外に理由はないと思うけどな
123 :
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 18:22:16.74 0
嘘吐き朝鮮、中国人がやってる報道機関 朝鮮人犯罪があまり報道されない理由
韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
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産経新聞東京本社 〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)
朝鮮日報 、、、 〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1
韓国日報 、、、、 〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
東亜日報 、、、 〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C
NHK放送センター、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
>>116 ボグド・ハーン(Богд хаан)活佛が、ジュンガル蒙古からハルハ蒙古へ
亡命してきた経緯があり、清朝は、この活佛を冊封して地位を与えていた。
ハルハ蒙古は、この活佛を王として、袁世凱へ朝貢することによって、
ハルハ全体が袁世凱から冊封をうける=独立地域認定となったのだ。
この手続きを経ているので、モンゴル国の建国の条件が整ったのだ。
民族としては、10%程度のカザフ民族を含んでの形なので
モンゴルは、最初から多民族国家だった。
125 :
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 21:23:24.04 O
古代における神権政治のイメージがいまいちぴんときませんのでどういった感じか教えてください
邪馬台とか殷がそうだったってききますがある程度統一が進み広域をおさめるにあたって神頼みでまともな政治ができるのと思ってしまう
統一のために神の権威が必要なのはわかりますが覇権をとれるような勇猛な国はむしろ現実主義的なイメージがあるし
権威は神から来るが、現実の政治や軍事行動は神頼みでやるわけではない。
儀式として占いはするが、その結果は都合のよいように解釈され、迷信深い人々を従わせるのに使う。
と現代人は解釈したがるが、半々ぐらいだよ。
古代どころか戦国時代でも、戦場では半分神仏頼みだったし、
軍師があれほど重宝されたのは、そういう方面の知識があったからだし。
>>92-94 ありがとう
やっぱりいろいろ理由があるんだなー
世界史って楽しい受験頑張る
>>125 殷の場合で書くと戦争を始めるかどうか、軍勢を動かす日取りなど一々占う。亀卜はひび割れを見て
吉凶を判断するだけだから条件を変えながら吉と出るまでやる。
「東夷を討つ為に軍を出すのは二日で良いですか?」「凶」
「東夷を討つ為に軍を出すのは三日で良いですか?」「凶」
「東夷を討つ為に軍を出すのは五日で良いですか?」「凶」
「東夷を討つ為に軍を出すのは七日で良いですか?」「吉」
こんな感じ。
>>128 本当のことをおしえてやるよ。
石油がほしかったからだ。
ソ連の領土内には石油ほかの地下資源が豊富にあったからだ。
戦争継続にはソ連に攻め込んで確保するしかなかった。
日本が対米宣戦したのとおなじ。
>>129 そのとおりだよな。
あくまで判断、決定は殷の王がする。
それを支持する神託を捏造する。
「お供えは羌賊の首20で良いですか」「凶」
「お供えは羌賊の首50で良いですか」「凶」
「お供えは羌賊の首100で良いですか」「吉」
なんてパターンも有る。
>>125 古代には、神を祀ることこそが最大の政治だよ
古代の人々にとって何よりも怖いのは天災だ
河川の氾濫、干魃、冷害、蝗害、天候不順による不作や不漁、疫病の流行、地震、火山の噴火、津波、その他
それらの災いに対して、古代の人々は、ほとんど打つ手がなかった
他国との戦争なら頑張って戦うこともできるが、天災に対しては人々は祈ることしかできない
だから、人の上に立つ権力者には、神にお祈りすること、神を祀ることが何よりも求められる
いや、その専門家(と思われている者)こそが権力を握る
現代人から見たら非科学的なように見えるだろうが、古代の人々には切実だったんだ
だからこそ、政治のことを「まつりごと」と言う
というか、そういう状態を初めて脱することが出来たのが近世・近代であって、
そういう意味では中世も、古代も大差ない。
ほんとに脱せてるのかねえ
近世とか近代って用語はあんまり好まないが
近世と中世の違いって何?
“合理的世界観”を捨てられたかどうか
社会主義国家は宗教国家みたいなもんじゃね
「神風が吹く」なんて言って戦争した国が20世紀にあったな。
アメリカも神がかりの宗教国家
産業革命だろ
中世は形而上学的には合理的な世界観が社会を支配していた。
実験や観察を無視した自己完結した世界観がね。
村で一番高い塔に雷が落ちた。何故?
中世的見解…「信仰が足りないから。落雷は天罰」
近世的見解…「雷は相対的に高い物体に誘導される性質があるから」
中世は神学の支配力が強く、自然科学が日の目を見なかった
「中世の暗黒時代」は、自然科学が圧殺された時代を、
自然科学者たちが揶揄して作った言葉
(中世社会の何もかもが暗黒だったという意味ではない)
ルネッサンス以降、神中心の学問(神学)だけでなく、
人間中心の学問(人文科学)もようやく一定の力を得た
その頃からを近世と呼ぶことになった
産業革命の頃からが近代
フランクリンが避雷針を発明したのは18世紀半ばだが、
教会から「そんなものを屋根につけるのは神意に反する」と若干の反対があった
1769年にイタリアの教会に落雷があり、保管されていた大量の火薬が大爆発したため、
カトリック教会はようやく尖塔への避雷針の設置を許可したという
なお、19世紀には「ガラス玉が船のマストへの落雷を防ぐ」という迷信が流行したこともある
146 :
世界@名無史さん:2011/12/01(木) 16:39:35.82 0
ビザンツ帝国の土地分配とその問題点ってなに?
429 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 00:21:40.77 ID:YgDNlsAL
韓国は「日本が正しい歴史観を持つ→反日日教組の教える嘘歴史がばれる」
「日本人が韓国の正体を知る」「日本人が民族の自覚に目覚める」という
三つのことを異常に恐れています。
韓国人は「ビビリ」なので、戦後自分達がやったこと(日本人を殺害、強姦等)の仕返しをされるのではないかと
怯えていた時期があったようです。
韓国を知っている人は、日本が韓国に関わることは日本にとって
全くプラスにならないとすぐに分かる筈です。
逆に言うと、韓国は日本人が徹底的に不合理かつ無知でいてもらわなければ
ならなかったわけです。
そしてそのための撹乱工作を代行していたのが日本のマスコミでした。
>>144 科学の科とは階、段、等、級、位、などと同じく元は階段状のという意味
山科、仁科、保科、更科など階段状の地形の地名に良く使われる
ごちゃまぜのモノを階段状に分類すれば区別しやすい
上の字を組み合わせた品階、品位、等級、階級なども全部階段状の分類・区別という意味
科学とは学問をばらばらにして分野別に区分してやるという意味で
別に等学でも級学でも品学でも良かったのだが単語として成立したのが科学だったということだ
150 :
世界@名無史さん:2011/12/01(木) 18:10:45.79 0
そして科学以前の世界においては科学のような非合理的な考え方・パラダイムが存在しなかった
科学のかわりに存在したのが宇宙から国家から家族から個人までを論じつくす整合的合理的形而上イデオロギー体形であった
例えば朱子学は誠意・正心・終身・斉家・治国・平天下というように個人の内面から全宇宙とを統一的体系的に論じようとする
朱子学イデオロギーは世界を一元的に把握しようとする・・・まるで共産党宣言の結語「全世界を獲得するために」のように
しかし荻生徂徠は宇宙とも個人の倫理とも無関係に成立する政治という人為的作為的な制度を「発見」した
これは一つの形而上イデオロギーによる合理的世界観に反するという意味で非合理的ではあるがこれこそが近代的思考の先駆けとなったというわけだ
>>150 神に守られている場所だから、もっとも安全な保管場所と考えられていた
プラハに火薬塔ってあったな
中国古代の地名・国名についての質問です。
例えば、殷周革命で功績を挙げた姜族の呂尚を封じて斉国を建てさせた、とか言うと思いますが、
この斉のような当時の国名のルーツは何なのでしょう?
部族名でも、諸侯の姓でも、封じられた采地の名前でもない。
その地方に既に住んでいた來部族から付けた名前でもない。
ギリシャやヨーロッパなどの都市国家や封建領の例では、地名や首邑名、部族名と同じ例が多いので
そこから自称したり周囲からそう呼ばれたということだと思います。
二字以上の国名や国名と首邑の名前が同じ例も、後の時代には
中山国とか、鄭国が移転した後の新首邑が国名にちなんで新鄭とかありますが周の建国時は聞きません。
君主の諡号みたいに、国名の研究ってあるんでしょうか?
第二次大戦時の各国の総兵力はどのくらいでしたか?
大日本帝国にすら800万を超える将兵がいたそうですが
斉という都市があったんだろう、常考
「史記」封禅書によれば、首都臨シの南郊に「天斉(天の臍)」という泉があって、
それを祀っていたから斉という国名なのだという
伯夷・叔斉は孤竹国の出身というが、名前からして東夷・斉国の族長だったかもしれない
158 :
世界@名無史さん:2011/12/01(木) 23:59:51.00 O
三皇は創世神話だからともかくとして
五帝ってカリスマ指導者が世襲王朝を立てることなく立ち代わり現れたっていう 理想ですよね
原始的な共同体ならそういうことはありえたんですかね?
またこの想定は世襲を肯定しないから、王朝にはあまり益がないと思うんですがなぜこんな思想が広く信じられたんですか?
159 :
世界@名無史さん:2011/12/02(金) 00:07:22.03 0
やっぱりキモいスレだな?
スレ主はロリコンとかベドとかじゃないかな。
>>158 加上説が言われています。孔子は西周の周公旦を理想とした。
それに対抗する為に後発の墨家は周の前の商王朝の祖である禹を理想とした。
それに対抗する為に後の儒家(孟子?)が堯舜そして禹と禅譲する神話を作った。
という具合に、より古い聖人を創造した。もしくは伝承していた説話を作り替えた、という説です。
下克上で政権を掌握するようになった人々が増えたから、それを理論的に正当化するため。
ただ、孟子に言わせれば世襲も禅譲も放伐も「天命に従った結果」に過ぎず、
天命に従わず無理に禅譲や放伐を行おうとしても失敗する、としている。
なお史書によるかぎり、五帝や禹は黄帝王朝に連なる親戚同士で、
単に嫡子ではなく傍系の王族から後継者を探しただけだったりする。
堯にしてから舜に禅譲するまで20年も執念深く試し続けており、どうも往生際が悪い。
日本人でも無い癖しやがって日本史の研究してる奴って海外に存在してんですか?
>>162 「癖しやがって」などと煽りっぽいことを言っている質問に反応するのもなんだが、もちろん諸外国にも
日本史の研究家はいる
国際政治や経済競争には、相手の国の国民性や文化を理解せねばならないし、そのためにはその国の
歴史的な背景を知る必要があるからね
第二次大戦中のアメリカなんか、真剣に日本史を研究していたよ
164 :
世界@名無史さん:2011/12/02(金) 19:21:01.86 0
質問です。ハイティ革命について、
次の文章が正しいか(自分の理解が正しいか)チェックをお願いします。
間違ってるところは具体的に指摘して頂けると嬉しいです。
ハイチ革命は、クリオーリョ革命の中で唯一、「黒人奴隷が起こした革命」として有名である。
黒人奴隷であるトゥーサン=ルーヴェルチュールがリーダーとなり、1791年以降黒人達が蜂起を起こした。
ハイチの宗主国であるフランスではその頃、国民公会によるジャコバン独裁が行われており、
国民公会はハイチの独立を支持していたが、ナポレオンが登場してジャコバン独裁が終焉すると、
独立に反対のナポレオンはトゥーサン=ルーヴェルチュールを自国に呼び込み、収監し、そこで彼は死んだ。
その後、彼の後継者となったデサランが初代大統領として独立宣言を発し、ハイチは独立した。
しかし、そこに残されたプランター(植民地を管理していた人)らはハイチの東部に財と共に逃げたため、
結果的にハイチは貧乏になってしまった。
>>164 >ナポレオンが登場してジャコバン独裁が終焉すると
ジャコバン政権を打倒して、即ナポレオンが政権のリーダーとなったわけではないので、
”ナポレオンが権力を握ると” って表現あたりがいいのでは?
五帝は並立していたという説もある
167 :
世界@名無史さん:2011/12/02(金) 21:40:53.93 0
>>165 ありがとうございます。
他にも何かありましたら教えてください。
特に気になるのはここらへんです。「デサラン」「ハイチの東部に」「ハイチは貧乏に」
あと、ナポレオンがトゥーサンを自国に呼び込むという事実に関しても疑問があります。
カニングはなぜラテンアメリカの独立運動を支持したか
ついでにもう1つ質問させてください。
1822年にイギリスが五国同盟から脱退したのはなぜですか?
カニングが、中南アメリカの植民地を独立させることで、自由に貿易して市場をゲットしようとした、
というのは理解出来ます。
ですが、そのために五国同盟を脱退したとしたら、それはなぜですか?
脱退することで何か良いことがあるのでしょうか?
>>160 間違えてるのにツッコミが無かったので自分で。
禹は周の前の商のもう一つ前の夏王朝の祖だな。禹が禅譲した後継者は実績が無かったので誰も従わず、
禹の子供が世襲した事になっている。それもあって堯が舜に譲る際には何度も試した事になっているのかもしれない。
170 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 01:07:25.65 0
質問です。
1814年にスペインは王政復古して、フェルナンド7世による絶対王政が復活しました。
それによりクリオーリョが独立派ともう1つある派に分裂されたのですが、なんだと思いますか?
171 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 01:18:55.76 0
異説も何もどっちにしたって作り話だろ
173 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 05:41:34.62 0
フィリキ=エテリアの蜂起に関して列強国のほとんどは冷淡でしたが、
その理由を教えてください。
174 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/03(土) 06:06:25.60 0
>>167 五国同盟がウィーン体制の維持を目的としたものであり、ラテンアメリカ独立の際に、
叫ばれた自由主義の思想とは対立するからでしょ。五国同盟はウィーン体制維持を、
目的とするためにラテンアメリカなどで叫ばれた自由主義を支援することに対しては、
消極的だったからね。国益のためそれを支援したいカニングは脱退することにした訳。
>>173 当時のヨーロッパはまだウィーン体制の時代だったからギリシャ独立戦争などに、
代表されるナショナリズムの台頭に対して列強はあまり積極的じゃなかった。まぁ、
国内世論がギリシャ側に傾いたり、1国だけこの戦争に介入して利益を得ることを、
防ぐために、後にギリシャ独立戦争を支援することになったけど、最初から列強が、
支援してた訳ではないね。当初はウィーン体制の維持を列強諸国は望んでたから。
175 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 06:54:22.61 0
176 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 09:23:51.29 O
アメリカ独立戦争の際にエカチェリーナ2世提唱した武装中立同盟ってなんなの
中立宣言して具体的にいいことあったの?
手を出さないっていうのは英国側に付くことと比べたら独立派への支援になる
よくわかんないけどイギリス単独で消耗して欲しかったんじゃないかな
中国にいる朝鮮族っていつ頃からいるんですか?
清朝によって満州が入植地として開放される以前からいるんですか?
179 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 12:09:37.37 0
中国の庶吏(だっけ?)って字も読めるし実務の担い手として重宝されてたのに、身分上は最下級の役人なんだよね?
中国では死ぬほど難しい科挙を通らなかったら公務員になれないのに、なんで高等教育を受けて試験に受かったのに
蔑まれてしまう階層が大量に発生してしまったの?
実は科挙は簡単な試験だったとか?
>>179 官員は、郷試に合格した者が、朝廷の採用試験=科挙を受けるものであり難関。
吏員も公務員だが、郷試とは関係なく、地域採用であり、朝廷の採用試験=科挙とは全く分離されている。
そういえば宮崎市定以降、胥吏の研究が進んだけど登用システムに触れた著作は日本じゃ皆無だよな。
院生の時苦労した
183 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/03(土) 16:26:25.91 0
>>175 間違いというほどじゃないけどいくつか気になった点があるので指摘するね。
まず4)は中世ローマ帝国という言い方も確かにするけど東ローマ帝国という、
言い方のほうが多いと思うから、そっちも一応解答として挙げておいたほうが、
良いかな。同じようにオスマン=トルコという言い方も最近はあまりしないから、
9)もオスマン帝国だけで良いと思うよ。彼らは自分たちの国がトルコ国家だと、
認識してなかったからね。それと、(d)@のロシアの凍る港はシベリア以外にも、
サンクトペテルブルクなども一応入るからそこら辺も留意すべきかな。他にも、
(e)のイギリスとフランスが参戦した理由はロシアがこの戦争により南下政策を、
進めギリシャやオスマン帝国への影響が強まることを恐れたからというのもある。
まぁ、それも大きく言えばインドへの道を確保するためだと言えなくないんだけど。
後、(f)のカポディストリアス大統領への反発はイギリス・フランスだけじゃなくて、
国内のギリシャ人からも余所者だった上に独裁的だったため反感を買ってたよ。
最後に、これは明確というほどでもないけど間違いではあるから指摘しておくけど、
(b)の正教会がギリシャ独立を支援したとなってるのは誤りだよ。当時、正教会の、
聖職者の多くはオスマン帝国の下に留まったほうが良いと考えてたからね。特に、
コンスタンティノープル総主教(正教会のトップみたいなの)のグリゴリオス5世は、
フィリキ・エテリアを非難してたぐらいだからね。まぁ、彼は反乱の続くギリシャと、
戦って疑心暗鬼になったオスマン帝国によって、ギリシャ独立を支援してるという、
濡れ衣を着せられ処刑されてしまったけどね。これ以外は基本的に問題ないかな。
そもそも吏員が公務員なのかどうかも怪しい
胥吏は民間で世襲利権として行政事務請負をやってる人たち
一種のギルド組織
186 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 18:55:49.50 0
>>183 オツガイさんいつもありがとうございます!
中世ローマ帝国は「東ローマ帝国」とも言うのですね。
古代ローマ帝国の東側が中世ローマ帝国になった、という事実がより納得出来ました。
カポディストリアス大統領のところは、僕自身よく分からなかったのですが、なるほど、
ギリシア独立を支持したときのライバル(?)であったロシアが大統領になってるのが不満なのではなくて、
政治の内容がいかにも独裁的であったところに不満が爆発したのですね!
ギリシア正教会云々の話ですが、僕は学校では
ギリシア正教会がフィリキ=エテリアをマインドの面で支援した と確実に習ったのですが、
なるほどー、ギリシア正教会はギリシア独立に対して積極的ではなさそうに見えますね。
うちの世界史の先生は結構右翼で、間違いもたまにあるし
重要ポイントがどこなのかが分からなくなったりするんですよね;;
だから勉強中はいつも片手に参考書3冊置いてやっています。
これをずっとやっていると、いかに高校レベルを超えてるかがたまに分かります(笑)
ところでオツガイさんは高校生ですか?大学生ですか?
>>186 世界史勉強したことあるのかって聞こうと思ったらしてるんだ。
何か知識偏ってるな。
188 :
154:2011/12/03(土) 19:24:58.11 0
>>157 回答ありがとうございます。
なせ「斉」なのかって説明した説話はあるんですね。
>「史記」封禅書によれば、首都臨シの南郊に「天斉(天の臍)」という泉があって、
>それを祀っていたから斉という国名なのだという
>伯夷・叔斉は孤竹国の出身というが、名前からして東夷・斉国の族長だったかもしれない
上の話はちょっとあやしい(斉が成立した後で、権威付けで後付けしたかも・・・)って気もしますが、
伯夷叔斉ってのは気付きませんでした。
たしかに夷と斉と一対なのを表しているのかも。
封地に関連する名前から一字を取って周王が決めるってことなのかな。
そもそも臨淄という地名は後から付けたんじゃないか?
淄水のほとりの都市だかたでしょ。
臨〜という同じ様な河川のそばの地名はいくつかあるけど、もともとそういう名称であったとは思いにくいね。
斉という都市国家があったんだとおもうよ。
そこから始まった国でしょう。
最初営丘、のちに名をあらため臨淄となった。
んですって。
各地の邑・國(都市国家)や姓(母系部族)の多くは周や商以前からあって、
宗主国や支配層がすげかわっても、現地の邑・姓の名字はあまり変化しなかった。
太公望が来る以前から斉という名の邑か國があって、それを首邑とした領域も斉と呼ばれたのだろう。
営丘や臨シの旧名が斉といい、それが忘れられて営丘や臨シという呼び名になったのかも知れない。
また漢字(シナ文字)の性質上、「ひとつの文字」と言っても、いくつかの記号が複合されていることが多い。
斉(齊)という文字は、額の上に三本の簪(かんざし)をまとめて立てた形で、「ひとしい、ととのう、そろう」という意味。
その姿は女性(斎女)が祭祀に奉仕する時のもので、神を祭る机(示)を加えれば「斎(ものいみ)」となる。
こうした巫女が聖なる泉(臍)を祭っていたから斉だ、とすれば、説得力がないでもない。
複数文字の古姓は、淳于、澹臺、端木などあるっちゃある。
呉を句呉・工呉、越を於越と記すように、越語の接頭辞をつけることもあった。
192 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/03(土) 21:07:43.76 0
>>186 僕は高校生だよ。僕もあなたと同じように学校の授業とは別に世界史の本を、
いくつも読んでるタイプ。まぁ別に学校の世界史の教師も嫌いじゃないし良い、
教師だと思うけど。それでもやはりもっと詳しく知りたいと思うことはあるからね。
>>186 別におまえの自己紹介なんか聞いてないよ。
あと、読みにくいから改行したり段落分けしろ。
193はオツガイに対してな。
乙なガイじゃのぅ
196 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/03(土) 21:45:22.07 0
>>193 ごめん、確かに世界史と直接関係はないけど
>>186で、
高校生か大学生かと訊かれたものだから。
オツガイは確かに改行と段落を覚えろ。
正しいことが書いてあってもスレがうざくなる。
199 :
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 22:23:31.48 0
周も陝西か甘粛にそんな地名があったんかねえ。
キリスト教圏の初期には自らの性器を切って神に奉仕しようとする、自宮僧なる聖職者が
いると聞いたんですが本当ですか?事実だとしたらキリストの教えに背いてません?これ
姦淫によって身を汚すことがなくなるからよいことだ、とされたらしい
東ローマ帝国では、歴代コンスタンティノープル総主教の中に何人か宦官がいるよ
イザヤ書56章4-5節
主はこう言われる。
「我が安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、
わが家のうちで、わが垣のうちで、息子にも娘にもまさる記念の印と名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える」
マタイによる福音書19章10-12節
弟子「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」
イエス「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
生まれつきの去勢者もおり、人から去勢された者もいるが、天の国のために自ら去勢した者もいる。
これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」
ヨハネの黙示録第14章
十四万四千の人々が小羊とともにおり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。
…彼らは女に触れたことのない者であった。彼らは純潔な者で、小羊の行くところへはどこへでもついて行く。
彼らは神と小羊とに捧げられる初穂として、人間の中から贖われた者である。
>>200 異教の洗礼を受けたものがキリスト教に改宗する時、
去勢する者たちがいた他、修道士の中にも自ら去勢するものがいた。
禁欲と去勢を結びつけたのはオリゲネス派だと云われている。
基本的には推奨されず、ニカイア会議で反対された上、近世には禁止される事になる。
しかしイタリアの合唱隊は長くそのソプラノのために去勢させられており、
19世紀末ようやく教皇から去勢者を雇う事を禁止する命令が出された。
なお、最も有名なのは去勢派(マタイ19:12が根拠)で、19世紀には六千人ほどいたが、
ソ連期に厳しい弾圧にあい、現在では北コーカサスに若干名いる程度になっている。
>>188 白河静によれば伯夷は羌族の神で嵩山に居るんだそうだ。一般的に妥当と見なされてるかどうかは知らない。
(一説に太公望も羌族の出とされる。)
伯夷・叔斉の孤竹国は、子姓なので
古漢族華夏の姫姓とも
胡族羌の姜姓とは別系統だ。
>>205 羌族のアニミズム信仰は、日本の神話や神道と
関係ありますか
208 :
206:2011/12/04(日) 01:11:31.39 0
>>207 ヨコレスだが
神道に男性シャーマンがないことには、表面的には共通性がないな。
出雲神楽や石見神楽に、男性シャーマンによる憑依のアドリブがあるので
そっちの系統には、共通性があるかもしれん。
羌系の神話は、猴神話をたいがい持っていて
猴がやってきて、巨大女なり鬼女と結婚するたぐいが共通。
秦嶺山脈には猴がいるので、陝西甘粛四川などの内陸部が猴の出身地となる。
天孫降臨が似ているといえば似ている。
>>205 >白河静によれば
白川静……。OTL
>>206 白川静によればその説話は弧竹国とは無関係で、伯夷を祭る羌族が商の武力討伐に賛同しなかった事を
示してるんじゃないか、だそうだ。
子姓って事は商王朝と同族?あ、wikipediaにあった。
白川氏の著作なら、禅譲の誘いを耳の汚れとした許由も羌人の神(象徴)としていたな。
「会稽の蕨」の伯夷・叔斉や許由の逸話は本邦の「国譲り」と同じく羌人が中原を追われたことを示しているそうな。
漢の時代の『白狼王歌』から、羌系民族はシナチベット語族チベットビルマ語派から変化してないことがわかっている。
現存する爾馬部族が羌族の少数民族認定を受けているが
その集団の持つ神話は猿猴神話なので、白川静説のほうが整合性があわない。
羌は「羊+人」、姜は「羊+女」であり、単純に羊飼いの牧畜民を意味する。
太公望の先祖は呂や申に封じられたが、ともに河南省南陽市の域内。
中原のど真ん中の河南にチベット系牧畜民がいるとは不思議なようだが、
後世にも洛陽周辺には「戎狄」や「胡」が多く居住しており、意外に牧畜適地らしい。
中原の商がわざわざ生贄を求めて陝西・甘粛まで遠征したとも思えないから、
これらの羌は商の手の届く範囲にまで群居していたのだろう。
なお商の甲骨文にも「キ」という猴の姿の神が記され、商族の祖霊として祀られている。
なんで童貞がそんなに神聖視されてるんだろ?
処女の巫女を神に捧げるって話ならままあるが
エホバとかいう神はショタ好きのホモなのか?
>>203 >>彼らは神と小羊とに捧げられる初穂として
十四万四千本の未使用童貞チンポを捧げられて嬉しいか?
リアルな話をすると妻がいる場合
「夫の稼いだ金は家族のもの」と主張して教会の権利・財産の
権利関係が(特に遺産相続において)ややこしくなるから。
>>210 准河から北の中国には、姜姓各氏の漢民族の比率が高いので
中原に居座っているだろう。胡氏・李氏・呂氏・楊氏なんかに姜姓が多い。
子姓各氏のほうが、南の沿海部中国で比率が高いから
追われたのは、殷人側のほう。
姫姓の場合、族譜での自称が多いので、普遍的に分布。
明の皇帝たちは宮廷の中でどのような言葉で侍臣たちと話をしていたのですか?
やっぱり、漢文みたいな喋り方をしていたのですか?
それとも、?好とか什麼とか去(行く)みたいに現代中国語に近い言語が普及していたのですか?
平松邦夫/民主党
大阪市役所・自治労・大阪市労働組合・日教組・大阪市教育委員会・自民党・共産党・社民党・関西電力・住友グループ
・毎日放送・毎日新聞・関西経済連合・日本原子力発電株式会社 ・ 週刊文春・週刊新潮・NHK・朝日新聞・読売新聞
・部落解放同盟・朝鮮総連・在日本大韓民国民団・日本遊技関連事業協会・全日本遊技事業協同組合連合会・日本弁護士連合会・生活保護受給者・反日左翼・9条の会・革マル派・中核派
VS
橋下徹/維新の会
大阪市民・みんなの党・国民新党・亀井静香・石原慎太郎・東国原英夫
様子見:公明
正則漢文(文言)は公文書用の文章語・古典語で、会話用言語(口語、白話)ではない。
中国の宮中や官僚同士の会話には、公用共通の会話語として「官話」を用いた。
明清の公用語は南京官話だが、文体も文法も文言とは相当に違う。
ローマ教皇って世襲じゃないと思いますが、
全員権力闘争を勝ちあがって来た人たちなんでしょうか?
それとも今はともかくその多くは生まれながらにして教皇の地位を約束されていた人の方が多いのでしょうか?うか?
>>222 コンクラーベ自体が根回しと買収合戦だからな
インノケンティス3世とかヨハネパウロ2世とかとか今のベネディクトとか
あいつらみんな聖人ヅラしてるけどポープになるために
裏でどんなけ汚い事してるのかわかったもんじゃないよ
逆に言うと世襲じゃないし、国民投票でもないから
実力さえあれば誰でもなれるし
ライバルをあの手この手の卑怯な手を使って追い落としてる
『悪徳の法衣』の世界だな
一番買収工作の介入しやすいのは国民投票だけど
それが先進国のポピュラーな形態なんだから、買収が不正、非道徳的という考え方自体、
とっくの昔に時代遅れなんだろう。
コンクラーベのそもそもの始まりが、次の教皇決める会議が紛糾して、あまりにも決まらないので
その会議場を閉め切って「決まるまで外に出られねー」って状況を作ることで速やかに決めさせる
ためだからな
そこまでしないと決まらないほど、根回しや利害関係でそれぞれの候補者を押して引かない枢機卿
が多かった(そして今も多い)のだろう
発音が似てるのは単なる偶然だが、まさに「根比べ」だ
そういや今のバチカンのヒエラルキーに派閥とかあるんだろうか?
集団だし、権力闘争を考えると、
こいつを次期教皇にして、
こいつを支持していた事によって自分の地位を高めたいとか絶対あるはずだけど
負けたほうが窓際とか
権力つっても所詮聖職者だし政治家などと比べても格段上がるわけでもないからなぁ。
基本的には、改革と保守などの思想的な違いが対立の中心だと思う。
中国・三国史で孫権は何で妹を劉備の嫁にやったの?
あの時点じゃ孫権の立場の方が明らかに上だし、人質にもなるから逆に劉備方から女を貰った方が良かったのでは??
劉備には娘も妹もいなかったんだからしかたないじゃん。
降嫁といって、普通の形でしょ。
漢王朝も匈奴に嫁をやっているんだから。
劉備の妹。
耳のでかい年増女。。
妹をやれば、孫権のほうが劉備の「義兄」ってことになる
孫夫人も「私は劉備より格上だ」と、子飼いの部下や侍女を率いて好き勝手しており、
劉備にとっては扱いの難しい危険人物だった
孫夫人はスパイだったってこと?
>>175 遅レスだけど,貴方が高校生っぽいので,そういうことなら,大学入試に出るか,適切な語句使用か否かも含めてつっこむ。
2)は古代いらないだろう。「ローマ」だけで十分。あと,ギリシア征服当時はまだ共和政なので誤り。
4)オツガイの指摘通り,「中世ローマ帝国」よりは「東ローマ帝国」が適切。
11)フィリキ=エテリア,13)フィル=ヘレニズム,23)と24)初代国王バイエルン出身のオットー(オソン1世)。
これらはまず入試に出ない。出すとしても早慶上智くらいで,出したら悪問扱いされる。
26)ウィーン体制後の諸国家は確かに君主制に戻ったが,「絶対王政」ではない。
絶対王政は近世西欧にのみ見られる特殊な政体なので,ウィーン体制の反動政権には普通使わない。
Aは誤りではないけど,普通の学生には埋まらないと思うな。
a)とb)はフィリキ=エテリアが単語として通常履修しないものなので,自動的に悪問。
d)@,ロシア帝国の不凍港と言えばむしろアルハンゲリスクのある白海や,サンクトペテルブルクのバルト海ではないか?
ギリシア独立時点ではウラジオストク建設前。
f)これも受験世界史としては範囲外。早稲田でも出ない。
孫呉からの公然たる御目付役だな
蜀に入ってようやく羽が伸ばせた
>>227 改革派とか保守派とかヨーロッパグループとか南米グループとかはある
今の教皇が選ばれた理由の一つに高齢だからそう長生きしないだろうとの理由で妥協が成立したというものがある
根競べの中の話だからもちろん憶測だが
238 :
世界@名無史さん:2011/12/05(月) 07:48:37.80 O
>>233、
>>236 劉備を「弟」として孫権側の優位を示すために、歳が大分離れているにも関わらず妹を与えた。
で、劉備が益州をとった後は
>>236の経緯から夫婦仲が良くなかった筝もあり、後継ぎの息子を拉致って呉に帰ろうとしたのか。
なるへそ。ありがとうございます。謎が解けますた。
後継ぎの息子を拉致って。というのは史実だったん?
修道院の利益を代表する存在、それが枢機卿。
戦わずしてなにが根競べか!
>>239 正史本文にはない。
裴注の引用する『漢晋春秋』や『趙雲別伝』では、劉備が益州に入った時に孫呉の船団が夫人を迎えに来て、
彼女が劉禅を連れて行こうとしたのを孔明・張飛・趙雲が阻止した、と記す。
正史では、孫夫人が帰国したのは劉備の益州獲得後で、孔明・張飛・趙雲はすでに益州に入っており、荊州にはいない。
孫呉としては、孫夫人(とその部下たち)を荊州での御目付役として止め置いた方が都合がよいので、
劉備側から「益州で別の妻(呉夫人)を迎えたので」として、自立のために孫夫人を返還したのかもしれない。
あるいは実際に孫呉側が迎えに来て、「益州取ったんなら荊州明け渡せや」と迫ったか。
劉禅まで拉致ると同盟が決裂するのでやらないだろうが、やってもおかしくはないぐらい緊張した関係ではあった。
明王朝の明って中国の伝統的な地名由来の国号じゃないですよね?
明の語源はやっぱり紅巾の乱の首領の称号である小明王から来てるんですか?
歴史漫画で時々心臓マッサージや人工呼吸してるシーンがありますが、心肺蘇生はいつから知られてたんですか?
244 :
世界@名無史さん:2011/12/06(火) 16:15:40.47 O
2ちゃんで政治関係の話になったとき
利権団体は全て潰せ!みたいなこと言ったやつにクメールルージュ起こす気か
てレスがあったけど利権潰しが行き過ぎるとポルポトみたくなるの
「小明王」という称号は韓林児が名乗ったもので、父の韓山童を「明王」としたため。
明王とは白蓮教・マニ教(明教)における救世主で「光明の王」を意味し、弥勒仏(ミトラ)のこととされる。
史料には国号の意味は書いていないが、大明という国号はそれを意識してのものであろう、という。
とりあえず、直前の元だって地名じゃないし、もっと前にも金という例があるし、西夏(国号は夏)だって伝説的な
夏王朝にあやかってるだけで、夏という土地に封じられていたわけでもその場所に建国したわけでもない
そういった異民族王朝のせいで、もう、国号が地名じゃないといけないわけじゃなくなって、恣意的に文字を
選んで決めていいような空気になっていた
明以後も、順、清、太平天国と、地名は関係なくなる
朱元璋は元々呉王を称してたのに何で即位したら明に変えたんだろうねー。
この辺りの研究ってないかしらん
249 :
世界@名無史さん:2011/12/06(火) 18:18:56.23 O
劉氏だから「漢」とか李氏だから「唐」とかいうのも
国名と地名が乖離してる例といっていいかも。
で、李自成の「順」の由来って何?
遼は遼河流域に興り、遼東・遼西という地名もある
金は砂金の産出するアルチュフ河のほとり(今のハルビン)に興り、アルチュフを漢訳して金とした
西夏は、王室の祖・拓跋思恭が唐から夏国公・夏州節度使に封じられていたため
匈奴鉄弗部の赫連氏が「匈奴は夏后氏の末裔である」としてオルドスに立てたのが大夏国で
それを滅ぼした北魏が夏州を置き、唐代にも夏州があった
自ラ成ルモノヲ英トイフ。
万物ノ順フ処也。
易経にある言葉だよ。
李自成の字は子英。
「順」という国号はもちろんここに由来している。
253 :
世界@名無史さん:2011/12/06(火) 21:50:00.16 0
>>247 世界史地図やWikipediaくらいは見てから書き込みましょうね
254 :
世界@名無史さん:2011/12/06(火) 22:55:55.78 0
嘘吐き朝鮮、中国人がやってる報道機関 朝鮮人犯罪があまり報道されない理由
韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ 、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6
大韓毎日 、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
京郷新聞 、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社 〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)
朝鮮日報 、、、 〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1
韓国日報 、、、、 〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
東亜日報 、、、 〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C
NHK放送センター、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
順がすぐに滅んだのは国号が悪かったんだな
恭順、従順
>>252 無学にしてその文句を知りませんが
易経のどのあたりにあるのでしょうか
257 :
世界@名無史さん:2011/12/07(水) 00:24:45.15 O
>>248 マニ教(明教)から来てる説は聞いた事がある。
全く別の事調べてる時に見たから詳しい所は覚えてないんだけど、ウィンキペディアに乗ってるくらいは有名な説らしい。
文字ができて以来、近代まで文言と言文が一致しない傾向が多いのは何故なのでしょうか?
そもそも何故人類は喋りもしない言語で記録を取るという必然性があったのでしょうか?
ラテン語、漢文、候文みたいに。
×言文
○話し言葉
でした。
方言とかでそのまま書かれたら、わけ分からなくなりそうだな。
漢文で書いたらインテリっぽく見えるだろ
仮名文は甘え
書かれた言葉は、書いた集団と書く目的に合わせたもので、
書かれた後は、後の世代に再利用され引き継がれるので変化しにくい。
しゃべり言葉は社会の変動=職業、階層、民族で割と早く変わっていくし、
他の集団や地方に伝えられことも多いのでそこでも変形を受ける。
黄巾軍首領の頂角はどこから信者の衣食住賄う資財・物資を調達していたのか
明確な記録はありませんか?
追記
初期は太平道信者使わせて交通整備やボランティアみたいなもので稼いでたそうですが
多くの金は入らないですよね?それどころか軍資金もたまりませんし
連レス申し訳ない
記録は知らないが、
「信者の衣食住賄う資財・物資を調達した」のではなく、「信者から資財・物資を調達した」んだろ
古今東西、そうでない宗教団体などない
罪人に街道整備のボランティア活動させてたのは、張魯の五斗米道。
その教団組織が漢中郡をのっとり、地方官吏になりかわって租税を献金として集め、
倉庫に蓄積はしたが贅沢はせず、民衆に無償で還元したから熱狂的に支持された。
太平道は、人口密集地の民衆を主な信者として取り込んでいったから、
貧民が有難がる程度の衣食や呪術医療を与えてやればよく、信者からの献納で足りる。
漢への反乱を起こしたあとは、郡県の官庁や地主から略奪して分配したであろう。
朝日新聞は一時期300人のネット工作員をかかえ、反日工作を行っていた。
捕まった編集者は49歳ですが、こんなカスでも1500万円の年収がもらえるんですよ。
>>866 14時以降に何が起きたんだ
>>866 Domain Information: [ドメイン情報]
a. [ドメイン名] ASAHI-NP.CO.JP
e. [そしきめい] かぶしきがいしゃ あさひしんぶんしゃ
f. [組織名] 株式会社 朝日新聞社
これが規制されたからじゃねw
−「朝日新聞社は、とある思想やパラダイムに日本の世論を誘導する見返りに、中国から大量の資金を貰っている。」−
これはおそらく週刊誌さえ書けない。
「失語症躁鬱ニートは氏ねよ」【ネット】朝日新聞社員(49)ネットで荒らし行為、会社ごとアクセス規制へ 2009年3月
文化大革命による一連の狂った行動は、共産主義国家にありがちなタイプの政治混乱なのでしょうか?
それとも粛清・虐殺が多い中国特有のタイプなのでしょうか?
両タイプが悪魔合体してああなりました
>>258 書き言葉というのは、そもそも記録が目的。
話し言葉は、コミュニケーションが目的。
なんで発生・発達の課程が全く違う。
例えば後者は、情報がリニア(線状)に並べられていることが必須だが、
前者には本来その必要は無い。
時代が下って社会のが発達するにつれ、両者の形態が近い方が
便利なことが多くなって来たため、様々な似せる努力が行われて来たが、
100%一致することは将来的にも無いと思う。
(この辺りの事を説明しようとすると、パロールがどうのこうのとかいう話になってしまうけど。)
口語と文語が比較的近い現代でも、文語でしか使わない表現とかあるし
たとえば、「〜である」って語尾は、文章ではよく見るけど、話し言葉としては、原稿をそのまま読んでるような
演説や講演や答弁以外ではあまり聞かないのである
書き言葉「いう」と話し言葉「ゆう」とか
そーいや男と女でも論文書くときは文体一緒だよな。
>>271 ちびまるこちゃんのナレーションで聞くのである
大東亜共同宣言が欧米に与えた影響って何かありますか?
教えて下さい
平松邦夫/民主党
大阪市役所・自治労・大阪市労働組合・日教組・大阪市教育委員会・自民党・共産党・社民党・関西電力・住友グループ
・毎日放送・毎日新聞・関西経済連合・日本原子力発電株式会社 ・ 週刊文春・週刊新潮・NHK・朝日新聞・読売新聞
・部落解放同盟・朝鮮総連・在日本大韓民国民団・日本遊技関連事業協会・全日本遊技事業協同組合連合会・日本弁護士連合会・生活保護受給者・反日左翼・9条の会・革マル派・中核派
VS
橋下徹/維新の会
大阪市民・みんなの党・国民新党・亀井静香・石原慎太郎・東国原英夫
様子見:公明
外国の封建領主にも日本でいう附家老みたいに、何代に渡って配属先の指揮を受けながらも
給料その他は君主から直接貰う、みたいな主従関係にあった人たちはいたのですか?
太平天国の乱が15年とかなりの長期戦になったのはなぜですか?
>>279 幕末の日本の武士みたいに、満州人の貴族・軍人が柔弱化していて、実戦ではまるで役に立たなかったから
281 :
世界@名無史さん:2011/12/08(木) 20:50:38.14 O
第一次世界大戦後、なぜセルブ=クロアート=スロベーン王国と3つの民族が一緒になったんですか?特にセルビアなんかそれまで単一民族国家だったのに、、
チェコスロバキアも2つの民族ですよね、、
民族自決は建前と考えていいんですか??
哀れな受験生に教えて下さい
>>281 民族というより、信仰が違うんですよ。
言葉は何とか通じても、プロテシタントとカトリックとかの違いがあったり
ギリシア正教が割り込んでいたりしていて中欧東州はモザイク状態。
民族識別が後付けでなされているわけ。
そこへ言葉の通じないアルバニアとかマジャールとかがいるわけで
本当の異民族もいるので、民族の線引きは一律ではない。
283 :
世界@名無史さん:2011/12/08(木) 21:37:28.33 O
>>282 ん??セルビアはギリシア正教でスロベニア、クロアチアはカトリックなのでは?
284 :
世界@名無史さん:2011/12/08(木) 21:39:13.37 0
285 :
世界@名無史さん:2011/12/08(木) 21:48:17.76 0
マケドニアはマケドニア正教
286 :
世界@名無史さん:2011/12/08(木) 21:59:35.11 0
ノアは一つがいずつのあらゆる動物を箱舟に入れて、地上を一掃する大洪水が
終わって動物たちも助かったわけですが、地上には何も無いはず。動物も当然いません。
ここで不思議に思うんですがライオンとかの多数の肉食動物は箱舟から降りてから
何を食べて生き抜いたのでしょうか? まさか、箱舟には一つがいしか草食動物が乗って
ませんから、それを食べたら絶滅してるわけでそれを食べてはいません。
何もかも死んでいない地上で何を食べて生き抜いたのでしょうか?
冬眠装置でもあったんじゃね
>>286 方舟の中では食べないで過ごしたとしたら、方舟を下りてからもある程度の期間は食べないで過ごしたのかもしれません。
近所の教会行って聞いてこいよ
ちゃんと答えるまでしつこくな
肉食動物は、魚とか鯨を食べていたのではないでしょうか?
>>286 清い家畜と鳥は7つがいだぞ。祭壇に捧げたのと
食われたのがいたんだろ。
全能の神がマナでも降らせて養ったんだろ
>>281 それらの民族は単一では小規模すぎて周辺の大国の喰いものにされそうに思えたから。
295 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/09(金) 02:55:32.16 0
>>281 何を持って1つの民族とするかというのはイデオロギーや解釈によっていくらでも、
変わるからね。当時ユーゴスラビアやチェコスロバキアを作ったのはスラヴ人は、
それで1つの民族だという思想が根強かったからだよ。実際は
>>282が言うように、
宗教などで違いも見られたんだけどそういった違いを無視してスラヴ人の統合を、
目指した。こういうスラヴ人全体の統一を目指す動きが汎スラヴ主義と呼ばれる。
第1次世界大戦の直接的なきっかけもセルビア人のナショナリストによるものだし、
当時のセルビアなどでは、それだけ汎スラヴ主義の影響が強かったという訳だね。
セルビアとクロアチアは言語は殆ど同じだが宗教が違う。
スロヴェニアとクロアチアは宗教は同じだが言語はかなり違う。
歴史的にはセルビアは長らくオスマン帝国領、クロアチアはハンガリー領、スロヴェニアはオーストリア領だった。
しかしながら20世紀初頭の第一次・第二次バルカン戦争でセルビア王国が連勝した時にはクロアチア人やスロヴェニア人も大喜びしたそうだ。
>>281 あそこらへんはもともと、ローマ帝国、東ローマ、オスマン、ハプスブルグなどだったことが
多いから、どこかの国に属するのが普通で、独立するという考え方が薄かったのかも知れない。
1民族1国家は現代になって出てきた考え方。
昔は強い勢力が武力で周辺を支配し、支配期間が長ければ、
習俗、言語、宗教が似てくるからそれがそのまま民族になった。
今でも中華民族なんかそれ、もともとは別の多数の民族が寄せ集まってできている。
戦間期、経済崩壊したドイツで、食用を目的とする殺人事件が続出した原因の一環として、
元々ソーセージ等の肉加工が普及していた文化的背景もあるのでしょうか
ソーセージにしてしまえば原料が人肉だとはバレないと考えて犯行に及んだ節が見られるのですが
299 :
世界@名無史さん:2011/12/09(金) 19:20:12.42 O
どこの国でも食べる物が無くなって人を食うって事件はあるよ。
経済崩壊や事故での遭難で食べる物が無くなると人を食うしかなくなるってだけで、食肉文化とか関係ない
ここで言っているドイツでの事件は、殺した本人が食うのではなく、
他人に食わせるために連続的に殺人を行なっていたもの。
結果として人肉を食べてしまった人々の大概は、知っていて人肉を食べたわけではなく、
騙されていた。加工されていたから誤魔化しが効き易かったのではないかという話だろ。
どこの国でも食人事件はあるとかいう話は的外れで、論旨とは関係ない。
>>300 質問者は、”食用を目的とする殺人事件が続出した原因”を聞いているのであって、
”人肉販売が目的の殺人事件が多かった原因”を聞いているわけじゃないぞ?
で、答えになってないかも知れないが、ドイツの例って、
逮捕された連続殺人犯が自白して、センセーショナルな話題になって皆の記憶に残っただけじゃないのかな?
一応、戦争が終わった時代の事件で捜査・裁判がちゃんと行われて、記録・報道もされたわけだし。
もっと現代近くだと、第二次大戦中のレニングラードとかでも、包囲された都市の中で同様の殺人が多数あったと
言われているけど、戦争中だから捜査なんて二の次だろうし、報道規制もある。
噂は伝わっても、人数などは正確に残っているわけじゃない。
誰?フリッツ・ハールマン?
しかしこんなの、証明の手法が思いつかない
犯人たちが「ソーセージ類という食品が発明されていなければ、こんな犯行には及ばなかった」
とでも供述したかどうかから推測するしかないんじゃないか
>>301 いえ、どちらかというと”人肉販売が目的の殺人事件が多かった原因”という表現の方が
質問の意図に沿っています
人肉販売が目的の殺人事件が多かったという事実そのもが存在しない
ソーセージでなくともミンチにしてハンバーグにすればわからないだろう?
人肉は豚肉に近い味なんだそうだ。
ソーセージ云々は関係なかろう。
マルタンの図説食人全書もそうだけど、食人は一般的な噂話が
さも真実のように語られることがよくあるよ。恐らくは20世紀に入ってから
こうした「食人伝」は急増した。渡辺良智はこうした噂について、
「これらの都市伝説や噂は,先進国,そして,中南米,アジア,
アフリカの開発途上国の人々が懸念していること,想像していることを表出したものである。
それらは,人々が曖昧な状況に置かれていて,不安が高まっているとき,噂が発生するという
噂の研究の知見にぴったり合う。そして,現代のリスク社会に対する警告のメッセージを
伝えている」と述べている。
ナチスが共産党を弾圧した理由を馬鹿受験生に教えてください。
国家社会主義ドイツ労働者党っていう労働者の党なのに、なぜ同じ労働者の党の共産党を弾圧したんだろう。
労働者党ってのは名前だけで、これこそがヒトラーの独裁?
国家社会主義
× 国家+社会主義
◯ 国家社会+主義
>>286 ばか。
ちゃんと教会では教えてるよ。
ライオン、虎、山猫はノアがしぼった雌牛の乳をエサとして洪水とその後をのりこえた、と。
工作員達の正体(韓流AKBと政治ゲーム)
180 名前:115x125x150x194.ap115.ftth.ucom.ne.jp[] 投稿日:2011/04/29(金) 13:58:50.19 0
このスレ見てハロカスヲタはホント閉鎖的だなって思うわ
これだからハロカスって言わるんだよカス ハロ=HelloProject(モーニング娘などが所属)
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1303996886/180 756 名前:115x125x150x194.ap115.ftth.ucom.ne.jp[] 投稿日:2011/04/30(土) 04:27:05.86 0
このスレ見てハロカスヲタはホント閉鎖的だなって思うわ
これだからハロカスって言わるんだよカス
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1304043385/756 他多数書き込み
Network Information: [ネットワーク情報]
a. [IPネットワークアドレス] 115.125.150.192/29
f. [組織名] 有限会社 クリップ
AKB48 音響、缶バッヂ等製作 有限会社クリップ(代表=日本名を名乗る在日朝鮮人)
→なぜ在日朝鮮人が、わざわざ2chに出向いて必死になってHelloProjectを叩くか。単に商売敵だから?AKBが「ツリ目のエラ張りにしか」売れてないから?
ヒント:*韓国人のみに見られる風土病の存在
*HelloProject→日本人アイドル AKB→整形した○○人←韓流()
そして、"朝鮮人だらけの"マスコミが 捏造AKB ブーム. 捏造韓流 ブームを演出し、ごリ押す目的が見えますか?
検索していろいろなサイトを巡ってみて下さい
>>311 雌牛も大変だったなぁ。
肉食動物何種類いるかわからんぐらい多いのに。
雌山羊、雌羊も協力したからね。
雌鳩とかも
ま〜
普通にさ。
マンモスとかオオナマケモノとかイエティとか。
ノアの洪水のときにライオンに食われて生き残れなかった。ってのはわかるよね。
グリプトドンも、ノアが食料に定めてしまったからねぇ。
古代〜近世までに行われた戦闘と
近代〜現代の戦闘とで、彼我の戦況が丁度同じような展開になった戦場はありますか?
近現代同士だと
日清戦争と朝鮮戦争の鴨緑江方面が似てるって聞きましたが
タンネンベルグ
労働者=革新って図式はどこから始まったんだろ
まぁ確かに共産革命以前も
アメリカで奴隷解放進めたのは労働者の多い北部だったけど
日本の港湾労働者なんかは社会党より右翼・暴力団・自民党と仲が良いような
港湾労働者自体が機械化で少なくなって
艀(バージ)自体も大幅に減少した。
「沖仲仕」自体が絶滅危惧職種だわな
保守層や資本家の支持を得ていたナチが独裁に向けて進むにあたって最大の敵は共産党だったので、
労働者の味方の立場を取りつつ共産党を攻撃することで労働者を含む広範な層からの支持を固めただけ。
ただ実際そのために行った経済政策は対外戦争を前提とする滅茶苦茶なもので、当時は支持されたがその末路は歴史に見る通りだが。
こうした手法自体は真新しいモノでもなく、大前提の暴力(ナチの場合は突撃隊・SS)を備えた上でカリスマを演出し、
一見対立した集団(資本家/労働者)の双方からの支持を得るというのはナポレオン3世の選挙戦略(ボナパルティスム)で既に確立している。
「国家社会+主義」だのこじつけくさい理屈ではなく単に独裁に向けた現実的な戦略。
324 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 09:02:57.36 0
コンテナ化
325 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 11:22:07.15 O
古代エジプト メソポタミア ローマ
どれが一番難しいと感じますか?
覚える事多いローマだろ 歴代皇帝の名前全部とかな
エジプトの人名とかラムセスとクフと黄金坊やしか出ないから
「難しい」って何がやねん
受験か専攻かと思ったけどどっちにしろメソポタミアかな
受験で言うならローマは知識量は多いかも知れないけど歴史好きなら使い回せる部分が多いから
難しいって主観だからね
日本で勉強するのが“難しい”、認められるのが“難しい”、
先行研究が多くて“難しい”、資料が少な(多)くて“難しい”、
覚える単語が多くて“難しい”……。
330 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 13:18:34.44 0
結局「国家社会」って何なんだろう?
以前も突っ込んだら「分かりやすく説明しただけです〜」とか逃げられたけど
具体的なレス番号や発言内容を指摘せず逃げを打っている方に言われてもw
つか別にナチスは後で乗っ取られただけで元々ヒットラーのもんじゃないし。
Na(略)を「国民社会主義」と説明する先生だっているわけだし、
少なくとも「国家社会」とかいう語をNa(略)の主要素としてプッシュするのは違うんじゃないかと門外漢の私は思うんですが、どうなんでしょうか
国家社会主義ドイツ労働者党
アントン・ドレクスラー&カール・ハラーが1918年母体結成
中国共産党
陳独秀&李大サが1921年結成
創価学会
牧口常三郎&戸田城聖が1930年結成
335 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 13:57:19.70 0
門外漢なら口をさしはさむなよw
使徒パウロやヒットラーの様に、
もとは敵側勢力だったのに
成り行きで組織の重鎮になっちゃった人物って他に居るんですか?
鳩山、管、野田
韓国の手先で無知無能なクセにゴミのたまり場民主党に入ったおかげで
総理大臣になれちゃった
可能性でいけば
本多政重は西軍勝ったら
そのまま宇喜多家老経由して豊臣政権奉行に回ったんじゃないか
339 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 16:41:47.44 0
>>336 本田正信
スターリンだって、皇帝のスパイとの説がある
ビル・クリントンだってベトナム反戦デモでモスクワに行っていたのに
大統領になった
340 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 16:43:17.56 0
なるほど、ノアの洪水の謎がだいぶ分かった。
しかし、滅んだ動物が肉食動物に食われてしまったと言うのは分かったが
でも不浄とされてるブタがなぜ肉食動物のエサにならず生き残ったのだろう?
つか、何でブタ食っちゃいかんの? で、何でキリスト教徒は食っていいの?
341 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 16:55:36.16 0
>>340 ユダヤ教徒が喰っていい動物は割れた蹄を持ち反芻をするものだけ。何でかは知らん。
342 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 17:00:40.11 0
ウナギとかタコとかチーズバーガーも駄目なんだが? チーズバーガーがよくわからん。
>>340 >つか、何でブタ食っちゃいかんの?
砂漠に住みながら豚の繁殖はできないから。
なんでタブーにしてしまった。
食物に関するタブーって、実はほとんどそういう理由。
あと食中毒とか寄生虫?
345 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 18:21:54.07 0
何故日本人は韓国の手先を総理大臣に選ぶほど堕落してしまったのですか?
GHQの愚民化政策のせいですか?戦前の日本人はあんなに立派だったのに・・・
敵対勢力が降伏し吸収されたとか
以前は友好関係で人が移籍した後敵対化したならよくありそうだ。
もともと敵対関係の勢力に移籍後に元の勢力と戦うというのは蜀の姜維とか。
>>345 一言で言うと、アメリカの傘下に入ってしまったから。
なんでも自分たちの代わりにものを考えて、指示を下してくれる人ができたため、
外交等、主体的にものを考えて行動することを放棄してしまった。
その象徴が自民党。
自民党こそ戦後日本の象徴で、そういう意味では民主党も
(小沢が指揮を取れば多少違ってくるだろうけど)何の違いも無い。
政府の悪口ばかり言ってる民間企業も、ほとんどがミニ自民党・民主党みたいなもので、
目先のことさえうまくやり過ごせばいいと思ってるだけ。
主体的にものを考えることを止めてしまうと、それだけ堕落するということ。
349 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 19:54:22.81 0
>>342 チーズバーガー?
チーズと牛肉がいっしょになってるからだろ。
常識でかんがえて。
350 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 19:55:33.76 0
>>348 アメリカの傘下もそうだろうけど、根本的には教育の問題だろ。
351 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 20:28:43.69 0
。
352 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 21:11:24.35 0
チーズと牛肉が一緒になってるとどうしてダメなん? 旧約聖書に書いてあるん?
353 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 21:18:06.10 0
>>352 旧約聖書?
しるかい!
ただ、家畜の親子をともに食料とするなかれ!という戒律があるだろうがぼけ!
354 :
世界@名無史さん:2011/12/11(日) 21:28:45.13 0
ローマの五賢帝が中国の五帝のモデルってほんまですか?
両者は全然関係がない。
支那の五帝は前5世紀〜前3世紀に五行説から造作加上された神話上の帝王で、実在はしない。
紀元前1世紀初めに成立した『史記』に五帝本紀があるものの、誰を五帝とするかも諸説ある。
ローマの五賢帝は、紀元後1世紀末から2世紀まで在位した実在の人物で、
彼らを「五人のよき皇帝(five good emperors)」と呼び出したのは16世紀のマキャベリや18世紀のギボンらしい。
西欧ではネルヴァ・アントニヌス朝と呼ぶが、最後のコンモドゥス(マルクス・アウレリウスの実子)も入ってしまうので、
「養子の皇帝たち(Adoptive emperors)」などと呼ぶこともある。
ドイツ国民によるドイツ国家の社会主義
>>350 >根本的には教育の問題だろ。
なんの説明にもなってない。
>>352 「子山羊を、その母の乳で煮てはならない」だな。子牛でなきゃ良いような?
>>357 家長制が崩壊したろ。以前は家庭教育が義務だったが、
それが消失し、代わりに学校教育の義務が増大した。この結果、もともと
「家庭教育との共同」を目的とする学校教育の力そのものも減退した。
それでも、ある程度戦前の習慣を受け継ぐ保護者によってPTAの力が強い間は
保護者間での学習がなされ、家庭教育も持続したが、非地域化や共働きによって、
こうしたPTAの効力も奪われた。
結果、経済的には豊かでも、家庭教育の勉強しない親が増え、保護者達の意見の
統一もなく、モンスターペアレントのように個人で迷走する親まで出てきて、
選挙にあたっては元来持っていた地域的で学習的に有益な方向を求める繋がりを
損失した。
次
>>352 異教の性的な豊穣祭儀に子山羊を乳で煮るという儀礼が含まれていたことから
異教を排除する意図でこういう戒めが生まれたといわれている。カナン宗教の
様子を伝えるウガリト文書にそういう儀礼が存在したことが記されている。
ただ、ウガリト文書の翻訳に問題があるなど疑問点も指摘されていて、結局
確実なことはわからないのが現状だ。
なんにせよ、ユダヤ教では、乳製品と肉を一緒に食べるのはタブー
>>359 石原慎太郎が言いそうな話だな。
そういう側面もある、と言う程度の話。
戦前に教育を受けていた世代も、戦後になって劣化しだしているんだから、
根本的な説明にはなってないよ。
>>362 乳製品と肉を同時に食うのは、一番太りやすい組み合わせ。
なんでロシアは日露戦争の頃まで中世みたいな帝国主義的拡張ばかりやってたの?
西欧みたいに産業を育成して商業面から帝国主義を図るとか考えなかったわけ?
中世に帝国主義なんてあるの?
>>366 ロシアは、外洋に出ることが出来る不凍港が喉から手が出るほど欲しかった。
ヨーロッパ側の海に、あとちょっとで手が届くところまで行っては叩かれて、今度は太平洋に。
失敗したらまた西にと、交互に海に手を伸ばそうとしていたのが、先進国から見たら
どうしようもない領土拡張に見えた。
で、未だに外洋に出ることができる不凍港を手に入れることが出来ていない。
先の下院選挙での支持率順に統一ロシア、ロシア共産党、ロシア自由民主党、公正ロシアと続くが
ロシア自由民主党は2009年に北方領土問題に対抗して「カムチャツカから北海道までがロシアの領土」という法案を提出したらしい
ジプシー(ロマ)が東アジアにだけ来ないのはなぜですか?
373 :
世界@名無史さん:2011/12/12(月) 21:52:41.61 O
中国は何故日本に攻めてこなかったんでしょう?
>>366 フランスとイギリスの外国資本が大半を占めていたから。
国内産業がそれらを駆逐しようする政策は取れないし
でも東方でイギリスと戦えるだけの主導権は維持しなきゃいけないし。
376 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 00:03:34.84 0
377 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 01:29:35.03 O
>>374 あれはモンゴルでしょ
かなり例外だと思う
中国に限らず朝鮮も渤海も小規模な侵入しかないのは何故だろう?
378 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 01:38:18.96 O
トルコのアーヤーンが独立出来ず
ムガル帝国のナワーブは独立出来た
違いはなんでしょうか?
アーヤーンのwikiを見ると中央政府から権威付けされた存在だから無理だったみたいにかかれているけど
ムガル帝国のナワーブも中央から権威付けられた存在で徴税権しか持ってないですよね?
>>377 海を渡る危険をおかすほど、日本には大して魅力がなかったから。
地続きで生産力が高い地域がいくらでもあるし。
>>377 秦/前漢:なに? 蓬莱? そんなとこよく知らん
後漢/魏:朝貢してくるとは、倭というのは海の向こうの蛮族にしては感心な国ではないか、よしよし
南北朝:こっちは今、海の向こうにかまってる余裕はねーよ!
隋:気にくわない国書を送ってきた生意気な国だが、今はそれより高句麗討伐だ、かまってられん
唐前期:使を送ってくるんだし、ま、いいか
唐後期/五代:国が乱れて、今は海の向こうのことどころじゃねーよ
宋:平氏ってのと交易してるし、別にいいんじゃね? それより燕雲十六州を取り返さねーと
遼東/金:すべては中原を制してからだ
元:言うこと聞かねーとは気にくわねー、攻めたれ!
明:まだまだモンゴルが油断できねー、日本? 国王(足利義満)が朝貢してきてるし、そっちはいいんじゃね?
明末:なに? 秀吉とかいうのが朝鮮を攻めてる? 援軍送ったれ、でも日本の本国攻めるような金はねー
清初期:まずは反対勢力や周辺民族を潰すのが先決
清中期:十全武功でもう充分、我が国はすべて満ち足りている、この上、他国を攻める必要はない
清後期:アヘン戦争以後、もう我が国の軍備はボロボロだぁ、日清戦争も北清事変もボロ負けだ
382 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 19:20:45.28 0
武士の先祖はロマだったんだよ
383 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 19:41:32.73 0
戦時中
日本もドイツもそしてアメリカも
共産主義を恐れ共産主義者を排除したのはなぜですか?
ヒトラーもスターリンも
歴史的に見れば全く同一種類の指導者だったと思うが
そして重要なのは現代社会においては
ドイツはじめ西欧諸国は社会主義経済や共産主義思想を取り入れたが
日本とアメリカは頑ななまでに社会主義思想や共産主義を拒絶し続けているのはなぜ?
384 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 19:54:34.58 0
今の日本は非常に共産的
385 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 19:59:15.88 0
ヒトラーのほうがスターリンよりはるかにましだろ。。
386 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 20:00:28.86 0
>>383 現在の日本では基本的に社会主義や共産主義体制を
門前払いする体制や思想が確立されている様に見えるが
果たしてそうなのだろうか?
国家公務員の官僚組織や地方公務員たちの組織は自由民主主義の経済や思想を旨く利用し
既得権益を頑なに守って甘い汁を貪っている特権階級の共産主義労働者だ
387 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 20:05:11.71 0
そのとおり。
共産主義というのは国民みな公務員って制度だもんね。
388 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 20:25:26.08 0
中国と日本の資本主義経済への参加経緯は
歴史的に見れば、明らかに全く異なる事は周知の事実だが
結果的に今現在の双方を比べてみると
自由主義経済を旨く利用し
方や共産党の特権階級組織が
そして方や特権公務員官僚組織が国を支配している点を見れば
非常に似ているというかそっくりだ
頭よさそうに説明するのなら鉄の三角形ぐらい出せよ
共産主義そのものは具体性のない理想論で済んでも、共産党は弁証法とかいって
「今の法律や制度は今は許されても将来は許されない」
「テロもゲリラも革命のためなら正しい」
といって勝手放題に秩序を否定し自身を正当化するので、
現在の社会秩序から利益を得ている者にとっては危険だった。
共産党自身も内部で争い始めると理屈で答えが出ないので暴力で解決した。
しかし、失うものが無い人や自棄になった人や自分に都合のよいことしか見えない人は
共産党の闘争正当化宣伝に取り込まれたりするので、そのような人が多い国
(日本ドイツアメリカ)の政府やブルジョアは共産党活動を弾圧した。
ヒトラーもスターリンも戦時体制国家の指導者で、
ヒトラーの場合民族主義、スターリンの場合共産革命を標榜し闘争を正当化し
戦時体制国家を建設維持したということで、
2人が同じに見えても共産主義かどうかの問題ではないと思います。
391 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 22:47:27.84 O
>>380 ありがとうございます
ただ明の時は朝貢を止めた時に攻めようとしたことがあったように思います
古典に攻めるなと書いてあったからという到底信じられない理由で取りやめになったと聞いたけど
本当の所は何故だったんでしょう?
兵馬俑の兵士像を見てると、みんな全く同じ鎧や装備をしているけど
前近代どころか古代に、統一的な服装を着せて戦場に出すみたいな今で言う軍服みたいな
概念は本当にあったの?当時の兵隊なんてほとんど農民でしょ
秦に関してはある程度兵士を専業化させていた。
農民だったら防衛のため徴集できても遠方に遠征はさせられないでしょう。
>>392 農民からの徴用兵だからこそ、自前の鎧や装備なんて持ってないだろ
鎧や装備は国が支給するので、結果的に、同じところで作られた同じようなデザインの鎧、同じ装備ばかりになる
395 :
世界@名無史さん:2011/12/14(水) 00:42:01.72 0
最近の韓国学会の研究によると、神社にある鳥居や祭りの時のワッショイワッショイの
起源は韓国にあるとの考えが主流だそうです(本当)
質問スレの住民の皆さんは当然是認しますよね。
日露戦争を満州でやってたときに、清国は何にも文句言わなかったんですか?
勝っても負けても関係なしに大損こいてたのに…
>>392 確かに、秦軍として、統一された装備は出来なかったと思いますよ。
でも、兵馬俑の兵士像のモデルは秦軍の中でもエリート部隊
(始皇帝の護衛とか儀仗兵)だろうから、そういう一部の部隊では
威儀を示すためにも統一された装備をしていたのではないでしょうか。
あと、兵馬俑って兵士の顔はそれぞれ違っていて実際の兵士をモデルに写したとか言われていますが
体の部分は共通(型を使った大量生産)じゃなかったっけ?
だから、必ずしも当時の軍隊の実情を正確に表していないかもしれません。
>>392 身分の高い将校とか金持ちの子弟なんかは、飾りなどのついた特徴的な鎧や装備を身につけていたかもしれないが、
兵卒の装備なんて、(その文化圏の中では)どれも似たりよったりのデザインになる
別にわざわざ軍服のようにデザインを揃えてるわけじゃない
経済性、職人の技術やその作業の効率、デザインへの固定観念などによって、結果的にそうなってしまうだけだ
そもそも古代の軍隊は具足や武器を貸したりしたのだろうか。
農民戦争の時のドイツみたいなノラ着で、鉾を申し訳程度に貸したぐらいが実情なんじゃないか
兵馬俑は
>>397のような埋葬用の飾りで実情が反映されてるとは思えんな
中国って科挙を経ないと高い官職につけないことが前提なのに、清朝ではならず者上がりの
人間が高い地位につけてたりするけどなんでなの?黒旗軍の劉永福とか北洋艦隊の丁汝昌とか
満州の張作霖とか。
実は科挙を得ないで出世するコースがあったとか?
401 :
世界@名無史さん:2011/12/14(水) 13:57:35.27 0
交易で国が栄えるのはなぜ?
税金がいっぱい手に入るから
>>401 国によって物の値段が違うから
価格差が大きいとボロもうけできる
儲ける人が政府で自国のカネが政府に集まったららその国は平和になるってことですか?
>>400 清末、アヘン戦争以降、清の正規の軍人達が近代戦ではろくに役に立たないことが露呈してしまった
日本の幕末の侍みたいなもん
で、太平天国の乱の時ぐらいから、郷勇という、地方の義勇軍みたいなのが実戦を行うようになってきて
その中の人脈によって次第に軍閥みたいなものができあがるようになり、その中から頭角を現して
出世する者も出るようになった
映画スパルタカスを見たんですが、ローマ兵が道の両側を一列になって進軍し、
空いている道の真ん中を騎馬兵が通って、伝令みたいなことをしていたシーンがあったんですが
実際ローマはこのような進軍方法を取っていたのでしょうか?
聖職者の死体に群がる虫や棺から溢れ出す金貨などが描かれていて、
この世の栄光もはかない物という事を表している西洋の絵画の名前を知っていたら、
ぜひ教えてください。
1日を24等分して1時間とし、さらにそれを60等分して1分、3600等分で1秒
という時間の概念が決まったのは、どこで何時頃の事でしょうか?
また、これがアラブorヨーロッパでのことであるとすれば、アジア(支那)に
おける時間分割の概念とはどんなものだったのでしょうか?
昼と夜をおのおの12分割したのがシュメルやエジプトで、昼夜併せて12分割したのが漢代の支那。
支那ではおのおのに十二支を割り振り、これを時辰とか刻と呼んだので、今でも真昼12時を正午などという。
ただし機械時計が普及するまでは日時計が主流だったので、一日を等分はしていない。
昼と夜の長さは季節ごとに変化するため、それにあわせて一刻の長さも伸縮した。
支那の水時計(漏刻)で一日を48等分ないし96等分したり、西洋天文学で一日を60等分したりする計算法もあったが、
1時間を60進法で分割した分・秒の概念は、11世紀のビールーニー、13世紀のロジャー・ベーコンを待つことになる。
411 :
世界@名無史さん:2011/12/14(水) 20:55:36.46 0
在日の戦略にひっかかり、全ての間違いが始まった2009年 夏
|:::::::::::::;;;ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::::::::::( 」 < 民主になればこの世はバラ色、政権交代!
ノノノ ヽ_l \______________
,,-┴―┴- 、 ∩_
/,|┌-[]─┐| \ ( ノ
/ ヽ| | 在 反 | '、/\ / /
/ `./| | 日 日 | |\ /
\ ヽ| lゝ | | \__/
\ |  ̄ ̄ ̄ |
| ┬ |それでも懲りない日本人、韓国民団総理支持率35%w早く目を醒まそう!
>>409 横レス。メメント・モリは知ってたがそれは知らなかった。
413 :
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 06:48:37.34 0
資本主義は民主主義と結びつきやすく
共産主義は専制主義と結びつきやすい
ということでいいのか?
414 :
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 08:06:50.59 0
おまはん、単細胞やなw
世界で一番子孫を残したのはチンギスハーンってよく言われてるけど
彼自身にそんなに子孫いたっけ?
中央アジアの王族とかなら分かるけど…
彼がどうやって子供作ったか、知っててとぼけて聞いてる?
417 :
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 11:24:01.08 0
普通、男と女がアレをやって子供を作るんだと思うけど?
当時は試験管ベイビーなんてなかったはずだし
自称子孫がいっぱいいるんだよ
本当に理由を知らないのか?
ハーンがおるど
レイプしても子供できるとは限らないし
戦争での強姦の場合犯された女性が10か月後まで生きているかどうかも分からないし
男が一日にできる相手の数も知れてるから巨大な後宮抱えてる方が多そうという感覚は理解できる
モンゴル軍の脅威を強調するための文句じゃねーの?
中央アジアの王族の家系にチンギスの後裔が多いってのは理解できるんだが
その血が乞食とかその辺の張さん李さん劉さんにまで広まったとは思えないんだよなぁ。
特にチンギスの血はイスラムのサイードみたいに一種の尊敬の対象だったから尚更。
レイプしてたとしても身重の女を蛮族みたいなモンゴル軍が生かしとくか普通。
世界史では、世界の色々な文明を築いた人々の説明として
インド・アーリア系の〜とかセム・ハム語族の〜などの説明が出て来ますが
そうした民族や言語での分類が現在でいうところの何国の何人にあたるのか
などがさっぱり解らず説明を読んでいてもピンと来ません
この辺りが理解できる入門書・概説書などなにかないでしょうか?
>>423 >蛮族みたいなモンゴル軍
これはかなり作られたイメージが含まれていることに留意すべき。
元寇で来た軍はかなり酷いことをしたって記録があるけど純モンゴル軍ではなく混成軍だったよね 純モンゴル軍はどんなんだったの?
モンゴルと戦った相手側が戦う前に、
モンゴルを倒してモンゴルの女を犯してやるとか言ったのを、モンゴル側が聞いて、
戦いが終わったその下品な言葉に対する報復で
戦った相手の兵士のケツを掘ったとか掘ってやると言ったとかなんとか。
そんな笑い話を読んだ記憶がある。
428 :
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 21:33:01.95 O
>>426 そもそもモンゴル軍は最初期を除いて混成軍が基本
支配した国の兵を前線に置き敵を拘束している間に
モンゴル騎兵が左右に回り込んで包囲殲滅する戦術が常態化していた
>>424 現在でいうところの何国の何人、なんて誰にも証明できない。
この3000年でどれだけ民族が移動し、混交しているか考えればね。
そもそも“語族”でカテゴライズされた人々が必ずしも
あらゆる面で文化を共有しているわけじゃないし。
民族や国家のアイデンティティーは突き詰めると“自認”だから。
現代のマケドニアを建国した人たちが、アレクサンドロスを生んだ民族の
血縁や文化をどれだけ継承しているのかな。
それでも最近は遺伝子調査で民族の末裔を探ったりもしているらしいけど。
ロシアって極東に不凍港得たあと何するつもりだったの?漁?
英仏の影響を受けない貿易。
>>430 第一に軍事的利用。
あとは、物流の面でも多くのメリットを期待していただろう。
433 :
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 22:43:28.19 0
>>415 一部のモンゴル崇拝狂いが言触らしてるガセネタなんて考えりゃ分かるだろ
墓すら見つかってない人間の遺伝子なんて分かるかよw
アメリカ人は皆ワシントンの血を引いてる(キリとか言っちゃうレベルと同類
なんか岡田英弘先生が可哀想なスレだ。
>アメリカ人は皆ワシントンの血を引いてる(キリとか言っちゃうレベルと同類
それは流石に少し例えが違うと思う
ユダヤ人にありがちな姓のゴールドスミスって、金融業を営んでいることから来てるの?
それとも金細工とかそういう実業系の職人だったことから来てるの?
>>432 何しろ空輸と較べて輸送費がダンチだからな。それに一般家庭に例えれば
公道に出るのにいちいちよその庭を通らねばならない生活はいろいろ窮屈だ
>>430 アジアへの軍事進出、
日露戦争で失敗したが。
日本が弱ければ北海道を盗られていたかも。
中国大陸、台湾、朝鮮半島、海南島、フィリピンなど、
英仏米より近距離から補給できるから圧倒的に有利。
金細工師(ゴールド・スミス)が転じて金融業者になった。
彼らは貴金属を扱う関係上、厳重な金庫を持ち信頼性が高かったので、
ゴールドを資産として持っている人々は金細工師の金庫に預けた。
金細工師は預かり証を発行し、これが兌換金券として通用したが、
そのうち預かり証を貸し付けて利子を取るようにもなった。
440 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 01:33:58.44 0
い-635
ちなみに、平成18年度の民主党の収支報告書だが、
電通が 690,150,988円(約6億9千万円)
博報堂が 19,425,964円 (約2千万円)
読売グループ系列(読売広告、読売メディアセンター)が 72,058,917円(約7千万円)なw
フライシュマンヒラードジャパンが、1974000円かw
フライシュマンの本社はアメリカにあって、アメリカ政界や企業のPRも担当してる湯田ヤ系の会社だなw
ここが「マニュフェスト」っていう横文字を考えたんだなw
そういえば、今東電と電力総連がフライシュマンを雇ってるらしいじゃないww
札束で学者引っぱたいてテレビで喋らせれば馬鹿な老人なんかはまだまだテレビのいうことを信じるからなw
>>406 典型的なローマ街道は4メートルの道路の両脇に3メートル程度の歩道があって
平常時には真ん中の4メートルの道路は馬車や馬が利用して歩行者は両脇の歩道を歩くようになってた。
考え方としては現代の車道と歩道の考え方と全く一緒。
で、ローマ軍が実際どう行軍してたのかは知らないけど
両脇3メートルの歩道のある街道なら実質行軍用として6メートル使えて十分な広さがあるから
わざわざ早馬の通る真ん中の道をふさぐような行軍はしなかったんじゃないかと思う。
>>441 ありがとうございます。
もう1つ質問なんですが、スパルタカスの乱当時、ローマ軍の弓兵の位置づけはどうだったんでしょうか?
この映画には確かまったく出てきませんでしたが、ラッセル・クロウの映画グラディエーターでは
冒頭から弓兵が出てくるシーンがあったんですが。
共和制ローマに弓兵はいない
弓はあったけどね。
443だけど ごめん適当言った。でもメインじゃなかった。
カエサルの頃には弓兵もいたかもしれない。
多分複合弓が発達してからだと思う。
補助軍の弓兵はいたんじゃないの?
446 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 19:15:47.33 0
>>445さんのいうとおり。
弓は熟練を要するものであるらしい。(大勢でならんでぶっぱなせば関係ないようにもおもうけど)
で、ローマ人はむしろ投げやりをこのんだ。
では弓兵がいなかったか?と言うとそうではなく。
補助軍団の中に含まれていたのだった。
クレタの弓兵。 クレタ島人は普段から鳥猟で弓の扱いになれてるんだろうね。
そういや。ロードス島の投石兵というのも有名だった。
447 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 19:19:30.57 0
投石。
いまでこそデモ隊の武器でしかないが、古代はすごい技をもっていた兵士達がいたのだ。
ダビデなんか、遠くからゴリアテを狙い撃ちにしたのだろうけれどまさにああいう威力があったのだ。
448 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 19:33:30.35 0
弓を射るとき胸板を削らないようにするにはどうすればよいか
モンゴルは小さな弓を使って至近距離から射、
ヨーロッパは小さな弓に補助具を取り付け、
日本は大きな弓を射ると同時に回転させ、
アマゾネスは左乳房を切り落とした。
449 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 19:39:06.54 0
スイス人も弓の技にたけていた。ボウガンだけんども。
だからウィリアム テルの伝説がうまれたのだ。
イングランドがロングボウの勇者、ロビン フッドを生んだように。
ユダヤ人がダビデを、日本人が那須与一を生んだように。
まさに文化である。
450 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 19:41:51.43 0
>>447 沢村栄治は、球投げが仕事なら得意だろ、手榴弾投げをやれ、と命令されて肩を壊した。
451 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 19:44:03.16 0
>>450 でも投石というのは革のベルトをつかって投げる物で、野球選手の遠投とはまた違う技術だよね
452 :
世界@名無史さん:2011/12/16(金) 19:58:04.52 0
>>449 イングランドの長弓隊は百年戦争で大活躍してるのに、スイスでは弓よりもパイクの密集陣が発達したのは何故なんだろう?
>>449 イングランドがロングボウを導入するのは、エドワード1世の頃
リチャード1世やジョン王の時代にはまだ、ロングボウはウェールズでしか使われていなかったはずなので
イングランド人のロビン・フッドが使ってるのはおかしいんだけどね
>>452 イングランドの長弓兵は、教育に長い時間がかかりコストが高い。
スイス傭兵は貧乏国家スイスの外貨獲得のための手段なので、そんな優秀な兵は揃えられないし、時間もかけられない。
それに、そんな高コストな兵だったら傭兵として消耗させるのがもったいない。
>>451 投石っても、道具使うのと素手とあるよね
槍投を考えてみなよ
>>377 侵入も何もまず自分らが北狄から独立しなくちゃいけないのに、
大規模遠征できないだろ。さらに西の脅威もあるのに大規模兵力を空にできるか?
>>451>>455 スリングだな
石を投げるというよりも、遠心力で発射するもの
しくみは簡単で、紐やベルトの中央に石を乗せる部分があり、そこに石を乗せて紐の両端を持ち、
勢いよくブンブン回す、そしてその紐の一方の端を急に離す
すると遠心力で石が飛んでいく
ダビデがゴリアテを倒したのもこの武器だ
手で投げるより威力はでかいし、紐やベルトで誰でも簡単に作れるから安価
欠点は、扱うのに熟練が必要なことと、発射に時間がかかること
弓がメイン武器じゃなかった理由に両手で扱う武器だったからっていうのないかな
つまり盾が使えなくなる。
そうすると全身を覆う鎧を着るか、盾を置いて壁にして使うかになって
機動力を殺してしまうデメリットが出てきて、それがよろしくなかったんじゃ?
機動力を得るには戦車か騎射になるんだろうけど、
それをするより盾を構えて前進したほうがコストや技術や期間なんか考えると、
よっぽど良いということじゃないんだろうか?
今思いついたがどんなもんかね?
ただ単に幼いころから訓練が必要な専門技術だったゆえ頭数を揃えるのが大変だったのと
努力して頭数を揃えても古代の弓の威力では勝敗を決める決定的戦力にならなかったからだと思われ。
ローマ軍に関して言えば古代の決戦兵器である騎兵ですら補助軍団に頼ってたし
栄光あるローマ市民からなる部隊は輝かしい歴史を持つ重装歩兵であるべしって思想もあったんだと思う。
461 :
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 11:43:01.44 0
重装歩兵というのはアマチュア、セミプロでもつとまるからね。
古代ローマの主力軍は当初は一般市民が義務としてつとめていたわけだから
462 :
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:03:19.56 0
古代オリンピックのやり投げでは飛距離を伸ばすために補助紐を使ったそうだけど、
これは実戦でも使っていたのかな?
6兵種(志願兵、徴用兵、士族、民兵、傭兵、義勇兵)の中で
最も歴史が新しいのは義勇兵ですか?
中世以前で
他国の戦争にボランティアで参戦した英雄を特に知らないので
墨家
カトリック教会ってなんでそんなに力があったの?
司教が官僚みたいになって金をとってたの?
ヨーロッパ中に司教の土地があったん?
墨家出現以前に他の兵種も揃ってると思うが
民兵は正規軍と言う概念に対比するものだから
正規軍という概念が生まれた近代以降のものと言っていいのでは?
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。
・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。
・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
フランス第三共和政大統領のマクマオン元帥ってWikipediaにマクマオン伯爵/Comte de MacMahonって書いてあるんですが
先祖がアイルランドにいた時代からの姓のMacMahonになんで伯爵号が付いたんですか?
ルイ15世が適当に伯爵号を与えたんじゃね?
>>459 弓は専門的な教育がいるから安価に多数そろえられないんだよ。
馬術と一緒で、若い頃から数十年とか教育して数をそろえないと軍隊では使えない。
相手より遠くから攻撃出来るって利点は判っていてもね。
そして、教育にさほど時間がかからない鉄砲は量産出来るようになると、世界中の軍隊であっという間に普及して数の上でも主力になる。
それまでは、どこでも数の上では槍が主力。
騎兵と弓兵は、専門職なので数の上では主力になれない。
だからこそ、そういう専門職だらけの遊牧民族が少数でも強いんだよ、鉄砲普及までは。
>>447 ねーよ。アナバシスとかを見ろ。
ダビデのような即死じゃなく内出血などの障害(運が悪けりゃその後に死亡)を
期待したものだ。今だと地雷とかと同じ。
>>465 基本的には教会は地元を結合・発展させる力が強かった。
これは今でもその辺の神社行くと分かりやすい。お祭りだけでなく、
信徒向けのパンフレットにゃズラーっと宣伝広告があるだろ。
元々のそうした発展力に加えて、十分の一税を取るようになると、教会の力が強くなり
家族制度を中心とした農民の勢力が減退した。で、結果併合に抵抗がなく
戦争しやすくなったわけだが、領主などの死後、財産の相続で継ぎ手がないと土地を
貰う事が多かった。
473 :
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 21:00:04.12 O
中華思想というのは五コ十六国とか南宋みたいに中国世界が分割されたときにはどういう風にとらえられていたんでしょうか?
中国世界を掌握しきった元や清は遊牧民的な統治と中華思想をベースにした朝貢を上手くハイブリットさせてたそうですが
>>463 >6兵種(志願兵、徴用兵、士族、民兵、傭兵、義勇兵)の中で
>最も歴史が新しいのは義勇兵ですか?
>中世以前で
>他国の戦争にボランティアで参戦した英雄を特に知らないので
志願兵・民兵・傭兵・義勇兵の定義があいまいで重複するような気がしますが。
そもそも、志願兵と徴用兵は対比できるけど、後の四つはジャンルがばらばらですよ?
三国時代の劉備達は、始めは富豪が金を出して、地元の若者が組織を作って政府軍に協力した。
その中には、一応豪族の端くれとされる劉備もいれば、出自不明の関羽もいる。
彼らは、徴用兵以外全てに当てはまると思いますよ。
>>473 天下・中国・中華というのは、地域名というよりは理念・自称であり、
我が国こそが中国・中華で、他国は蛮夷だと「思いこむ」ことはできる
たとえ出自が非漢人であっても、実態は強大国の臣属国であっても、
僅かな地域を支配するに過ぎない小国であってもだ
逆に言うと、自国・自政権の正統性や優越性が後ろ暗い状態だからこそ、
声高に中華思想や華夷の別を言い立てる必要があるのだろう
477 :
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 01:03:46.10 O
要は俺の国こそが中華だって奴らの群雄割拠ってことですかね?
たしかに三国時代はそういう感じがするんですが
五コ十六国の国作りまくった異民族は中国世界の統一を目指してたようには思えないし、金も華北だけで固定されてもそれなりに満足そうに思える
中国の全てを手に入れようとしてるわけではないが中国に浸出してきた国と中華思想の関係がいまいちピンときません
>>477 >>476が書いてる通りだろう。統一出来ないからこそ、自分こそが中華だ正統だと主張する。
>>477 うーん、中国大陸が一つの国に統一されている状態ていうのは西欧が一つの国に統一されているようなもんだと考えればどうかな
逆にいえばローマ帝国が滅んでからの西欧は終わらない五胡十六国時代だと考えるんだ
480 :
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 02:01:02.10 0
>>477 かんがえてみなよ。
東北のど田舎から上京してきたずーずー弁の貧乏大学生も 卒業するころにはおしゃれな東京のシティボーイになっているではないか。
「中国」「中華」というのを、現在の中華人民共和国の領土とか、漢民族の領域とか、
清や明や唐や漢や周などの支配していた領土とかと同一視はできない
むしろ文明国や先進国のニュアンスに近く、儒教理念や漢文を用いれば中華になれる
出自が西戎でも匈奴でも鮮卑でも朝鮮でも問題ない(モンゴルやチベットは中華化しなかった)
また、実際に理念上の「天下」が自国によって統一されているかは、余り問題でない
勢力が及ばない地域からの友好親善使節を朝貢と呼び、同盟国を藩国・諸侯と呼んでいるだけだ
建前としては皇帝は一人で、他の皇帝は逆賊・国主と呼んで相手にしないか、藩王として名目上封建してやる
あるいは姻戚関係を結んで「皇帝の身内だ」としてしまったり、いろいろ思想的屁理屈はつけられる
というかヘタに「統一」してしまうといろんな重荷が君主と政府にのしかかってきてたまらんので、
地域文化圏ごとに諸侯扱いで自活させていた方が楽だという現実的な側面もある
前秦なんか一挙に南北統一しようとして大コケしたしな
生粋の漢人は黄巾の乱で殆ど絶滅したって説があるんだっけ?
支配民族も居住民族もどんどん入れ替わるのに
文化上書きはされずに、全民族で漢文化持ち回りって
中華特有の現象じゃないかと思ってしまう
イラクもメソポタミア文化継承してれば良かったものを
>藩王として名目上封建してやる
明朝廷が、秀吉の朝鮮割譲要求無視して日本国王叙位だけ与えたのは何だったんだろ
足利義満時代のカビた先例持ち出して、有り難がって刀納めるに違いないと勘違いしたのか
それと、京都の帝に対しては
当然"日本国王”秀吉よりさらに上の叙位を与えなければならない筈だけど
そこは明朝廷、どう考えてたの?
>>484 京都の帝と明皇帝から、二重に冊封されている王という位置づけだろ?
ベトナム北部の京族なんかも同じで、大皇帝と明皇帝からの二重冊封だ。
琉球もそうだったし
487 :
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 12:39:55.56 0
7月の段階で民主党が2兆円の復興予算を組んだとき
自民党が要請した復興予算は累計17兆円
自民党の17兆が7月時点でに決定されていたのなら
今の日本はもう少し違って居た筈だ
ちなみに関東大震災のときは復興予算として現在の価値にして150兆円以上を組んでいた。
この事実を知れば、予算の規模の小ささ、ましてや増税なんて奇知涯にも程があると思わざる負えない。
秀吉や義満が実権を握っていて、天皇家が使節を派遣しているわけではないから、
「なんか天皇とか僭称している奴もいるらしいけど放置」ぐらいな認識
だもんで明治新政府が「天皇」を正面に出して外交文書送った時は大騒ぎになった
489 :
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 14:33:05.96 O
>>484 日本と交渉した明の使者が日本の文章を偽造したから
当然日本の要求なんて伝わってない
この使者は偽造がバレて処刑された
ちなみに日本側の使者も偽造してる
小西行長「明国は降伏しました。講和を…」
秀吉「よし、降伏使節を来朝させよ。さらに明の皇女を日本の帝に嫁がせ、朝鮮の半分を割譲せよと伝えい」
沈惟敬「秀吉は降伏しました。朝貢(貿易)の再開を要求しています。講和を…」
明朝「よし、降伏使節を来朝させよ。朝貢は許可せぬが日本国王に封じ、順化王の称号と金印を授けよう」
沈惟敬「ど、どうしましょう」
行長「国書を読む人にアドリブを頼んでみます」→駄目でした
秀吉「…なんじゃ、この書状は? もう一回戦争じゃな」
明朝「…なんじゃ、降伏しとらんではないか?」
幸いに行長は周囲のとりなしで、武功を立てて償うことになったが、
沈惟敬は帰国後に処刑されたという。
491 :
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 15:39:46.01 0
古代ギリシャにユダヤ人の影響はあったのでしょうか?
キクラデス文明はユダヤ人がつくった
間違いを上塗りしようとしてさらに失敗とか・・・
秀吉不降伏と、政略結婚・割譲要求を伝えに
行長自ら斬首覚悟で北京に赴くのが、もう次善の策だったんでは?
>>491 ギリシャにアルファベット伝えたのはフェニキア人で
フェニキア人はユダヤ人の影響を受けてるから
ギリシャにもユダヤの影響があったといえるのでは
>>494 もっと古くキクラデス文明の頃からユダヤ人の影響があったか知りたいのです
ユダヤ人というのは、ユダ王国の遺民かユダヤ教徒を指すが、
ユダ王国が成立するのは紀元前10世紀頃で、ユダヤ教は前6世紀のバビロン捕囚以後。
それ以前にもヘブルとかイスラエルと呼ばれる雑多な部族集団は存在したが、彼らはユダヤ人でもユダヤ教徒でもない。
ヤハウェの神を崇めていたかも定かでなく、ましてや一神教徒ではなかった。
キクラデス文明の成立は前3000年頃だから、旧約聖書の年代上ではノアの洪水より古い。
ノアの洪水はシュメルの洪水神話のパクリであり、ノアは当然ユダヤ人ではない。
アブラハムが実在したとしても前2000年以後の人物でしかないし、モーセも実在すら定かでない。
むしろイスラエル十二部族のダン族は、ミケーネ文明を築いていたダナオイ(ギリシャ人)じゃないかとか、
クレタ島から来たペリシテ人の鉄器文化がイスラエル人に伝わったとさえ言われる。
>秀吉不降伏と、政略結婚・割譲要求を伝えに
>行長自ら斬首覚悟で北京に赴くのが、もう次善の策だったんでは?
行長としては面目が立つのかもしれないが、外交的には実現する可能性なんてないよ?
そもそも、明側には負けているとか講和やむなしって考えはないんだから。
止めたかったのは日本側(秀吉除く)なんだし。
>>496 まあイスラエルでもいいのですが、最初に定住生活を初め農耕を開始したのは
実はイラクに住んでいた種族ではなく、紀元前9000年ごろの現在のイスラエル
に住んでいた種族ですよね。そのイスラエル人がギリシャ文明の成立に
影響を与え、そしてイスラエル人とユダヤ人につながりがあるとするならば
ユダヤ人がギリシャにも影響を与えたといってもいいと思うのですがどうでしょうか
イスラエルは凄いね。最初に農業革命を起こし、
その末裔であるユダヤ人は現代文明に多大な影響を与えている
イスラエルという地域は昔から天才を輩出する地域なんだね
次
アフリカは人類誕生の聖地であり、全人類とその文明はアフリカが起源である
アフリカ人こそは全世界を征服した偉大な始祖民族である
502 :
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 20:28:15.52 0
ロシア国民の多くがブレジネフ時代を評価している理由は何ですか?
またゴルバチョフに対する評価はいまだに低いんですか?
>>ロシア国民の多くがブレジネフ時代を評価している
証拠を記してほしい。
そんなばかなことはありえない
>>502-503 ブレジネフを積極的に支持しているわけじゃなくて、
その時代はまだソ連には米と世界を二分する勢力のトップとして対外的な威信もあり、内政的にも安定していた。
(治安の悪化、インフレとか食料不足がなかったという意味で。)
アフガニスタン侵攻と、米のスターウォーズ計画に対抗するための軍備拡張で国がガタガタになったけど、
その前は一市民として暮らすには良かったたなあという思いは、年金生活者などの老人層は多いみたいよ。
昔はそれこそ親方日の丸、社会保障もしっかりしていて定年後ものんびり暮らせたわけで。
ブレジネフの時代って日本で言うなら誰の時代だ?
森か?
小渕か?
盟主になったこと自体ないし。
ブレジネフの時代は腐敗と汚職にみちみちていた
レーニン・・・片山(混乱期)
スターリン・・・池田(躍進期)
フルシチョフ・・・岸
ブレジネフ・・・中曽根(安定期)
アンドロポフ・・・田中(借金国家への道作り)
チェルネンコ・・・三木
ゴルバチョフ・・・野田(門戸開放)
エリツィン・・・細川(過渡期)
プーチン・・・小泉(国民人気背景に大改革)
510 :
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 21:30:39.29 O
>>497 前線の将軍は決戦に大敗してやる気なかったし
中央は財政難でさっさと終わらせたがってたよ
す、すたーりん閣下の時代だい!
クリーンでも元の田沼の濁り恋しきなんて云われるしなー。ただブレジネフ時代はそれらの犯罪が
発覚しやすいことに問題があるんだよな。
ところで外国語wikiを参照にするのって一般的なん?
移動して参りました。よろしくお願いいたします。
中世の頃の戦争は、相手側の騎士を捉えて身代金要求用の人質にするとのことですが、
その騎士が装備してた装備とかはどうなるのですか?
装備代とかも身代金に含めて渡すのですか?
それとも装備とかは捕まえた側が売り飛ばしたりするのですか?
ケースバイケースって言葉知ってる?
基本的に装備とかは捕まえた側が売り飛ばしたりするにきまってんだろ。。
鎧兜剣は金になるので普通にとりあげられちゃうさ。
そこを交渉して身代金にその分も上乗せできる財力があれば別の話だけどさ。
519 :
世界@名無史さん:2011/12/19(月) 20:30:41.36 0
なぜトルコは近代化に成功し、政教分離政策で民主主義が定着したのに、
イランも同じように近代化政策を進めていたのにイスラム革命が起きて、
イスラム国家になったんですか?
あと、アラブ諸国はどうして近代化に失敗して、民主主義の定着が遅れているのでしょうか?
520 :
世界@名無史さん:2011/12/19(月) 20:57:43.76 0
>>515 >>516 >>517 ありがとうございます。
ケースバイケースですが、基本的には取り上げて売られてしまうのですね。
名のある貴族の装備やよい品だと、トロフィーみたいに飾ったり、
自分で使ったりしたりはしたのでしょうか?
521 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/19(月) 21:27:33.21 0
>>519 イランとトルコの違いは在任期間の長さの違いのように思える。
確かにケマル・アタテュルクとモハンマド・レザー・シャーの政策は似てるからね。
実際のところ、ケマルの政策に対してもイランと同じように不満を持つ層はいたし。
それでも、モハンマド・レザー・シャーが40年近く在位したのに対し、
(モサッデクを失脚させ権力を確かなものにした時から数えても20年以上)
ケマル・アタテュルクのほうは15年程度しか大統領になってなかったからね。
しかも、ケマルは第1次世界大戦での敗戦から国土を守ったというカリスマ性もあり、
彼の存命中は国内の不満も政権を転覆させるほどにはならなかったんだと思う。
(まぁ、暗殺未遂やクルド人による反乱などはケマル時代にも起きてたけど)
トルコで民主主義に移行したのはケマル死後のイスメト・イノニュからだけど、
ケマルが死んで独裁体制が終わってからは何度か揺り戻しも起きてるんだよね。
でも、その度にトルコでは軍がクーデターを起こしてケマル主義の維持に努めたからね。
そして、このように軍がケマル主義を支持してるからこそ、
クーデターを起こしてもすぐに軍は民政移管をして現在でも民主主義を保ってるんだよね。
最近は憲法改正をして軍部の影響を弱めたから民主化がより進んだと言えるかな。
モハンマド・レザー・シャーも軍の支持は一応あったんだけど、
軍人出身のケマルほどは軍部とのコネが形成されてなかったように思える。
そういった点がイランとトルコの違いになったんだと思う。
イランの場合、独裁体制維持のため欧米に近寄りすぎていたうえ、
オイルショックの影響で経済が破綻した
523 :
世界@名無史さん:2011/12/19(月) 21:51:43.94 0
7月の段階で民主党が2兆円の復興予算を組んだとき
自民党が要請した復興予算は累計17兆円
自民党の17兆が7月時点でに決定されていたのなら
今の日本はもう少し違って居た筈だ
ちなみに関東大震災のときは復興予算として現在の価値にして150兆円以上を組んでいた。
この事実を知れば、予算の規模の小ささ、ましてや増税なんて奇知涯にも程があると思わざる負えない
帰化人だらけの民主党に復興なんて はなっから無理な話なんだよ
524 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/19(月) 22:18:56.00 0
>>519 ついでにアラブ諸国だけど国によって状況は結構違うよ。
エジプトやチュニジアなどは最近のアラブの春で独裁政権が崩壊するまでは、
親欧米的な近代化政策を行なってた訳でいわゆる開発独裁に近かったね。
民主主義こそ取り入れてなかったけどそれなりに近代化を進めてた。
アラブの春は民衆中心の民主主義革命という面が強調されてるけど、
イラン革命にも似た民衆主導のイスラム主義革命という面もある。
そういう点を考慮するとこれらの政権はある意味モハンマド・レザー・シャーと同じと言える。
実際、政策などの点でいくつか似てる点も見られなくはないからね。
まぁ、本当はここら辺の国もそれぞれに個別な事情があったりするんだけど。
エジプト、チュニジア、シリア、モロッコなどが大体そんな感じかな。
これらにはいわゆるアラブ民族主義なんかを唱えてたりする国もあるね。
後、モロッコはアラブの春以前からも多少民主化改革は進めてた。
(その後、アラブの春をきっかけに憲法が改正されモロッコではさらに民主化が進んだ)
逆にアラビア半島の諸国は20世紀になるまで辺境地帯だったこともあって、
前近代的な王政が支配してる場合が多いね。
湾岸諸国などは石油収入で国内経済が潤ってるから国王独裁でも、
あまり国内の不満が出にくいところが多いんだよね。
UAEなんかが良い例だけど国民のほとんどが石油によって富裕層を形成してるから、
政治に対する民主化要求をしようという気が起きないんだろうね。
だから、現在まで民主主義も定着せず石油収入による表面的な近代化だけが進んでる。
基本的には上の2パターンだけどそれ以外にもレバノンなどの特殊なケースもある。
アラブ諸国といっても国によって事情はまちまちだよ。
おつがいってまじ高校生?
中世ヨーロッパでは、騎士の突撃とか馬上からの攻撃はなく、みんな降りて戦ったって本当ですか?
これが現代ヨーロッパのスタンダードな考えらしいのですが。
527 :
世界@名無史さん:2011/12/20(火) 11:57:39.09 O
そんなもん騎馬武者と同じでケースバイケースだろ
>>526 騎士スレを読むと、
甲鎧を来た騎馬攻撃は大きな集団では行われなかったという結論になって落ち着いたよ
騎馬武者は欧州の基準では軽騎兵。
ここで話しているのは重騎兵のことです。
ビザンティン帝国にはカタクラフトっていう重装騎兵がいたけど、それは除外?
中世ヨーロッパの騎士の武装といっても、時代や地域、兵種によっていろいろだと思うけど。
一般的に騎士の鎧として連想するような、よく城や洋館に飾ってある板金製の前身を覆うプレートメイルなどを着た場合は
馬に乗ったり倒れた状態から起き上がるのに、他人の補助がいるような状態らしいので、徒歩では戦えないと思います。
戦おうとしても、長柄の武器持った歩兵に後ろとか脇に回り込まれて、一方的に叩き伏せられてしまうだけ。
ああいう格好をした騎士は、敵が混乱したところを、集団で突撃して蹴散らすか、
トーナメントなどで一騎打ちをやったりする以外は実際の戦闘に参加しなかったと思います。
532 :
世界@名無史さん:2011/12/20(火) 15:39:24.20 0
「思います」か・・・
533 :
世界@名無史さん:2011/12/20(火) 16:02:28.87 O
ヨーロッパ人はチンチン大きいけど、柔らかいってのは本当かな?
>>501 その意見はもう正しいということでいいでしょう
全てのくだらない議論の結論はそれで片付くと思います
全人類は全てアフリカ人だったんだからそれでいい、と
536 :
531:2011/12/20(火) 17:34:52.64 0
>>532 何を拘っているのか判りませんが、全ての史料・例を見ることが出来ない以上、
否定する史料を基に書き込む人もいるかもしれないし、自分が誤解していたりするかもしれませんからね。
まあ騎士スレで存分に話しあっててくれ
国民に罵声を浴びせられ駅前交番に避難するテレビアカヒの取材班 12/19正午 新橋駅前
http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/111219_124643_ed.jpg ,:' .l .::;',. :::;/..://:: /,':/ ', l、 .i ヽ
. ,' ..::| .::;',' :;:','フ'7フ''7/ ',.ト',_|, , ',.',
,' .::::::!'''l/!:;'/ /'゙ / '! ゙;:|:、.|、| 'l
. ,'. .:::::::{ l'.l/ 、_ _,. 'l/',|.';|
l :::::::::::';、ヾ  ̄ `‐-‐'/! ';. '
. ! :::::::::::/ `‐、 ゝ |'゙ |
| ::::::::/ \ 、_, _.,.,_ ノ::: ! 野田政権が早く終わりますように
|::::/. _rl`': 、_ ///;ト,゙;:::::./
.. `´ /\\ `i;┬:////゙l゙l ヾ/
,.:く::::::::`:、\ 〉l゙:l / !.|
. /:.:.:.:\:.:.:.:.`:、ソ/:.:| | | 19日の報道ステーション
/.:.:.:.:.:.:.:.:.:\:.:.:.:У:.:;l
http://livedoor.blogimg.jp/kingcurtis/imgs/e/d/ed2dbc66.jpg
539 :
世界@名無史さん:2011/12/20(火) 21:34:13.91 0
人数は諸説ありますが一応は
テルモピュライの戦い
スパルタ兵300人でペルシャ軍100万と三日間戦い四日目でようやく全滅
100万相手に300人で四日持ちこたえるという最強の無双騎士団
日本を含めて世界でこれより凄いか同格の話ってありますか?
個人的には島津軍の鬼の引き口以上の、たぶん人類史上一番凄い実話だと思ってるんですけど
(三国志の張飛が一人で、魏軍100万人に啖呵切ったのは、啖呵切っただけで実際は戦ってないのでノーカンで
というかあれは三国志演義という小説上の話らしいので)
完全な創作でなければ、アーサー王やギルガメス王のように史実と伝説の中間の人や
脚色の可能性が高い物も含めて知っていたら教えてください
スパルタ兵は重装歩兵であって騎士じゃない
ヘロドトスは兵士の数などを明らかに誇張して書いており、ペルシャ陸軍の総数は多くても10万以下
彼らを防いだのはスパルタ王直属の重装歩兵300だけではなく、ギリシャ諸国の兵7000ほども加わっていた
テルモピュライは山と海に挟まれた幅の狭い道で、頑張って防御(籠城)すれば大軍でも防げたが、
ペルシャ軍は迂回して彼らを全滅に追い込んだ、ってだけ(テーバイ兵などは降伏した)
なお張飛が二十騎ほどを従え、長坂で啖呵切って曹操軍(の騎兵数千)を食いとめたのは、
正史『三国志』に記載がある話であり、小説『三国志演義』はそれを膨らませている
正史にあるからって史実とも限らないですよねえ
シモ・ヘイヘとスロ・コルッカ
史書に書いてあることは史実(記録された事)であって、事実(実際にあった事)かどうかは問題でない
歴史学における史実について言ってるんだから、中国史における狭義の「史実」を持ち出されても・・・
>540
トタテPというコテレベルの子供のイチャモンが延延と付くから軍事史がらみの回答は句読点をきちんと使った方が良いと思われ
真面目に相手をしても俺と間違われて粘着レスが続くだけで時間の無駄
独ソ戦で、戦車1台で1個師団の進撃を2日くらい止めたってのがあったような。
次。
>>539 シャンガニの戦いでは、たった50人の兵士が5000人を撃退した
1893年の話で、これは確実に史実
ただし、50人の方はマキシム機関銃4挺を装備したイギリス軍、5000人の方は槍で武装したアフリカのマタベレ族だが
>>545 クソコテが自意識過剰なのは結構だが何かスレに役立つ回答してから言ってくれな
カハマルカの戦い
ピサロ率いるスペイン軍168人がインカ帝国の大軍2万を破る
スペイン軍の武装:鉄の甲冑・槍・剣、クロスボウ、馬27頭、銃13丁、大砲2門
インカ軍の武装:石の棍棒、弓矢、多少の金属器
句読点使わないと自分と勘違いされて時間を無駄にするぞ、という貴重なアドバイスじゃないか。
誰もお前なんかと勘違いしないから、というアドバイスであった
(但しトタテPを除く)
>>545 お前が常日頃からしている荒し行為を謹んでさっさと独りで最悪板に逝けば解決するなw
なんか、ゲームネタが多い、気のせいか
>>548 それソースの誇張があるぞ。イギリスの戦果の死者3000という数字のため
反乱に荷担した人数5000をそのまま当てはめてるから。
伝説で一番凄いのはカニシカの9億人殺しかな。
>>539 脚色抜きで有名なのは
カハマルカの戦い(スペイン軍180人VSインカ軍3万人)
プラッシーの戦い(784人のヨーロッパ人兵士と2100人のインド人兵士VS5万 )
変わったところで明の嘉靖34年(1555年)8月に現れた倭寇。
100人ほどで紹興に上陸。その後、明軍の追跡、包囲を振り切り、杭州、厳州、淳安、南京、
無錫と転戦し滸墅関で生き残った67人が全滅。
数万の明軍相手に約2000キロを80日間に渡って翻弄し戦い、明の軍民2500人を殺害したそうな。
たぶん全員がキャシャーンか、江田島平八か、紅世の王だったと思われ
558 :
539:2011/12/21(水) 09:05:19.01 0
すごい記録をたくさん、ありがとうございます
数万相手に数百数千で戦うってガチで英雄級の強さですね
559 :
世界@名無史さん:2011/12/21(水) 11:07:37.02 0
三国志だったら張遼がいるな
決死隊800人で孫権軍10万に突撃かけて、孫権に切りかかって殺しかけた
その後7000の兵で籠城して守り切り、追撃をかけて再び孫権を殺しかけている
なんで東フランクの王がローマ皇帝になったん?
もともとフランク王のシャルルマーニュがローマ皇帝として戴冠しているのだから、
その後継国の一つの王を皇帝にしても別になんらおかしくはない
後は、位を授ける見返りに教会の利権を守ってもらおうという教皇側の思惑
563 :
世界@名無史さん:2011/12/21(水) 17:14:38.24 0
質問です。だれか教えてください。
ナチスドイツはユダヤ人を迫害しましたが、ユダヤ人と非ユダヤ人をどうやって判別したのですか?
ユダヤは亡国後何千年もたっていてその間に混血もしているから、生物学的に「ユダヤ人種」を特定するのは無理だったと思います。
とすれば、判断基準は宗教しかありません。
突撃隊(SA)あるいはゲシュタポが全国民の自宅を捜査して、家庭内の礼拝物を確認したのでしょうか?
日本の戸籍を真似した「家族手帳」というものがあったそうですが、そこには宗教欄があったのでしょうか?
迫害されるのを恐れて宗教をいつわるユダヤ人はいなかったでしょうか?
どうやってユダヤ人と非ユダヤ人を判別したのか、だれか知っている人がいたら教えてください。
ニュルンベルク法じゃ不足なの?
ドイツとイタリアはあんなにバラバラなのにフランスとイギリスはどうして王権が強かったん?
彼が何を信仰していようと、両親や祖父母にユダヤ教徒がいたことがわかれば「ユダヤ人」。
出生関係の書類を偽造・改竄して「アーリア人認定」を受けることは可能だった。
>>565 フランスやイングランドだって、最初から王権が強かったわけじゃないよ
ジョン王なんか、貴族たちからマグナカルタを突きつけられてるし、フランスでもカペー朝の頃には王の
支配が及んだのは直轄領のイール・ド・フランスだけだったと言っても過言ではない
大貴族との婚姻や相続による領地の拡大や、官僚制度の整備、百年戦争やバラ戦争、ユグノー戦争と
いった戦争や、イングランドではヘンリー8世による国教会設立、修道院の領地没収などを通して次第に
王が領地と権限を拡大していった
フランスも長い間形式上の選挙王政の形が維持されてたぐらいの権威だったが、
相続法を利用して諸侯の領地を合法的に没収したり、嫌がらせで諸侯の都市に自治権を与えてみたりと、
フランクの時代から数世紀をかけて集権化を進めてきた。
一番の決定打はフィリップ2世のときにジョン欠地王から大量の領地を奪い取ったこと。
彼の代から選挙王政も形式すら廃されていって王権による中央集権が進んでいく
569 :
世界@名無史さん:2011/12/21(水) 23:35:03.42 0
拡散するんだったら見れるようにしてくれよな
>>543 映画だけど、ナチ時代に学校で子どもが下着を脱がされて割礼しているかどうか
調べられる場面があった。
そもそもユダヤ人はユダヤ人居住区にしか住むことを許されず
シナゴーグで礼拝をしてきたから、キリスト教徒と違うことがすぐわかる。
572 :
世界@名無史さん:2011/12/22(木) 10:12:57.22 0
563です。
ニュルンベルグ法をググりました。
>>564、565
どうもありがとうございました。
それにしてもひどいもんですね。
両親や祖父母の誰かがたまたま気まぐれにユダヤ教に入信していたら、本人が棄教しても「ユダヤ人」というわけですね。
むちゃくちゃですね。
?いまでもアメリカでは祖先の一人が黒人だとその祖先は全員「ブラック」と
人種を記入する項目に記載しないといけないよ?パンパン国家のみなさんは
人種差別を知らなすぎじゃね?
祖先×
子孫○
ところでアメリカの大統領を輩出したブッシュ一家って黒人の血を引いてる
らしい
今のアメリカ大統領もずいぶん浅黒いよなあ
ひょっとして黒人の血を引いてるんじゃないか?
古代オリエントでは、なぜギリシアや中国のように、歴史書や文学書などの
著作物が、残されることが無かったのでしょうか
ナチスはロマも迫害したのにユダヤだけが被害者アピールしまくりでウザい
虐殺はなかったにしろ同じような人種差別を日系人にしていたアメリカがウザい
579 :
世界@名無史さん:2011/12/22(木) 17:44:26.42 0
>>579 それは近代になって発掘されたものでしょう?
内容も断片的で量が少ないから書物とは言いがたい。
古代エジプトにもいくつか物語はありますが、それらもま、挿話レベルとしては
いいと思うけどそれ単体ではちょっとね。
ホメロスや史記に匹敵できるものとは思えない。
581 :
世界@名無史さん:2011/12/22(木) 18:12:39.89 0
ギリシアの古典はローマ(ギリシア文明に魅了されていた)を通じて中世へと継承されたけど、
オリエントは国家間の征服と破壊が繰り返されてるうちに四散したんだろうね。
つ「聖書」
>>582 聖書が広まったのもやはりヘレニズム以降の話だと思いますが
歴史を残すという発想がある方が特異
ギルガメシュも所詮物語として書かれた叙事詩だからな
バラモン教典リグヴェーダ
日本にもある、ウエツフミ
古代オリエントは古代と呼ばれているが中世ヨーロッパと比較することができるな。
創造性も発展性も無い戦乱ばかりの暗黒の時代だ。
西洋にまともな文化が出来上がったのは古代ギリシアに入ってからだろう。
>>584 そんなに特異なことでしょうか?
文明発祥の地、文字発祥の地にしてはあまりにも密度が薄いなと思ったんですけど
中東はイスラーム時代に入ってからようやくイブンハルドゥーンなどの歴史家が出た。
中世に入ってからようやくヘロドトスや司馬遷と比較できる人物が出たといえるだろう。
ヨーロッパではルソーなどの近代思想化と比較しているけれど
やはり比べるとすればヘロドトスとだろう
ヘレニズム時代からローマ時代には、ベロッソスが「カルデア誌」を、マネトが「エジプト史」を、
ヘレンニオス・フィロンが「フェニキア誌」を、ヨセフスが「ユダヤ古代誌」を残し、プトレマイオス朝で「七十人訳聖書」が編纂された。
いずれも地元の史料を用いているが、当時の国際語であるギリシャ語で書かれた。
これはギリシャ人やローマ人に「我々はこんなに古い歴史がある」とアピールするためでもあった。
記録を残すこと自体は文字を作ったときからあったが、多くの記録は後世に伝わらず消滅している。
西ではギリシャ・ローマ・キリスト教により、東ではササン朝・ゾロアスター教・イスラームにより、
「異邦人」「異教徒」の記録は多くが破壊され、消滅した。
楔形文字やエジプト文字は知識の断絶で読み方が分からなくなり、断片的に訳されたものだけが伝わった。
またギリシャ・ローマ時代のものにせよ、パピルスや羊皮紙が劣化・焼失して写本もなければ消滅する。
オリエントの物語ならパンテイアとアブラダタスがあるね
まあこれもギリシア人であるクセノポンが書いたものだけど
エジプト文字をもとにして、アブギダ・アブジャド・アルファベットという別の文字体系が出現したせい。
支那文字は甲骨文字や金文から現代まで系譜が繋がっているが、楔形文字やエジプト文字は直系の子孫がいない。
>>576 >古代オリエントでは、なぜギリシアや中国のように、歴史書や文学書などの
>著作物が、残されることが無かったのでしょうか
そういうことを言うと、古代中国に文学書ってあります?
どの文明でも大半は失われて、後世重要と思われた極少数残っただけな気がします。
歴史にしても、儒教が栄えなければ孔子の春秋は散逸したかもしれないし、
司馬遷が史記を書かなければ王朝が正史を残すということ自体なかったかも。
>>592 中国の文学書には詩経がありますね
重要な書物だけが残ったといいますがオリエントにはそれすらなかったのかと
思ってしまいます
なぜ楔形文字やエジプト文字のときに著作物が残されることが無かったのでしょうかね
詩篇、雅歌、哀歌、ヨブ記
>>592 パピルスや竹簡・木簡などに比べて、粘土板だと破損しやすいとか、重量・かさの問題で
長期間保管するのに適していなくて散逸しやすいとか、各
地から収集して、取捨選択の上、新たに編纂するというのがやりにくかったなどとも考えられますね。
アッシリア末期のアッシュルバニパル王は、厖大な粘土板を収集して「図書館」を建設したが、
アッシリアの滅亡により文字通り埋もれ、19世紀半ばになって発掘された
597 :
世界@名無史さん:2011/12/22(木) 23:52:04.92 0
>>572 「たまたま」「気まぐれに」入信するなんてあり得ない。
ヨーロッパではユダヤ人はずっと差別されていたから、
わざわざユダヤ人の血をひかないキリスト教徒が
ユダヤ教に入信するはずがない。
自分から進んで被差別民になる者はいない。
歴史とは何か(岡田英弘 文春新書)
世界史の誕生(岡田英弘 ちくま文庫)
遊牧民から見た世界史(杉山正明 日経ビジネス人文庫)
名無しでいいよ:2011/08/15(月) 23:20:15.53 ID:2fed4jwtO
FNS歌謡祭やHEY!×3の制作会社
株式会社CELL
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル
前バリ・REN4・野田らに政治献金した後藤組のフロント企業
メディアトゥエンテイワン
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル
>521-522
山崎豊子の不毛地帯だと
在りし日のイラン・レバノンが中東の優等生扱いだったけど
参謀上がりの壱岐もイランがこんな事になるとは予想できなかっただろうな
今では
アルジャジーラ放送の有るカタールと
中東の原油・観光依存症を克服したドバイ市を有するUAEが西欧的優等生だが
これも砂上の楼閣なのだろうか
>山崎豊子の不毛地帯
さいとう・たかおとは壱岐の扱いが真逆なのでイメージ修正に苦労するがな
603 :
世界@名無史さん:2011/12/23(金) 13:17:09.78 0
>>590 パンテイアとアブラダタスは良いですねキュロス大王が日本の殿様
アブラダタスが武将のようで面白かった。オリエントの倫理観も知れたし。
このような物語を多く見たいのですが無いんですよね。
中東は現代に入ってもというか歴史を通じて文学が作られることが少ないですね
オリエント文学、イスラーム文学と語感はそれっぽいんですけどね
日本なんかはBBSとかでもうるさいくらい文芸活動が活発でしょ
私は中東のことはあまり詳しくないので、勘で思うのですが、中東が一番面白い物語を持った地域だと思うんですよ。
どのような専制君主、宮廷のドラマが繰り広げられたかと思うと。
オリエントの国際関係、人間関係は現代にも多大な教訓をもたらしてくれると思うのです。
それが詳しい形で残されていないのは実にもったいない
資料が散逸したとかまとめるのが難しかったとか色々あげられてますが果たしてそれだけだったのでしょうか?
私はやる気の問題ではなかったのではないかと思うのです。
どうも中東の人は歴史を通じて文化を創造するという意欲に乏しいと思うのです。
現代に入ってもめぼしい創作活動はありませんし。
まあアラビアンナイトなんて大作も出ましたがあれは童話の塊のようなもので
それにイスラムの知識人の間でもあまり知名度は無かったみたいですね。
やはり中東の人は文化創造の意欲に乏しい。戦乱が続いたからでしょうか。
そういう心の支えになる文化が無いから原理主義にはしったり西欧と対立してしまうのではないかとも思うのです。
現代でもいいのです。中東にいくらかでも文学書があったならば世界にも
彩りを与えてくれると思うのです。そういう文芸活動、批評活動が活発になることを
今後の中東に期待したいですね。
>>594 それらはユダヤですし、オリエントとはちょっと違うかなと思います
立派なオリエントだよ
預言書集にはキュロスやネブカドネザルも登場するしな
中東は日本と比較しやすいと思う
古代オリエントは日本の奈良平安時代と比較できるし
その後近代に入って中東がヨーロッパに押された所は西日本が東日本に押された所と似ている
山崎盗用子
旧約聖書の舞台はどう見てもオリエントだろ
キリスト教誕生で断絶するまで
リビア・ローマからイラン・インドまでが全部オリエントだな
ゲルマニアを除き白人圏が単一だった時代
オリエントはヨーロッパ半島から見て「東方、東洋」だから、それじゃ広すぎる
キリスト教もオリエント起源でアナトリアを中心に広まり、欧州ばかりでなくシナやモンゴルにまで伝播した
613 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/23(金) 22:57:56.12 0
>>605 古代オリエントは全く分からないから何とも言えないけど、
イスラーム化後の中東はそれなりに残ってる文学もいくつかあるけどね。
特に中世のペルシャ文学の詩なんかは日本でもそれなりに翻訳されてるのがある。
有名どころだとウマル・ハイヤームのルバイヤートやハーフェズとかがいるし。
近現代だとザーデグ・ヘダーヤトという大家もいるしね。
もっと最近だとトルコ人のオルハン・パムクがノーベル文学賞をとってたりするよ。
614 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/23(金) 22:58:53.60 0
誤字訂正
×ザーデグ・ヘダーヤト
○サーデグ・ヘダーヤト
>>605 「アラビアン・ナイト」について「童話の塊」レベルの認識しかないのか。
ペルシアはイスラム化以前から帝国を築き上げ、豊かな文化素養があり文学作品も多い。
ウマル・ハイヤームやハーフェズ以外にも
ニザーミーの「ホスローとシーリーン」「薔薇園(グリスターン)」「ライラとマジュヌーン」、
ルダーキーの「カリーラとディムナ」
フィルドゥシーの「シャーナーメ」は古代ペルシアから始まるペルシア史の一大叙事詩で、
中でも英雄ルスタム伝説はペルシア人の間で親しまれてきた。
アラビア文学は確かにそれに比べたら見劣りするかな。
ともかく「中東」でくくる前にアラブ、ユダヤ、ペルシア、トルコの違いぐらい認識しておいてほしい。
中近東ってあんなに進んでたのになんでヨーロッパに抜かれてしまったん?
619 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 07:27:09.44 0
松本清張の神々の乱心を読んだのですが、
戦前、麻薬を儀式に使う宗教団体が実際にあったのでしょうか?
どうだろうねぇ
中国南北朝時代の南朝の皇帝たちの列伝を読んでると、精神病患者としか思えない
凶暴で残酷な暴君がいっぱいいるけどこれはなんで?
貴族制が全盛期な時代だったから親族婚を繰り返して奇形が多かったとか?
水銀中毒に一票
623 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 10:12:35.54 0
時代は覚えてないけど、聞いた話で、皇帝は長生の仙薬と言って水銀入りの薬を飲んでたんで早死にが多いって。
それと凶暴性とが関係あるかどうかは知らんけど。
625 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 11:21:01.41 0
>>623 戦前の日本、満州、朝鮮あたりの宗教団体でそんな話ってありませんか?
麻薬を使っていたかは不明だけど、洗脳のテクニックというのは、
当時のその地域で生まれた可能性がある。
洗脳という用語自体もね。
魏晋南北朝では「五石散」というドラッグが流行していた。
これを服用すれば気分爽快になるが常習性があり、心身を蝕んで早死にさせたという。
貴族層はこれをキメまくっていたから、やばい人が続出している。
用語は中国共産党起源だから戦後だよ。
戦前の場合、日本に麻薬が出回っていたわけじゃないが、
民間では婦人を中心に薬草ブームが起こっていて、葉蘭の根で
盲腸炎を治すとか芍薬の根はてんかんに効く、南天の実は性病に効くとかで
色々試す人が多かった。
630 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 16:09:26.13 0
シャーマンに神が乗り移る系の宗教に麻薬使えば、
乗り移られるシャーマンも観る信者にも効果的だよね。
満州と阿片はなんか臭う
お前さんは宗教を学校の不良グループか何かと勘違いしてるぞ。
宗教という組織は、信者や個人と繋がっているわけではない。
地域全体、あるいは国家との結合がその基本的な性質だ。
632 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 17:21:31.38 0
>>631 そうだろうか?
学校の不良グループが新興宗教で儲けようと考えても違和感はないが
宗教はそれ自体じゃ儲からんぞ。
利益のほとんどは国からの補助か学校、もしくは鉄道などの経営。
634 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 17:56:40.82 0
麻薬と信者からのお布施は無課税
麻薬を使用していたら普通に処分対象だし、
お布施も強制はできない。
>>635 儀式で燃やす草とかお香に麻薬混ぜれそうだし、
満州は少量の阿片なら合法だよ
伊勢神宮が昔から大麻配ってんじゃん
祓串は阿片を作る量には遙かに足りないよ。
>>636 燃やす草や香に混ぜたら一瞬で吹き飛ぶよ。
合法つーか中国との専売利権を巡っての争いがあるから
一介の宗教家が使用したらどちらかに拘束される。
639 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 19:21:36.51 0
>>637 吸飲目的で配ってないし、今はただのお札だろうが
いい加減なこと言うな大麻吸飲愛好家がっ!!
>>638 流通してるのはインド阿片だから英国密輸との対立だと思うけど。
中国阿片は品質が悪く、インド阿片の海賊版的な扱いだった。
>>640 民国時代でも、内陸の宣撫司地区は治外法権扱いされていて
ケシ栽培は堂々と行われ、阿片は県令地供にも供給されていたよ。
>>629 >用語は中国共産党起源だから戦後だよ。
共産党起源だから、って説明は変じゃない?
戦前から大きな勢力だったんだから。
>>638 神々の乱心では特務機関とか馬族にコネのある人間が阿片を手に入れて宗教してたよ
いや、小説の話されても。
マスクド上海じゃ宝貝だって特務機関が手に入れてるよ。
645 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 21:58:40.93 0
質問です。
ルイ14世は「国王」です。
ナポレオンは「皇帝」です。
それなのに何故
「朕は国家なり」
「世の辞書に不可能という文字は無い」
なのですか?
単なる訳し間違いですか?
世じゃなくて余(予)だろ。
しかもそれは「不可能という言葉はフランス的ではない」の意訳的なもので、後世の創作とも言われるし、
ナポレオンが皇帝に即位する前の言葉だったら「朕」は使えん。
(まあ東洋の皇帝と西洋のインペラトールを同列に扱うというのもなんだが)
それにまた、朕は「天子の一人称」ということになっているが、
フランス国王や英国王は誰の臣下でもない独立した大国の君主であるから、
漢文的建前では朕を一人称に用いることができると解される。
フランス語に君主専用の一人称はないから「私が国家だ」でもいいんだが、
それだと格調高くないというんで誰かが文語調に訳したんだろう。
647 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 22:16:42.23 0
>>645 訳した人が違うからだろうけど、
日本人に、ナポレオンは成り上がりという意識があるのが原因なんじゃないか。
明治7年から終戦まで、日本では世界の独立君主国の君主を、原語にかかわらずみな対等に「皇帝」とし、
同じく共和制国家の元首をみな「大統領」と呼んでいた。(太政官達第98号)
国王や大公だと、漢文的建前では「皇帝の臣下」のように見なされてしまうという外交的配慮らしい。
なのでモナコ国皇帝、ベルギー国皇帝、イタリー国皇帝などと記す。
また天皇だと他の皇帝より偉そうだからと、国外に対しては謙虚にも日本国皇帝と号した。(昭和11年に天皇に戻した)
英国君主などは「グレートブリテン、アイルランド及びグレートブリテン海外領土皇帝・印度皇帝」という超長い称号になるが、
インド皇帝とグレート以下略皇帝は併記されている。
そんなわけで、明治以前に滅んでしまったフランス王国の君主も、
「フランス国皇帝」扱いで「朕」と名乗らせてみたのではないか。
そもそもあちらじゃ一人称は一つなんだから「我が国家なり」「我が辞書に不可能の三文字なし」でいいだろと思う
翻訳というのは、単に言葉を置き換えるだけのものじゃないんだよ。
君が言っているのは、単なる逐語訳。
フランス語でも一応、nous(われわれ)を君主の一人称とする。
ただし「朕は国家なり」ではmoi(わたし)と単数形だったりするが。
ナポレオンに朕とか言わせてたらその本にコーヒー吹くわ
皇帝即位前は余で、即位後は朕にするとかどうよ
フランス語の一人称は一つで大和言葉の一人称もワレオレワタシって一系統からの派生誤だけなのに支那風に使い分ける必要はないと思う
655 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 11:05:11.27 0
総相 川端達夫 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟
法相 平岡秀夫 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟
文科相 中川正春 在日韓国人法的地位向上議員連盟
厚労相 小宮山洋子 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟 自身の選挙区の太平建設と談合
国家戦略相 古川元久 パチンコ協会政治アドバイザー
韓国人から賄賂を貰っている野田
韓国人の集いに参加している野田
野田は日本人じゃないだろ
質問なんですが。
神聖ローマ皇帝と言うのは 流れ的には西ローマ皇帝、東ローマ皇帝、どちらの継承者なんでしょうか?
あまり継承とか関係ないんですかね?
西ローマ
>>656 東ローマ帝国が滅ぶ前から神聖ローマ皇帝がいるんだから、判るだろ?
歴史上、性的にものすごく遊んだとされる人は誰ですか?
TOP10を教えて下さい
660 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 14:44:02.03 0
ローマ帝国→東ローマ帝国→ロシア帝国
|
西ローマ帝国→シャルルマーニュの帝国→神聖ローマ帝国→オーストリア帝国
→ナポレオンの帝国
661 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 14:44:56.87 0
ちなみに東ローマ皇帝を継承したと主張してるのはロシア皇帝。
663 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 14:49:08.29 0
ナポレオン3世を倒して成立したのだからドイツ帝国はフランス帝国の継承者といえるのかな?
変態性欲代表ジル・ド・レイ
>>664 もっと男女の交わりのある人お願いします
後宮に一万人の宮女を抱えてた司馬炎(晋武帝)とか
668 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 15:14:42.98 0
歴史って商人、技術者>>>>>>>>>王様だよね
実績からすればソブーザ2世もかなりいい線行くだろうな
アレキサンダーみたいな能無しよりフェニキア人の方が人類のために物凄くいい事してんじゃん
>>669 安土桃山時代なんか狩野永徳・千利休>織田信長・豊臣秀吉な扱いだしな
6000年の人類史からすれば、結局
権力者の首の挿げ替えより
文化変遷の方が重要なんだろう
>>672 >文化変遷の方が重要なんだろう
下々の生活の方がもっと重要です
だからこそ商人や技術者こそ下々の生活のために重要だろ
独裁者なんて邪魔しかしないじゃん
馬賊山賊海賊だらけの無法社会よりゃマシ
第一馬賊山賊海賊だらけの無法社会でどんな文化が栄えるのかと
無政府主義唱えるならソマリアでも見てろ
バカばっか
次の方
中国の繁栄って分裂時代にしか起こらなかったんだろ
独裁者がいなけりゃ自分達で自衛すんだよ商人は
人間の歴史は独裁者と闘う歴史
王や皇帝が一つから複数に増えただけじゃねえか
官僚制度が悪いって事かな?
繁栄って本読んでたらなんか英雄的なものに憧れてたのが馬鹿らしくなったわ、人類の邪魔でしかないやん
はあ、そうですか
次
684 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 22:51:28.67 0
>>682 別の本読んだら、また新しい考えが浮かぶよ
>>684 やっぱそうなのかなあ
何読んだらいいか教えてよ
国の富を全部無駄な事に使うもんな独裁者って
686 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 23:06:18.37 0
>>685 独裁者を称える本とか商人を卑しむ本とかでいいんじゃね
その辺の主張はドモーランの大国民でやってるけど
基本的に私営商人の利益はアナーキズムでない限り、
政権競争の行われる普通選挙制より、独裁者の方がマシ。
アラブの諺に「一夜の無政府状態より百年の圧政の方がよい」とある。
ソマリア・アフガン・イラクはあの通りのありさま。
アラブの春でいくつか独裁政権が倒れはしたが、さあてどうなるやら。
過去に放送されたものでもいいのですがオススメの世界史系テレビ番組ってありますか?
全く知らないので有名なのでもいいです
映像の世紀20世紀
音楽だけはよい
>>688 >アラブの諺に「一夜の無政府状態より百年の圧政の方がよい」とある。
そりゃまあ、一般民衆レベルならどこでもそうだろう。
ロシアにも同様の言い回しがあるらしい。
実際、よっぽどのことがなければ民衆が行動に出ることは少ない。
逆に、無政府状態)でも個人の自由な行動を保障する社会が良いって人は、
米のミリシアみたいに自衛できる力を権利を主張して、自分はそれだけの武力を持っていると自負する人だけじゃないかな。
中国史において、爵位としての王号を受けていた者の中で実際に任国に赴いて
軍権や徴税等の自治的な統治をさせる制度を有していたのは前漢以降だとあるのでしょうか?
唐とかにも称号として王はあったけど、確か長安に在住させて俸給を与える名誉職的な存在でしたよね?
英雄なんて昔から害悪でしかない
中国も分裂期の方がいろいろと発展してるんだよね、で明のせいで偉大な中国は終わった
帝国が悪いのかな
商業、技術者>>>>>>>>>>>>英雄だわ
695 :
世界@名無史さん:2011/12/26(月) 14:32:49.02 0
じゃあキミが立派な商人か技術者になってそれを証明してくれ
では次
そういう「歴史は市民が作った」みたいな愚民の甚だしい思い上がりには反吐がでる
そういう「歴史は英雄が作った」みたいな近代以前のおとぎ話の歴史物語には反吐がでる
アテナイばかりか全ギリシャの最盛期を築いたペリクレスは、
民主政のもとで三十年間も政権を維持した独裁者であった
彼の後にはペロポネソス戦争での敗戦と衆愚政治、寡頭制の恐怖政治が続いた
サヴォナローラによりフィレンツェのメディチ家が打倒された後も同様の混乱があり、
フランス革命はロベスピエールとナポレオンを産み落とした
>>692 晋に八王の乱があり、明に靖難の変があり、清に三藩の乱があった
また地方の半独立勢力や中央政府の実力者が、異姓諸侯として王に封じられることは多々ある
商人>>>>>>>英雄はわかった
つまり独裁者が商業を保護するとそいつは英雄になるんだな
>>697 市民様の思い上がりを否定してるだけで歴史を作ったのが英雄だけとは誰も言ってないけどね。
オウム返しで的外れなこと言っちゃうと文脈も理解できない頭を晒してるのと同じだから恥ずかしいね。
商人で詩人で宗教指導者で軍事指導者の預言者ムハンマドが
史上最高の英雄ってことでおしまいにしようぜ
次
>>617 宮崎市定のアジア史概説には以下の趣旨の記述があります。
16、7世紀からポルトガルの新航路発見やロシアのシベリア征服により
世界の交通路から孤立してしまい、それにより世界の進化からも取り残されるようになった。
新航路発見というか、インド洋航路の強奪というか…
強奪される程度の能無しというか・・・(笑)
705 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 07:06:51.52 0
朝鮮半島の三国時代について質問です
この時代にはもう朝鮮半島では黒人奴隷(アフリカ系黒人)がいましたか?
無政府がいい奴はアメリカに、
国家の強権を望む奴は共産国家に行きなさい。
劉邦は洛陽の地で皇帝に即位したと史書にはあるんですが、いったいいつ長安に遷都したんですか?
また、なぜ長安に都を移したのでしょうか?
>>705 いない。
東アジアに黒人がやってきたのは、
ポルトガル人がマカオに連れてきたものが初出だろう。
709 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 11:38:10.98 0
>>707 史記世家第二十五留侯世家に書いてあるから読みたまえ
アレキサンダーよりフェニキア人の方が人類の歴史において重要だよな
711 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 13:10:43.41 0
>>708 その辺はどうなんだろうね
物理的には唐代くらいには中東との海路が開けて、アラブ商人が
大勢来たから、黒人奴隷もつれてきたと思うのだが
本当に記録の上では大航海時代からなのかなぁ
ただ、もし唐代に中国に黒人がいたなら、日本にだって
世の中には黒い人もいるとの情報くらいは伝わっても
おかしくないのだけど、宣教師がつれてきた奴隷を信長が
見たときは、最初は信じられなかったのか水で洗わせたそうだからな
唐の頃には、肌の色の濃い奴隷を「崑崙奴」と言っていた
マレーとかの東南アジアの人たちがメインだけど、アフリカ系もいっしょくたにして
そう呼んでいたとしてもおかしくはない
唐代の史書や地理書に「崑崙奴」という肌の黒い人々が出てくるが、
林邑(ベトナム南部)から南はみな崑崙と呼んだというから、
マレー・ポリネシア人か南インド人かアフリカ人か判然としない。
714 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 16:38:53.19 0
>>712>>713 ほんとにその辺は謎なんだよなぁww
人間は下種な好奇心があるのだから
黒人が来たら、クロちゃんは○n○がでかいとか
クロちゃんの女はしまりが良いだ、肌がひんやりして過ごしやすいだ
クロちゃんは淫獣だ、類の記事がもっとあってもいいような気がするのだが
現に中国人に限らず、各国の外国万有機だと必ずその土地の風俗や習慣
(とうぜんSEXに関わる記録も含まれる)
が書かれていて、やれ貞節だ、淫乱だ、風紀がなっていないだ
と散々だからな
朝鮮半島の三国時代は4世紀半ば頃から7世紀後半までだが、
651年になってイスラム帝国がササン朝を滅ぼし、唐に使節を送った。
なので朝鮮三国時代の中東は、ほぼササン朝時代にあたる。
新羅は唐代のムスリム商人から「シーラー」と呼ばれているが、
ササン朝時代に朝鮮半島が知られていたかは分からない。
可能性があるとすれば、南海貿易を通じてシナ南朝まで来て、百済などへ伝来するというルート。
まあ舶来の貴重品だろうから、民間で奴隷として使ったとは思えないが。
716 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 18:49:11.69 0
中国に象さんがいつごろは入ったのかは知らんが
日本の飛鳥時代には絵画を通じて像という鼻が長くて
でかい生き物がいたと言うことは知られていたのだろう?
東アジアどころか日本にもナウマン象とかマンモスが旧石器時代以前から生息していたが?
718 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 19:42:44.66 0
それはたいへんだな、よし、ゾウさんを増産するんだ!
720 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 20:00:14.70 0
造作も無いこと
「象」という漢字は象の象形文字
722 :
世界@名無史さん:2011/12/27(火) 20:48:23.20 0
平松邦夫/民主党
大阪市役所・自治労・大阪市労働組合・日教組・大阪市教育委員会・自民党・共産党・社民党・関西電力・住友グループ
・毎日放送・毎日新聞・関西経済連合・日本原子力発電株式会社 ・ 週刊文春・週刊新潮・NHK・朝日新聞・読売新聞
・部落解放同盟・朝鮮総連・在日本大韓民国民団・日本遊技関連事業協会・全日本遊技事業協同組合連合会・日本弁護士連合会・生活保護受給者・反日左翼・9条の会・革マル派・中核派
VS
橋下徹/維新の会
大阪市民・みんなの党・国民新党・亀井静香・石原慎太郎・東国原英夫
様子見:公明
トゥーキュディデースの戦史を買おうと思うのですが、岩波の久保正彰訳と世界古典文学全集の小西晴雄訳はどちらが読みやすいですか?
藤縄 謙三訳もあるけどいずれも入手難だし
入手しやすいのを選べばいいんじゃなかな。どうせ全部口語訳だろうし。
725 :
世界@名無史さん:2011/12/28(水) 01:51:05.21 0
臀部会議って何でしたっけ?
臀部会議ってググっても何も出てきません。
もしかして:ランプ議会
ランプRumpは牛の尻(臀部)の肉のことだから、直訳すれば臀部議会なんだけども、
一般にはイングランド内戦の時に国王チャールズ2世が議会を招集したのち、13年間存続した「長期議会」の後期を指す。
1648年末にクロムウェルが武力で議会を掌握、長老派議員を追放して独立派議員を残したので、
世にこれを「残部議会」、残留派・残党・残りかすの議会と呼ぶ。
(ランプ肉は柔らかくてうまいが、「どんじり」「びりっけつ」ということで残り物の意となる)
その後も派閥争いを繰り返してクロムウェル政権と対立、1653年に解散された。
古代中国の史書を見てると
○月、○○県に鳳凰が飛来した 龍が飛来した 井戸から五色の光が…(ry
見たいな記事が目立つんだけど、これ何のための脚色なの?北の将軍様じゃあるまいし…
728 :
世界@名無史さん:2011/12/28(水) 09:43:14.60 0
>>727 基本的に北の将軍様と同じだよ
徳のある皇帝だと、自然災害は収まるわ
外国からはお付き合いをしましょうとの使節は来るわ
何もかもうまくいくという考え方だよ
で、地方の役人がやたらおべんちゃらを言ったり
珍品を献上したり、上納金を納めたりするのだよ
その辺は今の中凶でも同じで、中華新幹線の事故を隠そうとして
埋めたりするのも似たような考え方だよ
729 :
世界@名無史さん:2011/12/28(水) 10:04:41.55 0
北の将軍様が古代中国の吉祥発現を真似たのだ
つーか、中国やどこぞの国だけでなく、その種のおべっかは古代や中世には割とよくあったんじゃない?
ビザンツ帝国でも、女帝ゾエの墓に湿気でキノコが生えたのを、プセロスって文人が大げさに「奇跡で墓に
花が咲いた」と喧伝しているし
ベーダの英国教会史とか読むと、現実にはありえない奇跡の話がたくさん出てくる(この場合、書いてるのが
修道士なので、布教に貢献した聖職者やキリスト教に味方した信心深い王が持ち上げられる)
どこぞの北の国では、中世どころか現代にやってるのが痛いけど
731 :
世界@名無史さん:2011/12/28(水) 11:37:59.88 0
まあ、いまの日本でも村山さんのとき、村山さんが
阪神大震災は起こるし、オウムはサリンをばら撒くし、
わしが悪いのかのぅと愚痴をこぼしたそうだからww
732 :
世界@名無史さん:2011/12/28(水) 12:30:11.92 0
今上陛下が悪い!
平成時代になって底なし不景気やら犯罪多発やら天災続発やら、
暗い世の中になってきたのは、天皇陛下の心掛けがよろしくないからだ。
祥瑞は主上の徳、災異は宰相の不徳だjk
今こそ政権交代が必要な時ではないか
>>727 アレは一種の湾曲表現と言うか…直接批判したらマズイ場合に
『おかしげな事象が起きマスタ!(天意が乱れてる)』と
時の権力者に注進してるんですよ。
直接意見を述べると不興を買って誅殺されたりするんで、
オブラートで包んだコトバで 『摩訶不思議な現象が起こるのは○○だからだ』と
一種な暗喩なのです。
婉曲表現
仕事柄、中・韓の人たちと交流する機会がよくあるんですが
韓国人は自分の家は両班の家系で何とか国王の何世子孫であると家系を飲み会の席で
自慢するのに対して、中国人は家系ではなく実家が社長とか役人だとかで自慢する方が多い気がします。
なんで中国人は家系を誇る習慣がなくなってしまったんでしょうか?文化大革命でそういう家は根絶やしにされたとか?
李王家の家系だとかいっても、旨いものは食えないからな。
中国の朱さんなんか恥ずかしくて乞食(行乞)が先祖の
明王朝の家柄だなんて、口に出していえないよ
>>736 うーん、君個人の交流の機会が多いといっても、おそらく、数人とか、十数人とか、そんなもんじゃない?
統計学的なサンプル数として充分とは言えないんじゃないかなぁ?
たまたま、君と交流する機会のあった韓国人たちは、現代では社長や役人といった誇れる家ではないけど
遡れば両班、という人が多く、中国人は社長や役人の子弟が多かっただけ、とも考えられる
さらに言えば、国外の日本に子弟を留学させたり、日本企業に派遣したりすることのできる両国の階層という
のも考慮する必要があるだろう
そういう人は充分な教育を受けている人だろうし、となれば、子弟に充分な教育を受けさせられる経済力の
ある階層の出身、ってことになる
中国なら、そういう人は、社長や役人の子弟が多くても不思議はないし、現在そういう立場の人はもともと
低い立場から、共産主義社会の中で成り上がった(だから誇れる先祖がいない)ってこともあるだろう
孔子の子孫とか諸葛亮の子孫とか普通に誇ってるんじゃないの?
741 :
世界@名無史さん:2011/12/29(木) 00:04:20.67 O
北海、地中海を暴れまわったヴァイキング
黄海、東シナ海、南シナ海、日本海を暴れまわった倭寇
カリブ海を暴れまわったバッカニア
東南アジア、インド洋にはこういった名の付いた海賊はいなかったの?
742 :
世界@名無史さん:2011/12/29(木) 00:37:15.08 0
韓国では国民の8、9割が両班の子孫だそうです。
詐称ではなく本当にそうだと思います。
なぜなら、両班の男は、酒と色を好み、子だくさんになったからです。
ようするに、生物として繁殖能力が強くてたくさんの子孫を残したわけです。
身分の低い男は、同階層の女を両班に奪われ、かといって身分の高い女に手も出せず、
生物として絶滅していったのでした。
こうして韓国は、両班の子孫だけが生き残ったのでした。
両班の族譜なんて金で買えるのに (^o^) (^o^) (^o^)
744 :
世界@名無史さん:2011/12/29(木) 01:48:02.09 O
食文化は顔、体型の外見に影響ありますか?
米を主食としている民族は○○な特徴が見られるとか
まったくありません
イランのカスピ海側は米が主食ですが
カンボジア人やインドネシア人とは似ていません
746 :
世界@名無史さん:2011/12/29(木) 02:03:04.93 O
質問しておいてなんですが、
まったくないということはないのでは?
牛を多く食べる欧米人は全体的に体が大きいと思うし
>>744 堅いものを常食にしていると、歯、あごが発達する
顔付きは基本的に骨格で決まるしアゴぐらいしか変わる要素ないわな
よく未来人は流動食が主食になるからアゴが退化して顔が逆三角形になるとか言うけどそれすら嘘くさい
金正日氏死去に関係する北朝鮮の報道でよく「金正日同志」とか「金正恩同志」とか呼んでますが、
朝鮮語は全く知らないのですが「同志金正日」ではなく「金正日同志」とするのには敬語的な意味があるんですか?
日本語的な感覚では、例えばソ連関係者についての翻訳などだと「同志○○」の語順だし、
名前のあとに肩書きを書けば「○○容疑者」でも「○○首相」でも等しく敬語になりますが。
新左翼も敬意を表すときは普通にさんづけで、「○○同志」の語順で呼ぶことはなかったはずです。
金正日氏の葬儀の委員会?のメンバーを読み上げるときに金正恩氏だけ「金正恩同志」で他の重臣は呼び捨てだったのも気になります。
>>740 飲み会はともかくコンビニや工場で使い倒されたり、日本人相手に
売春したりはいくらでもありそう。
751 :
世界@名無史さん:2011/12/29(木) 09:22:09.77 0
>>748 徳川将軍には顎が極端に小さいのが結構いたらしい。
今でも昭和天皇の弟宮様は皆顎が小さい。
>>749 そのとおり、北朝鮮語では「同志(ドンジ)」は尊称扱い。
他国での同志での意味合いでは「同務(ドンム)」を使うそうな。
赤穂浪士の武林唯七は何と孟子の子孫だそうだ。
釈迦の子孫がいないのは残念
いたら面白いのに
インドの釈迦族には自称してる人ぐらいいるんじゃないの?
中国史っていつの間に名前が二つ以上付くようになってるけど、何かきっかけがあったの?
三国時代には劉備、曹操、孫権とかだったのに
隋唐以降から現代まで、李世民とか朱元璋みたいに二字名が一般化してるよね
今のフランスに移民が多いのはナポレオンのせいってほんと?
>>756 二字の名は前漢の頃には、霍去病とか司馬相如とか、ちらほら現れていたのだけど
何でも昔の方が正しいという儒教原理主義者の王莽が、名前も昔のように一字だけにしろと統一してしまい
その影響や流行が続いていたのか、後漢や三国時代では二字の名はあまり見られない
おそらく単純に、姓の種類の少ない中国で名前も一字だと、同姓同名が多くなって紛らわしいから、次第に
再び二字の名がつけられるようになっていったんだと思うよ
質問です。
中世の傭兵って基本どんな武器で武装していたのですか?
やっぱり剣が多かったのですかね?
戦場の主武器は槍とかが多いと聴きますが、
長物とかは高価でしょうし持ち運びもつらいんじゃないかなと思ったりするのですが。
以前見かけた記事で言及があったけど、
人名を思い出せないので教えてください
中世イングランドの武芸者みたいな人物で槍試合の達人
獅子心王リチャードの時代に被る
リチャードが若い頃、手も無く捻られた
ということで、リチャードよりも少し歳上と推定
とりあえずヨーロッパの中世だと、前期にはゲルマンやノルマンなどの部族戦士をそのまま雇い、
中期から後期にかけて臨時の傭兵や職業傭兵が現れてくる。
しかし剣は金属を多く使い、時間と手間がかかる高価な品で、取り扱いも素人には難しいため、
安くて作りやすく扱いやすい槍や長柄武器、斧や鉈、棍棒などを用いることが多かった。
近世にはスイス傭兵やコンドッティエーレ、ランツクネヒトなど職業傭兵が増えるが、
彼らも槍や長柄武器、火縄銃などを主に扱い、剣は護身や決闘、接近しての白兵戦用。
>>752 日本で言えば、みかどみたいな感じなのかな
王や独裁者が神格化される過程の実例を見ていることになる
しかし、自分で演説できないんじゃ、傀儡化し、下克上が起こる
中国だと数年で権力を持った前王の実力者を粛正して自立する例も多いがどうなるか
世界史って皆普段どうやって勉強してますか?
教科書の用語等を緑ペンでマークして赤シートで隠しながら
所々オレンジペンで暗記事項書いて赤シートで隠しながら
ネットサーフィンと読書
ざっと調べたあと、いろんな情報を比較してみて裏付けを取る
>>756 チベット系民族やモンゴル系民族は、二音節以上の名前を持っていた。
五胡十六国の胡族は、チベット系民族やモンゴル系民族。
胡族の名前は、シャングリラ地方の卓瑪(ドルマ)とか、オルドス地方の騰格爾(テンゲル)とか
二音節で、er化音がついたような音節構成なのだ。
ティムールの部下や、その子孫には
○○(ィ)シュで締められる名前が多い気がしますが、
これは何の民族の何を意味する慣例ですか?
770 :
世界@名無史さん:2011/12/29(木) 21:02:46.26 0
古代ローマの大プリニウスという人は雷は雲の摩擦で生じた光が地上に落ちた
もので神々の力ではないと本に書いたそうですが
古代の文明力でどうやってそれをつきとめたのでしょうか?
全てが想像だったとしても、雲なんてふわふわしてるものの摩擦で生まれるなど
無理やりな想像をするとは思えませんし
古代だからというのは理由にならない
ローマより前の時代から科学的な実証と考察の下地はあったのだし
(ただし、しばしば間違ったアプローチもあったが)、
それら実証的手法を用いることができた人物かどうかが問題
現代の先進国を自負するような国でも、迷信行動は無くなっていない事実を見れば判るだろ?
現代社会の会社員や従業員は、古代ギリシャやローマでは奴隷に相当したんでしょうか
黒人奴隷ほど過酷な生活ではなかったそうですが
>>772 西洋古代の奴隷って主にどうして生じるか知ってるか?
受験戦争や就活戦争に敗北した人間が現代の奴隷になるのだ
「有能な奴隷は厚遇された(=古代の奴隷は「全員」幸福だった)」という類の伝説も
現代日本の「能力があれば転職や起業で勝ち組になれる」と同じようなもの
日本は伝統的に、招魂社などに無念な死をとげた人物を祭ってきましたね?聖徳太子などの不遇の人物を祭ってきた
質問ですが、キリスト教やイスラムなど全世界でそのような風習というか民間での信仰のようなものはありますか?
キリスト教なら殉教者は列聖されるし、ユダヤ教やイスラムでも敬意を払われる(民間では聖者として祭るかも)
道教では関羽を筆頭に無念の死を遂げた人々を山ほど祀ってるし、ヒンドゥーや仏教でも同様
もう少し質問させてください
日本の神道や中国の道教では先祖を神として祀っているところがあります
他方仏教は死体に執着をしないことが説かれ、キリスト教では先祖を神とすることはできません(一神教なので)
このような違いはそれぞれの文化にどのような差異を作りましたか?
>>778 東アジアでは、日本でも北部中国でも死体に執着しませんが
死体を野晒しにされることには、大きな抵抗があります。
本来は墓標は立てず、あばかれないようにする発想があったようです。
ただし、有力者の墳墓などは、監視or警備の人員配置も権勢の表現という意味もあり
発想の出発点が異なります。
江戸時代には、森林保護の観点もあり、日本では火葬は限定的になってしまいましたが、
森林限界よりも高い地点や草原のような樹木の無いような条件だとしたら、
鳥葬が行われていたかもしれません。
いずれにしても、目に付くところに晒さないという発想がありますが
骨だけの状態にしてしまう方法の仏教とむすびつきやすいものがあります。
スペイン・ブルボン朝の成立は、フランスによる南ネーデルラントやルクセンブルクの
攻撃に耐えかねたスペインの停戦案みたいな解釈でいいのでしょうか。
王位譲るから、勘弁してくれと。
学生時代ろくに授業聞いてなかったので、
歴史の知識は薄っぺらいのですが、
興味があって日本史と世界史のまとめの本を注文しました。
日本の歴史を知ってから一方の世界史は…という見方をするのと、
世界の歴史を知ってからその頃日本では…という見方をするのでは、
どちらが楽しいと思いますか?
主観でも構わないので。
782 :
世界@名無史さん:2011/12/30(金) 08:33:28.55 0
西洋にも非業の死をとげたものが吸血鬼や亡霊になるって信仰というか迷信ならあるよ
英雄が時代をつくる。これは間違いの無い事実です。
>>778 だからさ。
文化の違いが宗教の違いをうんだんだよ。
中世などでは都市は外壁に囲まれてたりしますよね?
スラムとかってどの街にもありそうなイメージなんですけども、
壁の外にあったんですか?それとも中ですか?
市外の人間が市内に入るのに、許可のようなものがいるらしいので、
外かな?とか思うんですけども。
死体をどうやって処理するのか。
インドじゃどうしてたんだ?あ?
焼かなきゃ伝染病必至。だから焼いて川に流す。そこで亡骸には未練をのこさないような宗教がうまれた。
仏教、ヒンズーみんなそこは共通してるだろ。
当然、先祖の霊はとどまらずに川を流れて行くのだ。
フィリピンじゃ全部土葬だけど?
っていかちゃんと土葬すれば伝染病の原因にはならない
>>784 フェニキア人とアレキサンダーどっちが偉大だよ
延べ数百万人もいた一民族に匹敵する個人って偉大すぎるだろJK
>>780 ヨーロッパのパワーバランスの問題だよ
子供のいないカルロス2世が亡くなり、スペイン・ハプスブルク家が断絶した時、一番近いその継承者は、
フランスのルイ14世の孫のフィリップ(フェリペ5世)だった
だが、フランスがスペインまで手にしたら強大になりすぎるとおそれたオーストリア、英国、オランダなどが、
オーストリアのレオポルト1世の子カール大公をスペインの後継者に擁立し、スペイン継承戦争が始まる
ところが、継承戦争が長引くうちにレオポルト1世が亡くなり、その後を継いだヨーゼフ1世(カール大公の兄)も
病没してしまう
で、ヨーゼフ1世の弟カール大公がカール6世として即位する
こうなると事情が変わってしまい、カール6世がスペインまで継承すると、今度は、オーストリアが強大に
なりすぎる
で、英国などは手のひらを返して、スペインを併合しないことを条件としてブルボン家のスペイン継承を認めた
というわけだ
だから英雄が好きなやつは歴史を軽く楽しむやつって事だろ?
>>786 都市にもよるけど、一般的には城壁の外
城壁内はたいてい居住空間が限られているので、都市が発展して周辺から人口が流入してきても受け入れきれない
流入してきた人々は外に住みつき、そこがスラム化していく
>>791 確かカルロス2世がフィリップを推薦したのですよね。
いくら血が近いと言っても、それだけで推薦するほど国際政治は甘くないと
思ったのですが。
>>794 ヨーロッパの王家や大貴族は、相互に婚姻で結びついているので、A国の王位継承者がB国の王族、といった
ケースはぜんぜん珍しくない
だからこそ英語のできないドイツ人が英国王になったりもするし、○○継承戦争という戦争が何度も起こる
ナポレオンの時代と違って、この頃は、誰でも好きに王にしていいってもんじゃない
王の継承者は血筋こそがなにより大事で、血縁のない国内の他人を次の王にするよりも、血縁のある外国の
親戚を後継者にしたいのさ
>>795 そんな事わかっているんですけどぉ。
あなた詳しくなさそうだから、もう答えなくていいです。
>>796 別に感謝しろとは言わんが、答えてる相手に対して失敬な言いようだな
「そんな事わかっている」と言うが、
>>794で「いくら血が近いと言っても、それだけで推薦するほど国際政治は
甘くないと思ったのですが」とか言ってる時点で、
>>795の最後の2行を理解してないとしか思えないから、
わざわざ基本から教えてあげてるのに
国際政治がどんなに甘くなくても、当時としては、それよりはるかに重要なのが王家の血筋なの
それがわかってて、どうして
>>794のようなカキコミするかね?
英雄はたしかに存在する。
織田信長が死んだ後、かわりがあらわれたか?
800 :
世界@名無史さん:2011/12/30(金) 19:57:49.31 0
朝日新聞は一時期300人のネット工作員をかかえ、反日工作していた。
捕まった編集者は49歳ですが、こんなカスでも1500万円の年収がもらえるんですよ。
Domain Information: [ドメイン情報]
a. [ドメイン名] ASAHI-NP.CO.JP
e. [そしきめい] かぶしきがいしゃ あさひしんぶんしゃ
f. [組織名] 株式会社 朝日新聞社
−「朝日新聞社は、とある思想やパラダイムに日本の世論を誘導する見返りに、中国から大量の資金を貰っている。」−
これはおそらく週刊誌さえ書けない。
「失語症躁鬱ニートは氏ねよ」【ネット】朝日新聞社員(49)ネットで荒らし行為、会社ごとアクセス規制へ 09.3
>>798 そんな事k聞いてないからですよ。感謝されたかったら上から目線で書き散らさないで
ちゃんと勉強してから書いてください。
>>795 スウェーデンの王様って、確か、ナポレオンの手下で、どこの王様とも縁続きで無い人が
据えられていたよなあ。勿論、スウェーデンの誰とも明確な血縁が無い。
>>708 クビライカーンの鷹狩の様子を描いた画に黒人が出てるよ。
>>802 そうだよ
だから、「ナポレオンの時代と違って、この頃は、」って言ってるじゃないか
>794
ルイ14世妃のマリーテレーズ(父・スペイン王フェリペ4世)がフランスに輿入れする際に王位継承権は放棄されたけど、
スペインからの持参金が払われておらず、それを盾にフランスが放棄を無効とし、継承権を主張。
政治、経済ともに行き詰ったスペインは、フランスの主張を断れず、カルロス2世の遺言状でフィリップを後継に指名。
大雑把な経緯は、こんな感じ。ここまでなら、それほど複雑な要素はないです。
国際政治が甘くないのは、この後でしょう。
元質問の>780についてなら、ピレネ条約からスペイン継承問題までの間に、フランスが低地諸国へ積極的な軍事行動した例は無かったかと。
むしろピレネ山脈沿いの国境でいざこざ起こしてる。
なので、その解釈は違いますね。
孔明の真名は朱里なのだ
809 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 02:22:29.28 0
>>804 モンゴル人だったら黒人を知っていてもおかしくはないわな
しかし、それだったら、永楽帝はアフリカからキリンを連れてきたのだろう
黒人を連れてきて、ペットとして買わなかったのかな
おそらくお金を出したら何百人は購入できたはずだから、
何百人かつれてきて、見世物にした後は小間使いにでもといって家臣に
渡すなり、友好国、例えば朝鮮や日本にみやげ物として下げ渡すとか
>>809 キリンを永楽帝のところに連れてきたのは鄭和で、鄭和は宦官なわけで
俺の勝手な想像だが、宦官の一員である鄭和にとっては、宦官以外で永楽帝のお気に入りになるヤツが
増えるのは好ましいことではなかったのではないか?
だから、わざわざ、珍しい人を永楽帝に献上するようなことはしなかったのではなかろうか
811 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 05:28:59.45 0
>>810 ありがとうございましたww
確かにその可能性はありそうですね
ナポレオンにも似たような話があったなぁ
エジプトに遠征した時に、グルジア人の奴隷を購入して
小間使いにしていたのだけど、機転が聞くからと言って秘書みたいな
やらせていたらしい、
ところがそのうち態度がでかくなって、自分の一存で人の取次ぎを
決めるようになって、将軍たちから嫌われたと言うことがあったなぁ
ヒトラーにもマルチン・ボルマンの例があるし
まして永楽帝の宮廷だと何があるかわからんわなww
>>809が皇帝じゃなくてよかったわ。昏君としての資質をすっごい感じるわ。
813 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 05:52:54.11 0
>>812 まあ、中国人は特に虚栄心が強いからなww
あの三国志の時代、いやおそらくそれ以前からだろうww
とにかく朝貢に異常にこだわっていて
岡田英弘の本によると、謁見時には盛大な儀式をして
自分の徳がこんな遠くに国々まで及んでいるのだぞと、わざわざ群臣に
見せつけるのだからなww
あの毛沢東の時代でも国民がいくら餓死しようが、アフリカ諸国が
訪問したら、盛大な歓迎をして膨大な額の援助を与えたのだからww
だからあんがい中国人は日本人が心底嫌いなのかもしれん、
国交回復時に、中国側が対日賠償を放棄したのに、
日本側がそんなやせ我慢をするなといわんばかりに経済援助を
与えたのだから、メンツを潰されたと感じていてもおかしくはないわなww
あれは援助の名目で払うから賠償金は放棄してくれって話じゃなかったのかね。
永楽帝は中国を崩壊させたんだよな、それまでのリードがこいつのせいで失われた
日本の交戦国は中華民国で中共じゃあないし満洲に残した工場地帯だけでも支那土人は日本に百万回土下座して感謝したっていいぐらいだろ
なんせ支那事変前も後も満洲は日本ソ連以外のアジア最大の工業地帯だったんだからな
特に中共が国共内戦に勝てたのは満洲の工業地帯を手に入れられたからなんだし
>>731 為政者の資質や行状が良くないときには、天変地異や反乱が起こる。
>>810 とっ捕まえたり買ってきたりしてきた奴隷外人は、当然、タマ抜きされて宦官なわけよ。
こないだアメリカ独立戦争を舞台にした映画パトリオットをみたんですけど
そのなかで砲を水平に撃ち地面を砲弾が転がるように飛び跳ねることで
その射線上にいる兵士の足がもぎ取られていくっていう描写がありました。
通常どおり上方に発射すると点でしか殺傷できないわけですが、この方法だと線上にいる兵士はまとめて
戦闘不能にでき非常に効率的だと思ったのですが、
野戦における大砲は実際にこのような使われ方はしたのでしょうか?映画だけの描写でしょうか?
>>819 時代が異なるが、近世初期のボンバルダと呼ばれる砲は、
「弾を転がして殺傷する」ことを目的とした兵器だった
弾丸は大きいが砲身は短いため、射程が短かった
マゼラン艦隊はボンバルダを装備していたが、
シラプラプの知略によって遠浅の浜辺に誘い出された上陸戦になった
沖合いからの艦砲は無効にされ、マゼランは完敗を喫することになった
>>819 砲弾は基本的に水平よ。
上方に撃つと位置エネルギー分無駄に運動エネルギーを消耗するし、
空気抵抗の問題があり、狙いを外す事の方が多いので、滅多にない。
ただ、一度地面に接触すると榴弾は破裂するので、何度も転がるように
飛び跳ねるって事はないね。
822 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 15:28:24.23 0
砲弾(ミサイル?)をどのくらいの角度で撃ち出すかを計算するためにENIACが作られた。
完成が間に合わなかったが・・・
>>822 一方ドイツは歯車式計算機をゴリゴリ回してV2の弾道計算。
824 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 16:22:16.04 0
在日の戦略にひっかかり、全ての間違いが始まった2009年 夏
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|::::::::::( 」 < 民主になればこの世はバラ色、政権交代!
ノノノ ヽ_l \______________
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\ ヽ| lゝ | | \__/
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| ┬ |それでも懲りない日本人、韓国民団総理支持率30%w早く目を醒まそう!
825 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 18:17:37.92 0
>>823 エニグマの機械式の暗号作成器で、天文学的な暗号を作成するのだが
電波を傍受して、人海戦術的に数学的に分類して、あげくコンピューターらしきものを
作り上げてしまうのだからな
826 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 20:49:21.42 O
アメリカだかユダヤだかの第一勢力が未だに押さえられてない国を教えてください
イランとロシアは確定かな
なにそれ、陰謀論用語?
文化人ながら
戦争に関わった人物を5人挙げよ
文化人は戦争に関わってはいけないのか?
反戦活動も戦争に関わったことに入るの?
神聖ローマ帝国が西ローマ帝国の継承であるのなら。
なぜ 双頭の鷲が紋章なのでしょうか? むしろビザンチン帝国の紋章とおもうのですが。
問題が下手すぎたw
まぁギリ独のバイロンとか
ヒトラーが昔 画家だったとかでも
広い意味でおk
というと5人じゃすくないかな
10人!!
カエサルや曹操は文化人であり軍人であり政治家であった
曹操
詩を研究して当時の韻文の一定型を創り出し、
音楽を研究して音律周期性を導き出して楽譜を普及させ、
書では篆刻字体の手本にされるような影響力を残した
碁は特に貢献することはなかったけど、普通に強かった
戦争も大いに関わり、作戦立案も指揮もやった
835 :
世界@名無史さん:2011/12/31(土) 23:49:00.74 0
あとはチャーチルかな
それと新聞記者は文化人に入るのかな?
新聞記者まで入れたら、かなりの数になるが
一応18世紀のレベルくらいまでなら、20世紀の新聞記者は立派な
文化人認定されるだろう
毛沢東はどうなるかな
一応本人は歴代の王朝の創始者の中では学があったぞと
自慢する漢詩を書いているがww
まあ、学者としてやっていけるだけの教養があったのは間違いないが
836 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 00:05:05.13 0
昭和天皇なんかも知識人ではある
王陽明
近世中国最高の知識人にして最高の名将でもある
838 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 00:16:29.55 0
>>837 そうか中国だと儒教の偉い学者も結構軍隊を率いているな
そもそも孔子様も宰相を勤めていたのだし
明初期の靖難の変のおり、
根っからの文官である方孝孺に軍事を任せたのは実にアホ。
毛沢東が天才ってのは分かるんだけど、中国は康有為モデルで国家作ってればもっとうまくいったんじゃないでしょうか?
それだと立憲君主体制になっていたはずです
841 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 06:13:00.92 0
>>840 そんなに単純な問題じゃない
革命から100年経ってもいまだに民主制が実現していないような国だぞ
>>841 あの数なんだから民主制は無理じゃないかなあ。
人数が増えれば増えるほど徹底的に愚かにするか、
徹底的に教化と合理化(個人的欲望の制御)を推し進めないと
回らなくなるのが民主制だし
843 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/01(日) 09:10:23.83 0
>>842 でも中国と同じぐらい人口の多いインドではそれなりに民主制が根付いてるんだよね。
まぁ、インドの場合はイギリスの植民地支配の長さがその一因だと思うけど、
人口の多さが必ずしも民主主義の隔たりとはならないような気がするなぁ。
844 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 11:07:19.23 0
845 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 11:50:46.85 O
日本は第二次大戦後、日本、南北朝鮮、台湾等のいくつかの国・地域に別れましたが分断国家とは言われません。
何故でしょうか?
中国は中共・台湾に分かれた分断国家でしょうか?
>>845 そもそも終戦間際に帝国政府自体が南北朝鮮及び台湾を一方的に切り捨てて天皇制の護持を懇願したから
当時の日本人の感覚からしても天皇>>>越えられない壁>>>台湾・朝鮮
一部のアジア主義の急進派は別にして言語が違う台湾朝鮮なんて普通に別の国・民族という認識だし。
ただ、旧植民地住民の一部は必死に帝国臣民というアイデンティティーを得たのに
一方的に切り捨てられたって感情が多少あるようだ
ここらへんは中公新書の『「大日本帝国」崩壊』が面白いよ。
>>836 封建時代の殿様とか、立憲君主制の王様とか、政務でやることないから、お勉強や芸事ばっかり。
イギリスなんか本国からしてバラバラだしなあ
>>845 日本は分断国家と"限定的に"言われることがあるので、言われないわけじゃありません
日常的には意識に登らない程度でしょうけど
アメリカ主導の正規の(日本との)交戦国軍に占領された大部分と、
飛び入り交戦国となったソ連に占領されて直接統治下に置かれた離島部分とに分断されたまま、
ソ連が解体されても状況は変わっていません
>>848 台湾はほぼ本国と同じだった
特に差別されていない
>>851 台湾はれっきとした植民地なのでちゃんと差別待遇はあったわけだが。
有名な台北帝大だって台湾人のためのものじゃなくて、
台湾在住日本人のためのものだったし(朝鮮でもこれは同様)。
朝鮮は植民地じゃなくて併合だろ。
だよね、上の意識でみれば併合なんだろうけど
下の意識でみれば宗教政策で末期はひどいこともやったわけだから
そんな全肯定に近い発言は、ただのナショナリスト
次
858 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 20:18:53.68 0
イギリスもアイルランドが独立したけど「分断国家」とは言わない。
アイルランドの方は北アイルランドがイギリス領のため「分断国家」。
チェコとスロバキアも別れたけど「分断国家」とは言わない。
ソ連が崩壊したらたくさんの独立国に分かれたけど「分断国家」とは言わない。
以上のことをよく考えてみよう。
>>858 はいはい、あなたはよく解ってますねー
自分だけはよく解っているという態度は鼻つまみ者になりすいから、気をつけてね。
860 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 20:23:10.79 0
旧ユーゴスラビアも分離独立したけど「分断国家」とは言わないな。
>>858 久しぶりに“キモい”って言葉が自然に出てきたw
862 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 22:13:45.25 0
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真の思考停
(在位 2009年9月16日〜2010年6月8日)
民主朝の初代考停、言行不一致、虚言、脱税、
そして外交において巨大な負の遺産を築いた。
アサシンクリードのローマやヴェネチアなどの建築物やその立地、及び街の構造などは、ある程度史実を元にして作られていると思われますか?
>>819 遅レスになりますが、砲丸投げをごぞんじでしょうか。
あれに使用される鉄球のもとになったものが砲丸、すなわちかつての砲弾です。
火薬の詰まった榴弾は扱いが難しいため、野戦や海戦でもっぱら使われるのはあのような鉄球だったわけで、
それを敵の戦列に打ち込んで人間ボーリングってのが17,8世紀頃の一般的な野戦砲の使い方でした。
>>865 それは迫撃砲という位置づけになるんでしょうか?
カノン砲ですかね。
三国時代の戦乱で人口が10分の1に減ったとか本当ですか
さすがに減りすぎと思うんですが。昔すぎて物証も少ないと思うし
>>868 死んだ以外に逃亡したというのもありうる
871 :
世界@名無史さん:2012/01/04(水) 00:04:59.77 0
>>868 岡田英弘さんはそう主張している
確かに書物を文字通り解釈すれば10分の一になっている
実際減っていると言う証拠はかなりある
匈奴を中国国内に移住させたりしているから
後の五胡十六国の時代になると、それら移住させた異民族が華北に
続々と国を作っている
しかし、三国時代が終わって短い晋の時代の人口統計は
1500万ほどになっている。20〜30年くらいで人間の数が
500万からいきなり1500万になるわけがないので、十分の一と言うのは
国家が把握できた数だと考えたほうがいい。
明らかに誇張されている。
『漢書』以後のシナの正史には、州や郡ごとに戸籍人口が記載されている部分がある。
『後漢書』郡国志によれば、桓帝の永寿3年(西暦157年)には戸籍人口が5648万6856人に達した。
しかし『晋書』地理志では、西晋が呉を滅ぼした西暦280年頃の統計で1616万3863人しかいない。
つまり戸籍人口が4000万人以上も減少している。
では三国時代はどうかというと、曹操の孫の明帝曹叡の時代に、
三人の重臣が口を揃えて「わが魏の人口は、漢代に比べれば一つの大きな郡程度です」と上奏している。
後漢で一番人口が多かった郡は、南陽郡の243万9618人。
三国初期には魏呉蜀を併せてもこの倍程度しかなかったというから500万人に満たず、157年から見れば10分の1以下。
ただ、戸籍に登録されていたのは「租税を納めるべき人々」で、流民や屯田兵や豪族の私有隷民(農奴)はカウントされなかったから、
それらを併せれば10分の1までは減少していないともいう。西晋代に急に人口が増えたのは、屯田兵が戸籍に戻されたためらしい。
まあ戦乱・飢饉・蝗害・疫病が頻発した時期だから、それ相応に人口減少はしただろうが。
平均寿命が二十歳かそこらで人口の過半数が十五歳未満の時代だと避妊堕胎間引きで簡単に人口は崩壊する
赤とんぼで十五で姉やは嫁にきとあるが満年齢なら十三四
江戸時代ではそれよりも早く十二三(満年齢なら十から十二)で嫁ぐこともままあったという
そして子供をポンポン産んで二十にもなれば年増三十になれば大年増と呼ばれ事実今の五十代ぐらいには老けていた
昨日テレビを見てて未だにイタリア人はギリシャ人が好きというのがわかった
他のヨーロッパ人はさんざっぱらギリシャ人の悪口を言っていたのにも関わらず
そもそも今のギリシャ人はスラブ系なんじゃないのか?
ローマ帝国を駄目にしたのもギリシャ人じゃないの?
なんでそんなにイタリア人はギリシャ人が好きなのかさっぱりわからん
昔からずっとだよね
自分たちの先祖がエウボイア人とかと思ってるんでしょうか?
ギリシャ文化の継承、発展者だからだろ。
>自分たちの先祖がエウボイア人とかと思ってるんでしょうか?
本気でそう思ってるかどうかはともかくとして、伝承では、ローマを作ったのは
落城したトロイを脱出したアイネアスってことになってるな
>>875 イタリアを日本、ギリシャを韓国に置き換えてみると・・・・・・
テレビってそういうものだ。モノを売るため、広告費をくれるスポンサーのため、平気でウソつくから。
血統はともかくスラヴ語をしゃべってないからスラヴ人じゃない
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真の思考停
(在位 2009年9月16日〜2010年6月8日)
民主朝の初代考停、言行不一致、虚言、脱税、
そして外交において巨大な負の遺産を築いた。
今の日本の内閣制のように、行政についてド素人の人間を行政庁のトップに任用するといった
習慣はどこの国でいつから始まったんですか?
中世とかの国王が権力を握ってた場合、普通はその道のスペシャリストを大臣にしますよね?
>>881 縁故採用でしょーもないのが大臣やった事例なんて腐るほどある
ペルシャ戦争以後の古代アテナイ。
市民による直接民主制を徹底した結果、ほぼ全ての公職を、
その公職を希望する市民の間での「くじ引き」で毎年改選するようになった。
「ストラテゴス」と呼ばれる国家の要職(10人)も毎年改選されたが、
さすがにくじ引きで決めるわけにはいかず、市民投票で決めた。
ペリクレスはこの市民の票を買収しまくって、三十年間独裁政治を行った。
またペリクレスの死後はデマゴーグ(大衆煽動者)が票を集め、
次々とストラテゴスになって国政を乱したので、世に「衆愚政治(暴民政治)」として名高い。
>>881 >中世とかの国王が権力を握ってた場合、普通はその道のスペシャリストを大臣にしますよね?
むしろそれは近代以後の発想
洋の東西を問わず、たいていの国では、中世には、家柄が名門か、身分が高いかが重要で、
どんなに能力が高い人間でも、身分の低い出身だったら絶対に大臣にはなれなかったし、むろん
その逆に名門の出だから高い位につくことはいくらでもあった
885 :
世界@名無史さん:2012/01/04(水) 20:06:33.81 0
中国の科挙官僚は四書五経には詳しいが実務はド素人
それでも若くして合格し登用された人は実務を覚える余裕があるけど
歳とってからの合格者は抜け殻状態で生涯を終える
要するに一部の政党が党員という理由だけで大臣を任命する現行の制度は
復活した貴族制といえるのではないだろうか
科挙官僚の場合、実務担当として地元の行政事務請負業者(胥吏)がいるので、
彼らに丸投げしておけば徴税から何からやってくれる(手数料込み)
代わりに政府や官庁内部の派閥争いで生き残る必要があるが
古代の地中海世界の場合戦争が強いやつが行政のトップにふさわしいとみなされた
東アジアは儒教的素養があるやつが行政官にふさわしいとみなされた
民主主義国家も大統領なり首相なりが行政のトップになる点では別に行政のプロフェッショナルを要件にしていない
今のイタリアのテクノクラート内閣なんて異例中の異例でしょ
古代ローマのエリートは、若い頃から末端の行政職と軍団の士官を交互に経験し、
文武両道のキャリアを積み上げることが求められる
単に戦争に強いだけではなく、平時の行政も含めて「人をうまく率いられる人」が望ましいとされた
軍人皇帝時代にこうした文武のキャリアコースが分離され、元老院議員は軍事に携わる事が無くなってしまう
胥吏について調べてみたいんですが、よくまとまっている本はありますか?
別に論文とか書くわけじゃないのでコンパクトに読めるだけでいいですので…
北京にでも行けば売っているだろ
北京にいけないので教えてくだしゃあ(;_;)
明清の胥吏については、外国語書籍(漢語)のほうがコンパクトなのが出ているんじゃないかな。
日本語だと専門の論文や書籍になってしまう。
日露戦争後のアナスタシア一家のことを考えると興奮する
>>865ー
>>867 鉄の弾を地面に水平に撃っているから今で言えばカノン砲にあたるのかな。
地面が湿地などで軟弱じゃないと、地面に落ちてもバウンドして兵士をなぎ倒していく。
最近の漫画で「ナポレオン-獅子の時代」ってのを読むと判りやすいです。
他にも、至近距離では散弾みたいな効果のために、砲口から鉄釘をスコップで大量に入れて撃ったり、
鉄球二つが鎖で繋がったような形の弾で船のマストを狙ってへし折ったりするシーンがあります。
人物描写とかはかなり脚色入っているけど、戦闘シーンはかなり史実に忠実だと思います。
>>888 日本の封建時代も戦争が強いやつがぎようせいのトップに・・・・・・
鎌倉・室町幕府には奉行人・奉行衆という文官集団が存在した
石田三成や大久保長安だって武勇で手柄たててたわけじゃないし
戦争がほぼなくなった江戸時代の武士は世襲の役人身分
ユサールとウーランって何が違うんですか?
>>899 >鎌倉・室町幕府には奉行人・奉行衆という文官集団が存在した
行政に参与していても、使われる側はトップではありません。
>石田三成や大久保長安だって武勇で手柄たててたわけじゃないし
だから、一番上で使う側でなく、使われる側。
石田三成は戦争の強いトップである豊臣秀吉の後ろ盾がなくなると反乱興されてしまっているし、
大久保長安も戦争の強いトップである徳川家康の後ろ盾がありながらも、名目上の地位は、
戦争でのしあがってきた勢力よりも上にすることが出来ず、表石八千の旗元どまり。
>戦争がほぼなくなった江戸時代の武士は世襲の役人身分
地位は当時の最終戦争である、関ヶ原戦役・大坂城攻略の武勲で確定。
覆したのはやはり戦争。戦争に弱いことが露見して、徳川政権崩壊。
室町幕府の奉行衆も、石田三成もあくまで武士であって、武装して従軍することが本来の職務で
それを免除されたりしているわけじゃない。まして、文官ではないよ。
行政を担っているのは、武士の中でたまたま能力を認められて、その職務を与えられたからでしょ。
僧侶出身の前田玄以とか商人出身の小西行長をみても、結局は武士として所領を与えられ、軍役を負担する身分になっている。
大久保長安の場合は鉱山開発という特殊技術者として登用されたんで、金座支配の後藤家とか儒学の林家、将棋の大橋家みたいなもんだろう。
武官ではないかもしれないけど、文官ともいえないと思う。
お抱え芸人とかに近いんじゃないの?世襲制が固まるまえに失脚しちゃったけど。
903 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 12:23:50.49 0
>>809 >>810 質問です。
明の永楽帝がアフリカのキリンを献上されたとの話ですが、
「麒麟だ!」
「麒麟だ!」
「永楽の御代、皇帝陛下が偉大だから出現したのだ!」
「皇帝陛下万歳!!」
というふうに大騒ぎにならなかったでしょうか?
ローマ人が行政職もやってると言ってもノビリタス同士の選挙戦で軍功が大きな意味を持ったからこそ凱旋式挙行のために征服戦争をやってるんだし
インペリウムは宗教性云々もあるけど軍事的権威が中心だし
行政の素人を使わない「官僚制」が成立するのは帝政の中盤以降の上そのころの皇帝に求められるものこそ軍事的能力という
>>903 駱駝の大きなヤツ
くらいの認識で、キリンとはみなしていなかった。
要は、いつ頃からgiraffeを麒麟と呼び始めたか、ってことだな
907 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 15:27:24.87 0
最近なにかのCMで歴史あるイギリスの〜〜 っての聞いて思ったんですけど
イギリスの歴史ってそんな古くないと思うのですが何でイギリスって歴史ある国っていう認識なんですか?
(紀元前55年にカエサルが支配してたのからカウントするなら2千年の歴史がありますが
イタリア人が支配してた時期をイギリスの歴史にするのは変な気が・・・・)
なにをもってして建国とするのかは意見が分かれるかもしれませんが、詳しい人がいたら
できれば
イギリスは○○の理由で自分達には○○年の歴史があると主張している
世界的には○○の理由でイギリスの歴史は○○年というのが通説になっている
というふうに説明してもらえると助かります
また本当にそれほど古くないなら
例えば「アジアや中東と比べれば新しいけどヨーロッパの中では古いから古参扱い」
など古い国扱いされている理由を教えていただけると嬉しいです
日本はかなり歴史が長い国なんで、気づきにくいけど、イギリスぐらいでも
世界的には長い方ってことなんでしょう。
(遅れた国、マイナーな国を除いて)
イタリアは別格として、ヨーロッパなんて日本と比べればあんまり歴史が長い国無いし。
ノルマンコンクエストからでも1000年近くなるし、歴史が「ない」とは言えんだろう
アメリカだって独立以来200年以上の歴史がある
ヨーロッパ諸言語なんて日本語に比べたらつい最近出来たようなもんだしな
「グレート・ブリテン」と名乗ってる以上、イギリス人にとってはブリテン人の時代もイギリスの歴史だという認識だろうね
ヒュームのイングランド史はブリトン時代から始まっている
ベーダの『英国民教会史は8世紀半ば、自国語(古英語)での歴史や法典の編纂はアルフレッド大王に遡って欧州の中では最も古い部類
また、主権がない時代は歴史がないというわけでもないだろうし
さすがに、ノルマン・コンクエスト以降というのは王朝飲みを基準としすぎて、いささか遅すぎると思う
グレートブリテンというのは(先住民の呼び名からではあるけど)地名であって、
イングランド・ウェールズ・スコットランドを(フランク人やイングランド人が)総称したもの
連合王国になる以前は別々の国
アーサー王のモデルが実在したとして、西暦5世紀末から6世紀初め頃だそうだが
その頃の日本(倭国)は継体天皇(ヲホド大王)の時代だな
914 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 18:13:52.14 0
イングランド史的には最大1250年くらいの歴史があるということでいいでしょうか?
中世から科学力とか工業力は世界トップレベルのヨーロッパ(白人圏)て歴史自体は新しいのですね
ただこれは主観的なものかもしれませんが、エジプト、イタリア、イラク、イラン、インド、日本、中国
と何千年ていう歴史の国を見ると、歴史ある古い国とはこれらの事で千年前後ぐらいは普通
数百年で歴史の浅い国と感じていました
文字通りの「歴史」という意味で言えば日本だってそこまで古くはないだろう
少なくとも数千年というレベルではない
>>906 永楽帝の時代ですよ
インドから連れ帰った「ジラフ」を何と命名するか諮問機関で検討した結果、
神話動物の麒麟の名を与えることに決定しました
インドの領主は、アフリカから送られた「ジラフ」を鄭和艦隊に譲った(転売?)のだけど、
艦隊側の者はそんな経緯をよく知らなくて、インド原産だと当初は思い込んでいた節があります
917 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 18:29:00.22 0
>>915 日本の建国が紀元前660年が公式らしいので一応は2672年の歴史があるかと
(反対意見もあるそうですが現在公式ではこうなってるそうです)
918 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 18:35:10.14 0
>>917 公式ではないだろ、「神話上は」だ。そんなこと言ってると朝鮮人みたくなるぞw
旧石器時代や縄文時代、新石器時代とかを「その国の歴史」に含んでいいなら
ヨーロッパはネアンデルタール人やクロマニヨン人以来の歴史があるし
アメリカにも1万年以上前から人類が住んでいる
イタリアやドイツの統一、ギリシャやインドの独立、
エジプトやシリアやイラクが現代に続く形での国家になったのは近代の話だし
中華人民共和国や大韓民国の建国にしても以下略
その手のを言い出せばミノタウルスを殺したテセウスがアテネを作り、
ヘラクレスの子孫がスパルタを作ったみたいな話を史実として認めることになるからな
日本は大和朝廷からだから建国1500年くらいだろ
「中国」には60年そこそこの歴史しかない、とか言って喜んでる嫌中厨がいたなぁ。。。
んじゃ、エジプトは?
エジプトは古王国時代から数えると5000年くらいだな。
主権のみを基準にするのは、それはそれで1つの歴史の見方だとは思うけど
人口に膾炙した味方ではないわな
>>922 「日本国」だって建国されて60年そこらしか経ってないからな
240年のアメリカからすれば確かにマッカーサーの言う通り"子供"だな
アメリカだって、憲法さわっているから、70年そこそこだよな
現代エジプトは王国じゃないし、エジプトを支配したイスラム系諸王朝もファラオの末裔だったりはしない
ムバラクはフィルアウン(ファラオ)と呼ばれたが、これは「圧政者」というニュアンスでの蔑称
イングランド王国が「歴史のある」とされるのは、アルフレッドやウィリアムから、
王朝交代やクロムウェル時代の中断はあっても延々と「イングランドの王家」として続いているから
デンマーク王室だって王朝交代はあるが1000年を超える歴史がある
国の歴史を王朝だけで見るのは一面的だと思う
大統領の任期(1933) 三選禁止(1951) アメリカも若いのう
王室の歴史と国の歴史を混同するなっての
932 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 20:01:14.14 0
まぁ日本建国年は議論されてるらしいので私は何も言いませんが
(神武天皇については史実か神話か意見が分かれるそうです)
本題のイギリスが古い、歴史があると言われる理由は
世界四大文明などと比べると浅いが千年は十分長くギリギリ古参組
ヨーロッパ自体が中東やアジアよりも歴史が浅いのでヨーロッパの中では古参
イングランド王家が途絶えずに千年続いてるから
でしょうか?
「国の歴史」を、その地域(現在その国がある領域)に居住していた人類の歴史とすれば
縄文人でもクロマニヨン人でもネアンデルタール人でも北京原人でも持ちだせる
現在の「国民」「民族」につらなる遺伝的・文化的特徴がなきゃだめだってんなら、
言語や文化が紀元前から激変しているフランスやアナトリアはむずかしい(東ローマ帝国はトルコ共和国につながるか?)
なので王朝や国家の変遷で見るのが、議論はあるにせよ比較的わかりやすい
イングランドのステュアート家って、14世紀じゃなかったっけ?
土地、民族、王朝、政治体制、それ以外に分類のあるかな
文化、言語
京都だって都が置かれてから1200年「しか」経ってないし、
江戸・東京は開府から400年「しか」経ってない
その程度に「歴史はある」ってことでよろし
もう
イラク>エジプト>パキスタン>中国の順に
世界最古の国家という事でいいでちゅか先生
人類発祥の地であるアフリカが一番です
次
国ではあっても国家ではなかったりするからな
こういうのが学者さんが決めるものかもしれませんが個人的には
国の歴史
建国されてから同一の民族がその国を支配していた時期
(他民族が移民してきて多民族国家になるのはOK)
政権交代
民族が同じならOK
例えばA民族が建国したα国内で反乱がおきて山田王家が殺されて代わりに山元家が王様になっても同じA民族ならOK、
ただしR民族が建国したγ国が攻めてきてA民族を殺しまくってα国の領地を奪ってγ国の一部にして
政権、統治者がR民族であるγ国の王に渡ったらα国の歴史はそこで終わり。
ただしA民族が反乱を起こしてR民族の役人達を叩きだして再びA民族が王様で統治したら「○年〜○年はR国に支配されていた」
という歴史になり歴史年数のカウントは続く。
国名改正
民族が同じならOK
何かしらの事情の国名をα国からβ国に変えてもA民族の王が統治しA民族が住み続けているならOK。
ただしその事情がR民族のγ国に戦争で負けて支配され、γ国が「今日から二つの土地を合わせてγ大帝国とする」としたらα国の歴史はそれで終わり。
942 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 20:26:40.79 0
>>916 903です。
お教えいただき、ありがとうございました。
政治体制の変更
やはり民族が同じならOK
A民族達のα国が王政から民主制に変わり、王様は国の象徴で政治の実権を選挙で選ばれた総理大臣に渡しても、やはりそこに住んでいるのも総理大臣もA民族ならばOK
文明の始まり
人間住み始めた
集落が造られた
鉄器が造られた
農耕が始まった
文字が生まれた
国が造られた
このどれかでしょうか?
例えばインディアンの土地だったアメリカ大陸に白人が移民してきて白人の国アメリカ
が作られて白人が大統領でその後でアジア人や黒人も住むようになりましたが
アメリカの歴史をインディアンの集落が作られ始めた頃からカウントはしませんよね?
国宝の蘭奢待のように、使えば無くなる消耗品を、宝物指定して
何百年もチビチビ使っている(使っていた)ような例は、外国には
ありますか?
いくらでもあるっしょ。。
947 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 21:00:25.32 0
東京にある6つのキー局の内、製作から財務まで一貫して朝鮮人が行ってるテレビ局が1つ
中国共産党から毎年大量の反日工作費が流れているテレビ局が2つ
もろに北朝鮮と繋がっているテレビ局が1つ
年寄はまだまだテレビという外国人に騙され続ける
それぐらい?
歴史ある我が国はほこらしいなあ
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まさに夜郎自大
米の石油禁輸が決定付けられたのは
三国同盟締結とインドシナ侵攻のどちらですか?
ずっと後者だと思ってたんですが
映画「山本五十六」とかでは三国同盟こそが日米和戦の分水嶺のように言われてるんで
>>955 1940年 9月23日 日本、北部仏印に進駐
1940年 9月27日 日独伊三国同盟締結
1941年 7月28日 日本、南部仏印に進駐
1941年 8月1日 アメリカ、対日石油輸出禁止措置
映画はあくまで映画
背景に三国同盟への警戒があるにしても、石油禁輸の直接のきっかけは、
タイミング的に明らかに南部仏印進駐だ
>>932 断絶しては隣国から王様呼んできてんじゃん。
>>957 他国からから継承する権利がある人間が来て、国を継承しているだけで、他国に併合されたりしたわけじゃないだろ?
それまでの居住地・生活基盤は継承資格に関係ないってだけだ。
日本の場合(どんな遠縁でも皇族であれば皇位継承の資格があるって理屈)と変わらん。
越前にいて、前王時代に大和でなんの活躍の記録もない人間なのに、大王を継いでも問題ないんだよ?
おまけに最初の継承候補者が逃げたんで次点繰上げだけど。
噛み合わない話をし出すトンチンカンにレスするなよ
「国の」歴史の長さが云々って話になると極めてレベルの低いゴミみたいなレスがここぞとばかり勢いよく大量につくから
そういうのは隔離用の新スレ立ててそこでやってもらいたい
人種区分は、地理上では
白黄黒南の4種だけの筈ですが
歴史上の区分では
よくセム(褐色)が白人から切り分けられますよね
これって単に文化的に非キリスト圏をひっくるめただけの事で
人類学的には無意味なカテゴライズって事で良いんですよね?
ラテン系より肌の白いアラブ人も数多いですし
セムは語族分類だろ。
用語の使用方法が違う。
コーカソイド=白色人種 という定義はあったことも一面の事実であろうが、
その一方、白色人種≠白人 でもある。
文の前半は白色人種のことを指しているが、中盤からは別の定義である白人にすり替わっている。
白色人種と白人という別の語を混同しているから、そのようなおかしな疑問が生じる。
タリバンがアメリカ攻撃するきっかけとなったのは、湾岸戦争での
聖地メッカがあるサウジアラビアに、異教徒の軍隊が駐屯するのはけしからんって主張だったと思いますが
これって、なんらかの歴史的・宗教的な反対する根拠があるんですかね?
それともビンラディンの個人的な思いからきただけ?
別にメッカに基地置いたわけじゃないんだし、異教徒はそれ以前からサウジに仕事や旅行で来ていたわけだし、
サウジアラビア(サウド家)がメッカの守護者っても、あくまで宣伝文句で他の国家と変わらないと思うのですが。
>異教徒はそれ以前からサウジに仕事や旅行で来ていたわけだし、
サウジアラビアは、その国土自体への異教徒入国を厳しく制限しているよ。
中東の中でも別格で閉鎖的な国。
メッカは更に回教徒以外立入禁止の封鎖都市だからな
そもそもビジネスマンや旅行者と軍隊はちがうし。
モンゴル帝国がメッカを始末してりゃその後の世界はもっと平和だったのに
モンゴル人は宗教に寛容だったからそんなことはあり得ない
モンゴル軍がウィーンで敗北せずに
ダンケルクまで制圧してたら、その後の世界はもっと平和だったのに
>>967-969 えーと、サウジが保守的なのは知ってますし、サウジ育ちのビンラディンが個人としてそういう感情を持ったかもしれないのも
理解出来ると思うのですが、反米感情ないしテロってのはイスラム圏全体に広がって、アフリカでもインドネシアでもおきましたよね?
その中には戒律的にはより緩い規制しか守ってなかったり、国内に異教徒が普通に生活して共存している国もあります。
例えば、バチカンがあるイタリアにイスラム圏のトルコあたりが他国への国際的な攻撃の一員として駐屯したといして
フィリピンや南米のカトリック教徒がそこまで反対するのかな?と。
バチカンとかローマを空爆したとかなら反感持つでしょうが。
聖地メッカがあるサウジアラビアに、異教徒の軍隊が駐屯するのはけしからんってスローガンが
世界中の様々な立場のイスラム教徒の心に訴えるような歴史的な背景がある言葉なのか、
単に各地に潜在的にあった反欧米感情とか、原理主義を支持する人達に共感されただけなのかを知りたいのですが。
。
メッカのカーバ神殿ってイスラム教の成立以前からあるんだな
初めて知ったときはびっくらしたわ
日本でも安保闘争と言って 米軍が同盟国軍として駐留し続けることにどれだけ反発があったかしらないのか。
そろそろ次スレ
>>973 >えーと、サウジが保守的なのは知ってますし、
保守的なんてレベルじゃ無いけど。
周囲の中東の国々が、みんな物わかりがいい文明国に見えるほど別格の国。
はっきり言って、北朝鮮並みかと。
確か、メッカがある国ということで、国自体が聖なる土地扱いされてたんじゃ?
22 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2012/01/06(金) 23:40:34.39 0
AKB=金正恩
この意味わかるか
AKBという捏造ブームの裏に何があるか見えるか?
>>950 でも、
ルイ14世が封を切って、その後ナポレオンが飲みくさして
戦勝祝いにドゴールが飲んだので、残りがもうあんまり残ってない
秘蔵のワイン
なんてしみったれた飲み方されたワインの話は、聞いたことないですよね
980 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 22:38:30.14 O
ポルトガルって第二次大戦中中立宣言してたけど
英ポ永久同盟に従ってイギリスに基地提供してたよね?
中立国であるにもかかわらず片方に基地を提供しても中立は犯されないものなの?
某所で話題になっていたのでちょっと気になった
981 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 22:41:48.53 0
スイスも中立国として有名だけどナチスに口座を貸していてスイス国内で戦後論戦になったな。
982 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 22:55:20.92 O
口座はまだいいだろ
それ自体は軍事行動じゃないもん
ポルトガルのはもろ軍事関連じゃない
いや、口座もやばいだろう。
ナチスの対外侵略の資金源になっていたんだから。
984 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 23:03:01.90 O
だからなんなんだよ…
反論になってないし質問に答えられないならレスしてもらわなくていいよ
985 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 23:07:23.80 0
次の質問をどうぞ
中世のチベットは宗派が群雄割拠していたけど
チベットには貴族階級や奴隷階級のような身分制度は無かったの?
また、群雄割拠と言うと各地に武将や貴族がいるイメージだけど
チベットの場合は寺院が割拠していたんですか?
987 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 23:19:49.07 0
>>974 カーバ神殿はまだ多神教の時代からあったからね。
988 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 23:22:11.99 0
すいまぜんケルト民族とタイアナ民族、ションイ民族の違いをおしえてください
あの黒石も昔から崇拝されていたと言うことだ。
>>952 いくらでもあるって言ってる割には、いまいちの例
>>989 じゃあ、イスラム教とは関係ないってこと?
>>966 タリバンがアメリカ攻撃したんじゃない。
タリバンはアフガニスタンのゲリラ組織でソ連が撤退した後
実質アフガニスタンを支配していた。
そこへオサマ・ビン・ラディンが逃げてきて、タリバンはかくまっただけ。
しかも「軒を貸して母屋を取られる」状態になり、ビン・ラディンがタリバンを
指図するようになっていった。
それにタリバンは実行犯ですらない。
ビン・ラディンがそれまでに行っていたテロ行為を見ると、
何の正当性もなく単に「アメリカはアラブの敵」というスローガンだか
プロパガンダを広めるためにやってるにすぎない。
そもそもサウジアラビアから追われた身だし、
サウジアラビアがアメリカ寄りなのはずっと昔からだから、本当の理由でないことは明らか。
聖書の解説書とか読むと大概ノアの箱舟や出エジプト記やアブラハムやダビデなどの
物語についてが描かれてるケースがほとんどですが
そもそも旧約聖書をちゃんと読めばあれは物語が描かれてるの?
個人的にはずっと何かしら格言集みたいなものかと思っていたが
994 :
世界@名無史さん:2012/01/08(日) 01:20:58.76 0
>>993 ちゃんと書いてある。
ノアの方舟やアブラハムの話は「創世記」に、
出エジプトはズバリ「出エジプト記」に、
ダビデの話は「サムエル記」〜「列王記」に書いてある。
>>994 聖書って物語なの?
コーランもそうだと思うが
ちょっとちら見したらユダヤ教・キリスト教信者にとってあるべき格言らしきものが
びっしり延々と埋まっているだけで眩暈がしたのだが
それを一つ一つつなぎ合わせたら物語になるの?
たぶん聖書の「箴言」を見たんだと思う。
そういう格言がズラズラ書かれているのが「箴言」。
あるいは旧約聖書の3分1は詩文なので、ちょっと目には
格言みたいなものがズラズラ書かれているように映ったのかもしれない。
>>980 してねーよ。勝手に侵攻して分捕ってたんだ。抗議もしてる。
さすがに喧嘩売ったら連合軍の敵になるから表だっては抵抗しなかったけど。
まあナチスが切れてたけどスペインは大人の対応してくれたしね。
>>995 箴言などは言葉だけだが、基本的には物語で、その中に規律などが書かれている。
ただ長さの指定など無駄な描写が多いので非常に退屈。細かく書いたって実際の建築法が
無い以上リアリティがなくなるだけなのになぁ。
998 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/08(日) 06:53:05.27 0
>>986 ラサ周辺(現在のチベット自治区)には奴隷制度はありました。
奴隷は土地に縛りつけられ、逃亡したら舌を抜いたり目をくりぬいたりされていた。
寺院は割拠していないが、貴族の所領の安堵状をラサの宗教勢力から出してした。
青海もチベット仏教でチベット語なのだが、純遊牧民なのでモンゴルと社会が似ている。
その遊牧集団は、宗族を単位としていて巨大なことがモンゴルとは違う。
青海の安多(アムド)と呼ばれる集団には、奴隷制度はなかった。
四川雲南のチベット仏教地区は、半農半牧であり、交易によってラサにも出入り可能だった康巴(カム)。
こちらは、もともと大理国解体後からは土司制度がとられていた。
同じ四川でも、長江(金沙江)の北岸は純遊牧民なので、安多(アムド)に分類される。
19世紀に、もともと四川雲南カム地方の五品官宣撫司の安堵を清朝が出していたのを
ゲルク派の法王が出すようになり、ラサと同じゲルク派の布教が始まった。
カギュ派がもともと拠点を持っていたほか、ポン教と親和したニンマ派も存在し、四川雲南は宗派のバリエーションが多い。
四川省(西康省)甘孜藏族自治州新竜県にて発生した、ゴンポ・ナムギャルの乱を平定したのが
ダライラマ法王であったため、安堵はそちらから出すようになったが
20世紀になって川滇辺務大臣趙爾豊によって、元の形に戻された。